支那人の日本観

支那前大総統 孫逸仙氏談

支那の政局は依然として混沌を極め、余と雖もその適帰する所を知らない、南北和議の問題も決裂以来久しく停頓を続けて忽ち年を経たのであるが、最近の形勢より按ずれば和平の気運次第に動き恐らく遠からずして上海和平会議も開催の運びに到るであろう、併しその結果に就ては如何とも云い難い、支那改造運動も最近盛んに論議せられつつある、然し余の見る所によれば改革の第一歩は交通機関の完備を措いて他にないと思う、先ず之を完成した上で次第に他に就くべきである、支那各地に於ける排日運動も相変らず猖獗を極め、太だ悲しむべき現象ではあるが、最近に於ける支那人の排日感情は潤浸する所頗る深遠なるものあれば容易に之を除去することは不可能である、余も日本の自然的膨脹の已むを得ざることは之を認むると雖も日本が若しその発展の地を支那に求むるならば、結局夫れは絶望であると云わねばならぬ、将来日本がその進出口を支那に向けても支那人は猛然として反抗的態度を採るに相違ない、日本は目下世界的憎悪の中心となって非常なる窮地に陥って居り、支那に於ては支那人の排斥を喰い、南方に発展せんとすれば欧米人の反対を買い、西伯利に於ても同様である、唯将来日本が排斥を受くることなしに十分驥足を延べんと欲するならば須らく、南洋に赴くべきである、瓜哇スマトラ方面に於ける土人は素より数十万の支那人も未だ大に日本人を歓迎するのであるから、極力此方面に向って発展を策するが良い、況んや該地は日本人の故郷ではないか、他に容れられざる時故郷に向って還るのは頗る自然のことである、翻って世界の大勢を眺むるに今次の欧洲戦争は世界の形勢を一変し、アングロサクソン民族の横暴は日と共に募ってきた。此時に際し吾人亜細亜人は斯くの如く内争是れ事として居るべき秋ではない、アングロサクソン民族と非アングロサクソン民族の結合との衝突は早晩免れ難い運命である、之に就ては是非とも日本及び支那が相結んで中心勢力となって対抗せねばならぬ、然らば印度人は勿論土耳其も独逸もバルカン諸国も吾等に加担して形勢は興味多いものとなるであろう、亜細亜人たる者は須らく眼を大局に注いで事を計るべきである、其の際に於ける中心勢力を構成するがためには日本は極力海軍力を蓄え置き、支那は主として陸軍力を強固にする必要があると思う

朝鮮問題も愈困難なる問題となって来たが、余の意見としては日本は須らく鮮人の希望を容れて独立を承認するに如かずと考える、朝鮮併合ということは朝鮮人の怨恨を買ったのは勿論、支那人その他日本に対する疑惑を高め如何ばかり日本を現在に於ける苦しい立場に陥れることに大なる影響を与えたか、由来支那人程正義を好む民族はない、日本は曾て支那が朝鮮の独立を侵犯すると称して日清戦争を起し支那は戦敗の結果台湾を割譲し巨額の償金を払ったのであるが、正義なる支那人は真に満朝皇室が独立を犯したことを認めて一言も日本に対して怨嗟の声を叫べなかったのみならず、却て日本を尊敬し、曩に欧米に留学せる学生も滔々として日本の文明を学ばんがために日本に趨り、殊に日露戦争以後は尊敬を超越して崇拝となり、極端なるものに至っては日本皇帝を以て清帝に代え、桂公を以て両国の総理大臣となし、恰も戦前に於ける墺匈国の如き真正の同君連合となさんとさえ唱うる者もあったのに今日の如き正反対の有様となったのは、この朝鮮併合と云う事実が与って力ある事であるこの結果は又支那人に非常なる疑惑と不安を与え、今日の如き醸成を醸す主因となったのみならず、今日に於ては併合の主要なる原因たりし露西亜帝国も斯くの如く崩壊し去って、日本は北方に対して何等の脅威も消滅したる今日、日本が鮮人の希望を容れて独立を承認したとて何の障害があるか、反って鮮人は之が為めに満腔の謝意を表して永く忘れざるべく、支那人も日本の侵略に対する一切の疑惑と不安の念を一掃して昔日の交情を復活し、東亜の平和は始めて茲に確立すると信ずるのである

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