「利用者:百年斎/sandbox」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
直毘霊岩波文庫 注を注らしく |
直毘霊岩波文庫 校正ずみ |
||
2行目:
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904256/46
▲{{left|<big><b>{{r|直毘靈|ナホビノミタマ}}</b></big>【{{r|此篇|コノクダリ}}は、道といふことの論ひなり。】|3em}}
▲<big>{{r|皇大御國|スメラオホミクニ}}は、{{r|掛|カケ}}まくも{{r|可畏|カシコ}}き{{r|神御祖|カムミオヤ}}{{r|天照大御神|アマテラスオホミカミ}}の、{{r|御|ミ}}{{r|生坐|アレマセ}}る{{r|大御國|オホミクニ}}にして、</big>
{{left|{{*|萬<sup><small>ノ</small></sup>國に{{r|勝|スグ}}れたる{{r|所由|ユヱ}}は、先<sup><small>ヅ</small></sup>こゝにいちじるし。國といふ國に、此<sup><small>ノ</small></sup>大御神の{{r|大御德|オホミメグミ}}かゞふらぬ國なし。}}|2em}}
{{left|{{*|御代御代に{{r|御|ミ}}しるしと{{r|傳|ツタ}}はり{{r|來|キ}}つる、{{r|三種|ミクサ}}の{{r|神寶|カムダカラ}}は是ぞ。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|天津日嗣|アマツヒツギ}}{{r|高御座|タカミクラ}}の、天地の{{r|共動|ムタウゴ}}かぬことは、{{r|旣|はや}}くこゝに定まりつ。}}|2em}}
{{left|{{*|いく萬代を{{r|經|フ}}とも、{{r|誰|タレ}}しの{{r|奴|ヤツコ}}か、{{r|大皇|オホキミ}}に{{r|背|ソム}}き{{r|奉|マツラ}}む。あなかしこ、御代御代の{{r|間|アヒダ}}に、たま{{〱}}{{r|不伏|マツロハヌ}}{{r|惡穢|キタナキ}}{{r|奴|ヤツコ}}もあれば、神代の{{r|古事|フルコト}}のまに{{〱}}、{{r|大|オホ}}{{r|御稜威|ミイツ}}をかゞやかして、たちまちにうち{{r|滅|ホロボ}}し給ふ物ぞ。}}|2em}}
{{left|{{*|御世御世の{{r|天皇|スメラギ}}は、すなはち天照大御神の御子になも{{r|大坐|オホマシ}}ます。{{r|故|カレ}}{{r|天|アマ}}つ神の御子とも、日の御子ともまをせり。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|何|ナニ}}わざも、{{r|己命|オノレミコト}}の御心もてさかしだち賜はずて、たゞ神代の{{r|古事|フルコト}}のまゝに、おこなひたまひ{{r|治|ヲサ}}め賜ひて、{{r|疑|ウタガ}}ひおもほす事しあるをりは、{{r|御|ミ}}{{r|卜事|ウラゴト}}もて、天<sup><small>ツ</small></sup>神の御心を{{r|問|トハ}}して物し給ふ。}}|2em}}
{{left|{{*|たゞ{{r|天津日嗣|アマツヒツギ}}の{{r|然|シカ}}ましますのみならず、{{r|臣連|オミムラジ}}{{r|八十|ヤソ}}{{r|伴緖|トモノヲ}}にいたるまで、{{r|氏|ウヂ}}かばねを{{r|重|オモ}}みして、{{r|子孫|ウミノコ}}の{{r|八十|ヤソ}}{{r|續|ツヾキ}}、その{{r|家〻|イヘ{{〱}}}}の{{r|職業|ワザ}}をうけつがひつゝ、{{r|祖神|オヤガミ}}たちに{{r|異|コト}}ならず、{{r|只|タヾ}}{{r|一世|ヒトヨ}}の如くにして、神代のまゝに{{r|奉仕|ツカエマツ}}れり。}}|2em}}
{{left|{{*|書紀の{{r|難波|ナニハノ}}{{r|長柄|ナガラノ}}{{r|朝廷|ミカドノ}}{{r|御卷|ミマキ}}に、{{r|惟神|カムナガラ}}{{r|者|トハ}}、{{r|謂|イフ}}{{2}}{{r|隨神道亦|カミノミチニシタガヒタマヒテ}}{{r|自|オノヅカラ}}{{r|有神道{{1}}|カミノミチアルヲ}}也とあるを、よく思ふべし。神<sup><small>ノ</small></sup>道に{{r|隨|シタガ}}ふとは、天<sup><small>ノ</small></sup>下{{r|治|ヲサ}}め賜ふ{{r|御|ミ}}しわざは、たゞ神代より有<sup><small>リ</small></sup>こしまに{{〱}}物し賜ひて、いさゝかもさかしらを{{r|加|クハ}}へ給ふことなきをいふ。さてしか神代のまに{{〱}}、{{r|大|オホ}}らかに{{r|所知|シロシ}}{{r|看|メ}}せば、おのづから神の道はたらひて、{{r|他|ホカ}}にもとむべきことなきを、{{r|自|オノヅカラ}}有{{2}}<sup><small>リ</small></sup>神<sup><small>ノ</small></sup>道{{1}}とはいふなりけり。かれ{{r|現御神|アキツミカミ}}と{{r|大八洲國|オホヤシマグニ}}しろしめすと申すも、其<sup><small>ノ</small></sup>御世〻〻の天皇の{{r|御政|ミヲサメ}}、やがて神の{{r|御政|ミヲサメ}}なる意なり。萬葉集の哥などに、{{r|神隨|カムナガラ}}{{r|云〻|シカ{{〱}}}}とあるも、同じこゝろぞ。{{r|神國|カミグニ}}と{{r|韓人|カラビト}}の申せりしも、{{r|諾|ウベ}}にぞ有
{{left|{{*|故<sup><small>レ</small></sup>{{r|古語|フルコト}}に、あしはらの{{r|水穗|ミヅホ}}の國は、{{r|神|カム}}ながら{{r|言擧|コトアゲ}}せぬ國といへり。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|美知|ミチ}}とは、此記に{{r|味|ウマシ}}{{r|御路|ミチ}}と書る如く、{{r|山路|ヤマヂ}}{{r|野路|ヌヂ}}などの{{r|路|チ}}に、{{r|御|ミ}}てふ言を{{r|添|ソヘ}}たるにて、たゞ物にゆく路ぞ。これをおきては、上<sup><small>ツ</small></sup>代に、道といふものはなかりしぞかし。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|異國|アダシクニ}}は、天照大御神の御國にあらざるが故に、{{r|定|サダ}}まれる{{r|主|キミ}}なくして、{{r|狹蠅|サバヘ}}なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし{{r|取|トリ}}つれば、賤しき{{r|奴|ヤツコ}}も、たちまちに君ともなれば、{{r|上|カミ}}とある人は、下なる人に{{r|奪|ウバ}}はれじとかまへ、下なるは、{{r|上|カミ}}のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに{{r|仇|アタ}}みつゝ、古<sup><small>ヘ</small></sup>より國{{r|治|ヲサ}}まりがたくなも有<sup><small>リ</small></sup>ける。{{r|其|ソ}}が中に、{{r|威力|イキホヒ}}あり{{r|智|サト}}り深くて、人をなつけ、人の國を{{r|奪|ウバ}}ひ取て、又人にうばゝるまじき{{r|事|コト}}{{r|量|バカリ}}をよくして、しばし國をよく治めて、後の{{r|法|ノリ}}ともなしたる人を、もろこしには、聖人とぞ云なる。たとへば、{{r|亂|ミダ}}れたる世には、{{r|戰|タヽカヒ}}にならふゆゑに、おのづから{{r|名將|ヨキイクサノキミ}}おほくいでくるが如く、國の{{r|風俗|ナラハシ}}あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世〻にそのすべをさま{{〲}}思ひめぐらし、{{r|爲|シ}}ならひたるゆゑに、しかかしこき人どもゝ
{{left|{{*|神の道としもいふ{{r|所由|ユヱ}}は、下につばらかにとく。}}|2em}}
{{left|{{*|難波の{{r|長柄|ナガラ}}<sup><small>ノ</small></sup>宮、{{r|淡海|アフミ}}の大津<sup><small>ノ</small></sup>宮のほどに至りて、天の下の{{r|御制度|ミサダメ}}も、みな{{r|漢|カラ}}になりき。かくて後は、古<sup><small>ヘ</small></sup>の{{r|御|ミ}}てぶりは、たゞ{{r|神事|カムワザ}}にのみ用ひ賜へり。故<sup><small>レ</small></sup>後<sup><small>ノ</small></sup>代までも、{{r|神事|カムワザ}}にのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|天皇尊|スメラミコト}}の大御心を心とせずして、{{r|己〻|オノ
{{left|{{*|いとめでたき大御國の道をおきながら、{{r|他國|ヒトグニ}}のさかしく{{r|言痛|コチタ}}き{{r|意行|コヽロシワザ}}を、よきことゝして、ならひまねべるから、{{r|直|ナホ}}く{{r|淸|キヨ}}かりし心も{{r|行|オコナ}}ひも、みな{{r|穢惡|キタナ}}くまがりゆきて、後つひには、かの{{r|他國|ヒトグニ}}のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物
{{left|{{*|凡て此<sup><small>ノ</small></sup>世<sup><small>ノ</small></sup>中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、{{r|吉|ヨキ}}{{r|凶|アシ}}き萬<sup><small>ノ</small></sup>事、みなこと{{〲}}に神の{{r|御所爲|ミシワザ}}なり。さて神には、{{r|善|ヨキ}}もあり{{r|惡|アシ}}きも有<sup><small>リ</small></sup>て、{{r|所行|シワザ}}もそれにしたがふなれば、大かた{{r|尋常|ヨノツネ}}のことわりを以ては、{{r|測|ハカ}}りがたきわざなりかし。然るを世<sup><small>ノ</small></sup>人、かしこきもおろかなるもおしなべて、{{r|外國|トツクニ}}の道〻の{{r|說|コト}}にのみ{{r|惑|マド}}ひはてゝ、此<sup><small>ノ</small></sup>意をえしらず。皇國の{{r|學問|モノマナビ}}する人などは、{{r|古書|イニシヘノフミ}}を見て、必<sup><small>ズ</small></sup>知<sup><small>ル</small></sup>べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知<sup><small>ラ</small></sup>ざるは、いかにぞや。抑{{r|吉|ヨキ}}{{r|凶|アシ}}き萬<sup><small>ヅ</small></sup>の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、{{r|漢|カラ}}の道〻には天命といひて、天のなすわざと思へり。これらみなひがことなり。そが中に佛<sup><small>ノ</small></sup>道<sup><small>ノ</small></sup>{{r|說|コト}}は、多く世の{{r|學者|モノマナブヒト}}の、よく{{r|
▲<big>そも{{〱}}此<sup><small>ノ</small></sup>{{r|天地|アメツチ}}のあひだに、有<sup><small>リ</small></sup>とある事は、{{r|悉皆|コト{{〲}}}}に神の御心なる中に、</big>
▲{{left|{{*|凡て此<sup><small>ノ</small></sup>世<sup><small>ノ</small></sup>中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、{{r|吉|ヨキ}}{{r|凶|アシ}}き萬<sup><small>ノ</small></sup>事、みなこと{{〲}}に神の{{r|御所爲|ミシワザ}}なり。さて神には、{{r|善|ヨキ}}もあり{{r|惡|アシ}}きも有<sup><small>リ</small></sup>て、{{r|所行|シワザ}}もそれにしたがふなれば、大かた{{r|尋常|ヨノツネ}}のことわりを以ては、{{r|測|ハカ}}りがたきわざなりかし。然るを世<sup><small>ノ</small></sup>人、かしこきもおろかなるもおしなべて、{{r|外國|トツクニ}}の道〻の{{r|說|コト}}にのみ{{r|惑|マド}}ひはてゝ、此<sup><small>ノ</small></sup>意をえしらず。皇國の{{r|學問|モノマナビ}}する人などは、{{r|古書|イニシヘノフミ}}を見て、必<sup><small>ズ</small></sup>知<sup><small>ル</small></sup>べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知<sup><small>ラ</small></sup>ざるは、いかにぞや。抑{{r|吉|ヨキ}}{{r|凶|アシ}}き萬<sup><small>ヅ</small></sup>の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、{{r|漢|カラ}}の道〻には天命といひて、天のなすわざと思へり。これらみなひがことなり。そが中に佛<sup><small>ノ</small></sup>道<sup><small>ノ</small></sup>{{r|說|コト}}は、多く世の{{r|學者|モノマナブヒト}}の、よく{{r|辦|ワキマ}}へつることなれば、今いはず。{{r|漢國|カラクニ}}の天命の{{r|說|コト}}は、かしこき人もみな{{r|惑|マド}}ひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これを{{r|論|アゲツラ}}ひさとさむ。抑天命といふことは、彼<sup><small>ノ</small></sup>國にて古に、君を{{r|滅|ホロボ}}し國を{{r|奪|ウバ}}ひし聖人の、{{r|己|オノ}}が罪をのがれむために、かまへ{{r|出|イデ}}たる{{r|託言|コトツケゴト}}なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、{{r|命|メイ}}あるべくもあらず。もしまことに天に心あり、{{r|理|コトワリ}}もありて、{{r|善人|ヨキヒト}}に國を{{r|與|アタ}}へて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必<sup><small>ズ</small></sup>又聖人は出ぬべきを、さあらざりしはいかにぞ。もし周公孔子にして、{{r|旣|スデ}}に道は{{r|備|ソナハ}}れる故に、其後は聖人を出<sup><small>ダ</small></sup>さずといはむも、又心得ず。かの孔丘が後、其<sup><small>ノ</small></sup>道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそ、さもいはめ、其後しもいよゝ其<sup><small>ノ</small></sup>道すたれはてゝ、{{r|徒言|イタヅラゴト}}となり、國もます{{〱}}みだれつる物を、今はたれりとして、聖人を出<sup><small>ダ</small></sup>さず、國の{{r|厄|マガ}}をもかへりみず、つひに秦<sup><small>ノ</small></sup>始皇がごと{{r|荒|アラ}}ぶる人にしも{{r|與|アタ}}へて、{{r|人草|ヒトクサ}}を{{r|苦|クル}}しめしは、いかなる天のひがごゝろぞ、いと{{〱}}いぶかし。始皇などは、天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひ{{r|枉|マグ}}べけれど、そも{{r|暫|シバラク}}にても、さる{{r|惡人|アシキヒト}}にあたふべき理あらめやも。又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる{{r|諸人|モロビト}}のうへにも、{{r|善惡|ヨキアシ}}きしるしを見せて、{{r|善|ヨキ}}人はながく{{r|福|サカ}}え、{{r|惡|アシキ}}人は{{r|速|スミヤ}}けく{{r|禍|マガ}}るべき理なるを、さはあらずて、よき人も{{r|凶|アシ}}く、あしき人も{{r|吉|ヨ}}きたぐひ、{{r|昔|ムカシ}}も今も多かるはいかに。もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや。さて後<sup><small>ノ</small></sup>世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世<sup><small>ノ</small></sup>人の{{r|諾|ウベ}}なはねば、うはべは{{r|禪|ユヅ}}らせて{{r|取|トル}}こともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの古<sup><small>ヘ</small></sup>の聖人どもゝ、{{r|實|マコト}}は是に{{r|異|コト}}ならぬ物をや。後<sup><small>ノ</small></sup>世の王の天命ぞといふをば、{{r|信|ウケ}}ぬものゝ、古<sup><small>ヘ</small></sup>人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも。古<sup><small>ヘ</small></sup>は天命ありて、後にはなきこそをかしけれ。或人、舜は堯が國をうばひ、禹も又舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有<sup><small>ル</small></sup>べきことぞ。後<sup><small>ノ</small></sup>世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりを{{r|受|ウケ}}て{{r|嗣|ツギ}}つれども、{{r|實|マコト}}は{{r|奪|ウバ}}へるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上<sup><small>ツ</small></sup>代は{{r|朴|スナホ}}にして、{{r|禪|ユズ}}れりと云<sup><small>ヒ</small></sup>なせるを、まことゝ心得て、{{r|國內|クヌチ}}の人ども、みなあざむかれにけらし。かの莽操がころは、世<sup><small>ノ</small></sup>人さかしくて、あざむかれざりし故に、{{r|惡|アシ}}きしわざのあらはれけむ。かれらが如くなる{{r|輩|トモガラ}}も、上<sup><small>ツ</small></sup>代ならましかば、あはれ聖人と{{r|仰|アフ}}がれなましのを。}}|2em}}
▲<big>{{r|禍津|マガツ}}{{r|日|ビノ}}神の{{r|御|ミ}}心のあらびはしも、せむすべなく、いとも{{r|悲|カナ}}しきわざにぞありける。</big>
{{left|{{*|{{r|世間|ヨノナカ}}に、物あしくそこなひなど、凡て{{r|何事|ナニゴト}}も、正しき理<sup><small>リ</small></sup>のまゝにはえあらずで、{{r|邪|ヨコサマ}}なることも多かるは、皆此<sup><small>ノ</small></sup>神の御心にして、{{r|甚|イタ}}く{{r|荒|アラ}}び{{r|坐|マス}}時は、天照大御神高木<sup><small>ノ</small></sup>大神の大御力にも、{{r|制|トヾ}}みかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし。かの{{r|善|ヨキ}}人も{{r|禍|マガ}}り、{{r|惡|アシキ}}人も{{r|福|サカ}}ゆるたぐひ、{{r|尋常|ヨノツネ}}の理<sup><small>リ</small></sup>にさかへる事の多かるも、皆此<sup><small>ノ</small></sup>神の{{r|所爲|シワザ}}なるを、外國には、神代の正しき{{r|傳說|ツタヘゴト}}なくして、此<sup><small>ノ</small></sup>{{r|所由|ヨシ}}をえしらざるが故に、たゞ天命の說を立<sup><small>テ</small></sup>て、{{r|何事|ナニゴト}}もみな、{{r|當然|シカルベキ}}{{r|理|コトワリ}}を以て定めむとするこそ、いとをこなれ。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|異國|アダシクニ}}は、本より主の定まれるがなければ、たゞ{{r|人|ビト}}もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、{{r|亡|ホロ}}びうせもする、古<sup><small>ヘ</small></sup>よりの{{r|風俗|ナラハシ}}なり。さて國を取<sup><small>ラ</small></sup>むと{{r|謀|ハカ}}りて、えとらざる{{r|者|モノ}}をば、賊といひて{{r|賤|イヤ}}しめにくみ、取<sup><small>リ</small></sup>得たる者をば、聖人といひて{{r|尊|タフト}}み{{r|仰|アフ}}ぐめり。さればいはゆる聖人も、たゞ賊の{{r|爲|シ}}とげたる者にぞ有<sup><small>リ</small></sup>ける。{{r|掛|カケ}}まくも{{r|可畏|カシコ}}きや{{r|吾|アガ}}{{r|天皇尊|スメラミコト}}はしも、{{r|然|サ}}るいやしき國〻の王どもと、{{r|等|ヒトシ}}なみには坐まさず。此<sup><small>ノ</small></sup>御國を{{r|生成|ウミナシ}}たまへりし{{r|神祖|カムロギノ}}命の、{{r|御|ミ}}みづから{{r|授|サヅケ}}賜へる{{r|皇統|アマツヒツギ}}にまし{{〱}}て、天地の始<sup><small>メ</small></sup>より、大御{{r|食國|ヲスクニ}}と定まりたる天<sup><small>ノ</small></sup>下にして、大御神の{{r|大命|オホミコト}}にも、天皇{{r|惡|アシ}}く坐<sup><small>シ</small></sup>まさば、{{r|莫|ナ}}まつろひそとは{{r|詔|ノリ}}たまはずあれば、{{r|善|ヨ}}く坐<sup><small>サ</small></sup>むも{{r|惡|アシ}}く坐<sup><small>サ</small></sup>むも、{{r|側|カタハラ}}よりうかゞさひはかり奉ることあたはず。天地のあるきはみ、月日の{{r|照|テラ}}す限<sup><small>リ</small></sup>は、いく萬代を{{r|經|へ}}ても、{{r|動|ウゴ}}き坐<sup><small>サ</small></sup>ぬ大君に坐<sup><small>セ</small></sup>り。故<sup><small>レ</small></sup>{{r|古語|フルコト}}にも、{{r|當代|ソノヨ}}の天皇をしも神と申して、{{r|實|マコト}}に神にし坐<sup><small>シ</small></sup>ませば、{{r|善惡|ヨキアシ}}き{{r|御|ミ}}うへの{{r|論|アゲツラ}}ひをすてゝ、ひたぶるに{{r|畏|カシコ}}み{{r|敬|ウヤマ}}ひ{{r|奉仕|マツロフ}}ぞ、まことの道には有<sup><small>リ</small></sup>ける。然るを中ごろの世のみだれに、此<sup><small>ノ</small></sup>道に{{r|背|ソム}}きて、{{r|畏|カシコ}}くも{{r|大朝廷|オホキミカド}}に{{r|射向|イムカ}}ひて、{{r|天皇尊|スメラミコト}}をなやまし奉れりし、北條<sup><small>ノ</small></sup>義時泰時、又足利<sup><small>ノ</small></sup>尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日<sup><small>ノ</small></sup>大御神の{{r|大御蔭|オホミカゲ}}をもおひはからざる、{{r|穢惡|キタナ}}き{{r|賊奴|ヤツコ}}どもなりけるに、{{r|禍|マガ}}{{r|津|ツ}}{{r|日|ヒノ}}神の心はあやしき物にて、世<sup><small>ノ</small></sup>人のなびき從ひて、{{r|子孫|ウミノコ}}の末まで、しばらく{{r|榮|サカ}}え{{r|居|ヲリ}}しことよ。抑此<sup><small>ノ</small></sup>世を御照し坐<sup><small>シ</small></sup>ます天津日<sup><small>ノ</small></sup>神をば、必<sup><small>ズ</small></sup>たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必<sup><small>ズ</small></sup>{{r|畏|カシ}}こみ奉るべきことをば、しらぬ{{r|奴|ヤツコ}}もにありけるは、{{r|漢籍意|カラブミゴゝロ}}にまどひて、彼<sup><small>ノ</small></sup>國のみだりなる{{r|風俗|ナラハシ}}を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日<sup><small>ノ</small></sup>神、卽<sup><small>チ</small></sup>天照大御神にましますことを{{r|信|ウケ}}ず、今の天皇、すなはち天照大御神の御子に坐<sup><small>シ</small></sup>ますことを{{r|忘|ワス}}れたるにこそ。}}|2em}}
{{left|{{*|天皇の{{r|御統|ミツイデ}}を{{r|日嗣|ヒツギ}}と申すは、日<sup><small>ノ</small></sup>神の御心を御心として、其<sup><small>ノ</small></sup>{{r|御業|ミシワザ}}を{{r|嗣|ツギ}}坐<sup><small>ス</small></sup>が故なり。又その{{r|御座|ミクラ}}を高御座と申すは、唯に高き由のみにあらず、日<sup><small>ノ</small></sup>神の御座なるが故なり。日には、{{r|高照|タカヒカル}}とも{{r|高日|タカヒ}}とも{{r|日高|ヒダカ}}とも申す{{r|古語|フルゴト}}のあるを思へ。さて日<sup><small>ノ</small></sup>神の御座を、{{r|次〻|ツギ{{〱}}}}に受<sup><small>ケ</small></sup>傳へ坐て、其<sup><small>ノ</small></sup>御座に{{r|大坐|オホマシ}}ます天皇命にませば、日<sup><small>ノ</small></sup>神に{{r|等|ヒトシ}}く坐<sup><small>ス</small></sup>こと{{r|決|ウツナ}}し。かゝれば、天津日<sup><small>ノ</small></sup>神のおほみうつくしみを{{r|蒙|カヾフ}}らむ者は、{{r|誰|タレ}}しか天皇命には、{{r|可畏|カシコ}}み{{r|敬|ヰヤ}}び{{r|尊|タフト}}みて、{{r|奉仕|ツカヘマツ}}らざらむ。}}|2em}}
{{left|{{*|漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、
{{left|{{*|{{r|是|コ}}をよく{{r|辨別|わきまへ}}て、かの{{r|漢國|カラクニ}}の老莊などが{{r|見|コヽロ}}と、ひとつにな思ひまがへそ。}}|2em}}
{{left|{{*|世<sup><small>ノ</small></sup>中にあらゆる事も物も、{{r|皆|ミナ}}{{r|悉|コト{{〲}}}}に此<sup><small>ノ</small></sup>大神のみたまより成れり。}}|2em}}
{{left|{{*|よのなかにあらゆる事も物も、此<sup><small>ノ</small></sup>二柱<sup><small>ノ</small></sup>大神よりはじまれり。}}|2em}}
{{left|{{*|神<sup><small>ノ</small></sup>道と申す名は、書紀の{{r|石村池邊|イハレノイケノベノ}}宮の御卷に、始めて見えたり。されど{{r|其|ソ}}は只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり。さて難波<sup><small>ノ</small></sup>長柄<sup><small>ノ</small></sup>宮の御卷に、{{r|惟神|カムナガラ}}{{r|者|トハ}}謂{{下}}{{r|隨{{2}}|シタガヒ}}{{r| |玉ヒテ}}神<sup><small>ノ</small></sup>道{{1}}<sup><small>ニ</small></sup>亦{{r|自|オ }}有{{中}}<sup><small>ルヲ</small></sup>神<sup><small>ノ</small></sup>道{{上}}也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始<sup><small>メ</small></sup>なりける。さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其<sup><small>ノ</small></sup>道といひて、ことなる{{r|行|オコナ}}ひのあるにあらず。さればたゞ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一<sup><small>ツ</small></sup>むねにあたれり。然るを、からぶみに、聖人設{{2}}<sup><small>ケテ</small></sup>神道{{1}}<sup><small>ヲ</small></sup>、といふ言あるを取て、{{r|此方|コヽ}}にも{{r|名|ナヅ}}けたりなどいふめるは、ことのこころしらぬみだり{{r|言|ゴト}}なり。其故は、まづ神とさすもの、{{r|此|コヽ}}と{{r|彼|カシコ}}と始<sup><small>メ</small></sup>より同じからず。かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、{{r|不測|ハカリガタ}}く{{r|靈|アヤシ}}きをさしていふめれば、たゞ{{r|空|ムナシ}}き理<sup><small>リ</small></sup>のみにして、たしかに其物あるにあらず。さて皇國の神は、今の{{r|現|ヲツヽ}}に{{r|御宇|アメノシタシロシメス}}、天皇の{{r|皇祖|ミオヤ}}に坐<sup><small>シ</small></sup>て、さらにかの{{r|空|ムナシ}}き理<sup><small>リ</small></sup>をいふ類にはあらず。さればかの{{r|漢籍|カラブミ}}なる神道は、{{r|不測|ハカリガタク}}くあやしき道といふこゝろ、皇國の神<sup><small>ノ</small></sup>道は、{{r|皇祖|ミオヤノ}}神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたく{{r|異|コト}}なるをや。}}|2em}}
{{left|{{*|古<sup><small>ヘ</small></sup>は道といふ{{r|言擧|コトアゲ}}なかりし故に、古書どもに、つゆばかりも{{r|道〻|ミチ{{〱}}}}しき{{r|意|コヽロ}}も{{r|語|コトバ}}も見えず。{{r|故|カレ}}{{r|舍人親王|トネノミコ}}を始め奉<sup><small>リ</small></sup>て、世〻の{{r|識者|モノシリビト}}ども、道の意をえとらへず、たゞかの{{r|道〻|ミチ{{〱}}}}しきことこちたく云る、から{{r|書|ブミ}}の{{r|說|コト}}のみ、心の{{r|底|ソコ}}にしみ{{r|著|ツキ}}て、{{r|其|ソ}}を天地のおのづからなる理<sup><small>リ</small></sup>と思<sup><small>ヒ</small></sup>{{r|居|ヲ}}る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、{{r|彼方|カナタ}}へのみ流れゆくめり。されば{{r|異國|アダシクニ}}の道を、道の{{r|羽翼|タスク}}となるべき物と思ふも、卽<sup><small>チ</small></sup>其<sup><small>ノ</small></sup>心のかしこへ{{r|奪|ウバ}}はれつるなりけり。大かた漢國の{{r|說|コト}}は、かの陰陽乾坤などをはじめ、{{r|諸|モロ{{〱}}}}皆、もと聖人どもの{{r|己|オノ}}が{{r|智|サトリ}}をもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞<sup><small>ク</small></sup>には、ことわり{{r|深|フカ}}げにきこゆめれども、{{r|彼|カレ}}が{{r|垣內|カキツ}}を{{r|離|ハナ}}れて、外よりよく見れば、{{r|何|ナニ}}ばかりのこともなく、中〻に{{r|淺|アサ}}はかなることゞもなりかし。されど{{r|昔|ムカシ}}も今も世<sup><small>ノ</small></sup>人の、此<sup><small>ノ</small></sup>{{r|垣內|カキツ}}に{{r|迷入|マヨヒイリ}}て、{{r|得|エ}}{{r|出離|イデハナ}}れぬこそくちをしけれ。大御國の{{r|說|コト}}は、神代より傳へ{{r|來|コ}}しまゝにして、いさゝかも人のさかしらを{{r|加|クハ}}へざる故に、うはベはたゞ{{r|淺〻|アサ{{〱}}}}と聞ゆれども、{{r|實|マコト}}にはそこひもなく、人の{{r|智|サトリ}}の{{r|得|エ}}{{r|測度|ハカラ}}ぬ、深き{{r|妙|タヘ}}なる理のこもれるを、其<sup><small>ノ</small></sup>意をえしらぬは、かの{{r|漢國書|カラクノブミ}}の{{r|垣內|カキツ}}にまよひ{{r|居|ヲ}}る故なり。{{r|此|コ}}をいではなれざらむほどは、たとひ{{r|百年|モヽトセ}}{{r|千年|チトセ}}の{{r|力|チカラ}}をつくして{{r|物學|モノマナ}}ぶとも、道のためには、何の{{r|益|シルシ}}なきいたづらわざならむかし。但し古<sup><small>キ</small></sup>書は、みな{{r|漢文|カラブミ}}にうつして書<sup><small>キ</small></sup>たれば、彼<sup><small>ノ</small></sup>國のことも、一<sup><small>ト</small></sup>わたりは知<sup><small>リ</small></sup>てあるべく、{{r|文字|モジ}}のことなどしらむためには、{{r|漢籍|カラブミ}}をも、いとまあらば學びつべし。{{r|皇國魂|ミクニダマシヒ}}の定まりて、たゞよはぬうへにては、{{r|害|サマタゲ}}はなきものぞ。}}|2em}}
{{left|{{*|こと{{〲}}しく{{r|祕說|ヒメゴト}}など云て、人えりして{{r|密|ヒソカ}}に傳ふる{{r|類|タグヒ}}など、皆後<sup><small>ノ</small></sup>世に{{r|僞造|イツハリツク}}れることぞ。凡てよきことは、いかにも{{〱}}世に廣まるこそよけれ。ひめかくして、あまねく人に知<sup><small>ラ</small></sup>せず、{{r|己|オノ}}が{{r|私物|ワタクシモノ}}にせむとするは、いとこゝろぎたなきわざなりかし。}}|2em}}
{{left|{{*|下なる{{r|者|モノ}}は、かにもかくにもたゞ上の御おもむけに{{r|從|シタガ}}ひ{{r|居|ヲ}}るこそ、道にはかなへれ。たとへ神の道の{{r|行|オコナ}}ひの、{{r|別|コト}}にあらむにても、{{r|其|ソ}}を敎へ學びて、{{r|別|コト}}に行ひたらむは、上にしたがはぬ私<sup><small>シ</small></sup>事ならずや。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|世中|ヨノナカ}}に{{r|生|イキ}}としいける物、鳥蟲に至るまでも、{{r|己|オノ}}が身のほど{{〱}}に、必<sup><small>ズ</small></sup>あるべきかぎりのわざは、{{r|產巢|ムス}}{{r|日|ビノ}}神のみたまに{{r|賴|ヨリ}}て、おのづからよく知<sup><small>リ</small></sup>てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しか{{r|勝|スグ}}れたるほどにかなひて、知<sup><small>ル</small></sup>べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其<sup><small>ノ</small></sup>上<sup><small>ヘ</small></sup>をなほ{{r|强|シヒ}}ることのあらむ。敎<sup><small>ヘ</small></sup>によらずては、えしらずえせぬものといはゞ、人は鳥蟲におとれりとやせむ。いはゆる仁義禮讓孝悌忠信のたぐひ、皆人の必<sup><small>ズ</small></sup>あるべきわざなれば、あるべき限<sup><small>リ</small></sup>は、敎<sup><small>ヘ</small></sup>をからざれども、おのづからよく知<sup><small>リ</small></sup>てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必<sup><small>ズ</small></sup>有<sup><small>ル</small></sup>べきかぎりを{{r|過|スギ}}て、なほきびしく敎へたてむとせる{{r|强事|シヒゴト}}なれば、まことの道にかなはず。{{r|故|カレ}}{{r|口|クチ}}には人みなこと{{〲}}しく{{r|言|イヒ}}ながら、まことに{{r|然|シカ}}{{r|行|オコナ}}ふ人は、世〻にいと有<sup><small>リ</small></sup>がたきを、天理のまゝなる道と思ふは、いたくたがへり。又其<sup><small>ノ</small></sup>道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず。そも{{〱}}その人慾といふ物は、いづくよりいかなる故にていできつるぞ。それも然るべき理<sup><small>リ</small></sup>にてこそは、{{r|出來|イデキ}}たるべければ、人慾も卽<sup><small>チ</small></sup>天理ならずや。又{{r|百世|モヽツギ}}を{{r|經|ヘ}}ても、同<sup><small>ジ</small></sup>{{r|姓|ウヂ}}どち{{r|婚|マグハヒ}}することゆるさずといふ{{r|制|サダメ}}など、かの國にしても、上<sup><small>ツ</small></sup>代より然るにはあらず。周の代のさだめなり。かくきびしく定めたる故は、國の{{r|俗|ナラハシ}}あしくして、{{r|親|オヤ}}{{r|子|コ}}{{r|同母兄弟|ハラカラ}}などの{{r|間|アヒダ}}にも、みだりなる事のみ{{r|常|ツネ}}多くて、{{r|別|ワキ}}なく治まりがたかりし故なれば、かゝる{{r|制|サダメ}}のきびしきは、かへりて國の{{r|恥|ハヂ}}なるをや。すべて{{r|何|ナニ}}の上にも、{{r|法|サダメ}}の{{r|嚴|キビシ}}きは、{{r|犯|オカ}}すもゝの多きがゆゑぞかし。さて其<sup><small>ノ</small></sup>{{r|制|サダメ}}は{{r|制|サダメ}}と立しかども、まことの道にあらず。人の{{r|情|コヽロ}}にかなはぬことなる故に、したがふ人いと{{〱}}まれなり。{{r|後〻|
{{left|{{*|天皇の{{r|所思看|オモホシメス}}御心のまに{{〱}}{{r|奉仕|ツカヘマツリ}}て、{{r|己|オノ}}が私<sup><small>シ</small></sup>心はつゆなかりき。}}|2em}}
{{left|{{*|天皇の、{{r|大|オホ}}{{r|御|ミ}}{{r|皇祖|オヤ}}{{r|神|ガミ}}の{{r|御前|ミマヘ}}を{{r|拜祭|イツキマツリ}}坐<sup><small>ス</small></sup>がごとく、{{r|臣連|
{{left|{{*|かくあるほかに、{{r|何|ナニ}}の{{r|敎|オシヘ}}ごとをかもまたむ。抑みどり{{r|兒|ゴ}}に物敎へ、又{{r|諸匠|テビトヾモ}}の{{r|物造|モノツク}}るすべ、其外よろづの{{r|伎藝|コトナルワザ}}などを敎ふることは、上<sup><small>ツ</small></sup>代に、有<sup><small>リ</small></sup>けむを、かの儒佛などの{{r|敎事|ヲシエゴト}}も、いひもてゆけば、これらと{{r|異|コト}}なることなきに{{r|似|ニ}}たれども、{{r|
{{left|{{*|然らば神の道は、からくにの老莊が意にひとしきかと、或人の疑ひ{{r|問|ト}}へるに、答<sup><small>ヘ</small></sup>けらく、かの老莊がともは儒者のさかしらをうるさみて、{{r|自然|オノヅカラ}}なるをたふとめば、おのづから{{r|似|ニ}}たることあり。されどかれらも、大御神の御國ならぬ、{{r|惡國|キタナキクニ}}に生れて、たゞ代〻の聖人の{{r|說|コト}}をのみ{{r|聞|キヽ}}なれたるものなれば、{{r|自然|オノヅカラ}}なりと思ふも、なほ聖人の意のおのづからなるにこそあれ、よろづの事は、神の御心より出て、その{{r|御|ミ}}{{r|所爲|シワザ}}なることをしも、えしらねば、{{r|大旨|オホムネ}}の{{r|甚|イタ}}くたがへる物をや。}}|2em}}
{{left|{{*|{{r|上|カミ}}の{{r|件|クダリ}}、すべて{{r|己|オノ}}が私のころゝもていふにあらず。こと{{〲}}に{{r|古|フルキ}}{{r|典|フミ}}に、よるところあることにしあれば、よく{{r|見|み}}む人は疑はじ。}}|2em}}▼
▲{{left|{{*|{{r|上|カミ}}の{{r|件|クダリ}}、すべて{{r|己|オノ}}が私のこ
<big>かくいふは、明和の{{r|八年|ヤトセ}}といふとしの、かみな月の九日の日、伊勢<sup><small>ノ</small></sup>國<sup><small>ノ</small></sup>飯高<sup><small>ノ</small></sup>郡<sup><small>ノ</small></sup>{{r|御民|ミタミ}}、平<sup><small>ノ</small></sup>阿曾美宣長、かしこみかしこみもしるす。</big>▼
▲
|