「西班牙犬の家」の版間の差分

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ページの作成:「{{header | title = 『西班牙犬の家』(スペインいぬのいえ) |year=1919 |author=佐藤春夫 |notes= *底本:昭和六年五月三十日共立社書…」
 
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:フラテ(犬の名)は急に駆け出して、蹄鍛冶屋(ひづめかじや)の横に折れる岐路(きろ)のところで、私を待っている。この犬は非常に賢い犬で、私の年来の友達であるが、私の妻などはもちろん大多数の人間よりよほど賢い、と私は信じている。で、いつでも散歩に出る時には、きっとフラテを連れて出る。奴は時々、思いもかけぬようなところへ自分をつれてゆく。で近ごろでは私は散歩といえば、自分でどこかへ行こうなどと考えずに、この犬の行く方へだまってついて行くことに決めているようなわけなのである。蹄鍛冶屋の横道は、私はまだ一度も歩かない。よし、犬の案内に任せて今日はそこを歩こう。そこで私はそこを曲る。その細い道はだらだらの坂道で、時々ひどく曲りくねっている。私はその道に沿うて犬について――景色を見るでもなく、考えるでもなく、ただぼんやりと空想に耽(ふけ)って歩く。時々空を仰いで雲を見る。ひょいと道ばの草の花が目につく。そこで私はその花を摘(つ)んで、自分の鼻の先で匂(にお)うて見る。何という花だか知らないがいい匂いである。指で摘(つま)んでくるくるまわしながら歩く。するとフラテは何かの拍子にそれを見つけて、ちょっと立ちどまって、首をかしげて、私の目の中をのぞき込む。それを欲しいという顔つきである。そこでその花を投げてやる。犬は地面に落ちた花を、ちょっと嗅(か)いで見て、何だ、ビスケットじゃなかったのかと言いたげである。そうしてまた急に駆け出す。こんな風にして私は二時間近くも歩いた。
:歩いているうちにわれわれはひどく高くへ登ったものと見える。そこはちょっとした見晴しで、打ち開けた一面の畑の下に、遠くどこの町とも知れない町が、雲と霞(かすみ)との間からぼんやりと見える。しばらくそれを見ていたが、あれほどの人家のある場所があるとすれば、一たいどこなのであろう。私はこの辺一体の地理は一向に知らないのだから、解(わか)らないのも無理ではなが、それはそれとひて、さて後(うしろ)の方はと注意して見ると、そこはごくなだらかな傾斜で、遠くへ行けば行くほど低くなっているらしく、どこも一面の雑木林(ぞうきばやし)のようである。その雑木林はかなり深いようだ。そうしてさほど大きくもないたくさんの木の幹の半面を照して、正午に間もない優(やさ)しい春の日ざしが、櫟(くぬぎ)や樫(かし)や栗や白樺(しらかば)などの芽生えしたばかりの爽(さわ)やかな葉の透間(すきま)から、煙のように、また匂いのように流れ込んで、その幹や地面やの日かげと日向(ひなた)との加減が、ちょっと口では言えない種類の美しさである。私はこの雑木林の奥へはいって行いたい気持になった。その林のなかは、かき分けねばならぬというほどの深い草原でもなく、行こうと思えばわけもないからだ。
:私の友人フラテも同じ考えであったと見える。枯葉うれしげにずんずんと林の中へはいってゆく。私もその後(あと)に従うた。約一町ばかり進んだかと思うころ、犬は今までの歩き方とは違うような足どろになった気らくな今までの散歩の態度ではなく、織るようないそがしさに足を動かす。鼻を前の方につき出している。これは何かを発見したに違いない。兎の足あとであったのか、それとも草のなかに鳥の巣でもあるのであろうか。あちらこちらと気ぜわしげに行き来するうちに、犬はその行くべき道を発見したものらしく、まっすぐに進み初めた。私は少しばかり好奇心を持ってその後を追うて行った。われわれは時々、交尾していたらしい梢(こずえ)の野鳥を駭(おどろ)かした。こうした早足で行くこと三十分ばかりで、犬は急に立ちどまった。同時に私は潺湲(せんかん)たる水の音を聞きつけたような気がした。(一たいこの辺は泉の多い地方である)犬は耳を癇性(かんしょう)らしく動かして二三間ひきかえして、再び地面を嗅ぐや、皓ドは左の方へ折れて歩み出した。思ったよりもこの林の深いのに少しおどろいた。この地方にこんな広い雑木林があろうとは考えなかったが、この工合(ぐあい)ではこの林は二三百歩もあるかも知れない。犬の様子といい、いつまでも続く林といい、私は好奇心で一杯になって来た。こうしてまた二三十分ほど行くうちに、犬は再び立ちどまった。さて、わっ、わっ!という風にい短く二声吠えた。その時までは、つい気がつかずにいたが、すぐ目の前に一軒の家があるのである。それにしても多少の不思議である、こんなところにただ一つ人の住居があろうとは。それが炭焼き小屋でない以上は。