初等科國語 五/木曾の御料林


神宮備林編集

ウィキペディア神宮備林のページがあります。

 皇大神宮は、二十年ごとにあらたに御殿舎を御造營になり、そのたびにしやうせんぐうの御儀が行はれる。
 この御儀は、天武天皇の御時に定められ、第一回の大典は、ぢとう天皇の御代に行はれた。昭和二十四年は、第五十九回の正遷宮に當るが、實に一千二百有餘年の歴史を重ねてゐる。
 あらたに御殿舎を御造營になる用材は、もといせかみぢ山・たかくら山などから伐り出されてゐたが、おだのぶながが、木曾の森林から伐採して奉つたことがあり、その後百年餘りたつて、それが例になるやうになつた。明治の大御代から昭和の今日まで、御遷宮に際しては、かならず木曾から御用材を奉ることになつてゐる。
 神宮の御殿舎は、すべてひのきの白木造りであるから、御造營に要する檜の數は、一萬二千本に近く、しかもすべてえりすぐつた良質のものである。かうした檜は、一朝一夕に得られるものでなく、したがつて、つねに大木を保護するとともに、植林によつて、あとからあとから育てて行くやうにしなければならない。
 明治三十七年、明治天皇は、特にこのことに大御心をかけさせられ、そのおぼしめしによつて、木曾の御料林中に、神宮備林が定められることになつた。以來、神宮御造營の用材は、永久につきる心配がなくなつたのである。
 この神宮備林は、木曾川の上流が、白い御影石の川床をかんで流れる木曾谷の左右の山々にある。
 今、中央線のあげまつ驛で汽車をおり、森林鐵道に乘りかへて、木曾川の支流にそひながらさかのぼつて行くとする。しばらくは、切りそいだやうながけの下の靑いふちや、勢こんで流れる水の清さに、目をうばはれるのであるが、やがて、左右を取り巻く山の木々に、われわれは目を移すやうになる。窓の外のけしきは變つても、山から山へ續く生ひ茂つたみどりの森林は、つきることがない。何といふ森林のつらなりであらうとおどろくころは、まだ御料林のほんの入口へはいつたばかりなのである。
 このやうにして、山を分けながら谷間をのぼつて行くと、やがて標高千百五十メートルのなかだち神宮備林に着く。ここは、昭和十六年六月三日、神宮御造營用材中いちばんだいじな、ないくうげくうの御神木を伐り出したみそまはじめ祭の行はれたところである。

みそまはじめ祭編集

ウィキペディア御杣始祭のページがあります。

 靑々と大空をおほふ檜の大木が、美しい柱のやうに立つてゐる中立神宮備林の朝である。やまがら・こまどり・うぐひすなどの鳴き聲が、谷川の音にまじつて聞えて來る中を、今日のみそまはじめ祭の盛儀を拜觀する人々の列が、林の間の細道傳ひに次から次へ續いて行く。
 しめなは・まん幕を張りめぐらした祭場は、檜のあら木造りで、内宮・外宮の御神木の前に南面して作られてゐる。
 木の間からもれる初夏の光に、まばゆくかがやく祭場の東から南へかけた林の傾斜面は、拜觀者や、靑年學校・國民學校の生徒などで、うづめつくされてゐる。みやまれいきに打たれて、だれ一人靜けさを破る者はない。きちんと姿勢を正して、祭典の始るのを待つてゐる。
 午前十時、最初のたいこが、あたりの靜けさを破つて鳴らされる。それを合圖に、身も心も清めに清めて、ひたすら今日を待つてゐた奉仕員たちは、目にしみるばかりの眞白なさいふくを着て、定めの場所へ集つて來た。
 やがて第二の太鼓が山全體に響き渡つて、儀式に使はれるいろいろな祭具が運ばれる。最後の太鼓が打ち鳴らされると、奉仕の人々は、はらひ所に並んでおはらひを受け、祭具やお供へものをささげて、靜かに祭場へ進んで行く。
 祭場には、中央と四すみに、五色のへいがかうがうしく立てられてゐる。大麻を振つて祭場が清められ、おごそかにのりとが讀まれる。  いよいよ、御神木伐り始めの御儀に移つた。
 奉仕員は、をのを取つて御神木の前方南寄りに進み、大麻でおはらひをする時のやうに、左右左と三たび、御神木の根もとへ向かつてをのを打ち込む。をの入れを終つて、奉仕の人々は、一拜して靜かに祭場を退出した。
 内宮・外宮の御神體を奉安する御神木伐り始めの御儀は、かくて終つたのである。
 しめなはでかざられた、じゆれい二百數十年に及ぶ二もとの御神木を仰げば、天を指してすくすくと生ひ立つ幹は長く、はるかに冠(かんむり)のやうな梢をいただいてゐるのが見られる。十萬五千町歩にわたる木曾の御料林中、最良の檜である。
 午後になつて、この御神木は、さらに白衣を着た十四名のえり拔きのそま夫たちによつて、伐られて行つた。
 伐り方は古式にしたがつて、御神木の根もとへとぎすましたをのを、はつしと打ち込むのである。しはぶきの聲一つしない、神代さながらの山中は、しばらくの間、打ち入れるをのの響きのこだまで滿たされる。一打ちごとに、三つの切口から清らかな木のはだが現れる。
 切り倒された御神木は、用材の長さに切られ、六十名の運材夫によつて木馬に乘せられ、木馬道を靜かに運ばれて行く。運材夫が聲高く歌ふ木やり歌は、中立神宮備林の森嚴な空氣を明かるくふるはせて、いつまでも響き渡つた。