川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴァリエイシヨン



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彼が妻と七才になる娘とを置き去りにして他郷へ出奔してから、二年になる。その間も、時々彼の心を雲翳のやうに暗く過るのは娘のことであつた。
「若し恙なく暮してゐるのだつたら、もう學校へあがつてゐる筈だ。あの娘等の様に」
他郷の町の娘等は歌を歌つたり、毬をついたり、幸福そうに(ママ)学校へ通つてゐた。――幸福そう(ママ)に。
そのうちに彼は、父に捨てられた幼い者の姿で、毬をついてゐる、自分の娘を感じる瞬間を持つ様になつた。そこには何時も、とんとん、とんとん、といふ音が聞えた。生きてゐるか、死んでゐるか、わからない――また、一體そんな娘を嘗て持つたことがあつたのかどうかも、時々には疑はしくなる、彼の娘なるものが、その不思議なとんとん、とんとん、といふ響のなかに不幸な生存を傳へて來るのであつた。
其の音に彼は搾木にかけられたやうに苦しんだ。そんな自分を、彼はどうすることも出來なかつた。
(子供にゴム毬をつかせるな。その音が聞えて來るのだ。その音が俺の心臓を叩くのだ。)
彼は思ひ餘つてそんな手紙をかいた。封筒の表書をすませると、彼はそんな國、そんな町が一體存在したのかどうかも疑はしかつた。封筒に裏書はしなかつた。そして投函した待ちから、直ぐ彼は去つた。
もう彼にはゴム毬の音は聞えて來なかつた。生活(なりわひ)の響、瀬の音、木の葉ずれ、そんなものが旅に出た當初の鮮かさを持つて彼に歸つて來た。が、それも永くは續かなかつた。心が重くなつて来た。戛々と――それは娘が路を踏む靴の音ではないか?その音は必ずいぢらしい娘の登校姿を心象に伴つて來るのであつた。彼は黴臭い旅籠の蒲團の上で轉輾した。
戛々、戛々、父の心臓の上とも知らず、いたいけな娘の歩く音。
(子供を靴で學校に通はせるな、その音が聞えて來るのだ。その音が心臓を踏むのだ。)
彼はまた手紙を書いた。左うする外に、どういふ方法も彼は知らなかつた。たゞ彼は信じてゐた。若し妻が手紙を受取れば、子供から靴を脱がすに違ひない。そしてもし彼女等が此の世にゐないのだつたら……どちらにしても、靴の音を聞く苦しみから、自分は全く解かれることになるのだ。――
第三の手紙は、最初と次の手紙の間隔より遥かに短い、一月の間をおいて投げ込まれた。
そしてその音も、次々小さく、然もだんだん質が固く冷くなつて來た。
(子供に瀬戸物の茶碗で飯を食はせるな。その音が聞えて來るのだ。その音が俺の心臓を破るのだ。)
彼女が夫の上で氣遣つてゐること、そしてまた自分達の上に願つてゐること。夫の手紙はそれらのことに一筆もまだ觸れてゐない。妻は昔にかわら(ママ)ない夫の冷酷をそのなかに見た。然し、何といふ苦しみ様だらう。不自然な老いが此度の手紙には察せられるではないか。
――そして短い文面の不思議に嚴かな力は、此度も彼女をその命に從はせるのであつた。
彼女は薄氷の上に立たされる思ひで生活してゆかなければならなかつた。夫の今にも破れそう(ママ)な心臓――それを預つてゐるといふ意識の如何に重いこと。
夫はもう死んでゐるかも知れない。そんなことも彼女は思つた。死んでゐるどころか、嘗てそんな夫を持つてゐたといふそのことさへ、誰かに左う思ひ込まされてゐるばかりのことではないのか。……
見て、彼女はギクとした。娘が勝手に茶碗を取出して來てゐる。
「いけない!」
奪ひ取るが早いか、彼女はそれを庭石の上へ激しく投げた。夫の心臓が破れる音。突然彼女は眉毛を逆立てて自分の茶碗を投げつけた。しかしこの音こそ夫の心臓が破れた音ではないのか。彼女は食卓を庭へ突飛ばした。この音?壁に全身をぶつつけて拳で叩いた。襖へ槍のやうに突きかかつたかと思ふと、襖の向ふ側へ轉り出た。この音?
「かあさん、かあさん、かあさん」
泣きながら追つかけて來る娘の頰をびしやりと打つた。おお、この音を聞け。
その音の木魂のやうに、また夫から手紙が來た。これまでとは新しい遠くの土地の差出局からだ。
夫の心臓は破れずにあつた。彼女は高い喜びと深い苦痛を同時に感じた。
(お前達は一切の音をたてるな。戸障子の開け閉めもするな。呼吸もするな。お前達の家の時計も音を立ててはならぬ。)
おゝ何といふことを!そして「お前達の家」と遂に夫は呼ぶ積りなのか。
「お前達」と彼女は口に出して呟いて見た。それは己れと己れ等をいとしむ響きを持つてゐた。
「お前達」夫がその言葉に托した、切々たる愛情が感ぜられた。
「お前達、お前達よ」呟きながら彼女はぽろぽろと涙を落した。
それからの彼女達はもう一切の音を立てなくなつた。死んだのだ。
そして彼女達のたてる物音が卽ちその存在であつた、夫なる者の生命も同時に消えてしまつたのである。不思議にも、彼女達と枕を竝べて死んでゐたといふ彼は、彼女達の死と共に動かなくなつた陰影のことではなかつたのだらうか。


「心中」の話を私は左う云ふ風にきいてゐる。



題がどうも白癡威しであるが、兔に角題の様なものを作る意圖でこれは試みたのである。私は川端氏のこの神祕的な作品を、或程度私の感覺的な經驗で裏づけることの出來るのを感じたのだ。そこにこの試みの契機がある。そして、若しこれが成功したならば、畸形ながらにも、原作に對するある解釋と、私自身の創作が、同時に讀者に示せると思つてゐたのだつたが、それに必要な頭の透徹と時間の贅澤が與へられなかつたため、どうも強引でものにしたやうな傾きがある。原作の匂ひや陰影は充分かき亂され、神祕は平凡化され、引き緊つた文體はルーズになつてしまつた。然しそのある程度はこんな試みとして避け難い。
妻が茶碗をぶつつけるあたりから、おゝこの音を聞け、の邊までは原作と文字通り同様である。原作に於て、この部分は實に霹靂を聞く如く大音響をたてる所である。毬をつく音、靴の響き、飯を食ふ茶碗の音、次にこの大音響、そして永遠に微かな音も立てなくなる、この推移は、素晴らしい響きの藝術である。
本號で川端康成氏の作品に就て何か書かうと思つてゐた心組が、幾屈折してこんなものを書いてしまつた。川端氏に對してはその作品を汚したことを幾重にもお詫びしたい。                    六・十九
 

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