枕草子 (Wikisource)/第二十一段

清涼殿の丑寅のすみの、北のへだてなる御障子は、 荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、 手長、足長などをぞかきたる。 上の御局の戸押しあけたれば、常に目にみゆるを、 憎みなどして笑ふ。

勾欄(こうらん)のもとに青きかめの大きなるを据ゑて、 桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、 いと多くさしたれば、勾欄の外まで咲きこぼれたる、

昼つかた、大納言殿、桜の直衣すこしなよらかなるに、 濃き紫の固紋(かたもん)の指貫、白き御衣(みぞ)ども、 上には濃き綾のいとあざやかなるを出だして参りたまへるに、

上のこなたにおはしませば、 戸口の前なる細き板敷きにゐたまひて、物など申したまふ。

御簾の内に、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎたれて、 ふぢ、やまぶきなどいろいろ好ましうて、 あまた小半蔀(こはじとみ)の御簾よりもおしいでたるほど、

昼の御座(ひのおまし)のかたには、御膳(おもの)参る足音高し。 警蹕(けいひち)など「おし。」と言ふ声きこゆるも、 うらうらとのどかなる日のけしきなど、いみじうをかしきに、 果ての御盤取りたる蔵人参りて、御膳奏すれば、 中の戸より渡らせたまふ。御供に廂より、

大納言殿、御送りに参りたまひて、 ありつる花のもとに帰りゐたまへり。