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井上毅言霊新規作成
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2020年1月13日 (月) 14:56時点における版


言靈

古言を吟味することは一の歴史學なり何れの國にても太古の歴史は事曚昧に屬し當時の風氣意想は筆の跡に遺りたる傳記のみにて知りかたきことそ多かるに古き詞は古の人の風氣意想をさなからに後の世に傳へて數千載の後より數千歳の古に遡りて當時の樣を想像せしむへしされは古言を取調ふることは歴史學の一として數ふるの價直あるなり抑〻言靈の幸はふ國と稱ふる御國の古言には樣〻尊きことのある中に余は一の上なきめてたき詞を得たり

土地と人民との二の原質を備へたる國を支配する所作を稱へたる詞に付いて國〻にて種〻なるが支那にては國を有つといへり有つとは我か物にし我が領分にして手に入るゝ心にて俗に一の屋敷を手に入れた或は一の山を我がものにしたといふと同し意なり詩經に奄有天下とあり奄有すとは掩ひかふせて手に入るゝ心にして天下は廣大なるものなりしかはかく稱へしものとそおほゆるこれ國土國民を物質樣に一の私産と見たるものにして中庸には富有天下ともいへり一人にして天下を私有するは穩ならぬ詞なれは彼支那の聖人は此の詞を脩飾するために有天下而不與といへれと不與といふことゝ有つといふことは一句の言語の中に意義の矛盾ありともいふへし其の後政治の思想稍進みては治國又經國なといふ詞を用ゐるにいたれりこの治むといひ經すといふは亂れたる絲の筋〻を揃ふる心にして稍精微なる文字なれとも猶專ら物質上の意想に成立ちたるものなり

又人民に對しては如何なる作用言を用ゐたるかといふに民を御すといひ又は民を牧すといへり御すほらかなりし思想を其のまゝ画たるものなり

歐羅巴にて國土を手に入れたることを何といひしかと問ふに國を占領すといへり占領といふ詞は(オキュパイド)やがて奪ふといふ意味をも含めり又人民に對しては(ゴーウルメ)船の舵を執る意味の詞を用ゐたり即支那にて御すといひ牧すといひしと同しく人民を一つ物質に見なしたるより轉用したるものなり支那も西洋も昔の人の國土人民に對せし作用言はいと踈かなる語を用ゐたるものにして國土を繩張して己れの領分にすといふことを目的とし人民を一の品物と見て手綱を付け舵を取りて乘り治むといふあしらひをもて稱へたるもへき偖御國にては古來此の國土人民を支配することの思想を何と稱へたるか古事記に建御雷神を下したまひて大國主神に問はしめられし條に汝之宇志波祁流葦原中國者我御子之所知國言依賜とありうしはぐといひしらすといふこの二つの詞そ太古に人主の國土人民に對する働きを名けたるものなりきさて一はうしはぐといひ他の一はしらすと稱へたまひたるには二つの間に差めなくてやあるへき大國主神には汝がうしはげると宣ひ御子のためにはしらすと宣ひたるは此の二つの詞の間に雲泥水火の意味の違ふことゝそ覺ゆるうしはぐといふ詞は本居氏の解釋に從へば即ち領すといふことにして歐羅巴人の「オキユパイド」と稱へ支那人の富有奄有と稱へたる意義と全く同しこは一の土豪の所作にして土地人民を我か私産として取入れたる大國主神のしわざを画いたるあるへし正統の皇孫として御國に照し臨み玉ふ大御業はうしはぐにはあらすしてしらすと稱へ給ひたり其の後神日本磐余彦等の御稱名を始馭國天皇と稱へ奉り又世〻の大御詔に大八洲國知ろしめす天皇と稱へ奉るをば公文式とは爲されたりされはかしこくも皇祖傳來の御家法は國をしらすといふ言葉に存すといふも誣ひたりとせす國を知り國を知らすといへるは各國に比較を取るへき詞なし今國を知る國をしらすといふことを本語のまゝ意譯を用ゐすして支那の人西洋の人に聞かせたらば其の意味を了解するに困むへしそは支那の人・西洋の人には國を知り國をしらすといふことの意想は固よりその腦隨の中に存せされはなり知るといふことは今の人の普通に用ゐる詞の如く心にて物を知るの意にして中の心と外の物との關係をあらはしさて中の心は外の物に臨みて鏡の物を照すごとく知り明むる意なり西洋人の論理法に從ひて解釋するときは主觀樣に無形の高尚なる性靈心識の働きをあらはしたるものにして奄有といひ占領といひうしはくといへるは專ら客觀樣に有形の物質上の關係をあらはしたるものなり古書にしらすといふ言葉に御の字を當てたるは當時の歴史を編む人適當なる漢字なきに苦しみ是を借用ゐたるにて固より言語の意味には適はぬ文字なり

かくいへは人は難していはむ太古の人にさはかり高尚なる思想あるへきにあらず今の人の考へを以て附會したるならむと否〻然らす諺に論より證據といへるごとく古典にうしはくといふことゝ知らすといふことゝ二の言葉を兩〻向き合せて用ゐ又其のうしはくといひ知らすといふ作用言の主格に玉と石との差めあるを見れは猶爭ふことのあるへきやは若し其の差別なかりせは此の一條の文章をは何と解釋し得へき

故に支那歐羅巴にては一人の豪傑ありて起り多くの土地を占領し一の政府を立てゝ支配したる征服の結果といふを以て國家の釋義となるへきも御國の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡もて天か下の民草をしろしめすといふ意義より成立たるものなりかゝれば御國の國家成立の原理は君民の約束にあらすして一の君徳なり國家の始は君德に基つくといふ一句は日本國家學の開卷第一に説くへき定論にこそあるなれ

御國の肇國の原理は國知らすといふこと其の原理よりして種〻のめでたき結果を生したり第一は歐羅巴の國〻の歴史上の状を尋ぬるに大かた國は一の豪傑の人の占領したるものにして大なる財産なり故に國を支配することを民法上の思想により一の財産のあしらひもて處分し其の人〻の世を去るときには民法上の相續を行ひ子三人あれば其の國を三つに分ち與へたり彼の歴史上に名高きシャーレマン帝は其の廣大なる版圖を三人の子に分ちて一は獨乙となり他の一は佛蘭機となり又他の一は西班牙となり此の相續よりして歐羅巴大陸の大乱の種を蒔きたりしにあらすや蒙古の相續法も同樣にして元の大祖は廣大なる亞細亞の土地を四人の子に分ちて支那の一部蒙古の一部印度の一部波斯の一部ときれ/\にしたる事其史に見えたり此は歐羅巴には珍らしからぬことにして二百年前まて行はれたりしに二百年前の墺地利亞帝の聯邦各國との條約に一國の相續は一統の子孫に傳ふへきものにして數多の子孫に分割すべきものにあらずといふことを始めて約定したり是を彼の國の學者は學理樣に説き明して古は私法と公法との差異を知らす國と家との別ちを知らす一家の財産相續法を以て國土の相續に混雜したるものなりといへり御國にては公法私法なとの學理論の有無に拘らす神隨のおのづからの道に於て天日嗣の一筋あることは自然に定り居て二千五百年前より此の大義をあやまりしことなし神武天皇の御子は四柱坐ましたりけれど嫡出の綏靖天皇御位に即かせ給ひて他の三柱の皇子等には國土をわかち與へ給ひしこともなく歐羅巴人が二百年前に辛うして發明したる公私の差別は御國には太古より明かに定りて皇道の本となり居れり是は何故ぞといへば即ち御國をしらすといふ大御業は國土を占領することゝおのづから公私の差別ありしに由るなり

第二に歐羅巴にては古へ君臨の事業を一の私物私法として見る故に君位竝に君職に付いての費用は君主の私産の入額を以て支辨したりしが其の後國費のかさむに從ひて始めて人民に調達金を仰せ金額を獻納させて君家の食邑入額の不足を補ひたりこれぞ歐羅巴の租税の始めなる今も現に獨乙の中の小國には君家の入額の不足なる時に始めて租税を取るといふことを法律に著したる國さへあり御國の君道は斯るところ狹き道にはあらすして國しらすといへる一大道理の初めより明かなりし故に君位君職に付いての經費は全國に割負せて人民の義務として納むることゝしたり歐羅巴の租税は元來約束承諾に成立ちしものにして御國の租税は君徳君職の下に沾へる人民の義務なりけり

右に述べたる東西の間の差別は何物が然らしめたるといふに此は偶然の事にはあらす何れの國の歴史も千年の後の變遷は千年の昔に孕まさるはなし余は太古の史にかこちて附會の説をなすことを好むものにあらすさはいへ此の國をうしはぐといひ知らすといふことの差別に至りては誣ふべからざるの明文竝に事實にして又二千五百年來の歴史上の結果に證するも他の國と全く雲泥の違ひあるは誰人も否み得さるへしそも/\御國の萬世一系は恐らくも學問樣に論すへきにあらされとも其の初に必一の原因あること疑なし今多言を憚るまゝに終りに一言の結論を爲すに止むへし曰く恐くも我が國の憲法は歐羅巴の憲法の寫しにあらすして即遠つ御祖の不文憲法の今日に發達したるものなり

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。