朝鮮王朝実録/哲宗実録/総序

日本語訳

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哲宗大王の諱は「昪」。字は「道升」。全渓大院君第三子。母は龍城府大夫人廉氏[1]1831年6月17日夜の初め頃、慶幸坊の実家にて降誕した。1815年6月6日夕方に憲宗が薨去して、純元王后の命令を以て、沁都で奉迎されて、憲宗の王統を継承した。義母は純元王后[2]徳完君に初封され、9日乙亥時に成人式を行って昌徳宮仁政門にて即位した。1863年6月17日壬辰時に、「熙倫正極粹徳純聖」の尊号を受け、12月8日庚辰時に薨去した。在位年間は14年、春秋は33冊、肖像画は4点、その内2点は1852年哲宗3年に書かれたもので、宙合楼に安置した。世継ぎは無く、永恵翁主のみである。陵墓は睿陵[3]王后は哲仁王后[4]1837年憲宗3年3月23日庚子時誕降し、辛亥年に王后に冊封された。

脚注

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  1. 本貫は龍潭廉氏廉成化の娘。
  2. 本貫は安東金氏金祖淳の娘。
  3. 京畿道高陽市の禧陵の岡の右から見て南に所在して、4月7日に表石が同有。
  4. 本貫は安東金氏金汶根の娘。
朝鮮王朝実録/哲宗実録/総序
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