「こんてむつすむんぢ抄」の版間の差分

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::こんてむつすむんぢ {{r|御|おん}}{{r|主|あるじ}}ぜすきりしとを{{r|學|まな}}び{{r|奉|たてまつ}}る{{r|經|きやう}} 抄
:::::○{{r|讀誦|どくじゆ}}の人に對して草す
 
このこんてむつすむんぢ◦{{r|日域|じちいき}}にをひて◦ぜすゝ のこんぱにやのすぺりおうれす{{r|御|ご}}{{r|發|ほつ}}{{r|機|き}}に依て◦らちんの{{r|證本|せうほん}}より確かに翻譯し◦{{r|校合|けうがう}}{{r|度々|どど}}に及んで◦{{r|深|じん}}{{r|旨|し}}を和げて以て{{r|梓|し}}にちりばむ。これ でうす の道を{{r|行|ゆ}}き◦{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}を扶かりたく思ふ人を◦躓かず導くこと最も大切なる義なれば◦{{r|當門|たうもん}}こんぱにやの使徒◦並びに世俗の輩をして◦讀易からしめんが爲なり。{{r|然|しか}}るにこの書のうちにをひて◦徳深き事多しといへども◦わきて徳を求めんとの志願を以て◦之を讀誦せん人◦いづれのところをなりとも開き見ば◦今{{r|我爲|わがため}}に肝要の{{r|理|ことわ}}りを記されたりと{{r|辨|わきま}}へざる事あるべからず。{{r|所詮|しよせん}}◦でうす の計りなき善の源にて在ますおん上より◦この{{r|賜|たまもの}}を與へ給へば◦{{r|歓|くわん}}{{r|喜|ぎ}}{{r|踊|ゆ}}{{r|躍|やく}}の心を以て◦この{{r|書|しよ}}{{r|巻|くわん}}を常に{{r|翫|もてあそ}}び◦讀みては讀み◦{{r|幾度|いくたび}}も讀返して◦善の道の師範とあふぐべきもの也
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:::::○世界の{{r|實|み}}の無き事をいやしめ{{r|御|おん}}{{r|主|あるじ}} ぜすきりしと を學び奉ること
 
{{r|御|おん}}{{r|主|あるじ}}の{{r|宣|のたまは}}く Qui sequitur me, non ambulat in tenebris, sed habebit lumen vitae. Ioan. 8. 我を慕ふ者は{{r|暗|やみ}}{{r|路|ぢ}}を行かず◦たゞ壽命の光を持つべしと也。心の{{r|暗|やみ}}を逃れ◦まことの光を受けんと思ふにをひては◦きりしと の{{r|御|ご}}{{r|行跡|かうせき}}と{{r|御|おん}}{{r|氣|かた}}{{r|質|ぎ}}を學び奉れと◦この{{r|御|み}}{{r|言|こと}}{{r|葉|ば}}を以て勧め給ふ也。{{r|然|しか}}る時んば◦きりしと の御行跡の{{r|患難|かんなん}}を◦我等が第一の學問とすべし。きりしと の{{r|御|おん}}{{r|教|をしへ}}は諸々の善人の教に{{r|勝|すぐ}}れ給へり。善の道に立入りたらん人は◦{{r|御|ご}}{{r|教|をしへ}}にこもる不可思議の{{r|甘|かん}}{{r|味|み}}を覚ゆべし。{{r|然|しか}}るに多くの人◦きりしと の{{r|御|み}}{{r|法|のり}}を繁く{{r|聴|ちやう}}{{r|聞|もん}}すれども◦{{r|發|ほつ}}{{r|機|き}}少きことは◦きりしと の{{r|御|ご}}{{r|内|ない}}{{r|證|せう}}に{{r|値|ち}}{{r|遇|ぐう}}し奉らぬ故也。きりしと の{{r|御|み}}言葉を味ひ深く◦達して分別し奉らんと思ふにをひては◦我身の{{r|行|ぎやう}}{{r|儀|ぎ}}を◦こと{{gu}}く きりしと に等しくし奉らんと歎くべし。へりくだる心なきによつて◦ちりんだあでの{{r|御|ご}}{{r|内證|ないせう}}を背き奉るにをひては◦そのちりんだあでの高きおん{{r||ことわ}}りを論じても何の益ぞ。まことに媚びたる言葉は◦人を善人にも正しき人にも爲さず◦たゞ善の{{r|行|ぎやう}}{{r|儀|ぎ}}こそ◦人を でうす に親しませ奉るものなれ。こんちりさんといふ後悔の{{r|理|ことわ}}りを知るよりも◦このこんちりさんを心に覚ゆる事は◦なほ好ましき事也。びぶりやといふ{{r|尊|たつと}}き{{r|經|きやう}}{{r|文|もん}}の{{r|文|もん}}{{r|句|く}}をこと{{gu}}く{{r|暗|そら}}んじ◦諸々の{{r|學|がく}}{{r|匠|しやう}}の{{r|語|ご}}を皆知りても◦でうす の{{r|御|ご}}{{r|大切|たいせつ}}とその{{r|御|ご}}{{r|合|かふ}}{{r|力|りよく}}なくんば◦これ皆何の益かあらん。でうす {{r|御|ご}}一體を大切に思ひ◦仕へ奉るよりほかは◦皆{{r|實|み}}もなき事の中の{{r|實|み}}もなき事也。この世を厭ひて◦天の{{r|御國|おんくに}}に志すこと◦最上の智惠なり。かくの如くある時んば◦{{r|過|すぎ}}{{r|去|さ}}る福徳をたづね求め◦それに頼みをかくる事は◦實もなき事也。位◦譽れを望み歎き◦身をたかぶる事も又◦實もなき事也。骨肉の欲するに任せ◦以後甚だ迷惑すべき事を望むは◦實もなき事也。行儀の正しからん事をば歎かずして◦長命を望むは◦實もなき事也。現在の事をのみ{{r|専|もっぱら}}として◦未來を覚悟せざること實もなき事也。さしも早く過去る事に{{r|愛|あい}}{{r|着|ぢやく}}して◦長き楽みのあるところへ急がざる事◦實もなき事也。 Oculus non vidit, nec auris audiuit, nec in cor hominis ascendit, quae praeparauit Deus ijs qui diligunt illum. ⅰ. Cor. 2. {{r|眼|まなこ}}は見る事に{{r|明|あ}}かず◦耳は聴くことを以て達せずといへる貴き經文の語を◦常に思出すべし。{{r|然|しか}}る時んば◦目前の事より心を離し◦目に見へざるところに心を移すやうに◦歎くべし。その故は{{r|色身|しきしん}}のみだりに望む事を慕ふ者は◦その身のこんしゑんしやを{{r|汚|けが}}し◦でうす の御加護なるがらさを失ひ奉る也
 
:::::○内證の閑談の事
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:::::○智惠を明らめ給はん爲のおらしよの事
 
いかに ぜすきりしと 量りなき御光明の{{r|光|くわう}}{{r|曜|よう}}を以て◦わが心を明らめ◦心の{{r|暗|やみ}}を{{r|輝|てら}}し給へ。妄想の散亂する事を拂ひ給ひ◦我を責むるてんたさんの{{r||しやう}}{{r||がい}}を滅し給へ。我味方となり給ひて◦強く戦ひ給へ。{{r|獣|けだもの}}となる{{r|撫|ぶ}}{{r|育|いく}}の{{r|病|やまふ}}を従へ給へ。これ即ち{{r|御|おん}}力を以て無事を{{r|得|え}}◦尊き{{r|御|ご}}{{r|殿宅|でんたく}}となり清き心を以て御身を尊み奉る聲をひゞかすべきため也。風波に御下知を爲されよ。又大海に静まれと宣へ。又北風に吹く勿れと御下知なされよ。然らば即ち{{r|謐|しづ}}まるべし。御光りとまことを下し給ひて◦{{r|地|ち}}{{r|上|じよう}}を{{r|輝|かがや}}かし給へ。その故はおん身我を輝かし給はぬ間は◦我はたゞ{{r|益|やく}}なく空虚なり◦土なり。御身のがらさを上より下し給ひ◦我心をめ◦勝れてよき身を生ずべき爲に地上を潤し◦信心を起し給へ。終りなき{{r|娯|ご}}{{r|楽|らく}}の甘露を{{r||な}}めて◦現世の事の思案等を氣苦しく思ふやうに◦{{r|罪科|つみとが}}の重荷をせおひたるあにまを引上げ給ひて◦我望みを全く天の事につけ給へ。{{r|御|ご}}{{r|作|さく}}のものより來るほどの過去る喜びを◦我より引離し給へ◦その故が何たる御作のものも◦わが望みを達して{{r|寛|くつろ}}げ喜ばする事叶はず。解けがたき御大切の結びを以て◦御身に{{r|値|ち}}{{r|遇|ぐう}}させ給へ◦その故は御身御一體のみ思ひ奉る人の爲に◦満足なり給ひ◦御身{{r|在|まし}}まさずしては◦萬事も味なく益なし
 
:::::○{{r|實|み}}もなき世間の學問に對する心持の事