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候得ば、尊意に不叶候得共、尊意に當奉る所則御爲に御座候へば、彌恐を不顧申上候、依て只今まで御政道の衆評を可申上候、惣て慮知思辨方便はかり事を以てなせる事には、是非の差別御座候、御壹人の非は天下の困、天下の困は日本の悲、日本の慙は內への御不忠、大切至極の御事に御座候


衆人奉評品

 金銀出入之公事御取上無御座候事を、天下德政被仰出と心得、一切借り方之者ども、大名小名下々に至迄、返辨不仕候に付、追て德政にては無之と被分之樣に被遊候事、天下之御觸事に間違の儀少しも御座候はゞ、御役人德なきと可申哉、をのづから上之御悲と成候事

 右之被仰分にても、金子の公事御取上無御座候上は、曾て返辨金は不仕、依之新規貸金仕候もの無御座候、日本の寳すくみとなり、困窮の種となり候、縱ば流に木を橫ふごとく、終に殃のはしと可成御事に御座候、金銀は通るを以たからと仕候、惡敷道には移り安き世の習に御座候へば、當時大名方の借り金京大坂は不申、江戶の町人共の買懸り等迄、先年切金に成り候をも曾て不遣輩多く、古には無御座候大名の門に、妻子をつれたる町人共付しとひ、或は駕籠馬の尾に取付願ひかなしみ候といへども、其恥をも曾て恥とせず、名より利を取といふいやしき心の移り候は、上に御しまつ多く、下より過料等多御取被遊候、其御心有によつて自然と下へ御風儀移り申候事、日月の光世界を照すごとく、善惡共に上より下へ移る事は、雷の坤竺へ響に同じ、うたがふべきにあらず、扨一旦借り人共德をになふといへども、後の爲には又貸手のなきに困窮し、或國主郡主も惡事の報いは頭をめぐらさゞる習ひに御座候得共、國々風雨旱損の難儀、年月を經ずして大損仕候事、最早御心當りも可御座候、また重ての德政と申上は、大分之年數御座候もの故、德政のあとは心安ものと承り傳へ申候、只いつとなしに金銀出入の公事御取上無之と御極被成候て、日本因窮の本と成候、かかる事をも委細に申上候御役衆も無御座候は、眞有人を御好不遊と世以愚察仕候所に御座候、當分金銀の御德附候事を申上るが御爲と存、亦上にも夫を尤と思召候は大成御違にて御座候、將軍樣の御しまつ被遊金銀御溜め被遊候へば、一天下の萬民皆々因窮仕候、纔の問屋共賣物を〆候てさへ、其儘其物の高直になる、無上のつまり申にて御賢慮可遊候、況や公儀に於て寳を御〆被遊下々の立可申哉、はたして此以後に五穀打つゞき不作仕候、火災水難等多可御座候儀、是天性の化育と申事にて御座候、金銀はいか程澤山にても、金を喰ては一日も送らるゝ物にては無御座候、只大切成物は米穀に極り申候、當御風儀は米穀を輕く、金銀を重く被遊候と相見へ、乍恐紀州を御治被遊候御質失不申候、一國二國の主を初、一郡一村の地頭より下つ方の願には、金銀だに澤山に御座候へば、米穀は他領より何程も調安物にて御座候間、金銀は重く米穀は次に仕候ても事濟候事、夫