法句経 (Wikisource)

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一章 対句の詩 編集

1 ものごとは、心が先行し、心が最大の原因であり、心をもとに作りだされる。 もしも、けがれた心によって、話したり、行動するならば、苦しみがついてくる。 荷を運ぶ牛の足跡に車輪が従うように。

2 ものごとは、心が先行し、心が最大の原因であり、心をもとに作りだされる。 もしも、清らかな心によって、話したり、行動するならば、喜びがついてくる。 影が離れないように。

3 「あの者は、私をののしった。私をなぐった。私に打ち勝った。私から奪った。」このように怨みをいだく者、かれらの怨みはしずまらない。

4 「あの者は、私をののしった。私をなぐった。私に打ち勝った。私から奪った。」このような怨みをいだかない者、かれらの怨みはしずまる。

5 まことに、怨みに怨みをもって報いるならば、この世においては、怨みのしずまることがない。しかし、怨まないことによって、怨みはしずまる。これは、いにしえより続く真理である。

6 人々は、〔争いによって〕破滅することを理解していない。この事を理解するならば、争いは無くなってしまう。

7 この世を価値あるものとみて暮らし、〔眼や耳などの〕感覚器官を制御せず、食事の量を知らず、怠けて精進しない者、かれは悪魔に負けてしまう――弱い木が風で倒れるように。

8 この世を価値なきものとみて暮らし、感覚器官を抑えて、食事は量を知り、おこたることなく精進する者、かれは悪魔に負けることはない――岩山は風にもびくともしないように。

二章 ”今に気づいている”こと 編集

21 今の瞬間に気づいていること、これは不死に続く道である。心が今を離れていること、これは死へ続く道である。 今の瞬間に集中している者、かれらは生きている。今に生きていない者、かれらは死人に等しい。

30 インドラ神は〔善なる事柄に〕つとめはげんだので、神々の王者となった。〔善なる事柄に〕つとめはげむことは称賛される。〔善なる事柄において〕怠けることはいかなる場合も非難される。

三章 心 編集

37 心は遠くへさまよい、独りで動き、姿形はなく、胸の洞窟(心臓)に潜んでいる。心を御(ぎょ)する人々は、死の束縛から脱するであろう。

41 この身体は間もなく地に倒れるであろう。用をなさない木片のように投げ捨てられ、意識を失う。

43 母や父 / またはどんな親戚が施す善よりも / 正しい真理に向く心が / われらに最も大きな善を施すなり。

四章 花 編集

50 他者の過ちや為したこと、為すべきを為さなかったことを見るのでなく、自己の為したこと、為すべきを為さなかったことを観よ。

五章 愚か者 編集

60 眠れぬ者にとって夜は長い。歩き疲れた者にとって一里の道は遠い。正しい教えを知らない愚か者にとって輪廻の道は長い。

67 行なった後で苦しむなら、その行為は悪である――涙を流して、泣きながら結果を受けるなら。

68 行なった後で苦しまないなら、その行為は善である――心楽しく、満足して結果を受けるなら。

六章 賢者 編集

78 悪友とつきあうな。卑しい人間とつきあうな。善き友とつきあえ。立派な人物とつきあえ。

84 自分のためであれ、他人のためであれ、子孫も、富も、権力も、不正な手段による繁栄は望まない。かれこそ実に、戒を守る者、智慧ある者、まことの教えを身につけた者である。

八章 千 編集

103 戦場において百万の敵に勝利するよりも、唯一の自己に打ち克つ者こそがまさに最高の勝者である。

九章 悪 編集

122 「果報は来ないだろう」と思って善を軽んずべきではない。水が一滴ずつでも滴り落ちるなら、大きな水がめでも満たされる。〔善を〕心にとめる人が少しずつでも善を積めば、やがて福徳に満たされる。

十章 暴力 編集

129 すべての者は暴力におびえる。すべての者は死を怖れる。自分の身に引き比べて、殺してはならない。〔他人の手を借りて〕殺させてはならない。

130 すべての者は暴力におびえる。すべての者にとって、命はいとおしい。自分に引き寄せて、殺してはならない。〔他人の手を借りて〕殺させてはならない。

133 荒々しい言葉を言うな、言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。

十一章 老い 編集

146 何の笑いがあろう。何の喜びがあろう。この世は燃えているのに。おまえたちは暗闇に覆われているのに、ともしびを求めないようとしない。

147 作りあげられた幻をよく見よ。寄せ集めでつくられた、傷だらけの身体であり、病んで、妄想に満ちている。その中に永遠に留まるものはない。

148 老いてボロボロになった、この体は、病の巣となり、崩れるものとしてここにある。腐りゆく体は、朽ち果てる。生命の行き着くところは死である。

149 秋に捨てられた、これらの瓜は、人の骨である。このようなものを見ては、何の喜びがあろう?

150 骨で城が作られ、肉と血が塗り固めてあり、老いと死と高慢と欺瞞(ぎまん)が収められている。

153 無数の生涯を、ただただ、私は流転してきた――「輪廻の原因」を探しながら。〔輪廻する〕生は、〔終わり無く〕繰り返し、〔ただの〕苦しみにすぎない。

154 輪廻の生存をつくるもとよ、おまえの正体は暴かれた。もう〔新たな〕肉体をつくることはないだろう。おまえの機能は壊され、〔もはや〕作用することはない。心は次の生存を作り出す働きを失った。渇愛が尽きるに至ったのだ。

十二章 自己 編集

160 自己の主は自己しかいない。自己の主として他に何者がいるというのだろう。自己をよく修めたならば、得難き主を得る。

十三章 世の中 編集

173 以前に悪いことをした者でも、善き行いによって、これを覆うならば、かれはこの世を照らす。雲を離れた月のように。

十五章 幸い 編集

204 健康は最大の利得。足るを知るはこの上なき宝。信頼はすばらしい知人。そして"苦しみの消えた境地"は最上の楽しみである。

十八章 心の汚れ 編集

255 虚空に足跡はない。外見が立派なだけなら修行者ではない。〔一時的に、さまざまなものが〕組み合わさってできたものが、永遠に存続することはありえない。(端正な外見もいつか滅びてしまう。)この真理を悟っている人は落ち着いている。

二十章 道 編集

279 「すべてのものごとは、”我ならざるもの[1]”である( 無我)」と智慧によって観る時、人は苦しみから離れ去る。これは清浄へ向かう道である。

二十六章 バラモン 編集

400 怒ることがなく、誠実で、戒律をまもり、落ち着いている者――〔輪廻の原因を滅ぼして〕最後の肉体になり、自らを御(ぎょ)している――そのような人がバラモンであると、私は説く。

401 蓮の葉のしずく〔は汚れた下の水に混じらない〕、錐(きり)の先の芥子粒(けしつぶ)〔はくっつかず、執着しない〕、それらのごとく、様々な欲に汚されない者――そのような人がバラモンであると、私は説く。

402 すでに、この世において、自分の苦しみが滅びたことを、はっきりと知るならば、〔彼は〕生の重荷をおろし、束縛から逃れた者である――そのような人がバラモンであると、私は説く。

脚注 編集

  1. anattam 無我、非我。「アートマンではないもの」。無我(anattam)は伝統的に「”これ”は私のものではない。”これ”は私ではない。”これ”は私の本質ではない。」という三つの文で説明される。
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原文:
 

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翻訳文:
 

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