悟浄出世
本文
編集- 寒蟬敗柳に鳴き大火西に向ひて流るる秋のはじめに
- なりければ心細くも三蔵は二人の弟子にいざなはれ
- 嶮難を凌ぎ道を急ぎ給ふに、忽ち前面に一条の大河
- あり。大波湧起りて河の広さそのいくばくといふ限
- りを知らず。岸に上がりて望み見る時傍に一つの石碑
- あり。上に流沙河の三字を
篆字 にて彫付け、表に四 - 行の小楷字あり。
- 八百流沙界
- 三千弱水深
- 鷲毛飄不起
- 蘆花定底沈
- ―西遊記―
一
編集- 其の頃流沙河の河底に
栖 んでをつた妖怪 の総数凡 そ一万三千、中で、渠 ばかり心弱きは無かつた。渠に言はせると、自分は今迄に九人の僧侶を啖 った罰で、其等九人の骸顱 が自分の頸の周囲 について離れないのださうだが、他の妖怪等には誰にもそんな骸顱は見えなかった。「見えない。それは儞 の気の迷ひだ」と言ふと、渠は信じ難げな眼で、一同を見返し、さて、それから、何故自分は斯うみんなと違ふんだらうといつた風な悲しげな表情に沈むのである。他の妖怪等は互ひに言合うた。「渠 は、僧侶どころか、ろくに人間さへ咋 つたことは無いだらう。誰もそれを見た者が無いのだから。鮒 やざこを取つて喰つてゐるのなら見たこともあるが」と。又彼等は渠 に綽名 して、独言悟浄と呼んだ。渠が常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔に苛 まれ、心の中で反芻 される其の悲しい自己呵責が、つい独り言となつて洩れるが故である。遠方から見ると小さな泡が渠の口から出てゐるに過ぎないやうな時でも、実は彼が微かな声で呟 いてゐるのである。「俺は莫迦 だ」とか、「どうして俺は斯 うなんだらう」とか、「もう駄目だ。俺は」とか、時として「俺は堕天使だ」とか。 - 当時は、妖怪に限らず、あらゆる
生 ものは凡 て何かの生れかはりと信じられてをつた。悟浄が曾 て天上界で霊宵殿の捲簾 大将を勤めてをつたとは、此の河底で誰言はぬ者も無い。それ故頗 る懐疑的な悟浄自身も、竟 にはそれを信じてをるふりをせねばならなんだ。が、実をいへば、凡ての妖怪の中で渠一人はひそかに、生れかはりの説に疑をもつてをつた。天上界では五百年前に捲簾大将をしてをつた者が今の俺になつたのだとして、さて、其の昔の捲簾大将と今の此の俺とが同じものだといつていいのだらうか?第一、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してをらぬ。其の記憶以前の捲簾大将と俺と、何処が同じなのだ。身体が同じなのだらうか?それとも魂が、だらうか?ところで、一体、魂とは何だ?斯うした疑問を渠が洩らすと、妖怪共は「又、始まつた」といつて嗤 ふのである。あるものは嘲弄するやうに、あるものは憐愍 の面持を以て「病気なんだよ。悪い病気の所為 なんだよ」と言うた。
- 事実、渠は病気だつた。
- 何時の頃から、又、何が
因 でこんな病気になつたか、悟浄はそのどちらをも知らぬ。ただ、気が付いたら其の時はもう、此のやうな厭 はしいものが、周囲に重々しく立罩 めてをつた。渠は何をするのもいやに成り、見るもの聞くもの凡てが渠の気を沈ませ、何事につけても自分が厭はしく、自分に信用がおけぬやうに成つて了うた。何日も何日も洞穴に籠つて、食も摂 らず、ギョロリと眼ばかり光らせて、渠は物思ひに沈んだ。不意に立上つて其の辺を歩き廻り、何かブツブツ独り言をいひ又突然坐る。その動作の一つ一つを自分では意識してをらぬのである。どんな点かはつきりすれば、自分の不安が去るのか、それさへ渠には解らなんだ。ただ、今迄当然として受取つて来た凡てが、不可解な疑はしいものに見えて来た。今迄纏 まつた一つの事と思はれたものが、バラバラに分解された姿で受取られ、その一つの部分々々に就いて考へてゐる中に、全体の意味が解らなくなつて来るといつた風だつた。 - 医者でもあり・占星師でもあり・祈禱者でもある・一人の老いたる魚怪が、或時悟浄を見て斯う言うた。「やれ、いたはしや。因果な病にかかつたものぢや。此の病にかかつたが最後、百人の中九十九人迄は惨めな一生を送らねばなりませぬぞ。元来、我々の中には無かつた病気ぢやが、我々が人間を
咋 ふやうになつてから、我々の間にも極く稀 に、之に侵される者が出て来たのぢや。この病に侵された者はな、凡ての物事を素直に受取ることが出来ぬ。何を見ても、何に出会うても『何故?』と直ぐに考へる。究極の・正真正銘の・神様だけがご存じの『何故?』を考へようとするのぢや。そんな事を思うては生物 は生きて行けぬものぢや。そんな事は考へぬといふのが、此の世の生物の間の約束ではないか。殊に始末に困るのは、此の病人が『自分』といふものに疑をもつことぢや。何故俺は俺を俺と思ふのか?他の者を俺と思うても差支へなからうに。俺とは一体何だ?斯う考へ始めるのが、この病の一番悪い徴候ぢや。どうぢや。当りましたらうがの。お気の毒ぢやが、此の病には、薬もなければ、医者もない。自分で治すよりほかは無いのぢや。余程の機縁に恵まれぬ限り、先づ、あんたの顔のはれる時はありますまいて。」
二
編集- 文字の発明は
疾 くに人間世界から伝はつて、彼等の世界にも知られてをつたが、総じて、彼らの間には文字を軽蔑する習慣があつた。生きてをる智慧が、そんな文字などといふ死物で書留められる訳がない。(絵になら、まだしも画けようが。)それは、煙を其の形の儘に手で執 らへようとするにも似た愚かさであると、一般に信じられてをつた。従つて、文字を解することは、却 つて生命力衰退の徴候 として斥 けられた。悟浄が日頃憂欝なのも、畢竟 、渠が文字を解するために違ひないと、妖怪共の間では思はれてをつた。 - 文字は
尚 ばれなかつたが、しかし、思想が軽んじられてをつた訳ではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少くはなかつた。ただ、彼等の語彙 は甚だ貧弱だつたので、最もむづかしい大問題が、最も無邪気な言葉で以て考へられてをつた。彼等は流沙河の河底にそれぞれ考へる店を張り、ために、此の河底には一脈の哲学的憂欝が漂うてゐた程である。或る賢明な老魚は、美しい庭を買ひ、明るい窓の下で、永遠の悔なき幸福に就いて瞑想してをつた。或る高貴な魚族は、美しい縞 のある鮮緑の藻の蔭で、竪琴をかき鳴らしながら、宇宙の音楽的調和を讃へてをつた。醜く・鈍く・馬鹿正直な・それでゐて、自分の愚かな苦悩を隠さうともしない悟浄は、斯うした知的な妖怪どもの間で、いい嬲 りものになつた。一人の聡明さうな怪物が、悟浄に向ひ、真面目くさつて言うた。「真理とは何ぞや?」そして渠の返辞をも待たず、嘲笑を口辺に浮べて大胯 に歩み去つた。又、一人の妖怪―これは鮐魚 の精だつたが―は、悟浄の病を聞いて、わざわざ訪ねて来た。悟浄の病因が「死への恐怖」にあると察して、之を哂 はうがためにやつて来たのである。「生ある間は死なし。死到れば、既に我なし。又、何をか懼 れん。」といふのが此の男の論法であつた。悟浄は此の議論の正しさを素直に認めた。といふのは、渠自身決して死を怖れてゐたのではなかつたし、渠の病因も其処には無かつたのだから。哂はうとしてやつて来た鮐魚 の精は失望して帰つて行つた。
妖怪 の世界にあつては、身体と心とが、人間の世界に於ける程はつきりと分かれてはゐなかつたので、心の病は直ちに烈しい肉体の苦しみとなつて悟浄を責めた。堪へ難くなつた渠 は、つひに意を決した。「この上は、如何に骨が折れようと、又、如何に行く先々で愚弄され哂はれようと、とにかく一応、この河の底に栖 むあらゆる賢人、あらゆる医者、あらゆる占星師に親しく会つて、自分に納得の行く迄、教えを乞はう」と。- 渠は粗末な
直綴 を纏うて、出発した。
- 何故、妖怪は妖怪であつて、人間でないか?彼等は、自己の属性の一つだけを、極度に、他との
均衡 を絶して、醜い迄に、非人間的な迄に、発達させた不具者だからである。或るものは極度に貪食で、従つて口と腹が無闇に大きく、或るものは極度に淫蕩で、従つてそれに使用される器官が著しく発達し、或るものは極度に純潔で、従つて頭部を除く凡ての部分がすっかり退化しきつてゐた。彼等はいづれも自己の性向、世界観に絶対に固執してゐて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどといふ事を知らなかつた。他人の考の筋道を辿 るには余りに事故の特徴が著しく伸長し過ぎてゐたからである。それ故、流沙河の水底では、何百かの世界観や形而上学が、決して他と融和することなく、或るものは穏かな絶望の歓喜を以て、或るものは底抜けの明るさを以て、或るものは願望 はあれども希望 なき溜息を以て、揺動く無数の藻草のやうにゆらゆらとたゆたうてをつた。
三
編集- 最初に悟浄が訪ねたのは、
黒卵道人 とて、其の頃、最も高名な幻術の大家であつた。余り深くない水底に累々 と岩石を積重ねて洞窟を作り、入口には斜月三星洞の額が掛かつてをつた。庵主は、魚面人身、よく幻術を行うて、存亡自在、冬、雷を起し、夏、氷を造り、飛者 を走らしめ、走者 を飛ばしめるといふ噂 である。悟浄は此の道人に三月仕へた。幻術などどうでもいいのだが、幻術を能くする位なら真人であらうし、真人なら宇宙の大道を会得してゐて、渠の病を癒 すべき智慧をも知つてゐようと思はれたからだ。併し、悟浄は失望せぬ訳に行かなかつた。洞の億で巨鼇 の背に坐つた黒卵道人も、それを取囲む数十の弟子達も、口にすることといへば、凡て神変不可思議の法術のことばかり。又、その術を用ひて敵を欺かうの、何処其処 の宝を手に入れようといふ実用的な話ばかり。悟浄の求めるやうな無用の思索の相手をして呉るものは誰一人としてをらなんだ。結局、莫迦 にされ哂 ひものになつた揚句、悟浄は三星洞を追出された。
- 次に悟浄が行つたのは、沙虹隠士の所だつた。之は、年を経た
蝦 の精で、既に腰が弓のやうに曲り、半ば河底の砂に埋もれて生きてをつた。悟浄は又、三月の間、此の老隠士に侍して、身の廻りの世話を焼きながら、その深奥な哲学に触れることが出来た。老いたる蝦の精は曲つた腰を悟浄にさすらせ、深刻な顔付で次のやうに言うた。 - 「世はなべて空しい。この世に何か一つでも善きことがあるか。もし有りとせば、それは、此の世の終がいづれは来るであらうことだけぢや。別にむづかしい理屈を考へる迄もない。我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、
懊悩 、恐怖、幻滅、闘争、倦怠。方 に昏昏味々粉々若々として帰する所を知らぬ。我々は現在といふ瞬間の上にだけ立つて生きてゐる。しかも其の脚下の現在は、直ちに消えて過去となる。次の瞬間も又次の瞬間も其の通り。丁度崩れ易い砂の斜面に立つ旅人の足許が一足毎に崩れ去るやうだ。我々は何処に安んじたら良いのだ。停まらうとすれば倒れぬ訳に行かぬ故、やむを得ず走り下り続けてゐるのが我々の生ぢや。幸福だと?そんなものは空想の概念だけで、決して、或る現実的な状態をいふものではない。果敢 ない希望が、名前を得ただけのものぢや。」 - 悟浄の不安げな面持を見て、之を慰めるやうに隠士は付加へた。
- 「だが、若い者よ。さう
懼 れることはない。浪にさらはれる者は溺れるが、浪に乗る者は之を越えることが出来る。此の有為転変をのり超えて、不壊 不動の境地に到ることも出来ぬではない。古の真人は、能く是非を超え善悪を超え、我を忘れ物を忘れ、不死不生の域に達してをつたのぢや。が、昔から言はれてをるやうに、さういふ境地が楽しいものだと思うたら、大間違ひ。苦しみも無い代りには、普通の生ものの有つ楽みも無い。無味、無色。誠に味気ないこと蠟 の如く砂の如しぢや。」 - 悟浄は控へ目に口を挾んだ。自分の聞き度いと望むのは、個人の幸福とか、不動心の確立とかいふ事ではなくて、自己、及び世界の究極の意味に就いてである、と。隠士は
目脂 の溜つた眼をしよぼつかせながら答へた。 - 「自己だと?世界だと?自己を外にして客観世界など、在ると思ふのか。世界とはな、自己が時間と空間の間に投射した幻ぢや。自己が死ねば世界は消滅しますわい。自己が死んでも世界が残るなどとは、俗も俗、甚だしい
謬見 ぢや。世界が消えても、正体の判らぬ・此の不思議な自己といふ奴こそ、依然として続くぢやらうよ。」 - 悟浄が仕へてから丁度九十日目の朝、数日間続いた猛烈な腹痛と下痢の後に、此の老隠者は、つひに
斃 れた。斯かる醜い下痢と苦しい腹痛とを自分に与へるやうな客観世界を、自分の死によつて抹殺出来ることを喜びながら……。 - 悟浄は
懇 ろに後をとぶらひ、涙と共に、又、新しい旅に上つた。
- 噂によれば、坐忘先生は常に坐禅を組んだまま眠り続け、五十日に一度目を覚まされるだけだといふ。そして、睡眠中の夢の世界を現実と信じ、たまに目覚めてゐる時は、それを夢と思つてをられるさうな。悟浄が此の先生をはるばる尋ねて来た時、やはり先生は睡つてをられた。何しろ流砂河でも最も深い谷底で、上からの光も殆ど射して来ない有様故、悟浄も目の慣れる迄は見定めにくかつたが、やがて、薄暗い底の台の上に
結跏趺座 したまま睡つてゐる増形 がぼんやり目前に浮かび上つて来た。外からの音も聞えず、魚類も稀にしか来ない所で、悟浄も仕方なしに、坐忘先生の前に坐つて目を瞑 つて見たら、何かヂーンと耳が遠くなりさうな感じだつた。 - 悟浄が来てから四日目に先生は眼を開いた。すぐ目の前で悟浄があわてて立上り、礼拝するのを、見るでもなく見ぬでもなく、ただ二三度
瞬 きをした。暫く無言の対坐を続けた後沙悟浄は恐る恐る口をきいた。「先生、早速でぶしつけでございますが、一つお伺ひ致します。一体『我』とは何でございませうか?」「咄 !秦時 の踱轢鑚 !」といふ烈しい声と共に、悟浄の頭は忽ち一棒を喰 つた。渠はよろめいたが、又坐に直り、暫くして、今度は十分に警戒しながら、先刻の問を繰返した。今度は棒が下りて来なかつた。厚い唇を開き、顔も身体も何処も絶対に動かさずに、坐忘先生が、夢の中でのやうな言葉で答へた。「長く食を得ぬ時に空腹を覚えるものが儞 ぢや。冬になつて寒さを感ずるものが儞ぢや。」さて、それで厚い唇を閉ぢ、暫く悟浄の方を見てゐたが、やがて眼を閉ぢた。さうして、五十日間それを開かなかつた。悟浄は辛抱強く待つた。五十日目に再び眼を覚ました坐忘先生は前に座つてゐる悟浄を見て言つた。「まだ居たのか?」悟浄は謹んで五十日待つた旨を答へた。「五十日?」と先生は、例の夢を見るようなトロリとした眼を悟浄に注いだが、ぢつと其の儘ひと時ほど黙つてゐた。やがて重い唇が開かれた。 - 「時の長さを計る尺度が、それを感じる者の実際の感じ以外に無いことを知らぬ者は愚かぢや。人間の世界には、時の長さを計る器械が出来たさうぢやが、のちのち大きな誤解の種を蒔くぢやらう。
大椿 の寿も、朝菌 の夭 も、長さに変りはないのぢや。時とはな、我々の頭の中の一つの装置 ぢやわい。」 - さう言い終ると、先生は又眼を閉ぢた。五十日後でなければ、それが再び開かれることがないであらうことを知つてゐた悟浄は、睡れる先生に向つて
恭々 しく頭を下げてから、立去つた。
- 「恐れよ。をののけ。面して、神を信ぜよ」
- と流砂河の最も繁華な四辻に立つて、一人の若者が叫んでゐた。
- 「我々の短い生涯が、その前と後とに続く無限の大永劫の中に投入してゐることを思へ。我々の住む狭い空間が、我々の知らぬ・又我々を知らぬ・無限の大
広袤 の中に投込まれてゐるころを思へ。誰か、自らの姿の微小さに、をののかずにゐられるか。我々はみんな鉄鎖に繋がれた死刑囚だ。毎瞬間毎に其の中の幾人かづつが我々の面前で殺されて行く。我々は何の希望もなく、順番を待つてゐるだけだ。時は迫つてゐるぞ。その短い間を、自己欺瞞と酩酊とに過さうとするのか?呪はれた卑怯者奴 !其の間を汝の惨めな理性を恃 んで自惚 れ返つてゐるつもりか?傲慢な身の程知らず奴!噴嚔 一つ、汝の貧しい理性と意志とを以てしては、左右出来ぬではないか。」 白皙 の青年は頰を紅潮させ、声を嗄 らして叱咤 した。其の女性的な高貴な風姿の何処にあのやうな激しさが潜んでゐるのか。悟浄は驚きながら、其の燃えるやうな美しい瞳に見入つた。渠は青年の言葉から火の様な聖 い矢が自分の魂に向つて放たれるのを感じた。- 「我々の為し得るのが、只神を愛し己を憎むことだけだ。部分は、自らを、独立した本体だと自惚れてはならぬ。飽く迄、全体の意志を以て己の意志とし、全体の為にのみ、自己を生きよ。神に合するものは一つの霊となるのだ。」
- 確かに之は聖く優れた魂の声だ、と悟浄は思ひ、しかし、それにも拘はらず、自分の今
饑 ゑてゐるものが、この様な神の声でないことをも、又、感ぜずにはゐられなかつた。訓言 は薬のやうなもので、痎瘧 を病む者の前に癰腫 の薬をすすめられても仕方がない、と、そのやうな事も思うた。
- その四辻から程遠からぬ路傍で、悟浄は醜い乞食を見た。恐ろしい
佝僂 で、高く盛り上つた背骨に吊られて五臓は凡て上に昇つて了ひ、頭の頂は肩よりずつと低く落込んで、頤 は臍 を隠すばかり。おまけに肩から背中にかけて一面に赤く爛 れた腫物が崩れてゐる有様に、悟浄は思はず足を停めて溜息を洩らした。すると、蹲 つてゐる其の乞食は、頸が自由にならぬままに、赤く濁つた眼玉をじろりと上向け、一本しかない長い前歯を見せてニヤリとした。それから、上に吊上つた腕をブラブラさせ、悟浄の足許迄よろめいて来ると、渠を見上げて言つた。 - 「僭越ぢやな。わしを憐れみなさるとは。若い方よ。わしを可愛想な奴と思ふのかな。どうやら、お前さんの方が余程可愛想に思へてならぬが。この様な形にしたからとて、造物主がわしを怨んどるとでも思つてゐなさるのぢやらう。どうしてどうして、逆に造物主を
讃 めとる位ですわい、この様な珍しい形にして呉れたと思うてな。これからも、どんな面白い恰好になるやら、思へば楽しみのやうでもある。わしの左臂 が鶏になつたら、時を告げさせようし、右臂が弾弓 になつたらそれで鴞 でもとつて炙 り肉をこしらへようし、わしの尻が車輪になり、魂が馬にでもなれば、こりや此の上なしの乗物で、重宝ぢやらう。どうぢや。驚いたかな。わしの名はな、子輿 というてな、子祀 、子犁 、子来 といふ三人の莫逆 の友がありますぢや。みんな女偊 氏の弟子での、ものの形を超えて不生不死の境に入つたれば、水にも濡れず火にも焼けず、寝て夢見ず、覚めて憂無きものぢや。此の間も、四人で笑うて話したことがある。わし等は、無を以て首 とし、生を以て背とし、死を以て尻としとる訳ぢやとな。アハヽヽヽヽ」 - 気味の悪い笑ひ声にギョッとしながらも、悟浄は、此の乞食こそ或ひは真人といふものかもしれんと思うた。この言葉が本物だとすれば大したものだ。併し、此の男の言葉や態度の中に何処か誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んで無理に壮語してゐるのではないかと疑はせたし、それに、此の男の醜さと
膿 の臭さとが悟浄に生理的な反撥を与へた。渠は大分心を惹かれながらも、ここで乞食に仕へることだけは思ひ止まつた。ただ先刻の話の中にあつた女偊氏とやらに就いて教を乞ひ度く思うたので、其の事を洩らした。 - 「ああ、師父か。師父はな、之より北の方、二千八百里、この流砂河が赤水・黒水と落合ふあたりに、
庵 を結んでをられる。お前さんの道心さへ堅固なら、随分と、教訓 を垂れて下されよう。折角修行なさるがよい。わしからも宜 しくと申上げて下されい」と、みじめな佝僂 は、尖つた肩を精一杯いからせて横柄に云うた。
四
編集- 流沙河と墨水と赤水との落合ふ所を目指して、悟浄は北へ旅をした。夜は葦間に仮寝の夢を結び、朝になれば、又、果知らぬ水底の砂原を北へ向つて歩み続けた。楽しげに銀鱗を翻へす
魚族 共を見ては、何故に我一人斯くは怡 しまぬぞと思ひ侘 びつつ、渠は毎日歩いた。途中でも、目ぼしい道人修験者の類は、剰 さず其の門を叩くことにしてゐた。
- 貪食と強力とを以て聞える
虯髯鮎子 を訪ねた時、色飽く迄黒く、逞しげな、此の鯰 の妖怪 は、長髯をひごきながら「遠き慮 のみすれば、必ず近き憂あり。達人は大観せぬものぢちゃ」と教へた。「例へば此の魚ぢや」と。鮎子は眼前を泳ぎ過ぎる一尾の鯉を摑み取つたかと思ふと、それをムシャムシャがぢりながら、説くのである。「この魚だが、この魚が、何故、わしの眼の前を通り、而して、わしの餌とならねばならぬ因縁をもつてゐるのか、を、つくづくと考へて見ることは、如何にも仙哲にふさはしき振舞ぢやが、鯉を捕へる前に、そんな事をくどくどと考へてをつた日には、獲物は逃げて行くばつかりぢや。先づ素早く鯉を捕へ、之にむしやぶりついてから、それに考へても遅うはない。鯉は何故に鯉なりや、鯉と鮒 との相異に就いての形而上学的考察、等々の、莫迦々々 しく高尚な問題にひつかかつて、何時も鯉を捕へそこなふ男ぢやらう、お前は。お前の物憂げな眼の光が、それをはつきり告げとるぞ。どうぢや。」確かにそれに違ひないと、悟浄は頭を垂れた。妖怪は其の時既に鯉を平らげ了ひ、なお貪婪 さうな眼付を悟浄のうなだれた頸筋に注いでをつたが、急に、其の眼が光り、咽喉 がゴクリと鳴つた。ふと首を上げた悟浄は、咄嗟 に、危険なものを感じて身を引いた。妖怪の刃のやうな鋭い爪が、恐ろしい速さで悟浄の咽喉をかすめた。最初の一撃をしくじつた妖怪の怒に燃えた貪食的な顔が大きく迫つて来た。悟浄は強く水を蹴つて、泥煙を立てると共に、愴惶 と洞穴を逃れ出た。苛刻な現実精神をかの獰猛 な妖怪から、身を以て学んだ訳だ、と、悟浄は顫 へながら考へた。
- 隣人愛の教説者として有名な無腸公子の
講筵 に列した時は、説教半ばにして此の聖僧が突然饑 に駆られて、自分の実の子(もつとも彼は蟹 の妖精故、一度に無数の子供を卵からかへすのだが)を二三人、むしやむしやと喰べて了つたのを見て、仰天した、 - 慈悲忍辱を説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕へて食つた。そして、食ひ終つてから、その事実をも忘れたるが如くに、再び慈悲の説を述べ始めた。忘れたのではなくて、先刻の飢を充たす為の行為は、てんで彼の意識に上つてゐなかつたに相違ない。ここにこそ俺の学ぶべき所があるのかも知れないぞ、と、悟浄はへんな理屈をつけて考へた。俺の生活の何処に、ああした本能的な・没我的な瞬間があるか。渠は、貴き
訓 を得たと思ひ跪ひさまづ いて拝んだ。いや、こんな風にして、一々概念的な解釈をつけて見なければ気の済まない所に、俺の弱点があるのだ、と、渠は、もう一度思ひ直した。教訓を、罐詰にしないで生 の儘に身につけること、さうだ、さうだ、と悟浄は今一遍、拝をしてから、うやうやしく立去つた。
蒲衣子 の庵室は、変つた道場である。僅か四五人しか弟子はゐないが、彼等は何れも師の歩みに倣 うて、自然の秘鑰 を探究する者共であつた。探究者といふより、陶酔者と言つた方がいいかも知れない。彼等の勤めるのは、唯、自然を観て、しみじみと其の美しい調和の中に透過することである。- 「先づ感じることです。感覚を、最も美しく賢く洗練することです。自然美の直接の感受から離れた思考などとは、灰色の夢ですよ」と弟子の一人言つた。
- 「心を深く潜ませて自然を御覧なさい。雲、空、風、雪、うす
碧 い氷、紅藻の揺れ、夜水中でこまかくきらめく珪藻類の光、鸚鵡貝 の螺旋 、紫水晶の結晶、柘榴石 の紅、螢石の青。何と美しく其等が自然の秘密を語つてゐるやうに見えることでせう。」彼の言ふことは、まるで詩人の言葉のやうだつた。 - 「それだのに、自然の暗号文字を解くのも今一歩といふ所で、突然、幸福な予感は消去り、私共は、又しても、美しいけれども冷たい自然の横顔を見なければならないのです」と、又、別の弟子が続けた。
- 「之も、まだ私共の感覚の鍛錬が足りないからであり、心が深く潜んでゐないからなのです。私共はまだまだ努めなければなりません。やがては、師のいはれる様に『観ることが愛することであり、愛することが
創造 ることである』やうな瞬間をもつことが出来るでせうから。」 - 其の間も、師の蒲衣子は一言も口をきかず、鮮緑の
孔雀石 を一つ掌にのせて、深い歓びを湛 へた穏やかな眼差 で、ぢつとそれを見詰めてゐた。 - 悟浄は、此の庵室に一月ばかり滞在した。その間、渠も彼等と共に自然詩人となつて宇宙の調和を讃へ、その最奥の生命に同化することを願うた。自分にとつて場違ひであるとは感じながらも、彼等の静かな幸福に
惹 かれたためである。 - 弟子の中に、一人、異常に美しい少年がゐた。肌は白魚のやうに透きとほり、黒瞳は夢見るやうに大きく見開かれ、額にかかる捲毛は鳩の胸毛のやうに柔かであつた。心に少しの憂がある時は、月の前を横ぎる薄雲ほどの微かな
陰翳 が美しい顔にかかり、歓びのある時は静かに澄んだ瞳の奥が夜の宝石のやうに輝いた。師も朋輩も此の少年を愛した。素直で、純粋で、此の少年の心は疑ふことを知らないのである。ただ余りに美しく、余りにかぼそく、まるで何か貴い気体ででも出来てゐるやうで、それがみんなに不安なものを感じさせてゐた。少年は、ひまさへあれば、白い石の上に淡飴 色の蜂蜜を垂らして、それでひるがほの花を画いてゐた。 - 悟浄が此の庵室を去る四五日前のこと、少年は朝、庵を出たつきりで戻つて来なかつた。彼と一緒に出て行つた一人の弟子は不思議な報告をした。自分が油断してゐるひまに、少年はひよいと水に溶けて
了 つたのだ、自分は確かにそれを見た、と。他の弟子達はそんな莫迦 な事がと笑つたが、師の蒲衣子はまじめにそれをうべなつた。さうかも知れぬ、あの児ならそんな事も起るかも知れぬ、余りに純粋だつたから、と。 - 悟浄は、自分を取つて喰はうとした鯰の妖怪の逞しさと、水に溶去つた少年の美しさとを、並べて考へながら、蒲衣子の許を辞した。
- 蒲衣子の次に、渠は
斑衣鱖婆 の所へ行つた。既に五百余歳を経てゐる女怪だつたが、肌のしなやかさは少しも処女と異る所がなく、婀娜 たる其の姿態は能く鉄石の心も蕩 かすといはれてゐた。肉の楽しみを極めることを以て唯一の生活信条としてゐた此の老女怪は後庭に房を連ねること数十、容姿端正な若者を集めて、この中に盈 たし、その楽しみに耽けるに方 つては、親昵 をも屏 け、交遊をも絶ち、後庭に隠れて、昼を以て夜に継ぎ、三月に一度しか外に顔を出さないのである。悟浄が訪ねたのは丁度此の三月に一度の時に当つたので、幸ひに老女怪を見ることが出来た。道を求める者と聞いて、鱖婆は悟浄に説き聞かせた。ものうい憊 れの翳 を嬋娟 たる容姿の何処かに見せながら。 - 「この道ですよ。斯の道ですよ。聖賢の教も仙哲の修行も、つまりは斯うした無上法悦の瞬間を持続させることに其の目的があるのですよ。考へてもご覧なさい。この世に生を
享 けるといふことは、実に、百千万億恒河沙刧 無限の時間の中でも誠に遇 ひ難く、有り難きことです。しかも一方、死は呆れる程速やかに私達の上に襲ひかかつて来るものです。遇ひ難きの生を以て、及び易きの死を待つてゐる私達として、一体、斯の道の外に、何を考へることが出来るでせう。ああ、あの痺 れるやうな歓喜!常に新しいあの陶酔!」と女怪は酔つたやうに豔妖 淫靡 な眼を細くして叫んだ。 - 「
貴方 はお気の毒ながら大変醜い御方故、私の所に留つて戴かうとは思ひませぬから、本当のことを申しますが、実は私の後房では毎年百人づつの若い男が困憊 のために死んで行きます。しかしね、断つて置きますが、その人達はみんな喜んで、自分の一生に満足して死んで行くのですよ。誰一人、私の所に留つたことを怨んで死んだ者はありませなんだ。今死ぬために、この楽しみがこれ以上続けられないことを悔んだ者はありましたが。」 - 悟浄の醜くさを憐れむやうな眼付きをしながら、最後に鱖婆は斯うつけ加へた。
- 「徳とはね、楽しむことの出来る能力のことですよ。」
- 醜いが故に、毎年死んで行く百人の仲間に加はらないで済んだことを感謝しつつ、悟浄はなほも旅を続けた。
- 賢人達の説く所は余りにもまちまちで、渠は全く何を信じていいやら解らなかつた。
- 「我とは何ですか?」といふ渠の問に対して、一人の賢者は斯ういうた。「先づ
吼 えて見ろ。ブウと鳴くやうならお前は豚ぢや。ギャアと鳴くやうなら鵝鳥 ぢや」と。他の賢者は斯う教へた。「自己とは何ぞや、と無理に言ひ表さうとさへしなければ、自己を知るのは比較的困難ではない」と。又、曰く「眼は一切を見るが、自らを見ることが出来ない。我とは所詮、我の知る能はざるものだ」と。 - 別の賢者は説いた、「我は何時も我だ。我の現在の意識の生ずる以前の・無限の時を通じて我と云つてゐたものがあつた。(それを誰も今は、記憶してゐないが)それがつまり今の我になつたのだ。現在の我の意識が亡びた後の無限の時を通じて、又、我と云ふものがあるだらう。それを今、誰も予見することが出来ず、又其の時になれば、現在の我の意識のことを全然忘れてゐるに違ひないが」と。
- 次の様に言つた男もあつた。「一つの継続した我とは何だ?それは記憶の影の堆積だよ」と。此の男は又悟浄にかう教へて呉れた。
- 「記憶の喪失といふことが、俺達の毎日してゐることの全部だ。忘れて了つてゐることを忘れて了つてゐる故、色んな事が新しく感じられるんだが、実は、あれは、俺達が何もかも徹底的に忘れちまふからのことなんだ。昨日のことどころか、一瞬間前のことをも、つまり其の時の知覚、その時の感情をも何もかも次の瞬間に忘れちまつてうんだ。其等の、ほんの僅か一部の、
朧 げな複製があとに残るに過ぎないんだ。だから、悟浄よ、現在の瞬間てやつは、何と大したものぢやないか」と。 - さて、五年に近い遍歴の間、同じ容態に違つた処方をする多くの医者達の間を往復するやうな愚かさを繰返した後、悟浄は結局自分が少しも賢くなつてゐないことを見出した。賢くなる所か、何かしら自分がフハフハした(自分でないやうな)訳の分からないものに成り果てたやうな気がした。―それは殆ど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有つてゐたやうに思ふ。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶやうなものになつて了つた。外から色んな模様を塗り付けられはしたが、中身のまるで無いものに。こいつは、いけないぞ、と悟浄は思つた。思索による意味の探索以外に、もつと直接的な
解答 があるのではないか、といふ予感もした。かうした事柄に、計算の答のやうな解答を求めようとした己の愚かさ。さういふ事に気が付き出した頃、行手の水が赤黒く濁つて来て、渠は目指す女 偊氏の許に着いた。
- 女偊氏は一見極めて平凡な仙人で、寧ろ
迂愚 とさへ見えた。悟浄が来ても別に渠を使ふでもなく、教へるでもなかつた。堅疆 は死の徒、柔弱 は生の徒なれば「学ぼう。学ぼう」といふコチコチの態度を忌まれたもののやうである。ただ、ほんの時たま、別に誰に向つて言ふのでもなく、何か呟 いてをられることがある。さういふ時、悟浄は急いで聞耳を立てるのだが、声が小さくて大抵は聞きとれない。三月の間、渠は竟 に何の教も聞くことが出来なかつた。「賢者が他人に就いて知るよりも、愚者が己に就いて知る方が多いもの故、自分の病は自分で治さねばならぬ」といふのが、女偊氏から聞き得た唯一の言葉だつた。三月目の終に、悟浄は最早あきらめて、暇 乞 ひに師の許へ行つた。すると其の時、珍しくも女偊氏は縷々 として悟浄に教を垂れた。「目が三つ無いからとて悲しむことの愚かさに就いて」「爪や髪の伸長をも意志によつて左右しようとしなければ気が済まない者の不幸に就いて」「酔うてゐる者は車から墜 ちても傷かないことに就いて」「しかし、一概に考へることが悪いとは言へないのであつて、考へない者の幸福は、船酔を知らぬ豚のやうなものだが、ただ考へる事について考へることだけは禁物であるといふことに就いて」。 - 女偊氏は、自分の
曾 て識つてゐた・或る神智を有する魔物のことを話した。其の魔物は上は星辰の運行から、下は微生物類の生死に至る迄、何一つ知らぬことなく、深甚微妙な計算によつて、既往のあらゆる出来事を溯 つて知り得ると共に、将来起るべき如何なる出来事をも推知し得るのであつた。所が、此の魔物は大変不幸だつた。といふのは、この魔物が或る時ふと、「自分の凡て予見し得る全世界の出来事が、何故に(経過的な如何にしてではなく、根本的な何故に)その如く起らねばならぬか」といふ事に想到し、其の究極の理由が、彼の深甚微妙なる大計算を以てしても竟に探し出せないことを見出したからである。何故向日葵 は黄色いか。何故草は緑か。何故凡てが斯く在るか。この疑問が、この神通力広大な魔物を苦しめ悩ませ、つひに惨めな死に迄導いたのであつた。 - 女偊氏は又、別の妖精のことを話した。之は大変小さなみすぼらしい魔物だつたが、常に、自分は或る小さな鋭く光つたものを探しに生まれて来たのだと云つてゐた。その光るものとはどんなものか、誰にも解らなかつたが、とにかく、小妖精は熱心にそれを求め、そのために生き、そのために死んで行つたのだつた。そして到頭、其の小さな鋭い光つたものは見付からなかつたけれど、其の小妖精の一生は極めて幸福なものだつたと思はれると女偊氏は語つた。斯く語りながら、しかし、之等の話のもつ意味に就いては、何の説明もなかつた。ただ、最後に師は次のやうな事を言つた。
- 「聖なる狂気を知る者は幸ぢや。彼は自らを殺すことによつて、自らを救ふからぢや。聖なる狂気を知らぬ者は禍ぢや。彼は、自らを殺しも生かしもせぬことによつて、徐々に亡びるからぢや。愛するとは、より高貴な理解の仕方。行ふとは、より明確な思索の仕方であると知れ。何事も意識の毒汁の中に浸さずにはゐられぬ憐れな悟浄よ。我々の運命を決定する大きな変化は、みんな我々の意識を伴はずに行はれるのだぞ。考へても見よ。お前が生れた時、お前はそれを意識してをつたか?」
- 悟浄は謹んで師に答へた。師の教は、今殊に身にしみて良く理解される。実は、自分も永年の遍歴の間に、思索だけでは益々泥沼に陥るばかりであることを感じて来たのであるが、今の自分を突破つて生れ変ることが出来ずに苦しんでゐるのである、と。それを聞いて女偊氏は言つた。
- 「渓流が流れて来て断崖の近く迄来ると、一度渦巻をまき、さて、それから瀑布となつて落下する。悟浄よ。お前は今其の渦巻の一歩手前で、ためらつてゐるのだな。一歩渦巻にまき込まれて了へば、那落までは一息。その途中に思索や反省の比佪のひまはない。臆病な悟浄よ。お前は渦巻きつつ落ちて行く者共を恐れと憐れみとを以て眺めながら、自分も思ひ切つて飛込まうか、どうしようかと
躊躇 してゐるのだな。遅かれ早かれ自分は谷底に落ちねばならぬとは十分に承知してゐるくせに。渦巻にまき込まれないからとて、決して幸福ではないことも承知してゐるくせに。それでもまだお前は、傍観者の地位に恋々として離れられないのか。物凄い生の渦巻の中で喘 いでゐる連中が、案外、はたで見る程不幸ではない(少くとも懐疑的な傍観者より何倍もしあはせだ)といふことを、愚かな悟浄よ、お前は知らないのか。」 - 師の教の有難さは骨髄に徹して感じられたが、それでも尚何処か釈然としないものを残したまま、悟浄は、師匠の許を辞した。
- 最早誰にも道を聞くまいぞと、渠は思うた。「誰も彼も、えらさうに見えたつて、実は何一つ解つてやしないんだな」と悟浄は
独言 を云ひながら帰途についた。「『互いに解つてるふりをしようぜ。解つてやしないんだつてことは、お互ひに解り切つてるんだから』といふ約束の下にみんな生きてゐるらしいぞ。斯ういふ約束が既に在るのだとすれば、それを今更、解らない解らないと云つて騒ぎ立てる俺は、何といふ気の利かない困りものだらう。全く。」
五
編集- のろまで愚図な悟浄のことゆゑ、翻然大悟とか、大活現前とか云つた鮮やかな芸当を見せることは出来なかつたが、徐々に、目に見えぬ変化が渠の上に働いて来たやうである。
- はじめ、それは賭をするやうな気持であつた。一つの選択が許される場合、一つの途が永遠の泥濘であり、他の途が
険 しくあつても或ひは救はれるかも知れぬのだとすれば、誰しも後の途を選ぶにきまつてゐる。それだのに何故躊躇してゐたのか。そこで渠は初めて、自分の考へ方の中にあつた卑しい功利的なものに気付いた。嶮しい途を選んで苦しみ抜いた揚句に、さて結局救はれないとなつたら取返しのつかない損だ、といふ気持が知らず知らずの間に、自分の不決断に作用してゐたのだ。骨折損を避けるために、骨はさして折れない代りに決定的な損亡へしか導かない途に留らうといふのが、不精 で愚かで卑しい俺の気持だつたのだ。女偊氏の許に滞在してゐる間に、しかし、渠の気持も、次第に一つの方向へ追詰められて来た。初めは追詰められたものが、しまひには自ら進んで動き出すものに変らうとして来た。自分は今迄自己の幸福を求めて来たのではなく、世界の意味を尋ねて来たと自分では思つてゐたが、それはとんでもない間違ひで、実は、さういふ変つた形式の下に、最も執念深く自己の幸福を探してゐたのだといふことが、悟浄に解りかけて来た。自分は、そんな世界の意味を云々する程大した生きものでないことを、渠は、卑下感を以てでなく、安らかな満足感を以て感じるやうになつた。そして、そんな生意気をいふ前に、とにかく、自分でもまだ知らないでゐるに違ひない自己を試み展開して見ようといふ勇気が出て来た。躊躇する前に試みよう。結果の成否は考へずに、唯、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗に帰したつていいのだ。今迄は何時も、失敗への危惧から努力を抛棄してゐた渠が、骨折損を厭 はない所に迄昇華されて来たのである。
六
編集- 悟浄の肉体は最早疲れ切つてゐた。
- 或日、渠は、とある道端にぶつ倒れ、そのまま深い睡りに落ちて了つた。全く、何もかも忘れ果てた昏睡であつた。渠は昏々として幾日か睡り続けた。空腹を忘れ、夢も見なかつた。
- ふと、眼を覚ました時、何か
四辺 が、青白く明るいことに気がついた。夜であつた。明るい月夜であつた。大きな円い春の満月が水の上から射し込んで来て、浅い川底を穏やかな白い明るさで満たしてゐるのである。悟浄は、熟睡のあとのさつぱりした気持で起上つた。途端に空腹に気づいた。渠はその辺を泳いでゐた魚類を五六尾手摑みにしてむしやむしや頬張り、さて、腰に提げた瓢 の酒を喇叭 飲みにした。旨 かつた。ゴクリゴクリと渠は音を立てて飲んだ。瓢の底迄飲み干して了ふと、いい気持で歩き出した。 - 底の
真砂 の一つ一つがはつきり見分けられる程明るかつた。水草に沿うて、絶えず小さな水泡の列が水銀球のやうに光り、揺れながら昇つて行く。時々渠の姿を見て逃出す小魚共の腹が白く光つては青水藻 の影に消える。悟浄は次第に陶然として来た。柄にもなく歌が唱ひ度くなり、すんでのことに、声を張上げる所だつた。その時、ごく遠くの方で誰かの唱つてゐるらしい声が耳に入つて来た。渠は立停つて耳をすました。其の声は水の外から来るやうでもあり、水底の何処か遠くから来るやうでもある。低いけれども澄透つた声でほそぼそと聞えてくる其の歌に耳を傾ければ、
- 江国春風吹不起
鷓鴣 啼在深花裏- 三級浪高魚化竜
- 痴人𡰷(尸+斗)猶夜水
- どうやら、そんな文句のやうでもある。悟浄は其の場に腰を下して、なほもじつと聴入つた。青白い月光に染まつた透明な水の世界の中で、単調な歌声は、風に消え行く狩の角笛の音のやうに、ほそぼそと何時迄もひびいてゐた。
- 寝たのでもなく、さりとて覚めてゐたのでもない。悟浄は、魂が甘く
疼 くやうな気持で茫然と永い間其処に蹲 つてゐた。その中に、渠は奇妙な、夢とも幻ともつかない世界にはひつて行つた。水草も魚の影も卒然と渠の視界から消え去り、急に、得もいはれぬ蘭麝 の匂が漂うて来た。と思ふと、見慣れぬ二人の人物が此方へ進んで来るのを渠は見た。 - 前なるは手に
錫杖 をついた一癖ありげな偉丈夫。後なるは、頭に宝珠瓔珞 を纏 ひ、頂に肉髻 あり。妙相端厳、仄 かに円光を負うてをられるは、何さま尋常人 ならずと見えた。さて前なるが近づいて云つた。 - 「我は托塔天王の二太子、
木叉 恵岸 。これにいますは即ち、わが師父、南海の観世音菩薩摩訶薩 ぢや。天竜・夜叉 ・乾闥婆 より、阿修羅 ・迦楼羅 ・緊那羅 ・摩喉羅伽 ・人・非人に至る迄等しく憫 れみを垂れさせ給ふ我が師父には、この度、爾 、悟浄が苦悩 をみそなはして、特にここに降 つて得度 し給ふのぢや。有難く承るがよい。」 - 覚えず頭を垂れた悟浄の耳に、美しい女性的な声―妙音といふか、梵音といふか、海潮音といふか、―が響いて来た。
- 「悟浄よ、
諦 かに、我が言葉を聴いて、よく之を思念せよ。身の程知らずの悟浄よ。未だ得ざるを得たりといひ未だ証 せざるを証せりと云ふのをさへ、世尊は之を増上慢とて難ぜられた。さすれば、証すべからざる事を証せんと求めた爾 の如きは、之を至極の増上慢といはずして何といはうぞ。爾の求むる所は阿羅漢も辟支仏 も未だ求むる能はず、又求めんともせざる所ぢや。哀れな悟浄よ。如何にして爾の魂は斯くもあさましき迷路に入つたぞ。正観を得れば浄業たちどころに成るべきに、爾、心相羸劣 にして邪観に陥り、今この三途無量の苦悩に遭ふ。惟 ふに、爾は観想によつて救はるべくもないが故に、之より後は一切の思念を棄て、ただただ身を動かくことによつて自らを救はうと心掛けるがよい。時とは人の作用 の謂 ぢや。世界は、概観による時は無意味の如くなれども、其の細部に直接働きかける時始めて無限の意味を有つのぢや。悟浄よ。先づふさはしき場所に身を置き、ふさはしき働きに身を打込め。身の程知らぬ『何故』は向後一切打捨てることぢや。之をよそにして、爾の救ひは無いぞ。さて、今年の秋、此の流沙河を東から西へ横切る三人の僧があらう。西方金蟬長老の転生 玄奘法師と、その二人の弟子共ぢや。唐の太宗皇帝の綸命 を受け、天竺 国大雷音寺に大乗三蔵の真経をとらんとて赴 くものぢや。悟浄よ、爾も玄奘に従うて西方へ赴け。これ爾にふさはしき位置 にして、又、爾にふさはしき勤めぢや。途は苦しからうが、よく、疑はずして、ただ努めよ。玄奘の弟子の一人に悟空なるものがある。無知無識にして、唯、信じて疑はざるものぢや。爾は特に此の者について学ぶ所が多からうぞ。」 - 悟浄が再び頭をあげた時、其処には何も見えなかつた。渠は茫然んと水底の月明の中に立ちつくした。妙な気持である。ぼんやりした頭の隅で、渠は次のやうなことをとりとめもなく考へてゐた。
- 「……さういう事が起りさうな者に、さういふ事が起り、さういふ事が起りさうな時に、さういふ事が起るんだな。半年前の俺だつたら、今の様なをかしな夢なんか見る筈はなかつたんだがな。……今の夢の中の菩薩の言葉だつて、考へて見りや、
女 偊氏や虯髯鮎子 の言葉と、ちつとも違つてやしないんだが、今夜はひどく身にこたへるのは、どうも変だぞ。そりや俺だつて、夢なんかが救済 になるとは思ひはしないさ。しかし、何故か知らないが、もしかすると、今の夢の御告 の唐僧とやらが、本当に此処を通るかも知れないといふやうな気がして仕方がない。さういふ事が起りさうな時には、さういふ事が起るものだといふやつでな……」 - 渠はさう思つて久しぶりに微笑した。
七
編集- その年の秋、悟浄は、果して、大唐の玄奘法師に
値遇 し奉り、其の力で、水から出て人間と成りかはることが出来た。さうして、勇敢にして天真爛漫な聖天大聖孫悟空や、怠情な楽天家、天蓬 元帥 猪悟能 と共に、新しい遍歴の途に上ることとなつた。しかし、其の途上でも、まだすつかりは昔の病の脱け切つてゐない悟浄は、依然として独り言の癖を止めなかつた。渠は呟いた。 - 「どうもへんだな。どうも
腑 に落ちない。分らないことを強ひて尋ねようとしなくなることが、結局、分つたといふことなのか?どうも曖昧 だな!余り見事な脱皮ではないな!フン、フン、どうも、うまく納得が行かぬ。とにかく、以前程、苦にならなくなつたのだけは、有難いが……」
注釈
編集
この著作物は、1942年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。