「麒麟 (谷崎潤一郎)」の版間の差分

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:西曆紀元前四百九十三年。{{r|左丘明|さきうめい}}、{{r|孟軻|まうか}}、{{r|司馬遷|しばせん}}等の記錄によれば、{{r|魯|ろ}}の{{r|定公|ていこう}}が十三年目の{{r|郊|かう}}の祭を行はれた春の始め、{{r|孔子|こうし}}は數人の弟子達を車の左右に從へて、其の故郷の魯の國から傳道の途に上つた。
:{{r|泗水|しすゐ}}の河の{{r|畔|ほとり}}には、芳草が靑々と芽ぐみ、{{r|防山|ぼうざん}}、{{r|尼丘|ぢきう}}、{{r|五峯|ごほう}}の{{r|頂|いたゞき}}の雪は溶けても、沙漠の砂を摑むで來る{{r|匈奴|きようど}}のやうな北風は、いまだに烈しい冬の{{r|名殘|なごり}}を吹き送つた。元氣の好い{{r|子路|しろ}}は紫の{{r|貂|てん}}の{{r|裘|かはごろも}}を飜して、一行の先頭に進んだ。考深い眼つきをした{{r|顔淵|がんえん}}、篤實らしい風采の{{r|曾參|そうしん}}が、麻の{{r|履|くつ}}を穿いて其の後に續いた。正直者の{{r|御者|ぎよしや}}の{{r|樊遲|はんち}}は、{{r|駟馬|しば}}の{{r|銜|くつわ}}を執りながら、時々車上の{{r|夫子|ふうし}}が老顏を{{r|窃|ぬす}}み視て、{{r|傷|いた}}ましい放浪の師の身の上に涙を流した。
:或る日、いよ{{〱}}一行が、魯の國境までやつて来ると、誰も彼も名殘惜しさうに、{{r|故郷|ふるさと}}の方を振り{{r|顧|かへ}}つたが、通つて來た路は{{r|龜山|きざん}}の蔭にかくれて見えなかつた。すると孔子は琴を執つて、
::われ魯を望まんと欲すれば、
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