日本語訳
編集領府事趙寅永上疏:前回、御名の会議で、廷臣は右座に座っていたが、敬謹するどころか、今日の字音のことで、諱の事を印象的に強調したおかげで、望単を還入して改定し、廷臣は大聖人の深思遠慮を欽仰を讚歎した。さて改定し、仰奏していましたが、惶懍靡措を尽くしたことはどのような成果があるのでしょうか。廷臣の一番の支障は歩くことで、山陵に移動する際、脚を引きずっており、左右に考えても、実情を訴える必要があると思ったまでで、その中でも摠護使は責任が重く、罷免しなければなりません。
返答:御名の改定は慈聖が、慎重に万全を期して後顧がないよう、筵中で下教した教旨を開釈せよと言われたので失錯はない。今、引責とは万万な事である。貴卿のような老齢な方から、どうしてご理解いただけないのか。また、摠護使の任務は、送終の道理を果たす任があります。貴卿の情礼から見ていかがなのでしょうか。いずれに安心されるとよろしい。
原文
編集庚子/領府事趙寅永上疏略曰:“向日御名會議, 臣居班右, 尤宜敬謹, 而乃因字音之或近彼諱, 至有望單之還入改定, 大聖人深思遠慮, 臣實欽仰贊歎。 果以及今忌定仰奏, 而其惶懍靡措, 容有極哉? 目下病形最妨步履, 山陵看審, 專藉脚力, 左右思量, 只有控實乞解之一條路也。 特遞臣摠護之任。”批曰: “御名改定, 慈聖所以慮慮外之事, 欲其萬全無慮之意, 而筵中所敎, 又復丁寧開釋, 則於卿有何舒錯乎? 今此爲引, 誠萬萬過中矣。 以卿老成, 何不諒此。 且摠護之任, 是終事之地也。 在卿情禮, 何可辭爲? 卿其安心勿辭。”
【太白山史庫本】1本1巻4章B面
【影印本】48本548面
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