ひびのおしえ
- 底本: 福澤諭吉『ひゞのをしへ』初編・二編、財団法人 福澤旧邸保存会発行
- 目次:
ひゞのをしへ 初編
編集 明治四年
ひゞのをしへ 初編
辛未十月 福澤一太郎
おさだめ
一、うそをつくべからず。
一、ものをひらふべからず。
一、
一、ごうじやうをはるべからず。
一、兄弟けんくわかたくむよふ。
一、人のうはさかたく無用。
一、ひとのものをうらやむべからず
十月十四日
ほんをよんで、はじめのはうをわするゝは、そこなきおけに、みづをくみいるゝがごとし。くむばかりのほねをりにて、すこしもみづのたまることなし。されば一さんも捨さんも、よんだところのおさらへをせずして、はじめのはうをわするゝときは、よむばかりのほねをりにて、はらのそこにがくもんの、たまることはなかるべし。
十月十五日
人たる者は、むしをころし、けものをくるしめなど、すべてむごきことを、なす可らず。かゝるじひなきふるまひをするときは、つひにはわがどうるいの人をも、むごくするよふになるべし。つゝしまざるべからず。
十月十六日
十月十七日
人の心の
十月十九日
もめんの
十月廿一日
人には
十月廿七日
○
まいにちさんどのおまんまをたべ、よるはいね、あさになればおき、まいにちまいにち、おなじことにて、ひをおくるときは、ひとのいのちは、わづか五十ねん、いつのまにかはとしをとり、きのふにかはるこんにちは、しらがあたまのおぢいさん、やがておてらのつちとなるべし。そも〳〵、ものをたべてねておきることは、うまにてもぶたにても、できることなり。にんげんのみぶんとして、うまやぶたなどと、おなじことにて、あひすむべきや。あさましきしだいなり。さればいまひとゝなりて、このよにうまれたれば、とりけものにできぬ、むづかしきことをなして、ちくるいとにんげんとの、くべつをつけざるべからず。そのくべつとは、ひとはだうりをわきまへて、みだりにめのまへのよくにまよはず、もんじをかき、もんじをよみ、ひろくせかいぢうのありさまをしり、むかしのよといまのよと、かはりたるもやうをがてんして、にんげんのつきあひをむつまじくし、ひとりのこゝろに、はづることなきやうに、することなり。かくありてこそひとはばんぶつのれいともいふべきなり。
○
もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。
○
てあしにけがをしても、かみにてゆはへ、またはかうやくなどつけて、だいじにしておけば、じきになほり、すこしのけがなれば、きずにもならぬものなり。さてひとたるものは、うそをつかぬはずなり、ぬすみせぬはずなり。いちどにてもうそをつき、ぬすみするときは、すなはちこれを、こゝろのけがとまうすべし。こゝろのけがは、てあしのけがよりも、おそろしきものにて、くすりやかうやくにては、なか〳〵なほりがたし。かるがゆへに、おまへたちは、てあしよりもこゝろをだいじにすべきなり。
○
こどもは、ものゝかずを、しらざるべからず。たとへばひとには、てのゆびが五ほんづゝ、あしのゆびが五ほんづゝ、てとあしとのゆびを、あはせて二十ほんあり。いまおまへたちの、きやうだい五にんの、てあしのゆびを、みなあはせて、いくほんあるやと、たづねられたらば、なんとこたふるや。
○
けさのひのでから、あすのあさのひのでまでのあひだを、十二にわけて、ひとゝきといふ。あさのひのでるころを、むつどきといひ、むつ、いつゝ、よつ、こゝのつとかぞへ、こゝのつはひるのまんなかにて、ひるのおまんまをたべるときなり。こゝのつより、やつ、なゝつ、むつとかぞへ、むつはひのくれるときにて、あさのむつよりくれのむつまで、ひるのあひだむときあり。よるのときをかぞふるも、ひるとおなじことにて、くれむつよりあけむつまで、むときにて、よあけにいたるなり。
○
こどもは、にうわにして、ひとにかあひがられるやうに、ありたきものなり。せけんのひとにまじはるに、おとなしくするは、もちろんのこと、じぶんのうちにて、めしつかひのおとこおんなに、ものをいひつけるにも、けんぺいづくに、ことばをもちゆべからず。たとへばみづをのみたきときも、おんなどもへ、みづをもてこいといふよりも、みづをもてきておくれといへば、そのおんなはこゝろよくして、はやくみづをもてくるものなり。なにごとによらず、すべてこのこゝろへにて、なるたけおほふうにかまへざるやう、こゝろをもちゆべし。
○
ひとのふりみて、わがふりなをせ。おまへたちもけふまでは、たべものにもきものにも、ふじゆうなかりしが、もしそのこゝろおとなしからずして、いやしきこんじやうをもち、ほんをもよまずして、むがくもんもうになることあらば、どんなりつぱなきものをきても、どんなおほきないへにゐても、ひとにいやしめられ、ひとにゆびさゝれて、こじきにもおとるはじをかくべし。
ひゞのをしへ初篇終
ひゞのをしへ 二編
編集 明治四年
ひゞのをしへ 二編
辛未十一月 福澤一太郎
ひゞのをしへ 二へん
とうざい、とうざい。ひゞのをしへ二へんのはじまり。おさだめのおきては六かでう、みゝをさらへてこれをきゝ、はらにおさめてわするべからず。
だい一
てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこゝろにしたがふべし。たゞしこゝにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず、西洋のことばにてごつどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしやといふものなり。
だい二
ちゝはゝをうやまい、これをしたしみ、そのこゝろにしたがふべし。
だい三
ひとをころすべからず。けものをむごくとりあつかひ、むしけらをむゑきにころすべからず。
だい四
ぬすみすべからず。ひとのおとしたるものをひらふべからず。
だい五
いつはるべからず。うそをついてひとのじやまをすべからず。
だい六
むさぼるべからず。むやみによくばりてひとのものをほしがるべからず。
○
てんとうさまのおきてともうすは、むかしむかしそのむかしより、けふのいまにいたるまで、すこしもまちがひあることなし。むぎをまけばむぎがはえ、まめをまけばまめがはえ、きのふねはうき、つちのふねはしづむ。きまりきつたることなれば、ひともこれをふしぎとおもはず。されば、いま、よきことをすれば、よきことがむくひ、わろきことをすれば、わろきことがむくふも、これまたてんとうさまのおきてにて、むかしのよから、まちがひしことなし。しかるに、てんとうしらずのばかものが、めのまへのよくにまよふて、てんのおきてをおそれず、あくじをはたらいて、さいわいをもとめんとするものあり。こは、つちのふねにのりて、うみをわたらんとするにおなじ。こんなことで、てんとうさまがだまさるべきや。あくじをまけばあくじがはえるぞ。かべにみゝあり、ふすまにめあり。あくじをなして、つみをのがれんとするなかれ。
○
けさのひのでより、あすのあさのひのでまでを、いちにちとし、三十にちあはせてひとつきとす。だいのつきは三十にち、せうのつきは二十九にちなれども、まづこれを三十にちづゝとすれば、一ねんは十二つきにて、ひかづ三百六十にちなり。十ねんは三千六百にち、五十ねんは一萬八千にちなり。おまへたちもいまから三百六十ねると、またひとつとしをとり、おしやうぐわつになりて、おもしろきこともあらん。されどもだん〳〵おほくねて、一萬八千ばかりもねると、五十六、七のおぢいさんになりて、あまりおもしろくもあるまじ。一にちにてもゆだんをせずに、がくもんすべきものなり。
○
日本にては
日本の時 西洋の時
四半 十一時
九時 十二時
九半 一時
八時 二時
八半 三時
七時 四時
七半 五時
このやうにかぞへて、またもとの
○
西洋の
○
たゝみの
○