枕草紙 (國文大觀)

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枕草紙

春は曙、やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏はよる、月のころはさらなり、闇もなほ螢飛びちがひたる、雨などの降るさへをかし。秋は夕暮、夕日はなやかにさして、山ぎはいと近くなりたるに、鳥のねどころへゆくとて三つ四つ二つなど飛びゆくさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるがいとちひさく見ゆるいとをかし。日入りはてゝ風のおと蟲のねなどいとあはれなり。冬は雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜などのいと白く、又さらでもいと寒き、火などいそぎおこして炭もてわたるもいとつきづきし。ひるになりてぬるくゆるびもてゆけば、すびつ火桶の火も白き灰がちになりぬるはわろし。

ころは、正月、三月、四五月、八九月、十月、十二月、すべてをりにつけつゝひとゝせながらをかし。正月一日はまいてそらのけしきうらうらとめづらしくかすみこめたるに、世にある〈りイ〉とある人は、すがたかたち心ことにつくろひ、君をも我が身をも祝ひなどしたるさま殊にをかし。七日は雪まの若菜靑やかに摘み出でつゝ、例はさしもさる物めぢかゝらぬ所にもてさわぎ、白馬見むとて里人は車淸げにしたてゝ見にゆく。中の御門のとじきみひきいるゝ程かしらども一ところにまろびあひて、さしぐしも落ち、用意せねば折れなどして笑ふも又をかし。左衞門の陣などに殿上人あまた立ちなどして、舍人の馬どもをとりて驚かして笑ふを、はつかに見入れたれば、たてしとみなどの見ゆるに、とのもりづかさ、女官などの行きちがひたるこそをかしけれ。いかばかりなる人、九重をかく立ちならすらむなど思ひやらるゝうちにも見るはいとせばきほどにて、舍人がかほのきぬもあらはれ、白きものゝゆきつかぬ所はまことに黑き庭に雪のむら消えたる心ちしていと見ぐるし。馬のあがり騷ぎたるもおそろしく覺ゆれば、引きいられてよくも見やられず。

八日、人々よろこび〈四字いはひイ〉してはしりさわぎ、車のおともつねよりは殊に聞えてをかし。

十五日はもちかゆのせくまゐる。かゆの木ひきかくしていへのこだち、女房などのうかゞふを、うたれじとよういして、つねにうしろを心づかひしたるけしきもをかしきに、いかにしてけるにかあらむ、打ちあてたるはいみじうけうありとうちわらひたるもいとはえばえし。ねたしと思ひたる、ことわりなり。去年よりあたらしうかよふむこの君などのうちへ參るほどを、こゝろもとなくところにつけて我はとおもひたる女房ののぞき、おくのかたにたゝずまふを、まへに居たる人はこゝろえてわらふを「あなかまあなかま」とまねきかくれど、君見知らずがほにておほどかにて居給へり。「こゝなる物とり侍らむ」などいひ寄り、はしりうちて逃ぐればあるかぎり笑ふ。男君もにくからず、あいぎやうづきてゑみたる。ことにおどろかず、顏すこしあかみて居たるもをかし。又かたみに打ちて男などをさへぞうつめる。いかなる心にかあらむ、なきはらだち、打ちつる人をのろひ、まがまがしくいふもをかし。うちわたりなどやんごとなきも今日はみな亂れてかしこまりなし。除目のほどなどうちわたりはいとをかし。雪降りこほりなどしたるに申しぶみもてありく。四位五位わかやかにこゝちよげなるはいとたのもしげなり。老ひてかしら白きなどが人にとかくあんないいひ、女房のつぼねによりておのが身のかしこき由など心をやりて說き聞かするを、若き人々はまねをし笑へどいかでか知らむ。「よきにそうし給へ、けいし給へ」などいひても、得たるはよし、得ずなりぬるこそいとあはれなれ。

三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲きはじむる。柳などいとをかしきこそ更なれ。それもまだまゆにこもりたるこそをかしけれ。ひろごりたるはにくし。花も散りたるのちはうたてぞ見ゆる。

おもしろく咲きたる櫻を長く折りて、大きなる花がめにさしたるこそをかしけれ。櫻の直衣に出し袿してまらうどにもあれ、御せうとの君達にもあれ、そこ近く居て物などうち言ひたるいとをかし。そのわたりに鳥蟲のひたひつきいと美くしうてとびありくいとをかし。

祭のころはいみじうをかしき。木々のこの葉まだしげうはなうてわかやかに靑みたるに、霞も霧もへだてぬ空の景色のなにとなくそゞろにをかしきに、少し曇りたる夕つかた、よるなど忍びたる杜鵑のとほうそら耳かと覺ゆるまでたどたどしきを聞きつけたらむ、何ごゝちかはせむ。祭近くなりて靑朽葉二藍などのものどもおしまきつゝ、細櫃のふたに入れ、紙などにけしきばかり包みて行きちがひもてありくこそをかしけれ。すそご、むらご、まきぞめなど常よりもをかしう見ゆ。わらはべのかしらばかり洗ひつくろひて、なりは皆なえほころび、うち亂れかゝりたるもあるが、けいし、くつなどの緖すげさせ、裏をさせなどもてさわぎいつしかその日にならむと急ぎ走りありくもをかし。あやしう踊りてありくものどものさうぞきたてつれば、いみじくちやうざといふ法師などのやうに、ねりさまよふこそをかしけれ。ほどほどにつけて親をばの女姉などのともして、つくろひありくもをかし。

     ことことなるもの

法師の詞、男女の詞。げすの詞にはかならず文字あまりしたり。

おもはむ子を法師になしたらむこそはいと心苦しけれ。さるは、いとたのもしきわざを、たゞ木のはしなどのやうに思ひたらむこそいとほしけれ。さうじものゝあしきをくひ、いぬるをも、若きは物もゆかしからむ。女などのある所をもなどか忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをも安からずいふ。まして驗者などのかたはいと苦しげなり。み嶽、くまの、かゝらぬ山なくありく程に、おそろしき目も見、しるしあるきこえ出できぬれば、こゝかしこによばれ時めくにつけてやすげもなし。いたく煩ふ人にかゝりて、ものゝけてうずるもいと苦しければ、こうじてうちねぶれば「ねぶりなどのみして」と咎むるもいと所せく、いかに思はむと、これは昔のことなり。いまやうはやすげなり。

大進なりまさが家に宮〈定子〉の出でさせ給ふに、ひんがしのかどはよつあしになしてそれより御輿は入らせ給ふ。北の門より女房の車ども陣屋の居ねば入りなむやと思ひて、かしらつきわろき人もいたくもつくろはず、よせておるべきものと思ひあなづりたるに、びらうげの車などは門ちひさければさはりてえ入らねば、例の筵道しきておるゝに、いとにくゝ腹だゝしけれどいかゞはせむ。殿上人地下なるも陣に立ちそひ見るもねたし。御前に參りてありつるやうけいすれば「こゝにも人は見るまじくやは。などかはさしもうちとけつる」と笑はせ給ふ。「されどそれは皆めなれて侍ればよくしたてゝ侍らむにしこそ驚く人も侍らめ。さてもかばかりなる家に車入らぬ門やはあらむ。見えば笑はむ」などいふ程にしも「これまゐらせむ」とて御硯などさしいる。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などてかその門せばくつくりて住み給ひけるぞ」といへば、笑ひて「家のほど身の程に合せて侍るなり」といらふ。「されど門のかぎりを高くつくりける人も聞ゆるは」といへば「あなおそろし」と驚きて「それはうていこく〈五字うこうイ〉がことにこそ侍るなれ。ふるきしんじなどに侍らずば、承り知るべくも侍らざりけり。たまたま此の道にまかり入りにければ、かうだにわきまへられ侍る」といふ。「その御逍もかしこからざめり。筵道しきたれば皆おち入りてさわぎつるは」といへば「雨の降り侍ればげにさも侍らむ。よしよし、また仰せかくべき事もぞ侍る。罷り立ち侍りなむ」とていぬ。「何事ぞ、なりまさがいみじうおぢつるは」と問はせ給ふ。「あらず、車の入らざりつることいひ侍る」と申しておりぬ。おなじ局に住む若き人々などしてよろづの事も知らず、ねぶたければ皆ねぬ。東のたいの西の廂かけてある北のさうじにはかけがねもなかりけるを、それも尋ねず家ぬしなれば案內をよく知りてあけてけり。あやしうかればみたるものゝ聲にて「侍はむにはいかゞ」とあまたたびいふ聲に、驚きて見れば几帳のうしろに立てたる燈臺の光もあらはなり。さうじを五寸ばかりあけていふなりけり。いみじうをかし。更にかやうのにすきずきしきわざゆめに〈三字ゆめゆめイ〉せぬものゝ、家におはしましたりとてむげに心にまかするなめりと思ふもいとをかし。我が傍なる人を起して「かれ見給へ。かゝる見えぬものあめるを」といへば、頭をもたげて見やりていみじう笑ふ。「あれはたぞ、けそうに」といへば「あらず。家あるじ局あるじと定め申すべき事の侍るなり」といへば「門の事をこそ申しつれ。さうじあけ給へとやはいふ」。「なほその事申し侍らむ。そこに侍はむはいかにいかに」といへば「いと見苦しきこと、更にえおはせじ」とて笑ふめれば、「若き人々おはしけり」とてひきたてゝいぬるのちに笑ふこといみじ。あけぬとならば唯まづ入りねかし。せうそこをするによかなりとは誰かはいはむと、げにをかしきに、つとめておまへ〈中宮定子ノ〉に參りて啓すれば「さる事も聞えざりつるを、よべのことにめでゝ入りにたりけるなめり。あはれあれをはしたなくいひけむこそいとほしけれ」と笑はせ給ふ。

姬宮〈脩子〉の御かたのわらはべのさうぞくせさすべきよし仰せらるゝに「わらはのあこめのうはおそひは何色に仕うまつるべき」と申すを、又笑ふもことわりなり。「姬宮のおまへのものはれいのやうにてはにくげに候はむ。ちうせいをしき、ちうせい高つきにてこそよく候はめ」と申すを「さてこそはうはおそひ着たるわらはべもまゐりよからめ」といふを「猶れいの人のやうにかくな言ひ〈八字つらにこれなイ〉笑ひそ。いときすくなるものを、いとほしげに」とせいし給ふもをかし。ちゆうげんなるをりに、「大進物聞えむとあり」と人の吿ぐるを聞しめして、「又なでふこといひてわらはれむとならむ」と仰せらるゝもいとをかし。「ゆきて聞け」とのたまはすれば、わざと出でたれば「一夜の門のことを、中納言〈生昌兄惟仲〉に語り侍りしかばいみじう感じ申されて、いかでさるべからむをりに對面して申し承らむとなむ申されつる」とて又こともなし。一夜の事やいはむと心ときめきしつれど、「今しづかに御局にさぶらはむ」と辭していぬれば、歸り參りたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事をさなむとまねび啓して、「わざとせうそこし呼び出づべきことにもあらぬを、おのづからしづかに局などにあらむにもいへかし」とて笑へば、「おのが心ちにかしこしとおもふ人の譽めたるを嬉しとや思ふとて吿げ知らするならむ」とのたまはする御氣色もいとをかし。

うへに侍ふ御猫はかうぶり給はりて、命婦のおとゞ〈おもとイ〉とていとをかしければ、かしづかせ給ふが、はしに出でたるを、乳母の馬の命婦「あなまさなや、入り給へ」とよぶに、きかで日のさしあたりたるにうちねぶりて居たるをおどすとて「おきなまろいづら。命婦のおとゞ〈おもとイ〉くへ」といふに、まことかとてしれもの走りかゝりたれば、おびえ惑ひてみすの內に入りぬ。あさがれひのまにうへはおはします。御覽じていみじう驚かせ給ふ。猫は御ふところに入れさせ給ひてをのこども召せば藏人忠隆參りたるに、「このおきなまろうちちようじて犬島につかはせ。唯今」と仰せらるればあつまりて狩りさわぐ。うまの命婦もさいなみて「乳母かへてむ。いとうしろへ〈めカ〉たし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でゝ瀧口などして追ひつかはしつ。「あはれいみじくゆるぎありきつるものを、三月三日に頭の辨、柳のかづらをせさせ桃の花かざしにさゝせ、櫻こしにさゝせなどしてありかせ給ひしをり、かゝる目見むとはおもひかけゝむや」とあはれがる。「おものゝ折はかならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそあれ」などいひて三四日になりぬ。ひるつかた、犬のいみじく泣く聲のすれば、なにぞの犬のかく久しくなくにかあらむと聞くに、萬の犬どもはしり騷ぎとぶらひに行き、みかはやうどなるもの走り來て「あないみじ。犬を藏人二人して打ちたまひ、死ぬべし。流させ給ひけるが歸り參りたるとてちようじ給ふ」といふ。「心うのことや。おきなまろなり。忠隆さねふさなむ打つ」といへば、せいしに遣るほどに辛うじてなき止みぬ。「死にければ門のほかにひき棄てつ」といへば,あはれがりなどする。夕つかたいみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるがわなゝきありけば「あはれまろか。かゝる犬やはこのごろは見ゆる」などいふに、「おきなまろ」と呼べど、みゝにも聞き入れず。「それぞ」といひ、「あらず」といひ、口々申せば「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて、しもなるをまづとみのことゝて召せば參りたり。「これはおきなまろか」と見せさせ給ふに、「似て侍れどもこれはゆゝしげにこそ侍るめれ。又おきなまろと呼べば悅びてまうでくるものを、呼べど寄りこず。あらぬなめり。それは打ち殺して棄て侍りぬとこそ申しつれ。さるものどもの二人して打たむには生きなむや」と申せば、心うがらせ給ふ。暗うなりて物くはせたれどくはねば、あらぬものにいひなして止みぬる。つとめて御けづりぐしに參り御てうづまゐりて御鏡もたせて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとについ居たるを「あはれきのふおきなまろをいみじう打ちしかな。死にけむこそ悲しけれ。何の身にかこのたびはなりぬらむ。いかにわびしき心ちしけむ」とうちいふほどに、このねたる犬ふるひわなゝきて淚をたゞ落しにおとす。いとあさまし。さはこれおきなまろにこそありけれ、よべは隱れ忍びてあるなりけりと、あはれにてをかしきことかぎりなし。御鏡をもうちおきて「さはおきなまろ」といふに、ひれ伏していみじくなく。御前〈中宮〉にもうち笑はせ給ふ。人々參り集りて、右近內侍めして、かくなど仰せらるれば、笑ひのゝしるを、うへ〈一條院〉にもきこしめして、渡らせおはしまして「あさましう犬などもかゝる心あるものなりけり」と笑はせ給ふ。うへの女房たちなども聞きに參り集りて呼ぶにも今ぞ立ちうごく。猶かほなど腫れためり。「物てうぜさせばや」といへば「つひにいひあらはしつる」など笑はせ給ふに、忠隆聞きて臺盤所のかたより「まことにや侍らむ。かれ見侍らむ」といひたれば「あなゆゝし。さるものなし」といはすれば、「さりとも終に見つくるをりも侍らむ、さのみもえかくさせ給はじ」といふなり。さてのちかしこまりかうじゆるされてもとのやうになりにき。猶あはれがられて、ふるひなき出でたりし程こそ世にしらずをかしくあはれなりしか。人々にもいはれてなきなどす。

正月一日、三月一日はいとうらゝかなる。五月五日はくもりくらしたる。七月七日はくもり、夕がたは晴れたる空に月いとあかく、星のすがた見えたる。九月九日はあかつきがたより雨すこし降りて菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。つとめてはやみにたれどなほ曇りてやゝもすれば降り落ちぬべく見えたるもをかし。

よろこび奏するこそをかしけれ。うしろをまかせてしやくとりて、御前の方に向ひてたてるを拜し舞踊しさわぐよ。

今內裏のひんがしをば北の陣とぞいふ。ならの木の遙にたかきが立てるを常に見て「いくひろかあらむ」などいふに、權中將の「もとより打ちきりて、定證僧都の枝扇にせさせばや」とのたまひしを、山階寺の別當になりてよろこび申すの日、近衞づかさにてこの君の出で給へるに、高きけいしをさへはきたればゆゝしく高し。出でぬるのちこそ「などその枝扇はもたせ給はぬ」といへば、「ものわすれせず」と笑ひ給ふ。

     山は

小倉山、三笠山、このくれ山、わすれ山、いりたち山、かせ山、ひはの山。かたさり山こそ誰に所おきけるにかと〈十字いかなるらむとイ〉をかしけれ。いつはた山、のちせの山、笠取山、ひらの山。とこの山は「わが名もらすな」とみかどのよませ給ひけむいとをかし。伊吹山。朝倉山、よそに見るらむいと〈九字こそ見るかイ〉をかしき。岩田山。大比禮山もをかし。臨時の祭の使など思ひ出でらるべし。たむけ山。三輪の山いとをかし。音羽山、待かね山、玉坂山、耳無山、末の松山、葛城山、美濃のお山、はゝそ山、位山、吉備の中山、嵐山、さらしな山、姨捨山、小鹽山、淺間山、かたゝめ山、かへる山、妹背山。

     峰は

ゆづるはの峰、阿彌陀の峰、いやたかの峰。

     原は

たか原、みかの原、あしたの原、その原、萩原、粟津原、奈志原、うなゐこが原、あべの原、篠原。

     市は

辰の市。つばいちは大和にあまたあるなかに、長谷寺にまうづる人のかならずそこにとゞまりければ、觀音の御えんあるにやと心ことなるなり。おふさの市、しかまの市、飛鳥の市。

     淵は

かしこ淵、いかなる底の心を見えてさる名をつきけむといとをかし。ないりその淵、誰にいかなる人の敎へしならむ。靑色の淵こそまたをかしけれ。藏人などの身にしつべくて。いな淵、かくれの淵、のぞきの淵、玉淵。

     海は

水うみ、よさの海、かはくちの海、伊勢の海。

     わたりは

しかすがのわたり、みつはしのわたり、こりずまのわたり。

     みさゝぎは

うぐひすのみさゝぎ、かしはゞらのみさゝぎ、あめのみさゝぎ。

     家は

近衞御門。二條、一條もよし。染殿の宮、せかゐ〈んイ有〉、菅原の院、れんぜい院、朱雀院、とうゐ、小野宮、紅梅、縣のゐど、東三條、小六條、小一條。

淸凉殿のうしとらのすみの北のへだてなる御さうじには荒海のかた、いきたるものどものおそろしげなる、手ながあしながをぞかゝれたる。うへのみつぼねの戶押しあけたれば常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ程に、髙欄のもとに、靑きかめの大きなる据ゑて、櫻のいみじくおもしろき枝の五尺ばかりなるをいと多くさしたれば、高欄のもとまでこぼれ吹きたるに、ひるつかた大納言殿〈伊周〉、櫻の直衣の少しなよらかなるに、濃き紫の指貫、白き御ぞども、うへに濃き綾のいとあざやかなるを出して參り給へり。うへのこなたにおはしませば、戶口のまへなる細き板敷にゐ給ひてものなど奏し給ふ。みすのうちに女房、櫻のからぎぬどもくつろかにぬぎ垂れつゝ、藤山吹などいろいろにこのもしく、あまたこはじとみのみすよりおし出でたるほど、ひのおましのかたにおものまゐる。足音高し。けはひなどおしおしといふ聲聞ゆ。うらうらとのどかなる日の景色いとをかしきに、はてのごはんもたる藏人參りておもの奏すれば、中の戶より渡らせ給ふ。御供に大納言參らせ給うて、ありつる花のもとにかへりゐ給へり。宮〈定子〉の御まへの御几帳押しやりて、なげしのもとに出でさせ給へるなど、唯何事もなくよろづにめでたきを、侍ふ人も思ふことなき心ちするに、「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふふることをゆるゝかにうち詠み出して居給へる、いとをかしと覺ゆる。げにぞちとせもあらまほしげなる御ありさまなるや。

はいぜんつかうまつる人のをのこどもなど召す。ほどもなくわたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と仰せらるゝに、目はそらにのみにて唯おはしますをのみ見奉れば、ほど遠き目も放ちつべし。白きしきしおしたゝみて「これに唯今覺えむふること一つづゝ書け」と仰せらるゝ。とに居給へるに「これはいかに」と申せば「とく書きて參らせ給へ。をのこはことくはへ候ふべきにもあらず」とて御硯とりおろして「とくとく、たゞ思ひめぐらさで、なにはづも何もふと覺えむ事を」と責めさせ給ふに、などさは臆せしににか、すべておもてさへ赤みてぞ思ひみだるゝや。春の歌花の心などさいふいふも上﨟二つ三つ書きて「これに」とあるに、

  年經れば齡は老いぬしかはあれど花をし見れば物おもひもなし

といふことを、「君をし見れば」と書きなしたるを御覽じて、「唯この心ばへどものゆかしかりつるぞ」と仰せらるゝついでに「圓融院の御時御前にて、さうしに歌一つ書けと殿上人に仰せられけるを、いみじう書きにくゝすまひ申す人々ありける。更に手のあしさよさ、歌の折にあはざらむをも知らじと仰せられければ、わびて皆書きける中に唯今の關白殿〈道隆〉の三位の中將と聞えける時、

  しほのみついづもの浦のいつもいつも君をばふかくおもふはやわが

といふ歌の末をたのむはやわがと書き給へりけるをなむいみじくめでさせたまひける」と仰せらるゝも、すゞろに汗あゆる心ちぞしける。若からむ人はさもえ書くまじき事のさまにやとぞ覺ゆる。れい〈はイ有〉いとよく書く人もあいなく皆つゝまれて書き汚しなどしたるもあり。古今のさうしを御まへに置かせ給ひて、歌どものもとを仰せられて「これが末はいかに」と仰せらるゝに、すべて夜晝心にかゝりて覺ゆるもあり。げによく覺えず、申し出でられぬことはいかなることぞ。宰相の君ぞ十ばかり。それも覺ゆるかは。まいて五つ六つなどは唯覺えぬよしをぞけいすべけれど「さやはけにくゝ、仰せ事をはえなくもてなすべき」といひ、口をしがるもをかし。知ると申す人なきをばやがて詠み續けさせ給ふを「さてこれは皆知りたることぞかし。などかくつたなくはあるぞ」といひ歎く。「中にも古今あまた書き寫しなどする人は皆覺えぬべきことぞかし。村上の御時、宣耀殿の女御〈芳子〉と聞えけるは、小一條の左大臣殿〈師尹〉の御むすめにおはしましければ、誰かは知り聞えざらむ。まだ姬君におはしける時、ちゝおとゞの敎へ聞えさせ給ひけるは、一つには御手を習ひ給へ。次にはきんの御琴を、いかで人にひきまさむとおぼせ。さて古今の歌二十卷を皆うかべさせ給はむを、御學問にはせさせ給へとなむ聞えさせ給ひけると、きこしめしおかせ給ひて御ものいみなりける日、古今をかくしてもて渡らせ給ひて、例ならず御几帳をひきたてさせ給ひければ、女御あやしとおぼしけるに、御草紙をひろげさせたまひて、その年その月、なにのをりその人の詠みたる歌はいかにと問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させたまふもをかしきものゝひがおぼえもし、忘れたるなどもあらばいみじかるべき事とわりなくおぼし亂れぬべし。そのかたおぼめかしからぬ人二三人ばかり召し出でゝ、ごひししてかずを置かせ給はむとて聞えさせ給ひけむ程、いかにめでたくをかしかりけむ。御前に侍ひけむ人さへこそうらやましけれ。せめて申させ給ひければ、さかしうやがて末までなどはあらねど、すべてつゆたがふ事なかりけり。いかで猶少しおぼめかしくひがごと見つけてをやまむとねたきまでおぼしける。十卷にもなりぬ。更に不用なりけりとて、御草紙にけうさんしてみとのごもりぬるもいとめでたしかし。いと久しうありて起きさせ給へるに、猶この事さうなくてやまむ、いとわろかるべしとて、下の十卷をあすにもならばことをもぞ見給ひ合するとて、今宵定めむとおほとなぶら近く參りて夜ふくるまでなむよませ給ひける。されど終にまけ聞えさせ給はずなりにけり。うへ〈村上天皇〉渡らせ給うてのち、かゝる事なむと人々殿に申し奉りければ、いみじうおぼし騷ぎて御誦經などあまたせさせ給うてそなたに向ひてなむ念じくらさせ給ひけるもすきずきしくあはれなる事なり」など語り出させ給ふ。うへ〈一條院〉も聞しめしてめでさせ給ひ、「いかでさ多くよませ給ひけむ、我は三まき四まきだにもえよみはてじ」と仰せらる。「昔はえせものも皆すきをかしうこそありけれ。この頃かやうなる事やは聞ゆる」など御まへに侍ふ人々、うへの女房のこなた許されたるなど參りて、口々いひ出でなどしたる程はまことに思ふ事なくこそ覺ゆれ。おひさきなくまめやかにえせざいはひなど見て居たらむ人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、猶さりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世の中の有樣も見せならはさまほしう、內侍などにてもしばしあらせばやとこそ覺ゆれ。宮仕する人をばあはあはしうわろきことに思ひ居たる男こそいとにくけれ。げにそも又さる事ぞかし。かけまくも畏きおまへを始め奉り、上達部、殿上人、四位、五位、六位、女房は更にもいはず、見ぬ人はすくなくこそはあらめ。女房のずんざどもその里よりくるものども、をさめ、みかはやうど、たびしかはらといふまでいつかはそれを耻ぢかくれたりし。とのばらなどはいとさしもあらずやあらむ。それもある限はさぞあらむ。うへなどいひてかしづきすゑたるに、心にくからず覺えむことわりなれど、內侍のすけなどいひて折々うちへ參り、祭の使などに出でたるもおもだゝしからずやはある。さて籠り居たる人はいとよし。ずりやうの五せちなど出すをり、さりともいたうひなび、見知らぬこと人に問ひ聞きなどはせじと心にくきものなり。

     すさまじきもの

晝ほゆる犬、春の網代、三四月の紅梅のきぬ、ちごのなくなりたる產屋、火おこさぬ火桶すびつ、牛にくみ〈しにイ〉たる牛飼。はかせのうちつゞきによしうませたる。かたたがへにゆきたるにあるじせぬ所。ましてせちぶんはすさまじ。人の國よりおこせたる文の物なき。京のをもさこそは思ふらめども、されどそれはゆかしき事をも書き集め、世にある事を聞けばよし。人のもとにわざと淸げに書きたてゝやりつる文の返事見む、今はきぬらむかしと、あやしく遲きと待つほどに、ありつる文の結びたるもたて文も、いときたなげにもちなしふくだめて、うへにひきたりつる墨さへ消えたるをおこせたりけり。「坐しまさゞりけり」とも若しは「初忌とて取り入れず」などいひてもて歸りたるいとわびしくすさまじ。又かならず來べき人の許に車を遣りて待つに入り來る音すれば、さななりと人々出でゝ見るに、車やどりに入りてながえほうとうちおろすを、「いかなるぞ」と問へば、「今日はおはしまさず。渡り給はず」とて牛の限りひき出でゝいぬる。又家ゆすりてとりたる聟の來ずなりぬるいとすさまじ。さるべき人の宮仕するがりやりて、いつしかと思ふもいとほいなし。ちごの乳母の唯あからさまとていぬるをもとむれば、とかくあそばし慰めて「疾くこ」といひ遣りたるに、「今宵はえ參るまじ」とて返しおこせたる、すさまじきのみにもあらず、にくさわりなし。女などむかふる男ましていかならむ。待つ人ある所に夜すこし更けて、忍びやかに門を叩けば胸すこしつぶれて人出してとはするに、あらぬよしなきものゝ名のりしてきたるこそすさまじといふ中にもかへすがへすすさまじけれ。驗者のものゝけてうずとていみじうしたりがほにとこやずゞなどもたせて、せみ〈めイ〉聟にしぼり出し讀み居たれど、いさゝかさりげもなく、護法もつかねば集めて念じ居たるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで謂みこうじて更につかず。「たちね」とてずゞとり返してあれど「けんなしや」とうちいひて、ひたひよりかみざまにかしらさぐりあげて、あくびをおのれうちしてよりふしぬる。ぢもくにつかさ得ぬ人の家、今年はかならずと聞きてはやうありしものどもの外々なりつる、片田舍に住むものどもなど皆集り來て、出で入る車のながえもひまなく見え、物まうでする供にも我も我もと參り仕うまつり、物くひ酒飮みのゝしりあへるに、はつる曉までかど叩く音もせず、あやしなど耳立てゝ聞けば、さきおふ聲して上達部など皆出で給ふ。ものきゝに宵より寒がりわなゝき居りつるげすをのこなどいと物うげに步みくるを、をるものどもはとひだにもえ問はず。外よりきたるものどもなどぞ「殿に何にかならせ給へる」などとふ。いらへには「なにのぜんじにこそは」とかならずいらふる。まことに賴みけるものはいみじうなげかしと思ひたり。つとめてになりてひまなく居りつるものもやうやう一人二人づゝすべり出でぬ。ふるきものゝさもえゆき離るまじきは、來年の國々を手を折りてかぞへなどしてゆるぎありきたるも、いみじういとほしうすさましげなり。よろしう詠みたりと思ふ歌を人のもとに遣りたるに返しせぬ。けさう文はいかゞせむ。それだにをりをかしうなどある返り事せぬは心おとりす。又さわがしう時めかしき處にうちふるめきたる人の、おのがつれづれといとまあるまゝに、昔覺えて殊なる事なき歌よみしておこせたる物のをりの扇いみじと思ひて、心ありと知りたる人にいひつけ〈四字とらせイ〉たるに、その日になりて思はずなる繪など書きてえたる。うぶやしなひ、うまのはなむけなどの使に祿などとらせぬ。はかなきくすだま、うづちなどもてありくものなどにも猶かならずとらすべし。思ひかけぬ事にえたるをばいと興ありと思ふべし。これはさるべき使ぞと心ときめきしてきたるに、たゞなるはまことにすさまじきぞかし。

むことりて四五年までうぶやのさわぎせぬ所。おとななる子どもあまた、ようせずはうまごなどもはひありきぬべき人の親どちのひるねしたる。傍なる子どもの心ちにも、親のひるねしたるはよりどころなくすさまじくぞありし。ねおきてあぶる湯は腹だゝしくさへこそ覺ゆれ。しはすのつごもりのなが雨。一日ばかりの精進の懈怠とやいふべからむ。八月のしらがさね。ちあえずなりぬる乳母。

     たゆまるゝもの

さうじの日のおこなひ、日遠きいそぎ、寺に久しくこもりたる。

     人にあなづらるゝもの

家の北おもて〈六字イ無〉、あまり心よきと人に知られたる人、年老いたるおきな〈八字イ無〉、又あはあはしき女、ついぢのくづれ。

     にくきもの

急ぐ事あるをりにながごとするまらうど。あなづらはしき人ならば のちになどいひても追ひやりつべけれども、さすがに心はづかしき人いとにくし。硯に髮の入りてすられたる。又墨のなかに石こもりてきしきしときしみたる。俄かに煩ふ人のあるにけんざもとむるに、例ある所にはあらでほかにある。尋ねありく程に待遠に久しきを辛うじて待ちつけて悅びながら加持せさするに、この頃ものゝけにこうじにけるにや、ゐるまゝにすなはちねぶり聲になりたるいとにくし。なんでふことなき人のすゞろにえがちに物いたういひたる。火桶すびつなどに手のうらうちかへし、皺おしのべなどしてあぶりをるもの。いつかは若やかなる人などのさはしたりし。老いばみうたてあるものこそ火桶のはたに足をさへもたげて、物いふまゝにおしすりなどもするらめ。さやうのものは人のもとに來てゐむとする所を、まづ扇してちり拂ひすてゝゐも定まらずひろめきて、狩衣の日は前下ざまにまくり人れてもゐるかし。かゝることはいひかひなきものゝきはにやと思へど、すこしよろしきものゝ式部大夫、駿河のぜんじなどいひしがさせしなり。又酒のみて赤き口をさぐり、髭あるものはそれを撫でゝ盃人に取らする程のけしき、いみじくにくしと見ゆ。又のめなどいふなるべし。身ぶるひをし、かしらふり、口わきをさへひきたれて「わらはべのこうどのに參りて」など謠ふやうにする、それはしもまことによき人のさし給ひしより心づきなしと思ふなり。物うらやみし、身のうへなげき人のうへいひ、露ばかりの事もゆかしがり、聞かまほしがりていひ知らぬをばえんじそしり、又わづかに聞きわたる事をば我もとより知りたる事のやうに、ことびとにも語りしらべいふもいとにくし。物聞かむと思ふ程に泣くちご、烏の集りて飛びちがひ鳴きたる。忍びてくる人見しりて吠ゆる犬は、うちも殺しつべし。さるまじうあながちなる所に隱し伏せたる人のいびきしたる。又ひそかに忍びてくる所に長烏帽子してさすがに人に見えじと惑ひ出づる程に、物につきさはりてそよろといはせたる、いみじうにくし。いよすなど懸けたるをうちかつぎて、さらさらとならしたるもいとにくし。もかうのすはましてこはき物のうちおかるゝいとしるし。それもやをら引きあげて出入するは更にならず。又やり戶など荒くあくるもいとにくし。すこしもたぐるやうにてあくるは鳴りやはする。あしうあくればさうじなどもたをめかし、ごほめくこそしるけれ。ねぶたしと思ひて臥したるに蚊のほそ聲になのりて、かほのもとに飛びありく羽風さへ身のほどにあるこそいとにくけれ。きしめく車に乘りてありくもの、耳も聞かぬにやあらむといとにくし。我が乘りたるはその車のぬしさへにくし。物記などするにさし出でゝ我ひとりさいまくるもの、凡てさし出は童もおとなもいとにくし。昔物語などするに、我が知りたりけるはふと出でゝいひくたしなどするいとにくし。鼠の走りありくいとにくし。あからさまにきたる子どもわらはべをらうたがりて、をかしきものなど取らするにならひて常に來て居入りて、てうどやうち散らしぬるにくし。家にても宮仕ひ所にても逢はでありなむと思ふ人のきたるに、そらねをしたるを我が許にあるものどものおこしよりきては、いぎたなしと思ひ顏にひきゆるがしたるいとにくし。今まゐりのさしこえて物しり顏に、をしへやうなる事いひうしろみたるいとにくし。わが知る人にてあるほどはやう見し女の事譽めいひ出だしなどするも、過ぎてほどへにけれど猶にくし。ましてさしあたりたらむこそ思ひやらるれ。されどそれはさしもあらぬやうもありかし。はなひて誦文する人。大かた家の男しうならでは高くはなひたるものいとにくし。のみもいとにくし。きぬの下にをどりありきてもたぐるやうにするも。又犬のもろ聲に長々となきあげたる、まがまがしくにくし。乳母の男こそあれ、女はされど近くも寄らねばよし。をのこゞをば唯我が物にして、立ちそひりやうじてうしろみ、いさゝかもこの御事にたがふものをばざんし、人をば人とも思ひたらず、あやしけれどこれがとが心に任せていふ人もなければ、所えいみじきおもゝちして事を行ひなどするに。

小一條院をば今內裏とぞいふ。おはします殿は淸凉殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常にまうのぼらせ給ふおまへはつぼなれば、前栽などうゑ、ませゆひていとをかし。二月十日の日のうらうらと長閑に照り渡るに、わたどのゝ雨の廂にてうへ〈一條院〉の御笛ふかせ給ふ。高遠の大貮御笛の師にて物し給ふを、ことふえ二つして高砂ををりかへし吹かせ給へば、なほいみじうめでたしといふもよのつねなり。御笛の師にてそのことゞもなど申し給ふいとめでたし。みすのもとに集り出でゝ見奉るをりなどは、我が身にせりつみしなど、覺ゆる事こそなけれ。すけたゞは木エのぞうにて藏人にはなりにける。いみじう荒々しうあれば、殿上人女房はあらはにとぞつけたるを、歌につくりて「さうなしのぬし、をはりうどのたねにぞありける」とうたふは、尾張のかねときがむすめの腹なりけり。これを笛に吹かせ給ふを添ひ侍ひて「猶たかう吹かせおはしませ。え聞きさぶらはじ」と申せば「いかでか、さりとも聞き知りなむ」とてみそかにのみ吹かせ給ふを、あなたより渡らせおはしまして、「このものなかりけり。唯今こそふかめ」と仰せられて吹かせたまふ、いみじうをかし。

文ことばなめき人こそいとゞにくけれ。世をなのめに書きなしたる詞のにくきこそ。さるまじき人のもとにあまりかしこまりたるも、げにわろきことぞ。されど我がえたらむはことわり、人のもとなるさへにくゝこそあれ。大かたさし向ひてもなめきはなどかくいふらむとかたはらいたし。ましてよき人などをさ申すものは、さるはをこにていとにくし。男しうなどわろくいふいとわろし。我がつかふものなど、おはする、のたまふなどいひたるいとにくし。こゝもとに、侍るといふもじをあらせばやと聞くことこそ多かめれ。あいぎやうなくと詞しなめきなどいへば、いはるゝ人も聞く人も笑ふ。かく覺ゆればにや、あまり嘲哢するなどいはるゝまで、ある人もわろきなるべし。殿上人宰相などを唯なのる名をいさゝかつゝましげならずいふは、いとかたはなるを、げによくさいはず。女房の局なる人をさへ、あのおもと君などいへば、めづらかに嬉しと思ひてほむる事ぞいみじき。殿上人きんだちを御まへよりほかにてはつかさをいふ。又御前にて物をいふとも、きこしめさむにはなどてかは、まろがなどいはむ。さいはざらむにくし。かくいはむにわろかるべき事かは。ことなる事なき男のひきいれ聲してえんだちたる。墨つかぬ硯。女房の物ゆかしうする、たゞなるだにいとしも思はしからぬ人のにくげごとしたる。一人車に乘りて物見る男、いかなるものにかあらむ、やんごとなからずともわかき男どもの物ゆかしう思ひたるなどひきのせても見よかし。すきがけに唯一人かくよひて心一つにまもり居たらむよ。曉に歸るひとの、よべおきし扇ふところがみもとむとて、暗ければさぐりあてむさぐりあてむとたゝきもわたし、「あやし」などうちいひもとめ出でゝ、そよそよとふところにさし入れて、扇ひきひろげてふたふたとうちつかひてまかり申ししたる、にくしとはよの常いとあいぎやうなし。おなしごと夜深く出づる人の烏帽子の緖强くゆひたる、さしもかためずともありぬべし。やをらさながらさし入れたりとも人のとがむべきことかは。いみじうしどけなうかたくなく〈とイ〉、直衣狩衣などゆがみたりとも、誰かは見知りて笑ひそしりもせむ。とする人はなほ曉のありさまこそをかしくもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起きがたげなるをしひてそゝのかし、「あけすぎぬ、あな見苦し」などいはれてうち歎くけしきも、げにあかず物うきにしもあらむかしと覺ゆ。指貫なども居ながら着もやらず、まづさしよりてよひと夜いひつることの殘りを女の耳にいひ入れ、何わざすとなけれど帶などをばゆふやうなりかし。格子あけ、妻戶あるところはやがてもろともに出で行き、晝の程のおぼつかなからむ事などもいひいでにすべり出でなむは、見送られて名殘もをかしかりぬべし。なごりも出所あり。いときはやかに起きてひろめきたちて指貫の腰つよくひきゆひ、直衣、うへのきぬ、狩衣も袖かいまくり、よろづさし入れ、帶强くゆふにくし。明けて出でぬる所たてぬ人いとにくし。

     心ときめきするもの

雀のこがひ。ちごあそばする所の前わたりたる。よきたきものたきて一人臥したる。唐の鏡のすこしくらき見たる、よき男の車とゞめて物いひあないせさせたる。かしらあらひけさうじて、かうにしみたるきぬ着たる、殊に見る人なき所にても心のうちはなほをかし。待つ人などある夜、雨のあし風の吹きゆるがすもふとぞおどろかるゝ。

     すぎにしかたこひしきもの

枯れたる葵、ひゝなあそびのてうど。ふたあゐゑびぞめなどのさいでのおしへされて、さうしのなかにありけるを見つけたる。又をりから哀なりし人の文、雨などの降りてつれづれなる日さがし出でたる。こぞのかはほり、月のあかき夜。

     こゝろゆくもの

よくかいたる女繪の詞をかしうつゞけておほかる。物見のかへさに乘りこぼれて、をのこどもいと多く牛よくやるものゝ車走らせたる。白く淸げなるみちのくがみにいとほそう書くべくはあらぬ筆して文書きたる。川舟のくだりざま。はぐろめのよくつきたる。てうばみにてう多くうちたる。うるはしき糸のねりあはせぐりしたる。物よくいふおんやうじして河原に出でゝすそのはらへしたる。よるねおきて飮む水。徒然なるをりにいとあまり睦しくはあらず、疎くもあらぬまらうどのきて、世の中の物がたりこの頃あることのをかしきもにくきも、怪しきも、これにかゝり、かれにかゝり、おほやけわたくしおぼつかなからず聞きよき程に語りたるいと心ゆくこゝちす。社寺などに詣でゝ物申さするに、寺には法師、社にてねぎなどやうのものゝ思ふ程よりも過ぎて、とゞこほりなく聞きよく申したる。びらうげはのどやかにやりたる。急ぎたるはかろかろしく見ゆ。網代は走らせたる。人の門より渡りたるをふと見る程もなく過ぎて、供の人ばかり走るを誰ならむと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると久しく行けばいとわろし。牛はひたひいと小く白みたるが腹のまた足のしも尾のすそ白き。馬は紫の斑づきたる、蘆毛、いみじく黑きが足肩のわたりなどに白きところ、薄紅梅の毛にて髮尾などもいとしろき、げにゆふかみともいひつべき。牛飼は大きにて、かみあかしらがにて顏の赤みてかどかどしげなる。ざうしきずゐじんはほそやかなる。よきをのこも猶わかき程はさるかたなるぞよき。いたく肥えたるはねぶたからむ人とおもは〈おぼゆイ〉る。小舍人はちひさくて髮のうるはしきがすそさはらかに聲をかしうて、かしこまりて物などいひたるぞりやうりやうじき。猫はうへのかぎり黑くてことは皆白からむ。說經師は顏よきつとまもらへたるこそその說く事のたふとさも覺ゆれ。ほかめしつればふと忘るゝに、にくげなるは罪やうらむと覺ゆ。この詞はとゞむべし。すこし年などのよろしき程こそかやうの罪はえがたの詞かき出でけめ。今は罪いとおそろし。又たふとき事、だうしんおほかりとて、說經すといふ所にさいそにいきぬる人こそ猶この罪の心ちにはさしもあらで見ゆれ。藏人おりたる人、昔は御ぜんなどいふ事もせず、その年ばかりうちわたりにはまして影も見えざりける。今はさしもあらざめる。藏人の五位とてそれをしもぞいそがしうつかへど、猶名殘つれづれにて心一つはいとまある心ちぞすべかめれば、さやうの所に急ぎ行くを、一たび二たび聞きそめつれば、常にまうでまほしくなりて、夏などのいとあつきにもかたびらいとあざやかに、うすふたあゐ、あをにぶの指貫などふみちらして居ためり。ゑぼしにものいみつけたるはけふさるべき日なれど、くどくのかたにはさはらずと見えむとにや、急ぎ來てその事するひじりと物語して車たつるさへぞ見いれ、ことにつきたるけしきなる。久しく逢はざりける人などのまうで逢ひたるめづらしがりて近くゐより物語し、うなづき、をかしき事など語り出でゝ、扇ひろうひろげて口にあてゝ笑ひさうぞくしたるずゞかいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして車のよしあしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、經供養な〈にイ〉どいひくらべ居たるほどに、この說經の事もきゝ入れず。なにかは、常にきくことなれば耳なれてめづらしう覺えぬにこそはあらめ。さはあらで講師ゐてしばしあるほどに、さきすこしおはする車とゞめておるゝ人。蟬のはよりもかろげなる直衣、指貫、すゞしのひとへなどきたるも狩衣姿にても、さやうにてはわかくほそやかなる三四人ばかり、さぶらひのもの又さばかりして入れば、もとゐたりつる人もすこしうち身じろきくつろぎて、かうざのもと近き柱のもとなどにすゑたれば、さすがにずゞおしもみなどして伏し拜み居たるを、講師もはえばえしう思ふなるべし。いかで語り傳ふばかりと說き出でたる。聽問すると立ち騷ぎぬかづく程にもなくて、よきほどにて立ち出づとて、車どものかたなど見おこせて、われどちいふ事も何事ならむとおぼゆ。見知りたる人をばをかしと思ひ、見知らぬは誰ならむそれにやかれにやと目をつけて思ひやらるゝこそをかしけれ。「說經しつ。八講しけり」など人いひ傳ふるに「その人はありつや、いかゞは」などさだまりていはれたるあまりなり。などかはむげにさしのぞかではあらむ。あやしき女だにいみじく聞くめるものをば、さればとて始めつ方はかちありきする人はなかりき。たまさかにはつぼさうぞくなどばかりして、なまめきけさうじてこそありしか。それも物まうでをぞせし。說經などは殊に多くもきかざりき。このごろその折さし出でたる人の命長くて見ましかば、いかばかりそしりひばうせまし。菩提といふ寺にけちえん八かうせしが、きゝにまうでたるに、人のもとより「とく歸り給へ、いとさうざうし」といひたれば、はちすのはなびらに、

 「もとめてもかゝるはちすの露をおきてうき世にまたは歸るものかは」

と書きてやりつ。まことにいとたふとく哀なれば、やがてとまりぬべくぞ覺ゆる。さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。

こしらかはといふ所は、小一條の大將殿〈師尹〉の御家ぞかし。それにて上達部、けちえんの八講し給ふに、いみじくめでたき事にて、世の中の人の集り行きて聞く。「おそからむ車はよるべきやうもなし」といへば、露とともに急ぎおきて、げにぞひまなかりける。ながえの上に又さし重ねて三つばかりまでは少し物も聞ゆべし。六月十よ日にて、あつきこと世に知らぬほどなり。池のはちすを見やるのみぞ少し涼しき心ちする。左右のおとゞたちをおき奉りてはおはせぬ上達部なし。二藍の直衣指貫、淺黃のかたびらをぞすかし給へる。少しおとなび給へるは靑にびのさしぬき白き袴もすゞしげなり。やすちかの宰相なども若やぎだちてすべてたふときことの限にもあらず、をかしき物見なり。廂のみす高くまき上げてなげしのうへに上達部奧に向ひて、ながながとゐ給へり。そのしもには殿上人、わかききんだち、かりさうぞく、直衣などもいとをかしくてゐもさだまらず、こゝかしこに立ちさまよひ、あそびたるもいとをかし。實方の兵衞の佐、なかあきらの侍從など家の子にて今すこしいでいりたり。まだ童なるきんだちなどいとをかしうておはす。少し日たけたるほどに三位中將とは關白殿〈道隆〉をぞ聞えし。かうのうすもの、二藍の直衣、おなじ指貫、こき蘇枋の御袴に、はりたる白きひとへのいと鮮やかなるを着給ひて、步み入り給へる、さばかりかろび涼しげなる中に、あつかはしげなるべけれど、いみじうめでたしとぞ見え給ふ。ほそぬりぼねなど、骨はかはれど、たゞ赤き紙をおなじなみにうちつかひ持ち給へるは、なでしこのいみじう咲きたるにぞいとよく似たる。まだ講師ものぼらぬ程にかけばんどもして何にかはあらむ物參るべし。よしちかの中納言の御ありさま、常よりもまさりて淸げにおはするさまぞ限なきや。上達部の御名など書くべきにもあらぬを、誰なりけむと少しほどふれば、色あひはなばなといみじく、にほひあざやかにいづれともなき中のかたびらを、これはまことにたゞ直衣一つを着たるやうにて常に車のかたを見おこせつゝ物などいひおこせ給ふ。をかしと見ぬ人なかりけむを、後にきたる車のひまもなかりければ、池にひき寄せたてたるを見給ひて、實方の君に「人のせうそこつきづきしくいひつべからむもの一人」と召せば、いかなる人にかあらむ、えりてゐておはしたるに「いかゞ言ひ遣るべき」と近く居給へるばかり言ひ合せてやり給はむ事は聞えず。いみじくよそひして車のもとに步みよるをかつは笑ひ給ふ。あとのかたによりていふめり。久しく立てれは歌などよむにやあらむ。兵衞佐「返しおもひまうけよ」など笑ひていつしかかへりごと聞かむと、おとな上達部まで皆そなたざまに見やり給へり。げにけそうの人々まで〈二字イ無〉見やりしも〈五字みるもイ〉をかしうありしを、かへり事きゝたるにや、すこし步みくる程に扇をさし出でゝ呼びかへせば、歌などのもじをいひ過ちてばかりこそ呼びかへさめ、久しかりつる程に、あるべきことかは、猶すべきにもあらじものをとぞ覺えたる。近く參りつゝも心もとなく「いかにいかに」と誰も問ひ給へどもいはず。權中納言〈義懷〉見給へば、そこによりてけしきばみ申す。三位の中將「とくいへ。あまりうしんすぎてしそこなふな」とのたまふに、「これも唯おなじ事になむ侍る」といふは聞ゆ。藤大納言〈爲光〉は人よりもけにのぞきて「いかゞいひつる」とのたまふめれば、三位の中將〈道隆〉「いとなほき木をなむ押し折りためる」と聞え給ふに、うち笑ひ給へば、皆何となくさと笑ふ聲聞えやすらむ。中納言「さて呼び返されつるさきにはいかゞいひつる。これやなほしたること」と問ひ給へば「久しうたちて侍りつれども、ともかくも侍らざりつれば、さは參りなむとてかへり侍るを、呼びて」とぞ申す。「たれが車ならむ、見知りたりや」などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、皆ゐしづまりてそなたをのみ見るほどに、この車はかいけつやうにうせぬ。したすだれなど、たゞけふはじめたりと見えて、濃きひとへがさねに、二藍の織物蘇枋のうすものゝうはぎなどにて、しりにすりたるもやがてひろげながらうち懸けなどしたるはなに人ならむ、何かは、人のかたほならむことよりはげにときこえて、なかなかいとよしとぞ覺ゆる。あさざの講師せいはん、かうざのうへも光みちたる心ちしていみじくぞあるや。あつさの侘しきにそへてしさすまじき事の今日すぐすまじきをうち置きて、唯少し聞きて歸りなむとしつるを、しきなみにつどひたる車の奧になむ居たれば、出づべきかたもなし。あしたの講はてなばいかで出でなむとてまへなる車どもにせうそこすれば、近くたゝむうれしさにや、はやばやとひき出であけて出すを見給ふ。いとかしかましきまで人ごといふに、老上達部さへ笑ひにくむを、きゝも入れずいらへもせでせばがり出づれば、權中納言「やゝまかりぬるもよし」とてうち笑ひ給へるぞめでたき。それも耳にもとまらず、暑きに迷ひ出でゝ、人して「五千人の中には入らせ給はぬやうもあらじ」と聞えかけて歸り出でにき。そのはじめよりやがてはつる日までたてる車のありけるが、人寄りくとも見えず。すべてたゞあさましう繪などのやうにて過ごしければ、ありがたくめでたく心にくゝ「いかなる人ならむ、いかで知らむ」と問ひけるを聞き給ひて、藤大納言「なにかめでたからむ、いとにくし。ゆゝしき物にこそあなれ」とのたまひけるこそをかしけれ。さてその二十日あまりに、中納言〈義懷〉の法師になり給ひにしこそあはれなりしか。櫻などの散りぬるも猶よのつねなりや。「老を待つまの」とだにいふべくもあらぬ御ありさまにこそ見え給ひしか。

七月ばかりいみじくあつければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月のころはねおきて見いだすもいとほし。やみも又をかし。有明はたいふもおろかなり。いとつやゝかなる板のはし近うあざやかなるたゝみ一ひらかりそめにうち敷きて三尺の几帳奧のかたに押しやりたるぞあぢきなき。はしにこそ立つべけれ。奧のうしろめたからむよ。人は出でにけるなるべし。うす色のうらいと濃くてうへは少しかへりたるならずば、濃き綾のつやゝかなるがいたくはなえぬを、かしらこめてひき着てぞねためる。かうぞめのひとへ、紅のこまやかなるすゞしの袴の腰いと長く、きぬの下よりひかれたるもまだ解けながらなめり。そはのかたに髮のうちたゝなはりてゆらゝかなるほど、長さおしはかられたるに、又いづこよりにかあらむ、あさぼらけのいみじうきり滿ちたるに、二藍の指貫あるかなきかのかうぞめの狩衣、白きすゞし、紅のいとつやゝかなるうちぎぬの霧にいたくしめりたるをぬぎ垂れて、鬢の少しふくだみたれば烏帽子の押し入れられたるけしきもしどけなく見ぬ。朝顏の霧落ちぬさきに文書かむとて、道の程も心もとなく「おふの下草」など口ずさひて我がかたへ行くに、格子のあがりたれば、みすのそばをいさゝかあけて見るに、起きていぬらむ人もをかし。露を哀と思ふにや〈とイ有〉、暫し見たれば、枕がみのかたに、ほゝ〈の木イ有〉に紫の紙はりたる扇ひろごりながらあり。みちのくに紙のたゝう紙のほそやかなるが、花か紅か少しにほひうつりたるも几帳のもとに散りぼひたる。人のけはひあればきぬの中より見るに、うちゑみて長押におしかゝり居たれば、はぢなどする人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかなと思ふ。「こよなき名殘の御あさいかな」とてすのうちになからばかり入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」といらふ。をかしき事とりたてゝ書くべきにあらねど、かくいひかはすけしきどもにくからず。枕がみなる扇を我がもちたるしておよびてかき寄するが、あまり近う寄りくるにやと心ときめきせられで、今少し引き入らるゝ。とりて見などしてうとくおぼしたる事などうちかすめ恨みなどするに、あかうなりて人の聲々し、日もさし出でぬべし。霧の絕間見えぬ程にと急ぎつる文も、たゆみぬるこそうしろめたけれ。出でぬる人もいつの程にかと見えて、萩の露ながらあるにつけてあれど、えさし出でず。かうのかのいみじうしめたるにほひいとをかし。あまりはしたなき程になれば、立ち出でゝ我がきつるところもかくやと思ひやらるゝもをかしかりぬべし。

     木の花は

梅のこくも薄くも紅梅。櫻の花びらおほきに葉色こきが枝ほそくして咲きたる。藤の花しなひ長く色よく咲きたるいとめでたし。卯の花はしなおとりてなにとなけれど、咲く頃のをかしう、杜鵑の、かげにや隱るらむと思ふにいとをかし。祭のかへさに紫野のわたり近きあやしの家ども、おどろなる垣根などにいと白う咲きたるこそをかしけれ。靑色のうへに白きひとへがさねかづきたる、靑くちばななどにかよひていとをかし。四月のつごもり五月のついたちなどのころほひ、橘の濃くあをきに花のいとしろく咲きたるに、雨のふりたるつとめてなどは、世になく心あるさまにをかし。花の中より實のこがねの玉と見えていみじくきはやまに見えたるなど、朝露にぬれたる〈七字春のあさぼらけのイ〉櫻にも劣らず。杜鵑のよすがとさへ思へばにや猶更にいふべきにもあらず。梨の花世にすさまじくあやしき物にして、目に近くはかなき文つけなどだにせず。あいぎやうおくれたる人の顏など見ては、たとひにいふもげにその色よりしてあいなく見ゆるを、もろこしにかぎりなきものにて文にも作るなるを、さりともあるやうあらむとてせめて見れば、花びらのはしにをかしきにほひこそ心もとなくつきためれ。楊貴妃、みかどの御使に逢ひて泣きける顏に似せて「梨花一枝春の雨をおびたり」などいひたるはおぼろけならじと思ふに、猶いみじうめでたき事は類ひあらじと覺えたり。桐の花、紫に咲きたるはなほをかしきを、葉のひろごり、さまうたてあれども、又こと木どもとひとしういふべきにあらず。もろこしにことごとしき名つきたる鳥のこれにしも住むらむ心ことなり。ましてことに作りてさまざまなるねの出でくるなど、をかしとはよのつねにいふべくやはある。いみじうこそはめでたけれ。木のさまぞにくげなれどあふちの花いとをかし。かればなにさまことに咲きてかならず五月五日にあふもをかし。

     池は

勝間田の池、いはれの池。にえのゝ池、初瀨に參りしに水鳥のひまなくたちさわぎしがいとをかしく見えしなり。水なしの池、「あやしうなどてつけゝるならむ」といひしかば、「五月なとすべて雨いたく降らむとする年は、この池に水といふ物なくなむある。又日のいみじく照る年は春のはじめに水なむ多く出づる」といひしなり。むげになくかわきてあらばこそさもつけめ、出づるをりもあるなるを一すぢにつけゝるかなといらへまほしかりし。遠澤の池、釆女の身を投げゝるをきこしめして行幸などありけむこそいみじうめでたけれ。「ねくたれ髮を」と人丸がよみけむほどいふもおろかなり。御まへの池又何の心につけゝるならむとをかし。鏡の池。狹山の池、みくりといふ歌のをかしく覺ゆるにやあらむ。こひぬまの池。原の池、「玉藻はなかりそ」といひけむもをかし。ますだの池。

     せちは

五月にしくはなし。さうぶよもぎなどのかをりあひたるもいみじうをかし。九重の內をはじめていひしらぬ民のすみかまで、いかで我がもとに繁くふかむとふきわたしたる、猶いと珍しくいつかこと折はさはしたりし。空のけしきのくもりわたりたるに、きさいの宮などには縫殿より御藥玉とていろいろの絲をくみさげて參らせたれば、みちやう奉る母屋の柱の左右につけたり。九月九日の菊を綾とすゞしのきぬにつゝみて參らせたる。同じ柱にゆひつけて月ごろある藥玉とりかへてすつめる。又くすだまは菊のをりまであるべきにやあらむ。されどそれは皆いとをひき取りて物ゆひなどしてしばしもなし。御せくまゐり、わかき人々はさうぶのさしぐしさし、ものいみつけなどして、さまざま、唐ぎぬ、かざみ、ながき根をかしきをり枝どもむらごのくみして結びつけなどしたる、珍らしう言ふべきことならねどいとをかし。さて春ごとに咲くとて櫻をよろしう思ふ人やはある。つぢありくわらはべのほどほどにつけてはいみじきわざしたると常に袂をまもり、人に見くらべ、えもいはずけうありと思ひたるを、そばへたるこどねりわらはなどにひきとられて泣くもをかし。紫の紙に、あふちの花、靑き紙にさうぶの葉、ほそうまきてひきゆひ、又白き紙を根にしてゆひたるもをかし。いと長き根など文のなかに入れなどしたる人どもなども、いとえんなる。返り事かゝむと言ひ合せかたらふどちは見せ合せなどするをかし。人のむすめやんごとなき所々に御文聞え給ふ人も、けふは心ことにぞなまめかしうをかしき。夕暮のほどに杜鵑の名のりしたるもすべてをかしういみじ。

     木は

桂、五葉、柳〈柿イ〉、橘。そばの木はしたなき心ちすれども花の木どもちりはてゝ、おしなべたる綠になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ靑葉の中よりさし出でたる珍らし。まゆみ更にもいはず。その物どもなけれどやどり木といふ名いとあはれなり。榊、臨時の祭御神樂のをりなどいとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物といひはじめけむもとりわきをかし。くすのきは木立多かる所にも殊にまじらひたてらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、ちえにわかれて戀する人のためしにいはれたるぞ、誰かはかずを知りていひ始めけむとおもふにをかし。ひの木、人ぢかゝらぬものなれどみつ葉よつ葉の殿づくりもをかし。五月に雨の聲まねぶらむもをかし。楓の木、さゝやかなるにも、もえ出でたる梢のあかみておなじかたにさしひろごりたる葉のさま、花もいと物はかなげにてむしなどの枯れたるやうにてをかし。あすはひの木、この世近くも見えきこえず。みたけ〈金峰山〉に詣でゝ歸る人などしかもてありくめる。枝ざしなどのいと手ふれにくげにあらあらしけれど、何の心ありてあすはひの木とつけゝむ、あぢきなきかねごとなりや。誰にたのめたるにかあらむと思ふに知らまほしうをかし。ねずもちの木、ひとなみなみなるべきさまにもあらねど葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。あふちの木、山梨の木、椎の木は、ときはぎはいづれもあるを、それしも葉がへせぬためしにいはれたるもをかし。しらかしなどいふもの、ましてみやまぎの中にもいとけどほくて、三位二位のうへのきぬそむる折ばかりぞ葉をだに人の見るめる。めでたき事をかしき事にとり出づべくもあらねど、いつとなく雪の降りたるに見まがへられて、そさのを〈の脫歟〉みことの出雲のくににおはしける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを見る、いみじうあはれなり。いふ事にてもをりにつけても一ふしあはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥蟲もおろかにこぞ覺えね。ゆづりはのいみじうふさやかにつやめきたるは、いと靑う淸げなるに思ひかけず似るべくもあらず。くきの赤うきらきらしう見えたるこそ賤しけれどもをかしけれ。なべての月ごろは露も見えぬものゝしはすのつごもりにしも時めきて、なきひとのくひ物にもしくにやと哀なるに、又よはひのぶる齒固めの具にもしてつかひためるは、いかなるにか。「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。柏木いとをかし。はもりの神のますらむもいとかしこし。兵衞の佐、ぞうなどをいふらむもをかし。すがたなけれどすろの木からめきてわろき家のものとは見えず。

     鳥は

ことゝころの物なれど鸚鵡いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。杜鵑、水鷄、鴫、みこ鳥、ひわ、ひたき。山鳥は友を戀ひて鳴くに、鏡を見せたれば慰むらむ、いとあはれなり。谷へだてたる程などいと心ぐるし。つるはこちたきさまなれども、鳴く聲雲ゐまで聞ゆらむいとめでたし。かしら赤き雀、いかるがのをとり、たくみどり。鷺はいと見る目もみぐるし。まなこゐなどもうたて、よろずになつかしからねど、ゆるぎの森にひとりはねじと爭ふらむこそをかしけれ。はこどり。水鳥は、をしいとあはれなり。かたみ〈たがひイ〉に居かはりてはねのうへの露を拂ふらむなどいとをかし。都鳥、川千鳥は友まどはすらむこそ。かりの聲は遠く聞えたるあはれなり。鴨ははねの霜うちはらふらむと思ふにをかし。鶯はふみなどにもめでたきものに作り、聲よりはじめてさまかたちもさばかりあてに美くしきほどよりは、九重の內になかぬぞいとわろき。人の、さなむあるといひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり侍ひて聞きしに、まことに更におともせざりき。さるは竹も近く、紅梅もいとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでゝ聞けば、あやしき家の見どころもなき梅などには華やかにぞ鳴く。よるなかぬもいぎたなき心ちすれども今はいかゞせむ。夏秋の末までおい聲に鳴きてむしくひなど、やうもあらぬものは名をつけかへていふぞ口惜しくすごき心ちする。それも雀などやうに、常にある鳥ならばさもおぼゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。年立ちかへるなどをかしきことに歌にもふみにも作るなるは、猶春のうちならましかばいかにをかしからまし。人をも人げなう世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、そしりやはする。鳶、烏などのうへは見いれ聞きいれなどする人世になしかし。さればいみじかるべきものとなりたればと思ふに心ゆかぬ心ちするなり。祭のかへさ見るとて、うりんゐん、知足院などの前に車をたてたれば、杜鵑もしのばぬにやあらむ鳴くに、いとようまねび似せて木高き木どもの中に、もろごえに鳴きたるこそさすがにをかしけれ。杜鵑は猶更に言ふべきかたなし。いつしかしたり顏にも聞え、歌に、卯の花、花橘などにやどりをして、はたかくれたるもねたげなる心ばへなり。五月雨の短夜にねざめをしていかで人よりさきに聞かむとまたれて、夜深くうち出でたる聲のらうらうしうあいぎやうづきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。みなづきになりぬれば、おともせずなりぬる、すべていふもおろかなり。よるなくものすべていづれもいづれもめでたし。ちごどものみぞさしもなき。

     あてなるもの

うす色にしらがさねのかざみ、かりのこ。けづりひのあまづらに入りて新しきかなまりに入りたる。すゐさうのずゞ、藤の花。梅の花に雪のふりたる。いみじう美くしきちごのいちごくひたる。

     むしは

鈴蟲、松蟲、はたおり、きりぎりす、蝶、われから、ひをむし、螢。みのむし、いと哀なり。鬼の生みければ親に似てこれもおそろしき心ちぞあらむとて、親のあしききぬひき着せて「今秋風吹かむをりにぞこむずる。待てよ」といひて逃げていにけるも知らず、風の音聞き知りて八月ばかりになれば「ちゝよちゝよ」とはかなげになくいみじうあはれなり。ひぐらし。ぬかづきむし又あはれなり。さる心に道心おこしてつきありくらむ。又おもひかけず暗き所などにほとめきたる聞きつけたるこそをかしけれ。蠅こそにくきものゝうちに入れつべけれ。あいぎやうなくにくきものは人々しうかき出づべきものゝやうにあらねど、よろづの物にゐ、顏などにぬれたる足して居たるなどよ。人の名につきたるはかならすかたし。夏蟲いとをかしく廊のうへ飛びありくいとをかし。蟻はにくけれど輕びいみじうて水のうへなどを唯步みありくこそをかしけれ。

七月ばかりに風のいたう吹き、雨などのさわがしき日、大かたいと凉しければ扇もうち忘れたるに、あせのか少しかゝへたるきぬのうすき引きかつぎてひるねしたるこそをかしけれ。

     にげなきもの

髮あしき人のしろき綾のきぬ着たる。しゞ〈らイ〉かみたる髮に葵つけたる。あしき手を赤き紙に書きたる。下すの家に雪の降りたる。又月のさし入りたるもいとくちをし。月のいと明きにやかたなき車にあひ〈のりイ有〉たる。又さる車にあめうしかけたる。老いたるものゝはらたかくてあへぎありく。又若き男もちたるいと見ぐるしきに、こと人のもとに行くとてねたみたる。老いたる男のね惑ひたる。又さやうに髭がちなる男の椎つみたる。齒もなき女の梅くひてすがりたる。げすの紅の袴着たる。このごろはそれのみこそあめれ。ゆげひのすけのやかう〈らイ〉に狩衣すがたもいとあやしげなり。又人におぢらるゝうへのきぬはたおどろおどろしく、たちさまよふも人見つけばあなづらはし。けんぎのものやあると戯にもとがむ。六位藏人、うへのはうぐわんとうちいひて、世になくきらきらしきものに覺え、里人げすなどはこの世の人とだに思ひたらず、目をだに見合せでおぢわなゝく人のうちわたりのほそどのなどに忍びて入りふしたるこそいとつきなけれ。そらだきものしたる几帳にうちかけたる袴の、おもたげにいやしうきらきらしからむもとおし量らるゝなどよ。さかしらにうへのきぬわきあけにて、鼠の尾のやうにてわがねかけたらむ程ぞ似げなきやかうの人々なる。このつかさのほどは念じてとゞめてよかし。五位の藏人も。

細殿に人とあまた居て、ありくものども見やすからず呼び寄せてものなどいふに、淸げなるをのこ、小舍人わらはなどのよきつゝみ袋にきぬどもつゝみて指貫の腰などうち見えたる。袋に入りたる弓、矢、たて、ほこ、たちなどもてありくを「たがぞ」と問ふについ居て、「なにがし殿の」といひて行くはいとよし。氣色ばみやさしがりて「知らず」ともいひ、聞きも入れでいぬるものは、いみじうぞにくきかし。月夜にむなぐるまありきたる。淸げなる男のにくげなるめもちたる。髭ぐろににくげなる人の年老いたるが、物がたりする人のちごもてあそびたる。

とのもりづかさこそ猶をかしきものはあれ。下女のきははさばかりうらやましきものはなし。よき人にせさせまほしきわざなり。若くてかたちよく、なりなど常によくてあらむはましてよからむかし。年老いて物の例など知りて、おもなきさましたるもいとつきづきしうめやすし。とのもりづかさの顏あいぎやうづきたらむをもたりて、さうぞく時にしたがひてかぎらぬなど今めかしうてありかせばやとこそ覺ゆれ。男は又ずゐじんこそあめれ。いみじくびゞしくをかしき君達も、ずゐじんなきはいとしらじらし。辨などをかしくよきつかさと思ひたれども、したがさねのしり短くてずゐじんなきぞいとわろきや。

しきの御ざうしの西おもてのたてしとみのもとにて、頭辨〈行成〉の人と物をいと久しく言ひたち給へればさし出でゝ「それはたれぞ」といへば、「辨の內侍なり」とのたまふ。「何かはさも語らひ給ふ。大辨見えばうちすて奉りていなむものを」といへば、いみじく笑ひて「たれかかゝる事をさへ言ひ聞かせけむ。それさなせそと語らふなり」との給ふ。いみじく見えてをかしきすぢなどたてたる事はなくてたゞありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、猶奧ふかき御心ざまを見知りたれば「おしなべたらず」など御前にも啓し、又さしろしめしたるを「常に女はおのれを悅ぶものゝためにかほづくりす、士はおのれを知れる人のために死ぬといひたる」と言ひ合せつゝ申し給ふ。「とほたあふみの濱やなぎ」などいひかはしてあるに、わかき人々は唯いひにくみ、見苦しき事どもなどつくろはずいふに「この君こそうたて見〈えイ有〉にくけれ。こと人のやうにどきやうし、歌うたひなどもせず、けすさまじ」などそしる。更にこれかれに物いひなどもせず。「女は目はたてざまにつき、男はひたひにおひかゝり、鼻はよこざまにありとも、唯口つきあいぎやうづき、おとがひのした、くびなどをかしげにて、聲にくからざらむ人なむ思はしかるべきとは言ひながら、猶顏のいとにくげなるは心憂し」とのみのたまへば、まいておとがひほそく、あいぎやうおくれたらむ人はあいなうかたきにして御前にさへあしう啓する。物など啓せさせむとても、その始め言ひそめし人をたづね、しもなるをも呼びのぼせ、局にも來ていひ、里なるには文書きてもみづからもおはして「遲く參らばさなむ申したると申しに參らせよ」などのたまふ。「その人の侍ふ」などいひ出づれどさしもうけひかずなどぞおはする。「あるにしたがひ、定めず何事ももてなしたるをこそよき事にはすれ」とうしろみ聞ゆれど、「我がもとの心の本性」とのみのたまひつゝ、「改まらざるものは心なり」とのたまへば「さてはゞかりなしとはいかなる事をいふにか」とあやしがれば、笑ひつゝ「中よしなど人々にもいはるゝ、かうかたらふとならば何か耻づる。見えなどもせよかし」とのたまふをいみじくにくげなれば「さあらむはえ思はじとのたまひしによりて、え見え奉らぬ」といへば「げににくゝもぞなる。さらばな見えそ」とておのづから見つべきをりも顏をふたぎなどして、まことに見給はぬも、まごゝろにそらごとし給はざりけりと思ふに、三月つごもりごろ、冬の直衣の着にくきにやあらむ、うへの衣がちにて殿上のとのゐすがたもあり。つとめて日さし出づるまで式部のおもとゝひさしにねたるに、奧のやり戶をあけさせ給うて、うへのおまへ〈一條天皇〉、宮の御前〈中宮定子〉出でさせ給へれば、起きもあへず惑ふをいみじく笑はせ給ふ。からぎぬをかみのうへにうち着て、とのゐ物も何もうづもれながらあるうへにおはしまして、陣より出で入るものなど御覽ず。殿上人のつゆ知らでより來て物いふなどもあるを「けしきな見せそ」と笑はせ給ふ。さてたゝせ給ふに、「二人ながらいざ」と仰せらるれど、「今顏などつくろひてこそ」とてまゐらず。入らせ給ひて猶めでたき事ども言ひあはせて居たるに、南のやり戶のそばに、几帳の手のさし出でたるにさはりて、すだれの少しあきたるより黑みだるものゝ見ゆれば、のりたかゞ居たるなめりと思ひて、見も入れでなほ事どもをいふに、いとよく笑みたる顏のさし出でたるを「のりたかなめり、そは」とて見やりたればあらぬ顏なり。「あさまし」と笑ひさわぎて几帳ひき直し隱るれど、頭の辨にこそおはしけれ。見え奉らじとしつるものをといとくちをし。もろともに居たる人はこなたに向きて居たれば顏も見えず。立ち出でゝ「いみじく名殘なくも見つるかな」とのたまへば「のりたかと思ひ侍ればあなづりてぞかし。などかは見じとのたまひしに、さつくづくとは」といふに、「女はねおきたる顏なむいとよきといへば、ある人の局に行きてかいばみして、又もし見えやするとて來たりつるなり。まだうへのおはしつる折からあるをえ知らざりけるよ」とてそれより後は局のすだれうちかづきなどしたまふめり。

殿上のなだいめんこそ猶をかしけれ。御前に人侍ふをりはやがて問ふもをかし。足音どもしてくづれ出づるを、うへの御局のひんがしおもてに耳おとなへて聞くに、知る人の名のりにはふと胸つぶるらむかし。又ありともよく聞かぬ人をもこの折に聞きつけたらむはいかゞ覺ゆらむ。名のりよしあし聞きにくゝ定むるもをかし。はてぬるなりと聞く程に、瀧口の弓ならし、くつの音そゝめき出づるに、藏人のいと高くふみこぼめかして、うしとらの隅の高棚にたかひざまづきとかやいふゐずまひに、御前のかたに向ひて、「うしろざまに、誰々が侍る」ととふ程こそをかしけれ。細う高う名のり、「まだ人々さふらはねばにや、なだいめん仕うまつらぬよし奏するもいかに」と問へば、さはる事ども申すに、さ聞きて歸るを、まさひろはきかずとて君達の敎へければ、いみじう腹だちしかりて、かんがへて瀧口にさへ笑はる。みづし所のお物棚といふものに沓おきて拂へ〈二字イ無〉いひのゝしるをいとほしがりて「たが沓にかあらむえ知らず」ととのもりつかさ人々のいひけるを「やゝまさひろがきたなき物ぞや」。とりに來てもいとさわがし。

若くて宜しきをのこの、げす女の名をいひなれて呼びたるこそいとにくけれ。知りながらも何とかやかたもじは覺えでいふはをかし。宮仕所の局などによりて、夜などぞさおぼめかむはあしかりぬべけれどとのもりづかさ、さらぬ所にてはさぶらひ、藏人所にあるものをゐて行きてよばせよかし、手づからは聲もしるきに。はしたものわらはべなどはされどよし。

わかき人とちごは肥えたるよし。ずりやうなどおとなだちたる人はふときいとよし。あまりやせからめきたるは心いられたらむと推しはからる。よろづよりは牛飼童のなりあしくてもたるこそあれ。ことものどもはされどしりにたちてこそいけ。さきにつとまもられいくもの、きたなげなるは心うし。車のしりにことなることなきをのこどものつれだちたるいと見ぐるし。ほそらかなるをのこ、ずゐじんなど見えぬべきが黑き袴のすそごなる、狩衣は何もうちなればみたる。走る車のかたなどにのどやかにてうちそひたるこそ我が物とは見えね。猶大かたなりあしくて人使ふはわろかりき。やれなど時々うちしたれどなればみて罪なきはさるかたなりや。つかひ人などはありてわらはべのきたなげなるこそはあるまじく見ゆれ。家に居たる人もそこにある人とてつかひにてもまらうどなどのいきたるにも、をかしき童のあまた見ゆるはいとをかし。

人の家のまへをわたるにさぶらひめきたるをのこつちにをるものなどしてをのこゞの十ばかりなるが、かみをかしげなる引きはへてもさばきてたるも、又五つ六つばかりなるがかみはくびのもとにかいくゝみてつらいと赤うふくらかなる、あやしき弓。しもとだちたる物などさゝげたるいとうつくし。車とゞめていだき入れまほしくこそあれ。又さていくにたきものゝ香のいみじくかゝへたるいとをかし。よき家の中門あけてびらうげの車の白う淸げなる、はしすはうの下すだれのにほひいときよげにてしぢにたちたるこそめでたけれ。五位六位などの下がさねのしりはさみてさゝのいと白きかたにうちおきなどして、とかくいきちがふに、又さうぞくしつぼやなぐひおひたるずゐじんの出で入るいとつきづきし。くりや女のいと淸げなるがさし出でゝ「なにがし殿の人やさふらふ」などいひたるをかし。

     たきは

おとなしの瀧。ふるの瀧は法皇の御覽じにおはしけむこそめでたけれ。那智の瀧は熊野にあるがあはれなるなり。とゞろきの瀧はいかにかしかましくおそろしからむ。

     川は

飛鳥川、淵瀨さだめなくはかなからむといとあはれなり。大井川、泉川、水無瀨川。みゝと川、又何事をさしもさかしく聞きけむとをかし。おとなし川、思はずなる名とをかしきなり。ほそだに川、たまほし川、ぬき川。澤田川、催馬樂などのおもひはするなるべし。なのりその川。名取川もいかなる名を取りたるにかと聞かまほし。吉野川。あまの川、このしたにもあるなり。「七夕つめに宿からむ」と業平が詠みけむもましてをかし。

     はしは

あさむつの橋、ながらの橋、あまびこの橋、濱名の橋、ひとつ橋、佐野の舟橋、うたじめの橋、とゞろきの橋、をがはの橋、かけはし、せたの橋、木曾路の橋、堀江の橋、かさゝぎの橋、ゆきあひの橋、をのゝうきはし。山すげの橋、名を聞きたるをかし。うたゝねの橋。

     里は

あふさかの里、ながめの里、いさめの里、人づまの里、たのめの里、朝風の里、夕日の里、とをちの里、伏見の里、ながゐの里。つまどりの里、人にとられたるにやあらむ、我が取りたるにやあらむ、いづれもをかし。

     草は

さうぶ、こも。あふひ、いとをかし。祭のをり神代よりしてさるかざしとなりけむ、いみじうめでたし。物のさまもいとをかし。おもだかも名のをかしきなり、心あがりしけむとおもふに。みくり、ひるむしろ、こけ、こだに、雪まの靑くさ〈わか草イ〉。かたばみ、あやのもんにても異物よりはをかし。あやふ草は、岸のひたひに生ふらむもげにたのもしげなくあはれなり。いつまで草は生ふる所いとはかなくあはれなり。岸のひたひよりもこれはくづれやすげなり。まことのいしばひなどにはえおひずやあらむと思ふぞわろき。ことなし草は思ふ事なきにやあらむと思ふもをかし。又あしき事を失ふにやといづれもをかし。しのぶ草いとあはれなり。屋のつま、さし出でたる物のつまなどにあながちに生ひ出でたるさまいとをかし。よもぎいとをかし。つばないとをかし。はまちの葉はましてをかし。まろこすげ、うきぐさ、あさぢ、あをつゞら、とくさといふ物は風に吹かれたらむ音こそいかならむと思ひやられてをかしけれ。なづな、ならしば、いとをかし。はすのうき葉のらうたげにてのどかに澄める池のおもてにおほきなるとちひさきとひろごりたゞよひてありくいとをかし。とりあげて物おしつけなどして見るもよにいみじうをかし。やへむぐら、やますげ、やまゐ、ひかげ、はまゆふ、あし。くずの、風に吹きかへされて裏のいとしろく見ゆるをかし。

     集は

古萬葉集〈萬葉〉、古今、後撰。

     歌の題は

都、葛、みくり、駒、霰、笹、壺菫、ひかげ、こも、たかせ、をし、淺茅、芝、靑つゞら、梨、棗、朝顏。

     草の花は

なでしこ、からのは更なり、やまとのもいとめでたし。をみなへし、ききやう、菊のところどころうつろひたる。かるかや、りんどうは枝さしなどもむつかしげなれど、こと花みな霜がれはてたるにいとはなやかなる色あひにてさし出でたるいとをかし。わざととりたてゝ人めかすべきにもあらぬさまなれど、かまつかの花らうたげなり。名ぞうたてげなる。かりのくる花ともじには書きたる。かに〈るイ〉ひの花色はこからねど藤の花にいとよく似て春と秋と咲くをかしげなり。つぼすみれ、すみれ同じやうの物ぞかし。おいていけばおしなどうし〈如元〉。しもつけの花、夕顏はあさがほに似て言ひつゞけたるもをかしかりぬべき花のすがたにて、にくきみのありさまこそいと口をしけれ。などてさはた生ひ出でけむ、ぬかづきなどいふものゝやうにだにあれかし。されど猶夕顏といふ名ばかりはをかし。あしの花更に見どころなけれど、みてぐらなどいはれたるこゝろばへあらむと思ふに、たゞならず。もじ〈もえしイ〉もすゝきにはおとらねど、みづのつらにてをかしうこそあらめとおぼゆ。これにすゝきを入れぬいとあやしと人いふめり。あきの野のおしなべたるをかしさは、すゝきにこそあれ。穗さきのすはうにいと濃きが あさぎりにぬれてうちなびきたるはさばかりの物やはある。秋のはてぞいと見どころなき。いろいろに亂れ咲きたりし花のかたもなく散りたる後、冬の末までかしらいと白くおほどれたるをも知らで昔思ひ出でがほになびきてかひろぎ立てる人にこそいみじう似ためれ。よそふる事ありてそれをしもこそ哀とも思ふべけれ。萩はいと色ふかく枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、さをしかの分きてたちならすらむも心ことなり。からあふひはとりわきて見えねど、日の影にしたがひてかたぶくらむぞ、なべての草木の心とも覺えでをかしき。花の色は濃からねど咲く山吹にはいはつゝじもことなることなけれど、をりもてぞ見るとよまれたる、さすがにをかし。さうびはちかくて枝のさまなどはむつかしけれどをかし。雨など晴れゆきたる水のつら、黑木のはしなどのつらにみだれさきたるゆふばえ。

     おぼつかなきもの

十二年の山ごもりの法師のめおや。知らぬ所に闇なるに行き〈あひイ有〉たるに、あらはにもぞあるとて火もともさでさすがになみゐたる。今まできたるものゝ心も知らぬにやんごとなき物もたせて人のがりやりたるにおそくかへる。物いはぬちごのそりくつがへりて人にもいだかれず泣きたる。暗きにいちごくひたる。人の顏見しらぬ物見。

     たとしへなきもの

夏と冬と、よると晝と、雨ふると日てると、若きと老いたると、人の笑ふと腹だつと、黑きと白きと、思ふと憎むと、藍ときはだと、雨と霧と。おなじ人ながらも志うせぬるはまことにあらぬ人とぞ覺ゆるかし。常磐木おほかる所にからすのねて夜中ばかりにいねさわがしくおちまどひ、木づたひてねおびれたる聲に鳴きたるこそ晝のみめにはたがひてをかしけれ。忍びたる所にては夏こそをかしけれ。いみじう短き夜のいとはかなく明けぬるにつゆねずなりぬ。やがてよろづの所あけながらなれば凉しう見わたされたり。猶今少しいふべき事のあれば、かたみにいらへどもする程に、唯居たるまへ〈うへイ〉より烏の高くなきて行くこそいとけそうなる心ちしてをかしけれ。冬のいみじく寒きに思ふ人とうづもれふして聞くに鐘のおとのたゞ物の底なるやうに聞ゆるもをかし。鳥の聲もはじめははねのうちに口をこめながら鳴けば、いみじう物深く遠きがつきつぎになるまゝに近く聞ゆるもをかし。けさうびとにてきたるはいふべきにもあらず。唯うちかたらひ又さしもあらねどおのづからきなどする人のすのうちにてあまた人々居て物などいふに入りて、とみに歸りげもなきを供なるをのこわらはなど「斧の柄も朽ちぬべきなめり」とむつかしければ、ながやかにうちながめ〈あぐみイ〉てみそかにと思ひていふらめども「あなわびし。ぼんなうくなうかな。今は夜中にはなりぬらむ」などいひたるいみじう心づきなく、かのいふものはとかくもおぼえず。この居たる人こそをかしう見きゝつる事もうするやうに覺ゆれ。又「さは色に出でゝはえいはずある」と高やかにうちいひうめきたるも、したゆく水のといとをかし。たてじとみ、すいがいのもとにて「雨降りぬべし」など聞えたるもいとにくし。よき人きんだちなどのともなるこそさやうにはあらね、たゞ人などさぞある。あまたあらむ中にも心ばへ見てぞゐてありくべき。

     ありがたきもの

しうとに譽めらるゝむこ、又しうとめに思はるゝ嫁の君、物よく拔くるしろがねの毛拔、しう譏らぬ人のずさ、つゆのくせかたはなくてかたち心ざまも勝れて、世にある程いさゝかのきずなき人。同じ所に住む人のかたみにはぢかはしいさゝかの隙なく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそかたけれ。物語、集など書きうつす本に墨つけぬ事。よき草紙などはいみじく心して書けれどもかならずこそきたなげになるめれ。男も女も法師もちぎり深くて語らふ人の末まで中よき事かたし。つかひよきずんざ。かいねりうたせたるにあなめでたと見えておこす。うちの局はほそどのいみじうをかし。かみの小しとみあけたれば風いみじう吹き入りて夏もいとすゞし。冬は雪霰などの風にたぐひて入りたるもいとをかし。せばくてわらはべなどののぼり居たるもあしければ、屛風のうしろなどにかくしすゑたれば、こと所のやうに聲たかく笑ひなどもせでいとよし。晝などもたゆまず心づかひせらる。よるはたましていさゝかうちとくべくもなきが、いとをかしきなり。くつの音の夜ひと夜聞ゆるがとまりて唯および一つしてたゝくが、その人ななりとふと知るこそをかしけれ。いと久しくたゝくに音もせねばねいりにけるとや思ふらむ。ねたく少しうち身じろくおと、きぬのけはひもさななりと思ふらむかし。扇などつかふもしるし。冬は火桶にやをら立つる火箸の音も忍びたれど聞ゆるを、いとゞたゝきまさり聲にてもいふに、かげながらすべりよりて聞くをりもあり。又あまたの聲にて詩をずじ歌などうたふにはたゝかねどまづあけたれば、こゝへとしも思はぬ人も立ちとまりぬ。入るべきやうもなくて立ちあかすもをかし。みすのいと靑くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつま少しうちかさなりて見えたるに、直衣のうしろにほころび絕えず着たる君だち、六位の藏人の靑色など着て、うけばりてやり戶のもとなどにそばよせてえたてらず。へいの前など〈三字かたイ〉にうしろ押して袖うち合せて立ちたるこそをかしけれ。また指貫いと濃う直衣のあざやかにていろいろのきぬどもこぼし出でたる人の、すを押し入れて、なから入りたるやうなるも、とより見るはいとをかしからむを、いと淸げなる硯ひき寄せて文書き、もしは鏡こひてびんなどかき直したるもすべてをかし。三尺の几帳をたてたるに、もかうのしもは唯少しぞある。とに立てる人、內に居たる人と物いふ顏のもとにいとにくゝあたりたるこそをかしけれ。たけのいと高く、短からむ人などやいかゞあらむ。猶よのつねのはさのみぞあらむ。ましてりんじの祭のてうがくなどはいみじうをかし。とのもりの官人などの長き松を高くともしてくびはひき入れて行けば、さきはさしつけつばかりなるに、をかしうあそび笛ふき出でゝ心ことに思ひたるに、君達の日のさうぞくして立ちとまり物いひなどするに、殿上人の隨身どもさきを忍びやかに短く、おのが君達のれうにおひたるも、あそびにまじりてつねに似ずをかしう聞ゆ。夜ふけぬれば猶あけて歸るを待つに、君達の聲にて「あらたに生ふるとみ草の花」と歌ひたるも、このたびは今すこしをかしきに、いかなるまめ人にかあらむ。すくずくしうさし步みて出でぬるもあれば笑ふを「暫しや」など、さ夜をすてゝ急ぎ給ふ。「とありて」などいへど、心ちなどやあしからむ、たふれぬばかり、もし人やおひてとらふると見ゆるでまどひ出づるもあめり。

しきの御ざうしにおはしますころ、こだちなど遙に物ふり、屋のさまも高うけどほけれどすゞろにをかしう覺ゆ。母屋は鬼ありとて皆へだて出して、南の廂に御几帳たてゝまたひさしに女房は侍ふ。近衞の御門より左衞門の陣に入り給ふ上達部のさきども、殿上人のはみじかければ、おほさきこさきと聞きつけてさわぐ。あまたたびになればその聲どもゝ皆聞きしられて「それぞかれぞ」といふに「又あらず」などいへば、人して見せなどするに、いひあてたるは「さればこそ」などいふもをかし。有明のいみじうきり渡りたる庭におりてありくをきこしめして御まへにもおきさせ給へり。うへなる人〈人のかぎりイ有〉は皆おりなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。左衞門の陣にまかりて見むとて行けば、我も我もと追ひつきて行くに、殿上人あまた聲して「なにがし一聲の秋」とずんじてい〈一字まゐイ〉る音すれば、にげ入りて物などいふ。月を見給ひけるなどめでゝ歌よむもあり。よるも晝も殿上人の絕ゆる折〈よイ〉なし。上達部まかで參り給ふに、おぼろげに急ぐことなきはかならずまゐり給ふ。

     あぢきなきもの

わざと思ひたちてみやづかへに出で立ちたる人の、ものうがりてうるさげに思ひたる。人にもいはれむつかしき事もあればいかでかまかでなむといふことぐさをして、出でゝ親をうらめしければまた參りなむといふよ。とりこのかほにくさげなる。しぶしぶに思ひたる人を忍びて聟にとりて思ふさまならずとなげく人。

     いとほしげなきもの

人によみて取らせたる歌の譽めらるゝ、されどそれはよし。遠きありきする人のつきづきえん尋ねて文えむといはすれば、知りたる人のがりなほざりにかきて遣りたるに、なまいたはりなりと腹立ちて返り事もとらせでむとくにいひなしたる。

     こゝちよげなるもの

卯杖のことぶき〈ほふしイ〉、かぐらのにんぢやう、池のはちすの村雨にあひたる、ごりやうゑのうまをさ、又御りやうゑ〈祇園イ〉のふりはた。

     とりもてるもの

くゞつのことゝ〈一字イ無〉り、除目に第一の國得たる人。

御佛名のあした〈又の日イ〉地獄〈のイ有〉繪の御屛風取りわたして、宮に御覽ぜさせ奉り給ふ。いみじうゆゝしき事限りなし。「これ見よかし」と仰せらるれど「更に見侍らじ」とてゆゝしさにうへやに隱れふしぬ。雨いたく降りてつれづれなりとて殿上人うへのみつぼねに召して御あそびあり。みちかたの少納言琵琶いとめでたし。なりまさの君さうのこと、ゆきなり笛、經房の中將さうの笛などいとおもしろうひとわたり遊びて、琵琶ひきやみたるほどに、大納言殿〈伊周〉の「琵琶の聲はやめて物語することおそし」といふ事をずんじ給ひしに、隱れふしたりしも起き出でゝ、「罪はおそろしけれど猶物のめでたきはえやむまじ」とて笑はる。御聲などのすぐれたるにはあらねど、折のことさらに作りいでたるやうなりしなり。

頭中將〈齊濟〉そゞろなるそらごとをきゝていみじういひおとし、何しに人と思ひけむなど殿上にてもいみじくなむのたまふと聞くに、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞きなほし給ひてむ」など笑ひてあるに、黑戶のかたへなど渡るにも聲などする折は袖をふたぎてつゆ見おこせず、いみじうにくみ給ふをとかくもいはず見もいれで過ぐす。二月つごもりがた雨いみじう降りてつれづれなるに、御物いみにこもりて「さすがにさうざうしくこそあれ、物やいひにやらましとなむのたまふ」と人々語れど「よにあらじjなどいらへてあるに、一日しもに暮して參りたればよるのおとゞに入らせ給ひにけり。なげしのしもに火近く取りよせてさしつどひてへんをぞつく。「あなうれしや。とくおはせ」など見つけていへどすさまじき心ちして何しにのぼりつらむとおぼえて、すびつのもとに居たれば、又そこにあつまり居て物などいふに、「なにがしさふらふ」といと華やかにいふ。「あやしくいつのまに何事のあるぞ」と問はすれば「とのもりづかさなり。唯こゝに人づてならで申すべき事なむ」といへばさし出でゝ問ふに「これ頭中將殿の奉らせ給ふ。御かへりとく」といふに、いみじくにくみ給ふを、いかなる御文ならむと思へど、唯今急ぎ見るべきにあらねば「いね。今きこえむ」とてふところにひき入れて入りぬ。猶人の物いふきゝなどするに、すなはち立ち歸りて「さらばそのありつる文をたまはりてことなむ仰せられつる。とくとく」といふに「あやしく伊勢の物語なるや」とて見れば、靑きうすえふにいと淸げに書き給へるを心ときめきしつるさまにもあらざりけり。「らんしやうの花の時きんちやうのもと」と書きて「末はいかにいかに」とあるを、いかゞはすべからむ御まへのおはしまさば御覺ぜさすべきを、これがすゑしり顏にたどたどしきまんなに書きたらむも見苦しなど思ひまはすほどもなく、せめまどはせば、唯その奧にすびつの消えたる炭のあるして「草のいほりを誰かたづねむ」と書きつけて取らせつれど、返り事もいはで、みなねてつとめていととく局におりたれば、源中將〈經房〉の聲して「草のいほりやある草のいほりやある」とおどろおどろしうとへば「などてかさ人げなき物はあらむ。玉のうてなもとめ給はましかばいで聞えてまし」といふ。「あな嬉し。しもにありけるよ。うへまで尋ねむとしつるものを」とて「よべありしやう、頭中將のとのゐ所にて少し人々しき限、六位まで集りて萬の人のうへ、むかし今と語りていひしついでに、猶このものむげに絕えはてゝ後こそさすがにえあらね、もしいひ出づる事もやと待てどいさゝか何とも思ひたらず、つれなきがいとねたきを、今宵あしともよしとも定めきりてやみなむかしとて、皆いひ合せたりし事を、唯今は見るまじきとて入り給ひぬとてとのもりづかさ來りしを、又追ひ返してたゞ袖をとらへてとうざいをさせずこひとりもてこずば、文を返しとれといましめて、さばかり降るあめのさかりに遣りたるに、いと疾く歸りきたり。これとてさし出でたるがありつる文なれば、返してけるかとうち見るに、あはせてをめけば、あやし、いかなる事ぞとて皆寄りて見るに、いみじきぬす人かな、なほえこそすつまじけれと見さわぎて、これがもとつけてやらむ、源中將つけよなどいふ。夜更くるまでつけわづらひてなむやみにし。このことかならず語り傳ふべきことなりとなむ定めし」といみじくかたはらいたきまでいひきかせて「御名は今は草のいほりとなむつけたる」とて急ぎたち給ひぬれば「いとわろき名の末まであらむこそ口惜しかるべけれ」といふ程に、修理亮のりみつ「いみじきよろこび申しに、うへにやとて參りたりつる」といへば「なぞつかさめしありとも聞えぬに、何になり給へるぞ」といへば「いでまことにうれしき事のよべ侍りしを、心もとなく思ひ明してなむ。かばかりめんぼくある事なかりき」とてはじめありける事ども中將の語りつるおなじ事どもをいひて、「このかへりごとにしたがひてさる物ありとだに思はじと頭中將のたまひしに、たゞに來りしはなかなかよかりき。もてきたりしたびはいかならむと胸つぶれて、まことにわろからむはせうとのためもわろかるべしと思ひしに、なのめにだにあらず、そこらの人の譽め感じて、せうとこそ聞けとの給ひしかば、した心にはいとうれしけれど、さやうのかたにはさらにえ侍ふまじき身になむはべると申しゝかば、ことくはへ聞さ知れとにはあらず、唯人に語れとてきかするぞとのたまひしなむ、すこしくちをしき。せうとのおぼえに侍りしかど、これがもとつけ心みるに、いふべきやうなし。殊に又、これが返しをやすべきなどいひ合せ、わろきこといひてはなかなかねたかるべし」とて夜中までなむおはせし。これは身のためにも人のためにもさていみじきよろこびにははべらずや。司めしに少將のつかさ得て侍らむはなにとも思ふまじくなむ」といへば、げにあまたしてさる事あらむとも知らで、ねたくもありけるかな。これになむ胸つぶれて覺ゆる。このいもうとせうとゝいふことをばうへまで皆しろしめし、殿上にもつかさ名をばいはでせうとゝぞつけたる。物語などして居たるほどにまづと召したれば、參りたるに、この事仰せられむとてなりけり。「うへの渡らせ給ひて語り聞えさせ給ひてをのこども皆扇に書きてもたる」と仰せらるゝにこそあさましう何のいはせける事にかと覺えしか。さてのちに袖ぎちやうなど取りのけて思ひなほり給ふめりし。

かへる年の二月廿五日に、宮、しきの御ざうしに出でさせ給ひし、御ともに參らで海壺に殘り居たりし又の日、頭中將〈齊濟〉のせうそことて「きのふの夜鞍馬へ詣でたりしにこよひ方のふたがればたがへになむ行く。まだ明けざらむに歸りぬべし。かならずいふべき事あり。いたくたゝかせで待て」とのたまへりしかど「局に一人はなどてあるぞ。こゝにねよ」とてみくしげ殿〈定子妹〉めしたれば參りぬ。久しくねおきておりたれば「よるいみじう人のたゝかせ給ひし。からうじて起きて侍りしかば、うへにかたらばかくなむとのたまひしかども、よもきかせ給はじとて臥し侍りにき」と語る。「心もとなの事や」とて聞くほどにとのもりづかさきて、「頭の殿の聞えさせ給ふなり。唯今まかり出づるを、聞ゆべき事なむある」といへば「見るべきことありて、うへ〈中宮〉になむのぼり侍る。そこにて」といひて局はひきもやあけ給はむと心ときめきして煩はしければ、梅壺の東おもてのはじとみあげて「こゝに」といへば、めでたくぞ步み出で給へる。櫻の直衣いみじく花々とうらの色つやなどえもいはずけうらなるに、えびぞめのいと濃き指貫に藤のをり枝、ことごとしくをりみだりて、紅の色うちめなどかゞやくばかりぞ見ゆる。次第に白きうす色などあまたかさなりたる。せばきまゝに片つかたはしもながら、少しすのもと近く寄り居給へるぞ、まことに繪に書き物語のめでたきことにいひたる、これにこそはと見えたる。御前の梅は西はしろく東は紅梅にて少しおちかたになりたれど猶をかしきに、うらうらと日の氣色のどかにて人に見せまほし。すのうちにまして若やかなる女房などの髮うるはしく長くこぼれかゝりなどそひ居ためる、今すこし見所ありをかしかりぬべきに、いとさだ過ぎふるぶるしき人の、髮なども我にはあらねばや、ところどころわなゝきちりぼひて大かた色ことなるころなれば、あるかなきかなるうすにびどもあはひも見えぬきぬどもなどあれば、露のはえも見えぬに、おはしまさねば裳も着ずうちきすがたにて居たるこそ物ぞこなひに口をしけれ。「しきへなむまゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さてもよべあかしもはてゞ。されどもかねてさいひてしかば待つらむ」とて月のいみじう明きに、西の京よりくるまゝに、局をたゝきし程からうじてねおびれて起き出でたりしけしき、いらへのはしたなさなど語りてわらひ給ふ。むげにこそ思ひうんじにしか、などさるものをばおきたるなど、げにさぞありけむといとほしくもをかしくもあり、しばしありて出で給ひぬ。とより見む人はをかしう內にいかなる人のあらむと思ひぬべし。奧のかたより見いだされたらむうしろこそとにさる人やともえ思ふまじけれ。暮れぬればまゐりぬ。御まへに人々多く集ひ居て物語のよきあしき、にくき所などをぞさだめいひしろひずうじ、なかたゞが事など御前にもおとりまさりたる事など仰せられける。「まづこれはいかにとことわれ。なかたゞがわらはおひのあやしさを、せちに仰せらるゝぞ」などいへば、「何かは。きんなども天人おるばかりひきていとわろき人なり。みかどの御むすめやはえたる」といへば、なかたゞがかた人と心を得て、「さればよ」などいふに、「この事どもよりは、ひるたゞのぶが參りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそ覺ゆれ」と仰せらるゝに、人々「さてまことに常よりもあらまほしう」などいふ。「まづその事こそ啓せむと思ひて參り侍りつるに、物語の事にまぎれて」とてありつる事を語り聞えさすれば「たれもたれも見つれどいとかく縫ひたるいとはりめまでやは見とほしつる」とて笑ふ。「西の京といふ所の荒れたりつる事、もろともに見る人あらましかばとなむおぼえつる。垣ども皆やぶれて苔おひて」など語りつれば、宰相の君の「かはらの松はありつや」といらへたりつるを、いみじうめでゝ「西のかた都門を去れることいくばくの地ぞ」と口ずさびにしつる事などかしがましきまでいひしこそをかしかりしか。

里にまかでたるに、殿上人などのくるも安からずぞ人々いひなすなる。いとあまり心に引きいりたるおぼえはたなければ、さ言はむ人もにくからず。又よるも晝もくる人をば何かはなしなどもかゝやきかへさむ。まことに睦しくなどあらぬもさこそはくめれ。あまりうるさくもげにあればこのたび出でたる所をばいづくともなべてには知らせず。つねふさ、なりまさの君などばかりぞ知り給へる。左衞門のぞうのりみつが來て物語などするついでに、「きのふも宰相中將殿〈齊濟〉の、妹〈淸少〉のありどころさりとも知らぬやうあらじといみじう問ひ給ひしに更に知らぬよし申しゝに、あやにくに强ひ給ひし事などいひてある事あらがふはいとわびしうこそありけれ。ほどほどゑみぬべかりしに、左中將〈經房〉のいとつれなく知らず顏にて居給へりしを、かの君に見だにあはせばゑみぬべかりしにわびて、臺盤のうへにあやしきめのありしを、唯とりに取りてくひ紛らはしゝかば、ちうげんにあやしの食ひ物やと人も見けむかし。されどかしこうそれにてなむ申さずなりにし。笑ひなましかばふようぞかし。まことに知らぬなめりとおぼしたりしも、をかしうこそ」など語れば「更にな聞え給ひそ」などいとゞいひて日ごろ久しくなりぬ。夜いたく更けて門おどろおどろしくたゝけば、何のかく心もとなく遠からぬ程をたゝくらむと聞きて問はすれば、瀧口なりけり。左衞門〈則光〉の文とて文をもてきたり。皆ねたるに火ちかく取りよせて見れば「あすみどきやうのけちぐわんにて宰相中將の御物いみにこもり給へるに、妹のあり所申せと責めらるゝに、すぢなし更にえ隱し申すまじき。そことや聞かせ奉るべき。いかに。仰せに從はむ」とぞいひたる。返り事も書かでめを一寸ばかり紙につゝみてやりつ。さて後にきて「一夜責めて問はれて、すゞろなる所にゐてありき奉りて、まめやかにさいなむにいとからし。さてとかくも御かへりのなくてそゞろなるめのはしをつゝみて賜へりしかば、とりたがへたるにや」といふに、あやしのたがへものや、人のもとにさる物つゝみて贈る人やはある。いさゝかも心得ざりけると、見るがにくければ物もいはで硯のある紙のはしに、

 「かづきするあまのすみかはそこなりとゆめいふなとやめをくはせけむ」

とかきて出したれば「歌よませ給ひつるか。更に見侍らじ」とてあふぎかへしてにげていぬ。かうかたみにうしろみかたらひなどする中に、何ごとともなくて少し中あしくなりたる頃文おこせたり。「びんなき事侍るとも、契り聞えし事は捨て給はでよそにてもさぞなどは見給へ」といひたり。常にいふ事は「おのれをおぼさむ人は歌などよみてえさすまじき。すべてあだかたきとなむ思ふべき。今はかぎりありて絕えなむと思はむ時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、

 「くづれよる妹脊の山のなかなればさらによし野の川とだに見じ」

といひ遣りたりしも、まことに見ずやなりにけむ、かへりごともせず。さてかうぶり得て、とほたあふみのすけなどいひしかば、にくゝしてこそやみにしか。

     物のあはれ知らせがほなるもの

はなたるまもなくかみてものいふ聲。まゆぬく。

さてその左衞門の陣にいきてのち、里に出でゝしばしあるに「とく參れ」など仰せ事のはしに、左衞門の陣へいきし朝ぼらけなむ常におぼし出でらるゝ。「いかでさつれなくうちふりてありしならむ。いみじくめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる御かへりごとに、かしこまりのよし申して「わたくしにはいかでかめでたしと思ひ侍らざらむ。御前にもさりとも中なる少女はおぼしめし御覽じけむとなむ思ひ給へし」と聞えさせたれば、たち歸り「いみじく思ふべかめるなり。たがおもてぶせなる事をばいかでかけはしたるぞ。唯今宵のうちによろづの事をすてゝ參られよ。さらずばいみじくににくませ給はむとなむ仰せ事ある」とあれば、よろしからむにてだにゆゝし、ましていみじくとあるもじには命もさながら捨てゝなむとて參りにき。

しきのみざうしにおはします頃、西の廂にふだんの御どきやうあるに、佛などかけ奉り法師の居たるこそ更なる事なれ。二日ばかりありてえんのもとにあやしき者の聲にて「猶その佛供のおろし侍りなむ」といへば「いかでまだきには」といらふるを、何のいふにかあらむと立ち出でゝ見れば、老いたる女の法師の、いみじくすゝけたるかりばかまのつゝとかやのやうに細く短きを、帶より下五寸ばかりなるころもとかやいふべからむ、おなじやうにすゝけたるを着て猿のさまにていふなりけり。「あれは何事いふぞ」といへば、聲ひきつくろひて「佛の御弟子にさふらへば、佛のおろしたべと申すを、この御坊たちの惜みたまふ」といふ。はなやかにみやびかなり。かゝるものはうちくんじたるこそあはれなれ、うたてもはなやかなるかなとて「ことものはくはで佛の御おろしをのみくふがいとたふときことかな」と言ふけしきを見て「などかことものもたべざらむ。それがさふらはねばこそ取り申し侍れ」といへば、くだもの、ひろきもちひなどを物に取り入れて取らせたるに、むげに中よくなりてよろづの事をかたる。わかき人々出できて「男やある。いづこにか住む」など口々に問ふに、をかしきことそへごとなどすれば「歌はうたふや。舞などするか」と問ひもはてぬに「よるはたれとねむ。常陸のすけとねむ。ねたるはだもよし」。これが末いと多かり。又「男山の峯のもみぢ葉さぞ名はたつたつ」と頭をまろがしふる。いみじくにくければ、笑ひにくみて、「いねいね」といふもいとをかし。「これに何とらせむ」といふを聞かせ給ひて「いみじうなどかくかたはらいたきことはせさせつる。えこそ聞かで耳をふたぎてありつれ。そのきぬ一つとらせてとくやりてよ」と仰せ事あれば、とりて「それ賜はらするぞ。きぬすゝけたり、白くて着よ」とて投げとらせたれば、伏し拜みて肩にぞうちかけて舞ふものか。まことににくゝて皆入りにし。のちにはならいたるにや、常に見えしらがひてありく。やがて常陸のすけとつけたり。きぬもしろめずおなじすゝけにてあれば「いづちやりにけむ」などにくむに、右近の內侍の參りたるに「かゝる物なむかたらひつけて置きためる。かうして常にくること」とありしやうなど小兵衞といふ人してまねばせて聞かせ給へば「あれいかで見侍らむ。かならず見せさせ命へ。御得意なゝり。更によも語らひとらじ」など笑ふ。その後また尼なるかたはのいとあてやかなるが出できたるを、又呼び出でゝ物など問ふに、これは耻かしげに思ひてあはれなればきぬひとつたまはせたるを、伏し拜むはされどよし。さてうちなき悅びて出でぬるを、はやこの常陸の介いきあひて見てけり。その後いと久しく見えねど誰かは思ひ出でむ。さてしはすの十よ日のほどに、雪いと高うふりたるを、女房どもなどしてものゝふたに入れつゝいと多くおくを「おなじくは庭にまことの山を作らせ侍らむ」とてさぶらひ召して「仰せ事にて」といへば、あつまりてつくるに、とのもりづかさの人にて御きよめに參りたるなども皆よりていと高くつくりなす。宮づかさなど參り集まりてことくはへことにつくれば、所の衆三四人參りたる。殿守づかさの人も二十人ばかりになりにけり。里なるさぶらひ召しに遺しなどす。「今日この山つくる人には祿賜はすべし。雪山に參らざらむ人には同じからずとゞめむ」などいへば、聞きつけたるはまどひまゐるもあり。里遠きはえ吿げやらず。作りはてつれば宮づかさ召してきぬ二ゆひとらせてえんに投げ出づるを、ひとつづゝとりによりて、をがみつゝ腰にさして皆まかでぬ。うへのきぬなど着たるはかたへさらで狩衣にてぞある。「これついまでありなむ」と人々の給はするに「十餘日はありなむ」唯この頃の程をある限り申せば「いかに」と問はせ給へば、「む月の十五日まで候ひなむ」と申すを、御前にもえさはあらじとおぼすめり。女房などはすべて「年の內つごもりまでもあらじ」とのみ申すに、餘り遠くも申してけるかな、げにえしもさはあらざらむ、ついたちなどぞ申すべかりけると下にはおもへど「さばれさまでなくと言ひそめてむことは」とてかたうあらがひつ。二十日のほどに雨など降れど消ゆべくもなし。たけぞ少しおとりもてゆく。「白山の觀音これきやさせ給ふな」と祈るも物ぐるほし。さてその山つくりたる日、式部のぞうたゞたか御使にて參りたれば、しとねさし出し、物などいふに「けふの雪山つくらせ給はぬ所なむなき。御前のつぼにも作らせ給へり。春宮〈三條院〉弘徽殿〈義子〉にもつくらせ給へり。京極殿〈道長〉にもつくらせ給へり」などいへば、

 「こゝにのみめづらしと見る雪の山ところどころにふりにけるかな」

とかたはらなる人していはすれば、たびたび傾ぶきて、「返しはえ仕うまつりけがさじ。あざれたり。みすの前にて人にをかたり侍らむ」とてたちにき。歌はいみじく好むと聞きしにあやし。御前にきこしめして「いみじくよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。つごもりがたに少しちひさくなるやうなれど猶いと高くてあるに、晝つ方緣に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出できたり。「などいと久しく見えざりつる」といへば、「なにか、いと心憂き事の侍りしかば」といふに、「いかに、何事ぞ」と問ふに、「猶かく思ひ侍りしなり」とてながやかによみ出づ、

 「うらやまし足もひかれずわたつうみのいかなるあまに物たまふらむ

となむ思ひ侍りし」といふをにくみ笑ひて、人の、目も見いれねば、雪の山にのぼりかゝづらひありきていぬるのちに、右近の內侍にかくなむと言ひやりたれば「などか人そへてこゝには賜はせざりし。かれがはしたなくて雪の山までかゝりつたひけむこそいと悲しけれ」とあるを、又わらふ。ゆき山はつれなくて年もかへりぬ。ついたちの日又雪多くふりたるを、うれしくも降り積みたるかなと思ふに「これはあいなし。初のをばおきて今のをばかき棄てよ」と仰せらる。うへにて局へいととうおるれば侍のをさなるもの、ゆのはの如くなるとのゐぎぬの袖の上に靑き紙の松につけたるをおきてわなゝき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば「齋院〈選子〉より」といふに、ふとめでたく覺えて取りて參りぬ。まだおほとのごもりたれば母屋にあたりたるみかうしおこなはむなど、かきよせて一人念じてあくる、いと重し。片つかたなければひしめくにおどろかせ給ひて「などさはする」との給はすれば「齋院〈選子〉より御文の候はむにはいかでか急ぎあけ侍らざらむ」と申すに「げにいととかりけり」とて起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌二つを卯杖のさまにかしらつゝみなどして山たちばな、ひかげ、やますげなどうつくしげに飾りて御文はなし。「唯なるやうあらむやは」とて御覽ずれば、うづちの頭つゝみたるちひさき紙に、

 「山とよむ斧のひゞきをたづぬればいはひの杖のおとにぞありける」。

御返しかゝせ給ふほどもいとめでたし。齋院にはこれより聞えさせ給ふ。御返しも猶心ことにかきけがし、多く御用意見えたる。御使に白き織物のひとへすはうなるは梅なめりかし、雪の降りしきたるに、かづきてまゐるもをかしう見ゆ。このたびの御かへりごとを知らずなりにしこそくちをしかりしか。雪の山はまことにこしのにやあらむと見えて消えげもなし。くろくなりて見るかひもなきさまぞしたる。勝ちぬる心ちしていかで十五日まちつけさせむと念ずれど、「七日をだにえ過ぐさじ」と猶いへば、いかでこれ見はてむと皆人思ふ程に、俄に三日內へ入らせ給ふべし。いみじう口をしくこの山のはてを知らずなりなむ事と、まめやかに思ふ程に、人も「げにゆかしかりつるものを」などいふ。御まへにも仰せらる。同じくはいひあてゝ御覽ぜさせむと思へるかひなければ、御物の具はこび、いみじうさわがしきにあはせて、こもりといふ者のついぢの程に廂さして居たるをえんのもと近く呼びよせて「この雪の山いみじく守りてわらはべなどに踏みちらさせこぼたせで十五日まで侍はせ。よくよく守りてその日にあたらばめでたき祿たまはせむとす。わたくしにも、いみじきよろこびいはむ」など語らひて常に臺盤所の人、げすなどにこひてくるゝくだものや何やと、いと多くとらせたればうち笑みて「いとやすきこと、たしかに守り侍らむ。わらはべなどぞのぼり侍らむ」といへば「それをせいして聞かざらむものは事のよしを申せ」などいひ聞かせて入らせ給ひぬれば、七日まで侍ひて出でぬ。そのほどもこれがうしろめたきまゝに、おほやけ人、すまし、をさめなどして、絕えずいましめにやり、七日の御節供のおろしなどをやりたれば、拜みつることなど、かへりては笑ひあへり。里にてもあくるすなはちこれを大事にして見せにやる。十日のほどには、五六尺ばかりありといへば、うれしく思ふに、十三日の夜雨いみじく降れば、これにぞ消えぬらむといみじう口をし。「今ひと日もまちつけで」とよるも起き居て歎けば聞く人も「物くるほし」と笑ふ。人の起きて行くにやがて起き居てげすおこさするに、更に起きねばにくみ腹だゝれて起きいでたるを遣りて見すれば「あらふだばかりになりて侍る。こもりいとかしこうわらはべも寄せで守りてあすあさてまでも侍ひぬべし、祿賜はらむと申す」といへば、いみじくうれしく、いつしかあすにならば、いととう歌よみて物に入れてまゐらせむと思ふもいと心もとなうわびしう、まだくらきに、大きなるをりびつなどもたせて「これにしろからむ所ひたもの入れてもてこ。きたなげならむはかき捨てゝ」など、言ひくゝめて遣りたれば、いととくもたせてやりつる物ひきさげて「はやう失せ侍りにけり」といふに、いとあさまし。をかしうよみ出でゝ人にも語りつたへさせむとうめきずんじつる歌もいとあさましくかひなく「いかにしつるならむ。きのふさばかりありけむ物をよのほどに消えぬらむこと」と言ひくんずれば、こもりが申しつるは「きのふいと暗うなるまで侍りき。祿をたまはらむと思ひつるものを、たまはらずなりぬる事と手をうちて申し侍りつる」といひさわぐに、うちより仰せ事ありて「さて雪は今日までありつや」とのたまはせたれば、いとねたく口をしけれど「年のうちついたちまでだにあらじと人々けいし給ひし。きのふの夕暮まで侍りしをいとかしこしとなむ思ひ給ふる。けふまではあまりの事になむ、夜のほどに人のにくがりて取りすて侍るにやとなむ推しはかりはべるとけいせさせ給へ」と聞えさせつ。さて二十日に參りたるにも、まづこの事を御前にてもいふ。皆消えつとてふたのかぎりひきさげて持てきたりつる、帽子のやうにてすなはちまうで來たりつるがあさましかりし事、物のふたにこ山美くしうつくりて白き紙に歌いみじく書きて參らせむとせしことなどけいすれば、いみじく笑はせ給ふ。おまへなる人々も笑ふに「かう心に入れて思ひける事をたがへたれば罪得らむ。まことには四日の夕さり、侍どもやりて取りすてさせしぞ。かへりごとにいひあてたりしこそをかしかりしか。その翁出できていみじう手をすりて言ひけれど、おほせ事ぞ、かのより來たらむ人にかうきかすな、さらば、やうちこぼたせむといひて、左近のつかさ、南のついぢのとに皆取りすてし、いと高くて多くなむありつ〈如元〉といふなりしかば、げに二十日までも待ちつけてようせずは今年の初雪にも降りそひなまし。うへ〈一條院〉にも聞しめしていと思ひよりがたくあらがひたりと殿上人などにも仰せられけり。さても彼の歌をかたれ。今はかく言ひあらはしつれば、同じごとかちたり。かたれ」など御まへにものたまはせ、人々ものたまへど「なにせむにか、さばかりの事を承りながらけいし侍らむ」などまめやかにうく、心うがれば、うへも渡らせ給ひて「まことに年ごろは多くの人なめりと見つるを、これにぞあやしく思ひし」など仰せらるゝに、いとゞつらくうちも泣きぬべき心ちぞする。「いであはれいみじき世の中ぞかし。のちに降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、それはあいなしとて、かき捨てよなど仰せ事侍りしか」と申せば、「げにかたせじとおぼしけるならむ」とうへも笑はせおはします。

     めでたきもの

唐錦、かざりだち、作り佛のもく。いろあひよく花房長くさきたる藤の松にかゝりたる。六位の藏人こそなほめでたけれ。いみじき君達なれどもえしも着給はぬ綾織物を心にまかせて着たる、あを色すがたなどいとめでたきなり。ところのしう、ざうしき、たゞの人の子どもなどにて、とのばらの四位五位六位もつかさあるが下にうち居て何と見えざりしも、藏人になりぬればえもいはずぞあさましくめでたきや。せんじもてまゐり、大饗の甘粟の使などに參りたるをもてなしきやうようし給ふさまいづこなりし。あまくだりびとならむとこそおぼゆれ。御むすめの、女御、后におはします。まだ姬君など聞ゆるも御使にて參りたるに御文とり入るゝよりうちはじめ、しとねさし出づる袖ぐちなど明暮見しものともおぼえず。下がさねのしりひきちらしてゑふなるは今すこしをかしう見ゆ。みづから盃さしなどし給ふを我が心にも覺ゆらむ。いみじうかしこまり、べちに居し家の君達をもけしきばかりこそかしこまりたれ。同じやうにうちつれありく。うへの近くつかはせ給ふさまなど見るはねたくさへこそ覺ゆれ。御文かゝせ給へば御硯の墨すり御うちはなどまゐり給へば、われつかうまつるに三とせ四とせばかりの程を、なりあしく、物の色よろしうてまじろはむはいふかひなきものなり。かうぶり得ておりむこと近くならむだに、いのちよりはまさりてをしかるべき事をその御たまはりなど申して、まどひけるこそ口をしけれ。昔の藏人はことしの春よりこそなきたちけれ。今の世にははしりくらべをなむする。

はかせのざえあるはいとめでたしといふもおろかなり。顏もいとにくげに、下﨟なれども世にやんごとなきものに思はれ、かしこき御前に近づきまゐり、さるべきことなど問はせ給ふ御文の師にて侍ふは、めでたくこそ覺ゆれ。願文も、さるべきものゝ序作り出してほめらるゝいとめでたし。法師のざえあるすべて言ふべきにあらず。持經者の一人してよむよりもあまたが中にてときなどさだまりたる御どきやうなどに、猶いとめでたきなり。くらうなりて「いづら御どきやうあぶらおそし」などいひて、よみやみたるほど忍びやかにつゞけ居たるよ。后の晝の行啓、御うぶや、みやはじめの作法しく、こまいぬ大しやうじなどもてまゐりて御ちやうのまへにしつらひすゑ、內膳御へつひわたしたてまつりなどしたる。姬君など聞えしたゞ人とこそつゆ見えさせ給はね。一の人の御ありき、春日まうで。えびぞめの織物、すべて紫なるはなにもなにもめでたくこそあれ、花も糸も紙も。紫の花の中にはかきつばたぞすこしにくき。いろはめでたし。六位のとのゐすがたのをかしきにもむらさきのゆゑなめり。ひろき庭にのふりしきたる。今上の一の宮〈敦康親王〉、まだわらはにておはしますが御をぢに上達部などのわかやかに淸げなるにいだかれさせ給ひて、殿上人など召しつかひ御馬引かせて御覽じ遊ばせ給へる思ふ事おはせじとおぼゆる。

     なまめかしきもの

ほそやかにきよげなるきんだちの直衣すがた、をかしげなる童女のうへのはかまなどわざとにはあらで、ほころびがちなるかざみばかり着てくすだまなど長くつけてかうらんのもとに扇さしかくして居たる。若き人のをかしげなる夏の几帳のしたうち懸けて、しろき綾ふたあゐ引き重ねて手ならひしたる。うすえふの草紙むらごの糸してをかしくとぢたる。柳のもえたるに靑きうすえふに書きたる文つけたる。ひげこのをかしう染めたるごえふの枝につけたる。三へがさねの扇いつへはあまりあつくなりてもとなどにくげなり。よくしたるひわりご、白きくみのほそき。新しくもなくていたくふりてもなきひはだやにさうぶうるはしくふきわたしたる。靑やかなるみすのしたより、〈きちやうのイ有〉くちきがたのあざやかに、ひもいとつやゝかにてかゝりたる。ひもの吹きなびかされたるもをかし。夏のもかうのあざやかなるすのとの高欄のわたりにいとをかしげなるねこの、赤きくびつなに白きふだつきて碇の緖くひつきて引きありくもなまめいたり。五月のせちのあやめの藏人、さうぶのかづら、あかひもの色にはあらぬをひれくたいなどしてくすだまをみこたち上達部などの立ちなみたまへるに奉るもいみじうなまめかし。取りて腰にひきつけて舞踏し拜したまふもいとをかし。ひとりのわらは。をみの君達もいとなまめかし。六位の靑色のとのゐすがた、臨時の祭の舞人。五節のわらはなまめかし。

宮の五せち出させ給ふに、かしづき十二人。ことゞころには、〈女御イ有〉御息所の人出すをば、わろき事にぞすると聞くに、いかにおぼすか、宮の女房を十人出させ給ふ。今二人は女院〈詮子〉、しげいしやの人、やがてはらからなりけり。辰の日の靑ずりの唐ぎぬ、かざみを着せ給へり。女房にだにかねてさしも知らせず、殿上人にはましていみじう隱して皆さうぞくしたちて、暗うなりたる程にもて來てきす。あかひもいみじう結び下げていみじくやうしたる白ききぬに、かたぎのかた繪にかきたる織物の唐ぎぬのうへに着たるは誠にめづらしき中にわらはは今少しなまめきたり。下づかへまでつゞき立ちて居たる、上達部、殿上人おどろき興じて、をみの女房とつけたり。

をみのきんだちはとに居て物言ひなどす。五せちの局を皆こぼちすかして、いとあやしくてあらするいとことやうなり。「その夜までは猶うるはしくこそあらめ」とのたまはせて、さも惑はさず。几帳どものほころびゆひつゝこぼれ出でたり。小兵衞といふがあかひもの解けたるを「これを結ばゞや」といへば、實方の中將よりてつくろふにたゞならず。

 「あしびきの山ゐの水はこほれるをいかなるひものとくるなるらむ」

といひかく。年わかき人のさるけせうの程なれば言ひにくきにやあらむ、返しもせず。そのかたはらなるおきな人たちもうち捨てつゝともかくも言はぬを、みやづかさなどは耳とゞめてきゝけるに久しくなりにけるかたはらいたさにことかたより入りて、女房のもとによりて「などかうはおはする」などぞさゝめくなるに、四人ばかりをへだてゝ居たれば、よく思ひ得たらむにもいひにくし。まして歌よむと知りたらむ人のおぼろげならざらむはいかでかと、つゝましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねどねたうとこそはいへ」とつまはじきをしてありくもいとをかしければ、

 「うす氷あわにむすべるひもなればかざす日かげにゆるぶばかりを〈ぞイ〉

と辨のおとゞといふに傅へさすれば、きえいりつゝえも言ひやらず。「などかなどか」と耳を傾ぶけてとふに、少しことどもりする人のいみじうつくろひ、めでたしと聞かせむと思ひければ、えもいひつゞけずなりぬるこそなかなか耻かくす心ちしてよかりしか。おりのぼる送りなどになやましといひ入れぬる人をも、のたまはせしかば、あるかぎりむれ立ちてごとにも似ず、あまりこそうるさげなめれ。まひ姬はすけまさのうまのかみのむすめ、染殿の式部卿の宮〈爲平親王〉の御弟の四の君の御はら十二にていとをかしげなり。はての夜もおひかづきいくもさわがず。やかてしゞう殿よりとほりて淸涼殿の前の東のすのこより、舞姬をさきにてうへの御局へ參りしほどをかしかりき。

細太刀の平緖つけて淸げなるをのこのもてわたるもいとなまめかし。紫の紙をつゝみてふんじて、房長き藤につけたるもいとをかし。

內裏は五節のほどこそすゞろにたゞならで見る人もをかしうおぼゆれ。とのもりづかさなどのいろいろの細工を、物いみのやうにいてさいしきつけたるなどもめづらしく見ゆ。淸凉殿のそり橋にもとゆひのむらご、いとけざやかにて出で居たるも、さまざまにつけてをかしうのみ、うへざうしわらはべどもいみじき色ふしと思ひたるいとことわりなり。やまあゐひかげなどやない箱にいれて、かうぶりしたるをのこもてありくいとをかしう見ゆ。殿上人の直衣ぬぎたれて扇やなにやと拍子にして「つかさまされどしきなみぞたつ」といふ歌をうたひて局どものまへわたる程はいみじくそひたちたらむ人の心騷ぎぬべしかし。ましてさと一度に笑ひなどしたるいとおそろし。行事の藏人のかいねりがさね、物よりことにきよらに見ゆ。しとねなど敷きたれどなかなかえものぼり居ず。女房の出でたるさま譽めそしり、このごろはことごとはなかめり。帳臺の夜、行事の藏人いときびしうもてなして「かいつくろひ二人、童より外は入るまじ」とおさへておもにくきまで言へば、殿上人など「猶これ一人ばかりは」などのたまふ。「うらやみあり。いかでか」などかたく言ふに、宮の御かたの女房二十人ばかり、おしこりてことごとしう言ひたる藏人なにともせず、戶をおしあけてさゝめきいれば、あきれて「いとこはすぢなき世かな」とて立てるもをかし。それにつきてぞかしづきどもゝ皆入るけしきいとねたげなり。うへもおはしましていとをかしと御覽じおはしますらむかし。わらは舞の夜はいとをかし。燈臺に向ひたる顏どもいとらうたげにをかしかりき。

むみやうといふ琵琶の御ことを、うへのもてわたらせ給へるを見などして、かきならしなどすと言へばひくにはあらず。緖などを手まさぐりにして「これが名よ、いかにとかや」など聞えさするに、唯いとはかなく名もなしとのたまはせたるは猶いとめでたくこそ覺えしか。

しげいしやなどわたり給ひて御物語のついでに「まろがもとにいとおかしげなるさうの笛こそあれ。こどのゝ得させ給へり」との給ふを、僧都の君〈隆円〉の「それはりうゑんにたうべ。おのれがもとにめでたききん侍り。それにかへさせ給へ」と申し給ふを、きゝも入れ給はで猶こと事をのたまふに、いらへさせ奉らむとあまたたび聞え給ふに、なほ物のたまはねば、宮の御まへの「いなかへじとおぼいたる物を」とのたまはせけるが、いみじうをかしき事ぞ限なき。この御笛の名を僧都の君もえ知り給はざりければ唯うらめしとぞおぼしためる。これはしきの御ざうしにおはしましゝ時の事なり。うへの御まへにいなかへじといふ御笛のさふらふなり。御まへに侍ふものどもは琴も笛も皆珍らしき名つきてこそあれ。琵琶はげんじやう、ぼくば、ゐゝへ、〈二字てイ〉ゐけう、むみやうなど、又わごんなども、くちめ、鹽竈、二貫などぞ聞ゆ〈如元〉。すゐろう、こすゐろう、宇多の法師、くぎうち、はふたつ、なにくれと多く聞えしかど忘れにけり。宜陽殿の一の棚にといふことぐさは頭中將〈齊信歟〉こそし給ひしか。

うへの御局のみすの前にて、殿上人日ひと日、こと、笛吹き遊びくらして、まかで別るゝ程、まだ格子をまゐらぬに、おほとなぶらをさし出でたれば、とのあき〈とりいれイ〉たるがあらはなれば、琵琶の御ことをたゝざまにもたせ給へり。紅の御ぞのいふもよのつねなる。袿又はりたるもあまた奉りて、いと黑くつやゝかなる御琵琶に、御ぞの袖をうちかけて捕へさせ給へるめでたきに、そばより御ひたひのほど白くけざやかにて、僅に見えさせ給へるは譬ふべきかたなくめでたし。近く居給へる人にさし寄りて「なかば隱したりけむもえかうはあらざりけむかし。それはたゞ人にこそありけめ」といふを聞きて、心ちもなきを、わりなく分け入りてけいすれば、笑はせ給ひて「我は知りたりや」となむ仰せらるゝと傳ふるもをかし。

御めのとのたいふの、けふひうがへくだるに賜はする扇どものなかに、片つかたには日いとはなやかにさし出でゝ、旅人のある所井手の中將のたちなどいふさまいとをかしう書きて、今片つかたには京のかた雨いみじう降りたるに、ながめたる人などかきたるに、

 「あかねさす日にむかひても思ひいでよ都は晴れぬながめすらむと」。

ことばに御手づから書かせ給ひし、あはれなりき。さる君をおき奉りて遠くこそえいくまじけれ。

     ねたきもの

これよりやるも、人のいひたる返しも、書きて遣りつるのち、文字一つ二つなど思ひなほしたる。とみのものぬふに縫ひはてつと思ひて針をひき拔きたれば、はやうしりを結ばざりける。又かへさまに縫ひたるもいとねたし。

南の院〈道隆邸〉におはしますころ、西の對に殿〈道隆〉のおはしますかたに、宮〈定子〉もおはしませば、しんでんに集り居て、さうざうしければふれあそびをし、わたどのに集りゐなどしてあるに、「これ唯今とみのものなり。誰も誰も集りて時かはさず縫ひて參らせよ」とてひらぬきの御ぞを給はせたれば、みなみおもてに集り居て御ぞかたみづゝ、誰かとく縫ひ出づるといどみつゝ、近くも對はず、縫ふさまもいと物ぐるほし。命婦の乳母いととく縫ひはてゝうち置きつる、ゆだけのかたの御身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけず、とぢめもしあへず惑ひ置きて立ちぬるに、御せ合せむとすればはやうたがひにけり。笑ひのゝしりて「これ縫ひ直せ」といふを「たれが惡しう縫ひたりと知りてか直さむ。あやなどならばこそ裏を見ざらむ、縫ひたがへの人のけになほさめ。無紋の御ぞなり。何をしるしにてか直す人誰かあらむ。唯まだ縫ひ給はざらむ人になほさせよ」とて聞きも入れねば「さ言ひてあらむや」とて源少納言、新中納言など言ひ直し給ひし顏見やりて居たりしこそをかしかりしか。これはよさりのぼらせ給はむとて「とく縫ひたらむ人を、思ふと知らむ」と仰せられしか。

見すまじき人に、外へ遣りたる文取りたがへてもて行きたるねたし。げに過ちてけりとはいはで口かたうあらがひたる、人目をだに思はずば走りもうちつべし。おもしろき萩すゝきなどを植ゑて見る程に、ながびつもたるもの鋤などひきさげてたゞほりにほりていぬるこそわびしうねたかりけれ。よろしき人などのあるをりはさもせぬものを、いみじうせいすれど「たゞすこし」など言ひていぬる言ふかひなくねたし。ずりやうなどの來てなめげに物いひ、さりとて我をばいかゞと思ひたるけはひに言ひ出でたるいとねたげなり。見すまじき人の文を引き取りて、庭におりて見たてるいとわびしうねたく、追ひて行けど、すのもとにとまりて見るこそ飛びも出でぬべき心ちすれ。すゞろなることはらだちて同じ所にもねず、身じくり出づるをしのびて引きよすれど、わりなく心ことなれば、あまりになりて人もさばよかなりとゑじて、かいくゞみて臥しぬる後いと寒き折などに、唯ひとへぎぬばかりにてあやにくがりて、大かた皆人もねたるに、さすがに起きゐらむあやしくて、夜の更くるまゝにねたく起きてぞいぬべかりけるなど思ひ臥したるに、奧にもとにも物うちなりなどしておそろしければ、やをらまろび寄りてきぬ引きあぐるに、そらねしたるこそいとねたけれ。「猶こそこはがり給はめ」などうちいひたるよ。

     かたはらいたきもの

まらうどなどに逢ひて物いふに、奧のかたにうちとけごと人のいふをせいせで聞く心ち。思ふ人のいたくゑひておなじ事したる。聞き居たるをも知らで人のうへいひたる。それは何ばかりならぬつかひ人なれどかたはらいたし。旅だちたる所近き所などにてげすどものざれかはしたる。にくげなるちごをおのれが心ちにかなしと思ふまゝにうつくしみ遊ばし、これが聲のまねにて言ひける事など語りたる。ざえある人の前にてざえなき人の物おぼえがほに人の名などいひたる。殊によしともおぼえぬ。我が歌を人に語りきかせて、人の譽めしことなどいふもかたはらいたし。人の起きて物語などするかたはらにあさましううちとけてねたる人。まだねもひきとゝのへぬ琴を心一つやりて、さやうのかた知りつる人の前にて彈く。いとゞしう〈いととうイ〉住まぬむこのさるべき所にてしうとに逢ひたる。

     あさましきもの

さしぐしみがくほどに物にさへて折れたる。車のうちかへされたる。さるおほのかなるものはところせく久しくなどやあらむとこそ思ひしか。唯夢の心ちしてあさましうあやなし。人のために耻かしき事つゝみもなく、ちごもおとなもいひたる。かならずきなむと思ふ人を待ちあかして、曉がたに唯いさゝか忘〈らイ有〉れて寢入りたるに、からすのいと近くかうと鳴くに、うち見あげたれば晝になりたるいとあさまし。てうばみにどう取られたる。むげに知らず見ずきかぬ事を人のさし對ひてあらがはすべくもなくいひたる。物うちこぼしたるもあさまし。のりゆみにわなゝくわなゝく久しうありてはづしたる矢のもてはなれてことかたへ行きたる。

     くちをしきもの

せちゑ佛名に雪ふらで雨のかきくらし降りたる。節會さるべきをりの御物いみにあたりたる。いとなみいつしかと思ひたる事の、さはる事出で來て俄にとまりたる。いみじうする人の子うまで年ごろ具したる。あそびをもし、見すべき事もあるに、かならずきなむと思ひて呼びに遣りつる人の「障る事ありて」などいひてこぬくちをし。男も女も宮仕へ所などに同じやうなる人もろともに寺へまうで、物へも行くにこのもしうこぼれ出でゝ用意はげしからず、あまり見ぐるしとも見つべくはあらぬに、さるべき人の馬にても車にても行きあひ見ずなりぬるいとくちをし。わびてはすきずきしからむげすなどにても、人に語りつべからむにてもがなと思ふもけしからぬなめりかし。

五月の御さうじの程、しきにおはしますにぬりごめの前、ふたまなる所を殊にしつらひしたれば、例ざまならぬもをかし。ついたちより雨がちにて曇りくらすつれづれなるを、「杜鵑の聲尋ねありかばや」といふを聞きて、われもわれもと出でたつ。賀茂の奧になにがしとかや、七夕の渡る橋にはあらでにくき名ぞ聞えし。「そのわたりになむ日ごとに鳴く」と人のいへば「それはひぐらしなり」といらふる人もあり。そこへとて五日のあした宮づかさ車の事いひて、北の陣より「五月雨はとがめなきものぞ」とてさしよせて四人ばかりぞ乘りて行く。羡ましがりて「今一つして同じくは」などいへば「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、なさけなきさまにて行くに、うまばといふ所にて人多くさわぐ。「何事するぞ」と問へば「てつがひにてま弓射るなり。しばし御覽じておはしませ」とて車とゞめたり。「右近の中將皆つき給へる」といへど、さる人も見えず、六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ。はやく過ぎよ」とて行きもて行けば、道も祭の頃思ひ出でられてをかし。かういふ所にはあきのぶの朝臣家あり。「そこもやがて見む」といひて車よせておりぬ。田舍だち事そぎて馬のかた書きたるさうじ、網代屛風、みくりのすだれなど、殊更に昔の事をうつし出でたり。屋のさまもはかなだちてはしちかくあさはかなれど〈らうめきてはしちかなれどイ〉をかしきにげにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる郭公の聲を、口をしう御前にきこしめさず、さばかり慕ひつる人々にもなど思ふ。「所につけてはかゝる事をなむ見るべき」とていねといふもの多くとり出でゝわかき女どもの穢げならぬそのわたりの家のむすめおんななどひきゐて來て、五六人してこかせ、見も知らぬくるべきもの二人してひかせて、歌うたはせなどするを、珍らしく笑ふに、郭公の歌よまむなどしつる忘れぬべし。からゑにあるやうなるかけばんなどして物くはせたるを、見いるゝ人なければ家あるじ「いとわろくひなびたり。かゝる所にきぬる人はようせずはあ〈なほイ〉もなどせめ、出してこそ參るべけれ。むげにかくてはその人ならず」などいひてとりはやし「この下蕨手づから摘みつる」などいへば、「いかで女官などのやうにつきなみてはあらむ」などいへば、とりおろして「れいのはひぶしに習はせ給へるおまへたちなれば」とてとりおろしまかなひさわぐ程に「雨ふりぬべし」といへば、急ぎて車にのるに「さてこの歌はこゝにてこそよまめ」といへば「さばれ道にても」などいひて、卯の花いみじく咲きたるを折りつゝ車のすだれそばなどに長き枝をふきさしたれば、唯卯の花がさねをこゝに懸けたるやうにぞ見えける。供なるをのこどもゝいみじう笑ひつゝ網代をさへつきうがちつゝ「こゝまだしこゝまだし」とさし集むなり。人も逢はなむと思ふに更にあやしき法師あやしのいふかひなきもののみたまさかに見ゆるいと口をし。近う來ぬれば「さりともいとかうて止まむやは。この車のさまをだに人に語らせてこそ止まめ」とて、一條殿〈爲光邸〉のもとにとゞめて「侍從殿〈公信〉やおはします。郭公の聲聞きて今なむかへり侍る」といはせたる。つかひ「唯今まゐる。あが君あが君となむのたまへる。さぶらひにまひろげて指貫奉りつ」といふに、「待つべきにもあらず」とて走らせて土御門ざまへやらするに、いつのまにかさうぞくしつらむ、帶は道のまゝにゆひてしばしばと追ひくる。供に、さぶらひ、ざふしき、ものはかで走るめる。とくやれどいとゞいそがしくて、土御門にきつきぬるにぞあへぎまどひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひ給ふ。「うつゝの人の乘りたるとなむ更に見えぬ。猶おりて見よ」など笑ひ給へば、供なりつる人どもゝ興じ笑ふ。「歌はいかにか。それ聞かむ」とのたまへば、「今おまへに御覽ぜさせてこそは」など言ふ程に、雨まことに降りぬ。「などかことみかどのやうにあらでこの土御門しもうへもなくつくりそめけむと、今日こそいとにくけれ」などいひて、「いかで歸らむずらむ。こなたざまは唯後れじと思ひつるに、人目も知らずはしられつるをあういかむこそいとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし。うちへ」などいふ。「それもゑばうしにてはいかでか。とりに遣り給へ」などいふに、まめやかにふれば笠なきをのこども唯ひきにひき入れつ。一條よりかさをもてきたるをさゝせてうち見かへりうち見かへり、この度はゆるゆると物うげにて卯花ばかりを取りおはするもをかし。さて參りたれば、ありさまなど問はせ給ふ。怨みつる人々、ゑじ心うがりながら、藤侍從、一條の大路走りつるほど語るにぞ皆笑ひぬる。「さていづら、歌は」と問はせ給ふ。かうかうとけいすれば「くちをしのことや。うへ人などの聞かむにいかでかをかしきなくてあらむ。その聞きつらむ所にてふとこそよまゝしか。あまり儀しき事さめつらむぞあやしきや。こゝにてもよめ。言ふかひなし」などのたまはすればげにと思ふにいとわびしきをいひ合せなどする程に、藤侍從の、ありつる卯の花につけて卯の花のうすえふに、

 「ほとゝぎすなく音たづねに君ゆくときかば心をそへもしてまし」。

「かへしまつらむ」など局へ硯とりに遣れば「唯これしてとくいへ」とて御硯のふたに紙など入れて賜はせたれば、「宰相の君書き給へ」といふを、「なほそこに」などいふ程に、かきくらし雨降りてかみもおどろおどろしう鳴りたれば、物も覺えず唯おろしにおろす。しきの御ざうしはしとみをぞみ格子にまゐり渡し或ひし程に、歌のかへりごとも忘れぬ。いと久しく鳴りて少しやむ程はくらくなりぬ。「唯今猶その御返り事奉らむ」とて取りかゝるほどに、人々上達部などかみの事申しに參り給ひつれば、西おもてに出でゝ物など聞ゆる程に、まぎれぬ。人はたさしてえたらむ人こそ知らめとて止みぬ。「大かたこの事にすくせなき日なり。どうじて今はいかでさなむいきたりしとだに人には聞かせじ」などぞ笑ふを、今もなどそれいきたりし人どものいはざらむ、されどもさせじと思ふにこそあらめと物しげにおぼしめしたるもいとをかし。「されど今はすさまじくなりにて侍るなり」と申す。「すさまじかるべきことかは」などのたまはせしかばやみにき。二日ばかりありてその日の事など言ひ出づるに、宰相の君「いかにぞ手づから折りたるといひし下蕨は」とのたまふを聞かせ給うて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙のちりたるに、

 「したわらびこそこひしかりけれ」

とかゝせ給ひて、「もといへ」と仰せらるゝもをかし。

 「ほとゝぎすたづねてきゝし聲よりも」

と書きて參らせたれば「いみじううけばりたりや。かうまでだにいかで郭公の事をかけつらむ」と笑はせ給ふも耻かしながら、「何かこの歌すべて詠み侍らじとなむ思ひ侍るものを、物のをりなど人のよみ侍るにもよめなど仰せらるれば、えさぶらふまじき心ちなむしはべる。いかでかは、文字の數知らず、春は冬の歌をよみ、秋は春のをよみ、梅の折は菊などをよむ事は侍らむ。されど歌よむと言はれ侍りしすゑずゑは、少し人にまさりてそのをりの歌はこれこそありけれ。さはいへどそれが子なればなど言はれたらむこそかひある心ちし侍らめ。つゆとり分きたるかたもなくて、さすがに歌がましく我はと思へるさまに、さいそによみ出で侍らむなむ、なき人のためいとほしく侍る」などまめやかにけいすれば、笑はせ給ひて、「さらばたゞ心にまかす。我はよめともいはじ」とのたまはすれば、「いと心やすくなり侍りぬ。今は歌の事思ひかけ侍らじ」などいひてあるころ、かうしんせさせ給ひて內大臣殿〈伊周〉いみじう心まうけせさせ給へり。夜うち更くる程に題出して女ばうに歌よませ給へば、皆けしきだちゆるがし出すに、宮の御まへに近く侍ひて物けいしなどこと事をのみいふを、おとゞ御覽じて「などか歌はよまで離れ居たる。題とれ」とのたまふを、「さる事承りて歌よむまじくなりて侍れば、思ひかけ侍らず」。「ことやうなる事、まことにさる事やは侍る。などかは許させ給ふ。いとあるまじきことなり。よしことときは知らず、今宵はよめ」などせめさせ給へど、けぎよう聞きも入れで侍ふに、こと人ども詠み出してよしあしなど定めらるゝ程に、いさゝかなる御文を書きて賜はせたり。あけて見れば、

 「もとすけがのちといはるゝ君しもや今宵のうたにはづれてはをる」

とあるを見るに、をかしき事ぞたぐひなきや。いみじく笑へば、「何事ぞ何事ぞ」とおとゞものたまふ。

 「その人ののちといはれぬ身なりせばこよひの歌はまづぞよまゝし。

つゝむ事さふらはずは、千歌なりともこれより出でまうでこまし」とけいしつ。御かたゞた君達うへ人など御まへに人多く侍へば、廂の柱によりかゝりて女房と物語して居たるに、物をなげ賜はせたる、あけて見れば「思ふべしやいなや。第一ならずはいかゞ」と問はせたまへり。御前にて物語などするついでにも「すべて人には一に思はれずば、さらに何にかせむ。唯いみじうにくまれあしうせられてあらむ。二三にてはしぬともあらじ。一にてをあらむ」などいへば、一乘の法なりと人々わらふことのすぢなめり。筆紙たまはりたれば「九品運臺の中には下品といふとも」と書きてまゐらせたれば「むげに思ひくんじにけり。いとわろし。言ひそめつる事はさてこそあらめ」とのたまはすれば「人に隨ひてこそ」と申す。「それがわろきぞかし。だい一の人に又一に思はれむとこそ思はめ」と仰せらるゝもいとをかし。

中納言殿〈隆家〉まゐらせ給ひて御扇奉らせ給ふに「隆家こそいみじきほねをえて侍れ。それをはらせて參らせむとするを、おぼろけの紙ははるまじければもとめ侍るなり」と申し給ふ。「いかやうなるにかある」と問ひ聞えさせ給へば、「すべていみじく侍る。更にまだ見ぬほねのさまなりとなむ人々申す。まことにかばかりのは侍らざりつ」とこと高く申し給へば、「さて扇のにはあらで、くらげのなり」と聞ゆれば、「これは隆家がことにしてむ」とて笑ひ給ふ。かやうの事こそかたはらいたき物のうちに入れつべけれど、人ごとな落しそと侍れば、いかゞはせむ。

雨のうちはへ降るころ今日もふるに、御使にて式部のしようのぶつね參りたり。例のしとねさし出したるを、常よりも遠く押し遣りて居たれば、「あれは誰がれうぞ」といへば笑ひて、「かゝる雨にのぼり侍らばあしがたつきていとふびんにきたなげになり侍りなむ」と言へば「など。せんぞくれうにこそはならめ」といふを、「これは御まへにかしこう仰せらるゝにはあらず。のぶつねがあしがたの事を申さゞらましかば、えのたまはざらまし」とてかへすがへすいひしこそをかしかりしか。あまりなる御身ぼめかなとかたはらいたく。

はやうおほきさいのみや〈安子〉にゑぬたきといひて名高きしもづかへなむありける。美濃の守にて亡せにける藤原の時柄、藏人なりける時、下づかへどもある所に立ち寄りて「これやこの高名のゑぬたきなどさも見えぬ」と言ひける返事に、「それはときからもさも見ゆる名なり」といひたりけるなむ、かたきにえりてもいかでかさる事はあらむ。殿上人上達部までも興ある事にのたまひける。「又さりけるなめりと今までかく言ひ傳ふるは」と聞えたり。「それ又時からがいはせたるなり。すべて題出しかうなむふみも歌もかしこき」といへば、「げにさる事あることなり。さらば題出さむ。歌よみ給へ」といふに、「いとよき事。ひとつはなにせむ。同じうはあまたをつかうまつらむ」などいふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし。まかりいでぬ」とて立ちぬ。手もいみじう、まなもかんなもあしう書くを、人も笑ひなどすれば「かくしてなむある」といふもをかし。

つくもどころの別當する頃、たれがもとにやりけるにかあらむ、物の繪やうやるとて「これがやうに仕るべし」と書きたるまんなのやう、もじの世にしらずあやしきを見つけて、それがかたはらに「これがまゝにつかうまつらばことやうにこそあるべけれ」とて殿上にやりたれば、人々取り見ていみじう笑ひけるに、おほはらだちてこそうらみしか。

しげいしや〈道隆女〉春宮〈三條院〉に參り給ふほどの事など、いかゞはめでたからぬ事なし。正月十日にまゐり給ひて宮〈定子〉の御方に御文などはしげう通へど、御對面などはなきを、二月十日宮の御方にわたり給ふべき御せうそこあれば、常よりも御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房なども皆用意したり。よなかばかりに渡らせ給ひしかばいくばくもなくてあけぬ。登華殿のひんがしの二間に御しつらひはしたり。つとめていととく御格子參りわたしてあかつき、殿〈道隆〉、うへ〈高內侍〉ひとつ御車にて參り給ひにけり。宮は御ざうしの南に、四尺の屛風西東に隔てゝ北西に立てゝ御たゝみしとねうち置きて御火桶ばかりまゐりたり。御屛風の南、御帳の前に女房いと多くさぶらふ。こなたにて御ぐしなどまゐる程、「しげいしやは見奉りしや」と問はせ給へば、「まだいかでか。しやくぜん寺供養の日御うしろをわづかに」と聞ゆれば、「その柱と屛風とのもとによりて我がうしろより見よ。いと美くしき君ぞ」とのたまはすれば、うれしくゆかしさまさりていつしかと思ふ。紅梅のかたもん、うきもんの御ぞどもに紅のうちたる御ぞ、みへがうへに唯引き重ねて奉りたるに「紅梅には濃ききぬこそをかしけれ。今は紅梅は着でもありぬべし。されど萌黃などのにくければ紅にはあはぬなり」との給はすれど、唯いとめでたく見えさせ給ふ。奉りたる御ぞにやがて御かたちのにほひ合せ給ふぞ。猶ことよき人もかくやおはしますらむとぞゆかしき。さてゐざり出でさせ給ひぬればやがて御屛風に添ひつきてのぞくを「あしかめり。うしろめたきわざ」ときこえごつ人々もいとをかし。御しやうじの廣うあきたればいとよく見ゆ。うへは白き御ぞども紅のはりたる二つばかり、女房の裳なめり。引きかけておくによりて東おもてにおはすればたゞ御ぞなどぞ見ゆる。しげいしやは北にすこしよりて南向におはす。紅梅どもあまた濃く薄くて濃きあやの御ぞ、少しあかき蘇枋の織物の袿、萠黃のかたもんのわかやかなる御ぞ奉りて扇をつとさし隱し給へり。いといみじくげにめでたく美くしと見え給ふ。殿はうす色の直衣、萠黃の織物の御指貫、紅の御ぞども、御ひもさして廂の柱にうしろをあてゝこなたざまに向きておはします。めでたき御有樣どもをうちゑみて例のたはぶれごとをせさせ給ふ。しげいしやの繪に書きたるやうに美くしげにて居させ給へるに、宮いとやすらかに今すこしおとなびさせ給へる御けしきの紅の御ぞに匂ひ合せ給ひて、なほたぐひはいかでかと見えさせ給ふ。御てうづまゐる。かの御かたは宣耀殿、ぢやうぐわでんをとほりて童二人下仕四人してもてまゐるめり。から廂のこなたの廊にぞ女房六人ばかりさぶらふ。せばしとてかたへは御おくりして皆歸りにけり。櫻のかざみ、萠黃紅梅などいみじく、かざみ長くしり引きて取り次ぎまゐらすいとなまめかし。織物のからぎぬどもこぼれ出でゝ、すけまさのうまのかみのむすめ少將の君、北野の三位のむすめ宰相の君などぞ近くはある。あなをかしと見る程に、この御かたの御てうづばんの采女、あをすそごの裳、唐ぎぬ、くんたい、ひれなどしておもてなどいと白くて下仕など取り次ぎてまゐる程、これはたおほやけしう唐めいてをかし。おものゝをりになりてみぐしあげまゐりて、藏人どもまかなひのかみあげてまゐらする程に、へだてたりつる屛風も押しあけつれば、かいまみの人かくれ簑とられたる心ちして飽かずわびしければ、みすと几帳との中にて柱のもとよりぞ見奉る。きぬの裾裳など唐ぎぬは皆みすのそとにおし出されたれば、殿のはしのかたより御覽じ出して「たぞや、霞のまより見ゆるは」ととがめさせ給ふに、「少納言が物ゆかしがりて侍るならむ」と申させ給へば、「あなはづかし。かれはふるさとくいを。いとにくげなるむすめども持ちたりともこそ見侍れ」などのたまふ。御けしきいとしたり顏なり。あなたにもおものまゐる。「うらやましくかたがたのは皆まゐりぬめり。とくきこしめして翁女におろしをだに給へ」など唯日ひと日さるがうことをし給ふほどに、大納言殿〈伊周〉三位中將〈隆家〉松君〈伊周息〉もゐて參り給へり。殿いつしかといだき取り給ひて膝にすゑ給へるいとうつくし。せばきえんに所せき日の御さうぞくの下襲など引きちらされたり。大納言殿はものものしう淸げに、中將殿はらうらうしういづれもめでたきを見奉るに、殿をばさるものにてうへの御すくせこそめでたけれ。御わらふだなど聞え給へど、陣につき侍らむとていそぎ立ち給ひぬ。しばしありて式部のしようなにがしとかや御使にまゐりたれば、おものやどりの北によりたる間にしとねさし出でゝすゑたり。御かへりは今日はとく出ださせ給ひつ。まだしとねも取り入れぬほどに、東宮の御使にちかよりの少將まゐりたり。御文とり入れてわたどのはほそきえんなれば、こなたのえんにしとねさし出でたり。御文とり入れて、殿、うへ、宮など御覽じわたす。「御かへりはや」などあれど、とみにも聞え給はぬを「なにがしが見侍れば出で給はぬなめり。さらぬをりはまもなくこれよりぞ聞え給ふなる」など申し給へば、御おもてはすこしあかみながら少しうちほゝゑみ給へるいとめでたし。「とく」などうへも聞え給へば、奧ざまに向きて書かせ給ふ。うへ近く寄り給ひて、もろともにかゝせ奉り給へばいとゞつゝましげなり。宮の御かたより萌黃の織物の小袿袴押し出されたれば、三位中將かづけ給ふ。くるしげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、誰も誰もうつくしがり聞え給ふ。「宮の御子たちとて引き出でたらむにわろくは侍らじかし」などのたまはするを、げになどか今までさる事のとぞ心もとなき。ひつじの時ばかりに、えんだうまゐるといふ程もなく、うちそよめき入らせ給へば、宮もこなたに寄らせ給ひぬ。やがて御帳に入らせ給ひぬれば、女房南おもてにそよめき出でぬめり。らうに殿上人いと多かり。殿の御まへに宮司めしてくだものさかなめさす。「人々ゑはせ」などおほせらる。誠に皆ゑひて女房と物いひかはす程、かたみにをかしと思ひたり。日の入る程に起きさせ給ひて山井の大納言〈道賴〉召し入れてみうちきまゐらせ給ひてかへらせ給ふ。櫻の御直衣に、紅の御ぞの夕ばえなどもかしこければとゞめつ。山のゐの大納言はいりたゝぬ御せうとにても、いとよくおはすかし。にほひやかなる方はこの大納言にもまさり給へるものを、世の人はせちに言ひおとしきこゆるこそいとほしけれ。殿、大納言、山のゐの大納言、三位の中將、內藏頭など皆さぶらひ給ふ。宮のぼらせ給ふべき御使にてうまの內侍のすけ參り給へり。「今宵はえ」などしぶらせ給ふを、殿聞かせ給ひて「いとあるまじき事。はやのぼらせ給へ」と申させ給ふに、又春宮の御使しきりにある程いとさわがし。御むかへに女房、春宮のなども參りてとくとそゝのかし聞ゆ。「まづさばかの君わたし聞え給ひて」とのたまはすれば、「さりともいかでか」とあるを、「猶見おくり聞えむ」などのたまはする程いとをかしうめでたし。「さらば遠きをさきに」とて、まづしげいしやわたり給ひて殿などかへらせ給ひてぞのぼらせ給ふ。道の程も殿の御さるがうことにいみじく笑ひてほとほとうちはしよりもおちぬべし。

殿上より梅の花の皆散りたる枝を「これはいかに」といひたるに唯「早く落ちにけり」といらへたれば、その詩をじゆじて黑戶に殿上人いと多く居たるを、上の御前〈一條院〉きかせ坐しまして「宜しき歌など詠みたらむよりもかゝることは勝りたりかし。よういらへたり」と仰せらる。二月つごもり、風いたく吹きて空いみじくくろきに雪すこしうちちりたる程、黑戶にとのもづかさきて、「かうしてさぶらふ」といへば、よりたるに、「公任の君、宰相中將殿の」とあるを見ればふところ紙に、たゞ、

 「すこし春あるこゝちこそすれ」

とあるは、げに今日のけしきにいとよくあひたるを、これがもとはいかゞつくべからむと思ひわづらひぬ。「誰々か」と問へば、「それそれ」といふに、皆耻かしき中に宰相中將の御いらへをばいかゞことなしびにいひ出でむと心ひとつに苦しきを、御前に御覽ぜさせむとすれども、うへのおはしましておほとのごもりたり。とのもづかさはとくとくといふ。げに遲くさへあらむはとりどころなければ、さばれとて、

 「そらさむみ花にまがへてちるゆきに」

とわなゝくわなゝく書きてとらせていかゞ見たまふらむと思ふもわびし。これが事を聞かばやと思ふにそしられたらばきかじと覺ゆるを、「としかたの中將などなほ內侍に申してなさむと定めたまひし」とばかりぞ、兵衞の佐中將にておはせしがかたりたまひし。

     はるかなるもの

千日のさうじはじむる日。はんびのをひねりはじむる日。みちの國へゆく人の逢坂の關こゆるほど。うまれたるちごのおとなになるほど。大般若經御どぎやう一人して讀み始むる。十二年の山ごもりの始りてのぼる日。

まさひろ〈方弘〉はいみじく人に笑はるゝものかな。親などいかに聞くらむ。ともにありくものどもいと人々しきを呼びよせて「なにしにかゝるものにはつかはるゝぞ。いかゞ覺ゆる」など笑ふ。物いとよくするあたりにて下がさねの色、うへのきぬなども人よりはよくて着たるを「これはことびとに着せばや」などいふに、げにぞ詞づかひなどのあやしき。里にとのゐものとりにやるに「男二人まかれ」といふに「一人して取りにまかりなむものを」といふに、「あやしの男や。一人して二人のものをばいかでもつべきぞ。ひとますがめに二ますは入るや」といふを、なでふ事と知る人はなけれどいみじう笑ふ。人の使のきて「御返り事とく」といふを「あなにくの男や。かまどにまめやくべたる。この殿上の墨筆は何ものゝ盜みかくしたるぞ。いひさけならばこそほしうして人の盜まめ」といふを又わらふ。女院〈一條院母〉なやませ給ふとて御使にまゐりて歸り〈二字きイ〉たるに「院の殿上人は誰々かありつる」と人のとへば「それかれ」など四五人ばかりいふに「又は」と問へば、「さてはいぬる人どもぞありつる」といふを、また笑ふも又あやしき事にこそはあらめ。人まに寄りきて「わが君こそまづ物きこえむ。まづまづ人のの給へることぞ」といへば、「何事にか」とて几帳のもとによりたれば、「むくろこめによりたまへ」といふを「五たいごめにとなむいひつる」といひてまたわらふ。ぢもくの中の夜さしあぶらするに、とうだいのうちしきをふみて立てるに、新しきゆたんなればつようとらへられにけり。さし步みてかへればやがてとうだいはたふれぬ。したうづはうちしきにつきてゆくに、まことに道こそしんどうしたりしか。頭つき給はぬ程は殿上のだいばんに人もつかず。それにまさひろは豆一もりを取りて、こさうじのうしろにてやをらくひければ、ひきあらはして笑はるゝことぞかぎりなきや。

     關は

逢坂の關、須磨の關、鈴鹿の關、くきだの關、白川の關、衣の關。たゞこえの關ははゞかりの關とたとしへなくこそ覺ゆれ。よこばしりの關、淸見が關、みるめの關。よしなよしなの關こそいかに思ひかへしたるならむと、いと知らまほしけれ。それをなこその關とはいふにやあらむ。逢坂などをまで思ひ返したらばわびしからむかし。足柄の關。

     森は

おほあらぎの森、しのびの森、こゝひの森、こがらしの森、しのだの森、いくたの森、うつきの森、きくだの森、いはせの森、立聞〈二字たゞきゝイ〉の森、ときはの森、くるへ〈ろつイ〉きの森、神なびの森、うたゝねの森、うきたの森、うへ〈つイ有〉木の森、いはたの森。かうたての森といふがみゝとゞまるこそあやしけれ。森などいふべくもあらず、たゞひと木あるを何につけたるぞ。こひの森、こはたの森。

卯月の晦日にはせ寺にまうづとて淀のわたりといふものをせしかば、舟に車をかきすゑてゆくに、しやうぶこもなどの末みじかく見えしをとらせたればいと長かりける。菰積みたるふねのありきしこそいみじうをかしかりしか。高瀨の淀にはこれをよみけるなめりと見えし。三日といふに歸るに雨のいみじう降りしかばさうぶかるとて笠のいとちひさきを着て、はぎいとたかきをのこわらはなどのあるも、屛風の繪にいとよく似たり。

     湯は

なゝくりの湯、有馬の湯、玉つくりの湯。

     常よりもことにきこゆるもの

元三の車のおと、鳥のこゑ、曉のしはぶき。物のねはさらなり。

     繪にかきておとるもの

なでしこ、さくら、山吹。物語にめでたしといひたる男女のかたち。

     かさまさりするもの

松の木、秋の野、山里、山路、鶴、鹿。冬はいみじくさむき。夏は世にしらずあつき。

     あはれなるもの

孝ある人の子、鹿の音。よき男のわかきがみたけさうじしたる。へだて居てうちおこなひたる〈十三字いでゐたらむイ〉曉のぬかなどいみじうあはれなり。むつましき人などの目さまして聞くらむ思ひやり〈るイ〉。まうづる程のありさまいかならむとつゝしみ〈おぢイ〉たるにたひらかにまうでつきたるこそいとめでたけれ。ゑばうしのさまなどぞすこし人わろき。猶いみじき人と聞ゆれどこよなくやつれてまうづとこそは知りたるに、右衞門の佐信賢はあぢきなきことなり「たゞ淸き衣を着てまうでむになでふ事かあらむ。かならずよもあしくてよとみたけのたまはじ」とて三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、しろき靑山吹のいみじくおどろおどろしきなどにて、たかみつがとのもりのすけなるは靑色の紅のきぬ、摺りもとろかしたる水干袴にて、うちつゞき詣でたりけるに、歸る人もまうづる人も珍らしくあやしき事に、すべてこの山道にかゝる姿の人見えざりつとあさましがりしを、四月晦日に歸りて六月十餘日の程に筑前の守うせにしかはりになりにしこそげにいひけむにたがはずもと聞えしか。これは哀なることにはあらねども、みたけのついでなり。九月三十日、十月一日の程に唯あるかなきかに聞きつけたるきりぎりすの聲。鷄の子いだきて臥したる。秋深き庭の淺茅に露の色々玉のやうにて光りたる。川竹の風に吹かれたる夕暮。曉にめざましたる夜などもすべて。思ひかはしたる若き人の中にせくかたありて心にしも任せぬ。山里の雪。男も女も淸げなるが黑き衣着たる。二十六七日ばかりの曉に物語してゐあかして見れば、あるかなきかに心細げなる月の山のは近く見えたるこそいとあはれなれ。秋の野。年うち過ぐしたる僧たちのおこなひしたる。荒れたる家にむぐらはひかゝり、蓬など高く生ひたる庭に月の隈なくあかき、いとあらうはあらぬ風の吹きたる。正月に寺にこもりたるはいみじく寒く雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべき景色なるはいとわろし。はつせなどに詣でゝ局などするほどは、くれはしのもとに車引きよせて立てるに、おび〈をゐイ〉ばかりしたる若き法師ばらのあしだといふものをはきて、いさゝかつゝみ〈がイ〉もなくおりのぼるとて何ともなき經のはしうち讀み、俱舍のじゆを少しいひつゞけありくこそ所につけてをかしけれ。わがのぼるはいとあやふくかたはらによりて、高欄おさへてゆくものを、唯板敷などのやうに思ひたるもをかし。局したりなどいひてくつどももてきておろす、きぬかへさまに引きかへしなどしたるもあり。裳からぎぬなどこはごはしくさうぞきたるもあり。ふかぐつ、はうくわなどはきて廊のほどなどくつすり入るは、うちわたりめきて又をかし。うちとなどゆるされたる若き男ども家の子など又立ちつゞきて「そこもとはおちたる所に侍るめり。あがりたる」など敎へゆく。何物にかあらむ、いと近くさし步みさいだつものなどを「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」などいふを、げにとて少し立ちおくるゝもあり。又聞きも入れず我まづとく佛の御まへにとゆくもあり。局にゆく程も人のゐなみたる前を通り行けばいとうたてあるに、犬ふせぎの中を見入れたる心ちいみじくたふとく、などて月頃もまうでず過しつらむとてまづ心もおこさる。みあかし常灯にはあらでうちに又人の奉りたる、おそろしきまでもえたるに佛のきらきらと見え給へるいみじくたふとげに、手ごとに文を捧げてらいはんに向ひてろぎちかふも、さばかりゆすりみちて、これはと取りはなちて聞きわくべくもあらぬに、せめてしぼり出したるこゑごゑのさすがに又紛れず。「千とうの御志はなにがしの御ため」とわづかに聞ゆ。おびうちかけて拜み奉るに、「こゝにかうさぶらふ」といひてしきみの枝を折りてもてきたるなどのたふときなどもなほをかし。犬ふせぎのかたより法師寄りきて「いとよく申し侍りぬ。いくかばかりこもらせ給ふべき」など問ふ。「しかしかの人こもらせ給へり」などいひ聞かせていぬるすなはち火桶くだ物などもてきつゝかす。はんざふに手水など入れてたらひの手もなきなどあり。「御ともの人はかの坊に」などいひて呼びもて行けば、かはりがはりぞゆく。ずきやうの鐘のおとわがなゝりと聞けばたのもしく聞ゆ。かたはらによろしき男のいと忍びやかにぬかなどつく。たちゐのほども心あらむと聞えたるが、いたく思ひ入りたる氣色にて、いもねず行ふこそいと哀なれ。うちやすむ程は經高くは聞えぬほどに讀みたるもたふとげなり。高くうち出でさせまほしきにまして鼻などをけざやかに聞きにくゝはあらで、少し忍びてかみたるは何事を思ふらむ。かれをかなへばやとこそ覺ゆれ。日ごろこもりたるに晝は少しのどかにぞ早うはありし。法師の坊にをのこどもわらはべなどゆきてつれづれなるに、唯かたはらにかひをいと高く俄かに吹き出したるこそ驚かるれ。淸げなるたて文などもたせたる男のずきやうの物うち置きて、堂童子など呼ぶ聲は山ひゞきあひてきらきらしう聞ゆ。鐘の聲ひゞきまさりていづこならむと聞く程に、やんごとなき所の名うちいひて御さんたひらかになど、敎化などしたる。すゞろにいかならむと覺束なく念ぜらるゝ。これはたゞなるをりのことなめり。正月などには唯いと物さわがしく物のぞみなどする人のひまなくまうづる見るほどに、おこなひもしやられず、日のうち暮るゝにまうづるはこもるひとなめり。小法師ばらのもたぐべくもあらぬ屛風などの高き、いとよくしんたいし、たゝみなどほうとたておくと見れば、唯局に出でゝ犬ふせぎにすだれをさらさらとかくるさまなどぞいみじくしつけたるは安げなり〈るカ〉。そよそよとあまたおりておとなだちたる人の、いやしからず忍びやかなる御けはひにて、かへる人にやあらむ「そのうちあやふし。火の事制せよ」などいふもあり。七つ八つばかりなるをのこゞのあいぎやうづきおごりたる聲にて、さぶらひ人呼びつけ物などいひたるけはひもいとをかし。又三つばかりなるちごのねおびれて、うちしはぶきたるけはひもうつくし。乳母の名、母などうち出でたらむにもこれならむといと知らまほし。夜一夜いみじうのゝしり行ひあかす。ねも入らざりつるを後夜などはてゝ少しうちやすみねぬる耳に、その寺の佛經をいとあらあらしう高くうち出でゝ讀みたるに、わざとたふとしともあらず。すぎやうしやだちたる法師のよむなめりとふとうち驚かれてあはれに聞ゆ。又よるなどはかほ知らで人々しき人の行ひたるが靑にびの指貫のはたばりたる、白き衣どもあまた着て、子どもなめりと見ゆる若きをのこのをかしううちさうぞきたる、童などしてさぶらひのものどもあまたかしこまりゐねうしたるもをかし。かりそめに屛風たてゝぬかなどすこしつくめり。かほ知らぬは誰ならむといとゆかし。知りたるはさなめりと見るもをかし。若き人どもはとかく局どもなどのわたりにさまよひて、佛の御かたに目見やり奉らず。別當など呼びて打ちさゝめき物語して出でぬる、えせものとは見えずかし。二月晦日三月朔日ごろ花ざかりにこもりたるもをかし。淸げなるをのこどもの忍ぶと見ゆる二三人、櫻靑柳などをかしうて、くゝりあげたる指貫の裾もあでやかに見なさるゝ。つきづきしきをのこにさうぞくをかしうしたるゑぶくろいだかせて、小舍人わらはども紅梅萠黃の狩衣に色々のきぬ、すりもどろかしたる袴など着せたり。花など折らせて、侍めきてほそやかなる物など具してごんぐ打つこそをかしけれ。さぞかしと見ゆる人あれどいかでかは知らむ。うち過ぎていぬるこそさすがにさうざうしけれ。「氣色を見せましものを」などいふもをかし。かやうにて寺ごもり、すべて例ならぬ所につかふ人の限りしてあるはかひなくこそ覺ゆれ。猶おなじほどにて一つ心にをかしき事もさまざまいひ合せつべき人、かならず一人二人あまたもさそはまほし。そのある人の中にも口をしからぬもあれども、目なれたるなるべし。男などもさ思ふにこそあめれ。わざと尋ね呼びもてありくめるはいみじ。

     こゝろづきなきもの

〈以下一段恐衍〉祭みそぎなどすべてをのこの見る物物見車に、唯一人乘りて見る人こそあれ。いかなる人にかあらむ、やんごとなからずとも、若き男どもの物ゆかしと思ひたるなど引きのせて見よかし。すきかげに唯一人かくよひて心一つにまもり居たらむよ、いかばかり心せばくけにくきならむとぞ覺ゆる。ものへもいき寺へもまうづる日の雨。つかふ人などの我をばおぼさずなにがしこそ唯今時の人などいふをほのきゝたる。人よりは少しにくしと思ふ人の、おしはかりごとうちし、すゞろなるものうらみしわれさかしがる。

     わびしげに見ゆるもの

六七月の午未の時ばかりにきたなげなる車にえせ牛かけてゆるがし行くもの。雨ふらぬ日はりむしろしたる車。降る日はりむしろせぬも。年老いたるかたゐ、いと寒きをりも暑きにも。げす女のなりあしきが子を負ひたる。ちひさき板屋の黑うきたなげなるが雨にぬれたる。雨のいたく降る日ちひさき馬に乘りてぜんくしたる人のかうぶりもひしげ、袍も下襲もひとつになりたる、いかにわびしからむと見えたり。夏はされどよし。

     あつげなるもの

隨身のをさの狩衣、のふの袈裟、でゐの少將。いみじく肥えたるひとのかみおほかる。きんの袋。六七月のずほふの阿ざ梨、日中の時など行ふ。又おなじころの銅の鍛冶。

     はづかしきもの

男の心のうち、いざとき〈いさぎよきイ〉よゐの僧。みそかぬすびとのさるべきくまにかくれ居て、いかに見るらむを誰かはしらむ、暗きまぎれにふところに物引き入るゝ人もあらむかし。それは同じ心にをかしとや思ふらむ。よゐの僧はいとはづかしきものなり。若き人の集りては人のうへをいひ笑ひ、そしり惡みもするを、つくづくと聞き集むる心のうちもはづかし。「あなうたてかしかまし」など御前近き人々の、物けしきばみいふを聞き入れずいひいひてのはてはうち解けてねぬる後もはづかし。男はうたておもふさまならず、もどかしう心づきなき事ありと見れど、さし向ひたる人をすかしたのむこそ耻かしけれ。ましてなさけありこのましき人に知られたるなどは愚なりと思ふべくももてなさずかし。心のうちにのみもあらず。又皆これが事はかれに語り、かれが事はこれにいひきかすべかめるを、我がことをば知らでかく語るをばこよなきなめりと思ひやすらむと思ふこそ耻かしけれ。いであはれ、又あはじと思ふ人に逢へば、心もなきものなめりと見えて耻かしくもあらぬ物ぞかし。いみじく哀に心苦しげに見すて難き事などをいさゝか何事とも思はぬもいかなる心ぞとこそはあさましけれ。さすがに人のうへをばもどき、物をいとよくいふよ。ことにたのもしき人もなき宮づかへの人などをかたらひて、たゞにもあらずなりたる有樣などをも知らでやみぬるよ。

     むとくなるもの

しほひのかたなる大きなる舟。かみみじかき人のかづらとりおろして髮けづるほど。大きなる木の風に吹きたふされて根をさゝげてよこたはれふせる。すまひのまけているうしろ手。えせものゝずさかんがふる。翁のもとゞりはなちたる。人のめなどのすゞろなる物ゑんじして隱れたるを、必尋ねさわがむものをと思ひたるにさしも思ひたらず、ねたげにもてなしたるに、さてもえ旅だち居たらねば心と出できたる。こまいぬしく舞ふものゝおもしろがりはやり出でゝをどる足音。

修法は佛眼眞言など讀みたてまつる、なまめかしうたふとし。

     はしたなきもの

ことひとを呼ぶに我がとてさし出でたるもの。まして物とらするをりは、いとゞおのづから人のうへなどうちいひそしりなどもしたるを、をさなき人の聞き取りてその人のある前にいひ出でたる。哀なる事など人のいひてうち泣くに、げにいとあはれとは聞きながら淚のふつと出でこぬいとはしたなし。なきがほつくりけしきことになせどいとかひなし。めでたき事を聞くには又すゞろにたゞいできにこそ出でくれ。八幡の行幸のかへらせ給ふに、女院〈一條院母〉御さじきのあなたに御輿をとゞめて、御せうそこ申させ給ひしなどいみじくめでたく、さばかりの御有樣にて、かしこまり申させたまふが世に知らずいみじきに誠にこぼるれば、けさうしたる顏も皆あらはれていかに見苦しかるらむ。せんじの御使にて齊信の宰相中將の御さじきに參り給ひしこそいとをかしう見えしか。唯隨身四人いみじうさうぞきたる。馬ぞひのほそうしたてたるばかりして二條の大路、廣うきよらにめでたきに、馬をうちはやして急ぎ參りて少し遠くよりおりてそばのみすの前に侍ひ給ひし。院の別當ぞ申し給ひし。御返し承りて又はしらせ歸り參り給ひて御輿のもとにて奏し給ひし程、いふもおろかなりや。さてうち渡らせ給ふを見奉らせ給ふらむ女院の御心思ひやりまゐらするは、飛び立ちぬべくこそ覺えしか。それにはながなきをして笑はるゝぞかし。よろしききはのひとだに猶この世にはめでたきものを、かうだに思ひまゐらするもかしこしや。

關白殿〈道隆〉の黑戶より出でさせ給ふとて女房のらうに隙なくさぶらふを「あないみじのおもとたちや。翁をばいかにをこなりと笑ひ給ふらむ」と分け出でさせ給へば戶口に人々のいろいろの袖口してみすを引き上げたるに、權大納言殿〈伊周〉御くつとりてはかせ奉らせ給ふ。いとものものしうきよげによそほしげに、下がさねのしりながく所せくさぶらひ給ふ。まづあなめでた、大納言ばかりの人にくつをとらせ給ふよと見ゆ。山のゐの大納言〈道賴〉そのつぎつぎ、さらぬ人々黑きものをひきちらしたるやうに、藤壺のへいのもとより登華殿の前までゐなみたるに、いとほそやかにいみじうなまめかしうて、御はかしなど引きつくろひやすらはせ給ふに、宮の大夫殿〈道長〉の淸凉殿の前にたゝせ給へれば、それは居させ給ふまじきなめりと見る程に、少し步み出でさせ給へば、ふと居させ給ひしこそ猶いかばかりの昔の御おこなひのほどならむと見奉りしこそいみじかりしか。中納言の君の忌の日とてくすしがり行ひ給ひしを、「たゞそのずゞしばし。行ひてめでたき身にならむとか」とて集りて笑へど、猶いとこそめでたけれ。御まへにきこしめして「佛になりたらむこそこれよりはまさらめ」とてうちゑませ給へるに、又めでたくなりてぞ見まゐらする。大夫殿の居させ給へるを、かへすがへす聞ゆれば「例の思ふ人」と笑はせ給ふ。ましてこの後の御ありさま見奉らせ給はましかば、ことわりとおぼしめされなまし。

九月ばかり夜一夜降りあかしたる雨のけさはやみて朝日のはなやかにさしたるにぜんざいの菊の露、こぼるばかりぬれかゝりたるもいとをかし。すいがい、らもんすゝきなどのうへにかいたるくものすのこぼれ殘りて、所々て糸も絕えざまに雨のかゝりたるが白き玉をつらぬきたるやうなるこそいみじうあはれにをかしけれ。すこし日たけぬれば、萩などのいとおもげなりつるに〈一字イ無〉露の落つるに枝のうち動きて人も手ふれぬに、ふとかみざまへあがりたるいみじういとをかしといひたる、こと人の心ちにはつゆをかしからじと思ふこそ又をかしけれ。七日の若菜を人の六日にもてさわぎとりちらしなどするに、見も知らぬ草を子どものもてきたるを「何とかこれをばいふ」といへど、とみにもいはず、「いざ」などこれかれ見合せて「耳な草となむいふ」といふものゝあれば、「うべなりけり、聞かぬかほなるは」など笑ふに、又をかしげなる菊の生ひたるをもてきたれば、

 「つめどなほみゝな草こそつれなけれあまたしあれば菊もまじれり」

といはまほしけれど聞き入るべくもあらず。

二月くわんのつかさにかうぢやうといふことするは、何事にあらむ。しやくでんもいかならむ。くじなどはかけ奉りてすることなるべし。そうめいとてうへにも宮にもあやしき物などかはらけに盛りてまゐらする。「頭辨〈行成〉の御もとより」とてとのもづかさ、繪などやうなる物を白きしきしに包みて、梅の花のいみじく咲きたるにつけてもてきたる繪にやあらむと急ぎ取り入れて見れば、へいだんといふ物を二つならべて包みたるなりけり。添へたるたて文に花文のやうに書きて「進上、へいだん一つゝみ、例によりて進上如件、少納言殿に」とて月日かきて「みまなのなりゆき」とて奧に「このをのこはみづから參らむとするを、晝はかたちわろしとて參らぬなり」といみじくをかしげに書き給ひたり。御前に參りて御覽ぜさすれば「めでたくもかゝれたるかな。をかしうしたり」など譽めさせ給ひて御文はとらせたまひつ。「返り事はいかゞすべからむ。このへいだんもてくるには物などやとらすらむ。知りたる人もがな」といふを聞しめして「これなかゞ聲しつる。呼びてとへ」とのたまはすればはしに出でゝ「左大辨〈惟仲〉にもの聞えむ」とさぶらひしていはすれば、いとよくうるはしうてきたり。「あらず わたくし事なり。もしこの辨少納言などのもとにかゝる物もてきたる下部などにはすることやある」と問へば「さる事も侍らず。唯とゞめてくひ侍る。何しにとはせ給ふ。もし上官のうちにてえさせ給へるか」といへば「いかゞは」といらふ。唯返しをいみじう赤きうすえふに「みづからもてまうでこぬ下部はいとれいだうなりとなむ見ゆる」とてめでたき紅梅につけて奉るを、すなはちおはしまして「下部さぶらふ」とのたまへば、出でたるに、「さやうのものぞ、歌よみしておこせ給へると思ひつるに、びゞしくもいひたりつるかな。女少し我はと思ひたるは歌詠みがましくぞある。さらぬこそ語らひよけれ。まろなどにさる事いはむ人はかへりてむじんならむかし」とのたまふ。のりみつ、なりやすなど笑ひて止みにし事を、殿の前に人々いと多かりけるに、語り申し給ひければ「いとよく言ひたる」となむのたまはせしと人の語りし。これこそ見苦しきわれぼめどもなりかし。などてつかさえはじめたる六位しやくに、しきの御ざうしのたつみの隅のついぢの板をせしぞ。更に西東をもせよかし。又五位もせよかし」などいふことを言ひ出でゝ、あぢきなき事どもをきぬなどにすゞろなる名どもをつけゝむいとあやし。「きぬの名にほそながをばさもいひつべし。なぞかざみはしりながといへかし。をのわらはのきるやうに、なぞからぎぬは短ききぬとこそいはめ。されどそれはもろこしの人の着るものなれば。うへのきぬの袴さいふべし。下襲もよし。又大口、長さよりは口ひろければ。袴いとあぢきなし。指貫もなぞ、あしぎぬ、もしはさやうのものは足ぶくろなどもいへかし」などよろづの事をいひのゝしるを、「いであなかしがまし。今はいはじ。ね給ひね」といふいらへに、よゐの僧の「いとわろからむ。夜ひと夜こそ猶のたまはめ」と憎しと思ひたる聲ざまにていひ出でたりしこそをかしかりしにそへて驚かれにしか。

故殿〈道隆〉の御ために月ごとの十日御經佛供養せさせ給ひしを、九月十日しきの御ざうしにてせさせ給ふ。上達部殿上人いとおほかり。せいはんかうじにて說く事どもいとかなしければ、殊に物の哀ふかゝるまじき若き人も皆泣くめり。はてゝ酒のみ詩ずんじなどするに、頭中將たゝのぶの君「月秋ときして身いづくにか」といふことをうち出し給へりしかば、いみじうめでたし。いかでかは思ひいで給ひけむ。おはします所に分け參るほどに、立ち出でさせ給ひて「めでたしな。いみじうけうの事にいひたる事にこそあれ」とのたまはすれば「それをけいしにとて物も見さして參り侍りつるなり。猶いとめでたくこそ思ひ侍れ」ときこえさすれば、「ましてさおぼゆらむ」と仰せらるゝ。わざと呼びもいで、おのづからあふ所にては「などかまろをまほに近くは語らひ給はぬ。さすがににくしなど思ひたるさまにはあらずと知りたるをいとあやしくなむ。さばかり年ごろになりぬるとくいのうとくてやむはなし。殿上などに明暮なきをりもあらば何ごとをか思ひ出にせむ」とのたまへば「さらなり。かたかるべき事にもあらぬをさもあらむのちにはえほめ奉らざらむが口をしきなり。うへの御前などにてやくとあつまりてほめ聞ゆるにいかでか。たゝおぼせかし。かたはらいたく心の鬼出で來て、言ひにくゝ侍りなむものを」といへば笑ひて「などさる人しもよそめより外にほむるたぐひ多かり」とのたまふ。「それがにくからずはこそあらめ、男も女もけぢかき人をかたひき思ふ人のいさゝかあしき事をいへば、腹だちなどするが、わびしう覺ゆるなり」といへば、「たのもしげなの事や」とのたまふもをかし。

頭辨〈行成〉の職にまゐり給ひて物語などし給ふに、夜いと更けぬ。「あす御物忌なるにこもるべければうしになりなばあしかりなむ」とてまゐり給ひぬ。つとめて藏人所のかうやかみひきかさねて「後のあしたはのこり多かる心ちなむする。夜をとほして普物語も聞え明さむとせしを、とりの聲に催されて」といといみじう淸げにうらうへに事多く書きたまへるいとめでたし。御かへりに「いと夜深く侍りけるとりのこゑは、まうさうくんのにや」ときこえたれば、たちかへり「まうさうくんのにはとりは函谷關を開きて三千のかくわづかにされりといふは、あふさかのせきの事なり」とあれば、

 「夜をこめて鳥のそらねははかるとも世にあふ坂の關はゆるさじ。

心かしこき關守侍るめり」と聞ゆ。立ちかへり、

 「逢坂は人こえやすきせきなればとりも鳴かねどあけてまつとか」

とありし文どもをはじめのは僧都の君〈隆圓〉のぬかをさへつきて取り給ひてき。のちのちのは御まへにて「さて逢坂の歌はよみへされて返しもせずなりにたるいとわろし」と笑はせ給ふ。「さてその文は殿上人皆見てしは」とのたまへば、「まことに思しけりとはこれにてこそ知りぬれ。めでたき事など人のいひ傅へぬはかひなきわざぞかし。又見苦しければ御文はいみじく隱して人につゆ見せ侍らぬ。志のほどをくらぶるにひとしうこそは」といへば、「かう物思ひしりていふこそ猶人々には似ず思へど、思ひくまなくあしうしたりなど例の女のやうにいはむとこそ思ひつるに」とていみじう笑ひ給ふ。「こはなぞ。悅びをこそ聞えめ」などいふ。「まろが文をかくし給ひける又猶うれしきことなり。いかに心うくつらからまし。今より猶賴み聞えむ」などのたまひて、後に經房の中將、「頭辨はいみじうほめ給ふとは知りたりや。一日の文のついでにありし事など語り給ふ。思ふ人々のほめらるゝはいみじく嬉しく」などまめやかにのたまふもをかし。「うれしきことも二つにてこそ。かのほめ給ふなる〈らむイ〉に又思ふ人の中に侍りけるを」などいへば、「それはめづらしう今の事のやうにもよろこび給ふか」などのたまふ。

五月ばかりに月もなくいとくらき夜「女房やさぶらひ給ふ」とこゑごゑしていへば、「出でゝ見よ。例ならずいふは誰ぞ」と仰せらるれば、出でゝ、「こはたぞ。おどろおどろしうきはやかなるは」といふに、ものもいはでみすをもたげてそよろとさし入るゝはくれたけの枝なりけり。「おい、このきみにこそ」といひたるを聞きて、「いざや、これ殿上に行きて語らむ」とて中將、新中將、六位どもなどありけるはいぬ。頭辨はとまり給ひて、「あやしくいぬるものどもかな。おまへの竹ををりて歌よまむとしつるを、しきにまゐりて同じくは女房など呼び出でゝをと言ひてきつるを、くれ竹の名をいととくいはれていぬるこそをかしけれ。たれが敎をしりて人のなべて知るべくもあらぬ事をばいふぞ」などのたまへば、「竹の名とも知らぬものをなまねた〈めかイ〉しとや思しつらむ」といへば、「まことぞえ知らじ」などのたまふ。まめごとなど言ひ合せて居給へるに「この岩と稱す」といふ詩をずして又あつまり來たれば、「殿上にていひきしつるほいもなくてはなどかへり給ひぬるぞ。いとあやしくこそありつれ」とのたまへば、「さる事には何のいらへをかせむ。いとなかなかならむ。殿上にても言ひのゝしりつれば、うへ〈一條院〉も聞しめして興せさせ給ひつる」と語る。辨もろともにかへすがへす同じ事をずんじていとをかしがれば、人々出でゝ見る。とりどりに物ども言ひかはして、かへるとて、猶同じ事をもろこゑにずんじて、左衞門の陣に入るまで聞ゆ。つとめていととく少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事をけいしたれば、しもなるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば「知らず。何とも思はでいひ出で侍りしを行成の朝臣のとりなしたるにや侍らむ」と申せば、「とりなすとても」とうちゑませ給へり。たれが事をも殿上人譽めけりと聞かせ給ふをば、さ言はるゝ人をよろこばせ給ふもをかし。

ゑんゆう院の御はての年、皆人御服ぬぎなどしてあはれなる事をおほやけより始めて院の人も「花の衣に」などいひけむ、世の御事など思ひ出づるに、雨いたう降る日藤三位〈一條乳母〉の局にみのむしのやうなるわらはの大きなる木の白きにたて文をつけて「これ奉らむ」といひければ、「いづこよりぞ。けふあす御物忌なれば御しとみもまゐらぬぞ」とてしもは立てたるしとみのかみより取り入れて、「さなむとはきかせ奉らず。物忌なればえ見ず」とてかみについさして置きたるを、つとめて手洗ひてその卷數とこひて伏し拜みてあけたれば、くるみいろといふしきしのあつごえたるをあやしと見てあけもてゆけば、老法師のいみじげなるが手にて、

 「これをだにかたみと思ふに都には葉がへやしつるしひしばの袖」

とかきたり。あさましくねたかりけるわざかな、たれがしたるにかあらむ、仁和寺の僧正〈寬朝〉のにやと思へどよもかゝることのたまはじ、なほたれならむ、藤大納言ぞかの院の別當におはせしかば、そのし給へる事なめり、これをうへの御まへ、宮などにとうきこしめさせばやと思ふにいと心もとなけれど、猶おそろしう言ひたる物忌をしはてむと念じくらして、まだつとめて藤大納言の御もとにこの御返しをしてさしおかせたればすなはち又返事しておかせ給へりけり。それを二つながら取りて急ぎ參りて「かゝる事なむ侍りし」とうへもおはします御まへにて語り申し給ふを、宮はいとつれなく御覽じて「藤大納言の手のさまにはあらで法師にこそあめれ」とのたまはすれば「さはこはたれがしわざにか。すきずきしき上達部、僧がうなどは誰かはある。それにやかれにや」などおぼめきゆかしがり給ふに、うへ「このわたりに見えしにこそはいとよく似ためれ」とうちほゝゑませ給ひて、今ひとすぢ御厨子のもとなりけるを取り出でさせたまへれば、「いであな心う。これおぼされ〈四字おほせられイ〉よ。あなかしらいたや。いかで聞き侍らむ」とたゞせめにせめ申して恨み聞えて笑ひ給ふに、やうやう仰せられ出でゝ「御使にいきたりける鬼童は、臺盤所のとじといふものゝ供なりけるを小兵衞が語らひ出したるにやありけむ」など仰せらるれば、宮も笑はせ給ふを、引きゆるがし奉りて、「などかくはからせおはします。猶うたがひもなく手をうちあらひて伏し拜み侍りしことよ」と笑ひねたがり居給へるさまもいとほこりかにあいぎやうづきてをかし。さてうへのだいばん所にも笑ひのゝしりて、局におりてこのわらはたづね出でゝ文取り入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」といふ。「たれが文をたれがとらせしぞ」といへば、しれしれとうちゑみてともかくもいはで走りにけり。藤大納言後にきゝて笑ひ興じ給ひけり。

     つれづれなるもの

所さりたる物いみ、うまおりぬすぐろく、ぢもくにつかさえぬ人の家。雨うち降りたるはましてつれづれなり。

     つれづれなぐさむるもの

物語、碁、すぐろく。三つ四つばかりなるちごの物をかしういふ。又いとちひさきちごの物語りしたるがゑみなどしたる。くだもの。男のうちさるがひ物よくいふがきたるは〈にイ〉物いみなれど入れつかし。

     とりどころなきもの

かたちにくげに心あしき人。みそひめのぬれたる。これいみじうわろき事言ひたるとよろづの人にくむなることゝて今とゞむべきにもあらず。又あとびの火ばしといふ事などてか。世になき事ならねば皆人知りたらむ。げに書きいで人の見るべき事にはあらねど、この草紙を見るべきものと思はざりしかば、あやしき事をもにくき事をも、唯思はむ事のかぎりを書かむとてありしなり。

     なほ世にめでたきもの

臨時の祭のおまへばかりの事は何事にかあらむ。しがくもいとをかし。春は空のけしきのどかにてうらうらとあるに、淸凉殿の御まへの庭に、かもりづかさのたゝみどもをしきて使は北おもてに、まひ人は御前のかたに、これらはひが事にもあらむ。

所の衆どもついがさねどもとりて、前ごとにすゑわたし、べいじゆうもその日は御前に出で入るぞかし。くぎやう殿上人はかはるがはる盃とりて、はてにはやくがひといふ物をのこなどのせむだにうたてあるを、御前に女ぞ出でゝ取りける。思ひかけず人やあらむとも知らぬに、ひたき屋よりさし出でゝ多く取らむと騷ぐものは、なかなかうちこぼしてあつかふ程に、かろらかにふと取り出でぬるものには後れて、かしこきをさめどのに火たき屋をして取り入るゝこそをかしけれ。かんもりづかさのものどもたゝみとるやおそきと、とのもりづかさの官人ども手每にはゝきとりすなごならす。承香殿の前の程に笛を吹きたて拍子うちて遊ぶを、とく出でこなむと待つに、うどはまうたひて竹のませのもとに步みて出でゝ、みことうちたる程など、いかにせむとぞ覺ゆるや。一の舞のいとうるはしく袖をあはせて二人はしり出でゝ西にむかひて立ちぬ。つぎつぎ出づるに足ぶみを拍子に合せては、はんびの緖つくろひ、かうぶり、きぬのくびなどつくろひて、あやもなきこま山など歌ひて舞ひ立ちたるは、すべていみじくめでたし。おほひれなど舞ふは日一日見るとも飽くまじきを、はてぬるこそいと口をしけれど、又あるべしと思ふはたのもしきに、みことかきかへしてこのたびやがて竹のうしろから舞ひ出でゝぬぎ垂れつるさまどものなまめかしさは、いみじくこそあれ。かいねりの下襲など亂れあひて、こなたかなたにわたりなどしたる、いで更にいへばよのつねなり。このたびは又もあるまじければにや、いみじくこそはてなむ事は口をしけれ。上達部などもつゞきて出で給ひぬれば、いとさうざうしう口をしきに、賀茂の臨時の祭はかへりだちの御神樂などにこそなぐさめらるれ。庭火のけぶりの細うのぼりたるに、神樂の笛のおもしろうわなゝき、ほそう吹きすましたるに、歌の聲もいとあはれにいみじくおもしろく、寒くさえ氷りてうちたるきぬもいとつめたう、扇もたる手のひゆるもおぼえず。

ざえのをのこども召して飛びきたるも、人長の心よげさなどこそいみじけれ。里なる時は唯渡るを見るに飽かねば御社まで行きて見る折もあり。大きなる木のもとに車たてたれば、松のけぶりたなびきて、火の影にはんびの緖きぬのつやも晝よりはこよなくまさりて見ゆる。橋の板を踏みならしつゝ聲合せて舞ふ程もいとをかしきに、水の流るゝ音、笛の聲などの合ひたるはまことは神も嬉しとおぼしめすらむかし。

少將といひける人の年ごとにまひ人にて、めでたきものに思ひしみけるに、なくなりて上の御社の一の橋のもとにあなるを聞けば、ゆゝしうせちに物おもひいれじと思へど、猶このめでたき事をこそ更にえ思ひすつまじけれ。

八幡の臨時の祭の名殘こそいとつれづれなれ。「などてかへりて又舞ふわざをせざりけむ。さらばをかしからまし。祿を得てうしろよりまかづるこそ口をしけれ」などいふを、うへの御まへに聞しめして「明日かへりたらむめして舞はせむ」など仰せらるゝ。「まことにやさふらふらむ。さらばいかにめでたからむ」など申す。うれしがりて、宮の御まへにも「猶それまはせさせ給へ」と集りて申しまどひしかば、そのたびかへりて舞ひしは、嬉しかりしものかな。さしもやあらざらむとうちたゆみつるに、舞ひ人前に召すを聞きつけたる心ち物にあたるばかり騷ぐもいと物ぐるほしく、しもにある人々惑ひのぼるさまこそ、人のずさ、殿上人などの見るらむも知らず、もをかしらにうちかづきてのぼるを笑ふもことわりなり。

故殿〈道隆〉などおはしまさで、世の中に事出でき、物さわがしくなりて宮〈定子〉又うちにもいらせ給はず、小二條といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里に居たり。御まへ渡りおぼつかなさにぞ猶えかくてはあるまじかりける。左中將おはして物語し給ふ。「今日は宮に參りたればいみじく物こそ哀なりつれ。女ばうのさうぞく、裳唐ぎぬなどの折にあひ、たゆまずをかしうても侍ふかな。みすのそばのあきたるより見入れつれば、八九人ばかり居て黃朽葉の唐ぎぬ、薄色の裳、紫をん、萩などをかしう居なみたるかな。御前の草のいと高きを、などか此は茂りて侍る、はらはせてこそといひつれば、露おかせて御覽ぜむとて殊更にと宰相の君の聲にていらへつるなり。をかしくもおぼえつるかな。御里居いと心憂し。かゝる所にすまひせさせ給はむ程はいみじき事ありとも必侍ふべきものに思しめされたるかひもなくなどあまた言ひつる、語り聞かせ奉れとなめりかし。參りて見給へ。哀れげなる所のさまかな。ろだいの前に植ゑられたりけるぼうたんの唐めきをかしき」事などの給ふ。「いざ人のにくしと思ひたりしかば、又にくゝ侍りしかば」といらへ聞ゆ。「おいらかにも」とて笑ひ給ふ。げにいかならむと思ひ參らする御氣色にはあらで侍ふ人たちの「左の大殿〈道長〉のかたの人ゑるすぢにてあり」などさゝめきさしつどひて物などいふに、しもより參るを見ては言ひ止み、はなち立てたるさまに見ならはずにくければ、參れなどあるたびの仰せをも過して、げに久しうなりにけるを、宮のへんにはたゞあなたがたになして空言なども出で來べし。例ならず仰せ事などもなくて日ごろになれば、心細くてうちながむる程に、をさめ文をもて來たり、「おまへより左京の君して、忍びて賜はせたりつる」といひてこゝにてさへひき忍ぶもあまりなり。人づての仰せ事にてあらぬなめりと胸つぶれてあけたれば、かみには物もかゝせ給はず、山吹の花びらを唯一つ包ませ給へり。それに「いはで思ふぞ」と書かせ給へるを見るもいみじう日ごろのたえま、思ひ歎かれつる心も慰みて嬉しきに、まづ知るさまををさめもうち守りて、「御前にはいかに物の折ごとにおぼし出で聞えさせ給ふなるものを」とて「誰もあやしき御ながゐとのみこそ侍るめれ。などか參らせ給はぬ」などいひて、「こゝなる所にあからさまにまかりて參らむ」といひていぬる後に、御返り事書きて參らせむとするにこの歌のもと更に忘れたり。「いとあやし。同じふる事といひながら知らぬ人やはある。こゝもとに覺えながら言ひ出でられぬはいかにぞや」などいふを聞きて、ちひさき童の前に居たるが「下ゆく水のとこそ申せ」といひたる。などてかく忘れつるならむ。これに敎へらるゝもをかし。御かへり參らせて少しほど經て參りたり。いかゞと例よりはつゝましうて御几帳にはたかくれたるを「あれは今參りか」など笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、このをりはさも言ひつべかりけりとなむ思ふを、見つけではしばしえこそ慰むまじけれ」などのたまはせて、かはりたる御氣色もなし。童に敎へられしことばなどけいすれば、いみじく笑はせ給ひて、「さる事ぞ。あまりあなづるふる事はさもありぬべし」など仰せられて、ついでに「人のなぞなぞあはせしける所に、かたくなにはあらでさやうの事にらうらうしかりけるが、左の一番はおのれいはむ、さ思ひ給へなど賴むるに、さりともわろきことは言ひ出でじとえり定むるに、そのことばを聞かむ、いかになど問ふ。唯任せて物し給へ、さ申していと口惜しうはあらじといふを、げにと推しはかる。日いと近うなりぬればなほこの事のたまへ、ひざうにをかしき事もこそあれといふを、いさ知らず、さらばなたのまれそなどむつかれば、覺つかなしと思ひながらその日になりて、みな方人の男女ゐわけて殿上人などよき人々多く居なみてあはするに、左の一番にいみじう用意してもてなしたる樣のいかなる事をか言ひ出でむと見えたれば、あなたの人もこなたの人も心もとなくうちまもりて、なぞなぞといふ程いと心もとなし。天にはり弓といひ出でたり。右のかたの人はいと興ありと思ひたるに、こなたの方の人は物もおぼえずあさましうなりて、いとにくゝあいぎやうなくて、あなたによりて殊更にまけさせむとしけるをなど、かた時のほどに思ふに、右の人をこに思ひてうち笑ひて、やゝ更に知らずとくちひきたれてさるがうしかくるに、數させ數させとてさゝせつ。いと怪しきこと、これ知らぬもの誰かあらむ、更に數さすまじと論ずれど、知らずといひ出でむは、などてかまくるにならざらむとて、つぎつぎのもこの人に論じかたせける。いみじう人の知りたる事なれど覺えぬ事はさこそはあれ。何しかはえ知らずといひしと後に恨みられて罪さりける」事を語り出でさせ給へば、おまへなる限はさは思ふべし。「口をしく思ひけむ。こなたの人の心ち聞しめしたりけむ、いかににくかりけむ」など笑ふ。これは忘れたることかは、皆人知りたることにや。

正月十日、空いとくらう雲も厚く見えながら、さすがに日はいとけざやかに照りたるにえせものゝ家のうしろ、あらばたけなどいふものゝ土もうるはしうなほからぬに、桃の木わかだちていとしもとがちにさし出でたる、片つ方は靑く今片枝は濃くつやゝかにて蘇枋のやうに見えたるにほそやかなる童の狩衣はかけやりなどして、髮は麗しきがのぼりたれば、又紅梅のきぬ白きなど、ひきはこえたるをのご、はうくわはきたる、木のもとに立ちて「我によき木切りていで」など乞ふに、又髮をかしげなるわらはべの衵ども綻びがちにて袴はなえたれど、色などよき、うち着たる三四人「卯槌の木のよからむ切りておろせ。こゝに召すぞ」などいひて、おろしたれば、はしりがひ、「とりわき我に多く」などいふこそをかしけれ。黑き袴着たるをのこ走り來て乞ふに「まて」などいへば、木のもとによりて引きゆるがすに危ふがりて猿のやうにかいつきて居るもをかし。梅などのなりたる折もさやうにぞあるかし。

淸げなるをのこのすぐろくを日ひと日うちて、猶飽かぬにや、みじかき燈臺に火をあかくかゝげて、敵のさいをこひせめて、とみにも入れねば、どうを盤のうへにたてゝ待つ。狩衣のくびの顏にかゝれば片手しておし入れて、いとこはからぬゑばうしをふりやりて、さはいみじう呪ふともうちはづしてむやと心もとなげにうちまもりたるこそほこりかに見ゆれ。

碁をやんごとなきひとのうつとて紐うち解き、ないがしろなるけしきに、ひろひおくにおとりたる人のゐずまひもかしこまりたるけしきに、碁盤よりは少し遠くて及びつゝ、袖の下いま片手にて引きやりつゝうちたるもをかし。

     おそろしきもの

つるばみのかさ、燒けたる所、水ぶき、菱、髮おほかるをのこの頭洗ひてほすほど、栗のいが。

     きよしと見ゆるもの

かはらけ、新しきかなまり、疊にさすこも、水を物に入るゝ透き影、新しき細櫃。

     きたなげなるもの

鼠のすみか、つとめて手おそくあらふ人、白きつきはな、すゝばなしありくちご、油入るゝ物、雀の子。暑きほどに久しくゆあみぬ。きぬの萎えたるはいづれもいづれもきたなげなる中に、練色のきぬこそきたなげなれ。

     いやしげなるもの

式部のぞうの爵、黑き髮のすぢふとき、布屛風の新しき、ふり黑みたるはさるいふかひなき物にて、なかなか何とも見えず。新しくしたてゝ櫻の花多くさかせて胡粉すさなど色どりたる繪書きたる。遣戶、厨子、何も田舍物はいやしきなり。むしろばりの車のおそひ、檢非違使の袴、伊豫すの筋ふとき、人の子にほふし子のふとりたる、まことの出雲むしろの疊。

     むねつぶるゝもの

くらべうま見る。もとゆひよる。親などの心ちあしうして例ならぬけしきなる。まして世の中などさわがしきころ萬の事おぼえず。又物いはぬちごの泣き入りて乳も飮まず、いみじくめのとのいだくにもやまで久しうなきたる。例の所などにて殊に又いちじるからぬ人の聲聞きつけたるはことわり。人などのそのうへなどいふにまづこそつぶるれ。いみじくにくき人のきたるもいみじくこそあれ。よべきたる人のけさの文のおそき、聞く人さへつぶる。思ふ人の文とりてさし出でたるもまたつぶる。

     うつくしきもの

ふりに書きたるちごの顏。雀の子のねずなきするにをどりくる。又べになどつけてすゑたればおや雀の蟲などもて來てくゝむるもいとらうたし。三〈二イ〉つばかりなるちごの急ぎて這ひくる道に、いとちひさき塵などのありけるをめざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへておとななどに見せたるいと美くし。あまにそぎたる兒の目に髮のおほひたるを搔きはやらで、うちかたぶきて物など見るいとうつくし。たすきがけにゆひたる腰のかみの白うをかしげなるも見るにうつくし。おほきにはあらぬ殿上わらはのさうぞきたてられてありくもうつくし。をかしげなるちごのあからさまにいだきてうつくしむほどに、かいつきて寢入りたるもらうたし。ひゝなの調度。はちすのうき葉のいとちひさきを池よりとりあげて見る。葵のちひさきもいとうつくし。なにもなにもちひさき物はいとうつくし。いみじう肥えたるちごの二つばかりなるが白ううつくしきが、二藍のうすものなど、きぬながくてたすきあげたるが這ひ出でくるもいとうつくし。八つ九つ十ばかりなるをのこの、聲幼げにて文よみたるいとうつくし。鷄の雛の足だかに白うをかしげにきぬみじかなるさまして、ひよひよとかしがましく鳴きて、人のしりに立ちてありくも、又親のもとにつれだちありく見るもうつくし。かりの子、さりの壺、瞿麥の花。

     ひとばえするもの

殊なる事なき人の子のかなしくしならはされたる。しはぶき、耻かしき人に物いはむとするにもまづさきにたつ。あなたこなたに住む人の子どもの四つ五つなるはあやにくだちて、物など取りちらして損ふを、常は引きは〈いイ〉られなど制せられて、心のまゝにもえあらぬが、親のきたる所えてゆかしかりける物を、「あれ見せよや」〈と脫歟〉母など引ゆるがすに、おとなゝど物いふとて、ふとも聞き入れねば、手づから引きさがし出でゝ見るこそいとにくけれ。それを「まさな」とばかりうち言ひて取り隱さで「さなせそ。そこなふな」とばかりゑみていふ親もにくし。われえはしたなくもいはで見るこそ心もとなけれ。

     名おそろしきもの

靑淵、谷のほら、はた板、くろがね、つちぐれ。いかづちは名のみならずいみじうおそろし。はやち、ふそう雲、ほ〈ひイ〉こぼし、おほかみ、牛はさめ、らう、ろうのをさ。いにすし、それも名のみならず見るもおそろし。繩筵。强盜又よろづにおそろし。ひぢかさ雨、くちなはいちご、いきすだま、おにどころ、おにわらび、うばら、からたち、いりずみ、ぼうたん。うしおに。

     見るにことなることなきものゝ文字にかきてことごとしきもの

いちご、露草、みづぶき、くるみ、文章博士、皇后宮の權大夫、やまもゝ。いたどりはまして、虎の杖と書きたるとか。杖なくともありぬべき顏つきを。

     むつかしげなるもの

ぬひものゝうら、猫の耳のうち。鼠のいまだ毛も生ひぬを、巢のうちよりあまたまろばし出したる。裏まだつかぬかはぎぬのぬひめ。殊に淸げならぬ所のくらき。ことなる事なき人の、ちひさき子など數多持ちてあつかひたる。いと深うしも志なき女の心ちあしうして久しく惱みたるも男の心の中にはむつかしげなるべし。

     えせものゝ所うるをりの事

正月のおほね、行幸のをりのひめまうちぎみ、みな月、十二月のつごもりのよをりの藏人。季の御讀經のいぎし、赤袈裟きて僧の文〈名イ〉ども讀みあげたるいとらうらうし。御讀經佛名などの御さうぞくの所の衆、春日祭の舍人ども、大饗の所のあゆみ、正月のくすりこ、卯杖の法師、五せちのこゝろみのみくしあげ、節會御ばいぜんの釆女、大饗の日の史生、七月のすまひ、雨降る日のいちめ笠、わたりするをりのかんどり。

     くるしげなるもの

夜泣といふもの〈わざイ〉するちごのめのと、思ふ人二人もちてこなたかなたに恨みふすべられたる男。こはきものゝけあづかりたる驗者、げんだに早くばよかるべきを、さしもなきをさすがに人わらはれにあらじと念ずるいとくるしげなり。わりなく物疑ひする男にいみじう思はれたる女。一の所に時めく人も得やすくはあらねどそれはよかめり。心いられしたる人。

     うらやましきもの

經など習ひていみじくたどたどしくて忘れがちにてかへすがへす同じ所を讀むに、法師はことわり、男も女もくるくるとやすらかに讀みたるこそ。あれがやうにいつの折とこそふと覺ゆれ。心ちなど煩ひてふしたるに、うち笑ひ物いひ思ふ事なげにて步みありく人こそいみじくうらやましけれ。稻荷に思ひおこして參りたるに中の御社のほどわりなく苦しきを、念じてのぼる程に、いさゝか苦しげもなく後れてくと見えたるものどもの、唯ゆきにさきだちて詣づるいとうらやまし。二月午の日の曉にいそぎしかど、坂のなからばかり步みしかば巳の時ばかりなりにけり。やうやう暑くさへなりてまことにわびしう、かゝらぬ人も世にあらむものを何しに詣でつらむとまで淚落ちてやすむに、三十餘りばかりなる女の壺さうぞくなどにはあらで、たゞ引きはこえたるが「まろは七たびまうでし侍るぞ。三たびはまうでぬ。四たぴはことにもあらず。未には下向しぬべし」と道に逢ひたる人にうち言ひてくだりゆきしこそたゞなる所にては目もとまるまじきことの、かれが身に唯今ならばやとおぼえしか。男も女も法師もよき子もちたる人いみじううらやまし。髮長く麗しうさがりばなどめでたき人。やんごとなき人の、人にかしづかれ給ふもいとうらやまし。手よく書き歌よく詠みて物のをりにもまづとり出でらるゝ人。よき人の御前に女房いとあたまさぶらふに心にくき所へ遺すべき仰せがきなどを誰も鳥の跡などのやうにはなどかはあらむ。されど下などにあるをわざと召して、御硯おろしてかゝせさせ給ふうらやまし。さやうの事は所のおとなゝどになりぬれば、まことになにはわたりの遠からぬも、事に隨ひて書くを、これはさはあらで、上達部のもと、また始めてまゐらむなど申さする人のむすめなどには心ことにうへより始めてつくろはせ給へるを、集りてたはぶれにねたがりいふめり。琴笛ならふにさこそはまだしき程は、かれがやうにいつしかと覺ゆめれ。うち東宮の御めのと。うへの女房の御かたがたゆるされたる。さんまいだうたてゝよひあかつきにいのられたる人。すぐろくうつにかたきのさいきゝたる。まことに世を思ひすてたるひじり。

     とくゆかしきもの

まきぞめ、むらご、くゝりものなど染めたる。人の子產みたる、男女とく聞かまほし。よき人はさらなり、えせものげすのきはだにきかまほし。ぢもくのまだつとめて、かならずしる人のなるべきをりもきかまほし。思ふ人のおこせたる文。

     こゝろもとなきもの

人の許にとみの物ぬひにやりて待つほど。物見に急ぎ出でゝ、今や今やとくるしう居入りつゝ、あなたをまもらへたる心ち。子產むべき人の、ほど過ぐるまでさるけしきのなき。遠き所より思ふ人の文を得てかたくふんじたるそくひなど放ちあくる心もとなし。物見に急ぎ出でゝ、事なりにけり〈とてイ有〉白きしもとなど見つけたるに、近くやりよする程わびしうおりてもいぬべき心ちこそすれ。知られじと思ふ人のあるに、前なる人に敎へて物いはせたる。いつしかと待ち出でたるちごのいかもゝかなどのほどになりたる、行く末いと心もとなし。とみのもの縫ふにくらきをり針に糸つくる。されど我はさるものにてありぬべき所をとらへて、人につけさするに、それも急げばにやあらむ、とみにもえさし入れぬを、「いで唯なすげそ」といへど、さすがになどてかはと思ひがほにえさらぬは、にくささへそひぬ。何事にもあれ、急ぎて物へ行く折、まづわがさるべき所へ行くとて、唯今おこせむとて出でぬる車待つほどこそ心もとなけれ。大路いきけるを、さなりけると喜びたれば、外ざまにいぬるいとくちをし。まして物見に出でむとてあるに「事はなりぬらむ」などいふを聞くこそわびしけれ。子うみける人ののちのこと久しき。物見にや、又御寺まうでなどに諸共にあるべき人を乘せにいきたるを車さし寄せたてるが〈にイ〉とみにも乘らでまたするもいと心もとなく、うちすてゝもいぬべき心ちする。とみにいりずみおこすいとひさし。人の歌の返しとくすべきをえ詠み得ぬほどいと心もとなし。けさう人などはさしも急ぐまじけれど、おのづから又さるべきをりもあり。又まして女も男もたゞに言ひかはすほどは、時のみこそはと思ふほどに、あいなくひが事も出でくるぞかし。又心ちあしく物おそろしきほど夜の明くるまつこそいみじう心もとなけれ。まつばくろめのひるほども心もとなし。

故殿の御服の頃六月三十日の御はらへといふ事に出でさせ給ふべきを、しきの御ざうしは方あしとて官のつかさのあいたん〈るイ〉所に渡らせ給へり。その夜はさばかり暑く、わりなき闇にて何事もせばうかはらぶきにてさまことなり。例のやうに格子などもなく、唯めぐりてみすばかりをぞかけたる、なかなか珍しうをかし。女房庭におりなどして遊ぶ。ぜんざいにはくわんざうといふ草を、ませゆひていと多く植ゑたりける。花きはやかに重りて咲きたる、うべうべしき所の前栽にはよし。時づかさなどは唯かたはらにて鐘の音も例には似ず聞ゆるを、ゆかしがりて若き人々二十餘人ばかりそなたに行きてはしり寄り、たかきやにのぼりたるをこれより見あぐれば、薄にびのも、唐ぎぬ、同じ色のひとへがさね、紅の袴どもをきてのぼり立ちたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空よりおりたるにやとぞ見ゆる。おなじ若さなれどおしあげられたる人はえまじらで、うらやましげに見あげたるもをかし。日暮れてくらまぎれにぞ過したる人々皆立ちまじりて、右近の陣へ物見に出できてたはぶれ騷ぎ笑ふもあめりしを「かうはせぬ事なり。上達部のつき給ひしなどに女房どものぼり上官などのゐる障子を皆打ちとほしそこなひたり」など苦しがるものもあれどきゝも入れず。屋のいとふるくて瓦葺なればにやあらむ、暑さの世に知らねば、みすのとによるもふしたるも、ふるき所なればむかでといふもの日ひと日おちかゝり、蜂の巢のおほきにてつき集りたるなどいとおそろしき。殿上人日ごとに參り夜もゐ明し、物言ふを聞きて「秋ばかりにや太政官の地のいまやかうのにはとならむ事を」とずし出でたりし人こそをかしかりしか。秋になりたれどかたへ凉しからぬ風の所からなめり。さすがに蟲の聲などは聞えたり。八日ぞかへらせたまへば、七夕祭などにて例より近う見ゆるは、ほどのせばければなめり。

宰相中將たゞのぶ、のぶかたの中將と參り給へるに、人々出でゝ物などいふに、ついでもなく「あすはいかなる詩をか」といふに、いさゝか思ひめぐらし、とゞこほりもなく「人間の四月をこそは」といらへ給へるいみじうをかしくこそ。過ぎたることなれど心えていふはをかしき中にも女ばうなどこそさやうの物わすれはせね。男はさもあらず、詠みたる歌をだになまおぼえなるを誠にをかし。內なる人も外なる人心えずと思ひたるぞことわりなるや。

この三月三十日ほそどのゝ一の口に、殿上人あまた立てりしを、やうやうすべりうせなどしてたゞ頭中將、源中將、六位ひとりのこりて、よろづのこといひ、經よみ歌うたひなどするに明けはてぬなり。「歸りなむ」とて「露は別れの淚なるべし」といふことを、頭中將うち出し給へれば、源中將もろともにいとをかしうずんじたるに「いそぎたる七夕かな」といふを、いみじうねたがりて「曉の別れのすぢのふと覺えつるまゝにいひて、わびしうもあるわざかなとすべてこのわたりにてはかゝる事思ひまはさずいふは、口をしきぞかし」などいひてあまりあかくなりにしかば、「葛城の神今ぞすぢなき」とてわけておはしにしを、七夕のをりこの事を言ひ出でばやと思ひしかど、宰相になり給ひにしかば、必しもいかでかはその程に見つけなどもせむ。文かきてとのもづかさしてやらむなど思ひし程に、七日に參り給へりしかば、うれしくて、その夜の事などいひ出でば心もぞえたまふ、すゞろにふといひたらば怪しなどやうちかたぶき給はむ、さらばそれにはありし事いはむとてあるに、つゆおぼめかでいらへ給へりしかば、まことにいみじうをかしかりき。日ごろいつしかと思ひ侍りしだに我が心ながらすきずきしと覺えしに、いかでさはた思ひまうけたるやうにのたまひけむ。もろともにねたがりいひし中將は思ひもよらで居たるに「ありし曉の詞いましめらるゝは知らぬか」との給ふにぞ「げにさしつ」などいひ、男はちやうけんなどいふことを人には知せず、この君に心えていふを「何事ぞ何事ぞ」と源中將はそひつきて問へどいはねば、かの君に「猶これのたまへ」と怨みられて、よき中なれば聞せてけり。いとあへなく言ふ程もなく近うなりぬるをば、おし小路のほどぞなどいふにわれも知りにけるといつしかしられむとて、わざと呼び出でゝ、「碁盤侍りや。まろもうたむと思ふはいかゞ。手はゆるし給はむや。頭中將とひとし碁なり。なおぼしわきそ」といふに、「さのみあらば定めなくや」といらへしを、かの君に語り聞えければ「嬉しく言ひたる」とよろこび給ひし。猶過ぎたる事忘れぬ人はいとをかし。宰相になり給ひしを、うへ〈一條院〉のおまへにて、「詩をいとをかしうずんじ侍りしものを、蕭會稽の古廟をも過ぎにしなども誰か言ひはべらむとする。暫しならでもさふらへかし。口惜しきに」など申しゝかば、いみじうわらはせ給ひて「さなむいふとて、なさじかし」など仰せられしもをかし。されどなり給ひにしかば誠にさうざうしかりしに、源中將劣らずと思ひてゆゑだちありくに、宰相中將の御うへをいひ出でゝ「いまだ三十のごにおよばずといふ詩をこと人には似ず、をかしうずし給ふ」などいへば「などかそれに劣らむ。まさりてこそせめ」とてよむに「更にわろくもあらず」といへば「わびしの事や。いかであれがやうにずんせで」などのたまふ。「三十のごといふ所なむすべていみじうあいぎやうづきたりし」などいへば、ねたがりて笑ひありくに、陣につき給へりける折に、わきて呼び出でゝ「かうなむいふ。猶そこ敎へ給へ」といひければ、笑ひて敎へけるも知らぬに、局のもとにていみじくよく似せてよむに、あやしくて「こはたぞ」と問へば、ゑみごゑになりて、「いみじき事聞えむ。かうかうきのふ陣につきたりしに、問ひ來てたちにたるなめり。誰ぞとにくからぬ氣色にて問ひ給へれば」といふもわざとさ習ひ給ひけむをかしければ、これだに聞けば出でゝ物などいふを「宰相の中將の德見る事そなたに向ひて拜むべし」などいふ。しもにありながらうへになどいはするに、「これをうち出づれば誠はあり」などいふ。おまへにかくなど申せば笑はせ給ふ。內の御ものいみなる日、右近のさうくわんみつなにとかやいふものして、たゝう紙に書きておこせたるを見れば「參ぜむとするを今日は御物忌にてなむ。三十のごにおよばずはいかゞ」といひたれば、かへりごとに、「そのごは過ぎぬらむ。朱買臣がめを敎へけむ年にはしも」と書きてやりたりしを、又ねたがりてうへの御前にも奏しければ、宮の御かたにわたらせ給ひて、「いかでかゝる事は知りしぞ。四十九になりける年こそさは誡めけれ」とて「のぶかたはわびしういはれにたりといふめるは」と笑はせ給ひしこそ物ぐるほしかりける君かなとおぼえしか。こき殿〈義子〉とは閑院の太政大臣の女御とぞ聞ゆる。その御方にうちふしといふ者のむすめ、左京といひてさぶらひけるを、源中將かたらひて思ふなど人々笑ふころ、宮のしきにおはしまいしに參りて、「時々は御とのゐなど仕うまつるべけれど、さるべきさまに女房などもてなし給はねば、いと宮づかへおろかにさふらふ。殿居所をだに賜はりたらむは、いみじうまめに侍らひなむ」などいひゐ給ひつれば、人々「げに」などいふ程に、「誠に人はうちふしやすむ所のあるこそよけれ。さるあたりにはしげく參り給ふなるものを」とさしいらへたりとて、「すべて物きこえず、かた人と賴み聞ゆれば人のいひふるしたるさまに取りなし給ふ」など、いみじうまめだちてうらみ給ふ。「あなあやし。如何なる事をか聞えつる。更に聞きとゞめ給ふことなし」などいふ。かたはらなる人を引きゆるがせば、「さるべきこともなきをほとほり出で給ふさまこそあらめ」とて華やかに笑ふに、これもかのいはせ給ふならむとて、いとものしと思へり。「更にさやうの事をなむいひ侍らぬ。人のいふだににくきものを」といひて引き入りにしかば、後にもなほ「人にはぢがましき事言ひ吿けたる」と恨みて、「殿上人の笑ふとて言ひ出でたるなり」とのたまへば、「さては一人を恨み給ふべくもあらざめる。あやし」などいへば、その後は絕えてやみ給ひにけり。

     むかしおぼえてふようなるもの

うげんべりの疊のふりてふし出できたる。唐繪の屛風の表そこなはれたる。藤のかゝりたる松の木枯れたる。ぢずりのもの花かへりたる。衞士の目くらき。几帳のかたびらのふりぬる。もかうのなくなりぬる。七尺のかづらのあかくなりたる。えびぞめの織物の灰かへりたる。色好みの老いくづほれたる。おもしろき家の木立やけたる、池などはさながらあれど、うきくさみくさしげりて。

     たのもしげなきもの

心みじかくて人忘れがちなる。むこの夜がれがちなる。六位の頭しろき。そらごとする人のさすがに人のことなしがほに大事うけたる。一番に勝つすぐろく。六七八十なる人の心ちあしうして日ごろになりぬる。風吹く〈早きイ〉に帆あげたる船。經は不斷經。

     近くてとほきもの

宮のほとりの祭り、思はぬはらからしんぞくの中、鞍馬のつゞらをりといふ道、しはすの晦日に正月一日のほど。

     遠くてちかきもの

極樂、舟の道、男女の中。

     井は

堀兼の井。走井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしもあさきためしになりはじめけむ。飛鳥井、みもひも寒しと譽めたるこそをかしけれ。玉の井、少將井、櫻井、后町の井、千貫の井。

     受領は

紀伊守、和泉。

     やどりのつかさの權の守は

下野、甲斐、越後、筑後、阿波。

     大夫は

式部大夫、左衞門大夫、史大夫。六位藏人思ひかくべき事にもあらず。かうぶりえて何の大夫權の守などいふ人の、板屋せばき家もたりて、また小檜垣など新しくし、車やどりに車ひきたて、前近く木おほくして牛つながせて草などかはするこそいとにくけれ。庭いと淸げにて紫革して伊豫すかけわたしてぬのさうじはりてすまひたる。よるは門强くさせなど事行ひたる、いみじうおひさきなくこゝろづきなし。親の家しうととはさらなり、伯父兄などの住まぬ家、そのさるべき人のなからむはおのづからむつましううち知りたる受領、又國へ行きていたづらなる、さらずは女院宮原などの屋あまたあるに、つかさまち出でゝ後いつしかよき所尋ね出でゝ住みたるこそよけれ。女のひとり住む家などは唯いたう荒れてついぢなどもまたからず、池などのある所は水草ゐ、庭なども糸よもぎ茂りなどこそせねども、所々すなごの中より靑き草見え、寂しげなるこそあはれなれ。物かしこげになだらかにすりして門いたうかため、きはきはしきはいとうたてこそ覺ゆれ。

宮づかへ人の里なども親ども二人あるはよし。人しげく出で入り、奧のかたにあまたさまざまの聲多く聞え、馬の音して騷がしきまであれどかなし。されど忍びてもあらはれてもおのづから、出で給ひけるを知らでとも又いつか參り給ふなどもいひにさしのぞく。心がけたる人はいかゞはと門あけなどするを、うたて騷がしうあやふげに夜なかまでなど思ひたるけしきいとにくし。「大御門はさしつや」など問はすれば、「まだ人のおはすれば」などなまふせがしげに思ひていらふるに、「人出で給ひなばとくさせ。このごろは盜人いと多かり」などいひたるいとむつかしううち聞く人だにあり。この人の供なるものども、このかく今や出づると、絕えずさしのぞきてけしき見るものどもをわらふべかめり。まねうちするも聞きてはいかにいとゞきびしういひ咎めむ。いと色に出でゝいはぬも、思ふ心なき人は必きなどやする。されどすくよかなるかたは夜更けぬ。「御門もあやふかなる」といひてぬるもあり。誠に志ことなる人ははやなどあまたゝびやらはるれど、猶居あかせばたびたびありくに、あけぬべきけしきを珍らかに思ひて、「いみじき御門をこよひらいさう〈如元〉とあけひろげて」と聞えごちてあぢきなく曉にぞさすなるいかゞにくき。親そひぬるは猶こそあれ。まして誠ならぬはいかに思ふらむとさへつゝましうて、せうとの家などもげに聞くにはさぞあらむ。夜中曉ともなく門いと心がしこくもなく、何の宮、內わたりの殿ばらなる人々の出あひなどして格子などもあけながら冬の夜を居あかして、人の出でぬる後も見出したるこそをかしけれ。有明などはましていとをかし。笛など吹きて出でぬるを我は急ぎてもねられず、人のうへなどもいひ、歌など語り聞くまゝに寢入りぬるこそをかしけれ。

雪のいと高くはあらでうすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。又雪のいと高く降り積みたる夕暮より、端ちかう同じ心なる人二三人ばかり火桶なかにすゑて、物語などするほどに暗うなりぬれば、こなたには火もともさぬに、大かた雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰などかきすさびて、哀なるもをかしきもいひあはするこそをかしけれ。よひも過ぎぬらむと思ふほどに、履の音近う聞ゆれば、怪しと見出したるに、時々かやうの折、おぼえなく見ゆる人なりけり。今日の雪をいかにと思ひ聞えながら、なんでふ事にさはりそこに暮しつるよしなどいふ。今日來む人をなどやうのすぢをぞいふらむかし。晝よりありつる事どもをうちはじめて萬の事をいひ笑ひ、わらふださし出したれど片つかたの足はしもながらあるに、鐘のおとの聞ゆるまでになりぬれど、內にもとにもいふ事どもは飽かずぞおぼゆる。あけぐれのほどにかへるとて「雲何の山に滿てる」とうちずんじたるはいとをかしきものなり。女のかぎりしてはさもえゐあかさゞらましを、たゞなるよりはいとをかしう過ぎたる有樣などを言ひ合せたる。村上の御時雪のいと高う降りたりけるを、やうきにもらせ給ひて、梅の花をさして月いとあかきに「これに歌よめ。いかゞいふべき」と兵衞の藏人にたびたりければ「雪月花の時」と奏したりけるこそいみじうめでさせ給ひけれ。「歌などよまむにはよのつねなり。かう折にあひたる事なむ言ひ難き」とこそ仰せられけれ。おなじ人を御供にて殿上に人さぶらはざりける程たゝずませおはしますに、すびつのけぶりの立ちければ「かれは何のけぶりぞ。見てこ」と仰せられければ、見てかへり參りて、

 「わたつみの沖にこがるゝ物見ればあまの釣してかへるなりけり」

と奏しけるこそをかしけれ。かへるの飛び入りてこがるゝなりけり。

みあれのせんじ、五寸ばかりなる殿上わらはのいとをかしげなるをつくりて、みづらゆひ、さうぞくなどうるはしくして名かきて奉らせたりけるに、「ともあきらのおほきみ」と書きたりけるをこそいみじうせさせ給ひけれ。

〈中宮定子〉に始めて參りたるころ物の耻かしきこと數知らず。淚も落ちぬべければ、よるよる參りて三尺の御几帳のうしろに侍ふに、繪など取り出でゝ見せさせ給ふだに手もえさし出づまじうわりなし。「これはとありかれはかゝり」などのたまはするに、たかつきにまゐりたる大とのあぶらなれば、髮のすぢなども中々晝よりはけせうに見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなればさし出ださせ給へる御手のわづかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは限なくめでたしと、見知らぬさとび心ちには、いかゞはかゝる人こそ世におはしましけれと、驚かるゝまでぞまもりまゐらする。曉にはとくなど急がるゝ。「葛城の神も暫し」など仰せらるゝを、いかですぢかひても御覽ぜむとてふしたれば、御格子もまゐらず。「女官參りてこれはなたせ給へ」といふを、女房きてはなつを「待て」など仰せらるれば笑ひてかへりぬ。物など問はせ給ひのたまはするに「久しうなりぬればおりまほしうなりぬらむ。さははや」とて「よさりはとく」と仰せらるゝ。ゐざり歸るや遲きとあけちらしたるに、雪いとをかし。「今日は晝つかた參れ。雪にくもりてあらはにもあるまじ」など度々召せば、このつぼねあるじも「さのみや籠り居給ふらむとする。いとあへなきまで御まへ許されたるは思しめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものを」と唯いそがしに出せば、我にもあらぬ心ちすれば參るもいとぞ苦しき。火たき屋のうへに降り積みたるも珍しうをかし。御まへ近くは例のすびつの火こちたくおこしてそれにはわざ人も居ず。宮は沉の御火桶の梨繪したるに向ひておはします。上臈御まかなひし給ひけるまゝに近く侍ふ。次の間にながすびつにまなく居たる人々、からぎぬ着垂れたる程なり。安らかなるを見るも羨しく御文〈ふイ〉とりつぎ立ち居ふるまふさまなど、つゝましげならず物いひゑわらふ。いつの世にかさやうにまじらひならむと思ふさへぞつゝましき。あうよりて三四人集ひて繪など見るもあり。しばしありてさき高うおふ聲すれば、「殿〈道隆〉參らせ給ふなり」とて散りたる物ども取りやりなどするに奧に引き入りて、さすがにゆかしきなめりと、御几帳のほころびより僅に見入れたり。大納言殿〈伊周〉の參らせ給ふなりけり。御直衣指貫の紫の色雪にはえてをかし。柱のもとに居給ひて、「きのふけふ物いみにて侍れど、雪のいたく降りて侍れば、覺束なさに」などのたまふ。「道もなしと思ひけるにいかでか」とぞ御いらへあなる。うち笑ひ給ひて「あはれともや御覽ずるとて」などのたまふ御ありさまは、これよりは何事かまさらむ。物語にいみじう口にまかせて言ひたる事どもたがはざめりと覺ゆ。宮は白き御ぞどもに紅の唐綾二つ、白き唐綾と奉りたる。御ぐしのかゝらせ給ふ〈へカ〉るなど繪に書きたるをこそかゝることは見るにうつゝにはまだ知らぬを夢の心ちぞする。女房と物いひたはぶれなどし給ふを、いらへいさゝか耻かしとも思ひたらず聞え返し、空言などの給ひかくるをあらがひ論じなど聞ゆるは、目もあやに淺ましきまであいなく面ぞ赤むや。御くだもの參りなどして御前にも參らせ給ふ。「御几帳のうしろなるは誰ぞ」と問ひ給ふなるべし。さぞと申すにこそあらめ、立ちて坐するを、外へにやあらむと思ふに、いと近う居給ひて物などのたまふ。まだ參らざりし時聞き置き給ひける事などのたまふ。「まことにさありし」などのたまふに、御几帳隔てゝよそに見やり奉るだに耻しかりつるを、いとあさましうさし向ひ聞えたる心ちうつゝともおぼえず。行幸など見るに、車のかたにいさゝか見おこせ給ふは下簾ひきつくろひ、すきかげもやと扇をさし隱す。猶いと我が心ながらもおほけなく、いかで立ち出でにしぞと汗あえていみじきに何事をか聞えむ、かしこきかげと捧げたる扇をさへ取り給へるに振りかくべき髮のあやしささへ思ふに、すべて誠にさる氣色やつきてこそ見ゆらめ。疾く立ち給へなど思へど扇を手まさぐりにして「繪は誰が書きたるぞ」などのたまひて、とみにも立ち給はねば、袖をおしあてゝうつぶし居たるも、からぎぬにしろいものうつりてまだらにならむかし。久しう居給ひたりつるをろんなう苦しと思ふらむと心得させ給へるにや、「これ見給へ。此はたが書きたるぞ」と聞えさせ給ふを、嬉しと思ふに「賜ひて見侍らむ」と申し給へば「猶こゝへ」とのたまはすれば、「人をとらへてたて侍らぬなり」とのたまふ。いといまめかしう、身のほど年には合はず、かたはらいたし。人のさうがな書きたる草紙取り出でゝ御覽ず。「誰がにかあらむ、かれに見せさせ給へ。それぞ世にある人の手は見知りて侍らむ」と、あやしき事どもをたゞいらへさせむとの給ふ。一所だにあるに又さきうちおはせて同じ直衣の人參らせ給ひて、これは今少しはなやぎさるがうごとなどうちし、譽め笑ひ興じ、我もなにがしがとある事かゝる事など殿上人のうへなど申すを聞けば、猶いと變化の物天人などのおりきたるにやと覺えてしを、侍ひ馴れ、日ごろ過ぐれはいとさしもなき業にこそありけれ。かく見る人々も家のうち出でそめけむ程はさこそは覺えけめど、かくしもて行くにおのづからおも馴れぬべし。物など仰せられて「我をば思ふや」と問はせ給ふ。御いらへに「いかにかは」と啓するに合せて、臺盤所のかたに、はなをたかくひたれば、「あな心う。そらごとするなりけり。よしよし」とていらせ給ひぬ。いかでかそらごとにはあらむ。よろしうだに思ひきこえさすべき事かは。はなこそはそらごとしけれとおぼゆ。さてもたれかかくにくきわざしつらむと、大かた心づきなしと覺ゆれば、わがさる折もおしひしぎかへしてあるを、ましてにくしと思へど、まだうひうひしければともかくも啓しなほさで、明けぬればおりたるすなはち淺綠なるうすえふにえんなる文をもてきたり。見れば、

 「いかにしていかに知らましいつはりをそらにたゞすの神なかりせば〈中宮〉

となむ、御けしきは」とあるにめでたくも口をしくも思ひ亂るゝに、なほよべの人ぞたづね聞かまほしき。

 「うすきこそそれにもよらぬはなゆゑにうき身のほどを知るぞわびしき。〈淸少納言〉

猶こればかりは啓しなほさせ給へ。しきの神もおのづからいと畏し」とて參らせて後もうたて折しもなどてさはたありけむ、いとをかし。

     したりがほなるもの

正月一日のつとめてさいそにはなひたる人。きしろふたびの藏人にかなしうする子なしたる人のけしき。ぢもくにその年の一の國得たる人のよろこびなどいひて、「いとかしこうなり給へり」など人のいふいらへに、「何かいとことやうにほろびて侍るなれば」などいふもしたり顏なり。又人多く挑みたる中にえられて聟に取られたるも我はと思ひぬべし。こはきものゝけてうじたる驗しや。ゐふたぎのあけとうしたる。小弓射るに片つ方の人しはぶきをし紛らはして騷ぐに、念じて音高う射てあてたるこそしたり顏なるけしきなれ。碁をうつにさばかりと知らでふくつけさは、また異所にかゝぐりありくに、こと方より目もなくして多くひろひ取りたるも嬉しからじや。ほこりかに打ち笑ひ、たゞの勝よりはほこりかなり。ありありてずりやうになりたる人の氣色こそうれしげなれ。僅にあるずんざのなめげにあなづるも妬しと思ひ聞えながら、いかゞせむとて念じ過しつるに、我にもまさるものどもの、かしこまり「唯おほせ承らむ」と追しようする樣は、ありし人とやは見えたる。女房うちつかひ見えざりし調度さうぞくのわきいづる。ず領したる人の中將になりたるこそもと君達のなりあがりたるよりもけ高うしたり顏にいみじう思ひためれ。位こそ猶めでたきものにはあれ。おなじ人ながら大夫の君や侍從の君など聞ゆるをりは、いとあなづりやすきものを、中納言、大納言、大臣などになりぬるはむげにせむかたなく、やんごとなく覺え給ふ事のこよなさよ。ほどほどにつけてはずりやうもさこそはあめれ、あまた國に行きて大貳や四位などになりて上達部になりぬればおもおもし。されどさりとてほど過ぎ何ばかりの事かはある。また多くやはある。ず領の北の方にてくだるこそよろしき人のさいはひには思ひてあめれ。たゞ人の上達部のむすめにて后になり給ふこそめでたけれ。されど猶男は我が身のなり出づるこそめでたくうち仰ぎたるけしきよ。法師のなにがし供奉などいひてありくなどは何とかは見ゆる。經たふとく讀み、みめ淸げなるにつけても女にあなづられてなりかゝりこそすれ、僧都僧正になりぬれば佛の現れ給へるにこそとおぼし惑ひて、かしこまるさまは何にかは似たる。

     風は

嵐、木枯。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる花風いとあはれなり。八九月ばかりに雨にまじりて吹きたる風いとあはれなり。雨のあし橫さまに騷がしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の汗の香などかわき、すゞしのひとへに引き重ねて着たるもをかし。このすゞしだにいとあつかはしう捨てまほしかりしかば、いつのまにかうなりぬらむと思ふもをかし。あかつき格子妻戶など押しあけたるに、嵐のさと吹き渡りて顏にしみたるこそいみじうをかしけれ。九月つごもり、十月一日のほどの空うち曇りたるに、風のいたう吹くに黃なる木の葉どものほろほろとこぼれ落つるいとあはれなり。櫻の葉椋の葉などこそ落つれ。十月ばかりに木立多かる所の庭はいとめでたし。野分の又の日こそいみじうあはれにおぼゆれ。たてじとみすいがいなどのふしなみたるに、せんざいども心ぐるしげなり。大きなる木どもたふれ枝など吹き折られたるだに惜しきに、萩女郞花などのうへによろぼひ這ひ伏せる、いとおもはずなり。格子のつぼなどにさときはをことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入りたるこそあらかりつる風のしわざともおぼえね。いと濃ききぬのうはぐもりたるに、朽葉の織物うすものなどの小袿きて、まことしく淸げなる人のよるは風のさわぎにねざめつれば、久しう寢おきたるまゝに、鏡うち見てもやより少しゐざり出でたる、髮は風に吹きまよはされて少しうちふくだみたるが肩にかゝりたる程、まことにめでたし。物あはれなる氣色見る程に、十七八ばかりにやあらむ、ちひさうはあらねどわざとおとなごとは見えぬが、すゞしの單衣のいみじうほころびたる。花もかへり濡れなどしたる。薄色のとのゐものを着て、髮は尾花のやうなるそぎすゑも、たけばかりはきぬの裾にはづれて、袴のみあざやかにてそばより見ゆる。わらはべの若き人の根ごめに吹き折られたるせんざいなどを、取り集め起し立てなどするを羨ましげに推し量りてつき添ひたるうしろもをかし。

     こゝろにくきもの

物へだてゝ聞くに、女房とはおぼえぬ聲の忍びやかに聞えたるに、こたへわかやかにしてうちそよめきて參るけはひ。物まゐる程にや、箸かひなどのとりまぜてなりたるひさげの柄のたふれ伏すも耳こそとゞまれ。打ちたるきぬのあざやかなるに、さうがしうはあらで髮のふりやられたる。いみじうしつらひたる所のおほとなぶらは參らで、長すびつにいと多くおこしたる火の光に、御几帳の紐のいとつやゝかに見え、みすのもかうのあげたる、このきはやかなるもけざやかに見ゆ。よく調じたる火桶の灰淸げにおこしたる火に、よく書きたる繪の見えたるをかし。はしのいときはやかにすぢかひたるもをかし。夜いたう更けて人の皆ねぬる後にとのかたにて、殿上人など物いふに、奧に碁石けにいる音のあまた聞えたるいと心にくし。簀子に火ともしたる。物へだてゝ聞くに人の忍ぶるが夜中などうち驚きていふ事は聞えず、男も忍びやかにうち笑ひたるこそ何事ならむとをかしけれ。

     島は

浮島、八十島、たはれ島、水島、松が浦島、籬の島、豐浦の島、たと島。

     濱は

そとの濱、吹上の濱、長濱、うちでの濱、もろよせの濱。千里の濱こそ廣うおもひやらるれ。

     浦は

をふの浦、鹽竈の浦、志賀の浦、名高の浦、こりずまの浦、和歌の浦。

     寺は

壺坂、笠置、法輪。高野は弘法大師の御すみかなるがあはれなるなり。石山、こ川、志賀。

     經は

法華きやうはさらなり。千手經、普賢十願、ずゐぐ經、尊勝陀羅尼、阿彌陀の大ず、ぜんず陀羅尼。

     文は

文集、文選、博士の申し文。

     佛は

如意りは人の心をおぼしわづらひてつら杖をつきておはする、世に知らずあはれにはづかし。千手、すべて六觀音、不動尊、藥師佛、釋迦、彌勒、普賢、地藏、文殊。

     物語は

住吉、うつぼの類。殿うつり、月まつ女、かたのゝ少將、梅壺の少將、人め、國ゆづり、埋木、道心すゝむる松が枝。こまのゝ物語は、ふるきかはほりさし出でゝもいにしがをかしきなり。

     野は

嵯峨野さらなり。いなび野、かたの、こま野、粟津野、飛火野、しめぢ野。そうけ野こそすゞろにをかしけれ。などさつけたるにかあらむ。あべ野、宮城野、春日野、むらさき野。

     陀羅尼は

あかつき。

     讀經は

ゆふぐれ。

     あそびは。

よる人の顏見えぬほど。あそびわざはさまあしけれども、鞠もをかし。小弓、ゐんふたぎ、碁。

     舞は

駿河舞、もとめこ。太平樂はさまあしけれどいとをかし。太刀などうたてくあれどいとおもしろし、もろこしにかたきに具して遊びけむなど聞くに。鳥の舞。ばとうは頭の髮ふりかけたるまみなどはおそろしけれど樂もいとおもしろし。落蹲は二人して膝ふみて舞ひたる。こまがた。

     ひきものは

琵琶、さうのこと。

     しらべは

ふかうでう、わうしきでう、そかうのきふ、鶯のさへづりといふしらべ、さうふれん。

     笛は

橫笛いみじうをかし。遠うより聞ゆるがやうやう近うなりゆくもをかし。ちかゝりつるがはるかになりていとほのかに聞ゆるもいとをかし。車にてもかちにても馬にても、すべてふところにさし入れてもたるも何とも見えず。さばかりをかしきものはなし。まして聞き知りたる調子などいみじうめでたし。曉などに忘れて枕のもとにありたるを見つけたるも猶をかし。人の許よりとりにおこせたるをおし包みて遣るも唯文のやうに見えたり。さうのふえは月のあかきに車などにて聞えたるいみじうをかし。所せくもてあつかひにくゝぞ見ゆる。吹く顏やいかにぞ。それはよこ笛もふきなしありかし。ひちりきはいとむつかしう秋の蟲をいはゞくつわ蟲などに似て、うたてけぢかく聞かまほしからず、ましてわろう吹きたるはいとにくきに、臨時の祭の日、いまだおまへには出ではてゞ物のうしろにて橫笛をいみじう吹き立てたる、あなおもしろと聞く程に、なからばかりよりうちそへて吹きのぼせたる程こそ、唯いみじう麗しき髮もたらむ人も皆立ちあがりぬべき心ちぞする。やうやう琴笛あはせて步み出でたるいみじうをかし。

     見るものは

行幸、祭のかへさ、御賀茂詣。臨時の祭空くもりて寒げなるに雪少しうち散りてかざしの花、靑摺などにかゝりたるえもいはずをかし。太刀の鞘のきはやかに黑うまだらにて、白く廣う見えたるに、半臂の緖のやうしたるやうにかゝりたる、地摺袴の中より氷かと驚くばかりなるうち目など、すべていとめでたし。今少し多く渡らせまはしきに、使は必にくげなるもあるたびは目もとまらぬ。されど藤の花に隱されたる程はをかしう、猶過ぎぬるかたを見送らるゝに、べいじうのしなおくれたる、柳の下襲にかざしの山吹おもなく見ゆれども、扇いと高くうちならして「賀茂の社のゆふだすき」とうたひたるはいとをかし。

行幸になずらふる物は何かあらむ。御輿に奉りたるを見參らせたるは、明暮御前に侍ひ仕うまつる事もおぼえず。かうがうしういつくしう常は何ともなきつかさ、ひめまうちぎみさへぞやんごとなう珍しう覺ゆる。みつなのすけ中少將などいとをかし。

祭のかへさいみじうをかし。咋日は萬の事麗しうて、一條の大路の廣う淸らなるに日の影も暑く車にさし入りたるもまばゆければ、扇にて隱し、居直りなどして久しう待ちつるも見苦しう汗などもあえしを、今日はいと疾く出でゝ雲林院、知足院などのもとに立てる車ども葵鬘もうちなえて見ゆ。日は出でたれど空は猶うち曇りたるに、いかで聞かむと目をさまし起き居て待たるゝ杜鵑のあまたさへあるにやと聞ゆるまで鳴き響かせばいみじうめでたしと思ふ程に、鶯の老いたる聲にてかれ似せむと覺しくうち添へたるこそ憎けれど又をかし。いつしかと待つに、御社の方より赤ききぬなど着たるものどもなど連れ立ちてくるを「いかにぞ。事成りぬや」などいへば「まだむご」などいらへて御輿たごしなどもてかへる。これに奉りておはしますらむもめでたくけぢかく、いかでさるげすなどの侍ふにかとおそろし。はるかげにいふ程もなく歸らせ給ふ。葵より始めて靑朽葉どものいとをかしく見ゆるに、所の衆の靑色がさねを、けしきばかり引きかけたるは卯の花垣根近う覺えて、杜鵑もかげに隱れぬべうおぼゆかし。昨日は車ひとつにあまた乘りて二藍の直衣、あるは狩衣など亂れ着て、すだれ取りおろし、物ぐるほしきまで見えし君達の齋院のゑんがにて、ひのさうぞくうるはしくて今日は一人づゝをさをさしく乘りたるしりに殿上わらはのせたるもをかし。わたりはてぬる後には、などかさしも惑ふらむ、我も我もとあやふくおそろしきまでさきに立たむと急ぐを、「かうな急ぎそ。のどやかに遣れ」と扇をさし出でゝ制すれど、聞きも入れねば、わりなくて、少し廣き所に强ひてとゞめさせて立ちたるを、心もとなくにくしとぞ思ひたる。きほひかゝる車どもを見やりてあるこそをかしけれ。少しよろしきほどにやり過して道の山里めき哀なるに、うつ木垣根といふ物のいとあらあらしうおどろかしげにさし出でたる枝どもなど多かるに、花はまだよくもひらけはてず、つぼみがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたなどにさしたるも鬘などのしぼみたるが口をしきに、をかしうおぼゆ。遠きほどはえも通るまじう見ゆる行くさきを、ちかう行きもてゆけば、さしもあらざりつるこそをかしけれ。男の車の誰とも知らぬがしりに引きつゞきてくるも、たゞなるよりはをかしと見る程に、引き別るゝ所にて「峯にわかるゝ」といひたるもをかし。

五月ばかり山里にありくいみじくをかし。澤水もげに唯いと靑く見えわたるに、うへはつれなく草生ひ茂りたるを、ながながとたゞさまに行けば、下はえならざりける水の深うはあらねど、人の步むにつけてとばしりあげたるいとをかし。左右にある垣の枝などのかゝりて車のやかたに入るも急ぎてとらへて折らむと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるも口をし。蓬の、車に押しひしがれたるが輪のまひたちたるに近う〈七字たりけるにおきあがりてふとイ〉かゝへたる香もいとをかし。

いみじう暑き頃、夕すゞみといふ程の物のさまなどおぼめかしきに、男車のさきおふはいふべき事にもあらず。たゞの人もしりのすだれあげて、二人も一人も乘りて走らせていくこそいと凉しげなれ。まして琵琶ひきならし、笛のね聞ゆるは、過ぎていぬるも口惜しく、さやうなるほどに牛の鞦のかのあやしうかぎ知らぬさまなれど、うちかゞれたるがをかしきこそ物ぐるほしけれ。いと暗う闇なるに、さきにともしたる松の煙のかの車にかゝれるもいとをかし。五日のさうぶの秋冬過ぐるまであるがいみじう白み枯れてあやしきを、引き折りあげたるに、その折の香のこりてかゝへたるもいみじうをかし。

よくたきしめたるたきものゝ昨日、をとゝひ、けふなどはうち忘れたるに、きぬを引きかづきたる中に、煙の殘りたるは今のよりもめでたし。

月のいとあかきに川を渡れば、牛の步むまゝに水晶などのわれたるやうに水のちりたるこそをかしけれ。

     おほきにてよきもの

法師、くだもの、家、餌囊、硯の墨。をのこの目、あまりほそきは女めきたり。又かなまりのやうならむはおそろし。火桶、ほゝつぎ、松の木、山吹〈櫻〉のはなびら。馬も牛もよきはおほきにこそあめれ。

     みじかくてありぬべきもの

とみの物ぬふ糸、燈臺。げす女の髮、うるはしくみじかくてありぬべし。人のむすめのこゑ。

     人の家につきづきしきもの

くりや、侍の曹司、はゝきのあたらしき、かけばん、わらはめ、はしたもの、ついたてさうじ、三尺の几帳、しやうぞくよくしたる餌囊、からかさ、かきいた、棚厨子、ひさげ、銚子、中のばん、わらふだ、ひぢをりたる廊、ちくあうゑかきたる火桶。

ものへいく道に淸げなるをのこのたてぶみのほそやかなる持ちて急ぎ行くこそいづちならむとおぼゆれ。又淸げなるわらはべなどの衵いとあざやかにはあらず、なえばみたるけいしのつやゝかなるが革に土多くついたるをはきて、白き紙に包みたる物、もしは箱の蓋に草紙どもなど入れてもて行くこそいみじう呼び寄せて見まほしけれ。門ぢかなる所をわたるを呼び入るゝに、あいぎやうなくいらへもせでいくものはつかふらむ人こそ推しはからるれ。行幸はめでたきもの。上達部、君達、車などのなきぞ少しさうざうしき。萬の事よりもわびしげなる車にさうぞくわろくて物見る人いともどかし。說經などはいとよし、罪うしなふかたの事なれば。それだに猶あながちなるさまにて見苦しかるべきを、まして祭などは見でありぬべし。下簾もなくて白きひとへうち垂れなどしてあめりかし。唯その日の料にとて車も下簾もしたてゝ、いと口をしうはあらじと出でたるだにまさる車など見つけては、何しになどおぼゆるものを、ましていかばかりなる心ちにてさて見るらむ。おりのぼりありく君達の車のおし分けて近う立つ時などこそ心ときめきはすれ。よき所に立てむといそがせばとく出でゝ待つほどいと久しきに、ゐはり立ちあがりなどあつく苦しくまちこうずる程に、齋院のゑんがに參りたる殿上人、所の衆、辨、少納言など七つ八つ引きつゞけて、院のかたより走らせてくるこそ事なりにけりと驚かれて嬉しけれ。殿上人の物言ひおこせ、所々の御前どもにすゐばんくはすとて、さじきのもとに馬ひき寄するに、覺えある人の子どもなどは雜色などおりて馬の口などしてをかし。さらぬ物の見もいれられぬなどぞいとほしげなる。御輿の渡らせ給へば、すだれもある限り取りおろし過させ給ひぬるにまどひあぐるもをかし。その前に立てる車はいみじう制するに、「などて立つまじきぞ」と强ひて立つれば、いひわづらひてせうそこなどするこそをかしけれ。所もなく立ち重なりたるに、よき所の御車人だまひ引きつゞきて多くくるを、いづくに立たむと見るほどに、御前ども唯おりにおりて、立てる車どもを唯のけにのけさせて人だまひつゞきて立てるこそいとめでたけれ。逐ひのけられたるえせ車ども牛かけて所あるかたにゆるがしもて行くなどいとわびしげなり。きらきらしきなどをばえさしも推しひしがずがし。いと淸げなれど又ひなびあやしく、げすも絕えず呼びよせ、ちご出しすゑなどするもあるぞかし。

「ほそ殿にびんなき人なむ曉にかささゝせて出でける」といひ出でたるをよく聞けば我が上なりけり。地下などいひてもめやすく人に許されぬばかりの人にもあらざめるを、あやしの事やと思ふ程に、うへより御文もて來て「返り事唯今」と仰せられたり。何事にかと思ひて見れば、大かさのかたをかきて人は見えず、唯手のかぎりかさをとらへさせて、下に

 「三笠山やまのはあけしあしたより」

とかゝせ給へり。猶はかなき事にてもめでたくのみおぼえさせ給ふに、耻しく心づきなき事はいかで御覽ぜられじと思ふに、さるそらごとなどの出でくるこそ苦しけれどをかしうてこと紙に雨をいみじう降らせて、しもに、

 「雨ならぬ名のふりにけるかな。

さてやぬれぎぬには侍らむ」と啓したれば、右近、內侍などにかたらせ給ひてわらはせ給ひけり。

三條の宮におはしますころ〈長保二年五月〉のさうぶの輿など持ちてまゐり、くす玉まゐらせなどわかき人々御匣殿などくす玉して、姬宮、若宮つけさせ奉り、いとをかしきくす玉ほかよりもまゐらせたるに、あをざしといふものを人のもてきたるを、靑きうすえふをえんなる硯の蓋に敷きて「これませごしにさふらへば」とてまゐらせたれば、

 「みな人は花やてふやといそぐ日もわがこゝろをば君ぞ知りける」

と紙の端を引きやりて書かせ給へるもいとめでたし。

十月十餘日の月いとあかきにありきて物見むとて、女房十五六人ばかり皆濃ききぬをうへに着て、引き隱しつゝありし中に、中納言の君の紅の張りたるを着て、頸より髮をかいこし給へりしかば、あたらしきそとはにいとよくも似たりしかな。ゆげひのすけとぞわかき人々はつけたりし。しりに立ちて笑ふも知らずかし。

成信の中將こそ人の聲はいみじうよう聞き知り給ひしか。同じ所の人の聲などは常に聞かぬ人は更にえ聞き分かず。殊に男は人の聲をも手をも見わき聞きわかぬものを、いみじうみそかなるもかしこう聞き分き給ひしこそ。

大藏卿〈藤原正光〉ばかり耳とき人なし。まことに蚊の睫の落つるほども聞きつけ給ひつべくこそありしか。職の御曹司の西おもてに住みしころ、大殿の四位少將と物いふに、そばにある人この少將に「扇の繪の事いへ」とさゝめけば「今かの君立ち給ひなむにを」とみそかにいひ入るゝを、その人だにえ聞きつけで、何とか何とかと耳をかたぶくるに、手をうちて「にくし。さのたまはゞ今日はたゝじ」とのたまふこそいかで聞き給ひつらむとあさましかりしか。

硯きたなげに塵ばみ、墨の片つかたにしどけなくすりひらめかしらうおほきになりたるが、さゝしなどしたるこそ心もとなしと覺ゆれ。よろづの調度はさるものにて、女は鏡、硯こそ心のほど見ゆるなめれ。おきぐちのはざめに塵ゐなどうち捨てたるさま、こよなしかし。男はまして、ふ机淸げにおしのごひて、重ねならずは二つかけごの硯のいとつきづきしう、蒔繪のさまもわざとならねどをかしうて、墨筆のさまなども人の目とむばかりしたてたるこそをかしけれ。とあれどかゝれどおなじ事とて黑箱の蓋もかたしおちたる硯、僅かに墨のゐたる塵のこの世には拂ひがたげなるに、水うち流してあをじの龜の口おちて首の限りあなのほど見えて、人わろきなどもつれなく人の前にさし出づかし。人の硯を引き寄せて手ならひをも文をも書くに、「その筆な使ひたまひそ」と言はれたらむこそいとわびしかるべけれ。うち置かむも人わろし、猶つかふもあやにくなり、さおぼゆることも知りたれば人のするもいはで見るに、手などよくもあらぬ人の、さすがに物かゝまほしうするが、いとよくつかひかためたる筆を、あやしのやうに水がちにさしぬらして、こはものややりとかなに細櫃の蓋などに書きちらして、橫ざまに投げ置きたれば、水にかしらはさし入れてふせるもにくき事ぞかし。されどさいはむやは。人の前に居たるに「あなくら、あうより給へ」といひたるこそ又侘しけれ。さしのぞきたるを見つけては驚きいはれたるも、思ふ人の事にはあらずかし。めづらしといふべきことにはあらねど文こそ猶めでたきものなれ。はるかなる世界にある人のいみじくおぼつかなくいかならむと思ふに、文を見れば唯今さし向ひたるやうにおぼゆるいみじきことなりかし。我が思ふことを書き遣りつれば、あしこまでも行きつかざるらめど、こゝろゆく心ちこそすれ。文といふ事なからましかばいかにいぶせくくれふたがる心ちせまし。萬の事思ひ思ひてその人の許へとて、こまごまと書きて置きつれば、おぼつかなさをも慰む心ちするに、まして返事見つれば命を延ぶべかめる、げにことわりや。

     うまやは

梨原、ひくれのうまや、望月の驛、野口の驛、やまの驛。

あはれなることを聞き置きたりしに、又あはれなる事のありしかば、猶取りあつめてあはれなり。

     岡は

船岡、片岡。鞆岡は笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡、人見の岡。

     やしろは

ふるの社、いくたの社、龍田の社、はなふちの社、みくりの社。すぎの御社しるしあらむとをかし。ことのまゝの明神いとたのもし。さのみ聞きけむとやいはれ給はむと思ふぞいとをかしき。蟻どほしの明神、貫之が馬の惱ひけるにこの明神のやませ給ふとて歌よみて奉りけむに、やめ給ひけむいとをかし。この蟻とほしとつけたるこゝろは、まことにやあらむ。昔おはしましけるみかどの唯若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをばうしなはせ給ひければ、ひとの國の遠きにいきかくれなどして更に都のうちにさる者なかりけるに、中將なりける人の、いみじき、時の人にて心なども賢かりけるが、七十近き親二人をもたりけるが、かう四十をだに制あるにましていと恐ろしとおぢ騷ぐをいみじうけうある人にて、遠き所には更に住ませじ、一日に一度見ではえあるまじとて、みそかによるよる家の股の土を掘りてその內に屋を建てゝそれに籠めすゑていきつゝ見る。おほやけにも人にもうせ隱れたるよしを知らせてあり。などてか。家に入り居たらむ人をば知らでもおはせかし、うたてありける世にこそ。親は上達部などにやありけむ、中將など子にてもたりけむは。いと心かしこく萬の事知りたりければ、この中將若けれどざえありいたり賢くして時の人に思すなりけり。もろこしの御門この國のみかどをいかで謀りてこの國うち取らむとて常にこゝろみ、あらがひごとをしておくり給ひけるに、つやつやとまろに美くしげに削りたる木の二尺ばかりあるを「これがもと末いづ方ぞ」と問ひ奉りたるに、すべて知るべきやうなければ、みかどおぼしめし煩ひたるに、いとほしくて親の許に行きて「かうかうの事なむある」といへば「唯はやからむ川に立ちながら、橫ざまに役げ入れ見むに、かへりて流れむ方を末と記してつかはせ」と敎ふ。參りて我しり顏にして、「試み侍らむ」とて人々具して投げ入れたるに、さきにして行くかたにしるしをつけて遣したれば、まことにさなりけり。又二尺ばかりなるくちなはの同じやうなるを「これはいづれか男女」とて奉れり。又更に人え知らず。例の中將行きて問へば、「二つをならべて尾のかたに細きずわえをさしよせむに、尼はたらかさむをめと知れ」といひければ、やがてそれを內裏のうちにて、さしければ、まことに一つは動かさず、一つは動かしけるに、又しるしつけて遣しけり。ほど久しうて七わだにわだかまりたる玉の中通りて左右に口あきたるがちひさきを奉りて「これに緖通してたまはらむ。この國に皆し侍ることなり」とて奉りたるに、いみじからむ物の上手ふようならむ、そこらの上達部より始めて、ありとある人知らずといふに、又いきてかくなむといへば、「大きなる蟻を二つ捕へて腰に細き糸をつけ、又それに今少しふときをつけて、あなたの口に蜜を塗りて見よ」といひければ、さ申して蟻を入れたりけるに、蜜のかをかぎてまことにいと疾う穴のあなたの口に出でにけり。さてその糸のつらぬかれたるを遣したりける後になむ「猶日本はかしこかりけり」とて後々はさる事もせざりけり。この中將をいみじき人におぼしめして「何事をし、いかなる位をか賜はるべき」と仰せられければ「更につかさ位をも賜はらじ。唯老いたる父母の隱れうせて侍るを尋ねて、都にすますることを許させ給へ」と申しければ「いみじうやすき事」とてゆるされにければ、よろづの人の親これを聞きてよろこぶ事いみじかりけり。中將は大臣までになさせ給ひてなむありける。さてその人の神になりたるにやあらむ、この明神の許へ詣でたりける人に、よる現れてのたまひける、

 「なゝわだにまがれる玉の緖をぬきてありとほしとも〈はイ〉知らずやあるらむ」

とのたまひけると人のかたりし。

     ふるものは

雪、霰。霙はにくけれど雪の眞白にてまじりたるをかし。雪はひはだ葺いとめでたし。少し消えがたになりたるほど、又いと多うは降らぬが瓦の目ごとに入りて、黑う眞白に見えたるいとをかし。時雨、霰は板屋、霜も板屋、庭。

     日は

入日入りはてぬるやまぎ〈のイ〉はにひかりの猶とまりて赤う見ゆるに、うすきばみたる雲のたなびき〈わたりイ有〉たるいとあはれなり。

     月は

有明。東の山のはにほそうて出づるほどあはれなり。

     星は

すばる、ひこぼし、明星、ゆふづゝ。よばひぼしをだになからましかばまして。

     雲は

しろき、むらさき。黑き雲あはれなり〈六字もをかしイ〉。風吹くをりの天雲。明け離るゝほどの黑き雲のやうやう白うなりゆくもいとをかし。朝にさる色とかや文にも作りけり〈二字たなりイ〉。月のいとあかきおもてに薄き雲いとあはれなり。

     さわがしきもの

はしり火。板屋のうへにて鳥のときのさばくふ。十八日淸水に籠りあひたる。くらうなりてまだ火もともさぬほどに、ほかほかより人の來集まりたる。まして遠き所人の國などより家のぬしののぼりたるいとさわがし。近きほどに火出で來ぬといふ。されど燃えはつかざりける。物見はてゝ車のかへりさわぐほど。

     ないがしろなるもの

女官どもの髮あげたるすがた、からゑの革の帶のうしろ、ひじりのふるまひ。

     ことばなめげなるもの

宮のめのさいもんよむ人、舟こぐものども、かんなりの陣の舍人、すまひ。

     さかしきもの

今やうのみとせ子。ちごのいのりはらへなどする女ども、物の具こひ出でゝいのりの物どもつくるに、紙あまたおし重ねていと鈍き刀してきるさま、ひとへだに斷つべくも見えぬにさる物の具となりにければ、おのが口をさへ引きゆがめておし、切目おほかるものどもしてかけ、竹うち切りなどしていとかうがうしうしたてゝ、うちふるひ祈る事どもいとさかし。かつは何の宮のその殿の若君いみじうおはせしを、かいのごひたるやうにやめ奉りしかば、祿多く賜はりし事、その人々召したりけれど、しるしもなかりければ、今に女をなむ召す御德を見ることなど語るもをかし。げすの家の女あるじ、しれたるものそひしもをかし。まことにさかしき人をおしなどすべし。

     上達部は

春宮大夫、左右の大將、權大納言、權中納言、宰相中將、三位中將、東宮權大夫、侍從宰相。

     君達は

頭辨、頭中將、權中將、四位少將、藏人辨、藏人少納言、春宮のすけ、藏人のひやうゑの佐。

     法師は

律師、內供。

     女は

ないしのすけ、ないし。

     みやづかへ所は

うち、后宮、その御腹の姬宮、一品の宮。齋院はつみふかけれどをかし。ましてこのごろはめでたし。春宮の御母女御。

     身をかへたらむ人などはかくやあらむとみゆるもの

たゞの女房にて侍ふ人の御めのとになりたる。からぎぬも着ず、裳をだに用意なく、はくぎぬにて御まへに添ひふして御帳のうちを居所にして、女房どもを呼びつかひ、局に物いひやり、文とりつがせなどしてあるさまよ、言ひ盡くすべくだにあらず。雜色の藏人になりたるめでたし。こぞの霜月の臨時の祭にみこともたりし人とも見えず、君達に連れてありくはいづくなりし人ぞとこそおぼゆれ。外よりなりたるなどは同じ事なれどさしもおぼえず。

雲たかう降りて今もなほふるに、五位も四位も色うるはしう若やかなるが、うへのきぬの色いと淸らにて革の帶のかたつきたるを、とのゐすがたにひきはこへて、紫の指貫も雪にはえて濃さまさりたるを着て、衵の紅ならずばおどろおどろしき山吹を出して、からかさをさしたるに、風のいたく吹きて橫ざまに雪を吹きかくれば、少しかたぶきて步みくるふかぐつはうくわなどのきはまで、雪のいと白くかゝりたるこそをかしけれ。

ほそどのゝの遣戶いととう押しあけたれば、御湯殿のめだうよりおりてくる殿上人の萎えたる直衣指貫のいたくほころびたれば、いろいろのきぬどものこぼれ出でたるを押し入れなどして、北の陣のかたざまに步み行くに、あきたる遣戶の前を過ぐとて櫻をひきこして顏にふたぎて過ぎ〈二字いイ〉ぬるもをかし。

     たゞすぎにすぐるもの

帆あげたる舟、人のよはひ、春夏秋冬。

     ことに人にしられぬもの

人のめおやの老いたる。くゑにち。

五六月の夕かた靑き草を細う麗しくきりて赤ぎぬ着たるこちごの、ちひさき笠を着て左右にいと多くもちてゆくこそすゞろにをかしけれ。

賀茂へ詣づる道に、女どもの新しき折敷のやうなるものを笠にきて、いと多くたてりて歌をうたひ起き伏すやうに見えて、唯何すともなくうしろざまに行くは、いかなるにかあらむ、をかしと見る程に、杜鵑をいとなめくうたふ聲ぞ心憂き。「ほとゝぎすよ、おれよ、かやつよ、おれなきてぞわれは田にたつ」とうたふに、聞きもはてず「いかなりし人か、いたくなきてを」といひけむ、なかだかわらはおひいかでおどす人と。

鶯に杜鵑は劣れるといふ人こそいとつらうにくけれ。鶯はよるなかぬいとわろし。すべてよるなくものはめでたし。ちごどもぞはめでたからぬ。

八月つごもりがたにうづまさ〈廣隆寺〉にまうづとて見れば、穗に出でたる田に人多くてさわぐ。稻刈るなりけり。「早苗とりしかいつのまに」とはまこと、げにさいつころ賀茂に詣づとて見しが、哀にもなりにけるかな。これは女もまじらず、男の片手にいと赤き稻のもとは靑きを刈りもちて、刀か何にかあらむ、もとを切るさまのやすげにめでたき事にいとせまほしく見ゆるや、いかでさすらむ。穗をうへにてなみをるいとをかしう見ゆ。いほりのさまことなる〈りイ〉

     いみじくきたなきもの

なめくぢ、えせ板敷の箒、殿上のがふし。

     せめておそろしきもの

よるなる神。近き隣に盜人の入りたる、我が住む所に入りたるは唯物もおぼえねば何とも知らず〈ちかき火イ有〉

     たのもしきもの

心ちあしきころ僧あまたして修法したる。思ふ人の心ちあしきころ、まことにたのもしき人の言ひ慰めたのめたる。物おそろしき折の親どものかたはら。

いみじうしたてゝ聟取りたるに、いとほどなくすまぬ聟の、さるべき所などにて舅に逢ひたるいとほしとや思ふらむ。ある人のいみじう時に逢ひたる人の聟になりて、一月もはかばかしうもこで止みにしかば、すべていみじう言ひ騷ぎ乳母などやうのものはまがまがしき事どもいふもあるに、そのかへる年の正月に藏人になりぬ。「あさましうかゝるなからひにいかでとこそ人に思ひためれ」など言ひあつかふは聞くらむかし。六月に人の八講し給ひし所に人々集りて聞くにこの藏人になれる聟のりようのうへの袴、蘇芳襲、黑半臂などいみじうあざやかにて、忘れにし人の車のとみのをに半臂の緖ひきかけつばかりにて居たりしを、いかに見るらむと車の人々も知りたる限りはいとほしがりしを、ことびとどもゝ「つれなく居たりしものかな」など後にもいひき。猶男は物のいとほしさ人の思はむことは知らぬなめり。』世の中に猶いと心憂きものは人ににくまれむことこそあるべけれ。たれてふ物ぐるひか、我人にさおもはれむとは思はむ。されどしぜんに宮づかへ所にも親はらからの中にても思はるゝおもはれぬがあるぞいとわびしきや。』よき人の御事は更なり、げすなどのほども、親などの悲しうする子は、目だち見たてられていたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるはことわり、いかゞ思はざらむと覺ゆ。ことなることなきは又これを悲しと思ふらむは、親なればぞかしとあはれなり。親にも君にもすべてうちかたらふ人にも、人に思はれむばかりめでたき事はあらじ。

男こそ猶いとありがたくあやしき心ちしたるものはあれ。いと淸げなる人をすてゝ、にくげなる人をもたるもあやしかし。おほやけ所に入りたちする男家の子などは、あるが中によからむをこそはえりて思ひ給はめ。及ぶまじからむきはをだにめでたしと思はむを、死ぬばかりも思ひかゝれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをもよしと聞くをこそはいかでとも思ふなれ。かつ女の目にもわろしと思ふを思ふはいかなる事にかあらむ。かたちいとよく心もをかしき人の、手もよう書き、歌をもあはれによみておこせなどするを、返事はさかしらにうちするものから寄りつかず、らうたげにうち泣きて居たるを、見捨てゝいきなどするは、あさましうおほやけばらだちてけんぞくの心ちも心憂く見ゆべけれど、身のうへにてはつゆ心ぐるしきを思ひ知らぬよ。

よろづの事よりも情ある事は、男はさらなり、女もこそめでたくおぼゆれ。なげの詞なれど、せちに心に深く入らねと、いとほしき事をいとほしとも、あはれなるをばけにいかに思ふらむなどいひけるを、傳へて聞きたるはさし向けていふよりも嬉し。いかでこの人に思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ。必思ふべき人とふべき人は、さるべきことなれば、取りわかれしもせず、さもあるまじき人のさしいらへをも、心易くしたるは嬉しきわざなり。いとやすき事なれど更にえあらぬ事ぞかし。大方心よき人のまことにかどなからぬは男も女もありがたき事なめり。又さる人も多かるべし。

人のうへいふを腹だつ人こそいとわりなけれ。いかでかはあらむ、我が身をさし置きてさばかりもどかしくいはまほしきものやはある。されどけしからぬやうにもあり、又おのづから聞きつけて恨みもぞする。あいなし。又思ひ放つまじきあたりはいとほしなど思ひ解けば、念じていはぬをや、さだになくばうち出で笑ひもしつべし。

人の顏にとりわきてよしと見ゆる所は、度ごとに見れどもあなをかし珍しとこそおぼゆれ。繪などはあまたたび見れば目もたゝずかし。近う立てる屛風の繪などはいとめでたけれども見もやられず。人のかたちはをかしうこそあれ。にくげなる調度の中にも一つよき所のまもらるゝよ。みにくきもさこそはあらめと思ふこそわびしけれ。

     うれしきもの

まだ見ぬ物語の多かる。又一つを見ていみじうゆかしうおぼゆる物語の二つ見つけたる。心おとりするやうもありかし。人のやり捨てたる文を見るに同じつゞきあまた見つけたる。いかならむと夢を見て恐ろしと胸つぶるゝに、ことにもあらず合せなどしたるいとうれし。よき人の御前に人々あまた侍ふ折に、昔ありける事にもあれ、今聞しめし世にいひける事にもあれ、語らせ給ふを、我に御覽じ合せての給はせ、いひきかせ給へるいと嬉し。遠き所は更なり、同じ都の內ながら、身にやんごとなく思ふ人の惱むを聞きていかにいかにと覺束なく歎くに、をこたりたるせうそこ得たるもうれし。思ふ人の、人にも譽められ、やんごとなき人などの、□をしからぬものにおぼしのたまふものゝ折、もしは人と言ひかはしたる歌の聞えてほめられ、うちぎゝなどに譽めらるゝ、みづからのうへにはまだ知らぬ事なれど猶思ひやらるゝよ。いたううち解けたらぬ人のいひたるふるき事の知らぬを聞き出でたるもうれし。後に物のなかなどにて見つけたるはをかしう「唯これにこそありけれ」とかのいひたりし人ぞをかしき。みちのくに紙、白き色紙、たゞのも白う淸きは得たるもうれし。恥しき人の歌の本末問ひたるに、ふとおぼえたる我ながらうれし。常にはおぼゆる事も又人の問ふには淸く忘れて止みぬる折ぞ多かる。とみに物もとむるに見出でたる。唯今見るべき文などをもとめ失ひて、よろづの物をかへすがへす見たるに搜し出でたるいとうれし。物あはせ何くれといどむことに勝ちたるいかでか嬉しからざらむ。又いみじう我はと思ひてしたりがほなる人はかり得たる、女どち〈などイ〉よりも男はまさりてうれし。これがたふは必せむずらむとつねに心づかひせらるゝもをかしきに、いとつれなくなにとも思ひたらぬやうにてたゆめ過すもをかし。にくきものゝあしきめ見るも罪は得らむと思ひながらうれし。挿櫛むすばせてをかしげなるも又うれし。思ふ人は我が身よりもまさりてうれし。御前に人々所もなく居たるに、今のぼりたれば少し遠き柱もとなどに居たるを、御覽じつけて「こちこ」と仰せられたれば、道あけて近く召し入れたるこそ嬉しけれ。御前に人々あまた物仰せらるゝついでなどにも、世の中のはらだゝしうむつかしう片時あるべき心ちもせで、いづちもいづちもいきうせなばやと思ふに、たゞの紙のいと白う淸らなる、よき筆、白き色紙、みちのくに紙など得つれば、かくてもしばしありぬべかりけりとなむ覺え侍る。又高麗緣の疊の筵靑うこまかに、へりの紋あざやかに黑うしろう見えたる、引き廣げて見れば、「何か猶さらにこの世はえおもひはなつまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば「いみじくはかなき事も慰むなるかな。姥捨山の月はいかなる人の見るにか」と笑はせ給ふ。さぶらふ人も「いみじくやすき息災のいのりかな」といふ。さて後にほど經て、すゞろなる事を思ひて、里にあるころめでたき紙を二十つゝみにつゝみて賜はせたり。仰せ事には「とく參れ」などのたまはせて「これは聞しめし置きたる事ありしかばなむ、わろかめれば壽命經もえ書くまじげにこそ」と仰せられたるいとをかし。むげに思ひ忘れたりつることをおぼしおかせ給へりけるは猶たゞ人にてだにをかし。ましておろかならぬ事にぞあるや。心も亂れて啓すべきかたもなければ、たゞ、

 「かけまくもかしこきかみのしるしには鶴のよはひになりぬべきかな。

あまりにやと啓せさせ給へ」とてまゐらせつ。大盤所の雜仕ぞ御使にはきたる。靑きひとへなどぞ取らせて。まことにこの紙を草紙に作りてもて騷ぐに、むつかしき事も紛るゝ心ちしてをかしう心のうちもおぼゆ。二日ばかりありて赤ぎぬ着たる男の疊をもて來て「これ」といふ。「あれは誰ぞ。あらはなり」など物はしたなういへばさし置きていぬ。「いづこよりぞ」と問はすれば「まかりにけり」とて取り入れたれば殊更に御座といふ疊のさまにて高麗などいと淸らなり。心のうちにはさにやあらむと思へど、猶おぼつかなきに人ども出しもとめさすれどうせにけり。あやしがり笑へど使のなければいふかひなし。所たがへなどならばおのづからも又いひに來なむ、宮のほとりにあないしに參らせまほしけれど、猶たれすゞろにさるわざはせむ。仰せ事なめりといみじうをかし。二日ばかり音もせねばうたがひもなく、左京の君の許に「かゝる事なむある。さることやけしき見給ひし。忍びて有樣のたまひてさる事見えずはかく申したりともな漏し給ひそ」と言ひ遣りたるに「いみじうかくさせ給ひし事なり。ゆめゆめまろが聞えたるとなく、後にも」とあれば、さればよと思ひしもしるくをかしくて、文かきて又みそかに御前の高欄におかせしものは惑ひしほどに、やがてかきおとしてみはしのもとにおちにけり。

關白殿〈道隆〉二月とを日〈正曆五年〉のほどに、法興院の釋泉寺といふ御堂にて、一切經供養せさせたまふ。女院、宮の御まへもおはしますべければ、二月朔日のほどに二條の宮へ入らせ給ふ。夜更けてねぶたくなりにしかば、何事も見入れず。つとめて日のうらゝかにさし出でたるほどに起きたれば、いと白うあたらしうをかしげに作りたるにみずより始めて昨日かけたるなめり、御しつらひ獅子狛犬などいつのほどにや〈如元〉入り居けむとぞをかしき。櫻の一丈ばかりにていみじう咲きたるやうにてみはしのもとにあれば、いと疾う咲きたるかな、梅こそ唯今盛なめれと見ゆるは作りたるなめり。すべて花のにほひなど吹きたるに劣らず、いかにうるさかりけむ。雨降らば萎みなむかしと見るぞ口惜しき。小家などいふ物の多かりける所を今作らせ給へれば木だちなどの見所あるはいまだなし。唯宮のさまぞけぢかくをかしげなる。殿渡らせ給へり。靑鈍の堅紋の御指貫、櫻の直衣に紅の御ぞ三つばかり唯直衣にかさねてぞ奉りたる。御まへより始めて紅梅の濃きうすき織物、かた紋、りう紋などあるかぎり着たれば、唯ひかり滿ちてからぎぬは萠黃、柳、紅梅などもあり。御前に居させ給ひて物など聞えさせ給ふ。御いらへのあらまほしきを里人に僅にのぞかせばやと見奉る。女房どもを御覽じ渡して宮に「何事をおぼしめすらむ、こゝらめでたき人々をなべすゑて御覽ずるこそいと羨しけれ。一人わろき人なしや。これ家々のむすめぞかし。あはれなり。よくかへりみてこそさぶらはせ給はめ。さてもこの宮の御心をばいかに知り奉りて集り參りたまへるぞ。いかにいやしく物惜みせさせ給ふ宮とて、我は、生れさせ給ひしより、いみじう仕うまつれど、まだおろしの御ぞ一つ賜はぬぞ。何かしりうごとには聞えむ」などのたまふがをかしきに皆人々笑ひぬ。「まことぞをこなりとてかく笑ひいまするが耻かし」などのたまはするほどに內より御使にて式部の丞なにがしまゐれり。御文は大納言殿〈伊周〉取り給ひて殿に奉らせ給へば、ひき解きて「いとゆかしきふみかな。ゆるされ侍らばあけて見侍らむ」とのたまはすればあやしうとおぼいためり。「忝くもあり」と奉らせ給へば、取らせ給ひてもひろげさせ給ふやうにもあらずもてなさせ給ふ、御用意などぞありがたき。すみのまより女房褥さし出でゝ、三四人御几帳のもとに居たり。「あなたにまかりて祿の事物し侍らむ」とてたゝせ給ひぬる後に御文御覽ず。御返しは、紅梅の紙に書かせ給ふが御ぞの同じ色ににほひたる、猶かうしも推し量り參らする人はなくやあらむとぞ口をしき。今日は殊更にとて殿の御方より祿は出させ給ふ。女のさうぞくに紅梅の細ながそへたり。肴などあれば醉はさまほしけれど「今日はいみじきことの行幸に。あが君許させ給へ」と大納言殿にも申して立ちぬ。君達などいみじうけさうし給ひて、紅梅の御ぞも劣らじと着給へるに、三の御前は御匣殿なり、中の姬君よりも大きに見え給うてうへなど聞えむにぞよかめる。うへも渡らせ給へり。御几帳ひき寄せて新しく參りたる人々には見え給はねばいぶせき心ちす。さし集ひてかの日のさうぞく扇などの事をいひ合するもあり。又挑みかはして「まろは何か唯あらむにまかせてを」などいひて例の君などにくまる。夜さりまかづる人も多かり。かゝる事にまかづればえとゞめさせ給はず。上日々に渡りよるもおはします。君達などおはすれば御前人すくなく侍はねばいとよし。內の御使日々に參る。御前の櫻色はまさらで日などにあたりて凋みわるうなるだにわびしきに、雨のよる降りたるつとめていみじうむとくなり。いと疾く起きて「泣きて別れむ顏に心おとりこそすれ」といふに聞かせ給ひて「げに雨のけはひしつるぞかし。いかならむ」とて驚かせ給ふに、殿の御方より侍の者どもげすなど來て、あまた花の本に唯よりによりて、引き倒し取りてみそかにいきて、「まだ暗からむに取れとこそ仰せられつれ。明け過ぎにけり。ふびんなるわざかな。とくとく」と倒し取るに、いとをかしくていはゞいはなむと、兼澄が事を思ひたるにやともよき人ならばいはまほしけれど「かの花盜む人はたれぞ。あしかめり」といへば、笑ひていとゞ逃げて引きもていぬ。猶殿の御心はをかしうおはすかし。くきどもにぬれまろかれつきていかに見るかひなからましと見て入りぬ。かもんづかさ參りて御格子まゐり、とのもりの女官御きよめまゐりはてゝ起きさせ給へるに花のなければ「あなあさまし。かの花はいづちいにける」と仰せらる。「あかつき盜人ありといふなりつるは、猶枝などを少し折るにやとこそ聞きつれ。たがしつるぞ。見つや」と仰せらる。「さも侍らず。いまだ暗くてよくも見侍らざりつるを、しろみたたるものゝ侍れば、花を折るにやとうしろめたさに申し侍りつる」と申す。「さりとも、かくはいかで取らむ。殿の隱させ給へるなめり」とて笑はせ給へば「いでよも侍らじ。春風のして侍りなむ」と啓するを「かく言はむとて隱すなりけり。ぬすみにはあらでふりにこそふるなりつれ」と仰せらるゝも珍しき事ならねど、いみじうめでたき。殿おはしませば寐くたれの朝顏も時ならずや御覽ぜむと引き入らる。おはしますまゝに「かの花うせにけるは。いかにかくはぬすませしぞ。いぎたなかりける女房達かな。知らざりけるよ」と驚かせ給へば「されど我よりさきにとこそ思ひて侍るめりつれ」と忍びやかにいふを、いと疾く聞きつけさせ給ひて「さ思ひつる事ぞ。世にこと人出でゝ見つけじ。宰相とそことの程ならむと推し量りつ」とていみじう笑はせ給ふ。「さりげなるものを、少納言は春風におほせける」と宮の御前にうちゑませ給へるめでたし。「そらごとをおほせ侍るなり。今は山田もつくるらむ」とうちずんぜさせ給へるもいとなまめきをかし。「さてもねたく見つけられにけるかな。さばかり誡めつるものを、人の所にかゝるしれものゝあるこそ」とのたまはす。「春風はそらにいとをかしうもいふかな」とずんぜさせ給ふ。「たゞことにはうるさく思ひよりて侍りつかし。今朝のさまいかに侍らまし」とて笑はせ給ふを、小若君「されどそれはいと疾く見て、雨にぬれたりなどおもてぶせなりといひ侍りつ」と申し給へば、いみじうねたがらせ給ふもをかし。さて八日九日の程にまかづるを「今少し近うなして」など仰せらるれど出でぬ。いみじう常よりも長閑に照りたる晝つかた、「花のこゝろひらけたりや、いかゞいふ」とのたまはせたれば「秋はまだしく侍れど、世にこのたびなむのぼる心ちし侍る」など聞えさせつ。出でさせ給ひし夜車の次第もなくまづまづとのり騷ぐがにくければ、さるべき人三人と猶この車に乘るさまのいとさわがしく、祭のかへさなどのやうに倒れぬべく惑ふいと見ぐるし。「たゞさばれ、乘るべき車なくてえ參らずはおのづから聞しめしつけて賜はせてむ」など笑ひ合ひて立てる前よりおしこりて惑ひ乘り果てゝ出でゝ「かうか」といふに、「まだこゝに」といらふれば、宮司寄り來て「誰々かおはする」と問ひ聞きて「いとあやしかりける事かな。今は皆のりぬらむとこそ思ひつれ。こはなどてかくは後れさせ給へる。今は得選を乘せむとしつるに、めづらかなるや」など驚きて寄せさすれば「さばまづ、その御志ありつらむ人を乘せ給ひて、次にも」といふ聲聞きつけて「けしからず腹ぎたなくおはしけり」などいへば乘りぬ。その次には誠にみづしが車にあれば、火もいと暗きを笑ひて、二條の宮に參りつきたり。みこしは疾く入らせ給ひて皆しつらひ居させ給ひけり。「こゝに呼べ」と仰せられければ、右〈左イ〉京小左近などいふ若き人々、參る人ごとに見れどなかりけり。おるゝに隨ひ四人づゝ御前に參り集ひて待ふに「いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、ある限りおりはてゝぞ、辛うじて見つけられて「かばかり仰せらるゝには、などかくおそく」とて率ゐて參るに、見ればいつのまにかうは年ごろのすまひのさまにおはしましつきたるにかとをかし。「いかなればかう何かと尋ぬばかりは見えざりつるぞ」と仰せらるゝに、とかくも申さねば、諸共に乘りたる人いとわりなし。「さいはての車に侍らむ人はいかでか疾くは參り侍らむ。これもほとほとえ乘るまじく侍りつるを、みづしがいとほしがりてゆづり侍りつるなり。暗う侍りつる事こそわびしう侍りつれ」と笑ふ笑ふ啓するに、「行事するものゝいとあやしきなり。又などかは、心知らざらむ者こそつゝまめ。右衞門などはいへかし」など仰せらる。「されどいかでか走りさきだち侍らむなどいふも、かたへの人にくしと聞くらむ」と聞ゆ。「さまあしうてかく乘りたらむもかしこかるべき事かは。定めたらむさまのやんごとなからむこそよからめ」とものしげにおぼしめしたり。「おり侍るほどの待ち遠に苦しきによりてにや」とぞ申しなほす。

御經のことに明日渡らせおはしまさむとて今宵參りたり。南の院〈道隆邸〉の北おもてにさしのぞきたればたかつきどもに火を燈して二人三人四人さるべきどち、屛風引き隔てつるもあり。几帳中にへだてたるもあり。又さらでも集り居てきぬどもとぢ重ね、裳の腰さしけさうずるさまは更にもいはず、髮などいふものは明日より後はありがたげにぞ見ゆる。「寅の時になむ渡らせ給へるなり。〈如元〉などか今まで參り給はざりつる。扇もたせて尋ね聞ゆる人ありつ」など吿ぐ。まて、まことに寅の時かとさうぞきたちてあるに、明け過ぎ日もさし出でぬ。「西の對の唐廂になむさし寄せて乘るべき」とてあるかぎり渡殿へ行く程に、まだうひうひしきほどなる今參りどもはいとつゝましげなるに、西の對に殿すませ給へば、宮にもそこに坐しまして、まづ女房車にのせさせ給ふを御覽ずとて、みすのうちに宮、淑景舍、三四の君〈后宮御妹〉、殿のうへ、その御弟三所立ちなみておはします。車の左右に、大納言、三位中將二所してすだれうちあげ、下簾ひきあげてのせ給ふ。皆うち群れてだにあらば隱れ所やあらむ。四人づゝ書き立てに隨ひてそれそれと呼び立てゝのせられ奉り步み行く心ち、いみじうまことにあさましうけ證なりともよのつねなり。みすのうちにそこらの御目どものなかに、宮の御前の見苦しと御覽ぜむは更にわびしき事かぎりなし。身より汗のあゆれば、繕ひ立てたる髮などもあがりやすらむと覺ゆ。からうじて過ぎたれば、車のもとにいみじう耻かしげに、淸げなる御樣どもしてうち笑みて見給ふもうつゝならず。されど倒れずそこまではいき着きぬるこそ。かしこき顏もなきかと覺ゆれど、皆乘りはてぬれば、引き出でゝ二條の大路にしぢ立てゝ物見車のやうにて立ち並べたるいとをかし。人もさ見るらむかしと心ときめきせらる。四位五位六位などいみじう多う出で入り、車のもとに來てつくろひ物いひなどす。まづ院〈一條御母東三條院〉の御迎へに殿を始め奉りて殿上と地下と皆參りぬ。それ渡らせ給ひて後、宮は出でさせ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼車、一の御車は唐の車なり。それに續きて尼の車、しり口よりすゐさうのずゞ、薄墨の袈裟ぎぬなどいみじくて、簾垂はあげず、下簾も薄色の裾少し濃き。次にたゞの女房の十、櫻のからぎぬ、薄色の裳、紅をおしわたし、かとりのうはぎどもいみじうなまめかし。日はいとうらゝかなれど空は淺綠にかすみわたるに、女房のさうぞくの匂ひあひていみじき織物のいろいろの唐衣などよりもなまめかしうをかしき事限りなし。關白殿その御次の殿ばらおはする限り、もてかしづき奉らせ給ふいみじうめでたし。これら見奉り騷ぐこの車どもの二十立ち並べたるも、又をかしと見ゆらむかし。いつしか出でさせ給はゞなど待ち聞えさするに、いかならむと心もとなく思ふに、からうじて釆女八人馬にのせて引き出づめり。靑末濃の裳、くたいひれなどの風に吹きやられたるいとをかし。豐前といふ釆女はくすししげまさが知る人なり。えび染の織物の指貫を着たれば「しげまさは色許されにけり」と山の井の大納言は笑ひ給ひて、皆乘り續きて立てるに「今ぞ御輿出でさせ給ふ。めでたし」と見え奉りつる御有樣にこれは比ぶべからざりけり。朝日はなばなとさしあがる程に、木の葉のいとはなやかにかゞやきて、みこしの帷子の色つやなどさへぞいみじき。御綱はりて出させ給ふ。御輿のかたびらのうちゆるぎたるほどまことにかしらの毛など人のいふは更にそらごとならず。さて後に髮あしからむ人もかこちつべし。あさましういつくしう猶いかでかゝる御前に馴れ仕うまつるらむと、我が身もかしこうおぼゆる。御輿過ぎさせ給ふほど車のしぢども人だまひにかきおろしたりつる、又牛どもかけてみこしのしりにつゞきたる心ちのめでたう興あるありさまいふ方なし。おはしましつきたれば大門のもとに高麗唐土のがくして、獅子狛犬をどり舞ひ、さうの音鼓の聲に物も覺えず。こはいづくの佛の御國などに來にけるにかあらむと、空に響きのぼるやうにおぼゆ。內に入りぬればいろいろの錦のあげはりに、みすいと靑くてかけ渡しへい幔など引きたるほど、なべてたゞにこの世と覺えず。御さじきにさし寄せたれば又この殿ばら立ち給ひて「疾くおりよ」とのたまふ。乘りつる所だにありつるを今少しあかうけ證なるに、大納言殿いとものものしく淸げにて、御したがさねのしりいと長く所せげにて、すだれうちあげて「はや」とのたまふ。つくろひそへたる髮もからぎぬの中にてふくだみ、あやしうなりたらむ色の黑さ赤ささへ見わかれぬべき程なるが、いとわびしければふともえおりず。「まづしりなるこそは」などいふほどもそれも同じ心にや、「退かせ給へ。かたじけなし」などいふ。「耻ぢ給ふかな」と笑ひて立ちかへりからうじておりぬれば、寄りおはして「むねたかなどに見せで、かくしておろせ」と宮の仰せらるればきたるに「思ひくまなき」とて引きおろしてゐて參り給ふ。さ聞えさせ給ひつらむと思ふもかたじけなし。參りたれば始おりける人どもの物の見えぬべきはしに、八人ばかり出で居にけり。一尺と二尺ばかりの高さのなげしのうへにおはします。こゝに立ち隱して「ゐて參りたり」〈と脫歟〉申し給へば「いづら」とて几帳のこなたに出でさせ給へり。まだからの御ぞも奉りながらおはしますぞいみじき。紅の御ぞよろしからむや。中に唐綾の柳の御ぞ、えび染のいつへの御ぞに赤色の唐の御ぞ、地摺の唐のうすものに象眼重ねたる御裳など奉りたり。織物の色更になべて似るべきやうなし。「我をばいかゞ見る」と仰せらる。いみじうなむ候ひつるなども、ことに出でゝはよのつねにのみこそ。「久しうやありつる。それは殿の大夫〈道長〉の院の御供に來て人に見えぬる、同じ下襲ながら宮の御供にあらむ、わろしと人思ひなむとて殊に下襲ぬはせ給ひける程に遲きなりけり。いとすき給へり」などゝうち笑はせ給へる。いとあきらかに晴れたる所は今少しけざやかにめでたう、御額あげさせ給へるさいじに御わけめの御ぐしの聊よりてしるく見えさせ給ふなどさへぞ聞えむかたなき。三尺の御几帳一よろひをさしちがへてこなたの隔てにはして、そのうしろには疊一ひらをながざまにへりをしてなげしの上に敷きて、中納言の君といふは殿の御をぢの兵衞督たゞきよと聞えけるが御むすめ。宰相の君とは富小路左大臣〈顯忠〉の御孫、それ二人ぞうへに居て見え給ふ。御覽じわたして宰相はあなたに居て「うへ人どもの居たる所いきて見よ」と仰せらるゝに、心得て「こゝに三人いとよく見侍りぬべし」と申せば「さば」とて召し上げさせ給へば、しもに居たる人々「殿上許さるゝうどねりなめりと笑はせむと思へるか」といへば、「うまさへの程ぞ」などいへば、そこに入り居て見るはいとおもだゝし。かゝる事などをみづからいふはふきがたりにもあり、又君の御ためにも輕々しう、かばかりの人をさへ覺しけむなど、おのづから物しり世の中もどきなどする人は、あいなく畏き御事にかゝりてかたじけなけれど、あな忝き事などは又いかゞは。誠に身の程過ぎたる事もありぬべし。院の御さ敷所々のさ敷ども見渡したるめでたし。殿はまづ院の御さ敷に參り給ひてしばしありてこゝに參り給へり。大納言二所、三位中將は陣近う參りけるまゝにて、調度を負ひていとつきづきしうをかしうておはす。殿上人、四位五位こちたううち連れて御供に侍ひなみ居たり。入らせ給ひて見奉らせ給ふに、女房あるかぎり裳、からぎぬ、御匣殿まで着給へり。殿のうへ〈高內侍〉は裳のうへに小袿をぞ着給へる。「繪に書きたるやうなる御さまどもかな。今いらへけふはと〈な脫歟〉申し給ひそ。三四の君の御裳ぬがせ給へ。このなかの主君にはおまへこそおはしませ。御さ敷の前に陣をすゑさせ給へるは、おぼろげのことか」とてうち泣かせ給ふ。げにと見る人も淚ぐましきに、赤色櫻の五重のからぎぬを着たるを御覽じて「法服ひとくだり足らざりつるを俄に惑ひしつるに、これをこそかり申すべかりけれ。さらばもし又、さやうの物を切りしらめたるに」とのたまはするに又笑ひぬ。大納言殿〈伊周〉少ししぞき居給へるが聞き給ひて「淸僧都にやあらむ」との給ふ。一言としてをかしからぬ事ぞなきや。僧都の君赤色のうすものゝ御ころも紫の袈裟、いと薄き色の御ぞども指貫着たまひてぼさちの御やうにて、女房にまじりありき給ふもいとをかし。僧綱の中に威儀具足してもおはしまさで、見ぐるしう女房の中になど笑ふ。父の大納言殿御まへより松君〈道雅〉ゐて奉る。えび染の織物の直衣、濃き綾のうちたる紅梅の織物など着給へり。例の四位五位いと多かり。御さ敷に女房の中に入れ奉る。何事のあやまりにか、泣きのゝしり給ふさへいとはえばえし。事始りて一切經をはすの花のあかきに、ひと花づゝに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下六位何くれまでもて渡る〈二字つゞきたるイ〉いみじうたふとし。大行道、導師參り、回向しばし待ちて舞などする。日ぐらし見るに目もたゆく苦しう。うちの御使に五位の藏人參りたり。御さ敷のまへにあぐら立てゝ居たるなどげにぞ猶めでたき。夜さりつかた式部の丞則理參りたり。やがて夜さり入らせ給ふべし。「御供に侍へと宣旨侍りつ」とて歸りも參らず。宮は猶「歸りて後に」との給はすれども、又藏人の辨參りて「殿にも御消そこあれば、唯仰せのまゝ」とて入らせ給ひなどす。院の御さ敷よりちかの鹽竈などやうの御消そこをかしき物などもて參り通ひたるなどもめでたし。事はてゝ院還らせ給ふ。院司上達部などこのたびはかたへぞ仕うまつり給ひける。宮は內へ入らせ給ひぬるも知らず、女房のずさどもは二條の宮にぞ坐しまさむとてそこに皆いき居て、待てどまてど見えぬ程に夜いたう更けぬ。內には殿居物もて來たらむと待つにきよく見えず、あざやかなるきぬの身にもつかぬを着て、寒きまゝににくみ腹立てどかひなし。つとめてきたるを「いかにかく心なきぞ」などいへば、となふるごともさいはれたり。又の日雨降りたるを殿は「これになむ、我が宿世は見え侍りぬる。いかゞ御覽ずる」と聞えさせ給ふ御心おちゐことわりなり。

     たふときもの

九條錫杖、念佛の回向。

     うたは

杉たてる門。神樂歌もをかし。今樣はながくてくせづきたる。ふぞくよくうたひたる。

     指貫は

紫の濃き、萌黃、夏は二藍。いとあつきころ夏蟲の色したるもすゞしげなり。

     狩衣は

香染のうすき。白きふくさの赤色。松の葉のいろしたる。さくら、やなぎ、又あをき、ふぢ。男は何色のきぬも。

     單衣は

しろき。緋のさう東の紅のひとへ。衵などかりそめに着たるはよし。されど猶色きばみたる單衣など着たるはいと心づきなし。練色のきぬも着たれど、猶單衣は白うてぞ男も女もよろづの事まさりてこそ。

     わろきものは

詞の文字怪しくつかひたるこそあれ、唯文字一つに怪しくも、あてにもいやしくもなるはいかなるにかあらむ。さるはかう思ふ人萬の事に勝れてもえあらじかし。いづれを善き惡しきとは知るにかあらむ。さりとも人を知らじ。唯さうち覺ゆるもいふめり。難義の事をいひてその事させむとすといはむといふを、と文字をうしなひて「唯言はむずる、里へ出でむずる」などいへば、やがていとわろし。まして文を書きてはいふべきにもあらず。物語こそあしう書きなどすれば、いひがひなくつくり人さへいとほしけれ。「なほす、定本のまゝ」など書きつけたるいと口をし。「ひでつくるまに」などいふ人もありき。もとむといふ事を見むと皆いふめり。いと怪しき事を男などはわざとつくろはで殊更にいふはあしからず。我が詞にもてつけていふが心おとりすることなり。

     下襲は

冬は躑躅、搔練襲、蘇枋襲。夏は二藍、しら襲。

     扇の骨は

靑色はあかき、むらさきはみどり。

     檜扇は

無紋、から繪。

     神は

松の尾。八幡この國のみかどにておはしましけむこそいとめでたけれ。みゆきなどになぎの花の御輿に奉るなどいとめでたし。大原野。賀茂は更なり。稻荷。春日いとめでたく覺えさせ給ふ。佐保殿〈冬嗣邸〉などいふ名さへをかし。平野はいたづらなる屋ありしを「こゝは何する所ぞ」と問ひしかば、「神輿やどり」といひしもめでたし。いがきに蔦などの多くかゝりて、紅葉のいろいろありし「秋にはあへず」と貫之が歌おもひ出でられて、つくづくと久しうたゝれたりし。みこもりのかみことをかし。

     崎は

唐崎、伊加が崎、三保が崎。

     屋は

まろ屋、四阿屋。

時奏するいみじうをかし。いみじう寒きに、よなかばかりなどに、ごほごほとこほめき、沓すり來て弦うちなどして「なんけのなにがし、時丑三つ子四つ」などあてはかなる聲にいひて、時の杭さす音などいみじうをかし。子九つ丑八つなどこそさとびたる人はいへ。すべて何も何も四つのみぞ杭はさしける。

日のうらうらとある晝つかた、いたう夜更けて、子の時など思ひ參らするほどに、をのこども召したるこそいみじうをかしけれ。夜中ばかりに又御笛の聞えたるいみじうめでたし。

成信の中將は入道兵部卿の宮〈致平〉の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもいとをかしうおはす。伊豫守兼輔が女の忘られて伊豫へ親のくだりしほど、いかに哀なりけむとこそ覺えしか。曉にいくとて、今宵おはしまして、有明の月に歸り給ひけむ直衣姿などこそ。そのかみ常に居て物かたりし人のうへなどわろきはわろしなどのたまひしに。

物忌などくすしうするものゝ、名をさうにてもたる人のあるが、ことびとの子になて平などいへど、唯もとのしやうを若き人々ことぐさにて笑ふ有樣も異なる事なし。兵部とてをかしきかたなどもかたきが、さすがに人などにさしまじり心などのあるは御前わたりに見苦しなど仰せらるれど腹ぎたなく知り吿ぐる人もなし。一條院つくられたる一間の所には、つらき人をば更に寄せず、東のみかどにつと向ひてをかしき小廂に、式部のおとゞ諸共に夜も晝もあれば、上も常に物御覽じに出でさせ給ふ。「今宵は皆內に寐む」とて南の廂に二人臥しぬる後に、いみじう叩く人のあるに、「うるさし」などいひ合せて寐たるやうにてあれば、猶いみじうかしがましう呼ぶを「あれおこせ、空ねならむ」と仰せられければ、この兵部來て「起せどねたるさまなれば更に起き給はざりけり」と言ひにいきたるがやがて居つきて物いふなり。暫しかと思ふに夜いたう更けぬ。「權中將にこそあなれ。こは何事をかうはいふ」とて唯みそかに笑ふもいかでか知む。曉までいひ明して歸りぬ。「この君いとゆゝしかりけり。更に坐せむに物いはじ。何事をさは言ひあかすぞ」など笑ふに、遣戶をあけて女は入りぬ。つとめて例の廂に物いふを聞けば「雨のいみじう降る日きたる人なむいと哀なる。日頃おぼつかなうつらき事ありとも、さてぬれて來らば憂き事も皆忘れぬべし」とは、などていふにかあらむを。よべ昨日の夜もそれかあなたの夜もすべてこの頃はうちしきり見ゆる人の、今宵もいみじからむ雨に障らで來たらむは、一夜も隔てじと思ふなめりとあはれなるべし。さて日頃も見えずおぼつかなくて過ぐさむ人の、かゝる折にしも來むをば、更に又志あるには得せじとこそ思へ。人の心々なればにやあらむ、物見しり思ひ知りたる女の心ありと見ゆるなどをば語らひて數多いく所もあり元よりのよすがなどもあれば、繁うしも得こぬを、猶さるいみじかりし折に來りし事など人にも語りつがせ、身をほめられむと思ふ人のしわざにや。それもむげに志なからむには何しにかはさもつくりごとしても見えむとも思はむ。されど雨の降る時は唯むつかしう、今朝まではればれしかりつる空とも覺えずにくゝて、いみじきほそ殿のめでたき所とも覺えず。ましていとさらぬ家などは疾く降り止みねかしとこそ覺ゆれ。月のあかきに來らむ人はしも、十日廿日一月もしは一年にても、まして七八年になりても思ひ出でたらむはいみじうをかしと覺えて、え逢ふまじうわりなき所、人目つゝむべきやうありとも必立ちながらも物いひて返し又とまるべからむをば留めなどしつべし。

月の明き見るばかり遠く物思ひやられ、過ぎにし事憂かりしも嬉しかりしもをかしと覺えしも、唯今の樣に覺ゆる折やはある。こまのゝ物語は何ばかりをかしき事もなく、詞もふるめき見所多からねど、月に昔を思ひ出でゝ、蟲ばみたるかはほりとり出でゝ「元見し駒に」といひて立てるかど哀なり。雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくゝぞある。やんごとなき事、おもしろかるべき事、尊くめでたかるべき事も、雨だに降れば言ふかひなく口惜しきに、何かその濡れてかこちたらむがめでたからむ。實に交野少將もどきたる落窪の少將などはをかし。それもよべおとゝひの夜もありしかばこそをかしけれ。足洗ひたるぞにくく、きたなかりけむ。さらでは何か、風などの吹く荒々しき夜きたるはたのもしくてをかしうもありなむ。雪こそいとめでたけれ。「忘れめや」など獨ごちて忍びたることは更なり。いとさあらぬ所も直衣などは更にもいはず、狩衣、うへのきぬ、藏人の靑いろなどのいとひやゝかにぬれたらむは、いみじうをかしかるべし。ろうさうなりとも雪にだにぬれなばにくかるまじ。昔の藏人はよるなど人の許などに、唯靑色を着て雨にぬれてもしぼりなどしけるが、今は晝だに着ざめり。唯ろうさうをのみこそうちかづきためれ。衞府などの着たるはましていとをかしかりしものを、かく聞きて雨にありかぬ人やはあらむずらむ。月のいとあかき夜、紅の紙のいみじう赤きに「唯あらず」とも書きたるを廂にさし入れたるを、月にあてゝ見しこそをかしかりしか。雨降らむ折はさはありなむや。

常に文おこする人の「何かは、今はいふかひなし。今は」など言ひて又の日音もせねばさすがにあけたてば文の見えぬこそさうざうしけれと思ひて「さてもきはきはしかりける心かな」などいひて暮しつ。又の日雨いたう降る。晝まで音もせねば「むげに思ひ絕えにけり」などいひて端の方に居たる夕暮にかささしたる童の持てきたるを、常よりも疾くあけて見れば「水ます雨の」とある、いと多く讀み出しつる歌どもよりはをかし。唯あしたはさしもあらず、さえつる空のいと暗うかき曇りて雪のかきくらし降るにいと心細く見出す程もなく白く積りて猶いみじう降るに、隨身だちて細やかに美々しきをのこのからかささして、そばの方なる家の戶より入りて文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白きみちのくに紙、白き色紙の結べたる上にひき渡しける墨のふと氷りにければ、裾薄になりたるを、あけたればいと細く卷きて結びたる卷目はこまごまと窪みたるに、墨のいと黑う薄く、くだりせばに裏うへ書きみだりたるを、うち返し久しう見るこそ何事ならむとよそにて見やりたるもをかしけれ。まいてうちほゝゑむ所はいとゆかしけれど、遠う居たる〈れイ〉は黑き文字などばかりぞ、さなめりと覺ゆるかし。額髮ながやかにおもやうよき人の、暗き程に文を得て、火ともす程も心もとなきにや、火桶の火をはさみあげて、たどたどしげに見居たるこそをかしけれ。

     きらきらしきもの

大將の御さきおひたる。孔雀經の御讀經。御修法は五大尊。藏人式部丞、白馬の日大路ねりたる。御齋會左右衞門佐摺衣やりたる。季の御讀經。熾盛光の御修法。神のいたく鳴るをりに神鳴の陣こそいみじうおそろしけれ。左右の大將、中少將などのみ格子のつらに侍ひ給ふいとをかしげなり。はてぬるをり大將の仰せて「のぼりおり」とのたまふらむ。坤元錄の御屛風こそをかしう覺ゆる名なれ。漢書の御屛風はをゝしくぞ聞えたる。月次の御屛風もをかし。

方違などして夜ふかくかへる、寒きこといとわりなく、頤なども皆おちぬべきを、辛うじてきつきて火桶引き寄せたるに、火の多きにてつゆ黑みたる所なくめでたきを、こまかなる灰の中よりおこし出でたるこそいみじう嬉しけれ。物などいひて火の消ゆらむも知らず居たるに、こと人の來て炭入れておこすこそいとにくけれ。されどめぐりに置きて中に火をあらせたるはよし。皆火を外ざまに搔き遣りて炭を重ね置きたるいたゞきに、火ども置きたるがいとむづかし。

雪いと高く降りたるを例ならず御格子まゐらせて、す櫃に火起して物語などして集まり侍ふに「少納言よ香爐峰の雪はいかならむ」と仰せられければ、御格子あげさせて、御簾高く卷き上げたれば、笑はせたまふ。人々も皆さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。「なほこの宮の人にはさるべきなめり」といふ。

陰陽師の許なる童べこそいみじく物は知りたれ。はらへなどしに出でたれば、祭文など讀む事、人はなほこそ聞け。そと立ちはしりて「白き水いかけさせよ」ともいはぬに、しありくさまの例知り、聊しうに物いはせぬこそ羨しけれ。さらむ人をがなつかはむとこそおぼゆれ。三月ばかり物忌しにとてかりそめなる人の家にいきたれば、木どもなどはかばかしからぬ中に、柳といひて例のやうになまめかしくはあらで、葉廣う見えてにくげなるを「あらぬものなめり」といへば「かゝるもあり」などいふに、

 「さかしらに柳のまゆのひろごりて春のおもてをふするやどかな」

とこそ見えしか。そのころ又同じ物忌しに、さやうの所に出でたるに二日といふ晝つかた、いとゞつれづれまさりて、唯今も參りぬべき心ちする程にしも仰せ事あれば、いとうれしくて見る。淺綠の紙に、宰相の君いとをかしく書き給へり、

 「いかにしてすぎにしかたを過ぐしけむくらしわづらふ昨日けふかな

となむ」、わたくしには「今日しも千年の心ちするを曉だに疾く」とあり。この君の給はむだにをかしかるべきを、まして仰事のさまには愚ならぬ心ちすれど啓せむ事とは覺えぬこそ。

 「雲のうへにくらしかねけるはるの日を所からともながめつるかな」、

わたくしには「今宵のほども少將にやなり侍らむずらむ」とて、曉に參りたれば「昨日の返し暮しかねけるこそいとにくし。いみじうそしりき」と仰せらるゝ、いとわびしう誠にさることも。淸水に籠りたるころ蜩のいみじう鳴くを、あはれと聞くにわざと御使してのたまはせたりし、

 「山ちかき入あひの鐘のこゑごとに戀ふるこゝろのかずや知るらむ。

ものをこよなのながゐや」と書かせ給へる。紙などのなめげならぬも、取り忘れたるたびにて、紫なるはちすの花びらに書きてまゐらする。

十二月廿四日宮の御佛名のそやの御導師聞きて出づる人は、夜中も過ぎぬらむかし。里へも出で、もしは忍びたる所へも夜の程出づるにもあれ、あひ乘りたる道の程こそをかしけれ。日ごろ降りつる雪の今朝はやみて風などのいたう吹きつれば垂氷のいみじうしだり土などこそむらむら黑きなれ。屋のうへは唯おしなべて白きにあやしき賤の屋もおもがくして、有明の月のくまなきにいみじうをかし。かねなどおしへぎたるやうなるに、水晶の莖などいはまほしきやうにて、長く短く殊更懸け渡したると見えて、いふにもあまりてめでたき垂氷に下簾を懸けぬ車の簾垂をいと高く上げたるは奧までさし入りたる月に薄色紅梅白きなど七つ八つばかり着たる上に、濃き衣のいとあざやかなるつやなど、月に映えてをかしう見ゆる傍にえび染のかた紋の指貫、白ききぬどもあまた、山吹紅など着こぼして直衣のいと白き引きときたれば、ぬぎ垂れられていみじうこぼれいでたり。指貫の片つかたはとじきみのとにふみ出されたるなど、道に人の逢ひたらばをかしと見つべし。月かげのはしたなさに、後ざまへすべり入りたるを、引き寄せあらはになされて笑ふもをかし。「凛々として氷鋪けり」といふ詩を、かへすがへすずんじておはするは、いみじうをかしうて夜一夜もありかまほしきに、いく所の近くなるもくちをし。

宮仕する人々の出で集りて君々の御事めで聞え、宮の內外の端の事どもかたみに語り合せたるを、おのが君々、その家あるじにて聞くこそをかしけれ。

家廣く淸げにて親族は更なり、たゞうちかたらひなどする人には、宮づかへ人片つ方にすゑてこそあらまほしけれ。さるべき折は一所に集り居て物語し、人の詠みたる歌何くれと語りあはせ、人の文など持てくる、「もろともに見、返事かき又むつましうくる人もあるは、淸げにうちしつらひて入れ、雨など降りて得かへらぬもをかしうもてなし、參らむをりはその事見入れて思はむさまにして出し立てなどせばや。善き人のおはします御有樣などいとゆかしきぞ、けしからぬ心にやあらむ。

     見ならひするもの

あくび、ちごども、なまけしからぬえせもの。

     うちとくまじきもの

あしと人にいはるゝ人。さるはよしと知られたるよりはうらなくぞ見ゆる。

舟の路。日のうらゝかなるに、海のおもてのいみじうのどかに淺綠のうちたるをひきわたしたるやうに見えて、聊恐しき氣色もなき若き女の衵ばかり着たる。侍の者の若やかなる諸共に、櫓といふもの押して、歌をいみじううたひたるいとをかしう、やんごとなき人にも見せ奉らまほしうおもひいくに、風いたう吹き海のおもてのたゞ荒れにあしうなるに、物もおぼえず泊るべき所に漕ぎつくるほど、舟に浪のかけたるさまなどはさばかりなごかりつる海とも見えずかし。思へば舟に乘りてありく人ばかりゆゝしきものこそなけれ。よろしき深さにてだにさま〈るイ〉はかなき物に乘りて漕ぎ往くべき物にぞあらぬや。ましてそこひも知らずちひろなどもあらむに、物いと積み入れたれば、水ぎはは唯一尺ばかりだになきにげすどもの聊恐しとも思ひたらず走りありき、つゆあらくもせば沈みやせむと思ふに、大なる松の木などの二三尺ばかりにてまろなるを、五つ六つぼうぼうと投げ入れなどするこそいみじけれ。やかたといふ物にぞおはす。されど奧なるはいさゝかたのもし。端に立てる者どもこそ目くるゝ心ちすれ。早緖つけてのどかにすげたる物の弱げさよ。絕えなば何にかはならむ、ふと落ち入りなむを。それだにいみじうふとくなどもあらず。我が乘りたるはきよげに帽額のすきかげ、妻戶格子あげなどして、されどひとしう重げになどもあらねば、唯家の小きにてあり。ことふね見やるこそいみじけれ。遠きはまことに笹の葉を作りてうち散したるやうにぞいとよく似たる。泊りたる所にて舟ごとに火ともしたるをかしう見ゆ。はしぶねとつけていみじうちひさきに乘りて漕ぎありく、つとめてなどいとあはれはり。あとのしら浪は誠にこそ消えもてゆけ。よろしき人は乘りてありくまじき事とこそ猶おぼゆれ。かちぢも又いとおそろし。されどそれはいかにもいかにもつちにつきたればいとたのもしと思ふに。海士のかづきしたるは憂きわざなり。腰につきたる物絕えなばいかゞせむとなむ。をのこだにせばさてもありぬべきを、女はおぼろけの心ならじ。男は乘りて歌などうちうたひてこの栲繩を海にうけありく。いと危くうしろべたくはあらぬにや、海士ものぼらむとてはそのなはをなむ引く。取り惑ひ繰り入るゝさまぞことわりなるや。舟のはたを抑へて放ちたる息などこそまことに唯見る人だにしほたるゝに、落し入れて漂ひありくをのこは目もあやにあさまし。更に人の思ひかくべきわざにもあらぬことにこそあめれ。

右衞門の尉なる者の、えせ親をもたりて、人の見るにおもてぶせなど見ぐるしうおもひけるが、伊豫の國よりのばるとて海に落し入れてけるを、人の心うがりあさましかりける程に、七月十五日ぼんを奉るとていそぐを見給ひて、道命阿じや梨、

 「わたつ海に親をおし入れてこのぬしのぼんする見るぞ哀なりける」

とよみ給ひけるこそいとほしけれ。

又小野殿〈道綱〉の母うへこそは普門寺といふ所に八講しけるを聞きて、又の日小野殿に人々集まりてあそびし文つくりけるに、

 「薪こることはきのふにつきにしを今日はをのゝえこゝにくたさむ」

と詠み給ひけむこそめでたけれ。こゝもとはうちきゝになりぬるなめり。

又業平が母の宮の、「いよいよ見まく」とのたまへるいみじうあはれにをかし。引きあけて見たりけむこそ思ひやらるれ。

をかしと思ひし歌などを草紙に書きておきたるに、げすのうちうたひたるこそ心憂けれ。よみにもよむかし。

よろしき男をげす女などの譽めて「いみじうなつかしうこそおはすれ」などいへば、やがて思ひおとされぬべし。そしらるゝはなかなかよし。げすにほめらるゝは女だにわろし。又譽むるまゝに言ひそこなひつるものをば。

大納言殿〈伊周〉參り給ひて文の事など講じ給ふに、例の夜いたう更けぬれば御前なる人々、一二人づゝうせて、御屛風几帳の後などに皆隱れふしぬれば、唯一人になりてねぶたきを念じてさぶらふに、「丑四つ」と奏するなり。「明け侍りぬなり」とひとりごつに、大納言殿今更におほとのごもりおはしますよとて、ぬべき物にもおぼしたらぬを、うたて何しにさ申しつらむとおもへども、又人のあらばこそはまぎれもせめ。上の御前の柱に寄りかゝりて少しねぶらせ給へるを「かれ見奉り給へ。今は明けぬるに、かくおほとのごもるべき事かは」と申させ給ふ。「實に」など宮のお前にも笑ひ申させ給ふも知らせ給はぬほどに、をさめが童の鷄を捕へて持ちて「明日里へいかむ」といひて隱し置きたりけるが、いかゞしけむ、犬の見つけて追ひければ廊のさきに逃げいきて恐しう鳴きのゝしるに、皆人起きなどしぬなり。上もうち驚かせ坐しまして「いかにありつるぞ」と尋ねさせ給ふに大納言殿の「聲明王のねぶりを驚す」といふ詩を高ううち出し給へるめでたうをかしきに、一人ねぶたかりつる目も大きになりぬ。「いみじき折の事かな」と宮も興ぜさせ給ふ。猶かゝる事こそめでたけれ。又の日は夜のおとゞに入らせ給ひぬ。夜中ばかりに廊に出でゝ人呼べば「おるゝか我送らむ」とのたまへば、裳唐衣は屛風にうち懸けていくに、月のいみじうあかくて直衣のいと白う見ゆるに、指貫のなからふみくゝまれて、袖をひかへて「たふるな」といひて率ておはするまゝに「遊子なほ殘りの月に行けば」とずんじ給へる又いみじうめでたし。かやうの事めで惑ふとて笑ひ給へどいかでか猶いとをかしきものをば。

僧都の君の御乳母のまゝと御匣殿の御局に居たれば、をのこある、板敷のもと近く寄り來て「辛いめを見候ひつる。誰にかは憂へ申し候はむ」とてなんど泣きぬばかりの氣色にていふ。「何事ぞ」と問へば、あからさまに「物へまかりたりしまにきたなく侍る所の燒け侍りにしかば、日ごろはがうなのやうに、人の家に尻をさし入れてなむ候ふ。うま寮の、み秣摘みて侍りける家よりなむ出でまうで來て侍るなり。唯垣を隔てゝ侍れば、よどのに寢て侍りける童べもほどほど燒け侍りぬべくなむ。いさゝか物もとうで侍らず」などいひをる。御匣殿も聞き給ひていみじう笑ひ給ふ。

 「みまくさをもやすばかりの春の日によどのさへなど殘らざるらむ」

と書きて「これを取らせ給へ」とて投げ遣れば、笑ひのゝしりて「この坐する人の燒けたりとて、いとほしがりて給ふめる」とて取らせたれば「何の御短じやくにか侍らむ。物幾らばかりにか」といへば「まづよめかし」といふ。「いかでか、片目もあき仕うまつらでは」といへば「人にも見せよ。唯今召せばとみにて上へ參るぞ。さばかりめでたき物を得ては何をか思ふ」とて皆笑ひ惑ひてのぼりぬれば「人にや見せつらむ。里にいきていかに腹立たむ」など御前に參りてまゝの啓すれば、又笑ひさわぐ。御前にも「などかく物ぐるほしからむ」と笑はせ給ふ。

男はめ親なくなりて親ひとりあるいみじく思へども、煩はしき北の方の出で來て後は、內にも入られず、さう東などの事は乳母、又故上の人どもなどしてせさす。西東の對の程にまらうどにもいとをかしう、屛風さうじの繪も見所ありてすまひたり。殿上の交らひの程口惜しからず人々も思ひたり。上にも御氣色よくて常に召しつゝ、御遊などのかたきには思しめしたるに、猶常に物嘆かしう世の中心に合はぬ心ちして、好々しき心ぞかたはなるまであるべき。上達部の又なきにもてかしづかれたる妹一人あるばかりにぞ思ふ事をもうち語ひ慰め所なりける。

「定澄僧都に袿なし。すゐせい君に衵なし」と言ひけむ人もこそをかしけれ。まことや、下〈高イ〉野にくだるといひける人に、

 「おもひだにかゝらぬ山のさせも草たれかいぶきの里は吿げしぞ」。

ある女房の遠江守の子なる人をかたらひてあるが、同じ宮人をかたらふと聞きて恨みければ、親などもかけて誓はせ給ふ。「いみじきそらごとなり。夢にだに見ず」となむいふ。「いかゞいふべき」といふと聞きて、

 「誓へきみ遠つあふみのかみかけてむげに濱名のはし見ざりきや」。

びんなき所にて人に物をいひけるに、「胸のいみじうはしりける、などかくある」といひけるいらへに、

 「逢坂はむねのみつねにはしり井のみつくる人やあらむとおもへば」。

     唐ぎぬは

あかぎぬ、えび染、萠黃、さくら、すべて薄色のるゐ。

     裳は

大海、しびら。

     汗衫は

春は躑躅、櫻。夏は靑朽葉、朽葉。

     織物は

むらさき、しろき。萠黃に柏葉織りたる。紅梅もよけれどもなほ見ざめこよなし。

     紋は

あふひ、かたばみ。

夏うすもの片つ方のゆだけきたる人こそにくけれど、數多重ね着たればひかれて着にくし。綿など厚きは胸などもきれていと見ぐるし。まぜて着るべき物にはあらず。猶昔よりさまよく着たるこそよけれ。左右のゆだけなるはよし。それも猶女房のさう束にては所せかめり。男の數多かさぬるも片袴〈一字つかたイ〉重くぞあらむかし。淸らなるさう束の織物うすものなど今は皆さこそあめれ。今やうに又さまよき人の着給はむいとびんなきものぞかし。かたちよき君達の彈正にておはするいと見ぐるし。宮の中將〈源賴定〉などのくちをしかりしかな。

     やまひは

胸、ものゝけ、あしのけ。唯そこはかとなくものくはぬ。十八九ばかりの人の髮いと麗しくてたけばかりすそふさやかなるがいとよく肥えて、いみじう色しろう、顏あいぎやうづきよしと見ゆるが、齒をいみじくやみまどひて、額髮もしとゞに泣きぬらし、髮の亂れかゝるも知らず、面赤くて抑へ居たるこそをかしけれ。八月ばかり白きひとへ、なよらかなる袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあざやかなるを引き懸けて胸いみじう病めば、友達の女房達などかはるがはる來つゝ「いといとほしきわざかな。例もかくや惱み給ふ」など事なしびに問ふ人もあり。心がけたる人は誠にいみじと思ひ歎き、人知れぬ中などはまして人目思ひて寄るにも、近くもえ寄らず思ひ歎きたるこそをかしけれ。

いと麗しく長き髮を引きゆひて、物つくとて起きあがりたる氣色も、いと心苦しくらうたげなり。うへにも聞しめして御讀經の僧の聲よき給はせたれば、とぶらひ人どもゝあまた見來て經聞きなどするもかくれなきに、目をくばりつゝ讀み居たるこそ罪や得らむとおぼゆれ。

     こゝろづきなきもの

物へゆき寺へも詣づる日の雨。使ふ人の「我をばおぼさず、なにがしこそ唯今の人」など言ふをほのぎゝたる。人よりは猶少しにくしと思ふ人の推し量り事うちしすゞろなる物恨みし、我かしこげなる。心あしき人の養ひたる子。さるはそれが罪にもあらねどかゝる人にしもと覺ゆる故にやあらむ、「數多あるが中に、この君をば思ひおとし給ひてやにくまれ給ふよ」などあらゝかにいふ。ちごは思ひも知らぬにやあらむ、もとめて泣き惑ふ心づきなきなめり。おとなになりても思ひ後みもて騷ぐ程に、なかなかなる事こそおほかめれ。侘しくにくき人に思ふ人のはしたなくいへど、添ひつきてねんごろがる。「聊心あし」などいへば常よりも近く臥して物くはせいとほしがり、その事となく思ひたるにまつはれ追從しとりもちて惑ふ。宮仕人の許にきなどする男の其所にて物くふこそいとわろけれ。くはする人もいと憎し。思はむ人のまづなど志ありていはむを、忌みたるやうに口をふたぎて、顏を持てのくべきにもあらねば、くひをるにこそあらめ。いみじう醉ひなどしてわりなく夜更けてときりたりとも更にゆづけだにくはせじ、心もなかりけりとて來ずはさせてなむ。里にて北面よりし出してはいかゞせむ。其だに猶ぞある。初瀨に諸でゝ局に居たるにあやしきげすどものうしろさしまぜつゝ、居なみたるけしきこそないがしろなれ。いみじき心を起して詣でたるに、川の音などの恐しきにくれ階をのぼり困じていつしか佛の御顏を拜み奉らむと、局に急ぎ入りたるに簑蟲のやうなる物のあやしききぬ着たるがいとにくき立居額づきたるは押し倒しつべき心ちこそすれ。いとやんごとなき人の局ばかりこそ前はらひあれ、よろしき人は制しわづらひぬかし。賴もし人の師を呼びて言はすれば、「そこども少し去れ」などいふ程こそあれ、步み出でぬればおなじやうになりぬ。

     いひにくきもの

人の消そこ仰事などの多かるを、序のまゝに始より奧までいといひにくし。返り事又申しにくし。耻かしき人の物おこせたるかへりごと。おとなになりたる子の思はずなること聞きつけたる、前にてはいと言ひにくし。

四位五位は冬、六位は夏。とのゐすがたなども品こそ男も女もあらまほしきことなめれ。家の君にてあるにも誰かはよしあしを定むる。それだに物見知りたる使ひ人ゆきて、おのづから言ふべかめり。ましてまじらひする人はいとこよなし。猫の土におりたるやうにて〈十二字衍歟〉。たくみの物くふこそいと怪しけれ。新殿を建てゝ東の對だちたる屋を作るとて、たくみども居なみて物くふを、東面に出で居て見ればまづ持てくるや遲きと汁物取りて皆飮みて、かはらけはついすゑつゝ次にあはせを皆くひつれば、おのは不用なめりと見るほどに、やがてこそうせにしか。二三人居たりし者皆させしかばたくみのさるなめりと思ふなり。あなもたいなの事どもや。

物がたりをもせよ。昔物語もせよ。さかしらにいらへうちして、こと人どものいひまぎらはす人〈人恐衍〉いとにくし。

ある所に中〈何イ〉の君とかやいひける人の許に、君達にはあらねどもその心いたくすきたる者にいはれ、心ばせなどある人のながつきばかりにいきて、「有明の月のいみじう照りておもしろきに、名殘思ひ出でられむ」と言の葉を盡していへるに、今はいぬらむと遠く見送るほどに、えも言はず艷なる程なり。出づるやうに見せて立ち歸り、立蔀あいたる陰のかたに添ひ立ちて、猶ゆきやらぬさまもいひ知らせむと思ふに「有明の月のありつゝも」とうちいひて、さしのぞきたる髮の頭にも寄りこず、五寸ばかりさがりて火ともしたるやうなる月の光、催されて驚かさるゝ心ちしければ、やをら立ち出でにけりとこそかたりしか。

女房のまゐりまかでするには、車を借る折もあるに、こゝろよそひしたる顏にうち言ひて貸したるに、牛飼童の例の牛よりもしもざまにうち言ひて、いたう走り打つも、あなうたてと覺ゆかし。をのこどもなどの物むつかしげなる氣色にて「いかで夜更けぬさきに追ひて歸りなむ」といふは、猶主の心おしはかられてとみの事なりと、又言ひ觸れむとも覺えず、業遠の朝臣の車のみや、夜中あかつきわかず人の乘るに、聊さる事なかりけむ、よくぞ敎へ習はせたりしか。道に逢ひたりける女車の深き所におとし入れて、得引き上げで牛飼のはらだちければ、我が從者してうたせさへしければ、まして心のまゝに誡め置きたるに見えたり。

すきずきしくて獨住する人のよるはいづらにありつらむ、曉に歸りてやがて起きたる、まだねぶたげなる氣色なれど硯とり寄せ墨こまやかに押し磨りて事なしびに任せてなどはあらず、心とゞめて書くまひろげ姿をかしう見ゆ。白ききぬどもの上に山吹紅などをぞ着たる。白きひとへのいたくしぼみたるを、うちまもりつゝ書き立てゝまへなる人にも取らせず、わざとだちてこどねりわらはのつきづきしきを身近く呼び寄せて、うちさゝめきていぬる後も久しく詠めて、經のさるべき所々など忍びやかに口ずさびにし居たり。奧のかたに御手水粥などしてそゝのかせば步み入りて文机に押し懸りて文をぞ見る。おもしろかりける所々はうちずんじたるもいとをかし。手洗ひて直衣ばかりうち着て錄をぞそらに讀む。まことにいとたふとき程に近き所なるべし。ありつる使うちけしきばめば、ふと讀みさして返り事に心入るゝこそいとほしけれ。

淸げなるわかき人のなほしも、うへのきぬも、狩衣もいとよくて、きぬがちに袖口あつく見えたるが、馬に乘りていくまゝに供なるをのこたて文を目をそらにて取りたるこそをかしけれ。

前の木だち高う庭廣き家の、東南の格子どもあげ渡したれば、凉しげに透きて見ゆるに、母屋に四尺の几帳立てゝ前にわらふだを置きて舟よばかりの僧のいと憎げなからぬが、薄墨の衣うすものゝ袈裟などいと鮮かにうちさうぞきて香染の扇うちつかひ千手陀羅尼讀み居たり。ものゝけにいたう病む人にや。うつすべき人とて大きやかなるわらはの髮など麗しきひとへあざやかなる袴長く着なしてゐざり出でゝ、橫ざまに立てる三尺の几帳の前に居たれば、とざまにひねり向きていと細うにほやかなるとこを取らせて、「をゝ」と目うちひさきて讀む陀羅尼もいと尊し。け證の女房あまた居てつどひまもらへたり。久しくもあらでふるひ出でぬれば、もとの心失ひて行ふまゝに隨ひ給へる護法もげにたふとし。せうとの袿したる細冠者どもなどのうしろに居て團扇するもあり。皆たふとがりて集りたるも、例の心ならばいかに耻しと惑はむ。みづからは苦しからぬ事と知りながら、いみじうわび歎きたるさまの心苦しさを、つき人のしり人などはらうたく覺えて、几帳のもと近く居てきぬひきつくろひなどする程に、よろしとて御湯などきたおもてに取り次ぐ程をも、わかき人々は心もとなし。盤も引きさげながらいそいでくるや。ひとへなど淸げに薄色の裳など萎えかゝりてはあらずいと淸げなり。さるの時にぞいみじうことわり言はせなどして許しつ。几帳の內にとこそ思ひつれ、あさましうも出でにけるかな、いかなる事ありつらむと耻かしがりて髮を振りかけてすべり入りぬれば、しばしとゞめて加持少しして「いかにさわやかになり給へりや」とてうち笑みたるも耻しげなり。「暫し侍ふべきを、時のほどにもなり侍りぬべければ」とまかり申して出づるを「しばしはうちはうたうまゐらせむ」などとゞむるを、いみじう急げば、所につけたる上臈とおぼしき人、すのもとにゐざり出でゝ「いと嬉しく立ちよらせ給へりつるしるしに、いと堪へ難く思ひ給へられつるを、唯今をこたるやうに侍れば、返す、返すなむ悅び聞えさする。明日も御いとまの隙には物せさせ給へ」などいひつゝ「いとしうねき御ものゝけに侍るめるを、たゆませ給はざらむなむよく侍るべき。よろしく物せさせ給ふなるをなむよろこび申し侍る」と詞すくなにて出づるはいとたふときに、佛の現れ給へるとこそおぼゆれ。

淸げなるわらはの髮ながき。又おほきやかなるが髭生ひたれど思はずに髮麗しき。又したゝかにむくつけゞなるなど多くて、いとなげにて此所彼所はやんごとなきおぼえあるこそ法師もあらまほしきわざなめれ。親などいかに嬉しからむとこそおしはからるれ。

     見ぐるしきもの

きぬのせぬひかたよせて着たる人、又のけくびしたる人、下簾穢げなる上達部の御車。例ならぬ人の前に子をゐていきたる。袴着たる童の足駄はきたる、それは今やうのものなり。つぼさう束したる者の急ぎて步みたる。法師陰陽師の紙かうぶりして祓へしたる。又色黑う瘦せ憎げなる女のかつらしたる。髭がちにやせやせなる男と晝ねしたる。何の見るかひに臥したるにかあらむ、よるなどはかたちも見えず、又おしなべてさる事となりにたれば、我にくげなりとて起きゐるべきにもあらずかし。つとめて疾く起きいぬるめやすし。夏晝ねして起きたる、いとよき人こそ今少しをかしけれ。えせがたちはつやめきねはれて、ようせずはほそゆがみもしつべし。かたみに見かはしたらむ程のいけるかひなさよ。色黑き人のすゞし單衣着たるいと見ぐるしかし。のしひとへも同じくすきたれどそれはかたはにも見えず、ほその通りたればにやあらむ。

ものくらうなりて文字もかゝれずなりたり。筆も使ひはてゝこれを書きはてばや。この草紙は目に見え心に思ふ事を人やは見むずると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなく人のためびんなきいひ過ぐしなどしつべき所々もあれば、きようかくしたりと思ふを、淚せきあへずこそなりにけれ。宮の御前にうちのおとゞの奉り給へりけるを、「これに何をかゝまし。うへの御前には史記といふ文を書かせ給へる」などのたまはせしを「枕にこそはし侍らめ」と申しゝかば「さば得よ」とて賜はせたりしを、あやしきをこよや何やとつきせずおほかる紙の數を書きつくさむとせしに、いと物おぼえぬことぞおほかるや。大かたこれは世の中にをかしき事を、人のめでたしなど思ふべき事、猶えり出でゝ歌などをも木草鳥蟲をもいひ出したらばこそ、思ふほどよりはわろし心見えなりともそしられめ、唯心ひとつにおのづから思ふことをたはぶれに書きつけたれば、物に立ちまじり、人なみなみなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「はづかしき」なども見る人はのたまふなれば、いとあやしくぞあるや。げにそれもことわり、人のにくむをも善しといひ、譽むるをも惡しといふは、心のほどこそおしはからるれ。唯人に見えけむぞねたきや。

枕草紙

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