枕草子 (Wikisource)/第五段
原文
編集大進生昌が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、まだ陣のゐねば、入りなむと思ひて、頭つきわろき人も、いたうも繕はず、寄せて下るべきものと、思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門ちひさければ、さはりてえ入らねば、例の、筵道敷きて下るるに、いと憎く腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下なるも、陣に立ちそひて見るも、いとねたし。
御前に参りて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などか、さしもうちとけつる」と、笑はせ給ふ。「されど、それは、目馴れにてはべれば。よく仕立ててはべらむにしもこそ、驚く人もはべらめ。さても、かばかりの家に、車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」などいふ程にしも、「これ、参らせ給へ」とて、御硯など差し入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。など、その門はた、狭くは造りて住み給ひける」といへば、笑ひて、「家のほど身のほどにあはせてはべるなり」といらふ。「されど、門の限りを高う造る人などにはべらずは、うけたまはり知るべきにもはべらざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られはべる」といふ。「その御道も、かしこからざめり。筵道敷きたれど、皆おちいりさわぎつるは」といへば、「雨の降りはべりつれば、さもはべりつらむ。よし、よし。また仰せられかくることもぞはべる。まかり起ちなむ」とて、往ぬ。「何事ぞ。生昌がいみじう怖ぢつる」と、問はせ給ふ。「あらず。車の入りはべらざりつること言ひはべりつる」と申して、下りたり。
同じ局に住む若き人々などして、万づのことも知らず、ねぶたければ、皆寝ぬ。東の対、西の廂、北かけてあるに、北の障子に懸け金もなかりけるを、それも尋ねず、家主なれば、案内を知りて、開けてけり。あやしく嗄ればみ、さわぎたる声にて、「さぶらはむはいかに。さぶらはむはいかに」と、あまたたびいふ声にぞ、驚きて見れば、几帳の後に立てたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかり開けて、いふなりけり。いみじうをかし。さらに、かやうのすきずきしきわざゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかするなめり、と思ふも、いとをかし。かたはらなる人をおし起して、「かれ見たまへ。かかる見えぬ者のあめるは」といへば、頭もたげて見やりて、いみじう笑ふ。「あれは誰ぞ。顕証に」といへば、「あらず。家の主と、定め申すべきことのはべるなり」といへば、「門のことをこそ聞こえつれ、障子開け給へとやは聞こえつる」といへば、「なほ、そのことも申さむ。そこにさぶらはむはいかに。そこにさぶらはむはいかに」といへば、「いと見苦しきこと」「さらにえおはせじ」とて、笑ふめれば、「若き人おはしけり」とて、引き立てて、往ぬる後に、笑ふこといみじう、「開けむとならば、ただ入りねかし。消息をいはむに、よかなりとは、たれかいはむ」と、げにぞをかしき。
早朝、御前に参りて啓すれば、「さることも聞こえざりつるものを。昨夜のことにめでて行きたりけるなり。あはれ。かれをはしたなういひけむこそ、いとほしけれ」とて、笑はせ給ふ。
姫宮は、何の色にかつかうまつらすべき」と申すを、また笑ふもことわりなり。「姫宮の御前のものは、例の様にては憎げにさぶらはむ。ちうせい折敷に、ちうせい高杯などこそ、よくはべらめ」と申すを、「さてこそは、うはおそひ着たらむ童も、参りよからめ」といふを、「なほ、例の人のやうに、これなかくないひ笑ひそ。いと勤公なるものを」と、いとほしがらせ給ふもをかし。
中間なる折に、「大進、まづもの聞こえむ、とあり」といふを聞こしめして、「また、なでふこといひて、笑はれむとならむ」と仰せらるるも、またをかし。「行きて聞け」とのたまはすれば、わざと出でたれば、「一夜の門のこと、中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、いかで、さるべからむ折に、心のどかに対面して、申しうけたまはらむとなむ申されつる」とて、また異ごともなし。「一夜のことやいはむ」と、心ときめきしつれど、「いま、しづかに御局にさぶらはむ」とて往ぬれば、帰り参りたるに、「さて、何事ぞ」とのたまはすれば、申しつることを、「さなむ」と啓すれば、「わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから、端つ方・局などにゐたらむ時も、言へかし」とて、笑へば、「おのが心地に、賢しと思ふ人の褒めたる、うれしとや思ふと、告げ聞かするならむ」とのたまはする御けしきも、いとめでたし。