「言霊」の版間の差分
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又人民に對しては如何なる作用言を用ゐたるかといふに民を御すといひ又は民を牧すといへり御すほらかなりし思想を其のまゝ画たるものなり
歐羅巴にて國土を手に入れたることを何といひしかと問ふに國を占領すといへり占領といふ詞は(オキュパイド)やがて奪ふといふ意味をも含めり又人民に對しては(ゴーウルメ)船の舵を執る意味の詞を用ゐたり即支那にて御すといひ牧すといひしと同しく人民を一つ物質に見なしたるより轉用したるものなり支那も西洋も昔の人の國土人民に對せし作用言はいと踈かなる語を用ゐたるものにして國土を繩張して己れの領分にすといふことを目的とし人民を一の品物と見て手綱を付け舵を取りて乘り治むといふあしらひをもて稱へたるもへき偖御國にては古來此の國土人民を支配することの思想を何と稱へたるか古事記に建御雷神を下したまひて大國主神に問はしめられし條に汝之宇志波祁流葦原中國者我御子之所知國言依賜とありうしはぐといひしらすといふこの二つの詞そ太古に人主の國土人民に對する働きを名けたるものなりきさて一はうしはぐといひ他の一はしらすと稱へたまひたるには二つの間に差めなくてやあるへき大國主神には汝がうしはげると宣ひ御子のためにはしらすと宣ひたるは此の二つの詞の間に雲泥水火の意味の違ふことゝそ覺ゆるうしはぐといふ詞は本居氏の解釋に從へば即ち領すといふことにして歐羅巴人の「オキユパイド」と稱へ支那人の富有奄有と稱へたる意義と全く同しこは一の土豪の所作にして土地人民を我か私産として取入れたる大國主神のしわざを画いたるあるへし正統の皇孫として御國に照し臨み玉ふ大御業はうしはぐにはあらすしてしらすと稱へ給ひたり其の後神日本磐余彦等の御稱名を始馭國天皇と稱へ奉り又世〻の大御詔に大八洲國知ろしめす天皇と稱へ奉るをば公文式とは爲されたりされはかしこくも皇祖傳來の御家法は國をしらすといふ言葉に存すといふも誣ひたりとせす國を知り國を知らすといへるは各國に比較を取るへき詞なし今國を知る國をしらすといふことを本語のまゝ意譯を用ゐすして支那の人西洋の人に聞かせたらば其の意味を了解するに困むへしそは支那の人
かくいへは人は難していはむ太古の人にさはかり高尚なる思想あるへきにあらず今の人の考へを以て附會したるならむと否〻然らす諺に論より證據といへるごとく古典にうしはくといふことゝ知らすといふことゝ二の言葉を兩〻向き合せて用ゐ又其のうしはくといひ知らすといふ作用言の主格に玉と石との差めあるを見れは猶爭ふことのあるへきやは若し其の差別なかりせは此の一條の文章をは何と解釋し得へき
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言霊
古言を吟味することは一の歴史学なり。いずれの国にても太古の歴史は、こと曚昧に属し、当時の風気・意想は筆の跡に遺りたる伝記のみにて知りがたきことそ多かるに、古き詞は古の人の風気意想をさながらに後の世に伝えて数千載の後より数千歳の古に遡りて当時の様を想像せしむべし。されば古言を取り調ぶることは歴史学の一として数うるの価直あるなり。そもそも言霊の幸わう国と称うる御国の古言には様々尊きことのある中に、余は一の上なき、めでたき詞を得たり。
土地と人民との、二の原質を備えたる国を支配する所作を称えたる詞について、国々にて種々なるが、シナにては「国を有つ」といえり。「有つ」とは、我が物にし、我が領分にして、手に入るる心にて、俗に一の屋敷を手に入れた、あるいは一の山を我がものにしたというと同じ意なり。詩経に「奄有天下」とあり、「奄有す」とは、援いかぶせて手に入るる心にして、天下は広大なるものなりしかば、かく称えしものとぞおぼゆる。これ国土国民を物質様に一の私産と見たるものにして、中庸には「富有天下」ともいえり。一人にして天下を私有するは穏やかならぬ詞なれば、かのシナの聖人は、この詞を修飾するために
また人民に対しては、いかなる作用言を用いたるかというに、「民を御す」といい、または「民を牧す」といえり。「御す」とは馬を使い、「牧す」とは羊を畜うことにして、これ人民を馬羊に例えたる太古未開の時の、おぼらかなりし思想をそのまま画きたるものなり。
ヨーロッパにて国土を手に入れたることを、何といいしかと問うに、「国を占領す」といえり。「占領」という詞は(オキュパイド)やがて奪うという意味をも含めり。また人民に対しては(ゴーウルメ)船の舵を執る意味の詞を用いたり。すなわちシナにて「御す」といい、「牧す」といいしと同じく、人民を一つ物質に見なしたるより転用したるものなり。シナも西洋も昔の人の国土人民に対せし作用言は、いと疎かなる語を用いたるものにして、国土を縄張して己れの領分にすということを目的とし、人民を一の品物と見て、手綱を付け、舵を取りて、乗り治むというあしらいをもて称えたるものと覚えたり。これは古の人は、今の世の人のごとく、政治学の精密なる思想なかりしゆえにぞあるべき。さて御国にては古来この国土人民を支配することの思想を、何と称えたるか。古事記に建御雷神を下したまいて大国主神に問わしめられし条に「汝之宇志波祁流葦原中国者我御子之所知国言依賜」とあり。「うしはぐ」といい、「しらす」という。この二つの詞ぞ、太古に人主の国土人民に対する働きを名けたるものなりき。さて一は「うしはぐ」といい、他の一は「しらす」と称えたまいたるには、二つの間に差めなくてやあるべき。大国主神には「汝がうしはげる」と宣い、御子のためには「しらす」と宣いたるは、この二つの詞の間に雲泥水火の意味の違うこととぞ覚ゆる。「うしはぐ」という詞は本居氏の解釈に従えば、すなわち「領す」ということにして、ヨーロッパ人の「オキュパイド」と称え、シナ人の「富有奄有」と称えたる意義と全く同じ、こは一の土豪の所作にして、土地人民を我が私産として取り入れたる大国主神のしわざを画いたるあるベし。正統の皇孫として御国に照し臨み玉う大御業は、「うしはぐ」にはあらずして、「しらす」と称え給いたり。その後、神日本盤余彦等の御称名を「始御国天皇」と称え奉り、また世々の大御詔に「大八州国知ろしめす天皇」と称え奉るをば公文式とは為されたり。されば、かしこくも皇祖伝来の御家法は「国をしらす」という言葉に存すというも誣いたりとせず。「国を知り国を知らす」といえるは、各国に比較を取るべき詞なし。今「国を知る国をしらす」ということを、本語のまま意訳を用いずして、シナの人・西洋の人に聞かせたらば、その意味を了解するに困むべし。そはシナの人・西洋の人には国を知り国をしらすということの意想は、もとよりその脳髄の中に存せざればなり。知るということは、今の人の普通に用いる詞のごとく、心にて物を知るの意にして、中の心と外の物との関係をあらわし、さて中の心は、外の物に臨みて、鏡の物を照すごとく知り明むる意なり。西洋人の論理法に従いて解釈するときは主観様に無形の高尚なる性霊・心識の働きをあらわしたるものにして、「奄有」といい
かくいえば、人は難じていわん。「太古の人に、さばかり高尚なる思想あるべきにあらず、今の人の考えをもって付会したるならむ」と。否々然らず、諺に論より証拠といえるごとく、古典に「うしはぐ」ということと「知らす」ということと二の言葉を両々向き合せて用い、またその「うしはぐ」といい「知らす」という作用言の主格に、玉と石との差めあるを見れば、なお争うことのあるべきやは。もしその差別なかりせば、この一条の文章をば何と解釈し得べき。
ゆえにシナ・ヨーロッパにては、一人の豪傑ありて起り、多くの土地を占領し、一の政府を立てて支配したる征服の結果というをもって、国家の釈義となるべきも、御国の天日嗣の大御業の源は、皇祖の御心の鏡もて、天が下の民草をしろしめすという意義より成り立ちたるものなり。かかれば御国の国家成立の原理は、君民の約束にあらずして、一の君徳なり。国家の始は君德に基づくという一句は、日本国家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ。
御国の肇国の原理は
第二にヨーロッパにては、いにしえ君臨の事業を一の私物私法として見るゆえに、君位ならびに君職についての費用は、君主の私産の入額をもって支弁したりしが、その後国費のかさむに従いて、始めて人民に調達金を仰せ、金額を献納させて、君家の食邑入額の不足を補いたり。これぞヨーロッパの租税の始めなる、今も現にドイツの中の小国には、君家の入額の不足なる時に、始めて租税を取るということを法律に著したる国さえあり。御国の君道はかかるところ狭き道にはあらずして、「国しらす」といえる一大道理の初めより明かなりしゆえに、君位・君職についての経費は全国に割負せて人民の義務として納むることとしたり。ヨーロッパの租税は元来約束承諾に成り立ちしものにして、御国の租税は、君徳・君職の下にうるおえる人民の義務なりけり。
右に述べたる東西の間の差別は何物がしからしめたるというに、これは偶然の事にはあらず。いずれの国の歴史も千年の後の変遷は千年の昔に孕まざるはなし。余は太古の史にかこちて付会の説をなすことを好むものにあらず。さはいえ、この国を「うしはぐ」といい「知らす」ということの差別に至りては、誣うべからざるの明文ならびに事実にして、また二千五百年来の歴史上の結果に証するも、他の国と全く雲泥の違いあるは、誰人も否み得ざるべし。そもそも御国の万世一系は恐らくも学問様に論すべきにあらざれども、その初めに必ず一の原因あること疑いなし。今多言を憚るままに終わりに一言の結論を為すに止むべし。いわく、かしこくも我が国の憲法はヨーロッパの憲法の写しにあらずして、すなわち遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるものなり。
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