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深沢城矢文
 
今度信玄向此表出張当深沢之地取詰儀強非当城競望藩籬之内要害就取巻者定而氏政可後詰行歟然則決雌雄望可興亡爰許在陣□被甲相骨肉之好儀多年隣邦無其隠是先年東八州士卒悉随景虎鞭影既襲来小田原之砌氏康又子籠城時節随分令加勢殊至半途信玄出馬此籌略故歟凶徒即退散翌年長尾馳向上越之鳴溝戦場大雖威雄重而氏政合力廐橋相揺去年被小田原時被鬱懐候加之向武州松山之城甲信之猛勢覃両年陣軍士不亡命粉骨籌策終氏政被本意候并関東被掌握儀恐者不信玄之助者如何然者北条之名代至子子孫孫甲国尽未来不殊意之趣以数通之起請文契約之条云縁嫁誓諾旁以対氏政毛髪不心底頼子敷被存儀甚深候然者今河氏真与信玄骨肉之因不浅処氏真若輩故歟又者如此可滅亡瑞相歟対信玄日絶交忘好剰甲陽旧敵長尾景虎有同心武田弓矢擬及度々然共信玄者枉而堪忍之処動挟虎狼之心胡越之思之間不恕宥図至駿国乱入氏真不一防戦敗北得国悉撃砕累年遣恨被一時候此伝聞氏真行跡不天道仁義文無武只遊興酒宴専不士民悲諸人嘲恣雅意之条何可国家仁候哉全信玄​本マヽ​​役​​ ​侄氏真併背天罰冥盧自有滅亡氏真可相救之結構還而氏康非見候哉然者久野在滞之砌従相州使節条々預示候非黙止属好之間氏政如所望之応諾殊以誓詞相談候然処存之外攀登薩埵山信玄之行寔雖避天道天道無私遁虎口死亡如神慮仁義此謀計是何為士者云本意歟頃此恨者蒼海還而浅須弥山還似低以一戦襟懐去年秋日凌敵国小田原相揺一向不出合之間蓮池迄放火引返馬之刻□源三新太郎方被相送之条乍傍若無人戦場之慣候依無□於三増峠大略討留候得兄弟衆前代未聞見苦敷敗軍為体北条之瑕瑾諸軍之嘲而已定可加勢歟被返備之処​本マヽ​​示​​ ​追懸氏政敗北之間無曲帰馬同冬至蒲原馬之刻四郎左右馬助進勇士自身乗屏乗崩頃刻之間為御同名新三郎方狩野清水其外不一人殺士卒凱歌仍此威風薩多自落并岡部次郎右衛門相踏候氏真屋敷寄陣候処様様烟望付而被召出候即大原肥前楯籠乗懸花沢之城稲麻竹葦取巻得城則暫時之間大肥元来他国之者不頭相助身命追放亦去年沼津在陣之砌氏政山中出張願処幸向幕前再三雖乗法塁深溝相拒干戈閇戸之間不是非豆州江村韮山近辺無残所放火惣別氏政以自身甲兵往年古敵対景虎面束手種々降参遂一和信国乱入之由風説之間何様可珍行察先河中島出馬被待北敵之処越軍更不出之条直発向関東沼田厩橋深谷藤田領民屋以下不一宇焼払陣毎度如此被大捷儀且非武勇甚且非武略威只依天之冥感処也倩案之為駿国関八州自天与信玄之処何氏康怒可障碍之企自滅基​本マヽ​​ ​​ ​

右条条雖淵底御存知之前候疎札申述候仍而甲相矛楯付而相互勢兵不便候間早被案否於一戦尤候其地随一之衆御籠城必就捨者可後詰之備歟従城御催促専一候若無力等候者路次中無恙小田原迄可送届候委曲回札待入候恐々謹言

オープンアクセス NDLJP:376   正月三日                   寄衆

     北条左衛門大輔殿


   明治三十五年一月再校了             近藤圭造

 
 

この著作物は、1901年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。