本文 編集

窓うつ雪 編集

英一(えいいち)は伯父の家の細工場の隅の三畳の小部屋で、うす暗い五燭の電灯の下に、ひっそり坐っていた。
そこは英一と、忠吉(ちゅうきち)と云う雇人との二人の寝場所であるが、忠吉は今夜は活動写真を見に行って、まだ帰って来なかった。で、英一はひとり静かに坐っていた。
外も、いつもよりしずかである。時々窓の戸にサラサラとかすかな音がするのは、雪が降っているのである。風のたびに雪が来て窓にあたるのである。
寒い夜だ。
が、冬の夜は寒いものときまっている。エライ人もそう云っているのだから間違いはない。それは夏よりもいくらか寒い。いや。いくらどころか大いに寒いが、これは何千年も前から寒い規則になっている。苦情を云ったとて冬が夏のように温くなっては呉れないのだから、我慢するほかはない。
そこで冬になると、大ていの者は火鉢を使う。細工場の奥は母屋になっているが、そこにいる伯父や叔母やは大きな火鉢に炭火をかんかんおこして、あたっている。
従兄の猛夫(たけお)などは火鉢では足りなくて、コタツにもぐりこんでいる。
猫だって「猫も人間も寒さに変りはない」
と、云いそうな顔をして、コタツの上で居眠りをしている。
だが、英一のいる三畳の小部屋には火鉢はない。英一や雇人の寝場所であるから、火鉢をおいて呉れないのである。だからいよいよ寒い。
しかし好いお手本がある。それは犬である。犬と云う動物は冬でも一向寒がらない。雪の中へも平気で坐って尾をふっている。英一は大いに元気をつけて、犬におとらうように我慢をせねばならぬ。
それにしても英一は、ほんものの犬ではない。全身に毛が生えていないから、こんな雪の降る夜は、どんなに我慢してもやっぱり寒い。身体がぞくぞくする。
でもこう云う静かな夜は、寒いことは寒くても、勉強するには気がおちついて都合が好い。
そこで英一は羽織を頭からかぶって、蜜柑の空箱にしがみついていた。空箱と坐り角力(ずもう)を取っているのではない。睨めっこをしているのでもない。箱は机の代りである。箱の上に本を開いて、それを読んでいるのである。
雪はさらさらと窓にあたっている。

          *          *          *

英一の父は三年前に、
「たくさんお金を儲けて来る」と云って南洋の方へ出かけて行った。それきり帰って来ない。生きているのか死んでいるのか分らない。
英一は母や姉や妹やと共に東京の郊外に住んで、父の帰るのを待っていたが、待っても待っても帰って来ないので、家はだんだん貧乏した。暮しに困るようになったから、姉の浪子(なみこ)は東京へ奉公に出た。
英一も去年の春、小学校を卒業すると間もなく東京へ出て、此伯父の家の小僧さんになったのである。
中学に入りたいのはやまやまであったが、家が貧乏をしたのに、姉が奉公をしたくらいだのに、自分だけがもっと学校へやってもらいたいなどと云っては、母に気の毒だからである。
けれども、もともと学問好きであるから、小僧さんになっても勉強はやめていないのである。
伯父の家は竹細工の制作屋であるから、小僧さんの英一も昼は細工場で働かねばならない。あちこちのお使いにも走らねばならない。細工品をお得意先へ運ぶ用もある。なかなか忙がしい。
が、夜は仕事もお休みであるから、英一は夜になると空箱を机代にして勉強をはじめる。読書をする。数学も研究する。英語も自修する。
昼は働いてお給金をもらうから、そのお金で中学の講義録や参考書などを買って、中学へ通っているつもりで、一生懸命に勉強する。
今夜もいつもの通りに数学からはじめたのであるが、ちょうどそれが終って英語の自修にかかろうとすると、その時障子が開いて従兄の猛夫が入って来た。
猛夫は伯父の長男である。英一とはちがって気楽に勉強の出来る中学生であるが、まだ一年級である、英一よりも年が一つ上であるから、ほんとうは二年級になっていなければならないのだが、去年の春落第したのでまだ一年級。
一年級の往復列車。あんまり名誉ではないが、それでも平気でいる怠け者であるから、彼は勉強している英一を見るとふふんと鼻の先で笑いながら、英一のかぶっている羽織を、うしろからつかんでズルリとはぎ取って、
「英公。何をしているんだい」と、云った。
「勉強です」と、英一はふりかえりもせずに答えた。
「ふふん。何だ英語なんかやっているのか。へえ――」
と、猛夫は嘲(あざけ)った。自分が怠け者であるからひとの勉強するのも嫌いなのである。ひとの勉強の邪魔をしたいのである。
が、英一はだまっていた。早くあっちへ行ってもらいたいから相手にならなかった。しかし猛夫はなかなか立去らない。
「どれ見せろ」と、云いながら手を伸ばして講義録を引ったくった。それを二三頁(ページ)、バラバラと開けてから、すぐ、
「ふふん。こんなもので習ったってお前なんぞに英語は分りゃしないだろう」と、云った。
「それでも、ちっと位はわからない事はありません」
「なに。わかるもんか」
「けど、僕はわかるまで勉強する気です。熱心にやればだんだん分って来ると思ってます」
「ふん。それでこんな講義録で中学だけの勉強が出来る気でいるんかい」
「そりゃ猛夫さんのように、ほんとうの中学へ行っている者にはかないません。けど習わないよりましです」
「ばかだな。なんだこんなもの」と、猛夫は講義録を畳へ投げつけて、壁の方へ蹴とばした。
何と云う乱暴であろう。軽蔑であろう。今まで我慢していた英一は口惜しさに腹が立った。急いで拾いながら、
「猛夫さん何をするのです」と、屹(きつ)として云った。
「ふふん。悪いかい」
「だって是れは僕の大切な講義録じゃありませんか。僕は是れを学校の代りにしているのです。猛夫さんの行っている学校だって、この講義録だって尊い事は同じです」
「理窟を云うない」
「云います。猛夫さんの邪魔にもならないのに、投げたり蹴ったりするのは、あんまりです。失敬です」
「何だと、小僧のくせに僕に向って失敬とは何だ。その方がよっぽど失敬だ。生意気な奴だ。小僧のくせに講義録なんか取って、ほんとに生意気な奴だ」
「よけいなお世話です。僕は仕事を怠けたりしません。仕事の休みの間に勉強しているんです」
「ひまがあったら用事をしろ。うちの厄介者のくせに。ばか」と、猛夫は不意討に、英一の頰を打った。
散々嘲られた上に打たれたのである。英一はカッとして飛びかかった。年は一つ下でも負けていない。忽ち組みついて壁へおしつけたが、その時奥から伯母が出て来た。騒がしいから覗(のぞ)きに来た伯母は、恐ろしい顔をして、
「やかましい」と、叱りつけた。
叱られて英一がおとなしくなると、猛夫は図に乗ってもう一つ英一の顔を力一ぱいに打った。
痛かったが英一は我慢した。もう抵抗をしなかった。猛夫は又手をふりあげた。
「猛夫、これ、止めないか」と、伯母は烈しく云った。
「だって、こいつが生意気なんだ」
「いえ。猛夫さんが乱暴です。僕が勉強しているところへ……」と、英一も云いかけた。
「おだまり」と、伯母は凄い目で英一を睨んだ。「どっちも悪い」
「英公なんかがうちにいるから喧嘩が出来るんだ。こんな奴追出しちまえ」と、云いすてて、猛夫はサッサと部屋を出た。
「ほんとにやかましくていけない」と、伯母は残ってまだ英一を睨みながら云った。「猛夫もよくない、けど英公。お前はいつも我慢ですよ。何故そうなのだろう。小僧は小僧らしくしていれば喧嘩などは出来やしない。そんなに生意気ではもう此(この)家に置くことは出来やしない、伯父さんにそう云って追出すよ。追出されてもかまわないかえ。お前は」
英一はだまって頭を下げていた。口ごたえをすると、伯母がいよいよ怒るにきまっているから、いいわけをしなかった。
伯母は繰返して叱って、英一にあやまらせてから、ようやく奥へ入ったが、伯母がいなくなると、又もや猛夫がのぞきに来て、入口からこっそりと、
「ざまをみろ。厄介者」と、罵(ののし)った。
厄介者――それは猛夫が、英一を罵る時に口ぐせに云う悪口である、英一はこれが何より辛(つら)かった。ばかと云われるよりも、厄介者と云われる方が口惜しかった。けれどももう相手にならなかった。
雪はサラサラと窓にあたっている。


悲憤の夕暮 編集

次の日の朝が来た。
空は晴れていたが雪は五六寸も積っていた。英一は早く起きて食事が済むと、忠吉と一しょに表に出て雪掻きをしていたが、そこへ猛夫が学校ゆきの支度をして出て来た。
「厄介者――」
睨みつけて云いながら通り過ぎた。昨夜の争いをまだ根にもっているのである。
英一は知らぬふりをしていたが、猛夫が遠くなると恨めしそうに見送った。
「また意地わる口を行って行ったなあ」と、忠吉が側へ寄って慰めるように云った。忠吉は十七歳の青年である。
「昨夜も云われた」と、英一は脣を嚙(か)みしめた。
「そうかい。しかし英ちゃん。何と云われたって気にしないが可(い)いよ」
「ああ。僕はどうせここの家の厄介者だから仕方が無いや」と、英一はしょんぼりと答えた。
「そんな事は無いよ。お前は竹細工もうまくなったし、よく働いて此家のためになっているのだ。此家ではお前がいないよりも、いる方がよっぽど得になるのだから、お前は決して厄介者じゃないのだ」
「僕もそんなことを云われないように、昼のうちは一生懸命に働いているのだが、何故だか猛夫さんは僕を敵(かたき)のように憎んでいるのだ。昨夜なんかも僕が講義録を読んでるところへ邪魔しに来て、小僧のくせに英語なんか勉強するのは生意気だと云うんだ。それで喧嘩を吹っかけて厄介者と悪口云った。困っちまう」
「へえ。勉強するのが生意気だと云ったのかい。しかし英ちゃん。それはお前の方がエライから、猛夫さんが嫉(そね)んで憎むのだよ」
「僕はちっともエラクなんぞ、ありゃしないや」
だがね。猛夫さんは英ちゃんよりも年が一つ上じゃないか、年が上で中学へ行っているのに、学問はちっとも出来ないじゃないか、字を書いたって本を読んだって、数学をやったって英ちゃんの方がうまいじゃないか」
「そんな事はありゃしない」
「そうだよ。小僧さんをやっていても、学校へ行っていなくても、英ちゃんの方が学問が出来るからそれで猛夫さんが嫉むんで憎むのさ。憎まれるのはつまり、英ちゃんがエライからだよ。だから悪口を云われても、まあまあ我慢をしておいで。それに猛夫さんは此頃は、不良少年の仲間に入っているようだからね。不良少年なんかの云うことを、腹を立てたりしては却(かえ)って英ちゃんのねうちが下るよ」
「そうかい。猛夫さんはほんとうに不良少年の仲間に入っているのだろうか」
「そうだよ」
「伯父さんや伯母さんはまだ知らないのかしら」
「まだ知らないようだよ」
「こまるなあ。伯父さんでも伯母さんでも早く気がつくと可いがなあ。今のうちに意見をして改心させると可いがなあ。そうしないと、不良少年なんて事が学校へ知れると、退校を命じられるかも知れないねえ」と、英一は心配そうに云った。
「退校されたってかまわないじゃないか。自分の心がけが悪いからだ。自業自得(じごうじとく)ってもんだ」
「だけど気の毒だ」
「でも英ちゃん。猛夫さんはお前を憎んでいるんじゃないか。お前の敵と同様だ。そんな人が退校されたって気の毒がるには及ばないさ。好い気味じゃないか」
「そりゃあ猛夫さんは僕をいじめるから、僕だって口惜しい事は口惜しいけど、それでも僕は猛夫さんの不孝になるような事は希(ねが)わない。退校なんかされては大へんな不幸だ。かわいそうだもの」
「ああ英ちゃん。お前はほんとうに善(い)い人だ。寛(ひろ)い心、優しい心の人だ」と、忠吉は感心して云った。
そう云う話をしながら二人は雪を掻いて表を掃除してから細工場に入って、いつもの様に仕事の支度をした。雪ばれの朝日が鮮かに軒にさして、軈(やが)て四人の職工が来て仕事がはじまる。忠吉も手伝う。英一も半人前ぐらいの仕事が出来るから、せっせと働く、伯父も出て来て細工場は賑やかになる。
電話がかかる。あちこちからの註文である。沢山の註文は忠吉が箱車に積んで曳き出す、少しの註文は英一が自転車で届けにゆく。少しの註文の方が多いから英一はなかなか忙がしい。

          *          *          *

夕暮となった。職工たちは仕事を終えて帰って行った。
英一は忠吉と一緒に細工場をかたづけて掃除をした。これで一日の用事も済んだのである。これで夕食がすめば好きな講義録を読んでも可いのである。
英一はそれを楽しみつつ、よごれた顔や手を井戸端で洗っていたが、その時伯父から、
「英公、ちょっと来い」と、呼ばれた。
急いで母屋へ行くと、伯父は金庫の前の机にもたれて、むずかしい顔をして煙草(たばこ)を吸っていた。
伯母は茶の間からジロジロと此方(こっち)を睨んでいた。
伯父も伯母も機嫌が悪そうであるから、「これはきっと何か叱られるのだな」と、英一は思った。叱られるような過ちをした覚えは無いが、気味がわるい。そこで英一はビクビクしながら手をついて、
「御用ですか」と、たずねて見た。
「うむ。用がある」と、伯父は低い声でうなるように云った。
「おれはお前にききたい事があるが、おれの云うことは正直に答えないといけないぞ」
「はい。知ってる事は何でも云います」
「よしよし。それではたずねるが、お前は少し前に、そうだ一時間ばかり前に、ここへ入って来たろうな」
「はい」
「何をしに入って来たのか」
「あの伯父さんが細工場へ帳面を忘れていたから、掃除をする時に僕、気がついてここへ置きに来ました」
「その時お前はちょっと何かしなかったかな」
「いいえ」
「英公。隠すとお前のためにならないぞ。人と云うものは誰でも、つい出来心で過ちをする事がある。しかしどんな過ちをしても、早く云ってあやまればそれで可いのだ。それを隠しているとだんだん云いにくくなる。隠せば隠すほど罪が大きくなる。だから早く云う方が可い。英公。お前は何かしたろう」
「いいえ。僕はただ帳面をそこへ置いただけです。置いてすぐ細工場へ行って掃除にかかりました」と、英一ははっきり答えた。
「そうでは無いだろう。お前は帳面を置いた時に、ここの机にあった紙包を、そっと懐へ入れたろう」
「そんな事はしません」
「覚えは無いと云うのか」と、伯父はジッと英一の目を見詰めた。「しかし英公。よく考えろ。いくら隠しても分っているのだぞ。お前のした事をちゃんと見ていた者があるのだぞ」
「嘘です。僕のしない事を見ていたなんて、嘘つきです」
「嘘なもんか」と、その時茶の間から怒鳴ったのは猛夫である。怒鳴りながら飛びだして来て立ったままに英一を見ながら早口に叫んだ。
「おれが見ていたのだぞ。おれが見ていたのを知らないで、貴様はあの紙の包を取ったのじゃないか」
「猛夫さん。嘘を云っちゃいけません」と、英一は残念そうに見返した。
「貴様はずるい奴だ。懐へ入れたじゃないか」
「お前はだまっていろ。お前はあっちへ行っていろ」と、伯父は猛夫を元の茶の間へやってから、静かに英一に向って、
「英公、お前はあの紙の包を、鼻紙にでもするつもりで持って行ったのじゃないかな」と、云った。
「僕は持ってゆきません。猛夫さんが好い加減な事を云うんです」
「しかし猛夫は見ていたと云うのだ。そこで英公。あの紙包はおれの大切なものだ。あの中には五円紙幣が十六枚入っていたのだ。若(も)しお前が出来心で取ったのなら早く云うがいい。何処かへ隠してあるなら持って来るがいい。持って来てあやまりさえすれば、おれは免(ゆる)してやる。おれは後悔した者は咎めないのだ。だからお前が何処までも知らないと云うなら、しかたが無いから是れから警察へ届ける事にする。そうするとすぐ刑事巡査が来て調べるのだ。お前を警察へ連れてゆく事になるのだが、お前はさおれでもかまわないか。どうだな」
伯父の言葉を手をついて聞いていた英一はこの時奮然として云った。
「僕は警察へ連れてって頂きます」と、ポロポロと涙をこぼした。「僕ばかり疑られてあんまりだ。残念だ。僕は調べてもらいます。調べてもらいます」と、泣きながら叫んだ。
汚らわしい盗みの疑い――他の事なら我慢が出来るが、是ればかりは身の明りを立てねばならぬ。悲憤の涙は止度(とめど)なく流れた。


侮辱の縄 編集

ひとの物を盗む――云うまでもなくそれは甚だ卑しむべきあさましい行為である。
盗みの疑いをかけられる――それは最もけがらわしい恥である。
ほんとうに盗みをした者ならば、盗みの疑いをかけられて恥かしくは無いであろう。盗みをするくらいに、心の卑しき者は恥と云うことを知らないからである。
けれども潔白なる者は、どれほど盗みが卑しき行為であるかと云う事を知っている。それほどであるから盗みの疑いをかけられることを、非常な侮辱と考える。
英一は今その侮辱を受けたのである。毎日毎日正直に陰(かげ)ひなたなく働いていたのにもかかわらず、身に覚えのない罪を被(き)せられたのである。こんな無念なことが又(また)あろうか。相手が伯父であろうとも、あまりにひどい疑いのかけようであるから、こみあげて来る悲憤に、とうとう涙が出たのであった。
しかし伯父は、猛夫の告げ口を信用して、無くなった金は英一が盗んだに相違ないと、疑っているのであるから、英一が泣いたとて少しも憐れとは思わなかった。却(かえ)ってごまかしのそら涙であろうと考えて、
「お前はなぜ泣くのだ。ほんとうに盗まないものなら何も悲しがることは無いだろう。うしろ暗いことがあるから泣くのだろう。だが、英公、お前がどんなに泣いたところで、おれは決して驚かんぞ。ありていに白状しない限りは免さんのだぞ」
伯父はそう云って睨みつけた。
が、英一はほんとうに盗まないのである。盗まぬと云うのが正直なのである。伯父の叱るのに恐れて盗んだと云っては却って不正直になるのである。
英一は不正直なことは云えない。もともと伯父の責めるのが無理なのである。無理な言葉には答えようがない。英一は涙を拭いてだまってしまった。
「さあ英公、云ってしまえ。お前はあの金を何処(どこ)へやった。何処へ隠したのだ」と、伯父は続けて責め問うた
英一はやはり黙っていた。
「こら。何故返答をしないのだ」と、伯父は怒鳴った。
「僕。盗みなんかしません」と、英一は口惜しそうに伯父を見返した。
「盗まないものが無くなる筈がない。こら、強情を張ると張るだけ損なのだぞ。分らんのか、分らなければ分るようにしてやる。ずるい奴だ」
云うと共に伯父は突然手を出して英一を打(ぶ)った。大人の手である。烈(はげ)しい一撃である。撃たれた頰は火の焼けついたような痛みを感じて、英一は目がぐらぐらした。あぶなく倒れそうになったが、歯を喰いしばってじっと我慢して頰をさえた。
「云わないのか。まだ打たれたいのか」と、伯父は又もや手をふりあげた。
「知りません。僕は知りません。知らないものを打ったりして、伯父さん無理です」と、英一は一生懸命に云った。
「うむ。お前は何処までも強情を張る気だな。よし」と、伯父は腕をつかんで英一を引倒した。
そのままぐるぐる巻きに柱に縛りつけた。
「御免なさい伯父さん。こんな事をしないでどうぞ警察いへやって下さい」と、英一はしばられながら叫んだ。
「行きたければやってやる、お前の様な奴は警察へ行って監獄にぶちこまれるがいい。だが、よく考えろ。そうなるとお前の家の恥、親の面よごしになるのだ。それよりも今のうちに白状し免してもらった方が可いだろう。よく考えておけ」
伯父は然(そ)う云いながら茶の間へ去った。残された英一は動くことも出来ずに、しょんぼり顔を垂れていた。
やがて茶の間では夕食の支度が出来て、猛夫も猛夫の妹の玉子(たまこ)も伯母も、雇人の忠吉も女中も賑やかにお膳立の前に並んだ。伯父はいつもの酒を飲みはじめた。みんなが暖かそうに茶の間に集まったのであるが、英一だけはやはり縛られたままであった。打たれた頰がまだ痛い。ずきずきする。縛られた手も痛い。寒い夕暮である。指先も冷えて痛い。
痛いのは我慢も出来るが、それより辛いのは盗みの疑いを受けた侮辱である。正しき者がなぜ疑われる。ほすよしもなき濡衣(ぬれぎぬ)の罪が、たまらなく残念であった。生れてはじめての心の苦しみであった。


同情者 編集

時は過ぎてゆく。九時となった。玉子は寝床に入ったらしい。十時となった。猛夫は二階に上って行った。是れも寝るのであろう。十一時となった。女中も眠ったらしい。伯母も眠ったであろう。声がしなくなった。
しんしんと更けてゆく冬の夜に、英一はやはり縛られたままであった。何といふ長い苦しい時間であったであろうう。いつもならば安らかに講義録など読むべき時を、思いもかけぬ災難の憂目(うきめ)よ。
ようやく十二時過ぎになって、伯父がのっそりと側に寄って来た。
「英公よく考えたか。どうだ。金を盗(と)ったのはお前だろう」
「いいえ」
と、英一は顔を横にふった。「僕はそんな事はしません。今まで一度だって、ものを盗んだことはありません」
「だがお前が盗んだところを猛夫が見ていたのだ。立派な証拠人があるのだぞ」
「嘘です。猛夫さんは嘘を云ったのです」
「嘘かほんとうか、おれにはちゃんと分っている。おれはお前の腹の底まで見透しているのだ。どんなにお前が隠してもだめなのだぞ。お前が今夜ありていに云ってしまえば、おれは此上叱らずに免してやるつもりだ。お前の母親へも何も知らせず、内々に済(すま)すつもりだが、お前がいよいよ隠す気なら、明日は母親を呼びつけて調べさせるからそう思え。こんな事を母親が聞いたなら、もうお前を子と思わぬと云うだろう。怒ってお前を追出すにきまっている。そうなればこの家へだって置いてやる事は出来ない。それでもかまわないのだろうな。お前は」
英一は答えなかった。伯父はしばらく見詰めていたが、到底答えそうもないので、
「よし。それでは明日は母親を呼ぶことにしよう。では今夜だけは」と、云いながら伯父は縛ってあった縄を解いた。
「それ今夜だけは免してやる。寝ろ」
今夜だけを免された英一は、そこを出て細工場の隅の小部屋に帰ると、机代りの箱の前に崩れるように坐って、屹(きつ)と唇を嚙(か)みしてまた。忠吉はもう睡りこんでいたが、英一はすぐには蒲団を出そうともしなかった。
残念さが胸一ぱいに漲っている。寝るどころではない。湧きかかえる激情。頭は火のように熱していた。ありもせぬ事を告げ口した猛夫の陰険さよ。それを信じて自分を責めた伯父の乱暴さよ。
生れてはじめて縄目の恥を見た。抑えても、おさえきれぬ憤恨、悲痛、興奮。おおこの大汚辱の深夜よ。
このままで眠られるか。
と思うと颯(さっ)と涙が走って英一は畳に突伏した。泣声を立てぬように我が腕に喰いついて忍び泣きに泣いた。
細工場の時計が一時を打った。
英一はようやく顔をあげて、例の机代りの箱の中から万年筆と紙とを取出した。しばらく考えてから何かを書きはじめた。長い間縛られていたので手先がぶるぶる顫(ふる)える。顫える指に力を籠(こ)めて一字一句、念を入れて書いた。片手では涙を拭きながら書いてしまうと封筒へ入れて上書(うわがき)をした。何処(どこ)かへ送るべき手紙であった。
それを懐に入れると、そっと立って羽織を着た。鳥打帽子をかぶって小部屋の障子を開けた。
母屋の方では伯父も寝しずまっている。世間もひっそりとした真夜中であるが、英一はこれから俄かに何処かへ出てゆこうとするのであった。
が、その時である。英一が一足部屋の外へ踏みだした時に寝ていたはずの忠吉がむっくり頭をあげた。
「英ちゃん」
小さい声で呼んだのである。
「え」
英一は驚いてふりかえった。
「おい英ちゃん。君は今じぶん何処へ出かけてゆくのかい」
「僕、ちょっと、便所へ」
と、英一はまごつきながら答えた。
「そうじゃないだろう君、便所にポストなんか在りゃしないよ」
忠吉は、英一の懐に手紙のあることを知っているのであった。
「それに君、便所に行くのに帽子を被ってゆく者があるものか。君、嘘を云ってはいけないよ」
と、忠吉は蒲団をぬけて側へ寄った。
「英ちゃん。まあお待ち。君はほんとうはこの家を出てゆくつもりだろう。けれども私は少し話したい事がある。まあお待ち」
忠吉は障子を閉めて、英一の手を引張った。お互いに蒲団の側へ坐ると、忠吉はこう云った。
「英ちゃん、私はね。君がひどい目に遭っていた様子は、残らず陰から見ていたよ。私は君が盗みなんかをするような人でない事をよく知っている。ふだんの行いから見ても分ることだ。それだのに君は飛んでもない疑いを受けた。ほんとうに気の毒に思うよ」
「忠さん。僕は、僕は口惜しい」
「口惜しいのがあたりまえだよ」
「口惜しい」と、英一はたまらなくなって腕で目をおさえた。
この家にたった一人の同情者、それが忠吉であった。忠吉に優しく云われて、英一は又もや悲しみがこみ上げて来たのであった。
「私は察している。ずいぶん無茶な事をされたんだもの。私だって見ていて腹が立ったくらいだ。だがね英ちゃん。口惜しいからって決してのぼせちゃいけなよ。短気なことをしては却(かえ)って君が損になるよ。ね」
忠吉は慰めてから、又言葉を続けた。
「私はね。寝ていたから君がいつここへ帰ったか知らなかったが、ふっと目を覚ますと君がいた。泣きながら手紙を書いていた。それでもまだ私は寝たふりをして様子を見ていたのだよ。すると君は手紙を懷に入れて出てゆこうとした。私は心配になった。ただじゃあない。きっともう、此家へ二度と帰らないつもりで出てゆくのだろうと思った。だから私は呼止めたのだが、英ちゃん。そうじゃなかったかい」
英一は下を向いたままでうなずいた。
「やっぱりそうだったね。それで君は何処へ行くつもりだったのかい。お母さんの方へでも帰るつもりだったのかね」
英一は首をふった。
「ちがったかい。それでは何処へ行くつもりだったかい」
英一は答えなかった。
「英ちゃん。私にほんとうの事を云って呉れないか。私は毎晩こうして君と一つ部屋で寝ていたのじゃないか。今まで隠し隔てをしなかった仲よしじゃないか。それだから君の事を心配してたずねるよ。それに私は君よりも齢(とし)が上なのだ。君よりも好い考えがあるかも知れない。だから打明けて相談して呉れないか」
「僕」と、英一は云いかけたままで考え込んだ。
「一体何処へゆく気かい」
「何処ってきめてないんだ」
「それはいけない。君もう二時近くだよ。こんな夜中に行く先もきめずに出て行ってどうするのかい。当てもなしにぶらついていると途中であやしまれるじゃないか」
「かまわないや。僕もうこんな家には少しの間も居たくないんだ」
「しかし英ちゃん。そんなに独りぎめで、誰にも断り無しに抜出しては、君に悪い事があって、それが恥かしくて逃げだしたように見られるよ」
「僕、逃げるんじゃない」
「だがそう思われてもしかたが無いじゃないか」
「後で分るんだ。僕が盗みなんかしないって事が、明日になれば分るようにするんだ。逃げたんじゃないって事も分るんだ」
「どうして分るよにするのだね」
英一は又黙った。
「英ちゃん。それを聞かして呉れないか。聞いて見て君の考えが好いようなら、私は止めはしない。けれども聞かなければ心配だ。私は無理に止めるよ。わたしもどうか君の冤罪(むじつ)が晴れるようにしてあげたいのだ。ほんとうにそう思っているのだ。私がどんな心の人間かは分って呉れてるだろうね。ね、英ちゃん。私だけには君の考えてる事を話て呉れないか」
「忠さん。僕は」と、云いかけて英一は、急に又しゃくり泣きをした。「僕は死ぬ。自殺するんだ」
「ええッ」
「泥棒なんて、そんな事云われて生きてるもんか。何糞ッ今夜川へ入って死んでやるんだ」
「とんでもない。それでは君、今書いていたのは遺書(かきおき)だったのだね。どれ。見せて呉れ」と忠吉は突然、英一の懐へ手をさしこんだ。
英一はちょっとまごついたが、その間に手紙はずるりと滑り出て膝に落ちたのを、忠吉はす早く拾い取った。
「ああ、これはお母さんへやるのだね」と、忠吉は封筒を見て云った。「お母さんへやるものを、私が見ては悪い、けれどもこれはお母さんへやってはいけないよ。どんなに心配するか分りゃしない。その代り私が見せて貰うよ」
しずかに断って忠吉は封を切った。手紙には次のように書いてあった。
――お母様。恋しいお母様。お母さまにお願いがございます。
僕は今日非常な恥を受けました。今日伯伯父様のお金が紛失したのです。伯父様は僕が盗んだと云うのです。
僕は盗みの悪いことを小さい時からお母様に教えられています。小学校の先生からも教えられています。決して忘れませぬ。小学校にいた時から模範生だと云われていた僕です。どうして盗みなど致しましょう。
僕は争いました。けれども伯父様は僕が盗んだことにしてしまいました。打(ぶ)ったり縛ったりして責めました。どんなに責められても覚えの無い事です。僕はそこまでも知らぬと云いました。
それで伯父様は、明日はお母様を呼んで僕を調べさせると申します。お母様、お母様は僕が盗みなどをするような子でない事を、よく御存じです。お母様だけは誰が何と云っても僕の正直をよく御存じです。
けれどもけれども伯父様には僕が御厄介になっています。伯父様が調べろと云えば、お母様は僕を調べなければなりませぬ。その時のお母様のお心持はどんなでしょう。
僕の正直なことを信じていて下すっても、云いわけをして下さることは出来ません。その時のお母様の苦しみを思うと、僕はもうたまりません。
お母様と僕とが母子(おやこ)揃って恥かしい目を見なければなりませぬ。
お母様、おねがいでございます。どうぞ免(ゆる)して下さい。お母様にまで恥をかけないうちに僕は今夜のうちに墨田川へ入ります。自殺します。死ぬのが何よりも潔白な証拠だと思います。
お母様へは孝行をしなければなりません。お父様が行方不明なのですから、僕は一生懸命に働いて勉強してお母様を御安心させなければなりません。けれどもどうぞ免して下さい。
それから何日(いつ)までも何日までも、僕は潔白な子だと思って下さい。恋しい恋しいお母様、書きたい事がたくさんありますけれど、残念で残念で書けません。察して下さい。姉さまへもよく云って下さい――英一――
手紙にはそう書いてあった。
読んでしまうと忠吉は、ぼろぼろ涙をこぼして英一の手を握った。
「英ちゃん。君はこんなにまで思いつめていたのか」と、咽(むせ)び泣いた。
英一はすがりついて忠吉の膝に顔をおしあてた。


あやしい人 編集

「英ちゃん」と、しばらくして涙を拭いて忠吉は云った。
「君が死のうとまで覚悟したのはもっともだ。君はほんとうに心が清いから、そんな気にまでなったんだが、しかし人間の生命(いのち)は大切なものだよ。まあ気をおちつけて私の云うことをよく聞いて呉れ」こう諭して忠吉は英一の肩をおさえた。
「好いかね。人間はこれくらいな事で死ぬもんじゃない。それに君が今夜死んだりすると、なるほど正直潔白だから口惜しがって自殺したと思う者もあるだろう。けど又ほんとうに盗みをしたから恥かしくて自殺したと思う者が無いとも限らないよ」そう云われると英一は少し顔をあげて、考えるようにじっと傾けた。
「ねえ。そうじゃないか。だから私は止める」と、忠吉は力強い調子で云った。「死んだって駄目だ。それよりも生きていて疑がいの晴れるようにした方が好い」
「それは僕だって、その方が好いのだけれども」
「そこだよ」
「だけど伯父さんが、どうしたっても疑いを晴らして呉れそうも無いんだから」
「そうきめてしまうのはまだ早いよ。ほんとうに盗んだ者が分って来さえすれば、もう君を疑いたくても疑うわけにはゆかなくなるじゃないか」
「分って呉れると好いけど」と、英一は大きな息をついた。
「私はきっと分ると思っている」
「ええ忠さん。忠さんはほんとうに盗んだ人、心当りがあるの」と、英一は急に生々として問返した。
「心あたりと云っても、そうきめられないけど、私はどうもあやしいと思う人が一人あるのだ」
「忠さん、云って聞かして下さい。僕お願いする。話して下さい」
「いえ。まあお待ち。それでは英ちゃんはもう死ぬなんて事は云わないね」
「云わない。決して云わない」
「どんな辛(つら)い事があっても、ほんとうに盗んだ者が分るまでは我慢してるね」
「きっと」と、英一は盟(ちか)うように云った。
「それでは私は、明日の朝からあやしい人に気をつけるよ。私が証拠をおさえて英ちゃんの疑いが晴れるようにしてあげるからね。分ったかね」
「ありがとう有難う。それで忠さん。あやしい人って誰?」と、英一は胸をどきどきさせてたずねた。


一縷(いちる)の光 編集

怪(あや)しい人とは誰であろう。何者を指していうのであろう。英一はその人の名を一秒時も早く知りたかった。
それで急いで問返したのであるが、問われた忠吉はしばらくもじもじしてから、ようやく答えた。
「是れはね、英ちゃん、私だけが腹の中で怪(あや)しいと思っているだけで、まだその人がお金を盗んだという証拠は無いのだから、私は今ここですぐその人の名を云うわけにはいかないのだ」
そう云われると英一は、失望したように頭を垂れた。
「しかし英ちゃん」と、忠吉は慰めて云った。「私はまだ誰が怪(あや)しいとは、はっきり君に告げることが出来ないけど、英ちゃんも気をおちつけてよく考えて見たまえ、怪しい人は誰だろうか。きっと思いあたる事があるにちがいないよ」
「僕は自分が疑がわれてるんだもの、口惜しくて口惜しくて考える事も何も出来やしないんだから」
「けれども英ちゃん。君が盗みもしないのに、君の盗んでるところを見たと言出したのは誰だね」
「猛夫さんだ」
「そうだ。猛夫さんの告口が因(もと)で君は盗みの疑がいを受けたのだ、ねえ」
「嘘つきだ。猛夫のやつが嘘をいったばっかりに、僕は僕は伯父さんから疑われたのだ。ああ覚えもないのに盗人にされちまって」と、英一の眼に又悲憤の涙が浮んだ。
「いいよいいよ。それでね英ちゃん。君は盗まない。盗みをするような人じゃない。私はそう信用しているよ。ほんとうに君を信用しているから、猛夫さんの云出したのは、嘘にちがいないと、私は思っているよ。けれども猛夫さんは何を種にそんな嘘をつくったのだろうか。英ちゃん考えて見たまえ。それは英ちゃんがお金のある場所へ、ちょっとでも立寄ったからだよ。立寄ったところを猛夫さんが見たからだよ」
「僕は立寄ったけど、帳面を置きに行っただけだ。お金なんか盗(と)らない」
「君は盗るもんか。君の正しい心は私にはちゃんと分っている。けれどもお金は君が立寄る少し前か、立寄ってそこを去ってから少し後か、どっちにしてもほんの十分間ぐらいの間に失(な)くなったのだそうじゃないか」
「うむ」
「さあ。お金は十分ぐらいの間に失くなった。その間にその近所へ立寄ったのは、君だけだ。だから君は伯父さんから疑がわれた」
「だけど」と英一は口惜しそうに口をもがもがさせた。
「けれどもそこだよ。英ちゃん。君はお金のあった場所へ立寄ることは立寄ったが、けれど君が立寄ったのをそっと見ていた者があるじゃないか。猛夫さんが見ていたと云うじゃないか。するとお金の失くなった時分にその近所にいたのは君一人じゃない」
「うむ」
「君は帳面をおくためにちょっと立寄って、置いてすぐに出て来たのだが、猛夫さんはその前からその近所にいたかも知れない」
英一はじっと考えこんだ。
「だから」と、忠吉は続けて云った。「英ちゃんが疑がわれるのなら、猛夫さんも疑がわれるのがあたりまえだと、私は思っているよ」
「忠さん」と、英一は覚えず息をはずませた。「それでは忠さんが怪(あや)しいと思っているのは、猛夫さんの事だね」
「怪しいなんて事は内々だよ。そんな事を私が口に出して云っては大変だ。私が云ったりすると此(この)家を追出されてしまうからね。だけど英ちゃんは自分が疑われてるのだから遠慮なんかしなくても可いよ。思うことはずんずん云った方が可い、盗みもしないのに盗人に思われちゃたまったものじゃないからね。だから明日も打たれたり縛られたりしたら、猛夫さんも調べられるのがあたりまえだと云うことを、思いきって云ってやるが可いよ」
「ありがとう忠さん。僕、ほんとうに好いことを教わった」
「だがこんなことを私が入智恵したと云っては困るよ」
「そんなことは決して云わない。僕忠さんに迷惑をかけるような事はしない。僕は公平に調べて下さいと云ってやる。云うとも失敬な。嘘の告口(つげぐち)なんかして――」と、英一は脣を嚙みしめた。


不公平 編集

夜が開けた。猛夫はいつもの通りに、食事がすむとすぐ学校へ行った。
英一もいつもの通りに、忠吉や職人などと一緒に細工場で仕事にかかっていたが、間もなく伯父が奥へ呼びつけた。
「英公」と、伯父は睨みつけて云った。「お前はまだ隠す気か。どうだ」
「僕は何も隠しはしません」と、英一は答えた。
「それならお金を何処においてあるか、正直に云え」
「僕はお金なんぞは知りません」
「そうか。貴様はやっぱり強情を張るのだな。よし、それでは是れを見ろ」と、伯父は今封筒に入れたばかりの手紙をつまみあげて、表の宛名を英一の方へ向けた。
「この通り是れはお前の母親へ出す手紙だぞ。此仲にはいろいろお前の事を書いてあるのだ。これを読んだら母親は驚いてやって来るぞ。お前はかまわないのだな」
「僕は何も悪い事をした覚えはありません。母様(かあさん)が来てもかまいません」
「よしそれでは此手紙はすぐ出すことにする。今日中には母親の許(とこ)に着くだろうから、今夜か、遅くとも明日の朝はやって来る。来たらばおれは母親と相談して、お前を警察に引渡して調べてもらう事にする。それで可いのか」
「はい」
「それより今のうちに白状して、あやまった方がよくはないか。英公」
「僕は盗まないから盗みませんと云うのです。それだのに伯父さんが何でもかんでも僕ばかりを盗人にきめてるのです。それだから僕のいう事を正直だと思って下さらないのです。無理です」
「だがお前のほかにお金の側へ寄った者はないのだぞ」
「側へよっただけで盗人ときめるのはあんまりです」
「寄ったばかりではない。お前は怪しい挙動をしていたのだ。包んだお金をそっと懐へ入れたのを、現に猛夫が見ていたと云うではないか」
「嘘です。猛夫さんは、つくり言を云ったのです」と、英一はもうたまらなくなって奮然として云った。
「なに」と、伯父の声が烈しくなった。「猛夫が嘘つきだと云いのか」
「僕はなんにも懐へ入れません。入れもしないのに入れたなんて云うから嘘つきです。僕が怪しいくらいなら、そんな嘘をつく猛夫さんだって怪しいんです」
「そんなら猛夫の云った事が嘘だという証拠があるか」
証拠な無いのである。英一はグッと詰った。
「それ見ろ」と、伯父は叱った。
「僕――噓だという証拠はないけど、猛夫さんだって証拠も無いのに僕が盗んだと云ってるのです。猛夫さんの云うことは証拠が無くても、伯父さんは信用して、僕の云うことは証拠が無ければ信用して下さらないのです。不公平です」
「だまれ」
「猛夫さんだってお金の近所にいたのです。僕を疑ぐるのなら猛夫さんも疑ぐって下さい。不公平です不公平です」
「だまれ」
伯父はカッとなって平手で英一の頰を打った。
「あ」英一はグルグル目がまうように感じて頰をさえて下に突伏(つっぷ)した。
「貴様はあきれた奴だ」と、伯父は罵(ののし)った。「貴様は罪を猛夫になすりつけるのか。ずるい奴だ」
「ほんとうに恐ろしい悪智恵だねえ」と、側で見ていた伯母も憎々しそうに云った。
猛夫は伯父伯母の一番可愛い息子である。可愛い猛夫を悪く云われたのであるから、伯父も伯母も火のように憤(おこ)ったのである。


刑事巡査 編集

打たれた上に散々罵られてから、英一はようやく細工場へ戻って来た。
「どうしたのかい」と、忠吉がじろじろ見て囁いた。「また打たれたね。頰っぺたが腫れているよ」
「まだ痛い」と、英一は悲しそうにそっと笑みながら頬を撫でた。
「酷いことをするなあ」
「ああ僕は口惜しかった。それでね。伯父さんは僕の母様(かあさん)を呼びつけると云っていた」
「呼んでどうすると云うの」
「僕を警察へやる相談をするんだって」
「ふん。しかし心配しないが可いよ。君の母様が来たらまさか君を警察へやるような事は無いよ」
「だけど僕は警察へやって貰うよ」
「なぜ」
「僕は悪いことをしていないから、警察だって恐くはない。母さんに願ってやって貰うつもりだ。警察なら公平に調べて呉れるだろう。そうしたら僕の正しい事も分って来るからね」
「うむ。その方が好いかなあ」
話している時に電話のベルが鳴ったので、忠吉は急いでその方へ行った。英一は打たれた痕(あと)のズキズキ痛むのを我慢しながら細工物にかかった。
正午(ひつ)が来た。
英一だけは食事をしなかった。罪なくして疑われた。打たれた。罵られた。その無念に御飯も欲しくなかった。
災いの日よ。早く暮れてゆけ――と祈っていた。
夜になれば母が来るかも知れない。盗みの疑いを受けた身が母に会うのは恥かしい。けれども身の明を立てるには母の来た方が可い。伯父と母との相談で警察へやって貰った方が可い。
ようやく夕暮が来た。
職人は帰って、英一は忠吉と一しょに細工場を片づけ掃除にかかった。「今頃はもう伯父さんの出した手紙が母様のところへ着いてるかも知れない」と、そんな事を考えながら床を掃いていると、そこへ鳥打帽子、セルの袴、めい仙(せん)絣(がすり)の羽織を着て外套を抱えた男が入って来て、
「御主人に面会をしたい者です」
そう云って名刺を出した。
忠吉が受取って事務室へ取次ぐと、そこにいた英一の伯父はすぐ、そこへ男を案内させたが、男が事務室で何か挨拶をしている間に、忠吉は急いで英一の側へ来て、
「英ちゃん。今の人の名刺は私はちょっと読んで見たがね」と、こっそり云った。「あの人はK署の刑事巡査だよ」
「あ、それでは僕を調べさせるつもりで伯父さんが呼んだのだろうう」
「そうかも知れないね」と、忠吉は心配そうに首を傾けた。
「きっとそうだよ」
「どんな事を話しているだろうかな」と、忠吉は顧(ふりかえ)った。
事務室は細工場の続きである。細工場から奥へゆく廊下に立つと、事務室で話している事は大てい聞えるのである。
「ちょっと聴いて見ようか」と、云いながら忠吉は廊下へ行って事務室の壁へ耳をあてたが、すぐ驚いたような顔をして英一を手招きした。
立聞きなどをしては善くない――と英一はそう思った。けれども自分を調べるために来ているらしい刑事、そのために伯父と打合せをしているらしい刑事――その刑事が何を話しているか気にかかってたまらない。忠吉がまた招くので英一はとうとう誘いこまれて側へ行った。
事務室の中では今、伯父と刑事とが話している。それが外に聞えて来る。だがそれは英一を調べるための相談であったであろうか。否。否。否。
英一は一心に耳を壁におしつけた。それは何という案外な話であったろう。
「はあ。それで猛夫が何か悪いことをしていたのですかな」と、いうのは伯父の声である。
「いやそうでは無いのです」と、いうのは刑事の声である。
「実は今日警察の方で或る不良少年の団体を検挙しましてね。その団長は下宿屋にいるところを捕まえたのですが、その団長の下宿にちょうど、あなたの御子息の猛夫さんも遊びに行っていたのです」
「へえ。猛夫が不良少年の断腸の下宿にいたと仰有(おっしゃ)るのですか」と、伯父の声。
「そうです」と、刑事の声。
「私は又学校へ行ってる事だとばっかり思っていましたが」
「今日は土曜で、学校は早くしまったから遊びに行っていたのだそうです」
「それで猛夫は警察の方へ連れてゆかれたのですか」
「ただ遊びに行っていたのだけなら可いが、少し怪(あや)しい事があって今は警察へ止めてあるのです」
「あやしいと申しますと」
「それは今日は、猛夫さんはだいぶお金を持っているのえす」
「え――ど、どれほどお金を持っていましたかな」
「八十円ほどです」
「えッ八十円持っていたのですか」」
「そうです。五円紙幣(さつ)ばかりで八十円ほど揃えて持っています。どうも少年にしては余(あんま)り多く金を持っているから警察でも不審に思いました。そこで念のためにお問合せに私が来たのですが、あの金はあなたが猛夫さんに持たせておいたのですか。どうですかな」
「いえ。そうではありません」
「すると家から無断で持出したか、或いはよそで盗んだかどっちかで無ければなりませんな」
「いや恐れ入ります。実は昨日の夕暮に私のお金が八十円ばかり見えなくなりまして、探していたところでした。して見ると猛夫がだまって持出したものと見えます」
刑事と伯父とは事務室の中でそう云う話をしていた。それが微(かす)かに壁の外に漏れて来る。英一は息を凝らしてそれをじっと聞いていたのであるが、しかしそこまで聞くと、もう後は聞かなくてもいい。さっと壁から離れて細工場の隅へ来た。すぐ後ろから忠吉が追っかけて来た。
「英ちゃん。やっぱり猛夫さんが盗んでいたのだったね」
「忠さん。ありがとう。ありがとう」
「もう大丈夫だよ。英ちゃんは青天白日だ。嬉しいだろう」と、忠吉は手を握った。
「僕はうれしい。うれしい」と、英一はポロポロと涙をこぼした。
しかあし冤罪の晴れたうれしさと共に、英一は伯父に責められ縛られたりした事が、いよいよ口惜しくなって来た。もうこんな家にいるもんかという気になって、間もなく伯父の家をぬけだした。
忠吉だけへは、今まで親切にしてのらったお礼をていねいに云ったが、他の者へはお別れの挨拶もせずに、伯父がまだ事務室で刑事と話をしている間に出てしまったのである。


発奮の誓い 編集

英一が郊外の母の住む家へ帰って来た時は、夜の八時過になっていた。もう閉まっている戸を開けると、
「どなたです」と、中からなつかしい母の声が聞えた。
「僕です」
「おや。英一かい」
「はい」と、低い声で答えて、英一は中へ入ってかしこまって頭を下げた。「只今」
母は内職の裁縫をしていたところであった。それを横へ寄せてから、
「どうしたの。今頃どうして帰って来たのです」と、驚いたようにたずねた。
「あの」と、英一はもじもじして、「母様(かあさん)。伯父さんの出した手紙、まだ着きませんか」
「いえ。まだ手紙なんぞ来ませんが、けれどもお前はどうしたの」
「母様。僕もう伯父さんの家にいるのは厭です」
「なぜです」と、母はきびしい声になった。
「英一、お前は我儘を起して逃げて来たのですね」
「いいえ。母様聞いて下さい」と、英一はおとなしく云った。
「昨日の晩方、伯父さんの家でお金が八十円ばかし見えなくなって、それで伯父さんは僕が盗んだと云って――」
「ええ」母はびっくりして睨みつけた。
「僕は盗みません。盗みもしないのに僕が盗んだと、猛夫さんが云い出したのです。だから伯父さんは昨夜(ゆうべ)十二時頃までも僕を責めて打ったり縛ったりしました」
「それから」と、母は急(せ)きついてたずねた。
「はい。今朝も僕は責められて顔を打たれました。僕が何と云いわけをしても伯父さんは聞いて呉れないのです。それで母様を呼ぶと云って手紙を出しました」
「それから」
「けれども夕方になってお金は猛夫さんが盗んでいた事が分ったのです」
「ええ。何ですって」
「猛夫さんは自分が盗んでいながら、罪を僕になすりつけていたのです。それだから僕は何もしないのに疑いを受けて縛られました。打たれました」
「まあ。お前の顔は大へん腫れていますね。そこを打たれたのですか」
「はい。母様、僕は盗みもしないのに盗人と云われ、母様にも父様(とうさん)にも一度も打たれた事のない顔を打たれました。残念です。僕は残念で堪りません」と、英一は握り拳で目をおさえた。
「英一。お前はそんなひどい目にあったのですか」と、母も涙ぐんだ。
「僕は僕は――あんな侮辱を受けた家にいるのは厭です。母様ゆるして下さい。僕はもう伯父さんの家へはゆきません。その代りに僕はこれから自分で働いて勉強します。どんな事でもします。母様僕を我儘だと云わないで下さい」
母は答えず考えこんだ。母が答えなくても英一は一生懸命に云った。
「僕は伯父さんの家の厄介者になっていたからあんな目に遭ったのです。もう厄介になりません。僕は苦学して猛夫さんよりも心の正しい立派な人間になります。母様ゆるして下さい」
そう云って英一は泣伏した。


母の憤り 編集

英一が泣伏すと、母はだまってその様子をジッと見つめた。
貧しい家の冬の夜。電灯は暗い。外はシンとしている。
母はしばらく見つめていた。
可愛い可愛い我が子が泣いているのである。何の罪も無いのに盗みの疑いを受けて、殴(う)たれたり縛られたりしたという我が子、しかも殴たれた横顔が紅(あか)く腫れあがっている我が子――その我が子が残念がって泣いているのである。
泣くのが尤(もっと)もである。
親の身に取っては子ほど大切なものは無い。自分が殴たれたり縛られたりすることよりも、我が子の殴たれたり縛られたりした事の方がどれほど残念だか知れない。
――おお、そんな目に遭ったの。可哀そうに可哀そうに――
母はそう云ってすぐにも慰めてやりたかった。慰めてやりたいのは山々であるが、然(しか)し母は英一の話した事をすぐには信用しなかった。片口だけでは本当の事が分らないからである。
どんなに我が子が可愛くても、我が子の言葉ばかりを聞いただけで、伯父を恨むことは出来ない。英一にも悪いことが無いとも限らないからである。で、母はしばらく思案してから、
「英一、今お前の話した事には少しの詐(いつわ)りも無いのでしょうね」と、厳しい声になって念を押した。英一は急いで涙を拭いて顔をあげて、「僕、決して噓なんかつきません」と、誓うように答えた。
「母様(かあさん)は明日の朝、伯父さんに会いにゆきますよ。会えばお前の今云った事が嘘か真(まこと)か、みんな分ってしまうのですよ」
「分った方が僕いいんです」
「けれどもお前は、今夜は伯父さんに無断で逃げて来たのでしょう」
「あんまり口惜しいんですもの。あんまり酷い事をされたから黙って来たのです」
「お前に悪い事が無いのなら、何も逃げて来なくても可い。ちゃんと断って帰ったら可いだろう。それだのにこんな夜になってこっそり帰るなんて、英一、お前は何かよくない事をして来たのじゃないの。その云いわけのために母様に好い加減なつくり事を云ってるのじゃないの」
「いいえ」と、英一は強く首を掉(ふ)った。
「伯父さんの家で紛失(なく)なったと云うお金も、たしかに猛夫さんが持出していたのですか。全くお前は知らなかったのですか」
そう云いながら母が見詰めると、英一はどうしたのか。何とも答えず唇を嚙みしめてうつむき込んだ。その儘容易に答えそうもないから、母は怪しそうに重ねて云った。
「どうしたの英一。お前は何故返事をしないの」
英一はやはり答えなかった。今にも又泣きそうに。
「英一――」と、母は愈々怪しんで今度は叱るように問いつめた。「なぜはっきりと返事をしないのです」
「だって」口許をピリピリふるわせながら英一はようやく答えた。「僕は今まで何一つ他(ひと)の物を盗みません。僕は潔白です。それだのに母様までが僕を疑ぐるんですもの、僕は悲しくなります。悲しくなります」
「ああ。然(さ)うだったね」と、母は厳しい顔を少し和げて静かにうなずいた。「お前は今まで行いの正しい子でしたね」
「どうぞ母様。僕を疑ぐらないで下さい。僕は盗みや嘘をついたりするような、そんな汚ない根性じゃありません」
「分りましたよ。母様はお前の心をよく知っています。それだのに疑ぐったりして、是れは母様が悪かったね。あやまりますよ」
「いいえ」
「母様はただお前を試す心算(つもり)で訊いて見たのです。けれどももうお前の話す事を信用しますよ。それでお前の云う通りだとすると、母様も伯父さんのなすった事を黙ってはいられません」
「なんでもかんでも僕を盗人にきめてしまって責めたのですもの。僕はあそこの厄介になっているからバカにしたんです。盗みをするような人間に見られたのが残念です。口惜しくて口惜しくてたまりません」
「尤(もっと)もですよ」
「もう死んだって伯父さんの家なんかの厄介になりません。母様。お願いです。どうぞもう伯父さんの家へやらないで下さい」
「英ちゃん」と、その時母ははじめていつもの優しい声になった。英一――と厳しく呼んでいたのが、いつもの通りの懐かしい呼びかたで英ちゃんと呼んだ。
「英ちゃん。母さんはね。お前を小僧さんにやっても、先方(さき)が伯父さんの家だから、親切にして下さる事と思って安心していたのですよ」
「はい」
「安心はしても毎日毎日お前のことを思って、風邪(かぜ)をひかぬように怪我の無いようにと祈らない日は無かったのですよ」
「はい」
「ね。そんなに母様は英ちゃんを大切に思っているのに」と、母は深い深いため息をついた。
「あんな家へ奉公へやって、ほんとうに辛(つら)い目をさせましたね」
母は英一の横顔を見て又(また)云った。
「英ちゃん。少しそっちを向いて御覧。まあそんなに目の下が腫れている。目が重くはないの」
「ええ。けれどももう痛くはありません。母様心配しないで下さい」
「それにしても、そんなになる程殴(う)つなんて伯父さんも恐ろしいお方だ。過ちがあれば叱るのは当然だけれども、それでも殴ったり縛ったりされてはたまるものですか。まして罪も無いのにねえ――」と、慈愛をこめて母は見入った。
母の情を身にしみて英一は手をついて聴いていた。母の情が嬉しいにつけても、嬉しさが何となく悲しくなって顔をあげる事が出来なかった。その時母が涙ぐみながら慰めて云った。
「もうもうそんな鬼のような伯父さんへ、二度とお前を奉公にやりません」


同学の友 編集

英一は伯父の家に雇われて小僧さんとなっていたのであるから、もう伯父の家に行かないとなると、その事を断って伯父から暇をもらわねばならない。断りなしに行かないとなると、逃げだしたと云われてもしかたがないからである。
で、明(あく)る朝が来ると母が断りにゆくこととなった。
断っても伯父は暇を呉れないかも知れない。何故ならば英一は十六歳になるまで雇われている約束で小僧さんになっていたのだからである。今はまだ十歳才。今断っては約束を破ることになる。
けれども伯父のした事はあんまり残酷非道であるから、たとえ伯父が承知しなくてもかまわずに、暇をもらうつもりで母は出かけて行った。
英一は六歳(むっつ)の妹の富子と二人で留守居をした。郊外から市内の下町の伯父の家まではだいぶ遠いのであるから、母は正午(ひる)を過ぎても帰って来なかった。
富子は近所の子供とよく遊んでいたが、しかし英一は談判がどうなるか気にかかるので母の帰るのが待遠しかった。とうとう表へ出て電車の停留場の方を今か今かと眺めていたが、その時一人の少年が急ぎ足に通りかかった。古ぼけた学生服を着て書籍(ほん)包を抱えたその少年は、英一を見るとすぐ立止まって、ニコニコと呼びかけた。
「新田(にった)君――」
「やあ原君か」
英一はびっくりしたような目をして、しかし懐かしそうにすぐ微笑(ほほえ)んで云った。同時に互いにすり寄って握手した。少年は小学時代の同級。殊に睦ましくしていた原武彦である。
去年の春卒業すると間もなく、英一は小僧さんとなった。武彦は或(ある)新聞社の給仕君に雇われた。思い思いの異(ちが)った道、それきり会う機会も無かったが、しかし手紙の交換は絶えなかった。蛍の光。窓の雪。同学の友愛は手紙の上に続いていた変らぬ心。結んだ友垣。おおその級友(クラスメート)。
久しぶりに会ったのだ。湧きたつ歓び。胸はおどる。
空は晴れている。そこらには梅が咲いて雀も嬉しげに啼(な)いている。
「君、この頃は家へ帰っていたの」と、武彦は問う。
「昨夜帰ったばかりさ」と、英一は笑った。
「休暇?」
「ううん、もう奉公をやめるつもりで帰ったのだ。君、家へ寄ってゆかないか」
「ありがとう。寄りたいけど遊んでいられないのだ。けれど折角会ったのにすぐ別れるのは惜しいなあ。まあここで話そう。それで君是れからは家にいるのかい」
「そうはゆかない。すぐ又なるたけ早く職業をさがすよ。今度は小僧なんかならないで、何処(どこ)かへ勤めたいのだ。その方が勉強するのに都合が可いと思うからね」
「然(そ)うだね」
「雇って呉れるところが無かったら、納豆(なっとう)売をやるよ。あれなら独立独歩の職業だ。新聞の呼売も好いな」
「あれも好いな。勇敢だ」と、武彦は少し考えて、「けども新田君。それなら君は給仕になって見る気はないか」
「あ。新聞社のか」
「うむ」
「君と同業か。好いねえ。君の社で募集しているかい」
「募集してはいないけど、若し君が来る気があれば僕が社へ頼んで見てもいい」
「えッ然うか」と、英一は飛立つように目を輝かした、「頼んで呉れる?」
「うまく採用して貰えるかどうか。そこのところは分らないんだけど」
「それは原君。どうぞお願いしたいな。ああ云うとこの給仕を僕は前から望んでいたのだから」と、英一は熱心に云った。
「採用して貰えば、僕大いに奮励して勤める。決して怠けたりなんかしないから」
「君は勤勉家だから安心だよ。そこで新聞社の給仕は夜勤と昼勤と両方だるんだが、君はどっちを望むかい」
「出来ることならやっぱり君のように夜勤が好いなあ。そうすれば昼のうちは学校へ通えるじゃないか。けれども昼勤だって僕は喜んで雇って貰うよ。なにしろ早く職業に就かないと云えが困るんだからね、原君ほんとうにお願いするよ」
「よし。一生懸命に頼んで見よう。それでは今日はこれで失敬して、ええ――うまくいってもゆかなくても、二三日中にお知らせをしよう」と、武彦は帽子を脱(と)った。
「ありがとうありがとう」と、英一は帽子を脱ろうとした。が、頭へ手をやると帽子はかぶっていなかった。
英一は笑った。武彦も笑った。


光明の入口 編集

日が西に廻って空はあやしく曇って来た。北風も出て寒さが身にしむ。木の枝がヒューヒュー鳴る。霙(みぞれ)でも降って来そうになった。
「降らない間に帰ると好いがなあ」
英一は母のことが心配になって来た。あんまり帰りが遅いからである。乱暴な伯父にひどい目に遭ってるのじゃないかと思いやったりした。
しかし何となく嬉しかった。原武彦に会ったからである。親切な武彦が給仕に世話して呉れるかも知れないからである。まだあてにはならないが、けれども夫(そ)れは希望の光りの一つである。
英一は心配したり喜んだりして母の帰りを待っていたが、漸(ようや)く帰って来たのは夕暮近くであった。
「お帰りなさい。寒かったでしょう」
英一は富子と一しょに行儀よく垣根の外で出迎えた。母はニッコリ笑って、
「大変遅くなったね。富ちゃんは泣かずにいましたか」と、云った。
「ええ大人しく遊んで呉れたから、ちっとも世話が焼けなかったのです」と、英一は答えた。
「おお好い子好い子」と、母は富子の頭を撫でた。家へ入って母が火鉢の側へおちつくと、英一は待兼ねたように、
「母様。伯父さんは暇を呉れましたか」と、たずねかけた。苦情を云わずに暇を呉れたかどうか。それが気にかかってたまらないのであった。
「伯父さんはね」と、母はしずかに答えた。
「なかなか承知して呉れませんでしたよ。英公はちょっと殴(う)たれた位に逃げだしたりして我儘な奴だ。連れて来いと、そんな事を云って憤(おこ)ってね」
「ちょっと殴ったあんて、驚いたなあ。あんなに酷い目に遭わせておきながら」と、英一は憤慨した。
「それから今まで雇って世話をしてやっていたのに、僅か殴たれたくらいで急に暇を取ろうとするのは恩知らずだ。そんな者の云うことを聞いて暇を貰いに来る親も恩知らずだ――と云って、大そう母様(かあさん)へ悪口を云いましたよ」
「でも母様。はじめ伯父さんは余暇に学校へ通わせて呉れる約束で、僕を雇ったのじゃありませんか。約束通りにして呉れれば僕だって有がたく思います。しかし僕は雇われてからは毎日忙がしく追使われえいました。一時間だって学校へやって貰った事はありません。だから仕方が無いから講義録を取って、夜遅くなって勉強していました。それでさえ猛夫さんに邪魔をされていた位です。僕は恩をうけたどころか、却(かえ)って伯父さんの店のために力一ぱい働いてあげた位です」
「けれどもね。伯父さんは自分勝手のお方だから、云いたい放題の事を云います。それで色々苦情を云ってとうとうしまいには、英公が暇を取るならもう親類とは思わない。この後口もきかぬから然う思え。と火のようになって怒鳴(どな)りましたよ」
「僕。あんな親類なんか無くてもかまいません。不良少年の猛夫さんなんか、従兄と思って呉れない方が却って可(い)いくらいです」
「それはね、親類の縁を切られたからって、母様も困りはしませんが、ほんとうならば今度の事は伯父さんの方があやまらなければならないのです。罪も無い英ちゃんを拷問したのですもの。それだのにそんな無茶な逆ねじを云ったのは、是れは英ちゃん。私たちが貧しいから侮ったのですよ」
「然8さ)うですともバカにしたのです」と、英一は悲憤の拳を握った。「失敬な」
「それでも英ちゃん。母様は何と云われても口返しはしませんでしたよ。我慢しておとなしく聴いていました。その代り英ちゃんの暇は貰って来ましたよ」
「はい」
「英ちゃんはもう今日限り伯父さんの家の小僧さんじゃないのだから、何をしようとも勝手です、可いでしょう」
沈んだ顔になっていた母は、そう云っておっとり微笑した。
「母様ありがとうございました」と、英一は安心したように息をついだが、其(その)目はすぐ無念そうに曇って来た。「僕は安心しました、けども母様はその為に伯父さんから、散々悪口を云われて来たのですね。母様をそんな辛い目に遭わせて済みません――済みません。僕の為に」
「いいえ。母様はかまいません。もう済んでしまったのだもの。それよりも母様がこんな話を打明けるのは、こう云うように侮られて親類の縁まで切られたことを、英ちゃんによく覚えていて貰いたいからです」
「忘れません。決して」
「でも覚えていて伯父さんを恨めと云うのではない。然うではないのですよ。覚えていて是れを励みとして、親類などの力をたよりとせずに一本立になって下さいと云うのですよ」
「よく分りました」と、少し考えてから英一は云った。「母様安心して下さい。僕はじきに職業を見つけます。そして働きながら勉強します。是れからが楽みです。これからが愉快な奮闘ですよ」
「ああ。どうぞね。お前は勉強好きだから出来るものなら中学へも入れてあげたいのだけれども、何と云ってもお父様は行方不明だし、すっかり家は貧乏しているのですからね。だからどうぞ其元気を失わないようにして、是れからしっかりやって下さいよ」
「僕はね。働きながら、勉強したって猛夫さんなんかには負けません。今に伯父さんからも侮られないような一本立の身分になって見せます。やりますとも。きっときっと」
英一は熱情をこめて母を見た。母はしんみりとうなずいて見返した。
「それでね母様。今日僕は原君に会ったのです」と、英一は続けていそいそと云った。「そらあの僕と一しょに卒業した原君」
「はいはいあの原さんにかえ」
「ええ。原君は今新聞社の給仕をやっているんです。だから僕がこれから職業を探すのだって話すと、給仕になる気なら社へ頼んであげると約束して呉れたのです」
「まあ。御親切にねえ」
母は嬉しげに云った。貧しい家の寒い夕暮。

          *          *          *

それから三日目、一枚の端書(はがき)が英一の家へ舞込んだ。
――新田君。一昨日は失敬。あの事を社の係りの人へ頼みました。人物試験の上採用するそうです。人物試験。大変だ、だが、大臣になる試験じゃ無し。実は人間の足は何本ありや、位の質問です。君なら合格。きまっている。明日午前九時頃社へ来て下さい、僕が待っています――
と書いてあった。原武彦からのたよりであった。
「よし」と、英一は腕を叩(たた)いた。
人物試験何のその――と思った。次の日が来た。十ヶ月ばかり小僧さんをしていた英一はその朝久しぶりに小倉の袴を穿(は)いて家を出た。約束の時間には武彦の勤めている新聞社の前に立った。
大震災で焼た社であるから、まだ仮建築である。だが仮建築でも二階建の広い洋館である。堂々たる構えである。
「試験に合格したならば、夜勤の給仕に採用されたならば――昼は中学へ通えるようになるのだ」と、入口の扉(ドア)歩みよりながら、英一は腹の中で叫んだ。「ここが光明の入口だぞ」
彼は勢いよく扉を開いた。が、若し合格しなかったならば、そこは失望の入口となるわけである。


新聞社 編集

英一は新聞社というようなところへ来るのは、今日が初てであるから、扉(ドア)を入ると共にちょっとまごついた。中は銀行のような構えになっていたのだが、どの口が受付かすぐには分らなかったのであった。しかしその時、
「新田君」
と横から声をかけた者があった。原武彦であった。
「あ、原君」と、英一は嬉しそうに目をまるくした。
「もう君が来る時分だと思って、ちょうどここへ見に出たところだったよ」
「ありがとうありがとう」
「早かったね。さあ、こっちへ来たまえ」と、原は英一を応接室へ誘った。
「昨日は端書をありがとう」と、そこで又英一はお礼を云った。
「なあに」と、原はニコニコした。「さあ腰をかけたまえ」
「今日は君昼勤めなのかい」
「ううん。然(さ)うじゃないんだ。僕は夜の給仕なんだけど昨夜(ゆうべ)は当直で泊まっていたんだよ。それで丁好いから君を待っていた」
「当直の時は何時まで勤めるの?」
「午前三時ぐらいまでさ。それから一寝入りできるよ。だから僕は当直の時はいつも、社でゆっくり寝ておいて、それから家へ帰らず学校へ行くことにしてるのだがね。今日は学校は休みだから今まで遊んでいたのだ」
「僕のために済まないなあ」
「かまわないよ。僕も君が一しょに勤めるようになって呉れるのを楽みにしているんだから」
「どうか然うなりたいなあ」
「大丈夫だよ。君が採用されなければどうかしている。ちょっと待っていたまえ。宇佐(うさ)さんて人が給仕を採用する係だからね。今宇佐さんの御都合を伺って来るから」
原は英一を残して何処(どこ)かへ去ったが、間もなく引返して来て、
「君、宇佐さんがすぐ会うそうだ。君の人物試験だ。けど心配はないよ。君のエライところを見せてやりたまえ」
そう云って事務室へ案内した。広い事務室には多くの卓(テーブル)が並んで社員等(たち)が仕事をしていた。ストーブの前には給仕たちが息(やす)んでいた。英一は胸がドキドキしたが、連れてゆかれたのは布袋(ほてい)様のような老人の前であった。
老人は髪と筆とを出して、「ここで住所、姓名、年齢、父母の名を書いてごらん」と、云った。
英一はていねいに書いた。
「新田英一君だな」と、老人はそれを取って眺めてから、又英一の顔をジロジロ見た。「君は身体は健康かな」
「じょうぶです」と、英一は答えた。
「それは好いな。今まで病気に罹(かか)ったことはないかな」
「はい――あの、ちょっと感冒(かぜ)をひいたことはあります」
「それは感心だ」と、老人は笑談(じょうだん)を云った。「もっとエライ病気に罹った事はないか」
「ありません」
「惜しいことをしたな」
英一は黙っていた。
「君は自転車に乗れるか」
「乗れます」
「君はどういうわけで給仕に雇ってもらいたいのかな」
「家が貧しいから、働いて勉強したいと思います」
「君のお父様は何をしている」
「南洋の方へ行って――三年前に行ったきり、手紙が来ません。どうしているか今は分りません」
「それは困った事だな。すると生きているのか、いないのかも分らないんだな」
実際は老人の云うとおりである。しかし英一は然(そ)うだと答えるのは厭(い)やであった。で、「いえ」と、首を振って、「生きています」と云ってしまった。
「ふむ。では誰か他の人からでも生きていると云う知らせがあたのかか」と、老人は問返した。
「いいえ」
「ではどうして夫(そ)れが分ったのかな」と、老人は怪しそうにジッと見詰めた。不審するのが尤(もっと)もである。
父よ。生きてあれ――と英一はいつも思うのである。確かに生きている事が分ったならば、それはどんなに幸いであろう。けれども悲しいかな父の運命はまだ解き難き謎であった。確かな事を問われては、英一は答える事が出来なかったのである。
英一が黙っているので、老人は顔を傾けて又云った。「ふうむ。お父様からたよりも無い。又誰も知らせて来ないのにどうして君に分ったかな」
「僕は」と、ようやく英一は悄乎(しょんぼり)として云った。「きっとお父様が生きて下さると思っています。毎日生きているように祈っています」
「ああ、そうか。君が心でお父様の生きている事を信じているから、それで生きていると云ったのだな」
「はい。今に帰って来て下さると信じています」
「なるほど」と、老人はうなずいて、すぐ別な事を尋ねた。
「君は東京区裁判所は何処にあるか知っているかな」
「は」と、すぐ答えた。「日比谷公園の裏門の向うです」
「イタリー大使館は?」
「知りません」これもすぐ答えた。
「警視庁は?」
「知りません」元の警視庁は知っているが、あの赤い大きな建物は震災で焼落ちたのである。今は何処に移っているのか知らない。知らないものは、仕方がない。英一は潔く答えたのである。
すると老人は何か考えるように黙りこんで巻煙草(たばこ)を吸いつけた。
人物試験はそれで済んだらしい。落第か及第か。希望が絶望か。英一の胸は烈(はげ)しく波打ったが、少しすると老人は口を開いた。「君は夜勤の給仕を望んでいるそうだが、然(そ)うかな」
夜勤の希望を原が頼んでおいて呉れたのだな――と思いつつ、英一は、「なるだけ僕は夜の方が好いんです」と答えた。
「よろしい。それでは夜の方へ来て貰うことにしよう。勉強して勤めて呉れないといかんよ」
通過(パス)――成功――と英一の胸に響いた。ドッキリして飛びたつように嬉しかった。
「決して怠けません」と、誓うように云った。「それで何日(いつ)から来て可いのでしょうか」
「然うだな。明日からにしたが可いだろう」と、老人はストーブの方を見た。そこへ退(さが)って心配そうに此方(こっち)を眺めている原を見つけると、手招きして、
「新田は夜の編輯部の給仕に採用するからな。君が気をつけてよく仕事の様子を教えるのだぞ」と、命じた。
「はい」
「意地悪をすると――ぶち殺すぞ」と、老人は不意に打つ真似をした。
「やあ。恐い」と、原は飛びのいて笑った。
「そのつもりで」と、老人はニヤリ笑った。「是れから社内を方々見せてやれ」
「僕は安心した」と、連れられて二階へ上りながら螺旋(らせん)形の階段の中途で、英一は原に感謝した。「君のおかげで雇ってもらえたのだ。ほんとに嬉しい」
「僕も嬉しい。好かったねえ」と、原は英一の肩を打った。
「今のが宇佐さんと云うのだ。あの人が給仕も小使も取締まっているのさ。時々笑談を云う人だ」
「親切そうな人だねえ」
二階へ上ると原は編輯室(へんしゅうしつ)を先に案内した。そこで英一も明日の夜から働かねばならぬからであった。政治部、経済部、社会部、学芸部――いろいろに分れているのを原は委(くわ)しく説明した――あそこが校正部。こっちが電報部、言論部、あの今欠伸(あくび)をしたのが編輯局長だよ」
その部の記者も忙がしそうに筆や万年筆を走らせていた。電話も忙がしい。給仕も小鳥のように卓の間を縫っていた。
「みんあが活動している。面白そうだな」と、英一は思った。会議室やその他の室々も教えられてから工場へぬけると、そこでも文選(ぶんせん)や植字(しょくじ)の職工が戦争のように働いていた。下の機械場では輪転機が並んで猛獣の群れのようにうなっていた。
見るものが悉(ことごと)く英一には愉快であった。自分も明日からこの活動の中へ入れるのだと思うからであった。しかし見るだけを見てしまうと、急に家へ帰りたくなった。
「おお母が待っている。自分が雇われたことを母はどんなに喜ぶであろう。おお早く帰って知らせたい」
希望に満ちた歓びを抱いて、英一は社を出ると、いそいそと電車に乗った。
「急げ電車よ」
原も一しょに乗った。愛する友が職業を得たことを祝福しつつ――空晴れて二月日和の春めけるかな。


月給取 編集

次の日は、英一の初めての出勤日。
「気をつけて皆様に憎まれないようになさいよ」と、母から注意されて家を出た。社に着いたのは夕暮前である。
その夕暮が英一の新たな奮闘生活の第一歩であった。初めての事であるから何となく心配でもあったが、しかし原が親切に、ちょうどお守でもする様に絶えず世話を焼いて呉れるので、馴れない英一も過ちなく働くことが出来た。
その夜は八時から先が忙がしかった。九時十時が最も忙がしかったが、どんなに忙がしくても給仕の仕事は六(む)ずかひくは無かった。忙がしい方が却って英一には愉快であった。
十一時半となると、後は当直の給仕たちが引受けるので、今夜の英一の勤めは終りとなったが、途が遠いので家へ帰った時にはもう午前一時前になっていた。
「英ちゃんかい」
戸を開けると共に中から母が云った。
「只今」元気よく答えて入っつて見ると母はこの夜更(よふけ)にまだ内職の裁縫をしていた、「母様(かあさん)まだ寝なかったのですか」
「英ちゃんが働きに出ているのに寝たりしては勿体ないわね」
「だって母さんは昼も働いているんじゃありませんか。僕にかまわないで寝ていて下さる方が好いんだがなあ」
「けれども今夜はね。英ちゃんが、どんなにして勤めているかと思うと、目が冴えて眠くはなかったよ。英ちゃん。どうだったの。辛(つら)くはなかったかい」
「いいえ、伯父さんとこの奉公よりもよっぽど楽なんです。だから怠ける者までありますよ。ねえ母様。給仕は用の無い時は大ていストーブに暖(あた)っているのですが、その時―給仕ッ――と呼ばれるとしますね。すると直(すぐ)にハイと云って立つ者は滅多に無いんですよ。聞えないふりをするんです。他の者がハイと云うだろうと思って、めいめい黙っているんです」
「おやおや」と、母は少し笑った。「まあ皆さん。御用の塗(なす)りつけ合いをなさるのですかい」
「然(そ)うなんです」
「それは良くない癖ですよ」
「だから僕は考えました。僕だけはそんな真似をしないで、手が空(す)いていれば何時でも一番にハイと云って立たなければならないと考えました。雇って貰ったのは働くためですものねえ母さん」
「それがあたりまえですとも、給仕を勤めている間は立派な給仕だと云われるようにしなければ恥です。あの給仕は怠け者と云われては、自分で自分のねうちを落すようなものです」
「ええ熱心にやってればだんだん信用して貰えますからね」
「そうそう人間には信用が大切ですよ。けれども英ちゃん。誰もね。新参のうちは真面目だけれども、追々慣れて社の様子がよく分って来ると、ぽつぽつずるい気が起って横着になるものですよ。お前も今の考えを後まで忘れないようにして下さいよ」
「僕は決して忘れません。併(しか)し母さん。原君だけは立派な給仕ですよ。実によく働くんです。だから信用があるから、信用のある原君が頼んで呉れたから、僕も都合よく夜の給仕になれたんですよ」
「ほんとうに好かったね。原さんの御親切も忘れてはいけませんよ」
「ええ。それから母様。僕。母様にお願いがあるんですがねえ」
「どう云う事?」
「あの。これから僕、昼は閑(ひま)でしょう、だから中学へ行きたいんです。もうじき方々の中学の入学試験がはじまるから、僕は二年の補欠を志願して見たいんですがねえ」
「そううまく英ちゃん、二年に入れて貰えますかえ」
「大てい合格できるつもりです。いえ。きっとです。ねえ。母さんやって下さいませんか」
「私もねえ英ちゃん」と、母はシンミリと云った、「お前は学問好きだから、どうぞ中学へやりたいやりたいと母さんも何時も思っていたのですよ」
「はい」
「思っても思うだけでどうにも出来ないし、可哀相に奉公になんかやっていたのだけれど、しかし今度はお前の力で職業に就いたのだからね。お前が働きながら学校へと云うのだもの。母さんはどんなに嬉しいか知れません」
「えッ。それではやって下さいますか。母様許して下さいますか」
「ああ可いとも可いとも。どうぞしっかりやって下さいよ」
「嬉しい――」英一は喰いつくように云って、両手で頭を抱えて忽ち畳に突伏した。それでも我慢が出来なくて転がりまわった。たまらないほど歓びがこみ上げたのである。
可愛い我が子がそんなに喜ぶのを見ると、母も嬉しくて涙ぐんで、
「ほほ英ちゃんはそんなに思うのかい」
と、云いながら眼を拭いた。「ほんとうだね。嬉しいだろうね」
「ええ僕はね」と、英一は起直った、「明日からすぐ受験準備をします。万歳です。母様ありがとうございます」
「はいはい。それでは然うきめて、さあさあ早くお寝なさいよ」
寝床は母が敷いて呉れてあった。歓喜の真夜中。外はシンシンとして二月の余寒に星霜(ほししも)が冴えても、家のうちには温い慈愛が滔々(とうとう)と流れていた。
翌(あく)る日からの英一は目ざましい奮闘をはじめた。昼のうちは熱心に独学し、夜は社に出て勤勉に働いた。幸いに彼は身体が強壮である。その上に奉公しただけに苦労に慣れている。
彼は職業と学問との両方に励んで、あぐまず撓(たゆ)まず、向上進取の戦線に立つ少年勇士であった。
こうして奮闘の日々が過ぎて二月も終りかけた或日。いつものように社に出ると、会計係から呼ばれて一封の西洋封筒を渡された。それが此(この)月の月給であった。
英一はそれを大切に懐へ入れて、臍(へそ)のあたりへギュッとおしつけた。生れてはじめて月給と云うものを貰ったのであるから妙に気にかかって、働いている間にも、時々懐を探って見たりした。
ちょうどその夜は当直で社に泊まっが――どうしたのか何時の間にか月給袋を何処かへ落してしまったので、彼は非常に心配してフランスまでも探しに行ったが――併し併しそれは夢であった。
目が覚める暁になっていて、月給袋は、何処へも逃げずに、正直におへそに引っついていた。
「ふふふふ」
ひとりで笑いながら帰り支度をした。外はまだうす暗かったが電車はもう動いていた。家に帰った時には朝日が出て、母は朝御飯の膳立をして待っていた。
「母さん只今。昨日は月給日だったのですよ。これを貰って来ました」と、英一はすぐ袋を母に渡した。
「まあ。まだ開けなかったの」
「ええ母さんに見せるまでは開けたくなかったのです」
「ほんとうにお前は母さんを大切に思ってお呉れですねえ」
「だって、あたりまえじゃありませんか」
「ほほ、それでは母さんが開けてみましょうかねえ。どれ」と母はそっと封を切って見た。「まあ英ちゃん、こんなにどっさり入っていますよ」
「やあ有難いな」
「えらいわねえ。英ちゃんは」
「僕これで、もう少年社員ねえ。母さん」
「ほほ月給取の坊ちゃんですよ。ああお父様がいたらどんなにお喜びだろう」と、母は月給の紙幣を元のように袋に入れて部屋の隅の机の方へ持って行った。
そこには行方不明の父の写真があった。母はその前に袋をおいてから、静かに手をつき頭を下げた。
「お父様。英ちゃんが元気に働いて、こんなに月給を頂いて来ました。賞(ほ)めて下さいよ。お父様」
そう云って母はハラハラと涙をこぼした。
「けれどもお父様がいらしったら、英ちゃんを給仕にするような事もないのにねえ」と、母は顧(ふりかえ)って英一を見た。「ほんとにお前に苦労をさせます、済まないねえ」
「母さん。そんな事を云わないで下さい。僕は九郎だなんてちっとも思やしません」
「はいはい。お前がそんなにしっかりしているから母さんは安心ですよ」
「それにねえ母さん。僕はお父様はきっと生きていると思います。今にヒョックリ帰って来そうな気がしますよ」
「どうぞ帰って下さると好いがねえ」と、母は深い深い息をついた。
ああ南洋、雲はるかに音信(いんしん)絶えて三年、父は生きてありや否や。

          *          *          *

三月が来た。
どの中学でも新入学生を募集しはじめた。二年級の補欠募集をするところもあった。英一は二つの学校へ志願書を出した。一つは原武彦の通っているA中学、一つは家から近いB中学。
やがてA中学の方の試験のにちが来た。
少年学生が一度は越えねばならんう競争試験――奮闘児英一はその戦線にいよいよ立つ事となった。未来に待つのは光明か暗黒か。


その金は 編集

通過(パス)――
険しい坂を登りつめて、ようやく峠の頂きに達して前方を見渡した時、旅行者はほっと一息つくであろう。強風(きょうふう)大濤(だいとう)の海を渡って、おだやかな湊(みなと)へ入った時、船員たちはさぞ嬉しかろ。
少年の日の中学入学試験の合格は、それにもまさった歓びである。
通過
英一にもその歓びが来た。しかも二年級の編入試験を通過したのである。原武彦と同じ中学の校門を出入りする資格をりっぱに握ったのである。
その発表の日、合格者たちの番号が、掲示場に貼出された朝、その前に立った英一は、我が番号を見出すと共に覚えず呟いた。
「ありがとう。僕の番号よ。有難う」
番号の文字は何とも答えなかったが、英一の目は希望に輝き、胸は昂奮して波打った。
だがしかし、安心はならない。何となれば英一は学校ばかりにかじりついていられるような幸福なる少年ではないからである。学校へは余暇に通うのである。給仕の勤めが本業である。
彼はあたりまえの少年の二倍の荷を負うて向上進取の道を歩まねばならぬ。これからがほんとうの奮闘である。編入試験の通過は奮闘の入口である。出発点(スタート)である。
それにしても、英一から云えばその奮闘が愉快である。
そこに希望の光は輝く。
彼は急いで我が家へ帰った、「只今」それから云った、「母様。安心して下さい」
「それは好かったねえ」と、母も讃美の目を輝かせた、「ほんとうに好かったねえ。二年級に入ろうというのだから、母さ南はちっと無理じゃないかと思っていましたよ。それだのにうまく通るなんて、やっぱりお前が一生懸命になっていたからですよ」
「いいえ母さんのお蔭です。母さんありがとうございます」
「運も好かったのだね。ほほ是れはお祝いをしなければならない」
「お祝いなんか。ふふ」と英一も笑った。
英一の歓びを見て母も喜び、母の喜ぶのを見て英一も歓ぶその側で六歳の富子もニコニコしていた。
貧しい家も隅々に春が来た。
けれどもその歓びの中にも、英一は少し気にかかることがあった。いよいよ中学へ入るとなると、入るだけの用意をしなければならない。正式の教科書や、制帽や制服や、外套、ゲートル、靴、いろいろの品を一時に買わなければならないからである。
月謝もいる。
とすると、何十円かのお金が無いと困ることになる。
何十円――それは何百円の十分の一だ。何千円の百分の一だ――金持から云えば僅かな額(たか)である。
けれども何円の十倍、何十銭の百倍である。一銭でもむだ使いの出来ない貧しい家から云えば、何十円は大金である。
おおその大金が何処にある。
若しも英一が、もっと早くから給仕を勤めていたならば、それくらいな貯蓄は出来ていたかも知れないが、今はまだ新聞社へ出るようになってから間もない時である。棒給をもらったのも先月の末が初めてである。
その棒給も、家の暮しの足しにしなければならないほど、家の暮しは苦しいのである。母はその棒給を入学費の足しに残しておきたいと云ってはいたが、そんなことは無理である、もう残ってはいない筈である。
間もなく今月分の棒給がもらえるが、是れも大部分は家の暮しの足しにしなければならない。それが英一にはよく分っている。すると入学費は家に無いことになる。
無ければどうしよう。
やっぱり母にどうにかして貰うほかは無いが、それでは母に対して気の毒でたまらない。貧しい家の少年は、折角試験に合格しても、然(そ)ういう苦労にぶつからねばならなくなった。


祖母のかたみ 編集

しばらく思案してから、とうとう英一はその事を母に云いかけた。
「ねえ母さん。入学の時には色々買わなきゃならない物があるんだけど、服なんかも注文しなければいけないんですけど」
英一はもじもじして話かけたが、母は別に驚きもしなかった。
「そうね。夫(そ)りや中学の事だから買う物も多いわね」と、優しく云った。
「けれども母さん。入学の初めは何もかも一度に買うのですから、沢山お金がかかるんです」
「それはしかたが無いわね」
「けれども」
「どしたの。ほほ」と、母は静かに笑った。
「英ちゃんはそんな事まで心配しているのかい」
「でも母さんが困るでしょう」
「それはねそういう事は英ちゃんは、決して心配するもんじゃありませんよ」
そう云ってジーッと見た母の目の底に、深い深い慈愛がこもっていた。英一は母の情がしんみりと胸に響いて来て、だまってうつむいてしまった。母は又云った。
「私はね。英ちゃんが受験に行った日にちゃんと、入学費をつくる当てを考えておいてあげましたよ」
「済みません」
「あたりまえではないかね」
「それでは母さんは、どうしてお金をつくって下さるのですか」
「ほほ、どうしたって可いわね。出来さえすれば可いのだから、そんな事は安心しておいでなさい」
「だって家では、富ちゃんの衣服(きもの)だって、あんなに古くなっていても、まだ代りを買うてやれないでいるんですもの、それだのにどうして母さんが、僕の入学費をつくって下さる事が出来るのか。僕、何だか僕のために母さんを、苦しい目に遭わすのじゃないかと、そんな気がするんです」
「そんな事があるものですか」
「けれど若しかしたら、母さんは伯父さんの家へ頼みに行くんじゃないのですか」
「そうね。伯父さんへ頼みにゆくとしたら、英ちゃんはどう思うの?」
「それなら止して下さい」
「然(そ)うともね。伯父さんは私たちをもう親類と思わぬと仰有(おっしゃ)ったのです。それをどうして忘れるものかね。母さんはたとえ乞食になろうとも、伯父さんなどへ物を頼みにはゆきません」
「はい」
「それではお前の安心のために、どうして母さんがお金をつくるか、種を見せてあげようかね」
そう云いながら母は、針箱の中から絹の片(きれ)に包んだ物を取出した。それは母の髪飾りや帯の飾りの道具であった。赤い珠、碧(あお)い珠、金の細工物――それらは亡くなった祖母(おばあ)さんから、母がもらった物であった。
父が行方不明となり家が貧しくなってからは、母はいろいろの品を売った。売って金に代えなければ暮しに困るからであったが、その身の飾りの道具だけは、祖母さんの形見であるから、売っては祖母さんに済まないと云っていたのである、夫(そ)れだけは大切にしまっていたのである。
「英ちゃん御覧」と、母はそれを眺めて云った。「これは赤い珠も碧(あお)い珠も、どっちも上等の品だからね。それからこの金の細工も佳(い)い彫物(ほりもの)なのだから、是れだけあれば大丈夫、英ちゃんの入学費ぐらいは出来ますよ。
「では母さんは、それを売るのですか」と、英一は驚いたように母の顔を見まもった。
「ああ然うしようよ」
英一は少し考えてから云った。
「母さん。そんな事はしないで下さい。売るのはやめて下さい」
「おや。どうしてかえ」
「売ってしまうと母さんには、祖母さんの形見が無くなってしまいます」
英一は母に気の毒でたまらなくなったのである。けれども母は惜しそうな顔はしていなかった。
「かまいません」と、微笑した。「母さんはね。こういう物よりも英ちゃんに勉強させる方が大切ですよ」
「売っては祖母さんに済みません」
「いいえ。英ちゃんに学問をさせるために売るのなら、祖母さんもお墓の下で喜んでいます。祖母さんは英ちゃんが赤ん坊の時にお亡くなりだけれど、大へん英ちゃんを可愛がっていたのだから。きっと喜んでいます。それから又母さんも、こう云う物を持っていても、もう頭へ飾るような事もないのだからね。使わない物を置いとくよりも、役に立つ時に売った方が可(い)いのです。つまらない事を気にしてはいけませんよ」
ものやわらかに母は諭した。
「僕は僕は」と、胸一ぱいに感謝の念が迫って、英一は涙ぐんだ、「ほんとうに母さんに御厄介をかけます。御免なさい。我慢して下さい」
「何を云うのです。ほほ。母さんは若しもお前が学問嫌いだったら、どんなに心配だか知れませんが、お前が中学に行きたがるぐらいだから、どれほど喜んでいるか知れないのですよ」
「はい。僕は母さんの御恩を決してむだにしません。一生懸命になってきっと成功します」
「然う然う夫れが私には何よりも楽しみですよ。さあ。もうこんな話は止めにした方が可い。それよりも私は是れを売って来ましょうよ」
母はいそいそとして外へ出るしたくをする。


同志相援けて 編集

母は富子を連れて出て行った。英一は残って英語の独習書を開いたが、間もなく表に元気そうな声で呼ぶ者があった。
「新田君。いますか」
「いますよ」英一は急いで入口に来た。外を覗(のぞ)くと麗(うらら)かな春の光の中に原武彦が立っていた。
「あ、君だろうと思った」
「どうだったい」と、原はすぐ問いかける。
「発表。見て来たの」
「ありがとう。お蔭でうまくいった」
「合格か。いやあお芽出度(めでと)う」と、原は握手してちぎれるように振った。
「君には大へん心配して頂いた。どうぞ喜んでくれたまえ」
「嬉しいよ。万歳だ。もちろん通過(パス)と思ってたけれど、それでもきまるまではやっぱり気になっていた。愉快愉快」
原はおどるようにして英一の肩を抱いた。そんなにして喜んで呉れるのである。喜んで呉れる親友をもつ者は幸いである。
「さ入って呉れたまえ」
「いや入らないよ。嬉しいじゃないか。入って坐っているより散歩しながら話す方が好いじゃないか。君。そこらを歩こうよ」
「ああ、だが僕は留守居しているのだ」
「そうか。母さん居ないのか」
「実はね。そら入学するとなると色々な物買わなきゃならないだろう。それで母さんが今お金をこしらえて行って呉れてるのだ」
「うむ。お金もいるな。僕も家が貧しいから入学の時は困ったが」と、原は考えて、「だが君、買う物はなるべく倹約したまえ。それで教科書なんかも急いで買ってはいけない。僕が云うまでは待っていたまえ」
「どうするのかい」英一はあやしんだ。
「そら」と、原は笑った、「今二年級にいる者はもうすぐ三年に進むじゃないか。すると二年の教科書は不用になるさ。三年になってまで二年の教科書をも一度習い返す者は無いよ。あったら劣等生だ」
「それは然うだ」
「だから賢明なる学生は、三年になると二年の教科書は廃物になるよ。それを無代で譲って貰って僕等が使おうじゃないか」
「呉れる者があるかしら」
「あるのがあたりまえだよ。どうせ廃物なら他の者の為になるように譲った方が愉快じゃないか。廃物の教科書が二度活用されるのだからね。その道理のわかるような賢明なる学生なら、望み手があれば喜んで提供するにちがいないよ」
「うん」
「それくらいの道理がわかる者が、一つの級(クラス)に五人や六人はきっといるさ。四年五年の上級者にはもっと多くいるだろう。だから然ういう人から譲受(ゆずりう)けようじゃないか。貰ったって決して恥ずべき事ではないよ。他の廃物を活用するのだから、美しい行為(おこない)だと僕は思うね。ねえ。然うじゃないか」
「うんうん」
だから僕が賢明なる上級生を探して貰い集めるよ。それで君も僕も間に合うだけは間に合せるさ。足らないだけを買えばいい。本が古くても勉強の邪魔にはならない。僕は苦学生だし、失敬だが君も苦学をするんだから、出来るだけ学費は節約する方がいい」
貧しき子の苦労は貧しき子が知っている。原武彦は、窮乏を忍んで力行している奮闘児である。英一の家庭の不自由さを思いやる心は、同学相率い同志相援けんとする誠意を以て語ったのである。
英一はこの親友の言葉の一つ一つを腹の底から感謝し敬服して、
「ありがとう。僕はほんとうに君から好い教訓を受けた」っと云った。
外には蒲公英(たんぽぽ)、すみれの咲く春だ。そよりそよりと温い風が吹く。


父のありか 編集

桜咲く四月のはじめ、英一ははじめて中学生生活に一歩を踏み入れた。あたりまえの少年よりも一年おくれたのであるが、しかし遅れないのと同様である。
彼は二年級である。
広い校庭、大きな校舎、その中に設備された完全なる教育機関、よく肥えて髯(ひげ)の長い校長。あるいは厳格なる、或いは快活なる、或いは親切なる多くの教諭、それらが彼の人格と知識、体力とを美しく賢くて強く育ててくれる中学校。
とそこの二年級の一人。
けれども正式に一年級を踏んでいないのであるから、級友に劣らぬようにするには、他の物よりよけいに勉強しなければならぬ。もう一つ夜は新聞社に勤めるのであるから、一層骨が折れる。
だが英一は勇敢なる少年である。
朝は早く起きた。食事前に学課の復讐をしてから投稿した。一日の課程を終えて、級友たちが楽しそうに銘々(めいめい)の家路に向う頃には、英一はいそいそと新聞社へ急ぐ。社の勤めを終えて電車に乗るのは十一時過である。ようやく家に帰って寝る。朝はまた早く起きる。忙しい。
当直の夜は社に泊って朝になると社からすぐに学校へゆく。学校から又社に戻って勤めて、夜おそくなって二日目に家に帰る。忙しい。
こうして英一の奮闘の日々は繰返された。こうして五月、六月と過ぎた。忙しいから月日の経つのも早い。七月となると学期試験があって、学期の終りが来ると試験の結果がわかった。原武彦は優秀であったが、英一の成績はあまりよくなかった。
「失敗だった」と、その成績表を原に見せて英一は頭を撫でた。
「でも落第点が無いから可いよ」と、原は慰めた。
「辛(かろう)じて及第点だ」
「君は途中から編入されたのだから、今度は止むを得ないよ、悲観することは無い。君の事だから此(この)次にはきっと、取りかえせるにちがいないから」
「ああ。僕は怠けたのじゃないから悲観はしない。熱心にやって最善の努力をしていたのだから、成績は悪くとも後悔はない。自分の頭が足りなかったと思ってあきらめるよ。其(その)代りに君の云う通りに此次の学期にはもう少し良くなりたい」
夏やすみが来た。学校は休みとなったが、新聞には一日も休みはない。幸福なる少年たちが、別荘へ温泉へ海岸へ山岳へと、おのおのの楽しみを逐(お)うて東京を去る時、英一はやはり勤勉なる給仕として夜は働き、昼は学課を独修していた。

           *          *          *

ある日の朝――それは八月中旬のことである。ちょうど当直をしていた英一は、夜の明けるのを待って大通りの交叉(こうさ)点へ出て電車に乗った。暁であるから客は少かったが、少い客の中から不意に呼びかけた者があった。
「英公――」その方を見ると伯父と猛夫とが腰をかけていた。二人ともに富士登山でもするらしい旅支度をしていたが、呼びかけたのは猛夫であった。
伯父もジロジロと嘲むように、こっちを見ていた。
英一は答えなかった。
「英公とは何ぞ。失敬な奴」と思ったからである。だが猛夫は立って来て肩を突いた。
「おい。英公。おやじが用があるそうだ。ちょっと来い」
そう云われて行かないと卑怯になる。英一はだまって伯父の前に進んだ。
「英公」と、伯父は睨むように云った。「貴様は怪(け)しからん奴だぞ。僅かの事を根に持って無断で逃出したりして。我儘な奴だ。恩知らずだぞ」
「僕は侮辱された家にいたくありません」
「生意気を云うな。散々おれの厄介になりながら、そんな理窟をぬかすと罰が中(あた)るぞ。そんな根性では何処(どこ)へ行っても好い事はないぞ。この頃は何をしている。雇って呉れたところでもあるのかえ」
「給仕をしています」
「なに――給仕なんかしているのか。そんな事したって見込みはないぞ。それよりお詫びに来い。俺が又使ってやる」
「僕は給仕で結構です。失敬します」きっぱり云って英一は、奮然として隅の方へ去って腰をかけた。
電車を下りてもまだ英一は口惜しかったが、しかし家に帰ると思いもかけぬ歓(よろこび)が待ちうけていた。
「英ちゃん。お父様のありかが分ったよ。お父様は生きていましたよ」と、母が大きな声で云ったからである。


父の消息 編集

父なき子は思うであろう。
父上もしも世にいましたならば――と、どれほど我が家は楽しく力づよきことであろうか――と。
それは父を亡(うしの)うた子のみの知る、あきらめがたき悲哀である。
英一は父を亡うたのではない。父は行方不明になっていたのである。たとえ消息は絶えても或いは生きているかも知れないという、一縷(いちる)の希望を残されていたのである。生きているのであろうという、想像をもつことが出来たのである。
けれども或いは死んだかも知れないという心配も、もたずにはいられなかった。
それだけ父を亡うた子と同じような悲哀を、時には感ぜずにはらいれなかったのである。
けれどもけれども。父は生きていたのである。今日、今、それがわかったのである。
「お父様のありかがわかったよ。お父様は生きていましたよ」
そう云った母の言葉が、どれほど激甚(げきじん)に、どれほど深大な感激を、英一に与えたことであろう。彼は我が耳を疑うように叫んだ。
「えッ。ほんとうですか。お父様が生きていたのですか」
叫ぶと共に、靴をもぎ捨てるようにして、母の前に飛びこんだ。
「これを御覧なさい」と、母はにこやかに云って、一通の手紙を針箱の上から取ってわたした。
英一はそれを平気で読むことが出来なかった。手も脣も震えるほどの歓びがこみあげるからである。それが三年余もうち絶えていた父の消息だったからである。
恋しくなつかしき父の手紙は、
――安子よ。浪子よ。英一よ。富子よ――と、先ず母と姉と、英一と妹の名をならべて書きだしてある。それから次のように書き続けてあった。

          *          *          *

――私は長い間、お前たちに御無沙汰をしたが、どうぞ恨まないでくれ。お前たちがさぞ心配しているだろうと、毎日思わない日はなかったが、手紙を出したいにも、出すことの出来ない土地にいたのだ。しかし身体はいつもたっしゃであった。それだけは先ず安心してくれ。
さて私は何から書こう。書きたいことは山ほどある。とても書ききれないが、日本を離れてからの私は、最初に東印度(インド)に入って、外国人に雇われた。それはお前たちにも知らせておいたが、その後雇主が破産したので私は別な雇主をさがさねばならなくなった。
ちょうどその時、やはり外国人の商会で、ゴム栽培事業の事務員を募集していた。たくさん給料をくれるというから、私はそこへ雇われた。
これがわるかった。
間もなく私は支那人の労働者たちと一しょに船に乗って栽培地へ送られた。そこは遠い遠い孤島であった。着いて見ると、そこにはゴム林も畑も無かった。そこには鉱山があった。私は欺されたことに気がついたが、もう遅かった。
私は鉱山の労働者にされてしまった。事務員どころか、非常に危険な生命(いのち)がけの仕事をあてがわれた。
一ヶ月も経たないうちに、私は恐ろしくなった。支那人たちも震えあがった。みんなが逃げたくなった。
けれどもその島へは、商会の船が稀に来るだけだ。商会の船が逃げる者を載せるはずがない。そればかりではなく、商会では十分用意して、一たん連れて来た労働者は、決して逃がさぬように手配りをしてあるのだ。
そのために見張人がいるのだ。逃げようとする者、抵抗(てむかい)をする者は、短銃(ピストル)や小銃で射殺(うちころ)すのだ。怠ける者は笞(むち)で罰するのだ。
それくらいだから、故郷へ手紙を出すことも許さない。書いても船で受けつけない。まるで奴隷に買われたと同じことだ。監獄よりもひどいところだ。
そんな島へ連れてゆかれたのも、私がおろかだったからだ。しかたがない。私はおとなしく働いていた。けれども自分のことは諦めても、あきらめられないのは、お前たちの事だった。
私がたよりをしないので、お前たちはどんなに心配しているか。お金を送ることが出来ないので、お前たちはどうなっているか。毎日その事を思っていた。
夜も眠られないことが度々あった。お前たちをよく夢に見た。さめると柱にかじりついて泣いたりしていた。雲を見ては思い夕日を見ては思った。椰子の葉のそよぐのも、鳥の鳴くのも虫の匐(は)うのも、お前たちを思う種となっていた。
けれども、そんな事は、くわしく書かないほうが可い。ただ私が御無沙汰をしていたのは、止むを得ない災難のためであった事を、お前たちに承知してもらえばいい。
そこで安心してくれ。そんな悲しい事は、もう過ぎ去ってしまったのだから、私はもうその島を出て来たのだから、今日はこの賑かなシンガポールの町へ着いたのだから。
私は今、友人の家の安全な部屋で、この手紙を書いているのだ。
私ももう自由なからだだ。というと、そんなら早く日本へ帰って呉れと、お前たちはきっと思うにちがいない。ほんとうに私も帰りたいのだが、しかし此のまま帰っては、男として意気地がない。折角遠いところまで踏みだした効(かい)が無いから、これから私は更(あらた)めて、新しい仕事にかかる。これから奮闘して成功したい。
それにしてもお前たちには気の毒だ。さぞ貧乏しているだろうが、病気にかかった者はないか。この手紙を見たら、すぐ返事をくれ。別れた時には富子は赤ん坊だったが、もう駈けあるいているであろう。浪子はどうしているか。母の相談相手となってくれているか。
英一は十五になるな。中学なら二年級の齢(とし)だが、中学などへはゆけないであるだろうな。しかし気をおとすな。せめて夜学へでも通っていてくれ。
私が運がわるいのでみんなに苦労させるが、しばらく我慢して待っていてくれ。安子よ。浪子よ。英一よ。富子よ。みんな健康でいてくれるように、私は遠い土地にいても、毎日それを祈っているぞ――

          *          *         *

読み終ると英一は、その手紙を頂いて云った。
「お父様――ありがとうございました。僕はこんなに嬉しいことはありませぬ」
昂奮して震えながら、英一の顔は涙ぐみつつ輝いた。
父は生きていた。
まだ帰朝はしない。これから始めるという仕事も成功するか、しないか分らない。成功するまでは帰らないかも知れない。けれども父は生きていた。生きていることが確かに分ったのである。
「よかったねえ母さん」
「ああ、母さんはねえ、腹の中では、お前たちは父親の無い子になったものと、あきらめていたのですよ、それが今日こういう手紙を受取ったのだもの、あんまり嬉しくてぼんやりするようですよ」と、母は云った。
「すぐ御返事を書きましょうね」
「ああ、英ちゃんが自分で働いて、中学へ通っていることを知らせてあげたら、お父様はどんなにお喜びかしれません」
「ええ。それから姉さんにも早く知らせてあげなければいけませんね」
「そうそう。浪子にも此手紙を見せてやりたいが」
「僕が持ってゆきましょう。それから此手紙のおしまいには、伯父さんの家へも宜しく申上げてくれと書いてありますね。どうしましょうか」
「やっぱり云ってゆかなければいけませんよ。伯父さんは私たちへはもう親類ではないと、あんな悪口を仰有(おっしゃ)ったけれど、お父様はそんな事は御存じないのだからね。だから伯父さんを大切な親類と思って、よろしくと書いてあるのだから、是れをだまっていると、お父様にわるいからね」
「そうですねえ」と、英一はおとなしくうなずいた。


伯母の嘲み 編集

其(その)日の夕刻に、英一は姉の浪子の奉公先へ行って、父の手紙を見せた。後で社へ出勤した。
その夜も当直であった。
この頃は給仕も代る代るに、一週間ぐらいづつ、暑中休暇をもらっているから、残っている者は宿直を続けることもあるのだが、続けても英一は、身体が丈夫であるから少しも苦にならない。
それに宿直をすると、宿直手当のお金をもらえる。それは月給とは別に、宿直の度にもらえるのであるから、家が貧しい英一には、かえって宿直の続くほうが、楽しみなのである。それは少しでも多く家の暮しの足しが出来るからである。
こうして其夜も宿直をした。
夜があけると、取締の宇佐さんから、手当のお金を頂いて元気よく社を飛びだした。今日もよく晴れた空である。八月中旬の町の朝は街路樹も露をおびて、空気も涼しく爽かである。
彼は急ぎ足に伯父の家に向った。この二月に逃出したきりもう二度とはゆくもんかと思っていたのだが、父の手紙に「よろしく申上げてくれ」と、書いてあるのだからしかたがない。
その伯父は昨日猛夫を連れて、富士登山に出かけているのだが、英一は伯母に会って、「よろしく」を云うつもりであった。で、いやないやな伯父の家へ。
そこへ着くと、店には誰も出ていなかった。まだ早朝であるから職人も来ていなかったが、英一は店側の小部屋の窓に立寄って、
「忠さん」と、呼んで見た。
伯母に会う前に、忠吉に会いたかったからである。親切にしてくれていた忠吉だけは、誰よりもなつかしいからである。
けれども返答が無かった。
で、英一は裏口の方へ廻りかけた。きっと顔でも洗っているだろうと思ったからであるが、しかし廻りかけたところで、ばったり女中のお夏さんに出あった。
「あら、英ちゃんかえ。まあお珍らしいわね」と、お夏さんはびっくりして云った。
「お早よう」と、英一は云った。「忠さんはいないかい」
「忠さんに会いに来たの。忠さんはね。もう此(この)家にはいないのですよ」
「ええ。どうしたのかい」
「病気でねえ。可哀そうに脚気(かっけ)にかかって働けなくなったものだから、お暇が出ましたよ」
「そんなに病気が重かったの」
「ずいぶん重そうでしたよ。それに脚気って病気はよく衝心(しょうしん)するわね。すると生命(いのち)があぶないのだから、うっかり出来ないわね。それだからお暇が出たのですよ」
「そんな重い病人を、暇に出すなんて、伯父さんもずいぶんひどいなあ。それで何時暇を出されたの」
「そう。十日ばかりも前でしたよ」
「それで忠さんは、何処へ行たの。故郷(おくに)へでも帰ったの」
「いいえ。脚気の重い人が汽車なんかに乗れば、すぐ死ぬわね。だから西大久保に知った人がいるからと云って、その人の家へたよってゆきましたよ。人力車(くるま)に乗って、そろりそろりと挽いてもらったが、ほんとうに可哀そうでしたよ」
「気の毒だなあ。では今でもその知った人の家にいるかしら」
「今でもきっと、そこで世話になっていましょうよ」
「お夏さんは、その家の名と番地とを知っていないかい」
「知っています。聞いておいたから――」
英一は番地と、その家の名とを教えてもらって手帳に書きつけて、
「ありがとう。僕はお見舞にゆかなければならない」と、云った。
「ああ。英ちゃんは仲よしだったからね」
「僕は忠さんに、いろいろお世話になったのだからなあ」
「英ちゃんが行ってあげたら、忠さんは大喜びでしょうよ」
「忠さんの故郷は遠いんだからね。東京に親類もないのだから、きっと寂しがってるだろう。僕はすぐゆくよ。これから。おっとどっこい。僕はここの家へも用があって来たんだ」と、英一は笑った。
その時伯母が裏口から顔を出した。英一を見ると伯母はすぐ睨みつけた。
しかし英一はニコニコしながら近よって、「お早うございます」と、ていねいに頭を下げた。
「お早うもないものだ」と、伯母は烈しい声で叱りつけた。
「英公。お前は何をしに来ていたのかえ。お前はここへは来られないはずだ。お前の母親にもちゃんと云渡してある。お雨たちはもう、うちの親類でも何でも無いんですよ」
「はい。そりゃ知っています」
「知っているなら来られた義理じゃないじゃないか」
「ちょっとお使に来たのです」
「お使?ふうん」と、伯母は嘲(あざけ)るように云った。「何のお使に来たのか知らないけど、どうせ碌(ろく)な用事じゃないだろう。頼みごとならお断りですよ」
「いいえ、僕はお頼みの使なんかには来やしません」
「じゃあ何の用かえ。私はお前なんどの顔を見るのも厭だから、用があるならサッサと云ってサッサと帰ってお呉れ」
伯母はがみがみと乞食でも追うように罵(ののし)ったのである。が、英一は口惜しさを我慢しておとなしく云った。
「僕はお父様のお使に来ました。あの昨日お父様から手紙が来たんです。お父様は無事でシンガポールにいるそうです。それで手紙には、こちらへも宜しく申上げてくれ、と書いてありました――ですから僕は、それだけをお知らせに来ました。お邪魔をしました」
それだけ云って、英一が頭を下げて帰りかけると、伯母は急に呼止めた。
「お待ち。英公」
「僕はもう用事は申しましたから、サッサと帰ります」
「生意気なことをお云いでない。私が聞くことがあります。それでシンガポールで何をしているのだえ」
「わかりません。そんな事は手紙には書いてありません」
「それではお金でもたくさん送って来たのかえ」
ばかにしている――と英一は思った。父は金を送っては来なかったが、送ろうと送るまいとよけいなお世話である。失礼な問いかたである。親類でないと云う人に、そんな事を答える必要はない。
「さようなら」と、云いすてて、英一はそこを立去った。


不運の友 編集

帰りがけに英一は、西大久保へ廻って、忠吉の行った先をさがした。幾度も人に聞いたりして、ようやく捜しあてた家は、古いちいさい長屋の中の一軒である。
その言えの表には、赤ん坊を抱いた女の人が立っていた。
「今日は」と、英一はあいさつした。「こちらに長井忠吉さんと云う人はいませんか」
「はい。居りますよ。あなたは忠さんのお友達ですか」と、女の人は問(とい)返した。
「ええ、忠さんが御病気だそうですから、ちょっと見舞に来たのです」
「まあ。それは御親切に、よくおいでなさいました。さあさあ入って会っておあげなさいまし。中には忠さんだけしか居ませんから、遠慮はいりませんよ。私はちょっと買物にゆきますから」
英一が入って見ると、家の中は天上が低く、障子は穴だらけで壁は崩れかけていた。英一の家も貧しいのであるが、それよりももっと貧しそうな家である。
その中で、狭い部屋の隅で、うすい蒲団の上に忠吉は眠っていた。顔は青ざめ、瞼は落ちくぼみ、頰はげっそり細くなっていた。十七歳の青年、あの元気のよかった忠吉が、何という哀れな気の毒な姿であろう。まるで人が異(ちが)ったように衰えていた。
この二月、英一が盗みの疑いを受けて、残念さに自殺しようとした時、それを止めて慰めたわって呉れた忠吉、友情の深かったその忠吉が――まあ、こんなになっていたのか。
一目見ると、英一はたまらなく悲しくなった。けれども我慢して、音を立てぬようにそっと側へよって坐ったが、その時忠吉はぽっかりと目をあけた。
「忠さん」と、英一は低い声で云った。
「ああ、英ちゃんか」
忠吉はじっと見つめてから、ぽろぽろと涙をこぼした。
「僕はね」と、英一は目をこすった。「僕は君が病気のことを、ちっとも知らなかった。今日はじめてお夏さんから聞いて、びっくりして来たのだよ」
「よく来てくれたねえ。英ちゃんありがとう。ありがとう」忠吉は、骨と皮ばかりの手を出して、英一の手を握って云った。
「来るのが遅かったよ。知らなかったのだから免(ゆる)してくれたまえ、ね」
「なあに、そんな事があるものか。見舞に来てくれたのは君だけだ。君がはじめてだよ」
「そうかい。ほかに誰も来ないの。店からも来なかったの」
「一度も来ない」
「薄情だなあ。それじゃさびしかろうねえ」
「ああ。ほんとに英ちゃんよく来てくれたね。僕は夢のようにうれしいよ」
「それで病気はどんなだい」
「なかなかよくならないのだ。脚気だからね。昨日なんかは何だか死ぬんじゃないかと思った」
「君が死ぬなんて事があるものか。今になおるよ」
「しかし脚気はね。英ちゃん。衝心(しょうしん)がおこると死ぬんだよ」
「だけど起らないようにする事は出来るのだろう」
「そりゃ用心してるけどね。起りそうな時は氷で冷やすのだけど、ここの家は、おかみさんの不在の時が多いのだから、いざ衝心が起りそうな時に、氷を買いに行って貰う人も無いだろうと思うと、心細くてねえ」
「それじゃ心配だ。それじゃあ忠さん。僕の家へ来ないか」
英一は気の毒でたまらなくなって云った。彼の義俠心と、彼の友愛とは、この不運な友達をこのまま此(この)家におくのが不安心になったのである。


病魔の呪い 編集

「……僕の家へ来ないか」と、英一が云ったのは、真に真に忠吉の病気を気の毒に思ったからであった。
ここの家の人が、忠吉を親切に介抱していそうもないからであった。こんな家に病み臥(ふ)していては、忠吉は不自由であろう。そのために死ぬかも知れぬと思ったからであった。
それよりも自分の家へ連れて行って、よく介抱したら病気も早く、なおるであろうと思ったからであった。
そのほうが、忠吉も嬉しいであろうと思ったからであった。
けれども忠吉は低い声で「ありがとう」と、答えただけでじっとうつむいて考えこんでしまった。
ありがとうとは云っても、それでは君の家へ行こうとは、云わないのである。英一は不思議に思った。ここの家は不親切そうに見えても、本当は親切なのかも知れないと思ったので、
「ここの家は君の親類なの?」と、小さい声でたずねて見た。
「そうじゃないのだ。ただちょっと知ってるだけの家なのだ」と、忠吉は答えた。「それで私は下宿しているのだ」
「ああ下宿か。それなら君はここの家をいつ出てもかまわないのだろう」
「それはかまわない」
「僕の家へ来ることにしたって、ここの家では憤(おこ)りやしないのだろう」
「憤るどころか却(かえ)って喜ぶだろう。ここの家では私の病気が重くなったものだから、私を下宿させたことを後悔しているのだ。だから私に早くどこか、ほかへ行ってもらいたがっているのだ」
「ずいぶん薄情な家だなあ」と、英一は憤慨した。
「私がわるいのだ。病気が重くなったのがわるいのだ」と、忠吉は悲しそうに云った。「私が死にでもすると、ここの家の迷惑になるから、それで私を邪魔にしだしたのだ。私が不幸(ふしあわせ)なのだからしかたがない」
「それじゃあ君、僕の家に来たほうが可いじゃないか」
「うむ」
「ね。来ることにしたまえ」
「けれども」と、忠吉はまた考えこんだ。
何のために考えるのか。英一には分けが分らない。
「忠さん。君どこか、ほかに行くところをきめてしまったの?」と、またたずねてみた。
だが、然(さ)うではなかった。
「いや。私は東京には一軒も親類も無いんだし、相談するような家もないんだ。一人ぼっちだから、ほかにたよって行く家も無いんだけど」
「それでは故郷(くに)へ帰るつもり?」
「ああ英ちゃん。私は故郷が恋しい。昨夜も苦しくて眠られずに故郷のことばかり思っていたよ」
「然うだろうねえ」
「けれども私の故郷は九州だし、帰るには長い間汽車に乗らなきゃならない。脚気の病人が長い間汽車に揺られると、きっと衝心(しょうしん)を起して死んでしまう。だから帰りたいにも帰れない。英ちゃん私は、ほんとうにどうする事も出来ないで、だから邪魔にされながら、ここの家にかじりつてたのだよ」
「それでは尚のこと、僕の家へ来たほうがいいじゃないか」
「だが」と、忠吉はもじもじした。
「どうしたの」と、英一はあやしそうに問返した。
「こんな病気をしていて、君の家へ行ってはすまないからね」
「僕が誘うのだから、なにもかまわないじゃないか」
「それにしても」
「忠さん。君と僕とは一しょに奉公していたのじゃないか。あの頃には、いつも僕はつらい事も君に慰められていたのだ。あの頃には君は、いつまでもいつまでも仲よくしようと、僕に云っていたじゃないか。僕は忘れやしないよ。お互いに目的はちがっていても、大人になっても親友となって助けあおうと約束したのじゃないか。それだのに君は、なぜ遠慮なんかするの」
「英ちゃん。よく云って下すった。そんなに優しく云って下さる人は、東京には君のほかにありゃしない。私はほんとうにほんとうに嬉しい」と、忠吉は痩せ細った手で、英一の手を握って、感謝の涙をぽたぽたおとした。「ありがとうありがとう」
「僕はね。この頃は学校も夏休みだし、昼の間は家にいるし、いくらでも君の用事を達してあげられるんだ。衝心でも起りそうな時には、医師(いしゃ)へでも氷屋へでもすぐ飛んでゆけるじゃないか、夜は母様(かあさん)がいるし、ここの家よりも養生するのに都合が好いと思うから、だから誘うのだよ。ね、忠さん」
「それは、そうして頂けば、ここの家で邪魔にされてるよりどれほど好いかわからないけど、しかし然うなると君の母親にまで大へん御厄介をかけるから、私はそれが気の毒だから」
「そんな事を気にするもんじゃないよ。僕の母様はいい人だから。自分の母様をほめたりしては可笑(おか)しいけれど、ほんとうに親切なんだ。だから君が病気になって、こんな家で困っていると聞いたら、母様もきっと、家へ誘ったほうが好いと云うにちがいないんだから」
「でも病人が行っては、どこの家でも迷惑だから」
「忠さんは無暗に遠慮するんだなあ、其(それ)では僕、これから家へ帰って母様にお話するからね。母様が承知したら君の家へ来るだろうね」
「ああ、君の母様が来ていいとおっしゃったら、御迷惑だろうけれど、どうぞ世話して頂きます」
「では待っていたまえ」
英一は忠吉を慰めておいてから、その家を出た。
そこから自分の家までは大して遠くはなかった。省線電車に乗った英一は、三つ目の停車場で下りた。
今日も暑い、風もなく、空は蒼(あお)い。日ははげしく照りつける。道は干からびている。自動車が走ると砂ほこりがもやもやと立つ。脚気の病人には悪そうな日だ。
地方から東京へ出た者は、夏になるとよく脚気にかかる。このため有望善良なる青年、少年が、どれだけ奮闘を邪魔されるであろう。しかも重い者は生命まで取られるのだ。呪(のろ)わしい悪魔――脚気病。
忠吉はそれにかかっている。苦しみ悩んでいる。あんな不親切な家に下宿していては、ほんとうに死んでしまうかも知れない。早く我が家に連れて来たい。安心して養生の出来るようにしてあげたい。
英一は急いだ。親友を助けんがために。「優しい母様は必ず忠さんに道場してくれるであろう」と、思いつつ。


人の為世の為 編集

家に帰るとすぐ英一は、忠吉の病気の様子や、今の下宿の不自由なもようなどを、こまかに話した。母はそれを聴くと、「まあお可哀そうに」と、心配そうに眉をしかめた。「故郷(くに)が遠いのに、病気にかかって東京にたよりになる人が無くては、誰にしてもどんなに心細いか知れません。それはさぞお困りだろうから、どうかしてあげなければいけませんね」
「ねえ。ですから母様。僕は忠さんに家へ来て、養生するように勧めました」と、英一は云った。「母様に相談しないで自分勝手にそんな事を云っては、いけないか知れませんけれど、それでも余(あん)まり気の毒ですから、僕。そう云いました」
「ああ然うかえ。それはよく云ってあげました」
「それでは忠さんを、連れて来てもかまいませんか」
「ええ。可(い)いともね。お友達は互いに力になりあわなければなりません。英ちゃんも忠さんにはお世話になった事があるのですからね」
「ええ、僕は伯父さんに冤(みじつ)の罪(つみ)を被(き)せられた時に、忠さんが止めて慰めてくれなかったら、僕は自殺してしまったのですものね」
「ほんとうに危ないところを止めて下すった忠さんだから、こんな時には兄弟のつもりで大切にしてあげるものですよ。母様も出来るだけのお世話をしてあげますから、今日にでも誘っておいでなさい」
「ほんとうはね。忠さんは僕が勧めただけでは来る気にならないのです。来たいのだけれど母様がどう云うかと思って遠慮してるんです。だから、母様が然う云ったと云えば、忠さんはどんなに喜ぶか知れません」
「決して遠慮をなさらないようにって、よく云っておあげなさい」
「母様。ありがとうございます」
「ほほ。英ちゃんまでがお礼を云って下さるの」
「だって嬉しいんですもの。忠さんが安心すると思うと、僕も嬉しいんですもの」
「然う然うお友達に親切をつくす事が出来るのは、自分も嬉しいものですよ」
「ええ。母さん。然うですね。本当に然うですね」と、英一はにっこりして母の眼を見た。
母は優しい愛情を顔にたたえて、静かににこついた。
「お友達に親切をつくして、自分もほんとうに嬉しく思えるような人は、心の美しい尊い人なのです」と、母は訓(おし)えた。
「ああ、原君がちょうどそういうような人ですよ」
「原さんのようなお方のお友達になった者は幸いです。原さんの御親切のおかげで、英ちゃんも新聞社に雇われ、中学へも通えるようになったのだから、あなたもお友達へ出来るだけ親切にしてあげなければね」
「はい」
「そういう風に助けあってゆく人が、世の中に多ければ多いほど、世の中が良くなり、みんなが幸福になってゆくのだから、お友達に親切をつくすのも、みんな廻り廻って世の中の為になるのです」
「ああ、然うなんだ、人間に親切が無ければ、世の中は無茶苦茶になるんですね」
「然うですとも」
「僕はねえ母様。だから伯父さんは酷い人だと思います。忠さんが病気になったからって暇を出してしまって、忠さんが行きばに困っても知らぬふりをしているのです。伯父さんのところからは誰も一度も見舞に来ないんですって、僕は驚いてしまった。ずいぶん不親切じゃありませんか」
「それはね。今に伯父さんも、ひとに不親切をした事を後悔するときがあるでしょう。けれどもね伯父さんの事などは、なんにも云わない事にしましょう。私たちさえ正しければ可いのだからね」
「はい」と、英一はうなずいた。わが母は何という心の清い人であろうと思いながら云った。
「では僕はこれから、も一度忠さんのとこへ行って来ますよ」
英一がいそいそ立ちかけると母が云った。
「でも英ちゃん。お腹(なか)が空(す)いてはいないの。食べてから行った方がよくはないの」
そうであった。英一は昨夜は社に宿直したのであった。夜があけると伯父の家へ行って、そこで女中から忠吉の病気を聞いて、帰りがけに見舞に廻ったのであった。
その間にもう十時過ぎになっているのに、まだ朝の食事をしていなかった。そんな事は忘れるほどに忠吉のことを心配していたのである。


兄を慕うて 編集

その日の午後に、英一は忠吉の手を曳いて、自分の家へ連れて来た。英一の母はにこにこして、
「忠さん、これからは自分の家にいるつもりで気楽に養生をなさいよ。病気には心配が大毒、のんきなのが一番薬ですからね。身体が大切だと思ったら、決して遠慮などをしてはいけませんよ」
そう云って、ちょうど忠吉の母ででもあるように慰めいたわった。慈愛に満ちたその顔を見ると、忠吉は神様の前に救われて来たような気がした。
「おばさん。ありがとうございます。私は小さい時に父母が死にましたから、いつもさびしく思います。おばさんがそんなに優しく云って下さると、死んだ親が可愛がって下さるような気がします。嬉しくてうれしくて」
云いかけにして忠吉は、涙をこぼして畳に手をついた。
英一の母は窓に近いところを、忠吉の居場所にきめた。そこがどこよりも涼しいからであった。
英一の家も狭かったが、しかし郊外の新開地であるから、裏には畑が見えた。表には空地がある。林もある。今まで忠吉の下宿していた家よりも、眺めがひろびろとして心もちがよかった。
それに近いところに、脚気の専門の医院もあった。
「いいところへ来た」と、忠吉は思った。
その日から忠吉は安心して養生した。夕暮に英一が社へ勤めに出た後も淋しくは無かった。暁には空地へ出て、露のきらめく草の中を、そろりそろりと杖をついて散歩した、昼のうちは静かに床(とこ)に休んだ。
こうして健康になるのを待った。健康になりそうであった。しかししかし呪うべき病魔、憎むべき敵、あまたの人の生命を奪おうとする脚気よ。
一旦よくなりかけていた忠吉は、またぶり返して急に容態が悪くなって来た。それは英一の家へ来て十日ほど過ごしてからである。
暁の散歩ももう出来ぬ。仰むけに臥(ね)ていても胸が苦しい。
「動いてはいけませんぞ」と、医師は戒めた。
恐るべき衝心(しょうしん)が起るかも知れないからである。起ったらおしまいである。生命は無くなるのである。英一も英一の母も非常に心配した。忠吉もじぶんの生命のあぶない事を覚った。
天候険しく嵐でも来そうな或日、忠吉は悩ましそうな息をして、「英ちゃん、めんどうだけれど私の故郷(くに)へ電報を打ってくれませんか」と、云いだした。
「どうするの」と、英一はびっくりして問返した。
「何だか私は、もう助からないような気がします」
「そんな事があるもんか。君、気を弱くちゃいけない。しっかりしてくれたまえ」
「ああ」と、忠吉は力なくうなずいた。「けれども私は弟の顔を見たいんです。弟が恋しくなったのです」
忠吉の父母は、ずっと前にお墓となっているのだが、故郷には獨の弟が残っているのである。死ぬかも知れないと思いだした忠吉は、死なないうちに一目でも、弟の顔を見たくなったのであった。

          *         *          *

話は九州へ飛ぶ。
忠吉の弟の信雄(のぶお)は、筑前福岡市外の海岸の叔母の家に養われて高等小学校へ通わせてもらっていた。
信雄は学科もよく出来性質が快活で、品行も正しいので一年生の級長に選まれていたが、この頃は学校が夏休みであるから、叔母の家の仕事を手伝っていた。
しかし東京の兄は病気である。兄からその事を手紙で知らせて来てからは、信雄は毎日毎日兄の身の上を心配していた。
雲のゆきき、月の照り曇り、朝の霧にも夕(ゆうべ)の風にも兄を思っていた。東の空を眺めては、兄上無事にいませと祈っていた。
家の近くは美しい浜である。名高き千代の松原である。ちょうど玄界の驟雨(ゆうだち)が霽(は)れて、松原に虹の立った夕暮のことである。信雄は軒外に立ってやはり兄の事を思っていたが、その時郵便配達人が近づいて来て、「電報」と云った。
信雄はぎょっとした。
なつかしい兄――東京の忠吉が、親友新田英一に頼んで打った電報――それがその時着いたのであった。
――チユウキチ、ヤマイ、オモシ、ノブオ、キテクレ――
「あ」読むと共に信雄は家の中へ飛びこんだ。がたがた震えながら叔母に云った。
「叔母さん。大変です兄さんが。どうしましょうどうしましょう」
叔母も急いで読んでみて顔色を変えた。
「まあ、これではよっぽど病気が重くなってるのですよ。可哀そうに忠吉は、旅の空でさぞ心細いでしょう。これは急いで会いにゆくほうがいいよ。信雄」
「はい。叔母さん。どうぞ僕をどうぞ東京へやって下さい」
「やりますとも」
叔母は汽車の時間を調べた。東京へゆくには下関発の急行列車に乗るのが都合が可いが、夜の急行にはもう間に合いそうもなかった。それに少しは支度もしなければならないので叔母は明日の朝早く、信雄を出発させることにきめた。
そうきまると信雄は、受持訓導の夏山先生をたずねた。夏休みももう残り少くなっている。東京へ出ると学校のはじまるまでに帰って来られないかも知れない、先生へ届けておかねばならないからである。
その届けをして先生の家を出ると、日は全く暮れていたが空には櫛のような月が出ていた。
涼しげな夏の月、けれどもそれは信雄の目には、もの悲しく仰がるる月であった。
「大空は広い。広い空に上った月は、この筑前の国を照らしている。それと同じように東京をも照らしているのだ。兄さんもこの月を見ながら僕を待っているだろう」
信雄はそんなことを考えながら、一つのお寺の門を入った。本堂の横から裏に廻ると墓地になっていて、そこには亡き父母のお墓があった。信雄はその前に坐って、水と線香と、途中で折って来た草花を供えた。
「お父様、お母様」と、生きている人にものを云うように、手を合わせて云った。
「兄さんは東京で病気になっています。僕は明朝(あした)はお見舞にゆきます。僕たち兄弟はたった二人きりです。兄さんが死んだら僕はたよりがありません。お父様お母様。おねがいでございます。どうぞ兄さんを守って下さい。大切な兄さんを守って下さい」
信雄は一心に祈った。月は松の枝越しに光って、しずかにゆるやかに響くのは、浜に寄る玄界の波の音である。


かげ膳 編集

自分が東京へ行くまで、どうぞ兄さんが生きていて下さればいいがな。
少しでも病気がよくなっていて下されば、なお嬉しいがな。
けれども兄さんは、今頃はもう死んでいるのではあるまいかあ。
ああ、然(そ)うだったら僕はどうしよう――
幾百里をへだてた福岡の市外から、東京の兄の病気を想いやりつつ信雄は、ろくに眠ることが出来なかった。悩ましい夜をもだえあかして、ようやく外が明るくなりかけると、もうおちついていられなくなって寝床をぬけ出した。
今朝は東京に向って出発するのである。
「信雄や、もう起きたのかい」と、後から起きて来た叔母が云った。
「お早うございます」と、信雄は行儀正しく答えた。「僕ねえ叔母さま。心配で睡れなかったのです」
「ああ、もっともだよ。もっともだとも」と叔母は優しくうなずいて、朝の御飯のしたくにかかった。
信雄は井戸ばたに出た。霧が深くて海は見えない。浜の松原はおぼろである。垣根の朝顔は夢のように露に濡れている。
今日はお天気が悪いかも知れないと思いながら、信雄は顔を洗った。そうして東に向ってうやうやしく手を合せた。それは一日のはじめの暁天(ぎょうてん)に向って、お早うの礼拝(らいはい)をするためであった。それが毎朝の信雄の習慣であたが、今朝は殊に念を入れて、
「どうぞ兄さんが死なないように、兄さんをお守り下さい」と、繰返してお祈りをした。
やがて霧が消えて海も山も遠くまで見えるようになった頃、叔父と叔母と信雄、三人は食卓のぐるりに坐った。信雄が旅に出るのであるから、叔母は特別の御馳走を料理してあったが、その御馳走は四人分であった。その中の一人分は忠吉のであった。
忠吉は遠い東京にいる――ここにはいないのであるが、いなくても居るのと同様に御馳走を用意したのは、忠吉を大切に思う叔父叔母が、忠吉の無事を祈るためのおまじないであった。
おまじないにそういう事をするのを、昔から、「蔭膳(かげぜん)」と、云っている。
蔭膳――そんな事をしたとて、東京にいる忠吉が食べられるはずはない。けれども叔父叔母はまことに忠吉を愛すればこそ、わざわざ然うしたのであった。
「忠吉よ。お前のためには故郷でも、こうして御馳走をつくってあるぞ。お前はこれを食べたも同じ様な心で、元気をつけて呉れ。病気に負けるな。強い身体(からだ)になってくれるように」と。
叔父叔母はそういう心もちであった。その深い情、尊い慈悲のこもった蔭膳。
こうして四人分の食卓を囲んで、忠吉がここにいるのと同じような心もちで、三人が朝の食事をすませると、その時叔母はそっと、蔭膳の茶碗の蓋を取って、
「信雄や。これを御覧なさい。この忠吉のお茶碗の御飯は大そう勢いがいいよ。これが若しも勢いが弱かったら、忠吉の生命もあぶないのだけれども、この御飯はほんとうに勢いがいいから、こんなにお茶碗の蓋に湯気がたまっています。これなら忠吉の病気もだんだん治るにちがいないよ」
然う云って叔母は嬉しそうに笑った。
「然うだ。死ぬような者のかげ膳の茶碗の蓋には、不思議に湯気がたまらないものだ。しかし是れなら大丈夫だぞ。信雄」と、叔父も云った。
伯父叔母がこうして慰め、励まし気を引きたててくれるのが、信雄にはもったいないほど嬉しかった。
「こんなに思って下さるのだから。兄さんもきっと死ぬような事は無いだろう」と、思った。


かしまだち 編集

叔父叔母から頂いたお金は同巻に入れて、おとさぬように肌身につけた。薄いシャツに絣(かすり)の単衣(ひとえ)、小倉の袴、学生帽、鞄には弁当、日用品、好きな書物などを入れて肩にかけた。こうして旅の用意の出来た信雄はあらたまって叔父の前に手をついて、
「それでは叔父様、行ってまいります」と、ていねいにお辞儀をした。
「気をつけてゆけよ」と、叔父は可哀そうでたまらなそうに云った。「東京へ着いたなら、着いたという知らせを成るべく早くよこして呉れよ」
「はい。着いたらすぐハガキを出します。それから兄さんの様子を委しく書いて知らせます」
「わしはお前の手紙の来るのを待っている。それから忠吉が、わしにも上京してもらいたいようだったら電報を打つがよい。そうすればわしも上京するからな」
叔父はいろいろの注意をしてから、垣の外へ出て見送った。
信雄は名残が惜しかった。朝に夕に見なれていた千代の松原にもしばし別れねばならぬ、別れと云えば道ばたの小川も草花もなつかしいけれども、兄は病気で苦しんでいる。しかも生命があぶないのである。早く東京へ行って会わねばならぬ。介抱をしてあげねばならぬ。どれほど待ちかねている事であろう。
さらば叔父様よ。故郷(ふるさと)よ。
叔母は停車場(ステーション)まで送って呉れたが、そこにはいつも可愛がって呉れている師の君、夏山訓導が先へ来て待っていた。
「あっ、先生」「来たか」と、訓導は麦稈帽(むぎわらぼう)を脱(と)って静かに答礼した。「ちょっと見送りに来たよ」
「先生すみません。ほんとうに済みません」
「かまわんかまわん」と、訓導は夏服の手を伸ばして信雄の肩を抱いた。「先生もな、用事があって汽車に乗る。だから序(ついで)に君を見送るのだ。
汽車が来ると訓導も一しょに乗った。叔母はプラットホームから窓を覗いて、
「東京へ行ったら、忠吉によろしく云ってお呉れよ。こっちでも神様を拝んでいるから、気をしっかり持って早く全快してお呉れと、よく云って下さいよ。そして少し病気がよくなって、汽車に乗れるようになったら、こっちへ帰って養生した方がいいと、忘れずに云って下さいよ」と、諭すように云った。
信雄は幾つも幾つも頭を下げた。今まで育てて頂いた叔母に別れるのであるから、何となく悲しくなってものが云えなかったが、そのうちに汽車は動きだした。
叔母の姿も見えなくなる。窓にはサッサッと風が吹く。
「東京へ着くのは明日だな」と、訓導は話しかけた。
「はい、明日の正午(おひる)過ぎです」
「ずいぶん長いな」
「先生はどこへおいでなさいますか」
「私か、私は小倉まで用事があって行くのだ、が序でに下関まで行くことにする。あそこでお前を見送ることにする」
「え」と、信雄はびっくりして訓導の顔を見返した。
「それが可(よ)かろう。な」と、訓導はニコニコした。
「いえ先生。それなら先生は小倉で下りて下さい。下関までも先生に送って頂いたりしては、僕すみません」
「しかし下関は乗換駅だからな。あたりまえの乗換駅とはちがって、あそこは東京行の出発点だ。混雑もするし、急行券を買ったり座席をきめたりなかなか面倒なところだから、お前がまごつくといけない。だから先生が案内してあげるよ」
「僕、迷うような事はありません。先生安心して下さい」
「うむ。お前はしっかりしているから大丈夫だ。それは分っているがな、しかしお前は初めて遠い旅に出るのだからな。殊に兄さんの病気を介抱に行くのだからな。大事な旅のはじめに間違いがあるといけないから、先生は何となく気にかかるのだ」
「はい。先生。そんなに心配して下すってありがとうございます。けれども――」
「ああ。それで先生は下関で、お前がまちがいなしに急行列車に乗るところを見ておきたいのだ。然うすれば後は東京まで乗換はない。どんなに遠くても坐ったままで行けるのだから心配はない。だから、先生は自分が安心したい為に、自分勝手に見送りをしたくなったのだから、お前は決して遠慮しなくてもよろしい。いいかな。分ったかな」
訓導はもの柔かに諭した。信雄はもう我慢がしきれなくなって、ほろほろと涙をこぼした。
寛(ひろ)く優しき心を持って、深く教え子を思う夏山訓導は、教壇に立って智徳を教え導く時の親切さと同じような親切から、まだ十三歳の信雄の一人旅を心配して、わざわざ下関まで見送ろうとするのであった。
その温い師の恩に感激した信雄は、しばらくは顔をあげることが出来なかった。汽車は筑前国から豊前國へと進みつつある。空は曇って蒸し暑い。


危険 編集

なまぬるい風、不気味な雲の色、東京の空は昨日から険しかったが、とうとう今日になって雨となり、雨を吹きちぎる強風が吹きだした。
窓も開けることが出来ない、そのうす暗い窓の下で、忠吉は病みおとろえて、蒼(あお)い顔をして仰向けに臥(ね)ていた。前夜から容態がわるくて苦しんでいるのであった。
これで衝心(しょうしん)が起ったら生命は助からないのである。起らないように心臓部に氷嚢(ひょうのう)を当てて冷やしているが、冷やしても冷やしても苦しみが消えないのであるから、衝心はいつ起るかも知れない。
「今、何時になるかねえ」と、微(かす)かな声で忠吉は云った。
「九時少し過ぎになっているよ」と、側に坐っていた英一が、しずかにさしのぞいて答えた。
「信雄君の乗っている汽車は、もう沼津を過ぎてるよ。今は足柄のトンネルのあたりをはしっているよ」
信雄から電報が昨日来ているので、信雄がどの汽車に乗っているということも、もうわかっていた。その信雄の来るのを忠吉は待ちこがれているのであった。
「それでは東京へは、まだなかなか着かないねえ」と、忠吉は力なく云った。
「そんなに長いことはないさ。こんな話をしている間にも、汽車はどんどん走っているのだからね」と、英一は慰めた。
「それでも後がまだ三時間余もあるのだからねえ」
「三時間ぐらいじき経ってしまうさ」
「早く経って呉れるといいがねえ。私はねえ英ちゃん。早く信雄に会って英ちゃんや、英ちゃんのお母様やに、こんなに御親切にお世話になった事を、委しく話したいのでね。だから死なないうちに早く信雄に会いたいんです」
「忠さん何を云ってるの。君が死ぬなんてそんな事があってたまるものかね」
「いいえ。私にはわかっているのだよ。英ちゃん。脚気がこんなに重くなると、お医者さんだってどうする事も出来ない。大てい助からないものだから、私はもう死ぬことはあきらめています。今にも衝心が起ればだめなんだもの。ああ、早く信雄が来ると可いけれどなあ」
「忠さんは大変気が弱くなったなあ。しっかりしたまえ。もうそんな話はしない方が可いよ。それよりも信雄君は東京へ初めて出るのだから、もう少ししたら僕は迎えにゆこうと思うよ。そうすれば早くここへ来られるからね」
「けれども、こんなにひどい雨風だから、迎えになど行って頂いては気の毒です。信雄ももう十三になるから一人ででも尋ねて来られます」と、忠吉は遠慮した。
「こんな雨風だから、なおさら迎えに行った方が可いじゃないか。こんな雨風に信雄君が一人でこの家を探すのは容易じゃないからね。時間がかかるばかりだからね」
「夫(そ)れはそうだけれども、しかし英ちゃんは信雄の顔を知っていないのだから、折角行って下すっても分らないようだと、むだ足になるから」
「なあに僕は写真を見ているから大てい分るよ。それに僕は頗(すこぶ)る好い方法で信雄君を見つけて来るよ」
そう云って英一は快活に笑ったが、忠吉はそのまま黙ってしまった。休み休み話していたのだが、それでも話しているうちに息が苦しくなったのであった。
それほど忠吉の脚気病は重かった。自分でもあきらめている通りに、いつ死ぬかも知れないのである。英一も英一の母も、「ほんとうに忠さんは死ぬかも知れない」と、腹の中で思っているのである。
医師は昨夜も今朝も来て注射をして呉れたが、忠吉の苦しみはやはりぬけないばかりか、どうかすると危険な容態になって来るのである。
こうなってはもう運にまかせるほかはない。ただ生きているうちに弟の信雄に会わせてあげたいと、英一も英一の母も思っているのであった。
会わせてあげたい母と英一と、会いたい忠吉、と、三人の心々の待ちあせる中に時間は進んだ。十一時近くなると英一は、
「忠さん。僕はこれから東京駅へゆくよ。間もなしに信雄君を迎えて来るからね。楽しんで待って居たまえよ」と、云い残して家を出た。
大粒の雨。強い風。道路には川のように水が流れている。木々は枝葉をもぎ取られそうに揺れている。


大文字 編集

急げば遠し。待てば久し――忠吉が待ちこがれているのと同じように、信雄も一分も早く兄に会いたかった。
兄恋しい心には、急行列車の速力も、どうしてこんなに遅いのかと思ったほどである。けれども汽車は故障もなく規則通りの走っていた。
恵みも深い夏山訓導に送られて、下関を発したのも昨日となった。昨日の日が暮れたのは岡山あたりであった。神戸、大阪、京都は真夜中に過ぎた。
――大津名産鮒(ふな)ずし――
そんな呼売りの声が、プラットホームに聞えたのは、琵琶湖畔の大津駅であった。名古屋はいつ過ぎたであろう。疲れて眠った間であろう。浜松で夜が明けると車窓の外は大雨となっていた。
九州から中国、畿内、東海道を経て関東へと、地理の教科書の頁(ページ)を繰るような旅、若しも気にかかることが無かったら、どんなに楽しみが深かったか知れぬが、しかし生死のあやぶまれる兄を尋ねて行く旅である。うつり変る駅々の景色も、胸の中に心配ごとがあっては、おもしろく眺めることは出来なかった。
けれども下関を出てから、凡(およ)そ二十六時間を過ぎた時には、汽車は品川駅に近づいていた。
もうニ十分ばかりで東京駅に着くのだ。とうとう来たのだと信雄は思った。胸はどきどきする。兄はどんな家のお世話になっているのだろう。兄のいる家の新田英一という人は、どんな人であろうか。叔父のような優しい人であろうか。夏山先生のような親切なお方であろうか。
「あの東京駅から中野というところまでは、よっぽど遠いのですか」と、信雄は隣席に腰かけていた老人にたずねて見た。
兄は東京市外中野町の新田英一方にいる。それは兄からの手紙でわかっていたが、東京駅からそこまで尋ねて行く道を、信雄はまだ知らなかったのである。
だが老人も東京へ初めて行く人だった。
「さあ、どうだろうかな。わしはよく知らんのえ」と、答えただけであった。
信雄は失望した。汽車は品川を過ぎた。やがて新橋駅。間もなく東京駅――とうとう着いた。
客はぞろぞろ降りる。信雄もその後について広いプラットホームに出た。警官を見つけて中野へ行く道を問おうと思いつつ、大きな構内を改札口に歩んだ。

*         *          *

英一は汽車の着く少し前に駅に来ていた。彼には二つの心配があった。折角迎えにに来ても信雄を見おとしては困る。それから不在(るす)の間に忠吉が死んでしまっては困る。
見おとさぬように、死なぬようにと祈りつつ、彼は立っていた。
彼のぐるりには五人、十人とだんだん立つ人が多くなった。それらもみんな、めいめいの知った人の上京を迎えに来ているのであった。英一はみんなのためにも、自分のためにも、揃って見つけたい人の見つかるようにと祈った。
汽車は着いた。下りて来る夥(おびただ)しい客の足音で構内は騒がしくなった。いろいろの顔が重なるようになって改札口へ流れて来た。その人々が目まぐるしく動く。
こんな中で、まだ会った事のない人を探すのは困難であるから、英一は一枚の新聞紙をひろげて両手で高く捧げた。それには墨黒々と「長井信雄君」と大きな文字で書かれてあった。
親友の弟を求むるシンボルである――来れ長井信雄君。ここに君を待つ人あり――と。
信雄はそんな事は知らなかった。自分を迎えに来てくれる人があろうとは、思いがけなかったので、彼はほかの客よりも遅れて改札口にかかったが、そこを出て警官を探そうとして、前を見ると、ふと目についたのは元気そうな一少年のささげているその新聞紙であった。
「おお」おお、それには鮮かに自分の名が書かれてるではないか。
彼は夢心地で其前に走った。蝙蝠傘(こうもりがさ)を左に抱えて右の手に帽子を取って急いで頭を下げた。
「僕は――」「おお君は信雄君か」「はい」
「ああよかった。僕は英一だ」
「新田さんですか」
「ありがとうございます。有難うございます」
二人は固くかたく握手した。東西幾百里、昨日までは遠く隔たっていたが、相見れば滔々として友情が流れる。然し英一はおちついて話す事は出来なかった。忠吉の生命が危ない。一分時も早く信雄を連れて引返さねばならぬ。


女神の如し 編集

あいさつが済むと、信雄はすぐに、
「あの、僕の兄さんは、病気はどうなっていましょうか」と、息をはずませて英一に尋ねた。
それが最も大切なことである。汽車の中でもその事ばかりを心配していたのである。汽車に乗っている間に兄は死にはしないであろうか、若しや若しや死んだという電報が、ゆきちがいに故郷の方へ飛んではいまいか――と、そんな悲しいことまで想像したほどであるから、一秒時も早く兄の様子を聴きたかったのである。
たずねる間にも、胸は崩れるようにどきどきしていた。
が、英一は「だいじょうぶだよ。君」と、握った手をふって答えた。
ほんとうは、だいじょうぶどころではない。英一が家を出た後で、忠吉には恐るべき衝心(しょうしん)が起ったかも知れない。それほど容態があぶないのである。しかしはるばると九州から来て、今停車場(ステーション)に着いたばかりの信雄に、すぐ心配な話をしたくないので、英一はなるべく力をつけるように答えたのである。
それを聞くと信雄は、
「ああ、よかった」と、大きな息をついて胸を撫でた。
「忠吉君はね。二三日続けてずいぶん悪かったけれど、今朝はすこしよくなったのです」
「ありがとうございます。僕もう間に合わないかと思っていましたけど、ほんとに可(よ)かった。新田さんのおかげです」と、信雄は幾度頭を下げた。
「忠吉君は、君に会うのを楽みに待っているよ。君を見たらきっと元気がつきます。さあ行きましょう」
英一は信雄を案内して、急いで電車に乗った。窓ガラスは重そうに濡れて、横吹きの雨風はまだ烈しかった。
「急げ電車よ」と、英一は思った。早く早く信雄を忠吉に会わせたいがために。
「急げ電車よ」と、信雄は思った。早く早く兄の顔を見たいがために。
電車は東京の町々を貫いて軽快に走った。やがて郊外に来て二人は中野の停車場で下りた。構内を出ると雨は叩(たた)くように降りかかった。
英一は外套にくるまって先に立ち、信雄は袴の裾をまくり、蝙蝠傘を半分すぼめて後に続いた。道には川のように濁流が流れていたが、家は遠くなかった。
しかし英一は、わが家に近づくほど、たまらなく胸騒ぎがした。それはやはり忠吉の生命をあぶなく思うからであった。家に着かぬ間に死んでしまっていたならば、折角上京した信雄が、どんなに失望するであろうと考えるからであった。滔滔と溢るる友情の情は、雨風を衝(つ)いて急ぎ進みつ、家に近づけば近づくほど、いよいよ不安が深くなった。
「友よ、生きていてくれ」
一心に念じつつ、やがてわが家の前に来た。格子を開けるとその音を聞いて母が顔を出した。
「只今」と、英一は云った。それからすぐ云った。「忠さんは?」
「今、少し眠っています。気分が好いようですよ」と、母は小声で答えた。
忠吉は生きていたのである。英一はにっこりしてうなずいた。母は優しい眼を信雄の方へ向けた。
「信雄さんですか」
一目見ただけで、好いおばさんだと、信雄は思った。初めて会ってすぐ――信雄さん――と、名を呼ばれたのも嬉しかった。
「はい」と、ていねいに頭をさげた。
「遠いのによく早く出ておいででしたね。汽車が長いので大変だったでしょう。さあさあおあがりなさい」
「はい。兄がいろいろ御厄介になりまして、ありがとうございます。それにあの、僕までが来て済みませんけど、どうぞ宜しくおねがい申します」
「いいえ。そんな事はかまわないのですよ。ここへ来て遠慮してはいけませんよ。じぶんの家へ来た積りで楽になさいましよ。さあ、おあがりなさい」と、母は促した。
「さあ君」と、英一も云う。
英一の母と英一との親切につつまれて、信雄は上へあがった。入口の小さい間(ま)に持って来た荷物をおいて、濡れている袴を脱いだ。奥の間の窓の近くには、兄の忠吉が仰向けになって眠っていた。
単衣(ひとえ)の襟をひろげて、心臓のあたりには氷袋をあてていた。病気の重いことが、それでわかる。頰も痩こけて目もおちくぼんでいる。その兄の枕の側には一枚の写真をおいてあった。
おおその写真――それは信雄が、今年の春小学校を卒業した時にうつして送ったものであった。兄はそれを見ては、弟を恋しがっていたのであろう。
「おお兄さんは、どんなに僕に会いたく思っていたことであろう」
そう思うと信雄は、抱きつきたいほどなつかしかった。けれども兄は今眠っている。恋しい弟が来ているのを、まだ知らずにいるのである。病み疲れの夢は故郷の福岡へ飛んでいるのであろう。あわれに衰えて蒼ざめているその顔色よ。
信雄はその側へ坐って、そっと覗きこんで呼んでみた。
「兄さん――」少し待ってから又呼んだ、「兄さん」
それが耳に入って忠吉はしずかに目をさました。
「兄さん。信雄です。信雄が来ました」
「おう」と、ぼんやりしていた忠吉の眸(ひとみ)は、見る見る明らかな輝きを帯びて、温かい歓びの笑みが脣に浮んだ。
「おう信雄。大きくなったね」
うれしげな兄の様子を見ると、信雄は何とも云えぬ心もちが胸にこみあげて、あつい涙が眼にたまった。
「お前、今来たのか」と、忠吉も涙ぐんだ。
「はい、今」
「よく来てくれたねえ信雄」
「電報を見たのが晩方だったから、それから支度に掛って次の日の朝福岡を立ったのです」
「そうか。電報を見て叔父さんも叔母さんも驚いたろうねえ」
「叔父さんも叔母さんも、兄さんの病気がなおる様に、神様へ願(がん)をかけて下すっています。兄さんもそのつもりで、しっかりして下さいよ」
「そんなに心配して下さるのかなあ。もったいないなあ」
「それだから兄さん。ほんとうにじょうぶになって下さいよ」
「ああ。なりたいよ。けれど信雄。兄さんはこんなになってしまった。昨夜はもうお前に会えずに死ぬかと思ったけど」
「いいえ。兄さんはじょうぶになります。きっと病気がなおりますから、そんな心細いことは云わないで下さい」
「ああ然(そ)うだ。久しぶりに会ったのに、こんな事は云わない方がいいね。兄さんはほんとうはお前が来てくれたので嬉しいのだから」と、忠吉は気を引きたてて苦しそうに笑った。
「しかし信雄。兄さんは病気になってからは、ずいぶん悲しい目に遭ったのだよ」
「ええ。僕もそう思っていました」
「病気で仕事ができなくなると、奉公していたお店でおいてくれなくなったのだからね。それでほかへ下宿したのだけど、そのうち病気が重くなったものだから、下宿でも嫌ってね。それでもどんなに嫌われても、だよって行くところが無いから、心配で夜も眠れなかったのだよ。その時英一君がお見舞に来て下すって、すぐこのお家へ引取って下すったのだよ。下宿にいたら心配だけでも、もう死んでいただろうけど、ほんとうに幸いだった。このお家へ来て御親切に介抱して頂いたから、今まで生きていられたのだよ。それだから信雄。お前も兄さんがお世話になったこの御恩を、兄さんが死んでも、代って一生覚えていておくれよ」
「僕、決して忘れません。けれども兄さんも病気をなおして御恩返しをするようになって下さいね。ね」
「然うだ。そうならないと済まないのだけれど」と、忠吉はうなずいた。
「ほんとに然うですよ。忠吉さん」と、英一の母は横から慰めた。「恩返しなんて、そんな事はいりませんけど、早く病気をなおしてね。いつまでもいつまでも、英一の友達になって下さいよ」
「おばさん。有難うございます。有難うございます」と、忠吉は臥(ね)たままで胸の上に手を合せた。
「信雄さんも、是れから英一のお友達ですね。仲をよくして下さいよ」
信雄はだまって手をついて、ぽろぽろと涙をこぼした。
「そうだ。僕はねえ母さん。東京駅で初めて信雄君を見ると」と、英一は云った、「すぐ思ったんです。信雄君はきと僕と、気が合うにちがいないと思ったんです」
母は愛の女神のようににこにこして、三人の少年を見比べた。顔はめいめいにちがっても、忠吉は十七、英一は十四、信雄は十三――ちょうど兄弟のような齢(とし)である。母はそれが、みんな可愛らしく見えるのであった。
外には雨風が荒れていても家の中には親みが満ちあふれた。


動脈出血 編集

英一の友愛、英一の母の親切、兄おもいの信雄の熱情。この多くの心が一つになって、一生懸命に介抱した効(かい)はあった。
一時は生命のあぶなかった忠吉も、少しずつ病気がうすらいで、暑さの去りかけた頃には、家の前の草原を、そろそろ歩けるようになった。:もう心配はないから、信雄を故郷へ帰らしてもよかった。しかし忠吉は信雄に向って、
「兄さんはお前を、このまま東京におきたいと思うのだが、お前の考えはどうだね」と、相談した。
「ええ、僕は故郷へ帰れば、また叔父さん叔母さんのお世話になるのです。もう十三にもなってるのに、いつまでもお世話になるのは気の毒ですから、東京にいて自分ではたらいて勉強したいと思います」と、信雄は云った。
「そうだよ。わたし達は父母が無いのだから、なるべく独立しなければいけない。それには兄弟同じところにいて、助けあうほうがいいのだ。わたしももうじき病気がなおる。なおれば一生懸命で働くよ。それでお前も学校へ通いながら働くようにすれば、学費もできるからね」
「兄さんどうぞ然うして下さい。そうして下されば僕は幸(さいわい)です。僕は今日からでも働きます。何処かで雇ってくれるでしょうね。僕は身体が強壮(じょうぶ)なんだから」と、信雄は元気づいて云った。
相談がきまると信雄は、英一に紹介してもらって、二三日の後には新聞社の給仕となった。
彼は毎日愉快に、英一と一しょに出勤した。働きつつ中学へ入る準備にかかった。

          *          *        *

夏は尽きて秋となった。夕雲はさびしくとも、袖を吹く風の涼しさよ。人の肌の快きかな。
忠吉もだんだん身体がよくなった。働いても疲れぬようになったので彼は心あたりへ頼んで職業をさがしていたが、頼んだ中に一つの会社があった。そこの支配人から、少年社員に採用するという通知が来たのは、空もうれしそうに晴れわたった日の午後であった。
彼はそれを読むと、いそいそして英一の母に見せた。英一も見た信雄も見た。
「まあ」と、英一の母はわが事のように喜んだ、「よかったねえ忠さん」
「いい月給だなあ。忠さんおめでとう」と、英一も云った。
「おかげです。これで私も安心です」と、忠吉は笑った。
だが、みんなが喜んでいるところへ、外から入って来た者があった。それは思いもかけぬ英一の伯父であった。いやもう伯父ではない。伯父自身が英一たちを親類と思わぬと云ったのであるから、こっちでも親類とは思わないことにしている。で、もう伯父とは云えない。ただの竹細工々場の主と云うほうが、あたりまえである。
親類でもない工場主が、今となって英一の家をたずねて来る用もないはずである。それが無遠慮に玄関へ入って来て、
「今日は」と、云ったのである。
何という我がままであろう。失礼であろう。しかし英一の母はがまんして、
「おいでなさいまし」と、おとなしくあいさつした。
「好い天気になったな。ごめんよ」と、工場主は意地わるそうに、じろじろと見ながら入口に腰をかけた。
「今日は、おれはここの家へは何も用事はないが、ここの家には忠吉がいるそうだから、おれは忠吉に会いに来たよ」
英一の母は忠吉を呼んだ。
「あ、旦那でしたか。御機嫌よろしゅう」と、出て来た忠吉は手をついて云った。
「うむ。お前は病気ももうなおったそうだな」と、工場主はおうへいに云った。
「はい。やっとじょうぶになりました」
「それは好かった。それでおれの方へ帰って来い。今、工場が非常に忙しくて困っている。お前が帰って来ると、おれも大助かりだ。給金は前より多くしてやるから帰って来い」
「ありがとうございます。けれど旦那。私はもうほかへ雇って頂くことにきめました」
「え。何だと。そんな自分勝手なことがあるか。お前はおれの雇人だぞ」
「はい。元はそうでしたけど」
「今だって雇人だ。おれはお前が病気になったから、養生をさせるために、お休みをやっていたのだ。病気がなおったらすぐお前はおれの方へ帰るのがあたりまえなのだ」
「いいえ」
「ばかを云え」と、工場主は大声で云って睨みつけた。
「旦那。それは御無理です」と、忠吉は口惜しそうに云い返した、「私は病気になった時、もう働けないからと云って、まるで野良犬のように追出されました。養生のためにお休みを下さるのに、あんな無茶なことができますか」
「貴様は主人に対して悪口を云う気か。この恩知らず」
「私はほんとうの事を申します。あの時私は追出されて、どんなに難儀をしましたか。雇人が病気になれば、あたりまえの主人なら心配して下さいます。それだのにたよって行く先もない渡しを、死にそうだからって邪魔にして追出すような、そんな無慈悲な主人がどこにあります。私はもうあなたを主人とは思っていません。私が今生きているのは英一君と、英一君のお母様(かあさん)のおかげです」
「口ばかり達者な奴だ。しかし忠吉、貴様はおれに証書を出して雇人になったのだ。証書には何と書いてある。五年の間は熱心に奉公すると書いてあるぞ。もう一年奉公しないと五年にならないのだぞ」
「あれは追出される時、返して下さるのがあたりまえでした。私は病気で苦しかったから、あの時返して頂くことを忘れていました。けれども私はもうかまいません」
「然うはゆかない。あの証書がおれの方にあるからには、貴様はどこまでもおれの雇人だ。貴様が帰らぬ気なら、おれはあれを証拠に警察へ訴えるぞ」
「かまいません」
「よし貴様はいよよ帰らぬのだな」
「どんな事があっても帰りません」
「横着者」と、工場主は俄かに手を伸ばして忠吉の腕をつかんだ、「強情な奴だ。おれはどうしたって連れてゆくのだ。帰れ、一しょに来い」
力では忠吉はかなわない。引張られて倒れかけた。それを又引張って、工場主は引きおろそうとした。
「待って下さいまし」と、英一の母が見兼ねて、おだやかに止めた。
「よけいな事を云っては困る。黙っていてもらおう」と、工場主は嘲(さげす)んだ。
「そうはゆきません。ここは私の家です。わたくしの家へおいでになって、そんな手荒なことをなすっては迷惑します」
「だから迷惑のないように、外へ引張りだすよ。こら忠吉」と、工場主は忠吉の頰を打った。「来ないのか」
「あれ。何をなさるのです」と、英一の母は顔色を変えて忠吉をかばった。
英一も奥から出て来て、工場主の前に憤然として立塞(たちふさ)がった。
「いけません。ここは僕の家です。出て下さい。帰って下さい」と、英一は叫んだ。俠血の湧きたった少年は、大人の怒りも恐れずに、拳を握って睨みつけた。
だが工場主は、この家の者が婦人や少年やであるから、はじめから侮っていた、彼は英一を突き飛ばして、
「小供のくせに生意気をするな。主人が雇人を連れてゆくのだ。何をしようとおれの自由だ」と、叱りつけた。「邪魔をすると承知しないぞ」:「いけない」と、英一は屈せずに、また立塞がった。
「いいえ。私たちは邪魔をします」と、母も云った。
「厭という者を連れてゆこうとなさるのが無理だからです。それに忠さんの病気の間、介抱をしていたのは私たちです。その間あなたは只の一度だって見舞の端書すらよこしません。まるで厄介者を追払ったようにしていたではありませんか。それだのに今となって主人顔をして、打ったりするのは余り乱暴です」
「そうだ乱暴だ」と、表でも叫んだ者があった。騒がしいから近所の男たちが覗きに来て憤慨したのであった。
「そんな乱暴な奴はつまみ出せ」
「強請(ゆすり)のような奴だ。叩き出せ」と表ではがやがやと罵(ののし)った。
猛(たけ)っていた工場主――英一の伯父ではない伯父――は、表の人声を聞くと、さすがに気味が悪くなったのであろう。
「よし、今日は免(ゆる)してやるがおれは此(この)ままにしてはおかなぞ。覚えていろ」と云いすてて、さっさと立去った。
そうは云ったが、彼は二度と来なかった、何時か経っても七日たっても脅しに来なかったので、忠吉も安心して商会へ雇われたが、しかしそれから十四五日過ぎて、秋も半ばとなった時である。
星美しい静かな夜。
その夜、社に勤めていた英一は、社の用事でちょっと外へ出たが、出てから間もなく、賑やかな銀座通りの方へ行きかけると、その曲り角で、不意に横から来て突き当った者があった。英一より少し大きそうな、あやしい少年であった。
うっかりしていた英一は驚いて避けようとしたが、あやしい少年は突き当るとすぐに、蝙蝠(こうもり)のように、ばたばたと横路地へ逃げ去った。同時に英一はわが片腕に火の様な熱さを感じた。
「待て」と、すぐに叫んだ。だか間に合わなかった。彼はよろよろとして追いかけたが、あやしい少年の姿はたちまち見えなくなった。そうして彼の腕からは生ぬるいものが走るように流れ出た。
それは血であった。しかもただの血ではない。それは動脈の出血であった。あやしい少年は突きあたった刹那(せつな)に、何か鋭利な刃物で、英一の腕を突刺したのである。それが動脈を切ったのである。
静脈の出血ならば、傷は大きくても心配は少ない。しかし、しかし動脈の出血は、手当がおくれると命があぶない。英一はそれを知っていた。もうあやしい少年を追っかけるどころではない。彼は腕をおさえて、近くの医師の玄関へ走り入った。


兇行者は? 編集

動脈を傷つけ破られると、非常に早く血が流れ出る。沁(しみ)出るのではなく、噴く様に走り出る。
人間はあまり多くの血が出ると、たちまち衰弱して生命(いのち)があぶなくなるものである。傷は小さくても油断がならぬ。何よりも先に血を止めなければならぬ。
しかし、動脈出血には傷口をおさえても役に立たぬ。おさえても血はほとばしって出るのである。それを止めるには傷口よりも上にあたるところで、動脈のありかを探って強く強くおさえねばならぬ。
英一はそれを知っていたので、動脈を突き破られたと覚ると共に、血を止めようとした。傷は右手の下腕にあったので、其(その)上腕のところの動脈を、左の手で確(しっ)かりと、つかみおさえた。痛いのを我慢して、痛くてもあわてずに、自分としてするだけの手当を忘れていなかった。
けれども、それはほんの間に合せの血止めである。おさえた力が少しでもゆるめばすぐ又血が噴きだすのであるから、分時も早くほんとうに手当を医師にしてもらわねばならぬ。
おくれれば死なねばならぬ。
英一はそれも知っていたから、相手の少年を捕えるどころではなかった。右の上腕をおさえると共に、大急ぎで近くの医院の玄関へ駈けこんだのであった。
が、急いでも狼狽(ろうばい)してはいなかった。
「僕は負傷しています。動脈が切れているようです。手当をねがいます」
顔色は青ざめていたが、言葉はははっきりとして頼んだ。
血の雫(しずく)が手の甲からぽたぽた落ちているので、取次の看護婦は驚いて奥へ引きこんだが、すぐ又出て来て英一を治療室へ案内してくれた。
「すみませんが、京橋の〇〇〇番へ電話をかけて、原という給仕に、僕は負傷してここにいると云って下さい。僕の名は新田英一です。
そう云って看護婦に頼んでから、英一は椅子に腰をかけた。
「それから僕は、社の御用でお使にゆく途中負傷したのですから、僕の代りにお使に行ってくれるようにって、原に頼んで下さい。お使といえば原にわかります」
負傷はしても英一は、社の用事を忘れてはいなかったのである。
看護婦が去ると、すれちがいに髯(ひげ)のきれいな医師が入って来た。
「どうした。負傷したか。どれどれ」と、医師はすぐ傷口をしらべた。「うむ。いいところをおさえて来たな。よくここを抑えることを知ったいた。君はなかなか気が強いな」
医師は励ますようにほめながら、ほんとうの血止めの手当にかかった。血を止めてからでなければ、傷の治療ができないからである。
室の電灯はあかるかった。血を止めてもらう間にも、血は鮮かに照らされつつ滴っていた。それを見つつ英一の胸はどきどきした。
「先生動脈が切れていますか」
「切れてはいない。少し破れただけだ。大丈夫だ。なおしてあげる。しっかりしろ。しっかりしろ」
慰められて英一は少し安心した。けれどもそれと共に、はげしい口惜しさが胸の中にこみあげて来た。
身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母(ふぼ)に享(う)く。敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは孝のはじめなり――とは古(むかし)の聖人の金言である。父母から頂いたわが身体。感冒(かぜ)をひいても父母は心配して下さる。わが身体は大切にせねばならぬ。そまつにしては申しわけがない。
今夜はそまつにしたのではない。不意うちにひとから刺されたのである。避ける暇は無かったのである。わが過ちではなかった。が、それでもあぶない傷である。母が聞いたならばどんなに心配するであろう。母に心配をかけるのは不孝である。
この不孝をさせるようにしたのは何者ぞ。傷をつけたのは何者ぞ。卑怯の兇行(きょうこう)者よ。それは怪しい少年であった。それは突きあたって傷をつけるとすぐ逃去ったのであるが、英一は突きあたられた刹那に、その少年が何者であるかを、何となく感じていた。
場所はうす暗がりの曲り角ではあったが、少年の身長(せい)姿、顔はおぼろに見えたのである。おぼろでも見当はついた。
――彼だ――
英一はそう思ったのである。彼にちがいない。憎むべき彼。
彼であるとすると残念でたまらない。彼ならばすぐにも仕返しをしてやりたい。胸には避けるような憤慨が漲った。
しかしどんなに手当が早くても、それまでに多くの血が出たのであるから、手当を受けているうちに疲れてしまって、英一はだんだん元気が弱って来た。


復讐の鍵 編集

手当がすんだ時には、社の方から信雄を連れて、給仕取締の宇佐老人が来てくれていた。宇佐さんは医師と相談して英一を医院の一室の床(ベッド)に臥(ね)させた。
英一はすぐにも社に帰り、それから自分の家へ帰るつもりであったが、
「それはいけない」と、宇佐さんは云った。「今夜はここで寝ることにしてな、なるべく静かにしてお休み」
「そんなに僕の傷、重いのでしょうか」と、英一は不安そうに問返した。
「そうではないのだ。わしは今、先生によく聞いてみたよ。傷は小さいそうだが、あまり動くと傷口が又破れる。そんな事があるとこまる。ここにいれば破れてもすぐに手当をしてもらえるのだから、その方が安心ではないか」
「そうですけれど、僕、家へ帰らないと母さんが心配しますから」
「よしよし。それはわしから心配させないように、母さんへよく云ってやる。君はそんな事は安心して、わしに任せたがよい。傷を早く治すには今夜充分用心しておかないと、いけないそうだ。先生がそう云っていられるのだからな。こんな時には無理をするものじゃない。わかったかな」と、宇佐さんが優しく諭した。
「はい」英一は自分の傷が小さくても重いことを覚ってうなずいた。「それでは僕、母さんへ手紙を書いて信雄君に持ってってもらいます」
「書けるかな」
「左の手で書きます。左の手でも書きさえすれば、僕の元気なことが母さんにわかります。手紙が書けるくらいだからと思って、母さんも安心して下さいます」
「そうだな。それは可(い)いことだ」と、宇佐さんは云った。
英一の看護婦に扶(たす)けられて床(ベッド)の上に起きなおった。紙をもらって万年筆で、
――母さん。僕は腕に怪我をしました。すみません。ゆるして下さい。けれども傷は少しです。今、お医師(いしゃ)さんに手当をして頂いたところです。それで今夜はこっちへ泊ります。帰らないと母さんが、御心配なさると思いますけど、電車に乗って揺られたりすると、繃帯がすれて又血が出るかも知れません。ですから用心の為に泊ります。どうぞ驚かないで下さい。
宇佐さんや皆さんが、御親切にお世話して下すっています。どうぞ安心していて下さい。明日はにこにこして帰りますから――。
左の手できれいに書いた。信雄に封筒に入れてもらって、表書(うわがき)もじぶんで書いてしまうと、それを待っていた宇佐さんは、「新田、今夜君に怪我をさせたのは、どんな風な少年だったかね」と、たずねた。
英一は元のように仰むけに臥ながら、しずかに答えた。
「僕よりも少し大きい学生のような子でした」
「不良学生だな。そんな奴は警察の方へ届けておかないといけない。君はその学生の顔に見おぼえはないかね」
英一はじっと考えた。
「君は品行が正しいから、人と喧嘩した事も無いだろう。人に恨まれるような事もしないだろうな」
「ありません」
「しかし不良少年などは、正しい者を誘惑したがる、誘惑して仲間に入らないと、逆恨みをして悪い事をしたりする。君は誰かから誘惑されたことはないかね」
「いいえ」
「しかし誰が刺したか、何か心あたりでもないかね」
英一はまた考えた。
卑怯の乱暴、憎むべき兇行者は何者ぞ、英一には心あたりがある。突きあたった時に一声、「ばか」と云った。その時の声。その時の息のぐあいでも分っている。彼だ。彼に違いない。彼の名もわかっている。
彼を警察へ訴えたとすればどうなるであろうか。彼は明日にでも捕えられるであろう。彼は前から不良少年であったから、警察でも厳しくしらべるであろう。今夜の兇行をかくすことはできないであろう。白状して罰せられるのであろう。
そうなれば仕返しができる。ひどい傷をつけた敵を懲(こ)らすことができる。
そうだ。彼の名を指そうか。宇佐さんに云ってしまおうか――憤りがこみあげて来て、英一はそう思ったのである。しかししかしまだ考えていた。
窓ガラスの外には、秋の夜の空に美しい星がきらきらしていた。


成功者 編集

翌日が来た。英一は家に帰るのを楽しんでいたが、医師は許さなかった。傷は軽い様に云っていたが、それは安心させる為であった。実際は重いのであった。それに熱も出ていた。
社からは給仕たちが代る代る見舞に来てくれた。勤勉な英一は社の人たちから可愛がられているので、目上の人たちも見舞に来てくれた。
中にも夜の社会部主任の田辺文学士は、鉢植の秋草の花を持って来て、「どうだ。きれいだろう」と、微笑みながら病室の卓の上に飾ってくれた。
もったいないなあ――と、英一は心の中でおもった。
「おとなしく養生して早く治ってくれよ。治ったらお祝いに君のほしいと思う書物を買ってあげような。約束しておくよ」
ほんとうの兄さんででもあるようにそう云って、慰めて田辺氏が去ると、後で英一は涙がこぼれた。
学校への休学届けは原がしてくれた。
英一はみんなの親切が嬉しかった。皆のおかげと、医師の手あつい療治とで、漸く家に帰る事ができたのは七日目であった。
それでもまだ、右の手は繃帯をしたままで、頸(くび)から胸のあたりへ吊ってあった。傷はそれほど重かったのであるが、それほどの兇行をした怪しい少年は、一体何者であったであろう。

          *          *          *

「母さん。僕の腕を刺した者ですね。それは僕にはわかっているのです」
家に帰った日のことである。風さわやかな窓べりにもたれながら、英一はしんみりと母にうちあけた。
最愛のわが子に傷をつけた者がわかっていると聞いて、母は探るようにじっと英一の顔色を見て、
「英ちゃんほんとうなの?」と、しずかに問返した。「それは誰だったの。あなたの知っている人だったの」
「それがね。母さん。猛夫さんなのです」「えッ」
「たしかに猛夫さんなのです」
「まあ」と、母はあきれたように息をついた。「私はまた、どこかの不良少年が、一時の出来心で悪戯(いたずら)をしたのかと思っていたのですよ。けれども猛夫さんだったとすると、それでは英ちゃんだと云うことを知って、狙っていたのですね」
「然うらしいのです。社の近所をうろついて、僕が出るのを見て、そっと後からつけて来てわざと突き当ったらしいのです」
「まあ何だって、何の恨みがあってそんな事をしたのだろうかねえ」
「わけが分りません。僕は猛夫さんから恨まれるような事をした覚えは、一つも無いんですからね」
「然うですとも、それどころか、こっちから恨んでやりたいくらいじゃないか」
「ええ。僕は伯父さんの家に奉公していた時には、閑(ひま)があれば勉強ばかりしていました。だから猛夫さんは僕を憎みました。じぶんが怠け者だから勉強する者をそねんだのです。それから自分が盗みをしておいて罪を僕になすりつけようとしました。そんな事をしていながら僕を恨む理由はありません」
「然うですとも」
「それでも何か恨むわけがあるのなら、男らしく正々堂々と名乗って談判すればいいのに、堂々とやれないものだから、暗いっところを待伏せをして不意打をかけたのでしょう。きたない根性だと思います」
「ほんとうに卑怯なことだ」
「ですから僕は非常に腹が立ちました。それであの夜宇佐さんが、誰が君を刺したのか心あたりはないかってたずねました。心あたりがあれば宇佐さんは、すぐ警察へ届けてくださる気でしたから、僕はよっぽどありのままに話そうかと思いました。敵ですもの、僕の血を流させたのですもの。復讐だ。訴えてもかまわないと思いました。けれども」
「それでどうしたの?」
「けれども猛夫さんは不良少年です。学校にもわかっているのです。退校を命じられかけた事もあるのだし、それを伯父さんがいろいろ頼んでやっと、学校へおいてもらっているのです。ですから今度僕が訴えて警察へ引かれるような事にでもなったら、学校でもきっと退校処分をするでしょう。そうなるともう猛夫さんは、ほかの中学へもなかなか入れなくなります。そんな事を考えると、僕は猛夫さんが可哀そうになったのです。僕に傷をつけたのは憎いけれども」
「然うですねえ」
「不良少年でも学校にいれば、正しい人になる時があるでしょう。退校させられたら自暴(やけ)くそになっていよいよ悪くなるばかりです。そうなったら伯父さんも伯母さんも気の毒です。それに訴えたところで僕の傷がすぐ消えてしまうわけでもないんです。ねえ母さん。ですから僕は今度だけは心を広くもって、だまっていようと考えました。それで猛夫さんの名を宇佐さんに話すことをやめました」
「それで英ちゃんは我慢が出来るの」
「できます」
「夫(それ)なら、猛夫さんの名は、他のお友達にも云わなかったの?」
「誰にも云いません。今はじめて母さんにお話をするのです」
「ああ、よく我慢をしましたね」と、母はやや思案してから云った。「英ちゃん。あなたはほんとうに大きい美しい心をもっています。敵をゆるすことはなかなかできないものだけれども、あなたはできます。できるのはこっちがえらいからです。ね、ゆるしておあげなさい。猛夫さんも今に、じぶんのきたない心を後悔する時があるでしょう」
「ええ、そうして善い人になってくれれば僕もうれしいんです」と、英一は清い清い笑いを浮べた。
「そうですそうです」と、母は英一の顔をつくづくと見て微笑んだ。
信雄は学校へ、忠吉は商会へ勤めに出ていた。富ちゃんはお隣りの子と遊んでいた。窓には秋の風が軽く吹いてすいすいと飛ぶ赤とんぼ。
その時表に自動車の響きが近づいて、家の前で止まったらしい音がした。続いて誰かが下りたらしい」
「ごめんなさい」と、訪れる声。
こんな貧しい家へ、自動車などに乗って来る客なぞあるはずもない。母は不思議に思いながら入口へ出て見た。
そこにはフロックコートの一紳士が、帽子をとって田っていた。でっぷりと肥えて齢(とし)は四十ぐらいである。
「新田(にった)欽一(きんいち)さんのお留守宅はこちらでございましょうな」と、紳士はていねいに頭を下げてからいう。
欽一は英一の父である。
「はい、新田は手前でございますが」と、英一の母は答えた。
「私は小山田(おやまだ)昌之助(しょうのすけ)と申します。今度南洋の方から帰朝しまして、昨日東京へ着きまして――」
紳士はおちついた声で語りだした。

          *         *          *

英一は奥にいたが、紳士の話はよく聞えた。
――小山田昌之助――
その名を聞くと英一は、「おおあの人か」と、気がついた。それは二三日前の新聞記事に出ていた人である。その記事には次のような意味が記されてあった。
――十日午前、神戸入港の汽船大洋丸で、南洋の成功者小山田昌之助氏が帰朝した。氏が単身シンガポールに渡ったのは二十八歳の時である。その頃には僅かな資本で洗濯業をはじめたのであるが、それから十余年の間、さまざまの困難に屈せず奮闘生活を続けて、今は百万円の財産を積み、広大なゴム園を経営する一方には、盛んに貿易業を営んでいる。更に今度あたらしい事業をはじめるために帰朝したのであるが、大阪の用事をすますと、すぐ上京するそうである。(神戸電話)
英一はその記事を二三日前に読んだので、小山田昌之助の名をおぼえていた。父のいるシンガポールから帰った人であるから、なんとなくなつかしい気がしておぼえていた。
だが、その人が今日じぶんの家をたずねて来ようとは夢にも思っていなかった。
どうして来たのであろう。南洋の成功者、百万円の財産家――そんな人が何の用があって、この小(ち)っぽけな家へ来て、ていねいに挨拶をするのであろう。
英一はおどろきあやしみながら、胸をどきどきさせて耳をすました。


幸福来る 編集

英一母子をふいに訪ずれた小山田昌之助と名乗る紳士は母に向ってこう云った。
「奥様はわたくしをお見忘れでございましょうが、わたくしは十何年前に奥様にお目にかかった事がございます」
「そうでしょうか、どうも私には思い出せませんが」
と英一の母はいよいよ不思議そうに云うのであった。
どういうわけで、この紳士がじぶんを知っているのか、すぐには思いだせなかったからである。然し小山田はいかにも親しそうに、
「私は以前、こちらの御主人が会社にいられたた頃に、御厄介になっていた者です。それですから時々お宅へも伺って、奥さまにもお目にかかった事があるのでございます」と云った。
英一の父欽一は、十余年前にある会社の会計部長を勤めていたことがある。そのじぶんには幾人もの部下を世話していたが、小山田昌之助もその一人だったのであった。
そう云われて英一の母ははじめて気がついて、
「まあ然うでございましたか」と、驚いて云った。「そうおっしゃると、お顔にどこか見覚えがございますが、ずいぶんお久しぶりでございましたねえ」
「はい。私はあのじぶんに不心得をいたしまして、大へん会社に迷惑をかけました。ほんとうならば監獄へ入れられるところでしたが、こちらの御主人が救って下すったものですから、やっと助かりました。そればかりでなく色々お世話になりました」
「そんな事がございましたかねえ」
「はい。それから私は心を入れかえて南洋へ渡りました。それから十何年一生懸命にはたらいて、今はあちらで商館を開き、まあ成功者だと云われています」
「それはおめでとうございます。よろしゅうございましたねえ」
「けれども、私がそう云われるようになったのも、全くこちらの御主人のお蔭でございます。それで私は少し成功しかけた時に、どうぞご主人に喜んで頂きたいと思いまして、くわしい手紙を出したのですが、出したのは東京に大震災のあった頃でした。そればかりでなくお宅はもう、その前におひっこしになっていたそうですね」
「はい。ちょうど大震災の一年前に、ここへひっこしていたのでございます」
「私はそんな事は知らないものですから、元の神田のお宅へあてて手紙を出したのでした。しかし神田は大震災で焼けてしまったそうで、その上お宅はその前にひっこしていられたのですから、私の出した手紙もむだになってしまいました」
「はい。それに新田も大震災の前に、もう南洋へ参っていました」
「然うだったそうですね。しかし私は御主人が南洋へ渡られている事も、夢にも存じませんでした。大震災の時にはやはり神田にいられてひどい目にお遭いでしょうと考えていました。で、きっと神田の焼跡にバラックを建ててお住みだろうと思って、その後も手紙を出すことは出したのですが、こんなわけですから手紙が着く筈もありません。着かないから御返事も頂けません。それでもうしかたが無いから私は帰朝した時に、お宅を捜すほかはないとあきらめていました。おころが奥さま。この夏のはじめになって、思がけない事に、シンガポールで御主人にお目にかかったのです」
「まあ」と、英一の母はおぼえず息をはずませた。
蔭で聞いていた英一もどっきりと胸を轟かせた。
「まあ、新田にお会いでございましたか」と母はすぐ問返した。
「そうです」と、小山田は愉快そうにうなずいた。「ちょうど私が店から海岸の方へ出かけた時でした。向うから労働者らしい日本人が来ます。はて見たことのある様な方だと思いながら近よると、見たことどころではありません。別れてから十何年になりますけれど、大恩を受けたお方ですもの。どうしてお顔を忘れることが出来ましょう」
「では、それが新田だったのでございますね」
「はい御主人でした。私がおおと云って立止まると、御主人もおおと云って、びっくりなさいました。それからおお小山田君か――こうおっしゃって、私の手をお握りになったのです。遠い南洋の空でお久しぶりにお目にかかったのですから、もうお懐かしくて私は何とも云えずに涙がこぼれました。実に意外です。しかも実に嬉しいことでした。すぐ私は御主人を引張って私の家に御案内いたしました。
「然うでございましたか、新田がシンガポールにいる事は、此(この)夏手紙が来てわかりましたが、それではあの手紙もあなたのお家で書いたのでございますか」
「然うです然うです」
「それで只今は、新田はどうしているのでございましょうか」
「奥さま御心配なことはありません。御主人は元気でその日からすぐ、私の事業を手つだって下すっているのです。それで事業の都合で御主人も明日か明後日かには、東京へ帰られるのです」
「えッ」と、英一の母は我が耳を疑うように目を円(まる)くして問返した。
「それは若し、ほんとうでございましょうか」
あやしむのも尤もである。帰朝するならば前以て手紙か電報かで知らせそうなものである。知らせて喜ばせ楽ませそうなものである。何にも知らせずにおいて俄かに帰朝とは、意外も意外、あまりに不思議だからである。
が、小山田は微笑して答えた。
「実は御主人は、私よりも一船遅れてシンガポールを出発せられているのです。私は先の船に乗りましたが、しかし私は途中で香港(ほんこん)や上海(シャンハイ)に寄って用事を足して来ました。御主人は後の船に乗っても、より道せずにまっすぐ来ますから、そんなに遅れはしません。たいてい今日あたりは、御主人の乗った船も神戸へ着くだろうと思います」
意外ではあるが、何という喜ばしい話であろう。
「まあ、ほんとうに夢の様でございますこと。ありがとうございました」と、英一の母は嬉しげに云ってから後を顧(ふりかえ)った。「英ちゃんや。こちらへおいでなさい。お父様がもうじきお帰りなさるのだそうですよ」
英一も蔭で話を聞いていたので、もう嬉しくてたまらなかった。母に呼ばれると共に、急いでそこへ出た。片手は繃帯をしてあるので、片手だけをついて、小山田の前に頭を下げて、
「おいでなさいまし」と、あいさつした。
「おお坊ちゃんですね」と、小山田はつくづく英一の顔を眺めた。「私が東京にいた頃には坊ちゃんは二歳(ふたつ)か三歳(みっつ)かでしたな。私が抱いたこともありましたが、覚えてはいますまいな。大きくなりましたなあ」
「もう十四になります」と、母が云った。
「早いものですねえ。それからお宅にはお嬢さまがいましたね。浪子さんとおっしゃいましたな。お嬢さまもおたっしゃですか」
「はい、浪子もおかげでじょうぶでございますが、只今ではよそへ」
「あ、もうお嫁入りをなすったのですか」
「いえ。然うではございません。あの奉公に出してありまして」
「あッ奉公に――それはお嬢さまも大へんですな」
「はい。いろいろ家の都合があったものですから、浪子も思いきって女中奉公させ、英一も只今は新聞社に給仕に雇って頂いているのでございます」
「それはそれは坊ちゃんも奮闘生活をしていられるのですか、えらいですな。しかし奥さま。もう御安心なさい。御主人が帰られたらもう、お子様方にそんな苦労をさせなくても、いいようになりますから」
小山田はそう云って慰めたが、慰められて英一も母も喜んでいるところへ、一つの自転車が軽快に走って来て家の前に止まった。それには郵便配達人が乗っていて、下りるとすぐに一通の電報を投げこんだ。
――イマ、キチチョウ、アス、シヨウゴ、トウキヨウエキ、ニ、ツク、ニツタキンイチ――
電報は神戸で打ったものであった――今、帰朝、明日正午、東京駅に着く。新田欽一――それは三年帰らぬ父からの電報であった。読むと共に英一はおどりあがって云った。
「お父様から下すったのだ。おお、お父様からだ」

敵よ恥じよ 編集

翌る日の午前、英一は東京駅の降車場のまん中に立った。
いつか信雄の上京をそこで迎えた時には、いろいろの心配があったが、今日は何の憂いもなく胸一ぱいに歓びが満ちあふれていた。恋しくなつかしい父の帰朝を、今こそお迎えに来たのだからである。
彼の片手はやはり繃帯で吊ってあったが、彼の頰は元気よく紅(あか)らみ、その目は活々(いきいき)と輝いていた。
構内の時計は十一時前であった。
「まだ早いな」
彼はそう思いながら、ぐるりを見まわした。ちょうど省線電車の客がバラバラと改札口を出て来るところであったが、っふと気がつくとそこ中に伯父と猛夫とがいた。
「英公か」と、伯父の方でも気がついて、見下げるように嘲みながら声をかけた「何しに来てるのだ」
失礼なものの云いようである。だが英一はおとなしく答えた。
「お父様を迎えに来ています」
「え。何だって」と、伯父は驚いたように云った。「親父(おやじ)を迎えにだって?親父が帰って来るのか」
「然(そ)うです」
「ほんとうか」
「昨日神戸に着いたのです」
「ふむ」と、伯父はじろじろ見て、「それで何時の汽車でこっちへ着くのか」
「十二時頃」
「それなら然うと、おれの方へなぜ知らせないのだ」
「もう親類でもないと云われているところへ、知らせる必要なんかないと思います」
「そうか。それだから知らせなかったか。ふむ。生意気なことを云ってる。はは。併し英公。貴様は大きな繃帯をしてるじゃないか」
英一はだまって猛夫を見た。伯父と並んでいた猛夫は、ふいと顔を横へ向けた。
「どうしたのだ。怪我でもしてるのか」と、伯父は又たずねた。
「人に斬られたのです」と、英一はしずかに答えた。「動脈に傷がついたのです。早く医者に手当をしてもらったから可(よ)かったのですが、まだ癒(なお)りきっていないのです」
「ふむ。動脈なんかやられちゃ生命があぶないものだ。助かってよかったが、ばかだな。貴様、誰かと喧嘩したのだな」
「僕は喧嘩は嫌いです。暗がりで不意に斬られたのです。斬っといて相手は逃げたのです」
「では誰がしたか分らないのか」
「分っています。暗がりでも近いところに街灯があったのですから、僕にはちゃんと分っています」
英一がそう云うと、猛夫はぎょっとしたように目を光らせたが、伯父はそれには気づかずこう云った。
「それはまあ可(よ)かった。それですぐ警察へ届けたのか。捕まったか」
「いえ。警察なんかへは届けません」
「なぜだ、生命を危なくするような、そんな悪いことをする奴は、届けて監獄へぶちこんでやったら可かろう」
「けれども相手は、暗がりに隠れていて斬るとすぐ逃げたのです。自分の悪いことを知っているから、そんな卑怯なことをして逃げたのです。自分が悪いという事を知っていれば、今に後悔することがあるでしょう。ですから届けないでおきました」
「悪いことをするような奴は、なかなか後悔しないぞ。大傷をつけられたりして黙っている者があるか、貴様はよっぽどばかだな」
伯父は又――ばか――と云った。ばかばか云うのは伯父の口癖である。英一は我慢して憤(おこ)らずに答えた。
「それに僕を斬ったのは中学生です。僕が届けたりして警察へ引かれるような事にあると、きっと学校からも退校を命じられるでしょう。そんな事があると、もうほかの中学へ入ることが六(むず)かしくなります。それでは可哀そうです」
「あはは、悪い奴はどうなってもかまわんじゃないか。監獄へ入れてやるほうが気味がいいじゃないか。そんな奴の退校なんか気の毒がるのはばかだぞ」
「いえ、僕はばかでもかまいません。僕は悪い人もなるべく善い人になってもらいたいと思います。悪い人が退校させられたりしては、破れかぶれになって、いよいよ悪くなるばかりだろうと思います。悪い人でも学校にいさえすれば、そのうしに善い先生の訓(おし)えや、善い級友(クラスメート)の行いに感心して、だんだん善い人になるかも知れない思います。だから僕は届けません。僕の勤めている新聞社の皆さんも、警察へ届けろ届けろと云いましたが、僕は断わりました」
「そうか。貴様はなかなか人が好いな。それで貴様を斬ったのは、どこの中学校の生徒だな」
「僕はそれは母様にだけは話しましたが、ほかの人に云いたくありません」
「で、母親も憤(おこ)らないのか」
「母さんは優しい人です。人を苦しめることは嫌いです。僕が我慢できるのなら、なるべく警察などへ届けない方が可いと云っています」
「そうか。ふふ」
伯父は鼻の先で笑ったが、猛夫は何となく恥じたようにうつむいていた。そこへ小山田昌之助が来た。英一の父を迎えるためであった。間もなく英一の姉の浪子も来た。やはり父を迎えるために、奉公先からちょっとお暇をもらって来たのであった。

清き凱歌 編集

やがて神戸からの列車が着いた。
プラットホームの方におびただしい人の足音が響いて、降車客が続々と出て来た。浪子と英一とは改札口の前に並んで、父の出て来るのを待った。
「電報にまちがいはないだろう、この列車で帰って下さるだろう。どんなお顔をして出て来るだろう。それとも急に差支えがおこって、この列車に乗っていないではないかしら」
二人はそんな事を思いながら、一心に向うを見つめた。どっきどっきと胸が波打つ。二人の側んは小山田昌之助が保護者のように立っていた。
少し離れたところには伯父が立っていた。英一を虐待した伯父、英一の母に対してもう親類ではないと罵った伯父が立っていた。英一の父がどんな様子をして帰って来るか、それを見たいのであろう。しかし猛夫は何処へ去ったか、あたりにはもう見えなかった。
客は出て来る、後から後からと続いて出て来る。
と、小山田が帽子を脱して高く差しあげて振った。
父が見えたのだ――英一は伸びあがった。嬉しさにぶるぶると身体が慄えた――中折帽に背広服。小腋に折鞄を押えた一紳士、おおそれが三年ぶりの父であった。
「姉さん」父の方を指さして、英一は慌しく姉に云った。
浪子はにっこりとしてうなずいた。その時父は改札口を出てつかつかとこっちへ来た。そうして小山田にあいさつをしてから、そのなつかしい顔を我が子に向けた、姉と弟は一しょに頭を下げた。
「お父さま」と、浪子はぽろぽろ涙をこぼした。「お帰りなさいまし」
「お帰りなさいまし」と、英一も声がつまった。
「やっと帰ったぞ」と、父はすりよって二人の手を握った。その目は深い慈愛を堪えてジッジッと二人を見まもった。歓喜の絶頂に滔々(とうとう)と親子の感激が漲った。
「二人とも働いて、母さんを助けていたそうだな」と、しばらくしてから父が云った。
「よく働いてくれた。わしはお礼を云わなければならない。お前たちに苦労をさせたことは気の毒だったが、苦労に屈せず二人揃って奮闘してくれたのは、ほんとに、ほんとにわしは嬉しい。英一ありがとう。浪子ありがとう」父はそう云って涙ぐんだ。

          *          *          *

土産物の詰った幾つもの大きな鞄と共に、父と浪子と英一とは自動車に送られて家に帰った。
南洋の成功者、小山田昌之助は今度新たに東京に一つの会社を設けたのであるが、彼は昔英一の父から大恩を受けているので、其恩に報いるために英一の父を新会社の重役としていた。
父の帰朝はそのためであった。
父はもう堂々たる会社の重役である。英一の家には輝くような幸福が来たのである。

          *          *          *

その翌る日。
一通の手紙が英一の許(もと)に来た。差出人は、「猛夫」と、ある。
じぶんの勉強を嫉(ねた)んで敵のように自分を憎んでいる猛夫、曾(かつ)ては盗みの罪をじぶんへなすりつけようとした猛夫、最近には卑怯は待伏せをして、じぶんへ傷をつけた猛夫。その人からの手紙。
「おかしいな」
英一はあやしみながら披(ひら)いて見た。手紙は次のように記されてあった。
――英一君。
僕の罪をゆるして下さい。僕は白状します。僕は怠け者で学問も劣等です。学問ではとても君にかなわないから、君を嫉んでいました。憎んでいました。そのために君に対して、いろいろ悪い事をしていました。
けれども君は何という心の寛(ひろ)い清い人だろう。僕は東京駅で君の話していたのを聞いて、自分の卑怯な行いきたない根性が、ほんとうに恥かしくなりました。僕は夢がさめた様です。
ほんとうに後悔しています。これから行いを改めます。汚ない根性を棄てて学生らしく熱心に勉強します。僕がこんなに真面目になったのは、君の寛い美しい心に感激したからです。
英一君、今まで僕のしたことをどうぞゆるして下さい。どうぞ――

          *          *          *

読み終ると英一は母に見せた。母が読み終ると英一は云った。
「ねえ母さん。猛夫さんはやっぱり善い人ですね」
「然うですとも」と、母は答えた。「猛夫さんは怠けるという悪魔に取りつかれていたのです。その悪魔が英ちゃんを嫉んだり憎んだりしたのですが、英ちゃんの清い心に恥じて悪魔も逃げてしまったから、猛夫さんも元の善い人になったのです。これは清い心が悪魔と戦って打勝ったのです」
母の優しい言葉は清き心の凱歌であった。
英一は戦うつもりではなかった。いつも猛夫の迫害を避けていたのであるが、避けつつも遂に猛夫を悔いさせたのである。やはり戦ったと同じであった。しかしそれは悪魔と戦ったのである。猛夫と戦ったのではない。取りついていた悪魔の去った猛夫は、もう英一のために善良な友人でなければならない。
「猛夫さんありがとう。よく悔い改めて下さった」と、英一は心の中で感謝した。
秋天高く澄みわたって、窓にはすがすがしい風が吹いていた。
 

この著作物は、1944年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。