1340年5月14日に北朝で出された公家訴訟法。1341年に3か条追加。暦応法とも。公家訴訟法を集大成したものとして高く評価されている。— ウィキペディア日本語版「光厳天皇」より。
雜訴法
雜訴條々、
一訴陳可爲二問二答、若猶󠄁有相殘事者、追󠄁進一問一答可被許之、二間答之後備進具󠄁書、一切可被停止事、
一陳狀過󠄁廿箇日者、可被止所󠄁務、被止所󠄁務之後、過󠄁十五箇日者、可被付敵方、但違󠄂背至極之後、云被止所󠄁務法、云被付知行之儀、任被定置之旨、可有沙汰之旨、重被相觸、又過󠄁十箇日者、不待訴人催促、任法可有其沙汰事、
一重訴狀日限、同可爲甘箇日、過󠄁彼日限者、可被止訴訟󠄁、其法可准陳狀難澁事、
一初問以下訴狀、每度相具󠄁陳狀可返󠄁進、不相副者、奉行人不可請󠄁取陳狀事、
一論入出對難澁及󠄁兩度者、可被止所󠄁務、其後猶󠄁不參決者、不可及󠄁再往之催促可被付敵方、於訴人者可被弃捐訴訟󠄁事、
一可被置庭中幷越訴事、
庭中日〈四日 九日 十九日 廿四日〉
件日々當番傳奏著󠄁文󠄁殿、可尋聞訴人所󠄁申、委被糺決申沙汰、私曲分露顯者、啻匪被改奉行、宜被止出仕、將又訴人構不實矯餝、恣及󠄁庭󠄁中者、永被弃訴訟󠄁、至雜掌者可被召出使󠄁廳、凡奏事不實幷姧訴罪條同此法、
越訴日〈十四日 廿九日〉
奉行人被定其仁、可著󠄁文󠄁殿事、〈人數可爲二人、〉
一謀書、其犯令露顯者、諸大夫以上者准贖銅儀、可被收公󠄁所󠄁領、於無知行地之輩者、被解却官職、至侍以下及󠄁諸雜掌者、可被禁獄其身、若以實書稱謀書者、就反坐科條、縱雖爲理訴、被弃捐訴訟󠄁之上、宜依所󠄁犯之人躰、有隨分󠄁之勘事、於雜掌者、可被召出使󠄁廰、諸社祠官諸寺住侶甲乙緇素、准之可有罪科沙汰事、
一以問狀院宣濫妨所󠄁務、幷訴陳中間致狼藉輩事、
一以不知行地、稱當知行、掠賜院宣輩事、
兩箇罪條、准贖銅可被分󠄁召所󠄁領事、
一同輩不賜院宣之以前、不知行露顯之時、可入本訴是非之由雖申請󠄁、詐僞之企無所󠄁遁者、永可被弃置訴訟󠄁事、
一獻芹賄賂、任代々制、殊可有其沙汰、傳奏以下及󠄁文󠄁殿衆等、若有受用之聞者、委被尋󠄁究、依所󠄁犯之實、永可被止出仕、至訴論人者、縱帶理訴、可被停廢彼沙汰事、
一後嵯峨院聖代、經沙汰勅裁當知行地、無殊子細者、不可被許訴訟󠄁事、
一延慶以來訴訟󠄁中絕地、捧往年文󠄁書訴申輩、不可及󠄁沙汰事、
一凡緇素非一流由緖之所󠄁領、不知行及󠄁三代之輩、不可被許訴訟󠄁事、
一不備進自身相傳證文󠄁之族訴訟󠄁、不可及被尋󠄁下、但如連卷總領所󠄁持文󠄁書、并他人所󠄁帶狀、有支證之由訴申之類非此限事、
一下職及󠄁本所󠄁成敗地、元弘建武天下擾亂之時、依一同法、任申請雖被下安堵勅裁、開發寄進之餘流、幷先々帶聖斷之外、非御沙汰限事、
一神社佛寺、受用諸人不知行髣髴之寄附、不可致訴訟󠄁事、
一被下文殿訴陳、先三十箇日中、迴覽文書、對決之後、五ヶ日中可勘奏事、
一御前評定、并越訴庭中日、文殿衆可皆參事、
一文󠄁殿衆俸祿、就忠勤淺深、可有賞罰沙汰事、
一於寬元以來不知行地者、縱雖令相續訴訟󠄁、不可及󠄁御沙汰事、
一後嵯峨院御代、經沙汰弃捐餘流、不可被許訴訟󠄁事、
對決難澁事、及󠄁二箇度者、可被止所󠄁務之由、先度雖被定其法、於向後者、召出一方、就訴陳可被注進是非之由、所󠄁被仰下也、可被存知之狀如件、
〈曆應四〉十一月十六日
大外記殿
文殿〈一日 四日 十 十三日 十六日 十九日 廿二日 廿五日 廿八日 十度也〉
一、文殿御沙汰日
一番〈四日 十四日 廿四日、此日庭中有之〉
伝奏〈式部卿〉
勧修寺大納言 侍従中納言 平中納言 高大蔵卿
二番〈九日 十九日 廿九日 此日庭中有之〉
伝奏〈式部卿云々〉
大理〈資明〉 葉室中納言〈長光〉 坊城宰相〈経季〉
越訴庭中日
十四日 廿九日〈毎月二ヶ度、於文殿衆皆参〉
奉行
勧修寺大納言 葉室中納言
一、雑訴評定日
七日 十七日 廿七日〈毎月三ヶ度〉
評定衆〈於廻覧者自前博陸至大理卿勘進之〉
前関白殿 関白殿 太政大臣 前右府
勧修寺大納言 大理 葉室中納言 侍従中納言
平中納言 大蔵卿 坊城宰相
使庁沙汰日〈此外臨時評定連〃有之〉
三日 八日 十三日 十八日 廿三日 廿八日
出仕官人
大判事明成朝臣 博士大夫判官章有朝臣
佐渡大夫判官秀清朝臣 勢多大夫判官章兼朝臣
高倉大夫判官章世朝臣 能登判官信音朝臣
姉小路新判官明宗宿祢 藤弘
章倫 章頼
久定 親弘
章弼
諸保
一条以南土御門以北 章廉
土御門以南近街以北 章藤
近衛以南中御門以北 章頼
中御門以南大炊御門以北 章倫
大炊門以南二条以北 章弼
二条以南三条以北 明成宿祢
三条以南四条以北 章有朝臣
四条以南五条以北 秀清朝臣
五条以南六条以北 章兼朝臣
六条以南七条以北 章世朝臣
七条以南八条以北 信音
八条以南九条以北 明宗
文殿衆
大外記中原朝臣師右 左大史小槻宿祢匡遠
〈闔閤〉
大外記中原朝臣師利 散位中原朝臣師治
大判事坂上大宿祢明成 左大史小槻宿祢清澄
明法博士中原朝臣章有 右衛門大夫中原朝臣秀清
左衛門少尉中原朝臣章世
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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