「Wikisource・トーク:収録方針」の版間の差分

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Kareha (トーク | 投稿記録)
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:誤訳・誤認の多さは随時訂正していくしかないと思います。言い方は悪いですが悪法も法であり、無法よりまましだと個人的には思いますが。査読主義偏重への疑問に対してはまず査読主義という言葉を私は始めて聞きました。よろしければその言葉の意味を説明していただけませんか?査読された物に偏重しすぎているとは思いませんが。ウィキソース日本語版の現実との齟齬につきましては慣例化したものがあってそれが混乱をきたすのであれば個々で話し合うしかありませんね。画像の使用については何か問題があるのでしょうか?--[[利用者:Forestfarmer|Forestfarmer]] 2007年2月4日 (日) 14:18 (UTC)
::ほとんど投稿歴のない者ですが、発言させてください。現在提示されている草案はウィキメディア財団の方針について誤解を招きかねない表現があります。ウィキメディア財団は「他の人にそれらの作品を自由に再使用する事も禁止して」いるわけではないように思います。他にも技術的な不具合が散見しますので、一度白紙化して案を練り直したほうがよくないでしょうか? 参考までに、[[User:Kareha/したがき|英語版の収録方針の拙訳]]を提示しておきます。--[[利用者:Kareha|枯葉]] 2007年2月11日 (日) 20:43 (UTC)
::枯葉さんの訳に続けて投稿するのも変なはなしですが、やってしまったものなので投稿しておきます。いちおうすでになされた2つの翻訳とは独立にすすめたつもりです。なので、食い違う部分も少なくないのではないかと存じます。翻訳上のメモを残しておきます。
::* ''Documentary Source''は「記録的資料」とした。英語版の方針が''Primary Source''から変更されて現在のものとなったことをうけて原意を損ねないよう考慮したためである。
::* ''Analystic Work''は「分析作品」とした。説明的に述べれば、「資料蒐集の上分析を加えた刊行物」とでもなろう。
::* ''Publication''は「公刊物」に統一した。あるいは誤解釈かもしれないが、頻出する査読などといった語彙を強調するためである。
::悪法もまた法なり、という考え方はウィキには必要のないものです。ずっとないままでやってきたのですし、この方針の策定の意義はウィキソースの参加者がウィキソースの目的をより深く理解することにつながるということであって排除に役立てるためではないのです。 [[利用者:Kzhr|Kzhr]] 2007年2月12日 (月) 06:34 (UTC)
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