代序 編集

詩神と詩人 編集

血潮に染めし至誠のいとに、
神と人とを誰かつながん。
淚の玉の琴柱をすて、
天地の琴を誰か奏でん。

月、水に入り、水、月に入る、
いづれ月かも、いづれ水かも。

小序 編集

水の音は脊戸を洗うて、
  門田にも虫歌はむとす、
    いざや、
詩を賣つて、
   酒買ひにゆく
      月夜かな、

樂天遊詩集 編集

三木天遊

月の國 編集

SPEAK TO HIM THOU FOR HE HEARS, AND
   SPIRIT WITH SPIRIT CAN MEET.
                        ――TENNYSON.

世の人は皆みなしごよ、神といふ
      得も見ぬ親にいつか逢はなむ。

野末にし月ひそむらし、
夕霧に星ねむるらし、
消え殘る小川ほのかに、
鶉啼く秋篠の里。

小板橋苔に埋れて、
水細く紅葉にむせぶ。
いで其處そこに寂みし誰が子ぞ、
もみぢ葉を月にかざせる。

宿問へばかすかに笑みて、
指ざすは夕霧の森。
名を問へば紅葉を棄てゝ、
怪しくも孤兒と呼ぶ。

家あれど父母は無し、
里の子はみなし兒といふ。
三年みとせまへ月の御國に
父も母も行かせ玉ひぬ。

此川に月はうかべど、
父母は呼ぶも答へず。
呼び呼べば遠き野末に
誰やらも父母を呼ぶ。

誰れぞやと問へばまた問ひ、
いづくぞと呼べばまた呼ぶ、
其聲は母に似たるも、
追ひゆけば月もにげゆく。

此もみぢ月に抛ぐれど、
父も母も取らせ玉はず。
けふも亦霧のまがひに、
父も母も、わが眞似をのみ。

あゝ稚兒よ、あゝ孤兒よ、
父母は呼ぶも仇ぞや、
ゆく月は追ふも仇ぞや、
眞似するは天狗なるらむ。

待て暫し、たゞ待てしばし、
年たけて人となりなば、
月遠く、呼べば答へむ、
父母のよしや見えずも。

誰が碪 編集

鹿の聲遠く響きて、
     をやみしは誰が碪。
凩の松にさけびて、
     しでうつは誰が碪。

虫のねも絶えうつは
     折節に月や見るらむ。
たちまちに響絶えしは
     物思ふ袖やしぼれる。

名にしおふ寢覺の里に
     ふる里の夢はたえ
わが去年こぞの旅の衣を
     うつは誰が、誰が碪。

河舟 編集

帆影飛ぶ昨日の淵に、
     月早し、下り舟。
浪さわぐ今日の早瀨に、
     風白し、上り舟。

漕ぐ人も浪な恨みそ、
     かへるさは水のまゝ。
棹すてゝ風な賴みそ、
     みをのぼる明日の身の。

あゝ流轉、浮世の浪に、
     定めなや、夕あらし。
かつて見し白帆も裂けて、
     葦のまの捨小舟。

松の聲水に沈みて
     夕けぶり、棹の音。
月白く遠山うかぶ
     青柳の里遠く。

武士の子 編集

青葉の露の亂れふる
木の下闇の夕まぐれ、
螢をさそふそよ風に
森の下みちほの見えて、
茅の軒端の蚊遣火を
照らすも暫し入日影。

朝な夕なに逢ひ馴れて、
けふもや如何に女のわらは、
闇を窺ふわが袖に
縋るは誰ぞや微笑みて、
百合花ゆりより白きかほばせに
淚の痕のいつくしき。

諸手にひしときあげて、
『見よや樹下に闇くらく、
入日は西にかくろひて、
銀杏の古木ものすごし。
此おそろしき草原に
何とて獨り立ちつくす。

『歸らぬ父を待ちわびて、
道ゆく人をながめつゝ
ひねもす今日も泣きけるか。
さびしき宿の常なれば
訪ひこし我の嬉しくや、
うら珍らしの其笑顏ゑがほ

彼方かなたに白き夕けぶり、
御身待つらむ母上の
淚にたける蚊遣火か。
よし父上はかへらずも
やさし母上あるものを、
いざさせ玉へ諸共に。』

艸に埋れし細路の
露蹈みわけて行くも、
紅葉の如き手をあげて
あらよと叫ぶ女の童、
指ざす空に松青く、
ほのめき出る夕づくよ。

『今宵ぞ父は歸らまし、
斯く迄あかき月なれば。
父のいくさの門出とて
酒くみかはし玉ひしは、
月影清き夜なりけり、
螢飛びかふ夜なりけり。

『月の隱るゝ西の國、
千里ちさとへだてし唐土もろこし
父はゑみしを打つべきぞ。
和女そなたの仰ぐ月影は
父が劍の月影と
きゝしばかりぞ名殘なる。

『彼處の城に夕な
あまたの兵士は歸れども、
隣の伯父おぢも太刀佩きて
お馬に乘りて歸れども、
日每々々に待つわれと
知らでや父の影もなし。

『父や如何にと尋れば
母は淚にむせぶのみ、
隣の伯父はいらへなく
我を見詰めてうなだれつ。
やがて目元をおしぬぐひ
哀れの子やとのたまひぬ。

『雲井を走る夕月は
何嬉しげに笑ふらむ。
今宵ぞ父の歸らむと、
我に告げむと思ひてか。
父いますてふもろこしへ
逢ひに行かむと思ひてか。

『遠き遠き唐土へ
月や幾夜を通ふらむ、
ゆかしゆかしき父上に
月や幾夜を逢ひぬらむ。
待つに甲斐なき木下蔭、
つれなく我をふりすてゝ。』

『あないぢらしのわが童、
さかしきにこそ哀れなれ。
さらでも昔し忍ばれて
淚ひまなき昨日今日、
友の紀念の撫子に
ぬれこそまされ袖の雨。

『あないぢらしのわが童、
さちなき身にし生れしよ。
泣くなよ聞けよ武士の子ぞ、
御身が父は國のため
戰死うちじにせしよ、もろこしの
かばねに草や茂るらん。』

流石女の子は泣かざりき、
しをれて家にかへれども、
何思ひけむわが袖に
縋りて聲をふるはせつ。
『さらば戀しき父上は
遂にかへらせ玉はぬか』

我にもあらでふりそゝぐ
淚に聲も出でばこそ、
答へむ言も忘れ果て
籬に暫し佇めば、
母よと呌ぶ小窓より
淚の笑顏やせたりな。
 * * *
  * * *
枯葉の露にそぼぬれて
女の子は今もたゝずめり、
尚なき父を待ち顏に
ひねもす道をながめつゝ、
やゝ青ざめしかほばせに
今も淚の痕みえて。

怜悧さかしき子ぞと聞えしを、
無殘や愚となりけるか。
事とふ人にいらへせず、
物教ふれどさとり得ず、
死人を待つ子と人々は
見返りもせで笑へども、

我のみ袖をしぼりつゝ
我のみ胸の裂くるかな、
まだ頑是なき稚兒なれば
だましすかしてありなんを、
愚やどか有りやうを
愚や何どか告げにけむ。

疎雨 編集

窓をうつ 雨まばらに、
     風近し 松のこゑ。
愁眠の 夢のあとに、
     怪し何の 淚ぞも。

雨やみて 露落ちず、
     風遠し 虫のこゑ。
世をおもふ 目を閉ぢて、
     夢ならぬ 夢淡し。

雨來り 雨去りて、
     風近く 風遠く、
我もなし 人もなし、
     ねつさめつ 夢うつゝ。

村時雨 編集

入日さす紅葉の山に、
     霧うすし、村時雨。
白帆影ゆらぐ川面に
     霧ふかし、村時雨。

ふる雨も風に追はれ、
     ふく風も雨にひそみ、
ほのかなる紅葉の山は
     風に見えつ雨に隱れつ。

夕ぎりも風に亂れ、
     川波も雨にさわぎ、
かすかなる白帆の影は
     霧に隱れつ波に浮びつ。

村しぐれいつしか霽れて、
     夕あらしいつしかやみて、
山遠く舟は遙に、
     世は靜、薄月の

世を渡る身は浮舟の
     霧に迷ひつ波にさわぎつ、
さしてゆく紅葉の山は
     風に浮びつ雨に隱れつ。

わたり鳥 編集

こがらしに聲は亂るも、
     おくれ渡る雁のひとつら。
網代守夢は殘るも、
     月落る松かぜの里。

行く秋を空に忘れて、
     今更に行衞や急ぐ。
朝霜に篝火消えて、
     あかつきの夢や驚く。

世を渡る人の習ひか、
     渡り鳥おくれて急ぐ、
假の世の假寢の夢も
     網代守嵐にむせぶ。

行く水の行く月の影、
     心なく流れ流れむ、
月追て雁は急ぐも、
     浪の音に夢は亂るも。

流水の曲 編集

月わたる小松の蔭に
     川長し月の舟。
心すむ流水の曲、
     いざ洗へ天の雲。

月慕ふ影みだるゝや
     風咽ぶ小松原。
月の舟またも圓しや
     やれ笠も浪の上。

こと問はむ神と人と、
     天遠く水長し、
おのづから月を慕ひて、
     わだつみに行くか舟。

迅雷の曲 編集

嘯けば雲の山彦、
山衝けば天地震ふ、
     魔風萬里奈落の底。
消え殘る北斗を呑で、
雨濺ぐ浮世の闇に、
     狂ふ黑雲鬼氣慘憺。
千丈の荒浪馳せて、
稻妻の逆卷くなだに、
     耳を劈く迅雷の聲。
咄浮世修羅の𮎨か、
相ほふりて、血汐に咽ぶ、
     風雨一來唯見る髑髏。
萬斛の淚の雨に、
洗はばや嗚呼此天地、
     迅雷止まむ時吹くや朝風。
沖遠く助け呼ぶ船、
家碎けて泣き呌ぶ人、
     かばね積む鬼車墳墓に走る。

故鄕の月 編集

清瀨川森より出でゝ、
牛眠る牧塲を流れ、
山蔭の渦卷く淵に、
松深き小島を抱く。

白鷺は葦間に眠り、
丸木橋半は朽ちぬ、
浮島の青葉隱れに
やれ庵は今も殘りぬ。

世を暫し旅に遁れて、
やれ笠に身をもゆだねつ。
思ひ出の淚はらへば、
行く水や昔をかたる。

雲雀鳴く麥生の畑は、
わが宿の成る果かそも。
さばれ今日けふ眺めつくさん
夢に見し故鄕ふるさとの月。

老僧の讀經の聲に、
水と我と竊に笑みて、
月と我と抑も幾度か、
幾度か橋をわたりし。

よるべなき憂き身の果を
世の外の道に求めて、
夜すがらの眞如の月に
坐禪せし庵りもこゝか。

橋朽ちぬ、いかに渡らむ、
誰を呼ぶ鳥のこゑ
尋ねこし塚はいづくぞ、
たゞ茂る夏艸の露。

永き日の釣魚つりにつかれて
牛と我と草に眠りぬ。
月と我とそも幾度か、
幾度か渡しを待ちし。

渡守いたくも老いぬ、
棹の唄は昔ながらよ。
嬉しさに其名を呼べば、
怪しげに我をながむる。

此里の花とよばれし
が娘如何にと問へば、
渡守小膝を打ちて、
高笑ひ、われを抱きて。

年とれば目の甲斐なさよ、
さばれ心はなどか忘れむ、
あはれ君、わが爲に泣け、
娘こそ露と消えけれ。

清瀨川月のゆふぐれ、
我と乙女と野路を辿りて、
月と我と、そも幾度か、
幾度か別れまどひし。

聞けや君、病める娘は
君が名をひねもす呼びぬ、
いらへなき君を呼びつゝ
其儘に果敢なくなりぬ。

思はずも君に逢ひ見て、
かつ嬉し、かつ悲し。
あはれ君、わが爲に泣け、
我は世に獨り老いゆく。

渡守むかしの笑顏
今いづこ影も痩せたり。
さばれ見よ淚に笑みぬ、
老の身の笑ひに泣きぬ。

里の花、村のひじりの、
夢のあと、いづこに訪はん、
牛哮て夕べ靜かに
月暫し夢よりうすし。

呼ぶ人の聲に驚き
渡守今わかれ行く、
顧てかすかにわらひ、
棹の歌きけやと謠ふ。

わが戀も、わが故鄕も、
すて果てゝ何をか得たる、
月の旅、三とせの夢も
我を思ふ淚といづれ。

古草鞋花に埋めん、
破れ笠月にかへさん、
杖ついてふりさけ見れば
照る月も淚に曇る。

一聲ひとこゑは小島に落ちて、
ほとゝぎす高嶺たかねをゆくか、
渡守初音に笑みて
いたづらに我や待つらん。

森の庵、ほたるに見えて、
川上に、いざや急がん。
夜すがらの夢にも通へ
うき島の松風の聲。

小宰相 編集

(小宰相が身ごもりの儘良人の死を聞て入水せし事平語等に詳なり)

    (第一節)

修羅のちまたの一の谷、
     今は浪間に隱れけり、
猛火に燃ゆる浮雲は、
     磯邊の松に殘れども。

血汐に呌ぶ矢さけびも
     沖吹く風に聞きすてゝ、
ふなべりたゝくしかばねも
     きしる艪聲にふりすてゝ。

舟よ走れよ、たゞ舟よ、
     いざ沖遠く沖遠く、
逆卷く浪の潮路こそ
     寄邊なき身の寄邊なれ。

   (第二節)

待つ甲斐もなき亡き人の
     なほ世にいます事もやと、
惜まぬ命惜みつゝ
     五日を夢の舟の上。

何淺猿しのそら賴み、
     迷ひにけりな迷ふ身を
さそふまにうき草の
     流れ行衞や矢島潟。

夢驚きてまぼろしの
     嵐に消ゆる影もなし、
夢驚きて亂れ飛ぶ
     千鳥に曇る夕月夜。

   (第三節)

淚ひまなき袂ぞと
     知らで飛沫しぶきの散るやらむ、
つまに後れし吾身ぞと
     知らで友呼ぶ鳥やらむ。

心ありげに玉だれの
     うちを窺ふ月の影、
とみしや夢やらむ、
     靈魂みたまぞ月と照るやらむ。

   (第四節)

乳母めのとの言葉の哀れさに
     思ひとまりし身なりしを、
ゆかしき君のまぼろしの
     まねくとみゆるなだの果。

みつむるまゝに幻の
     それともわかぬ汐曇り、
たゝずむまゝに怪しくも
     かすかに囁く聲すなり。

聞かむとすればおのづから
     いづくともなき風ぞふく、
君はみまかり玉ひしよ、
     げにこそみまかり玉ひしよ。

   (第五節)

夢に見しこそ夢ならめ
     うつゝに見しぞ現なる、
待たせ玉ふかわがつまよ、
     招かせ玉ふかわが夫よ。

夢の淚に袖ぬれて、
     乳母めのとよ我を思ふらん、
怪しく名殘惜まるゝ、
     ゆるせ、いましにそむくぞよ。

心ぐるしの朧夜や、
     やがて胸さへ曇るなり、
君と別れし夜半の月
     淚のまゝにはれやらで。

わが身に殘る紀念草、
     の子なれやとのたまひし
その言の葉は忘れねど、
     その言の葉は忘れねど。

   (第六節)

何を賴みに撫子の
     花や咲くべき、はゝそばの
母のみ物をおもふ身の
     こがれ死ぬべき外もなく。

戀しき君と諸共に
     死出の山路を辿らまし、
戀しき君のまさぬ世に
     何ながらへん露の身ぞ。

契りしことを忘れずば
     待たせ玉へやいざしばし、
眞如の月の影なれば
     淨土の道にしるべせよ。

嵐にさゆる小夜のそら、
     霞はれゆく浪の上、
傾く月のいるさ山、
     辿るか君の唯ひとり。

   (第七節)

今迄見えしおもかげの
     あないぶかしや影もなし。
今迄きゝし其聲の
     あないぶかしやあともなし。

洋の果ぞと思ひしに、
     雲の上ぞと思ひしに、
いづく行きけんわが夫よ
     悲しや我を捨てんとや。

友呼び迷ふ小夜千鳥、
     須磨の浦わに薄れゆく、
浪にみだるゝ舵の音、
     繪島の冲に消てゆく。

    *    *    *

大なだにおどりたばしる
        月の影、
   誰をさそひて
        雲に入るらん。

垂冰集(小品集) 編集

いとへかし 編集

花の姿のめでたきは
     ありし昔にかはらねど、
うき世の風にさそはれて
     心の花はとく散りぬ。

きよき昔の君にこそ
     わが命をもさゝげたれ、
けがれし今の君ならば
     せめては我をいとへかし。

たへて久しき逢瀨とて
     君はも袖をしぼるらん、
戀しき君を捨つるとて
     我こそ胸の裂くるぞや。

つれなき 編集

さかしき君のいかなれば
     かく迄物に迷ふらん、
よすがら通ふ夜嵐に
     あやなや闇の花ぞちる。

あだしゑにしの糸櫻
     むすぶうきのつらければ、
つれなきもこそ君の爲、
     うらまるゝだに怨めしき。

心憎さ 編集

   (その一)

浮世をへだてのませ垣の
     松の根もとをくゞりきて、
雪より白き猫の
     折節我れに通ふなり。

ものうきまゝの手枕に
     むつるゝさまの愛らしく、
あはれ蘭麝のうつり香の
     忍ぶにあまるゆかしさよ。

   (その二)

浮世のちりを吹きはらふ
     軒の松風小夜ふけて、
そことも知らぬ琴のねの
     心憎くもかよふなり。

あら賴みなの我なりな、
     見ぬおもかげを夢に見て、
さりとも知らぬ朝ぼらけ、
     なほ捨てがたの世なりけり。

故里なる母へ 編集

おろかと笑ひ玉ふらん、
御身病にうせにしと
まさなき夢を見てしより、
にはかに旅をあきはてぬ

女心 編集

女ごゝろはうぐひすの、
 黃金こがねの籠にとらはれて
  なさけの餌にぞ謠ふなる、
   聲おもしろのあけぼのや。

こがねの籠のれし時、
 なさけには目もくれず、
  梅をこがれて飛びたちぬ、
   霞がくれのあら憎し。

いつしか梅もわすられて
     はやうつりくる糸櫻
人くといとふ鶯に
     投げやる餌こそ詮なけれ。

寢覺の月 編集

   (上)

夏の夜の短きゆめも、
 いつとなき老の寢覺に、
  手枕の淚を撫でゝ、
有明と暫しあやしむ、
 夕顏の窓のうす月、
  見るまゝに青葉にかくる。

蚊遣草、火にたき添へて、
 れ團扇、しばしの風も、
  おさな子の夢路に通へ。
白百合の色なす頬の
 玉の汗ひそかに拭けば、
  しほらしや寢顏は笑みぬ。

妻も子も我にゆだねて、
 わが聟は、娘のつまは、
  國の爲に命を捨てぬ。
病みやつれて骨もやせがれ、
 あな娘、花のすがたの
  いつのまにかくもなりし

ひねもすの思ひになやみ
 夜すがらの夢にも泣くか、
いじらしや寢みだれ髮の
 いぶせげに濡れにぞぬるゝ。
いとせめて憂き身の程を
 寢忘るゝ嬉し夢もが。

松かれしあとの白藤、
 心なの浮世の浪に
  朽ちはつる末も果敢なや。
あはれ身は世の翁草、
 捨てられし墓のほとりを
  朝影の露のいのちと‥‥。

あはれ身は定めなき世の
 行く水にうつれる影か、
ありし代の樂しき夢も
 寐ざめては思ひの種よ、
亡き人に逢ひみし夢も
 わが笑ふ聲に寢ざめぬ。

あはれ身は定めなき世の
 行く水にうつれる影か、
いつしかと消えゆくまゝに
 やすらかに墓にねむらん、
たゞ哀れ病める娘と
 わが孫を如何にすべきぞ。

   (下)

やせ腕に鍬打ちふれど、
 梓弓まがれる腰の
  骨々も碎くるおもひ、
はたやけて踏み足こがれ、
 血の汗に眼くるめき、
  よろめきつ伏しつ倒れつ。

老の身の命わすれて
 かせげども哀れ甲斐なく、
朝夕の烟のしろを
 けふは如何に明日は如何にと、
病める身のなやみ忘れて
 あせれども哀れ甲斐なし。

飢になく孫をすかして、
 かの岡に蜻蛉を釣れよ、
  そのひまにめしたかんにと、
あざむけば、やがて飛びたち、
 嬉しげに馳せ行くあとに、
  腸を斷つも幾たび。

いたつきの藥にかへて、
 貯への米もつくしぬ。
瓜や茄子や市塲にひさぐ
 賣りあげを命の綱と、
夕な門邊にたちて
 孫も子も我れまちわぶる。

老い朽ちて痩せ衰へて、
 悲しくも明日さへ知らぬ
  老の身を何たのむらん。
あはれなる孫子思へば、
 口惜くやしくも寄る年浪の
  今更に怨めしきかな。

夕顏の露ふくかぜに
 有明の月かたむきぬ。
一聲を門の小川に
 鳴きすてゝ行く杜鵑、
いまはしや誰が爲にとて、
 死出の山路の
    道しるべする。

俯仰泣吟 編集

 (第一節)

ちりばかりなる浮雲の
ゆきかふほども厭ひしに、
賴む甲斐なきうき世かな、
あゝ十六夜の小夜しぐれ。

幾夜ねざめの手まくらに
ながめも倦かぬ月姫よ、
幾代の秋をいかなれば
かゝる浮世に住みはつる。

しばしばかりの春雨の
そぼふる程も厭ひしに、
あはれつれなき浮世かな、
花ちる里の夕あらし。

幾夜ねざめのさくら狩、
別れもあかぬ佐保姫よ、
幾代の春をいかなれば
かゝる浮世に住みはつる。

 (第二節)

淚にむせべる旅人も
月見るほどは微笑みぬ。
飢にさけべるみどり子も
花見る程はほゝ笑みぬ。

嗚呼あぢきなき世の中に
せめては闇の無くもがな、
さば姥捨にすてられて
飢ゆるも月に微笑まん。

げにまゝならぬ世の中に
責て常代とこよの花もがな、
淚の袖も花ごろも、
よし蓬莱の千代の春。

あゝ如何にせん月姫よ、
賴む甲斐なき世なりけり。
あゝ如何にせん佐保姫よ、
あはれつれなき世なりけり。

 (第三節)

天津乙女の羽ごろもの
我にもがもな、いざさらば
賴む甲斐なき世を捨てゝ
月と眠らん雲の上。

莊子の夢をうつゝにて
我にも蝶の羽根もがな、
あはれつれなき世をすてゝ
露と眠らん花の上。

天津乙女の羽ごろもを
ぬすむも蜑は蜑にして、
莊子の夢もいざしばし
さむれば蝶の影もなし。

あゝ如何にせん月姫よ、
捨つるすべなき世なりけり。
あゝ如何にせん佐保姫よ、
捨るかたなき世なりけり。

 (第四節)

ヱデンの園のいにしへに
かへさん由もなきものを、
など賴まれぬ世を賴み、
など捨てられぬ世を捨てん。

時雨をわぶる袖笠も
かざすや軈て雨後の月、
あらしをうらむ三芳野に
またずや明日のほとゝぎす。

落葉々々を數ふれば
奈落の風のすさまじや、
櫻さくらにあこがれて
朧月夜のかぐはしや。

世は闇のみの浮世かは、
月まつ虫ぞ哀れなる。
世は花のみの浮世かは、
身をあきつ虫ぞ愚なる。

 (第五節)

笑みをつゝみし袂こそ
やがて淚をしぼるなれ、
ゑみと淚の水車、
浮世の浪にめぐるらん。

淚の淵にしづみては
すゞろに神ぞ賴まるゝ、
雲井はるけき空よりや
淚に神のかよふらん。

笑ひ倒れしつかのまは
身も世も人もなかりけり、
高天が原の上よりや
笑ふに神の通ふらん。

笑ひの果は淚にて
淚ぞ人の誠なる、
神ながらなる誠こそ
かしこき雲のきざはしか。

 (第六節)

泣きて赤子と生れしを、
浮世は泣くべき浮世なり。
笑うて稚子は生ひたちぬ、
笑うて神の膝に行け。

たゞ人の身は旅の世に
薔薇の道や辿るらん、
花のながめにほゝ笑めど
殘るは淚、のりの痕。

神を追ひゆく旅の身に、
いで雨もふれ、風もふけ、
むかしの人の蹤とめて
泣きつ笑ひつ唯走れ。

花ちる里のうす月の
消ゆると見しは夢にして、
かくもあるべき世の中か、
けふ十六夜の小夜時雨。

秋の蝶 編集

蹈みしだかれし白菊の
     花にすがれる秋の蝶、
心も消ゆる哀れさを
     あかずもふるか夕時雨。

蝶の殼 編集

折りたく柴の一枝に
     ねむりしまゝの蝶の殼、
見るも悲しき夢の痕、
     うき身の末や如何ならむ。

山花不遇 編集

知る人も無き奧山の
     深山の宿の梅の花、
何思ひ出に咲きいでて
     何おもひでに散りゆくぞ、
あはれ風雨ふううをうらむなよ、
     恨まば我れをうらめよや。

かくもあるべき憂き身ぞと、
     我れが爲には我泣かず、
共に浮世に捨てられし
     花に幾夜の淚かな。

網の藻屑 編集

(さすがにすてぬばかりのもの)

    ○不運のはて
哀れ、不運のはては是れぞかし、
  村さめや、地藏に縋る
          秋の蝶。
    ○風狂
桃青の月の客なき今の世に、
  十六夜や、すゞろに落す
          頭陀袋。
    ○虛飾を叱す
此月に、引き裂け何の須磨簾。
    ○蝉の聲
蝉の聲に荷馬の眠りけり、夏木立。
    ○對月感三首
心なき月の心を心にて、
     世はゆく水と流れ渡らん。
濁り江にすみて濁らぬ月影の、
     などうき雲に隱れ果てつる。
我にだに及ばぬ月の心かな、
     うき世を捨てゝ山に入るとは。
    ○某墮落詩人に與ふ
何事ぞ、ひきてかへらぬ弓張の
     月もや消えし、なかぞらにして。
    ○故鄕をおもひて二吟を月に訴ふ
故鄕の人も今しや月見ると、
     甲斐なき空に其名をぞ呼ぶ。
われ夢に、月に飛び乘り、故鄕の
     野もせ山もせ天驅あまがけりけり。
    ○愁ありける頃よめる
迷ひ入りし淺茅が原の雨にぬれて、
     詮なく虫のねをきく。
三日月は浮世の外に消えゆきぬ、
     虫のみなける露の夕暮。
    ○按摩笛
雪の夜は袖の淚も氷れるを、
     あれあれは按摩の笛か。
    ○微笑有情
呼ぶ人を何の御用と見返れば、
     たゞほゝとのみ鶯の聲。
    ○蠖屈の意を
草鞋買うて峠見あぐる雨宿り。
    ○戀情時に道念を妨ぐ
おのれ蝶め、坐禪の膝の亂れけり。
蝶がるは、袖はらへども、はらへども。
    ○梅花薰麓
松尾も薰る麓となりにけり、
     深山がくりの梅や咲くらん。
    ○閑居
里の子の礫のまととなりしよな、
     晝もざせる蓬生の窓。
淋しきか、獨りは憂きかと問ひ顏に、
     窓さしのぞく空の月。
口笛に小犬を呼びて見つるかな、
     こがくれの庵を訪ふ人もなみ。
    ○捨つる神あれば拾ふ神ありといふ事を甚く感じたる折
行き暮れし旅路も今は安き哉、
     見ぬ村里のかねのこゑ
    ○秋曉
しら鳩の亂れ立ちたつ霧の奧の
     野寺の塔に有明の月。
    ○夏の川邊
すゞしさに杉の下道ゆきゆけば、
     うなゐの聲に川浪の音。

廉恥 編集

   (上)
     その一

夢の世の夢を惜むも
     きあとの子故の迷ひ、
露の身を露と怨むも
     みなし子を思ふの餘り。

あき果てし浮世ながらに、
     すてはてしうき身ながらに、
尚惜しき、今更惜しき
     いのちとは、何たる因果。

いかで我れ、あだには死なじ、
     否死ぬも、死ぬに死なれじ、
枯れ朽ちし落葉のあめに
     誰れしかも風を怨まん、
さはれ我れ、あだには死なじ、
     否死ぬも、死ぬに死なれじ、
黑髮をかき撫でし子の
     葉がくれに枯れや果てなん。

坊よ坊よ坊はいづくぞ、
     なれ故に惜しくも惜しき
     わが命いま絶えんとす。
坊よ坊よ坊はいづくぞ、
     水ほしや、水たまひてよ、
     水ほしや、水たまひてよ、
あなくるし、坊はいづくぞ、
     わが胸は燒け盡きんとす。

軒端もる雨にふるへて
     さむしろを引きかゝぶれば、
骨も身も氷りはてつゝ
     つく息は炎の如し。

さばれ子はいづくに行きし、
     呼び呼べど遂に答へず。

虫のねも時雨にほそる
     夕ぐれの埴生の宿に、
咽び泣く聲もかれ
     蓬生のかぜに消えゆく。

さばれ子はいづくに行きし、
     影も無く物音もなし。

     その二

燈火の消えんとするや
     風なきに光を增しぬ、
玉の緖の絶えんとするや
     夢心、虛空に走る。
我れ死なば、我れ今死なば
     いぢらしや黑白あやめも知らぬ、
     おさな子は如何にかすらむ。
我れあるも、ある甲斐もなき
     いたつきの身にしはあれど、
しかすがに袖乞ひの身の
     うき恥を世にもさらさで
     けふ迄を飢にくらしぬ。

なき夫よ、あゝ亡き夫よ、
     いで昔し武士とさかえし
     氏素姓たゞしき末も、
明日よりは糞土を舐る
     淺間しの袖乞の身か。
神佛、いづくにおはす、
     今死ぬる身の口惜くやしさを
     あはれともおぼしめさずや。

堪へ兼て再び呼びぬ、
     あはれ子はいづくに行きし。

坊よ坊よ坊はいづくぞ、
     わが命いま絶えんとす、
坊よ坊よ、いづくに行きし、
     いざはやく末期の水を。

呼び呼べど遂に答へず、
     あはれ子はいづくに行きし。

やはか我れあだには死なじ、
     否死なじ否々死なじ、
神佛世にましまさば、
     否死なじ否々死なじ。

夕時雨わづかにやみて
     其聲も今は絶えたり、
ひとしきり木枯らしたちて
     あとは野に虫のねもなし。
   (下)
     その一

痩せがれて糸よりほそき
     手も足もふるひわなゝき、
ふる雨も寒風のさと
     とぼと行く子ありけり。

ぬれぬれしおどろの髮は
     みがくれのみるめの如く、
いぢらしや飢につかれて
     竹杖を力にあゆむ。

怪みて犬も吠えけり、
     人々も恐れて逃げぬ、
里いくつ斯くてすぎけん、
     川いくつあだに越えけん。
おぼろなるひとみを据ゑて
     すかしみる樹立の蔭を
晴れま待つ暫しの宿と
     立ちよれば籬なりけり。

打見ればいらか竝べし
     高殿のともしびあかく、
忍ばしき妻琴のねの
     わびしげに僅に聞え、
聲ほそくあはれをこめて
     ありしよの小町を謠ふ、
あゝ昔し、母首かなでし
     その曲は『雲の上』とや。

おのづから心耳を洗ふ
     爪音に淚あふれて、
まぼろしの昔思へば
     腸もちぎるゝばかり、
松の風、身にはいとはず、
     ふる雨も音にぞ恨む、
聽き澄まし、唯きゝすまし
     夢心、雲井にまよふ。

飢ゑ果てゝ飢をさとらず
     わびはてゝ悲みもなし、
眠れりや、はた覺めたりや、
     夢なりや、現にありや、
あゝ我は、そも我なりや、
     あゝ此處は、うつし世なりや、
其人は、そも人なりや、
     其家は、はた家なりや。

琴のねは迦陵頻伽か、
     おもかげは天津乙女か、
いでこゝは無何有のさと
     踏む土は淨土の花か、
此雨も甘露の雨か、
     此蔭も沙羅樹の蔭か、
夢にして閻浮を離れ、
     うつゝなり仙鄕の夢、

     その二

曲やみて我に返れば
     萬象も消ゆると見えし、
驚きてたゝんとすれば
     飢ゑし身の足も動かず、
よろめきて怪しみ見れば
     高殿の人影ゆらぎ、
さめ來る現のゆめに
     やゝしばし無心の淚。

おゝそれよ、おゝ母上よ、
     今頃は如何におはさん、
おゝ淨土、いかに樂しき
     誠なり、死たき身なり。

おゝ我は何を思ひて
     うかとこゝには來しぞ、
愚かしや何を賴みに
     家遠くこゝには來しぞ。

神佛、ゆるさせ玉へ、
     あゝ我は我を忘れて
     母上を思ひ忘れぬ、
母上よ、ゆるさせ玉へ、
     いたつきの御身を捨てゝ
     あゝ我はこゝにさまよふ。
おん口にあふべきものを
     今宵こそ人に乞はめと、
いとせめて、藥はなくも
     御いのちつなぐものをと、
あゝ我は乞食たらんと、
     家遠くいでこしものを。

何事ぞ、夢のこゝちに
     辿りけん雨の村里、
身ひとつの淨土の夢に
     何すれぞ母を忘れし。

高殿の彼のおもかげよ、
     情ある人にもあるか、
呼ぶべきか、いざ試みに
     乞ふべきか、わが母のかて。

今ぞ今、神に問はゞや、
     そも人に情のありや、
     神ならで惠みもありや、
呼ぶべきか、今試みに
     乞ふべきか、わが母のかて。

さりながら、あな慙かしや、
     遂に我れ、袖乞ひの身か
さりながら、袖乞ひせずば
     わが母のいのちを如何に、
さりながら、あな口惜しや、
     武士の子が袖乞の果、

はづかしと淚にむせび、
     口惜しと腸を斷つ。
否これもげに親の爲め、
     親の爲め、何をか慙ぢん。

おゝそれよ、是れ親の爲め、
     親の爲め、何をか慙ぢん。
いざ呼ばん、その人の影、
     いざ乞はん、わが母のかて。

いざやとて籬によれば、
     人影は今はしもなく、
燈の光りはうすれ、
     落葉吹く風のみ凄し。

おさな子は尚ためらへり、
     今更に思ひ惑へり、
待て暫し、そも袖乞は
     犬にだも劣れる身ぞと、
世の人もしかく罵り
     母上も斯くこそ云へれ、
その犬に、今その犬に、
     我はそも、成らんを望む、
あゝ犬か、あゝ犬なるか、
     我はそも、犬を望むか。

人の子よ、犬となりても、
     母上を養ふべきか、
人の身よ、犬となりても、
     あだし世にながらふべきか、

あはれ今、恥をおもはば
     わが母は明日にも死なん、
あはれ今、恥をすてなば
     人の身は犬に劣らん。
人にして飢ゑて死なんか、
     犬にして世をぬすまんか。
今ぞ今、生死のわかれ、
     人畜のへだてもこゝよ。

おさな子は尚ためらへり、
     今更に思ひ惑へり。
ためらひつ、思ひ惑ひつ、
     いたづらに無念の淚。

木枯らしは胸を貫き、
     虫のねも骨にしみ入る、
無殘なり、枯れ木の如く
     おさな子は脆くも倒る。

    *  *  *  *  *

有明の月かたぶきて
     行く雲を見るも凉しき
朝戸出は秋こそよけれ、
     寢ざめこそ心安けれ。
散紅葉、足にかぞへて、
     鐘のねを指にかぞへて、
たをやめは昨宵ゆふべの夢を
     やり水の影に果敢なむ。

その人は榮華の夢を
     あたゝかき錦につゝみ、
飢に泣く人をも知らで
     心なく無常をうたひ、
世の果を皆小町ぞと
     かつ知らぬ珊瑚の枕、
世の富を浮かべる雲と
     得も知らぬ桂の薪、
たをやめは何をも知らじ、
     たゞ知るは戀路の哀れ。

知らであれ、たゞ知らであれ、
     知らざらん程の安さよ。
みどり子はつるぎの上に、
     やすと眠り伏さずや。

看よ渠はまがきの蔭に
     おさな子の死せるを知りぬ、
安かりし胸もつぶれて
     たちまちに色青ざめぬ。

廉恥はぢを知り、廉恥に戰ひ、
     あはれにも飢にうせたる
其かばね泥にまみれて、
     其ころもけがれて、
遂に尚恥を殘さず、
     遂になほ恥をとゞめず。

知らざるは知るより安し、
     知らざるより知るは尊し、
鳥うたひ花ほゝ笑むも、
     人の身はくるしきるのか、
            あはれ世の中。

天來詩集 編集

繁野天來

孤鶴 編集

砂白き    東海の濱、
鶴一羽    朝日に翔り、
大洋わだつみの    萬古の浪に、
影富士の   影はゆらぐも。

末の世の   秋風た〻ば、
飛ぶ鶴の   影もとゞめじ、
羽衣の    昔語りも、
まぼろしの  三保の松原。

が厭ふ   街の塵も、
朝日には   天の白雲、
いざしばし  翼をとゞめて、
富士のねの  雪にやすらへ。

富士のねの  雪は清きも、
ゆく鶴は   歸り來らず、
鳴捨つる   一聲遠く、
波青し    三保の松風。

飛ぶ鶴の   翼しあらば、
天人の    羽衣なくも、
われもまた  富士を抱きて、
雲遠く    月にのぼらむ。

つばさなき  身を悲みて、
力なき    砂を踏みつゝ、
大洋に    淚洗へば
富士の山   朝日に高し。

雨のまに風のまに 編集

雲迷ふ 脊戸せとの川瀨に、
  虹清し 夕日影、
雨白き 青葉の山に、
  風遠し ほとゝぎす。

人しらぬ 田中のいほは、
  芭蕉葉の 雨もさわがず、
露眠る 柴の戸あけて、
  吹く風も 入るがまに

吹く風は 雨を運びて、
  我菴に 來りつ去りつ、
降る雨の 絶間に、
  夕日影 寂しく照りつ。

友をおもふ 芭蕉の窓を、
  急しく 走り過ぎしは、
釣りしつる 村のわらべか、
  酒買ひて 歸へる小僧か。

よしさらば 青田をこえて
  山寺の 門をたゝかむ、
夕日さす 柴の戸あけて、
  我庵は 雨のまに
        風のまに

   ――――――
月の夜に村の若衆が頬被り
   ――――――

君が家 編集

松風に    雨晴れて、
山青く    水清し、
簑ほすは   誰が家ぞ、
螢飛ぶ    竹の村。

白鷺の    飛行くは、
葦の間の   いさゝ川、
わがしたふ  笛の音は、
あかき    君が家。

   ――――――
野梅一輪乞食の椀にかほりけり
   ――――――

大路の雨 編集

急がしき車の音も、
 いつしかに眠げになりて、
  夕日照る都大路に、
   花賣の聲も細りぬ。

玉だれを重げにあげて、
 氷賣招くは誰れぞ、
  風なきに浮立つ塵は、
   春の野の霞に似たり。

細路次の柱に倚りて、
 愛らしの我子と共に、
  我つまの歸りを待てば、
   世の中の暑さはしらず。

ねんねせよ、此の子はよい子、
 よい子には何をやらまし、
  水ぐるま袂に入れて、
   父樣とゝさまも歸り來まさむ。

いかばかり暑ければとて、
 なく子には何をもやらじ、
  父樣は車をひきて、
   熱き砂踏むとしらずや。

急がしく水うつ人の、
 手をとめて空を仰ぐは、
  うれしくも富士の高嶺たかねに、
   あま雲の起るなりけり。

ねんねせよ、此子はよい子、
 ねんねしておほきくならば、
  父樣の車をひきて、
   勇しく大路を走れ。

あれよ今、夕日は消えて、
 家々の軒のすだれに、
  そよ風の動くとみれば、
   はらと雨は降り來ぬ。

夕虹の雫にぬれて、
 松高き阪のほとりを、
  笑ましげにかへりきますは、
   誰が家の父樣ならむ。

父樣の歸へられしまで、
 おとなしく留守をしたれば、
  走りゆく花賣呼びて、
   いざ買はむ花のいろ
          撫子の花。

   ――――――
稻妻をおひゆく風の音すなり長柄の里の露のあけぼの
   ――――――

雪夜獨嘯 編集

木枯しの雲追ふ影も、
 遠山の蔭にかくれて、
  ふくろなく落葉の里は、
   夜すがらの雪にうもれぬ。

旅の身の寐覺の門を、
 かすかにも音なふ聞けば、
  風にあらず、落葉にあらず、
   これやこの山寺の鐘。

われひとり簑を拂うて、
 其音の在家を訪へば、
  かつてみし瀑も眠りて、
   なく猿の聲も聞えず。

鐘樓の足跡は消えて、
 はたと苔おつる窓、
  番僧がうたゝねの月に、
   人の世の千里ちさとの雪の
          夢未だ覺めず。

   ――――――
辻君を買うてやらばや冬の月
   ――――――

誰が家の子ぞ 編集

秋の田の 月は殘りて、
 村里に 烟たつみゆ、
  いざ問はむ、落穗を拾ふ
        誰が家の子ぞ。

かのみゆる野寺の森に、
 父母はおはすと聞きつ、
  夜なのうれしき夢を
        たのむばかりぞ。

我家もありとは聞けど、
 秋風にかげもなからむ、
  よしそれも、今は落穗を
        拾ふわが身ぞ。

名を問へば名はなしといふ、
 世にくしき子にしもあるか、
  稻村の霧にまぎれて、
        ゆくへしれずも。

たゞひとり淚をのみて
 今もなほ落穗拾ふか、
  思出の田の面寂しく
        月冴ゆるとき。

   ――――――
船よせむたつきもなみは浮島の月や小松にたちかゝれども
   ――――――

闇夜默座 編集

默念の 闇の夜に、
  雨もよし、風もよし、
風來れば 闇淺く、
  雨細し 窓の竹、
風去れば 闇深く、
  雨遠し 庭の花。

花が散る、君と手をひく渡月橋

わび人 編集

鴎遊ぶ磯邊の松に、
  古わらじかけしは誰れぞ、
 砂の上に殘る足跡、
   月清き波に洗はる。

そよと浦吹く風に、
  聲細く歌ふは誰れぞ、
 鳥わたる島の彼方に、
   わび人の船やこぐらむ。

たちまちに松に聲あり、
  野や山や黑雲を吐く、
 稻妻は海に突入り、
   捨小舟傾きはしる。

たちまちに風吹きやめば、
  夢のごとく空は晴れけり、
 打わたす波路の末に、
   さりげなく鴎ぞ眠る。

世を思ふ淚の袖は、
  月を洗ふ波にるぬれつ、
 わび人は船をも捨てゝ、
   雲に乘り月や踏むらむ。

   ――――――
寂しさに繩手をゆけば居酒屋の繩の暖簾に秋風ぞ吹く
   ――――――

古塚 編集

村里は雪にうもれて、
  犬の聲かすかに聞ゆ、
 星うすき大竹原に、
   あやしくも塚白く立つ。

程近き渡塲わたしこゆれば、
  渡守のわれに語らく、
 かの塚の主は誰れぞと、
   我村に知る人もなし。

しかすがにこぼたざれども、
  誰れありて花も手向けむ、
 旅僧が念佛の聲も、
   彼處にはかつて聞えず。

或夏の念佛講に、
  老人のつぶやく聞けば、
 そのむかし彼處の籔に、
   世を厭ふ人や住みけむ。

我ひとり疑ふらくは、
  旅人や彼處に眠る、
 故里の月を見捨てゝ、
   旅の世の旅に果てつる。

あはれかく語るも聞くも、
  後の世の誰が淚ぞや、
 かの塚をきけむ人も、
   露深き野寺に眠る。

また坴雪に吹雪ふゞきに、
  竹原は見えつ隱れつ、
 つれなくも流るゝ水に、
   雪重き袂をしぼる。

あはれこの浮世の旅に、
  別れては今日を限りぞ、
 いざ今宵語りあかさむ、
   我家は燈火あかく
       雪靜かなり。

   ――――――
辻君の聲かすかなり三日の月
   ――――――

樂しき聲 編集

  鎭守の森の後ろより、
  樂しき聲ぞ聞えける、
川瀨を走る帆の上に、
 一番星をみつけたり、
  明日貰ひたき褒美には、
   水にくる水ぐるま。

  田中の岡の此方より、
  うれしき聲ぞ聞えける、
山邊をかける鳥の上に、
 二番星をばみつけたり、
  明日貰ひたき褒美には、
   風にくる風ぐるま。

  蚊遣火かやりび細き小窓より、
  やさしき聲ぞ聞えける、
隣の籔の小蔭にて、
 三番星をひろひけり、
  明日貰ひたきほうびには、
   星樣かくす絹張子。

母と添寐の手枕や、
   昔にわれもかへれかし、
 天の河原もさ夜更けて、
    風澄みわたる村里に、
  輝きおつる流れ星、
     誰が懷にかくるらむ。

   ――――――
一渡しおくれたりけり夕時雨
   ――――――

霜夜の月 編集

    其一

月冴えわたる都路を、
 靜にめぐる笛の音は、
  町のはづれにとゞまりて、
   嵐と共に消えにけり。

軒を並ぶる家々いへは、
 寂しき霜に眠りつゝ、
  をり遠く聞ゆるは、
   夜泣する兒の聲やらむ。

こころつれなき我つまは、
 いつまで待つも歸らじを、
  今宵はいかでかくまでも、
   きぬ縫ふ針の亂るらむ。

母樣かゝさま糸を卷きましよと、
 優しくいひしおさな子も、
  父の土産みやげを待ちわびて、
   つぶやきつゝもいねにけり。

いとし妻子の待つらむを、
 また明日こそと笑ひつゝ、
  隣りのかどを出で行くは、
   いづこの人の夫ならむ。

    其二

我は田舍におひたちて、
 草にもれし身なれども、
  今のおもひに較ぶれば、
   いかに樂しき身なりけむ。

草の田舍とそしれども、
 我故里に歸りなば、
  よし父母はおはさずも、
   わがため泣きし人もあり。

都の人となりぬとて、
 我身のなりを羨めど、
  淚ひまなき袂をば、
   昔の友はしらざらむ。

花散る門の戸をあけて、
 光うれしき夕月を、
  迎へし春の初めより、
   我は都を厭ひけり。

さるを浮世の悲しさは、
 おもはぬ宿に迷ひ來て、
  霜夜の月を仰ぎつゝ、
   幾度親を恨みけむ。

    其三

これも浮世の常なれば、
 今は誰れをも恨まねど、
  人のこゝろの常なさは、
   げに浮雲に似たりけり。

此家に來つる初めには、
 たゞ故里の戀しさに、
  すげなきわれの振舞も、
   笑ひてすまし給ひしを、

今日此頃のつれなさは、
 父樣うちにゐてたべと、
  すがる子をさへ振捨てゝ、
   我家をよそにし給ふよ。

今宵こよひもわれはたゞひとり
 寂しき居間ゐまに立つゐつ、
  我子の顏をながめては、
   幾度袖をしぼりけむ。

あはれ常なき世の中に、
 常なき人をたのみつゝ、
  老いゆく妻は古塚の、
   朽葉の霜と消えむのみ。

    其四

かゝるうき世と知りもせで、
 昔のわれは果敢なくも、
  胡蝶の夢を慕ひつゝ、
   花の吹雪に迷ひしよ。

かゝるうき身と知りもせで、
 昔のわれはおさなくも、
  鹿のなくねにあくがれて、
   紅葉の雨に迷ひしよ。

あはれ野末の百合の花、
 やさしき人に摘まれずば、
  馬の蹄にかゝらむと、
   歌ひし岡邊の夕霧も、

あはれ小川の橋の雪、
 星を宿して消去らば、
  道ゆく人に踏まれじと、
   歌ひし野路の朝風も、

今はみぬ世の夢なれば、
 鎭守の森の杉の木に、
  彫み殘しゝ人の名も、
   はかなく苔に埋れけむ。

    其五

あはれ昔は夢にして、
 今の憂身ぞ現なる、
  淋しき部屋に夜もすがら、
   夫を待つ身ぞ現なる。

あれよ門邊の物音は、
 もしもや夫の歸りしと、
  あわたゞしくも戸を推せば、
   大路をわたる風寒し。

あれよ彼方の人影は、
 もしもや夫の歸りしと、
  心うれしく走せゆけば、
   傾く月に雲はやし。

かくて今宵も明けぬらむ、
 いづくの犬ぞ起出でゝ、
  夢なほさめぬ家々の、
   霜をとがむる聲高し。

町のはづれに月落ちて、
 靜かに起る笛の音は、
  悲しき節をしらべつゝ、
   今日も都をめぐるめり。

破笠 編集

晝寢せし 麥生の雨に、
     家もなし 蔭もなし、
破れ笠の 急げども
     あはれなり 旅の僧。

急ぎゆく 明日の山路に、
     虹高し 花の雲、
たゝずめば、今朝の川瀨に、
     聲長し 棹の歌。

瓜盜人 編集

あま雲の八重たつ野路に、
  牛叱る人影消えて、
 ねむ生ふる小川の波に、
   蝉の聲枯れ殘る。

ひもじやとむづかる稚兒ちごを、
  やつれたるせなに脊負ひて、
 我袖も朽木のはしに、
   寂しくも佇むや誰そ。

いで我子あごよ、かの雲をみよ、
  恐ろしき黑雲をみよ、
 いざやこの橋の小蔭に、
   短夜の夢を宿さむ。

ひもじやとむづかる稚兒は、
  母親のこころもしらで、
 咽びなく聲もあはれに、
   物欲しとなほもむづかる。

いかにせむ 日も暮れぬるを、
  明日までは眠りてよたゞ、
 眠る子はさてもよい子と、
   ゆすぶれどすかせど聞かず。

淺間しくつらきわが身に、
  人並みの乳房はあれど、
 水涸れし泉としれば、
   旅人もなどかは汲まむ。

淺間しと見やる彼方に、
  一軒家ひとつやの燈火みえて
 瓜植えし脊戸の小畠に、
   笑ひ聲洩るゝもゆかし。

さらばあご、かしこにゆかむ、
  此母も物欲しきぞと、
 打連れて急ぎし後に、
   ほとゝぎすしばなきわたる。

「何者ぞ、とくたち歸れ、
 歸らずばたゝき出さむ、」
  聲高くのゝしる人は、
   一軒家の主人なりけり。

あはれかく憂目に馴れて、
  耻辱はぢをだも思はぬ親は、
 しかすがにおどろかじとも、
   いかにせむ子は飢に泣く。

悲しくも望みは絶えて、
  とぼと脊戸をいづれば、
 うれしくも目にとまりしは、
   瓜白き小畠なりけり。

うれしやと喜ぶ子より、
  母親の胸はおどりて、
 人やみむ人もや來ると、
   氣使ひしこゝろやしれる。

あれと指さす方に、
  十六夜の月いと清く、
 風はやき雲間をもりて、
   ほとゝぎすまたもしば啼く。

   ――――――
花賣は夕日に消えて門の蝶
   ――――――

蝉の聲 編集

夜露散る軒端の桐に、
 やり水の音を亂りて、
  朝な
   さわかしの蝉の聲。

入日さす外山の松に、
 吹く風の音を亂りて、
  夕な
   さわかしの蝉の聲。

桐を追へば松の葉末に、
 松を追へば桐の葉蔭に、
  及ばじな
   里の子よ釣竿も。

秋もけて松風寒く、
 桐の葉のこぼるゝあした
  里の子は
   「今いづこ蝉の聲。」

其の夕べ外山に遊び、
 月影に松をけづりて、
  「里の子に
   殼だに殘せ秋の蝉。」

秋風 編集

大平洋の水痩せて、
  富士は兀たり、
    海道百里の
      秋の風。

孤蝶 編集

みずや、時雨におはれては、
     野路の落葉も迷ひ入る、
森の小蔭のしら菊に、
     縋りしまゝの孤蝶あり。

莊子が夢の殼ならば、
     魂はいづこをかけるらむ、
やがてぞ晴れし空高く、
     月に消えゆく風のこゑ。

田舍秋曉 編集

竹は起きて、
     茶をや焚くらむ、
月落ちて、
     權兵衞が畠に
        からす啼く。

   ――――――
詩を賣つて米買ひにゆく師走かな
   ――――――

今日の月 編集

東海の漁夫 幾百萬、
 起きよ、起きよ、
   心あるも、心なきも、
來れ、手をうつて、
    聲を揃へて
      歌はゞや、
 大洋おほなだに富士ゆた
       今日の月。

いざこよひ 編集

いざこよひ、
   浮世のかげをこゝに求めむ、
 風やめば魚のゆくみゆ、
 風ふけば魚のゆく消ゆ、
  月清きいさゝ小川は、
    花より出でゝ
      森にかくるも。

笛の音 編集

(跛翁の物語)

白帆飛ぶ川瀨の岸に
     一もとの老松たてり
行迷ふこずゑの雲は
     幾代々の風に咽べり

其松の落葉隱れに
     誰が住める破庵なるぞ
雨の日の晝寢の宿と
     旅人の立寄るもあり

雁わたる小萩が原に
     虫鳴かぬ夕べはあれど
床しくもかの破庵に
     笛の音を鳴かぬ夜しらず

雲走る月の夜な
     こころなき舟人すらも
笛の音を吹來る風に
     幾度か帆をおろすらむ

雨の細き闇の夜な
     聞馴れし賤の女すらも
花散らふ寢覺の窓に
     幾度か袖しぼるらむ

村人の語るによれば
     かの庵の主人といふは
あしなへの翁と呼びて
     妻もなく同胞はらからもなし

そのむかし隣りの里に
     いづくよりさまよひ來けむ
笛を吹く狂女ありしが
     其者の子なりといへり

或夏の釣魚つりの歸るさ
     川上の渡船わたしに乘りて
端なくも相識りしより
     いざ聞かむ汝が身の上と
いくそ度強ふれどもいはず

紅葉ちる夕日の山に
     黃昏の鐘の音消えて
今日もまた翁が笛は
     遠近の森に響けり

馬を追ふわらべが聲に
     小山田の夕霧晴れて
布さらす乙女が歌に
     川の瀨の夕月出でゝ
笛の音を風や誘へる
     吹く風を笛やさそへる
山や野や小川に谷に
     風近く風また遠く

ほとゝぎす雲を破りて
     聲高く月に入りしか
松の風霧をくゞりて
     聲細く海に入りしか
笛の音よ美妙じき笛よ
     雨まじり松吹く風に
ほとゝぎす二聲鳴きて
     雲亂れ霧やもさわぐ

たちまちに嵐を呼びて
     岡を飛び田を橫ぎりし
山越の一村雨も
     笛の音よ美妙じき笛よ
川の瀨を半ばわたりて
     たちまちに跡なくなりぬ

あはれかの天津乙女も
     老松の雲に迷はむ
今ぞかの妻訪ふ鹿も
     破庵の露に咽ばむ
我もまた庵をめぐりて
     月かゝる松をめぐりて
夢うつゝ現の夢に
     あまたゝび袂をしぼる

やよ翁此處こゝ開け給へ
     いでやよといへど答へず
風絶えて更行く空に
     笛の音はます冴えて

やよ翁此處開け給へ
     天來ぞ戸を叩くはと
三度四度音なふ夢に
     笛の音は俄にやみて
先づうれし翁が笑顏
     やゝしばし物をもいはず
松が枝の雲を仰いで

今宵こそいで今宵こそ
     我友よ笑へ嘲けれ
笑ふべきわが身の上を
     殘らずも君に語らん
笑へやと俄にたちて
     破窓を開放ちつゝ
聲高く笑ふ眼に
     迸ばしる淚やいかに
ほとばしる淚やいかに
    *  *  *  *
     *  *  *  *
花笑ひ鳥歌ふ世に
     味氣なき我身の上よ
砂原の尾花がうへに
     風を厭ふ露にや似たる

母親はわが六歳の頃
     笛の音を月に殘して
何處へかさまよひ行きぬ
     父親はいづこの人と
今にしておもふも悲し

長閑なる里の祭禮まつり
     垂髮兒が晴衣を飾り
胸おどる太鼓の音に
     母親をうながすさまを
櫻飛ぶ鳥居の蔭に
     行く人の袖をひきつゝ
いくそたび憎しと見しぞ

雪のあした月の夕ぐれ
     あたゝかき春に眠りて
いつとなく覺えし節を
     日每吹きすさびつゝ
あはれわが母やいづこと
     村々を尋ね迷ひて
いくそたび飢に泣きしぞ

霧深き山田の池に
     身を投げし狂女ありけり
すみれ咲く野寺の路に
     倒れ伏す乞食かたゐありしと
さまの人の噂に
     小笠をばかなぐり捨てゝ
幾度か走せ狂ひけむ

ましらなく林のかぜに
     落葉六年せを數へ
牡鹿なく枯野の月に
     まぼろしの八とせも過ぎぬ

踏迷ふ草鞋の跡を
     遠里の雪に殘して
此村の此松かげに
     しばしとてうたゝねせしは
山も野も花に埋もれて
     風白き月の夕ぐれ

あやしくも霞がくれに
     松風か川瀨の音か
床しくも誰が琴の音ぞ
     我笛のふしに似たるは

有明の月吹く風に
     おぼろ夜の霞は晴れぬ
雲雀舞ふ彼方の岸に
     朝日影高く昇りて
雪散らふ花の林に
     高殿の玉だれ床し

いざや吹け天津春風
     よしやげに花は飛ぶとも
やよ吹きて卷けや玉だれ
     あやしくもこゝろ動きぬ
夜すがらの床し調よ

あやしくも心とまりて
     其夜より此松蔭を
獨寢の宿と定めつ
     夜なの床し調に
終日の憂さを拂ひて
     いつとなく忘れやしけむ
我母を尋ねんこゝろ

        さばれ聞け
をすのまの風を床しみ
     見ずもあらず見もせぬ人の
おも影の夢にもみえて
     拂へども消えぬがまゝに
折ふしは水に向ひて
     すゞろにも獨言ちけむ

雲雀なく花の廣野は
     白鷺の青田となりぬ
はね釣甁かなたに響き
     水ぐるま此方にめぐる

いと細き葦の葉風も
     有明の月に通ひて
短夜の寢覺凉しみ
     忍び音のその一ふしを

摘取りし松葉にこめて
     ゆく水に文字かく朝け
ホヽと笑ふやさしの聲の
     小簾の間をもり來にしより
折ふしは水に向ひて
     賤が身の姿に泣きぬ

いざや笛投捨てゝ
     人の世の人ともなりね
汝がために我きもいりて
     人並の人にしてむと
我をしる里の翁の
     嬉しくるいふがまに
淺間しの姿をかへつ
     人々のなさけによりて
終にこの庵を結びぬ

時よ時は來りぬ
     さらばぞと鍬を叩いて
荒小田の草にいばらに
     玉の汗拭ひもあへず
夜はまた庵にかへりて
     藁うつて草鞋をつくる

あはれこのこゝろ盡しも
     誰れ故のたはれなりしぞ

夜なの戀しき調は
     怪しくも聞えずなりぬ
誰れを呼ぶ松風高く
     夜半の月瀨々に冴ゆれど

人々の騷ぐを聞けば
     都なるさる貴人あてびと
此の里の花を運びて
     御園生に歸りゆきける
急がしく走りゆきける

そもやこれ何たることゝ
     破庵の破戸を蹴て
たゞ追ひぬたゞ追行きぬ
     夢かそも都路の空

おろかしの賤が心を
     夢にだにつげむよしもが
あはれなる賤が姿の
     現にもみえむよしもと
あてどなき塵に迷ひて
     都邊の夏もれけり

月冴ゆるあだし軒端に
     琴の音の洩るゝを聞けば
うれしくもそれと佇み
     紅葉散るあだし門邊に
美人たをやめの立てるを見ては
     おろかにもそれかと走る

貴人の御園やいづこ
     御園生の花やいかにと
都路をめぐり
     其秋も空しく暮れぬ

終日の疲れに倦みて
     吹馴れし笛にも厭きて
うたゝねの夢のなみだに
     物思ふ風の夕ぐれ
人を追ふ人の叫びに
     駒をおふ駒のいばえに
辻風のいまくとみれば
     御車の走るなりけり
勇ましく阪をくだりて
     音高く橋を渡りて

げにや世のたふとき人は
     御車のうへにも眠る
げにや世の賤しき者は
     御車の塵にも咽ぶ

目覺しきおん有樣を
     まばゆくも仰ぎまつれば
そもやこれわが戀人と
     貴人の乘らせ給へる――
たゞ追ひぬたゞ追行きぬ
     御車の後を慕ひて

駒を追ひ人を拂ひて
     御車の走り入りしは
二もとの松風寒く
     うとましの衞士立てる門

こゝにこそ君はましけれ
     こゝにしていもはありしと
其夜より垣根に臥して
     しばらくもそこを離れず
闇の夜の雪はしげきも
     月の夜の風は寒さも

あはれその戀ししらべよ
     風にだに聞くよしもがな
忍び音のその一ふしも
     うるさしと衞士に追はれぬ

古塚の露をもとめて
     世を秋の蝶は失せけり
ひたすらに露をもとむる
     賤が身のなにか厭はむ
追はれてはまた立歸り
     うるさしと衞士にうたれぬ

まばゆくも二人並びて
     折ふしのおんいで入りを
風迷ふ辻にかくれて
     妬ましとみるも甲斐なし

悲しくも物思ふ身は
     年月の消ゆるもしらず
家每の門の小松に
     ふる年のいにしをしりぬ

大家小家大路小路も
     たゞ白き吹雪のあした
笛の音をしばしとゞめて
     破笠を拂ふ折抦
飛狂ふ雪をけたてゝ
     御車の走るに逢へり
勇む駒勇むつなとり
     勇ましと見る間あらせず
一むちに車は飛んで
     逃迷ふわれを倒しぬ

鐵馬驅る鞭のひゞきに
     賤が身の骨こそふるへ
雪をかむ車のおとに
     賤が身の胸こそおどれ
さばれみよ見よくやしくも
     賤が身の脚は碎けぬ

呌ばむに聲こそいでね
     走らむに足こそたゝね
其車何地ゆきけむ
     雪暗くたゞ雪黑く

みよや世のたふとき者は
     御車のうへにも眠る
みよや世の賤しき者は
     御車の塵にも叫ぶ
塵たらむこの瘦かゐな
     いでやそも何せむとする

鐵馬驅る鞭のひゞきに
     こしかたの夢は破れぬ
雪をかむ車のおとに
     怪しくも望みは湧きぬ
海は裂け山は飛ばむも
     此こゝろ何ぞゆるがむ

いでと腕を撫でゝ
     思はずる汗を拭へば
橫ふゞき笠を拂ひて
     音高く虛空に入りぬ

其日より京わらんべは
     あしなへの乞食々々と
我をみて嘲み笑へど
     あしなへの心はしらず

荒駒にむちうつ人よ
     御車に眠れる人よ
今にみよ見おれ今にと
     行末の計畫たくみにくれて
幾夜半の寢覺の月に
     おもはずも胸をうちけむ

破れ衣一ふりの笛
     いかばかりはやる心も
竟にかの塵にもしかじ
     いでやさば如何にすべきと
幾夜半の嵐を呼びて
     いたづらに胸をうちけむ

白銀も黃金も玉も
     貴人の御倉にゆかば
塵塚の芥ならむも
     盜みせむ術をも知らず

高殿の雲を仰ぎて
     朽葉散る門邊にたてば
怪しとて人にも打たれ
     人氣なき家を床しみ
月冴ゆる軒端にたてば
     くやしくも犬にも噛まる

破れ衣一ふりの笛
     いでやさばせむ術もあり
見よ今に見おれ今にと
     都路の風をけたてゝ
故里の庵に歸りぬ

人々のなさけあればぞ
     いでと鍬を叩いて
荒小田の草にいばらに
     玉の汗拭ひもあへず
夜はまた庵に歸りて
     藁うつて草鞋をつくる

終日のそのはたらきに
     夜すがらのその勉強いそしみ
今こそとたちたる頃は
     我が年も三十路を過ぎぬ

時よ時は來りぬ
     さらばぞと都にいでゝ
商賣あきなひに身を委ねしも
     賤が身の手なれぬ業に
そこばくのその貯へも
     夢の間の霞となりぬ

さばれみよ見おれ今にと
     故里に歸り來りて
更にまた起ちたる頃は
     我が年も四十路を過ぎぬ

都へのその通路に
     いくそたび露は消えしも
終にわが望みは成らず
     星移り雲は走りて
貴人もわが戀人も
     今ははや此世にあらず
我年も八十路を超えて
     有明の傾く月に
我影のいたくも痩せぬ
     憂きにつけつらきにつけて
なき人の遺物かたみとめづる
     古笛と今は裂けなむ
海は裂け山は飛ばむも
     ゆるがじと契ふこゝろは
さもあらばあれいつか忘れむ

我母も我身のうへも
     何がために忘れ果てしと
今さらに心にとはゞ
     たゞ淚なみだあるのみ

今宵こそいで今宵こそ
     我友よ笑へあざけれ
笑ふべき我身のうへを
     殘らずも君に語りぬ
いで笑へわれも笑はむ
     いざ呌べわれも叫ばむ
    *  *  *  *
     *  *  *  *

紅葉散る夕日の山に
     たそかれの鐘の音消えて
翌夜あくるよの月は出でしも
     笛の音は聞えずなりぬ

白帆飛ぶ川瀨の岸に
     今もなほ老松たてり
行迷ふこずゑの雲は
     今もなほ風に咽べり

いざやまた彼と相見て
     共に泣き共に笑はむ
其松の枯朽ちむ時
     其雲の飛び去らん時

天來詩集 終

 

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