1906年4月29日付李明来による報告書号外
報告書号外
- 光武10年5月7日
- 接受第30025号
鬱島郡守沈興澤の報告書によると、本郡所属の独島が外洋100余里の距離にあるが、本月初四日[註 1]の辰時[註 2]頃に輪船一隻が郡内の道洞浦に来泊して日本の官人一行が官舍を訪れ、独島は現在日本領地である故に視察へ到来したと述べた。 その一行は日本の島根県隠岐島司・東文輔、事務官・神西田太郎、税務監督局長・吉田平吾、分署長警部・影山厳八郎、巡査1人、会議1人、医師・技手各1人、その他の随員10余人であり、まず戸数、人口、土地、生産量を質問し、さらに人員および経費が幾らかについて質問した。諸般の事務を調査しようと記録して去っていったことを報告する。この報告について照会を要望する。
照会を要望する。
光武10年4月29日
- 江原道観察使署理春川郡守 李明来
議政府参政大臣 閣下
註
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