「言霊」の版間の差分

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== 本文 ==
 
言靈
 
 
右に述べたる東西の間の差別は何物が然らしめたるといふに此は偶然の事にはあらす何れの國の歴史も千年の後の變遷は千年の昔に孕まさるはなし余は太古の史にかこちて附會の説をなすことを好むものにあらすさはいへ此の國をうしはぐといひ知らすといふことの差別に至りては誣ふべからざるの明文竝に事實にして又二千五百年來の歴史上の結果に證するも他の國と全く雲泥の違ひあるは誰人も否み得さるへしそも/\御國の萬世一系は恐らくも學問樣に論すへきにあらされとも其の初に必一の原因あること疑なし今多言を憚るまゝに終りに一言の結論を爲すに止むへし曰く恐くも我が國の憲法は歐羅巴の憲法の寫しにあらすして即遠つ御祖の不文憲法の今日に發達したるものなり
 
== 現代表記 ==
 
言霊
 
古言を吟味することは一の歴史学なり。いずれの国にても太古の歴史は、こと曚昧に属し、当時の風気意想は筆の跡に遺りたる伝記のみにて知りがたきことそ多かるに、古き詞は古の人の風気意想をさながらに後の世に伝えて数千載の後より数千歳の古に遡りて当時の様を想像せしむべし。されば古言を取り調ぶることは歴史学の一として数うるの価直あるなり。そもそも言霊の幸わう国と称うる御国の古言には様々尊きことのある中に、余は一の上なき、めでたき詞を得たり。
 
土地と人民との、二の原質を備えたる国を支配する所作を称えたる詞について、国々にて種々なるが、シナにては国を有つといえり。有つとは、我が物にし、我が領分にして、手に入るる心にて、俗に一の屋敷を手に入れた、あるいは一の山を我がものにしたというと同じ意なり。詩経に奄有天下とあり、奄有すとは、援いかぶせて手に入るる心にして、天下は広大なるものなりしかば、かく称えしものとぞおぼゆる。これ国土国民を物質様に一の私産と見たるものにして、中庸には富有天下ともいえり。一人にして天下を私有するは穏やかならぬ詞なれば、かのシナの聖人は、この詞を修飾するために、天下を有ちて与えず、といえれど、与えず、ということと、有つ、ということは、一句の言語の中に意義の矛盾ありともいうべし。その後政治の思想やや進みては治国また経国などいう詞を用いるにいたれり。この治むといい、経すというは、乱れたる糸の筋々を揃うる心にして、やや精微なる文字なれども、なおもっぱら物質上の意想に成り立ちたるものなり。
 
また人民に対しては、いかなる作用言を用いたるかというに、民を御すといい、または民を牧すといえり。御すとは馬を使い、牧すとは羊を畜うことにして、これ人民を馬羊に例えたる太古未開の時の、おぼらかなりし思想をそのまま画きたるものなり。
 
ヨーロッパにて国土を手に入れたることを、何といいしかと問うに、国を占領すといえり。占領という詞は(オキュパイド)やがて奪うという意味をも含めり。また人民に対しては(ゴーウルメ)船の舵を執る意味の詞を用いたり。すなわちシナにて御すといい、牧すといいしと同じく、人民を一つ物質に見なしたるより転用したるものなり。シナも西洋も昔の人の国土人民に対せし作用言は、いと疎かなる語を用いたるものにして、国土を縄張して己れの領分にすということを目的とし、人民を一の品物と見て、手綱を付け、舵を取りて、乗り治むというあしらいをもて称えたるものと覚えたり。これは古の人は、今の世の人のごとく、政治学の精密なる思想なかりしゆえにぞあるべき。さて御国にては古来この国土人民を支配することの思想を、何と称えたるか。古事記に建御雷神を下したまいて大国主神に問わしめられし条に「汝之宇志波祁流葦原中国者我御子之所知国言依賜」とあり。うしはぐといい、しらすという。この二つの詞ぞ、太古に人主の国土人民に対する働きを名けたるものなりき。さて一はうしはぐといい、他の一はしらすと称えたまいたるには、二つの間に差めなくてやあるべき。大国主神には汝がうしはげると宣い、御子のためにはしらすと宣いたるは、この二つの詞の間に雲泥水火の意味の違うこととぞ覚ゆる。うしはぐという詞は本居氏の解釈に従えば、すなわち領すということにして、ヨーロッパ人の「オキュパイド」と称え、シナ人の富有奄有と称えたる意義と全く同じ、こは一の土豪の所作にして、土地人民を我が私産として取り入れたる大国主神のしわざを画いたるあるベし。正統の皇孫として御国に照し臨み玉う大御業は、うしはぐにはあらずして、しらすと称え給いたり。その後、神日本盤余彦等の御称名を始御国天皇と称え奉り、また世々の大御詔に大八州国知ろしめす天皇と称え奉るをば公文式とは為されたり。されば、かしこくも皇祖伝来の御家法は国をしらすという言葉に存すというも誣いたりとせず。国を知り国を知らすといえるは、各国に比較を取るべき詞なし。今国を知る国をしらすということを、本語のまま意訳を用いずして、シナの人・西洋の人に聞かせたらば、その意味を了解するに困むべし。そはシナの人・西洋の人には国を知り国をしらすということの意想は、もとよりその脳髄の中に存せざればなり。知るということは、今の人の普通に用いる詞のごとく、心にて物を知るの意にして、中の心と外の物との関係をあらわし、さて中の心は、外の物に臨みて、鏡の物を照すごとく知り明むる意なり。西洋人の論理法に従いて解釈するときは主観様に無形の高尚なる性霊・心識の働きをあらわしたるものにして、奄有といい、占領といい、うしはくといえるは、もっぱら客観様に有形の物質上の関係をあらわしたるものなり。古書に、しらすという言葉に御の字を当てたるは、当時の歴史を編む人、適当なる漢字なきに苦しみ、これを借り用いたるにて、もとより言語の意味には適わぬ文字なり。
 
かくいえば、人は難じていわん。太古の人に、さばかり高尚なる思想あるべきにあらず、今の人の考えをもって付会したるならむと。否々然らず、諺に論より証拠といえるごとく、古典にうしはぐということと知らすということと二の言葉を両々向き合せて用い、またそのうしはぐといい知らすという作用言の主格に、玉と石との差めあるを見れば、なお争うことのあるべきやは。もしその差別なかりせば、この一条の文章をば何と解釈し得べき。
 
ゆえにシナ・ヨーロッパにては、一人の豪傑ありて起り、多くの土地を占領し、一の政府を立てて支配したる征服の結果というをもって、国家の釈義となるべきも、御国の天日嗣の大御業の源は、皇祖の御心の鏡もて、天が下の民草をしろしめすという意義より成り立ちたるものなり。かかれば御国の国家成立の原理は、君民の約束にあらずして、一の君徳なり。国家の始は君德に基づくという一句は、日本国家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ。
 
御国の肇国の原理は、国知らすということ、その原理よりして、種々のめでたき結果を生じたり。第一はヨーロッパの国々の歴史上の状を尋ぬるに、大かた国は一の豪傑の人の占領したるものにして、大なる財産なり。ゆえに国を支配することを、民法上の思想により一の財産のあしらいもて処分し、その人々の世を去るときには民法上の相続を行い、子三人あれば、その国を三つに分ち与えたり。かの歴史上に名高きシャーレマン帝は、その広大なる版図を三人の子に分ちて、一はドイツとなり、他の一はフランキとなり、また他の一はスペインとなり、この相続よりして、ヨーロッパ大陸の大乱の種を蒔きたりしにあらずや。モンゴルの相続法も同様にして、元の大祖は、広大なるアジアの土地を四人の子に分ちて、シナの一部、モンゴルの一部、インドの一部、ペルシアの一部ときれぎれにしたる事、その史に見えたり。これはヨーロッパには珍らしからぬことにして、二百年前まで行われたりしに、二百年前のオーストリア帝の連邦各国との条約に、一国の相続は一統の子孫に伝うべきものにして数多の子孫に分割すべきものにあらず、ということを始めて約定したり。これをかの国の学者は学理様に説き明して、古は私法と公法との差異を知らず、国と家との別ちを知らず、一家の財産相続法をもって国土の相続に混雑したるものなりといえり。御国にては、公法私法などの学理論の有無にかかわらず、神随のおのずからの道において天日嗣の一筋あることは自然に定りおりて、二千五百年前よりこの大義をあやまりしことなし。神武天皇の御子は四柱座ましたりけれど、嫡出の綏靖天皇御位に即かせ給いて、他の三柱の皇子等には国土をわかち与へ給いしこともなく、ヨーロッパ人が二百年前に辛うじて発明したる公私の差別は、御国には、太古より明かに定りて皇道の本となりおれり。これは何故ぞといえば、すなわち御国をしらすという大御業は、国土を占領することと、おのずから公私の差別ありしによるなり。
 
第二にヨーロッパにては、いにしえ君臨の事業を一の私物私法として見るゆえに、君位ならびに君職についての費用は、君主の私産の入額をもって支弁したりしが、その後国費のかさむに従いて、始めて人民に調達金を仰せ、金額を献納させて、君家の食邑入額の不足を補いたり。これぞヨーロッパの租税の始めなる、今も現にドイツの中の小国には、君家の入額の不足なる時に、始めて租税を取るということを法律に著したる国さえあり。御国の君道はかかるところ狭き道にはあらずして、国しらすといえる一大道理の初めより明かなりしゆえに、君位・君職についての経費は全国に割負せて人民の義務として納むることとしたり。ヨーロッパの租税は元来約束承諾に成り立ちしものにして、御国の租税は、君徳・君職の下にうるおえる人民の義務なりけり。
 
右に述べたる東西の間の差別は何物がしからしめたるというに、これは偶然の事にはあらず。いずれの国の歴史も千年の後の変遷は千年の昔に孕まざるはなし。余は太古の史にかこちて付会の説をなすことを好むものにあらず。さはいえ、この国をうしはぐといい知らすということの差別に至りては、誣うべからざるの明文ならびに事実にして、また二千五百年来の歴史上の結果に証するも、他の国と全く雲泥の違いあるは、誰人も否み得ざるべし。そもそも御国の万世一系は恐らくも学問様に論すべきにあらざれども、その初めに必ず一の原因あること疑いなし。今多言を憚るままに終わりに一言の結論を為すに止むべし。いわく、かしこくも我が国の憲法はヨーロッパの憲法の写しにあらずして、すなわち遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるものなり。
 
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