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CES1596 (トーク | 投稿記録)
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お疲れ様です。今気づいたのですが、本作品の編者村岡典嗣氏は1946年に亡くなっていますので、『切支丹宗教文学』と同様に考えれば収録不可ではないでしょうか?ただ、1926年に発行されているので2022年以降であれば収録は可能かと思います。以上取り急ぎ。--[[利用者:CES1596|CES1596]] ([[利用者・トーク:CES1596|トーク]]) 2020年5月15日 (金) 21:52 (UTC)
::いつも御教示ありがとうございます。上記の御忠告のついてお答えします。本作品が1926年の発行で、編者村岡典嗣氏の没年が1946年であることは気づいていました。ただ、その内容をつぶさに見てみると、姉崎正治氏の『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1209456 切支丹宗教文学]』とは性格のかなり異なる出版物であると思いました。姉崎氏の作品は校訂本と研究解説書としての両方の性格を有しており、「とびら」というのでしょうか、初めのページにも姉崎正治編著となっています。村岡氏の作品の方は村岡典嗣編となっています。姉崎氏の作品には本文中に詳細な解説を原文の前に置いてあります。他方、村岡氏の作品の方は序文と附録と第十四章は別として、本文は第一章から第十三章に至るまで校訂した原文のみを収録しています。村岡氏の作品『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971193 吉利支丹文学抄]』の「はしがき」の最後には『(東洋文庫の「どちりなきりしたん」と大阪毎日新聞社の「吉利支丹叢書」に対して)閲読を得ましたら、編者の本書に於ける所説等にも、補正すべきものが幾分あらうと思ひますにつけても、その刊行の事の早からむことを願ひなほ今後、諸文庫や諸家に秘蔵さるゝこの種文献が続々世に出でて、学界公共の資料とならむことを、学徒のひとりとして切望します。』とあるように村岡氏は校訂本としてこの出版物を世に出していることを強く意識しておられ、意図して本文に解説や考察を加えていないのだと思います。その事から見て僕はこの作品は創作性を持った校訂本ではないと判断しました。説明が充分ではないかもしれませんが、以上がこの作品を投稿した理由です。経験不足から判断を誤っているかもしれません、遠慮のない御意見をお願いします。--[[利用者:村田ラジオ|村田ラジオ]] ([[利用者・トーク:村田ラジオ|トーク]]) 2020年5月16日 (土) 16:54 (UTC)