東京地方裁判所平成18年9月21日午後1時30分判決言渡国歌斉唱義務不存在確認等請求事件判決要旨
平成18年9月21日午後1時30分判決言渡(103号法定)
平成16 年(行ウ)第50 号国歌斉唱義務不存在確認等請求事件(以下「甲事件」という)
平成16 年(行ウ)第223 号国歌斉唱義務不存在確認等請求事件(以下「乙事件」という)
平成16 年(行ウ)第496 号国歌斉唱義務不存在確認等請求事件(以下「丙事件」という)
平成17 年(行ウ)第236 号国歌斉唱義務不存在確認等請求事件(以下「丁事件」という)
判決要旨
編集原告 Nら401名
被告 東京都教育委員会(以下「被告都教委」という)
東京都(以下「被告都」という)
主文
編集1 原告番号○○、……らを除く原告らが、被告都教委に対し、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(15 教指企第569 号、以下「本件通達」という)に基づく校長の職務命令において、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務のないことを確認する。
2 被告都教委は、原告番号○○、……らを除く原告らに対し、本件通達に基づく校長の職務命令に基づき、上記原告らが勤務する学校の入学式、卒業式等の式典会場において、会場の指定された席で国旗に向かって起立しないこと及び国歌を斉唱しないことを理由として、いかなる処分もしてはならない。
3 原告番号○○…、○○…、……が、被告都教委に対し、本件通達に基づく校長の職務命令に基づき、上記原告らが勤務する学校の入学式、卒業式等の式典の国歌斉唱の際に、ピアノ伴奏義務のないことを確認する。
4 被告都教委は、原告番号○○…、○○…、……に対し、本件通達に基づく校長の職務命令に基づき、上記原告らが勤務する学校の入学式、卒業式等の式典の国歌斉唱の際に、ピアノ伴奏をしないことを理由として、いかなる処分もしてはならない。
5 被告都は、原告らに対し、各3万円及びこれに対する平成15年10月23日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
6 原告番号○○、……を除くその余の請求を棄却する。
7 訴訟費用は、甲、乙、丙、事件につき生じた費用を被告らの負担とし、丁事件につき生じた費用を被告都の負担とする。
事実及び理由の要旨
編集第1 事案の概要
編集本件事案の概要は、次のとおりである。
原告らは、東京都立高等学校及び東京都盲・ろう・養護学校(以下これらを併せて「都立学校」という)に勤務する教職員又は勤務していた教職員である。被告都教委教育長横山洋吉は、平成15 年10 月23 日、都立学校の各校長に対し、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(本件通達)を発して、都立学校の入学式、卒業式等において、教職員らが国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、国歌斉唱はピアノ伴奏等により行うこと、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本件通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを教職員に周知することなどにより、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達した。本件は、原告らが、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、国歌斉唱の際にピアノ伴奏をすることを強制されることは、原告らの思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、教育の自由等を侵害するものであると主張して、在職中の原告らが被告都教委に対し、都立学校の入学式、卒業式等の式典において、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする義務のないことの確認、これらの義務違反を理由とする処分の事前差し止めを求めるとともに、原告らが被告都教委に対し、本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令等によって精神的損害を被ったと主張して、国家賠償法1条1項に基づき、慰謝料各3万円の支払いを求めた事案である。
第2 本件の争点
編集1 原告らの訴えのうち公的義務の不存在確認請求及び予防的不作為請求には、事前に救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がなく、不適法か(本案前の答弁)。
2 在職中の原告らは、都立学校の入学式、卒業式等の式典において、国旗に向かって起立して国歌を斉唱する義務を、また、音楽科担当教員である原告らは、国歌斉唱時にピアノ伴奏をする義務をそれぞれ負うか。本件通達及びこれに基づき各校長が原告らに対し発した職務命令は違法か。
3 原告らは、本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令により精神的損害を被ったか。
第3 争点に対する判断
編集1 争点1(本案前の答弁)について
編集(1) 具体的・現実的な紛争の解決を目的とする現行訴訟制度のもとにおいては、義務違反の結果として将来何らかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけでは、事前に上記義務の存否の確定、これに基づく処分の発動の差し止めを求めることが当然のものとして許されているわけではない。しかしながら、当該義務の履行によって損害を受ける権利の性質及びその損害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性及びその内容又は性質等に照らし、上記処分を受けてからこれに関する訴訟の中で事後的に義務の存否、処分の適否を争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがあるなど、事前の救済を認めなければ著しく不相当となる特段の事情がある場合には、紛争の成熟性が認められるから、あらかじめ上記のような義務の存否の確定、これに基づく処分の発動の差し止めを求める法律上の利益を認めることができるものと解するのが相当である(最-小判昭和47 年11 月30 日民集26 巻9 号1746 頁参照)。
(2) これを本件についてみてみるに、在職中の現職らは、今後も被告都教委から本件通達に基づく指導を受けた校長から入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすることについての職務命令を受けること、同職務命令を拒否した場合に戒告、減給、停職等の懲戒処分を受け、再発防止研修の受講を命じられること、定年退職後に再雇用を希望しても拒否されることはいずれも確実であると推認することができる。そうだとすると、在職中の原告らは、懲戒処分等の強制の下、自己の信念に従って入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすることについての職務命令を拒否するか、自己の信念に反して上記職務命令に従うのかの岐路に立たされることになるのであって、上記職務命令が違法であった場合に侵害を受ける権利は、思想・良心の自由等の精神的自由権にかかわる権利であるから、権利侵害があった後に、処分取消請求、慰謝料請求等ができるとしても、そもそも事後的救済には馴染みにくい権利であるということができるうえ、入学式、卒業式等の式典が毎年くり返されることに照らすと、その侵害の程度も看過し難いものがあるということができる。また、在職中の現職らが、本件通達に基づく校長の職務命令に違反する毎に懲戒処分等の不利益処分を受けることは確実であり、その処分は戒告、減給、停職と回数を重ねる毎に重い処分となっている。そうだとすると、在職中の現職らが、現在の状況で上記職務命令を拒否し続けた場合、懲戒免職処分となる可能性も否定することができず、これらの処分により原告らが受ける不利益は看過し難いものがあるといえる。これら在職中の原告らが侵害を受ける権利の性質及びその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性、不利益処分の内容及び性質に照らすと、在職中の原告らが本件通達に基づく校長の職務命令に反したとして行われるであろう懲戒処分の取消訴訟等の中で、事後的に、入学式、卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務の存否及び当該処分の適否を争ったのでは、回復しがたい重大な損害を被るおそれがあると認めることができ、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情及び「重大な損害を生ずるおそれ」(平成16 年法律第84 号による改正後の行政事件訴訟法第37の4第1項)が認められる。
(3) したがって、原告らの訴えのうち公的義務の不存在確認請求及び予防的不作為請求にかかる部分は適法というべきである。
2 争点2(入学式、卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務の存否)について
編集(1) 我が国において、日の丸、君が代は、明治時代以降、第二次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実であり、国旗・国歌法により、日の丸、君が代が国旗、国歌と確定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的にみて日の丸、君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが認められる。このため、国民の間には、公立学校の入学式、卒業式において、国旗掲揚、国歌斉唱をすることに反対する者も少なからずおり、このような世界観、主義、主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上、保護に値する権利というべきである。したがって、教職員に対し、一律に、入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすることとの義務を課すことは、思想・良心の自由に対する制約になるものと解するのが相当である。この点に関し、被告らは、本件通達に基づき校長が教職員に対し国歌斉唱を命じ、ピアノ伴奏を命じることは、教職員に対し一定の外部的行為を命じるものであり、当該教職員の内心領域における精神活動までを制約するものではなく、思想、良心の自由を侵害していないと主張する。しかし、人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するものであり、これを切り離して考えることは困難かつ不自然であり、入学式、卒業式等の式典において、国旗に向かって起立したくない、国歌を斉唱したくない、あるいは国歌を伴奏したくないという思想、良心を持つ教職員にこれらの行為を命じることは、これらの思想、良心を有する者の自由権を侵害しているというべきであり、上記被告らの主張は採用することができない。ところで、思想、良心の自由といえどもそれが外部に対して積極的又は消極的な形で表されることにより、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反する場合には、必要かつ最小限度の制約に服するものと解するのが相当である。そうだとすると、原告らは、教職員又は教職員であった者であることから、原告ら教職員に対し、入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務、国歌のピアノ伴奏をする義務を課すことが、公共の福祉による必要かつ最小限度の制約又は教職員の地位に基づく制約として許されるかどうかということが問題となる。
(2) 学習指導要領の国旗・国歌条項に基づく義務について
ア 学習指導要領は、原則として法規としての性質を有するものと解するのが相当である。もっとも、国の教育行政機関が、法律の授権に基づいて普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教育の自主性尊重の見地のほか、教育に関する地方自治の原則をも考慮すると、教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準に止めるべきものと解するのが相当である。そうだとすると、学習指導要領の個別の条項が、上記大綱的基準を逸脱し、内容的にも教職員に対し一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制するようなものである場合には、教育基本法10条1項所定の不当な支配に該当するものとして、法規としての性質を否定するのが相当である。(最-大判昭和51 年5 月21 日刑集30 巻5 号615 頁、最-判平成2 年1月18 日集民159 号1頁参照)。
イ これを学習指導要領の国旗・国歌条項についてみてみると、同条項は、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定するのみであって、それ以上にどのような教育をするかについてまでは定めてはいない。また、学習指導要領の国旗・国歌条項は、国旗掲揚・国歌斉唱の具体的方法等について指示するものではなく、国旗掲揚・国歌斉唱を実施する行事の選択、国旗掲揚、国歌斉唱の実施方法等については、各学校の判断に委ねており、その内容が一義的なものになっているということはできない。
ウ そうだとすると、学習指導要領の国旗・国歌条項は、学習指導要領全般の法的効力に関する基準に照らしても、法的効力を有すると解するのが相当である。もっとも、学習指導要領の国旗・国歌条項の法的効力は、その内容が教育の自主性尊重、教育における機会均等の確保と全国的な一定水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を定めるものであり、かつ、教職員に対し一方的な一定の理論や理念を生徒に教え込むことを強制しないとの解釈の下で認められるものである。したがって、学習指導要領の国旗・国歌条項が、このような解釈を超えて、教職員に対し、入学式、卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務を負わせているものであると解することは困難である。
エ したがって、学習指導要領の国旗・国歌条項は、法的効力を有しているが、同条項から、原告ら教職員が入学式、卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務までを導き出すことは困難であるというべきである。
(3) 本件通達に基づく義務について
ア 被告都教委教育長が発する通達ないし職務命令についても、学習指導要領と同様に、教育基本法10条の主旨である教育に対する行政権力の不当、不要の介入の排除、教育の自主性尊重の見地のほか、教育における機会均等の確保と一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準に止めるべきものと解するのが相当である。
イ これを本件通達についてみてみると、同通達の内容は、国旗掲揚、国歌斉唱の具体的方法等について詳細に指示するものであり、国旗掲揚、国歌斉唱の実施方法等については、各学校の裁量を認める余地はほとんどないほどの一義的な内容になっている。また、①被告都教委は本件通達発令と同時に都立学校の各校長らに対し「適格性に課題のある教育管理職の取扱いに関する要綱」を発表したこと、②被告都教委は、本件通達発令後、都立学校の各校長に対し、入学式、卒業式等の国歌斉唱の実施方法、教職員に対する職務命令の発令方法、教職員の不起立等の現認方法及び被告都教委への報告方法等について詳細な指示を行ったこと、③都立学校の各校長は、被告都教委の指示に従って、教職員に対し、入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に起立して国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をするよう職務命令を発したこと、④都立学校の各校長は、教職員が上記職務命令に違反した場合、これを服務事故として被告都教委に報告したこと、⑤被告都教委は、上記職務命令に違反した教職員に対し、1回目は戒告、2回目及び3回目は減給、4回目は停職との基準で懲戒処分を行うとともに、再発防止研修を受講させたこと、⑥被告都教委は、定年退職後に再雇用を希望する教職員について、入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱しないなどの職務命令違反があった場合、再雇用を拒否したことが認められる。前記各認定事実に照らすと、本件通達及びこれに関する被告都教委の一連の指導等は、入学式、卒業式等の式典における国旗掲揚、国歌斉唱の実施方法等、教職員に対する職務命令の発令等について、都立学校の各校長の裁量を許さず、これを強制するものと評価することができるうえ、原告ら教職員に対しても、都立学校の各校長の職務命令を介して、入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすることを強制していたものと評価することができる。そうだとすると、本件通達及びこれに関する被告都教委の都立学校の各校長に対する一連の指導等は、教育の自主性を侵害するうえ、教職員に対し一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育における機会均等の確保と一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を逸脱しているとの謗りを免れない。したがって、本件通達及びこれに関する被告都教委の都立学校の各校長に対する一連の指導等は、教育基本法10条1項所定の不当な支配に該当するものとして違法と解するのが相当であり、ひいては、原告ら都立学校の教職員の入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立しない自由、国歌を斉唱しない自由、国歌をピアノ伴奏しない自由に対する公共の福祉の観点から許容されている制約とは言い難いというべきである。
ウ 以上のとおり、本件通達及びこれに関する被告都教委の一連の指導等は、教育基本法10条に反し、憲法19条の思想・良心の自由に対し、公共の福祉の観点から許容された制約の範囲を超えているというべきであって、これにより、原告ら教職員が、都立学校の入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務を負うものと解することはできない。
(4) 校長の職務命令に基づく義務について
ア 都立学校の各校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する権限を有しており、所属職員に対して職務命令を発することができ、所属教職員は、原則として、各校長の職務命令に従う義務を負うものの、当該職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合には、これに従う義務がないものと解するのが相当である(最-三小判昭和53年11 月14 日タ375 号73 頁)。
イ これを本件についてみてみると、原告ら教職員は、「教育をつかさどる者」として、生徒に対して、一般的に言って、国旗掲揚、国歌斉唱に関する指導を行う義務を負うものと解されるから、入学式、卒業式等の式典が円滑に進行するよう努力すべきであり、国旗掲揚、国歌斉唱を積極的に妨害するような行為に及ぶこと、生徒らに対して国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することの拒否を殊更に煽るような行為に及ぶことなどは、上記義務に照らして許されないものといわなければならない。しかし、原告ら教職員は、国旗・国歌法、学習指導要領の国旗・国歌条項、本件通達により、入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するまでの義務、ピアノ伴奏をするまでの義務はなく、むしろ思想、良心の自由に基づき、これらの行為を拒否する自由を有しているものと解するのが相当である。また、原告ら教職員が入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立すること、国歌を斉唱することを拒否したとしても、格別、式典の進行や国歌斉唱を妨害することはないうえ、生徒らに対して国歌斉唱の拒否を殊更煽るおそれがあるとまではいえず、学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨である入学式、卒業式等の式典における国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、これを尊重する態度を育てるとの教育目標を阻害するおそれもないといえる。さらに、原告らのうち音楽科担当教員は、音楽科の授業においてピアノ伴奏をする義務を負っているものの、入学式、卒業式等の式典における国歌斉唱の伴奏は音楽科の授業とは異なり、必ずしもこれをピアノ伴奏で行わなければならないものではないし、仮に音楽科担当教員が国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否したとしても、他の代替手段も可能と考えられ、当該教員に対し伴奏を拒否するか否かについて予め確認しておけば式典の進行等が滞るおそれもないはずである。
そして、原告ら教職員が入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること、ピアノ伴奏をすることを拒否した場合に、これとは異なる世界観、主義、主張等を持つ者に対し、ある種の不快感を与えることがあるとしても、憲法は相反する世界観、主義、主張等を持つ者に対しても相互の理解を求めているのであって(憲法13条等参照)、このような不快感等により原告ら教職員の基本的人権を制約することは相当とは思われない。
ウ したがって、都立学校の各校長が、本件通達に基づき、原告ら教職員に対し、入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよとの職務命令を発することは、重大かつ明白な瑕疵があるというべきである。そうだとすると、原告ら教職員は、本件通達に基づく各校長の職務命令に基づき、入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務を負うものと解することはできない。
(5) 小 括
以上検討したとおり、原告ら教職員は、思想・良心の自由に基づき、都立学校の入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することを拒否する自由、ピアノ伴奏をすることを拒否する自由を有しているところ、違法な本件通達に基づく各校長の職務命令に基づき、上記行為を行う義務を負うことはないものと解するのが相当である。そうすると、被告都教委が、原告ら教職員が本件通達に基づく各校長の職務命令に基づき、入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立しないこと、国歌を斉唱しないこと、ピアノ伴奏をしないことを理由として懲戒処分等をすることは、その裁量権の範囲を超え若しくはその濫用になると認められるから、在職中の現行らが上記行為を行う義務のないことの確認のほかに、被告都教委が上記懲戒処分等をしてはならない旨命ずるのが相当である(平成16 年法律第84 号による改正後の行政事件訴訟37 条の4第5項参照)。
3 争点3(国家賠償請求権の存否)について原告らは、本件通達に基づく各校長の職務命令に基づき、入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務、ピアノ伴奏をする義務を負わないにもかかわらず、違法な本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令によって、入学式、卒業式等の式典において、国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するか否か、ピアノ伴奏をするか否かの岐路に立たされたこと、あるいは自らの思想・良心に反して本件通達及びこれに基づく各校長の職務命令に従わされたことにより、精神的損害を被ったことが認められる。これらの損害額は、前記違法行為の態様、被害の程度等を総合考慮すれば、一人当たり3万円を下らないものと認定するのが相当である。
第4 結論
編集国旗・国歌法の制定・施行されている現行法下において、生徒に、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長させるために、国旗、国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。そして、学校における入学式、卒業式等の式典は、生徒に対し、学校生活に有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わさせ、新しい生活への動機付けを行い、集団への所属感を深めさせる意味で貴重な機会というべきである。このような入学式、卒業式等の式典の意義、役割を考えるとき、これら式典において、国旗を掲げ、国歌を斉唱することは有意義なものということができる。しかし、他方で、このような式典において、国旗、国歌に対し、宗教上の信仰に準ずる世界観、主義、主張に基づいて、国旗に向かって起立したくない教職員、国歌を斉唱したくない教職員、国歌のピアノ伴奏をしたくない教職員がいることもまた現実である。このような場合において、起立したくない教職員、斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱等させることは、いわば、少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置であると思料する次第である。国旗、国歌は、国民に対し強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨であり、学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられる。これら国旗・国歌法の制度趣旨等に照らすと、本件通達及びこれに基づく各校長の原告ら教職員に対する職務命令は違法であると判断した次第である。以上検討した結果によれば、原告らの請求は、主文第1ないし第5項の限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、仮執行宣言の申立てについては不相当であるのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第36部 裁判長裁判官 難波孝一、
裁判官 山口 均、
裁判官 知野 明
以 上
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