永井君の新契約聖書に餞す(川添萬壽)

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 曾て蘇國の碩學デヴイッドソン教授が英語聖書改譯に就て論じた文章の中に「チンダルの譯は千五百二十五年に出來たものであるが、今日の我らは現行英語聖書に於て尚チンダルの言葉を讀んで居る。現行新約書(英語改譯)の大部分は改譯にも拘はらず、殆んどチンダル其のままの言葉である。短い書柬の或るものは十分の九迄、ヘブル書の如き稍や長いもののでも其の十分の六迄はチンダルの言葉が改められずに殘つて居る」と書いてあるのを讀んだことがある。チンダルはギリシヤ語の原語から新約書を英語に飜譯した最初の人であつた。彼は其の 飜譯の爲に異端の罪に問はれて、終に焚殺の刑に處せられたのである。近代に於けるギリシヤ語新約聖書飜譯の歷史は其の第一頁に此の貴い殉教者の血がにじんでをる。然かも其の血は空しく流れはしなかつた。今日の英語聖書の大半が四百年前の此の殉教者の譯語を其のまま踏襲してをるといふ事實は、一個の學究が心血を注いだ献身的努力の如何に偉大なものであるか、又其の事業の價値が如何に不朽なものであるかを最も雄辨に語つてをる。私は今斯んな事を考へつつ、我が永井直治君十有餘年努力の結晶たる「新契約聖書」の原稿に對ひて肅襟を正してをる。そして聖書飜譯の事業の無限の尊さを思うてをる。
 聖書の飜譯に於て其の原典を選ぶことの必要は言ふ迄もないが、大字本小字本取り交ぜ千五百有餘種の新約原典の寫本を比較して共の印本若しくは定本を作つてくれた先人の苦心と勞力とは何んなであつたか。少くとも古今の原典家十幾人の名は此の事業の恩人として永久に記憶せらるべきであらう。エラスマスや、ステファヌスや、ベザや、エルゼヴィルや、ミルや、ベントレーや、ベンゲルや、ウェットスタインや、グリイスバハや、ラハマンや、チシェンドルフや、ツレゲレスや、スクリプナーや、ウェストコットや、ホルトや、ネストレや、フォッンゾーデンやは、新約原典印本の讀者に對して何時迄も輝く大なる名であらねばならぬ。中にもチシェンドルフの如きは、殆んど生涯の大部分を原典寫本の調査に費したといつてもよい。廣く東西兩洋の各地を旅行し、各地の國書館を歷訪して多くの寫本を研究した。そして今日「シナイ本」として珍重せられる貴い寫本をまで發見し、三十幾年かの間に二十四種の印本を出版した。ツレゲレスも亦前者に劣らない熱心家であつて、三十年間を古代寓本の詮索に沒頭し、各地を旅行して數多の寫本を蒐集した。そして此等を對照し、校合して貴い印本を作つた。彼は其の健康が之に堪へ得ぎるに至るまで其の努力を止めなかつた。其他の人々も亦最も完全な新約書の正文を見出さうとして、何んなに骨を折つたか分らないであらう。今日の學者が非常に新約研究の便宜を得てゐるのは、これ皆斯る先人の御蔭であるといはねばならぬ。
 我が永井君が新約聖書の飜譯に志したのは廿幾年の昔であつたが、君は先づ共の原語の研究に沒頭し、同時に原典印本の古きものの蒐集に從事した。君が海外の古書店から買ひ集めた諸種の印本は、何れも古版のものばかりで、單に之を珍本として見るも好書家をして垂涎萬丈ならしむるものばからである。君はステファヌスの第三版を底本として最近に至る迄の諸印本を對比照合して歴史的に其變化の跡を尋ね、其處にテキストの本流を見出して其の飜譯を進めて行かうと試みたのである。これは實に一通りの努力ではなかつたであらう。君の表現法を借りていへば、君は其の努力の二十餘年間「沈んで」ゐたのである。我等が諸種の會合の席に君の姿を見なかつたことは二十幾年の長きにわたり、最も親しく君の平生を知る二三子の外は、殆んど君の存在を忘れんとする程迄になつて居た。其の間こそ實に君の「沈み」の時であつて、君は其の長き期間殆んど全く世交を離れて淺草教會牧師館の一室に閉籠り、人知れず内外の困筈と惡戰苦鬪しつつ、日夜尊貴なる其の事業に向つて心血を注いで居たのである。斯の如くにして出で來つた本書の如きは實に血と涙との結晶であるといつても不可はあるまい。
 由來飜譯は至難の業である。教授モファトは其の「歴史的新約聖書」の序文に於て、飜譯といふものは仲裁をすると同じく何時でもデリレートな又有り難くない仕事である、飜譯者は誰の氣にも入らぬもので、自分の氣にすら入らないものであるといつたやうな事を述べてをるが、これは確に其の道で苦勞を嘗めた人の述懐である。永井君の飜譯は、其原典に對する態度に於て、飜譯の方針に於て、譯語の洗練統一に於て、同義語の區別に於て、一方ならぬ苦心の跡が見えてをる。其の一々に就て詳細に研究して見たら必ずしも君と一致し難い點を見出すことがあるかも知れない。然しそれは何人の飜譯に於ても免れない所であつて、萬人皆異存なしといふ飜譯は殆んど不可能の事と謂つてもよからう。ただ私は永井君の飜譯に於て先づ其の態度の眞劒と、研究の精到とに敬服し、其譯語に於ても亦瞥見した所で原意を表現するに適切なものや、暗示に富むものや、斬新なものや、平明なものやが可成り多い、又文章にも一種の妙味を帶びてをる所があり、同學後進を啓發し、裨益する所尠少でないことを見出す。君は自ら謙遜して、「聖書研究の多少の參考となることを得ますれば」などといつてをるが、「多少」どころではない、日本の聖書研究生は君の新らしい飜譯によつて「多大」の光を受けるに違ひない。又多くの基督者は其の信を深め、徳を進むる上に本書から受くる利益の大なるに驚くであらう。
 飜譯は辭書や註解書のやうに、多くあればある程讀者には便利である。一長一短を免れない幾つかの飜譯を參照して行く間に、自づから原意が明になつて來る。西洋でも新約書の飜譯は昔から澤山世に出たが、ウィクリッフに至る迄は大抵皆ヂェロームのラテン譯を底本としたもので、チンダルがルーテルの刺激を受けてエラスマスのギリシヤ語印本から英譯を試みたのを始めとして、いろいろの人がいろいろの飜譯や改譯を試み、英王エリザベスの時代には所謂「監督の聖書」と稱せられる大監督バーカーの新譯が出來たが、後四十年を經てヂェムス王の時に宥名な欽定譯が出來、更に二百餘年を經て千八百八十一年の英語改譯が出來たのであるが、其の前後に於て個人の私譯を試みたものは隨分多かつた。
 監督エリコットは「ワイネルの新約聖書語の文典こそ聖書改譯の源泉にてあるなれ」と云うてゐるが、實際新約ギリシヤ語の知識が進歩すると同時に、聖書改譯の氣運が盆々高まつて來たのである、所謂欽定譯聖書の莊重典雅な文章が動何に英文の精華であるにしても、新約正文の批評や新約時代俗語の研究が進歩するにつれて、改譯は更に他の改譯を産むといとふ結果になるのは自然の數といふべきであらう。さればこそ西洋各國に於ても新しい飜譯が相次いで現はれてをる。近代英語聖書や、廿世紀新約聖喜や、近代米國聖雷や、近代語新約聖書(ウェマウス)や、近代英語の聖書(フェレトン)や、改譯新約聖書(ウォーレル)や、訂正英語新約聖書や、モファットの新約聖書や、グットスピードの新譯やなど指を屈するに遑なき程であり、ドイツにもヴァイツゼッケルや、シュターゲの私譯や、「エルペアフェルド聖書」などがあり、フランスにもダヴィマルタン譯の外に、サゴンや、フィリオンや、クラムポンやの新譯があつて、各其の長所を以て互に相補うてをるやうに思はれる。
 日本に於てもグストラッフやベトロハイムの昔はさておき、明治十三年に出版せられて、同廿五年に些少の改訂を加へた從來の新約全書と、現今專ら行はれてをる改譯新約聖書との外に、千九百一年に正教會で出版せられた「我主イイスス・ハリストスの新約」があり、バプテスト教會の出版に係るネーサンブラオン博士譯の「新約全書」があり、明治四十三年鹿兒島の公教會から出版したラゲ師の「我主イエズス・キリストの新約聖書」など行はりをる。(其他一部分の私譯もあるが茲に記さず)。今又永井君の新譯が現はれることによつて一層新しい飜譯が更に一つ加へられた譯で、私は中心から永井君の事業の一段落を祝し、君が非常な決心を以て自費出版を敢てした此の貴き聖書が大なる神の祝福を受け、内外聖書研究家の間に大に歡迎せられんことを祈つて止まない。
 終に私の如き何等の權威なき者に、蕪辭を卷首に掲ぐることを許して下さつた其の特權に對して厚く感謝する。
  昭和三年(千九百二十八年)三月中旬
                  青南書屋にて
                     川添萬壽得