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給ひ、人知れぬ物思の紛れも御心のいとまなきやうにて春夏過ぎぬ。秋の頃ほひ靜におぼし續けて、かのきぬたの音も耳につきて聞きにくかりしさへ戀しうおぼし出でらるゝまゝに、常陸の君にはしばしば聞え給へど、猶おぼつかなうのみあれば世づかず心やましう、まけては止まじの御心さへ添ひて命婦を責め給ふ。「いかなるやうぞ、いとかゝる事こそまだ知らね」と、いとものしと思ひてのたまへば、いとほしと思ひて「もてはなれて似げなき御事ともおもむけ侍らず。唯大方の御物づゝみのわりなきに手をえさし出で給はぬとなむ見給ふる」と聞ゆれば、「それこそは世づかぬことなれ。物思ひ知るまじきほど獨身をえ心に任せぬほどこそさやうにかゞやかしきもことわりなれ。何事も思ひしづまり給へらむと思ふにこそ。そこはかとなくつれづれに心細うのみ覺ゆるを、同じ心にいらへ給はむは願ひかなふ心地なむすべき。何やかやと世づけるすぢならで、その荒れたるすのこにたゞずまゝほしきなり。いとおぼつかなう心得ぬ心地するを、かの御ゆるしなくともたばかれかし。心いられしうたてあるもてなしにはよもあらじ」など語らひ給ふ。猶世に在る人の有樣を大方なるやうにて聞き集め耳とゞめ給ふ癖のつき給へるを、さうざうしき宵居などにはかなきついでに、「さる人こそ」とばかりきこえ出でたりしにかくわざとがましうのたまひわたればなま煩らはしく、姬君の御有樣も似つかはしくよしめきなどもあらぬを、なかなかなるみちびきにいとほしきことや見えなむと思ひけれど、君のかくまめやかにのたまふに聞き入れざらむもひがひがしかるべし。父みこのおはしける折にだにふりにたるあたりとておとなひ聞ゆる