朝倉宗滴話記
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【 IA:20】朝倉宗滴話記
宗滴様御雑談共はし〴〵萩原覚
一山城にても、平城にても、むたひに責べき事、大将のふかく也、其故は可㆑然兵共目之前にて見殺物にて候、是又分別之
一先年京陣之時、東寺に公方様をはじめ、其外御近辺に、皆々御陣取候、当方之衆はにしの庄に、御大将陣西七条御所之内、せんしやう寺迄御陣取候、
一武辺の義に付て、一切成まじきといわぬ事也、心中の程見かぎられ候者也、
一敵のふまへたる所を取懸候者、敵こたへ間敷などといわぬ事也、取懸候へて、自然敵こたへ候へば、諸勢心かわるものなり、
一馬には時々
一仁不肖に不㆑寄、武者を心懸る者は、第一うそをつかぬ物也、聊もうろんなる事なく、不断理致義を立、物耻を仕るが本にて候、其故は一度大事之用に立つ事は不断うそをつきうろんなるものは、如何様の実義を申候へども、例のうそつきにて候と、【 IA:22】かげにて指をさし、敵御方共に信用なき物にて候間、能々たしなみ可㆑有事、
一惣別武者之時は、一切如何様なる大事之儀をも、口上にて申付候間、少もうろんたる事にては無㆓勿体㆒事、
一先年加州湊川を被㆑越御合戦候時、被㆓討捕㆒頸数五白余に候、其内に一向幼少なる首をば撰び出され、彼取手を被㆓召寄㆒、直に被㆓返遣候事、但前々足軽合戦之時は御撰なき事、
一大事の合戦之時、又は大儀なるのき口などの時、大将之心持見んために、士卒として種々にためすものにて候、聊も弱々敷体を見せず、詞にも出すべからず、気遣油断有間敷候事、
一武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝事が本にて候事、
一大将たる仁は不㆑及㆑申、似合の人数持候人覚悟の事、第一内の者能々なりたち候やうにと、不断心懸看経すべき也、殊に久敷侍もとより新参当参の者にても、忠節奉公仕たる跡、幼少の子供あらば、いかにも大切に取立、人に成やうに懇にすべし、自然実子無㆑之侍をば、親存生之時に似合の養子を仕候へと意見を申加へ、跡の不㆑絶やうに申付候へば、無㆑子ものも安堵の思をなし、添存候て身命を軽んずるものにて候、如㆑此懇に候へば、内の者冥加にて聞及び見及び頼もしく存じ、内輪の者は不㆑及㆑申、他家より忠節奉公可㆑仕とて、可㆑然者共出来候事、
一主人は内の者の罰当り、又内の者は主之罰当る也、君臣共に油断有べからず候事、
一内輪の者所持の馬鷹、其外太刀長刀絵讃唐物以下、無理に所望有間布事、惣別内輪に所持の重宝は、何も主の物同前也、但一旦所望あらば、相当一倍を以て所望有べし、無㆓其儀㆒候へば見たり聞たりして、内輪に物をたしなむものなくして、結句前々より所持之名物をも、他国へ出す事候、能々分別有べき事、
一人をつかふに、二人こらへ候者あれば、譜第の者を召仕れ候也、其故は先内之者不㆑届事を主人こらへ候、又主人に対し述懐を内之者こらへ候、如此互にこらへぬき候へば、子飼之もの余多出来大事之時用に立候、大犯三ケ条之科は、更に主人之成敗にあらず、此段右衛門大夫殿、宗滴へ直に被㆑仰候事、
一召出す風情、又は聊の物をたべさせられ候とも、一人二人執分たるやうにはすべからず候事、
一内之者にはおぢられたるがわろく候、いかにも涙を流しいとをしまれたるが本にて候由、昔より申伝候、左様に候はでは、大事之時身命を捨用に難㆑立候事、
一内之者にあなどらるゝと、主人心持出来候はヾ、はや我心狂乱したるよとさとるべし、其故は敵にさへあなどられまじき身上を、何とて内之者にあなどられ候はんずるや、一段比興なる心中且は家之乱の基也、
一国郡を持つ大名、武者を心懸、器用の名執する人は、天下共に同物也、第一
一たうせい、人仕之手本は、六角少弼殿三好方家中眼前事、
一大名比興の名執をするかた〴〵是又一天下共に同前、いかにも重々敷あたりの人さけおし無礼にて第一狐疑之心有て万事人疑をなし、内之者より隔心せしめ、或は家中之者有力にて人に参会し、物すきなどする事も小眼に懸け、或は世上へはゞをし、芸能など嗜事をきらひ、折々は女房衆小姓衆を近付、我身の無器用をかげにて咡候歟と立聞をさせ、やゝもすれは、毛を吹て疵を求め、理不尽に鼻をつかせ、其跡知行分多少によらず、屋内迄押執、米銭黄金を蔵に積重ね、聊も絶事なく財宝持たるを満足し、充満無㆑極、雖㆑然一度不慮の凶事出来候はば、必積置たる財宝悉く無体に消失、其家共に滅亡候、此類古今共に聞及び候、執分畠山ト三以来数多有㆑之、当国には右衛門大夫殿眼前の事、
一惣別代物黄金充満候へば、大名によらず末々の者迄も、一度凶事出来候て滅亡するものと相見へ候、近来は田屋善定幷上木覚勝など眼前之事、
一大名比興成きやうき気□□□□□□□其内輪には無㆓沙汰㆒候へ共、悪事千里とやらん、悉他国まで【 IA:24】聞ゆる物に候間、無㆓油断㆒嗜あるべき事肝要也、
一英林様御身上奇特に神変難㆑計事多く候といへども、第一慇懃を以て国を治めさせらるゝ由、年寄共申候つる、諸侍への儀は不㆑及㆑申、百姓町人風情迄も、御懇切之御文言、宛所なども過分忝様に被㆑遊候に付て、悉身命を捨御みかた仕たるよしの事、
一英林様御諚に、小太郎者随意にそたち候間、我々以後は諸侍に対し可㆑為㆓無礼㆒候、より〳〵慇懃の事を御意見候へのよし被㆓仰出㆒候旨、桂室様常に御物語候事、
一当世は上意に付て国持幷近侍之差別無㆑之、雖㆑然我々は不㆑混、自余書札之礼儀等少も本々に替まじきの由、堅萩原に被㆓仰合㆒、御状等認させられ候事、
一為㆓音信㆒の秘蔵の馬鷹、其外重宝人に遣事候に、書札慮外に候へば、彼遣たる珍物尽く無になり、出さゞるには、おとりたる事に候、下手と上手との気遣これほと違申物也、能々可㆑有㆓分別㆒事、
一国を執人之扶持する事、濃州古持
一人間として
一主人内之者の覚悟よく見知らずして、執分召仕候事
一番匠のすべき事を河原の者にさせ、又河原の者のする事を番匠に申付るごとくなる人、つかひ目きかず下手の最上也、いかなる利根の中にも、得手不得手は有ものにて候、それ〴〵に随ひ、似合ひ〳〵 に召仕候へば、諸事打任せ主人の辛労ゆかざるものに候事、
一朝夕の食は善悪面にて喰候はんずるが本にて候と、幼少の時より年寄衆申候つる、然間我等は一世の間内儀にて志たゝめたる事無㆑之候、自然桂室様
一我々子かたわに候とも、妻を執迎さいあい候はゞ、子共出来可㆓相続㆒候か、然者実子を止養子を仕候事、不㆑知者は不審すべく候、天沢様御代小次郎殿幼少之時、朔日節供出仕候体兄及候に、諸侍のあひしらひ一向無㆑曲体に候、彼方不肖には候へども、英林御孫と申、子春のさしつぎ次郎左衛門殿子に候、雖㆑然末々に成候へは若㆑期に候か、不㆑及㆓是非㆒候、扨は我々子共、弥末々に可㆑成候、もとより家来の者共可㆓下座㆒事、不便之至口惜次第と存きはめ、所詮実子を止め摠領へ近くなすべきためを申請家督に相定候、是も内の者共の為、始終可㆑然之様にとの一儀迄に候、惣別家内の者共、何れも英林様不断召遣はれたる歴々の人数に候、我等は新座之主と存置、皆々行末能様に候へかしと、旦夕念願ばかりに候事、
一英林男子八人候、合戦之時自身持道具に血を付候は、我等一人にて候、十八歳より七十九歳迄、自国他国の陣十二度、其内馬の前にてさせたる野合の
一
一覚有㆑之大将といふは、一度合戦之時持道具を自身執候はでは難㆑成由、昔より申伝候事、
一我々一世之間、敦賀へ上下何時も一日懸に仕候、此儀は我等彼郡を預り申に付て、自然之時之用所迄に如㆑此候事、
一我々七十に余候迄、毎年川より北の道筋見候はんために、鷹野と号し細々下候、是又別義にあらず候、彼国より一度
一惣別国中の道筋、かんしよ道、又順道、ふけ馬の沓打候所、又不㆑打所、能々可知事肝要に候、
一武者を心に懸候仁は、隣国之儀は不㆑及㆑申、諸国之道のり、其外海山川難所等可尋知事専一に候事、
一合戦之勝は、大略あぶなき行仕候はでは難㆑成之由、古今申伝候、但英林様被㆑仰候は、定之勝は敵の勢を知候はでは難義候由、被仰候由の事、
一侍は仁不肖によらず、まづ若年の時器用の名執をする事、弓矢の冥加果報の第一也、其故は若時無器用なる名執仕たる仁は、成人候て器用者に成候は稀に候、又若年之時、器用成仁は、成人候てたとひ無器用之様子に候へども、暫は其沙汰不㆑聞物に候間、嗜肝要候事、
一一度卒度の事に合候とて、久武者をも不㆑見候はで功者ぶり仕候者ども、一段おかしき事に候、其故は古泉四郎右衛門常々語候つる、武者遠なり候へば、足軽に罷出候時、矢風おそろしく細々打出、敵に合候へば、少々の矢をばかりおとし候はんずるやうに存ずる物にて候と申候つる、さりとては無㆓余儀㆒候、人数持候人も可㆑為㆓同前㆒候、我等は十八歳より七十九歳迄、諸陣之間十年と隔たりたる事は稀に候事、
一功者の大将と申は、一度大事の後に合たるを可㆑申候、我々は一世之間勝合戦ばかりにて終におくれに不㆑合候間、年寄候へども、功者にては有間敷候事、
一或は陣執、或は陣替、又は執出などの事、時により事により候物にて候へども、凡雨の降日用意候て、諸事を申付候へば必照日に合ふものにて候、是は鷹野風情一切之出行事普請以下に付て可㆑有㆓誉悟㆒事也、惣別海上もあれ、のわきと申事候、物の下手は照日を見かけ用意候間、必出行普請等の時あれにあふものに候事、
一舟に酔事、向に敵候て心懸る事候へば、一円に不㆑酔ものにて候由、皆々被㆓仰含㆒候、先年丹
一当代日本に国持の無器用、人つかひ下手の手本と可㆑申人は、土岐殿・大内殿・細川晴元三人也、
一又日本に国持人つかひの上手よき手本と可㆑申人は、今川殿義元・甲斐武田殿晴信・三好修理大夫殿・長尾殿・安芸毛利殿・織田上総介殿、関東には正木大膳亮殿、此等之事、
一譲持に持たる国持は、是非の沙汰に不㆑及候事、
一義景様の器用は、英林様已来有間敷候か、其故は我々八拾歳に及候を加州武者奉行に被㆑為㆑立候事、大丈夫成御心中難㆑測候、但自今以後を守て肝要に候間、如何可㆑有旨常々被㆑仰候事、
一歩立は初心に候とも、弓の執扱、矢をはぐる所手に入候はゞ、武者に弓を持べく候、手元不弁に候はゞ、歩立は如㆑形候とも、弓を置鑓を為㆑持可㆑然候事、
一小兵なる射手は鑓の代に弓を持候間、ぢやうね木ぼうは持まじく候事、根五つばかり細すやき五つ持候て可㆑然候事、
一我々若時より天沢御恩は重々不㆑及㆑申候、殊更敦賀之郡之儀被㆓仰付㆒候、宗淳御恩は一向無㆓為㆑蒙事㆒候、但天沢御恩にも劣間敷候事に候、其故は丹【 IA:28】後・近江・京都・加州・美濃如㆑此諸国武者奉行として被㆓相立㆒候、御厚恩無㆓申計㆒之由常々被㆑仰候事、
一不㆑依㆓上下㆒此等式の事には、鼻をつき成敗に及まじきと心得、随意緩怠比興を仕候事、一段未練至極なる心中成事、
一生付どん性たる者は、真実無㆓如在㆒事候間、不便之至に候、如㆑形心得たる者、我知慧ほど人は有間敷と身をゆるし、比興無理非道を仕候はゞ、一段おどけ者にくき心中可㆑為㆓重罪㆒事也、但上下によるべからざる事、
一人之恩は不断不㆑可㆑忘候、又人に恩をしかけたるがよく候、それを忘れず候へば、結句述懐出来候し、前々しかけ候恩も無になり、必義絶になる物にて候事、
一人に媒申
一賢き者の子におどけは次第に多出来る物也、おどけ者の子に賢きものは稀に候事、
一我々八十歳に及迄、惣領殿に対し申、不似合体の奉公馳走仕候事、へつらいたる様にかげにて申噯由候、無㆓分別㆒申事おかしき儀に候、其故は我々百歳に成候とも、行歩叶候はんずる間は、武者を捨まじく候、惣領殿趣向よく候へば、国中の諸侍いか様にも申付たきまゝに召仕事に候、殊更に英林様白髪頭に甲をめし、御辛労を被㆑成、被㆑召たる国に候間、第一御国の為に候、外聞はいか様にも候へ、如㆓御主㆒何事も御意次第とはひつくばうべき心中に候由、常々被㆑仰候事、
一尋常の落髪は主にをくれ、或は勘気の身に候か、又は随意の覚悟に候か、此等の外にはなきものにて候、一向発心出家の儀は不㆑及㆓沙汰㆒候、先年性安寺殿御落髪之時、御相伴に落髪仕候へかしと、内々意見之族候つれども、存の旨候て相抱候、然者御西殿不慮の御進退に付て、彼御命のため頭を用に立候間、満足之由被㆑仰候事、
一我々十九歳の時、芳永色々武者雑談御沙汰候て、御聞かせ候つる事多き中に、合戦之時武者奉行たる人諸勢の跡に居たるは悪候、先に立たるが本にて候、其故は或は分捕仕たる者、或は手負たる者、大将に見せ候はんずるとて旗本へ集り候、然間序口之人数厚成候へて弥強候、跡にひかへ候へば、退事は得手方に候間、右のごとく旗本へ悉集り候とて、一口之人数すき候て、敵二三掛り候へば必後をとり候、其時大将けなげに候て、こらへ候へば、諸勢に踏ころさるゝ為体、相搆て〳〵能々可㆑有㆓覚悟㆒事肝要候由御物語候間、我々一世之間合戦之時、一度にても跡に控たる事無㆑之候、其隠れあるまじき由、常々被㆑仰候事、
一諸勢を召連、何方へつかはれ候とも、我々などは武者奉行たるべく候間、重々敷候ては、一向不㆑可㆑叶候事、
一大将と申は、御屋形様にて候間、かろ〴〵敷候ては、一向不㆑可㆑然候、扇の要のごとくたるべき由、芳永にも御雑談候事、
一大将すべき仁は、先とらざる弓矢に名を可㆑執心懸肝要に候、無器用之名執仕候へば、縦合戦候時、働よく候共、まぐれ当と申候而、士卒一向下知をも不㆑聞物に候、不断嗜第一之由に候事
一芳永我々弓をすき候かと御尋候、其時御雑談之事多き中に、主人弓にすき自身歩立仕候へば徳多候、其故は内輪之者共、主人の御伽に弓可㆑仕とて末々迄稽古仕候間、射手多出来候、主人歩立不㆑仕候とも、士卒に弓稽古仕候へと申付候へば、てんやく又は過怠之やうに存候て、一向射手不㆓出来㆒ものに候、殊更大将弓にすき候へば、不慮之合戦有㆑之物に候、其故は或は野伏させ、或は射こみなどして見る物にて候、惣別敵味方相互にねらひあひ候物に候間、卒爾には合戦なきものにて候、自然野伏など仕候へば、不慮に合戦ある事に候、其上唐土日本共に、弓執とこそ申伝候へ、鑓取とは不㆑申候、いかにも不㆑叶候とも、弓に数寄自身可㆑有㆓稽古㆒事肝要候由被㆑仰候事、
一犬追物御射手組之衆、武者之時馬上に弓不㆑持仁は一段不覚也、其故は造作を仕、稽古候は何之時の用所に候や、但一円歩立不弁に付ては不㆑及㆓是非㆒【 IA:30】候歟、雖㆑然馬上にて鍵長刀持候はんずるよりは、弓持たるはますべく候歟の事、
一天下に権柄を執たる仁体、細川常恒幷三好家、其外諸国之侍合戦に伐負候時、昔かゝりにて候哉、自害候事無念之至不覚也、其故は敵は仁不肖には不㆑可㆑依候間、いか様なるものにても候へ、相手一人取可㆓討死㆒事に候、近年之権柄執しは、木沢左京亮大刀下において討死候、古今稀なる働無比類候事、
一尋常の年寄、夜は目いねられず、徒然なる由に候、我々は今徒然なる事一向なく候、其故はまづ国中におゐて北辺之儀は不㆑及㆑申、或は東を請南を請西を請可㆓合戦行㆒、或は不慮に御屋形様と只二人になり、惣国を敵に請合戦切勝べき調儀又加州之儀は不㆑及㆑申、其上に隣国江執懸伐取べき調儀、又天下を執御屋形様上京させ可㆑申謀略、重々様々思案候間に夜を明し候間、一段之慰心乙嗜無㆓申計㆒候間、聊も徒然に無㆑之候事、
一隣国之儀は不㆑及㆑申、諸国執合之趣、同合戦之勝負の行等、当世之諸国侍、一向不㆑知㆓案内㆒と聞候、近来無㆓存寄㆒なる事也、存知たる者不㆑依㆓僧俗㆒尋求懇に聞候へて、よく可㆓覚悟㆒事肝要に候、其故は諸事に付て、後学行掛になる事徳多候也、
一武者辺に付て、大方さげすみつもりは有物に候、旧真之果所は、八幡も被㆑知間敷由、常々被㆑仰候事、
一我々無欲心なる由、世上に申族有㆑之由候、一向相違おかしき事に候、其故は何時にても、加州之儀又は濃州辺可㆑給之由候て、御人数被㆓仰付㆒候ば、聊辞退申まじく候、但ちり〳〵としたる道なき事の欲心、又は被官家来之者に不㆑謂義申掛、つり貪可㆓押領㆒欲の所存、若時より努々無㆑之候、然間扶持せざる陣衆被官人等我々代にて余多出来候、大慾者いかなる仁体にも負まじき由、常々御ざれ言候事、
一惣別先祖之判形無体に破候仁体、其身一代は能様に候へども、子孫に報ひ罰当り、跡も絶ものにて候と相見へ候、誠は天道おそろしき事也、我々兄弟の儀を申事は如何に候へども、孫五郎殿・孫七郎殿・英林様之御判を被破子孫退転之事眼前之事猿楽道に蓮花を治ると申事、一段秘事にて候よし、善珍弥次郎申候、是は侍之上に専可入事は口伝有之候事、一仁不肖に不依、又上下に不限、武者数寄たる侍は、天道之冥加候て、衆人愛敬福分之相也、又無数寄に候て、武者嫌の侍は、仏神の綱もきれ、第一人ににくまれ、ひんぼうの相也、其故は武者嫌は諸人に対し懇なる事なく、内の者には目を掛ず候へど、をのづからすいびすると常々御雑談候事、
一侍は信心肝要也、但余に過たるはおどけ者の名執すると相見へ候、其故は少々の事をも、神仏のとがめぞと思なし、心のあやかりに成ものに候、惣別之看経には現世安隠後生善所第一弓矢冥加、此外は有まじく事に候、色々難題を神仏へ祈誓仕懸候へば、神は非礼をうけざる故に、諸事不㆑叶事共に候、当世は布施をもしか〳〵と不㆑出、剰神社仏寺領無体に落しとり、天役に祈祷をさせ候間、いかなる貴僧高僧も手柄不㆑見、神仏納受なき事に候、英林様毎日之御看経は、御書付を以て光明院に御布施にてさせ被㆑申候、朝御手水参候て則彼御巻数御頂戴候、もとより毎月之御祈祷も過分之御布施を以て、貴僧高僧に被㆓仰付㆒候、御自身の御看経には、御公事を被㆓聞召㆒候て、御成敗厳重に被㆓仰付㆒、其外に武芸を専に御沙汰候より、御子孫繁昌御国静誕天下無双の事、
一敵より夜討之時は、我々の陣所に拵居候て、敵のつきたる所能々聞すまし、弱き所へ助合戦候はんずる事肝要に候、惣別何時も敵執掛候はんずる時は、柵より外へ不㆑可㆓罷出㆒、そのゝち柵をゆひ候間、其覚悟専一に候、敵執掛柵を切候はんずる時は、まつ射させつかせ強く相支、敵退かんずる時は、見合次第にて可㆑然事、
一我々不断之形儀随分可㆑嗜とは存候へども、毎々比興なる気遣は出来安きものにて候、紫野の真珠庵飯尾宗善とて、入道僧之一段耻敷大老に候、彼仁障子越に置申、不断しやさう仕度念願之由、常々被㆑仰候事、
一武者に聞逃は不㆑苦候、見逃は大に悪敷候、悉被㆑討候はでは不㆑叶ものに候、聞逃は行にて候間、更に逃たるにては有まじく候、惣別大事之退口には込掛り候はでは、のかれざるものに候由、古今申伝候、然間耳は臆病にて、目之気なげなるが本にて候由、申ならはし候事、【 IA:32】 一惣別越前之諸侍上下不㆑依、加州之儀心掛ざる者は、第一先祖に対し不孝、又は敵同前たるべき事、
一武者雑談は、いかにも功者之語を信仰せしめ、能く聞べき事肝要に候、但若時は自然手前におゐて功者ぶり仕候へば、悪敷名執をする事に候事、
一武者辺之儀に付て人を讃に、あれほど成るものは有まじきとはいはぬ事也、ならぶ者はありとも増ものは有まじきと誉たるがよく候由、芳永御物語候事、
一敵の行、知やう大事之秘事也、何時も敵之者に代物黄金をあたふれば、有のまゝにしらするもの也、隠密を以の故に、公界の人は不㆑知候、其行をする間名大将とはいはるゝ者也、
一大川に舟橋を掛る方便習有之、まづ射手に川面を射させて、其つもりを以て我方の川際にくひを打、舟を橋に大綱を以てつなぎ、扨川上之舟にかい楯をかき、射手を置川上より向へながしかくれば懸ると也、
一義景様御幼少にて大岫様に御離被㆑成候刻より、愚老を被㆓召寄㆒、万事御異見をも申上候へ、何たる義をも可㆑被㆓聞召㆒之由度々御意に候つる、誠に御器用奇特成御事と存、御奉公毎々無㆓他事㆒心中に候、御成人已来加州之義は不㆑申㆑及、諸国隣国京都迄御加勢、又は御人数等被㆓仰付㆒候得共、武者辺之様に当国へは一切其沙汰無㆑之御長久弥増候、此上は唯今相果候ても毛頭存残義なく、但今三年存命什度候、如㆑斯之儀不㆑至者、老につれ命をおしみ候事、おどけ者に候由沙汰すべく、全命を惜候事にはなく候、織田上総介方行末を聞届度念望計の事
朝倉太郎左衛門入道宗滴話記 萩原奉書記之、
朝倉宗滴話記終