早稲田実業学校校歌
解説
編集当時の資料が少なく、詳細は不明ながら、同時期在籍していた卒業生の述懐によると、1913年の秋、早稲田大学の創立30周年記念式典(10月17日挙行)に合わせて作られたようである。詞に相馬御風、曲に永井建子が選ばれたが、相馬は1907年に早稲田大学校歌の詞を書いていること、永井は早稲田実業の近隣にあった陸軍戸山学校で軍楽隊長を務めていた(1915年まで)ことがその理由に推察される。
全部で6番よりなるが、式典などではもっぱら2番までしか歌われず、生徒手帳も同様、3番以降の歌詞は掲載していない。
2番の一節「聖き活動我が商業の」の「商業」は、高等部の普通科設置後に「早実」に改定されて現在に至る。
校歌
編集- 作詞
- 相馬御風(1883年-1950年、著作権消滅)
- 作曲
- 永井建子(1865年-1940年、著作権消滅)
- 都のいぬゐ早稲田なる
- 常磐の森のけだかさを
- わが品性の姿とし
- 実る稲穂の帽章に
- 去華就実のこの校風を
- 高くぞ持するわが健児
-
- 国と国との隔てなき
- 民の利福を理想とし
- 世界を一に結ぶべき
- 大なる使命をになひたる
- 聖き活動我が早実の
- 未来の鍵はこゝにあり
-
- 俗世の嵐はげしくも
- 商海の波あらくとも
- われに不屈の精神と
- 堅実至誠の人格と
- 事に迷はぬ理智さへあらば
- 何か行くてを妨げん
-
- 見よやわれらの為すところ
- かの徒らに空漠の
- 理を弄ぶ遊民は
- 何ぞわれらが友ならん
- 学と実とのその調和こそ
- われらが真の事業たれ
-
- かのいたづらに物質の
- 奴隷となれる輩も
- はたやわれらが友ならず
- 国家に尽くす働きと
- 正しき道を守るこゝろぞ
- とはにわれらの生命なる
-
- いざやわが友手をとりて
- 希望の歌をうたひつゝ
- 学びの道をはげまなん
- いざやわが友手をとりて
- 平和の戦いざ商業の
- 活動場裡へ進まなん
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