徒然草 (國文大觀)

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徒然草

つれづれなるまゝに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

いでやこの世に生れては、ねがはしかるべきことこそ多かめれ。みかどの御位はいともかしこし。竹の園生のすゑばまで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御ありさまはさらなり、たゞ人も舍人などたまはるきははゆゝしと見ゆ。そのこうまごまでははふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつゝ時にあひ、したり顏なるも、みづからはいみじと思ふらめどいと口をし。法師ばかりうらやましからぬものはあらじ。「人には木のはしのやうに思はるゝよ」と淸少納言が書けるも、げにさることぞかし。いきほひまうにのゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。增賀ひじりのいひけむやうに、名聞ぐるしく、佛の御をしへにたがふらむとぞ覺ゆる。ひたぶるの世すて人は、なかなかあらまほしきかたもありなむ。人はかたちありさまの勝れたらむこそあらまほしかるべけれ。ものうちいひたる聞きにくからず、あいぎやうありて詞多からぬこそあかずむかはまほしけれ。めでたしと見る人の心おとりせらるゝ、本性見えむこそ口をしかるべけれ。しなかたちこそ生れつきたらめ、心はなどかかしこきよりかしこきにもうつさばうつらざらむ。かたち心ざまよき人も、ざえなくなりぬれば、しなくだり、顏にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそほいなきわざなれ。ありたきことは、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、また有職に公事のかた、人のかゞみならむこそいみじかるべけれ。手などつたなからずはしりがき、聲をかくして拍子とり、いたましうするものから、げこならぬこそをのこはよけれ。

いにしへの聖の御代のまつりごとをもわすれ、民のうれへ、國のそこなはるゝをも知らず、よろづにきよらをつくしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそうたて思ふところなく見ゆれ。「衣冠より馬車にいたるまで、あるにしたがひてもちゐよ。美麗をもとむることなかれ」とぞ九條殿〈師輔〉の遺誡にもはべる。順德院の禁中の事ども書かせ給へる〈禁秘抄〉にも「おほやけのたてまつりものは、おろそかなるをもつてよしとす」とこそ侍れ。

よろづにいみじくとも、色このまざらむ男はいとさうざうしく、玉のさかづきのそこなき心ちぞすべき。露霜にしほたれて、所さだめずまどひありき、親のいさめ、世のそしりをつゝむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひ亂れ、さるは獨ねがちにまどろむ夜なきこそをかしけれ。さりとてひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれむこそあらまほしかるべきわざなれ。後の世の事心にわすれず、佛の道うとからぬ、心にくし。不幸にうれへに沈める人の、かしらおろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて待つこともなくあかし暮らしたるさるかたにあらまほし。顯基中納言のいひけむ、配所の月罪なくて見むこと、さもおぼえぬべし。

我が身のやんごとなからむにも、まして數ならざらむにも、子といふものなくてありなむ。「さきの中書王〈兼明親王〉、九條の太政大臣〈伊通〉、花園左大臣〈有仁〉、皆ぞう絕えむことを願ひ給へり。染殿のおとゞ〈良房〉も、子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるはわろきことなり」とぞ世繼の翁のものがたりにはいへる。聖德太子の御墓をかねてつかせ給ひけるときも、「こゝをきれ、かしこをたて、子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにものゝあはれもなからむ。世はさだめなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふのゆふべを待ち、夏のせみの春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一とせをくらす程だにもこよなうのどけしや。あかずをしとおもはゞ、千とせを過すとも一夜の夢の心ちこそせめ。すみはてぬ世に、みにくきすがたを待ちえて何かはせむ。命長ければ辱おほし。長くとも四十にたらぬほどにて、死なむこそめやすかるべけれ。そのほど過ぎぬればかたちを愧づる心もなく、人にいでまじらはむことを思ひ、夕の陽に子孫を愛し、さかゆく末を見むまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみふかく、物のあはれも知らずなりゆきなむあさましき。

世の人の心まどはすこと色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。にほひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳にたきものすと知りながら、えならぬにほひには心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女のはぎの白きを見て通を失ひけむは、まことに手あしはだへなどのきよらに肥えあぶらつきたらむは、外の色ならねばさもあらむかし。

女は髮のめでたからむこそ人の目たつべかめれ。人のほど、心ばへなどは物うちいひたるけはひにこそ物ごしにも知らるれ。事にふれて、うちあるさまにも、人の心をまどはし、すべて女のうちとけたるいもねず、身ををしとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へ忍ぶは、たゞ色を思ふがゆゑなり。まことに愛着の道その根深く源とほし。六塵の樂欲おほしといへども、皆厭離しつべし。その中にたゞかのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚なるも、かはる所なしとぞ見ゆ。されば女の髮筋にてよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはけるあしだにて作れる笛には、秋の鹿必よるとぞいひ傅へ侍る。みづからいましめて、恐るべくつゝしむべきはこのまどひなり。

家居のつきづきしくあらほしきこそかりのやどりとは思へど、興あるものなれ。よき人ののどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木だちものふりて、わざとならむ庭の草も心あるさまに、すの子、すいがいのたよりをかしくうちある調度もむかし覺えて、やすらかなるこそ心にくしと見ゆれ。多くのたくみの心を盡してみがきたて、からのやまとのめづらしく、えならぬ調度どもならべおき、前栽の草木まで心のまゝならず作りなせるは、見る目もくるしくいとわびし。さてもやはながらへ住むべき。また時の間の煙ともなりなむとぞうち見るよりもおもはるゝ。大かたは家居にこそことざまはおしはからるれ。後德大寺の大臣〈實定〉の寢殿に鳶ゐさせじとて繩をはられたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらむ何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とてその後は參らざりけると聞きはんべるに、綾の小路の宮〈性惠法親王〉のおはします小坂殿の棟に、いつぞや繩をひかれたりしかば、かのためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや鳥のむれゐて、池の蛙をとりければ、御覽じかなしませ給ひてなむ」と人の語りしこそさてはいみじくこそとおぼえしか。德大寺にもいかなるゆゑか侍りけむ。

神無月のころ栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに、遙なる苔の細道をふみわけて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝかけひのしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊紅葉など折りちらしたるさすがに住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしくかこひたりしこそすこしことさめて、この木なからましかばと覺えしか。

おなじ心ならむ人と、しめやかに物がたりして、をかしき事も世のはかなき事も、うらなくいひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、露たがはざらむとむかひ居たらむは、ひとりある心ちやせむ。たがひにいはむほどの事をば、げにと聞くかひあるものから、いさゝかたがふ所もあらむ人こそ、我はさやは思ふなどあらそひにくみ、さるからさぞともうちかたらはゞ、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむほどこそあらめ、まめやかの心の友には、遙にへだゝる所のありぬべきぞわびしきや。

ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ人を友とするこそこよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる卷々、白氏文集老子のことば、南華の篇、この國のはかせどもの書けるも、いにしへのはあはれなることおほかり。

和歌こそなほをかしきものなれ。あやしのしづやまがつのしわざも、いひ出づればおもしろく、おそろしき猪のしゝも、ふすゐの床といへばやさしくなりぬ。この頃の歌は、一ふしをかしくいひかなへたりと見ゆるはあれど、ふるき歌どものやうにいかにぞや。言葉の外にあはれにけしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲によるものならなくに」といへるは、古今集の中のうたくづとかやいひ傅へたれど、今の世の人のよみぬべきことがらとは思えず。その世の歌にはすがたことばこの類のみおほし。この歌にかぎりてかくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、ものとはなしにとぞかける。新古今には、「のこる松さへ嶺にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判の時よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じ、おほせ下されけるよし、家長が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふこともあれど、いざや、今もよみあへるおなじことば、歌枕も、むかしの人のよめるは更におなじものにあらず。やすくすなほにして、すがたも淸げにあはれも深くみゆ。梁塵秘抄の郢曲のことばこそまたあはれなる事はおほかめれ。むかしの人は、いかにいひ捨てたることぐさも皆いみじく聞ゆるにや。

いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそめさむるこゝちすれ。そのわたりこゝかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目なれぬことのみぞおほかる。都へたよりもとめて文やる、「その事かの事便宜にわするな」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそよろづに心づかひせらるれ。持てる調度までよきはよく、能ある人かたちよき人も常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。

神樂こそなまめかしくおもしろけれ。大かたものゝ音には笛、篳篥、つねに聞きたきは琵琶、和琴。

山寺にかきこもりて、佛につかうまつるこそつれづれもなく、心のにごりもきよまるこゝちすれ。

人はおのれをつゞまやかにし、驕を退けて財をもたず、世をむさぼらざらむぞいみじかるべき。昔よりかしこき人のとめるは稀なり。もろこしに許由といひつる人は、更に身にしたがへるたくはえもなくて、水をも手してさゝげて、飮みけるを見て、なりひさごといふものを人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりければ、風にふかれてなりけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心のうち凉しかりけむ。孫晨は冬月にふすまなくて、藁一束ありけるを、夕にはこれにふし、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじと思へばこそしるしとゞめて世にも傳へけめ。これらの人はかたりも傳ふべからず。

をりふしのうつりかはるこそものごとにあはれなれ。「物のあはれは秋こそまされ」と人ごとにいふめれど、それもさるものにて今一きは心もうきたつものは、春のけしきにこそあめれ。鳥のこゑなどもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに垣根の草もえ出づるころより、やゝ春深くかすみわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、をりしも雨風うちつゞきて、心あわだゝしく散りすぎぬ。靑葉になりゆくまで、よろづに唯心をのみぞなやます。花橘は名にこそおへれ、なほ梅のにほひにぞいにしへのことも立ちかへり戀しう思ひいでらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたるすべておもひすてがたきことおほし。「灌佛のころ、まつりのころ、若葉の梢すゞしげに繁りゆくほどこそ世のあはれも人の戀しさもまされ」と人のおほせられしこそ實にさるものなれ。五月あやめふくころ、早苗とるころ、水鷄のたゝくなど心ぼそからぬかは。六月のころあやしき家に夕がほの白く見えて、かやりびふすぶるもあはれなり。六月ばらへまたをかし。七夕まつるこそなまめかしけれ。やうやう夜さむになるほど、雁なきて來るころ、萩の下葉色づくほど,わさ田かりほすなど、とりあつめたることは秋のみぞおほかる。また野分のあしたこそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今さらにいはじとにもあらず。おぼしき事いはぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやりすつべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さて冬がれの景色こそ秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のいちりとゞまりて、霜いとしろうおけるあした、やり水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてゝ人ごとに急ぎあへる頃ぞまたなくあはれなる。すさまじきものにして、見る人もなき月のさむけく澄める二十日あまりのそらこそ心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞあはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとりかさねて、もよほし行はるゝさまぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそおもしろけれ。晦の夜いたうくらきに、松どもともして、夜半すぐるまで人の門たゝき走りありきて、何事にかあらむことごとしくのゝしりて足を空にまどふが、曉がたよりさすがに音なくなりぬるこそ年のなごりも心ぼそけれ。なき人のくる夜とてたままつるわざは、このごろ都にはなきを、あづまのかたにはなほすることにてありしこそあはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心ちぞする。大路のさま松たてわたして、華やかにうれしげなるこそまたあはれなれ。

なにがしとかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞをしきといひしこそ誠にさもおぼえぬべけれ。

よろづの事は月見るにこそ慰むものなれ。ある人の「月ばかりおもしろきものはあらじ」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」とあらそひしこそをかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらむ。月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩にくだけて淸く流るゝ水のけしきこそ時をもわかずめでたけれ。「沅湘日夜東に流れ去る、愁人のためにとゞまることしばらくもせず」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。嵆康も、「山澤にあそびて魚鳥を見て心たのしぶ」といへり。人遠く水草きよき所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

何事もふるき世のみぞしたはしき。いまやうはむげにいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの作れるうつくしき器も、古代のすがたこそをかしと見ゆれ。文のことばなどぞむかしの反古どもはいみじき。たゞいふことばも、くちをしうこそなりもて行くなれ。「いにしへは、車もたげよ、火かゝげよとこそいひしを、今やうの人は、もてあげよ、かきあげよといふ。主殿寮の人數だてといふべきを、たちあかししろくせよといひ、最勝講の御聽聞所なるをば、御かうのろといふべきを、かうろといふくちをし」とぞふるき人の仰せられし。

衰へたるすゑの世とはいへど、なほ九重のかみさびたるありさまこそ世づかずめでたきものなれ。露臺、朝餉、何殿、何門などは、いみじともきこゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣り戶などもめでたくこそきこゆれ。「陣に夜のまうけせよ」といふこそいみじけれ。夜のおとゞのをば、「かいともしとうよ」などいふまためでたし。上卿の陣にて行へるさまはさらなり、諸司の下人どものしたり顏になれたるもをかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝかしこにねぶり居たるこそをかしけれ。「內侍所の御鈴の音はめでたく優なるものなり」とぞ德大寺の太政大臣〈基實〉は仰せられける。

齋宮の野宮におはしますありさまこそ、やさしくおもしろきことのかぎりとはおぼえしか。經佛などいみて、なかご、染紙などいふなるもをかし。すべて神の社こそ捨てがたくなまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊にゆふかけたるなどいみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢、加茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松の尾、梅の宮。

飛鳥川の淵瀨常ならぬ世にしあれば、時うつり事さり、たのしびかなしびゆきかひて、華やかなりしあたりも、人すまぬのらとなり、かはらぬすみかは人あらたまりぬ。桃李物いはねば誰とともにか昔をかたらむ、まして見ぬいにしへのやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。京極殿、法成寺など見るこそ志とゞまり事變じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、庄園おほく寄せられ、我が御ぞうのみ御門の御うしろみ、世のかためにて、行く末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせはてむとはおぼしてむや。大門金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は燒けぬ。金堂はその後たふれふしたるまゝにて、とりたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞそのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いとたふとくてならびおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法花堂などもいまだ侍るめり。これもまたいつまでかあらむ。かばかりのなごりだになき所々は、おのづからいしづゑばかり殘るもあれどさだかに知れる人もなし。さればよろづに見ざらむ世までを、思ひおきてむこそはかなかるべけれ。

風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、なれにし年月をおもへば、あはれと聞きしことのはごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそなき人のわかれよりもまさりて悲しきものなれ。されば白きいとのそまむことをかなしび、道のちまたのわかれむことをなげく人もありけむかし。堀川院の百首の歌の中に、

 「むかし見しいもが垣根はあれにけりつばなまじりのすみれのみして」。

さびしきけしき、さること侍りけむ。

御國ゆづりの節會おこなはれて、劒、璽、內侍所、わたし奉らるゝほどこそかぎりなう心ぼそけれ。新院〈花園天皇〉新院のおりゐさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、

 「とのもりのとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞちりしく」。

今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞさびしげなる。かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。

諒闇の年ばかりあはれなることはあらじ。倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾をかけ、布のもかうあらあらしく、御調度どもおろそかに、みな人のさうぞく、太刀、平緖まで、ことやうなるぞゆゝしき。

しづかにおもへば、よろづ過ぎにし方の戀しさのみぞせむかたなき。人しづまりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、殘しおかじとおもふ反古などやりすつる中に、なき人の手ならひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ唯そのをりの心ちすれ。このごろある人の文だに久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけむと思ふはあはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくかはらず久しきいとかなし。

人のなきあとばかり悲しきはなし。中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしくせばき所にあまたあひ居て、後のわざどもいとなみあへる心あわたゞし。日かずのはやく過ぐるほどぞものにも似ぬ。はての日はいとなさけなう互にいふ事もなく、我かしこげにものひきしたゝめちりぢりに行きあがれぬ。もとのすみかにかへりてぞ更に悲しきことはおほかるべき。「しかじかの事は、あなかしこ。跡のため忌むなることぞ」などいへるこそかばかりの中に何かはと人の心はなほうたておぼゆれ。年月經てもつゆ忘るゝにはあらねど、さるものは日々に疎しといへることなれば、さはいへど、そのきはばかりは覺えぬにや。よしなしごといひてうちも笑ひぬ。からはけうとき山の中にをさめてさるべき日ばかりまうでつゝ見れば、ほどなく卒都婆も苔むし、木の葉ふりうづみて、夕の嵐、夜の月のみぞことゝふよすがなりける。思ひ出でゝ忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そもまたほどなくうせて、聞き傅ふるばかりの末々はあはれとやは思ふ。さるはあととふわざも絕えぬれば、いづれの人と名をだに知らず。年々の春の草のみぞ心あらむ人はあはれと見るべきを、はては嵐にむせびし松も、千とせを待たで薪にくだかれ、ふるき墳はすかれて田となりぬ。そのかたゞになくなりぬるぞかなしき。

雪のおもしろうふりたりしあした、人のがりいふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからむ人の、仰せらるゝ事聞き入るべきかは。かへすがへす口をしき御心なり」といひたりし|こそをかしかりしか。今はなき人なれば、かばかりの事も忘れがたし。

九月二十日のころ、ある人にさそはれ奉りて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、おぼしいづる所ありて、あないせさせて入りたまひぬ。あれたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひしめやかにうちかをりて、忍びたるけはひいとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほことざま優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戶を今すこしおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば口をしからまし。あとまで見る人ありとはいかで知らむ。かやうの事はたゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なくうせにけりときゝ侍りし。

今の內裏つくりいだされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院〈伏見院母〉御らんじて、「閑院殿のくしがたの穴は、まろくふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これはえふの入りて、木にてふちをしたりければあやまりにてなほされにけり。

甲香は、ほらがひのやうなるがちひさくて、口のほどのほそながにして出でたる貝のふたなり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所のものは「へなだりと申し侍る」とぞいひし。

手のわろき人の、憚らず文かきちらすはよし。見ぐるしとて人にかゝするはうるさし。

「久しくおとづれぬころ、いかばかり恨むらむと、我がをこたり思ひ知られて、ことばなき心ちするに、をんなのかたより、仕丁やある一人などいひおこせたるこそありがたくうれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍りし。さもあるべきことなり。

「朝夕へだてなくなれたる人の、ともある時に、我に心をきひきつくろへるさまに見ゆるこそ、今さらかくやは」などいふ人もありぬべけれど、なほげにげにしくよき人かなとぞおぼゆる。うとき人のうちとけたることなどいひたる、またよしと思ひつきぬべし。

名利につかはれて、しづかなるいとまなく、一生をくるしむるこそおろかなれ。財おほければ身をまもるにまどし。害を買ひ煩を招くなかだちなり。身の後には金をして北斗をさゝふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚なる人の目をよろこばしむるたのしみ、またあぢきなし。大なる車、肥えたる馬、金玉のかざりも、心あらむ人はうたて愚なりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利にまどふはすぐれて愚なる人なり。うづもれぬ名を、ながき世に殘さむことあらまほしかるべけれ。位たかくやんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚に拙き人も、家に生れ、時にあへば、たかき位にのぼり驕をきはむるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづからいやしき位にをり、時にあはずしてやみぬる又おほし。ひとへに高きつかさ位をのぞむも次におろかなり。智恵と心こそ世にすぐれたるほまれものこさまほしきを、つらつらおもへば、譽を愛するは人の聞をよろこぶなり。譽むる人そしる人ともに世にとゞまらず。傅へ聞かむ人またまたすみやかに去るべし。誰をかはぢ誰にか知られむことをねがはむや。譽はまた毀のもとなり。身の後の名のこりて更に益なし。これをねがふも次におろかなり。たゞししひて智をもとめ、賢をねがふ人のためにいはゞ、智恵いでゝはいつはりあり。才能は煩惱の增長せるなり。傳へて聞き、學びて知るはまことの智にあらず、いかなるをか智といふべき。可不可は一條なり。いかなるをか善といふ。眞の人は智もなく德もなく、功もなく、名もなし。誰か知り誰かつたへむ。これ德をかくし愚を守るにあらず、もとより賢愚得失のさかひに居らざればなり。まよひの心をもちて、名利の要を求むるにかくのごとし。萬事はみな非なり。いふにたらず、ねがふにたらず。ある人法然上人に、「念佛のとき睡におかされて、行を怠り侍ること、いかゞしてこのさはりをやめ侍らむ」と申しければ、「目の覺めたらむほど、念佛し給へ」とこたへられたりけるいとたふとかりけり。また「往生は、一定とおもへば一定、不定とおもへば不定なり」といはれけり。これもたふとし。また「うたがひなからも念佛すれば往生す」ともいはれけり。これもまたたふとし。

因幡の國に、何の入道とかやいふものゝむすめ、かたちよしと聞きて、人あまたいひわたりけれども、このむすめたゞ栗をのみ食ひて、更に米のたぐひをくはざりければ、「かゝることやうのもの、人に見ゆべきにあらず」とて親ゆるさゞりけり。

五月五日加茂のくらべ馬を見侍りしに、車の前に雜人たち隔てゝ見えざりしかば、おのおのおりて埒の際によりたれど、ことに人おほくたちこみて分け入りぬべきやうもなし。かゝるをりに、むかひなるあふちの木に法師ののぼりて木のまたについゐて物見るあり。とりつきながらいたうねぶりて、落ちぬべき時に目をさますこと度々なり。これを見る人あざけりあざみて「世のしれものかな、かく危き枝の上にて安き心ありてねぶるらむよ」といふに、我が心にふと思ひしまゝに、「われらが生死の到來唯今にもやあらむ、それを忘れて物見て日をくらす、愚なることはなほまさりたるものを」といひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。最も愚に候ふ」といひて、みな後を見かへりて、「こゝへいらせたまへ」とて所をさりて呼び入れ侍りにき。かほどのことわり、誰かは思ひよらざらむなれども、をりからの思ひかけぬ心ちして、胸にあたりけるにや。人木石にあらねば、時にとりて物に感ずることなきにあらず。

唐橋中將〈源雅淸〉といふ人の子に、行雅僧都とて、敎相の人の師する僧ありけり。氣のあがる病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目眉額なども腫れまどひて、うちおほひければ、ものも見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、たゞおそろしく鬼の顏になりて、目は頂のかたにつき、顏のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもり居て、年久しくありて、猶わづらはしくなりて死にけり。かゝる病もあることにこそ。

春の暮つかた、のどやかに艷なるそらに、いやしからぬ家の奧ふかく、木だちものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたきを、さし入りて見れば,南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東にむきて妻戶のよきほどにあきたる、御簾のやぶれより見れば、かたちよげなる男の、年二十ばかりにてうちとけたれど、心にくゝのどやかなるさまして、机の上にふみをくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづねきかまほし。

あやしの竹のあみ戶のうちより、いとわかき男の、月かげに色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に、こき指貫いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童一人をぐして、遙なる田の中の細道を、稻葉のつゆにそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたるあはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山のきはに總門のあるうちに入りぬ。榻にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまるこゝちして、下人にとへば、「しかじかの宮のおはしますころにて、御佛事などさふらふにや」といふ。御堂のかたに法師ども參りたり。夜さむの風にさそはれくる、そらだき物の匂も身にしむこゝちす。寢殿より廊にかよふ、女房の追ひ風よういなど、人めなき山里ともいはず心づかひしたり。心のまゝにしげれる秋の野らに、おきあまる露にうづもれて、蟲の音かごとがましく、遣り水の音のどやかなり。都の空よりは雲のゆきゝもはやき心ちして、月の晴れくもること定めがたし。

公世の二位のせうとに良覺僧正ときこえしは、きはめて腹あしき人なりけり。坊の傍に大なるえの木のありければ、人、榎の僧正とぞいひける。「この名しかるべからず」とてかの木をきられにけり。その根のありければ、きりぐひの僧正といひけり。いよいよはらだちて、きりぐひをほりすてたりければ、その跡大なる堀にてありければ、堀池僧正といひける。

柳原の邊に、强盜法印と號する僧ありけり。たびたび强盜にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。

ある人淸水へまゐりけるに、老いたる尼のゆきつれたりけるが、道すがら「くさめくさめ」といひもて行きければ、「尼御前何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、いらへもせず、なほいひやまざりけるを、たびたびとはれてうち腹だてゝ、「やゝ、はなひたる時かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、やしなひ君の比叡の山におはしますが、たゞ今もはなひ給はむとおもへば、かく申すぞかし」といひけり。ありがたき志なりけむかし。光親卿、院〈後鳥羽〉の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御をいだされてくはせられけり。物くひちらしたるついがさねを、御簾の中へさし人れてまかりいでにける。女房「あなきたな、誰にとれとてか」など申しあはれければ、「有職のふるまひやんごとなき事なり」とかへすがへす感ぜさせ給ひけるとぞ。

老きたりて、始めて道を行ぜむと待つことなかれ。ふるき塚おほくはこれ少年の人なり。はからざるに病をうけて、忽ちにこの世を去らむとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方のあやまれることは知らるなれ。あやまりといふは他の事にあらず、速にすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事を急ぎて、過ぎにしことのくやしきなり。その時悔ゆともかひあらむや。人はたゞ無常の身にせまりぬることを、心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり。さらばなどかこの世の濁りもうすく、佛道をつとむる心もまめやかならざらむ。「昔ありけるひじりは、人きたりて自他の要事をいふとき、答へていはく、今火急の事ありて、既に朝夕にせまれりとて耳をふたぎて念佛して、終に往年を遂げゝり」と禪林の十因にはべり。心戒といひけるひじりは、あまりにこの世のかりそめなることを思ひて、しづかについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありけり〈如元〉

應長のころ、伊勢の國より女の鬼になりたるをゐてのぼりたりといふことありて、そのころ二十日ばかり、日ごとに、京白川の人、鬼見にとて出でまどふ。「昨日は西園寺に參りたりし。今日は院へまゐるべし。たゞ今はそこそこに」などいひあへり。まさしく見たりといふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。そのころ東山より、安居院へんへまかり侍りしに、四條よりかみざまの人、みな北をさしてはしる。「一條室町に鬼あり」とのゝしりあへり。今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更にとほりうべうもあらず立ちこみたり。「はやく跡なき事にはあらざめり」とて人をやりて見するに、大かたあへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬪諍おこりて、あさましき事どもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虛言は、このしるしを示すなりけり」といふ人も侍りし。

龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民におほせて、水車を作らせられけり。おほくのあしをたまひて、數日にいとなみ出してかけたりけるに、大かためぐらざりければ、とかくなほしけれども、終にまはらでいたづらにたてりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかにゆひてまゐらせたりけるが、おもふやうにめぐりて、水を汲み入るゝことめでたかりけり。よろづにその道を知れるものは、やんごとなきものなり。

仁和寺にある法師、年よるまで石淸水ををがまざりければ、心うくおぼえて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちよりまうでけり。極樂寺高良などを拜みて、かばかりと心得てかへりにけり。さて傍の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事はたし侍りぬ。聞きしにもすぎてたふとくこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそほいなれと思ひて、山までは見ず」とぞいひける。すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり。

これも仁和寺のほふ師、童の法師にならむとするなごりとて、おのおのあそぶことありけるに醉ひて興に入るあまり、かたはらなるあしがなへをとりて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顏をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入ることかぎりなし。しばしかなでゝ後ぬかむとするに、おほかたぬかれず。酒宴ことさめて、いかゞはせむとまどひけり。とかくすれば、首のまはりかけて血たり、たゞはれに腫れみちて、息もつまりければ、うちわらむとすれど、たやすくわれず。響きて堪へがたかりければ、かなはですべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なる醫師のがりゐて行きける。道すがら、人のあやしみ見ることかぎりなし。醫師のもとにさし入りて、むかひ居たりけむありさま、さこそことやうなりけめ。ものをいふも、くゞもり聲に響きて聞えず。「かゝることは文にも見えず、傳へたる敎もなし」といへば、また仁和寺へかへりて、親しきもの老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむともおぼえず。かゝるほどにあるものゝいふやうに、「たとひ耳鼻こそきれうすとも、命ばかりはなどか生きざらむ。たゞ力をたてゝ引き給へ」とてわらのしべをまはりにさし入れて、かねをへだてゝ、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻はかけうけながらぬけにけり。からき命まうけて、久しくやみ居たりけり。

御室〈仁和寺〉にいみじきちごのありけるを、いかでさそひ出して遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流のわりごやうのもの、ねんごろにいとなみ出でゝ、箱風情のものにしたゝめ入れて、雙の岡の便よき所にうづみおきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へ參りて、ちごをそゝのかし出でにけり。うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる苔の筵になみゐて、「いとうこそこうじにたれ。あはれ紅葉を燒かむ人もがな。しるしあらむ僧たち、いのり試みられよ」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向ひて、數珠おしすり、印ことごとしくむすびいでなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつやものも見えず、所のたがひたるにやとて、堀らぬ所もなく山をあされどもなかりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師どもこと葉なくて、聞きにくゝいさかひ腹だちて歸りにけり。あまりに興あらむとすることは、必あいなきものなり。

家のつくりやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にもすまる。あつき頃わろきすまひは堪へがたきことなり。深き水はすゞしげなし。淺くて流れたる遙にすゞし。こまかなるものを見るに、遣り戶は蔀の間よりもあかし。天井の高きは冬寒くともしびくらし。造作は用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、よろづの用にもたちてよしとぞ、人のさだめあひ侍りし。

久しくへだゝりて逢ひたる人の、我が方にありつること、かずかずにのこりなく語りつゞくるこそあいなけれ。へだてなくなれぬる人も、程へて見るははづかしからぬかは。次ざまの人は、あからさまに立ち出でゝも、興ありつる事とて、息もつきあへず語り興ずるぞかし。よき人の物がたりするは、人あまたあれど、一人に向きていふを、おのづから人もきくにこそあれ。よからぬ人は誰ともなくあまたの中にうち出でゝ、見る事のやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事をいひても、いたく興ぜぬと、興なきことをいひても、よく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。人の見ざまのよしあし、ざえある人はそのごとなど定めあへるに、おのが身に〈をイ〉ひきかけていひ出でたるいとわびし。

人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそほいなけれ。すこしその道知らむ人は、いみじと思ひてはかたらじ。すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく聞きにくし。

道心あらば住む所にしもよらじ。家にあり人にまじはるとも、後世をねがはむにかたかるべきかはといふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世をはかなみ、かならず生死を出でむと思はむに、何の興ありてか朝夕君につかへ、家をかへりみるいとなみのいさましからむ。心は緣にひかれて移るものなれば、靜ならでは道は行じがたし。そのうつはものむかしの人に及ばず、山林に入りても飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世をむさぼるに似たることも、たよりにふればなどかなからむ。さればとて、そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てしなどいはむは、むげのことなり。さすがに一たび道に入りて、世をいとはむ人たとひ望ありとも、いきほひある人の貪欲多きに似るべからず。紙のふすま、麻の衣、一鉢のまうけ、藜のあつもの、いくばくか人のつひえをなさむ。もとむる所はやすく、その心はやく足りぬべし。かたちにはづる所もあれば、さはいへど惡にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。人と生れたらむしるしには、いかにもして世をのがれむ事こそあらまほしけれ。ひとへにむさぼることをつとめて、菩提におもむかざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。

大事をおもひたゝむ人は、さりがたく心にかゝらむことの本意をとげずして、さながら捨つべきなり。しばしこのことはてゝ、おなじくはかの事沙汰しおきて、しかじかの事、人のあざけりやあらむ、行く末難なくしたゝめまうけて、年ごろもあればこそあれ、その事待たむほどあらじ、物さわがしからぬやうになど思はむには、えさらぬことのみいとゞかさなりて、事の盡くるかぎりもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう人を見るに、すこし心あるきはは、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。近き火などに逃ぐる人は、しばしとやいふ。身を助けむとすれば、耻をもかへりみず、たからをも捨てゝのがれ去るぞかし。命は人を待つものかは、無常の來ることは、水火のせむるよりもすみやかにのがれがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人のなさけ、すてがたしとて捨てさらむや。

眞乘院〈仁和寺坊〉に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。いもがしらといふものをこのみて多くくひけり。談義の座にても、大なる鉢にうづだかくもりて、膝下におきつゝ、くひながら文をも讀みけり。煩ふことあるには、七日二七日など療治とてこもり居て、おもふやうによきいもがしらをえらびて、ことに多くくひて、萬の病をいやしけり。人にくはすることなし。たゞ一人のみぞくひける。きはめて貧しかりけるに、師匠死にざまに、錢二百貫と坊ひとつをゆづりたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋を芋がしらのあしとさだめて、京なる人にあづけおきて、十貫づゝとりよせて、芋魁をともしからずめしけるほどに、またことようにも用ふる事なくて、そのあしみなになりにけり。「三百貫のものをまづしき身にまうけて、かくはからひける誠にありがたき道心者なり」とぞ人申しける。この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは、何ものぞ」と人のとひければ、「さるものを我も知らず。もしあらましかば、この僧の顏に似てむ」とぞいひける。この僧都みめよく力つよく、大食にて、能書、學匠、辯說、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にもおもくおもはれたりけれども、世をかろく思ひたるくせものにて、よろづ自由にして大かた人にしたがふといふことなし。出仕して饗膳などにつくときも、皆人の前すゑわたすを待たず、我が前にすゑぬれば、やがてひとりうちくひて、かへりたければ、ひとりつひたちて行きけれ。ときひじも人にひとしく定めてくはず。我がくひたきとき、夜なかにも曉にもくひて、ねぶたければ晝もかけこもりて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば幾夜もいねず。心をすましてうそぶきありきなど、よのつねならぬさまなれば、人にいとはれず、よろづゆるされけり。德のいたれりけるにや。

御產のときこしきおとすことは、定まれることにはあらず。御胞衣とゞこほるときのまじなひなり。とゞこほらせ給はねばこのことなし。下ざまより事おこりて、させる本說なし。大原の里のこしきをめすなり。ふるき實藏の繪に、いやしき人の子產みたる所に、こしきおとしたるをかきたり。

延政門院〈悅子〉いときなくおはしましける時、院へまゐる人に、ことづてとて申させ給ひける御歌、

 「ふたつもじ牛の角もじすぐなもじゆがみもじとぞ君はおぼゆる」。

こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。

後七日の阿闍梨、武者を集むること、いつとかや盜人に逢ひにけり。とのゐ人とてかくことごとしくなりにけり。一とせの相はこの修中のありさまにこそ見ゆなれば、つはものを用ゐむことおだやかならぬことなり。

「車の五緖はかならず人によらず。ほどにつけて、きはむるつかさ位にいたりぬれば、のるものなり」とぞある人おほせられし。

「このごろの冠は、昔よりは遙に高くなりたるなり」とぞある人おほせられし。古代の冠桶を持ちたる人は、はたをつぎて今用ふるなり。

岡本關白殿〈家平〉さかりなる紅梅の枝に鳥一雙をそへて、この枝につけて參らすべきよし、御鷹飼下毛野の武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくるすべ知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々にとはせ給ひて、また武勝に、「さらば己が思はむやうにつけてまゐらせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の朶に、一つをつけて參らせけり。武勝がまうし侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると、散りたるとにつく。五葉などにもつく。枝の長さ七尺、或は六尺、かへし刀五分に切る。枝のなかばに鳥をつく。つくる枝ふまする枝あり。しじら藤のわらぬにて二所つくべし。藤のさきは、火うち羽のたけにくらべて切りて、牛の角のやうにたわむべし。初雪のあした枝を肩にかけて、中門よりふるまひてまゐる。大みぎりの石をつたひて、雪にあとをつけず、雨おほひの毛を少しかなぐりちらして、二棟の御所の高欄によせかく。錄をいださるれば、肩にかけて拜してしりぞく。初雪といへども、沓のはなのかくれぬほどの雪にはまゐらず。あまおほひの毛をちらすことは、鷹はよわごしをとることなれば、御鷹のとりたるよしなるべし」と申しき。花に鳥つけずとは、いかなる故にかありけむ。長月ばかりに、梅のつくり枝に雉をつけて、「君がためにとをる花は時しもわかぬ」といへること、伊勢物語に見えたり。作り花はくるしからぬにや。

加茂の岩本橋本は、業平實方なり。人のつねにいひまがへ侍れば、一とせ參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼びとゞめて尋ね侍りしに、「實方は御手洗に影のうつりける所と侍れば、橋本やなほ水の近ければとおぼえはべる。吉水和尙、

  月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はこゝにあり原

とよみたまひけるは、岩本の社とこそうけたまはりおき侍れど、おのれらよりはなかなか御存じなどもこそさふらはめ」といとうやうやしくいひたりしこそいみじく覺えしか。今出川の院〈中宮嬉子〉の近衞とて、集どもにあまた入りたる人は、わかゝりける時、常に百首の歌をよみて、かの二つの社の御前の水にて書きてたむけられけり。まことにやんごとなきほまれありて、人の口にある歌おほし。作文詩序など、いみじくかく人なり。

筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるものありけるが、土おほねをよろづにいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝやきてくひけること、年久しくなりぬ。ある時館のうちに人もなかりける隙をはかりて、敵おそひ來りてかこみ責めけるに、館のうちにつはもの二人いできて、命ををしまず戰ひて、皆追ひかへしてけり。いと不思議におぼえて、「日ごろこゝにものし給ふとも見ぬ人々の、戰ひしたまふはいかなる人ぞ」と問ひければ、「年來たのみて、あさなあさなめしつる土おほねらにさふらふ」といひて失せにけり。深く信をいたしぬれば、かゝる德もありけるにこそ。

書寫の上人〈性空〉は、法事讀誦の功つもりて、六根淨にかなへる人なりけり。旅のかりやに立ち入られけるに、豆のからをたきて、豆を煮ける音のつぶつぶとなるを聞き給ひければ、「うとからぬおのれらしも、うらめしく、われをば煮て、からきめを見するものかなといひけり。たかるゝ豆がらのはらはらと鳴る音は、わが心よりすることかは。やかるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞきこえける。

元應の淸暑堂の御遊に、玄上はうせにしころ、菊亭のおとゞ〈兼季〉牧馬を彈じたまひけるに、座についてまづ柱をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。御ふところにそくひをもち給ひたるにて、つけられにければ、神供の參るほどに、よくひてことゆゑなかりけり。いかなる意趣かありけむ、物見けるきぬかづきのよりてはなちて、もとの樣におきたりけるとぞ。

名を聞くより、やがて面影はおしはからるゝ心ちするを、見るときは、又かねて思ひつるまゝの顏したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、このごろの人の家のそこほどにてぞありけむと覺え、人も今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかくおぼゆるにや。またいかなるをりぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、我が心のうちも、かゝることのいつぞやありしかとおぼえて、いつとは思ひいでねども、まさしくありし心ちのするは、我ばかりかく思ふにや。

いやしげなるもの、居たるあたりに調度のおほき、硯に筆のおほき、持佛堂に佛のおほき、前栽に石草木のおほき、家のうちに子孫のおほき、人にあひて詞のおほき、願文に作善おほく書き載せたる。おほくて見苦しからぬは、文車の文、塵塚のちり。

世にかたり傳ふること、まことはあいなきにや、多くはみなそらごとなり。あるにも過ぎて人はものをいひなすに、まして年月すぎ、さかひもへだゝりぬれば、いひたきまゝに語りなして、筆にも書きとゞめぬれば、やがて定まりぬ。道々のものゝ上手のいみじき事など、かたくなゝる人のその道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れぬ人はさらに信も起さず、音にきくと見る時とは、何事もかはるものなり。かつあらはるゝも顧みず、口に任せていひちらすは、やがてうきたる事ときこゆ。又我もまことしからずは思ひながら、人のいひしまゝに、鼻のほどおごめきていふは、その人のそらごとにはあらず。げにげにしく所々うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つまづま合せてかたるそら言はおそろしきことなり。わがため面目あるやうにいはれぬるそら言は、人いたくあらがはず。皆人の興ずるそらごとは、一人さもなかりしものをといはむも、せむなくて聞き居たるほどに、證人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。とにもかくにもそら言おほき世なり。たゞ常にある珍らしからぬことのまゝに心えたらむ、よろづたがふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳おどろくことのみあり。よき人はあやしき事を語らす。かくはいへど、神佛の奇特、權者の傳記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗のそら言をねんごろに信じたるもをこがましく、よもあらじなどいふもせむなければ、大かたはまことしくあひしらひて、ひとへに信ぜず、また疑ひあざけるべからず。

蟻の如くにあつまりて、東西にいそぎ南北にはしる。たかきありいやしきあり。老いたるあり若きあり。行く所あり歸る家あり。夕にいねて朝に起く、いとなむ所何事ぞや。生を貪り利をもとめてやむときなし。身を養ひて何事をか待つ、期するところたゞ老と死とにあり。そのきたることすみやかにして、念々の間にとゞまらず。これを待つ間、何のたのしみかあらむ。まどへるものはこれを恐れず、名利におぼれて先途の近きことをかへりみねばなり。愚なる人はまたこれをかなしぶ、常住ならむことを思ひて變化の理を知らねばなり。

つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ、まぎるゝ方なく、たゞ一人あるのみこそよけれ。世にしたがへば心外の塵にうばゝれてまどひ易く、人にまじはればことばよその聞にしたがひてさながら心にあらず。人にたはぶれ物にあらそひ、一度はうらみ一度はよろこぶ、そのことさだまれることなし。分別みだりに起りて得失やむときなし。まどひの上にゑへり。醉のうちに夢をなす。はしりていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだまことの道を知らずとも、緣を離れて身を閑にし、事にあづからずして心を安くせむこそ暫くたのしむともいひつべけれ。「生活、人事、伎能、學問等の諸緣をやめよ」とこそ摩訶止觀にもはべれ。

世のおぼえ華やかなるあたりに、なげきもよろこびもありて人おほくゆきとぶらふ中に、聖法師のまじりて、いひ入れたゝずみたるこそさらずとも見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。

世の中にそのころ人のもてあつかひぐさにいひあへること、いろふべきにはあらぬ人の、よく案內知りて、人にもかたりきかせ、問ひきゝたるこそうけられね。ことにかたほとりなるひじり法師などぞ、世の人のうへはわが如く尋ねきゝ、いかでかばかりは知りけむと、おぼゆるまでぞいひちらすめる。

今やうの事どものめづらしきを、いひひろめもてなすこそまたうけられね。世に事ふりたるまで知らぬ人は心にくし。今さらの人などのある時、こゝもとにいひつけたることぐさ、物の名など心えたるどち、かたはしいひかはし、目見あはせ笑ひなどして、心しらぬ人にこゝろえず思はすること、世なれずよからぬ人のかならずあることなり。

何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人はしりたる事とて、さのみ知りがほにやいふ。かた田舍よりさしいでたる人こそ萬の道に心えたるよしのさしいらへはすれ。されば世にはづかしきかたもあれど、みづからもいみじと思へるけしきかたくななり。よくわきまへたる道には、かならず口おもく、問はぬかぎりはいはぬこそいみじけれ。

人ごとに我が身にうとき事をのみぞ好める。法師はつはものゝ道をたて、えびすは弓ひくすべしらず。佛法知りたるきそくし、連歌し、管絃をたしなみあへり。されど愚なるおのれが道より、なほ人に思ひあなどられぬべし。法師のみにかぎらず、上達部殿上人、上ざまゝでおしなべて、武を好む人おほかり。百たび戰ひて百たび勝つとも、いまだ武勇の名をさだめがたし。その故は運に乘じてあだをくだくとき、勇者にあらずといふ人なし。兵盡き矢きはまりて、遂に敵にくだらず、死をやすくしてのち、はじめて名をあらはすべき道なり。生けらむほどは武にほこるべからず。人倫にとほく禽獸に近きふるまひ、その家にあらずば好みて益なきことなり。

屛風障子などの繪も文字もかたくなゝる筆樣して書きたるが、見にくきよりも、宿のあるじの拙くおぼゆるなり。大かたもてる調度にても、心おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよきものを持つべしとにもあらず、損ぜざらむためとて、品なく見にくきさまにしなし、めづらしからむとて、用なき事どもしそへ、わづらはしくこのみなせるをいふなり。ふるめかしきやうにて、いたくことごとしからず、つひえもなくて物がらのよきがよきなり。「うすものゝ表紙はとく損ずるがわびしき」と人のいひしに、頓阿が、「うすものはかみしもはづれ、らでんの軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ心まさりておぼえしか。一部とある草紙などのおなじやうにもあらぬを、見にくしといへど、弘融僧都が、「ものをかならず一具に整へむとするは、つたなきものゝすることなり。不具なるこそよけれ」といひしも、いみじくおぼえしなり。「すべて何もみな事のとゝのほりたるはあしきことなり。しのこしたるをさてうちおきたるは、おもしろくいきのぶるわざなり。內裏造らるゝにも、必つくりはてぬ所を殘すことなり」とある人申し侍りしなり。先賢の作れる內外の文にも、章段のかけたることのみぞはべる。

竹林院入道左大臣殿〈公衡〉、太政大臣にあがり給はむに、何のとゞこほりかおはせむなれども、めづらしげなし。一の上にてやみなむとて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿〈實泰〉この事を甘心したまひて、相國ののぞみおはせざりけり。「亢龍の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月滿ちては缺け、物盛にしてはおとろふ。萬の事さきのつまりたるは、やぶれに近き道なり。法顯三藏の天竺にわたりて、故鄕の扇を見てはかなしみ、疾に臥しては漢の食を願ひ給へることを聞きて、「さばかりの人のむげにこそ心弱きけしきを、人の國にて見えたまひけれ」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな」といひたりしこそ法師のやうにもあらず心にくゝおぼえしか。

人の心すなほならねば、いつはりなきにしもあらず。されどおのづから正直の人、などかなからむ。おのれすなほならねど、人の賢を見てうらやむはよのつねなり。いたりて愚なる人は、たまたま賢なる人を見てこれをにくむ。大きなる利をえむがために、すこしきの利をうけず、いつはりかざりて名を立てむとすとぞしる。おのれが心にたがへるによりてこのあざけりをなすにて知りぬ。この人は下愚の性うつるべからず。いつはりて小利をも辭すべからず。かりにも愚をまなぶべからず。狂人のまねとて大路をはしらば、すなはち狂人なり。惡人のまねとて人をころさば惡人なり。驥を學ぶは驥のたぐひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢をまなばむを賢といふべし。

惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれしとき、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、いまよりは法師とこそ申さめ」といはれけり。いみじき秀句なりけり。

下部に酒のますることは心すべきことなり。宇治に住みける男、京に具覺坊とてなまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければつねに申しむつびけり。ある時むかひに馬をつかはしたりければ、「はるかなるほどなり。口つきの男にまづ一どせさせよ」とて酒をいだしたれば、さしうけさしうけ、よゝと飮みぬ。太刀うち佩きてかひがひしければ、たのもしくおぼえて、召し具してゆくほどに、木幡のほどにて、奈良法師の兵士あまた具して逢ひたるに、この男立ちむかひて、「日暮れにたる山中にあやしきぞ。とまり候へ」といひて、太刀をひき拔きければ、人もみな太刀ぬき矢はげなどしけるを、具覺坊手をすりて、「うつし心なく醉ひたるものに候ふ。まげてゆるし給はらむ」といひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しきことしたまひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず、高名つかまつらむとするを、拔ける太刀空しくなし給ひつること」といかりて、ひたきりに斬りおとしつ。さて「やまだちあり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山だちよ」といひてはしりかゝりつゝ斬りまはりけるを、あまたして手おほせうち伏せてしばりけり。馬は血つきて、宇治大路の家にはしり入りたり。あさましくて、男どもあまたはしらかしたれば、具覺坊は、くちなし原にによび伏したるを、求めいでゝかきもて來つ。からき命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはになりにけり。

あるもの、小野道風の書ける和漢朗詠集とてもちたりけるを、ある人、「御相傅うけることには侍らじなれども、四條大納言〈公任〉えらばれたるものを、道風かゝむこと時代やたがひ侍らむ、おぼつかなくこそ」といひければ、「さ候へばこそ世にありがたきものには侍りけれ」とていよいよ秘藏しけり。

「奧山にねこまたといふものありて、人をくらふなる」と人のいひけるに、「山ならねども、これらにも猫のへあがりてねこまたになりて、人とることはあなるものを」といふものありけるを、なにあみだ佛とかや連歌しける法師の、行願寺〈一條革堂〉のほとりにありけるが聞きて、一人ありかむ身は心すべきことにこそと思ひけるころしも、ある所にて夜ふくるまで連歌して、たゞ一人かへりけるに、小川のはたにて音に聞きしねこまた、あやまたず足のもとへふと寄りきて、やがてかきつくまゝに、頸のほどをくはむとす。肝心もうせて、防がむとするに力もなく足もたゝず、小川へころび入りて、「助けよや、ねこまたよやねこまたよや」と叫べば、家々より松どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こはいかに」とて川の中より抱きおこしたれば,連歌の賭物とりて、扇小箱などふところに持ちたるも水に入りぬ。希有にしてたすかりたるさまにて、はふはふ家に入りにけり。飼ひける犬のくらけれど、ぬしを知りて飛びつきたりけるとぞ。

大納言法印のめしつかひし乙鶴丸、やすら殿といふものを知りて、常にゆき通ひしに、ある時いでゝかへりきたるを、法印「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがりまかりて候ふ」といふ。「そのやすら殿は男か法師か」とまたとはれて、袖かきあはせて、「いかゞさふらふらむ、かしらをば見候はず」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。

赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なきことなり。むかしの人これを忌まず、このごろなにものゝ出でゞ忌みはじめけるにか「この日あること末とほらず」といひて、「その日いひたりしこと、したりしことかなはず、得たりしものは失ひ、くはだてたりしこと成らず」といふ、おろかなり。吉日をえらびてなしたるわざの末とほらぬを、かぞへて見むもまたひとしかるべし。その故は無常變易のさかひ、ありと見るものも存せず、始あることもをはりなし。志は遂げず望は絕えず、人の心不定なり。ものみな幻化なり。何事かしばらくも住する。この理を知らざるなり。「吉日に惡をなすにかならず凶なり。惡日に善を行ふにかならず吉なり」といへり。吉凶は人によりて日によらず。

ある人弓射ることをならふに、もろ矢をたばさみて的にむかふ。師のいはく、「初心の人ふたつの矢をもつことなかれ。後の矢をたのみて初の矢になほざりの心あり。每度たゞ得失なく、この一箭に定むべしとおもへ」といふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろそかにせむと思はむや。懈怠の心みづから知らずといへども、師これを知る。このいましめ萬事にわたるべし。道を學する人、夕には朝あらむことを思ひ、あしたには夕あらむことを思ひて、重ねてねんごろに修せむことを期す。いはむや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らむや。なんぞたゞ今の一念において、たゞちにすることのはなはだかたき。

「牛を賣るものあり。買ふ人、あすそのあたひをやりて牛をとらむといふ。夜のまに牛死ぬ。買はむとする人に利あり、賣らむとする人に損あり」とかたる人あり。これを聞きてかたへなるものゝいはく、「牛の主まことに損ありといへども、又大なる利あり。その故は、生あるもの死の近きことを知らざること、牛すでにしかなり。人またおなじ。はからざるに牛は死し、はからざるにぬしは存せり。一日の命萬金よりもおもし。牛の價鵝毛よりもかろし。萬金を得て一錢を失はむ人、損ありといふべからず」といふに、皆人嘲りて、「その理は牛の主に限るべからず」といふ。またいはく「されば〈三字イ無〉人死をにくまば生を愛すべし、存命のよろこび日々にたのしまざらむや。愚なる人この樂を忘れて、いたつがはしく外の樂をもとめ、この財を忘れてあやふく他の財をむさぼるには、志滿つることなし。いける間生をたのしまずして、死に臨みて死をおそれば、この理あるべからず。人みな生をたのしまさるは、死をおそれざる故なり。死をおそれざるにはあらず、死の近きことを忘るゝなり。もしまた生死の相にあづからずといはゞ、實の理を得たりといふべし」といふに、人いよいよあざける。

常磐井の相國〈實氏〉出仕したまひけるに、勅書をもちたる北面あひ奉りて、馬よりおりたりけるを、相國後に、「北面なにがしは勅書をもちながら下馬し侍りしものなり。かほどのものいかでか君に仕うまつり候ふべき」と申されければ、北面をはなたれにけり。「勅書を馬の上ながら捧げて見せ奉るべし、おるべからず」とぞ。

「箱のくりかたに緖をつくること、いづかたにつけ侍るべきぞ」とある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸につけ表紙につくること兩說なれば、いづれも難なし。文の箱はおほくは右につく、手箱には軸につくるも常のことなり」と仰せられき。

めなもみといふ草あり。くちばみにさゝれたる人、かの草をもみてつけぬれば、すなはち癒ゆとなむ、見知りておくべし。

そのものにつきて、そのものを費しそこなふもの數を知らずあり。身に虱あり、家に鼠あり。國に賊あり、小人に財あり。君子に仁義あり、僧に法あり。

たふとき聖のいひおきけることを書きつけて、一言芳談とかや名づけたる草紙を思侍りしに、心にあひて覺えしことゞも、

一しやせまし、せずやあらましと思ふことは、おほやうせぬはよきなり。

一後世を思はむものは、糂汰甁ひとつももつまじきことなり。持經本尊にいたるまで、よきものをもつ、よしなきことなり。

一遁世者は、なきに事かけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。

一上臈は下臈になり、智者は愚者になり、德人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。

一佛道をねがふといふは別のことなし。いとまある身になりて、世のこと心にかけぬを策一の道とす。

この外もありし事どもおぼえず。

堀川の相國〈基具〉は、美男のたのしき人にて、その事となく過差を好みたまひけり。御子基俊卿を大理になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃見ぐるしとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は上古よりつたはりて、そのはじめを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもつて規模とす。たやすく改められがたきよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。

久找の相國〈雅實〉は、殿上にて水をめしけるに、主殿司土器をたてまつりければ、「まがりをまゐらせよ」とてまがりしてぞめしける。

ある人任大臣の節會の內辨をつとめられけるに、內記のもちたる宣命をとらずして、堂上せられにけり。きはまりなき失禮なれども、たちかへりとるべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位の內〈外イ〉記康綱、きぬかづきの女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。

尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、洞院左〈右イ〉大臣殿〈實泰〉に次第を申し請けられければ、「又五郞男を師とするより外の才覺候はじ」とぞのたまひける。かの又五郞は老いたる衞士のよく公事に馴れたるものにてぞありける。近衞殿着陣したまひける時、ひざつきをわすれて外記をめされければ、火たきて候ひけるが、「まづひざつきをめさるべくや候ふらむ」と忍びやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。

大覺寺殿〈後宇多院〉にて、近習の人どもなぞなぞをつくりてとかれけるところへ、くすし忠守參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝のものとも見えぬ忠守かな」となぞなぞにせられけるを、「唐甁子」と解きて笑ひあはれければ、腹立ちてまかりでにけり。

荒れたる宿の人めなきに、女のはゞかることあるころにて、つれづれと籠り居たるを、ある人とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びてたづねておはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、げす女のいでゝ、「何處よりぞ」といふに、やがて案內させて入りたまひぬ。心ぼそげなるありさま、いかで過すらむと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、しばし立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなたへ」といふ人あれば、たてあけ所せげなるやり戶よりぞ入り給ひぬる。內のさまはいたくすさまじからず、心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、物のきらなど見えて、俄にしもあらぬにほひ、いとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞふる。御車は門の下に。御供の人はそこそこに」といへば、「今宵ぞやすきいはぬべかめる」とうちさゝめくも忍びたれど、ほどなければほのぎこゆ。さてこのほどの事どもこまやかに聞え給ふに、夜ぶかき雞もなきぬ。こしかたゆくすゑかけて、まめやかなる御物がたりに、この度は雞も華やかなる聲にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞きたまへど、夜深くいそぐべき所のさまにもあらねば、すこしたゆみ給へるに、ひましろくなれば、忘れがたきことなどいひて、立ち出でたまふに、梢も庭もめづらしく靑みわたりたる、卯月ばかりのあけぼの、艷にをかしかりしをおぼしいでゝ、杜の木の大なるがかくるゝまで、今も見おくり給ふとぞ。

北のやかげに消えのこりたる雪の、いたうこほりたるにさし寄せたる車のながえも、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれどもくまなくはあらぬに、人ばなれなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしにしりかけて、物がたりするさまこそ何事にかあらむつきすまじけれ。かぶしかたちなどいとよしと見えて、えもいはれぬにほひのさとかをりたるこそをかしけれ。けはひなどはづれはづれ聞えたるもゆかし。

高野の證空〈智眞弟子〉上人、京都へのぼりけるに、ほそ道にてうまに乘りたる女の行きあひたりけるが、口ひきける男あしくひきて、ひじりの馬を堀へおとしてけり。ひじりいと腹あしく咎めて、「こはけうの狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼はおとり、比丘尼より優婆塞はおとり、優婆塞より優婆夷はおとれり。かくうばいなどの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり」といはれければ、口引の男、「いかに仰せらるゝやらむ、えこそ聞き知らね」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修非學の男」とあらゝかにいひて、きはまりなき放言しつと思ひけるけしきにて、馬ひきかへしてにげられけり。たふとかりけるいさかひなるべし。

女のものいひかけたる返り事、とりあへずよき程にする男はありがたきものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども若き男だちの參らるゝごとに、「時鳥や聞き給へる」とて問ひて試みられけるに、なにがしの大納言とかやは、「數ならぬ身はえ聞き候はず」と答へられけり。堀川內大臣殿〈具守〉は「岩倉にて聞きて候ひしやらむ」と仰せられたりけるを、「これに難なし。數ならぬ身むつかし」などさだめあはれけり。すべて男をば、女に笑はれぬやうにおふしたつべしとぞ。淨土寺の前關白殿〈師敎〉はをさなくて、安喜門院〈有子〉のよく敎へまゐらせさせ給ひけるゆゑに、御詞などのよきぞと人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿〈實雄〉はあやしの下女の見奉るも、いとはづかしく心遣ひせらるゝとこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠もいかにもあれ、ひきつくろふ人も待らじ。かく人にはぢらるゝ女、いかばかりいみじきものぞと思ふに女の性はみなひがめり。人我の相ふかく、貪欲はなはだしく、物の理を知らず、たゞまよひの方に心もはやくうつり、詞もたくみに、苦しからぬ事をも問ふときはいはず。用意あるかと見れば、又あさましき事までとはず語りにいひ出す。深くたばかりかざれることは男の智慧にもまさりたるかと思へば、その事あとより顯はるゝを知らず、すなほならずして拙きものは女なり。その心にしたがひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば何かは女のはづかしからむ。もし賢女あらば、それも物うとくすさまじかりなむ。たゞ迷をあるじとして、かれにしたがふとき、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。

寸陰をしむ人なし。これよく知れるか、おろかなるか。愚にして怠る人のためにいはゞ、一錢かろしといへども、これをかさぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人の一錢ををしむ心切なり。刹那おばえずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期忽にきたる。されば道人は、遠く日月を惜むべからず。唯今の一念空しくすぐることを惜むべし。もし人きたりて、「我が命明日は必ず失はるべし」と吿げ知らせたらむに、今日の暮るゝ間、何事をかたのみ何事をかいとなまむ。我等がいけるけふの日、なんぞその時節にことならむ。一日のうちに飮食、便利、睡眠、言語、行步、止むことを得ずして多くのときを失ふ。そのあまりのいとま、いくばくならぬうちに無益の事をなし、無益のことをいひ、無益のことを思惟して、時をうつすのみならず、日を消し月をわたりて、一生をおくる尤愚なり。謝靈運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲のおもひを觀ぜしかば、惠遠白蓮のまじはりをゆるさゞりき。しばらくもこれなき時は、死人におなじ。光陰何のために惜むとならば、內に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人はやめ、修せむ人は修せよとなり。

高名の木のぼりといひし男、人をおきてゝ高き木にのぼせて、梢をきらせしに、いとあやふく見えしほどはいふこともなくて、おるゝ時に軒だけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」とことばをかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるゝともおりなむ、いかにかくいふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝あやふきほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちはやすき所になりて、必仕ることに候ふ」といふ。あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所を蹴出して、後やすくおもへば、必おつると侍るやらむ。

雙六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たむとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手がとくまけぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりとも、遲くまくべき手につくべし」といふ。道を知れるをしへ、身ををさめ國を保たむ道もまたしかなり。

「圍碁雙六このみてあかし暮す人は、四重五逆にもまされる惡事とぞ思ふ」とあるひじりの申しゝこと、耳にとゞまりていみじくおぼえ侍る。

明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば人いひかけてむや。俄の大事をもいとなみ、切に歎くこともある人は、他の事聞き入れず、人の愁喜をもとはず、とはずとてなどや〈如元〉と恨むる人もなし。されば年もやうやうたけ、病にもまつはれ、いはむや世をも遁れたらむ人、又これに同じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去りがたからぬ。世俗のもだしがたきにしたがひて、これをかならずとせば、ねがひもおほく、身もくるしく、心のいとまもなく、一世は雜事の小節にさへられて空しく暮れなむ。日暮れ途とほし。吾が生旣に蹉跎たり。諸緣を放下すべき時なり。信をも守らじ。禮義をも思はじ。この心をもたざらむ人は、ものぐるひともいへ。うつゝなし、なさけなしともおもへ。そしるともくるしまじ。譽むるとも聞きいれじ。

四十にもあまりぬる人の色めきたるかた、おのづから忍びてあらむはいかゞはせむ。ことにうち出でゝ男女のこと、人のうへをもいひたわるゝこそ似げなく見ぐるしけれ。大かたきゝにくゝ見ぐるしきこと、老人の若き人にまじはりて、興あらむとものいひたる。數ならぬ身にて世のおぼえある人を、へだてなきさまにいひたる。貧しきところに酒宴このみ、客人に饗應せむときらめきたる。

今出川のおほい殿〈兼季〉、嵯峨ヘおはしけるに、ありす川のわたりに水の流れたる所にて、さい王丸御牛を追ひたりければ、あがきの水前板までざゞとかゝりけるを、爲則御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かゝる所にて御牛をばおふものか」といひたりければ、おほい殿御けしきあしくなりて、「おのれ車やらむこと、さい王丸にまさりてえしらじ。希有の男なり」とて御車にかしらをうちあてられにけり。この高名のさいわう丸は、太秦殿〈信淸〉の男、料の御牛飼ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははうはら、一人はおとうしとつけられけり。

宿河原といふ所にて、ぼろぼろおほく聚りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中にいろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをしこゝに候ふ。かくのたまふはたぞ」と答ふれば、「しら梵字と申すものなり。おのれが師なにがしと申しゝ人、東國にていろをしと申すぼろにころされけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、うらみ申さばやと思ひて尋ね申すなり」といふ。いろをし「ゆゝしくも尋ねおはしたり、さること侍りき。こゝにて對面したてまつらば、道塲をけがし侍るべし。前の河原へまゐりあはむ。あなかしこ。わきざしたち、いづかたをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし」といひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかりにつらぬきあひて、ともに死にけり。ぼろぼろといふもの昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字、梵字、漢字などいひけるもの、そのはじめなりけるとかや。世をすてたるに似て、我執ふかく、佛道をねがふに似て、鬪諍を事とす。放逸無慚のありさまなれども、死をかろくして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書きつけはんべるなり。

寺院の號、さらぬよろづの物にも名をつくること、昔の人はすこしも求めず、たゞありのまゝに安くつけゝるなり。このごろはふかく案じ、才覺をあらはさむとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、めなれぬ文字をつかむとする益なき事なり。何事もめづらしき事をもとめ、異說を好むは淺才の人の必あることなりとぞ。

友とするにわろきもの七つあり。一には高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく身つよき人、四には洒をこのむ人、五には武く勇める兵、六にはそらごとする人、七には欲ふかき人。善き友三つあり、一にはものくるゝ友、二にはくすし、三には智惠ある友。

鯉のあつもの食ひたる日には、鬢そゝけずとなむ。膠にもつくるものなれば、ねばりたるものにこそ。鯉ばかりこそ、御前にてもきらるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉さうなきものなり。雉松茸などは、御湯殿の上にかゝりたるも苦しからず。その外は心うきことなり。中宮〈後深草院の〉の御方の、御湯殿の上のくろみ棚に雁の見えつるを、北山入道殿〈實氏〉の御覽じて、歸らせたまひて、やがて御文にて、「かやうのものさながらそのすがたにて、御棚にゐて候ひしこと、見ならはず、さま惡しきことなり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。

鎌倉の海にかつをといふ魚は、かの境にはさうなきものにて、この頃もてなすものなり。それも鎌倉の年寄の申し侍りしは「この魚おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へいづること侍らざりき。頭は下部もくはず、切りてすて侍りしものなり」と申しき。かやうのものも世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。

唐のものは、藥の外はなくとも事かくまじ。書どもはこの國に多くひろまりぬれば、書きもうつしてむ。もろこし船のたやすからぬ道に、無用のものどものみとり積みて、所せくわたしもてくるいとおろかなり。「遠きものを寶とせず」とも、また「得がたき寶をたふとまず」とも、ふみにも侍るとかや。

養ひ飼ふものには馬牛、繫ぎくるしむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなればいかゞはせむ。犬はまもり防ぐつとめ、人にもまさりたれば必あるべし。されど家ごとにあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなむ。そのほかの鳥獸すべて用なきものなり。はしる獸は檻にこめ、くさりをさゝれ、飛ぶ鳥は翼をきり、こに入れられて、雲を戀ひ野山をおもふ愁やむ時なし。そのおもひ我が身にあたりて忍びがたくば、心あらむ人これをたのしまむや。生をくるしめて目をよろこばしむるは、桀紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林にたのしぶを見て逍遙の友としき。とらへ苦めたるにあらず。「凡めづらしき禽、あやしき獸、國にやしなはず」とこそ文にも侍るなれ。

人の才能は、文あきらかにしてひじりの敎を知れるを第一とす。次には手かくこと、旨とする事はなくともこれを習ふべし。學問にたよりあらむためなり。次に醫術を習ふべし。身を養ひ人をたすけ、忠孝のつとめも醫にあらずばあるべからず。次に弓射、馬に乘ること六藝にいだせり。必これをうかゞふべし。文武醫の道、まことに缺けてはあるべからず。これを學ばむをば、いたづらなる人といふべからず。次に食は人の天なり。よく味をとゝのへ知れる人大なる德とすべし。次に細工よろづの要おほし。この外の事ども、多能は君子のはづるところなり。詩歌にたくみに絲竹にたへなるは、幽玄の道、君臣これを重くすとはいへども、今の世にはこれをもちて世を治むること、漸おろかなるに似たり。こがねはすぐれたれども、くろがねの益多きにしかざるがごとし。

むやくの事をなして時をうつすを、おろかなる人とも、ひがことする人ともいふべし。國のため君のため、止むことを得ずしてなすべきことおほし。そのあまりの暇いくばくならず思ふべし。人の身に止むことを得ずしていとなむ所、第一に食物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事この三つにすぎず。飢えず寒からず、風雨にをかされずして、しづかに過すを樂とす。たゞし人みな病あり、病にをかされぬればその愁忍びがたし。醫療をわするべからず。藥を加へて、四つの事もとめ得ざるを貧しとす。この四つかけざるを富めりとす。この四つの外をもとめ營むをおごりとす。四つの事儉約ならば誰の人か足らずとせむ。

是法法師は、淨土宗にはぢずといへども、學匠をたてず、たゞ明暮念佛してやすらかに世を過すありさま、いとあらまほし。

人におくれて四十九日の佛事に、あるひじりを請じ侍りしに、說法いみじくして、みな人淚をながしけり。法師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日はたふとくおぼえ侍りつる」と感じあへりし返事に、あるものゝいふ「何とも候へ。あれほど唐の狗に似候ひなむうへは」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。さる導師のほめやうやはあるべき。「また人に酒勸むるとて、おのれまづたべて人に强ひ奉らむとするは、劔にて人を斬らむとするに似たることなり。二方にはつきたるものなれば、もたぐる時まづ我が頭を斬るゆゑに人をばえきらぬなり。おのれまず醉ひて臥しなば、人はよもめさじ」と申しき。劔にて斬りこゝろみたりけるにや、いとをかしかりけり。

「ばくちの負きはまりて、のこりなくうち入れむとせむに、あひてはうつべからず。立ちかへりつゞけて勝つべき時のいたれるを知るべし。その時を知るをよきばくちといふなり」と、あるもの申しき。

あらためて益なきことは、改めぬをよしとするなり。

雅房大納言は、才かしこくよき人にて、大將にもなさばやとおぼしける頃、院の近習なる人「唯今あさましきことを見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿鷹にかはむとて、生きたる犬の足をきり侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましくにくゝおぼしめして、日ごろの御氣色もたがひ、昇進もし給ざりけり。さばかりの人、鷹をもたれたりけるは思はずなれど、犬の足はあとなきことなり。そらごとは不便なれども、かゝることをきかせ給ひてにくませ給ひける君の御心はいとたふとき事なり。大かた生けるものを殺し、痛め鬪はしめて遊び樂まむ人は、畜生殘害のたぐひなり。よろづの鳥獸小き蟲までも、心をとゞめてありさまを見るに、子をおもひ親をなつかしくし、夫婦をともなひ、妬みいかり、欲おほく、身をあいし、命ををしめること、偏に愚痴なるゆゑに、人よりもまさりてはなはだし。かれにくるしみを與へ、命を奪はむこと、いかでかいたましからざらむ。すべて一切の有情をみて、慈悲の心なからむは人倫にあらず。

顏回は志人に勞を施さじとなり。すべて人を苦しめ物をしへたぐること、賤しき民の志を奪ふべからず。又いとけなき子をすかしおどし、言ひ辱かしめて興ずることあり。おとなしき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみておそろしく、耻かしくあさましきおもひ、誠に切なるべし。これをなやまして興ずること慈悲の心にあらず。おとなしき人の、喜び怒り、悲び樂むも、皆虛妄なれども、誰か實有の相に着せざる。身をやぶるよりも心をいたましむるは、人を害ふことなほはなはだし。病をうくる事も、多くは心よりうく、外より來る病はすくなし。藥を飮みて汗を求むるには、しるしなきことあれども、一旦耻ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流すは心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額をかきて、白頭の人となりしためしなきにあらず。

ものにあらそはず、おのれを枉げて人にしたがひ、わが身を後にして人を先にするにはしかず。萬の遊にも勝負を好む人は、勝ちて興あらむためなり。己が藝のまさりたることをよろこぶ。されば〈三字イ無〉負けて興なくおぼゆべきことまた知られたり。我負けて人をよろこばしめむと思はゞ、更にあそびの興なかるべし。人にほ意なくおもはせて、わが心を慰まむこと德に背けり。むつまじき中にたはぶるゝも、人をはかり欺きて、おのれが智のまさりたることを興とす、これまた禮にあらず。さればはじめ興宴より起りて、長きうらみを結ぶ類おほし。これ皆あらそひを好む失なり。人にまさらむことを思はゞ、たゞ學問して、その智を人にまさらむと思ふべし。道を學ぶとならば、善にほこらず、ともがらに爭ふべからずといふことを知るべきゆゑなり。大なる職をも辭し、利を捨つるは、たゞ學問の力なり。

貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす。おのが分を知りて及ばざる時は速にやむを智といふべし。許さゞらむは人のあやまりなり。分を知らずして强ひて勵むはおのれがあやまりなり。貧しくて分を知らざればぬすみ、力衰へて分を知らざれば病をうく。

鳥羽のつくり道は、鳥羽殿建てられて後の號にはあらず、むかしよりの名なり。元良親王、元日奏賀の聲はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽のつくり道まで聞えけるよし、李部王の記に侍るとかや。

「夜のおとゞは東御枕なり。大かた東を枕として、陽氣を受くべきゆゑに、孔子も東首し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕常のことなり。白川院は北首に御寢なりけり。北は忌むことなり。また伊勢は南なり。太神宮の御方を、御跡にせさせ給ふこといかゞ」と人申しけり。たゞし太神宮の遙拜は、たつみに向はせ給ふ。南にはあらず。

高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、ある時鏡をとりて貌をつくづくと見て、我がかたちのみにくゝあさましきことをあまりに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心ちしければ、その後永く鏡をおそれて手にだにとらず、更に人にまじはることなし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き傳へしこそありがたくおぼえしか。かしこげなる人も、人のうへをのみはかりておのれをば知らざるなり。我を知らずして外を知るといふことわりあるべからず。さればおのれを知るを物知れる人といふべし。かたちみにくけれども知らず、心のおろかなるをも知らず、藝の拙きをもしらず、身の數ならぬをも知らず、年の老いぬるをもしらず、病の冒すをもしらず、死の近き事をもしらず、行ふ道のいたらざるをもしらず、身の上の非をもしらねば、まして外のそしりをもしらず。たゞし「かたちは鏡に見ゆ。年は數へてしる。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ知らぬに似たり」とぞいはまし。かたちをあらため、齡を若くせよといふにはあらず。拙きを知らば、なんぞやがて退かzる。老いぬと知らば、なんぞしづかに身をやすくせざる。行おろかなりと知らば、なんぞ茲をおもふこと茲にあらざる。すべて人に愛樂せられずして衆にまじはるは耻なり。かたちみにくゝ心おくれにして出でつかへ、無智にして大才に交り、不堪の藝をもちて堪能の座につらなり、雪の頭を戴きてさかりなる人にならび、いはむや及ばざることを望み、かなはぬことをうれへ、來らざることを待ち、人におそれ、人に媚ぶるは、人の與ふる耻にあらず。貪る心にひかれて、みづから身をはづかしむなり。貪ることのやまざるは、命ををふる大事今こゝにきたれりとたしかに知らざればなり。

資季大納言入道とかやきこえける人、具氏宰相中將に逢ひて、「わぬしの問はれむほどのこと、なに事なりとも答へ申さゞらむや」といはれければ、具氏「いかゞ侍らむ」と申されけるを「さらばあらがひ給へ」といはれて、「はかばかしき事は片はしもまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼつかなき事こそ問ひ奉らめ」と申されけり。「ましてこゝもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さむ」といはれければ、近習の人々、女房なども「興あるあらがひなり。同じくは御前にて諍はるべし。負けたらむ人は供御を饗けらるべし」と定めて、御前にてめしあはせられたりけるに、具氏「幼くより聞きならひ侍れど、その心しらぬことはべり。馬のきつりやうきつにのをか、なかくぼれいりくれんどうと申すことは、いかなるこゝろにか侍らむ、うけたまはらむ」と申されけるに、大納言入道はたとつまりて、「これはそゞろごとなれば、いふにも足らず」といはれけるを、「もとより深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉らむと、定め申しつ」と申されければ、大納言入道まけになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。

醫師のあつしげ、故法皇の御前にさぶらひて、供御のまゐりけるに、「今まゐり侍る供御のいろいろを、文字も功能もたづね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける。時しも六條の故內府まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らむ」とて「まづしほといふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と問はれたりけるに「土偏に候ふ」と申したりければ、「才のほど旣にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、とよみになりてまかりいでにけり。

花は盛に月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれになさけふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌のことばがきにも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはる事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるにおとれることかは。花のちり月の傾ぶくを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくなゝる人ぞ「この枝かの朶散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。萬の事もはじめをはりこそをかしけれ。男女の情もひとへにあひ見るをばいふものかは。逢はでやみにしうさを思ひ、あだなるちぎりをかこち、長き夜をひとりあかし、遠き雲ゐをおもひやり、淺茅が宿にむかしを忍ぶこそ色このむとはいはめ。望月のくまなきを、千里の外までながめたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いとふかう靑みたるやうにて、ふかき山の杉の梢に見えたる木のまのかげ、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴白樫などのぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて心あらむ友もがなと、都こひしうおぼゆれ。すべて月花をばさのみ目にて見るものかは。春は家を立ちさらでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそいとたのもしうをかしけれ。よき人はひとへにすけるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。かた田舍の人こそ色こくよろづはもて興ずれ。花のもとにはねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒のみ連歌して、はては大なるえだ心なく折りとりぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物よそながら見ることなし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なりとて、奧なる屋にて酒のみものくひ、圍碁雙六など遊びて、棧敷には人をおきたれば、「わたり候ふ」といふ時に、おのおの肝つぶるゝやうに爭ひ走りのぼりて、落ちぬべきまで簾張りいでゝおしあひつゝ、一事も見もらさじとまもりて、とありかゝりと物事にいひてわたり過ぎぬれば「又渡らむまで」といひておりぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、ねぶりていとも見ず。若くすゑずゑなるは、宮仕にたちゐ、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。何となく葵かけわたしてなまめかしきに、明け離れぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それかかれかなど思ひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくもきらきらしくも、さまざまに行きかふ見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立てならべつる車ども、所なくなみゐつる人も、いづかたへ行きつらむ、程なくまれになりて、車どものらうがはしさもすみぬれば、簾たゝみもとりはらひ、目の前にさびしげになりゆくこそ世のためしも思ひ知られてあはれなれ。大路見たるこそ祭見たるにてはあれ。かの棧敷の前を、こゝら行きかふ人の見知れるがあまたあるにて知りぬ。世の人數もさのみはおほからぬにこそ。この人みな失せなむ後、我が身死ぬべきにさだまりたりともほどなく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらむに、滴ることすくなしといふとも、怠るまなく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都のうちにおほき人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、おくらぬ日はなし。されば棺をひさぐもの、作りてうちおくほどなし。わかきにもよらず、つよきにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日までのがれ來にけるは、ありがたき不思議なり。しばしも世をのどかに思ひなむや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて立て並べたるほどは、とられむこといづれの石とも知らねども、數へあてゝ一つをとりぬれば、その外はのがれぬと見れど、またまた數ふれば、かれこれまぬき行くほどに、いづれものがれざるに似たり。つはものゝ軍にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ身をもわする。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これをよそに聞くと思へるはいとはかなし。しづかなる山の奧、無常のかたききほひ來らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。祭過ぎぬれば、後の葵不用なりとて、ある人の御簾なるを皆とらせられ侍りしが、色もなくおぼえ侍りしを、よき人のしたまふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の內侍が、

 「かくれどもかひなきものはもろともにみすの葵の枯葉なりけり」

とよめるも、「母屋の御簾に葵のかゝりたる枯葉をよめる」よし家の集にかけり。ふるき歌のことばがきに、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草紙にも、「こしかた戀しきもの、かれたる葵」とかけるこそいみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季の物語にも「玉だれに後の葵はとまりけり」とぞかける。おのれと枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞとり捨つべき。御帳にかゝれるくすだまも、九月九日菊にとりかへらるゝといへば、さうぶは菊のをりまでもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮〈三條院后〉かくれ給ひてのち、ふるき御帳の內に、さうぶ藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「をりならぬねをなほぞかけつる」と辨の乳母〈顯時女〉のいへる返りごとに、「あやめの草はありながら」とも江の侍從〈匡衡女〉がよみしぞかし。家にありたき木は松、櫻。松は五葉もよし。花はひとへなるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、このころぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆ひとへにてこそあれ、八重櫻はことやうのものなり。いとこちたくねぢけたり。栽ゑずともありなむ。遲櫻またすさまじ。蟲のつきたるものむづかし。梅はしろき、うす紅梅、一重なるがとく咲きたるも、かさなりたる紅梅の、にほひめでたきもみなをかし。おそき梅は櫻に咲きあひて、おぼえおとりけおされて、枝に萎みつきたるこゝろうし。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心とくをかし」とて京極入道中納言〈定家〉は、なほ一重梅をなむ軒近くうゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本はべるめり。柳またをかし。卯月ばかりのわか楓、すべて萬の花紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘、桂、いづれも木はものふり大きなるよし。草は山吹、藤、杜若、撫子、池には蓮、秋の草は荻、薄、きちかう、萩、女郞花、藤袴、しをに、われもかう、苅萱、りんだう、菊、黃菊も、蔦、葛、朝顏、いづれもいと高からず、さゝやかなる垣にしげからぬよし。この外世にまれなるもの、唐めきたる名のきゝにくゝ、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。大かた何もめづらしくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのものなくてありなむ。

身死して財のこることは智者のせざるところなり。よからぬものたくはへおきたるもつたなく、よきものは心をとゞめけむとはかなし。こちたく多かるまして口をし。「我こそえめ」などいふものどもありて、あとに爭ひたるさまあし。後は誰にとこゝろざすものあらば、いけらむうちにぞゆづるべき。朝夕なくてかなはざらむものこそあらめ、その外は何ももたでぞあらまほしき。

悲田院の堯蓮上人は、俗姓は三浦〈伊豆〉のなにがしとかや、さうなき武者なり。故鄉の人の來て物がたりすとて、「あづま人こそいひつることはたのまるれ。都の人はことうけのみよくて、まことなし」といひしを、聖「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しくすみて、馴れて見るに、人の心おとれりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどのこと、けやけくいなびがたく、よろづえいひはなたず、心よわくことうけしつ。僞せむとは思はねど、ともしくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意とほらぬこと多かるべし。吾妻人は我がかたなれど、げには心の色なく情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、はじめよりいなといひて止みぬ。にぎはひゆたかなれば、人にはたのまるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ。この聖聲うちゆがみあらあらしくて、聖敎のこまやかなることわり、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言の後心にくゝなりて、多かる中に寺をも住持せらるゝは、かくやはらぎたるところありて、その益もあるにこそとおぼえ侍りし〈如元〉

心なしと見ゆるものも、よきひとことはいふものなり。ある荒夷のおそろしげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と問ひしに「一人ももち侍らず」とこたへしかば、「さてはものゝあはれは知りたまはじ。なさけなき御心にぞものし給ふらむといとおそろし。子ゆゑにこそ萬のあはれは思ひ知らるれ」といひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かゝるものゝ心に慈悲ありなむや。孝養の心なきものも、子もちてこそ親の志はおもひ知るなれ。世をすてたる人のよろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ望ふかきを見て、むげに思ひくたすはひがことなり。その人の心になりて思へば、まことにかなしからむ。親のため妻子のためには、耻をも忘れぬすみもしつべきことなり。されば盜人をいましめ、僻事をのみつみせむよりは、世の人の飢ゑず寒からぬやうに、世をばおこなはまほしきなり。人恒の產なきときは恒の心なし。人きはまりてぬすみす。世治らずして凍餒のくるしみあらば、科のもの絕ゆべからず。人をくるしめ法ををかさしめて、それをつみなはむこと不便のわざなり。さていかゞして人を惠むべきとならば、上のをごり費すところをやめ、民を撫で農をすゝめば、下に利あらむこと疑あるべからず。衣食よのつねなるうへに、ひがことせむ人をぞまことの盜人とはいふべき。

人の終焉のありさまのいみじかりしことなど、人のかたるをきくに、たゞしづかにして亂れずといはゞ、心にくかるべきを、愚なる人はあやしくことなる相を語りつげ、いひしことばもふるまひも、おのれが好む方に譽めなすこそその人の日ごろの本意にもあらずやとおぼゆれ。この大事は、權化の人も定むべからず。博學の士もはかるべからず。おのれ違ふところなくば、人の見きくにはよるべからず。

栂尾の上人〈高辨〉道を過ぎ給ひけるに、河にて馬あらふ男、「あしあし」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執開發の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候ふ」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結緣をもしつるかな」とて感淚をのごはれけるとぞ。

御隨身秦の重躬、北面の下野入道信願を「落馬の相ある人なり。よくよく愼み給へ」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より落ちて死にけり。道に長じぬる一言神の如しと、人おもへり。さて「いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「極めてもゝじりにして、沛艾の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞいひける。

明雲座主、相者に逢ひたまひて、「おのれもし兵仗の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「まことにその相おはします」と申す。「いかなる相ぞ」とたづね給ひければ、「傷害のおそれおはしますまじき御身にて、假にもかくおぼしよりて尋ね給ふ。これ旣にそのあやぶみのきざしなり」と申しけり。はたして矢にあたりてうせ給ひにけり。

灸治あまた所になりぬれば、神事にけがれありといふこと、近く人のいひ出せるなり。格式等にも見えず〈とぞイ有〉

四十以後の人、身に灸をくはへて三里を燒かざれば、上氣のことあり。かならず灸すべし。

鹿茸を鼻にあてゝ嗅ぐべからず。ちひさき蟲ありて、鼻より入りて腦をはむといへり。

能をつかむとする人、よくせざらむ程は、なまじひに人にしられじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそいと心にくからめと常にいふめれど、かくいふ人一藝もならひ得る事なし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて譏り笑はるゝにも耻ぢず、つれなくすぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず妄にせずして、年をおくれば、堪能のたしなまざるよりは終に上手の位にいたり、德たけ人にゆるされてならびなき名をうることなり。天下のものゝ上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道のおきてたゞしく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて萬人の師となること、諸道かはるべからず。

ある人のいはく、年五十になるまで上手に至らざらむ藝をば捨つべきなり。勵み習ふべきゆく末もなし。老人の事をば人もえ笑はず、衆にまじはりたるもあいなく見ぐるし。大かたよろづのしわざは止めて、暇あるこそめやすくあらまほしけれ。世俗のことにたづさはりて、生涯をくらすは下愚の人なり。ゆかしくおぼえむことは學び聞くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずしてやむべし。もとより望むことなくしてやまむは、第一のことなり。

西大寺靜然上人、腰かゞまり眉しろく、まことに德たけたるありさまにて、內裏へ參られたりけるを、西園寺內大臣殿〈實衡〉、「あなたふとのけしきや」とて信仰のきそくありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申されけり。後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「このけしきたふとく見えて候ふ」とて內府へ參らせられたりけるとぞ。

爲兼大納言入道めしとられて、武士どもうちかこみて、六波羅へゐて行きければ、資朝卿一條わたりにてこれを見て、「あなうらやまし。世にあらむおもひでかくこそあらまほしけれ」とぞいはれける。

この人、東寺の門にあまやどりせられたりけるに、かたはものどもの集り居たるが、手も足もねぢゆがみうちかへりて、いづくも不具にことやうなるを見て、とりどりにたぐひなきくせものなり、尤愛するに足れりと思ひて、守り給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくゝいぶせくおぼえければ、たゞすなほにめづらしからぬものにはしかずと思ひて、かへりて後、この間栽木を好みて、異やうに曲折あるをもとめて、目もよろこばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なくおぼえければ、鉢に栽ゑられける木ども、みなほり棄てられにけり。さもありぬべきことなり。

世にしたがはむ人は、まづ機嫌を知るべし。ついであしきことは、人の耳にも逆ひ心にも違ひてその事成らず。さやうのをりふしを心得べきなり。たゞし病をうけ子うみ死ぬることのみ、機嫌をはからず。ついであしとてやむことなし。生住異滅のうつりかはるまことの大事は、たけき河のみなぎり流るゝがごとし。しばしもとゞこほらず、たゞちに行ひゆくものなり。されば眞俗につけて、かならず果し遂げむと思はむ事は、機嫌をいふべからず。とかくの用意なく、足をふみとゞむまじきなり。春くれて後夏になり、夏はてゝ秋のくるにはあらず。春はやがて夏の氣をもよほし、夏より旣に秋はかよひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天氣、草も靑くなり梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣下にまうけたるゆゑに、待ちとるついで甚はやし。生老病死のうつり來ることこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでをまたず。死は前よりしも來らず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて、待つことしかも急ならざるにおぼえずして來る。沖の干潟はるかなれども磯より潮の滿つるがごとし。

大臣の大饗はさるべき所を申しうけて行ふ常のことなり。宇治左大臣殿〈賴長〉は、東三條殿にて行はる。內裏にてありけるを申されけるによりて、よそへ行幸ありけり。させることのよせなけれども、女院の御所などかり申す故實なりとぞ。

筆をとればものかゝれ、樂器をとれば音をたてむと思ふ。盃をとれば酒を思ひ、賽をとればだうたむことをおもふ。心はかならず事に觸れて來る。かりにも不善のたはぶれをなすべからず。あからさまに聖敎の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むることもあり。かりに今この文をひろげざらましかば、この事を知らむや。これすなはちふるゝ所の益なり。心さらにをこらずとも、佛前にありてずゞをとり經をとらばをこたるうちにも善行おのづから修せられ、散亂の心ながらも繩床に座せば、おぼえずして禪定なるべし。事理もとより二つならず。外相もしそむかざれぱ、內證かならず熟す。しひて不信といふべからず。あふぎてこれをたふとむべし。

「盃のそこをすつることはいかゞ心えたる」とある人の尋ねさせ給ひしに、「凝當と申しはべれば、底に凝りたるをすつるに候ふらむ」と申し侍りしかば、「さにはあららず。魚道なり。流を殘して口のつきたる所をすゝぐなり」とぞ仰せられし。

「みなむすびといふは絲をむすび重ねたるが、蜷といふ貝に似たればいふ」とあるやんごとなき人仰せられき。になといふはあやまりなり。

門に額かくるを、うつといふはよからぬにや。勘解由小路二品禪門〈行忠〉は、「額かくる」とのたまひき。見物の棧敷うつもよからぬにや、ひらばりうつなどはつねの事なり。棧敷構ふるなどいふべし。護摩たくといふもわろし。修する護摩するなどいふなり。「行法も、法の字をすみていふわろし。濁りていふ」と淸閑寺僧正〈道我〉仰せられき。常にいふ事にかゝることのみ多し。花の盛は、冬至より百五十日とも、時正の後七日ともいへど、立春より七十五日おほやうたがはず。

遍照寺の承仕法師、池の鳥を日ごろかひつけて、堂の內まで餌をまきて、戶ひとつをあけたれば、數もしらず入りける後、おのれも入りて、立て籠めて捕へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈るわらは聞きて人に吿げゝれば、村の男ども、おこりて入りて見るに、大鴈どもふためきあへる中に、法師まじりてうち伏せねぢ殺しければ、この法師をとらへて、所より使廳へ出したりけり。殺すところの鳥を頸にかけさせて、禁獄せられにけり。基俊大納言別當のときになむ侍りける。

太衝の太の字、點うつうたずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の古文の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたるを書きたり」と申しき。

世の人相逢ふ時、しばらくも默止することなし、かならずことばあり。そのことを聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮說、人の是非、自他のために失多く得すくなし。これをかたる時、たがひの心に無益のことなりといふことを知らず。

あづまの人の都の人にまじはり、みやこの人のあづまに行きて身をたて、また本寺本山をはなれぬる顯密の僧、すべてわが俗にあらずして人にまじはれる見ぐるし。

人間の營みあへるわざをみるに、春の日に雪佛をつくりて、そのために金銀珠玉のかざりをいとなみ、堂塔を建てむとするに似たり。そのかまへをまちてよく安置してむや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪のごとくなるうちに、いとなみ待つこと甚おほし。

「道にたづさはる人、あらむ道のむしろにのぞみて、「あはれ我が道ならましかは、かくよそに見侍らじものを」といひ、心にも思へること常のことなれど、よにわろくおぼゆるなり。知らぬ道のうらやましくおぼえば、「あなうらやまし。などかならはざりけむ」といひてありなむ。我が智をとり出でゝ人に爭ふは、角あるものゝ角をかたぶけ、牙あるものゝ牙をかみいだすたぐひなり。人としては善にほこらず、物と爭はざるを德とす。他にまさることのあるは大なる失なり。品のたかさにても、才藝のすぐれたるにても、先祖のほまれにても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でゝこそいはねども內心にそこばくのとがあり、謹みてこれをわするべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、わざはひをも招くはたゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづからあきらかにその非を知るゆゑに、志常にみたずして、つひにものにほこることなし。

年老いたる人の、一事すぐれたる才能ありて、「この人の後には誰にか問はむ」などいはゞ、老のかたうどにて生けるもいたづらならず。さはあれどそれもすたれたる所のなきは、一生この事にて暮れにけりと拙く見ゆ。今は忘れにけりといひてありなむ。大かたは知りたりとも、すゞろにいひちらすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづからあやまりもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、なほまことに道のあるじともおぼえぬべし。ましてしらぬこと、したりがほに、おとなしくもどきぬべくもあらぬ人のいひきかするを、さもあらずと思ひながら、聞き居たるいとわびし。

「何事の式といふことは、後嵯峨の御代まではいはざりけるを、近き程よりいふことばなり」と人の申し侍りしに、建禮門院の右京大夫〈伊行女〉、後鳥羽院の御位の後、また內ずみしたることをいふに、「世の式もかはりたることはなきにも」と書きたり。

さしたる事なくて、人のがり行くはよからぬことなり。用ありて行きたりとも、その事はてなばとくかへるべし。久しく居たるいとむづかし。人とむかひたれば、詞おほく、身もくたびれ、心もしづかならず。萬の事さはりて時をうつす、たがひのため益なし。いとはしげにいはむもわろし。心づきなきことあらむをりは、なかなかそのよしをもいひてむ。おなじ心にむかはまほしく思はむ人の、つれづれにて、「いましばし、今日は心しづかに」などいはむは、このかぎりにはあらざるべし、阮籍が靑き眼、誰もあるべきことなり。その事となきに人の來りて、のどかに物がたりしてかへりぬるいとよし。また「文も久しく聞えさせねば」などばかりいひおこせたるいとうれし。

貝をおほふ人の、我が前なるをばおきて、よそを見わたして、人の袖のかげ、膝の下まで目をくばるまに、前なるをば人におほはれぬ。よくおほふ人はよそまでわりなくとるとは見えずして、近きばかりおほふやうなれど、多くおほふなり。碁盤のすみに石をたてゝはじくに、むかひなる石をまもりて弾くはあたらず、わが手もとをよく見て、こゝなるひじりめをすぐにはじけば、立てた〈たイ無〉る石必あたる。萬の事外にむきてもとむべからず。たゞこゝもとを正しくすべし。淸獻公〈趙抃〉がことばに、「好事を行じて前程を問ふことなかれ」といへり。世を保たむ道もかくや侍らむ。內を愼まず、輕くほしきまゝにしてみだりなれば、遠國必そむく時、はじめて謀をもとむ。「風にあたり濕に臥して、病を神靈にうたふるはおろかなる人なり」と醫書にいへるがごとし。目の前なる人の愁をやめ、惠をほどこし、道を正しくぜば、その化遠く流れむことを知らざるなり。禹の行きて三苗を征せしも、事をかへして德を布くにはしかざりき。

若き時は血氣內にあまり、心物に動きて情欲おほし。身をあやぶめて碎け易きこと、珠を走らしむるに似たり。美麗を好みて財を費し、これを捨てゝ苔の袂にやつれ、勇める心盛にしてものと爭ひ、心にはぢうらやみ、このむ所日々に定まらず、色にふけり情にめで、行をいさぎよくして百年の身を誤り、命を失へるためしねがはしくして、身のまたく久しからむことをば思はず、すけるかたに心ひきて、ながき世語ともなる身をあやまつことはわかき時のしわざなり。老いぬる人は精神衰へ、あはくおろそかにして感じ動く所なし。心おのづからしづかなれば、無益のわざをなさず、身をたすけて愁なく、人のわづらひなからむことを思ふ。老いて智のわかき時にまされること、若くしてかたちの老ひたるにまされるがごとし。

小野小町がこと、極めてさだかならず。袞へたるさまは、玉造といふ文に見えたり。この文淸行がかけりといふ說あれど、髙野大師の御作の目錄に入れり。大師は承和のはじめにかくれ給へり。小町が盛なることその後のことにや、なほおぼつかなし。

小鷹によき犬、大鷹につかひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。大に就き小をすつることあり、まことにしかなり。人事おほかる中に、道を樂むより氣味ふかきはなし。これまことの大事なり。一たび道を聞きてこれに志さむ人、いづれのわざかすたれざらむ。何事をかいとなまむ。愚なる人といふとも、かしこき犬の心におとらむや。

世には心得ぬ事の多きなり。ともあるごとには、まづ酒をすゝめしひのませたるを興とすること、いかなるゆゑとも心えず。飮む人の顏いと堪へがたげに眉を顰め、人めを謀りて捨てむとし、にげむとするをとらへてひきとゞめてすゞろに飮ませつれば、うるはしき人も忽に狂人となりてをこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者となりて、前後もしらず倒れふす。祝ふべき日などはあさましかりぬべし。あくる日まで頭いたく、物くはすによびふし、生を隔てたるやうにして、昨日のこと覺えず、おほやけわたくしの大事をかきてわづらひとなる。人をしてかゝるめを見すること慈悲もなく禮義にもそむけり。かくからきめにあひたらむ人、ねたく口をしと思はざらむや。ひとの國にかゝるならひあなりと、これらになき人事にて傳へ聞きたらむはあやしく不思議におぼえぬべし。人の上にて見たるだに心うし。思ひ入れたるさまに心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり詞おほく、ゑばう子ゆがみ紐はづし脛たかくかゝげて用意なきけしき、日ごろの人とも覺えず。女は額髮はれらかにかきやり、まばゆからず、顏うちさゝげてうち笑ひ、盃もてる手にとりつき、よからぬ人は肴とりて口にさしあて、みづからも食ひたるさまあし。聲のかぎり出しておのおの謠ひ舞ひ、年老いたる法帥召し出されて、黑く穢き身を肩ぬぎて目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましくにくし。あるは又我が身いみじき事ども、かたはらいたくいひきかせ、あるは醉ひなきし、下ざまの人はのりあひいさかひて、あさましくおそろし。はぢがましく心憂きことのみありて、はては許さぬものどもおしとりて、緣より墮ち馬車より落ちてあやまちしつ、ものにも乘らぬきはは大路をよろぼひ行きて、ついひぢ、門の下などに向きて、えもいはぬ事どもしちらし、年老い袈裟かけたる法師の、小わらはの肩をおさへて聞えぬ事どもいひつゝよろめきたるいとかはゆし。かゝることをしてもこの世も後の世も、益あるべきわざならばいかゞはせむ。この世にては過おほく、財を失ひ病をまうく。百藥の長とはいへど、萬の病は酒よりこそおこれ。憂を忘るといへど、醉ひたる人ぞ過ぎにしうさをも思ひいでゝなくめる。後の世は人の智惠を失ひ、善根をやくこと火の如くして惡をまし、よろづの戒を破りて地獄におつべし。酒をとりて人にのませたる人、五百生が間手なきものに生るゝとこそ佛は說き給ふなれ。かくうとましと思ふものなれど、おのづから捨て難きをりもあるべし。月の夜、雪の朝、花のもとにても心のどかに物語して盃いだしたる萬の興をそふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入りきて、執り行ひたるも心慰む。なれなれしからぬあたりの御簾の中より、御くだものみきなど、よきやうなるけはひして、さし出されたるいとよし。冬せばき所にて〈火にてイ有〉ものいりなどして、へだてなきどちさしむかひておほく飮みたるいとをかし。旅のかりや野山などにて、御肴何などいひて、芝の上にて飮みたるもをかし。いたういたむ人の、强ひられてすこし飮みたるもいとよし。よき人のとりわきて、今ひとつうへすくなしなどのたまはせたるもうれし。ちかづかまほしき人の上戶にて、ひしひしと馴れぬる又うれし。さはいへど上戶は、をかしく罪ゆるさるゝものなり。醉ひくたびれてあさいしたる所を、あるじのひきあけたるに、まどひてほれたる顏ながら、ほそきもとゞりさしいだし、物も着あへず抱きもち、ひきしろひてにぐる、かひどりすがたのうしろ手、毛おひたるほそはぎのほど、をかしくつきづきし。

黑戶は小松の御門位につかせ給ひて、昔たゞ人におはしましゝ時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常にいとなませ給ひける間なり。御薪にすゝけたれば黑戶といふとぞ。

鎌倉の中書王〈宗尊〉にて御鞠ありけるに、雨ふりて後いまだ庭のかわかざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道〈政義〉、鋸の屑を車に積みておほく奉りたりければ、一庭に敷かれて泥土のわづらひなかりけり。「とりためけむ用意ありがたし」と人感じあへりけり。この事をある者のかたりいでたりしに、吉田中納言〈藤房〉の、「乾沙の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、はづかしかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しくことやうのことなり。庭の儀を奉行する人、かわき砂をまうくるは故實なりとぞ。

ある所のさぶらひども、內侍所の御神樂を見て人にかたるとて「寶劔をばその人ぞもち給へる」などいふを聞きて、うちなる女房の中に「別殿の行幸には晝御座の御劔にてこそあれ」と忍びやかにいひたりし心にくかりき。その人ふるき典侍なりけるとかや。

入宋の沙門道眼上人、一切經を持來して、六波羅のあたりやけ野といふ所に安置して、殊に首楞嚴經を講じて、那爛陀寺と號す。その聖の申されしは、「那爛陀寺は大門北むきなりと、江帥の說とていひつたへたれど、西域傳法顯傅などにも見えず、さらに所見なし。江帥はいかなる才覺にて申されけむ。おぼつかなし。唐土の西明寺は北むき勿論なり」と申しき。

さぎちやうは、正月にうちたるぎちやうを、眞言院より神泉苑へ出して燒きあぐるなり。法成就の池にこそとはやすは、神泉苑の池をいふなり。

「ふれふれこゆきたんばのこゆきといふ事、よね搗きふるひたるに似たれば粉雪といふ。たまれこゆきといふべきを、あやまりてたんばのとはいふなり。かきや木のまたにとうたふべし」とあるものしり申しき。昔よりいひけることにや。鳥羽院をさなくおはしまして、雪の降るにかく仰せられけるよし、讃岐のすけが日記にかきたり。

四條大納言隆親卿、からざけといふものを、供御にまゐらせられたりけるを、「かくあやしきものまゐるやうあらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚まゐらぬことにてあらむにこそあれ、鮭のしらぼしなんでふことかあらむ。鮎のしらぼしはまゐらぬかは」と申されけり。

人つく牛をば角をきり、人くふ馬をば耳をきりてそのしるしとす。しるしをつけずして人をやぶらせぬるは、ぬしのとがなり。人くふ犬をば養ひ飼ふべからず。これみなとがあり。律のいましめなり。

相模守時賴の母は、松下禪尼とぞ申しける。守をいれ申さるゝことありけるに、すゝけたるあかり障子のやぶればかりを、禪尼手づから小刀して、きりまはしつゝはられければ、せうとの城介義景、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、なにがし男にはらせ候はむ。さやうの事に心えたるものに候ふ」と申されければ、「その男尼が細工によもまさり侍らじ」とてなほ一間づゝはられけるを、義景「皆をはりかへ候はむは、遥にたやすく候ふべし。まだらに候ふも見苦しくや」とかさねて申されければ、「尼も後はざわざわとはりかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐることぞと若き人に見ならはせて、心づけむためなり」と申されける、いとありがたかりけり。此を治むる道儉約を本とす。女性なれども聖人の心にかよへり。天下をたもつほどの人を子にてもたれける、誠にたゞ人にはあらざりけるとぞ。

城陸奧守泰盛は、さうなき馬乘なりけり。馬をひきいださせけるに、足をそろへてしきみをゆらりと超ゆるを見ては、「これはいさめる馬なり」とて鞍をおきかへさせけり。また足を延べてしきみを蹴あてぬれば、「これはにぶくしてあやまちあるべし」とて乘らざりけり。道を知らざらむ人、かばかりおそれなむや。

吉田と申す馬乘の申し侍りしは、「馬ごとにこはきものなり。人の力爭ふべからずと知るべし。乘るべき馬をばまづよく見て、强き所弱き所を知るべし。次に轡鞍の具に危きことやあると見て、心にかゝることあらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを、馬乘とは申すなり。これ秘藏のことなり」と申しき。

よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必まさることは、たゆみなくつゝしみて、輕々しくせぬと、偏に自由なるとのひとしからぬなり。藝能所作のみにあらず、大かたのふるまひ心づかひも、おろかにしてつゝしめるは得の本なり。たくみにしてほしきまゝなるは失の本なり。

あるもの子を法師になして、「學問して因果の理をもしり、說經などして、世わたるたづきともせよ」といひければ、敎のまゝに說經師にならむために、まづ馬に乘りならひけり。輿車もたぬ身の、導師に請ぜられむ時、馬などむかへにおこせたらむに、もゝじりにて落ちなむは心憂かるべしと思ひけり。次に佛事の後、酒などすゝむることあらむに、法師のむげに能なきは檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざやうやう境に入りければ、いよいよよくしたくおぼえて嗜みける程に、說經ならふべきひまなくて年よりにけり。この法師のみにもあらず、世間の人なべてこのことあり。若きほどは諸事につけて身をたて、大なる道をも成し、能をもつき、學問をもせむと、行く末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつゝ、まづさしあたりたる目の前の事のみにまぎれて、月日をおくれば、ことごとなすことなくして身は老いぬ。終にものゝ上手にもならず、思ひしやうに身をももたず、とり返さるゝ齡ならねば、走りて坂をくだる輪の如くに衰へゆく。されば一生のうちにむねとあらまほしからむことの中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一のことを案じ定めて、その外は思ひすてゝ、一事を勵むべし。一日の中一事の中にも、あまたのことのきたらむ中に、すこしも益のまさらむことを營みて、その外をばうちすてゝ大事をいそぐべきなり。いづ方をもすてじと心にとりもちては、一事も成るべからず。たとへば碁をうつ人、一手もいたづらにせず、人にさきだちて、小をすて大につくが如し。それにとりて三つの石をすてゝ、十の石につくことはやすし。十をすてゝ十一につくことはかたし。一つなりともまさらむかたへこそつくべきを、十までなりぬれば惜しくおぼえて、多くまさらぬ石にはかへにくし。これをも捨てずかれをもとらむと思ふ心に、かれをも得ずこれをも失ふべき道なり。京にすむ人、急ぎて東山に用ありて、旣に行きつきたりとも、西山に行きて、その益まさるべき事を思ひえたらば、門よりかへりて西山へゆくべきなり。こゝまできつきぬれば、この事をばまづいひてむ、日をさゝぬことなれば、西山の事はかへりてまたこそ思ひたゝめと思ふゆゑに、一時の懈怠すなはち一生の懈怠となる、これをおそるべし。一事を必ず成さむと思はゞ、他の事の破るゝをもいたむべからず。人のあざけりをも耻づべからず。萬事にかへずしては一つの大事成るべからず。人のあまたありける中にて、あるもの「ますほのすゝき、まそほのすゝきなどいふことあり。わたのべの聖この事を傅へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師その座に侍りけるが聞きて、雨の降りけるに、「簑笠やあるかしたまへ。かのすゝきのことならひに、渡邊の聖のがり尋ねまからむ」といひけるを、「あまりに物さわがし。雨やみてこそ」と人のいひければ、「むげの事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨のはれまをも待つものかは。我も死に聖もうせなば尋ね聞きてむや」とてはしり出でゝ行きつゝ習い侍りにけりと申し傅へたるこそゆゝしくありがたうおぼゆれ。「敏きときはすなはち功あり」とぞ論語といふふみにも侍るなる。この語をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因緣をぞ思ふべかりける。

今日はその事をなさむと思へど、あらぬいそぎまづ出で來てまぎれくらし、待つ人はさはりありて、たのめぬ人はきたり。賴みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。煩はしかりつる事はことなくて、安かるべきことはいと心ぐるし。日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるに似ず。一年の事もかくのごとし。一年の間もまたしかなり。かねてのあらまし皆たがひゆくかと思ふに、おのづから違はぬ事もあれば、いよいよものは定めがたし。不定と心えぬるのみまことにて違はず。

妻といふものこそをのこのもつまじきものなれ。いつもひとりずみにてなど聞くこそ心にくけれ。たれがしがむこになりぬとも、又いかなる女をとりすゑてあひすむなどきゝつれば、むげに心おとりせらるゝわざなり。ことなることなき女をよしと思ひ定めてこそそひ居たらめと、賤しくもおしはかられ、よき女ならばこの男をぞらうたくして、あが佛とまもりゐたらめ。たとへば、さばかりにこそと覺えぬべし。まして家の內を行ひをさめたる女、いとくちをし。子などいできて、かしづき愛したる心うし。男なくなりて後、尼になりて年よりたるありさま、なきあとまであさまし。いかなる女なりとも、明暮そひみむには、いと心づきなくにくかりなむ。女のためもなかぞらにこそならめ。よそながら時々通ひすまむこそ年月へても絕えぬなからひともならめ。あからさまに來てとまり居などせむはめづらしかりぬべし。

夜に入りてものゝはえなしといふ人、いとくちをし。萬の物のきらかざり色ふしも、夜のみこそめでたけれ。晝はことそぎおよすげたる姿にてもありなむ。夜はきらゝかに華やかなるさうぞくいとよし。人のけしきも、夜のほかげぞよきはよく、物いひたる聲も、暗くてきゝたる、用意ある心にくし。にほひもものゝ音も、たゞ夜ぞひときはめでたき。さしてことなることなき夜うちふけて參れる人の、きよげなるさましたるいとよし。若きどち心とゞめて見る人は、時をもわかぬものなれば、殊にうち解けぬべきをりふしぞ、けはれなくひきつくろはまほしき。よき男の、日暮れてゆするし、女も夜ふくるほどにすべりつゝ、鏡とりて顏などつくろひ出づるこそをかしけれ。

神佛にも人のまうでぬ、日夜まゐりたるよし。

くらき人の人をはかりて、その智をしれりとおもはむ、更にあたるべからず。拙き人の碁うつことばかりにさとくたくみなるは、かしこき人のこの藝におろかなるを見て、おのれが智に及ばずとさだめて、よろづの道のたくみ、我が道を人の知らざるを見て、おのれすぐれたりと思はむこと、大なるあやまりなるべし。文字の法師、暗證の禪師、互にはかりて、おのれにしかずと思へる、ともにあたらず。おのれが境界にあらざるものをば、爭ふべからず。是非すべからず。

達人の人を見る眼は、すこしも誤るところあるべからず。たとへばある人の世に虛言をかまへ出して、人をはかることあらむに、すなほにまことゝ思ひて、いふまゝにはからるゝ人あり。あまりに深く信をおこして、なほわづらはしく虛言を心えそふる人あり。また何としもおもはで、心をつけぬ人あり。又いさゝかおぼつかなくおぼえて、たのむにもあらず、たのまずもあらで案じ居たる人あり。又まことしくは覺えねども、人のいふことなれば、さもあらむとて止みぬる人もあり。又さまざまに推し心えたるよしして、かしこげにうちうなづき、ほゝゑみて居たれどつやつや知らぬ人あり。また推し出してあはれさるめりと思ひながら、なほあやまりもこそあれとあやしむ人あり。又ことなるやうもなかりけると、手をうつて笑ふ人あり。また心えたれども、知れりともいはず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく知らぬ人とおなじやうにて過ぐる人あり。またこの虛言の本意をはじめより心えて、すこしも欺かず、かまへ出したる人とおなじ心になりて、力をあはする人あり。愚者の中のたはぶれだに知りたる人の前にてはこのさまざまの得たる所、詞にても顏にても、かくれなくしられぬべし。ましてあきらかならむ人の、惑へるわれらを見むこと、掌の上のものを見むがごとし。但しかやうのおしはかりにて、佛法までをなずらヘいふべきにはあらず。

ある人久我畷を通りけるに、小袖に大口きたる人、木造の地藏を田の中の水におしひたしてねんごろにあらひけり。心えがたく見るほどに、狩衣の男二三人いできて、「こゝにおはしけり」とてこの人を具していにけり。久我內大臣殿〈通基〉にてぞおはしける。よのつねにおはしましける時は、神妙にやんごとなき人にておはしけり。

東大寺の神輿東寺の若宮より歸座の時、源氏の公卿まゐられけるに、この殿大將にてさきをおはれけるを、土御門の相國、「社頭にて警蹕いかゞ侍るべからむ」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知ることに候ふ」とばかり答へ給ひけり。さて後に仰せられけるは、「この相國北山抄を見て、西宮の說をこそ知られざりけれ。眷屬の惡鬼惡神を恐るゝゆゑに、神社にては、殊に先をおふべきことわりあり」とぞ仰せられける。

諸寺の僧のみにもあらず、定額の女嬬といふこと延喜式に見えたり。すべて數さだまりたる公人の通號にこそ。

揚名介にかぎらず、揚名目といふものもあり。政事要略にあり。

橫川の行宣法師が申しはべりしは、「唐土は呂の國なり、律の音なし。和國は單律の國にて、呂の音なし」と申しき。

吳竹は葉ほそく、かは竹は葉ひろし。御溝にちかきはかは竹、仁壽殿の方によりて植ゑられたるは吳竹なり。

大凡下乘の卒都婆、外なるは下乘、內なるは退凡なり。

十月をかみな月といひて、神事にはゞかるべきよしはしるしたるものなし。本文も見えず。たゞし當月諸社の祭なきゆゑ に、この名あるか。この月萬の神たち、太神宮へ集り給ふなどいふ說あれども、その本說なし。さることならば、伊勢には殊に祭月とすべきに、その例もなし。十月諸社の行幸、その例おほし。たゞしおほくは不吉の例なり。

勅勘の所に靱かくる作法、今は絕えて知れる人なし。主上の御惱、大かた世の中のさわがしき時は、五條の天神に靱をかけらる。鞍馬にゆきの明神といふも、靱かけられたる神なり。看督長の負ひたる靱を、その家にかけられぬれば、人いで入らず。この事絕えて後、今の世には封をつくることになりにけり。

犯人をしもとにて打つ時は、拷器によせてゆひつくるなり。拷器のやうも、よする作法も今はわきまへ知れる人なしとぞ。

比叡山に大師勸請の起證文といふことは、慈惠僧正書きはじめ給ひけるなり。起證文といふこと、法曹にはその沙汰なし。いにしへの聖代、すべて起證文につきて行はるゝ政はなきを、近代このこと流布したるなり。また法令には、水火にけがれをたてず、入物にはけがれあるべし。

德大寺右大臣殿〈公孝〉、檢非違使の別當の時、中門にて使廳の評定おこなはれけるほどに、官人章兼が牛はなれて、〈そのうちへ入りてイ有〉大理の座のはまゆかの上にのぼりて、にれうち嚙みて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへつかはすべきよし、おのおのまうしけるを、父の相國きゝたまひて、「牛に分別なし。足あればいづくへかのぼらざらむ。尫弱の官人、たまたま出仕の微牛をとらるべきやうなし」とて牛をばぬしにかへして、臥したりける甍をばかへられにけり。あへて凶事なかりけるとなむ。「怪を見てあやしまざる時は、あやしみかへりてやぶる」といへり。

龜山殿たてられむとて、地をひかれけるに、大なる蛇數もしらずこりあつまりたる塚ありけり。此所の神なりといひて、事のよしを申しければ「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「ふるくよりこの地を占めたるものならば、さうなく堀り捨てられがたし」とみな人申されけるに、この大臣一人、「王土に居らむ蟲、皇后を建てられむに何のたゝりをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。たゞ皆ほりすつべし」と申されたりければ、塚をくづして蛇をば大井川に流してけり。更にたゝりなかりけり。

經文などの紐をゆふに、上下よりたすきにちがへて、二すぢの中より、わなのかしらを橫ざまにひき出すことはつねのことなり。さやうにしたるをば、華嚴院の弘舜僧正解きてなほさせけり。「これはこの頃やうのことなり。いとにくし。うるはしくは、たゞくるくると卷きて、上より下へわなのさきをさしはさむべし」と申されけり。ふるき人にてかやうのこと知れる人になむ侍りける。

人の田を論ずるもの、うたへにまけてねたさに、「その田を刈りてとれ」とぞ人をつかはしけるに、まづ道すがらの田をさへ刈りもてゆくを、「これは論じたまふ所にあらず。いかにかくは」といひければ、刈るものども、「其所とても刈るべきことわりなけれども、僻事せむとてまかるものなれば、いづくをか刈らざらむ」とぞいひける、ことわりいとをかしかりけり。

喚子鳥は春のものなりとばかりいひて、いかなる鳥ともさだかにしるせるものなし。ある眞言書の中に、よぶ子鳥なくとき招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞たつながき春日の」などつゞけたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまにかよひてきこゆ。

萬の事はたのむべからず。愚なる人はふかくものを賴むゆゑに、怨み怒ることあり。勢ありとて賴むべからず。こはきものまづ滅ぶ。財多しとて賴むべからず。時の間に失ひやすし。才ありとて賴むべからず、孔子も時に遇はず。德ありとて賴むべからず。顏回も不幸なりき。君の寵をも賴むべからず。誅をうくること速なり。奴したがへりとて賴むべからず。そむき走ることあり。人の志をも賴むべからず。かならず變ず。約をも賴むべからず。信あることすくなし。身をも人をも賴まざれば、是なる時はよろこび、非なるときはうらみず。左右廣ければさはらず、前後遠ければふさがらず、せばき時はひしげくだく。心を用ゐることすこしきにして、きびしき時は物にさかひ爭ひやぶる。ゆるくしてやはらかなるときは、一毛も損せず。人は天地の靈なり。天地はかぎるところなし。人の性なんぞことならむ。寬大にして窮らざるときは、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。

秋の月はかぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて思ひわかざらむ人はむげに心うかるべきことなり。

御前の火爐に火をおくときは、火箸してはさむことなし。土器よりたゞちにうつすべし。さればころびおちぬやうに心えて、炭を積むべきなり。八幡の御幸〈みゆきカ〉に、供奉の人淨衣をきて、手にて炭をさゝれければ、ある有職の人、「白きものを着たる日は、火箸を用ゐるくるしからず」と申されけり。

想夫戀といふ樂は、女男を戀ふるゆゑの名にはあらず。もとは相府蓮、文字のかよへるなり。晉の王儉、大臣として家に蓮を植ゑて愛せしときの樂なり、これより大臣を蓮府といふ。廻忽も廻鶻なり。廻鶻國とてえびすのこはき國あり。その夷漢に伏して後にきたりて、おのれが國の樂を奏せしなり。

平の宣時朝臣、老ののち、むかしがたりに「最明寺入道〈時賴〉あるよひの間によばるゝことありしに、やがてと申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また使きたりて、直垂などのさふらはぬにや、夜なればことやうなりともとくとありしかば、なえたるひたゝれうちうちのまゝにてまかりたりしに、銚子にかはらけとりそへてもて出でゝ、この酒をひとりたうべむがさうざうしければ申しつるなり、肴こそなけれ、人はしづまりぬらむ、さりぬべきものやあるといづくまでも求めたまへとありしかば、しそくさしてくまぐまをもとめしほどに、臺所の棚に小土器に味噌の少しつきたるを見出でゝ、これぞ求め得てさふらふと申しゝかば、事足りなむとて、心よく數獻におよびて、興に入られはべりき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

最明寺入道、鶴が岡の社參のついでに、足利左馬入道〈義氏〉のもとへまづ使を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりけるやう、一獻にうちあはび、二獻にえび、三獻にかいもちひにて止みぬ。その座には亭主夫婦、降辨僧正あるじの方の人にて座せられけり。「さて年ごとにたまはる足利の染物心もとなく候ふ」と申されければ、「用意しさふらふ」とていろいろのそめ物三十、前にて女房どもに小袖に調ぜさせて後につかはされけり。その時見たる人のちかくまで侍りしが、かたり侍りしなり。

ある大福長者のいはく、「人はよろづをさしおきて、ひたぶるに德をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。德をつかむと思はゞすべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは他のことにあらず。人間常住のおもひに住して、かりにも無常を觀ずることなかれ。これ第一の用心なり。次に萬事の用をかなふべからず。人の世にある自他につけて所願無量なり。欲に從ひて志を遂げむと思はゞ、百萬の錢ありといふともしばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は盡くる期あり、かぎりある財をもちて、かぎりなき願に從ふこと得べからず。所願心にきざすことあらば、我をほろぼすべき惡念きたれりとかたく愼みおそれて小用をもなすべからず。次に錢を奴の如くして、つかひ用ゐるものとしらば、長く貧苦をまぬかるべからず。君の如く神のごとくおそれたふとみて、從へ用ゐることなかれ。次に恥に臨むといふとも怒り怨むることなかれ。次に正直にして約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の來ること火のかわけるにつき、水のくだれるに從ふがごとくなるべし。錢つもりて盡きざる時は宴飮聲色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し」と申しき。そもそも人は、所願を成ぜむがために財をもとむ。錢を財とすることは、ねがひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何をか樂とせむ。このおきてはたゞ人間の望を絕ちて、貧を憂ふべからずときこえたり。欲をなして樂とせむよりは、しかじ財なからむには。癰疽を病むもの、水に洗ひて樂とせむよりは、病まざらむにはしかじ。こゝにいたりては貧富分くところなし。究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。

狐は人にくひつくものなり。堀川殿〈基具〉にて、舍人が寢たる足を狐にくはる。仁和寺にて夜本寺の前をとほる下法師に、狐三つ飛びかゝりてくひつきければ、刀を拔きてこれを拒ぐ間、狐二疋をつく。ひとつはつき殺しぬ。二つは遁げぬ。法師はあまた所くはれながら、ことゆゑなかりけり。

四條黃門命ぜられていはく、「龍秋〈樂人〉は道にとりてはやんごとなきものなり。先日きたりていはく、短慮のいたり極めて荒涼のことなれども、橫笛の五の穴はいさゝかいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず、そのゆゑは、干の穴は平調、五の穴は下無調なり、その間に勝絕調をへだてたり、上の穴雙調、次に鳧鐘調をおきて、夕の穴黃鐘調なり、その次に鸞鏡調をおきて中の穴盤涉調、中と六とのあはひに神仙調あり、かやうに間々にみな一律をぬすめるに、五の穴のみ上のあひだに調子をもたずして、しかも間をくばることひとしき故に、その聲不快なり、さればこの穴を吹く時はかならずのく、のけあへぬときは物にあはず、吹きうる人かたしと申しき。料簡のいたりまことに興あり。先達後世をおそるといふこと、この事なり」と侍りき。他日に景茂が申し侍りしは、「笙は調べおほせてもちたれば、たゞ吹くばかりなり。笛はふきながら、息のうちにてかつしらべもてゆくものなれば、穴ごとに口傳の上に性骨を加へて心を入るゝこと、五の穴のみにかぎらず。ひとへにのくとばかりも定むべからず。あしく吹けばいづれの穴もこゝろよからず。上手はいづれも吹きあはす。呂律のものにかなはざるは人のとがなり。器の失にあらず」と申しき。

「何事も邊土は卑しくかたくななれども、天王寺の舞樂のみ都に恥ぢず」といへば、天王寺の伶人の申しはべりしは、「當寺の樂はよく圖をしらべ合せて、ものゝ音のめでたくとゝのほり侍ること、外よりもすぐれたるゆゑは、太子〈聖德〉の御時の圖今にはべるをはかせとす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。そのこゑ黃鐘調のもなかなり。寒暑に隨ひてあがりさがりあるべきゆゑに、二月涅槃會より聖靈會までの中間を指南とす。秘藏のことなり。この一調子をもちていづれのこゑをもとゝのへ侍るなり」と申しき。およそ鐘のこゑは黃鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院のこゑなり。西園寺の鐘、黃鐘調にいらるべしとて、あまたゝび鑄替へられけれども、かなはざりけるを、遠國よりたづね出されけり。法金剛院の鐘の聲、また黃鐘調なり。

建治弘安のころは、祭の日の放免のつけものに、ことやうなる紺の布四五端にて馬をつくりて尾髮にはとうじみをして、くものいかきたる水干につけて、歌の心などいひてわたりしこと、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心ちにてこそ侍りしか」と老いたる道志どもの今日もかたり侍るなり。この頃はつけもの年をおくりて、過差ことの外になりて、萬の重きものを多くつけて、左右の袖を人にもたせてみづからはほこをだにもたず、息つきくるしむありさまいと見ぐるし。

竹谷の乘願房、東二條院〈後深草天皇皇后〉へまゐられたりけるに、「亡者の追善には何事か勝利おほき」とたづねさせ給ひければ、「光明眞言寶篋印陀羅尼」と申されたりけるを、弟子ども「いかにかくは申し給ひけるぞ。念佛にまさること候ふまじとは、など申したまはぬぞ」と申しければ、「我が宗なればさこそ申さまほしかりつれども、まさしく稱名を追福に修して、巨益あるべしと說ける經文を見及ばねば、何に見えたるぞと重ねて問はせたまはゞ、いかゞ申さむと思ひて、本經のたしかなるにつきて、この眞言陀羅尼をば申しつるなり」とぞ申されける。

たづのおほいどの〈基家〉は、童名たづ君なり。鶴を飼ひ給ひけるゆゑにと申すはひが事なり。

陰陽師有宗入道、鎌倉よりのぼりて尋ねまうできたりしが、まづさし入りて、「この庭のいたづらに廣きことあさましくあるべからぬことなり。道を知るものは植うることをつとむ。ほそ道ひとつのこして、みな畠に作り給へ」と諫め侍りき。誠にすこしの地をも、徒におかむことは益なきことなり。くふ物藥種などうゑおくべし。

多久助が申しけるは、通憲入道〈信西〉舞の手の中に興あることゞもをえらびて、磯の禪師〈靜母〉といひける女に敎へてまはせけり。白き水干にさうまきをさゝせ、烏帽子をひき入れたりければ、男舞とぞいひける。禪師がむすめしづかといひける、この藝をつげり。これ白拍子の根源なり。佛神の本緣をうたふ。その後源の光行、おほくの事をつくれり。後鳥羽院の御作もあり。龜菊に敎へさせ給ひけるとぞ。

後鳥羽院の御時、信濃の前司行長稽古のほまれありけるが、樂府の御論義の番にめされて七德の舞を二つ忘れたりければ、五德の冠者と異名をつきにけるを、心うきことにして、學問をすてゝ遁世したりけるを、慈鎭和尙、一藝あるものをば下部までも召しおきて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。この行長入道平家物語を作りて、生佛といひける盲目に敎へてかたらせけり。さて山門のことを殊にゆゝしくかけり。九郞判官のことは委しく知りて書き載せたり。蒲冠者のことはよく知らざりけるにや、多くの事どもをしるしもらせり。武士のこと弓馬のわざは、生佛東國のものにて、武士に問ひ聞きてかゝせけり。かの生佛がうまれつきの聲を、今の琵琶法師は學びたるなり。

六時禮讃は、法然上人の弟子安樂といひける僧、經文を集めて作りてつとめにしけり。その後太秦の善觀房といふ僧、ふしはかせを定めて聲明になせり。一念の念佛の最初なり。後嵯峨院の御代よりはじまれり。法事讃も、おなじく善觀房はじめたるなり。

千本釋迦念佛は、文永のころ如輪上人これをはじめられけり。

よき細工は、少しにぶき刀をつかふといふ。妙觀〈寶龜年間佛工〉が刀はいたくたゝず。

五條の內裏には妖物ありけり。藤大納言殿〈爲世〉かたられ侍りしは、「殿上人ども黑戶にて碁をうちけるに、御簾をかゝげて見るものあり。たぞと見向きたれば、狐人のやうについゐてさしのぞきたるを、あれ狐よととよまれて、惑ひ遁げにけり。未練の狐ばけ損じけるにこそ」。

園の別當入道〈基氏〉は、さうなき庖丁者なり、ある人のもとにて、いみじき鯉を出したりければ、皆人別當入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でむもいかゞとためらひけるを、別當入道さる人にて、このほど百日の鯉を切り侍るを、今日かきはべるべきにあらず、まげて申しうけむとてきられける、いみじくつきづきしく興ありて人ども思へりけると、ある人北山太政入道殿〈公經〉にかたり申されたりければ、かやうのことおのれは世にうるさく覺ゆるなり、切りぬべき人なくばたべ、きらむといひたらむはなほよかりなむ、なんでふ百日の鯉を切らむぞとのたまひたりし、をかしくおぼえし」と人のかたり給ひける、いとをかし。大かたふるまひて興あるよりも、興なくて安らかなるがまさりたるなり。まれびとの饗應なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも誠によけれども、たゞそのこととなくてとり出でたるいとよし。人のものをとらせたるも、ついでなくてこれを奉らむといひたるまことの志なり。惜むよししてこはれむと思ひ、勝負のまけわざにことづけなどしたるむづかし。

すべて人は無智無能になるべきものなり。ある人の子の見ざまなどあしからぬが、父の前にて人とものいふとて史書の文をひきたりし、さかしくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともとおぼえしなり。

又ある人の許にて、琵琶法師の物語をきかむとて、琵琶を召しよせたるに、ぢうのひとつ落ちたりしかば、「作りてつけよ」といふに、ある男の中にあしからずと見ゆるが、「ふるきひさくの柄ありや」などいふを見れば、爪をおほしたり。琵琶など彈くにこそ、めくら法師の琵琶、その沙汰にもおよばぬことなり、道に心えたるよしにやとかたはらいたかりき。「ひさくの柄はひもの木とかやいひて、よからぬものに」とぞある人仰せられし。わかき人は、すこしの事もよく見えわろくみゆるなり。

よろづのとがあらじと思はゞ、何事にもまことありて、人をわかずうやうやしく、詞すくなからむにはしかじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊にわかくかたちよき人のことうるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは馴れたるさまに上手めき、所えたるけしきして、人をないがしろにするにあり。

人のものを問ひたるに知らずしもあらじ。ありのまゝにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したるよからぬことなり。知りたることも、なほさだかにと思ひてや問ふらむ。又まことに知らぬ人もなどかなからむ。うらゝかにいひきかせたらむは、おとなしく聞えなまし。人はいまだ聞き及ばぬことを、我が知りたるまゝに「さてもその人の事のあさましさ」などばかりいひやりたれば、いかなることのあるにかと推し返しとひにやるこそ心づきなけれ。世にふりぬることをも、おのづから聞き漏すこともあれば、覺束なからぬやうに吿げやりたらむ、惡しかるべきことかは。かやうの事はものなれぬ人のあることなり。

ぬしある家には、すゞろなる人、心のまゝに入りくることなし。あるじなき所には、道行人みだりに立ち入り、狐ふくろふやうのものも、人げにせかれねば、所えがほに入りすみ、こだまなどいふけしからぬ形もあらはるゝものなり。また鏡には色かたちなきゆゑに、萬の影きたりてうつる。鏡にいろかたちあらましかば、うつらざらまし。虛空よくものをいる。我等が心に念々のほしきまゝにきたりうかぶも、心といふものゝなきにやあらむ。心にぬしあらましかば、胸のうちに若干のことは入りきたらざらまし。

丹波に出雲といふ所あり。大社を遷してめでたくつくれり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋の頃聖海上人、その外も人あまたさそひて、「いざたまへ、出雲をがみに、かいもちひめさせむ」とて具しもていきたるに、各拜みてゆゝしく信をおこしたり。御前なる獅子狛犬、背きてうしろざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子のたちやういとめづらし。深きゆゑあらむ」となみだぐみて「いかに殿ばら、殊勝の事は御覽じとがめずや。むげなり」といへば、おのおのあやしみて、「まことに他にことなりけり。都のつとにかたらむ」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顏したる神官をよびて、「この御社の獅子のたてられやう、定めてならひあることに侍らむ。ちと承らばや」といはれければ、「そのことに候ふ。さがなきわらはべどもの仕りける、奇怪に候ふことなり」とてさし寄りてすゑなほしていにければ、上人の感淚いたづらになりにけり。

やない箱にすうるものは、縱ざま橫ざま物によるべきにや。「卷物などはたてざまにおきて、木のあはひより紙ひねりを通してゆひつく。硯も縱ざまにおきたる、筆ころばずよし」と三條右大臣殿仰せられき。勘解由小路の家の能書の人々は、かりにも縱ざまにおかるゝことなし。かならず橫ざまに居ゑられ侍りき。

御隨身近友が自讃とて、七箇條かきとゞめたることあり。みな馬藝させることなき事どもなり。そのためしを思ひて、自讃のこと七つあり。

一人あまたつれて花見ありきしに、最勝光院の邊にて、をのこ馬をはしらしむるを見て、「いま一度馬をはするものならば、馬たふれて落つべし。しばし見給へ」とて立ちとまりたるにまた馬を馳す。とゞむる所にて馬を引きたふして、乘れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを人みな感ず。
一當代いまだ坊におはしましゝ頃、萬里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿〈師信〉伺候し給ひし御さうじへ御用ありて參りたりしに、論語の四五六の卷をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱うばふことを惡むといふ文を御覽ぜられたきことありて、御本を御らんずれども御覽じ出されぬなり。なほよくひき見よと仰せ事にて求むるなり」と仰せらるゝに、「九の卷のそこそこのほどに侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とてもてまゐらせ給ひき。かほどのことは、ちごどもゝ常のことなれど、昔の人はいさゝかのことをも、いみじく自讃したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首のうちにあしかりなむや」と定家卿にたづね仰せられたるに、「秋の野の草のたもとか花すゝきほに出てまねく袖とみゆらむとはべれば、何事かさふらふべき」と申されたることも、「時にあたりて本歌を覺悟す、道の冥加なり。高運なり」などことごとしく記しおかれ侍るなり。九條相國伊通公の款狀にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讃せられたり。
一常在光院のつき鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣淸書して、いかたにうつさせむとせしに、奉行の入道かの草をとり出でゝ見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば聲百里に聞ゆといふ句あり。陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける、己が高名なり」とて筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし」と返事はべりき。數行もいかなるべきにか。もし數步のこゝろか、おぼつかなし。
一人あまた伴ひて、三塔巡禮の事侍りしに、橫川の常行堂のうち、龍華院と書けるふるき額あり。「佐理、行成の間うたがひありて、いまだ决せずと申し傳へたり」と堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」といひたりしに、裏は塵つもり、蟲の巢にていぶせげなるを、よくはきのごひておのおの見侍りしに、行成位署名字年號さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。
一那蘭陀寺にて道眼ひじり談義せしに、八災といふことを忘れて、「誰かおぼえ給ふ」といひしを所化みなおぼえざりしに、局のうちより、「これこれにや」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだはてぬほどに僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「おなじさまなる大衆多くて、えもとめあはず」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし、それもとめておはせよ」といはれしに、かへり入りてやがて具していでぬ。
一二月十五日月あかき夜うちふけて、千本の寺にまうでゝ、うしろより入りて一人顏ふかくかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、すがたにほひ人よりことなるが、わけ入りて膝に居かゝれば、にほひなどもうつるばかりなれば、びんあしと思ひてすりのきたるに、なほ居寄りておなじさまなれば立ちぬ。その後ある御所さまのふるき女房の、そゞろごといはれしついでに、「むげに色なき人におはしけりと見おとし奉ることなむありし。なさけなしとうらみ奉る人なむある」とのたまひ出したるに、「更にこそ心えはべらね」と申して止みぬ。この事後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより人の御覽じしりて、さぶらふ女房をつくりたてゝいだし給ひて、「びんよくばことばなどかけむものぞ。そのありさま參りて申せ、興あらむ」とてはかり給ひけるとぞ。

八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿淸明なるゆゑに、月をもてあそぶに良夜とす。

しのぶの浦のあまのみるめも所せく、くらぶの山ももる人しげからむに、わりなく通はむ心のいろこそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたきことも多からめ。親はらからゆるし、ひたぶるにむかへすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしのあづま人なりとも、にぎはゝしきにつきて、「さそふ水あらば」などいふを、なかうどいづかたも心にくきさまにいひなして、しられずしらぬ人を迎へもて來らむあいなさよ。何事をかうち出づることの葉にせむ。年月のつらさをも、分けこしは山のなどもあひかたらはむこそつきせぬことの葉にてもあらめ。すべてよその人のとりまかなひたらむ、うたて心づきなきこと多かるべし。よき女ならむにつけても、品くだりみにくゝ年もたけなむ男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらに、なさむやはと、人も心おとりせられ、我が身はむかひ居たらむも、影はづかしくおぼえなむ、いとこそあいなからめ。梅の花かうばしき夜の朧月にたゝずみ、御垣が原の露分けいでむありあけの空も、我が身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、たゞ色このまざらむにはしかじ。

望月のまどかなることは、しばらくも住せずやがてかけぬ。心とゞめぬ人は、一夜の中にさまでかはるさまも見えぬにやあらむ。病のおもるも、住するひまなくして死期すでに近し。されどもいまだ病急ならず、死に赴かざるほどは、常住平生の念にならひて、生の中におほくの事を成じて後、しづかに道を修せむと思ふほどに、病をうけて死門に臨む時、所願一事も成ぜず、いふかひなくて年月の懈怠を悔いて、この度もしたちなほりて命をまたくせば、夜を日につぎてこの事かの事怠らず成じてむと、願をおこすらめど、やがておもりぬれば、我にもあらずとり亂してはてぬ。このたぐひのみこそあらめ。この事まづ人々急ぎ心におくべし。所願を成じてのち、いとまありて道にむかはむとせば、所願つくべからず。如幻の生の中に何事をかなさむ。すべて所願皆妄想なり。所願心にきたらば、妄心迷亂すと知りて、一事をもなすべからず。直に萬事を放下して道に向ふ時はさはりなく所作なくて、心身ながくしづかなり。

とこしなへに違順につかはるゝことは、ひとへに苦樂のためなり。樂といふは好み愛することなりこれを求むること止む時なし。樂欲するところ、一には名なり。名に二種あり、行跡と才藝とのほまれなり。二には色欲、三には味なり。よろづのねがひこの三つにはしかず。これ顚倒の相よりおこりて、若干のわづらひあり。求めざらむにはしかじ。

八つになりし年、父に問うていはく、「佛はいかなるものにか候ふらむ」といふ。父がいはく、「佛には人のなりたるなり」と。また問ふ、「人は何として佛にはなり候ふやらむ」と。父また、「佛のをしへによりてなるなり」とこたふ。また問ふ、「敎へ候ひける佛をば何がをしへ候ひける」と。また答ふ、「それもまたさきの佛のをしへによりてなり給ふなり」と。またとふ、「その敎へはじめ候ひける第一の佛は、いかなる佛にか候ひける」といふ時、父、「空よりやふりけむ、土よりやわきけむ」といひてわらふ。「問ひつめられてえこたへずなり侍りつ」と諸人にかたりて興じき。

徒然草

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