櫻島爆發紀念碑
表面
編集櫻島爆發紀念碑
裏面
編集大正三年一月十二日櫻島大ニ爆發ス之ヨリ先我邦ノ火山相次デ活動シ霧島數々噴火セリ識者謂フ櫻島亦警ムベシ
ト十一日暁以來地震アリ時ヲ経テ頻々且激ヲ加ヘ又烟氣山腹ヨリ騰ルヲ見ル衆相危フム翌朝島内處々温泉沸キ冷泉
迸ル島民疑懼逡巡老幼マヅ避難ス午前十時ニ至リ前後ノ山腹相次デ大ニ爆發シ忽チニシテ黒烟天ニ漲リ飛石光芒
ヲ曳イテ四散シ爆音地動閃電雷鳴耳ヲ聾シ目ヲ眩セシム市民先ヲ争フテ逃避ス午後六時俄ニ激震アリ家屋ヲ毀シ
石壁ヲ倒シ断崖ヲ崩シ為メニ壓死セルアリ倉皇海ニ投シテ溺死セルアリ天神ケ瀬戸ノ崩壊ノ如キ一時二十名ヲ斃
シ其數六十二名ニ及ベリ翌十三日夜又大爆發ト共ニ一大火柱天半ニ沖シ空ヲ焼キ波ヲ照ラシ赤熱ノ熔岩噴騰シテ
附近ノ部落灰燼ニ歸シ全山焦土凄絶殆ンド名状ス可ラズ災異以來人心恟々流言百出毒瓦斯ノ害ヲ傳ヘ津波ヲ叫ビ
狼狽狂奔纔ニ身ヲ以テ逃レ難ヲ近郡田郊ノ間ニ避ケ却テ自ラ禍ヲ大ニセルアリ光景惨ヲ極ム是ニ於テ縣市當局部
署ヲ定メ有志ト共ニ救済ニ力メ湾内汽船ヲシテ難ニ赴カシメ以テ多ク事ナキヲ得此間歩兵第四十五聯隊ハ士卒ヲ
配シテ市中ヲ警メ佐世保鎮守府艦隊亦來港シ以テ變ニ備フ十六日大森理學博士臨檢シテ市ニ危険ナキヲ説キ知事
亦告諭スルアリ市ハ特ニ吏員ヲ各地ニ派シ避難者ヲ慰撫セリ旬日ニシテ爆勢漸ク衰ヘ人心稍安シ而モ餘怒容易ニ
収マラズ灰砂濛々屋ヲ埋メ田ヲ沒シ大隅ノ中部不毛ノ地トナル者方十數里ニ及ビ熔岩東ハ有脇瀬戸西ハ横山赤水
小池赤生原ノ諸村落ヲ埋メ餘勢海ニ入リ一ハ瀬戸ノ海峡ヲ塞キ一ハ烏島ヲ没シ遠ク海中ニ突入ス且海水ノ激増ハ
沿岸ノ田園ヲ海トナシ夏秋ノ候更ニ土地ノ沈降ヲ促セリ眞ニ桑滄ノ變モ啻ナラズト云フベシ皇上乃チ日根野侍從
ヲ遣ハサレ又罹災御救恤金壹萬五千圓ヲ賜ハル聖恩浩大須ラク銘記スベキ也爾來二周年星噴烟漸ク鎮マリ山容依
然民皆堵ニ安ンズ今ニシテ當時ヲ想ヘバ恍トシテ夢ノ如シ之ヲ安永天明ノ噴火ニ比スルニ現象大差ナキニ似タリ
サレバ専門ノ学者豫メ櫻島ノ状態ヲ講究シ有識ノ父老奮記ニ微シテ變兆ニ鑑ミナバ今次ノ災異恐ラクハ豫知セラ
レ禍害亦幾分ノ輕減ヲ見シナラン既往ハ追フ可ラズ來者以テ戒ムニ足ル蓋百年ノ後又此ノ如キ爆破ナキヲ保セズ
爲メニ概況ヲ記シテ不朽ニ傅フ 庶幾クハ今回羅災ノ不幸ヲ弔シ併テ後世永ク追憶シ以テ未來ノ惨禍ヲ軽減スル
ノ資タラシメンコトヲ
大正五年十二月 鹿児島市役所
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