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私は時々堪らなくいやな狀態に陷つてしまふことがある。おうおうとして樂しまない。心が明るくならない。そママう云つたものに實勘が起らなくなる。ものに身が入らなくなる。考えママの纏まりがつかなくなる。ひとと話をしてゐても、自分の云つてゐることはみな甲(カン)處の外れた齒がゆい空言にしかならない。懷の都合は勿論はつきりした買ひたさもなしに、とんでもないものを買つてしまつたりするのもその時だ。何かなしひとから惡く思はれてゐる樣な氣のするのもそんな時だ。普段喜びを感じながらしてゐたことがみな淺墓なことにしか思へなくなるのもそんな時だ。私はひどくみぢママめになつてしまふ。自分がでに何が苦しいのだと訊きたくなる。たちの惡い夢を背負つてゐる樣だ。夢の樣に唐突な凶が不意に來そママうで脅かされる。身體は自由でありながら、腐れ水の樣な氣だけはどうにもならない。それだけ殘酷な牢獄の樣に思へる。
そんな時、手近なものゝ中でも最も手近な手段で、一時でも氣を紛らさうとする。それの是非は兎も角として、何しろ此場合酒を用ひ(ゐ)てはいけないと思つてゐる。――
其の頃の自分は未だそれを知らなかつた。酒を飮んで段々たちの惡いものにそれをしてしまつた。高等學校二年の時であつた。自分の不愉快な記憶である。――
私は酒から酒へ、救はれないところへ自ら馳せ下つて行つた。ぐるりの事情も絕えず私を追ひ詰めて來た。どうしても私は大きな轉囘をしなければならなくなつてしまつた。その大きな轉囘のため、私は自分を寧ろそのどん詰りへ急がせた。その年の冬、私は學校の方の始末も身體も神經もみな叩き壊して父母の許へ歸つた。――
その歸る一週間ばかり前、私はふとした氣まぐれから京都を發つて阪神の方へ出掛けやママうとした。ふとした氣まぐれと云つて、其〔の〕頃の私はただそうした形式でしか動くことが出來ないのであつた。その小旅行は私にとつて最後のしなければならなかつたことなのだつたから。
惡魔が加擔してゐた樣な放埓三昧のあと家へ歸るんは先づ素面(しらふ)にならねばならなかつた。阪神の南郷山に私の友人が避寒かたがた勉强をしてゐる寓居があつた。私は其處で身の始末を落付ママいて考えやママうと思つてゐた。……(缺)
 

この著作物は、1932年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。