新撰和歌髄脳
一 和歌六義
一、風 二、賦 三、比 四、興 五、雅 六、頌
一 和歌四病
一、岸樹 二[1]、風燭 三、浪船 四、落花
第一、岸樹者 此病は第一の句の始の字と第二の句の始の字と同じきなり。
第二、風燭者 此病は句每の第二の字と第四の字と同じきなり。
第三、浪船者 五字の句の第四の字と七の字の句第六七の字と同じきなり。
第四、落花者 此病は句每に同じ字のやうなる詞をまじへたるなり。亂れ合ひて詠ずる聲の惡しきなり。
故に重ね詠む體、これをば重點の歌といふ。かるが故に重ね詠む。
疊句體
- 思なき思に似たる思かな思 うちに思う思は
- 心こそ心をはかる心なれ心のあだは心なりけり
かく詠むを疊句の體といふなり。
連句體
春の野、夏の野、秋の野、冬の野、など詠むなり。
一、和歌八品
一者 物ニ對スル(或説題) 二者 物ニ寄ル(或物贈)
三者 思ヲ述ル 四者 人ヲ怨ル(或説恨)
五者 別ヲ惜ム 六者 咎ヲ悔ル
七者 妙ノ歌(或歌ヲ爲題) 八者 返の[2]歌
一、和歌六義體
一者、二五三七。五七五七七 三十文字餘り一文字なり。是を長歌といふ。
二者、五七五七、多少いくらもたゞ人の心なり。是を短歌といふ。
三者、旋頭歌。さきの三十一字長歌五句に又一句を加ふるなり。五字も七字をも人の心なり。
四者、混本歌。さきの三十一字長歌の五句を一句を除くなり。五字も七字も人の心なり。
五者、折句歌。五文字あることを出して句每の初の字におくなり。
六者、沓冠歌。十文字あることを出して句每の初終の字に置くなり。
第一に二五三七。五七五七七と云ふは、三十文字餘り一文字なり。是を長歌といふ。
- いかるがや富の緖川の絶えばこそ我がおほきみの御名は忘れめ
と詠み給へるをはじめとして和歌はひろまりにけるなり。
第二に五七五七、多少いくらも人の心なり。是を短歌といふ。
- かけまくも かしこけれども いはまくも ゆゝしけれども あすか山 まつしまがえに
- 久方の あまつみことを 畏くも 定め給ふと いはがくれます まきの立つ
- ふは山越えて 瓜生山 とゞまりまして 天の下 榮えむ時に 我もとも〴〵
第三に五七五七。さきの三十一字の長歌五句に今一句を加へたり。五字も七字も心なり。是を旋頭歌といふ。三十八字などあり。
- 夢路には 足もやすめず 通へども なぞやかひなし 現にひと目 見しごとはあらず
- ます鏡 そこなるかげに 向ひ居て 見る時にこそ 知らぬ翁に 逢ふ心地すれ
- かの岡に 草刈る男 しかな刈りそ ありつゝも 君が來まさむ み馬草にせむ
又橘貞樹朝臣の船に乘りて、うちにして詠めるひともと歌
- 船に乘りうしほかきわけ玉藻かる程ばかりだに立つな朝霧
第四に混本歌。さきの三十一字の長歌五句を一句を除くなり。五字も七字も人の心なり。
三國町の祝歌云、
- いはの上に根ざす松かへとのみぞたのむ心あるものを
- 朝顏のゆふかげ待たず散り易き花のよぞかし
第五[3]に折句歌。五字あることを出して、句每の初の字に置くなり。小野小町が人の許に琴借りに遣はす歌云、琴たまへとなむ据ゑたりける。
- ことのはも ときはなるをば たのまなむ まつは見よかし へては散るやと
返歌に、琴はなしと云へり。
- ことのはゝ とこなつかしき はなをると なべての人に しらすなよゆめ
第六に沓冠歌。十文字あることを出して、句每の初終の字におくなり。仁和の聖主、承香殿の女御の御許に遣はせる御製歌云、あはせたきものすこしと云へり。
- あふさかも はてはゆきゝの せきもゐず たづねてとひこ きなばかへさじ
貞行朝臣かつらに行き通ふ所侍りけるに、京上したりと聞きて、七月七日到れりけるに、前に花すゝき、女郞花ありけるを見て詠めるなり。
- をのゝはぎ みし秋にゝず なりぞます へしだにあやな したのけしきは
一 和歌八病
一、同心、是そうすなり。同じ心の病。
二、亂思、是けいせきなり。亂れ思ふ病。
三、欄蝶、是へいとうなり。ませの蝶の病。
四、渚鴻、ざうびなり。ものかわ[4]の病。
五、花橘、是ほんごなり。花たち花の病。
六、老楓、是さすなり[5]。老たるかづらの病。
七、中飽、是けむちうなり。中に飽く病。
八、後悔、是かいとうなり。後に悔ゆる病。
第一、同心、歌一首が中に二度同じ詞を用ゐるなり。もし已上ことさらに重ね詠むはそのとがなし。證文云、
- 水田かきたかだのまちにまかすとて水なき田ゐにほと〳〵にゐぬ
左衞門督源朝臣歌云、
- うたばうてひかばひかなむこよひさへあなことわりな寢ではかへらじ
詞は同じけれども心異なれば病にあらず。中原左大臣歌云、
- 秋なれどわさ田を刈れる所なみ雁がねよそに鳴き渡るかも
第二、亂思と云は、詞は優なくして常にそへて詠めるなり。その心見えず。紀少娘歌云、
- かく許り憂きことしげき世の中に人のみるめをつゝむあま人
第三、欄蝶と云は、歌の初と後との心の相違したるなり。古小嶋が歌云、
- 春霞たなびく山の松が枝にほにはあらずて白雲ぞたつ
第四、渚鴻。一題に引かれて詞をいたはらざるなり。浦の鷗の藻にまとはれ、磯の龜の波に溺るゝが如し。
- くれの冬我身ふりゆくゆきかけの上にぞ降れるをしけゝむなは[6]
第五、花橘と云は、詞をすなほにして、名をすてゝ身をいたはらざるなり。情なき人は未だ知らず。物によそへて詞をつゞれるなり。
- あなづるなたけどもくちき燃えなくにたとへばそもや我戀ふらくは[7]
第六、老楓と云は、一つ歌の中に籠りて思はぬことなく、皆盡しつるなり。例へばかうばしきかつらの花のまづ少し衰へたるを紅葉といひてはいかでかあらむといふ心なり。小野小町云、
- 人心我身を秋になればこそ憂き言の葉もいたく散るらめ
第七、中飽と云は、一つ歌の中に二五三七、五句の中に三十一字が外に、若しは一文字二文字、三四五六字あるなり。されば三十五六字などある歌もあり。是は深き病にあらず。唯いかなる時にかあらむ、さ詠まるゝ歌のあるなり。上の一句は定まりて五文字あるを、古歌云、おほあらぎの杜の下草などよめば、六文字になりぬるは、さやうなる事出で來れば必ず三十一字より外に又文字の餘るなり。それとがにあらず。
第八、後悔と云は、心靜に思ひめぐらさで、まだしきに書き出でつるを、後に思ふに惡しかりけりと思へば、後はなげき悔ゆるなり。されば猶しばらく思ふべきなり。
新撰和歌髓腦云々。
脚注
編集このファイルについて
編集- 底本は佐々木信綱編著『日本歌学大系第一巻』第7版、1991年。