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笑われた悲しみ 編集

春の日のぽかぽか照る河原で、子どもたちがすもうをとっていた。
その中で十三歳の川村松蔵がいちばん強かった。年の上の子がかかっても、三度に二度までは負かされた。五番ぬきをやってみると、やはり松蔵が勝ちぬいた。
「今日は松蔵に、すっかり松蔵に、すっかりなめられてしまったな。」
十四の音丸はそういってぺたりと砂地にすわった。
「なあに、すもうなどはどうでもよい。侍の子は槍や刀で強ければよいのだ。」
十五の勇太が負けおしみをいった。
「でもすもうに強いと合戦に出てくみうちして勝てるぞ。」といった子がある。
「うちの兄さまは、去年の関ケ原合戦に、くみうちで手柄をした。」といった子もある。
勇太はその方をにらみつけた。
「それぐらいなんだ。おれの父さまは去年、槍で働いて、敵の首を三つもとった。だからこんど殿さまから、五百石の加増をいただいた。すばらしい手柄だろう。
勇太の父親は、二百石の侍であつたが、加増にあずかって、今は七百石の身分に出世しているのである。
「うちのおじいさまも、たくさん加増をいただいている。」
音丸も負けずにじまんした。
「おれの父さまもいただいた。」
「私の父さまも。」
どの子も口々に、めいめいの親や兄の手柄をじまんしあつた。その中ですもうに強かった松蔵だけはなにもいわない。ただじっときいているだけであった。すると、勇太がいじわるそうに問いかけた。
「おい松蔵、どうしたのだ。おまえはなぜだまっているのだ。おまえのおやじは加増をいただかなかったのか。」
「うん、まだ。」
松蔵は口ごもりながらこたえた。
「なあんだ。それではだめだ。こんどいただけなければもういただけないぞ。おまえのやじはなんの手柄もなかったのだろう。わっはっは。」
と勇太のあざわらい。松蔵はおもわず顔が赤くなった。
「おまえのおやじは、体こそ大きいが、いくら大きくても手柄なしでは見かけだおしだ。かわいそうに、あっはっは。」
みんなも笑えといわんばかりであった。
子として親ほど大切なものはない。親が笑われて腹がたつ。だが松蔵の父は去年の合戦にでることはでたが、加増どころかすこしのごほうびさえいただけなかったのである。元が百二十石の侍で、いまも百二十石のままである。すこしも出世していない。手柄なしといわれてもしかたがない。
じつとがまんしてだまりこんでいたが、松蔵はくやしくてたまらなかった。
やがて日が暮れかかったので、河原からしょんぼりと、広島城下のわが家へかえった。
「松蔵どうかしたの。顔色がわるいではないの。お友だちにでもいじめられたのかえ。」
門口にいた姉のお若がしんぱいしてたずねた。
「ううん。なんでもない」
松蔵はかぶりをふって裏へまわった。そこには父の川村伝右衛門がせっせと馬の手入れをしていた。父の顔を見ると松蔵オは、さっきのくやしさが胸にこみあげてきた。でも勇太に笑われたことを、ありのままには告げたくない。
「父さま、なあ父さま。父さまは去年の合戦には、どういふふうな働きをしたの。」
とおまわしにたずねてみた。
「みょうなことをきくのだな。どうしたのだ。」
父は黒い馬を洗ってやりながら、むこうをむいたまま問い返した。
「ううん。父さまはよその人たちの、勇ましく働いたことなどは、よくはなしてくださったけれども、自分の働いたようすなどは、いつたずねても笑うばかりで、まだはなしてくださらないでしょう。だからききたいのです。」
「そうか。だが話してきかせるほどのことはないのだ。わしは去年は、たいして働かなかったからな。」
「なんにもないの。」
「ないなあ。」
「でもなにかすこしぐらい手柄をしたのではないの。」
「手柄か。は、は……。手柄というものは、だれもがしたいのだが、しかし手柄をするのにつごうのいい場合にぶつからぬと、したくてもできないものだ。つごうのいいばあいにぶつかるのは、十人に一人か二十人に一人かだ。わしはその運がなかったのだよ。」
これをきいて松蔵はがっかりした。なんとなしに悲しくなった。夕暮れの空にはさびしく烏が鳴いていた。
「だがな、松蔵。」
父は気らくそうに笑った。
「わしは手柄こそなかったが、卑怯なことはしていないぞ。武士として恥ずかしくないつもりだ。しんぱいするな。去年は手柄がなくとも、このつぎの合戦にうめあわせをすればよい。その気でくじけず、わしはこのとおり馬も大切にして強くし、自分も体をしっかりきたえている。わかったか。は、は、は……」
父はごほうびも加増もいただけないが、それをすこしも気にしてはいないのである。松蔵はなんとなく気が晴れてきた。しかしまだ、勇太に笑われたのを忘れることができなかった。勇太にいいかえしてやることはできないのだと思えば、やっぱりくやしかった。
ところが、その晩おそくなってから、父にも松蔵にも思いがけないことがおこった。父の川村伝右衛門へ、にわかにお城からお使いが来て、
「殿様のお召しだ。いそいでお城へあがるように。」と申しわたしたのである。
「夜おそく、にわかにお呼び出しとはめずらしいことだ。よいことか悪いことかわからないが、どっちにしても容易ならぬことであろう。」と、心に案じながら伝右衛門は、いそいで登城した。


去年の敵 編集

殿さまというのは、荒大名で名高い、福島左衛門大夫正則である。
正則は去年の秋、徳川家康に味方をして、関ケ原の合戦に出たが、その少し前にやはり徳川方の大将とともに、岐阜の城を攻めた。
城の敵は、はじめは野に出てきて戦ったが、その中にすぐれて勇ましい武将があった。正則はその働きぶりをながめていて、敵ながらあっぱれな勇将だと感嘆した。
それは岐阜城主の片腕とたのまれていた、木造こづくり大膳という侍大将であった。しかしそのときの戦は、ついに岐阜城主が降参したので、大膳は城をたちのいて浪人となった。
そこで正則は、わざわざ大膳のたちのき先へ使いをやって、「わしの家来になってくれぬか。」と、相談をかけた。大膳もその手あついまねきに感激して、「それでは家来にしていただきましょう。」と約束した。そこで正則は、ただの勇士ではない、二千三千の士卒をさしずしていた勇将であるからといって、かくべつに二万石の知行をあたえた。
その大膳を相手に去年の岐阜の戦いの話をはじめていたのだった。
「あのときのきさまの戦いぶりは、なかなかものすごかった。この正則の軍勢も、ほかの大将たちの軍勢も、一時はあぶないほどであった。」
正則がこういってほめる。
「しかし、とうとう私のほうが負けとなりました。」
大膳は笑った。
「敗れて城へひきかえそうとすると、殿さまやほかの大将がたの軍勢が、きびしくとりかこむものですから、ずいぶんこまりました。」
「そうであろう。こっちは軍勢が多かったからな。だがきさまはいくどもふみとどまって、勇敢にふせいだ。ふせぎながら部下を先へ先へと、うまく退却させた。あのかけ引きはじつにみごとなものであった。」
「そうでしたかな。まあ、どうかこうかあのときは、部下をまとめて城へ引きあげたのですが、その途中のことです。城に近い七曲りの山道にさしかかりました。その時はもう追撃してくる者はみんな追い返したつもりでおったのです。ところがふりかえってみると、一騎はるかに追いかけてくる者があります。」
「一騎だけか。」正則は問いかえした。
「ただ一騎だけです。その時私の部下は、たいてい先へ引きあげていたが、それでもまだ私のそばに十五、六人の供がついていました。そこへたった一騎で、待てえ待てえ、勝負をせい、とよばわりながら追いかけてまいりました。」
「大胆きわまるやつだな。」
「めずらしい勇士です。私の供の士卒がさえぎったが、その勇士は馬でけちらし槍でたたきたおして迫ってきました。たおした者の首などは取らずに、私を眼がけて、一陣の頭であろう、大将であろう、逃げるとは卑怯だぞと、こうののしりながら追いかけてくるのです。」
「よほどの剛勇だな。」
「鬼か仁王が荒れ走るように見えました。それがどこまでもと、七曲りの坂をまがりまがって、追うも追うたり、とうとう城の門前近くまで追いせまったのでござります。」
「よくもそこまでふみこんだな。」
「これでは私もがまんなりませぬ。さらば勝負と槍をかまえました。しかしかまえてかかると、供の士卒が馬の内をとらえ、しりをたたいてむりやりに私を門内におしこみました。」
「もっともだ。きさまは、侍大将だから、一騎討ちの勝負よりも、あのばあいには一時もはやく城へはいって、防戦のさしずをせねばならぬ。ただ一騎の武者を討ちとるよりも、城をとられぬ用心が大切だ。」
「そこで供の者はすばやく門の扉をとじました。そのとき先にひきあげていた部下が、かの勇士目がけて鉄砲の筒口をそろえて打ちだしました。」
「うーむ。それではたまるまい。」
「しかしその勇士はたおれませぬ。勇猛な者には弾もあたらぬものか。その武者は筒煙の中につっ立ち、しばらく城櫓をにらんでから、高々と名乗りをあげて立ち去りました。」
「ほう。それはめざましかったであろう。」
「すごいほどみごとな、武者ぶりでございました。今日となってもその姿が、ありありと私の目にものこっていますが、さてその武者はそののちどうなったものか。そののちの戦いに討ち死にもせず、いまも生きているならば、一度対面して、あの時のことを話しあいたいものと存じます。」
「で、その武者はなんと名乗ったのか。」
「殿さまは何者とおぼしめします。」
「うむ。あの戦いには諸大将の家来が、入りまじつていたのだが、もしやこの正則の家来でなかったか。」
「いかにもそれは、殿のご家来でござりました。その武者は城をにらんで――福島家侍、川村伝右衛門と勝負する者はないか、ないかないかと、くりかえしてよばわりました。」
「おう。やったな。しかし川村伝右衛門とは……」
正則は小首をかたむけた。
五十万石の大大名ともなれば、家来がおおい。下々の者の名まえでもいちいち覚えきれないが、いちどでも自分の前へ目見えにでた侍の名ならばわすれるはずはないのである。その勇士が馬上であったからには、侍に相違ない。ところが正則は川村伝右衛門という名を、まだきいたことがなかったのである。
「わしは一こうにおぼえない名だが、だれかしらぬか。」
と、おそばのものを見まわした。
そこには七、八人の武功の侍たちもいあわせたが、だれもその名を知っていなかった。ただ老臣の一人が、
「あるいは与力組の者ではありませぬかな。」
と、こたえた。
なるほど侍の中には直臣じきしんと与力とがある。おなじ侍でも与力は身分がひくい。正則の前に出られるような者はめったにない。おおくは目見えをゆるされていないから、与力ならば正則もいちいち名をおぼえていないわけである。
そこで右筆ゆうひつ(書記)に命じて、与力の人名簿をしらべさせたところが、あったあった。川村伝右衛門という名が見えた。それは百二十石の与力侍であった。
「おう。それではやはりこの正則の家来であったのか。それなら掘り出しものだ。明日といわず今夜目見えをゆるす、大膳にも対面させてやる。すぐによびだせ。」と、小姓にもうしつけた。
そこでお使いが伝右衛門の家へはしったのであった。

意外な幸福 編集

伝右衛門はそんなこととはしらない。
夜中ににわかのよびだしであるから、これはただごとではないと、しんぱいしながら登城した。小姓にあんないされてははるか末座に平伏すると、
「近うすすめ。ゆるすぞ。すすめ。」
正則は上機嫌でさしまねいた。そして大膳のそばまですすませると、
「どうだな大膳。これが川村伝右衛門だ。見おぼえあるか。」
「ござります。」
大膳は伝右衛門をじっと見た。
「川村うじ、わしは木造大膳だ。このたび殿さまへ召しかかえられたが、お手前とは去年出おうたことがあるな。」
「さあ。どこでお目にかかりましたことでしたか……」
伝右衛門はまだ気がつかなかった。
「それ岐阜の合戦の時、わしが城外七曲がりの口の坂道を引きあげる時、ただ一騎で追いかけたのは、その方ではなかったか。」
「あ、そういわれると思いだしました。それではあのときの大将が大膳どのでござったか。あのときお手前は朱の頰当てをつけられていたゆえ、お顔はわからず、またお名乗りもなされぬから、だれと知りようもない。ただよい敵と見たゆえ追いかけました。それでは、あのとき、大将と見えたのが大膳どのでござったか。」
「いかにもこの大膳だ。」
「あのときお手前さまは、鹿角かづのの前立て物打った兜、黒具足、馬は葦毛でござったな。」
「そのとおり、また川村うじは十文字の槍、四半の指し物、馬は黒駒であったな。」
「はい。」
「具足も黒、胴には輪違いの紋があった。」
「いかにも。」
「ならばまちがいはない。あのときの敵はたしかに川村うじだ。
「おうおう。」
伝右衛門はおぼえず膝をうった。
「あのとき槍をしごいて、よびかけながら近よったお手前の武者ぶりは、まことに一騎当千の勇士と見えた。」
「いや。さようにほめられたはおはずかしい。」
「いや。みごとであった。あのとき槍を合わせたなら、わしが討たれるかお手前が討ち死にか、どっちかの命はなかったが、あのまま別れたからこそ、こうしておたがいに生きてただいま対面もできたというもの。去年の敵が今日の友だ、これからはむつまじくまじわりたい。」
「もったいないおことば、大膳どのは音にきこえた勇将、ことに二万石の大身たいしん、私などへお友だちとはおそれいります。」
「そうではない。侍は武勇をとうとぶ。武勇に身分の上下はない。わしはお手前の武勇をうやまうのだ。」
「あれほどのことを武勇などとは、いよいよもっておはずかしい。しかし大膳どのほどのお方から、さようにおほめいただくのは、この伝右衛門の身にとって、まことに名誉に存じます。」
大膳と伝右衛門がうれしげにあいさつした。正則もうれしそうだった。
「伝右衛門。」
「は。」
伝右衛門はうやうやしく手をついた。
「その方がただ一騎で大膳を追うた気象のするどさ。一人の味方もつづかぬのに、城門までもおいかかった大胆さは、たとえ敵の首をとらずとも、とったよりもすぐれた武勇じゃ。しかしそれほどに働きながら、なぜにだまっていた。なぜいままでとどけ出なんだか。」
「おとどけもうしあげるほどのねうちはないと思いました。あのとき私が運よく大膳どのの首をとったなら、それは手柄ともうせましょう。また士卒の首でもとって帰ったなら、働いた証拠にもなりましょう。しかしざんねんながら、あのときのようすを見たのは敵ばかりで、味方は一人もしりませぬ。味方の知らぬようなかげのことを、自分からもうしでるのははずかしゅうござりました。」
「ならばあとで、懇意な友だちくらいには話したことがあるか。」
「いえいえ。」
「だれにもいわなんだか。」
「もうしませぬ。」
「さてさてえんりょぶかいな。どうだ大膳これをどう思うか。」
正則は大膳を見た。
「いよいよ感服いたします。たいていの者はわが働きは、針ほどのことも棒ほどに吹聴いたします。ない手柄もあるように見せたがるのに、これはなんという謙遜な、潔白な精神でござりましょう。まことにまことにおくゆかしく存じます。」
大膳はこたえた。
「いかにもそうだ。」
正則は力をこめてうなずいた。
「その謙遜な心がけも、また勇猛な追撃もともに感心である。これが早くわかったなら、ほうびも早くあたえたであろう。しかしおくれてもこのままにはしておけぬ。今夜の勇将と勇士の、めでたい再会を祝うて、ほうびのかわりに伝右衛門へ、この正則から酒さかなをつかわそう。」
正則はゆかいそうに筆をとって、さらさらと一通の書状をかいて、伝右衛門へあたえた。それはただの酒さかなではない。酒さかなよりはるかにとうといおすみ付きであった。
伝右衛門がおしいただいて拝見すると、加増二千石をつかわす、与力二十騎の組頭を申しつけると、かいてあった。
伝右衛門はびっくりした。そしてあまりのありがたさにはらはらと涙をこぼした。
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家では松蔵も母も姉のお若も、しんぱいして待ちかねていた。そこへ伝右衛門がにこにこしてお城からかえってきた。
「みなみなよろこべ。」
つったったままふところからすみ付きを出した。
「これは殿さまからくだされた。わしは今日までは、ただの与力であったが、今夜からは与力二十騎の頭に出世したのだ。知行も二千百二十石にあがったのだ。」
伝右衛門は、そのわけをすっかり話した。これをきくと「わっ。」と、松蔵が泣きふした。しばらくすると涙をひきこすって、
「ああ、これからはもう勇太などに父さまを笑わせるものか。」そういってまた泣いた。
しかし父を笑われてくやしかった松蔵は、やがてしずかに考えた。
――我が父を笑われるのはくやしい。ひとも親を笑われてはくやしかろう。我が父が出世したとて、ひとの親をあなどるな――
と自分で自身をいましめた。
松蔵はそのあくる日も、太田河原ですもうをとって遊んだが、父の誉はれはだれにもかたらなかった。勇太にたいしてもいわなかった。
 

この著作物は、1944年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。