序 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
序
編集新約聖書の事
編集新約とは、眞神が人に對してて曾てモイセを以て爲し給ひたりし契約に代へて、イエズス、キリストを以て新に爲し給ひし約束を云ふ。是に由りてイエズス、キリストに至る迄の時代を舊約時代と云ひ、其以後を新約時代と云ふ。聖書とは、神の敎及約束を載せん爲、神感によりて認められし書籍を云ふ。舊約聖書の部數は四十六、新約聖書は二十七部にして、其名は既に揭げたる表に在るが如し。然て此新約聖書を大別して歷史、敎訓、預言の三部とす。即ち四福音書と使徒行錄とを以て歷史部とし、使徒等の廿一の書簡を以て敎訓部とし、默示錄一部を以て預言部とす。各聖書の原文は、惟ふにギリシア語を以て認められしなるべし。
聖福音書の事
編集「福音」の原語は「善き告」、「喜ばしき音信」の意味にして、福の音、即ち人類最大の幸福なる罪の贖の告を云ひ、又特にイエズス、キリストの敎を云ひ、遂にイエズス、キリストの言行を載せたる書、所謂福音書を指すに至れり。素より福音の名を以て行はれたる書籍は往々之なきにあらざりしも、公敎會にて神感によれりと認定せられたるのは四部にして、之を四福音又は四福音書と云ふ。即ちマテオ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書なり。此四人の記者は氣質、身分、才智各相異なるも、其文章は何れも文飾なく淡白にして、同一の調子同一の信と愛とを以て、有の侭に事柄を述べ、奇を極めたる事をも奇とせずして、之を自然のものの如くに語り、イエズスの讃められ給ふも、謗られ給ふも、崇められ給ふも、恥辱に飽かされ給ふも、其狀態を同一に揭げ、自ら之を批評せず、事實の正直なる證人たるに止りて、四書共に同一の福音たる事を證せり。然れば凡心ある人は一讀して其感に打たれざることを得ざるべし。四福音書の外に行はれし福音書は、絕對的に悉く謬れるものと云ふべからざるも、神感によれるものとする事を得ざるが故に之を僞福音書とす。四福音書の中マテオ、マルコ、ルカの三福音書は相似たる所頗る多きを以て、早く共觀的に對照せられし故、之を共觀福音書と云ふ。尙各書の特色は其叙言に於て之を述べたり。
使徒書簡
編集聖書として保存せられたる使徒の書簡は其數二十一にして、使徒全體が其作者たるには非ず、十二使徒の中なるペトロの二書、ヤコボの一書、ヨハネの三書、ユダの一書及び故に使徒と稱せられしパウロの十二書より成れり。敦も福音の敎を信者の生活の種々なる場合に應用したるものにして、キリスト敎の趣意及び實行の要を悟るに必須なるのみならず、其說く所興味あり、且實行的にして、用ひて以て、當時以來代々に粉起せる異端の節の謬妄を破するに足るべき所多し。倂乍ら、各書各別々の目的あり、時と場合とに應じ當面の事柄を論じたるものにして、敎理の全體を盡したるものに非ざること勿論なるが故に、讀者は之に總合融通して、彼此相補はしむるの用意あるべし。
尙各書の特色は其叙言に於て之を述ぶべし。