事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体からだをぶっとおしに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを機会しおに、なお二箇月の暇をむさぼることにとりきめて貰ったのがもとで、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆をらず、十一十二もつい紙上へはようたる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、くずれた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。

 歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口いとぐちを開くように事がきまった時は、長い間おさえられたものが伸びる時のたのしみよりは、背中に背負しょわされた義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりもうれしかった。けれども長い間ほうり出しておいたこの義務を、どうしたらいつもよりも手際てぎわよくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。

 久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神にちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、むくいなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかしてうまいものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物さくぶつのできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくらいものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合うめあわせをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛がひそんでいるのである。

 この作をおおやけにするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派ローマンはの作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜ひょうぼうして路傍ろぼうの人の注意をくほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。

 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴ふいちょうする事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。

 自分はすべて文壇に濫用らんようされる空疎な流行語をりて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気げんきがあって自分以上をよそおうようなものができたりして、読者にすまない結果をもたらすのを恐れるだけである。

 東京大阪を通じて計算すると、わが朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物さくぶつを読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路ろじのぞいた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率しんそつに呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物をおおやけにし得る自分を幸福と信じている。

彼岸過迄ひがんすぎまで」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実はむなしい標題みだしである。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見をしていた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日こんにちまで過ぎたのであるから、もし自分の手際てぎわが許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々のくわだてが意外の障害を受けて予期のごとくにまとまらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよしうまく行かなくっても、離れるともつくともかたのつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支さしつかえなかろうと思っている。

(明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言)



風呂の後


 敬太郎けいたろうはそれほどげんの見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気いやきして来た。元々頑丈がんじょうにできた身体からだだから単にけ歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っかかったなり居据いすわって動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端とたんにすぽりとはずれたりする反間へま度重たびかさなるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少ししゃくも手伝って、飲みたくもない麦酒ビールをわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁かいかつな気分を自分といざなって見た。けれどもいつまでっても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、そのあとからまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔をでながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざとはずして廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中にもぐり込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内でつぶやいた。

 敬太郎は夜中に二へん眼をました。一度は咽喉のどが渇いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に眼がいた時は、もう明るくなっていた。世の中が動き出しているなと気がつくやいなや敬太郎は、休養休養と云ってまた眼をねむってしまった。その次には気のかないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それからあとはいくら苦心しても寝つかれなかった。やむを得ず横になったまま巻煙草まきたばこを一本吸っていると、半分ほどに燃えて来た敷島しきしまの先が崩れて、白い枕が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいに東窓から射し込む強い日脚ひあしに打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやくを折って起き上ったなり、楊枝ようじくわえたまま、手拭てぬぐいをぶら下げて湯に行った。

 湯屋の時計はもう十時少し廻っていたが、流しの方はからりと片づいて、小桶こおけ一つ出ていない。ただ浴槽ゆぶねの中に一人横向になって、硝子越ガラスごしに射し込んでくる日光をながめながら、呑気のんきそうにじゃぶじゃぶやってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森本もりもとという男だったので、敬太郎はやあ御早うと声を掛けた。すると、向うでも、やあ御早うと挨拶あいさつをしたが、

「何です今頃楊枝ようじなぞをくわえ込んで、冗談じょうだんじゃない。そう云やあ昨夕ゆうべあなたの部屋に電気がいていないようでしたね」と云った。

「電気はよいの口から煌々こうこうと点いていたさ。僕はあなたと違って品行方正だから、夜遊びなんか滅多めったにした事はありませんよ」

「全くだ。あなたは堅いからね。うらやましいくらい堅いんだから」

 敬太郎は少し羞痒くすぐったいような気がした。相手を見ると依然として横隔膜おうかくまくから下を湯にけたまま、まだきずにじゃぶじゃぶやっている。そうして比較的真面目まじめな顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口髭くちひげがだらしなくれて一本一本下向したむきに垂れたところを眺めながら、

「僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠だるそうに浴槽のふち両肱りょうひじを置いてその上に額をせながら俯伏うっぷしになったまま、

「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。

「何で」

「何ででもないが、僕の方で御休みです」

 敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽ゆぶねの側に突伏つっぷしていた。



 敬太郎けいたろう留桶とめおけの前へ腰をおろして、三助さんすけ垢擦あかすりを掛けさせている時分になって、森本はやっとけむの出るような赤い身体からだを全く湯の中から露出した。そうして、ああ好い心持だという顔つきで、流しの上へぺたりと胡坐あぐらをかいたと思うと、

「あなたは好い体格だね」と云って敬太郎の肉付にくづきめ出した。

「これで近頃はだいぶ悪くなった方です」

「どうしてどうしてそれで悪かった日にゃ僕なんざあ」

 森本は自分で自分の腹をポンポンたたいて見せた。その腹はへこんで背中の方へひっつけられてるようであった。

「何しろ商売が商売だから身体はこわす一方ですよ。もっとも不養生もだいぶやりましたがね」と云った後で、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合せる気味で、

「今日は僕もひまだから、久しぶりでまたあなたの昔話でも伺いましょうか」と云った。すると森本は、

「ええ話しましょう」とすぐ乗気な返事をしたが、活溌かっぱつなのはただ返事だけで、挙動の方は緩慢かんまんというよりも、すべての筋肉が湯にでられた結果、当分作用はたらきを中止している姿であった。

 敬太郎が石鹸シャボンけた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股をこすったりする間、森本は依然として胡座をかいたまま、どこ一つ洗う気色けしきは見えなかった。最後にせた一塊ひとかたまりの肉団をどぶりと湯の中にほうり込むようにけて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭きながら上って来た。そうして、

「たまに朝湯へ来ると綺麗きれいで好い心持ですね」と云った。

「ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這入はいるんだからことにそうだろう。実用のための入湯にゅうとうでなくって、快感をむさぼるための入浴なんだから」

「そうむずかしい這入り方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億劫おっくうでね。ついぼんやりつかってぼんやり出ちまいますよ。そこへ行くと、あなたは三層倍も勤勉まめだ。頭から足からどこからどこまで実によく手落なく洗いますね。御負おまけ楊枝ようじまで使って。あの綿密な事には僕もほとんど感心しちまった」

 二人は連立って湯屋の門口かどぐちを出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎もつき合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨夕ゆうべの雨が土をふやかし抜いたところへ、今朝からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴上けあげたりした泥のあとを、二人はいとうような軽蔑けいべつするような様子で歩いた。日は高くのぼっているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだにかすかな波動を地平線の上にえがいているらしい感じがした。

「今朝の景色けしき寝坊ねぼうのあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってるくせもやがいっぱいなんでしょう。電車をこっちからかして見ると、乗客がまるで障子しょうじに映る影画かげえのように、はっきり一人ひとり一人見分けられるんです。それでいて御天道様おてんとさまが向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」

 森本はこんな話をしながら、紙屋へ這入はいって巻紙と状袋でふくらましたふところをちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴スリッパーかかとを鳴らして階段はしごだんを二つのぼり切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、

「さあどうぞ」と森本をいざなった。森本は、

「もうじき午飯ひるでしょう」と云ったが、躊躇ちゅうちょすると思いの外、あたかも自分の部屋へでも這入るような無雑作むぞうさな態度で、敬太郎の後にいて来た。そうして、

「あなたのへやから見た景色はいつ見ても好いね」と自分で窓の障子を開けながら、手摺付てすりつきの縁板の上へ濡手拭ぬれてぬぐいを置いた。



 敬太郎けいたろうはこのせながら大した病気にもかからないで、毎日新橋の停車場ステーションへ行く男について、平生から一種の好奇心をっていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿住居ずまいをして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話したためしもないので、敬太郎には一切がエックスである。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑にまぎれて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余裕よゆうも出ず、そうかと云って、森本の方から自己の存在を思い起させるように、敬太郎の眼につくべき所へ顔を出す機会も起らなかった。ただ長い間同じ下宿に立籠たてこもっているという縁故だか同情だかがもとで、いつの間にか挨拶あいさつをしたり世間話をする仲になったまでである。

 だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎れっきとした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼がきが死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山神さんじんたたりには実際恐れをしていたんですからね」と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスのにおいが、箒星ほうきぼし尻尾しっぽのようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。

 女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒険譚ぼうけんだんの主人公であった。まだ海豹島かいひょうとうへ行って膃肭臍おっとせいは打っていないようであるが、北海道のどこかでさけってもうけた事はたしかであるらしい。それから四国辺のある山から安質莫尼アンチモニーが出ると触れて歩いて、けっして出なかった事も、当人がそう自白するくらいだから事実に違ない。しかし最も奇抜なのは呑口会社のみぐちがいしゃの計画で、これは酒樽さかだるの呑口を作る職人が東京にごく少ないというところから思いついたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったと云って彼はいまだに残念がっている。

 儲口もうけぐちを離れた普通の浮世話になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるという事を容易に証拠立てる。筑摩川ちくまがわの上流の何とかいう所から河を隔てて向うの山を見ると、いわの上に熊がごろごろ昼寝をしているなどはまだ尋常の方なので、それが一層色づいて来ると、信州戸隠山とがくしやまの奥の院というのは普通の人の登れっこない難所だのに、それを盲目めくら天辺てっぺんまで登ったから驚ろいたなどという。そこへ御参おまいりをするには、どんなにあしの達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚火たきびをして夜の寒さをしのいでいると、下かられいの響が聞えて来たから、不思議に思っているうちに、その鈴のがだんだん近くなって、しまいに座頭ざとうのぼって来たんだと云う。しかもその座頭が森本に今晩はと挨拶あいさつをしてまたすたすた上って行ったと云うんだから、余り妙だと思ってなおよく聞いて見ると、実は案内者が一人ついていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、あとから来る盲者めくらがその鈴の音を頼りに上る事ができるようにしてあったのだと説明されて、やや納得なっとくもできたが、それにしても敬太郎には随分意外な話である。が、それがもう少しこうじると、ほとんど妖怪談ようかいだんに近い妙なものとなって、だらしのない彼の口髭くちひげの下から最も慇懃いんぎんに発表される。彼が耶馬渓やばけいを通ったついでに、羅漢寺らかんじへ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女とれ違った。その女は臙脂べにを塗って白粉おしろいをつけて、婚礼に行く時の髪をって、裾模様すそもよう振袖ふりそでに厚い帯をめて、草履穿ぞうりばきのままたった一人すたすた羅漢寺らかんじの方へのぼって行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもうまっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーと云って、信じられ得ない意味の微笑をらすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁口べんこうを迎えるのが例であった。



 この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風呂ふろから帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門をくぐって来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎けいたろうに取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。

 その上敬太郎は遺伝的に平凡を浪漫趣味ロマンチックの青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松こだまおとまつとかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年ていねん未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。そのうちでも音松君が洞穴の中からおどり出す大蛸おおだこと戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃ピストルをポンポン打つんだが、つるつるすべって少しも手応てごたえがないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸こだこがぐるりとを作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯からかい半分に、君のような剽軽ひょうきんものはとうてい文官試験などを受けて地道じみちに世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩たこがりでもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川たがわの蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行はやり出した。この間卒業して以来足を擂木すりこぎのようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。

 南洋の蛸狩はいかな敬太郎にもちと奇抜きばつ過ぎるので、真面目まじめに思い立つ勇気も出なかったが、新嘉坡シンガポール護謨林ゴムりん栽培などは学生のうちすでに目論もくろんで見た事がある。当時敬太郎は、はてしのない広野ひろのめ尽すいきおいで何百万本という護謨の樹が茂っている真中に、一階建のバンガローをこしらえて、その中に栽培監督者としての自分が朝夕あさゆう起臥きがする様を想像してやまなかった。彼はバンガローのゆかをわざと裸にして、その上に大きな虎の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲をかけ、なおその下に錦の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真白なターバンをぐるぐる頭へ巻きつけて、広いヴェランダにえつけてある籐椅子といすの上に寝そべりながら、強いかおりのハヴァナをぷかりぷかりと鷹揚おうように吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、スマタラ産の黒猫、――天鵞絨びろうどのような毛並と黄金こがねそのままの眼と、それから身のたけよりもよほど長い尻尾しっぽを持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲踞うずくまっている訳になっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足の行くようにあらかじめ整えた後で、いよいよ実際の算盤そろばんに取りかかったのである。ところが案外なもので、まず護謨ゴムを植えるための地面を借り受けるのにだいぶんな手数てすうと暇がる。それから借りた地面を切り開くのが容易の事でない。次に地ならし植えつけに費やすべき金高かなだかが以外に多い。その上絶えず人夫を使って草取をした上で、六年間苗木なえぎの生長するのを馬鹿見たようにじっと指をくわえて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに充分退却に価すると思い出したところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨つうは、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起すに違ないと威嚇いかくしたので、彼はその後護謨の護の字も口にしなくなってしまったのである。



 けれども彼の異常に対する嗜欲しよくはなかなかこれくらいの事で冷却しそうには見えなかった。彼は都の真中にいて、遠くの人や国を想像の夢にのぼして楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合せる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上になあるものを、マントの裏かコートのそでに忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートをっくり返してその奇なところをただ一目ひとめで好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような気になる。

 敬太郎けいたろうのこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新亜剌比亜物語しんアラビヤものがたりという書物を読ました頃からだんだん頭を持ち上げ出したように思われる。それまで彼はだい英語嫌えいごぎらいであったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読を怠らずに、あてられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面白がっていたかが分る。ある時彼は興奮の余り小説と事実の区別を忘れて、十九世紀の倫敦ロンドンに実際こんな事があったんでしょうかと真面目まじめな顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻から麻の手帛ハンケチを出して鼻の下をぬぐいながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の眼はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅子いすを離れてこんな事を云った。

「もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈もおのずから普通の人間とは違うんで、こんなものができ上ったのかも知れません。実際スチーヴンソンという人は辻待つじまちの馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから」

 辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡きわまる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕ゆうべ人殺しをするための客を出刃でばぐるみ乗せていっさんにけたのかも知れないと考えたり、または追手おっての思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女をほろの中に隠して、どこかの停車場ステーションへ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人でこわがるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。

 そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測通りとまで行かなくっても、どこか尋常と変った新らしい調子を、彼の神経にはっと響かせ得るような事件に、一度ぐらいは出会であってしかるべきはずだという考えが自然と起ってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗るのと、紹介状を貰って知らない人を訪問するくらいのもので、その他に何といって取り立てて云うべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔にき果てた。毎日食う下宿のさいにも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄の方ができるとか、朝鮮の方がまとまるとかすれば、まだ衣食のみち以外に、幾分かの刺戟しげきが得られるのだけれども、両方共二三日前に当分のぞみがないと判然して見ると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどくぼんやりしてしまった。それで糊口ここうのための奔走はもちろんの事、往来に落ちたばらせんさがして歩くような長閑のどかな気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕はさほど好きでもない麦酒ビールを大いに飲んで寝たのである。

 こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買う御供おともまでして彼を自分のへやへ連れ込んだのはこれがためである。



 森本は窓際まどぎわへ坐ってしばらく下の方をながめていた。

「あなたのへやから見た景色けしきは相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空のすそに、色づいた樹が、所々あったかくかたまっている間から赤い煉瓦れんがが見える様子は、たしかにになりそうですね」

「そうですね」

 敬太郎けいたろうはやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分がひじを乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、

「ここはどうしても盆栽ぼんさいの一つや二つせておかないと納まらない所ですよ」と云った。

 敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、

「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。

「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全くがらにないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽もいじくるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよくいたもんですよ」

「何でもやるんですね」

「何でも屋にろくなものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」

 森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。

「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いからめて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目まじめに云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟おおげさに右左に振って見せた。

「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体からだだ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心かんじんなところで山気やまぎだの謀叛気むほんぎだのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付めっかりましたか」

 正直な敬太郎は憮然ぶぜんとしてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期待あてもないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。

「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」

 森本はここまで来て少し首をかしげて、自分の哲理を自分でみしめるような素振そぶりをした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽こっけいとも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣ことばづかいをするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段てだてを知らないのだろうかと考えた。すると森本がかしげた首を急にたてに直した。

「どうです、御厭おいやでなきゃ、鉄道の方へでも御出おでなすっちゃ。何なら話して見ましょうか」

 いかな浪漫的ロマンチックな敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退ける彼の愛嬌あいきょうを、翻弄ほんろうと解釈するほどのひがみももたなかった。拠処よんどころなく苦笑しながら、下女を呼んで、

「森本さんの御膳おぜんもここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。



 森本は近頃身体からだのために酒を慎しんでいると断わりながら、いでやりさえすれば、すぐ猪口ちょくからにした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静がほてってくる、気楽はしだいしだいに膨脹ぼうちょうするように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若へいどんじじゃくたるもんだ。明日あした免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、さかずきくちびるを付けて、付合つきあっているのを見て、彼は、

「田川さん、あなた本当にけないんですか、不思議ですね。酒を飲まないくせに冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去をろくでなしのようになしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光ごこうぎゃくに射すとでも評すべき態度で、気燄きえんき始めた。そうしてそれが大抵は失敗の気燄であった。しかも敬太郎を前に置いて、

「あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士でそうろうのって、肩書ばかり振り廻したって、僕はおびえないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの」と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていた事はまるで忘れたような風で、無遠慮なきめつけ方をした。そうかと思うとげっぷのような溜息ためいきらして自分の無学をさもなさけなさそうにうらんだ。

「まあ手っ取り早く云やあ、この世の中を猿同然どうぜん渡って来たんでさあ。こう申しちゃおかしいが、あなたより十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこの通り解脱げだつができないのは、全く無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ」

 敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでも云ったように相手を考えて、その云う事に相応の注意を払って聞いていたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日はいつもより気燄だの愚痴ぐちだのが多くって、例のように純粋の興味がかないのを残念に思った。好い加減に酒を切り上げて見たが、やっぱり物足らなかった。それで新らしく入れた茶をすすめながら、

「あなたの経歴談はいつ聞いても面白い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、御話を伺うたんびに利益を得ると思って感謝しているんだが、あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか」と聞いて見た。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した眼を二三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯呑ゆのみを干してしまうとこう云った。

「そうですね。やったあとで考えると、みんな面白いし、またみんなつまらないし、自分じゃちょっと見分がつかないんだが。――全体愉快ってえのは、その、女気おんなっけのある方を指すんですか」

「そう云う訳でもないんですが、あったって差支さしつかえありません」

「なんて、実はそっちの方が聞きたいんでしょう。――しかし雑談じょうだん抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさておいて、あれほど呑気のんきな生活は世界にまたとなかろうという奴をやったおぼえがあるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、御茶受の代りに」

 敬太郎は一も二もなく所望した。森本は「じゃあちょっと小便をして来る」と云って立ちかけたが、「その代り断わっておくが女気はありませんよ。女気どころか、第一人間のがないんだもの」と念を押して廊下の外へ出て行った。敬太郎は一種の好奇心をいだいて、彼の帰るのを待ち受けた。



 ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎けいたろうはとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段はしごだんあがって、彼の部屋の前まで来ると、障子しょうじを五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきにころがっているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなりへや這入はいり込むや否や、森本の首筋をつかんで強く揺振ゆすぶった。森本は不意にはちにでもされたように、あっと云ってなかね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢現ゆめうつつのたるい眼つきに戻って、

「やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといってひと愚弄ぐろうするていもないので、敬太郎もついおこれなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓挫いちとんざきたしたも同然なので、一人自分のへやに引取ろうとすると、森本は「どうもすみません、御苦労様でした」と云いながら、またあとから敬太郎について来た。そうして先刻さっきまで自分のすわっていた座蒲団ざぶとんの上に、きちんとひざを折って、

「じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな」と云った。

 森本の呑気生活というのは、今から十五六年ぜん彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。もとより人間のいない所に天幕テントを張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕をかついで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っのありようはずはなかった。

「何しろ高さ二丈もある熊笹くまざさを切り開いてみちをつけるんですからね」と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇まむしがとぐろを巻いて日光をうろこの上に受けている。それを遠くから棒でおさえておいて、そばへ寄ってち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚肉さかな獣肉にくの間ぐらいだろうと答えた。

 天幕テントの中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体からだうずめぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚火たきびをして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊帳かや始終しじゅう釣っていた。ある時その蚊帳をかついで谷川へ下りて、何とかいう川魚をすくって帰ったら、その晩から蚊帳が急になまぐさくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。

 彼はまた山であらゆるたけって食ったそうである。ますだけというのは広葢ひろぶたほどの大きさで、切って味噌汁みそしるの中へ入れて煮るとまるで蒲鉾かまぼこのようだとか、月見茸つきみだけというのは一抱ひとかかえもあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠茸ねずみだけというのは三つ葉の根のようで可愛かわいらしいとか、なかなかくわしい説明をした。大きなかさの中へ、野葡萄のぶどうをいっぱい採って来て、そればかりむさぼっていたものだから、しまいにしたが荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。

 食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲酸ひさんな物語もあった。それはみんなのかてが尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢辺さわべまで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄雨にわかあめで谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負しょって帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向あおむけに寝て、ただ空をながめていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。

「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便りょうべんともまるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。



 敬太郎けいたろうは微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次茫々ぼうぼうたる芒原すすきはらの中で、突然おもても向けられないほどの風に出会った時、彼らはばいになって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱ひとかかえ二抱ふたかかえもある大木の枝も幹もすさまじい音を立てて、一度に風から痛振いたぶられるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。

「それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っている訳に行かないでしょう」と敬太郎が聞くと、「無論突伏していました」という答であったが、いくら非道ひどい風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起すほどのいきおいがあろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他事ひとごとのように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真面目まじめになって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。

「おかしいが本当です。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不中用やくざにゃあ違ないが本当です。――もっともあなた見たいに学のあるものが聞きゃあ全くうそのような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らず随分面白い事がたくさんあるし、またあなたなんざあその面白い事にぶつかろうぶつかろうと苦労して御出おいでなさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄目ですよ。いざとなると大抵は自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落すつもりでかかっても、まさか親の敵討かたきうちじゃなしね、そう真剣に自分の位地いちてて漂浪ひょうろうするほどの物数奇ものずきも今の世にはありませんからね。第一はたがそうさせないから大丈夫です」

 敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常調じょうちょう以上の変った生活は、普通の学士などには送れないかも知れないと考えた。ところがそれを自分にさえおさえたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、

「だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などは無いんですぜ。あなたは位置位置ってしきりに云うが。――実際位置の奔走にも厭々あきあきしてしまった」と投げ出すように云った。すると森本は比較的厳粛げんしゅくな顔をして、

「あなたのは位置がなくってある。僕のは位置があって無い。それだけが違うんです」と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御籤おみくじめいた言葉がさほどの意義をもたらさなかった。二人は少しの間煙草たばこを吹かして黙っていた。

「僕もね」とやがて森本が口を開いた。「僕もね、こうやって三年越、鉄道の方へ出ているが、もういやになったから近々きんきんめようと思うんです。もっとも僕の方で罷めなけりゃ向うで罷めるだけなんだからね。三年越と云やあ僕にしちゃ長い方でさあ」

 敬太郎は罷めるが好かろうとも罷めないが好かろうとも云わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、ひとの進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子をえて、世間話を快活に十分ほどしたあとで、「いやどうも御馳走ごちそうでした。――とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを云って帰って行った。

 それから一週間ばかりの間、田川は落ちついて森本と話す機会をたなかったが、二人共同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めない事はほとんどまれであった。顔を洗う所などで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒襟くろえりの掛ったドテラが常に目についた。彼はまた襟開えりあきの広い新調の背広せびろを着て、妙な洋杖ステッキを突いて、役所から帰るとよく出て行った。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘入かさいれに入れてあると、ははあ先生今日はうちにいるなと思いながら敬太郎は常に下宿のかど出入でいりした。するとその洋杖ステッキがちゃんと例の所に立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。



 一日二日はつい気がつかずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬太郎けいたろうはようやく不審の念を起し出した。給仕に来る下女に聞いて見ると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。もとより役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男をそうして、何でも停車場ステーションの構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違ないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持がした。けれども立つ時すでに五六日と断って行ったのだから、今日か翌日あしたは帰るはずだと下女に云われて見ると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖が依然として傘入の中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。

 しまいに宿のかみさんが来て、森本さんから何か御音信おたよりがございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色をふくろのような丸い眼のうちただよわせて出て行った。それから一週間ほどっても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審をいだき始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出花でばななので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食のはかりごとのために、好奇家の権利を放棄したのである。

 すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障子しょうじを開けて這入はいって来た。彼は腰から古めかしい煙草入たばこいれを取り出して、そのつつを抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙管きせる刻草きざみを詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴からほとばしらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判然はっきり向うからそうと切り出されるまでさとらずに、どうも変だとばかり考えていた。

「実は少し御願があって上ったんですが」と云った主人はやや小声になって、「森本さんのいらっしゃる所をどうか教えて頂く訳に参りますまいか、けっしてあなたに御迷惑のかかるような事は致しませんから」とやぶから棒につけ加えた。

 敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくは何という挨拶あいさつも口へ出なかったが、ようやく、「いったいどう云う訳なんです」と主人の顔をのぞき込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は煙管が詰ったと見えて、敬太郎の火箸ひばし雁首がんくびを掘っていた。それが済んでから羅宇らうの疎通をぷっぷっ試した上、そろそろと説明に取りかかった。

 主人の云うところによると、森本は下宿代が此家ここに六カ月ばかりとどこおっているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年ことしの末にはどうかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。うちのものはもとより出張とばかり信じていたが、その日限にちげんが過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからも何の音信たよりも来ないので、しまいにとうとう不審を起した。それで一方に本人のへやを調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物もそのままで、彼のおった時分と何の変りもなかったが、新橋の答はまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月限りめられていたそうである。

「それであなたは平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、あなたに伺ったら多分どこに御出おいでか分るだろうと思って上ったような訳で。けっしてあなたに森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らして頂けますまいか」

 敬太郎はこの失踪者しっそうしゃの友人として、彼のかんばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこの間まである意味の嘆賞たんしょうふところにして森本に近づいていたには違ないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合せがあるように見做みなされては、未来をつ青年として大いなる不面目だと感じた。



十一

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 正直な彼は主人の疳違かんちがいを腹の中でおこった。けれども怒る前にまず冷たい青大将あおだいしょうでも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙草入たばこいれからきざみをつまみ出しては雁首がんくびへ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎けいたろうに与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙管きせるを扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらくながめていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退治たいじてやりたいような気がし出した。

「僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪のといっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後暗うしろぐらい関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執濃しつこく疑っているのはしからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料簡りょうけんがある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿料しゅくりょうとどこおらした事があるかい」

 主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭いだいていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えてもらいたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気にさわったら、いくらでもあやまるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙草入たばこいれを早く腰に差させようと思って、単によろしいと答えた。主人はようやく談判の道具を角帯かくおびの後へしまい込んだ。へやを出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気色けしきも見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。

 それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新らしい客が這入はいった。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片づけたかについて不審をいだいた。けれども主人がかの煙草入を差して談判に来て以来、森本の事はもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上部うわべは知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦燥あせらない程度ながらも、まず自分のやるべき第一の義務として、根気にるいていた。

 或る晩もその用で内幸町まで行って留守をったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈きはちじょう袢天はんてんで赤ん坊をおぶった婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛まゆげの細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えばいきな部類に属する型だったが、どうしても袢天おんぶをするというがらではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂まえだれの下から格子縞こうしじまか何かの御召おめしが出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面そとは雨なので、五六人の乗客は皆かさをつぼめてつえにしていた。女のは黒蛇目くろじゃのめであったが、冷たいものを手に持つのがいやだと見えて、彼女はそれを自分のわきに立て掛けておいた。その畳んだじゃの先に赤いうるし加留多かるたと書いてあるのが敬太郎の眼に留った。

 この黒人くろうとだか素人しろうとだか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃いまゆを心持八の字に寄せて俯目勝ふしめがちな白い顔と、御召おめしの着物と、黒蛇の目にあざやかな加留多という文字とが互違たがいちがいに敬太郎の神経を刺戟しげきした時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようでおかしいが、顔質かおだちは悪い方じゃありませんでした。眉毛まみえの濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中でおもい起しながら、加留多と書いた傘の所有主もちぬしを注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。後に残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差出人の名前の書いてない一封の手紙を見出した。



十二

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 好奇心にられた敬太郎けいたろうは破るようにこの無名氏の書信をひらいて見た。すると西洋罫紙せいようけいしの第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうとつとめたが、肉が薄いのでどうしても判断がつかなかった。やむを得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片づける事にした。本文にはこうあった。

「突然消えたんで定めて驚ろいたでしょう。あなたは驚ろかないにしても、雷獣らいじゅうとそうしてズク(森本は平生下宿の主人夫婦を、雷獣とそうしてズクと呼んでいた。ズクは耳ズクの略である)彼ら両人は驚ろいたに違ない。打ち明けた御話をすると、実は少し下宿代をとどこおらしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面倒をいうだろうと思って、わざと断らずに、自由行動を取りました。僕のへやに置いてある荷物を始末したら――行李こりの中には衣類その他がすっかり這入はいっていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人にあなたから右を売るなり着るなりしろとおっしゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲者くせものゆえ僕の許諾を待たずして、とっくの昔にそう取計っているかも知れない。のみならず、こっちからそう穏便おんびんに出ると、まだ残っている僕の尻を、あなたに拭って貰いたいなどと、とんでもない難題を持ちかけるかも知れませんが、それにはけっして取り合っちゃいけません。あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣はい食物くいものにしたがるものですから、そのへんはよく御注意なさらないといけません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃくないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺憾いかんいたりだから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います」

 森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽がかりを勤めているよしを書いて、来年の春には活動写真買入の用向を帯びて、是非共出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今からたのしみにして待っているとつけ加えていた。そうしてそのあとへ自分が旅行した満洲まんしゅう地方の景況をさも面白そうに一口ぐらいずつ吹聴ふいちょうしていた。中で最も敬太郎を驚ろかしたのは、長春ちょうしゅんとかにある博打場ばくちばの光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まる汚ない支那人が、折詰のようにぎっしり詰って、血眼ちまなこになりながら、一種の臭気しゅうきを吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、なぐさみ半分わざとあかだらけな着物を着て、こっそりここへ出入しゅつにゅうするというんだから、森本だってどんな真似まねをしたか分らないと敬太郎は考えた。

 手紙の末段には盆栽ぼんさいの事が書いてあった。「あの梅の鉢は動坂どうざかの植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などにせておいて朝夕あさゆうながめるにはちょうど手頃のものです。あれを献上けんじょうするからあなたのへやへ持っていらっしゃい。もっとも雷獣らいじゅうとそうしてズクは両人共きわめて不風流ゆえ、床の間の上へえたなり放っておいて、もう枯らしてしまったかも知れません。それから上り口の土間の傘入かさいれに、僕の洋杖ステッキが差さっているはずです。あれも価格ねだんから云えばけっして高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖をあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だからけっして御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満洲ことに大連ははなはだ好い所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかに無いでしょう。思い切って是非いらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄の方にもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当の御世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら」

 敬太郎は手紙を畳んで机の抽出ひきだしへ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について、何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入の中に差さっていた。敬太郎は出入でいり都度つど、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。



停留所


 敬太郎けいたろう須永すながという友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大嫌だいきらいで、法律をおさめながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退嬰主義たいえいしゅぎの男であった。少くとも敬太郎にはそう見えた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、さみしいような、またゆかしいような生活を送っている。父は主計官としてだいぶ好い地位にまでのぼった上、元来が貨殖かしょくの道に明らかな人であっただけ、今では母子共おやことも衣食の上に不安のうれいを知らない好い身分である。彼の退嬰主義もなかばはこの安泰な境遇にれて、奮闘の刺戟しげきを失った結果とも見られる。というものは、父が比較的立派な地位にいたせいか、彼には世間体せけんていの好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。

「そう贅沢ぜいたくばかり云ってちゃもったいない。いやなら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談じょうだん半分に須永を強請せびることもあった。すると須永はさびしそうなまた気の毒そうな微笑をらして、「だって君じゃいけないんだから仕方がないよ」と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執念深しゅうねんぶかくない性質たちだから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景をたない彼は、朝から晩まで下宿のにじっと坐っている苦痛にえなかった。用がなくっても半日は是非出てるいた。そうしてよく須永のうち訪問おとずれた。一つはいつ行っても大抵留守の事がないので、行く敬太郎の方でも張合があったのかも知れない。

糊口くちも糊口だが〈[#「糊口だが」は底本では「口糊だが」]〉、糊口より先に、何か驚嘆にあたいする事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いても全く駄目だね。攫徒すりにさえ会わない」などと云うかと思うと、「君、教育は一種の権利かと思っていたら全く一種の束縛そくばくだね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃ何の権利かこれあらんやだ。それじゃ位地いちはどうでもいいから思う存分勝手な真似まねをして構わないかというと、やっぱり構うからね。いやに人を束縛するよ教育が」と忌々いまいましそうに嘆息する事がある。須永は敬太郎のいずれの不平に対しても余り同情がないらしかった。第一彼の態度からしてが本当に真面目まじめなのだか、またはただ空焦燥からはしゃぎに焦燥いでいるのか見分がつかなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮ずった事ばかり言いつのるので、「それじゃ君はどんな事がして見たいのだ。衣食問題は別として」と聞いた。敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。

「じゃするが好いじゃないか、訳ないこった」

「ところがそうは行かない」

 敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へもぐる社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議をつかんだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただひとの暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露ばくろにあるのだから、あらかじめ人をおとしいれようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者いな人間の異常なる機関からくりが暗い闇夜やみよに運転する有様を、驚嘆の念をもってながめていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永はさからわずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ちつき払った風のあるのをにくく思って別れた。けれども五日とたないうちにまた須永のうちへ行きたくなって、表へ出るとすぐ神田行の電車に乗った。



 須永すながはもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標めじるしに、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上つまさきのぼりに折れて、二三度不規則に曲ったきわめて分りにくい所にいた。家並いえなみの立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影みかげの上を渡らなければ、格子先こうしさき電鈴ベルに手が届かないくらいの一構ひとかまえであった。もとから自分の持家もちいえだったのを、一時親類のなにがしに貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人ぶにん活計くらしには場所も広さも恰好かっこうだろうという母の意見から、駿河台するがだいの本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎けいたろうはなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板てんじょういたを見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後からぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗きれいに明かな四畳六畳二間ふたまつづきのへやであった。その室にすわっていると、庭に植えた松の枝と、手斧目ちょうなめの付いた板塀いたべいの上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺てすりから見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草さぎそうを眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。

 彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑けいべつすると同時に、閑静ながら余裕よゆうのあるこの友の生活をうらやみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上ったまだらな興味をふところに、彼は須永を訪問したのである。

 例の小路こうじを二三度曲折して、須永の住居すまっている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門をくぐった。敬太郎はただ一目ひとめその後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味ロマンしゅみとが力を合せて、引きるように彼を同じ門前に急がせた。ちょっとのぞいて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉もみじ引手ひきてに張り込んだ障子しょうじが、閑静にしまっているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らずながめていたが、やがて沓脱くつぬぎの上に脱ぎ捨てた下駄げたに気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきにそろっているだけで、下女が手をかけて直したあとが少しも見えない。敬太郎は下駄のむきと、思ったより早くあがってしまった女の所作しょさとをぎ合わして、これは取次を乞わずに、ひとりで勝手に障子を開けて這入はいったきわめて懇意の客だろうと推察した。でなければうちのものだが、それでは少し変である。須永のいえは彼と彼の母と仲働なかばたらきと下女の四人よつたり暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。

 敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外からうかがうというよりも、むしろ須永とこの女がどんなあやに二人の浪漫ロマンを織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞耳ききみみは立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。なまめいた女の声どころか、咳嗽せき一つ聞えなかった。

許嫁いいなずけかな」

 敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯焚めしたきは下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私語ささやいている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸こうしどをがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼寝ひるねをしている。女はそこへ這入はいったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐憑きつねつきのようにのそりと立っていた。



 すると二階の障子しょうじがすうといて、青い色の硝子瓶ガラスびんげた須永すながの姿が不意に縁側えんがわへ現われたので敬太郎けいたろうはちょっと吃驚びっくりした。

「何をしているんだ。落し物でもしたのかい」と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽喉のど周囲まわりに白いフラネルをいていた。手にげたのは含嗽剤がんそうざいらしい。敬太郎は上を向いて、風邪かぜを引いたのかとか何とか二三言葉をわしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいに這入れと云った。敬太郎はわざと這入っていいかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味をさとらない人のごとく、軽く首肯うなずいたぎり障子の内に引き込んでしまった。

 階段はしごだんあがる時、敬太郎は奥の部屋でかすかに衣摺きぬずれの音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒八丈くろはちじょうえりの掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像をたくましくしたというましさもあり、まためんと向ってすぐとは云いにくい皮肉なねらいを付けた自覚もあるので、今しがた君のうちへ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心をし隠すような風に、

「空想はもう当分やめだ。それよりか口の方が大事だからね」と云って、かねて須永から聞いている内幸町うちさいわいちょうの叔父さんという人に、一応そういう方の用向で会っておきたいから紹介してくれと真面目まじめに頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連合つれあいで、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係をっている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力をりてどうしようという料簡りょうけんもないと見えて、「叔父がいろいろ云ってくれるけれども、僕はあんまり進まないから」と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。

 須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉のどを痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、「叔父も忙がしい身体からだだしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ」と念のためだか何だかつけ加えた。余りのぞみを置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ずよろしく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。

 元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとくいつわりなき事実ではあるが、いまだに成効せいこう曙光しょこうを拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値かけねこもっていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、(妹が片づいて、)母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地でんじっていた。もとより大した穀高こくだかになるというほどのものでもないが、ひょうがいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空騒からさわぎでないにしても、郷党だの朋友ほうゆうだのまたは自分だのに対する虚栄心にあおられている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家ロマンかだけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶるあざやかならぬ及第をしてしまったのである。



 それで約一時間ほど須永すながと話す間にも、敬太郎けいたろうは位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先刻さっき見た後姿うしろすがたの女の事が気に掛って、肝心かんじんの世渡りの方には口先ほど真面目まじめになれなかった。一度下座敷したざしきで若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶちこわす道具になって、せっかくの問が間外まはずれになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。

 それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心にびるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路こうじのために、さいのように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんどごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。

 まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋かなものやの隠居のめかけがいる。その妾が宮戸座みやとざとかへ出る役者を情夫いろにしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言だいげんだか周旋屋しゅうせんやだか分らない小綺麗こぎれい格子戸作こうしどづくりのうちがあって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板ボールドへ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、ひだを取った紺綾こんあやの長いマントをすぽりとかぶって、まるで西洋の看護婦という服装なりをして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家そこの主人のむかし書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭しらがあたま廿はたちぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当かたに取った女房だそうである。その隣りの博奕打ばくちうちが、大勢同類を寄せて、互に血眼ちまなここすり合っている最中に、ねんね子で赤ん坊をおぶったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主をむかえに来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれとすがりつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四隣あたりねむりを驚ろかせる。……

 須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口をぬぐってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。もとよりその推察の裏には先刻さっき見た後姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に「今日は咽喉のどが痛いから」と云った。さも小説はっているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨拶あいさつに聞えた。

 敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気をかして隠したのか、彼にはまるで見当けんとうがつかなかった。表へ出るや否や、どういう料簡りょうけんか彼はすぐ一軒の煙草屋たばこやへ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻をくわえて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途端とたんに、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這入はいって来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちらいて来た。しまいに「本郷台町の三階から遠眼鏡とおめがねで世の中をのぞいていて、浪漫的ロマンてき探険なんて気の利いた真似まねができるものか」と須永から冷笑ひやかされたような心持がし出した。



 彼は今日こんにちまで、俗にいう下町生活に昵懇なじみも趣味もち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければくぐれない格子戸こうしどだの、三和土たたきの上からわけもなくぶら下がっている鉄灯籠かなどうろうだの、あががまちの下を張り詰めた綺麗きれいに光る竹だの、杉だか何だか日光とおって赤く見えるほど薄っぺらな障子しょうじの腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面きちょうめんに暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝ようじけずかたまで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆たばこぼんのように、先祖代々順々にき込まれた習慣をかさに、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永すながうちへ行って、用もない松へ大事そうな雪除ゆきよけをした所や、狭い庭を馬鹿丁寧ばかていねいに枯松葉で敷きつめた景色けしきなどを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花のふところに、ぽうと育った若旦那わかだんな聯想れんそうしない訳に行かなかった。第一須永が角帯かくおびをきゅうとめてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄ながうたの好きだとかいう御母おっかさんが時々出て来て、すべっこいくせにアクセントの強い言葉で、舌触したざわりの好い愛嬌あいきょうを振りかけてくれる折などは、昔から重詰じゅうづめにして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合できあい以上のうまさがあるので、紋切形もんきりがたとは無論思わないけれども、幾代いくだいもかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底にひそんでいるとしか受取れなかった。

 要するに敬太郎けいたろうはもう少し調子外ちょうしはずれの自由なものが欲しかったのである。けれども今日きょうの彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿しめっぽい空気がいまだにただよっている黒い蔵造くらづくりの立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町かきがらちょう水天宮様すいてんぐうさまと深川の不動様へ御参りをして、護摩ごまでも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊きゅうへい真似まねを当り前のごとくやっている。)それから鉄無地てつむじの羽織でも着ながら、歌舞伎を当世とうせいくずして往来へ流したにおいのする町内を恍惚こうこつと歩きたかった。そうして習慣にしばられた、かつ習慣を飛びえたなまめかしい葛藤かっとうでもそこに見出したかった。

 彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好ものずきにもみずから進んでこのうしぐらい奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑をこうむるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんにっては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫ロマンが急に温味あたたかみを失って、みにくい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭くちひげをだらしなく垂らした二重瞼ふたえまぶちやせぎすの森本の顔だけはねばり強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、あなどりたいような、またあわれみたいような心持になった。そうしてこの凡庸ぼんような顔のうしろに解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念かたみにくれると云った妙な洋杖ステッキ聯想れんそうした。

 この洋杖は竹の根の方を曲げてにしたきわめて単簡たんかんのものだが、ただへびを彫ってあるところが普通のつえと違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何かみかけているところをにぎりにしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸くすべっこくけずられているので、かえるだか鶏卵たまごだか誰にも見当けんとうがつかなかった。森本は自分で竹をって、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。



 敬太郎けいたろうは下宿の門口かどぐちくぐるとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりもみちすがらの聯想が、硝子戸ガラスどを開けるや否や、彼の眼を瀬戸物せともの傘入かさいれの方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出入でいりの際視線をらしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入のそばを通るのが苦になってきて、きわめて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずとたたられたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去にさかのぼる嫌疑けんぎを恐れて、森本の居所もまたその言伝ことづても主人夫婦に告げられないという弱味をっているには違ないが、それは良心の上にどれほどのくもりもかけなかった。記念かたみとして上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、ひとの好意をむなしくする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げるとする。(おそらくはのたれじにという終りを告げるのだろう。)そのあわれな最期さいごを今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によってきざまれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつまでも竹の棒の先に、口をいたまま喰付くっついているとする。――こういう風に森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結びつけて考えた上に、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近い内にのたれ死をする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時に始めて妙な感じが起るのである。彼は自分でこの洋杖を傘入の中から抜き取る事もできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かない所へ片づけさせる訳にも行かないのを大袈裟おおげさではあるが一種の因果いんがのように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活計かっけいとはだいぶ一致しないところもあって、実際を云うと、これがために下宿を変えて落ちついた方が楽だと思うほど彼は洋杖にわざわいされていなかったのである。

 今日も洋杖ステッキは依然として傘入の中に立っていた。鎌首は下駄箱げたばこの方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分のへやに上ったが、やがて机の前に坐って、森本にやる手紙を書き始めた。まずこの間向うから来た音信たよりの礼を述べた上、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を二三行でもいいからつけ加えたいと思ったが、それを明らさまに打ち開けては、君のような漂浪者ヴァガボンドを知己につ僕の不名誉を考えると、書信の往復などはする気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取りまぎれと簡単な一句でごまかしておいた。次に彼が大連で好都合な職業にありついた祝いの言葉をちょっと入れて、そのあとへだんだん東京も寒くなる時節柄、満洲まんしゅうしもや風はさぞしのにくいだろう。ことにあなたの身体からだではひどくこたえるにちがいないから、是非用心して病気にかからないようになさいと優しい文句を数行すぎょうつづった。敬太郎から云うと、実にここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するようにうまくかつ長く、そうして誰が見ても実意のこもっているように書きたかったのだけれども、読み直して見ると、やっぱり普通の人が普通時候の挨拶あいさつに述べる用語以外に、何の新らしいところもないので、彼は少し失望した。と云って、固々もともと恋人に送る艶書えんしょほど熱烈な真心まごころめたものでないのは覚悟の前である。それで自分は文章が下手だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実の下に、そこはそのままにしてさきへ進んだ。



 森本が下宿へ置き去りにして行った荷物の始末については義理にも何とか書き添えなければすまなかった。しかしその処置のつけ方を亭主に聞くのはいやだし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬太郎けいたろうは筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう「あなたの荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合のいように取り計らわせろとの御依頼でしたが、あなたの千里眼の通り、僕が何にも云わない先に、雷獣らいじゅうの方で勝手に取計ってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆栽ぼんさいを下さるという事ですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただ御礼だけ申し述べておきます。それから」とつづけておいて、また筆を休めた。

 敬太郎はいよいよ洋杖ステッキのところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御覚召おぼしめしだから、ちょうだいして毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しいうそけず、と言って御親切はありがたいが僕は貰いませんとはなおさら書けず。仕方がないから、「あの洋杖はいまだに傘入かさいれの中に立っています。持主の帰るのを毎日毎夜待ち暮しているごとく立っています。雷獣もあの蛇の頭へは手を触れる事をあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としてのあなたの手腕に敬服せざるを得ないです」と好加減いいかげん御世辞おせじを並べて、事実をぼかす手段とした。

 状袋へ名宛を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮ばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽掛り森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼をはばからなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせる訳にも行かなかったから、敬太郎はすぐそれを自分のたもとの中にかくした。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯子段はしごだんを下まで降り切ると、須永すながから電話が掛った。

 今日内幸町から従妹いとこが来ての話に、叔父は四五日内に用事で大阪へ行くかも知れないそうだから、余り遅くなってはと思って、立つ前に会ってもらえまいかと電話で聞いて見たら、よろしいという返事だから、行く気ならなるべく早く行った方がよかろう。もっとも電話の上に咽喉のどが痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向であった。敬太郎は「どうもありがとう。じゃなるべく早く行くようにするから」と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行って見ようという気が起ったので、再び三階へ取って返してこの間こしらえたセルのはかま穿いた上、いよいよ表へ出た。

 曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝心かんじんの森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただかすかな火気ほとぼりを残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口をすべって、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封をひらく様を想見して、満更まんざら悪い心持もしまいと思った。

 それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考も一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明神下みょうじんしたへ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭の内で繰り返して見ると、覚えずはっと思うところが出て来た。須永は「今日内幸町からイトコが来て」とたしかに云ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子である事は疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。

「どっちだろう」

 敬太郎は突然気にし始めた。もしそれが男だとすれば、あの後姿の女についての手がかりにはならない。したがって女は彼の好奇心をいたずらに刺戟しげきしただけで、ちっとも動いて来ない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上り具合といい、どうも自分より一足先へ這入はいったあの女らしい。想像と事実をぎ合わせる事に巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうときめてしまった。こう解釈した時彼は、今まで泡立あわだっていた自分の好奇心に幾分の冷水をしたような満足を覚えると共に、予期したよりも平凡な方角に、手がかりが一つできたと云うつまらなさをも感じた。



 彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須永すなが門口かどぐちまで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮議せんぎをすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真直まっすぐに神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹いとこの家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行のあたりで下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。さびしい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。丸い瓦斯ガス田口たぐちと書いた門の中をのぞいて見ると、思ったより奥深そうなかまえであった。けれども実際は砂利を敷いたみちが往来から筋違すじかいに玄関を隠しているのと、正面をさえぎる植込がこんもり黒ずんで立っているのとで、幾分かいかめしい景気を夜陰に添えたまでで、門内に這入はいったところでは見付みつきほど手広な住居すまいでもなかった。

 玄関には西洋擬せいようまがいの硝子戸ガラスどが二枚ててあったが、頼むといっても、電鈴ベルを押しても、取次がなかなか出て来ないので、敬太郎けいたろうはやむを得ずしばらくそのそばに立って内の様子をうかがっていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえ出して、眼の前の擦硝子すりガラスがぱっと明るくなった。それから庭下駄にわげた三和土たたきを踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉が片方いた。敬太郎はこの際取次の風采ふうさいを想望するほどの物数奇ものずきもなく、全く漫然と立っていただけであるが、それでもかすり羽織はおりを着た書生か、双子ふたこの綿入を着た下女が、一応御辞儀をして彼の名刺を受取る事とのみ期待していたのに、いま戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立派な服装なりをした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔は判然はっきりしなかったが、白縮緬しろちりめんの帯だけはすぐ彼の眼に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれども事が余り意外なので、すぐ挨拶あいさつをする余裕よゆうも出ず少しはあっけに取られた気味で、ぼんやりしていた。その上自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが乃至ないし六十代だろうがほとんど区別のない一様いちようの爺さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対してたなかったと同時に、そのいずれに向っても慣れないうちは異人種のような無気味ぶきみを覚えるのが常なので、なおさら迷児まごついたのである。しかし相手は何も気にかからない様子で、「何か用ですか」と聞いた。丁寧ていねいでもなければ軽蔑けいべつでもない至って無雑作むぞうさなその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗ると共に手短かく来意を告げる機会を得た。すると年嵩としかさな男は思い出したように、「そうそう先刻さっき市蔵いちぞう(須永の名)から電話で話がありました。しかし今夜御出おいでになるとは思いませんでしたよ」と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精一杯せいいっぱい言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかってもうござんす」と云った。敬太郎はあつく礼を述べてまた門を出たが、暗いの中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。

 これはずっとあとになって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人碁盤ごばんに向って、白石と黒石を互違たがいちがいに並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石いっせきやった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝心かんじんのところで敬太郎がさも田舎者いなかものらしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛末てんまつを聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨拶あいさつ丁寧ていねい過ぎたような気がした。



 中一日なかいちにち置いて、敬太郎けいたろうは堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支さしつかえないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的横風おうふうなところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末ぞんざいになっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人によろしく」と答えて電話を切ったが、内心は一種いやな心持がした。

 十二時かっきりに午飯ひるめしを食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいたぜんが、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘にき立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日おとといの晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作むぞうさな取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌あいきょうのある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰をかがめて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻さっき電話の取次に出たもののように、五分とたないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。そのくせ自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質たちであった。

 小川町の角で、はす須永すながうちまがる横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭ひかげから日向ひなたへ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹いとこのいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫おっくう手数てかずをかけて、好い顔もしないじいさんに、衣食のみちを授けて下さいとなきつきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取ってははるかにうららかであったからである。彼は須永の従妹いとこと田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方さきの人品は判然はっきり分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓りんかくだけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目よめにもうたがいなく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量きりょうはあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭ひなたひかげの裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対していだいていたのである。それを互違にくり返したあと、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者ぎょしゃを乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。

 玄関へ掛って名刺を出すと、小倉こくらはかま穿いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入はいって行った。その声が確かに先刻さっき電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿うしろすがたを見送りながらいややつだと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立つったっていた。敬太郎も少しむっとした。

「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」

「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳おぜんなどが出て混雑ごたごたしているんです」

 落ちついて聞きさえすれば満更まんざら無理もない言訳なのだが、電話以後この取次がしゃくさわっている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方からせんを越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄ひょうそくの合わない捨台詞すてぜりふのような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにそのそばり抜けて表へ出た。



 彼はこの日必要な会見を都合よく済ましたあと、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須永すながと彼の従妹いとことそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みにぎ合せつつある一部始終いちぶしじゅう御馳走ごちそうに、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園のわきに立った彼の頭には、そんな余裕よゆうはさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在所ありかをすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持はもとよりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐一ちくいち顛末てんまつを話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほどがあった。須永のうちの前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子しょうじは立て切ったままついにかなかった。もっとも彼は体裁家ていさいやで、平生からこういう呼び出し方を田舎者いなかものらしいといっていやがっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎けいたろうは正式に玄関の格子口こうしぐちへかかった。けれども取次に出た仲働なかばたらきの口から「ひる少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。

風邪かぜを引いていたようでしたが」

「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」

 敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入はいった。と思うとふすまの陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長おもながの下町風にひんのある婦人であった。

「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」

 須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣えどなれない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一だいちどこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体せけんていの好い御世辞おせじと違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にかくなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙からかみめてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉さくらけた火鉢ひばちを勧めてくれたりするうちに、一時昂奮こうふんした彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗あきたぶきを一面に大きくったふすまの模様だの、唐桑からくわらしくてらてらした黄色い手焙てあぶりだのをながめて、このしとやかで能弁な、人をそらす事を知らないと云った風の母と話をした。

 彼女の語るところによると、須永は今日矢来やらいの叔父のうちへ行ったのだそうである。

「じゃついでだから帰りに小日向こびなたへ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃無精ぶしょうになったようですね、この間もひとに代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだってじゅうから風邪を引いて咽喉のどを痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無がむしゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着むとんじゃくでございますから……」

 須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子でせがれの話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題のあと喰付くっついて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。



十一

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 そのうち話がいつか肝心かんじん須永すながれて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母おっかさんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋ぜいたくやのように敬太郎けいたろうは須永から聞いていた。外套がいとうの裏は繻子しゅすでなくては見っともなくて着られないと云ったり、りもしないのに古渡こわたりの更紗玉さらさだまとか号して、石だか珊瑚さんごだか分らないものを愛玩あいがんしたりする話はいまだに覚えていた。

「何にもしないで贅沢ぜいたくに遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。

 須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途切とぎれるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉をいだ。

「それでも妹婿いもとむこの方は御蔭おかげさまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来のおととなどになりますと、云わば、浪人ろうにん同様で、昔にくらべたら、尾羽うち枯らさないばかりのていたらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」

 敬太郎は何となく自分の身の上をかえりみて気恥かしい思をした。さいわいにさきがすらすら喋舌しゃべってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてものとくとして聞き続けた。

「それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、つとめにでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無頓着むとんじゃくであなた……」

 敬太郎はこの点において実際須永が横着過おうちゃくすぎると平生ふだんから思っていた。「余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも」と全く年寄に同情する気で云った。

「ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這入はいって算盤そろばんなんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵がうれしがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました」

 敬太郎はこの時自分が今日何のためにけ込むようにこの家をおそったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門はくぐらないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞せりふを云って帰る気でいたのに、肝心かんじんの須永は留守るすで、事情も何も知らない彼の母から、さかさにいろいろな話をしかけられたので、おこってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見をげ得なかった顛末てんまつだけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。



十二

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「実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが」と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬太郎けいたろう躍起やっきになって口をさがしている事や、探しあぐんで須永すながに紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永のそばにいる母として彼女かのおんなのことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方さきで何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうとつとめにかかったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「本当にまあ、の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっぱらを立てて悪体あくたいいた事などは話のうちから綺麗きれいに抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返したあとで、田口を弁護するようにこんな事を云った。――

「そりゃあ実のところ忙しい男なので。いもとなどもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々おちおち話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作ようさくさんいくら御金がもうかるたって、そう働らいて身体からだを壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本もとでじゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用がいてくるんで、そばからしゃくい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へれて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つようにき立てる事もございますが……」

「御嬢さんがおありなのですか」

「ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿むこを取るとかしなければなりますまいが」

「そのうちの一人のかたが、須永君のところへ御出おいでになる訳でもないんですか」

 母はちょっと口籠くちごもった。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、

「まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当人達とうにんたちの存じ寄りもしかと聞糺ききただして見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱急やきもき思ってもこればかりは致し方がございません」と何だか意味のありそうな事を云った。一度退きかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、くないという克己心こっきしんにすぐ抑えられた。

 母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身体からだだから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、ゆっくり会ったらかろうという注意とも慰藉いしゃともつかない助言じょごんも与えた。

「矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけばけて帰って来て会うといった風の性質たちでございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと」

 こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先刻さっきのようにぷんぷん怒ってはとうてい物にならないにきまり切っている。しかし今更いまさらそれを打ち明ける訳には行かないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお「あんな顔はしておりますが、見かけによらない実意のある剽軽者ひょうきんものでございますから」と云って一人で笑った。



十三

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 剽軽者という言葉は田口の風采ふうさいなり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬太郎けいたろうに落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。田口はむかしある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯はほてり過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪訝けげんな顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいとねじって暗くするんだと真面目まじめに云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田舎いなかから出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違ってひねったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄然しょげずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここのうちにも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとうに受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいちけっぱなしで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事が出来て門司もじとか馬関ばかんとかまで行った時の話はこれよりもよほど念がっている。いっしょに行くべきはずのAという男に差支さしつかえが起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。その間の退屈紛たいくつまぎれに、彼はAを一つかついでやろうとたくらんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪戯いたずらで、彼はその店から地方ところの芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のようにこしらえた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすようになまめかしくくねらしたもので、誰がもらってもうれしい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明日あしたここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。つとめて真面目まじめな用談についての打合せなどを大事らしくし続けて、やっと同じ食卓で晩餐ばんさんぜんに向った時、突然思い出したようにたもとの中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっとはしを下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読みくだすと同時に包んである写真を抜いて裏を見るやいなや、急に丸めるようにふところへ入れてしまった。何かいそぎの用でもできたのかと聞くと、いや何というばかりで、不得要領ふとくようりょうにまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落のつかない用談をそのままに、少し失礼する腹が痛いからと云って自分の部屋に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aが何にも云わない先に彼を乗せてけ出して、その思わく通りどこの何といううちかどへおろすようにしろと云いつけた。そうして自分はAより早く同じ家へ行って、主婦かみさんを呼ぶや否や、今おれの宿の提灯ちょうちんけた車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺麗きれいな座敷へ通して、叮嚀ていねいに取扱って、向うで何にも云わない先に、御連様おつれさまはとうから御待兼おまちかねでございますと云ったなり引き退がって、すぐおれのところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で煙草たばこを吹かして腕組をしながら、事件の経過を待っていた。すると万事がうまい具合に予定の通り進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋のそばへ行って間のふすまを開けながら、やあ早かったねと挨拶あいさつすると、Aは顔の色を変えて驚ろいた。田口はその前へ坐り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪戯いたずらを話した上、「かついだ代りに今夜は僕がおごるよ」と笑いながら云ったんだという。

「こういう飄気ひょうげ真似まねをする男なんでございますから」と須永の母も話したあとでおかしそうに笑った。敬太郎はあの自働車はまさか悪戯いたずらじゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。



十四

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 自動車事件以後敬太郎けいたろうはもう田口の世話になる見込はないものとあきらめた。それと同時に須永すなが従弟いとこと仮定された例の後姿うしろすがたの正体も、ほぼ発端ほったんの入口に当たる浅いところでぱたりと行きとまったのだと思うと、その底にはがゆいようなまた煮切にえきらないような不愉快があった。彼は今日こんにちまで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚をっていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気にやりかけて、つらぬきおおせたためしがなかった。生れてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、むこうで引きり出してくれたのだから、中途で動けなくなった間怠まだるさのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴々せいせいした心持も知らなかった。

 彼はぼんやりして四五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招待したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、みずから進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議でたまらないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかにとおるような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見てもあざやかに見えながら、自分だけ硝子張ガラスばりの箱の中に入れられて、外の物とじかに続いていない心持が絶えずして、しまいには窒息ちっそくするほど苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病にかかっていたのではなかろうかと疑ったなり、今日こんにちまで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈託くったくしているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気張きばる事さえ覚えれば、当ってもはずれても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日こんにちまでついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。

 敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けのあとの祭のような気がして、何というあてもなくまた三四日さんよっかぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬缶頭やかんあたまつかむと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼はを打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波瀾曲折はらんきょくせつのある碁が見たいと思った。

 するとすぐ須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢つやを着けて奥行おくゆきのあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところがひとの事を余計なおせっかいだと、自分で自分をあざけりながら、ああ馬鹿らしいと思うあとから、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいとひらめいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的ロマンチックな或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関でおこったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。

 職業についても、あんな些細ささい行違ゆきちがいのために愛想あいそづかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだかたのつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んでにえきらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑さげすまれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかりつらまえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。



十五

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 けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎けいたろうの思案には屈託のうちに、どこか呑気のんきなものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題はせんじつめるまでもなく当初から至極しごく簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度くじを引きそくなったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道ひどい目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気ねむけに抵抗する努力をいといながら、文字の意味を判明はっきり頭に入れようと試みるごとく、呑気のんきふところで決断の卵を温めている癖に、ただうま孵化かえらない事ばかり苦にしていた。この不決断をのがれなければという口実のもとに、彼はあんに自分の物数奇ものずきびようとした。そうして自分の未来を売卜者うらないしゃ八卦はっけに訴えて判断して見る気になった。彼は加持かじ祈祷きとう御封ごふう虫封むしふうじ、降巫いちこたぐいに、全然信仰をつほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日こんにちまで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星ほういきゅうせいに詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折はしょって、くわついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、あとからいて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあのいぬいに当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確にくわを下ろすつもりなら、肝心かんじんの時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂闊うかつをおかしく思った。学校の時計と自分のうちのとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその摘草つみくさに行った帰りに、馬にられて土堤どてから下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪我けがも何もしなかったのを、御祖母おばあさんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御蔭おかげだこれ御覧ごらんと云って、馬のつないであったそばにある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎掛よだれかけだけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体からだの具合や四辺あたりの事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日こんにちに至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。

 こういうわけで、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占だいどううらないの弓張提灯ゆみはりぢょうちんながめていた。もっとも金を払って筮竹ぜいちくの音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然しょんぼりそこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいるあわれな人に、易者えきしゃがどんな希望と不安と畏怖いふと自信とを与えるだろうという好奇心にかされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞たちぎきをする事がしばしばあった。彼の友のなにがしが、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思いわずらっている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来ぜんこうじにょらい御神籤おみくじをいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中にくもさんじて月重ねて明らかなり、という句と、花ひらいて再び重栄ちょうえいという句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗きれいに及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者うらないしゃ顧客とくいになる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。



十六

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 敬太郎けいたろうはどこのうらないしゃに行ったものかと考えて見たが、あいにくどこというあてもなかった。白山はくさんの裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流行はやるのは山師やましらしくって行く気にならず、と云って、自分でうそと知りつつ出鱈目でたらめいてもっともらしく述べるやつはなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わないうちで、閑静なひげを生やしたじいさんが奇警きけいな言葉で、簡潔にすぱすぱとやぶってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷里くに一本寺いっぽんじの隠居の顔を頭の中にえがき出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むようなうらないしゃの看板にぶつかるだろうという漠然ばくぜんたる頭に帽子をせた。

 彼は久しぶりに下谷の車坂くるまざかへ出て、あれから東へ真直まっすぐに、寺の門だの、仏師屋ぶっしやだの、古臭ふるくさ生薬屋きぐすりやだの、徳川時代のがらくたをほこりといっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門跡もんぜきの中を抜けて、奴鰻やっこうなぎの角へ出た。

 彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父じいさんから、しばしば観音様かんのんさま繁華はんかを耳にした。仲見世なかみせだの、奥山おくやまだの、並木なみきだの、駒形こまかただの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯なめし田楽でんがくを食わせるすみ屋という洒落しゃれた家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗きれい縄暖簾なわのれんを下げた鰌屋どじょうやむかしから名代なだいなものだとか、食物くいものの話もだいぶ聞かされたが、すべてのうちで最も敬太郎の頭を刺戟しげきしたものは、長井兵助ながいひょうすけ居合抜いあいぬきと、脇差わきざしをぐいぐいんで見せる豆蔵まめぞうと、江州伊吹山ごうしゅういぶきやまふもとにいる前足が四つで後足あとあしが六つある大蟇おおがまの干し固めたのであった。それらにはくらの二階の長持の中にある草双紙くさぞうし画解えときが、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄げた穿いたまま、小さい三宝さんぼうの上にしゃがんだ男が、たすきがけで身体からだよりも高くり返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆がまの上に胡坐あぐらをかいて、児雷也じらいやが魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡てんがんきょうを持った白い髯の爺さんが、唐机とうづくえの前に坐って、平突へいつくばったちょんまげを上から見下みおろすところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内けいだいには、歴史的に妖嬌陸離ようきょうりくりたる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎かげろっていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢はもとより手痛く打ちくずされてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根にこうとりが巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡りょうけんあんに働らいて、足がおのずとこっちに向いたのである。しかしルナパークのうしろから活動写真の前へ出た時は、こりゃうらないしゃなどのいる所ではないと今更いまさらのようにその雑沓ざっとうに驚ろいた。せめて御賓頭顱おびんずるでもでて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へあがって、魚河岸うおがし大提灯おおぢょうちん頼政よりまさぬえ退治たいじている額だけ見てすぐ雷門かみなりもんを出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もしったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰好かっこう飯屋めしやでも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生憎あいにくなもので、平生ふだんは散歩さえすればいたるところに神易しんえきの看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜者うらないはまるで見当らなかった。敬太郎はこの企図くわだてもまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前くらまえまで来た。するとやっとの事で尋ねる商売のうちが一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割書わりがきをした下に、文銭占ぶんせんうらないと白い字で彫って、そのまた下に、うるしで塗った真赤まっか唐辛子とうがらしいてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼をいた。



十七

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 よく見るとこれは一軒の生薬屋きぐすりやの店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差掛さしかけ様のものを作ったので、中に七色唐辛子なないろとうがらしの袋を並べてあるから、看板の通りそれを売るかたわら、占ないを見る趣向に違ない。敬太郎けいたろうはこう観察して、そっと餡転餅屋あんころもちやに似た差掛の奥をのぞいて見ると、小作こづくりな婆さんがたった一人裁縫しごとをしていた。狭いへや一つの住居すまいとしか思われないのに、肝心かんじんの易者の影も形も見えないから、主人は他行中たぎょうちゅうで、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見切みきりをつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方をのぞくと、八ツ目鰻めうなぎの干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中のたなせた古風の装飾もなかった。一本寺いっぽんじの隠居に似たひげのある爺さんはもとより坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断文銭占ぶんせんうらないという看板のかかった入口から暖簾のれんくぐって内へ入った。裁縫しごとをしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼鏡めがねの上からにらむように敬太郎を見たが、ただ一口、うらないですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見てもらいたいんだが、御留守おるすのようですね」と云った。すると婆さんは、ひざの上のやわらか物をすみの方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほどよごれたへやではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしいがした。婆さんは煮立った鉄瓶てつびんの湯を湯呑ゆのみいで、香煎こうせんを敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅紗らしゃがかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面にえて、そうして再びもとの座に帰った。

うらないは私がするのです」

 敬太郎は意外の感に打たれた。このいさい丸髷まるまげった。黒繻子くろじゅすえりのかかった着物の上に、地味なしまの羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮竹ぜいちく算木さんぎ天眼鏡てんがんきょうもないのを不思議にながめた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴のいたぜにを九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に「文銭占ない」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分をあやつっている運命の糸と、どんな関係をっているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳出いだされた模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能装束のうしょうぞくの切れ端か、懸物かけものの表具の余りでこしらえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手擦てずれと時代のため、派手な色を全く失っていた。

 婆さんは年寄に似合わない白い繊麗きゃしゃな指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列みけたに並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。

「さあ一生涯いっしょうがいの事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう」

 婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。そのあと胸算用むなざんようでもする案排あんばいしきで、指を折って見たり、ただかんがえたりしていたが、やがてまた綺麗きれいな指で例の文銭を新らしく並べえた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。



十八

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 婆さんはしばらく手をひざの上にせて、何事も云わずに古いぜにおもてをじっと注意していたが、やがて考えの中心点が明快はっきりまとまったという様子をして、「あなたは今迷っていらっしゃる」と云い切ったなり敬太郎けいたろうの顔を見た。敬太郎はわざと何も答えなかった。

「進もうかよそうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へ御出おでになった方が、たとい一時は思わしくないようでも、末始終すえしじゅう御為おためですから」

 婆さんは一区限ひとくぎりつけると、また口を閉じて敬太郎の様子をうかがった。敬太郎は始めからただ先方のいう事をふんふん聞くだけにして、こちらでは喋舌しゃべらないつもりに、腹の中できめてかかったのであるが、婆さんのこの一言いちげんに、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺戟しげきに応じて見たくなった。

「進んでも失敗しくじるような事はないでしょうか」

「ええ。だからなるべくおとなしくして。短気を起さないようにね」

 これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告に過ぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故意わざとらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。

「進むってどっちへ進んだものでしょう」

「それはあなたの方がよく分っていらっしゃるはずですがね。私はただもう少し先まで御出おでなさい、そのほうが御為だからと申し上げるまでです」

 こうなると敬太郎も行きがかり上そうですかと云って引込ひっこむ訳に行かなくなった。

「だけれども道が二つ有るんだから、その内でどっちを進んだらよかろうと聞くんです」

 婆さんはまた黙って文銭ぶんせんの上をながめていたが、前よりは重苦しい口調で、「まあおんなじですね」と答えた。そうして先刻さっき裁縫しごとをしていた時に散らばした糸屑いとくずを拾って、その中からこんと赤の絹糸のかなり長いのをり出して、敬太郎の見ている前で、それを綺麗きれいり始めた。敬太郎はただ手持無沙汰てもちぶさた徒事いたずらとばかり思って、別段意にもとどめなかったが、婆さんは丹念にそれを五六寸の長さにり上げて、文銭の上にせた。

「これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派手はでな赤と地味なこんが。若い時にはとかく派手の方へ派手の方へとけ出してやりそこないがちのものですが、あなたのは今のところこの縒糸よりいとみたように丁度ちょうど好い具合に、いっしょにからまり合っているようですから御仕合せです」

 絹糸のたとえは何とも知らず面白かったが、御仕合せですと云われて見ると、うれしいよりもかえっておかしい心持の方が敬太郎を動かした。

「じゃこの紺糸で地道じみちを踏んで行けば、その間にちらちら派手な赤い色が出て来ると云うんですね」と敬太郎は向うの言葉をみ込んだような尋ね方をした。

「そうですそうなるはずです」と婆さんは答えた。始めから敬太郎は占ないの一言いちごんで、是非共右か左へ片づけなければならないとまでせつに思いつめていた訳でもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんの云う事が、まるで自分の胸とかけへだたった別世界の消息なら、もとより論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用のく点もあるので、敬太郎はそこにかすかな未練を残した。

「もう何にも伺がう事はありませんか」

「そうですね。近い内にちょっとした事ができるかも知れません」

「災難ですか」

「災難でもないでしょうが、気をつけないとやりそこないます。そうしてやり損なえばそれっきり取り返しがつかない事です」



十九

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 敬太郎けいたろうの好奇心は少し鋭敏になった。

「全体どんな性質たちの事ですか」

「それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」

「じゃどうして失敗しくじらない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね」

「分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍うらないを立て直して見て上げてもうござんす」

 敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊細きゃしゃな指先を小器用に動かして、例の文銭を並べえた。敬太郎から云えばせんの並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけたあとで、婆さんは敬太郎に向って「大体分りました」と云った。

「どうすれば好いんですか」

「どうすればって、占ないには陰陽いんようの理で大きな形が現われるだけだから、実地は各自めいめいがその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他人ひとのような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入はいるようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすればうまく行きます」

 敬太郎はけむに巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たないきりのようなものだから、たというそでも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこうらちが明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言ねごとに似たものを、手拭てぬぐいくるんだ懐炉かいろのごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七色唐辛子なないろとうがらしを二袋買ってたもとへ入れた。

 翌日彼は朝飯あさはんぜんに向って、煙の出る味噌汁椀みそしるわんふたを取ったとき、たちまち昨日きのうの唐辛子を思い出して、たもとから例の袋を取り出した。それを十二分にしるの上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠然ばくぜん瓦斯ガスのごとく残っていた。しかし手のつけようのないなぞに気をむほど熱心なうらない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心あせ苦悶くもんを知らなかった。ただその分らないところに妙なおもむきがあるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙片かみぎれに書いて机の抽出ひきだしへ入れた。

 もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨日きのうすでに婆さんの助言じょごんで断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須永すながへ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛末てんまつを簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせひま身体からだだから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権幕けんまくは、綺麗きれいに忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨拶あいさつもないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売卜者うらないしゃの言葉などに動かされて、恥をいてはつまらないという後悔もまじった。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。



二十

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 電話口へ出て見ると案外にも主人の声で、今すぐ来る事ができるかという簡単な問い合わせであった。敬太郎けいたろうはすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのは何となくぶっきらぼう過ぎて愛嬌あいきょうが足りない気がするので、少し色を着けるために、須永すなが君から何か御話でもございましたかと聞いて見た。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知して来たのですが、手数てかずだから直接に私の方で御都合を伺がいました。じゃ御待ち申しますから、直どうぞ。と云ってそれなり引込ひっこんでしまった。敬太郎はまた例のはかま穿きながら、今度こそ様子が好さそうだと思った。それからこの間買ったばかりの中折なかおれを帽子掛から取ると、未来に富んだ顔に生気をみなぎらして快豁かいかつに表へ出た。外には白いしもを一度にくだいた日が、木枯こがらしにも吹きくられずに、おだやかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はその中を突切つっきる電車の上で、光をいて進むような感じがした。

 田口の玄関はこの間と違って蕭条ひっそりしていた。取次とりつぎに袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮嚀ていねいに来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這入はいったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次のそろえてくれた上靴スリッパー穿いて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙遜けんそんから、彼は腰の高い肱懸ひじかけも装飾もつかない最も軽そうなのをって、わざと位置の悪い所へ席を占めた。

 やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨拶あいさつやら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶あいさつした。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手持無沙汰てもちぶさたと知りながら黙らなければならなかった。主人は巻莨入まきたばこいれから敷島しきしまを一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。

「市蔵からあなたの御話しは少し聞いた事もありますが、いったいどういう方を御希望なんですか」

 実を云うと、敬太郎には何という特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれるとぼんやりした答よりほかにできなかった。

「すべての方面に希望をっています」

 田口は笑い出した。そうして機嫌きげんの好い顔つきをして、学士のかずのこんなにえて来た今日こんにち、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られる訳のものでないという事情をねんごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。

「何でもやります」

「何でもやりますったって、まさか鉄道の切符切もできないでしょう」

「いえできます。遊んでるよりはましですから。将来の見込のあるものなら本当に何でもやります。第一遊んでいる苦痛をのがれるだけでも結構です」

「そう云う御考ならまた私の方でもよく気をつけておきましょう。すぐという訳にも行きますまいが」

「どうぞ。――まあ試しに使って見て下さい。あなたの御家おうちの――と云っちゃ余り変ですが、あなたの私事わたくしごとにででもいいから、ちょっと使って見て下さい」

「そんな事でもして見る気がありますか」

「あります」

「それじゃ、ことに依ると何か願って見るかも知れません。いつでも構いませんか」

「ええなるべく早い方が結構です」

 敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。



二十一

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 おだやかな冬の日がまた二三日続いた。敬太郎けいたろうは三階のへやから、窓に入る空と樹と屋根瓦やねがわらながめて、自然を橙色だいだいいろに暖ためるおとなしいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこの間の会見で、自分に都合の好い結果が、近い内にわが頭の上に落ちて来るものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形をよそおって、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者のもういで以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺戟しげきちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成効の影が彼をかすめてひらめくならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望を抱いて、彼は毎日美くしい日光に浴していたのである。

 すると四日ばかりして、また田口から電話がかかった。少し頼みたい事ができたが、わざわざ呼び寄せるのも気の毒だし、電話では手間がってかえって面倒になるし、仕方がないから、速達便で手紙を出す事にしたから、委細いさいはそれを見て承知してくれ。もし分らない事があったら、また電話で聞き合わしてもいいという通知であった。敬太郎はぼんやり見えていた遠眼鏡とおめがねの度がぴたりと合った時のように愉快な心持がした。

 彼は机の前を一寸いっすんも離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてその間絶ず例の想像をたくましくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立てて見た。そこにはいつか須永すながの門前で見た後姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んで来た。ふと気がついて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。

 やがて待ちこがれた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息もがずに巻紙のはしから端までを一気に読み通して、思わずあっというかすかな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的ロマンチックであったからである。手紙の文句はもとより簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる四十恰好かっこうの男がある。それは黒の中折なかおれ霜降しもふり外套がいとうを着て、顔の面長おもながい背の高い、せぎすの紳士で、まゆと眉の間に大きな黒子ほくろがあるからその特徴を目標めじるしに、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報知しろというだけであった。敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持がし出した。同時に田口が自己の社会的利害をまもるために、こんな暗がりの所作しょさをあえてして、他日の用に、ひとの弱点を握っておくのではなかろうかと云ううたがいを起した。そう思った時、彼は人のいぬに使われる不名誉と不徳義を感じて、一種苦悶くもん膏汗あぶらあせわきの下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっとひとみえたなり固くなった。しかし須永の母から聞いた田口の性格と、自分がじかに彼に会った時の印象とをまとめて考えて見ると、けっしてそんな人の悪そうな男とも思われないので、たとい他人の内行ないこうさぐりを入れるにしたところで、必ずしもそれほど下品な料簡りょうけんから出るとは限らないという推断もついて見ると、いったん硬直こうちょくになった筋肉の底に、またあたたかい血がかよい始めて、徳義に逆らう吐気むかつきなしに、ただ興味という一点からこの問題を面白くながめる余裕よゆうもできてきた。それで世の中に接触する経験の第一着手として、ともかくも田口から依頼された通りにこの仕事をやりおおせて見ようという気になった。彼はもう一度とくと田口の手紙を読み直した。そうしてそこに書いてある特徴と条件だけで、はたして満足な結果が実際に得られるだろうかどうかを確かめた。



二十二

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 田口から知らせて来た特徴のうちで、本当にその人の身を離れないものは、まゆと眉の間の黒子ほくろだけであるが、この日の短かい昨今の、四時とか五時とかいう薄暗い光線のもとで、乗降のりおりに忙がしい多数の客のうちから、指定された局部の一点を目標めじるしに、これだと思う男をあやまちなく見つけ出そうとするのは容易の事ではない。ことに四時と五時の間と云えば、ちょうど役所の退ける刻限なので、丸の内からただ一筋の電車を利用して、神田橋を出る役人のかずだけでも大したものである。それにほかと違って停留所が小川町だから、年の暮に間もない左右の見世先みせさきに、幕だの楽隊だの、蓄音機だのを飾るやらそなえるやらして、電灯以外の景気をけて、不時の客を呼び寄せる混雑も勘定かんじょうに入れなければなるまい。それを想像して事の成否を考えて見ると、とうてい一人の手際てぎわではという覚束おぼつかない心持が起って来る。けれどもまた尋ね出そうとするその人が、霜降しもふり外套がいとうに黒の中折なかおれという服装いでたちで電車を降りるときまって見れば、そこにまだ一縷いちるの望があるようにも思われる。無論霜降の外套だけでは、どんな恰好かっこうにしろ手がかりになりようはずがないが、黒の中折をかぶっているなら、色変りよりほかに用いる人のない今日こんにちだから、すぐ眼につくだろう。それを目宛めあてに注意したらあるいは成功しないとも限るまい。

 こう考えた敬太郎は、ともかくも停留所まで行って見る事だという気になった。時計をながめると、まだ一時を打ったばかりである。四時より三十分前にむこうへ着くとしたところで、三時頃からうちを出ればたくさんなのだから、まだ二時間の猶予ゆうよがある。彼はこの二時間を最も有益に利用するつもりで、じっとしたまま坐っていた。けれどもただ眼の前に、美土代町みとしろちょうと小川町が、丁字ていじになって交叉している三つ角の雑沓ざっとうが入り乱れて映るだけで、これと云って成功をいざなうに足る上分別じょうふんべつは浮ばなかった。彼の頭は考えれば考えるほど、同じ場所に吸いついたなりまるで動くことを知らなかった。そこへ、どうしても目指す人には会えまいという掛念けねんが、不安を伴って胸の中をざわつかせた。敬太郎はいっその事時間が来るまで外を歩きつづけに歩いて見ようかと思った。そう決心をして、両手を机のふちに掛けて、勢よく立ち上がろうとする途端とたんに、この間浅草でうらないの婆さんから聞いた、「近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。彼は婆さんのその時の言葉を、解すべからざるなぞとして、ほとんど頭の外へ落してしまったにもかかわらず、参考のためわざわざ書きつけにして机の抽出ひきだしに入れておいた。でまたその紙片かみぎれを取り出して、自分のようで他人ひとのような、長いようで短かいような、出るようで這入はいるようなという句をかずながめた。初めのうちは今まで通りとうてい意味のあるはずがないとしか見えなかったが、だんだん繰り返して読むうちに、辛抱強く考えさえすれば、こういう妙な特性をったものがあるいは出て来るかも知れないという気になった。その上敬太郎は婆さんに、自分が持っているんだから、いざという場合に忘れないようになさいと注意されたのを覚えていたので、何でも好い、ただ身の周囲まわりの物から、自分のようで他人ひとのような、長いようで短かいような、出るようで這入はいるようなものをさがしあてさえすれば、比較的狭い範囲内で、この問題を解決する事ができる訳になって、存外早く片がつくかも知れないと思い出した。そこでわが自由になるこれから先の二時間を、全くこのなぞを解くための二時間として大切に利用しようと決心した。

 ところがまず眼の前の机、書物、手拭てぬぐい座蒲団ざぶとんから順々に進行して行李こうりかばん靴下くつしたまでいったが、いっこうそれらしい物に出合わないうちに、とうとう一時間経ってしまった。彼の頭は焦燥いらだつと共に乱れて来た。彼の観念は彼のへやの中をめぐって落ちつけないので、制するのも聞かずに、戸外へ出て縦横に走った。やがて彼の前に、霜降しもふり外套がいとうを着た黒の中折をかぶった背の高いやせぎすの紳士が、彼のこれから探そうというその人の権威をそなえて、ありありと現われた。するとその顔がたちまち大連にいる森本の顔になった。彼はだらしのないひげやした森本の容貌ようぼうを想像の眼でながめた時、突然電流に感じた人のようにあっと云った。



二十三

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 森本の二字はとうから敬太郎けいたろうの耳に変な響を伝える媒介なかだちとなっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符徴ふちょうに変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋杖ステッキ聯想れんそうしたものだが、洋杖が二人をつなぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人の中をく邪魔にはさまっていると見傚みなしても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距離へだたりがあって、そう一足飛いっそくとびに片方から片方へ移る訳に行かなかったのに、今ではそれが一つになって、森本と云えば洋杖、洋杖と云えば森本というくらいはげしく敬太郎の頭を刺戟しげきするのである。その刺戟を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持主のどっちとも片づかないという観念が、ほてった血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんとつかまえたのである。

「自分のような他人ひとのような」と云った婆さんのなぞはこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉しがった。けれどもまだ「長いような短かいような、出るような這入はいるような」というところまでは考えて見ないので、彼はあまる二カ条の特性をも等しくこの洋杖のうちからさがし出そうという料簡りょうけんで、さらに新たな努力を鼓舞こぶしてかかった。

 始めは見方一つで長くもなり短かくもなるくらいの意味かも知れないと思って、先へ進んで見たが、それでは余り平凡過ぎて、解釈がついたもつかないも同じ事のような心持がした。そこでまた後戻りをして、「長いような短かいような」という言葉を幾度いくたびか口の内でくり返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込は立たなかった。時計を見ると、自由に使っていい二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜裏ぬけうらと間違えて袋の口へ這入はいり込んだ結果、好んで行き悩みの状態にもだえているのでは無かろうかと、自分で自分の判断を危ぶみ出した。出端ではのない行きどまりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新らしいみちを探す方がましだとも考えた。しかしこう時間がせまっているのに、初手しょてから出直しては、とても間に合うはずがない、すでにここまで来られたという一部分の成功を縁喜えんぎにして、是非先へ突き抜ける方が順当だとも考えた。これがよかろうあれがよかろうと右左に思い乱れている中に、彼の想像はふと全体としてのつえを離れて、握りに刻まれたへびの頭に移った。その瞬間に、うろこのぎらぎらした細長い胴と、さじの先に似た短かい頭とを我知らず比較して、胴のない鎌首かまくびだから、長くなければならないはずだのに短かく切られている、そこがすなわち長いような短かいような物であると悟った。彼はこの答案を稲妻いなずまのごとく頭の奥にひらめかして、得意の余り踴躍こおどりした。あとに残った「出るような這入はいるような」ものは、大した苦労もなく約五分の間に解けた。彼は鶏卵たまごともかえるとも何とも名状しがたい或物が、なかば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、み尽されもせず、のがれ切りもせず、出るとも這入るとも片のつかない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。

 これで万事が綺麗きれいに解決されたものと考えた敬太郎は、おどり上るように机の前を離れて、時計の鎖を帯にからんだ。帽子は手に持ったまま、はかま穿かずにへやを出ようとしたが、あの洋杖ステッキをどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊躇ちゅうちょさした。あれに手を触れるのは無論、たとい傘入かさいれから引き出したところで、森本が置き去りにして行ってからすでに久しい今日こんにちとなって見れば、主人に断わらないにしろ、とがめられたり怪しまれたりする気遣きづかいはないにきまっているが、さて彼らがそばにいない時、またおるにしても見ないうちに、それをげて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪禁まじないに使う品物を(これからその目的に使うんだという料簡りょうけんがあって)手に入れる時には、きっと人の見ていない機会をぬすんでやらなければかないという言い伝えを、郷里くににいた頃、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上り口の正面にかけてある時計を見るふりをして、二階の梯子段はしごだんの中途まで降りて下の様子をうかがった。



二十四

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 主人は六畳の居間に、例の通り大きな瀬戸物の丸火鉢まるひばちかかえ込んでいた。細君の姿はどこにも見えなかった。敬太郎けいたろうが梯子段の中途で、及び腰をして、硝子越ガラスごし障子しょうじの中をのぞいていると、主人の頭の上で忽然こつぜん呼鈴ベルはげしく鳴り出した。主人は仰向あおむいて番号を見ながら、おい誰かいないかねとつぎへ声をかけた。敬太郎はまたそろそろ三階の自分のへやへ帰って来た。

 彼はわざわざ戸棚とだなを開けて、行李こりの上に投げ出してあるセルのはかまを取り出した。彼はそれを穿くとき、腰板こしいたうしろに引きって、へやの中を歩き廻った。それから足袋たびいで、靴下にえた。これだけ身装みなりを改めた上、彼はまた三階を下りた。居間をのぞくと細君の姿は依然として見えなかった。下女もそこらにはいなかった。呼鈴ベルも今度は鳴らなかった。家中ひっそりかんとしていた。ただ主人だけは前の通り大きな丸火鉢にもたれて、上り口の方を向いたなりじっと坐っていた。敬太郎は段々を下まで降り切らない先に、高い所からはすに主人の丸くなった背中を見て、これはまだ都合が悪いと考えたが、ついに思い切って上り口へ出た。主人はあんじょう、「御出かけで」と挨拶あいさつした。そうしていつもの通り下女を呼んで下駄箱げたばこにしまってある履物はきものを出させようとした。敬太郎は主人一人の眼をすめるのにさえ苦心していたところだから、この上下女に出られてはかなわないと思って、いやよろしいと云いながら、自分で下駄箱のたれを上げて、早速靴を取りおろした。うまい具合に下女は彼が土間へ降り立つまで出て来なかった。けれども、亭主は依然としてこっちを向いていた。

「ちょっと御願ですがね。室の机の上に今月の法学協会雑誌があるはずだが、ちょっと取って来てくれませんか。靴を穿いてしまったんで、またあがるのが面倒だから」

 敬太郎はこの主人に多少法律の心得があるのを知って、わざとこう頼んだのである。主人は自分よりほかのものでは到底とても弁じない用事なので、「はあようがす」と云ってさくに立って梯子段はしごだんのぼって行った。敬太郎はそのひまに例の洋杖ステッキ傘入かさいれからき取ったなり、き込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲ったかどを、右のわきの下に感じつつ急ぎ足に本郷の通まで来た。そこでいったん羽織の下からつえを出してへびの首をじっとながめた。そうしてたもと手帛ハンケチで上から下まで綺麗きれいほこりを拭いた。それから後は普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上にあごせた。そうしてやっと今一段落ついた自分の努力をかえりみて、ほっと一息いた。同時にこれから先指定された停留所へ行ってからの成否がまた気にかかり出した。考えて見ると、これほど骨を折って、ぬすむように持ち出した洋杖が、どうすればまゆと眉の間の黒子ほくろを見分ける必要品になるのか、全く彼の思量のほかにあった。彼はただ婆さんに云われた通り、自分のような他人ひとのような、長いような短かいような、出るような這入はいるようなものを、一生懸命に探し当てて、それを忘れないでたずさえているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寝かそうと起こそうと、手に持とうとそでに隠そうと、未知の人を探す上に、はたして何の役に立つか知らんと疑ぐった時、彼はちょっとのぎゃくを振い落した人のようにけろりとして、車内を見廻わした。そうして頭の毛穴から湯気の立つほどごうを煮やした先刻さっきの努力を気恥かしくも感じた。彼は自分で自分の所作しょさまぎらすために、わざと洋杖を取り直して、電車のゆかをとんとんと軽くたたいた。

 やがて目的の場所へ来た時、彼はとりあえず青年会館の手前から引き返して、小川町の通へ出たが、四時にはまだ十五分ほどがあるので、彼は人通りと電車の響きを横切って向う側へ渡った。そこには交番があった。彼は派出所の前に立っている巡査と同じ態度で、赤いポストのそばから、真直まっすぐに南へ走る大通りと、ゆるい弧線を描いて左右に廻り込む広い往来とをながめた。これから自分の活躍すべき舞台面を一応こういう風に検分した後で、彼はすぐ停留所の所在を確かめにかかった。



二十五

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 赤い郵便函ポストから五六間東へくだると、白いペンキで小川町停留所と書いた鉄の柱がすぐ彼の眼にった。ここにさえ待っていれば、たとい混雑に取りまぎれて注意人物を見失うまでも、刻限に自分の部署に着いたという強味はあると考えた彼は、これだけの安心を胸に握った上、また目標めじるしの鉄の柱を離れて、四辺あたりの光景を見廻した。彼のすぐ後には蔵造くらづくりの瀬戸物屋があった。小さいさかずきのたくさん並んだのを箱入にして額のように仕立てたのがその軒下にかかっていた。大きな鉄製かねせい鳥籠とりかごに、陶器でできた餌壺えつぼをいくつとなく外からくくりつけたのも、そこにぶら下がっていた。その隣りは皮屋であった。眼も爪も全く生きた時のままに残した大きな虎の皮に、緋羅紗ひらしゃへりを取ったのがこの店のおもな装飾であった。敬太郎けいたろう琥珀こはくに似たその虎の眼を深く見つめて立った。細長くって真白な皮でできた襟巻えりまきらしいものの先に、豆狸まめだぬきのような顔が付着しているのも滑稽こっけいに見えた。彼は時計を出して時間を計りながら、また次の店に移った。そうして瑪瑙めのうった透明なうさぎだの、紫水晶むらさきずいしょうでできた角形かくがたの印材だの、翡翠ひすい根懸ねがけだの孔雀石くじゃくせき緒締おじめだのの、金の指輪やリンクスと共に、美くしく並んでいる宝石商の硝子窓ガラスまどのぞいた。

 敬太郎はこうして店から店を順々に見ながら、つい天下堂の前を通り越して唐木細工からきざいくの店先まで来た。その時うしろから来た電車が、突然自分の歩いている往来の向う側でとまったので、もしやという心から、筋違すじかいに通を横切って細い横町の角にある唐物屋とうぶつやそばへ近寄ると、そこにも一本の鉄の柱に、先刻さっきのと同じような、小川町停留所という文字が白く書いてあった。彼は念のためこのかどに立って、二三台の電車を待ち合わせた。すると最初には青山というのが来た。次には九段新宿というのが来た。が、いずれも万世橋まんせいばしの方から真直まっすぐに進んで来るので彼はようやく安心した。これでよもやの懸念けねんもなくなったから、そろそろ元の位地に帰ろうというつもりで、彼は足のむきえにかかった途端とたんに、南から来た一台がぐるりと美土代町みとしろちょうの角を回転して、また敬太郎の立っている傍でとまった。彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣鴨すがもの二字を読んだ時、始めて自分の不注意に気がついた。三田方面から丸の内を抜けて小川町で降りるには、神田橋の大通りを真直まっすぐに突き当って、左へ曲っても今敬太郎の立っている停留所で降りられるし、また右へ曲っても先刻さっき彼の検分しておいた瀬戸物屋の前で降りられるのである。そうして両方とも同じ小川町停留所と白いペンキで書いてある以上は、自分がこれからあとけようという黒い中折の男は、どっちへ降りるのだか、彼にはまるで見当けんとうがつかない事になるのである。眼を走らせて、二本の赤い鉄柱の距離みちのりを目分量で測って見ると、一町には足りないくらいだが、いくら眼と鼻の間だからと云って、一方だけを専門にしてさえ覚束おぼつかない彼の監視力に対して、両方共手落なく見張りおおせる手際てぎわを要求するのは、どれほど自分の敏腕を高く見積りたい今の敬太郎にも絶対の不可能であった。彼は自分の住居すまっている地理上の関係から、常に本郷三田間を連絡する電車にばかり乗っていたため、巣鴨方面から水道橋を通って同じく三田に続く線路の存在に、今が今まで気がつかずにいた自己の迂闊うかつを深く後悔した。

 彼は困却の余りふと思いついた窮策きゅうさくとして、須永すながの助力でも借りに行こうかと考えた。しかし時計はもう四時七分前にせまっていた。ついこの裏通に住んでいる須永だけれども、門前まで駈けつける時間と、かいつまんで用事をみ込ます時間を勘定に入れればとても間に合いそうにない。よしそのくらいのは取れるとしたところで、須永に一方の見張りを頼む以上は、もし例の紳士が彼のいる方へ降りるならば、何かの手段で敬太郎に合図をしなければならない。それもこの人込の中だから、手を挙げたり手帛ハンケチを振るぐらいではちょっと通じかねる。まぎれもなく敬太郎に分らせようとするには、往来を驚ろかすほどな大きな声で叫ぶに限ると云ってもいいくらいなものだが、そう云う突飛とっぴなよほどな場合でも体裁ていさいを重んずる須永のような男にできるはずがない。万一我慢してやってくれたところで、こっちからけて行く間には、肝心かんじんの黒の中折帽なかおれぼうかぶった男の姿は見えなくなってしまわないとも云えない。――こう考えた敬太郎はやむを得ないから運を天に任せてどっちか一方の停留所だけ守ろうと決心した。



二十六

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 決心はしたようなものの、それでは今立っている所を動かないための横着と同じ事になるので、わざと成効せいこうを度外に置いて仕事にかかった不安を感ぜずにはいられなかった。彼は首を延ばすようにして、また東の停留所を望んだ。位地のせいか、むきの具合か、それとも自分が始終乗降のりおりに慣れている訳か、どうもそちらの方が陽気に見えた。尋ねる人も何だかむこうで降りそうな心持がした。彼はもう一度見張るステーションを移そうかと思いながら、なおかつ決しかねてしばらく躊躇ちゅうちょしていた。するとそこへ江戸川行の電車が一台来てずるずるととまった。誰も降者おりてがないのを確かめた車掌は、一分と立たないうちにまた車を出そうとした。敬太郎けいたろうは錦町へ抜ける細い横町を背にして、眼の前の車台にはほとんど気のつかないほど、ここにいようかあっちへ行こうかと迷っていた。ところへ後の横町から突然け出して来た一人の男が、敬太郎を突きけるようにして、ハンドルへ手をかけた運転手の台へ飛び上った。敬太郎の驚ろきがまだ回復しないうちに、電車はがたりと云う音を出してすでに動き始めた。飛び上がった男は硝子戸ガラスどの内へ半分身体からだを入れながら失敬しましたと云った。敬太郎はその男と顔を見合せた時、彼の最後の視線が、自分の足の下に落ちたのを注意した。彼は敬太郎に当った拍子ひょうしに、敬太郎の持っていた洋杖ステッキ蹴飛けとばして、それを持主の手から地面の上へ振り落さしたのである。敬太郎はすぐこごんで洋杖を拾い上げようとした。彼はその時へびの頭が偶然東向ひがしむきに倒れているのに気がついた。そうしてその頭の恰好かっこうを何となしに、方角を教える指標フィンガーポストのように感じた。

「やっぱり東が好かろう」

 彼は早足に瀬戸物屋の前まで帰って来た。そこで本郷三丁目と書いた電車から降りる客を、一人残らず物色する気で立った。彼は最初の二三台を親のかたきでもねらうようにこわい眼つきで吟味ぎんみしたあと、少し心に余裕よゆうができるに連れて、腹の中がだんだん気丈きじょうになって来た。彼は自分の眼の届く広場を、一面の舞台と見傚みなして、その上に自分と同じ態度の男が三人いる事を発見した。その一人は派出所の巡査で、これは自分と同じ方を向いて同じように立っていた。もう一人は天下堂の前にいるポイントマンであった。最後の一人いちにんは広場の真中に青と赤の旗を神聖な象徴シンボルのごとく振り分ける分別盛ふんべつざかりの中年者ちゅうねんものであった。そのうちでいつ出て来るか知れない用事を期待しながら、人目にはさも退屈そうに立っているものは巡査と自分だろうと敬太郎は考えた。

 電車は入れ代り立ち代り彼の前にとまった。乗るものは無理にも窮屈な箱の中に押し込もうとする、降りるものは権柄けんぺいずくで上からしかかって来る。敬太郎はどこの何物とも知れない男女なんにょあつまったり散ったりするために、自分の前で無作法に演じ出す一分時いっぷんじの争を何度となく見た。けれども彼の目的とする黒の中折の男はいくら待っても出て来なかった。ことに依ると、もうとうに西の停留所から降りてしまったものではなかろうかと思うと、こうして役にも立たない人の顔ばかり見つめて、眼のちらちらするほど一つ所に立っているのは、随分馬鹿気た所作しょさに見えて来る。敬太郎は下宿の机の前で熱に浮かされた人のように夢中で費やした先刻さっきの二時間を、充分須永すながと打ち合せをして彼の援助を得るために利用した方が、はるかに常識にかなった遣口やりくちだと考え出した。彼がこのにがい気分を痛切にめさせられる頃から空はだんだん光を失なって、眼に映る物の色が一面にあおく沈んで来た。陰鬱いんうつな冬の夕暮を補なう瓦斯ガスと電気の光がぽつぽつそこらの店硝子みせガラスいろどり始めた。ふと気がついて見ると、敬太郎から一間ばかりの所に、廂髪ひさしがみった一人の若い女が立っていた。電車の乗降のりおりが始まるたびに、彼は注意の余波なごりを自分の左右に払っていたつもりなので、いつどっちから歩き寄ったか分らない婦人を思わぬ近くに見た時は、何より先にまずその存在に驚ろかされた。



二十七

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 女は年に合わして地味なコートを引きるように長く着ていた。敬太郎けいたろうは若い人の肉を飾る華麗はなやかな色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦袢じゅばんえりさえ羽二重はぶたえ襟巻えりまきで隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮のせまるに連れて、空気から浮き出して来るほかに、女は身の周囲まわりに何といってひとの注意をくものを着けていなかった。けれども時節柄じせつがら頓着とんじゃくなく、当人の好尚このみを示したこの一色ひといろが、敬太郎には何よりも際立きわだって見えた。彼は光の抜けて行く寒い空の下で、不調和なな物に出逢った感じよりも、すすけた往来に冴々さえざえしい一点を認めた気分になって女のくびあたりを注意した。女は敬太郎の視線を正面まともに受けた時、心持身体からだむきを変えた。それでもなお落ちつかない様子をして、右の手を耳の所まで上げて、びんかられた毛をうしろへ掻きやる風をした。もとより女の髪は綺麗きれいそろっていたのだから、敬太郎にはこの挙動がのないしなとしてのみ映ったのだが、その手を見た時彼はまた新たな注意を女から強いられた。

 女は普通の日本の女性にょしょうのように絹の手袋を穿めていなかった。きちりと合う山羊やぎの革製ので、華奢きゃしゃな指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いたろうを薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋のしわ一分いちぶたるみも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手頸てくびを三寸も深く隠しているのに気がついた。彼はそれぎり眼を転じてまた電車に向った。けれども乗降のりおりの一混雑が済んで、思う人が出て来ないと、また心に二三分の余裕よゆうができるので、それを利用しようと待ち構えるほどの執着はなかったにせよ、電車の通り越した相間あいま相間にはさとられないくらいの視力を使って常に女の方を注意していた。

 始め彼はこの女を「本郷行」か「亀沢町行」に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順廻って来て、自分の前に留っても、いっこう乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいは無理に込み合っている車台に乗って、押しつぶされそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費をこらえた方が差引とくになるという主義の人かとも考えて見たが、満員という札もかけず、一つや二つの空席は充分ありそうなのが廻って来ても、女は少しも乗る素振そぶりを見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改ためると、雨の降らないうちにかさを広げる人のように、わざと彼の観察をける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべく露骨むきだしに女の方を見るのをつつしんでいた。がしまいにふと気がついて、この女は不案内のため、自分の勝手で好い加減にきめた停留所の前に来て、乗れもしない電車をいつまでも待っているのではなかろうかと思った。それなら親切に教えてやるべきだという勇気が急に起ったので、彼は逡巡しゅんじゅんする気色けしきもなく、真正面に女の方を向いた。すると女はふいと歩き出して、二三間先の宝石商の窓際まで行ったなり、あたかも敬太郎の存在を認めぬもののごとくに、そこで額を窓硝子まどガラスに着けるように、中に並べた指環だの、帯留だの枝珊瑚えださんごの置物だのをながめ始めた。敬太郎は見ず知らずの他人に入らざる好意立こういだてをして、かえって自分と自分の品位を落したのを馬鹿らしく感じた。

 女の容貌ようぼうは始めから大したものではなかった。真向まむきに見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴々はればれしい心持のするひとみっていた。宝石商の電灯は今硝子越ガラスごし彼女かのおんなの鼻と、ふっくらした頬の一部分と額とを照らして、はすかけに立っている敬太郎の眼に、光と陰とから成る一種妙な輪廓りんかくを与えた。彼はその輪廓と、長いコートに包まれた恰好かっこうのいい彼女の姿とを胸に収めて、また電車の方に向った。



二十八

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 電車がまた二三台来た。そうして二三台共また敬太郎けいたろうの失望をくり返さして東へ去った。彼は成功を思い切った人のごとくに帯の下から時計を出して眺めた。五時はもうとうに過ぎていた。彼は今更いまさら気がついたように、頭の上にかぶさる黒い空を仰いで、苦々にがにがしく舌打したうちをした。これほど骨を折って網を張った中へかからない鳥は、西の停留所から平気で逃げたんだと思うと、ひとだますためにわざわざこしらえた婆さんの予言も、大事そうに持って出た竹の洋杖ステッキも、その洋杖が与えてくれた方角の暗示も、ことごとく忌々いまいましさの種になった。彼は暗い夜をあざむいて眼先にちらちらする電灯の光を見廻して、自分をその中心に見出した時、この明るい輝きも必竟ひっきょう自分の見残した夢の影なんだろうと考えた。彼はそのくらい興をましながらまだそのくらい寝惚ねぼけた心持を失わずに立っていたが、やがて早く下宿へ帰って正気の人間になろうという覚悟をした。洋杖は自分の馬鹿をあざける記念かたみだから、帰りがけに人の見ていない所で二つに折って、蛇の頭も鉄の輪の突がねもめちゃめちゃに、万世橋から御茶の水へ放り込んでやろうと決心した。

 彼はすでに動こうとして一歩足を移しかけた時、また先刻さっきの若い女の存在に気がついた。女はいつの間にか宝石商の窓を離れて、元の通り彼から一間ばかりの所に立っていた。背が高いので、手足も人尋常ひとなみより恰好かっこうよく伸びたところを、彼は快よく始めから眺めたのだが、今度はことにその右の手が彼の心をいた。女は自然のままにそれをすらりと垂れたなり、まるで他の注意を予期しないでいたのである。彼は素直に調子のそろった五本の指と、しなやかなかわで堅くくくられた手頸てくびと、手頸の袖口そでくちの間からかすかに現われる肉の色を夜の光で認めた。風の少ない晩であったが、動かないで長く一所ひとところに立ち尽すものに、寒さはつらく当った。女は心持ちあご襟巻えりまきの中にうずめて、俯目勝ふしめがちにじっとしていた。敬太郎は自分の存在をわざと眼中に置かないようなこの眼遣めづかいの底に、かえって自分が気にかかっているらしい反証を得たと信じた。彼が先刻から蚤取眼のみとりまなこで、黒の中折帽をかぶった紳士を探している間、この女は彼と同じ鋭どい注意を集めて、観察の矢を絶えずこっちにがけていたのではなかろうか。彼はある男を探偵しつつ、またある女に探偵されつつ、一時間あまりをここに過ごしたのではなかろうか。けれどもどこの何物とも知れない男の、何をするか分らない行動を、何のために探るのだか、彼には何らのかんがえがなかったごとく、どこの何物とも知れない女から何を仕出しでかすか分らない人として何のために自分がねらわれるのだか、そこへ行くとやはりまるで要領を得なかった。敬太郎はこっちで少し歩き出して見せたら向うの様子がもっと鮮明に分るだろうという気になって、そろりそろりと派出所のうしろを西の方へ動いて行った。もちろん女に勘づかれないために、彼は振向いて後を見る動作を固くはばかった。けれどもいつまでも前ばかり見て先へ行っては、肝心かんじんの目的を達する機会がないので、彼は十間ほど来たと思う時分に、わざと見たくもない硝子窓ガラスまどのぞいて、そこに飾ってある天鵞絨びろうどえりの着いた女の子のマントをながめる風をしながら、そっとうしろを振り向いた。すると女は自分の背後にいるどころではなかった。延び上ってもいろいろな人が自分を追越すようにあとから後から来る陰になって、白い襟巻えりまきも長いコートもさらに彼の眼に入らなかった。彼はそのまま前へ進む勇気があるかを自分に疑ぐった。黒い中折の帽子を被った人の事なら、定刻の五時を過ぎた今だから、断念してもそれほどの遺憾はないが、女の方はどんなつまらない結果に終ろうとも、最少もうすこし観察していたかった。彼は女から自分が探偵されていると云う疑念を逆に投げ返して、こっちから女の行動を今しばらく注意して見ようという物数奇ものずきを起した。彼は落し物を拾いに帰る人の急ぎ足で、また元の派出所近く来た。そこの暗い陰に身を寄せるようにしてうかがうと、女は依然としてじっと通りの方を向いて立っていた。敬太郎の戻った事にはまるで気がついていない風に見えた。



二十九

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 その時敬太郎けいたろうの頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂髪ひさしがみっているので、その辺の区別は始めから不分明ふぶんみょうだったのである。が、いよいよ物陰に来て、なかばうしろになったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼をおそって来た。

 見かけからいうとあるいは人にとついだ経験がありそうにも思われる。しかし身体からだの発育が尋常よりはるかに好いからことによれば年は存外取っていないのかも知れない。それならなぜあんな地味な服装つくりをしているのだろう。敬太郎は婦人の着る着物の色や縞柄しまがらについて、何をいう権利もたない男だが、若い女ならこの陰鬱いんうつ師走しわすの空気をね返すように、派出はでな色を肉の上に重ねるものだぐらいのばっとした観察はあったのである。彼はこの女が若々しい自分の血に高い熱を与える刺戟性しげきせいあやをどこにも見せていないのを不思議に思った。女の身に着けたものの内で、わずかに人の注意をくのはくび周囲まわりを包む羽二重はぶたえの襟巻だけであるが、それはただ清いと云う感じを起す寒い色に過ぎなかった。あとは冬枯の空と似合った長いコートですぽりと隠していた。

 敬太郎は年に合わして余りにびる気分を失い過ぎたこの衣服なりを再びうしろから見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。その上この女の態度にはどこか大人おとなびた落ちつきがあった。彼はその落ちつきを品性と教育からのみ来た所得とは見傚みなし得なかった。家庭以外の空気に触れたため、初々ういういしい羞恥はにかみが、手帛ハンケチに振りかけた香水ののように自然と抜けてしまったのではなかろうかと疑ぐった。そればかりではない、この女の落ちつきの中には、落ちつかない筋肉の作用が、身体からだ全体の運動となったり、まゆや口の運動となって、ちょいちょい出て来るのを彼は先刻さっき目撃した。最も鋭敏に動くものはその眼であろうと彼はくに認めていた。けれどもその鋭敏に動こうとする眼を、いて動かすまいとつとめる女の態度もまた同時に認めない訳に行かなかった。だからこの女の落ちつきは、自分で自分の神経を殺しているという自覚にともなったものだと彼は勘定かんていしていた。

 ところが今うしろから見た女は身体といい気分といい比較的沈静して両方の間にうまく調子が取れているように思われた。彼女かのおんなは先刻と違って、別段姿勢を改ためるでもなく、そろそろ歩き出すでもなく、宝石商の窓へ寄り添うでもなく、寒さをしのぎかねる風情ふぜいもなく、ほとんど閑雅かんがとでも形容したい様子をして、一段高くなった人道のはじに立っていた。そばには次の電車を待ち合せる人が二三散らばっていた。彼らは皆向うから来る車台を見つめて、早く自分のそばへ招き寄せたい風に見えた。敬太郎が立ち退いたので大いに安心したらしい彼女は、そのうちで最も熱心に何かを待ち受ける一人いちにんとなって、筋向うの曲り角をじっと注意し始めた。敬太郎は派出所の陰をかみへ廻って車道へ降りた。そうしてペンキ塗の交番をたてに、巡査の立っている横から女の顔をねらうように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。今まで後姿うしろすがたながめて物陰にいた時は、彼女を包む一色ひといろの目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂髪ひさしがみとを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論をもてあそんだのだが、こうして彼女の知らない間に、その顔を遠慮なく眺めて見ると、全く新らしい人に始めて出逢ったような気がしない訳に行かなかった。要するに女は先刻より大変若く見えたのである。切に何物かを待ち受けているその眼もその口も、ただ生々いきいきした一種はなやかな気色きしょくちて、それよりほかの表情はごうも見当らなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。

 やがて女の見つめている方角から一台の電車が弓なりに曲った線路を、ぐるりとゆるく廻転して来た。それが女のいる前ですべるようにとまった時、中から二人の男が出た。一人は紙で包んだボール箱のようなものをげて、すたすた巡査の前を通り越して人道へ飛び上がったが、一人は降りるとすぐに女の前に行って、そこに立ちどまった。



三十

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 敬太郎けいたろうは女の笑い顔をこの時始めて見た。唇の薄い割に口の大きいのをその特徴の一つとして彼は最初からながめていたが、美くしい歯をき出しに現わして、潤沢うるおいゆたかな黒い大きな眼を、上下うえしたまつげの触れ合うほど、共に寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた。敬太郎は女の笑い顔に見惚みとれると云うよりもむしろ驚ろいて相手の男に視線を移した。するとその男の頭の上に黒い中折なかおれが乗っているのに気がついた。外套がいとう判切はっきり霜降しもふりとは見分けられなかったが、帽子と同じ暗い光を敬太郎のひとみに投げた。その上背は高かった。やせぎすでもあった。ただ年齢としの点に至ると、敬太郎にはとかくの判断を下しかねた。けれどもその人が寿命の度盛どもりの上において、自分とははるへだたった向うにいる事だけはたしかなので、彼はこの男を躊躇ちゅうちょなく四十恰好がっこうと認めた。これだけの特点を前後なくほとんど同時に胸に入れ得た時、彼は自分が先刻さっきから馬鹿を尽してつけねらった本人がやっと今電車を降りたのだと断定しない訳に行かなかった。彼は例刻の五時がとうのむかしに過ぎたのに、妙な酔興すいきょうを起して、やはり同じ所にぶらついていた自分を仕合せだと思った。その酔興を起させるため、自分の好奇心を釣りに若い女が偶然出て来てくれたのをありがたく思った。さらにその若い女が自分の探す人を、自分よりも倍以上の自信と忍耐をもって、待ちおおせたのを幸運の一つに数えた。彼はこのエックスという男について、田口のために、ある知識を供給する事ができると共に、同じ知識がワイという女に関する自分の好奇心を幾分か満足させ得るだろうと信じたからである。

 男と女はまるで敬太郎の存在に気がつかなかったと見えて、前後左右に遠慮する気色けしきもなく、なお立ちながら話していた。女は始終微笑をらす事をやめなかった。男も時々声を出して笑った。二人が始めて顔を合わした時の挨拶あいさつの様子から見ても彼らはけっして疎遠な間柄ではなかった。異性をつなぎ合わせるようで、その実両方の仲をく、慇懃いんぎん男女間なんにょかんの礼義は彼らのどちらにも見出す事ができなかった。男は帽子のふちに手をかける面倒さえあえてしなかった。敬太郎はそのつばの下にあるべきはずの大きな黒子ほくろを面と向って是非突き留めたかった。もし女がいなかったならば肉の上に取り残されたこの異様な一点を確かめるために、彼はつかつかと男の前へ進んで行って、何でも好いから、ただ口から出任でまかせの質問をかけたかも知れない。それでなくても、ただちに彼のそばへ近寄って、満足の行くまでその顔をのぞき込んだろう。この際そう云う大胆な行動を妨たげるものは、男の前に立っている例の女であった。女が敬太郎の態度を悪く疑ぐったかどうかは問題として、彼の挙動に不審をいだいた様子は、同じ場所に長く立ち並んだ彼の目に親しく映じたところである。それを承知しながら、再びその視線の内に、自分の顔を無遠慮に突き出すのは、多少紳士的でない上に、嫌疑けんぎの火の手をわざと強くして、自分の目的を自分でこわすと同じ結果になる。

 こう考えた敬太郎は、自然の順序として相応の機会がめぐって来るまでは、黒子の有る無しを見届けるだけは差し控えた方が得策だろうと判断した。その代り見え隠れに二人のあとけて、でき得るならば断片的でもいいから、彼らの談話を小耳にはさもうと覚悟した。彼は先方の許諾を待たないで、彼らの言動を、ひそかに我胸に畳み込む事の徳義的価値について、別に良心の相談を受ける必要を認めなかった。そうして自分の骨折から出る結果は、世故せこに通じた田口によって、必ず善意に利用されるものとただ淡泊たんぱくに信じていた。

 やがて男は女をいざなう風をした。女は笑いながらそれをこばむように見えた。しまいになかば向き合っていた二人が、肩と肩をそろえて瀬戸物屋の軒端のきば近く歩き寄った。そこから手を組み合わせないばかりに並んで東の方へ歩き出した。敬太郎は二三間早足に進んで、すぐ彼らの背後まで来た。そうして自分の歩調を彼らと同じ速度に改ためた。万一女に振り向かれても、疑惑をまぬかれるために、彼はけっして彼らの後姿には眼を注がなかった。偶然前後して天下の往来を同じ方角に行くもののごとくに、故意わざとあらぬかたを見て歩いた。



三十一

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「だってあんまりだわ。こんなに人を待たしておいて」

 敬太郎けいたろうの耳に入った第一の言葉は、女の口から出たこういう意味の句であったが、これに対する男の答は全く聞き取れなかった。それから五六間行ったと思う頃、二人の足が急に今までの歩調を失って、並んだ影法師がほとんど敬太郎の前に立ちふさがりそうにした。敬太郎の方でも、うしろから向うに突き当らない限りは先へ通り抜けなければばつが悪くなった。彼は二人の後戻りを恐れて、急にそばにあった菓子屋の店先へ寄り添うように自分を片づけた。そうしてそこに並んでいる大きな硝子壺ガラスつぼの中のビスケットを見つめる風をしながら、二人の動くのを待った。男は外套がいとうの中へ手を入れるように見えたが、それが済むと少し身体からだを横にして、下向きに右手で持ったものを店のに映した。男の顔の下に光るものが金時計である事が、その時敬太郎に分った。

「まだ六時だよ。そんなに遅かあない」

「遅いわあなた、六時なら。あたしもう少しでかいるところよ」

「どうも御気の毒さま」

 二人はまた歩き出した。敬太郎も壺入つぼいりのビスケットを見棄ててそのあとに従がった。二人は淡路町あわじちょうまで来てそこから駿河台下するがだいしたへ抜ける細い横町を曲った。敬太郎も続いて曲ろうとすると、二人はその角にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門口かどぐちから射す強い光を浴びた男と女の顔を横から一眼見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像もつかなかったのだが、突然こんなうちいられて見ると、何でもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝亭たからていと云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入でいりをするうちであった。近頃普請ふしんをしてから新らしいペンキの色を半分電車通りにさらして、はすかけに立ち切られたようなむねを南向に見せているのを、彼は通り掛りに時々注意した事がある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦酒ビールの広告写真を仰ぎながら、肉刀ナイフ肉叉フォークすさまじく闘かわした数度すどの記憶さえっていた。

 二人の行先については、これという明らかな希望も予期も無かったが、少しはむらさきがかった空気の匂う迷路メーズの中に引き入れられるかも知れないくらいの感じがあんに働らいてこれまで後をけて来た敬太郎には、馬鈴薯じゃがいもや牛肉を揚げる油のにおいが、台所からぷんぷん往来へあふれる西洋料理屋は余りに平凡らしく見えた。けれども自分のとても近寄れない幽玄な所へ姿を隠して、それぎり出て来ないよりは、はるかに都合が好いと考え直した彼は、二人の身体が、誰にでも近寄る事のできる、普通の洋食店のペンキの奥に囲われているのをむしろ心丈夫だとさとった。幸い彼はこのくらいな程度の家で、冬空の外気に刺戟しげきされた食慾をたすに足るほどの財布を懐中していた。彼はすぐ二人のあとを追ってそこの二階へのぼろうとしたが、電灯の強く往来へ門口かどぐちまで来た時、ふと気がついた。すでに女から顔を覚えられた以上、ほとんど同時に一つ二階へ押し上っては不味まずい。ひょっとするとこの人は自分をけて来たのだという疑惑を故意ことさら先方に与える訳になる。

 敬太郎は何気ない振をして、往来へ射す光を横切ったまま、黒い小路こうじを一丁ばかり先へ歩いた。そうしてその小路の尽きる坂下からまた黒い人となって、自分の影法師を自分の身体からだの中へ畳み込んだようにひっそりと明るい門口まで帰って来た。それからそのかどくぐった。時々来た事があるので、彼はこのうちの勝手をほぼ承知していた。下には客を通す部屋がなくって、二階と三階だけで用を弁じているが、よほど込み合わなければ三階へは案内しない、大抵は二階で済むのだから、あがって右の奥か、左の横にある広間をのぞけば、大抵二人の席が見えるに違ない、もしそこにいなかったら表の方の細長いへやまでけてやろうぐらいの考で、階段はしごだんを上りかけると、白服の給仕ボーイが彼を案内すべく上り口に立っているのに気がついた。



三十二

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 敬太郎けいたろうは手に持った洋杖ステッキをそのままに段々をのぼり切ったので、給仕は彼の席を定める前に、まずその洋杖を受取った。同時にこちらへと云いながら背中を向けて、右手の広間へ彼を案内した。彼は給仕のうしろから自分の洋杖がどこに落ちつくかを一目見届けた。するとそこに先刻さっき注意した黒の中折帽なかおれぼうが掛っていた。霜降しもふりらしい外套がいとうも、女の着ていた色合のコートも釣るしてあった。給仕がそのすそを動かして、竹の洋杖を突込つっこんだ時、大きな模様を抜いた羽二重はぶたえの裏が敬太郎の眼にちらついた。彼はへびの頭がコートの裏に隠れるのを待って、そらにその持主の方に眼を転じた。幸いに女は男と向き合って、入口の方に背中ばかりを見せていた。新らしい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと廻るのが、いったん席に落ちついた品位をくずおそれがあるので、必要のない限り、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後姿をながめながら、ひとまず安堵あんどの思いをした。女は彼の推察通りはたしてうしろを向かなかった。彼はそのに女の坐っているすぐそばまで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけずむきも改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいたはちに植えた松と梅の盆栽ぼんさいが飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きなさじを落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間によこたわる六尺に足らない距離は明らかな電灯がくまなく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、いさぎいい光を四方の食卓テーブルから反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備したへやで、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔のまゆと眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒子ほくろを認めた。

 この黒子ほくろを別にして、男の容貌ようぼうにこれと云った特異な点はなかった。眼も鼻も口も全く人並であった。けれども離れ離れに見ると凡庸ぼんような道具がそろって、面長おもながな顔の表にそれぞれの位地を占めた時、彼は尋常以上に品格のある紳士としか誰の目にも映らなかった。敬太郎と顔を合せた時、スープの中にさじを入れたまま、すする手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。敬太郎はそれなり背中を彼の方に向けて自分の席に着いたが、探偵という文字に普通付着している意味を心のうちで考え出して、この男の風采ふうさい態度たいどと探偵とはとても釣り合わない性質のものだという気がした。敬太郎から見ると、この人は探偵してしかるべき何物をも彼の人相の上にっていなかったのである。彼の顔の表に並んでいる眼鼻口のいずれを取っても、その奥に秘密を隠そうとするには、余りにできが尋常過ぎたのである。彼は自分の席へ着いた時、田口から引き受けたこのよいの仕事に対する自分の興味が、すでに三分の一ばかり蒸発したような失望を感じた。第一こんな性質たちの仕事を田口から引き受けた徳義上の可否さえ疑がわしくなった。

 彼は自分の注文を通したなり、ポカンとして麺麭パンに手もれずにいた。男と女は彼らのそばに坐った新らしい客に幾分か遠慮の気味で、ちょっとの話を途切らした。けれども敬太郎の前に暖められた白い皿が現われる頃から、また少し調子づいたと見えて、二人の声が互違たがいちがいに敬太郎の耳にった。――

「今夜はいけないよ。少し用があるから」

「どんな用?」

「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」

「あら好くってよ。あたしちゃんと知ってるわ。――さんざっぱらひとを待たした癖に」

 女は少しねたような物の云い方をした。男は四辺あたりに遠慮する風で、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。

「何しろ今夜は少し遅いから止そうよ」

「ちっとも遅かないわ。電車に乗って行きゃあじきじゃありませんか」

 女が勧めている事も男が躊躇ちゅうちょしている事も敬太郎にはよく解った。けれども彼らがどこへ行くつもりなのだか、その肝心かんじんな目的地になると、彼には何らの観念もなかった。



三十三

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 もう少し聞いている内にはあるいはあたりがつくかも知れないと思って、敬太郎けいたろうは自分の前に残された皿の上の肉刀ナイフと、その傍に転がった赤い仁参にんじん一切ひときれながめていた。女はなお男をいる事をやめない様子であった。男はそのたびに何とかかとか云ってのがれていた。しかし相手をおこらせまいとする優しい態度はいつも変らなかった。敬太郎の前に新らしい肉と青豌豆あおえんどうが運ばれる時分には、女もとうとうを折り始めた。敬太郎は心の内で、女がどこまでも剛情を張るか、でなければ男が好加減いいかげんに降参するか、どっちかになればいいがと、ひそかに祈っていたのだから、思ったほど女の強くないのを発見した時は少なからず残念な気がした。せめて二人の間に名を出す必要のないものとして略されつつあった目的地だけでも、何かの機会はずみに小耳にはさんでおきたかったが、いよいよ話がまとまらないとなると、男女なんにょの問答は自然ほかへ移らなければならないので、当分その望みも絶えてしまった。

「じゃ行かなくってもいいから、あれをちょうだい」と、やがて女が云い出した。

「あれって、ただあれじゃ分らない」

「ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう」

「ちっとも分らない」

「失敬ね、あなたは。ちゃんと分ってる癖に」

 敬太郎はちょっと振り向いてうしろが見たくなった。その時階段はしごだんを踏む大きな音が聞こえて、三人ばかりの客がどやどやと一度にあがって来た。そのうちの一人はカーキー色の服に長靴を穿いた軍人であった。そうしてゆかの上を歩く音と共に、腰に釣るした剣をがちゃがちゃ鳴らした。三人は上って左側のへやへ案内された。この物音が例の男と女の会話をき乱したため、敬太郎の好奇心もちらつく剣の光が落ちつくまで中途に停止していた。

「この間見せていただいたものよ。分って」

 男は分ったとも分らないとも云わなかった。敬太郎には無論想像さえつかなかった。彼は女がなぜ淡泊たんぱくに自分の欲しいというものの名を判切はっきり云ってくれないかをうらんだ。彼は何とはなしにそれが知りたかったのである。すると、

「あんなもの今ここに持ってるもんかね」と男が云った。

「誰もここに持ってるって云やしないわ。ただちょうだいって云うのよ。今度こんだでいいから」

「そんなに欲しけりゃやってもいい。が……」

「あッうれしい」

 敬太郎はまた振り返って女の顔が見たくなった。男の顔もついでに見ておきたかった。けれども女と一直線になって、背中合せに坐っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動はつつしまなければならないので、眼のやりどころに困るという風で、ただ正面をぽかんと見廻した。すると勝手のあがくちの方から、給仕ボーイが白い皿を二つ持って入って来て、それを古いのと引きえに、二人の前へ置いて行った。

「小鳥だよ。食べないか」と男が云った。

あたしもうたくさん」

 女は焼いた小鳥に手を触れない様子であった。その代り暇のできた口を男よりは余計動かした。二人の問答から察すると、女の男にくれとせまったのは珊瑚樹さんごじゅたまか何からしい。男はこういう事に精通しているという口調くちょうで、いろいろな説明を女に与えていた。が、それは敬太郎には興味もなければ、解りもしない好事家こうずかうれしがる知識に過ぎなかった。練物ねりもので作ったのへ指先のもんを押しつけたりして、時々うまくごまかした贋物がんぶつがあるが、それは手障てざわりがどこかざらざらするから、本当の古渡こわたりとはすぐ区別できるなどと叮嚀ていねいに女に教えていた。敬太郎は前後あとさき綜合すべあわして、何でもよほどたっとい、また大変珍らしい、今時そう容易たやすくは手に入らない時代のついたたまを、女が男からもらう約束をしたという事が解った。

「やるにはやるが、御前あんなものを貰ってなんにする気だい」

「あなたこそ何になさるの。あんな物を持ってて、男の癖に」



三十四

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 しばらくして男は「御前御菓子を食べるかい、菓物くだものにするかい」と女に聞いた。女は「どっちでも好いわ」と答えた。彼らの食事がようやく終りに近づいた合図とも見られるこの簡単な問答が、今までうっかりと二人の話に釣り込まれていた敬太郎けいたろうに、たちまち自分の義務を注意するように響いた。彼はこの料理屋を出たあとの二人の行動をも観察する必要があるものとして、自分で自分の役割を作っていたのである。彼は二人と同時に二階を下りる事の不得策を初めから承知していた。おくれて席を立つにしても、巻煙草まきたばこを一本吸わない先に、夜と人と、雑沓ざっとう暗闇くらやみの中に、彼らの姿を見失なうのはたしかであった。もし間違いなく彼らの影を踏んであとから喰付くっついて行こうとするなら、どうしても一足先へ出て、相手に気のつかない物陰か何かで、待ち合せるよりほかに仕方がないと考えた。敬太郎は早く勘定を済ましておくにくはないという気になって、早速給仕ボーイを呼んでビルを請求した。

 男と女はまだ落ちついて話していた。しかし二人の間に何というきまった題目も起らないので、それを種に意見や感情の交換とりやりも始まる機会おりはなく、ただだらしのない雲のようにそれからそれへと流れて行くだけに過ぎなかった。男の特徴に数えられたまゆと眉の間の黒子ほくろなども偶然女の口にのぼった。

「なぜそんな所に黒子なんぞができたんでしょう」

「何も近頃になって急にできやしまいし、生れた時からあるんだ」

「だけどさ。見っともなかなくって、そんなとこにあって」

「いくら見っともなくっても仕方がないよ。生れつきだから」

「早く大学へ行って取って貰うといいわ」

 敬太郎はこの時指洗椀フィンガーボールの水に自分の顔の映るほど下を向いて、両手で自分の米噛こめかみを隠すようにおさえながら、くすくすと笑った。ところへ給仕が釣銭を盆に乗せて持って来た。敬太郎はそっと立って目立たないように階段はしごだんあがくちまでおとなしく足を運ぶと、そこに立っていた給仕が大きな声で、「御立あち」と下へ知らせた。同時に敬太郎は先刻さっき給仕に預けた洋杖ステッキを取って来るのを忘れた事に気がついた。その洋杖はいまだにへやすみに置いてある帽子掛の下に突き込まれたまま、女の長いコートのすそに隠されていた。敬太郎は室の中にいる男女なんにょはばかるように、抜き足で後戻りをして、静かにそれを取り出した。彼が蛇の頭を握った時、すべすべした羽二重はぶたえの裏と、柔かい外套がいとうの裏が、優しく手の甲に触れるのを彼は感じた。彼はまた爪先で歩かないばかりに気をつけて階段の上まで来ると、そこから急に調子を変えて、とん、とん、とんときざあしに下へけ下りた。表へ出るや否や電車通を直ぐ向うへ横切った。その突き当りに、大きな古着屋のような洋服屋のような店があるので、彼はその店の電灯の光をうしろにして立った。こうしてさえいれば料理店から出る二人が大通りを右へ曲ろうが、左へ折れようが、または中川の角に添って連雀町れんじゃくちょうの方へ抜けようが、あるいはかどからすぐ小路こうじ伝いに駿河台下するがだいしたへ向おうが、どっちへ行こうと見逃みのが気遣きづかいはないと彼は心丈夫に洋杖ステッキを突いて、目指す家の門口かどぐちを見守っていた。

 彼は約十分ばかり待った後で、注意の焼点しょうてんになる光のうちに、いっこう人影が射さないのを不審に思い始めた。やむを得ず二階をながめてその窓だけ明るくなった奥をのぞくように、彼らの早く席を立つ事を祈った。そうして待ち草臥くたびれた眼を移すごとに、屋根の上に広がる黒い空を仰いだ。今まで地面の上を照らしている人間の光ばかりにあざむかれて、まるでその存在を忘れていたこの大きな夜は、暗い頭の上で、先刻さっきから寒そうな雨をかもしていたらしく、敬太郎の心をびしがらせた。ふと考えると、今までは自分に遠慮してただの話をしていた二人が、自分の立ったのを幸いに、自分の役目として是非聞いておかなければならないような肝心かんじんの相談でもし始めたのではなかろうか。彼はこの疑惑と共に黒い空を仰ぎながら、そのうちに二人の向き合った姿をありありと認めた。



三十五

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 彼はあまり注意深く立ち廻って、かえって洋食店の門を早く出過ぎたのをくやんだ。けれども二人が彼に気兼きがねをする以上は、たとい同じ席にいつまでも根が生えたように腰をえていたところで、やっぱり普通の世間話よりほかに聞く訳には行かないのだから、よし今まですわったまま動かないものと仮定しても、その結果は早く席を立ったと、ほぼ同じ事になるのだと思うと、彼は寒いのを我慢しても、同じ所に見張っているより仕方なかった。すると帽子のひさしへ雨が二雫ふたしずくほど落ちたような気がするので、彼はまた仰向あおむいて黒い空を眺めた。やみよりほかに何も眼をさえぎらない頭の上は、彼の立っている電車通と違って非常に静であった。彼はほおの上に一滴いってきの雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、恰好かっこうさえ分らない大きな暗いものを見つめているあいだに、今にも降り出すだろうという掛念けねんをどこかへ失なって、こんな落ちついた空の下にいる自分が、なぜこんな落ちつかない真似まねを好んでやるのだろうと偶然考えた。同時にすべての責任が自分の今突いている竹の洋杖ステッキにあるような気がした。彼は例のごとくへびの頭を握って、寒さに対する欝憤うっぷんを晴らすごとくに、二三度それをはげしく振った。その時待ち佗びた人の影法師がそろって洋食店の門口を出た。敬太郎けいたろうは何より先に女の細長いくびを包む白い襟巻えりまきに眼をつけた。二人はすぐと大通りへ出て、敬太郎の向う側を、先刻とは反対の方角に、元来た道へ引き返しにかかった。敬太郎も猶予ゆうよなく向うへ渡った。彼らはゆるい歩調で、にぎやかに飾った店先をのきごとにのぞくように足を運ばした。うしろからいて行く敬太郎は是非共二人に釣り合った歩き方をしなければならないので、その遅過ぎるのがだいぶ苦になった。男はの高い葉巻をくわえて、行く行く夜の中へかすかな色を立てる煙を吐いた。それが風の具合でうしろから従がう敬太郎の鼻を時々快ろよくおかした。彼はそのにおいをぎ嗅ぎのろい足並を我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背が高いのでうしろから見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少錯覚さっかくを助けた。すると聯想れんそうがたちまち伴侶つれの方に移って、女が旦那だんなから買ってもらったかわの手袋を穿めている洋妾らしゃめんのように思われた。敬太郎がふとこういう空想を起して、おかしいと思いながらも、なお一人で興を催していると、二人は最前待ち合わした停留所の前まで来てちょっと立ちどまったが、やがてまた線路を横切って向側へ越した。敬太郎も二人のする通りを真似まねた。すると二人はまた美土代町みとしろちょうかどをこちらから反対の側へ渡った。敬太郎もつづいて同じ側へ渡った。二人はまた歩き出して南へ動いた。角から半町ばかり来ると、そこにも赤く塗った鉄の柱が一本立っていた。二人はその柱のそばへ寄って立った。彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時始めて気がついた敬太郎は、自分も是非同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した。彼らは申し合せたように敬太郎の方をかえりみた。もとより彼のいる方から電車が横町を曲って来るからではあるが、それにしても敬太郎は余り好い心持はしなかった。彼は帽子のつばをひっくり返して、ぐっと下へおろして見たり、手で顔をでて見たり、なるべく軒下へ身を寄せて見たり、わざと変な見当けんとうながめて見たりして、電車の現われるのをつらく待ちびた。

 もなく一台来た。敬太郎はわざと二人の乗ったあとから這入はいって、嫌疑けんぎを避けようと工夫した。それでしばらく後の方にぐずぐずしていると、女は例の長いコートのすそを踏まえないばかりに引きって車掌台の上に足を移した。しかしあとからすぐ続くと思った男は、案外あが気色けしきもなく、足をそろえたまま、両手を外套がいとう隠袋かくしに突き差して立っていた。敬太郎は女を見送りに男がわざわざここまで足を運んだのだという事にようやく気がついた。実をいうと、彼は男よりも女の方に余計興味を持っていたのである。男と女がここで分れるとすれば、無論男を捨てて女の先途だけを見届けたかった。けれども自分が田口から依託いたくされたのは女と関係のない黒い中折帽なかおれぼうかぶった男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。



三十六

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 女は車台に乗った時、ちょっと男に目礼したが、それぎり中へ這入はいってしまった。冬のの事だから、窓硝子まどガラスはことごとくめ切ってあった。女はことさらにそれを開けて内から首を出すほどの愛嬌あいきょうも見せなかった。それでも男はのっそり立って、車の動くのを待っていた。車は動き出した。二人の間に挨拶あいさつ交換やりとりがもう必要でないと認めたごとく、電力は急いで光る窓を南のかたへ運び去った。男はこの時口にくわえた葉巻を土の上に投げた。それから足の向を変えてまた三ツ角の交叉点まで出ると、今度は左へ折れて唐物屋とうぶつやの前でとまった。そこは敬太郎けいたろうが人に突き当られて、竹の洋杖ステッキを取り落した記憶の新らしい停留所であった。彼は男のあとを見え隠れにここまでいて来て、また見たくもない唐物屋の店先に飾ってある新柄しんがら襟飾ネクタイだの、絹帽シルクハットだの、かわじま膝掛ひざかけだのをのぞき込みながら、こう遠慮をするようでは、探偵の興もめるだけだと考えた。女がすでに離れた以上、自分の仕事にあきが来たと云ってはすまないが、ぜん同様であるべき窮屈の程度が急に著るしく感ぜられてならなかった。彼の依頼されたのは中折の男が小川町で降りてから二時間内の行動に限られているのだから、もうこれで偵察の役目は済んだものとして、下宿へ帰って寝ようかとも思った。

 そこへ男の待っている電車が来たと見えて、彼は長い手で鉄の棒を握るやいなせた身体からだていよくとまり切らない車台の上に乗せた。今まで躊躇ちゅうちょしていた敬太郎は急にこの瞬間を失なってはという気が出たので、すぐ同じ車台に飛び上った。車内はそれほど込みあっていなかったので、乗客は自由に互の顔を見合う余裕を充分持っていた。敬太郎は箱の中に身体を入れると同時に、すでに席を占めた五六人から一度に視線を集められた。そのうちには今すわったばかりの中折の男のもまじっていたが、彼の敬太郎を見た眼のうちには、おやという認識はあったが、つけねらわれているなという疑惑はさらに現われていなかった。敬太郎はようやく伸び伸びした心持になって、男と同じ側をって腰を掛けた。この電車でどこへ連れて行かれる事かと思って軒先を見ると、江戸川行と黒く書いてあった。彼は男が乗り換えさえすれば、自分も早速降りるつもりで、停留所へ来るごとに男の様子をうかがった。男は始終しじゅう隠袋かくしへ手を突き込んだまま、多くは自分の正面かわがひざの上かを見ていた。その様子を形容すると、何にも考えずに何か考え込んでいると云う風であった。ところが九段下へかかった頃から、長い首を時々伸ばして、ある物を確かめたいように、窓の外を覗き出した。敬太郎もつい釣り込まれて、見悪みにくい外をかすようにながめた。やがて電車の走る響の中に、窓硝子まどガラスにあたってくだける雨の音が、ぽつりぽつりと耳元でし始めた。彼はたずさえている竹の洋杖ステッキを眺めて、この代りに雨傘あまがさを持って来ればよかったと思い出した。

 彼は洋食店以後、中折をかぶった男の人柄ひとがらと、世の中にまるでうたがいをかけていないその眼つきとを注意した結果、この時ふと、こんな窮屈な思いをして、いらざる材料を集めるよるも、いっそ露骨むきだしにこっちから話しかけて、当人の許諾を得た事実だけを田口に報告した方が、今更遅蒔おそまきのようでも、まだ気がいていやしないかと考えて、自分で自分を彼に紹介する便法べんぽうを工夫し始めた。そのうち電車はとうとう終点まで来た。雨はますます烈しくなったと見えて、車がとまるとざあという音が急に彼の耳をおそった。中折の男は困ったなと云いながら、外套がいとうえりを立てて洋袴ズボンすそを返した。敬太郎は洋杖を突きながら立ち上った。男は雨の中へ出ると、すぐ寄って来る俥引くるまひきつらまえた。敬太郎もおくれないように一台雇った。車夫は梶棒かじぼうを上げながら、どちらへと聞いた。敬太郎はあの車のあとについて行けと命じた。車夫はへいと云ってむやみにけ出した。一筋道を矢来やらいの交番の下まで来ると、車夫は又梶棒をとめて、旦那どっちへ行くんですと聞いた。男の乗った車はいくらほろの内から延び上っても影さえ見えなかった。敬太郎は車上に洋杖を突っ張ったまま、雨の音のする中で方角に迷った。



報告


 眼がめると、自分の住みれた六畳に、いつもの通り寝ている自分が、敬太郎けいたろうには全く変に思われた。昨日きのうの出来事はすべて本当のようでもあった。またまとまりのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、「本当の夢」のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴なっていた。それよりか、酔った気分が世の中にち充ちていたという感じが一番強かった。停留所も電車も酔った気分に充ちていた。宝石商も、革屋かわやも、赤と青の旗振りも、同じ空気に酔っていた。薄青いペンキ塗の洋食店の二階も、そこに席を占めたまゆの間に黒子ほくろのある紳士も、色の白い女も、ことごとくこの空気に包まれていた。二人の話しに出て来る、どこにあるか分らない所の名も、男が女にやる約束をした珊瑚さんごたまも、みんな陶然とうぜんとした一種の気分を帯びていた。最もこの気分にちて活躍したものは竹の洋杖ステッキであった。彼がその洋杖を突いたまま、ほろを打つ雨の下で、方角に迷った時の心持は、この気分の高潮に達した幕前の一区切ひとくぎりとして、ほとんど狐から取りかれた人の感じを彼に与えた。彼はその時店のびしく照らされたびしょれの往来と、坂の上に小さく見える交番と、その左手にぼんやり黒くうつる木立とを見廻して、はたしてこれが今日の仕事の結末かと疑ぐった。彼はやむを得ず車夫に梶棒かじぼうを向け直させて、思いも寄らない本郷へ行けと命じた事を記憶していた。

 彼は寝ながら天井てんじょうながめて、自分に最も新らしい昨日の世界を、幾順となく眼の前に循環させた。彼は二日酔ふつかよいの眼と頭をもって、かいこの糸をくようにそれからそれへと出てくるこの記念かたみかず見つめていたが、しまいには眼先にただようふわふわした夢の蒼蠅うるささにえなくなった。それでもあとから後からと向うでひと勝手がってに現われて来るので、彼は正気でありながら、何かに魅入られたのではなかろうかと云う疑さえ起した。彼はこの浅い疑に関聯かんれんして、例の洋杖を胸に思い浮べざるを得なかった。昨日の男も女も彼の眼には絵を見るほど明らかであった。容貌ようぼうもとより服装なりから歩きつきに至るまでことごとく記憶の鏡に判切はっきりと映った。それでいて二人とも遠くの国にいるような心持がした。遠くの国にいながら、つい近くにあるものを見るように、あざやかな色と形を備えてひとみおかして来た。この不思議な影響が洋杖から出たかも知れないという神経を敬太郎はどこかに持っていた。彼は昨夕ゆうべ法外な車賃を貪ぼられて、宿の門口かどぐちくぐった時、何心なくその洋杖を持ったまま自分のへやまで帰って来て、これは人の目に触れる所に置くべきものでないという顔をして、寝る前に、戸棚とだなの奥の行李こうりうしろへ投げ込んでしまったのである。

 今朝けさへびの頭にそれほどの意味がないようにも思われた。ことにこれから田口に逢って、探偵の結果を報告しなければならないと云う実際問題の方が頭に浮いて来ると、なおさらそういう感じが深くなった。彼は一日の午後からよいへかけて、妙に一種の空気に酔わされた気分で活動した自覚はたしかにあるが、いざその活動の結果を、普通の人間が処世上に利用できるように、筋の立った報告にまとめる段になると、自分の引き受けた仕事は成効せいこうしているのか失敗しているのかほとんど分らなかった。したがって洋杖ステッキ御蔭おかげこうむっているのか、いないのかも判然しなかった。床の中で前後をくり返した敬太郎には、まさしくその御蔭を蒙っているらしくも見えた。またけっしてその御蔭を蒙っていないようにも思われた。

 彼はともかくも二日酔の魔を払い落してからの事だと決心して、急に夜着よぎぐってね起きた。それから洗面所へ下りて氷るほど冷めたい水で頭をざあざあ洗った。これで昨日きのうの夢を髪の毛の根本から振い落して、普通の人間に立ち還ったような気になれたので、彼は景気よく三階のへやのぼった。そこの窓をいさぎよく明け放した彼は、東向に直立して、上野の森の上から高く射す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並に刺戟しげきした後で、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項についてつとめて実際的に思慮をめぐらした。



 突きとめて見ると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬太郎けいたろうは少し心細くなって来た。けれども先方では今朝にも彼の報告を待ち受けているように気がくので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これからすぐ行っていいかと聞くと、だいぶ待たしたあとで、差支さしつかえないという答が、例の書生の口を通して来たので、彼は猶予ゆうよなく内幸町へ出かけた。

 田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴と下駄げたが一足ずつあった。彼はこの間と違って日本間の方へ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸物かけものが二幅掛かっていた。湯呑ゆのみのような深い茶碗ちゃわんに、書生が番茶を一杯んで出した。きりった手焙てあぶりも同じ書生の手で運ばれた。柔かい座蒲団ざぶとんも同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。敬太郎は広い室の真中にかしこまって、主人の足音の近づくのを窮屈に待った。ところがその主人は用談が果てないと見えて、いつまで待ってもなかなか現われなかった。敬太郎はやむを得ず茶色になった古そうな懸物かけもの価額ねだんを想像したり、手焙のふちで廻したり、あるいははかまひざへきちりと両手を乗せて一人改たまって見たりした。すべて自分の周囲まわりがあまり綺麗きれい調ととのっているだけに、居心地が新らし過ぎて彼は容易に落ちつけなかったのである。しまいに違棚ちがいだなの上にある画帖がじょうらしい物を取りおろしてみようかと思ったが、その立派な表紙が、これは装飾だから手を触れちゃいけないとことわるように光るので、彼はついに手を出しかねた。

 こう敬太郎の神経を悩ました主人は、彼をやや小一時間も待たしたあとで、ようやく応接間から出て来た。

「どうも長い間御待たせ申して。――客がなかなか帰らないものだから」

 敬太郎はこの言訳に対して適当と思うような挨拶あいさつを一と口と、それに添えた叮嚀ていねい御辞儀おじぎを一つした。それからすぐ昨日きのうの事を云い出そうとしたが、何をどう先に述べたら都合がいいか、この場に臨んで急にまた迷い始めたうちに、切り出す機を逸してしまった。主人はまた冒頭からさも忙がしそうに声も身体からだも取り扱かっている癖に、どこか腹の中に余裕よゆうの貯蔵庫でもあるように、けっして周章あわてて探偵の結果を聞きたがらなかった。本郷では氷が張るかとか、三階では風が強く当るだろうとか、下宿にも電話があるのかとか、調子は至極しごく面白そうだけれども、その実つまらない事ばかり話の種にした。敬太郎は向うの問に従って主人の満足する程度にわが答えを運んでいたが、相手はこんな無意味な話を進めて行くうちに、あんに彼の様子を注意しているらしかった。そこまでは彼もぼんやり気がついた。しかし主人がなぜそんな注意を自分に払うのか、そのわけはまるで解らなかった。すると、

「どうです昨日きのうは。うまく行きましたか」と主人が突然聞き出した。こう聞かれるだろうぐらいの腹は始めから敬太郎にもあったのだが、正直に答えれば、「どうですか」というひとを馬鹿にした生返事になるので、彼はちょっと口籠くちごもったあと

「そうです御通知のあった人だけはやっと探し当てました」と答えた。

眉間みけん黒子ほくろがありましたか」

 敬太郎は少し隆起した黒い肉の一点を局部に認めたと答えた。

衣服なりもこっちから云って上げた通りでしたか。黒の中折なかおれに、霜降しもふり外套がいとうを着て」

「そうです」

「それじゃ大抵間違はないでしょう。四時と五時の間に小川町で降りたんですね」

「時間は少しおくれたようです」

「何分ぐらい」

「何分か知りませんが、何でも五時よっぽどすぎのようでした」

「よっぽどすぎ。よっぽど過ならそんな人を待っていなくても好いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもうあなたの義務はすんだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです」

 今までおだやかに機嫌きげんよく話していた長者ちょうしゃから突然こう手厳てきびしくやりつけられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。



 敬太郎けいたろうは今まで下町出したまちでの旦那を眼の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友達に対してなら云い得る「君のためだから」という言葉も挨拶あいさつっていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。

「ただ私の勝手で、時間が来てもそこを動かなかったのです」

 敬太郎がこう答えるか答えないうちに、田口は今のきっとした態度をすぐくずして、

「そりゃわたしのために大変都合が好かった」と機嫌きげんの好い調子で受けたが、「しかしあなたの勝手と云うのは何です」と聞き返した。敬太郎は少し逡巡しゅんじゅんした。

「なにそりゃ聞かないでも構いません。あなたの事だから。話したくなければ話さないでも差支さしつかえない」

 田口はこう云って、自分の前に引きつけた手提煙草盆てさげたばこぼん抽出ひきだしを開けると、その中からつのでできた細長い耳掻みみかきさがし出した。それを右の耳の中に入れて、さもゆそうにき廻した。敬太郎は見ないふりをしてわざと自分を見ているような、また耳だけに気を取られているような、田口の蹙面しかめつらを薄気味悪く感じた。

「実は停留所に女が一人立っていたのです」と彼はとうとう自白してしまった。

「年寄ですか、若い女ですか」

「若い女です」

「なるほど」

 田口はただ一口こう云っただけで、何とも後をいでくれなかった。敬太郎も頓挫とんざしたなり言葉を途切とぎらした。二人はしばらく差向いのまま口を聞かずにいた。

「いや、若かろうが年寄だろうが、その婦人の事を聞くのはよくなかった。それはあなただけに関係のある事なんでしょうから、止しにしましょう。私の方じゃただ顔に黒子ほくろのある男について、研究の結果さえ伺がえばいいんだから」

「しかしその女が黒子のある人の行動に始終しじゅう入り込んでくるのです。第一女の方で男を待ち合わしていたのですから」

「はあ」

 田口はちょっと思いも寄らぬという顔つきをしたが、「じゃその婦人はあなたの御知合でも何でもないのですね」と聞いた。敬太郎はもとより知合だと答える勇気をたなかった。きまりの悪い思いをしても、見た事も口をいた事もない女だと正直に云わなければならなかった。田口はそうですかと、おだやかに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気色けしきを見せなかったが、急にくだけた調子になって、

「どんな女なんです。その若い婦人と云うのは。器量からいうと」と興味にちた顔を提煙草盆さげたばこぼんの上に出した。

「いえ、なに、つまらない女なんです」と敬太郎は前後のきがかり上答えてしまって、実際頭の中でもつまらないような気がした。これが相手と場合しだいでは、うん器量はなかなか好い方だぐらいは固より云い兼ねなかったのである。田口は「つまらない女」という敬太郎の判断を聞いて、たちまち大きな声を出して笑った。敬太郎にはその意味がよく解らなかったけれども、何でも頭の上で大濤おおなみが崩れたような心持がして、幾分か顔が熱くなった。

「よござんす、それで。――それからどうしました。女が停留所で待ち合わしているところへ男が来て」

 田口はまた普通の調子に戻って、真面目まじめに事件の経過を聞こうとした。実をいうと敬太郎は自分がこれから話す顛末てんまつを、どうして握る事ができたかの苦心談を、まず冒頭に敷衍ふえんして、二つある同じ名の停留所の迷った事から、不思議ななぞきて働らく洋杖ステッキを、どうかかえ出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手柄てがらのなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うやいなや四時と五時とのいきさつでやられた上に、勝手に見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にも何にもならない見ず知らずの女だったりした不味まずいところがあるので、自分を広告する勇気は全く抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入ってから以後の事だけをごく淡泊あっさり話して見ると、うちを出る時自分が心配していた通り、少しもつらまえどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いて見せたと同じような貧しい報告になった。



 それでも田口は別段いやな顔も見せなかった。落ちついた腕組をしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとか云うつなぎの言葉を、時々敬太郎けいたろうのために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだ何か予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、「それだけです。実際つまらない結果で御気の毒です」と言訳をつけ加えた。

「いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう」

 田口のこの挨拶あいさつうちに、大した感謝の意を含んでいない事は無論であったが、自分が馬鹿に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛嬌あいきょうが充分以上に聞こえた。彼は辛うじて恥をかずにすんだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂味たるみのできた気分が、すぐ田口に向いて働らきかけた。

「いったいあの人は何なんですか」

「さあ何でしょうか。あなたはどう鑑定しました」

 敬太郎の前には黒の中折なかおれかぶって、襟開えりあきの広い霜降しもふり外套がいとうを着た〈[#「着た」は底本では「来た」]〉男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言葉遣ことばづかいといい歩きつきといい、何から何まで判切はっきり見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出て来なかった。

「どうも分りません」

「じゃ性質はどんな性質でしょう」

 性質なら敬太郎にもほぼ見当けんとうがついていた。「おだやかな人らしく思いました」と観察の通りを答えた。

「若い女と話しているところを見て、そう云うんじゃありませんか」

 こう云った時、田口のくちびるの角に薄笑の影がちらついているのを認めた敬太郎は、何か答えようとした口をまたふさいでしまった。

「若い女には誰でもやさしいものですよ。あなただって満更まんざら経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の眼を注いでいた。敬太郎ははたで自分を見たらさぞ気のかない愚物ぐぶつになっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口と共に笑わなければいられなかった。

「じゃ女は何物なんでしょう」

 田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女の方は男よりもなお分りにくいです」と答えてしまった。

素人しろうとだか黒人くろうとだか、大体の区別さえつきませんか」

「さよう」と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。かわの手袋だの、白い襟巻えりまきだの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜括すべくくったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。

「割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿めていましたが……」

 女の身に着けた品物のうちで、特に敬太郎の注意をいたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真面目まじめな顔をして、「じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか」と聞き出した。

 敬太郎は先刻さっき自分の報告がとどこおりなく済んだ証拠しょうこに、御苦労さまと云う謝辞さえ受けたあとで、こう難問が続発しようとはごうも思いがけなかった。しかも窮しているせいか、それが順をおってだんだんむずかしい方へあがって行くように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行きづまった様子を見て、再び同じ問をほかの言葉で説明してくれた。

「例えば夫婦だとか、兄弟きょうだいだとか、またはただの友達だとか、情婦いろだとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」

「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」

「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」



 敬太郎けいたろうの胸にもこのうたがいは最初から多少きざさないでもなかった。改ためて自分の心を解剖して見たら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼をあやつって、それがために偵察ていさつの興味が一段と鋭どくぎ澄まされたのかも知れなかった。肉と肉の間に起るこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男女なんにょの間に起り得るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、暖たかい血をった青年の常として、この観察点から男女なんにょながめるときに、始めて男女らしい心持がいて来るとは思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の眼には、人間という大きな世界があまり判切はっきり分らない代りに、男女という小さな宇宙はかくあざやかに映った。したがって彼は大抵の社会的関係を、できるだけこの一点まで切落して楽んでいた。停留所で逢った二人の関係も、敬太郎の気のつかない頭の奥では、すでにこういう一対いっついの男女として最初から結びつけられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れをいだくほどの道徳家でもなかった。彼は世間並な道義心の所有者としてありふれた人間の一人いちにんであったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働らかないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直して見ても、別段不愉快にはならずにすんだのである。彼はただ年齢としの上において二人の相違の著るしいのを疑ぐった。が、また一方ではその相違がかえって彼の眼に映ずる「男女の世界」なるものの特色を濃く示しているようにも見えた。

 彼の二人に対する心持は知らず知らずの間にこうゆるんでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられて見ると、断然とした返答は、責任のあるなしにかかわらず、まとまった形となって頭の中には現われにくかった。それでこう云った。――

「肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません」

 田口はただ微笑した。そこへ例のはかま穿いた書生が、一枚の名刺を盆にせて持って来た。田口はちょっとそれを受取ったまま、「まあ分らないところが本当でしょう」と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、「応接間へ通しておいて……」と命令した。先刻さっきからよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好いしおに、もうここで切り上げようと思って身繕みづくろいにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれをさえぎった。そうして敬太郎の辟易へきえきするのに頓着とんじゃくなくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明瞭めいりょうに答えられるのはほとんど一カ条もなかったので、彼は大学で受けた口答試験の時よりもまだつらい思いをした。

「じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう」

 田口の最後とことわったこの問に対しても、敬太郎はもとより満足な返事をっていなかった。彼は洋食店で二人の談話に注意を払う間にも何々さんとか何々子とかあるいは御何おなにとかいう言葉がきっとどこかへまじって来るだろうと心待に待っていたのだが、彼らは特にそれを避ける必要でもあるごとくに、御互の名はもちろん、第三者の名もけっして引合にさえ出さなかったのである。

「名前も全く分りません」

 田口はこの答を聞いて、手焙てあぶりの胴に当てた手を動かしながら、拍子ひょうしを取るように、指先できりふちたたき始めた。それをしばらくくり返したあとで、「どうしたんだかあんまり要領を得ませんね」と云ったが、すぐ言葉をいで、「しかしあなたは正直だ。そこがあなたの美点だろう。分らない事を分ったように報告するよりもよっぽど好いかも知れない。まあ買えばそこを買うんですね」と笑い出した。敬太郎は自分の観察が、はたして実用に向かなかったのを発見して、多少わが迂闊うかつに恥じ入る気も起ったが、しかしわずか二三時間の注意と忍耐と推測では、たとい自分より十層倍行き届いた人間に代理を頼んだところで、田口を満足させるような結果は得られる訳のものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直とめられた事も大したうれしさにはならなかった。このくらいの正直さ加減は全くの世間並に過ぎないと彼には見えたからである。



 敬太郎けいたろう先刻さっきから頭の上らない田口の前で、たった一言ひとことで好いから、思い切った自分の腹をずばりと云って見たいと考えていたが、ここで云わなければもう云う機会はあるまいという気がこの時ふときざした。

「要領を得ない結果ばかりで私もはなはだ御気の毒に思っているんですが、あなたの御聞きになるような立ち入った事が、あれだけの時間で、私のような迂闊うかつなものに見極みきわめられる訳はないと思います。こういうと生意気に聞こえるかも知れませんが、あんな小刀細工をしてあとなんかけるより、じかに会って聞きたい事だけ遠慮なく聞いた方が、まだ手数てかずはぶけて、そうして動かない確かなところが分りゃしないかと思うのです」

 これだけ云った敬太郎は、定めて世故せこけた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真面目まじめな態度で「あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ」と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。

「あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです」と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。

「それほどのかんがえがちゃんとあるあなたに、あんなつまらない仕事を御頼おたのみ申したのはわたしが悪かった。人物を見損みそくなったのも同然なんだから。が、市蔵があなたを紹介する時に、そう云いましたよ。あなたは探偵のやるような仕事に興味をっておいでだって。それでね、ついとんでもない事を御願いして。しゃあよかった……」

「いえ須永すなが君にはそう云う意味の事をたしかに話した覚えがあります」と敬太郎は苦しいおもいをして答えた。

「そうでしたか」

 田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切りてたなり、それ以上に追窮するをあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた。

「じゃどうでしょう。黙って後なんどを跟けずに、あなたのいう通り尋常に玄関からかかって行っちゃ。あなたにそれだけの勇気がありますか」

「無い事もありません」

「あんなに跟け廻した後で」

「あんなに跟け廻したって、私はあの人達の不名誉になるような観察はけっしてしていないつもりです」

「ごもっともだ。そんなら一つ行って御覧なさい。紹介するから」

 田口はこう云いながら、大きな声を出して笑った。けれども敬太郎にはこの申し出が万更まんざら冗談じょうだんとも思えなかったので、彼は紹介状をたずさえて本当に眉間みけん黒子ほくろと向き合って話して見ようかという料簡りょうけんを起した。

「会いますから紹介状を書いて下さい。私はあの人と話して見たい気がしますから」

いでしょう。これも経験の一つだから、まあ会ってじかに研究して御覧なさい。あなたの事だから田口に頼まれてこの間の晩あとけましたぐらいきっと云うでしょう。しかしそれは構わない。云いたければ云ってもうござんす。わたしに遠慮はらないから。それからあの女との関係もですね、あなたに勇気さえあるなら聞いて御覧なさい。どうです、それを聞くだけの度胸があなたにありますか」

 田口はここでちょっと言葉を切らして敬太郎の顔を見たが、答の出ないうちにまた自分から話を続けた。

「だが両方とも口へ出せるように自然が持ちかけて来るまでは、聞いても話してもいけませんよ。いくら勇気があったって、常識のないやつだと思われるだけだから。それどころじゃない、あの男はただでさえ随分にくほうなんだから、そんな事をむやみにしゃべろうものなら、すぐ帰ってくれぐらい云い兼ねないですよ。紹介をして上げる代りには、そこいらはよく用心しないとね……」

 敬太郎はもとよりかしこまりましたと答えた。けれども腹の中では黒の中折なかおれの男を田口のように見る事がどうしてもできなかった。



 田口は硯箱すずりばこと巻紙を取り寄せて、さらさらと紹介状を書き始めた。やがて名宛なあてしたため終ると、「ただ通り一遍の文言もんごんだけ並べておいたらそれで好いでしょう」と云いながら、手焙てあぶりの前にかざした手紙を敬太郎けいたろうに読んで聞かせた。その中には書いた当人の自白したごとく、これといって特別の注意にあたいする事は少しも出て来なかった。ただこの者は今年大学を卒業したばかりの法学士で、ことによると自分が世話をしなければならない男だから、どうか会って話をしてやってくれとあるだけだった。田口は異存のない敬太郎の顔を見届けた上で、すぐその巻紙をぐるぐると巻いて封筒へ入れた。それからその表へ松本恒三まつもとつねぞう様と大きく書いたなり、わざと封をせずに敬太郎に渡した。敬太郎は真面目まじめになって松本恒三様の五字をながめたが、ふとったしまりのない書体で、この人がこんな字を書くかと思うほどせつらしくできていた。

「そう感心していつまでもながめていちゃあいけない」

「番地が書いてないようですが」

「ああそうか。そいつはわたしの失念だ」

 田口は再び手紙を受け取って、名宛の人の住所と番地を書き入れてくれた。

「さあこれなら好いでしょう。不味まずくって大きなところは土橋どばし大寿司流おおずしりゅうとでも云うのかな。まあ役に立ちさえすればよかろう、我慢なさい」

「いえ結構です」

「ついでに女の方へも一通書きましょうか」

「女も御存じなのですか」

「ことによると知ってるかも知れません」と答えた田口は何だか意味のありそうに微笑した。

御差支おさしつかえさえなければ、おついでに一本書いていただいてもよろしゅうございます」と敬太郎も冗談じょうだん半分に頼んだ。

「まあ止した方が安全でしょうね。あなたのような年の若い男を紹介して、もし間違でもできると責任問題だから。浪漫ローマン―何とか云うじゃありませんか、あなたのような人の事を。わたしゃ学問がないから、今頃流行はやるハイカラな言葉をすぐ忘れちまって困るが、何とか云いましたっけね、あの、小説家の使う言葉は。……」

 敬太郎はまさかそりゃこう云う言葉でしょうと教える気にもなれなかった。ただエヘヘと馬鹿みたように笑っていた。そうして長居をすればするほど、だんだん非道ひどく冷かされそうなので、心の内では、この一段落がついたら、早く切り上げて帰ろうと思った。彼は田口のくれた紹介状をふところに収めて、「では二三日うちにこれを持って行って参りましょう。その模様でまた伺がう事に致しますから」と云いながら、やわらかい座蒲団ざぶとんの上をすべり下りた。田口は「どうも御苦労でした」と叮嚀ていねい挨拶あいさつしただけで、ロマンチックもコスメチックもすっかり忘れてしまったという顔つきをして立ち上った。

 敬太郎は帰り途に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰好かっこうのいい女とを、合せたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷宮メーズの奥に引き込まれるような面白味を感じた。今日きょう田口での獲物えものは松本という名前だけであるが、この名前がいろいろに錯綜さくそうした事実を自分のためにくくっている妙なふくろのように彼には思えるので、そこから何が出るか分らないだけそれだけ彼には楽みが多かった。田口の説明によると、近寄にくい人のようにも聞こえるが、彼の見たところでは田口より数倍話しがしやすそうであった。彼は今日田口から得た印象のうちに、人を取扱う点にかけてなるほど老練だという嘆美たんびの声を見出した上、人物としてもどこか偉そうに思われる点が、時々彼の眼を射るようにちらちら輝やいたにもかかわらず、その前にすわっている間、彼は始終しじゅう何物にかしばられて自由に動けない窮屈な感じを取り去る事ができなかった。絶えず監視のもとに置かれたようなこの状態は、一時性のものでなくって、いくら面会の度数を重ねても、けっして薄らぐ折はなかろうとまで彼には見えたくらいである。彼はこういう風に気のおける田口と反対の側に、何でも遠慮なく聞いて怒られそうにない、話し声その物のうちにすでになつかし味のこもったような松本を想像してやまなかった。



 翌朝よくあささっそく支度をして松本に会いに行こうと思っているとあいにく寒い雨が降り出した。窓を細目に開けて高い三階から外を見渡した時分には、もう世の中が一面にれていた。屋根瓦やねがわらとおるようなびしい色をしばらくながめていた敬太郎けいたろうは、田口の紹介状を机の上に置いて、出ようか止そうかとちょっと思案したが、早く会って見たいという気が強く起るので、とうとう机の前を離れた。そうして豆腐屋の喇叭らっぱが、陰気な空気をいて鋭どく往来に響く下の方へ降りて行った。

 松本のうち矢来やらいなので、敬太郎はこの間の晩きつねにつままれたと同じ思いをした交番下の景色けしきを想像しつつ、そこへ来ると、坂下と坂上が両方共二股ふたまたに割れて、勾配こうばいのついた真中だけがいびつにふくれているのを発見した。彼は寒い雨のはかますそに吹きかけるのもいとわずに足を留めて、あの晩車夫が梶棒かじぼうを握ったまま立往生をしたのはこのへんだろうと思う所を見廻した。今日も同じように雨がざあざあ落ちて、彼の踏んでいる土は地下の鉛管まで腐れ込むほど濡れていた。ただ昼だけに周囲は暗いながらも明るいので、立ちどまった時の心持はこの間とはまるでおもむきが違っていた。敬太郎はうしろの方に高く黒ずんでいる目白台めじろだいの森と、右手の奥に朦朧もうろうと重なり合った水稲荷みずいなり木立こだちを見て坂をあがった。それから同じ番地の家の何軒でもある矢来の中をぐるぐる歩いた。始めのうちはさい横町を右へ折れたり左へ曲ったり、濡れた枳殻からたちの垣をのぞいたり、古い椿つばきかぶさっている墓地らしいかまえの前を通ったりしたが、松本の家は容易に見当らなかった。しまいに尋ねあぐんで、ある横町の角にある車屋を見つけて、そこの若い者に聞いたら、何でもない事のようにすぐ教えてくれた。

 松本の家はこの車屋の筋向うを這入はいった突き当りの、竹垣に囲われた綺麗きれい住居すまいであった。門をくぐると子供が太鼓を鳴らしている音が聞こえた。玄関へかかって案内を頼んでもその太鼓の音はごうもやまなかった。その代り四辺あたり森閑しんかんとして人の住んでいるにおいさえしなかった。雨にとざされたいえの奥から現われた十六七の下女は、手を突いて紹介状を受取ったなり無言のまま引っ込んだが、しばらくしてからまた出て来て、「はなはだ勝手を申し上げてすみませんでございますが、雨の降らない日においでを願えますまいか」と云った。今まで就職運動のため諸方へ行って断わられつけている敬太郎にも、この断り方だけは不思議に聞こえた。彼はなぜ雨が降っては面会に差支さしつかえるのかすぐ反問したくなった。けれども下女に議論を仕かけるのも一種変な場合なので、「じゃ御天気の日に伺がえば御目にかかれるんですね」と念晴ねんばらしに聞き直して見た。下女はただ「はい」と答えただけであった。敬太郎は仕方なしにまた雨の降る中へ出た。ざあと云う音が急にはげしく聞こえる中に、子供の鳴らす太鼓がまだどんどんと響いていた。彼は矢来の坂をりながら変な男があったものだという観念を数度すどくり返した。田口がただでさえにくいと云ったのは、こんなところを指すのではなかろうかとも考えた。その日はうちへ帰っても、気分が中止の姿勢に余儀なくえつけられたまま、どの方角へも進行できないのが苦痛になった。久しぶりに須永すながうちへでも行って、この間からの顛末てんまつを茶話に半日を暮らそうかと考えたが、どうせ行くなら、今の仕事に一段落つけて、自分にも見当けんとうの立った筋を吹聴ふいちょうするのでなくては話しばいもしないので、ついに行かずじまいにしてしまった。

 翌日あくるひ昨日きのうと打って変って好い天気になった。起き上る時、あらゆるにごりを雨の力で洗い落したように綺麗きれいに輝やく蒼空あおぞらを、まばゆそうに仰ぎ見た敬太郎は、今日きょうこそ松本に会えると喜こんだ。彼はこの間の晩行李こうりうしろに隠しておいた例の洋杖ステッキを取り出して、今日は一つこれを持って行って見ようと考がえた。彼はそれを突いて、また矢来やらいの坂をあがりながら、昨日の下女が今日も出て来て、せっかくですが今日は御天気過ぎますから、もすこし曇った日においで下さいましと云ったらどんなものだろうと想像した。



 ところが昨日と違って、門をくぐっても、子供の鳴らす太鼓の音は聞こえなかった。玄関にはこの前目に着かなかった衝立ついたてが立っていた。その衝立には淡彩たんさいの鶴がたった一羽たたずんでいるだけで、姿見のように細長いその格好かっこうが、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意をうながした。取次には例の下女が現われたには相違ないが、そのあとから遠慮のない足音をどんどん立てて二人の小供が衝立の影まで来て、珍らしそうな顔をして敬太郎をながめた。昨日に比べるとこれだけの変化を認めた彼は、最後にどうぞという案内と共に、硝子戸ガラスどまっている座敷へ通った。その真中にある金魚鉢のように大きな瀬戸物の火鉢ひばちの両側に、下女は座蒲団ざぶとんを一枚ずつ置いて、その一枚を敬太郎の席とした。その座蒲団は更紗さらさの模様を染めた真丸の形をしたものなので、敬太郎は不思議そうにその上へすわった。とこには刷毛はけでがしがしと粗末ぞんざいに書いたような山水さんすいじくがかかっていた。敬太郎はどこが樹でどこがいわだか見分のつかない画を、軽蔑けいべつに値する装飾品のごとくながめた。するとその隣りに銅鑼どらさがっていて、それをたたく棒まで添えてあるので、ますます変ったへやだと思った。

 するとあいふすまを開けて隣座敷から黒子ほくろのある主人が出て来た。「よくおいでです」と云ったなり、すぐ敬太郎の鼻の先に坐ったが、その調子はけっして愛嬌あいきょうのある方ではなかった。ただどこかおっとりしているので、相手に余り重きを置かないところが、かえって敬太郎に楽な心持を与えた。それで火鉢一つを境に、顔と顔を突き合わせながら、敬太郎は別段気がつまる思もせずにいられた。その上彼はこの間の晩、たしかに自分の顔をここの主人に覚えられたに違ないと思い込んでいたにもかかわらず、今会って見ると、覚えているのだか、いないのだか、平然としてそんな素振そぶりは、口にも色にも出さないので、彼はなおさら気兼きがねの必要を感じなくなった。最後に主人は昨日雨天のため面会を謝絶した理由も言訳も一言ひとことも述べなかった。述べたくなかったのか、述べなくっても構わないと認めていたのか、それすら敬太郎にはまるで判断がつかなかった。

 話は自然の順序として、紹介者になった田口の事から始まった。「あなたはこれから田口に使ってもらおうというのでしたね」というのを冒頭に、主人は敬太郎の志望だの、卒業の成績だのを一通り聞いた。それから彼のいまだかつて考えた事もない、社会観とか人生観とかいうこむずかしい方面の問題を、時々持ち出して彼を苦しめた。彼はその時心のうちで、この松本という男は世にあらわれない学者の一人なのではなかろうかと疑ぐったくらい、妙な理窟りくつをちらちらとひらめかされた。そればかりでなく、松本は田口をつらまえて、役には立つが頭のなっていない男だとののしった。

第一だいちああ忙がしくしていちゃ、頭の中に組織立ったかんがえのできるひまがないから駄目です。あいつの脳と来たら、ねん年中ねんじゅう摺鉢すりばちの中で、擂木すりこぎき廻されてる味噌みそ見たようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない」

 敬太郎にはなぜこの主人が田口に対してこうまで悪体あくたいくのかさっぱり訳が分らなかった。けれども彼の不思議に感じたのは、これほどの激語を放つ主人の態度なり口調なりに、ごうも毒々しいところだの、小悪こにくらしい点だのの見えない事であった。彼のののしる言葉は、人を罵しった経験を知らないような落ちつきをそなえた彼の声を通して、敬太郎の耳に響くので、敬太郎も強く反抗する気になれなかった。ただ一種変った人だという感じが新たに刺戟しげきを受けるだけであった。

「それでいて、を打つ、うたいうたう。いろいろな事をやる。もっともいずれも下手糞へたくそなんですが」

「それが余裕よゆうのある証拠しょうこじゃないでしょうか」

「余裕って君。――僕は昨日きのう雨が降るから天気の好い日に来てくれって、あなたを断わったでしょう。その訳は今云う必要もないが、何しろそんなわがままな断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそう云う断り方はけっしてできない。田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民こうとうゆうみんでないからです。いくらひとの感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」



「実は田口さんからは何にも伺がわずに参ったのですが、今御使いになった高等遊民という言葉は本当の意味で御用いなのですか」

「文字通りの意味で僕は遊民ですよ。なぜ」

 松本は大きな火鉢ひばちふち両肱りょうひじを掛けて、その一方の先にある拳骨げんこつあごの支えにしながら敬太郎けいたろうを見た。敬太郎は初対面の客を客と感じていないらしいこの松本の様子に、なるほど高等遊民の本色ほんしょくがあるらしくも思った。彼は煙草たばこ道楽と見えて、今日は大きな丸い雁首がんくびのついた木製の西洋パイプを口から離さずに、時々思い出したような濃い煙を、まだ火の消えていない証拠として、狼煙のろしのごとくぱっぱっと揚げた。その煙が彼の顔のそばでいつの間にか消えて行く具合が、どこにもしまりを設ける必要を認めていないらしい彼の眼鼻と相待って、今まで経験した事のない一種静かな心持を敬太郎に与えた。彼は少し薄くなりかかった髪を、頭の真中から左右へ分けているので、平たい頭がなおの事尋常に落ちついて見えた。彼はまた普通世間の人が着ないような茶色の無地の羽織を着て、同じ色の上足袋うわたびを白の上に重ねていた。その色がすぐ坊主の法衣ころも聯想れんそうさせるところがまた変に特別な男らしく敬太郎の眼に映った。自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれが始めてではあるが、松本の風采ふうさいなり態度なりが、いかにもそう云う階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。

「失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか」

 敬太郎はみずから高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。

「奥さんは……」

さいは無論います。なぜですか」

 敬太郎は取り返しのつかないな問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。

「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」

「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」

「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」

「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」

 敬太郎はもう何も云う事がなくなってしまった。彼の頭脳の中では、返事に行き詰まった困却と、ここで問題を変えようとする努力と、これを緒口いとくちに、かわの手袋を穿めた女の関係を確かめたい希望が三ついっしょに働らくので、元からそれほど秩序の立っていない彼の思想になおさら暗い影を投げた。けれども松本はそんな事にまるで注意しない風で、困った敬太郎の顔を平気にながめていた。もしこれが田口であったなら手際てぎわよく相手を打ちえる代りに、打ち据えるとすぐ向うから局面を変えてくれて、相手に見苦るしい立ち往生などはけっしてさせないあざやかな腕をっているのにと敬太郎は思った。気はおけないが、人を取扱かう点において、全くえた熟練を欠いている松本の前で、敬太郎ははからず二人の相違を認めたような気がしていると、松本は偶然「あなたはそういう問題を考えて見た事がないようですね」と聞いてくれた。

「ええまるで考えていません」

「考える必要はありませんね。一人で下宿している以上は。けれどもいくら一人だって、広い意味での男対女の問題は考えるでしょう」

「考えると云うよりむしろ興味があるといった方が適当かも知れません。興味なら無論あります」



十一

編集

 二人は人間として誰しも利害を感ずるこの問題についてしばらく話した。けれども年歯としの違だか段の違だか、松本の云う事は肝心かんじんの肉を抜いた骨組だけを並べて見せるようで、敬太郎けいたろうの血の中まで這入はいり込んで来て、共に流れなければやまないほどの切実ないきおいをまるで持っていなかった。その代り敬太郎の秩序立たない断片的の言葉も口を出るとすぐ熱を失って、少しも松本の胸にとおらないらしかった。

 こんな縁遠い話をしているうちで、ただ一つ敬太郎の耳に新らしく響いたのは、露西亜ロシヤの文学者のゴーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行する上に、資金の必要を感じて、それを調達ちょうたつのため細君同伴で亜米利加アメリカへ渡った時の話であった。その時ゴーリキは大変な人気を一身に集めて、招待やら驩迎かんげいやらに忙殺ぼうさつされるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国かられて来た細君というのが、本当の細君でなくて単に彼の情婦に過ぎないという事実がどこからか曝露ばくろした。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものが無くなってしまったので、ゴーリキはやむを得ずそのまま亜米利加を去った。というのが筋であった。

「露西亜と亜米利加ではこれだけ男女なんにょ関係の解釈が違うんです。ゴーリキのやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些細ささいな事件なんでしょうがね。下らない」と松本は全く下らなそうな顔をした。

「日本はどっちでしょう」と敬太郎は聞いて見た。

「まあ露西亜派でしょうね。僕は露西亜派でたくさんだ」と云って、松本はまた狼煙のろしのような濃い煙をぱっと口から吐いた。

 ここまで来て見ると、この間の女の事を尋ねるのが敬太郎に取って少しも苦にならないような気がし出した。

「せんだっての晩神田の洋食店で私はあなたに御目にかかったと思うんですが」

「ええ会いましたね。よく覚えています。それから帰りにも電車の中で会ったじゃありませんか。君も江戸川まで乗ったようだが、あすこいらに下宿でもしているんですか。あの晩は雨が降って困ったでしょう」

 松本ははたして敬太郎を記憶していた。それを初めから口に出すでもなく、今になってようやく気がついたふりをするでもなく、話してもよし話さないでもよしと云った風の態度が、無邪気から出るのか、度胸から出るのか、または鷹揚おうような彼の生れつきから出るのか、敬太郎にはちょっと判断しかねた。

御伴おつれがおありのようでしたが」

「ええ別嬪べっぴんを一人れていました。あなたはたしか一人でしたね」

「一人です。あなたも御帰りには御一人じゃなかったですか」

「そうです」

 ちょっとはきはき進んだ問答はここへ来てぴたりととまってしまった。松本がまた女の事を云い出すかと思って待っていると、「あなたの下宿は牛込ですか、小石川ですか」とまるで無関係の問を敬太郎はかけられた。

「本郷です」

 松本はに落ちない顔をして敬太郎を見た。本郷に住んでいる彼が、なぜ江戸川の終点まで乗ったのか、その説明を聞きたいと云わぬばかりの松本の眼つきを見た時、敬太郎は面倒だからここで一つ心持よく万事を打ち明けてしまおうと決心した。もしおこられたら、あやまるだけで、詫まって聞かれなければ、御辞儀おじぎ叮嚀ていねいにして帰れば好かろうと覚悟をきめた。

「実はあなたのあとけてわざわざ江戸川まで来たのです」と云って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起らないので、敬太郎はまず安心した。

「何のために」と松本はほとんどいつものようなゆるい口調で聞き返した。

「人から頼まれたのです」

「頼まれた? 誰に」

 松本は始めて、少し驚いた声のうちに、並より強いアクセントを置いて、こう聞いた。



十二

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「実は田口さんに頼まれたのです」

「田口とは。田口要作ようさくですか」

「そうです」

「だって君はわざわざ田口の紹介状を持って僕に会いに来たんじゃありませんか」

 こう一句一句問いつめられて行くよりは、自分の方で一と思いに今までの経過を話してしまう方が楽な気がするので、敬太郎けいたろうは田口の速達便を受取って、すぐ小川町の停留所へ見張みはりに出た冒険の第一節目から始めて、電車が江戸川の終点に着いた後の雨の中の立往生に至るまでの顛末てんまつを包まず打ち明けた。もとよりただ筋の通るだけを目的に、誇張は無論布衍ふえんわずらわしさもできる限り避けたので、時間がそれほどかからなかったせいか、松本は話の進行している間一口も敬太郎をさえぎらなかった。話が済んでからも、すぐとは声を出す様子は見えなかった。敬太郎は主人のこの沈黙を、感情を害した結果ではなかろうかと推察して、怒り出されないうちに早くあやまるに越した事はないと思い定めた。すると主人の方から突然口をき始めた。

「どうもけしからん奴だね、あの田口という男は。それに使われる君もまた君だ。よっぽどの馬鹿だね」

 こういった主人の顔を見ると、あきれ返っている風は誰の目にも着くが、怒気を帯びた様子は比較的どこにも現われていないので、敬太郎はむしろ安心した。この際馬鹿と呼ばれるぐらいの事は、彼に取って何でもなかったのである。

「どうも悪い事をしました」

「詫まって貰いたくも何ともない。ただ君が御気の毒だから云うのですよ。あんな者に使われて」

「それほど悪い人なんですか」

「いったい何の必要があって、そんなな事を引き受けたのです」

 物数奇ものずきから引き受けたという言葉は、この場合どうしても敬太郎の口へは出て来なかった。彼はやむを得ず、衣食問題の必要上どうしても田口に頼らなければならない事情があるので、面白くないとは知りながら、つい承諾したのだという風な答をした。

「衣食に困るなら仕方がないが、もう止した方がいいですよ。余計な事じゃありませんか、寒いのに雨に降られて人のあとけるなんて」

「私も少しりました。これからはもうやらないつもりです」

 この述懐を聞いた松本は何とも云わず、ただ苦笑にがわらいをしていた。それが敬太郎には軽蔑けいべつの意味にも憐愍れんみんの意味にも取れるので、彼はいずれにしてもはなはだ肩身の狭い思をした。

「あなたは僕に対してすまん事をしたような風をしているが、実際そうなのですか」

 根本義にさかのぼったらそれほどに感じていない敬太郎もこう聞かれると、行がかり上そうだと思わざるを得なかった。またそう答えざるを得なかった。

「じゃ田口へ行ってね。この間僕のれていた若い女は高等淫売こうとういんばいだって、僕自身がそう保証したと云ってくれたまえ」

「本当にそういう種類の女なんですか」

 敬太郎はちょっと驚ろかされた顔をしてこう聞いた。

「まあ何でも好いから、高等淫売だと云ってくれたまえ」

「はあ」

「はあじゃいけない、たしかにそう云わなくっちゃ。云えますか、君」

 敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮をはばかるほどの男ではなかった。けれども松本がいてこの四字を田口の耳へ押し込もうとする奥底には、何か不愉快なある物がひそんでいるらしく思われるので、そう軽々しい調子で引き受ける気も起らなかった。彼が挨拶あいさつに困ってむずかしい顔をしていると、それを見た松本は、「何、君心配しないでもいいですよ。相手が田口だもの」と云ったが、しばらくしてやっと気がついたように、「君は僕と田口との関係をまだ知らないんでしたね」と聞いた。敬太郎は「まだ何にも知りません」と答えた。



十三

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「その関係を話すと、君が田口に向ってあの女の事を高等淫売こうとういんばいだと云う勇気が出悪でにくくなるだけだからつまり僕には損になるんだが、いつまで罪もない君を馬鹿にするのも気の毒だから、聞かして上げよう」

 こういう前置を置いた上、松本は田口と自分が社会的にどう交渉しているかを説明してくれた。その説明は最も簡単にすむだけに最も敬太郎けいたろうを驚ろかした。それを一言でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須永すながの母、一人が田口の細君、という互の縁続きを始めてみ込んだ時、敬太郎は、田口の義弟に当る松本が、叔父という資格で、彼の娘と時間をきわめて停留所で待ち合わした上、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極めたものの一つのように見た。それを込み入ったあやでも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽炎かげろうを散らつかせながら、あとおっかけて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなって来た。

「御嬢さんは何でまたあすこまで出張でばっていたんですか。ただ私を釣るためなんですか」

「何須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話をかけて、四時半頃あすこで待ち合せているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面倒だから止そうと思ったけれども、是非何とかかとかいうから、降りたところがね。今朝けさ御父さんから聞いたら、叔父さんが御歳暮おせいぼ指環ゆびわを買ってやると云っていたから、停留所で待ち伏せをして、にがさないようにいっしょに行って買って貰えと云われたから先刻さっきからここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝手な請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいでごまかしておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は箆棒べらぼうだね。わざわざそれほどの手数てかずをかけて、何もそんな下らない真似まねをするにも当らないじゃないか。だまされた君よりもよっぽど田口の方が箆棒ですよ」

 敬太郎には騙された自分の方がはるかに愚物ぐぶつに思われた。そうと知ったら、探偵の結果を報告する時にも、もう少しは手加減が出来たものをと、おのずからあかい顔もしなければならなかった。

「あなたはまるで御承知ない事なんですね」

「知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか」

「御嬢さんはどうでしょう。多分御存じなんだろうと思いますが」

「そうさ」と云って松本はしばらく思案していたが、やがて判切はっきりした口調で、「いや知るまい」と断言した。「あの箆棒の田口に、一つ取柄とりえがあると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪戯いたずらをしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥をきそうなきわどい時になると、ぴたりととめてしまうか、または自分がその場へ出て来て、当人の体面にかかわらない内に綺麗きれいに始末をつける。そこへ行くと箆棒べらぼうには違ないが感心なところがあります。つまりやりかたは悪辣あくらつでも、結末には妙にあたたかいなさけこもった人間らしい点を見せて来るんです。今度の事でもおそらく自分一人でみ込んでいるだけでしょう。君が僕のうちへ来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策略さくりゃくを、始めから吹聴ふいちょうするほど無慈悲むじひな男じゃない。だからついでに悪戯いたずらも止せばいいんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに箆棒です」

 田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振舞ふるまいかえりみる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者をうらむよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸のうちで一番勝を制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしている間に、あんな窮屈な感じが起るのだろうという不審もおのずときざさない訳に行かなかった。

「あなたの御話でだいぶ田口さんが解って来たようですが、私はあのかたの前へ出ると、何だか気が落ちつかなくって変に苦しいです」

「そりゃ向うでも君に気を許さないからさ」



十四

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 こう云われて見ると、田口が自分に気を許していない眼遣めづかいやら言葉つきやらがありありと敬太郎けいたろうの胸に、うたがいもない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、何で学校を出たばかりの青臭あおくさい自分が、それほど苦になるのか、敬太郎は全く合点がてんが行かなかった。彼は見た通りのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固くおのれを信じていたのである。彼はただかような青年として、ひとはばかられたり気をおかれたりする資格さえないように自分を見縊みくびっていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分のおもわくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考え出した。

「私はそんな裏表のある人間と見えますかね」

「どうだか、そんな細かい事は初めて会っただけじゃ分らないですよ。しかしあっても無くっても、僕の君に対する待遇にはいっこう関係がないからいいじゃありませんか」

「けれども田口さんからそう思われちゃ……」

「田口は君だからそう思うんじゃない、誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長い間人を使ってるうちには、だいぶだまされなくっちゃならないからね。たまに自然そのままの美くしい人間が自分の前に現われて来ても、やっぱり気が許せないんです。それがああ云う人の因果いんがだと思えばそれで好いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけをおもに眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。ああなると女にれられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐらなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは当然だと思わなくっちゃいけない。そこが田口の田口たるところなんだから」

 敬太郎はこの批評で田口という男が自分にも判切はっきり呑み込めたような気がした。けれどもこういう風に一々彼をうけがわせるほどの判断を、彼の頭に鉄椎てっついたたき込むように入れてくれる松本はそもそも何者だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫漠ぼうばくたる雲に対する思があった。批評にのぼらない前の田口でさえ、この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。

 同じ松本について見ても、この間の晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊瑚樹さんごじゅたまがどうしたとかこうしたとか云っていた時の方が、よっぽど活きて動いていた。今彼の前にすわっているのは、大きなパイプをくわえた木像の霊が、口をくと同じような感じを敬太郎に与えるだけなので、彼はただその人の本体を髣髴ほうふつするに苦しむに過ぎなかった。彼が一方では明瞭めいりょうな松本の批評に心服しながら、一方では松本の何者なるかをこういう風に考えつつ、自分は頭脳の悪い、直覚の鈍い、世間並以下の人物じゃあるまいかと疑り始めた時、この漠然ばくぜんたる松本がまた口を開いた。

「それでも田口が箆棒べらぼうをやってくれたため、君はかえって仕合しあわせをしたようなものですね」

「なぜですか」

「きっと何か位置をこしらえてくれますよ。これなりで放っておきゃ田口でも何でもありゃしない。それは責任を持って受合って上げてもい。が、つまらないのは僕だ。全く探偵のされ損だから」

 二人は顔を見合せて笑った。敬太郎が丸い更紗さらさ座蒲団ざぶとんの上から立ち上がった時、主人はわざわざ玄関まで送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴の衝立ついたての前に、せた高い身体からだをしばらくたたずまして、靴を穿く敬太郎の後姿うしろすがたながめていたが、「妙な洋杖ステッキを持っていますね。ちょっと拝見」と云った。そうしてそれを敬太郎の手から受取って、「へえ、へびの頭だね。なかなかうまってある。買ったんですか」と聞いた。「いえ素人しろうとが刻ったのを貰ったんです」と答えた敬太郎は、それを振りながらまた矢来やらいの坂を江戸川の方へくだった。



雨の降る日


 雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬太郎けいたろうもそのうちに取りまぎれて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出入しゅつにゅうのできる身になってからの事である。その時分の彼の頭には、停留所の経験がすでに新らしい匂いを失いかけていた。彼は時々須永すながからその話を持ち出されては苦笑するに過ぎなかった。須永はよく彼に向って、なぜその前に僕の所へ来て打ち明けなかったのだと詰問した。内幸町の叔父が人をかつぐくらいの事は、母から聞いて知っているはずだのにとたしなめる事もあった。しまいには、君があんまり色気があり過ぎるからだと調戯からかい出した。敬太郎はそのたびに「馬鹿云え」で通していたが、心の内ではいつも、須永の門前で見た後姿の女を思い出した。その女がとりも直さず停留所の女であった事も思い出した。そうしてどこか遠くの方で気恥かしい心持がした。その女の名が千代子ちよこで、その妹の名が百代子ももよこである事も、今の敬太郎には珍らしい報知ではなかった。

 彼が松本に会って、すべて内幕の消息を聞かされたあと、田口へ顔を出すのは多少きまりの悪い思をするだけであったにかかわらず、顔を出さなければくくりがつかないという行きがかりから、笑われるのを覚悟の前で、また田口の門をくぐった時、田口ははたして大きな声を出して笑った。けれどもその笑のうちにはおのれの機略に誇る高慢の響よりも、迷った人を本来のみちに返してやった喜びの勝利が聞こえているのだと敬太郎には解釈された。田口はその時訓戒のためだとか教育の方法だとかいった風の、恩に着せた言葉をいっさい使わなかった。ただ悪意でした訳でないから、おこってはいけないと断わって、すぐその場で相当の位置をこしらえてくれる約束をした。それから手を鳴らして、停留所に松本を待ち合わせていた方の姉娘を呼んで、これがわたしの娘だとわざわざ紹介した。そうしてこのかたいっさんの御友達だよと云って敬太郎を娘に教えていた。娘は何でこういう人に引き合されるのか、ちょっとかいしかねた風をしながら、きわめてよそよそしく叮嚀ていねい挨拶あいさつをした。敬太郎が千代子という名を覚えたのはその時の事であった。

 これが田口の家庭に接触した始めての機会になって、敬太郎はそのも用事なり訪問なりに縁をりて、同じ人の門を潜る事が多くなった。時々は玄関脇の書生部屋へ這入はいって、かつて電話で口をき合った事のある書生と世間話さえした。奥へも無論通る必要が生じて来た。細君に呼ばれて内向うちむきの用を足す場合もあった。中学校へ行く長男から英語の質問を受けて窮する事もまれではなかった。出入でいりの度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接近する機会も自然多くなって来たが、一種の延びた彼の調子と、比較的引きしまった田口の家風と、差向いで坐る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、無論形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、大抵は五分とかからない当用に過ぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。彼らが公然とひざを突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮のまじらない談話にかしたのは、正月なかばの歌留多会かるたかいの折であった。その時敬太郎は千代子から、あなた随分のろいのねと云われた。百代子からは、あたしあなたと組むのはいやよ、負けるにきまってるからとおこられた。

 それからまた一カ月ほどって、梅の音信たよりの新聞に出る頃、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮した時、偶然遊びに来ていた千代子に出逢であった。三人してそれからそれへとまとまらない話を続けて行くうちに、ふと松本の評判が千代子の口にのぼった。

「あの叔父さんも随分変ってるのね。雨が降ると一しきりよく御客を断わった事があってよ。今でもそうかしら」



「実は僕も雨の降る日に行って断られた一人いちにんなんだが……」と敬太郎けいたろうが云い出した時、須永すながと千代子は申し合せたように笑い出した。

「君も随分運の悪い男だね。おおかた例の洋杖ステッキを持って行かなかったんだろう」と須永は調戯からかい始めた。

「だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持って行けったって。ねえ田川さん」

 この理攻りぜめの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。

「いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。わたしちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見て来ても好くって」

「今日は持って来ません」

「なぜ持って来ないの。今日はあなたそれでも好い御天気よ」

「大事な洋杖だから、いくら好い御天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ」

「本当?」

「まあそんなものです」

「じゃ旗日はたびにだけ突いて出るの」

 敬太郎は一人で二人に当っているのが少し苦しくなった。この次内幸町へ行く時は、きっと持って行って見せるという約束をしてようやく千代子の追窮をのがれた。その代り千代子からなぜ松本が雨の降る日に面会を謝絶したかの源因を話して貰う事にした。――

 それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午過ひるすぎであった。千代子は松本の好きな雲丹うにを母からことづかって矢来やらいへ持って来た。久しぶりに遊んで行こうかしらと云って、わざわざ乗って来た車まで返して、ゆっくり腰を落ちつけた。松本には十三になる女をかしらに、男、女、男と互違たがいちがいに順序よく四人の子がそろっていた。これらは皆二つ違いに生れて、いずれも世間並に成長しつつあった。家庭にはなやかな匂を着けるこの生き生きした装飾物の外に、松本夫婦は取って二つになる宵子よいこを、指環にめた真珠のように大事にいて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、うるしのように濃い大きな眼をって、前の年のひなの節句の前のよいに松本夫婦の手に落ちたのである。千代子は五人のうちで、一番この子を可愛かわいがっていた。来るたんびにきっと何か玩具おもちゃを買って来てやった。ある時は余り多量にあまいものをあてがって叔母からおこられた事さえある。すると千代子は、大事そうに宵子を抱いて縁側えんがわへ出て、ねえ宵子さんと云っては、わざと二人の親しい様子を叔母に見せた。叔母は笑いながら、何だね喧嘩けんかでもしやしまいしと云った。松本は、御前そんなにその子が好きなら御祝いの代りに上げるから、嫁に行くとき持っておいでと調戯からかった。

 その日も千代子は坐るとすぐ宵子を相手にして遊び始めた。宵子は生れてからついぞ月代さかやきった事がないので、頭の毛が非常に細くやわらかに延びていた。そうして皮膚の青白いせいか、その髪の色が日光に照らされると、潤沢うるおいの多いむらさきを含んでぴかぴかちぢれ上っていた。「宵子さんかんかんって上げましょう」と云って、千代子は鄭寧ていねいにその縮れ毛にくしを入れた。それから乏しい片鬢かたびんを一束いて、その根元に赤いリボンをくくりつけた。宵子の頭は御供おそなえのように平らに丸く開いていた。彼女は短かい手をやっとその御供の片隅かたすみへ乗せて、リボンのはじを抑えながら、母のいる所までよたよた歩いて来て、イボンイボンと云った。母がああ好くかんかんが結えましたねとめると、千代子はうれしそうに笑いながら、子供の後姿をながめて、今度は御父さんの所へ行って見せていらっしゃいと指図さしずした。宵子はまた足元の危ない歩きつきをして、松本の書斎の入口まで来て、四つばいになった。彼女が父に礼をするときには必ず四つ這になるのが例であった。彼女はそこで自分の尻をできるだけ高く上げて、御供のような頭を敷居から二三寸の所まで下げて、またイボンイボンと云った。書見をちょっとやめた松本が、ああ好い頭だね、誰に結って貰ったのと聞くと、宵子はくびを下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいと云うのは、舌の廻らない彼女の千代子を呼ぶ常の符徴ふちょうであった。うしろに立って見ていた千代子はさいくちびるから出る自分の名前を聞いて、また嬉しそうに大きな声で笑った。



 そのうち子供がみんな学校から帰って来たので、今まで赤いリボンに占領されていた家庭が、急に幾色かのはなやかさを加えた。幼稚園へ行く七つになる男の子が、ともえもんのついた陣太鼓じんだいこのようなものを持って来て、宵子よいこさん叩かして上げるからおいでと連れて行った。その時千代子は巾着きんちゃくのような恰好かっこうをした赤い毛織の足袋たびが廊下を動いて行く影を見つめていた。その足袋のひもの先には丸い房がついていて、それが小いさな足を運ぶたびにぱっぱっと飛んだ。

「あの足袋はたしか御前がんでやったのだったね」

「ええ可愛かわいらしいわね」

 千代子はそこへ坐って、しばらく叔父と話していた。そのうちに曇った空から淋しい雨が落ち出したと思うと、それが見る見る音を立てて、空坊主からぼうずになった梧桐ごとうをしたたからし始めた。松本も千代子も申し合せたように、硝子越ガラスごしの雨の色を眺めて、手焙てあぶりに手をかざした。

芭蕉ばしょうがあるもんだから余計音がするのね」

「芭蕉はよく持つものだよ。この間から今日は枯れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見ているがなかなか枯れない。山茶花さざんかが散って、青桐あおぎりが裸になっても、まだ青いんだからなあ」

「妙な事に感心するのね。だから恒三つねぞう閑人ひまじんだって云われるのよ」

「その代り御前の叔父さんには芭蕉の研究なんか死ぬまでできっこない」

「したかないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんは内の御父さんよりか全く学者ね。わたし本当に敬服しててよ」

生意気なまいき云うな」

「あら本当よあなた。だって何を聞いても知ってるんですもの」

 二人がこんな話をしていると、ただいまこのかたが御見えになりましたと云って、下女が一通の紹介状のようなものを持って来て松本に渡した。松本は「千代子待っておいで。今にまた面白い事を教えてやるから」と笑いながら立ち上った。

いやよまたこないだみたいに、西洋煙草たばこの名なんかたくさん覚えさせちゃ」

 松本は何にも答えずに客間の方へ出て行った。千代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込められた空の光を補なうため、もう電気灯がともっていた。台所ではすでに夕飯ゆうめしの支度を始めたと見えて、瓦斯七輪ガスしちりんが二つとも忙がしく青いほのおを吐いていた。やがて小供は大きな食卓に二人ずつ向い合せに坐った。宵子だけは別に下女がついて食事をするのが例になっているので、この晩は千代子がその役を引受けた。彼女はさい朱塗のわんと小皿に盛った魚肉とを盆の上にせて、横手にある六畳へ宵子を連れ込んだ。そこはうちのものの着更きがえをするために多く用いられるへやなので、箪笥たんすが二つと姿見が一つ、壁から飛び出したようにえてあった。千代子はその姿見の前に玩具おもちゃのような椀と茶碗を載せた盆を置いた。

「さあ宵子さん、まんまよ。御待遠おまちどおさま」

 千代子がかゆ一匙ひとさじずつすくって口へ入れてやるたびに、宵子はおいしい旨しいだの、ちょうだいちょうだいだのいろいろな芸をいられた。しまいに自分一人で食べると云って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまた丹念たんねんに匙の持ち方を教えた。宵子はもとよりきわめて短かい単語よりほかに発音できなかった。そう持つのではないと叱られると、きっと御供おそなえのような平たい頭をかしげて、こう? こう? と聞き直した。それを千代子が面白がって、何遍もくり返さしているうちに、いつもの通りこう? と半分言いかけて、心持横にした大きな眼で千代子を見上げた時、突然右の手に持った匙を放り出して、千代子のひざの前に俯伏うつぶせになった。

「どうしたの」

 千代子は何の気もつかずに宵子をき起した。するとまるで眠った子を抱えたように、ただ手応てごたえがぐたりとしただけなので、千代子は急に大きな声を出して、宵子さん宵子さんと呼んだ。



 宵子よいこはうとうと寝入ねいった人のように眼を半分閉じて口を半分けたまま千代子のひざの上に支えられた。千代子は平手でその背中を二三度たたいたが、何の効目ききめもなかった。

「叔母さん、大変だから来て下さい」

 母は驚ろいてはしと茶碗を放り出したなり、足音を立てて這入はいって来た。どうしたのと云いながら、電灯の真下で顔を仰向あおむけにして見ると、くちびるにもう薄く紫の色がしていた。口へてのひらを当てがっても、呼息いきの通う音はしなかった。母は呼吸こきゅうつまったような苦しい声を出して、下女に濡手拭ぬれてぬぐいを持って来さした。それを宵子の額にせた時、「みゃくはあって」と千代子に聞いた。千代子はすぐ小さい手頸てくびを握ったが脈はどこにあるかまるで分らなかった。

「叔母さんどうしたら好いでしょう」とあおい顔をして泣き出した。母は茫然ぼうぜんとそこに立って見ている小供に、「早く御父さんを呼んでいらっしゃい」と命じた。小供は四人よつたりとも客間の方へけ出した。その足音が廊下のはずれで止まったと思うと、松本が不思議そうな顔をして出て来た。「どうした」と云いながら、かぶさるように細君と千代子の上から宵子をのぞき込んだが、一目見ると急にまゆを寄せた。

「医者は……」

 医者は時を移さず来た。「少し模様が変です」と云ってすぐ注射をした。しかし何の効能ききめもなかった。「駄目でしょうか」という苦しく張りつめた問が、固く結ばれた主人のくちびるれた。そうして絶望をおそれる怪しい光にちた三人の眼が一度に医者の上にえられた。鏡を出して瞳孔どうこうを眺めていた医者は、この時宵子のすそまくって肛門こうもんを見た。

「これでは仕方がありません。瞳孔も肛門も開いてしまっていますから。どうも御気の毒です」

 医者はこう云ったがまた一筒いっとうの注射を心臓部に試みた。もとよりそれは何の手段にもならなかった。松本はとおるような娘の肌に針の突き刺される時、おのずから眉間みけんけわしくした。千代子は涙をぽろぽろ膝の上に落した。

「病因は何でしょう」

「どうも不思議です。ただ不思議というよりほかに云いようがないようです。どう考えても……」と医者は首を傾むけた。「辛子湯からしゆでも使わして見たらどうですか」と松本は素人料簡しろうとりょうけんで聞いた。「好いでしょう」と医者はすぐ答えたが、その顔にはごう奨励しょうれいの色が出なかった。

 やがて熱い湯をたらいんで、湯気の濛々もうもうと立つ真中へ辛子からしを一袋けた。母と千代子は黙って宵子の着物を取りけた。医者は熱湯の中へ手を入れて、「もう少し注水うめましょう。余り熱いと火傷やけどでもなさるといけませんから」と注意した。

 医者の手にき取られた宵子は、湯の中に五六分けられていた。三人は息を殺して柔らかい皮膚の色を見つめていた。「もう好いでしょう。あんまり長くなると……」と云いながら、医者は宵子をたらいから出した。母はすぐ受取ってタオルで鄭寧ていねいに拭いて元の着物を着せてやったが、ぐたぐたになった宵子の様子に、ちっとも前と変りがないので、「少しの間このまま寝かしておいてやりましょう」とうらめしそうに松本の顔を見た。松本はそれがよかろうと答えたまま、また座敷の方へ取って返して、来客を玄関に送り出した。

 さい蒲団ふとんと小さい枕がやがて宵子のために戸棚とだなから取り出された。その上に常の夜の安らかな眠に落ちたとしか思えない宵子の姿をながめた千代子は、わっと云って突伏つっぷした。

「叔母さんとんだ事をしました……」

「何も千代ちゃんがした訳じゃないんだから……」

「でもあたしが御飯をべさしていたんですから……叔父さんにも叔母さんにもまことにすみません」

 千代子は途切とぎれ途切れの言葉で、先刻さっき自分が夕飯ゆうめしの世話をしていた時の、平生ふだんと異ならない元気な様子を、何遍もくり返して聞かした。松本は腕組をして、「どうもやっぱり不思議だよ」と云ったが、「おい御仙おせん、ここへ寝かしておくのは可哀かわいそうだから、あっちの座敷へ連れて行ってやろう」と細君をうながした。千代子も手を貸した。



 手頃な屏風びょうぶがないので、ただ都合の好い位置をって、何のかこいもない所へ、そっと北枕に寝かした。今朝方けさがた玩弄おもちゃにしていた風船玉を茶の間から持って来て、御仙がその枕元に置いてやった。顔へは白いさら木綿もめんをかけた。千代子は時々それを取りけて見ては泣いた。「ちょっとあなた」と御仙が松本をかえりみて、「まるで観音様かんのんさまのように可愛かわいい顔をしています」と鼻を詰らせた。松本は「そうか」と云って、自分の坐っている席から宵子の顔をのぞき込んだ。

 やがて白木の机の上に、しきみと線香立と白団子が並べられて、蝋燭ろうそくが弱い光を放った時、三人は始めて眠からめない宵子と自分達が遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その煙のにおいが、二時間前とは全く違う世界にいざない込まれた彼らの鼻を断えず刺戟しげきした。ほかの子供は平生の通り早く寝かされたあとに、咲子さきこという十三になる長女だけが起きて線香のそばを離れなかった。

「御前も御寝おねよ」

「まだ内幸町からも神田からも誰も来ないのね」

「もう来るだろう。好いから早く御寝」

 咲子は立って廊下へ出たが、そこで振りかえって、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、こわいからいっしょに便所はばかりへ行ってくれろと頼んだ。便所には電灯がけてなかった。千代子は燐寸マッチって雪洞ぼんぼりを移して、咲子といっしょに廊下を曲った。帰りに下女部屋をのぞいて見ると、飯焚めしたき出入でいりの車夫と火鉢ひばちはさんでひそひそ何か話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭いたり茶碗を並べたりしていた。

 通知を受けた親類のものがそのうち二三人寄った。いずれまた来るからと云って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然な最後をくり返しくり返し語った。十二時過から御仙は通夜つやをする人のために、わざと置火燵おきごたつこしらえてへやに入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦は無理に勧められて寝室へ退しりぞいた。そのあとで千代子は幾度か短かくなった線香の煙を新らしくいだ。雨はまだ降りやまなかった。夕方芭蕉ばしょうに落ちた響はもう聞こえない代りに、亜鉛葺トタンぶきひさしにあたる音が、非常に淋しくて悲しい点滴てんてきを彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨の中で、時々宵子の顔に当てたさらしを取っては啜泣すすりなきをしているうちに夜が明けた。

 その日は女がみんなして宵子の経帷子きょうかたびらを縫った。百代子ももよこが新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意のうちの細君が二人ほど見えたので、小さいそですそが、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆とすずりとを持って廻って、南無阿弥陀仏なむあみだぶつという六字を誰にも一枚ずつ書かした。「いっさんも書いて上げて下さい」と云って、須永すながの前へ来た。「どうするんだい」と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受取った。

「細かい字で書けるだけ一面に書いて下さい。あとから六字ずつを短冊形たんざくがたってかんの中へ散らしにして入れるんですから」

 みんかしこまって六字の名号みょうごうしたためた。咲子は見ちゃいやよと云いながら袖屏風そでびょうぶをして曲りくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午過ひるすぎになっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さしておやりな」と云った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にしてき起した。その背中には紫色むらさきいろの斑点が一面に出ていた。着換が済むと御仙が小さい珠数じゅずを手にかけてやった。同じく小さい編笠あみがさ藁草履わらぞうりを棺に入れた。昨日きのうの夕方まで穿いていた赤い毛糸の足袋たびも入れた。そのひもの先につけた丸いたまのぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。みんなのくれた玩具おもちゃも足や頭の所へ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊たんざくを雪のように振りかけた上へふたをして、白綸子しろりんずおいをした。



 友引ともびきくないという御仙おせんの説で、葬式を一日延ばしたため、うちの中は陰気な空気のうちに常よりはにぎわった。七つになる嘉吉かきちという男の子が、いつもの陣太鼓じんだいこたたいて叱られたあと、そっと千代子のそばへ来て、宵子よいこさんはもう帰って来ないのと聞いた。須永すながが笑いながら、明日あしたは嘉吉さんも焼場へ持って行って、宵子さんといっしょに焼いてしまうつもりだと調戯からかうと、嘉吉はそんなつもりなんか僕いやだぜと云いながら、大きな眼をくるくるさせて須永を見た。咲子さきこは、御母さんわたしも明日あした御葬式に行きたいわと御仙にせびった。あたしもねと九つになる重子しげこが頼んだ。御仙はようやく気がついたように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、「あなた、明日いらしって」と聞いた。

「行くよ。御前も行ってやるが好い」

「ええ、行く事にきめてます。小供には何を着せたらいいでしょう」

紋付もんつきでいいじゃないか」

「でもあんまり模様が派手だから」

はかま穿けばいいよ。男の子は海軍服でたくさんだし。御前は黒紋付だろう。黒い帯は持ってるかい」

「持ってます」

「千代子、御前も持ってるなら喪服を着てともに立っておやり」

 こんな世話を焼いた後で、松本はまた奥へ引返した。千代子もまた線香を上げに立った。かんの上を見ると、いつの間にか綺麗きれい花環はなわせてあった。「いつ来たの」とそばにいる妹の百代ももよに聞いた。百代は小さな声で「先刻さっき」と答えたが、「叔母さんが小供のだから、白い花だけではさみしいって、わざと赤いのをぜさしたんですって」と説明した。姉と妹はしばらくそこに並んで坐っていた。十分ばかりすると、千代子は百代の耳に口を付けて、「百代さんあなた宵子さんの死顔を見て」と聞いた。百代は「ええ」と首肯うなずいた。

「いつ」

「ほら先刻さっき御棺に入れる時見たんじゃないの。なぜ」

 千代子はそれを忘れていた。妹がもし見ないと云ったら、二人で棺のふたをもう一遍開けようと思ったのである。「御止しなさいよ、こわいから」と云って百代は首をふった。

 晩には通夜僧つやそうが来て御経を上げた。千代子が傍で聞いていると、松本は坊さんを捕まえて、三部経さんぶきょうがどうだの、和讃わさんがどうだのという変な話をしていた。その会話の中には親鸞上人しんらんしょうにん蓮如上人れんにょしょうにんという名がたびたび出て来た。十時少し廻った頃、松本は菓子と御布施おふせを僧の前に並べて、もうよろしいから御引取下さいとことわった。坊さんの帰ったあとで御仙がその理由わけを聞くと、「何坊さんも早く寝た方が勝手だあね。宵子だって御経なんか聴くのはきらいだよ」とすましていた。千代子と百代子は顔を見合せて微笑した。

 あくる日は風のない明らかな空の下に、小いさな棺が静かに動いた。路端みちばたの人はそれを何か不可思議のものでもあるかのように目送もくそうした。松本は白張しらはり提灯ちょうちん白木しらき輿こしが嫌だと云って、宵子の棺を喪車に入れたのである。その喪車の周囲ぐるりに垂れた黒い幕が揺れるたびに、白綸子しろりんずおいをした小さな棺の上に飾った花環がちらちら見えた。そこいらに遊んでいた子供がけ寄って来て、珍らしそうに車をのぞき込んだ。車と行き逢った時、脱帽して過ぎた人もあった。

 寺では読経どきょうも焼香も形式通り済んだ。千代子は広い本堂に坐っている間、不思議に涙も何も出なかった。叔父叔母の顔を見てもこれといってうれいとざされた様子は見えなかった。焼香の時、重子がこうをつまんで香炉こうろうちくべるのを間違えて、灰を一撮ひとつかみ取って、抹香まっこうの中へ打ち込んだ折には、おかしくなって吹き出したくらいである。式が果ててから松本と須永と別に一二人棺につき添って火葬場へ廻ったので、千代子はほかのものといっしょにまた矢来やらいへ帰って来た。車の上で、切なさの少し減った今よりも、苦しいくらい悲しかった昨日きのう一昨日おとといの気分の方が、清くて美くしい物を多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。



 骨上こつあげには御仙おせん須永すながと千代子とそれに平生ふだん宵子よいこの守をしていたきよという下女がついて都合四人よつたりで行った。柏木かしわぎ停車場ステーションを下りると二丁ぐらいな所を、つい気がつかずにうちから車に乗って出たので時間はかえって長くかかった。火葬場の経験は千代子に取って生れて始めてであった。久しく見ずにいた郊外の景色けしきも忘れ物を思い出したようにうれしかった。眼に入るものは青い麦畠むぎばたけと青い大根畠と常磐木ときわぎの中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々うしろを振り返って、穴八幡あなはちまんだの諏訪すわもりだのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のためにゆびさした。それには弘法大師こうぼうだいし千五十年供養塔くようとうきざんであった。その下に熊笹くまざさの生い茂った吹井戸を控えて、一軒の茶見世が橋のたもとをさも田舎路いなかみちらしく見せていた。折々坊主になりかけた高い樹の枝の上から、色の変った小さい葉が一つずつ落ちて来た。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿があざやかに千代子の眼を刺戟しげきした。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には眼新らしい現象であった。

 火葬場は日当りの好い平地ひらちに南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射した。御仙が事務所の前で、松本ですがと云うと、郵便局の受付口みたような窓の中に坐っていた男が、かぎは御持ちでしょうねと聞いた。御仙は変な顔をして急にふところや帯の間を探り出した。

「とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用箪笥ようだんすの上へ置いたなり……」

「持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いでいっさんに取って来て貰うと好いわ」

 二人の問答をうしろの方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重いものをたもとから出して叔母に渡した。御仙がそれを受付口へ見せている間に、千代子は須永をたしなめた。

「市さん、あなた本当ににくらしいかたね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか」

 須永はただ微笑して立っていた。

「あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つこぼすじゃなし」

「不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ」

「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気のんきな事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持ったおぼえがあって」

「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう」

 御仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済ますとすぐ待合所の方へ歩いて行った。そこへ腰をかけてから、立っている千代子を手招きした。千代子はすぐ叔母のそばへ来て座に着いた。須永も続いて這入はいって来た。そうして二人の向側むこうがわにある涼み台みたようなものの上に腰をかけた。清もおかけと云って自分の席をいてやった。

 四人が茶をんで待ち合わしているあいだに、骨上こつあげの連中が二三組見えた。最初のは田舎染いなかじみた御婆さんだけで、これは御仙と千代子の服装に対して遠慮でもしたらしく口数を多くかなかった。次には尻をからげた親子連おやこづれが来た。活溌かっぱつな声で、つぼを下さいと云って、一番安いのを十六銭で買って行った。三番目には散髪さんぱつに角帯をめた男とも女とも片のつかない盲者めくらが、紫のはかま穿いた女の子に手を引かれてやって来た。そうしてまだ時間はあるだろうねと念を押して、たもとから出した巻煙草まきたばこを吸い始めた。須永はこの盲者の顔を見ると立ち上ってぷいと表へ出たぎりなかなか返って来なかった。ところへ事務所のものが御仙の傍へ来て、用意が出来ましたからどうぞとうながしたので、千代子は須永を呼びに裏手へ出た。



 真鍮しんちゅうの掛札に何々殿と書いた並等なみとうかまを、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地あきちすみ松薪まつまきが山のように積んであった。周囲まわりには綺麗きれい孟宗藪もうそうやぶ蒼々あおあおと茂っていた。その下が麦畠むぎばたけで、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿蜒うねうねしているので、北側のながめはことに晴々はればれしかった。須永すながはこの空地のはしに立って広い眼界をぼんやり見渡していた。

いっさん、もう用意ができたんですって」

 須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、「あの竹藪たけやぶは大変みごとだね。何だか死人しびとあぶら肥料こやしになって、ああ生々いきいき延びるような気がするじゃないか。ここにできるたけのこはきっとうまいよ」と云った。千代子は「おおいやだ」とぱなしにして、さっさとまた並等なみとうを通り抜けた。宵子よいこかまは上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日きのうの花環が少ししぼみかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨夜ゆうべ宵子の肉を焼いた熱気ねっき記念かたみのように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御坊おんぼうが三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが「御封印を……」と云うので、須永は「よし、構わないから開けてくれ」と頼んだ。かしこまった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながらじょうを抜いた。黒い鉄の扉が左右へくと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一塊ひとかたまりとなって朧気おぼろげに見えた。御坊は「今出しましょう」と断って、レールを二本前の方にぎ足しておいて、鉄のかんに似たものを二つ棺台のはしにかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼残やけのこりが四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御供おそなえに似てふっくらとふくらんだ宵子の頭蓋骨ずがいこつが、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛ハンケチを口にくわえた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗きれいふるって持って参りましょう」と云った。

 四人よつたり各自めいめい木箸きばしと竹箸を一本ずつ持って、台の上の白骨はっこつを思い思いに拾っては、白いつぼの中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼白あおしろい顔をして口もかず鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、あごをくしゃくしゃとつぶしてその中から二三枚り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ」と独言ひとりごとのように云った。下女が三和土たたきの上にぽたぽたと涙を落した。御仙おせんと千代子ははしを置いて手帛ハンケチを顔へ当てた。

 車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺をいてそれをひざの上にせた。車がけ出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高いけやき白茶しらちゃけた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝がはるか頭の上で交叉こうさするほどしげく両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空をながめた。うちへ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、ふたを開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。

 やがて家内中同じへやで昼飯のぜんに向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。

「生きてる内はそれほどにも思わないが、かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。

非道ひどいわね」と重子が咲子に耳語ささやいた。

「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二うりふたつのような子をこしらえてちょうだい。可愛かわいがって上げるから」

「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」

おれは雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男がいやになった」



須永の話


 敬太郎けいたろう須永すながの門前で後姿うしろすがたの女を見て以来、この二人を結びつけるえんの糸を常に想像した。その糸には一種夢のようなにおいがあるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子としてながめる時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟しげきを与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果いんがのごとくにつないだ。田口のうち出入でいりするようになってからも、須永と千代子の関係については、一口ひとくちでさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子をじかに観察しても尋常の従兄弟いとこ以上に何物もほのめいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想れんそうに支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対いっつい男女なんにょとして認める傾きをっていた。女の連添つれそわない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然をそこなった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。

 それはこむずかしい理窟りくつだから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首をひねったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯さえきから聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事のまとまらない先から、奥のくわしい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然ばくぜんとした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。

「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」

「そうも行かないでしょう」

「なぜ」

「なぜって聞かれると、僕にも明瞭めいりょうな答はできにくいんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」

「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」

「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」

 敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉がしゃくさわるのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣きづかいがないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶あいさつをしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。

 これは敬太郎が須永のうち矢来やらいの叔父さんのうちにあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人なんびとと結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易たやすく右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通りまぼろしに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々めいめいのうちにつなぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容してしかるべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。もとよりそれは単なる物数奇ものずきに過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。



 その日は生憎あいにく千代子に妨たげられた上、しまいには須永すながの母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎けいたろうは偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦としゅうとめになりおおせているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式でまとめるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。

 次の日曜がまた幸いな暖かい日和ひよりをすべてのつとにんに恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外にいざなおうとした。無精ぶしょうでわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切はっきりした方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。

 この日彼らは両国から汽車に乗ってこうだいの下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤どての上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々はればれした好い気分になって、水だの岡だのかけぶねだのを見廻した。須永も景色けしきだけはめたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのにれ出した敬太郎をうらんだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永はあきれたような顔をしていて来た。二人は柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんそばまで来て、川甚かわじんといううち這入はいって飯を食った。そこであつらえたうなぎ蒲焼かばやきあまたるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻さっきから二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢ぜいたくなものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。

「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎いなかものだって云うだろう」

 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌ぶあいきょうなものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それからあとは二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目まじめになったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟へんくつに傾くじゃないか」と調戯からかっても、須永は「どうも自分ながらいやになる事がある」と快よくおのれの弱点を承認するだけであった。

 こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透みとおして恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するといううわさ皮切かわきりに須永をおそった。その時須永は少しも昂奮こうふんした様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度はうままとまればいいが」と答えたが、急に口調くちょうえて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐ちんぷらしそうに説明して聞かせた。

「君はもらう気はないのかい」

「僕が貰うように見えるかね」

 話しはこんな風に、御互で引きるようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよきわどいところまで打ち明けるか、さもなければ題目をえるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖ステッキを持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側えんがわへ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」とへびの頭を須永に見せた。



 須永すながの話は敬太郎けいたろうの予期したよりもはるかに長かった。――

 僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けたあたたかい肉のかたまりに対するなさけは、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親をなつかしいと思う心はそのだいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事もまれではない。一言いちごんでいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色のすぐれない、親しみの薄い、厳格な表情にちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡のうちに見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌ようぼうと大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じいやな印象を、はたの人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝いんうつまゆや額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙をたくわえていたのではなかろうかと考えると、父の記念かたみとして、彼の悪い上皮うわかわだけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介やっかいにならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更いまさら改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言こごとをまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。

 父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際まぎわになって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰てもちぶさただから、一人縁側えんがわへ出て、あおい空をのぞき込むようにながめていると、白無垢しろむくを着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、ともに立つものはみんなむこうの方で混雑ごたごたしていたので、はたには誰も見えなかった。母は突然いきなり自分の坊主頭へ手をせて、泣きらした眼を自分の上にえた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡おなくなりになっても、御母さんが今まで通り可愛かわいがって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親ふたおやに対する僕の記憶を、生長ののちに至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがそののちしだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向ってじかに問いただして見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気がくじけてしまうのがつねであった。そうして心のうちのどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子おやこが離れ離れになって、永久今のむつましさに戻る機会はないと僕に耳語ささやくものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目まじめな顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いにまぎらしそうなので、そうぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。

 僕は母に対してけっして柔順な息子むすこではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母にさからった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができたあとでも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子おやこは生れて以来の母子で、このたっとい観念を傷つけられたおぼえは、重手おもでにしろ浅手あさでにしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕はんこんのこさなければすまないきずを受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖いふの念は神経質に生れた僕の頭でこしらえるのかも知れないともうたぐって見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。



 父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまださいを貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲のい夫婦でも、時々は気不味きまずい思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点しみを双方の胸のうちに見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人にがく味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖かんぺきの強い割に陰性な男だったし、母は長唄ながうたをうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分たちなので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らのうちほど静かにととのった家庭は滅多めったに見当らなかったのである。あのくらいひとの悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違まちがいないものと信じ切っている。

 母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾ふきんをかけてだんだん光沢つやを出すつもりとも見られる。けれども慈愛にちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕がのあたりに見ているあの柔和にゅうわな母が、どうしてこう真面目まじめになれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象きしょうで僕を打ちえる事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請せびって同じ話をくり返してもらっても、そんな気高けだかい気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるですさみ果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分をのろいたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいというのぞみを起すが、同時にその望みがとてもげられない過去の夢であるという悲しみもいて来る。

 母の性格は吾々われわれが昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支さしつかえない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女のよろこびはないのである。が、もしその僕が彼女の意にそむく事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。

 思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分にたえちゃんといういもとと毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布ひふ平生ふだん着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父のくなる何年前かに実扶的里亜ジフテリアで死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕はもとより実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。うちへ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯からかわれて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことにおだやかだったので、小供ながら、ついその時の言葉までさい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、はじめから覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計にひとを知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察にあたいしないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。



 だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日こんにちまで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安めやすに人をる今の習慣を利用しようと思えば、随分友達をうらやましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選にんせん依託いたくを受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえっている。それだのに僕は動かなかった。もとより自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込ひっこ思案じあんなのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持てはやされたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけまとっていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などをおさめないで、植物学か天文学でもやったらまだしょうに合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。

 こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父がのこして行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰のすわらないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。

 母は昔堅気むかしかたぎの教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一のつとめだというような考えを、何より先にいだいている。しかし彼女の家名をげるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然ばくぜんと、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他があとを追って門前に輻湊ふくそうするぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただけがさないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんでもらえるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。

 僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点をめずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕がひそかに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時にさかのぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利はばききでも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母のいもとに当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口はもとより僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはそのおり快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一ごいちという男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。



 とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういうきずながあった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人はもとより天にあが雲雀ひばりのごとく自由に生長した。絆をった人でさえしかとそのはしを握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。

 母は僕の高等学校に這入はいった時分それとなく千代子の事をほのめかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来のさいという観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩けんかをしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟しげきを与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠しょうこには長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、おころうが泣こうが、しなをしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄いとこに過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象きしょうを受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女なんにょ牆壁しょうへきが取りけられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方がかろうと思う。

 母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家はにかみやと解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題をふところに収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥はにかんだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようとつとめた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。

 その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代ににおわした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐にいたまま一人であたためていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたといううわさのあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人おとならしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧ていねい吟味ぎんみする余裕よゆうができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹いとこは血属だからいやだと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでもわたしの好きな子で、御前もきらうはずがないからだと、赤ん坊には応用のかないような挨拶あいさつをして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子はいやかと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、むかし田口が父の世話になったり厄介やっかいになったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安のうち一縷いちるの望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。

 こういう事情で、今まで母一人でふところいていた問題を、そののちは僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題をかえしつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。



 僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女をあざむいてその日その日を姑息こそくに送っているような気がしてすまなかった。一頃ひところは思い直してでき得るならば母の希望通り千代子をもらってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕をうとんずるような素振そぶりを口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかにあわれむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますそのかたむきが著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白あおしろい顔色とを婿むことしてうけがわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質たちだから、物を誇大に考え過したり、らぬひがみを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めたくわしい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼ははばかりたい。ただ一言いちごんで云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただけかかったむなしい義理の抜殻ぬけがらを、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支さしつかえないのである。

 僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。

いっさんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」

「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」

「市さんにはおとなしくってやさしい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」

「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手きてはあるまいな」

 僕が苦笑しながら、みずかあざけるごとくこう云った時、今まで向うのすみで何かしていた千代子が、不意に首を上げた。

「あたし行って上げましょうか」

 僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、たしなめるようなまたおそれるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子もそばにいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式をそなえない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。

 この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますますいさぎよしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向のらし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでもわだかまりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういうわけなら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、ひそかに掛念けねんいだいたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得るきわめて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。



 意地の強い僕は母をうれしがらせるよりもなるべく自我をきずつけないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くあるめいおいの中で、取り分け千代子を可愛かわいがった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊ねとまりに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的うとくなった今日こんにちでも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、うみの親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入でいりをしていた。単純な彼女は、自分の身をまとに時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、うらめしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。

 僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口をふさいでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分のを通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにかきざすので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄のまゆを曇らすのがただなさけないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少おさえたのである。

 それで僕は千代子に関して何という明瞭めいりょうな所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、たまには単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走ごちそうするからと引止められて、夕飯のぜんについた。いつも留守るすがちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作きさくな話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子しょうじに響くくらい家の中がにぎわった。飯が済んだあとで、叔父はどういう考か、突然僕に「いっさん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退しりぞいた。二人はそこで二三番打った。もとより下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石ごいしを片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草たばこみながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだまとまりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇ちゅうちょもなくこう云った。――

「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」

 叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。

「母は本気でそう云ったんだそうです」

「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真面目まじめになって叔母さんにその話をするそうだ」

 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣よなれた人の巧妙なさとらせぶりだとすれば、一口でも云うだけがおろかだと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣よなれた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。



 それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念けねんだけが問題なら、あるいは僕の気随きずいをいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな〈[#「そんな」は底本では「そんに」]〉風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地をひるがえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するようにつとめ出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々ぜんぜん形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場ひとちょうば先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居をまたぎ出した。

 彼らの僕を遇する態度にもとより変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとはもとのごとく笑ったり、ふざけたり、揚足あげあしの取りっくらをしたりした。要するに僕の田口でついやした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかにいつわりの影が射して、本来の自分を醜くいろどっていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じたおぼえがただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族がそろって遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪かぜを引いたと見えて、咽喉のどに湿布をしていた。常にも似ないあおい顔色もさびしく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めてみんな出払った事に気がついた。

 その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いをいどまなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くやいなや、優しい慰藉いしゃの言葉を口から出す気もなくおのずから出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんをもらったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌ぶあいきょうに振舞っても差支さしつかえないものとあんみずから許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼のうちにどこか嬉しそうな色のかすかながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。

 二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互のくちびるから当時を蘇生よみがえらせる便たよりとしてれた。僕は千代子の記憶が、僕よりもはるかにすぐれて、細かいところまであざやかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったままはかまほころびを彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸もめんいとでなくて絹糸であった事も知っていた。

「あたしあなたのいてくれたをまだ持っててよ」

 なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやったおぼえがあった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好たしなみは、それから以後今日こんにちに至るまで、ついぞ画筆えふでを握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟しげきが、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。

「見せて上げましょうか」

 僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分のへやから僕の画を納めた手文庫を持って来た。



 千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿つばきだの、むらさき東菊あずまぎくだの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉かきの写生に過ぎなかったが、らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費をいとわずに、細かく綺麗きれいに塗り上げた手際てぎわは、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。

「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」

 千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きなひとみを僕の上にじっとえていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯うけがった。

「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」

「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」

 僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸にこたえそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那せつなすでに涙のあふれそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。

「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」

「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」

 彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもうじきに行くのだと答えた。

「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」

「いいえ、もうきまったの」

 彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日いちじつも早く彼女の縁談がまとまれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のするなみを打った。そうして毛穴からい出すような膏汗あぶらあせが、背中とわきの下を不意におそった。千代子は文庫をいて立ち上った。障子しょうじを開けるとき、上から僕を見下みおろして、「うそよ」と一口判切はっきり云い切ったまま、自分のへやの方へ出て行った。

 僕は動くかんがえもなくもとの席に坐っていた。僕の胸には忌々いまいましい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄ほんろうに対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解りにくこわいものなのだろうかと考えて、しばらく茫然ぼうぜんとしていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。

「もう呼び出してあるのよ。あたし声がれて、咽喉のどが痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」

 僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈まえこごみになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、ひとり彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶あいさつを大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽こっけいも構わず暇がかかるのもいとわず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発ちょうはつするような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕はこごんだまま、おいちょいとそれを御貸おかしと声をかけて左手を真直まっすぐに千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々いやいやをして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――



十一

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 こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会はつらまえられるではないかと、同じ運命が暗に僕をそそのかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段をはばからなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害でく事のできない愛におちいっていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。

 田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧いれぢえ同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利イタリアで一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりもはるかに興味が多かった。その話はこうである。――

 ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席にむらがるすべての人から多大の尊敬と愛嬌あいきょうをもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊はいかいしているうち、どういう機会はずみか自分の手巾ハンケチを足のもとへ落した。混雑の際と見えて、彼はもとより、はたのものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾をゆかの上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌あいきょうが必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉ストーヴそばまで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑をらした。

 僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛をった以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼とまゆを想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。

 口の悪い松本の叔父はこの姉妹きょうだい渾名あだなをつけて常に大蝦蟆おおがま小蝦蟆ちいがまと呼んでいる。二人の口がくちびるの薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口がまぐちだと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇ちいがまはおとなしくって好いが、大蟇おおがまは少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識にうたがいさしはさみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内にかくしているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女のっている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻いなずまに打たれたような思いをする。当りの強くはげしく来るのは、彼女の胸から純粋なかたまりが一度に多量に飛んで出るという意味で、とげだの毒だの腐蝕剤ふしょくざいだのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほどはげしくおこられても、僕は彼女から清いもので自分のはらわたを洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高けだかいものに出会ったという感じさえまれには起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。



十二

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 これほどく思っている千代子をさいとしてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時理由わけも何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれどもいて沈黙のなかに記憶をうずめる必要もないから、それを自分だけの感想にとどめないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。

 僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光にえられないだろう。その光は必ずしもいかりを示すとは限らない。なさけの光でも、愛の光でも、もしくは渇仰かっこうの光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦いすくめられるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸げことして、今日こんにちまで世間から教育されて来たのである。

 千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦てんぷの感情を、あるに任せて惜気おしげもなく夫の上にぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評してしかるべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼です事のできる権力か財力をつかまなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支さしつかえないのである。僕は今云った通り、さいとしての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至ってくすぶった性質たちなのだが、よし焼石に水をそそいだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重はぶたえ足袋たびで包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。

 僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学をおもい出す。叔父は素人しろうと学問ながらこんな方面に興味をっているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕をつらまえて「御前のような感情家は」とあんに詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労とりこしぐろうをするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸にき出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人いちにんである。だから恐れる僕を軽蔑けいべつするのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深くあわれむのである。いな時によると彼女のために戦慄せんりつするのである。



十三

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 須永すながの話の末段は少し敬太郎けいたろうの理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれははたから彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧にあたいしないくらいに見限みかぎっていた。その上彼は理窟りくつ大嫌だいきらいであった。右か左へ自分の身体からだを動かし得ないただの理窟は、いくらうまくできても彼には用のない贋造紙幣がんぞうしへいと同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占つじうらに似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりとうるおった身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。

 須永もそこに気がついた。

「話が理窟張りくつばってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌しゃべっているものだから」

「いや構わん。大変面白い」

洋杖ステッキ効果ききめがありゃしないか」

「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」

「もう無いよ」

 須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然はっきりしない雲の峰のように、頭の中にそびえて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前にすわっている須永自身も、平生の紋切形もんきりがたを離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定かんじょうを済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。

 柴又しばまた帝釈天たいしゃくてん境内けいだいに来た時、彼らは平凡な堂宇どううを、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場ステーションへ来ると、間怠まだるこい田舎いなか汽車の発車時間にはまだだいぶがあった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約をたてに須永から聞かして貰ったものである。――

 僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。うちの二階にこもってこの暑中をどう暮らしたらかろうと思案していると、母が下からあがって来て、ひまになったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺うみべを好まない性質たちなので、一家いっけのものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望をれて、材木座にある、ある人の邸宅やしきを借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞いとまごいかたがた報知しらせに来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しいがけの上に、二段か三段に建てた割合手広な住居すまいだそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕はそばで聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養きぼようになってよかろうと忠告した。母はふところから千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟へんくつな僕からいうと、そう混雑ごたごたした所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒でいやだった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。



十四

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 母は内気な性分なので平生へいぜいから余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由がくようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長くうちけたりする便宜べんぎたない彼女は、母子おやこ二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。

 鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個のかばんたずさえて直行ちょっこうの汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻繁ひんぱんな経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平生ふだんよりは生々いきいきしていた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停車場ステーションには誰もむかえに来ていなかったが、車を雇うときなにがしさんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠中はたなかの黄色い花を美くしくながめた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じおもむきそなえた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚句あげく、突然唐茄子とうなすだと気がついたのでひとりおかしがった。

 車が別荘の門に着いた時、戸障子としょうじを取りはずした座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣ゆかたを着た男のいるのを見て、多分叔父が昨日きのうあたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手にって結構だとか、年寄の女だけに口数くちかずの多い挨拶あいさつのやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干さぼしてくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程みちのりのある山手だけれども水は存外悪かった。手拭てぬぐいしぼって金盥かなだらいの底を見ていると、たちまち砂のようなおりおどんだ。

「これを御使いなさい」という千代子の声が突然うしろでした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまたそばにある鏡台の抽出ひきだしからくしを出してくれた。僕が鏡の前にすわって髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体からだを持たして、僕のれた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕はやぶから棒にうしろから彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。

「御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一昨日おとといまた用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ」

「ここにゃいないのかい」

「ええ。なぜ。ことによると今日の夕方吾一ごいちさんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども」

 千代子は明日あしたもし天気が好ければみんなと魚をりに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先刻さっき見た浴衣ゆかたがけの男の居所が知りたかった。



十五

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「先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか」

「あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう」

 僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校朋輩ほうばいに高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょにった写真で知っていた。手蹟しゅせき絵端書えはがきで見た。一人の兄が亜米利加アメリカへ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。

「ついこの下よ」と彼女は云ったぎりであった。

「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。

「ええ」

 二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明日あす魚をりに行く時の楽みを、今の当りにえがき出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。

「高木さんもいらっしゃるんでしょう」

いっさんもいらっしゃい」

 僕は行かないと答えた。その理由として、少しうちに用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混雑ごたごたしているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉妹きょうだいの知っている高木という男に会うのがいやだった。彼は先刻さっきまで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いをのがれて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人をこわがる性分なのである。

 僕の帰ると云うのを聞いた二人は、驚ろいたような顔をしてとめにかかった。ことに千代子は躍起やっきになった。彼女は僕をつらまえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対してははるかに自由な言葉を使い得る特権をっていた。僕は平生から彼女が僕に対して振舞うごとく大胆に率直に(ある時は善意ではあるが)威圧的に、他人に向って振舞う事ができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡って行かれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴君タイラントうらやましがっていた。

「えらい権幕けんまくだね」

「あなたは親不孝よ」

「じゃ叔母さんに聞いて来るから、もし叔母さんが泊って行く方がいいって、おっしゃったら、泊っていらっしゃい。ね」

 百代子は仲裁を試みるような口調でこう云いながら、すぐ年寄の話している座敷の方へ立って行った。僕の母の意向は無論聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄二人からもたらした返事もここに述べるのは蛇足だそくに過ぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。

 僕はやがてちょっと町へ出て来るという口実いいまえもとに、午後の暑い日を洋傘こうもりさえぎりながら別荘の附近を順序なく徘徊はいかいした。久しく見ない土地の昔をしのぶためと云えば云えない事もないが、僕にそんなびた心持をうれしがる風流があったにしたところで、今はそれにふける落ちつきも余裕よゆうも与えられなかった。僕はただうろうろとそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立派な平屋建ひらやだての門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前にたたずんだ。それからあとは全く何の目的もなしになお緩漫かんまんな歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。



十六

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 実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口のうちに足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にものぼらなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居すまいに何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さをおかして外出したのだろう。僕は今日こんにちまでその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体からだを動かしに来たというばくたる感じが胸にしたばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、まぎれもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。

 僕が別荘へ帰って一時間つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀ていねいにその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉のしまった血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気にちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落しゃれとしか受取られなかった。

 二人の容貌ようぼうがすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対おうたいぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹いとことか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取りかれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしにおのれを取扱かうすべを心得ていたのである。知らない人をおそれる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏にてられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕をものにしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎あいにく僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染おさななじみに用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂おうわさをしていたところでしたと云った。

 僕は初めて彼の容貌を見た時からすでにうらやましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼をにくみ出した。そうして僕の口をくべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。

 落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕のひがみだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質たちだから、結局ひとに話をする時にもどっちと判然はっきりしたところが云いにくくなるが、もしそれが本当に僕のひが根性こんじょうだとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉妒しっとひそんでいたのである。



十七

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 僕は男として嫉妒の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉妒を起す機会をたなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至極しごく太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きをおかないのが、一般の習慣であった上、年ごとに自分を高く見積る見識というものが加わって来るので、点数の多少は大した苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争ったおぼえはなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺麗きれいな顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。たまにはその所有者になって見たいと云うかんがえも起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、よいが去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執念しゅうねく美くしい人に附纏つけまつわらせないものは、まさにこの酒にてられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然老人としよりか坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快におちいる。が、あるいはそれがために恋の嫉妒というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。

 僕は普通の人間でありたいという希望をっているから、嫉妒心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、の当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われたためしがなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉妒心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉妒心をおさえつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉妒心をいだいて、誰にも見えない腹の中で苦悶くもんし始めた。幸い千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと云い出したので、高木が必ず彼らにいて行くに違ないと思った僕は、早く跡に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼は何とか言訳をこしらえて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますますまゆを暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕はもとより応じなかった。高木の面前から一刻も早くのがれる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでにいやであった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上をながめていた。姉妹きょうだいは笑いながら立ち上った。

「相変らず偏窟へんくつねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ」

 千代子にこうののしられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁側えんがわへ出て、二人のために菅笠すげがさのように大きな麦藁帽むぎわらぼうを取ってやって、行っていらっしゃいと挨拶あいさつをした。

 二人の後姿が別荘の門を出た後で、高木はなおしばらく年寄を相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気にちた身体からだを暑さと退屈さに持ち扱かっている風に見えた。やがて、これから晩まで何をして暮らそうかしらと独言ひとりごとのように云って、不意に思い出したごとく、たまはどうですと僕に聞いた。幸いにして僕は生れてからまだ玉突という遊戯を試みた事がなかったのですぐ断った。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと云いながら帰って行った。僕は活溌かっぱつに動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉妹きょうだいのいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕はすわっている席を動かなかった。



十八

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 高木の去ったあと、母と叔母はしばらく彼のうわさをした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったように見えた。気のおけない、至って行き届いた人らしいと云ってめていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめる風に見えた。この時僕は高木について知り得たきわめて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならない事を発見した。僕が百代子から聞いたのでは、亜米利加アメリカ帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英吉利イギリスで教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなくひんの善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。

 二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口をかなかった。ただ上部うわべから見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまたうらめしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。

 前後の模様からすだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打明話うちあけばなしを、僕ら母子おやこに向って、相談とも宣告とも片づかない形式のもとに、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂遠うとい母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹きょうだいは浜から広い麦藁帽むぎわらぼうふちをひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁もどかしがらせたのもうそではない。

 夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停車場ステーションに迎えるべく母に命ぜられていえを出た。彼らはそろい浴衣ゆかたを着て白い足袋たび穿いていた。それをうしろから見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母にはとして普通以上にどんなにあたいが高かったろう。僕は母をあざむく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。

 途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びをめたが、口は開かなかった。「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が云った。「だってあたし先刻さっき誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡ためらった。

いっさんあなた時計持っていらしって。今何時」

 僕は時計を出して百代子に見せた。

「まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから」

「もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたってあやまったらそれでかないの」

 姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這入はいって来て、姉妹に、どうも非道ひどい、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛想あいその好い挨拶あいさつをした。



十九

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 その晩は叔父と従弟いとこを待ち合わした上に、僕ら母子おやこが新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶおくれたばかりでなく、ひそかに恐れた通りはなはだしい混雑のうちはしと茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、いっさんまるで火事場のようだろう、しかしたまにはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静なぜんに慣れた母は、このにぎやかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口にのぼった一塩ひとしおにした小鰺こあじの焼いたのを美味うまいと云ってしきりにめた。

漁師りょうしに頼んどくといくらでもこしらえて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐわるくなるんでね」

「わたしもいつか大磯おおいそあつらえてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」

「腐るの」千代子が聞いた。

「叔母さん興津鯛おきつだい御嫌おきらい。あたしこれよか興津鯛の方が美味おいしいわ」と百代子が云った。

「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。

 こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩ひとしお小鰺こあじを好いていたからでもある。

 ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好しこうや性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似まねをしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞きただして見ても判切はっきり云えなかったのだから、理由わけは話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共にそなえているなら僕は大変うれしかった。長所でも母になくって僕だけっているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受けいでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。

 食事のおくれたごとく、寝る時間も順繰じゅんぐりに延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数にんずが増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折ひとほねおりであった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳かやに寝た。叔父はふとった身体からだを持ち扱かって、団扇うちわをしきりにばたばた云わした。

いっさんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」

 僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉くだりまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。

「これも一興いっきょうだ」

 疑問は叔父の一句でたちまちおさまりがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日あした魚捕さかなとりの事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目まじめだか冗談じょうだんだか、船に乗りさえすれば、魚の方でふうのぞんでくだるようなうまい話をして聞かせた。それがただ自分のせがれを相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手ききてにするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶あいさつをする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人いちにんとして受答うけこたえをするようになっていた。僕はもとより行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声いびきをかき始めた。吾一もすやすや寝入ねいった。ただ僕だけはいている眼をわざと閉じて、けるまでいろいろな事を考えた。



二十

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 翌日あくるひ眼がめると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかないみち辿たどりながら、時々別種の人間をぬすみ見るような好奇心をもって、叔父の寝顔をながめた。そうして僕も寝ている時は、はたから見ると、やはりこうがない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入はいって来て、いっさんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろとうながすので、起き上って縁側えんがわへ出ると、海の方には一面に柔かいもやの幕がかかって、近いみさきの木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空をながめ出したが、少し降ってると答えた。

 彼は今日の船遊びの中止を深く気遣きづかうもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子はあてにならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場ふろばの方へ行った。

 食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえっておだやかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆おばあさんだけ残して、若いものがそろって出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺おじいさんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。

「今日はこれでも若いものの部だよ」

 叔父はこの言葉を証拠立しょうこだてるためだか何だか、さっそく立って浴衣ゆかたの尻を端折はしょって下へ降りた。姉弟きょうだい三人もそのままの姿で縁から降りた。

「御前達も尻をまくるが好い」

いやな事」

 僕は山賊のような毛脛けずね露出むきだしにした叔父と、静御前しずかごぜんかさに似た恰好かっこう麦藁帽むぎわらぼうかぶった女二人と、黒い兵児帯へこおびをこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとくながめた。

いっさんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。

「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。

「市さんに悪い下駄げたを貸して上げるが好い」と叔父が注意した。

 僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足かけあしむかえに行って連れて来る事にした。

 叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉妹きょうだいを乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人はおくれた事にいっこう頓着とんじゃくしない様子で、ごうも追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざとあとから来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作しょさだったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図をめてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小坪こつぼ這入はいる入口のみさきの所まで来た。そこは海へ出張でばった山のすそを、人の通れるだけの狭いはばけずって、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。



二十一

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 彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度もうしろを振り返って見ようとしたのである。けれども気がとがめると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首がいのししのように堅くなって後へ回らなかったのである。

 見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木はかぶっていた麦藁帽むぎわらぼうを右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古けいこでもしたものと見えて、海とがけに反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。

 叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれたのちも呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながらあがって来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套がいとうのようなものを着て時々隠袋ポッケットへ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議にながめていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除レインコートである事に気がついた。その時叔父が突然、いっさんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じてあしの下を見た。するといそに近い所に、真白に塗った空船からぶねが一そう、静かな波の上に浮いていた。糠雨ぬかあめとまでも〈[#「糠雨とまでも」は底本では「糖雨とまでも」]〉行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面にぼかされて、平生いつもなら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色ひといろながめられた。そのうち四人よつたりはようやく僕らのそばまで来た。

「どうも御待たせ申しまして、実はひげっていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳いいわけをした。

「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。

「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻ばんからなんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套レインコートの下に、じか半袖はんそでの薄い襯衣シャツを着て、変な半洋袴はんズボンから余ったすねを丸出しにして、黒足袋くろたび俎下駄まないたげたを引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女レデーの前でも気兼きがねがなくって好いと云っていた。

 一同がぞろぞろそろって道幅の六尺ばかりな汚苦むさくるしい漁村に這入はいると、一種不快なにおいがみんなの鼻をった。高木は隠袋ポッケットから白い手巾ハンケチを出して短かい髭の上をおおった。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たもののうちはどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕ゆうべ聞き合せに人をやったうちの主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気のんきな教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙にうらやましく思った。

「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。

「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。

「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。

 吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠あみがさかぶって白い手甲てっこう脚袢きゃはんを着けた月琴弾げっきんひきの若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じといをかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易たやすく教えてくれたので、みんながまた手をって笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺わらぶきの家であった。



二十二

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 この細い石段を思い思いの服装なりをした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、はたで見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明瞭はっきりした考をっていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝心かんじんの叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまでいで出るのかいっこう弁別わきまえないらしかった。百代子のあとから足の力でらされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、おのれをゆだねて悔いないところを、避暑のおもむきとでも云うのかと思いつつのぼった。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間にあんに演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分のつとめなければならない役割がもしあるとすれば、おだやかな顔をした運命に、軽く翻弄ほんろうされる役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無雑作むぞうさにやってける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手際てぎわった作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐあとからいてあがって来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御免蒙ごめんこうむって雨防衣レインコートを脱ごうと云い出した。

 家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓子しゃくしが一つ打ちつけてあって、それに百日風邪ひゃくにちかぜ吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目敬めざとい吾一の手柄であった。中をのぞくと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上をした。もやはまだ晴れなかったけれども、先刻さっきよりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的判切はっきり見える中に、指された船は遠くの向うに小さくよこたわっていた。

「あれじゃ大変だ」

 高木はたずさえて来た双眼鏡をのぞきながらこう云った。

「随分呑気のんきね、むかいに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。

 婆さんは何じきですと答えて、草履ぞうり穿いたまま、石段をけ下りて行った。叔父は田舎者いなかものは気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんのあとを追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五坪いつつぼにも足りなかった。すみ無花果いちじくが一本あって、なまぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない云訳いいわけほどって、その一本のまたの所に、から虫籠むしかごがかかっていた。その下にはせた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中をえたくちばしでつついていた。僕はそのそばに伏せてある鉄網かなあみ鳥籠とりかごらしいものをながめて、その恰好かっこうがちょうど仏手柑ぶしゅかんのごとく不規則にゆがんでいるのに一種滑稽こっけいな思いをした。すると叔父が突然、何分くさいねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、えず千代子と話していた高木はすぐうしろを振り返った。

「何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう」

 彼はそう云いながら、手に持った雨外套レインコートと双眼鏡を置くためにうしろの縁をかえりみた。そばに立った千代子は高木の動かない前に手を出した。

「こっちへ御出しなさい。持ってるから」

 そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半袖姿はんそですがたを見て笑いながら、「とうとう蛮殻ばんからになったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意してながめた。



二十三

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 船に乗るためにみんながそろって浜に下り立ったのはそれから約一時間ののちであった。浜には何の祭の前かすぎか、深く砂の中にめられた高いのぼりの棒が二本僕の眼をいた。吾一はどこからかいそへ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。

「さあ御乗り」と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船縁ふなべりからい上った。偶然の結果千代子と僕はあとのものに押されて、仕切りの付いたへさきの方に二人ひざを突き合せて坐った。叔父は一番先に、どうというのか、真中の広い所に、家長かちょうらしく胡坐あぐらをかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否応いやおうなしに叔父のそばに座を占めた。百代子と吾一は彼らの次のと云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。

「どうですこっちがいてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐうしろの百代子をかえりみた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄縁うすべりの上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉妬しっとを起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日きのう今日きょうも同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微塵みじんも僕の胸にきざさなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女をまとに劇烈な恋におちいらないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手をふところにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、ひとから評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争にあたいしない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分になびかない女を無理にく喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕きずあとさみしく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。

 僕は千代子にこう云った。――

「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くってらくなようだから」

「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」

 千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味いやみと受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種のうれしさがひらめいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露ばくろする好い証拠しょうこで、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。

 昨日きのう会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船がいそを離れたとき、彼は「好い案排あんばいに空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で」というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったい何をるんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末ぞんざい〈[#ルビの「ぞんざい」は底本では「そんざい」]〉な言葉で、たこを捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。

「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。

「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。

 そうして湯屋の留桶とめおけを少し深くしたような小判形こばんなりの桶の底に、硝子ガラスを張ったものを水に伏せて、その中に顔を突込つっこむように押し込みながら、海の底をのぞき出した。船頭はこの妙な道具をかがみとなえて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭のそばに座を取った吾一と百代子であった。



二十四

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 鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃあざやかだね、何でも見えると非道ひどく感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、よろずたかくくる癖に、こういう自然界の現象におそわれるとじき驚ろく性質たちなのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのないきわめて平凡な海の底が眼にっただけである。そこにはさい岩が多少の凸凹とつおうを描いて一面につらなる間に、蒼黒あおぐろ藻草もくさが限りなく蔓延はびこっていた。その藻草があたかも生温なまぬるい風になぶられるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後にうごかした。

いっさん蛸が見えて」

「見えない」

 僕は顔を上げた。千代子はまた首を突込つっこんだ。彼女のかぶっていたへなへなの麦藁帽子むぎわらぼうしふちが水につかって、船頭にあやつられる船の勢にさからうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はそのうしろに見える彼女の黒い髪と白い頸筋くびすじを、その顔よりも美くしく眺めていた。

「千代ちゃんには、目付めっかったかい」

「駄目よ。たこなんかどこにも泳いでいやしないわ」

「よっぽど慣れないとなかなか目付めっける訳に行かないんだそうです」

 これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手でおけおさえたまま、船縁ふなべりから乗り出した身体からだを高木の方へじ曲げて、「道理どうれで見えないのね」といったが、そのまま水にたわむれるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹めだけの先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯でくわえて、片手にさおを使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるやいなや、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。

 蛸は船頭一人の手で、何疋なんびきも船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそみんな珍らしがって、れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少しきて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草たばこを吹かしながら、舟底ふなぞこにかたまった獲物えものを眺め始めた。

「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」

 高木はこう云って千代子を招いたが、そばに坐っている僕の顔を見た時、「須永すながさんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなりすぐ席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕はもとの所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。

「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」

 蛸は八本の足を真直にそろえて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊いかのように黒い墨をくのもまじっていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。

 叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃たけかごのようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりでさむしいと思った叔父は、船をその一つのわきぎ寄せさした。申し合せたように、舟中ふねじゅう立ち上ってかごの内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中をけ廻っていた。その或ものは水の色を離れないあおい光をうろこに帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏にとおすように輝やいた。

「一つすくって御覧なさい」

 高木は大きな掬網たまを千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木はおのれの手を添えて二人いっしょにかごの中を覚束おぼつかなくき廻した。しかし魚はすくえるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網たまで叔父の命ずるままに何疋でも水から上へり出した。僕らは危怪きかいな蛸の単調を破るべく、鶏魚いさきすずき黒鯛くろだいの変化を喜こんでまた岸にのぼった。



二十五

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 僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件のもとに、なお二三日鎌倉にとどまる事をがえんじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人をく落ちついているのだろうと、鋭どくがれた自分の神経から推して、悠長ゆうちょう過ぎる彼女をはがゆく思った。

 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えてともえを描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途せんどを予知したごとき態度で、中途から渦巻うずまきの外にのがれたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いでまといを撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見もくろみがあって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心しっとしんだけあって競争心をたない僕にも相応の己惚うぬぼれは陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎かげろったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚うぬぼれをあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくるわずらわしさに悩んだのである。

 彼女は時によると、天下に只一人ただいちにんの僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼をふさいで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういうしお満干みちひはすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退とおのいたりするのでなかろうかというかすかな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、いつの意味に解釈し終ったすぐあとから、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、そのじつどっちが正しいのか分らないいたずらな忌々いまいましさを感じたためしも少なくはなかった。

 僕はこの二日間にめとるつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、いやでもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風つむじかぜの中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部うわべから云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕をおそって来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力のきらめき物凄ものすごく感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。

 僕は強い刺戟しげきちた小説を読むにえないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那せつなに驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂きてたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、いそがあった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男がげきして女が泣いた。あとでは女が激して男がなだめた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいはがくがあり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。はては立ち上ってこぶしふるい合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前にえがかれた。僕はそのいずれをもめ試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云ってあざけるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩にれてからびたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。



二十六

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 僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺戟しげきを眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁いらつきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸のうちに描いて見た。偶然にも結果は他の一方にれた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無頓着むとんじゃくとを、比較的容易に、さみしいわが二階の上にもたらし帰る事ができた。僕は新らしいにおいのする蚊帳かやを座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風鈴ふうりんの音を楽しんで寝た。よいには町へ出て草花のはちかかえながら格子こうしを開ける事もあった。母がいないので、すべての世話はさくという小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家のぜんに向った時、給仕のために黒い丸盆をひざの上に置いて、僕の前にかしこまった作の姿を見た僕は今更いまさらのように彼女と鎌倉にいる姉妹きょうだいとの相違を感じた。作はもとより好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかにつつましやかにいかに控目に、いかに女としてあわれ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしくすわっていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女はあかい顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかにいた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢かひの女らしいところに気がついた。愛とはもとより彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲まわりから出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。

 僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女性にょしょうのある方面の性質が、想像の刺戟しげきにすら焦躁立いらだちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景色けしきは折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害をいつにし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。

 僕は二階にのぼって書架の整理を始めた。綺麗好きれいずきな母が始終しじゅう気をつけて掃除をおこたらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬほこりの色を、目の届かない陰に見つけるので、残らずそろえるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読みふけってみようという気楽な方針で蝸牛かたつむりのごとく進行した。作は時ならない払塵はたきの音を聞きつけて、梯子段はしごだんから銀杏返いちょうがえしの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾ぞうきんで拭いてもらった。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下したへ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥くたびれたから煙草たばこを吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。

 作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻煙草まきたばこを呑み切ったあとでまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一人いちにんの世界をさまたげられるおそれなしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然たなうしろから発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側むこうがわへ落ちたなり埃だらけになって、今日きょうまで僕の眼をかすめていたのである。



二十七

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 僕にこの本を貸してくれたものはある文学ずきの友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこうはなやかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本をして、ここに書いてある主人公は、非常に目覚めざましい思慮と、恐ろしくすさまじい思い切った行動をそなえていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独乙字ドイツじが書いてあった。彼は露西亜物ロシアものの翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗槩こうがいを彼に尋ねた。彼は梗槩などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉妬しっとなのだか、復讐ふくしゅうなのだか、深刻な悪戯いたずらなのだか、酔興すいきょうな計略なのだか、真面目まじめな所作なのだか、気狂きちがいの推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華々はなばなしい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読みふけらない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味をたなかったからである。

 この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今たなうしろから引き出して厚いちりを払った。そうして見覚みおぼえのある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心にられて、すぐその一ページを開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。

 ある女にのあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指をくわえて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手段てだてとして一種の方法を案出した。ある晩餐ばんさんの席へ招待された好機を利用して、彼は急にはげしい発作ほっさおそわれたふりをし始めた。はたから見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場で、同じ所作しょさをなお二三度くり返した後、発作のために精神にくるいの出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手数てかずのかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、はなやかな交際の色を暗くそこない出してから、今まで懇意に往来ゆききしていた誰彼の門戸が、彼に対して急に固くとざされるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入でいりのできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴落けおとそうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居すまいたたいた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機をうかがった。彼は机の上にあった重い文鎮ぶんちんを取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友はもとより彼の問をに受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名のもとに、瘋癲院ふうてんいんに送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛末てんまつを基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟ひっきょう正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄然りつぜんとして恐れた。



二十八

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 僕のヘッドは僕のハートおさえるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしいくいのこさない過去をかえりみると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意地張いじばりという点において、どっちかというとむしろ陰性の癇癪持かんしゃくもちだから、発作ほっさに心をおそわれた人が急に理性のために喰い留められて、はげしい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅多めっためた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命をけずる争いだという畏怖いふの念から解脱げだつする事ができなかった。

 それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のようにかろく見る彼は、理とじょうとの間に何らの矛盾をも扞格かんかくをも認めなかった。彼の有するすべての知力は、ことごとく復讐ふくしゅうの燃料となって、残忍な兇行を手際てぎわよく仕遂げる方便に供せられながら、ごうも悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮をひきいて、満腔まんこうの毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いにうらやましかった。同時にあせしたたるほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかしたあとは定めしえがたい良心の拷問ごうもんに逢うだろうと思った。

 けれどももし僕の高木に対する嫉妬しっとがある不可思議の径路を取って、向後こうご今の数十倍にはげしく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似まねはしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却ききゃくしようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐ふくしゅうが充分やってけられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、たくましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりははるかに複雑なものに見えた。が、まとまって心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとてものがれる事はできないのだと沈痛にあきらめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮ぶんちんを骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼をきながら見て、驚ろいて立ち上った。

 下へ降りるやいなや、いきなり風呂場ふろばへ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午過ひるすぎなので、それを好い機会しおに、そこへわって飯を片づける事にした。給仕には例の通りさくが出た。僕はくち三口みくち無言で飯のかたまりを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃驚びっくりした眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた

「いいや、大してどうもしない」

「急に御暑うございますから」

 僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶をがして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混雑ごたごたするよりうちにいる方がしずかで好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。



二十九

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 僕は僕の前にすわっているさくの姿を見て、一筆ひとふでがきの朝貌あさがおのような気がした。ただたっとい名家の手にならないのが遺憾いかんであるが、心の中はそう云う種類のと同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄ひとがらを画にたとえて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持ってかしこまっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうとあきれたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠しょうことして、今日こんにちまで自分の頭がひとより複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果いんがでこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗ちゃわんぜんの上に置きながら、作の顔を見てたっとい感じを起した。

「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」

「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」

「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」

「あっても智慧ちえがございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」

「仕合せだ」

 僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。

 その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時の限りかけた二階の縁に籐椅子といすを持ち出して、作が跣足はだしで庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へりて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女のあといて沓脱くつぬぎからあがったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨拶あいさつを取りかわす前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。

「叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて」

「そりゃありがとう」と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょにつかねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分でいて来たのだと云って、作が足を洗っているに、母の単衣ひとえ箪笥たんすから出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通りまめやかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、「でもね久しぶりに気保養きほようをしました。御蔭で」と云った。僕にはそれがそばにいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。

「泊って行くわ」

「どこへ」

「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎてさむしいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん」

 僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分にさからって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子がいやがる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。

「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」

「だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう」



三十

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「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来てもらえば好かった」

「だからひとの云う事を聞いて、もっといらっしゃればいのに」

「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」

「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」

「云っても断られそうだったから」

「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、いやにむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」

「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。

 僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木についてもたらす報道をほとんど確実な未来として予期していた。おだやかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母めいであった。彼らの各自おのおのは各自に特有なあたた清々すがすがしさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。

 その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階にあがって涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒端のきば七草ななくさいた岐阜提灯ぎふぢょうちんをかけて、その中に細い蝋燭ろうそくけた。熱いから電灯を消そうと発議ほつぎした千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高くのぼった。柱にもたれていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月をるのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴染なずんだ千代子が評した。僕は先刻さっき籐椅子といすの上に腰をおろして団扇うちわを使っていた。さくが下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆たばこぼんの火を入れえて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子アイスクリームを盆にせて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建のに生れたように、卑しい召使の位置を生涯しょうがいの分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女レデーとしてふるまって通るべき気位をそなえた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったんって梯子段はしごだんそばまで行って、もう降りようとする間際まぎわにきっと振り返って、千代子の後姿うしろすがたを見た。僕は自分が鎌倉で高木をそばに見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのをあわれにながめた。

「高木はどうしたろう」という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度つど卑怯だと遠くでののしられるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直下じかに高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判切はっきり胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉妬しっとの作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料簡りょうけんで考えて見ても、どうもほかの名はつけにくいようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事にきゅうするよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈搏みゃくはくの上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深しっとぶかい訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一言いちごんそれにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去ったあとなお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言してはばからない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。



三十一

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 千代子の様子はいつもの通りあけぱなしなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口をいた。それは必竟ひっきょう腹の中に何も考えていない証拠しょうこだとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣呑けんのんがって、あやまるように悲しい声を出してめるのが面白いと云った。その時母はなかば心配で半ばあきれたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機かるはずみな真似をして。これからは後生ごしょうだから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけはしておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側えんがわの椅子に腰を掛けている僕をかえりみて、いっさんもそう云う御転婆おてんばきらいでしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光のくまなく落ちる表をながめていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をそのあとにきっとつけ加えたに違ない。そこまで引きられなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。

 千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜がけて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭にのぼせなかった。そこに僕ははなはだしい故意こいを認めた。白い紙の上に一点の暗い印気インキが落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女性にょしょうのうちで、最も純粋な一人いちにんと信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技巧アートを疑い出したのである。そのうたがいが今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。

「なぜ高木の話をしないのだろう」

 僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われるおろかさを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなおかんが起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲団ふとんを並べて、一つ蚊帳かやの中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必竟ひっきょうのつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえいやになった。自分がまだ眠られないという弱味を階下したへ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。

 僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字をおおやけにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。うち引込ひっこんで交際つきあいさえしなければそれでい。けれどももし親切をかむらない技巧アートが彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥おとりに僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺戟しげきして楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところをながめて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。

 僕は寝つかれないで負けている自分を口惜くやしく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、へやの中に隙間すきまもなく蔓延はびこ暗闇くらやみが窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛にえなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急にってへやを明るくした。ついでに縁側えんがわへ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷かな空気を肌と咽喉のどに受けただけであった。



三十二

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 翌日あくるひはいつも一人で寝ている時より一時間半も早く眼がめた。すぐ起きて下へ降りると、銀杏返いちょうがえしの上へ白地の手拭てぬぐいかぶって、長火鉢ながひばちの灰をふるっていたさくが、おやもう御目覚おめざめでと云いながら、すぐ顔を洗う道具を風呂場へ並べてくれた。僕は帰りにほこりだらけの茶の間を爪先つまさきで通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊帳越かやごしにのぞいて見たら、目敏めざとい母も昨日きのうの汽車の疲が出たせいか、まだ静かなねむりむさぼっていた。千代子はもとより夢の底にうずまっているように正体なく枕の上に首を落していた。僕は目的あてもなく表へ出た。朝の散歩のおもむきを久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑沓ざっとうとに染めつけられない安息日のごとくおだやかに見えた。電車の線路がぎ澄まされた光を真直まっすぐに地面の上に伸ばすのも落ちついた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ眼が早くめ過ぎて、中有はしたに延びた命の断片を、運動でめるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも乃至ないし町にも見出す事ができなかった。

 一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻って来た。母はどこへ行ったのと聞いたが、あとから、色沢いろつやが好くないよ、どうかおしかいと尋ねた。

昨夕ゆうべく寝られなかったんでしょう」

 僕は千代子のこの言葉に対して答うべきすべを知らなかった。実を云うと、昂然こうぜんとしてなに好く寝られたよと云いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技巧家アーチストでなかった。と云って、正直に寝られなかったと自白するには余り自尊心が強過ぎた。僕はついに何も答えなかった。

 三人が同じ食卓で朝飯あさめしを済ますやいなや、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪結かみいが来た。あらたての白い胸掛をかけて、敷居越しきいごしに手を突いた彼女は、御帰りなさいましと親しい挨拶あいさつをした。彼女はこの職業に共通なめでたい口ぶりをっていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇の種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう蝶蝶ちょうちょうしくは饒舌しゃべり得なかった。髪結はより効目ききめのある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子はもとより誰彼の容赦なく一様に気易きやすく応対のできる女だったので、御嬢様と呼びかけられるたびに相当の受答うけこたえをして話をはずました。千代子の泳のうわさが出た時、髪結は活溌かっぱつよろしゅうございます、近頃の御嬢様方はみんな水泳の稽古けいこをなさいますと誰が聞いてもこしらえたような御世辞を云った。

 妙な事を吹聴ふいちょうするようでおかしいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母がともしい髪を工面して、どうかこうかまげい上げる様子は、いくら上手じょうずまとめるにしても、それほど見栄みばえのあるではないが、それでも退屈をしのぐには恰好かっこうな慰みであった。僕は髪結の手の動くに、自然とでき上って行く小さな母の丸髷まるまげながめていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流にくしを入れたらさぞみごとだろうと思った。千代子は色の美くしい、癖のない、長くて多過ぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでにって御貰いなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向って投げかける気が出悪でにくかった。すると偶然にも千代子の方で、何だかあたしも一つ結って見たくなったと云い出した。母は御結おいいよ久しぶりにといざなった。髪結かみいは是非御上げ遊ばせな、私始めて御髪おぐしを拝見した時から束髪そくはつにしていらっしゃるのはもったいないと思っとりましたとさもいたそうな口ぶりを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐った。

「何に結おうかしら」

 髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然いっさんと呼んだ。

「あなた何が好き」

旦那様だんなさまも島田が好きだときっとおっしゃいますよ」

 僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにもどんに聞こえた。



三十三

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 僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へあがった。僕のような神経質なものがこだわって来ると、無関係の人の眼にはほとんど小供らしいと思われるような所作しょさをあえてする。僕は中途で鏡台のそばを離れて、美くしい島田髷しまだまげをいただく女が男から強奪ごうだつする嘆賞の租税をまぬかれたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心にびる好意をたなかったのである。

 僕は自分で自分の事をかれこれ取りつくろって好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長火鉢ながひばちはたで起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引きり落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分でにくみ自分でむちうった。

 僕は空威張からいばりを卑劣と同じくきらう人間であるから、低くてもさくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛藤かっとうを超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しかたない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋物きぶつがんぶつの名を加える非礼と僻見へきけんとをはばかりたい。が、事実上彼は世俗に拘泥こうでいしない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷齪あくそくしない手をこまぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通よりひんが好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産の御蔭おかげ年齢としの御蔭、学問と見識と修養の御蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子が程好く取れているからでもあり、彼と社会の関係がぎゃくなようで実はじゅんに行くからでもある。――話がつい横道へれた。僕は僕のこせこせしたところを余り長く弁護し過ぎたかも知れない。

 僕は今いう通り早く二階へあがってしまった。二階は日が近いので、階下したよりはよほどしのにくいのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らす事にしていたのである。僕はいつもの通り机の前にすわったなりただ頬杖ほおづえを突いてぼんやりしていた。今朝煙草たばこの灰をてたマジョリカの灰皿が綺麗きれい掃除そうじされて僕のひじの前にせてあったのに気がついて、僕はその中に現わされた二羽の鵞鳥がちょう〈[#「鵞鳥を」は底本では「鷲鳥を」]〉ながめながら、その灰をけたさくの手を想像にえがいた。すると下から梯子段はしごだんを踏む音がして誰か上って来た。僕はその足音を聞くや否や、すぐそれが作でない事を知った。僕はこうぼんやり屈托しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時にそばにあった書物を開けて、先刻さっきから読んでいたふりをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。

えたから見てちょうだい」

 僕は僕の前にすぐこう云いながら坐る彼女を見た。

「おかしいでしょう。久しく結わないから」

「大変美くしくできたよ。これからいつでも島田にうといい」

「二三度こわしちゃ結い、壊しちゃ結いしないといけないのよ。毛が馴染なずまなくって」

 こんな事を聞いたり答えたり三四へんしているうちに、僕はいつの間にか昔と同じように美くしい素直な邪気のない千代子を眼の前に見る気がし出した。僕の心持が何かの調子でやわらげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改ためたのか、それは判然はんぜんと云いにくい。こうだと説明のできるとらえどころは両方になかったらしく記憶している。もしこの気易きやすい状態が一二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対していだいた変な疑惑を、過去にさかのぼって当初から真直まっすぐに黒い棒で誤解という名のもとに消し去る事ができたかも知れない。ところが僕はつい不味まずい事をしたのである。



三十四

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 それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せにあがって来たばかりでなく、今日これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを云いにちょっと顔を出したのだと云う事を知った時、僕はつい用意の足りないつまずき方をしたのである。

「早いね。もう帰るのかい」と僕が云った。

「早かないわ、もう一晩泊ったんだから。だけどこんな頭をして帰ると何だかおかしいわね、御嫁にでも行くようで」と千代子が云った。

「まだみんな鎌倉にいるのかい」と僕が聞いた。

「ええ。なぜ」と千代子が聞き返した。

「高木さんも」と僕がまた聞いた。

 高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話頭にのぼすのをわざとはばかっていたのである。が、何かの機会はずみで、平生いつも通りの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、その中に引き込まれた矢先、つい何の気もつかずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問をかけて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。

 僕が煮え切らないまたさばけない男として彼女から一種の軽蔑けいべつを受けている事は、僕のとうに話した通りで、実を云えば二人の交際はこの黙許を認め合った上の親しみに過ぎなかった。その代り千代子が常におそれる点を、さいわいにして僕はただ一つっていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気のすまない者から云うと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、けっして気に入るはずがないのだが、そこにまた妙な見透みすかせない心の存在がほのめくので、彼女は昔から僕を全然知り抜く事のできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これはおおやけにこそ明言しないが、向うでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥々めいめいのうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。

 ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持がした。と云うのは、「高木さんも」という僕の問を聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれをあながちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の眼のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見出した試しのない、一種の侮蔑ぶべつが輝やいたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平手ひらて横面よこつらを力任せに打たれた人のごとくにぴたりとまった。

「あなたそれほど高木さんの事が気になるの」

 彼女はこう云って、僕が両手で耳をおさえたいくらいな高笑いをした。僕はその時鋭どい侮辱を感じた。けれどもとっさの場合何という返事も出し得なかった。

「あなたは卑怯ひきょうだ」と彼女が次に云った。この突然な形容詞にも僕は全く驚ろかされた。僕は、御前こそ卑怯だ、呼ばないでもの所へわざわざ人を呼びつけて、と云ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向うと同じ程度の激語を使うのはまだ早過ぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして「なぜ」というわずか二字の問をかけた。すると千代子の濃いまゆが動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を充分自覚していながら、たまたまひとの指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、つくろってそらっとぼけるものとこの問を解釈したらしい。

「なぜって、あなた自分でよく解ってるじゃありませんか」

「解らないから聞かしておくれ」と僕が云った。僕は階下したに母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよくみ込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ちつかせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつゆるい調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。

「それが解らなければあなた馬鹿よ」

 僕はおそらく平生いつもよりあおい顔をしたろうと思う。自分ではただ眼を千代子の上にじっとえた事だけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の眼が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方共しばらくそこにまっていた事も記憶している。



三十五

編集

「千代ちゃんのような活溌かっぱつな人から見たら、僕見たいに引込思案ひっこみじあんなものは無論卑怯ひきょうなんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、またはそのまま所作しょさにあらわしたりする勇気のない、きわめて因循いんじゅんな男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方がないが……」

「そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか」

「しかし軽蔑けいべつはしているだろう。僕はちゃんと知ってる」

「あなたこそあたしを軽蔑しているじゃありませんか。あたしの方がよっぽどよく知ってるわ」

 僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。

「あなたはあたしを学問のない、理窟りくつの解らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです」

「それは御前が僕をぐずと見縊みくびってるのと同じ事だよ。僕は御前から卑怯と云われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃ御前の方が間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯なふるまいをしたおぼえはないはずだ。ぐずとか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、何だか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞えてはなはだ心持が悪いから訂正して貰いたい。それとも今いった意味で、僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう」

「じゃ卑怯の意味を話して上げます」と云って千代子は泣き出した。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単にやさしい一図から出た女気おんなぎかたまりとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝気に充ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙の間からいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女のくちびるれるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかに何もあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女はれた睫毛まつげを二三度繁叩しばたたいた。

「あなたはあたしを御転婆おてんばの馬鹿だと思って始終しじゅう冷笑しているんです。あなたはあたしを……愛していないんです。つまりあなたはあたしと結婚なさる気が……」

「そりゃ千代ちゃんの方だって……」

「まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれでうござんす。何ももらって下さいとは云やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……」

 彼女はここへ来て急に口籠くちごもった。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まださとれなかった。「御前に対して」となかば彼女をうながすように問をかけた。彼女は突然物をき破った風に、「なぜ嫉妬しっとなさるんです」と云い切って、前よりははげしく泣き出した。僕はさっと血が顔にのぼる時のほてりを両方のほおに感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。

「あなたは卑怯ひきょうです、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡りょうけんさえあなたはすでにうたぐっていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたはひとの招待に応じておきながら、なぜ平生ふだんのように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥をいたも同じ事です。あなたはあたしのうちの客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」

「侮辱を与えた覚はない」

「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」

「そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ」

「男は卑怯だから、そう云う下らない挨拶あいさつができるんです。高木さんは紳士だからあなたをれる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」



松本の話


 それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくともはたで見ていると、二人の関係は昔から今日こんにちに至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じないうそを、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。

 あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、きわめてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうていまぬかれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因果いんがと見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまたはたのものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対いっついを形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸をかもす目的で夫婦になったと同様の結果におちいるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのとえらぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行なりゆきに任せて、自然の手で直接に発展させてもらうのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのとらぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永すながの姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりしたためしは何度もある。けれども天の手際てぎわうまく行かないものを、どうして僕の力でまとめる事ができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。

 須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質が余りよく似ているので驚ろいている。僕自身もどうしてこんな変り者が親類に二人そろってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料簡りょうけんでは、市蔵の今日こんにちは全く僕の感化を受けた結果に過ぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでもっている内で、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわがおいに及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度にかえりみて、この非難をもっともだとがえんずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差支さしつかえない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上った偏窟人へんくつじんのように見傚みなして、同じまゆを僕らの上に等しくひそめるのは疑もなく誤っている。

 市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろをき込む性質たちである。だから一つ刺戟しげきを受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうしてどこまで喰い込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動からのがれたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざるのろいのごとくに引っ張られて行く。そうしていつかこの努力のためにたおれなければならない、たった一人で斃れなければならないというおそれをいだくようになる。そうして気狂きちがいのように疲れる。これが市蔵の命根めいこんよこたわる一大不幸である。この不幸を転じてさいわいとするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろをき出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために眼を使う代りに、頭で外にある物をながめる心持で眼を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、やさしいものか、を見出さなければならない。一口に云えば、もっと浮気うわきにならなければならない。市蔵は始め浮気を軽蔑けいべつしてかかった。今はその浮気を渇望している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩々へんぺんたる軽薄才子になりたいとしんから神に念じているのである。軽薄に浮かれ得るよりほかに彼を救うみちは天下に一つもない事を、彼は、僕が彼に忠告する前に、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないでもがいている。



 僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものからあんうらまれているが、僕自身もその点についてはましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導くすべを心得なかったのである。ただ自分の好尚こうしょうを移せるだけ市蔵の上に移せばそれで充分だという無分別から、勝手しだいに若いものの柔らかい精神を動かして来たのが、すべてのわざわいもとになったらしい。僕がこの過失に気がついたのは今から二三年前である。しかし気がついた時はもう遅かった。僕はただなす能力のない手をこまぬいて、心のうちで嘆息しただけであった。

 事実を一言いちごんでいうと、僕の今やっているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵にはけっして向かないのである。僕は本来から気の移りやすくでき上った、きわめて安価な批評をすれば、生れついての浮気うわきものに過ぎない。僕の心は絶えず外に向って流れている。だから外部の刺戟しげきしだいでどうにでもなる。と云っただけではよくに落ちないかも知れないが、市蔵は在来の社会を教育するために生れた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好い年をしながら、まだ大変若いところがあるのに引きえて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移って行くだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸がひそんでいる。そこに僕の短所があり、また僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董こっとうひねくればびた心持になる。そのほか寄席よせ、芝居、相撲すもう、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然におのれなき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物をっていない男である。彼の欠点を補なう――というより、彼の不幸を切りつめる生活の径路は、ただ内にもぐり込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類がうらむのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合せと思っているくらいである。

 今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨拶あいさつをしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活花いけばなの歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだすぐれないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た。彼はさいとも仲がかったので、あるいは茶の間で話でもしている事かと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部屋だろうというので、縁伝いにドアーを開けると、彼は咲子の机の前にすわって、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺めていた。その時彼は僕をかえりみて、今こういう美人を発見して、先刻さっきから十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が眼の前にある間、頭の中の苦痛を忘れておのずから愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂闊うかつだと云った。それほど気に入った顔ならなぜ名前から先に頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受ける事も不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまた何の必要があって姓名や住所を記憶するかと云った風の眼使めづかいをして僕の注意を怪しんだ。

 つまり僕はくまでも写真を実物の代表としてながめ、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、本当の位置や身分や教育や性情がつけ加わって、紙の上の肖像をかしにかかったなら、彼はかえって気に入ったその顔まであわせて打ち棄ててしまったかも知れない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。



 市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思はもとより田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑固がんこなものであった。僕は女に理窟りくつを聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務にそむくのも同然だという意味を、昔風の彼女のに落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めておだやかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返してはばからない婦人に共通な特性を一人前以上にそなえていた。僕は彼女の執拗しつようにくむよりは、その根気の好過よすぎるところにかえって妙なあわれみをもよおした。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女のこいを快よく引受けた。

 僕がこの目的をはたすために市蔵とこの座敷で会見をげたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳腐ちんぷなものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口説くどかれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待ってれろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。

 僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上にまといつくに違ないと勘定かんていして、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思をひるがえさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段に過ぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃ無いかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのは山々であると答えた。けれども千代子をもらおうとはけっして云わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかも知れないと云い切った。もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔をながめていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖いふというと仰山ぎょうさんすぎるし、同情というとまるであわれっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手をあきらめてしまわなければならない絶望に、ある凄味すごみやさをつけ加えた特殊の表情であった。

 市蔵はしばらくして自分はなぜこう人にきらわれるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。なぜそんな愚痴ぐちこぼすのかとたしなめるような調子で反問を加えた。

「愚痴じゃありません。事実だから云うのです」

「じゃ誰が御前を嫌っているかい」

「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」

 僕は再び驚ろかされた。あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌悪けんおの念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛った。

「おれが何で御前をにくむ必要があるかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな」

 市蔵は叱られて激した様子もなくますますあおい顔をして僕を見つめた。僕は燐火りんかの前にすわっているような心持がした。



「おれは御前の叔父だよ。どこの国においにくむ叔父があるかい」

 市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄いくちびるらしてさみしく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色をすかし見た。自白するが、彼は理解の上において僕よりもすぐれた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるようなをなるべく慎んで外に出さない用心をおこたらなかった。けれども時々は、つい年長者のおごる心から、親しみの強い彼を眼下がんか見下みくだして、浅薄と心付こころづきながら、その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。かしこい彼は僕に恥をかせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所作しょさをあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都度つど彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。

「そりゃ広い世の中だから、敵同志かたきどうしの親子もあるだろうし、命をあやめ合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名でつながっている以上は、繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種のひがみがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。はたから見ていても不愉快だ」

「だから叔父さんまできらっていると云うのです」

 僕は返事に窮した。自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。

「僻みさえさらりとててしまえば何でもないじゃないか」と僕はさも事もなげに云って退けた。

「僕にひがみがあるでしょうか」と市蔵は落ちついて聞いた。

「あるよ」と僕は考えずに答えた。

「どういうところが僻んでいるでしょう。判然はっきり聞かして下さい」

「どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ」

「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう」

「そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう」

「あなたは不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。僕はまずその調子にを失った。次に彼の眼の色を見て萎縮いしゅくした。その眼はいかにもうらめしそうに僕の顔を見つめていた。僕は彼の前に一言いちごん挨拶あいさつさえする勇気を振い起し得なかった。

「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないからひとりで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身体からだも続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」

 僕はほおを伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴染なじんで今日こんにちに及んだ彼と僕との間に、こんな光景シーンはいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂奮こうふんした青年をどう取り扱っていいかの心得が、僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。僕はただ茫然ぼうぜんとして手をこまぬいていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕をたなかった。

「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間のうちであなたを一番信用しているから聞いたのです。あなたはそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生涯しょうがいの敵としてあなたをのろいます」

 市蔵は立ち上った。僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。



 僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑うわすべりにならなければ必ず神経衰弱におちいるにきまっているという理由を、臆面おくめんなく聴衆の前に曝露ばくろした。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬがほとけですましていた昔がうらやましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退しりぞいた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういうにがい真理をうけたまわらなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、つかもうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層見惨みじめに違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のためにそそいだ。

 これは単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉をたない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対する前からのゆきがかりさえなければ、打ち明けないはずだったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。

 僕は誰にでも明言してはばからない通り、いっさいの秘密はそれを開放した時始めて自然にかえ落着らくちゃくを見る事ができるという主義をいだいているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今日こんにちまでに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時にさかのぼって、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落と云ってもいいくらいである。今考えて見ると、僕が市蔵に呪われる間際まぎわまで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子おやこの間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。

 市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼とまじわりの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一口ひとくちでいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一言いちげんつけ加えると、本当の母子よりもはるかに仲の好い継母ままはは継子ままこなのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽蔑けいべつしても差支さしつかえないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかりくくりつけられている。どんな魔の振るおのでもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けてもこわがる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。

 僕はその時の問答を一々くり返して今君に告げる勇気に乏しい。僕にはもとよりそれほどの大事件とも始から見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまり何でもない事のように話したのだが、市蔵はそれを命がけの報知として、必死の緊張のもとに受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口につづめて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上もった昔の話だから、僕も詳しい顛末てんまつは知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へさがった妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表向おもてむき自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子としていつくしむ考も無論手伝ったに違ない。実際彼らは君の見るごとく、また吾々われわれの見るごとく、最も親しい親子として今日こんにちまで発展して来たのだから、御互に事情をあかし合ったところでごう差支さしつかえの起る訳がない。僕に云わせると、世間にありがちなそりあわない本当の親子よりもどのくらい肩身が広いか分りゃしない。二人だって、そうと知った上で、今までのむつまじさを回顧した時の方が、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美くしい点を力のあらん限りいろどる事をおこたらなかった。



「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前のひがみだ。解ったかな」

「解りました。く解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのはしにしようよ」と云った。

「もう止します。もうけっしてこの事について、あなたをわずらわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常にこわかったです。胸の肉がちぢまるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。さびしいです。世の中にたった一人立っているような気がします」

「だって御母さんは元の通りの御母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰も御前に対して変るものはありゃしないんだよ。神経を起しちゃいけない」

「神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれからうちへ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想してもさむしくってたまりません」

「御母さんには黙っている方がよかろう」

「無論話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分りません」

 二人は黙然もくねんとして相対した。僕は手持無沙汰てもちぶさた煙草盆たばこぼん灰吹はいふきを叩いた。市蔵はうつむいてはかまひざを見つめていた。やがて彼はさみしい顔を上げた。

「もう一つ伺っておきたい事がありますが、聞いて下さいますか」

「おれの知っている事なら何でも話して上げる」

「僕を生んだ母は今どこにいるんです」

 彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥立ひだちが悪かったせいだとも云い、または別のやまいだとも聞いているが、これも詳しい話をしてやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうていえた彼の眼を静めるに足りなかった。彼の生母せいぼの最後の運命に関する僕の話は、わずか二三分で尽きてしまった。彼は遺憾いかんな顔をして彼女の名前を聞いた。さいわいにして僕は御弓おゆみという古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年齢としを問うた。僕はその点に関して、何というしかとした知識をっていなかった。彼は最後に、彼のうちに奉公していた時分の彼女に会った事があるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦朧もうろうとしていた。事実僕はその当時十五六の少年に過ぎなかったのである。

「何でも島田にってた事がある」

 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやくあきらめたという眼つきをして、一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへうまっているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と云った。けれども御弓の菩提所ぼだいじを僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しんぎんしながら、やむを得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。

「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」

「まああるまいね」

「じゃ分らないでもよござんす」

 僕は市蔵に対して気の毒なようなまたすまないような心持がした。彼はしばらく庭の方を向いて、うららかな日脚ひあしの中に咲く大きな椿つばきながめていたが、やがて視線をもとに戻した。

「御母さんが是非千代ちゃんを貰えというのも、やっぱり血統上の考えから、身縁みよりのものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね」

「全くそこだ。ほかに何にもないんだ」

 市蔵はそれでは貰おうとも云わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。



 この会見は僕にとって美くしい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合う事ができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生れて始めての慰藉いしゃではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善い功徳くどくを施こしたという愉快な感じが残ったのである。

「万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい」

 僕は彼を玄関に送り出しながら、最後にこういう言葉を彼の背に暖かくかけてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだまずかった。やむを得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片をつけると云っているから、それまで待つが好かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまずなだめておいた。

 僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工夫くふうした。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無雑作むぞうさであった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。

「けれども必竟は本人のために嫁入かたづけるんで、(そう申しちゃ角が立つが、)姉さんや市蔵の便宜べんぎのために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから」

「ごもっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並の交際つきあいをしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向うから相談を受けたためしたないのである。それで今日こんにちまで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどそのうわさを耳にしなかった。ただ前の年鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って、気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛嬌あいきょうらしく笑って、高木は始めから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰でも候補者になり得る権利は有っているのだから、候補者でないとはけっして断言できないとも告げた。この曖昧あいまいな男の事を僕はなおくわしく聞いて見て、彼が今上海シャンハイにいる事を確かめた。上海にいるけれどもいつ帰るか分らないという事も確かめた。彼と千代子との間柄はその後何らの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父母ふぼが眼を通した上で本人の手に落つるという条件つきの往復であるという事まで確めた。僕は一も二もなく、千代子には其男それが好いじゃないかと云った。田口はまだどこかに慾があるのか、または別にかんがえを有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。

 僕と市蔵はその後久しく会わなかった。久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈托くったくしなければならない彼の事が非常に気にかかった。僕はそっと姉をたずねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間のゆうべを僕と会食するためにかせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐ばんさんを食いながら、ひそかに彼の様子をうかがった。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満更まんざらの虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急になさけなそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身もこわくってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗談じょうだんらしくもあり、また真面目まじめらしくもあるこの言葉が、妙にあわれ深い感じを僕に与えた。



 若葉の時節が過ぎて、湯上ゆあがりの単衣ひとえの胸に、団扇うちわの風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るやいなや僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日きのうようやくすんだと答えた。そうして明日あすからちょっと旅行して来るつもりだから暇乞いとまごいに来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須磨すま明石あかしを経て、ことにると、広島へんまで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的大袈裟おおげさなのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意をほのめかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨拶あいさつをした。そんな事に気をつかう叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思いたちが及落の成績に関係のない別方面の動機からきざしているという事を発見した。

「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎にすわっている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途でめなかったのが感心だぐらいにめて許して下さい」

「そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差支さしつかえはないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい」

「ええ」と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです」とつけ足した。

「不愉快になるのか」と僕はむしろおごそかに聞いた。

「いいえ、ただ気の毒なんです。始めはさびしくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今度こんだの旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕ならともをする気で留守るすを叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母のそばを離れたらという気ばかりして」

「困るね、そう変になっちゃあ」

「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そううまくはいかないもんでしょうか」

 市蔵はさも懸念けねんらしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事をひとに尋ねて安心したいと願う彼の胸のうちあわれに思った。上部うわべはいかにも優しそうに見えて、実際はきわめて意地の強くでき上った彼が、こんな弱いを出すのは、ほとんどためしのない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。

「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るがい。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」

 市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉いしゃの言葉が、明晰めいせきな頭脳をった市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。

「おれもいっしょに行こうか」

「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。

「いけないかい」

平生ふだんならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……」

「じゃそう」と僕はすぐ申し出を撤回した。



 市蔵が帰ったあとでも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背負しょって立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいたさいを呼んで、相談かたがた理由わけを話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんでいっさんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、ひとりで受合っていた。

「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」

「そうですとも、誰だってあなたの懐手ふところでばかりして、舶来のパイプをくわえているところを見れば、心配になりますわ」

 そのうち子供が学校から帰って来て、うちの中が急ににぎやかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えずひやりとした。

 姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無沙汰ぶさたわびやら、時候の挨拶あいさつやらを長々しくさいと交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。

「市蔵が明日あすから旅行するって云うじゃありませんか」と僕は好い加減な時分に聞き出した。

「それについてね……」と姉はやや真面目まじめになって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使ったあとだもの。少しは楽もさせないと身体からだの毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉はもとより同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行にえるかどうかを気遣きづかうだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味をっているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額にきざんで、「つねさん、先刻さっき市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。

「何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御仙おせん

「ええちっとも違っておいでじゃありません」

「わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね」

「どんななんです」

「どんなだと云われるとまた話しようもないんだが」

「全く試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。

「姉さんの神経きでんですよ」と妻も口を出した。

 僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納得なっとくしたらしい顔つきをして、みんなと夕食ゆうめしを共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉のそばに席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。

 僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢来やらいまで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗留とうりゅうするなら逗留する所から、必ず音信たよりおこたらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。

 僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。

 僕をむかえに玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、あくる日は新橋へ見送りにも行かなかった。



 約束の音信たよりは至る所からあった。勘定かんじょうすると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画端書えはがきに二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、さいからよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想あいそもなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多めったにあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚みなす女であった。そうして両方ともうそと信じて疑わないほど浪漫斯ロマンスに縁の遠い女であった。

 端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰しょかんに接し出した時さらにまゆを開いた。というのは、僕の恐れをいだいていた彼の手が、陰欝いんうつな色に巻紙を染めた痕迹こんせきが、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかにあざやかに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。

 彼の気分を変化するにあずかって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方かみがた地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟しげきになったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云うなめらかで静かな調子が、鎮経剤ちんけいざい以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効目ききめが多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。――

「僕はこの辺の人の言葉を聞くとかすかな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついていやだと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖こんぺいとうのような調子を得意になって出します。そうして聴手ききての心を粗暴にして威張ります。僕は昨日きのう京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面みのおという紅葉もみじの名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川たにがわがあって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部クラブとかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入はいって見ると、幅の広い長い土間が、たてに家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦しきがわらで敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘にこしらえたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、かわらを畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足だそくに書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆おばあさんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子いすに腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入はいるやいなや、友人の顔を見て挨拶あいさつをしました。そうして『おや御免ごめんやす。今八十六の御婆さんの頭をっとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭をでて『大きに』と礼を述べました。友人は僕をかえりみて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気のんびりした心持がしました。僕はこういう心持を御土産おみやげに東京へ持って帰りたいと思います」

 僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。



十一

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 次のは明石あかしから来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をよりあざやかに現わしている。

「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草たばこを呑んで海の方をながめていると、――海はつい庭先にあるのです。さざなみさえ打たない静かな晩だから、河縁かわべりとも池のはたとも片のつかないなぎさ景色けしきなんですが、そこへ涼み船が一そう流れて来ました。その船の形好かっこうは夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えないおだやかな形をそなえていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯ちょうちんがいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人がすわっているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体そうたいがいかにも落ちついて、すべるように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父おじいさんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんはもとより御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊ふねあそびを実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川あやせがわまでのぼせて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇ぎんせんを開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇のかなめがぐるぐる廻って、地紙じがみに塗った銀泥ぎんでいをきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げきそう光景は想像しても凄艶せいえんです。御祖父おじいさんは銅壺どうこの中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利とくりかんをしたあとをことごとくてさしたほどの豪奢ごうしゃな人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢ぜいたくなところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点はやがてんなさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托くったくしていないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっしてにがい意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間ほうかんを大勢集めて、かばんの中から出したさつたばを、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀ごしゅうぎとかとなえて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着た〈[#「着た」は底本では「来た」]〉まま湯に這入はいって、あとは三助さんすけにくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢きわまるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼をにくみました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行しょぎょうを見ると、強盗が白刃しらはの抜身を畳に突き立てて良民を脅迫おびやかしているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢きょうしゃに近づかない先から、驕奢の絶頂に達しておどり狂う人の、一転化ののちを想像して、こわくてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気うわきになって行きます。めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕のいやな東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中になまめかしい女の声もまじっていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶけましたから、僕も休みます」



十二

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昨夕ゆうべも手紙を書きましたが、今日もまた今朝こんちょう以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへもふみをやる所がないものだから、やむを得ず姉とおれに対してだけ、時間をついやして音信たよりおこたらないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆をりながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙をもらわないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へあがって海を見下みおろしていると、そういう幸福な二人連が、磯通いそづたいに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘こうもりして、素足に着物のすそを少しまくりながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿うしろすがたを、僕はうらやましそうにながめたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、おかに近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でもいて見えます。泳いでいる海月くらげさえ判切はっきり見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作しょさが、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」

「今度は西洋人が一人水につかっています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢りゅうちょううらやましいくらいうまく出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水にけたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手をって、深い所へ連れて行こうとしました。女は身をすくめるようにしてこばみました。西洋人はとうとう海の中で女を横にきました。女のねて水をる音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」

「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇ボートぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、きわめて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方ではこわいからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚びっくりして見せるしなが、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏につないである和船に向って、船頭はん、その船いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走ごちそうを入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒ビールだの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心かんじんの御客はよほど威勢のいい男で、はるか向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸くろはだかの浦の子僧を一人生捕いけどっていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがてこんかぎりの大きな声で、阿呆あほうと呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」

「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇ものずきだと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠しょうこなのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒をいとわなくなったのも、つまりは考えずにるからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望してまないのです。白帆しらほが雲のごとくむらがって淡路島あわじしまの前を通ります。反対の側の松山の上に人丸ひとまるやしろがあるそうです。人丸という人はよく知りませんが、ひまがあったらついでだから行って見ようと思います」



結末


 敬太郎けいたろうの冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入はいって、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪たんぼうに過ぎなかった。

 彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪廓りんかくと表面から成るきわめて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心にちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙間すきまが、瓦斯ガスに似た冒険だん膨脹ぼうちょうした奥に、彼は人間としての森本の面影おもかげを、夢現ゆめうつつのごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。

 彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかにながめているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によってつながれていながら、まるで毛色のことなったこの二人の対照を胸にえて、幾分かおのれの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。

 彼は千代子という女性にょしょうの口を通して幼児の死を聞いた。千代子によってじょせられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしいを見るようなところに、彼の快感をいた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛をのがれるためにやむを得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長くいだいていたい意味から出る涙がまじっていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのはあわれであった。彼は雛祭ひなまつりよいに生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐かれんに聞いた。

 彼は須永すながの口から一調子ひとちょうし狂った母子おやこの関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母をつ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果いんが纏綿てんめんされていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものとあきらめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。

 彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟ひっきょう夫婦として作られたものか、朋友ほうゆうとして存在すべきものか、もしくはかたきとしてにらみ合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意をって彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプをくわえて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかをくわしく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情もつまびらかにした。

 かえりみると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日こんにちまでの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖ステッキを大事そうに突いて、電車から下りる霜降しもふり外套がいとうを着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入るあとけたくらいのものである。それも今になって記憶の台にせてながめると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯じぎであった。彼はそれがために位地いちにありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑稽こっけいの意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目まじめな、行動に過ぎなかった。

 要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席いくせきかの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々ぜんぜん深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入はいれなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味でへびの頭をのろい、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転るてんして行くだろうかを考えた。

 

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。