朝鮮王朝実録/1849年/7月14日/4

日本語訳

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掌令李廷斗上疏:前正言姜漢赫が上疏して、趙秉鉉・尹致英2人を論罪したところを見ると、2人の千罪万悪は断案もあり公論を防ぐことはできませんが、むしろ不十分なところがあるのは、通常のように3、4人の武弁を共に論じていない点です。ああ、李応植・李能権は猥雑な者と称され、ひたすら媚びる行動を学んで元戎を印綬し総戎の節符の順に、要職を独り占めし勢利を貪る輩が、世の行套を成し遂げたが、終乃には奸慝の申観浩と驕濫した金鍵の輩が2人に媚争って要職を受け、道の兵使の監督を歴任して害を増やし戎符を使い回して蔭職を子供にも及ぼした。さらに臣が驚くことは、この間沁邸で奉迎する際に、李応植は私的に飛報という馬に乗り陪衛の行幸より先行した為、彼の心中を予測することができない群情は、怪しげで世論は沸騰しました。我らの考えでは、李応植・李能権・申観浩・金鍵などと一緒に絶島定配の刑典を実施することは免れられないと思います。

返答:確かにそのように見られる公墳があった場合、どう先立つ言わないが、今は喪中でこのように高らかに提起することか? 末端に論じたことは、本当にこのような場合、非常に奇妙で悪いことだ。"

原文

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掌令李廷斗疏略曰:“伏見前正言姜漢赫疏論趙秉鉉尹致英二人, 其千罪萬惡, 斷案自在, 公議莫遏, 而猶恨有未盡悉者, 蓋以三四武弁之不幷擧也。 噫! 彼李應植、李能權, 素稱蠢鹵之徒, 專習諛侫之態, 戎鈴總符, 次第輪據, 膴仕美職, 一時都占, 嗜利之徒, 打成一套乃有奸黠之申觀浩, 驕濫之金鍵輩, 爭相慕效, 益加縱恣, 雄閫歷遍於數歲, 而害專虽虽之氓, 戎符兜攬於妙年, 而蔭及哇哇之童。 臣尤有所駭墳者, 頃當沁邸奉迎之際, 應植私自傳撥, 飛報之騎, 先於陪衛之行, 其心所在, 有不可測, 群情疑怪, 輿論沸騰。 臣謂李應植、李能權、金鍵、申觀浩, 竝施絶島定配之典, 斷不可已也。”批曰: “苟有公墳, 何不言之於前, 而乃於岡極之中, 有此起鬧乎? 下端事, 眞如是也, 極爲駭惡矣。”


【太白山史庫本】1本1巻7章A面

【影印本】48本550面

先代:
1849年7月14日第三項
朝鮮王朝実録
1849年7月14日第四項
次代:
1849年7月15日第一項