小村寿太郎侯銅像碑銘

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(註:「…」は残欠の部分)

是侯爵小村壽太郎閣下ノ像ナリ侯ノ帝國外政ニ於…豐功偉烈中外ノ齊瞻仰スル所其滿洲ニ於ケルヤ…特ニ深クシテ且遠シ日清戰役ニアリテハ侯ハ代理公使トシテ國交斷絶ノ衝ニ當リ又占領地民政長官トシテ功ヲ綏撫ニ舉ク義和團ノ變露國ノ乘シテ滿洲ヲ占領シ遂ニ其併吞ヲ策スルヤ侯ハ駐露公使次テ駐清公使後終ニ外務大臣トシテ終始一貫露ノ秘謀ヲ掣扼シ遂ニ露清ノ當路ニ警告シテ滿洲還付條約ヲ締結セシ厶露國ノ條約ヲ無視シテ滿洲ノ撤兵ヲ拒ミ却テ其把握ヲ強化セントスルニ及ヒ侯乃廟議ニ諮リ

聖裁ヲ經テ露國ニ交涉ヲ開始シ折衝半歳堅ク滿洲保全ト我條約上ノ權益尊重ノ主張トヲ執リテ動カス後日露講和會議ニ莅ムヤ病軀ヲ以テ日夜淬勵遂ニ滿洲撤兵長春以南ノ鐵道並ニ遼東租借地ノ讓渡等韓國自由處分ト共ニ我交戰目的ヲ構成スル主要要求ヲ貫徹シ囘槎横濱ニ上陸スルヤ廟議南滿洲鐵道ト附帶利權トヲ以テ米國ハリマン財團トノ合辦ニ付スルニ決シ已ニハリマント協定スル所アリタルヲ聞キ思ヘラク國家ノ計ヲ誤ル之ヨリ大ナルハナシト奮然意ヲ決シテ廟堂ニ力説シ該協定ヲ取消サシム已ニシテ再疲憊ノ躬ヲ提ケテ清國ニ使シ滿洲善後ノ條約ヲ議定シ且清國ヲシテ南滿洲鐵道ニ對スル並行又ハ競爭ノ幹支線鐵道敷設ヲ敢テセサルヲ約諾セシノ又滿洲ニ於ケル治安確立ノ帝國ノ安危ニ關スル重大問題タルヲ説キ清廷ヲシテ滿洲ニ於ケル施政ノ改善ト治安ノ確保ヲ誓明セシノタリ其着眼ノ高遠其命意ノ周到實ニ神ニ近シト云フヘシ明治四十二年米國政府ノ滿洲鐵道國際化ヲ提議シ來ルヤ侯再外相ノ任ニ在リ日露講和條約所定ノ事態ヲ破壞スルモノトシテ之ヲ排拒シ又露國ト相諮リテ米ノ錦璦鐵道敷設計畫ヲ挫折セシム滿鐵ノ今日アル抑亦王道樂土ノ顯現ヲ滿洲建國ニ見ルニ至リタル職トシテ侯ノ遠見達識早ク已ニ其礎石ヲ當年ニ置カレタルニ由ル滿鐵社員會同人曩ニ時勢ニ感發シテ率先計企スル所アリ偶南滿洲鐵道株式會社創業三十周年記念ニ際シ同社幹部ヨリ提議シ關東軍、關東局、在滿帝國大使館、滿洲國、南滿洲鐵道株式會社並ニ滿鐵社員會、在滿有力會社其他全滿官民有志等相諮リテ玆ニ侯ノ銅像ヲ建立シ旦暮其英姿ヲ仰キ其偉勳ヲ永久ニ讚ヘントスト雲爾

昭和十三年五月三十一日

南滿洲鐵道株式會社 總裁 松岡洋右

 

この著作物は、1938年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。