「氷の涯」の版間の差分

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:ところが、第八区の筋かい道を通っておりますと、背後から私を呼ぶ声がします。振り返ってみますと、中国馬車の中から星黒主計殿が顔を出されました。いつものとおりの服装で、膝の間に新しいリュクサクを挟んでおられました。
:『どこに行くのか』と問われましたから『傅家甸へ』と答えて敬礼しますと『そうか、おれもそちらへ行くからこの車に乗れ』といわれましたので一緒に乗って行きました。
:ところがまだ鉄道踏切を超えないうちに、主計殿がニコニコ笑いながら『お前は松花江の下流へ行ったことがあるか』と問われましたのでチョット困りました。私はロシアの地理ならば内地で研究しておりましたおかげで少々自信がありますが、満洲方面は後まわしにしておりましたので西も東も知りません。ことに当地に来る早々の八月の始めから翻訳ばかりしておりまして、一歩も市街へ出ずにおりましたのでどの道がどこへ行くのか、どの方向にドンナ町があるか、ましてどこいらから先が、馬賊や赤軍のいる危険区域になっているのか、全然白紙も同様なのです。ですから万一案内でも頼まれては大変と思いましたので『イイエ』と答えますと『そうかおれは今から行くところだ。ロシア人の友達と一緒に行く約束をしていたんだが、そいつが風邪(かぜ)を惹いて寝てしまったので、おれ一人で行ってくれといって、案内を知っている中国人を雇ってくれた上に、御馳走をコンナにリュクサックに詰めてくれた。ナアニ危険区域といったってh心配するほどのものじゃない。……日本軍のいない所を全部、危険区域だとばかり思っているのは日本人だけだ……といってそいつが笑っていた。酒もちょうど二人前ある。そりゃあ景色のええ所があるぞうだぞ』といわれました。後から考えますとこれはまっ赤な噓で、郊外の塵に暗い私が外出することを、前の晩からチャントにらんで、計画を立てておられたものに違いありません。しかしその時は全く気づきませんでしたので、非常に喜んでお礼を申しました。ステキな日曜にぶつかったものだと思って、靴のことも何も忘れておりました。
:中国馬車は傅家甸を抜けて東へ東へと走りました。腕時計を修繕に出しておりますので時間がわかりませんでしたが、同じような草原や耕地の間をずいぶん長いこと走りましたので、ツイ翻訳の疲れが出たのでしょう、ウトウトとしておりますと、正午近いと思う頃から、小さな川の流れに沿うて行くうちに、広い広い草原の向うに、松花江の曲り角が見える所まで来て馬車が停まりました。
:主計殿はどこで馬車を降りられました。そうしていつの間に勉強されたのか流暢(りゅうちょう)な満洲語で、馭者(ぎょしゃ))と話しておられましたが、そのうちにニコニコしながらこちらへ来られますと『ここから向うの丘まで歩いて行くのだそうだ。そこが一番景色がいいそうだからね。すまないがそのリュクサックを荷(かつ)いでくれないか。馭者は泥棒が怖いからといって車を離れないからね』という頼みです。私は『何だ。そんな目的で自分を連れて来たのか』と少々ばかばかしくなりましたが、いまさら、しようがありませんでしたから、リュクサックを担ぎ上げて、道のない草原を、河の方向へ分け入って行きました。