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{{header
| title = 真美大観
| author = 田島志一他
| section = 宮本武藏筆鴻雁圖
| previous = [[真美大観/狩野元信筆山水及花鳥圖|狩野元信筆山水及花鳥圖]]
| next = [[真美大観/平等院鳳凰堂寫眞|平等院鳳凰堂寫眞]]
| notes =
}}
 
== 鴻雁圖屏風一雙 ==
*紙本墨畫
*宮本武藏筆
*各隻竪五尺一寸四分、横一丈一尺九寸二分
*侯爵細川護成君藏
 
[[w:宮本武蔵|宮本武藏]](又は無三四)、名は正名、幼名官治郎、後に武藏と呼び、二天と號す、
播磨の武人新免無二齋の男なり、劔法を研究して、遂に二刀流の祖と
なれり、其武術に於ける手腕は、向ふ所天下に敵なく、四方に遊歴して到る
處に劔法各流の首魁を朴し、六十四年の生涯中、生命を堵して輸腕を試
みしこと六十餘回、必ず敵の眉間を打ちて勝を制し、一たびも敗を取り
しことなかりきといふ、慶長年中(西暦第十六世紀の終)關が原の戰役等
に從事して功あり、後、肥後の細川氏(今の公爵細川家)に屬し、正保二年(西
暦一六四五年)熊本城下に歿す、年六十四、武藏の武勇は今日に至るまで、
三尺の童孩も之れを知らざるなく、その木片を以て父の讐佐々木嚴流
を撃殺せし事の如きは、劔道の佳話として演劇、講談の好題目となれり、
武藏は漸く武勇卓絶なりしのみならず、畫道に於いても亦頗る造詣する
所あり、其畫法は海北友松に學び、又長谷川風の法格をも參取し、之れを
豪宕なる自家の手腕に任せて揮麗せるに由り、趣致超凡、氣雄力沈、武藏
其人の意氣、紙縑の上に躍如たるを見る
 
こヽに出せる二圖は、武藏が主家細川氏の爲めに描きたるものにして、
一は秋色漸く閑なる澤畔に十數羽の素鴨を寫し、一は雲花繽粉、萬物蘆
索なる水邊に數羽の青雁を畫けり、就中、第一圖は殊に筆々遒勁、風物調
諧、吾人をして嘆賞に堪へざらしむ、畫伯[[w:田能村竹田|田能村竹田]]の如きは、此流の畫
を喜ばざる人なりしも、然も武藏の布袋圖を愛藏して措かず、筆法雋頴、
墨色沉酣、阿堵一點、奕々射人、と稱贊するに至る、蓋しこの屏風畫は、武藏
が作品中の尤も優等なるものにして、啻に公爵家の珍什たるのみなら
ず、また實に國家の重寶といふ可し
 
== 底本 ==
*田島志一編 『真美大観 第三册』 日本佛教眞美協會、1900年。
 
[[Category:真美大観|みやもと むさし こうかんす]]