格言121~150
121.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
二つの行為はなんと異なることか。喜びは過ぎ去るが悪い結果が残ったままの行為と、困難は過ぎ去るが報酬の残る行為。
122.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が葬式に同行していたときに誰かが笑うのを聞いて言った。
死は他の人にだけ定められたのか? 正道は他の人だけに与えられた義務なのか? わたしたちが見ている死の旅に出た人々はわたしたちの許へ戻ってくるのか? わたしたちは彼らを墓場に寝かせた後、彼らの土地(屋敷)を享受する。(彼らの後、永遠に生きるかのように)男も女もあらゆる説教者を無視し、あらゆる災難に身をさらした。
123.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
祝福されるのは、謙虚な者、生計の手段が清い者、心が清廉な者、性質が高潔な者、(アッラーの御名において)自分の蓄えを費やす者、無意味なことを口にしない者、人々を悪から守る者、預言者のスンナに満足する者、(宗教に反する)創意発案から離れている者。
サイード・アル=ラディの言葉
これとその前の伝承は神の使徒(彼とその子孫の上に祝福あれ)に帰するとも言われている。
124.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
女の(妻同士の)嫉妬は異端行為である。男の嫉妬は信仰の一部である。
125.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
わたし以前に誰も説明しなかったようにイスラームを説明する。イスラームとは服従である。 服従は信念である。信念は確信である。確信は承認である。承認は義務を果たすことである。義務を果たすことは行為である。
126.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
わたしは欲ばりを不思議に思う。欲ばりは、逃げたいと思っている、その貧困へ急いで向かっている。そして欲しいと願っている、その人生の安らぎを見失っている。その結果、現世での一生を貧困者のように通り過ぎるか、富者のように来世で精算しなければならない。
この前には精子の一滴であり、明日は屍となる人の高慢を不思議に思う。アッラーの被造物を見ているのにアッラーを疑う人のことを不思議に思う。人々が死んでいくのを見ているのに死を忘れている人のことを不思議に思う。最初の生命(現世)を見ているのに二番目の生命(来世)を否定する人のことを不思議に思う。このつかの間の(通過するだけの)住処に居るのに永遠の住処を無視する人のことを不思議に思う。
127.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
行為に不足がある者は悲嘆にくれる。アッラーの御名において自分の富から何も差し出さない者は、アッラーとは何の関係もないのである。
128.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
季節のはじまりに引く風邪から身を守りなさい。季節の終わりのそれは歓迎しなさい。というのも植物と同様に季節は体に影響するので。季節のはじまりは植物を破壊するが、その終わりには新鮮な葉となる。〈注1〉
注1:秋には風邪を引かないように注意が必要である。気候の変化で体温が変化し、流感、鼻風邪、咳などを引き起こしやすい。体が暑い気候に慣れていると、突然、風邪が組織に感染して体内の寒さと乾燥が強まるからだ。熱い湯船につかった後ですぐに冷水を浴びるのが体に害となるのはこのためである。湯で体の組織が拡張して冷水の影響をうけて体温に影響を及ぼす。ところが、春の季節は風邪から体を守る必要はなく、健康の害にはならない。すでに体は寒さに慣れているからである。拠って、春の寒さは体に不快ではなく、寒さが減ると、体温と水分が上昇して刺激が増すので、体熱は上昇し、体温は心地よく、精神も明るくなる。植物の世界も同様だ。秋の間は寒さと乾燥で葉は枯れてしまい、植物を成長させる力は衰え、新鮮さが失われ、緑に死に似た影響がみられる。春は植物界に生命をもたらし、健康的な風が吹いて発芽し、植物は新鮮かつ健康で、新緑茂る森となる。
129.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
創造主の偉大さをあなたが感謝しても、あなたの視野は被造物を小さく見せてしまう。
130.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―がスィッフィーンの戦いから戻り、クーファ郊外の墓場に気がついて言った。
おお、孤独感を与え、人気がなく、薄暗い、墓場の家の住人よ。おお、砂埃の人々よ。おお、見慣れないこと(未知のこと)の犠牲者よ。おお、孤独の人々よ。おお、惨めな人々よ! あなたがたは我々より先に行った。我々はあなたがたの後を従っている。やがてあなたがたに会う。あなたがたが後に残した家には、他人が住んでいる。あなたがたが残した妻は他の人と結婚した。財産は(相続人の間で)分配された。これは我々の周囲の人々に関する知らせである。あなたがたの周囲に関する知らせは何であろうか?
そしてアミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―は教友たちの方を向いて言った。 用心しなさい。もしも彼らに口がきけたなら、彼らはあなたがたに告げるだろう。「最も優れた準備は、篤信の念である(聖クルアーン2章197節)」
現世を誤って非難する人々に関して
131.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―は、ある男が現世を罵っているのを聞いて言った。
おお、現世を罵る者よ。おお、それの虚偽に騙され、不当な扱いに欺かれてきた者よ。現世を切望した後で非難するのか? あなたが現世を非難するのか、それとも現世があなたを非難すべきか? いつそれがあなたを驚かせたり騙したりしたのか? 先祖の衰退か、母親が大地で眠る場所か。あなたは彼らが病の時にどれほど看病し、世話をしたことだろう。回復を願うのに、与えた薬は効かない。いくら嘆いて泣いても駄目。朝、医者に相談したのであるが。彼らのために悲しんでも役に立たず、目的は達成されなかった。あらゆる力を尽くしても、あなたが彼らに死を近づかせないようにすることは無理だった。実際には、現世は死んでいく人を通してあなたに錯覚させたのである。そして、あなたがどうやって落ちていくかを、死にゆく者を例にして示しているのだ。
誠に、この世はそれを正しく認識する者にとっての真実の家、理解する者にとっての安全な場所である。(来世のために)そこで準備をする者にとっての家であり財産である。そこから教えを引き出す者にとっての知識の家である。アッラーを愛する者にとっての礼拝の場である。アッラーの天使のための祈りの場である。アッラーの啓示が下った場所である。そして、アッラーに捧げる者にとっての市場取引の場である。ここで彼らは慈悲を稼いだ。ここで彼らは天国をその利益で獲得したのである。
従って、それ(現世)が出発を告げ、離れると叫んでいるのに、誰がそれを非難できようか! 現世は己の破滅とその中にいる人々の死を知らせた。その中での困難を例にして示した。それの享楽で(来世の)享楽を切望させた。それは説得、諫止、警告、戒めによって夜に安楽をもたらし、朝に悲しみを運んだ。人々は悔悟の朝にそれを非難したが、審判の日に称賛する人々もいる。この世は彼らに来世を思い出させた。そして彼らはそれを肝に銘じた。それは彼らに(来世のことを)語った。そして彼らはそれを認めた。それは彼らに説き、彼らはそれから教訓を得た。
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132.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
毎日、こう叫ぶアッラーの天使がいる。「死のために子を生め。破滅のために富を貯めよ。荒廃のために高く建造せよ」
133.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
現世は通過の場であって留まる場所ではない。ここには二種類の人々がいる。(欲望のために)自分を売り、自身を破滅させた人。もうひとつは(自制して)自分を稼いで解放した人。
134.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
仲間を三つの状態にあるときに守ってくれなければ友ではない。不幸な出来事(災難)にあるとき。不在のとき。死に面したとき。
135.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
四つのことを授かった者は四つのことを拒否しない。礼拝することを許された者は、その応答を奪われない。悔悟することを許された者は、その受け入れを奪われない。赦しを求めることを許された者は、赦しを奪われない。感謝することを許された者は、さらなる恩恵を奪われない。
136.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
アッラーを畏怖する礼拝はアッラーに近づくための手段である。弱い者にとってハッジ(メッカ巡礼)は(アッラーの道のために戦う)ジハードと同じほど良い。すべてのことには税が掛かる。身体の税は断食である。女性のジハードは夫にとり心地よい連れとなることである。
137.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
喜捨を与えることによって生活の糧を求めなさい。
138.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
良い報酬を確信する者は、与えることに寛大である。
139.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
援助は必要に応じて許される。
140.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
節度がある人は貧窮しない。
141.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
小家族は安心(を確保するため)の方法のひとつである。
142.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
互いを愛することは知恵の半分に値する。
143.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
悲嘆は老年の半分に値する。
144.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
忍耐の現れは苦痛(苦悩)による。苦痛のときに手で腿を叩く者は、自分のすべての善行を無駄にする。
145.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
多くの者にとって断食は空腹と喉の渇きでしかない。また、多くの者にとって礼拝はただ眠らないでいる苦痛でしかない。知性ある人(神を知る者)の眠りと飲食は、それよりはるかに良い。
146.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
喜捨で自分の信仰を守りなさい。アッラーの取り分を差し出すことで自分の富を守りなさい。災難の波を礼拝で防ぎなさい。
クマイル・イブン・ズィヤード・アン・ナファッイ〈注1〉との会話
三種類の人々
147.クマイル・イブン・ズィヤード・アン・ナファッイが語った。
アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が、私の手をつかんで墓場に連れて行った。墓場を通過して町を出ると、彼は深いため息をついてこう言った。
おお、クマイルよ! 心は容器である。最も良いものは中身を保存できるもの。だから、わたしが言うことを保存しておきなさい。
人には三種類ある。一つは学者と聖職者である。次は知識の探求者で、この者もまた救出の道に向かう。三つ目は、呼びかける者なら誰の後でも追いかけ、あらゆる方角の風に屈する、品のない堕落した者。彼らは知識の光輝に灯りを求めず、信頼できる支えに保護を求めない。
おお、クマイルよ、知識は富よりも良い。富はあなたが守ってやらねばならないが、知識はあなたを守ってくれる。富は使うと減ってしまうが、知識は使うと倍増する。富は腐敗してしまい、最後には消滅するものだ。
おお、クマイルよ、知識は行為の伴った信心なのである。それによって人は一生の間に服することを身につけ、死後に良い名を残す。富は支配されるものだが、知識は支配するものである。
おお、クマイルよ、富を蓄える者はたとえ生きていても死んでいるのだ。だが、知識が具わった者は、この世が存続するかぎり、依然として生きているのである。肉体が消えても、彼らの姿は心の中に在る。見なさい。ここにはたくさんの知識がある。(アミール・アル=ムウミニーンは彼の胸を指した)それを担げる人を見つけることができたらよかったのだが。そう、わたしは見つけた。しかし、信頼できる人ではなかった。現世の利益のために教えを利用した。その人に与えられたアッラーの恩恵を利用して民衆に横暴だった。そしてアッラーの証拠を使って信者にいばり散らした。そうでなければ、真理に耳を傾ける人々に従順ではあるが、心に知性のない人であった。疑惑が浮かぶとすぐに心に疑いを抱いた。
だから、この人もあの人も十分ではなかった。享楽を切望するか、簡単に情熱に負けるか、富の蓄積を熱望するのだ。どちらもいかなることでも信仰の教えを考慮しなかった。これに最も近い例は野に放たれた牛だ。このようにして知識を身につけた者が死ぬと、知識も死んでいく。
おお、我がアッラーよ! そのとおり。けれども、この地上で、アッラーの証拠を公然と、評判となるように維持する人々や、アッラーの証拠が議論で倒されないよう隠れて心配する人々がいなくなることはない。その人たちはどこにどれくらいいるのだろうか? アッラーにかけて。人数は少ないが、アッラーの御前において評価は偉大である。アッラーはその人たちを通じてかれの証拠を御守りになる。その人たちが自分に似た人々にそれを委ねるまで。その人々の心に種が蒔かれるまで。
知識は彼らを真の理解に導く。そして彼らは確信という精神の仲間になるのである。無頓着な人間が困難とおもうことを、彼らはゆっくり慎重に受けとめる。無知な者が奇妙とおもうことを慕う。彼らの身体は現世に生きているが、精神はずっと高いところにある。彼らはアッラーの地上の代理人であり、アッラーの教えに向かうよう呼びかける人々である。ああ、どれほどわたしは彼らと会いたいことか!
では行きなさい。おお、クマイルよ! あなたの望む所のどこへでも。
注1: クマイル・イブン・ズィヤード・アン・ナファッイは、アミール・アル=ムウミニーンの主な教友のひとりで、イマーム性の神秘を知る教友であった。学識においては偉大な地位にあり、禁欲と信心深さにおいては重要な位置にいた人である。アミール・アル=ムウミニーンがカリフだった時代に、ヒット知事を務めたこともある。ヒジュラ暦83年、90歳のとき、アル=ハッジャージ・イブン・ユースフ・アス・サワフィーに殺された。クーファ郊外に埋葬された。
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148.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
人は舌の中に隠れている。
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149.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
自身の価値を知らぬ者は破滅する。
150.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。
行為をしないで来世に望みを抱き、欲望を引延ばして悔悟を遅らせる者のようであってはならない。そのような者は物を言うときはこの世の苦行者のようなのだが、それ(現世)を熱望する人々のように行動する。そこ(現世)で何かを与えられると満足しない。拒否されると不満である。得るものに感謝せず、何でも自分に残るものが増えるよう熱望する。他者にはやめさせるが自分にはそうしない。自分ではやらないのに他者には勧める。高徳者を愛するのに自分は彼らのように行為しない。堕落した者を嫌悪するのに彼はその一人である。自分の罪が多すぎて死を嫌うが、執着するので死を恐れる。
病気になると恥じる。健康のときには安心して享楽に耽る。病が回復すると自身のことを虚しく感じる。苦しむときは希望を失う。困窮すると当惑した人のように礼拝する。人生が楽になると虚偽に騙されて顔を背ける。心は架空のもの(想像上のもの)によって圧倒されるが、確信によって心を制御できない。他者には小さな罪を心配するが、自身には自分の行為以上の報酬を期待する。裕福になると自意識過剰となり不道徳に陥るが、貧しくなると失望して弱くなる。善行するときはそっけないのだが、施しを請うときはやりすぎる。感情に圧倒されると罪を犯すのが早いが悔悟を遅らせる。困難が降りかかると、(イスラームの)共同体の戒律を超えてしまう。教訓的な出来事を口にするのだが、自分では教えを得ようとしない。長々と説教をするのだが、自分はどんな説教も受け入れない。語ることにおいては(背が)高いが、行為においては低い。消滅してしまうものを熱望し、永久に続くことを無視する。利益を損失と考え、損失を利益とみなす。死を恐れるのに、それを予期することは何もしない。
他人の罪は大罪とみなすが、自分に対しては同じ罪を小さな罪と考える。アッラーへの服従に自分が何かをしたときはたいしたこととみなすが、他人が同じことをしてもたいしたことはないと思う。従って、他者を非難するが、自分のことは褒める。貧者とアッラーを思い出すことよりも、富者の友との娯楽を大切にする。自分の利のためには他者を判断するが、他者の利のために自身に対してそうすることはしない。他者を導くことはするが、自分を誤り導く。他人に服従させるのに、自分はアッラーに不服従である。自分の権利を満たそうとするが、他者の権利を満たすことはしない。主(アッラー)以外のもののために人々を恐れるが、人々との関係においては主を畏れない。