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* 底本である『校本どちりなきりしたん』(1966年)の著作者である[[w:小島幸枝|小島幸枝]]さんは2012年に亡くなっており、没後50年を経ていません。明らかに日本国内において[[ヘルプ:パブリックドメイン|パブリックドメイン]]の状態にないため。--[[利用者:村田ラジオ|村田ラジオ]] ([[利用者・トーク:村田ラジオ|トーク]]) 2020年4月21日 (火) 13:52 (UTC)
::〔校本 どちりなきりしたん 昭和41年1月31日発行、福井国語学グループ研究叢刊 第2. 発行福井国語学グループ 編者 小島幸枝。〕notesにこのように底本の記述がありますが、国会図書館デジタルコレクションを見てみると(本文は見る事ができませんが、目録のみ見ることができます)、目録の内容が[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2941886 『校本どちりなきりしたん』(1966年)]の目録とはだいぶ異なっています。別の底本を用いて投稿されているように思われます。--[[利用者:村田ラジオ|村田ラジオ]] ([[利用者・トーク:村田ラジオ|トーク]]) 2020年4月23日 (木) 18:24 (UTC)
 
** (コメント)『校本どちりな』はてもとにあるので見られますが、それ以前の問題として、[http://pcc.karpan.net/diary/200710230109.html どちりなは文語体で書かれたもの]でこのような口語体ではあり得ないので、おまえはだれだという感じがします。振り仮名も近代文学ではないのでこうはならないので、その校本たる『校本どちりな』が——実際、そもそもの目的としてキリシタン版どちりなを4本並記する以上のことはしない本です——このような本文を有するはずがあろうもないのです。
** よくよく見てみれば、[https://ja.wikisource.org/w/index.php?title=%E7%AC%AC%E4%B8%80_%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%A8%E4%BA%91%E3%81%86%E3%81%AF%E5%A6%82%E4%BD%95%E3%81%84%E3%81%86%E4%BA%8B%E3%81%8B&oldid=154108 第一節の初版]第一行目に、「その教え真実肝要である旨を聴聞する事は専らなればその謂われを汝よく聴くか否か?の謂われを聴聞する事肝要であるその御掟ての事を聞く事が出来るか?」とあって、中途半端に翻訳してあることが分かります。つまり、これは、いつもの正信方氏のずさんなテキストです。
** では、原文の箇所は『校本どちりな』を引き写したものであるのかというと、漢字が勝手に宛ててあり、仮名遣いも変えてあるので、引き写しではありません(とはいえ、よく読むと、この校本が4本の本文を並列したものであるという構成をまったく理解できずに作った本文であることも分って、ありていにいえば、げっそりします)。いわゆる校訂権がテキストの整定の独自性において発生するとするならば、校本どちりなはそもそも校訂性が低い(小島氏の判断は極力除外されている)ので、校訂権を認めるにしても議論が分かれるところ、本件は正信方氏がずさんなテキストを作っているがゆえにその制約から逃れているように思われます。ということで、個人的には著作権侵害の文脈で論ずる必要はないと思います。 [[利用者:Kzhr|Kzhr]] ([[利用者・トーク:Kzhr|トーク]]) 2020年4月24日 (金) 10:19 (UTC)
 
=== [[プティジャンからジラールへ宛てた書簡]] ===