正教要理問答/主の祈祷

しゅの祈祷

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天にいます我等の父や ねがはくなんぢせいとせられ なんぢの国はきたり なんぢむねは天におこなはるる如く地にもおこなはれん 我が日用にちようかてを今日我等にあたへ給へ 我等におひめある者を我等ゆるすが如く我等のおひめゆるし給へ 我等をいざなひみちびかず なほ我等をきょうあくより救ひ給へ けだしくに権能ちから光栄さかえなんぢ世々よよすアミン

問 これは何の祈祷と名づけらるるや

答 しゅの祈祷と名づけらる

問 何故にしゅの祈祷と名づけらるるや

答 我等のしゅイイスス ハリストスその使徒に教へ示され使徒よりまた我等につたへられたる祈祷なればなり

問 此祈祷との祈祷とは如何なるべつあるや

答 此祈祷はの祈祷のほんにしてもっと大切たいせつなる祈祷なり故に聖堂せいだうこうたうには幾度いくたびふくさるるなり

問 しゅの祈祷は幾何いくつわかたるるや

答 せつわかたる即ちよびことばと七つの願求ねがひ讃美さんびとなり

問 最初さいしょよびことばは何ととなへらるるや

答 『天にいます我等の父や』

問 『天にいます』とは如何なるこころなりや

答 神は天にのみいますにあらず何処いづこにもいますなりしかし天は神の光栄さかえもっとあらはるる処なるが故にく教へられたり又このことばを以て我等は能力ちからき此世の父に願ひ求むるにあらずして大なる能力ちからたもち給ふ天の父に願ひ求むるのこころを示すなり故に我等は此祈祷をす時にあたり此世のことのおもひわづらひをててその智識ちえ心情こころもっぱら神に向くること肝要なり

問 我等がひとりにて祈る時は我等われらの父と云はずしてわれの父と云ふもさまたげなきや

答 假令たとひひとりにて祈る時といへども矢張やは我等われらの父ととなふべきなり如何いかんとなれば神は萬民ばんみんの父にして我等は皆兄弟なり故に己の為に願ひ求むる処のことはまたにんの為にも願ひ求めざるべからず

問 何故に神を『父』と名づくるや

答 我等が神にけるの関係かかわりしもべ主人しゅじんける関係かかわりの如くただ恐怖おそれ戦慄をののきてつかふるにあらずして子供がそのなつかしき親父おやけるが如くその心に願ふ所は何事もうちけて少しもへだてなくいたりしたしき関係かかわりあひだがらなることを示すなり

問 次に第一の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『なんぢせいとせられ』

問 このことばを以て我等は神に如何なることを願ひ求むるや

答 我等が言語ことば善行おこなひ生涯しゃうがいとを以て神の光栄さかえあらはすことを助け給ふを願ひ求むるなり

問 第二の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『なんぢの国はきたり』

問 このことばを以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答 神は我等をはいし又我等が天国てんごくるのみちびきを為し給ふことを願ひ求むるなり

問 神の国とは如何なる処なりや

答 神の国とは我等信者しんじゃの間に怨恨うらみ分争あらそひもなく互に相愛していたり平和おだやかなる境遇ありさまを指して云ふなり

問 第三の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『なんぢむねは天におこなはるる如く地にもおこなはれん』

問 このことばを以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答 我等は己の願ひ求むることの神のむねかなふやかなはざるやを知らざれば一切いっさいを天におい萬物ばんもつ摂理しはいする神のむねまかすべきを云ふなりた一つには天において神の使つかいが神のむねおこなふが如く其様そのやうに我等もまた神のむねおこなひ得ることを願ひ求むるなり

問 第四の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『我が日用にちようかてを今日我等にあたへ給へ』

問 このことばを以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答 このことばを以て我等はからだたましひの為に必要いりようなるものを願ひ求むるなり

問 およからだたましひの為には如何なるものが必要いりようなるや

答 からだの為にはしょくぢうなりたましひの為にはしゅ聖体せいたいイオアン六の五十五)とそのみつ及び神のことばなり

問 何故にそのだけかてを求むることを教へられしや

答 我等は将来のちのちのことを過度あまりおもわづらふことなく神は我等が己をおもんばかるよりもなほ一層ひときは我等をおもんばかることを信じて将来のちのちのことはだ神のむねまかすべきを教ふるなり(マトフェイ六の二十五)

問 第五の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『我等におひめある者を我等ゆるすが如く我等のおひめゆるし給へ』

問 このことばを以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答 我等が己に対しておこなひしにんの罪をゆるすが如く神もまた我等の罪をゆるし給ふことを願ひ求むるなり

問 何故に罪をおひめと名づくるや

答 我等は神のむねを守りおこなふべきものなるに之をおこなはざるはれ即ち神におひめを受けしと同じなればなり

問 し我等がにんの罪をゆるさざれば神もまた我等の罪をゆるし給はざるや

答 しかり神も我等の罪をゆるし給はずれば我等が神に己の罪をゆるしを願ふときはその心のうちに他人をうらむことなくすべての人とやはらぎて祈るべきなり(マトフェイ五の二十三至二十四六の十四至十五)

問 第六の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『我等をいざなひみちびかず』

問 このことばを以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答 我等を罪にいざなもろもろあひより我等をのがしてかたく善に立たしむることを願ひ求むるなり

問 第七の願求ねがひは如何に唱へらるるや

答 『なほ我等をきょうあくより救ひたまへ』

問 このことばを以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答 我等を此世のかう災難さいなんことあくあしきたくらみよりのがさしむることを願ひ求むるなり(彼前ペトルぜんしょ五の八)

問 終りのさんは如何に唱へらるるや

答 『けだし国と権能ちから光栄さかえなんぢに世々に帰す』

問 国と権能ちから光栄さかえとは如何なるこころなりや

答 国とは神のはいせらるるすべてのかいを云ひ権能ちからとは其世界を支配する神の権能ちからを云ひ光栄さかえとは其世界にあらはるる神の光栄さかえを云ふなり

問 何故に此祈祷の終りにさんことばを加へらるるや

答 我等が神に祈祷する時はその願求ねがひと共に必ず神をさんすべきことを示すなり