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たるさま、いと恐しきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう散りすきて顏のにほひにけおされたる心地すれば、おまへなる菊を折りて左大將さしかへ給ふ。日暮れかゝるほどに氣色ばかりうちしぐれて空の氣色さへ見知みがほなるに、さるいみじき姿に菊のいろいろうつろひえならぬをかざして、今日はまたなき手を盡したる入綾のほどそゞろ寒くこの世の事とも覺えず。物見知るまじきしも人などのこのもと岩がくれ山の木の葉にうづもれたるさへ少し物の心知るは淚落しけり。じようきやう殿の御腹の四のみ子まだわらはにて秋風樂舞ひ給へるなむさしつぎの見物なりける。これらにおもしろさの盡きにければ異事に目もうつらず、かへりてはことざましにやありけむ。その夜源氏の中將正三位し給ふ。頭中將じやうげの加階し給ふ。上達部は皆さるべき限のよろこびし給ふもこの君に引かれ給へるなれば、人の目をも驚かし心をも悦ばせ給ふ。昔の世ゆかしげなり。宮はその頃まかで給ひぬれば例のひまもやと窺ひありき給ふを事にておほい殿にはさわがれ給ふ。いとゞかの若草尋ね取り給ひてしを、「二條院には人迎へ給へり」と人の聞えければ、いと心づきなしとおぼいたり。「うちうちの有様は知り給はずさもおぼさむはことわりなれど、心うつくしう例の人のやうに怨みのたまはゞ我もうらなくうち語りて慰め聞えてむものを、思はずにのみとりない給ふみ心づきなきに、さもあるまじきすさび事も出で來るぞかし、人の御有樣のかたほにその事の飽かぬとおぼゆる疵もなし、人よりさきに見そめてしかばあはれにやんごとなきかたに思ひ聞ゆる心をも知り給はぬ程こそあらめ、遂にはおぼし直されなむと、おだしくかるがるし