橋本の家の台所では昼飯の仕度に忙しかった。平素ですら男の奉公人だけでも、大番頭から小僧まで入れて、都合六人のものが口を預けている。そこへ東京からの客がある。家族を合せると、十三人の食う物は作らねばならぬ。三度々々この仕度をするのは、主婦のお種に取って、一仕事であった。とはいえ、こういう生活に慣れて来たお種は、娘や下婢を相手にして、まめまめしく働いた。
炉辺は広かった。その一部分は艶々と光る戸棚や、清潔な板の間で、流許で用意したものは直にそれを炉の方へ運ぶことが出来た。暗い屋根裏からは、煤けた竹筒の自在鍵が釣るしてあって、その下で夏でも火が燃えた。この大きな、古風な、どこか厳しい屋造の内へ静かな光線を導くものは、高い明窓で、その小障子の開いたところから青く透き徹るような空が見える。
「カルサン」という労働の袴を着けた百姓が、裏の井戸から冷い水を汲んで、流許へ担いで来た。お種はこの隠居にも食わせることを忘れてはいなかった。
お種は夫と一緒に都会の生活を送ったことも有り――娘のお仙が生れたのは丁度その東京時代であったが、こうして地方にも最早長いこと暮しているので、話す言葉が種々に混って出て来る。
「お春や」とお種は下婢の名を呼んで尋ねてみた。「正太はどうしたろう」
「若旦那様かなし。あの山瀬へお出たぞなし」
こう十七ばかりに成るお春が答えたが、その娘らしい頬は何の意味もなく紅く成った。
「また御友達のところで話し込んでると見える」とお種は考え深い眼付をして、やがて娘のお仙の方を見て、「山瀬へ行くと、いつでも長いから、昼飯には帰るまい――兄さんのお膳は別にして置けや」
お仙は母の言うなりに従順に動いた。最早処女の盛りを思わせる年頃で、背は母よりも高い位であるが、子供の時分に一度煩ったことがあって、それから精神の発育が遅れた。自然と親の側を離れることの出来ないものに成っている。お種は絶えず娘の保護を怠らないという風で、物を言付けるにも、なるべく静かな、解り易い調子で言って、無邪気な頭脳の内部を混雑させまいとした。お種は又、娘の友達にもと思って、普通の下婢のようにはお春を取扱っていなかった。髪もお仙の結う度に結わせ、夜はお仙と同じ部屋に寝かしてやった。
主人や客をはじめ、奉公人の膳が各自の順でそこへ並べられた。心の好いお仙は自分より年少の下婢の機嫌をも損ねまいとする風である。
仕度の出来た頃、母はお春と一緒に働いている娘の有様を人形のように眺めながら、
「お仙や、仕度が出来ましたからね、御客様にそう言っていらっしゃい」
と言われて、お仙はそれを告げに奥の部屋の方へ行った。
東京からの客というは、お種が一番末の弟にあたる三吉と、ある知人の子息とであった。この子息の方は直樹と言って、中学へ通っている青年で、三吉のことを「兄さん、兄さん」と呼んでいる。都会で成長した直樹は、初めて旅らしい旅をして、初めて父母の故郷を見たと言っている。二人は橋本の家で一夏を送ろうとして来たのであった。
「御客様は炉辺がめずらしいそうですから、ここで一緒に頂きましょう」
とお種はそこへ来て膳に就いた夫の達雄に言った。三吉、直樹の二人もその傍に古風な膳を控えた。
「正太は?」
と達雄は、そこに自分の子息が見えないのを物足らなく思うという風で、お種に聞いてみる。
「山瀬へ行ったそうですから、復た御呼ばれでしょう」
こうお種は答えた。
蠅は多かった。やがてお春の給仕で、一同食事を始めた。御家大事と勤め顔な大番頭の嘉助親子、年若な幸作、その他手代小僧なども、旦那や御新造の背後を通って、各自定まった席に着いた。奉公人の中には、二代、三代も前からこうして通って来るのも有る。この人達は、普通に雇い雇われる者とは違って、寧ろ主従の関係に近かった。
裏の畠で働く百姓の隠居も、その時手拭で足を拭いて、板の間のところにカシコマった。
「さあ、やっとくれや」
と達雄は慰労うように言った。隠居は幾度か御辞儀をして、「頂戴」と山盛の飯を押頂いて、それから皆なと一緒に食い始めた。
「三吉」とお種は弟の方を見て、「田舎へ来て物を食べると、子供の時のことを思出すでしょう。直樹さんやお前さんに色々食べさせたい物が有るが、追々と御馳走しますよ。お前さんが子供の時には、ソラ、赤い芋茎の御漬物などが大好きで……今に吾家でも食べさせるぞや」
こんなことを言出したので、主人も客も楽しく笑いながら食った。
お種がここへ嫁いて来た頃は、三吉も郷里の方に居て、まだ極く幼少かった。その頃は両親とも生きていて、老祖母さんまでも壮健で、古い大きな生家の建築物が焼けずに形を存していた。次第に弟達は東京の方へ引移って行った。こうして地方に残って居るものは、姉弟中でお種一人である。
「お春、お前は知るまいが」とお種は久し振で弟と一緒に成ったことを、下婢にまで話さずにはいられなかった。「彼が修業に出た時分は、旦那さんも私もやはり東京に居た頃で、丁度一年ばかり一緒に暮したが……あの頃は、お前、まだ彼が鼻洟を垂らしていたよ。どうだい、それがあんな男に成って訪ねて来た――えらいもんじゃないか」
お春は団扇で蠅を追いながら、皆なの顔を見比べて、娘らしく笑った。
旧からの習慣として、あだかも茶席へでも行ったように、主人から奉公人まで自分々々の膳の上の仕末をした。食べ終ったものから順に茶碗や箸を拭いて、布巾をその上に掩せて、それから席を離れた。
この橋本の家は街道に近い町はずれの岡の上にあった。昼飯の後、中学生の直樹は谷の向側にある親戚を訪ねようとして、勾配の急な崖について、折れ曲った石段を降りて行った。
三吉は姉のお種に連れられて、めずらしそうに家の内部を見て廻った。
「三吉、ここへ来て見よや。これは私がお嫁に来る時に出来た部屋だ」
こう言ってお種が案内したは、奥座敷の横に建増した納戸で、箪笥だの、鏡台だの、その他種々な道具が置並べてある。襖には、亡くなった橋本の老祖母さんの里方の縁続きにあたる歌人の短冊などが張付けてある。
「私が橋本へ来るに就いて、髪を結う部屋が無くては都合が悪かろうと言って、ここの老祖母さんが心配して造って下すった――老祖母さんはナカナカ届いた人でしたからね」とお種は説き聞かせた。
「へえ、その時分は姉さんも若かったんでしょうネ」と三吉が笑った。
「そりゃそうサ、お前さん――」と言いかけて、お種も笑って、「考えて御覧な――私がお嫁に来たのは、今のお仙より若い時なんですもの」
薬研で物を刻す音が壁に響いて来る。部屋の障子の開いたところから、斜に中の間の一部が見られる。そこには番頭や手代が集って、先祖からこの家に伝わった製薬の仕事を励んでいる。時々盛んな笑声も起る……
「何かまた嘉助が笑わしていると見えるわい」
と言いながら、お種は弟を導いて、奥座敷の暗い入口から炉辺の方へ出た。大きな看板の置いてある店の横を通り過ぎると、坪庭に向いた二間ばかりの表座敷がその隣にある。
三吉は眺め廻して、「心地の好い部屋だ――どうしても田舎の普請は違いますナア」
「ここをお前さん達に貸すわい」と姉が言った。「書籍を読もうと、寝転ぼうと、どうなりと御勝手だ」
「姉さん、東京からこういうところへ来ると、夏のような気はしませんね」
「平素はこの部屋は空いてる。お客でもするとか、馬市でも立つとか、何か特別の場合でなければ使用わない。お前さんと、直樹さんと、正太と、三人ここに寝かそう」
「ア――木曾川の音がよく聞える」
三吉は耳を澄まして聞いた。
間もなくお種は弟を連れて、店先の庭の方へ降りた。正太が余暇に造ったという養鶏所だの、桑畠だのを見て、一廻りして裏口のところへ出ると、傾斜は幾層かの畠に成っている。そこから小山の上の方の耕された地所までも見上げることが出来る。
二人は石段を上った。掩い冠さったような葡萄棚の下には、清水が溢れ流れている。その横にある高い土蔵の壁は日をうけて白く光っている。百合の花の香もして来る。
姉は夏梨の棚の下に立って、弟の方を顧みながら、「この節は毎朝早く起きて、こうして畠の上の方まで見て廻る。一頃とは大違いで、床に就くようなことは無くなった――私も強くなったぞや」
「姉さんは何処か悪かったんですか」と三吉は不審そうに。
「ええ、持病で寝たり起きたりしてサ……」
「持病とは?」
姉は返事に窮って、急に思い付いたように歩き出した。「まあ、病気の話なぞは止そう。それよりか私が丹精した畠でもお前さんに見て貰おう。御蔭で今年は野菜も好く出来ましたよ」
野菜畠を見せたいというお種の後に随いて、弟も一緒に傾斜を上った。坂の途中を横に折れると、百合、豆などの種類が好く整理して植付けてある。青い暗い南瓜棚の下を通って、二人は百姓の隠居の働いているところへ出た。
石垣に近く、花園を歩むような楽しい小径もあった。そこから谷底の町の一部を下瞰すことが出来る。
お種は眺め入りながら、
「私も、橋本へ来てからこの歳に成るまで、町へ出たことが無いと言っても可い位……真実に家の内にばかり引込みきりなんですよ……用が有る時はどうするなんて、三吉なぞは不思議に思うかも知れないが、買物には小僧も居れば、下婢も居る。嘉助始め皆なで外の用を好く達してくれる。ですから、私は家を出ないものとしていますよ……女というものは、お前さん、こうしたものですからね」
こんな話を弟にして聞かせて、それから直樹が訪ねて行った親戚の家々を指して見せた。いずれも風雪を凌ぐ為に石を載せた板屋根で、深い木曾山中の空気に好く調和して見える。
「母親さん、沢田さんがお出た」
とそこへお仙が客のあることを知らせに来た。三人は一緒に母屋の方へ降りて行った。
物置蔵の側を帰りかけた頃、お種は娘と並んで歩きながら、
「お仙や、お前は三吉叔父さん、三吉叔父さんと、毎日言い暮していたッけが――どうだね、三吉叔父さんが被入しって嬉しいかね」
と母に言われて、お仙はどう思うことを言い表して可いか解らないという風であった。この無邪気な娘は、唯、「ええ、ええ」と力を入れて言っていた。
庭伝いに奥座敷へ上ってから、お種は沢田という老人を三吉に紹介した。この老人は、直樹の叔父にあたる非常な神経家で、潔癖が嵩じて一種の痼疾のように成っていたが、平素癇の起らない時は口の利きようなども至極丁寧にする人である。
老人は三吉に向って、よく直樹を東京から連れて来てくれたと言って、先ずその礼を述べた。
「三吉」と姉は引取って、「この沢田さんは、やはりお前さんの父親さんのように、国学や神道の御話が好きで……父親さんが生きてる時分には、よく沢田さんの御宅へ伺っては、歌なぞを咏んだものだぞや」
こうお種が言出したので、老人も思出したように、
「ええ……左様だ……貴方がたの父親さんは、こう大きな懐をして、一ぱい書籍を捩込んでは歩かっせる人で……」
思わず三吉は、この姉の家で、父の旧友の一人に逢った。背の低い、瘠ぎすな、武士らしい威厳を帯びた、憂鬱と老年とで震えているような人を見た。三吉も狂死した父のことを考える年頃である。
主人の達雄は高い心の調子でいる時であった。中の間にある古い柱の下が日々の業務を執るところで、番頭や手代と机を並べて、朝は八時頃から日の暮れるまで倦むことを知らずに働いた。沈香、麝香、人参、熊の胆、金箔などの仕入、遠国から来る薬の注文、小包の発送、その他達雄が監督すべきことは数々あった。包紙の印刷は何程用意してあるか、秋の行商の準備は何程出来たか、と達雄は気を配って、時には帳簿の整理のかたわら、自分でも包紙を折ったり、印紙を貼ったりして、店の奉公人を助け励ました。
そればかりでは無い。達雄は地方の紳士として、外部から持込んで来る相談にも預り、種々土地の為に尽さなければ成らない事も多かった。尤も、政党の争闘などはなるべく避けている方で、祖先から伝わった業務の方に主に身を入れた。達雄の奮発と勉強とは東京から来た三吉を驚かした位である。
三吉が着いて三日目にあたる頃、連の直樹は親戚の家へ遊びに行った。その日は午後から達雄も仕事を休んで、奥座敷の方に居た。そこは家のものの居間にしてあるところで、襖一つ隔てて娘達の寐る部屋に続いている。「お仙や」とお種は茶戸棚の前に坐りながら呼んだ。お仙は次の新座敷に小机を控えて、余念もなく薬の包紙を折っていたが、その時面長な笑顔を出した。
「お前さんも御休みなさい。皆なで御茶を頂きましょう」
とお種に言われて、お仙は母の側へ来て、近過ぎるほど顔を寄せた。母の許を得たということがこの娘に取って何よりも嬉しかった。
三吉も入って来た。
「貴方」とお種は夫の方を見て、「ちょっとまあ見てやって下さい。三吉がそこへ来て坐った様子は、どうしても父親さんですよ……手付なぞは兄弟中で彼が一番克く似てますよ」
「阿爺もこんな不恰好な手でしたかね」と三吉は笑いながら自分の手を眺める。
お種も笑って、「父親さんが言うには、三吉は一番学問の好きな奴だで、彼奴だけには俺の事業を継がせにゃならん……何卒して彼奴だけは俺の子にしたいもんだなんて、よくそう言い言いしたよ」
三吉は姉の顔を眺めた。「あの可畏い阿爺が生きていて、私達の為てることを見ようものなら、それこそ大変です。弓の折かなんかで打たれるような目に逢います」
「しかし、お前さん達の仕事は何処へでも持って行かれて都合が好いね」とお種が笑った。
達雄は胡坐にした膝を癖のように動ぶりながら、「近頃の若い人には、大分種々な物を書く人が出来ましたネ。文学――それも面白いが、定った収入が無いのは一番困りましょう」
「言わば、お前さん達のは、道楽商売」とお種も相槌を打つ。
三吉は答えなかった。
「正太もね、お前さん達の書いた物は好きで、よく読む」とお種は言葉を続けて、「やっぱり若い者は若い者同志で、何処か似たような処も有ろうから、なるべく彼にも読ませるようにしていますよ……ええええ、そりゃあもう今の若い者が私達のような昔者の気では駄目です――そんなことを言ったって、三吉、これでも若い者には負けない気だぞや――こうまあ私は思うから、なるべく正太の気分が開けて行くように……何かまたそういう物でも読ませたら、彼の為に成るだろうと思って……」
「為に成るようなことは、先ずありません」
こう三吉が言ったので、お種は夫と顔を見合せて、苦笑した。
「お仙、兄さんにも、御茶が入りましたからッて、そう言っていらッしゃい」
こうお種は娘に言付けて、表座敷の方に居る正太を呼びにやった。
正太と三吉とは、年齢が三つしか違わない。背は正太の方が隆い。そこへ来て三吉の傍に坐ると、叔父甥というよりか兄弟のように見える。
正太が入って来ると同時に、急に達雄は厳格に成った。そして、黙って了った。
正太もあまり口数を利かないで、何となく不満な、焦々した、とはいえ若々しい眼付をしながら、周囲を眺め廻した。
古い床の間の壁には、先祖の書いた物が幅広な軸に成って掛っている。それは竹翁と言って、橋本の薬を創めた先祖で、毎年の忌日には必ず好物の栗飯を供え祭るほど大切な人に思われている。その竹翁の精神が、何時までも書いた筆に遺って、こうして子孫に臨んでいるかのようにも見える。
この室内の空気は若い正太に何の興味をも起させなかった。彼の眼には、すべてが窮屈で、陰気で、物憂いほど単調であった。彼は親の側に静止していられないという風で、母が注いで出した茶を飲んで、やがてまたぷいと部屋を出て行って了った。
達雄は嘆息して、
「三吉さん、お前さんの着いた日から私は聞いてみたい聞いてみたいと思って、まだ言わずにいることが有るんですが……お前さんが持っているその時計ですね……」
「これですか」と三吉は兵児帯の間から銀側時計を取出して、それを大きな卓の上に置いた。
「極く古い時計でサ、裏にこんな彫のしてある――」
「実はその時計のことで……」と達雄は言淀んで、「正太を東京へ修業に出しました時に、私が特に注意して、金時計を一つくれてやったんです――まあ、そういう物でも持たしてやれば、普通の書生とも見られまいかと思いまして――ネ。ところが一夏、彼が帰って来た時に、他の時計をサゲてる。金時計はどうしたと私が聞きましたら、友達から是非貸してくれと言われて置いて来ました、そのかわり友達のを持って来ました、こう言うじゃありませんか。どうでしょう、その友達の時計が今度来たお前さんの帯の間に挾まってる……」
三吉は笑出した。「一体これは宗さんの時計です。近頃私が宗さんから貰ったんです。多分正太さんも宗さんから借りて来たんでしょう」
達雄はお種と顔を見合せた。宗さんとは三吉が直ぐ上の兄にあたる宗蔵のことである。「どうも不思議だ、不思議だと思った」と達雄が言った。
「三吉の方が正直なと見えるテ」とお種も考深い眼付をする。
金側の時計が銀側の時計に変ったということは、三吉にはさ程不思議でもなかった。「正直なと見えるテ」と言われる三吉にすら、それ位のことは若いものに有勝だと思われた。達雄はそうは思わなかった。
「どういう人に成って行くかサ」とお種は更に吾子のことを言出して、長い羅宇の煙管で煙草を吸付けた。「一体彼は妙な気分の奴で、まだ私にも好く解らないが――為る事がどうも危くて危くて――」
「正太さんですか」と三吉も巻煙草を燻しながら、「なにしろ、まだ若いんですもの。話をして見ると心地の好い人ですがねえ。どうかするとこう物凄いような感じのすることが有る。あそこは、僕は面白いところじゃないかと思いますよ」
「実は、私も、そうも思って見てる」
こう達雄が言った。
「何卒まあウマくやって貰わないと――橋本の家に取っては大事な人だで」とお種は三吉の方を見て、「兄さんもこの節は彼のことばかり心配してますよ。吾家でも、御蔭で、大分商法が盛んに成って、一頃から見ると倍も薬が売れる。この調子で行きさえすれば内輪は楽なものなんですよ。他に何も心配は無い。唯、彼が……」と言いかけて、声を低くして、「近頃懇意にする娘が有るだテ」
「有りそうなことだ」と三吉は正太を弁護するように言う。
「お前さんは直にそうだ」とお種は叱って見せて、「若いものの肩ばかり持つもんじゃ有りませんよ」
「やはりこの町の人ですか」と三吉が聞いた。
「ええ、そうですよ」とお種は受けて、「兄さんにしろ、私にしろ、どうもそこが気に入らん」
こういう話をして居る間、お仙は手持無沙汰に起ったり坐ったりして、時には親達の話の中で解ったと思うことが有る度に、独り微笑んだりしていたが、つと母の傍へ寄った。
「お仙ちゃん、御話が解りますかネ」とお種は母らしい調子で言った。
「ええ、解る」とお仙は両親の顔を見比べながら。
「解るは、よかった」達雄は笑った。
お種は三吉の方を見て、「すこし込入った話に成ると、お仙には好く解らない風だ。そのかわり、奇麗な気分のものだぞや」
「真実に、好い姉さんに成りましたネ」と三吉が言う。
「彼女も最早女ですよ。その事は私がよく言って聞かせて、誰にでも普通に有ることだからッて教えて置いたもんですから、ちゃんと承知してる。こうして大きく成って、可惜いようなものだが、仕方が無い。行く行くは一軒別にでもして、彼女が独りで静かに暮せるようだったら、それが何よりですよ」
「そんなことをしないたッて、お婿さんを貰ってやるが可い」と三吉は戯れるように言った。
「叔父さんはああいうことを言う……」
とお仙は呆れて、笑い転げるように新座敷へ逃出した。
風呂が沸いたと言って、下婢のお春が告げに来た頃、先ず達雄は連日の疲労を忘れに行った。
「お仙、ちゃっと髪を結って了わまいかや」とお種は、炉辺へ来て待っている髪結を呼んで、古風な鏡台だの櫛箱だのを新座敷の方へ取出した。
「三吉。すこし御免なさいよ」とお種は鏡の前に坐りながら言った。「私は花が好きだで、今年も丹精して造りましたに見て下さい――夏菊がよく咲きましたでしょう」
三吉は庭に出て、大きな石と石の間を歩いたが、不図姉の後に立つ女髪結を見つけて不思議そうに眺めていた。髪結は種々な手真似をしてお種に見せた。お種は笑いながら、庭に居る弟の方を見て、「この髪結さんは手真似で何でも話す。今東京から御客さんが来たそうだが、と言って私に話して聞かせるところだ――唖だが、悧好なものだぞい」こう言い聞かせた。
深い屋根の下にばかり日を送っているお種は、この唖の髪結を通して、女でなければ穿鑿して来ないような町の出来事を知り得るのである。髪結は又、人の気の付かないことまで見て来て、それを不自由な手真似で表わして見せる。その日も、親指を出したり、小指を出したり、終に額のところへ角を生す真似をしたりして、世間話を伝えながら笑った。
日暮に近い頃から、達雄、三吉の二人は涼しい風の来る縁先へ煙草盆を持出した。大番頭の嘉助も談話の仲間に加わった。そこへお仙やお春が台所の方から膳を運んで来た。
お種は嘉助の前にも膳を据えて、
「今日は旦那も骨休めだと仰るし、三吉も来ているし、何物も無いが河魚で一杯出すで、お前もそこで御相伴しよや」
こう言われて、嘉助は癖のように禿頭を押えた。
「さ、御酌致しましょう」
と嘉助は遠慮深い膝を進めた。この人は前垂を〆めてはいるが、武術の心得も有るらしい体格で、大きな律義そうな手を出して、旦那や客に酒を勧めた。
何時の間にか話も若旦那のことに落ちて行った。お種は台所の方にも気を配りながら、時々部屋を出て行くかと思うと、復た入って来て、皆なと一緒に息子のことを心配した。
「いッそのこと、その娘を貰ってやったら可いじゃ有りませんか」三吉は書生流儀に言出した。
「そんな馬鹿なことが出来るもんですかね」とお種は嘲るように言って、「お前さんは何事も知らないからそんなことを言うけれど」
「それに、お前さま」と嘉助は引取って、紅く充血した眼で客の方を見て、「娘の親というものが気に入りません……これは、まあ、私の邪推かも知ませんが、どうも親が背後に居て、娘の指図をするらしい……」
お種は何か思出したように、物に襲われるような眼付をしたが、それを口に出そうとはしなかった。
「よしんば、そうでないと致したところで」と嘉助は言葉を継いで、「家の格が違います。どうして、お前さま、あんな家から橋本へ貰えるものかなし……」
暮れかかって来た。屋根を越して来る山の影が、庭にもあり、一段高く斜に見える蔵の白壁にもあり、更に高い石垣の上に咲く夕顔南瓜などの棚にもあった。この家の先代が砲術の指南をした頃に用いた場所は、まだ耕地として残っていたが、その辺から小山の頂へかけて、夕日が映っていた。
百姓の隠居も鍬を肩に掛けて、上の畠の方から降りて来た。
夕飯時を報せる寺の鐘が谷間に響き渡った。達雄は、縁先から、自分の家に附いた果樹の多い傾斜を眺めて、一杯は客の為に酌み、一杯はよく働いてくれる大番頭の為に酌み、一杯は自分の健康の為に酌んだ。
「何卒して、まあ、若旦那にも好いお嫁さんを……」と嘉助は旦那から差された盃を前に置いて、「早く好いところから貰って上げて、一同安心いたしまするように……これが何よりも御家の堅めで御座いまするで」
「そのお嫁さんだテ」とお種も力を入れる。
「どうもこの町には無いナア」と達雄は眉を動かして、快濶らしく笑った。
その時、お種は指を折って、心当りの娘を数えてみた。年頃に成る子は多勢あっても、いざ町から貰うと成ると、適当な候補者は見当らなかった。
「飯田の方の話よなし」とお種は嘉助の方を見て、「あれを一つお前に聞いて貰うぞい」
「ええ、あれは引受けた」と嘉助が言った。
三吉は聞咎めて、「飯田の方に候補者でも有るんですか」
「ナニ、まだそうハッキリした話では無いんですがね、すこしばかり心当りが有って」と達雄は膝を動かす。
「聞き込んだ筋が好いもんですから」とお種も三吉に言い聞かせた。「今年の秋は、嘉助も彼地へ行商に出掛けるで、序に精しく様子を探って貰うわい――吾家でお嫁さを貰うなんて、お前さん、それこそ大仕事なんですよ」
この人達は、子と子の結婚を考える前に、先ず家と家の結婚を考えなければ成らなかった。
何時の間にかお仙も母の傍へ来て、皆なの話に耳を傾けていた。やがて母が気が付いた頃は、お仙の姿が見えなかった。お種は起って行って、何気なく次の部屋を覗いて見た。
「お仙、そんなところで何をしてるや……」
娘は答えなかった。
「この娘は、まあ、妙な娘だぞい。お嫁さんの話を聞いて哀しく成るような者が何処にあらず」とお種は娘を慰撫めるように。
「お仙ちゃん、どうしました」こう三吉が縁側のところから聞いた。
お種は三吉の方を振返って見て、「お仙はこれで極く涙脆いぞや。兄さんに何か言われても直に涙が出る……」
その晩、三吉は少量ばかりの酒に酔ったと言って、表座敷の方へ横に成りに行き、嘉助も風呂を貰って入りに裏口の方へ廻った。奥座敷には達雄夫婦二人ぎりと成った。まだ正太は町から帰って来なかった。
お種は立ちがけに、一寸夫の顔を眺めて、「正太もあれで三吉叔父さんとは仲が好いぞなし――叔父さんには何でも話す様子だ」
「そうだろうナア。年齢から言っても、丁度好い友達だからナア」と達雄が答える。
「貴方はどう思わっせるか知らんが……私は三吉の今度来たのが彼の子の為めにも好からずと思って……」
「俺も、まあそう思ってる」
この様な言葉を交換した。不図、お種は洋燈の置いてある方へ寄って、白い、神経質らしい手を腕の辺まで捲って見て、蚤でも逃がしたように坐っていたところを捜す。
「痒い痒いと思ったら、こんなに食いからかいて」とお種は単衣の裾の方を掲げながら捜してみた。
「そうどうも苦にしちゃ、えらい」と達雄は笑った。
「一匹居ても、私は身体中ゾクゾクして来る」
こうお種は言って、若い時のような忍耐は無くなったという風で、やがて笑いながら台所の方へ出て行った。
三吉が東京から訪ねて来たことは、達雄に取っても嬉しかった。彼は親身の兄弟というものが無い人で、日頃お種の弟達を実の兄弟のように頼もしく思っている。三吉が来た為に、種々話が出る。話が出れば出るほど、種々な心地が引出される。子に対する達雄の心配も一層深く引出された形である。
平素潜んでいたようなことまで達雄の胸に浮んで来た。先代が亡くなったのは、彼がまだ若かった時のことで。その頃は嘉助同格の支配人が三人も詰切って、それを薬方と称えて、先祖から伝わった仕事は言うに及ばず、経済から、交際まで、一切そういう人達でこの橋本の家を堅めていた。彼もまた、青年の時代には、家の為に束縛されることを潔しとしなかったので、志を抱いて国を出たものである。白髪の老母や妻子を車に載せて、再びこの山の中へ帰って来るまでには、何程の波瀾を経たろう。長い間かかって地盤を築き上げた先祖の事業は彼が半生の努力よりも根深かった。先祖は失意の人の為に好い「隠れ家」を造って置いてくれた。彼は家附の支配人の手から、退屈な事業を受取ってみて、はじめて先祖の畏敬すべきことを知ったのである。
「丁度正太が自分の若い時だ」と達雄は自分で自分に言った。「いや、自分以上の空想を抱いて、この家を壊しかけているのだ」と思った。彼は、自分の子が自分の自由に成らないことを考えて、その晩は定時より早く、可慨しそうに寐床へ入った。家のものが皆な寝た頃、お種は雪洞を点して表座敷の方へ見に行った。三吉と直樹とは最早枕を並べて眠っていたが、まだ正太は帰らなかった。お種は表庭から門のところへ出て、押せば潜り戸の開くようにして置いた。厳しい表庭の戸締も掛金だけ掛けずに置いたは、可愛い子の為であった。
大森林に連続いた谷間の町でも、さすがに暑い日は有った。三吉は橋本の表座敷に籠って、一夏かかって若い思想を纏めようとしていた。姉は仕事に疲れた弟を慰めようとして、暇のある時は、この家に伝わる陶器、漆器、香具の類などを出して来て見せた。ある日、お種は大きな鍵を手にしながら、裏の土蔵の方へ弟を導いて行った。
高い白壁の隣には、丁度物置蔵と反対の位置に、屋根の低い味噌蔵がある。姉はその前に立って、大きな味噌桶を弟に覗かせて、毎日食膳に上る手製の醤油はその中で造られることなどを話して、それから厳重な金網張の戸の閉った土蔵の内部へ三吉を案内した。
二階は広く薄暗かった。一方の窓から射し込む光線は沢山積んである本箱や古びた道具の類を照らして見せた。姉は今一つの窓をも開けて、そこにあるのは祖母さんが嫁に来た時の長持、ここにあるのは自分の長持、と弟に指して話し聞かせた。三吉は自由に橋本の蔵書を猟ることを許された。
姉は出て行った。三吉は本箱の前を彼方是方と見て廻った。その時、彼は未だ自分の生れた家の焼けない前に一度帰省して阿爺の蔵書を見たことを思出して、それをこの家のに比べてみた。ここのはそれ程豊富では無かった。三吉の阿爺が心酔したような本居派の学説に関する著述だの、万葉や古事記の研究だの、和漢の史類だの、詩歌の集だの、そういうものは少なかったが、そのかわり橋本の家に特有な武術、武道などのことを書いた写本が沢山ある。経書、子類もある。誰が集めたものか漢訳の旧約全書などもある。見て行くと、三吉の興味を引くような書目は少なかった。窓に寄せて、大きな柳行李の蓋が取ってあって、その中に達雄の筆で表題を書いたものが幾冊か取散してある。旧い日記だ。何気なく三吉はその一冊を取上げて見た。
直樹の父親の名なぞが出て来た。それは三吉が姉と一緒に東京で暮した頃の事実で、ところどころ拾って読んで行くうちに、少年時代の記憶が浮び揚った。その頃は姉の住居でもよく酒宴を催したものだった。直樹の父親が来て、「木曾のナカノリサン」などを歌い出せば、達雄は又、清しい、恍惚とするような声で、時の流行唄を聞かせたものだった。直樹の父親もよく細い日記をつけた。これはそう細いという方でもないが、何処か成島柳北の感化を思わせる心の持方で、放肆な男女の臭気を嗅ぐような気のすることまで、包まず掩わずに記しつけてある。思いあたる事実もある。
静かな蔵の窓の外には、熱い明るい空気を通して庭の草木も蒸されるように見える。三吉はその窓のところへ行って、誰がこの柳行李の蓋を取て置いたかと想像した。あるいは正太がこの隠れた場処で、父の耽溺の歴史を読みかけて置いたものではなかろうか、と想ってみた。
重い戸を閉めて置いて、三吉は蔵の石階を下りた。前には葡萄棚や井戸の屋根が冷しそうな蔭を成している。横にある高い石垣の側からは清水も落ちている。心臓形をした雪下の葉もその周囲に蔓延っている。
この場所を択んで、お仙は盥を前に控えながら、何か濯ぎ物を始めていた。下婢のお春も井戸端に立って、水を汲んでいた。お春は、ちょっと見たところこう気むずかしそうな娘で、平常店の若い番頭や手代の顔を睨み付けるような眼付をしていたが、しかしそれは彼女が普通の下女奉公と同じに見られまいとする矜持からであった。こうして、お仙相手に立話をしている時なぞは、最早年頃の娘らしさが隠されずにある。彼女とても、濃情な土地の女の血を分けた一人である。
三吉はお仙に言葉を掛けて、暫時そこに立っていた。丁度正太が、植木いじりでもしたという風で、土塗れの手を洗いに来た。お春は言付けられて、釣瓶から直に若旦那の手へ水を掛けて、すこし紅くなった。お仙も無心に眺めていた。
手を洗った後、正太は三吉叔父と一緒に成った。二人は話し話し母屋の方へ帰って行った。
手桶を担いだお春は威勢よく二人の側を通った。百姓の隠居も会釈して通った。隠居の眼は正太に向って特別な意味を語った。「若旦那様――お前さまは唯の若いものの気でいると違うぞなし……お前さまを頼りにする者が多勢あるぞなし……行く行くはお前様の厄介に成ろうと思って、こうして働けるだけ働いている老人もここに一人居るぞなし……」とその無智な眼が言った。
正太は一種の矜持を感じた。同時に、この隠居にまで拝むような眼で見られる自分の身を煩く思った。
漠然とした反抗の心は絶えず彼の胸にあった。「どうしてこう家のものは皆な世話を焼きたがるだろう、どうしてこうヤイヤイ言うだろう――もうすこし自分の自由にさせて置いて貰いたい」これが彼の願っていることで、一々自分のすることを監視するような重苦しい空気には堪えられなかった。
田舎風の屋造のことで、裏口から狭い庭を通って、表の方へ抜けられる。表座敷へ通う店頭の庭のところで、三吉、正太の二人は沢田老人の訪ねて来るのに逢った。
「沢田さんですか。やはり吾家の内職をしています――薬の紙を折ってます」
こう正太は三吉に話した。
直樹の叔父にあたるこの神経質な老人の眼は、又、こんなことを言った。「正太様――お前さまの祖母様や母上様は皆な立派な旧家から来ておいでる……大旦那は学問を為過ぎたで、それで不経済なことを為っせえたが、お前さまは算盤の方も好くやらんと不可ぞなし……お前さまの責任は重いぞなし……」
正太はこういう人々の眼から遁れたかった。
表座敷へ戻って、向の山の傾斜がよく見えるようにと、三吉はすっかり障子を開け展げた。正太も広い部屋の真中へ大きな一閑張の机を持出した。こうして、二人ぎりで、楽しい雑談に耽るにつけても、正太はこの叔父の何時までも書生でいられるのを羨ましく思った。叔父がここへ来て何を為ようと、何を考えようと、誰一人気を揉む者も無い。それに引きかえて、正太は折角思い立った東京の遊学すら、中途で空しく引戻されて了った。やれ大旦那が失敗したから、若旦那には学問は無用だことの、やれ単独で都会に置くのは危いことの、種々な故障が薬方の衆から出た。「家なぞはどうでもいい」と思うことは屡々有ったのである。
この座敷から谷底の方に聞える木曾川の音も、正太には何の新しい感じを起させなかった。彼は森林の憂鬱にも飽き果てた。「こうして――一生――山の中に埋れて了うのかナア」それを考えてみたばかりでも、彼には堪え難かった。どうかすると、彼は話の途中で耳を澄ました。そして、引入れられるような眼付をして、熟と渓流の音に聞き入って。
お種が入って来た。
「ネブ茶を香ばしく入れましたから、持って来ました」とお種は款待顔に言て、吾子と弟の顔を見比べて、「正太や、叔父さんにも注いで進げとくれ」
この「ネブ茶」はある灌木の葉から製したもので、三吉も子供の時分には克く飲み慣れた飲料である。
「どうでした、吾家の蔵には三吉の見るような書物が有りましたか」とお種が聞いた。
「ええ……有りました」と三吉は気の無い返事をする。
お種は、二人が睦まじそうに語る様子を眺めて、やがて出て行った。
若いもの同志の話は木曾少女の美しいことに落ちて行った。その時、三吉は姉から聞いた娘のことを言出して、正太の意中を叩いてみた。正太は、唯、あわれに思うというだけのことを泄らした。彼の心では、そんな話を聞いて貰う前に、何故に自分の恋が穢れて行くかを語りたかったのである。
暫時二人は無言でいた。
「しかし、叔父さん――この町にも種々な青年が有りますがね、どうも家にばかり居るような人は面白味が有りません……やっぱり働きもすれば遊びもする、そういう人の方が話せるようですね」こう正太が言出した。
香ばしい「ネブ茶」を飲み、巻煙草を燻しながら、叔父甥は話し続けた。正太の方は実業に志し、東京へ出た時は主に塗物染物のことを調べ、傍ら絵画の知識をも得ようとしたものであったが、性来物を感受れる力に富むところから、三吉などの向いて行こうとする方面にも興味を感じている。その日も、三吉の書きかけた草稿を机の上に展げて、清しい、力のある父の達雄に克く似た声で読聞かせた。
東京で送った二年――殊にその間の冬休を三吉叔父と一緒に仙台で暮したことは、正太に取って忘れられなかった。東京から押掛けて行くと、丁度叔父は旅舎の裏二階に下宿していて、相携えて人を訪ねたり、松島の方まで遊びに行ったりした。あの時も、仙台で、叔父の書いたものを見せて貰って、寂しい旅舎の洋燈の下でその草稿を読み聞かせながら、一緒に長い冬の夜を送ったことが有った。それを正太は言出さずにいられなかった。
「そうそう」と三吉も思出したように、「丁度岩沼の基督降誕祭に招ばれて行った後へ、君が訪ねて来て……あんな田舎らしい基督降誕祭に遭遇ったことは僕も始めてでしたよ……信者が五目飯なぞを煮いて御馳走してくれましたッけ。あの晩は長老の呉服屋さんの家に泊って、翌朝阿武隈川を見に行って、それから汽車で仙台へ帰てみると、君が来ていた……」
「そうでしたね……あの二階から海の音なぞも聞えましたね」と正太は若々しい眼付をして言った。
「仙台は好かったよ。葡萄畠はある、梨畠はある……読みたいと思う書籍は何程でも借りて来られる……彼処へ行って僕も夜が明けたような気がしたサ……あれまでというものは、君、死んでいたようなものだったからね」と言って、三吉は深い溜息を吐いて、「考えてみると、僕のような人間がよく今まで生きて来たようなものだ」
正太は叔父の顔を眺めた。
三吉は言葉を継いで、「彼処へ着いた晩から、僕は最早別の人だった。種々な物が活きて見えて来た。書く気も起った……」
「あの時叔父さんの書いたものは、吾家に蔵ってあります」
「しかし正太さん、お互にこれからですネ。僕なぞも未だ若いんですから、これから一つ歩き出してみようと思いますよ……」
こんな話をしているところへ直樹が入って来た。直樹は中学に入ったばかりの青年で、折取った野の花を提げて、草臥れたような顔付をしながら屋外から帰って来た。
「直樹さん、何処へ?」と三吉が聞いてみた。
「ええ――ずっと河の岸を廻って来ました」と直樹は答える。
その時、正太は床の間にある花瓶を持出して、直樹が持って来た百合だの撫子だのの花で机の上を飾った。
「兄さん、山脇の姉さんがチト御遊びに被入っしゃいッて――真実に兄さんは遠慮深い人だって」
こう直樹が自分の親戚からの言伝を三吉に告げた。三吉はあまり町の人を訪問する気が無かった。
活気のある鈴の音が谷底の方で起った。急に正太は輝くような眼付をして、その音のする方を見た。
「ア――御岳参りが着いたとみえるナ」
と正太は独語のように言った。高山の頂を極めようとする人達が、威勢よく腰の鈴をチリンチリンチリンチリン言わせて、宿屋に着くことを楽みにして来る様子は、活気が外部からこの谷間へ流れ込むように聞える。正太は聞耳を立てた。その音こそ彼が聞こうと思うものである。彼は縁側にまで出て聞いた。
祭の日は橋本でも一同仕事を休んだ。薬の看板を掛け、防火用の黒い異様な大団扇を具え付けてある表門のところには、時ならぬ紅白の花が掛かった。小僧達も新しい仕着に着更えて、晴々しい顔付をして、提灯のかげを出たり入ったりした。
お種は表座敷へ来て、
「三吉、お前さんは羽織が有るまいがナ」
と弟の顔を眺めた。三吉もサッパリとした単衣に着更えていた。
「羽織なんか要りません。これで沢山です」と三吉が言った。
「正太の紋付を貸すで――今に吾家の前を御輿が通るから、そうしたら兄さん達と一緒に出て見よや」
「借着をして祭を見るのも変なものですナア」
「何が変なものか。旅では、お前さん、それが普通だ」
「私はどうでも可う御座んすが、姉さんが着た方が可いと思うなら、借りましょう――」
旅で祭に遇った直樹は、方々の親類から招ばれて、出て行った。正太を始め、薬方の若衆も皆な遊びに出た。町の方が賑かなだけ、家の内は寂しい。
「姉さん」と三吉は、姉が羽織を出しに行く序に、物を頼むという風で、「この節私は夢を見て困りますが、身体の故じゃないかと思うんです……サフランでも有るなら、すこし私に飲ましてくれませんか」
「そんなことは造作ない。吾家にあるから、くれる」
「母親さんが生きてる時分には、時々私に飲ましてくれましたッけ――女の薬だが、飲めッて」
「ええ、男子にも血が起るということは有るで」
こう言って、お種は出て行った。やがて橋本の紋の付いた夏羽織と、薬草の袋と、水とを持って来た。紅いサフランの花弁は、この家で薬の客に出す為に特に焼かした茶椀の中へ浸して、それを弟に勧める。
「どんな夢を見るよ」と姉が聞いた。
「私の夢ですか」と三吉は顔に苦痛を帯びて、「友達の中には、景色の夢を見るなんて言う人も有りますがね、私は景色なぞを一度も見たことが無い。夢と言えば女が出て来る」
「馬鹿らしい!」と姉は嘲るように。
「いえ、姉さん、私は正直なところを話してるんです。だからこんな薬なぞを貰って飲むんです」
「お前さんの知ってる人かい」
「ところが、それが誰だか解らない。どう後で考えても、記憶の無いような人が出て来るんです――多くは、素足で――火傷でもしそうな、恐しい勢で。昨夜なぞは、林檎畠のようなところへ追詰められて、樹と樹の間へ私の身体が挾って、どうにも逃げ場を失って了った……もうすこしで其奴に捕まるかしらん……と思ったら目が覚めました。汗はビッショリ……」
「お前さん達の見る夢は、どうせそんなものだ」
と姉は復た嘲るように笑った。
御輿の近づいたことを、お仙が報せに来た。女連は門の外まで出た。そこから家々の屋根、町の中央を流れる木曾川が下瞰される。三吉は長過ぎるような羽織を借りて着て、達雄と一緒に崖の下へ降りた。
御輿の通り過ぎた後、お種は娘に下婢を付けて祭を見せにやり、自分は門の内へ引返した。店口の玄関のところには、手代の幸作が大きな薬の看板に凭れながら、尺八を吹いて遊んでいたが、何時の間にかこれも出て行った。広い家の内にはお種一人残った。
急に周囲が闃寂として来た。寺院のように人気が無かった。お種は炉辺に坐って独りで静かに留守居をした。この祭には、近在の若い男女は言うに及ばず、遠い村々の旦那衆まで集って、町は人で埋められるのが例で、その熱狂した群集の気勢ばかりでも、静止していられないような思をさせる。こういう時にも、お種は家を守るものと定めて、それを自分の務めのように心得ていた。
実家の父――小泉忠寛の名は、時につけ事に触れ、お種の胸に浮んだ。お種や三吉の生れた小泉の家は、橋本の家とは十里ほど離れて、丁度この谿谷の尽きようとするところに在った。その家でお種は娘の時代を送った。父の忠寛は体格の大きな、足袋も図無しを穿いた程の人で、よく肩が凝ると言っては、庭先に牡丹の植えてある書院へ呼ばれて、そこでお種が叩かせられたもので、その間に父の教えたこと、話したことは、お種に取って長く忘れられないものと成った。そればかりではない、父は娘が手習の手本にまで、貞操の美しいことや、献身の女の徳であることや、隣の人までも愛せよということや、それから勤勉、克己、倹約、誠実、篤行などの訓誨を書いて、それをお種に習わせたものであった。
こういう阿爺を持って嫁いて来た人の腹に正太が出来た。お種は又、夫の達雄が心配するとは別の方で、自分の子が自分の自由にも成らないことを可嘆しく思った。彼女は、炉辺で、正太のことばかり案じていた。
「宗助――幸助――宗助――幸助」
と御輿を担いで通る人々の掛声を真似ながら、一人の小僧が庭口へ入って来た。この小僧は、祭の為に逆上せて了ったような眼付をして、隠居が汲んで置いた水を柄杓でガブガブ飲んだ。
三吉も帰って来た。お種は祝の強飯だの煮染だのを出して、それを炉辺で振舞っていると、そこへ正太が気息をはずませて入って来た。
「母親さん、何か飲む物を頂戴。咽喉が乾いて仕様が無い」と正太は若々しい眼付をして、「今ネ、御輿の飾りを取って了ったところだ。鳳凰も下した。これからが祭礼だ。ウンと一つ今年は暴れ廻ってくれるぞ」
「まあ、騒ぎですネ。正太、お前も強飯を食えや」とお種が言った。
「叔父さん、御覧でしたか」と正太は三吉の方を見て、「どうです、田舎の祭は。変ってましょう。殊に是処のは荒神様で通っていますから、あの大きな御輿を町中転がして歩くんです。終に、神社の立木へ持ってッて、輿を担ぐ棒までヘシ折って了う。その為に毎年白木で新調するんです――エライことをやりますよ。髭の生た人まで頬冠で揉みに出るんですからネ」
乾いた咽喉を霑した後、復た正太は出て行った。
「宗助――幸助――宗助――幸助」
と小僧が手拭を首に巻付けて出て行くのを見ると、三吉も姉の傍に静止していられないような気がした。
夜に入って、谷底の町は歓楽の世界と化した。花やかに光る提灯の影には、祭を見ようとする男女の群が集って、狭い通を潮のように往来した。押しつ押されつする御輿の地を打つ響、争い叫ぶ若者の声なぞは、人々の胸を波打つようにさせる。王滝川の岸に添うて二里も三里もある道を歌いながら通って来る幾組かの娘達は、いずれも連に離れまいとし、人に踏まれまいとして、この群集の中を互に手を引合って歩いた。中には雑踏に紛れて知らない男を罵るものも有った。慾に目の無い町の商人は、簪を押付け、飲食する物を売り、多くの労働の報酬を一晩に擲たせる算段をした。町の中央にある広い暗い場処では踊も始まった。
祭の光景を見て廻った後、一しきりは三吉も御輿に取付いて、跣足に尻端折で、人と同じように「宗助――幸助」と叫びながら押してみたが、やがて額に流れる汗を拭きつつ橋本の家の方へ帰って来た。足を洗って、三吉は涼しい風の来る表座敷へ行った。そこで畳の上に毛脛を投出した。
「三吉帰ったかい」
こう言いながら、お種も団扇を持って入って来た。
「私も横に成るわい。今夜は二人で話さまいかや」
と復たお種が言って、弟の側に寝転んだ。東京にある小泉の家のことは自然と姉の話に上った。相続人の実も今度はよくやってくれればいいがということ、次の森彦からも暫時便りが無いこと、宗蔵の病気もどうかということ、それからそれへと姉の話は弟達の噂に移って、結局吾子のことに落ちて行った。お種は三吉の考えないようなことまで考えて、種々と正太の為に取越苦労をしていた。
「若いもののことですもの、お前さん、どんな間違がないとも限りませんよ――もし、子供でも出来たら。それを私は心配してやる」
こうお種は言って、土地の風俗を蔑視むような眼付をした。楽しそうな御輿の響は大切な若い子息を放縦な世界の方へと誘うように聞える……お種は正太のことを思ってみた。誰と一緒に、何処を歩いている、と思ってみた。そして、何の思慮も無い甘い私語には、これ程心配している親の力ですら敵わないか、と考えた。
「私が彼に言って聞かせて、父親さんも女のことでは度々失敗が有ったから、それをお前は見習わないように、世間から後指を差されないようにッて――ネ、種々彼に言うんだけれど……ええええ、彼はもう父親さんのワルいことを何もかも知ってますよ」
三吉は黙って姉の言うことを聞いていた。お種は更に嘆息して、
「旦那もね、お前さんの知ってる通り、好い人物なんですよ。気分は温厚ですし、奉公人にまで優しくて……それにお前さん、この節は非常な勉強で、人望はますます集って来ましたサ。唯、親としてのシメシがつかない。真実に吾子の前では一言もないようなことばかり仕出来したんですからね。旦那も今ではすっかり後悔なすって、ああして何事も言わずに働いてる。旦那の心地は私によく解る。真実に、その方の失敗さえなかったら、旦那にせよ、正太にせよ……私は惜しいと思いますよ」
お種は、気の置けない弟の前ですら、夫の噂することを羞ずるという風であった。夫から受けた深い苦痛――その心を他人に訴えるということは、父の教訓が許さなかった。
「代々橋本家の病気だから仕方ない」
とお種は独語のように言って、それぎり、夫の噂はしなかった。
ゴットン、ゴットンという御輿の転される音は、遅くまで谷底の方で、地響のように聞えていた。
直樹は一月ほどしか逗留しなかった。植物の好きなこの中学生は、東京への土産にと言って、石斛、うるい、鷺草、その他深い山の中でなければ見られないような珍しい草だの、香のある花だのの見本を集めて、盆前に橋本の家を発って行った。三吉は自分の仕事の纏まるまで残った。
旧暦の盆が来た。橋本では、先代からの例として、仏式でなく家の「御霊」を祭った。お種は序に小泉の母の二年をも記念する積りであった。年を経るにつれて、余計に彼女はこういうことを大切にするように成った。
墓参りの為に、お種は三吉を案内して、めずらしく家を出た。お仙は母に言付けられた総菜の仕度をしようとして、台所の板の間に俎板を控えて、夕顔の皮を剥いた。干瓢に造っても可い程の青い大きなのが最早裏の畠には沢山生っていた。
「お春、お前の髪は好く似合う」
とお仙は、流許に立って働いている下婢の方を見て、話しかけた。
「そうかなし」とお春は振向いて、嬉しそうな微笑を見せた。「貴方の島田も恰好が好く出来た」
お仙も嬉しそうに笑って、やがて夕顔を適当の厚さに切ろうと試みた。幾度か庖丁を宛行って、当惑したという顔付で、終には口を「ホウ、ホウ」言わせた。復た、お仙は庖丁を取直した。
何程の厚さに切れば、大略同じ程に揃えられるか、その見当がお仙には付きかねた。薄く切ってみたり、厚く切ってみたりした。彼女の手は震えて来た。
お春はそれとも気付かずに、何となく沈着かないという様子をして、別なことを考えながら働いていた。何もかもこの娘には楽しかった。新しい着物に新しい前垂を掛けて働くということも楽しかった。晩には暇が出て、叔母の家へ遊びに行かれるということも楽しかった。
墓参りに行った人達が帰って来た。お種は直に娘の様子を看て取った。お仙の指からはすこし血が流れていた。
「大方こんなことだらずと思った」とお種は言った。「お仙ちゃん、母親さんが御手伝しますよ――お前さんに御手本を置いて行かなかったのは、私が悪かった」
お仙は途方に暮れたという顔付をしている。
「これ、袂糞でも付けさんしょ」とお種は気を揉んで、「折角今日は髪まで結って、皆な面白く遊ぼうという日だに、指なぞを切っては大事だぞや」
お春はお仙の傍へ寄った。お種は三吉の方を見て、
「ええええ、これだから眼が離されない……真実にこういうところは極子供だ……そう言えば、お前さん、今年の春もね、正太のお友達が寄って吾家で歌留多をしたことが有った。山瀬さんも来た。あの人は正太とは仲好だから、お仙を側へ呼んで、貴方もお仲間で御取りなさいなッて――ネ。山瀬さんがそう言って下すった。するとお仙が山瀬さんの膝に凭れて……まあ、無邪気なと言って無邪気な……兄さんだから好いの、お友達だから悪いの、そんな区別はすこしも無いようだ。罪の無い者だぞや」こう話し聞かせた。
その晩は、若いものに取って、一年のうちの最も楽しい時の一つであった。夕方から橋本の家でも皆な盆踊を見に行くことを許された。涼しい夏の夜の空気は祭の夜以上の楽しさを思わせる。暗いが、星はある。恋しい風の吹く寺の境内の方へ自然と人の足は向いて行った。
叔母の家に帰ることを許されたお春も、人に誘われて、この光景を見に行った。大きな輪を作って、足拍子揃えて、歌いながら廻って歩く男女の群。他処から来ている工女達は多くその中に混って踊った。頬冠りした若者は又、幾人かお春の左右を通り過ぎた。彼女は言うに言われぬ恐怖を感じた。丁度そこに若旦那も来ていた。お春は若旦那に手を引いて貰って、漸くこの混雑から遁れた。
九月に入って、三吉は一夏かかった仕事を終った。お種から言えば二番目の弟にあたる森彦の貰われて行った家――この養家も姓はやはり小泉で、姉弟の生れた家から見ると二里ほど手前にある――そこの老人から橋本へ便りがあった。「三吉も最早東京へ帰るそうなが、わざわざ是方へ廻るには及ばん、直に帰れ、その方が両為だ」こんなことが書いてあった。
「両為とは、老人も書いてくれた」
こう達雄は、三吉にその手紙を見せて、笑った。この老人の倹約なことは、封筒や巻紙を見ても知れた。
いよいよ三吉の発って行くべき日が近づいた。復た何時来られるものやら解らないから、と言って、達雄は酷く名残を惜んだ。三吉が表座敷で書いた物をも声を出して通読してみた。薬の方の多忙しいところを見て貰ったのが、何より東京への土産だ、とも話した。
「三吉さん、来て御覧なさい。君に御馳走しようと思って頼んで置いた物が、漸く手に入りましたから」
と達雄は炉辺へ三吉を呼んで言った。三吉も帰る仕度やら、土地の人の訪問を受けるやらで、心はあわただしかった。
「三吉」と姉も名残を惜むという風で、「お前さんに食べさせてもやりたいし、持たせてもやりたいと思って、今三人掛りで、この蜂の子を抜くところだ。見よや、これが巣だ。えらい大きな巣を作ったもんじゃないか」
五層ばかりある地蜂の巣は、漆の柱を取離して、そこに置いてあった。お種はお仙やお春と一緒に、子は子、親に成りかけた蜂は蜂で、一々巣の穴から抜取っていた。この地蜂は、蜜蜂などに比べるとずっと小さく、土地の者の珍重する食料である。三吉も少年の時代には、よく人に随いて、この巣を探しに歩いたものである。
「母親さん、写真屋が来ましたから、着物を着更えて下さい」
こう正太がそこへ来て呼んだ。
「写真屋が来た? それは大多忙だ。お仙――蜂の子はこうして置いて、ちゃっと着更えまいかや。お春、お前も仕度するが可い」とお種は言った。
「嘉助――皆な写すで来いよ」達雄は店の方を見て呼んだ。
記念の為、奥座敷に面した庭で、一同写真を撮ることに成った。大番頭から小僧に至るまで、思い思いの場処に集った。達雄は、先祖の竹翁が植えたという満天星の樹を後にして立った。
「女衆は前へ出るが可い」
と達雄に言われて、お種、お仙、お春の三人は腰掛けた。
「叔父さん、貴方は御客様ですから、もうすこし中央へ出て下さい」
こう正太が三吉の方を見て言った。三吉は野菊の花の咲いた大きな石の側へ動いた。
白い、熱を帯びた山雲のちぎれが、皆なの頭の上を通り過ぎた。どうかすると日光が烈しく落ちて来て、撮影を妨げる。急に嘉助は空を仰いで、何か思い付いたように自分の場処を離れた。
「嘉助、何処へ行くなし」とお種は腰掛けたままで聞いた。
「そこを動かない方がいいよ――今、大きな雲がやって来た。あの影に成ったところで、早速撮って貰おう」と正太も注意する。
「いえ――ナニ――私はすこし注文が有るで」
と言って、嘉助は皆なの見ている前を通って、一番日影に成りそうな場処を択んだ。丁度旦那と大番頭とは並んだ。待設けた雲が来た。若い手代の幸作、同じく嘉助の忰の市太郎、皆な撮った。
三吉が出発の日は、達雄夫婦を始め、正太、お仙まで、朝のうちに奥座敷へ集った。三吉も夏服に着更えて、最早秋海棠などの咲出した裏庭を皆なと一緒に眺めながら、旅の脚絆を当てた。ここへ来がけに酷く馬車で揺られたと言って、彼は背中のある部分だけ薄く削取られたような上着を着ていた。
三吉がこの山の中で書いたものは――達雄夫婦の賜物のように――手荷物の中に納めてあった。彼の心は暗い悲惨な過去の追想から離れかけていた。その若い思想を、彼は静かなところで纏めてみたに過ぎなかった。
通いで来る嘉助親子も、東京の客が発つというので、その朝は定時より早く橋を渡って来た。
朝飯の後、一同炉辺で別離の茶を飲だ。姉は名残が尽きないという風で、
「でも、よく来てくれた。何時でも来られそうなものだが、なかなか思うようにはいきません」
「どうして、それどこじゃない」と嘉助も引取って、「三吉様はこれで何度郷里へ帰らッせるなし」
「僕ですか、ずっと前に老祖母さんの死んだ時に一度、母親さんの葬式の時に一度――今度で三度目です」と三吉が言う。
「彼は八歳の時分に郷里を出たッきりよなし」とお種は嘉助の方を見て。
「これで、旧の家でも焼けずに在ると、帰る機会が多いんだがナア」と達雄も快濶らしく笑った。
前の晩のうちに頼んで置いた乗合馬車の馬丁が、その時、庭口へ声を掛けに来た。
「叔父さん、馬車が来ました」と正太が言って、叔父の手荷物を提げながら、一歩先へ出て行った。
「では、私はここで御免蒙りますから――」とお種は炉辺で弟に別離を告げた。
「皆さんに宜敷――実にも御無沙汰するがッて、宜敷言っておくれや――お前さんもまあ折角御無事で――」
挨拶もそこそこに、三吉はお仙やお春などにも別れて、橋本の家を出た。達雄はそこまで見送ると言って、三吉と一緒に石段を降りた。
崖下には乗合馬車が待っていた。車の中には二三の客もあった。この車はお六櫛を売る宿あたりまでしか乗せないので、遠く行こうとする旅人は其処で一つ山を越えて、更に他の車へ乗替えなければ成らなかった。
「直樹さんと来た時は沓掛から歩きましたが、途中で虻に付かれて困りましたッけ」
「ええ、蠅だの、蚋だの……そういうものは木曾路の名物です。産馬地の故でしょうね」
こんな言葉を、三吉と正太とは車の上と下とで取換した。
ノンキな田舎のことで、馬車は容易に出なかった。三吉は車の周囲に立って見送っている達雄や嘉助や若い手代達にも話しかける時はあった。待っても待っても他に乗合客が見えそうもないので、馬丁はちょっと口笛を吹いて、それから手綱を執った。車は崖について、朝日の映った道路を滑り始めた。二月ばかり一緒にいた人達の顔は次第に三吉から遠く成った。
弟の三吉が帰るという報知を、実は東京の住居の方で受取った。小泉の実と橋本の達雄とは、義理ある兄弟の中でも殊に相許している仲で、旧い家を相続したことも似ているし、地方の「旦那衆」として知られたことも似ているし、年齢から言ってもそう沢山違っていなかった。
実は、達雄のように武士として、又薬の家の主人としての阿爺を持たなかったが、そのかわりに、一村の父として、大地主としての阿爺を持った。父の忠寛は一生を煩悶に終ったような人で、思い余っては故郷を飛出して行って国事の為に奔走するという風であったから、実が十七の年には最早家を任せられる程の境涯にあった。彼は少壮な孝子で、又可傷しい犠牲者であった。父の亡くなる頃は、彼も地方に居て、郡会議員、県会議員などに選ばれ、多くの尊敬を払われたものであったが、その後都会へ出て種々な事業に携るように成ってから、失敗の生涯ばかり続いた。製氷を手始めとして、後から後から大きな穴が開いた。
不図した身の蹉跌から、彼も入獄の苦痛を嘗めて来た人である。赤煉瓦の大きな門の前には、弟の宗蔵や三吉が迎えに来ていて、久し振で娑婆の空気を呼吸した時の心地は、未だ忘れられずにある。日光の渇……楽しい朝露……思わず嬉しさのあまりに、白い足袋跣足で草の中を飛び廻った。三吉がくれた巻煙草も一息に吸い尽した。千円くれると言ったら、誰かそれでも暗い処へ一日来る気は有るか、この評定が囚人の間で始まった時、一人として御免を蒙ると答えない者はなかった。その娑婆で、彼は新しい事業を経営しつつあるのである。
直樹の父親もまた同郷から出て来た事業家であった。この人と実兄弟とは、長い間、親戚のように往ったり来たりした。直樹の父親の旦那は、伝馬町の「大将」と言って、紺暖簾の影で采配を振るような人であったが、その「大将」が自然と実の旦那でもあった。旦那は、実の開けた穴を埋めさせようとして、更に大きく注込んでいた。
格子戸の填った、玄関のところに小泉商店とした看板の掛けてある家の奥で、実は狭い庭の盆栽に水をくれた。以前の失敗に懲りて、いかなる場合にも着物は木綿で通すという主義であった。彼の胸には種々なことがある。故郷の広い屋敷跡――山――畠――田――林――すべてそういう人手に渡って了ったものは、是非とも回復せねばならぬ。祖先に対しても、又自分の名誉の為にも。それから嵩なり嵩なった多くの負債の仕末をせねば成らぬ。
新しく起って来た三吉が結婚の話――それも良縁と思われるから、弟に勧めて、なるべく纏まるように運ばねばならぬ。こう思い耽っているところへ、弟が旅から帰って来た。
「只今」
と三吉は玄関のところから日に焼けた顔を出した。
もし正太に適当な嫁でも有ったら、こんなことまで頼まれて帰って来た三吉の眼には、いかにも都の町中の住居が窮屈に映った。玄関の次の部屋には、病気でブラブラしている宗蔵兄がいる。片隅へ寄せて乳呑児が寝かしてある。縁側のところには、姪のお俊が遊んでいる。その次の長火鉢の置いてある部屋は勝手に続いて、そこには嫂のお倉と二十ばかりに成る下女とが出たり入ったりして働いている。突当りの窓の外は直ぐ細い路地で、簾越しに隣の家の側面も見える。
夕飯時に近かった。実は長火鉢の側に膳を控えて、先ずオシキセをやりながら、三吉から橋本の家の様子を簡単に聴取った。
「木曾の姉さんからの御土産です」
とお倉はオズオズとした調子で言って、三吉が持って来た蜂の子の煎付けたのを皿に載せて出した。
実が家長としての威厳は何時までも変らなかった。彼は、家の外では極めて円滑な人として通っていたが、家の者に対っては厳格過ぎる位。丁度往時故郷の広い楽しい炉辺で、ややもすると嫌味なことを言う老祖母さんを前に置いて、碌々口も利かずに食った若夫婦の時代と同じように、何時まで経ってもそう打解けた様子を妻に見せなかった。
「お種さんも御変りは御座いませんか」
こうお倉は三吉に尋ねながら、弟や娘の為にも膳を用意した。
宗蔵は三吉と相対に胡坐にやった。「どうも胡坐をかかないと、食ったような気がしないネ――へえ、久し振で田舎の御馳走に成るかナ」
こんなことを言って、細く瘠せた左の手で肉叉や匙を持添えながら食った。宗蔵は箸が持てなかった。で、こういうものを買って宛行われている。
「宗さん、不相変いけますね」と三吉が戯れて言った。
「不相変いけますねとは、失敬な」と宗蔵は叱るように。
「ええええ、いけるどころじゃない」とお倉は引取って、「病人のくせに、宗さんの食べるには驚いちまう」
宗蔵は兄の前をも憚らないという風で、食客同様の人とも見えなかった。それがまた実には小癪に触るかして、病人なら病人らしくしろという眼付をしたが、口に出して何も言おうとはしなかった。平素から実は宗蔵とあまり言葉も交さなかった。唯――「一家の団欒、一家の団欒」この声が絶ず実の心の底に響いていた。
食後に、三吉は番茶を飲みながら、旅の話を始めた。実は娘の方を見て、
「俊、お前の習った画を三吉叔父さんにお目に懸けないか」
こう言われて、お俊は奥座敷の方から画手本だの画草紙だのを持って来た。
「お蔭様で、彼女も先生の御宅へ通うように成りましたよ。日曜々々にネ」とお倉が横から。
「へえ、蘭から習わせるネ」と三吉も開けてみて、「西洋画とは大分方法が違うナ――お俊ちゃんは好だから、必と描けるように成りましょう」
「娘には反ってこの方が好い」と宗蔵も言った。「なにも、女の画家に成らなくたっても可いんだから」
実は娘の習った画を嬉しそうに眺めて、やがて町を散歩して来ると言って独りで出て行った。彼は弟からシミジミ旅の話などを聞こうとしなかった。弟は話せないものと成っていた。
夫の前では言おうと思うことも言い得ないでいるお倉は、実が散歩に出て行った後、宗蔵や三吉の談話の仲間に加わった。この三人は、実が長く家を留守にした間、互に艱難を嘗め尽したという心の結合が有る。弱いお倉、病身の宗蔵は、僅かに三吉を力にして、生命を継いで来たようなものだった。
「姉さんも白く成りましたね」
と三吉は嫂の額を眺めた。お倉は髪を染めてはいるが、生際のあたりはすこし褪めて、灰色に凋落して行くさまが最早隠されずにある。
「吾夫もね、染めるのも可いが、俺の見ないところで染めてくれ――なんて」と言って、お倉は笑って、「今からこんなお婆さんに成っては、真実に心細い……私はまだお嫁さんに来た時の気分でいるのに……」
「いや、全く姉さんはお嫁に来た時の気分だ――感心だ」と宗蔵が眼で笑いながら。
「人を馬鹿にしなさんな」
とお倉はいくらか国訛の残った調子で言った。この嫂は酷く宗蔵を忌嫌っていたが、でも話相手には成る。
「それはそうと、三吉さん」と宗蔵は無感覚に成った右の手を左で癖のように揉みながら、「君の留守に大芝居サ。八王子の方の豪家という触込で、取巻が多勢随いて、兄さんの事業を見に来た男がある。なにしろ、君、触込が触込だから、是方でも、朝晩のように宿舎へ詰めて、話は料理屋でする、見物には案内する、酒だ、芸妓だ――そりゃあもう御機嫌の取るだけ取ったと思い給え。ところが、それが豪家の旦那でも何でもない。散々御取持をさせて置いて、ぷいと引揚げて行って了った。兄さんも不覚だったネ。稲垣まで付いていてサ。加に、君、その旦那を紹介した男が、旅費が無くなったと言って、吾家へ転がり込んで来る……その男は可哀想だとしたところで、旅費まで持たして、発たして遣るなんて……ツ……御話にも何も成りゃしないやね」
「真実に、あんな馬鹿々々しい目に遇ったことは無い――考えたばかりでも業が煎れる」と嫂も言った。
「僕は、君、悪まれ口を利くのも厭だと思うから、黙って見ていたがネ」と宗蔵は病身らしい不安な眼付をして、「この調子で進んで行ったら、小泉の家は今にどうなるだろうと思うよ」
「例の車の方はどんな具合ですか」こう三吉が聞いた。
「なんでも、未だ工場で試験中だということですが、事業が大き過ぎるんですもの」と嫂が言う。
「借財が大きいから自然こういうことに成って来る」と宗蔵も考えて、「なにしろまあ、ウマクやって貰わないことには……僕は兄さんの為に心配する……復た同じ事を繰返すように成る……留守居は、君、散々仕飽きたからね」
宗蔵は噛返しというを為るのが癖で、一度食った物を復た口の中へ戻して、何やら甘そうに口を動かしながら話した。
では、どうすれば可いか、ということに成ると、事業家でない宗蔵や商売一つしたことの無いお倉には、何とも言ってみようが無かった。で、宗蔵は復た物事が贅沢に流れて来たの、道具を並べ過ぎるの、ああいう火鉢は余計な物だの、と細いことを数え立てた。嫂は嫂で、どうもこの節下女がすこしメカシ過ぎるというようなことまで心配して三吉に話した。
「三吉さん、貴方からよく兄さんに話して下さい」とお倉は言った。「私が何を聞いたッて、まるで相手にしないんですもの――事業の方のことなんか、何事も話して聞かせないんですもの」
「道具だってもそうだ」と宗蔵は思出したように、「奥の床の間を見給え、文晁のイカモノが掛かってる。僕ならば友達の書いた物でも可いからホンモノを掛けて楽むネ」こう言って、何もかも不平で堪えられないような、病人らしい、可傷しい眼付をした。「僕に言わせると、ここの家の遣方は丁度あの文晁だ……皆な虚偽だ……虚偽の生活だ……」
あまり宗蔵が無遠慮な悪口をつき始めたので、お倉は夫の重荷を憐むような口調に成って行った。
「そう宗さんのように坊さんみたようなこと言ったって……何も交際の道具ですもの……もともと有って始めた事業じゃないんですもの……贅沢だ、贅沢だと言う人から、すこし考えてくれなくちゃ――こんな御菜じゃ食われないの、何のッて」と言ってお倉は三吉の方を見て、「ねえ三吉さん、兄さんにお刺身を取ったって、家の者に附けない時は有りまさあね」
「食わないのは、損だから……」
こう宗蔵は捨鉢の本性を顕わして、左の手で巻煙草を吸付けた。
その時、「三吉さん、御帰りだそうですね」と声を掛けながら、格子戸を開けて入って来た人があった。この人は稲垣と言って、近くに家を借りて、実の事業を助けている。
「今ね、家へ帰って、飯を一ぱいやってそれから出て来ました」と稲垣は煙草入を取出した。「三吉さんが御帰りなすったと言うから、それじあ一つ見て来ようと思いまして――今日は工場へ行く、銀行を廻るネ、大多忙」
「どうも毎日御苦労様で御座います」とお倉が言う。
「いえ、姉さんの前ですけれど」と稲垣は元気よく、「これで車が一つガタリと動いて御覧なさい、それこそ大変な話ですぜ――万や二万の話じゃ有りませんぜ。私なぞは、どうお金を使用おうかと思って、今からそれを心配してる」
「真実に稲垣さんは御話がウマイから」とお倉は笑った。
「まあ、君なぞはそんな夢を見ていたまえ」と宗蔵も笑って、「時に、稲垣君、この頃はエライ芝居を打ったネ」
「え……八王子の……あの話は最早しッこなし」と稲垣は手を振る。
「実は、今、あの話を三吉さんにしましたところですよ」とお倉は力を入れて、「何卒まあ事業の方も好い具合にまいりますと……」
「姉さん、そんな御心配は……決して……実兄さんという人がちゃんと付いてます」
この稲垣の調子は、何処までも実に信頼しているように聞えた。それにお倉は稍々力を得た。
娘のお俊は奥座敷の方へ行って独りで何かしていたが、その時母の傍へ来た。この娘は、髪も未だそう黒くならない年頃で、鬢のあたりは殊に薄かった。毎朝美男葛で梳付けて貰って、それから学校へ行き行きしていた。
「お俊ちゃん、毎晩画を御習いですか」と稲垣はお俊の方を見て、「此頃習ったのを見て、驚いちまいました。どうしてああウマく描けるんでしょう」
「可笑しいんですよ」とお倉も娘の顔を眺めながら、「田舎娘だなんて言われるのが、どの位厭だか知れません――それを言われようものなら、プリプリ怒って了います」
「よくッてよ」とお俊は母の身体を動ぶるようにする。
「私の許の娘もね」と稲垣はそれを言出さずにいられなかった。「お俊ちゃんが画をお習いなさるというから、西洋音楽でも習わせようかと思いまして……ピアノでも……ええ、三味線や踊を仕込むよりもその方が何となく高尚ですから……」
稲垣の話は毎時自分の娘のことに落ちて行った。それがこの人の癖であった。
「どれ程稲垣は娘が可愛いか知れない」と宗蔵は稲垣の出て行った後で言った。「あの男の御世辞と来たら、堪えられないようなことを言うが……しかし、正直な男サ」
宗蔵と三吉との年齢の相違は、三吉と正太との相違であった。この兄弟の生涯は、喧嘩と、食物の奪合と、山の中の荒い遊戯とで始まったようなもので。実に引連れられて東京へ遊学に出た頃は、未だ互に小学校へ通う程の少年であった。丁度それは二番目の兄の森彦が山林事件の総代として始めて上京して、当時流行った猟虎の帽子を冠りながら奔走した頃のことで。その後、宗蔵の方は学校からある紙問屋へ移った。そこに勤めている間、よく三吉も洗濯物を抱えて訪ねて行くと、盲目縞の前垂を掛けた宗蔵がニコニコして出て来て、莚包の荷物の置いてある店の横で、互に蔵の壁に倚凭りながら、少年らしい言葉を取換した。「宗様、宗様」と村中の者に言われて育って来た奉公人の眼中には、大店の番頭もあったものではなかった。何か気に喰わぬことを言われた口惜まぎれに、十露盤で番頭の頭をブン擲ったのは、宗蔵が年季奉公の最後の日であった。流浪はそれから始まった。横浜あたりで逢ったある少婦から今の病気を受けたという彼の血気壮んな時代――その頃から、不自由な手足を提げて再び身内の懐へ帰って来るまで、その間どういう暗い生涯を送ったかということは、兄弟ですらよく知らない。母がまだ壮健でいる時、「宗蔵の身体には梅の花が咲いた」などと戯れて、何卒して宗蔵の面倒を見て死にたい、と言いとおした。彼も今では、「三吉さん」とか、「オイ、君」とか話しかけて、弟より外に心を訴えるものの無い人である。
三吉が帰った翌日、宗蔵は一夏の間の病苦を聞いて貰おうと思って、先ず弟の旅の獲物から尋ねた。三吉は橋本の表座敷で木曾川の音を聞きながら書いた物を出して、宗蔵に見せた。一くさり、宗蔵は声を出して読んでみた。そして、「兄弟中で文学の解るものは、君と僕だけだよ」という心地を眼で言わせて、やがて部屋の片隅に置いてある本箱の方へ骨と皮ばかりのような足を運んだ。
床の間には、父忠寛と同時代の人で、しかも同村に生れた画家の遺した筆が古風な軸に成って掛っている。鳥を飼う支那風の人物の画である。その質素な色彩といかにも余念なく餌をくれている人物の容子とは、田舎にあった小泉の家に適わしいものである。
宗蔵は三吉が留守の間に書溜めた和歌の草稿を取出して、それを弟の前に展げた。
「三吉さんとはすこし時代が違うが、僕はまた一夏かかって、こういうものを作りましたよ。一つ批評して貰おう。君は木曾のような涼しい処に居たから好いサ――僕のことを考えてみ給え、こんな蒸暑い座敷で、汗をダラダラ流して……今年の夏は苦しかったからね」
こう言って、自分の書いた歌を弟に読み聞かせた。三吉は、この兄の歌そのものより、箸も持てないような手で筆を持添えて、それを口に銜えて、ぶるぶる震えてまでも猶腹の中にあることを言表わそうとしたその労苦を思いやった。廃残の生涯とは言いながら、何か為ずには宗蔵もいられなかった。彼は病人に似合わない精力を有っていた。手足は最早枯れかかって来ても、胴のあたりは大木の幹のように強かった。病気しても人一倍食うという宗蔵の憂愁を遣るものは、僅かにこの和歌である。読み聞かせているうちに、痛憤とも、悔悟とも、冷笑とも、名の付けようの無い光を帯びた彼の眼から――ワンと口を開いたような大きな眼から、絶間もなく涙が流れて来た。
「つくづく君の留守に考えたよ」と宗蔵は手拭を取出して、汗でも出たように顔中拭廻した。「今年の夏ほど僕も種々なことを思ったことはないよ。アア」
「そんなに苦しかったんですかネ」と三吉も宗蔵の顔を眺めた。「木曾に居ても随分暑い日は有りました――東京から見ると朝晩は大変な相違でしたが」
「いや、暑いにも何にも。加に風通しは悪いと来てる。僕なぞはあの窓のところに横に成ってサ、こう熟と身体を動かさずにいたこともあった。そうすると、君、阿爺のことが胸に浮んで来る……母親さんのことも出て来る……」
冷い壁の下の方へ寄せて、隅のところに小窓が切ってある。その小窓の側が宗蔵の病躯を横える場処である。
宗蔵は言葉を継いだ。「阿爺と言えば、阿爺の書いた物を大分君の留守に調べたよ。それから僕の持ってる書籍で、君の参考に成るだろうと思うようなものも、可成有るよ。ああいうものはいずれ君の方へ遣ろう。君に見て貰おう」
部屋の前は、山茶花などの植えてある狭い庭で、明けても暮れても宗蔵の眺める世界はこれより外は無かった。以前には稲垣あたりへよく話しに出掛けたものだが、それすら煩さく思うように成った。彼の許へと言って別に訪ねて来る人も無かった。世間との交りは全く絶え果てた形である。
町の響が聞える……
宗蔵は聞入って、「三吉さん、君だからこんな話をするんだが、僕だって、君、そう皆なから厄介者に思われて、ここの家に居たく無い。ことしの夏は僕もつくづく考えた……三四日ばかり何物も食わずにいてみたことも有った……しかし人間は妙なものさね、死のうと思ったッて時が来なければ容易に死ねる訳のものでは無いね……」
こんなことを、さもさも尋常の話のように宗蔵が言出した。まるで茶でも飲み飯でも食うと同じように。
「どうかすると、『宗さんは御変りも御座いませんか』なんて、いかにも親切らしく言ってくれる人がある。あれは君、『へえ未だ生きてますか』というと同じことだ。僕の兄弟は、皆な――僕が早く死ねば可いと思って待ってる。ははははは。食わしてくれれば食うし、食わしてくれなければそれまでサ」
復た例の調子が始まった、と三吉は思った。
この小泉の家の内の空気は、三吉に取って堪えがたく思われた。格子戸を開けて、空を見に出ると、ついそこが町の角にあたる。本郷から湯島へ通う可成広い道路が左右に展けている。
橋本から写真の着いた日は、実は用達に出て家にいなかったが、その他のものは宗蔵の部屋に集まって眺めた。稲垣の細君は亭主と言合ったとかで、平素に似合わない元気の無い顔をして来ていた。めずらしい写真が来た為に、何時の間にかこの細君も其方へ釣込まれた。
「まあ、それでも、橋本の姉さんは父親さんに克く肖て来ましたこと」とお倉が思わず言出した。
宗蔵も眺め入って、「成程、阿爺にソックリだ」
「姉さんはそんなコワい顔じゃ有りませんがね――こうして見ると、阿爺が出て来たようです」と三吉も言った。
お種の写真顔は、沈鬱な、厳粛な忠寛の容貌をそのまま見るように撮れた。三吉の眼にも、木曾で毎日一緒に居た姉の笑顔を見るような気がしなかった。
「達雄さんもフケましたね」と復たお倉が言った。
「おばさん、御覧なさい」とお倉は稲垣の細君に指して見せて、「達雄さんと姉さんとは同年齢の夫婦なんですよ」
「へえ、木曾の姉さんはこういう方ですか」と細君も横から。
「正太さんはすこし下を向き過ぎましたね。お仙ちゃんが一番よく撮れました」とお倉が言う。
「どうしても、無心だで」こう宗蔵は附添した。
三吉は、達雄の傍にいる大番頭が特に日蔭の場所を択んだことを言って笑った。嘉助の禿頭は余計に光って撮れた。大きな石の多い庭、横手に高く見える蔵の白壁、日の映った傾斜の一部――この写真に入った光景だけでも、田園生活の静かさを思わせる。
「こういう処で暮したら、さぞ暢気で宜う御座んしょうね――お金でも有って」と稲垣の細君が言った。「何卒、まあ皆さんに早く儲けて頂いて……」
「真実に、今のような生活じゃ仕様が有りません……まるで浮いてるんですもの……」
こうお倉も嘆息した。
故郷にあった小泉の家――その焼けない前のことは、何時までもお倉に取って忘れられなかった。橋本の写真を見るにつけても、彼女はそれを言出さずにいられなかった。三吉は又たこの嫂の話を聞いて、旧い旧い記憶を引出されるような気がした。門の内には古い椿の樹が有って、よくその実で油を絞ったものだ。大名を泊める為に設けたとかいう玄関の次には、母や嫂の機を織る場所に使用った板の間もあった。広い部屋がいくつか有って、そこから美濃の平野が遠く絵のように眺められた。阿爺の書院の前には松、牡丹なども有った。寒くなると、毎朝家のものが集って、土地の習慣として焼たての芋焼餅に大根おろしを添えて、その息の出るやつをフウフウ言って食い、夜に成れば顔の熱るような火を焚いて、百姓の爺が草履を作りながら、奥山で狐火の燃える話などをした、そういう楽しい炉辺もあった。
小泉の家の昔を説出した嫂は、更にずっと旧いことまで覚えていて、それを弟達に話し聞かせた。嫂に言わせると、幾百年の前、故郷の山村を開拓したものは兄弟の先祖で、その昔は小泉の家と、問屋と、峠のお頭と、この三軒しかなかった。谷を耕地に宛てたこと、山の傾斜を村落に択んだこと、村民の為に寺や薬師堂を建立したこと、すべて先祖の設計に成ったものであった。土地の大半は殆んど小泉の所有と言っても可い位で、それを住む人に割き与えて、次第に山村の形を成した。お倉が嫁いて来た頃ですら、村の者が来て、「旦那、小屋を作るで、林の木をすこしおくんなんしょや」と言えば、「オオ、持って行けや」とこの調子で、毎年の元旦には村民一同小泉の門前に集って先ず年始を言入れたものであった。その時は、祝の餅、酒を振舞った。この餅を搗だけにも、小泉では二晩も三晩もかかって、出入りの者がその度に集って来た。「アイ、目出度いのい」――それが元日村の衆への挨拶で、お倉は胸を突出しながら、その時の父や夫の鷹揚な態度を真似て見せた。
この「アイ、目出度いのい」は弟達を笑わせた。
「真実に、有る物は皆な分けてくれて了ったようなものですよ」とお倉は思出したように、「それが旧からの習慣で……小泉の家はそういうものと成っていましたから……吾夫もね、それも未だ少壮い時に、どうでもこうでも小泉の旦那に出て貰わんければ、村が治まらないなんて言われて、村長にまで引張り出されたことが有りましたよ。あの時だって、村の為に自分の物まで持出してサ……父親さんは又、癇の起る度に家を飛出す。峠の爺を頼んで連れて来て貰うたッて、お金でしょう。何度にか山や林を売りました。所詮これではヤリキレないと言って、それから吾夫が郡役所などへ勤めるように成ったんです。事業に手を出し始めてからだっても、そうですよ。一度でも自分に得したことは無い……何時でも損ばかり……苦しいもんですから種々な人を使用う気に成る、そうしちゃあ他の分まで皆な自分で背負込んで了う……それを思うと、私は吾夫が気の毒にも成ってサ」
思わず嫂は弟達や稲垣の細君を前に置いて話し込んだ。
「そうだ――自分に得したことの無い人だ」と三吉も言ってみた。
その日は宗蔵も珍しく機嫌よく、身体の不自由を忘れて、嫂の物語に聞恍れていた。実が刑余の人であるにも関らず、こういう昔の話が出ると、弟達は兄に対して特別な尊敬の心を持った。
主人の実は屋外から帰って来た。続いて稲垣も入って来た。夫の声が格子戸のところで聞えたので、急に稲垣の細君は勝手の方へ隠れて、やがて娘のことを案じ顔に裏口からコソコソ出て行った。
「家内は御宅へ参りませんでしたか」と稲垣は縁側から顔を出して尋ねた。
「ええ、今し方まで……」とお倉は笑いながら答える。
「オイ、稲垣君、君は細君を掃出したなんて――今、細君が愁訴に来たぜ」と宗蔵も心やすだてに。
「いえ――ナニ――」と稲垣は苦笑して、正直な、気の短かそうな調子で、「少しばかり衝突してネ……彼女は口惜紛れに笄を折ちまやがった……馬鹿な……何処の家にもよくあるやつだが……」
「子供が有るんで持ったものですよ」とお倉は慰め顔に言って、寂しそうな微笑を見せた。
木曾の姉からの写真を見た後、実は奥座敷へ稲垣を呼んで、銀行の帳簿を受取ったり、用向の話をしたりした。
稲垣は出て行った。実は更に三吉を呼んで、弟の為に結婚の話を始めた。
三吉も結婚期に達していた。彼の友達の中には、最早子供のある人も有り、妻を迎えたばかりの人も有り、婚約の定まった人も有った。大島先生という人の勧めから始まって、彼の前にも結婚の問題が起って来た。その縁談を実が引取て、大島先生と自分との交渉に移したのである。
三吉の過去は悲惨で、他の兄弟の知らないような月日を送ったことが多かった。実が一度失敗した為に、長い留守を引受けたのも彼が少壮な時からで、その間幾多の艱難を通り越した。ある時は死んでも足りないと思われる程、心の暗い時すらあった。僅かに夜が明けたかと思う頃は、辛酸を共にした母が亡くなった。彼には考えなければ成らないことが多かった。
大島先生から話のあった人は、六七年前、丁度十五位の娘の時のことを三吉も幾分か知っており、嫂は又、その頃房州の方で一夏一緒に居たことも有って、大凡気心は分っていたが、なにしろ三吉のような貧しい思をして来た人ではなかった。彼は負債も無いかわりに、財産も無い。再三彼は辞退してみた。しかし大島先生の方では、一書生に娘を嫁かせようという先方の親の量見をも能く知っているとのことで、「万事俺が引受けた」と実はまた呑込顔でいる。こんな訳で、三吉はこの縁談を兄に一任した。
「お雪さんなら、必と好かろうと思いますよ」とお倉もそこへ来て、大島先生から話のあった人の名を言って、この縁談に賛成の意を表した。
「なにしろ、大島先生の話では、先方の父親さんが可愛がってる娘だそうだ」と実も言った。「俺はまあ見ないから知らんが、父親さんに気に入る位なら必ず好かろう」
「私は能く知ってる」とお倉は引取て、
「脚気で房州の方へ行きました時に、あの娘と、それからもう一人同年齢位な娘と、学校の先生に連れられて来ていまして一月程一緒に居ましたもの――尤もあの頃は年もいかないし、御友達と一緒に貝を拾って、大騒ぎするような時でしたがね――あの娘なら、私が請合う」
「それに、大島先生があの娘の家へ行って泊ってたことも有るそうだ」と復た実が言った。「その時話が出たものだろう。父親さんという人が又余程変ってるらしいナ」
こう実は種々と先方の噂をして、「三吉も、それでもお嫁さんを貰うように成ったかナア――早いものだ」などと言って笑った。実が前垂掛で胡坐にやっている側には、大きな桐の机が置いてあって、その深い抽斗の中に平常小使が入れてある。お倉は夫の背後へ廻って要るだけの銭の音をさせて、やがて用事ありげに勝手の方へ出て行った。
「宗さんを措いて、僕が家を持つのも変なものですネ」と三吉は言出した。
「あんな者はダチカン」と実は思わず国の言葉を出した。「どれ程俺が彼に言って聞かせて、貴様は最早死んだ者だ、そう思って温順しくしておれ、悟を開いたような気分でおれッて、平常言うんだが……それが彼には解らない」
「どうしてあんな風に成っちまったものですかナア」
「放蕩の報酬サ」
「余程質の悪い婦女にでも衝突ったものでしょうかナア」
「皆な自分から求めたことだ。それを彼が思ったら、もうすこし閉口しておらんけりゃ成らん。土台間違ってる……多勢兄弟が有ると、必とああいう屑が一人位は出て来る……何処の家にもある」
宗蔵の話が出ると、実は口唇を噛んで、ああいう我儘な、手数の掛る、他所から病気を背負って転がり込んで来たような兄弟は、自分の重荷に堪えられないという語気を泄した。そればかりではない、実が宗蔵を嫌い始めたのは、一度宗蔵が落魄した姿に成って故郷の方へ帰って行った時からであった。その頃は母とお倉とで家の留守をしていた。お倉は未だ若かった。
「兄弟に憎まれれば、それだけ損だがナア」と実は嘆息するように言った。「いずれ宗蔵の為には、誰か世話する人でも見つけて、其方へ預けて了おうと思う――別にでもするより外に仕様のない人間だ」
三吉も書生ではいられなくなった。家を持つ準備をする為には、定った収入のある道を取らなければ成らなかった。彼は学校教師の口でも探すように余儀なくされた。
ある日、実は弟に見せる物が有ると言って、例の奥座敷へ三吉を呼んだ。
「三吉さん――私もすこし兄さんに御話したいことが有る。御手間は取らせませんから、先へ私に話させて下さいな」
こう稲垣の細君が来て言って、三吉と一緒に実の居る方へ行った。実は直に細君の用事ありげな顔付きを看て取った。
稲垣の細君は何遍か言淀んだ。「そりゃもう、皆さんの成さる事業ですから、私が何を言おうでは有りませんが……何時まで待ったら験が見えるというものでしょう。どうも吾夫の話ばかりでは私に安心が出来なくて……」
「ああ、車の方の話ですか」と実はコンコン咳をした後で言った。「ちゃんと技師に頼んで有りますからね。そんな心配しなくても、大丈夫」
「いえ――吾夫でも、小泉さんに御心配を掛けては済まない、そのかわり儲けさして頂く時には――なんて、そう言い暮しましてね。実際吾夫も苦しいもんですから、田舎から出て来た母親さんを欺すやら、泣いて見せるやら、大芝居をやらかしているんですよ」
「お金の要ることが有りましたら、稲垣さんにもそう言って置きましたが――銀行に預けて有りますからね」
「そう言って頂けば私も難有いんですけれど……でも、何んとか前途の明りが見えないことには……何処まで行けばこの事業が物に成るものやら……」と言って、細君は不安な眼付をして、「私がこんなことを言いに来たなんて、吾夫に知れようものなら、それこそ大叱責――殿方と違って女というものはとかくこういうことが気に成るもんですよ」
稲垣の細君は実の機嫌を損ねまいとして、そう煩くは言わなかった。お俊の噂、自分の娘のことなどを少し言って、やがてお倉の居る方へ起って行った。
実の机の上には、水引を掛けるばかりにした祝の品だの、奉書に認めた書付だのが置いてあった。兄は先方へ贈るように用意した結納の印を開けて弟に見せた。
「どうだ――大島先生から届けて貰うようにと思って、こういう帯地を見立てて来た――繻珍だ」
「こんな物でなくっても可かったでしょうに」と三吉は言ってみた。
「兄貴が附いてて、これ位のことが出来ないでどうする――俺の体面に関わる」と実の眼が言った。
三吉は兄に金を費わせることを心苦しく思った。結婚の準備もなるべく簡単にしたい、借金してまで体裁をつくろう必要は無い、と思った。小泉実はそれでは済まされなかった。
お俊も小学校の卒業に間近く成って、これから何処の高等女学校へ入れたら可かろうなどと相談の始まる頃には、三吉の前にも二つの途が展けていた。一つは西京の方に教師の口が有った。一つは往時英語を学んだ先生から自分の学校へ来てくれないかとの手紙で、是方は寂しい田舎ではあり、月給も少かった。しかし三吉は後の方を択んだ。
春の新学期の始まる前、三吉は任地へ向けて出発することに成った。仙台の方より東京へ帰るから、この田舎行の話があるまで――足掛二年ばかり、三吉も兄の家族と一緒に暮してみた。復た彼は旅の準備にいそがしかった。彼は小泉の家から離れようとした。別に彼は彼だけの新しい粗末な家を作ろうと思い立った。
三吉は発って行った。一月ばかり経って、実は大島先生からの電報を手にした。名倉の親達は娘を連れて、船に乗込む、とある。名倉とは、大島先生が取持とうとする娘の生家である。
「来る来るとは言っても、この電報を見ないうちは安心が出来なかった。先ず好かった――実に俺は心配したよ」
こう実はお倉を奥座敷へ呼んで言って、早速稲垣をも呼びにやった。稲垣は飛んで来た。
「へえ、名倉さんでは最早御発ちに成ったんですか。船やら――汽車やら――遠方をやって来るなんて容易じゃ有りません」
と稲垣も膝を進める。賑かな笑声は急に家の内に溢れて来た。
実の机の上には、何処の料理店で式を挙げて、料理は幾品、凡そ幾人前、酒が幾合ずつ、半玉が幾人、こう事細かに書いた物が用意してあった。
「時に、銚子を持つ役ですが」と実は稲垣の方を見て、「君の許の娘を借りて、俊と、二人出そうと思いましたがね、それも面倒だし……いっそ雛妓を頼むことにしました」
「その方が世話なくて好い」とお倉が言葉を添える。「雄蝶、雌蝶だなんて、娘達に教えるばかりでも大変ですよ」
「いや、そうして頂けば難有い」と稲垣も言った。「実は吾家でもその事で気を揉んでいました。それから式へ出るのは、私だけにして下さい。簡単。簡単。皆な揃って押出すのは、大に儲けた時のことにしましょう――ねえ、姉さん」
「真実に、そうですよ」とお倉は微笑んで、「私なんか出たくも、碌な紋付も持たない」
「まあ、姉さんのように仰るものじゃ有りません」と言って、稲垣は手を振って、「出たいと思えば、何程でも出る方法は有りますがね――隣の娘なんか借着で見合をしましたあね、御覧なさい、それをまた損料で貸して歩く女も居る――そういう世の中ですけれど、時節というものも有りますからね」
「簡単。簡単」と実も力を入れて命令するように言った。
稲垣は使に出て行った。料理屋へは打合せに行く、三吉の方へは電報を打つ、この人も多忙しい思いをした。その電報が行くと直ぐ三吉も出て来る手筈に成っていた。
「宗蔵は暫時稲垣さんの方へ行っておれや」
と兄に言われて、宗蔵も不承々々に自分の部屋を離れた。彼は、不自由な脚を引摺りながら、稲垣の家の方へ移されて行った。
婚礼の日は、朝早く実も起きて庭の隅々まで掃除した。家の内も奇麗に取片付けた。奥座敷に並べてある諸道具は、丁寧に鳥毛の塵払をかけて、机の上から箪笥茶戸棚まで、自分の気に入ったように飾ってみた。火鉢の周囲には座蒲団を置いた。煙草盆、巻煙草入、灰皿なども用意した。こうして、独りで茶を入れて、香の薫に満ちた室内を眺め廻した時は、名倉の家の人達が何時来て見ても好いと思った。床の間に飾った孔雀の羽の色彩は殊に彼の心を歓ばせた。
弟の森彦からも、三吉の結婚を祝って来た。その手紙には、自分は今旅舎住居の境遇であるから、式に出ることだけは見合せる、万事兄上の方で宜敷、三吉にも宜敷、としてあった。
「貴方、俊の下駄を買って来ました――見てやって下さい」
こう言って、お倉は娘と一緒に買物から帰って来た。
「どれ、見せろ」と実は高い表付の赤く塗った下駄を引取った。「こんな下駄を穿かして、式に連れて行かれるものか。これは、お前、雛妓なぞの穿くような下駄だ」
「だって、『母親さん、これが好い、これが好い』ッて、あの娘が聞かないんですもの」とお倉が言う。
「親が附いて行って……こんなものはダチカン……鈴の音のしないような、塗って無いのが好い。取替えて来い」と実は叱るように言った。
「私も、そうも思ったけれど」とお倉は苦笑しながら。
「母親さん、取替えて来ましょうよ」と娘は母の袂を引いた。
生め、殖せ、小泉の家と共に栄えよ――この喜悦は実が胸に満ち溢れた。彼は時の経つのを待兼ねた。遠方から着いた名倉の母、兄などは、先ず旅舎で待つということで、実と稲垣とは約束の刻限に其方へ向けて家を出た。
丁度、お倉の実の姉のお杉も、手伝いながら来て、掛っている頃であった。このお杉の他に、稲垣の細君もやって来て、二人してお俊の為に晴の衣裳を着せるやら、帯を〆させるやらした。直樹の老祖母さんも紋付を着てやって来た。目出度、目出度、という挨拶は其処にも此処にも取換された。田舎の方から引返して来た三吉は、この人達と一緒に、料理屋を指して出掛けた。日暮に近かった。
一同出て行った後、家に残った人達は散乱った物を片付けるやら、ざッと掃除をするやらした。その晩は平常より洋燈の数を多く点けて、薄暗い玄関までも明るくした。急に家の内は改まったように成った。
「今晩は」
と稲垣の娘も入って来て、母親と一緒に成った。お杉、お倉なども長火鉢の周囲に集った。
稲垣の細君は起って行って、次の部屋に掛けてある柱時計を眺めて、それから復た娘の側へ戻った。
「最早それでも皆さんは料理屋の方へ被入しったでしょうか」と稲垣の細君が言ってみた。
「どうして、おばさん、未だナカナカですよ」とお倉は笑って、「名倉さんの旅舎で御酒が出るんですもの。散々彼処で祝って、それからでなければ――」
「丁度今頃は御酒の最中だ」とお杉も言った。
「名倉さんの方では母親さんと兄さんと附いていらしッたんですッてね。必とまた吾家の阿爺が喋舌っていましょうよ。遠方から来た御客様をつかまえて、ああだとか、こうだとかッて――しかし、母親さんも御大抵じゃ有りませんね、御嫁さんの仕度から何から一人で御世話を成さるんじゃ……」
こう稲垣の細君が言うと、娘は母に倚凭りながら、結婚ということを想像してみるような眼付をしていた。
部屋々々の洋燈は静かに燃った。お倉は一つの洋燈の向うに見える丸蓋の置洋燈の灯を眺めて、
「私なぞも小泉へ嫁いて来る時は――真実に、まあ、昔話のように成って了った――最早親の家にも別れるのかと思って、ちょっと敷居を跨ぐと……貴方、涙がボロボロと零れて……」
稲垣の細君も思出したように、「誰でもそうですよ、あんな哀しいことは有りませんよ」
「もう一度私もあんな涙を零してみたい――」とお杉も笑って、乾いた口唇を霑すようにした。「アアアア、こんなお婆さんに成っちゃ終だ……年を拾うばかしで……」
「厭だよ、この娘は――ブルブル震えてサ」と稲垣の細君は娘の顔を眺めて言った。
「何だか小母さんの身体まで震えて来た」
こうお杉は細君の手から娘を抱取るようにして笑った。
静かな夜であった。上野の鐘は寂とした空気に響いて聞えて来た。留守居の女達は、楽しい雑談に耽りながら、皆なの帰りを待っていた。
柱時計が十時を打つ頃に成って、一同車で帰って来た。急に家の内は人で混雑した。
「どうも名倉さんの母親さんには感心した。シッカリしたものだ」
こう実と稲垣とは互に同じようなことを言った。復た酒が始まった。その時、三吉の妻は家の人々や稲垣の細君などに引合わされた。
「お俊ちゃん、叔母さんが一人増えたことね」と稲垣の娘が言った。
「ええ、そうよ、お雪叔母さんよ」とお俊も笑った。
「稲垣さん、種々御尽力で難有う御座いました」と実は更に盃を差した。
「酒はもう沢山」と稲垣は手を振って、「今夜のように私も頂いたことは有りません」
「こんな嬉しいことは無い」と実は繰返し言った。「私一人でも今夜は飲み明かさなくちゃ成らん」
「三吉――宗蔵はお前の方へ頼む。今度田舎へ行く序に、是非一緒に連れてッてくれ」
こう実は、婚礼のあった翌日、三吉に向って茶話のように言出した。
巣を造るか造らないに最早こういう難題が持上ろうとは、三吉も思いがけなかった。お杉やお倉ですら持余している宗蔵だ。その病人の世話が、嫁いて来たばかりのお雪に届くであろうか、覚束なかった。実の頼みは、茶話のようで、その実無理にも強いるような力を持ていた。とにかく、三吉は田舎へ発つまでに返事をすることにした。
一方に学校を控えていたので、そう三吉もユックリする余裕は無かった。不取敢、森彦、宗蔵の二人の兄に妻を引合せて行きたいと思った。
名倉の母達が泊っている宿からは、柳行李が幾個も届いた。「まあ、大変な荷物だ」と稲垣も来て言って、仮にそこへ積重ねてくれた。
稲垣の家は近かった。三吉はお雪を連れて、その方に移されていた宗蔵を訪ねた。この病人の兄は例の縮かまったような手を揉んで、「遠方から御苦労様」という眼付をして、弟の妻に挨拶した。
「宗さんには逢った。これから森彦さんの許だ」と三吉は稲垣の家を出てから言った。
「その兄さんは何を為さる方ですか」こうお雪が聞いた。
長いこと森彦は朝鮮の方に行っていた。東亜の形勢ということに眼を着けて、その間種々な方面の人に知己の出来たことや、時には貿易事業に手を出したことなどは、大体の輪廓だけしか身内の者の間に知られていなかった。それから帰って来て、以前尽力した故郷の山林事件の為に、有志者を代表して奔走を続けている。この兄は、一平民として、地方の為に働きつつあるとは言える。しかし、何――屋とか、何――者とか、一口に話せないような人であった。
「まあ、俺と一緒に行って、逢ってみるが可い」
三吉はこんな風に言ってみた。
森彦の旅舎へは、お俊も三吉夫婦に伴われて行った。二階の座敷には熊の毛皮などが敷いてあって、窓に寄せて、机、碁盤の類が置いてある。片隅に支那鞄が出してある。室内の心地よく整頓された光景を見ても、長く旅舎住居をした人ということが分る。
「よく来てくれた。私は兄貴の許へ手紙を遣って置いたが、名倉さんにもお目に懸らなくて失礼しました。今日は一つ、皆なに西洋料理でも御馳走しよう」こう森彦は言って、茶盆を取出して置いて手を鳴らした。
「何か御用で御座いますか」と宿の内儀が入って来た。
「ヤ、内儀さん、これが弟の嫁です」と森彦はお雪を紹介した。「時に、何か甘い菓子を取りに遣って下さい」
「では、僕も巻煙草を頼もう」と三吉が言った。
「三吉はえらく煙草を燻すように成ったナ」と森彦はすこし顔をシカめた。この兄は煙草も酒もやらなかった。
昼食には、四人で連立って旅舎を出た。森彦は弟達をある洋食屋の静かな二階へ案内した。そこで故郷の方に留守居する自分の家族の噂をした。
森彦にも遇わせた。三吉は更に、妻の友達にも、と思って、二人の婦人の知人を紹介しようとした。お雪も逢ってみたいと言う。で、順にそういう人達の家を訪問することにした。
暮れてから、三吉は曾根という家の方へお雪を連れて行った。
曾根は、お雪が学校時代の友達の叔母にあたる人で、姉の家族と一緒に暮していた。細長い陶器の火鉢を各自に出すのがこの家の習慣に成っていた。その晩はある音楽者の客もあって、火鉢が何個も出た。ここはすべてが取片付けてあって、あまり部屋を飾る物も置いて無い。子供のある家で、時々泣出す声も聞える。六つばかりに成る、色の白い、髪を垂下げた娘が、曾根の傍へ来て、三吉夫婦に御辞儀をした。
「まあ、可愛らしいお娘さんですね」
とお雪が言うと、娘は神経質らしい容子をして、やがてキマリが悪そうに出て行った。
お雪から見ると、曾根は年長だった。お雪の眼には、憂鬱な、気心の知れない、隠そう隠そうとして深く自分を包んでいるような、まだまだ若く見える女が映った。曾根は最早いろいろな境涯を通り越して来たような人であった。言葉も少なかった。
客もあったので、夫婦は長くも居なかった。小泉の兄の家へ帰ってから、三吉はこんな風に妻に尋ねてみた。
「どうだね、あの人達は」
「そうですね……」
とお雪は返事に窮った。交際って見た上でなければ、彼女には何とも言ってみようが無かった。
翌日の午後、三吉達は東京を発つことにした。買物やら、荷造やら、いそがしい思をした。その時、三吉は実の居るところへ行って、一と先ず宗蔵の世話を断った。
「あれはすこし無理だった――俺の方が無理だった」
と実は笑いながら点頭いた。
名倉の母や兄からは、停車場までは見送らないと言って、お雪の許へ箪笥を買う金を二十円ほど届けて来た。別離の言葉が取換された。三時頃には、夫婦は上野の停車場へ荷物と一緒に着いた。多くの旅客も集って来ていた。
暗くなって三吉夫婦は自分等の新しい家に着いた。汽車の都合で、途中に一晩泊って、猶さ程旅を急がなかった為に、復た午後から乗って来た。その日のうちに着きさえすれば可い、こういう積りであったので。お雪は汽車を降りるから自分の家の庭に入るまで、暗い、知らない道を夫に連れられて来た。
庭を上ると、直ぐそこは三尺四方ばかりの炉を切った部屋で、炉辺には年若な書生が待っていた。この書生は三吉が教えに行く学校の生徒であった。
「明日は月曜ですから、最早それでも御帰りに成る頃かと思って、御待ち申していました」と書生はお雪に挨拶した後で言った。
「大分ユックリやって来ました」と三吉も炉辺に寛いだ。
お雪は眺め廻しながら、
「へえ、こういうところですか」
と言って、書生に菓子などを出して勧めた。先ず眼につくものは、炉に近い戸棚、暗い煤けた壁、大きな、粗末な食卓……
「ここは士族屋敷の跡なんだそうだ」と三吉は妻に言い聞かせた。「後の方に旧の入口があるがね、そこは今物置に成てる。僕等が入って来たところは、先に住んだ人が新規に造えた入口だ。どうも、酷い住方をして行ったものサ。壁を張る、畳を取替える――漸くこれだけに家らしくしたところだ。この炉も僕が来てから造り直した」
書生は物置部屋の方から奥の洋燈を点けて出て来た。三吉はそれを受取って、真暗な台所の方へ妻を連れて行て見せた。広い板間、立て働くように出来た流許、それからいかにも新世帯らしい粗末な道具しかお雪の目に入らなかった。台所の横手には煤けた戸があった。三吉はそれを開けて、そこに炭、薪、ボヤなどの入れてあることを言って、洋燈を高く差揚げて見せたが、お雪には暗くてよく見えなかった。
「ここをお前の部屋にするが好い」
と三吉が洋燈を持って案内したは、炉辺の次にある八畳の間で、高い天井、茶色の壁紙で貼った床の間などがお雪の眼についた。奥には、これと同じ大さの部屋があって、そこには本や机が置いてある。その隣に書生の部屋がある。割合に広い住居ではあったが、なにしろ田舎臭い処であった。
停車場前で頼んで置いた荷物も届いた。夫婦は未だ汽車で動られているような気がした。途中から一緒に汽車に乗り込んで来た夫婦ものらしい人達は、未だ二人の前に腰掛けて二人の方を見て、何か私語き合っているらしくも思われた。あの細君の大きな目――あの亭主の弱々しい、力のない眼――そういうものは考えたばかりでも羞恥の念を起させた。二人は人に見られて旅することを羞じた。どうかすると互に顔を見ることすら避けたかった。
戸の透間が明るく成った。お雪は台所の方へ行って働いた。裏口を開けて屋外へ出てみると、新鮮な朝の空気は彼女に蘇生るような力を与えた。その清々とした空気はお雪が吸ったことの無いようなものであった。
一晩知らずに眠った家は隣と二軒つづきの藁葺の屋根であった。暗くて分らなかった家の周囲もお雪の眼前に展けた。彼女は、桑畠の向に見える人家や樹木の間から、遠く連いた山々を望むことの出来るような処へ来ていた。ゴットン、ゴットンと煩く耳についたは、水車の音であった。
裏には細い流もあった。胡頽子の樹の下で、お雪は腰を曲めて、冷い水を手に掬った。隣の竹藪の方から草を押して落ちて来る水は、見ているうちに石の間を流れて行く。こういう処で顔を洗うということすら、お雪にはめずらしかった。
例の書生は手桶を提げて、表の方から裏口へ廻って来た。飲水を汲む為には、唐松の枝で囲った垣根の間を通って、共同の掘井戸まで行なければ成らなかった。
前の晩に見たよりは、家の内の住み荒された光景も余計に目についた。生家を見慣れた眼で、部屋々々を眺めると、未だ四辺を飾る程の道具一つ出来ていなかった。
書生はよくお雪の手伝いをした。不慣な彼女が勝手で働いている間に、奥の方の庭までも掃除を済ました。バケツを提げて、その縁側へお雪が雑巾掛に行ってみると、丁度躑躅の花の盛りである。土塀に近く咲いた紫と、林檎の根のところに蹲踞ったような白とが、互に映り合て、何となくこの屋根の下を幽静な棲居らしく見せた。土塀の外にもカチャカチャ鍋を洗う音などがした。向の高い白壁には朝日が映って来た。
飯の用意も出来た。お雪は自分の手で造ったものを炉辺の食卓の上に並べて、夫にも食わせ、自分でも食った。書生も楽しく笑いながら食った。世帯を持って初めての朝、味噌汁も粗末な椀で飲だ。お雪が生家の知人から祝ってくれたもので、荷物の中へ入れて持って来た黒塗の箸箱などは、この食卓に向きそうも無かった。
やがて三吉や書生が学校へ行く時が来た。質素な田舎のことで、着て出る物も垢さえ着いていなければそれで間に合った。お雪は夫の為に大きな弁当箱を包んだ。こんな風にして、彼女は新婚の生涯を始めた。奉公人を多勢使って贅沢に暮して来た日までのことに比べると、すべて新たに習うようなものである。とはいえ、お雪は壮健な身体を持っていた。彼女は夫を助けて働けるだけ働こうと思った。
鍛冶屋に注文して置いた鍬が出来た頃から、三吉は学校から帰ると直ぐそれを手にして、裏の畠の方へ出た。彼は家の持主から桑畠の一部を仕切って借りた。そこは垣根に添うた、石塊の多い、荒れた地所で、野菜畠として耕す前には先ず堅い土から掘起して掛らなければ成らなかった。
俗に鉄道草と称える仕末に負えない雑草が垣根の隅に一ぱい枯残っていた。それを抜取るだけでも、三吉はウンザリして了った。その他の雑草で最早根深く蔓延っているのも有った。青々とした芽は、其処にも、是処にも、頭を擡げていた。
労苦する人達の姿が三吉の眼に映り初めたのは、橋本の姉の家へ行く頃からであった。木曾に居る時も、幾分か彼はその心地を紙に対って書いた。こうして僅かばかりの地所でも、実際自分で鍬を執って耕してみるということは、初めてである。不慣な三吉は直に疲れた。彼の手足は頭脳の中で考えたように動かなかった。時々彼はウンと腰を延ばして、土の着いた重い鍬に身体を持たせ凭けて、青い空気を呼吸した。
マブしい日が落ちて来た。三吉は眼鏡の上から頬冠りして、復た働き始めた。
「どうも、好く御精が出ます」
と声を掛けて、クスクス笑いながら垣根の外から覗いて通る人があった。学校の小使だ。この男の家では小作をして、小使の傍ら相応の年貢を納めている。いずれ三吉はこの男に相談して、畠の手伝いを頼もうと思った。野菜の種も分けて貰おうと思った。
翌日も、学校から帰ると直ぐ三吉は畠へ出た。
お雪は垣根と桑畠の間を通って、三吉の働いている処へ来た。書生も後から随いて来た。
「オイ、そんなところに立って見ていないで、ちと手伝いをしろ」と三吉が言た。
「御手伝いに来たんですよ」とお雪は笑った。
「お前達はその石塊を片付けナ」と三吉は言付けて、「子供のうちから働きつけた者でなくちゃ駄目だね――所詮この調子じゃ、俺も百姓には成れそうも無いナ」
三吉は笑って、一度掘起した土を復た掘返した。大な石塊が幾個も幾個も出て来た。
お雪も手拭を冠り、尻端を折って、書生と一緒に手伝い始めた。石塊は笊に入れて、水の流の方へ運んだ。掘起した雑草の根は畠の隅に積重ねてあった。その容易に死なない、土の着いた、重いやつを、何度にか持運んで捨てに行くということすら、お雪には一仕事であった。三人は日光を浴びながら一緒に成って根気に働いた。
「頬冠りも好う御座んすが、眼鏡が似合いません」
こうお雪は夫の方を見て、軽く笑うように言った。書生も立って見ていた。三吉も苦笑して、土の着いた手で額の汗を拭った。
清い流で鍬を洗って、入口の庭のところに腰掛けながら、一服やった時は、三吉も楽しい疲労を覚えた。お雪も足を洗って入って来た。激しく女の労働する土地で、麻の袋を首に掛けながら桑畠へ通う人達が会釈して通る。お雪は家を持つ早々こうして女も働けば働けるものかということを知った。
嫁いて来たばかりで、まだ娘らしい風俗がお雪の身の辺に残っていた。彼女の風俗は、豊かな生家の生活を思わせるようなもので、貧しい三吉の妻には似合わなかった。紅く燃えるような帯揚などは、畠に出て石塊を運ぶという人の色彩ではなかった。
三吉はお雪の風俗から改めさせたいと思った。彼は若い妻を教育するような調子で、高い帯揚の心は減らせ、色はもっと質素なものを択べ、金の指輪も二つは過ぎたものだ、何でも身の辺を飾る物は蔵って置けという風で、この夫の言うことはお雪に取って堪え難いようなことばかりであった。
「今から浅黄の帯揚なぞが〆められるもんですか」とお雪はナサケないという眼付をした。「今からこんな物を廃せなんて――若い時に〆なければ〆る時はありゃしません」
とはいえ、お雪は夫の言葉に従った。彼女は今までの飾を脱ぎ去って、田舎教師の妻らしく装うことにした。「よくよく困った時でなければ出すなッて、阿爺さんに言われて貰って来たんですが……」と言って、百円ばかりの金の包まで夫の前に置いた。お雪は又、附添して、仮令倒死するとも一旦嫁いだ以上は親の家へ帰るな、と堅く父親に言い含められて来たことなどを話した。凛然とした名倉の父の気魄、慈悲――そういうものは、お雪の言葉を通しても略三吉に想像された。
「若布は宜う御座んすかねえ」と門口に立って声を掛ける女が幾人もあった。遠く越後の方から来る若い内儀や娘達の群だ。その健気な旅姿を眺めた時は、お雪も旅らしい思に打たれた。蛙の鳴声も水車の音に交って、南向の障子に響いて来る……ガタガタ荷馬車の通る音も聞える……
この三吉の家は旧い街道の裏手にあたって、古風な町々に連続いたような位置にある。お雪は一度三吉に連れられて、樹木の多い谷間を通って、校長という人の家に案内された時、城跡に近い桑畠の向に建物の窓を望んだ。それが夫の通う学校であった。三吉はその道を取ることもあり、日によっては裏の流について、停車場前の新しい道路を横に切れて、それから桑畠だの石垣だのの間を折れ曲って鉄道の踏切のところへ出ると、そこで一里も二里も通って来る生徒の群に逢って、一緒にアカシヤの生い茂った学校の表門の前へ出ることもある。お雪は夫の話によって、自分等の住む家が大きな山の上の傾斜の中途にあることを知った。幾十里隔てて、橋本の姉と同じ国に来ているような気がしない、と夫は言ったが、お雪にはまだその方角さえも判然しなかった。
裏の畠には、学校の小使に習って、豆、馬鈴薯、その他作り易い野菜から種を播いた。葱苗を売りに来る百姓があった。三吉の家では、それも買って植えた。
お雪が三吉の許へ嫁いて来るについては種々な物が一緒に附纏って来た。「未来のWと思っていたが、君が嫁いて失望した……いずれその内に訪ねて行く……」こんなことを女名前にして書いて寄す人も有った。お雪はそれを三吉に見せて、こういう手紙には迷惑すると言った。三吉は好奇心を以て読でみた。放擲して置いた。どうかするとお雪は不思議な沈黙の状態に陥ることも有った。何か家の遣方に就いて、夫から叱られるようなことでも有ると、お雪は二日も三日も沈んで了う。眼に一ぱい涙を溜めていることも有る。こういう時には三吉の方から折れて出て、どうしても弱いものには敵わないという風で、種々に細君の機嫌を取った。
「氷豆腐というものもナカナカ好いものだね……ウマい……ウマい‥…今日の菜は好く出来た……」
こう三吉の方で言うと、お雪も気を取直して、夫と一緒に楽しく食うという風であった。尤もこの沈黙はそう長くは続かなかった。一度その状態を通り越すと、彼女は平素のお雪に復った。そして、晴々しい眼付をして、復た根気よく働いた。お雪は夫の境涯をさ程苦にしているでもなかった。
お雪の部屋には、生家から持って来た道具なども置かれた。大きな定紋の付いた唐皮の箱には、娘の時代を思わせるような琴の爪、それから可愛らしい小さな男女の人形なども入れてあった。親戚や知人からはそれぞれ品物やら手紙やらで祝って寄した。三吉が妻の友達にと紹介した二人の婦人からも来た。
「曾根さんは曾根さんらしい細い字で書いて来たネ」と三吉が言て笑った。
「真実に皆さんは御上手なんですねえ」とお雪も眺めた。
名倉の店に勤めている人で、お雪が義理ある兄の親戚にあたる勉からも、お雪へ宛てて祝の手紙が来た。これは又、若い商人らしい達者な筆で書いてあった。
こんな風にして、三吉夫婦の若い生涯は混り始めた。やがて裏の畠に播いた莢豌豆も貝割葉を持上げ、馬鈴薯も芽を出す頃は、いくらかずつ新しい家の形を成して行った。お雪は住居の近くに、二人の小母さんの助言者をも得た。一人は壁一重隔てて隣家に住む細君で、この小母さんは病身の夫と多勢の子供とを控えていた。小母さん達はかわるがわる来て、時の総菜が出来たと言ってはくれたり、世帯持の経験を話して聞かせたりするように成った。
東京の学校が暑中休暇に成る頃には、お雪が妹のお福も三吉の家へやって来た。お福は、お雪の直ぐ下にあたる妹で、多勢の姉妹を離れて、一人東京の学校の寄宿舎に入れられている。名倉の母の許を得て、一夏を姉の許に送ろうとして来たのである。
三吉が通っている学校は、私人の経営から町の事業に移りかけているような時で、夏休というものもお福の学校の半分しかなかった。お福の学校では二月の余も休んだ。裏の畠の野菜も勢よく延びて、馬鈴薯の花なぞが盛んに白く咲く頃には、漸く三吉も暇のある身に成った。
三吉は新に妹が一人増えたことをめずらしく思った。読書の余暇には、彼も家のものの相手に成って、この妹を款待そうとした。お雪は写真の箱を持出した。
名倉の大きな家族の面影はこの箱の中に納められてあった。風通しの好い南向の部屋で、お雪姉妹は集って眺めた。養子して名倉の家を続いだ一番年長の姉、※〈[#「丸ナ」、屋号を示す記号、82-15]〉という店を持って分れて出た次の姉、こういう人達の写真も出て来る度に、お雪は妹と生家の噂をした。お福の下にまだ妹が二人あった。その写真も出て来た。姉達の子供を一緒に撮ったのもあった。この写真の中には、お雪が乳母と並んで撮った極く幼い時から、娘時代に肥った絶頂かと思われる頃まで、その時その時の変遷を見せるようなものがあった。中には、東京の学校に居る頃、友達と二人洋傘を持って写したもので、顔のところだけ掻挘って取ったのもあった。
三吉の方の写真も出て来た。お雪は妹に指して見せて、この帽子を横に冠ったのは三吉が東京へ出たばかりの時、その横に前垂を掛けているのが宗蔵、中央に腰掛けて帽子を冠っている少年が橋本の正太、これが達雄、これが実、後に襟巻をして立ったのが森彦などと話して聞かせた。
「どうです、この兄さんは可愛らしいでしょう」
と三吉もそこへ来て、自分がまだ少年の頃、郷里から出て来た幼友達と浅草の公園で撮ったという古い写真を出して、お福に見せた。
「まあ、これが兄さん?」とお福は眺めて、「これは可愛らしいが、何だか其方はコワいようねえ」
お雪も笑った。お福がコワいようだと言ったは、三吉の学校を卒業する頃の写真で、熟と物を視つめたような眼付に撮れていた。
お雪が持って来た写真の中には、女の友達ばかりでなく、男の知人から貰ったのも有った。名だけ三吉も聞いたことの有る人のもあり、全く知らない青年の面影もあった。
「勉さんねえ」
とお福は名倉の店に勤めている人のを幾枚か取出して眺めた。
「福ちゃん」
とお雪は妹を呼んだ。返事が無かった。お福はよく上り端の壁の側や物置部屋の風通しの好いところを択んで、独りで読書するという風であったが、何処にも姿が見えなかった。
「福ちゃん」
と復たお雪は呼んで探してみた。
南向の部屋の外は垣根に近い濡縁で、そこから別に囲われた畠の方が見える。深い桑の葉の蔭に成って、妹の居る処は分らなかったが、返事だけは聞える。
お雪は入口の庭から裏の方へ廻って、生い茂った桑畠の間を通って、莢豌豆の花の垂れたところへ出た。高い枯枝に纏い着いた蔓からは、青々とした莢が最早沢山に下っていた。
「福ちゃん、福ちゃんッて、探してるのに――そんなところに居たの」こうお雪が声を掛けた。
お福は畠の間から姉の方を見て、「今ね――一寸裏へ出て見たら、あんまり好く生ってるもんだから。すこし取って行って進げようと思って」
「そう……好く生ったことね」と言ってお雪も摘取りながら、「福ちゃん、此頃姉さんと約束したもの……あれを書いておくれナ。母親さんの許へ手紙を出すんだから――」
「姉さん、そんなに急がなくたって可いわ」
「だって、どうせ出す序だもの」
「それもそうね」と言ってお福は姉の傍へ寄った。
妹は自分で摘取った莢を姉の前垂の中へあけて、やがて畠を出て行った。お雪はそこに残っていた。
桑の葉を押分けて、復たお雪が入口の庭の方へ戻って行った頃は、未だ妹は引込んで書いていた。お雪は炉辺の食卓の上に豆の莢を置いて、一つずつその両端を摘切った。
お福は下書を持って静かな物置部屋の方から出て来た。
「姉さん、これで可くッて?」とお福は書いたものを姉に見せて言った。
「もうすこし丁寧にお書きな」とお雪が言った。
「だって、どう書いて好いか解らないんですもの」と妹は首を傾げて、娘らしい微笑を見せた。
お福は姉の勧めに従って、勉と結婚することを堅く約束する、それを楽みにして卒業の日を待つ、という意味を認めて、お雪に渡した。お雪は名倉の母へ宛てた手紙の中へこの妹に書かせたものを同封して送ることにした。
名倉の母からは、お福が行って世話に成るという手紙と一緒に、菓子の入った小包が届いた。遠く離れた母の手紙を読むことは、お雪に取って何よりの楽みであった。お雪はその返事を書いたのである。序に妹のことをも書き加えたのである。
お雪の許へ宛てて勉からは度々文通が有る。復たお雪は受取った。彼女は勉から来る手紙の置場所に困った。
ある日、三吉は勉からお雪へ宛てた手紙を他の郵便と一緒に受取った。
「勉さんからはよく手紙が来るネ」
こう三吉はお雪を呼んで言って、何気なくその手紙を妻の手に渡した。
どういう事柄が書かれてあるにもせよ、それを聞こうともしなかった程、三吉は人の心を頼んでいた。こういう文通の意味を略彼も想像しないではなかった。しかし、それに驚かされる年頃でもなかった。彼は、自分が種々なところを通り越して来たように、妻もまた種々なところを通り越して、そして嫁いて来たものと思っていた。お雪も最早二十二に成る。こうして種々な手紙が新しい家まで舞込んで来るのは、別に三吉には不思議でもなかった。唯、妻が自己の周囲を見過らないで、従順に働いてくれさえすればそれで可い、こう思った。彼には心を労しなければ成らないことが他に沢山有った。
畠の野菜にもそれぞれ手入をすべき時節であった。三吉は鍬を携えて、成長した葱などを見に行った。百姓の言葉でいう「サク」は最早何度かくれた。見廻る度に延びている葱の根元へは更に深く土を掛けて、それから馬鈴薯の手入を始めた。土を掘ってみると、可成大きな可愛らしいやつが幾個となく出て来た。
「ホウ、ホウ」
と三吉は喜んで眺めた。
裏の流で取れただけの馬鈴薯を洗って、三吉は台所の方へ持って行って見せた。お雪もめずらしそうに眺めた。新薯は塩茹にして、食卓の上に置かれた。家のものはその周囲に集って、自分達の手で造ったものを楽しそうに食ったり、茶を飲んだりした。
その晩、三吉はお福や書生を奥の部屋へ呼んで、骨牌の相手に成った。黄ばんだ洋燈の光は女王だの兵卒だのの像を面白そうに映して見せた。お福はよく勝つ方で、兄や若い書生には負けずに争った。お雪も暫時仲間入をしたが、やがてすこし頭が痛いと言って、その席を離れた。
炉辺の洋燈は寂しそうに照していた。何となくお雪は身体が倦くもあった。毎月あるべき筈のものも無かった。尤も、さ程気に留めてはいなかったので、炉辺で独り横に成ってみた。
奥の部屋では楽しい笑声が起った。一勝負済んだと見えた。復た骨牌が始まった。頭の軽い痛みも忘れた頃、お雪は食卓の上に巻紙を展げた。彼女は勉への返事を書いた。つい家のことに追われて、いそがしく日を送っている……この頃の御無沙汰も心よりする訳では無いと書いた。妹との結婚を承諾してくれて、自分も嬉しく思うと書いた。恋しき勉様へ……絶望の雪子より、と書いた。
この返事をお雪は翌日まで出さずに置いた。折を見て、封筒の宛名だけ認めて、肩に先方から指してよこした町名番地を書いた。表面だって交換わす手紙では無かったからで。お雪は封筒の裏に自分の名も書かずに置いた。箪笥の上にそれを置いたまま、妹を連れて、鉄道の踏切からずっとまだ向の崖下にある温泉へ入浴に行った。
ふと、この裏の白い手紙が三吉の目に着いた。不思議に思って、開けてみた。一度読んだ。気を沈着けて繰返してみた。彼は自分で抑えることもどうすることも出来ない力のままに動いた。知らないでいる間は格別、一度こういう物が眼に触れた以上は、事の真相を突留めずにいられなかったのである。つと箪笥の引出を開けてみた。針箱も探してみた。櫛箱の髢まで掻廻してみた。台所の方へも行ってみた。暗い入口の隅には、空いた炭俵の中へ紙屑を溜めるようにしてあった。三吉は裏口の柿の樹の下へその炭俵をあけた。隣の人に見られはせぬか、女連は最早帰りはせぬか、と周囲を見廻したり、震えたりした。
勉が手紙の片はその中から出て来た。その時、三吉はこの人の熱い情を読んだ。若々しい、心の好さそうな、そして気の利いた勉の人となりまでも略想像された。温泉に行った人達の帰りは近づいたらしく思われた。読んだ手紙は元の通りにして、妻が帰って来て見ても、ちゃんと箪笥の上に在るようにして置いた。
お雪とお福の二人は洋傘を持って入って来た。お雪は温泉場の前に展けた林檎畠、青々と続いた田、谷の向に見える村落、それから山々の眺望の好かったことなどを、妹と語り合って、復た洗濯物を取込むやら、夕飯の仕度に掛るやらした。
やがて家のものは食卓の周囲に集った。お雪は三吉と相対に坐って、楽しそうに笑いながら食った。彼女の眼は柔順と満足とで輝いていた。時々三吉は妻の顔を眺めたが、すこしも変った様子は無かった。三吉は平素のように食えなかった。
一夜眠らずに三吉は考えた。翌日に成ってみると、お雪や勉が交換した言葉で眼に触れただけのものは暗記じて了った程、彼の心は傷み易く成っていた。家を出て、夕方にボンヤリ帰って来た。
夫の好きな新しい野菜を料理して、帰りを待っていたお雪は、家のものを蒐めて夕飯にしようとした。土地で「雪割」と称えるは、莢豌豆のことで、その実の入った豆を豚の脂でいためて、それにお雪は塩を添えたものを別に夫の皿へつけた。彼女は夫の喜ぶ顔を見たいと思った。
「頂戴」
とお福や書生は食い始めた。三吉は悪い顔色をして、折角お雪が用意したものを味おうともしなかった。
「今日は碌に召上らないじゃ有りませんか……」
と言って、お雪は萎れた。
その晩、三吉は遅くまで机に対って、書籍を開けて見たが、彼が探そうと思うようなものは見当らなかった。復た夜通し考え続けた。名倉の母へ手紙でも書こうか、お雪の親しい友達に相談しようか、と思い迷った。
錯乱した頭脳は二晩ばかり眠らなかった為に、余計に疲れた。彼はお雪と勉の愛を心にあわれにも思った。ブラリと家を出て、復た日の暮れる頃まで彷徨いた三吉は、離縁という思想を持って帰って来た。もし出来ることなら、自分が改めて媒妁の労を執って、二人を添わせるように尽力しよう、こんなことまで考えて来た。
家出――漂泊――死――過去ったことは三吉の胸の中を往ったり来たりした。「自分は未だ若い――この世の中には自分の知らないことが沢山ある」この思想から、一度破って出た旧い家へ死すべき生命も捨てずに戻って来た。その時から彼はこの世の艱難を進んで嘗めようとした。艱難は直に来た。兄の入獄、家の破産、姉の病気、母の死……彼は知らなくても可いようなことばかり知った。一縷の望は新しい家にあった。そこで自分は自分だけの生涯を開こうと思った。東京を発つ時、稲垣が世帯持の話をして、「面白いのは百日ばかりの間ですよ」と言って聞かせたが、丁度その百日に成るか成らないかの頃、最早自分の家を壊そうとは三吉も思いがけなかった。
倒死するとも帰るなと堅く言ってよこしたという名倉の父の家へ、果してお雪が帰り得るであろうか。それすら疑問であった。お雪は既に入籍したものである。法律上の解釈は自分等の離縁を認めるであろうか。それも覚束なかった。三吉はある町に住む弁護士の智慧を借りようかとまで迷った。蚊屋の内へ入って考えた。夏の夜は短かかった。
三吉は家を出た。彼の足は往時自分の先生であったという学校の校長の住居の方へ向いた。古い屋敷風の門を入って、裏口へ廻ってみると、向の燕麦を植えた岡の上に立ってしきりと指図をしている人がある。その人が校長だ。先生は三吉を見つけて、岡を下りて来た。先生の家では学校の小使を使って可成大きな百姓ほど野菜を作っていた。
師はやがて昔の弟子を花畠に近い静かな書斎の方へ導いた。最早入歯をする程の年ではあったが、気象の壮んなことは壮年にも劣らなかった。長い立派な髯は余程白く成りかけていた。この阿爺さんとも言いたいような、親しげな人の顔を眺めて、三吉は意見を聞いてみようとした。他に相談すべき事柄では無いとも思ったが、この先生だけには簡単に話して、どう自分の離縁に就て考えるかを尋ねた。先生は三吉の為に媒妁の労を執ってくれた大島先生のそのまた先生でもある。
雅致のある書斎の壁には、先生が若い時の肖像と、一番最初の細君の肖像とが、額にして並べて掛けてあった。
「そんなことは駄目です」と先生は昔の弟子の話を聴取った後で言った。「我輩のことを考えてみ給え――我輩なぞは、君、三度も家内を貰った……最初の結婚……そういう若い時の記憶は、最早二度とは得られないね。どうしても一番最初に貰った家内が一番良いような気がするね。それを失うほど人間として不幸なことは無い。これはまあ極く正直な御話なんです……」
三吉は黙って先生の話を聞いていた。先生は往時戦争にまで出たことのある大きな手で、種々な手真似をして、
「君なぞも、もっと年をとってみ給え、必と我輩の言うことで思い当ることが有るから……我輩はソクラテスで感心してることが有る。ソクラテスの細君と言えば、君、有名な箸にも棒にも掛らないような女だ……それをジッと辛抱した……一生辛抱した……ナカナカあの真似はできないね……あそこが我輩はあの哲学者の高いところじゃないかと思うね」
先生の話は宗教家のような口調を帯びて来た。そして、種々なところへ飛んで、自分の述懐に成ったり、亜米利加時代の楽しい追想に成ったりする。
「亜米利加の婦人なぞは、そこへ行くと上手なものだ。以前に相愛の人でも、自分の夫に紹介して、奇麗に交際して行く―― 'He is my lover' なんて……それは君、サッパリしたものサ。日本の女もああいかんけりゃ面白くないね」
訪ねて来た客があったので、先生は他の話に移った。
「まあ、小泉さん、よく考えてご覧なさい」という言葉を聞いて、三吉は旧師の門を出た。一歩家の方へ踏出してみると復た堪え難い心に復った。三吉は自分の家の草屋根を見るのも苦しいような気がした。
家にはお雪が待っていた。何処までも夫を頼みにして、機嫌を損ねまいとしているような、若い妻の笑顔は、余計に三吉の心を苦めた。
燈火の点く頃まで、三吉は自分の部屋に倒れていた。
「オイ、手拭を絞って持って来てくれ」
こう夫から言付けられて、お雪は一度流許へ行って、戻って来た。あおのけに畳の上に倒れている夫の胸は浪打つように見えた。
「まあ、どうなすったんですか」
と言って、お雪は夫の胸の上へ冷い手拭を宛行った。
翌晩、三吉は机に対って紙を展げた。遅くまで書いた。書生は部屋の洋燈を消し、お福も寝床へ入りに行ったが、未だ三吉は書いていた。
「お雪、すこしお前に読んで聞かせるものが有る……俺が済むまで、お前も起きておいで」
こう妻を呼んで言った。お雪は炉辺で独り解き物をしていた。小さな夏の虫は何処から来るともなく洋燈の周囲に集った。
お雪が鳴らしていた鋏を休めた頃は、十二時近かった。お福や書生は最早前後も知らずに熟睡している頃であった。
「何ですか」
とお雪は不思議そうに夫の机の傍へ来た。
「こういうものを書いた、この手紙はお前にもよく聞いて貰わんけりゃ成らん」
と言って、三吉は洋燈を机の真中に置直した。彼は平気を装おうとしたが、その実周章て了ったという眼付をしていた。声も度を失って、読み始めるから震えた。とはいえ、彼はなるべく静かに、解り易く読もうとした。
お雪は耳を敧てた。
「甚だ唐突ながら一筆申上候……かねてより御噂さ、蔭乍ら承り居り候。さて、未だ御目にかからずとは申しながら腹蔵なく思うところを書き記し候。此手紙、決して悪しき心を持ちて申上ぐるには候わず。何卒々々心静かに御覧下されたく候……」
お雪は鋭く夫の顔を眺めて、復た耳を澄ました。
「実は、君より妻へ宛てたる御書面、また妻より君へ宛てたる手紙、不図したることより生の目に触れ、一方には君の御境遇をも審にし、一方には……妻の心情をも酌取りし次第に候……」
お雪は耳の根元までも紅く成った。まだ世帯慣れない手で顔を掩うようにして、机に倚凭りながら聞いた。
「斯く申す生こそは幾多の辛酸にも遭遇しいささか人の情を知り申し候……されば世にありふれたる卑しき行のように一概に君の涙を退くるものとのみ思召さば、そは未だ生を知らざるにて候……否……否……」
どうかすると三吉の声は沈み震えて、お雪によく聞取れないことがあった。
「斯く君の悲哀を汲み、お雪の心情をも察するに、添い遂げらるる縁とも思われねば、一旦は結びたる夫婦の契を解き、今迄を悲しき夢とあきらめ、せめては是世に君とお雪と及ばず乍ら自身媒妁の労を執って、改めて君に娶せんものと決心致し、昨夜、一昨夜、殆ど眠らずして其方法を考え申候……ここに一つの困難というは、君も知り給う名倉の父の気質に候。彼是を考うれば、生が苦心は水の泡にして、反って君の名を辱むる不幸の決果を来さんかとも危まれ候……」
暫時、部屋の内は寂として、声が無かった。
「ああ君と、お雪と、生と――三人の関係を決して軽きこととも思われず候。世間幾多の青年の中には、君と同じ境遇に苦む人も多からん。新しき家庭を作りて始めて結婚の生涯を履むものの中には、あるいは又生と同じ疑問に迷うものもあらん。斯ることを書き連ね、身の恥を忘れ、愚かしき悲嘆を包むの暇もなきは、ひとえに君とお雪とを救わんとの願に外ならず候。あわれむべきはお雪に候。君もし真にお雪を思うの厚き情もあらば、願わくは友として生に交らんことを許し給え……三人の新しき交際――これぞ生が君に書き送る願なれば。今後吾家庭の友として、喜んで君を迎えんと思い立ち候。思うに君は春秋に富まるるの身、生とても同じ。一旦の悲哀よりして互に終生を棄つるなく、他日手を執りて今日を追想し、胸襟を披いて相語るの折もあらば、これに過ぎたる幸はあらじと存じ候……」
この勉へ宛てた手紙を読んで了った時、三吉は何か事業でも済ましたように、深い溜息を吐いた。お雪は畳の上に突伏したまま、やや暫時の間は頭を揚げ得なかった。
「オイ、そんなことをしていたって仕様が無い。この手紙は皆なの寝てるうちに出して了おう」
と三吉は慰撫めるように言って、そこに泣倒れたお雪を助け起した。郵便函は共同の掘井戸近くに在った。三吉は妻を連れて、その手紙を出しながら一緒にそこいらを歩いて来ようと思った。
お福や書生の眼を覚ませまいとして、夫婦は盗むように家の内を歩いた。表の戸を開けてみると、屋外は昼間のように明るかった。燐のような月の光は敷居の直ぐ側まで射して来ていた。
裏の流は隣の竹藪のところで一度石の間を落ちて、三吉の家の方へ来て復た落ちている。水草を越して流れるほど勢の増した小川の岸に腰を曲めて、三吉は寝恍けた顔を洗った。そして、十一時頃に朝飯と昼飯とを一緒に済ました。彼は可恐しい夢から覚めたように、家の内を眺め廻した。
口では思うように言えないからと言って、お雪が手紙風に書いた物を夫の許へ持って来た頃は、書生も水泳に行って居なかった。お雪が三吉に見てくれというは、種々止むを得ない事情から心配を掛けて済まなかった、自分は最早どうでも可いというようなそんな量見で嫁いて来たものでは無い、自分は自分相応の希望を有って親の家を離れて来た、という意味が認めてある。猶、勉へ宛てて最後の断りの手紙を書いたから、それだけは許してくれ、としてある。
「なにも、俺は断れと言ってあんな手紙を書いたんじゃない。お前なんかそう取るからダメだ」と三吉は言ってみた。「福ちゃんの旦那さんに成ろうという人じゃないか……行く行くは吾儕の弟じゃないか……」
お雪は答えなかった。
冷しい風の来るところを択んで、お福は昼寝の夢を貪っていた。南向の部屋の柱に倚凭りながら、三吉はお雪から身上の話を聴取ろうと思った。夫婦は不思議な顔を合せた――今まで合せたことのない顔を合せた――結婚する前には、互に遠くの方でばかり眺めていたような顔を……
「勉さんとお前とはどういう関係に成っていたのかネ」三吉は何気なく言出した。
「どういうとは?」とお雪はすこし顔を紅めて。
「家の方でサ。そういうことはズンズン話して聞かせる方が可い」
その時、三吉は妻の口から、勉と彼女とは親が認めた間柄であること、夫婦約束を結ばせたではないが親達の間だけにそういう話のあったこと、店の番頭に邪魔するものが有って、あること無いこと言い触らして、その為に勉の方の話は破れたことなどを聞いた。
済んだことは済んだこと、こう妻は言い消して了おうとした。夫はそれでは済まされなかった。
寂しい心が三吉の胸の中に起って来た。その心は、女をいたわるということにかけて、自分もまた他の男に劣るものではないということを示させようとした。その日、三吉は種々と細君の機嫌を取った。機嫌を取りながら、悶えた。
間もなく勉から返事が来た。一通は三吉へ宛て、一通はお雪へ宛ててあった。お雪へ宛てては、「自分の為に君にまで迷惑を掛けて気の毒なことをした、君に咎むべきことは一つも無い、何卒自分にかわって君から詫をしてくれよ」という意味が書いてある。お雪はその手紙を読んで泣いた。
月を越えて、三吉の家では一人の珍客を迎えた。三吉は停車場まで行って、背の高い、胡麻塩の鬚の生えた、質素な服装をした老人を旅客の群の中に見つけた。この老人が名倉の父であった。
「まあ、阿父さん……」
とお雪も門に出て迎えた。
名倉の父は、二人の姉娘に養子して、今では最早余生を楽しく送る隠居である。強い烈しい気象、実際的な性質、正直な心――そういうものはこの老人の鋼鉄のような額に刻み付けてあった。一代の中に幾棟かの家を建て、大きな建築を起したという人だけあって、ありあまる精力は老いた体躯を静止さして置かなかった。愛する娘のお雪が、どういう壮年と一緒に、どういう家を持ったか、それを見ようとして、遙々遠いところを出掛けて来たのであった。
「先ずこれで安心しました」
と老人はホッと息を吐くように言った。
南向の部屋の柱には、新しい時計が懸った。そして音がし出した。若夫婦へ贈る為に、わざわざ老人が東京から買って提げて来たのである。これは母から、これは名倉の姉から、これは※〈[#「丸ナ」、屋号を示す記号、97-7]〉の姉から、と種々な土産物がそこへ取出された。
煤けた田舎風の屋の内を見て廻った後、老人は奥の庭の見える座敷に粗末な膳を控えた。お雪やお福のいそいそと立働くさまを眺めたり、水車の音を聞いたりしながら、手酌でちびりちびりやった。
「何卒もうすこしも関わずに置いて下さい。私はこの方が勝手なんで御座いますから」
と老人が言った。何がなくともお雪の手製のもので、この酒に酔うことを楽みにして来たことなどを話した。
三吉は炉辺へお雪を呼んで、
「何かもうすこし阿爺さんに御馳走する物はないかい」
「あれで沢山です」とお雪が言う。
「こんな田舎じゃ何物も進げるようなものが無い。罐詰でも買いにやろうか」
「宜う御座んすよ。それに、阿爺さんは後から何か持って行ったって、頂きやしません」
幼少の時父に別れた三吉は、こういう老人が訪ねて来たことを珍しく嬉しく思った。父というものは彼がよく知らないようなもので有った。三吉が何時までも亡くなった忠寛を畏れているように、お雪やお福は又、この老人を畏れた。
名倉の父は二週間ばかり逗留して、東京の学校の方へ帰るお福を送りながら、一緒に三吉の家を発って行った。この老人は橋本の姉や小泉の兄の方に無いようなものを後へ残して行った。そして、亡くなった忠寛が手本を残しておいた家の外に、全く別の技師が全く別の意匠で作った家もある、ということを三吉に思わせた。「こんな書籍を並べて置いたって、売ると成れば紙屑の値段だ」――こう言うほど商人気質の父ではあったが、しかし三吉はこの老人の豪健な気象を認めずにはいられなかった。
翌年の五月には、三吉夫婦はお房という女の児の親であった。書生は最早居なかった。手の無い家のことで、お雪は七夜の翌日から起きて、子供の襁褓を洗った。その年の初夏ほど、三吉も寂しい旅情を経験したことは無かった。奥の庭には古い林檎の樹があって、軒に近い枝からは可憐の花が垂下った。蜜蜂も来て楽しい羽の音をさせた。すべての物の象は、始めて家を持った当時の光景に復って来た。
「俺の家は旅舎だ――お前は旅舎の内儀さんだ」
「では、貴方は何ですか」
「俺か。俺はお前に食物をこしらえて貰ったり、着物を洗濯して貰ったりする旅の客サ」
「そんなことを言われると心細い」
「しかし、こうして三度々々御飯を頂いてるかと思うと、難有いような気もするネ」
こんな言葉を夫婦は交換した。
ヒョイヒョイヒョイヒョイと夕方から鳴出す蛙の声は余計に旅情をそそるように聞える。それを聞くと、三吉は堪え難いような目付をして、家の内を歩き廻った。
新婚の当時のことは未だ三吉の眼にあった。東京を発って自分の家の方へ向おうとする旅の途中――岡――躑躅――日の光の色――何もかも、これから新しい生涯に入ろうとするその希望で輝かないものは無かった。洋燈の影で書籍を読みながら聞いた未だ娘のような妻の呼吸――それも三吉の耳にあった。彼は女というものを知りたいと思うことが深かったかわりに、失望することも大きかったのである。
どうかすると、三吉は往時の漂泊時代の心に突然帰ることが有った。お雪が勝手をする間、子供を預けられて、それを抱きながら家の内を歩いている時、急に子も置き、妻も置いて、自分の家を出て了おうかしらん、こんな風に胸を突いて湧き上って来ることも有った。
「好い児だ――好い児だ――ねんねしな――」
眠たい子守歌をお房に歌ってやりながら三吉は自分の声に耳を澄ました。お雪はよく働いた。
裏の畠には、前の年に試みた野菜の外に茄子、黄瓜などを作り、垣根には南瓜の蔓を這わせた。ある夕方、三吉が竹箒を持って、家の門口を掃除したり、草むしりをしたりしていると、そこへ来て風呂敷包を背負った旅姿の人が立った。
橋本の大番頭、嘉助が行商の序に訪ねて来たのであった。毎年の例で、遠く越後路から廻って来たという。この番頭の日に焼けた額や、薬を入れた籠の荷物を上り端のところへ卸した様子は、いかに旅の苦痛に耐えて、それに又慣らされているかということを思わせる。嘉助は草鞋の紐を解いて上った。
「是方でも子供衆が出来さっせえて、御新造さんも手が有らっせまいで、寄るだけは寄れ、御厄介には成るな――こう姉様から言付かって来ました」と嘉助が言った。
「まあ、そんなことを言わなくても可い。是非泊って行って下さい、姉さんの家の話も種々伺いたい」
と三吉は引留めて、一年に一度ずつ宿をすることに定めていると言った。お雪も勝手の方から飛んで来た。
嘉助は橋本の家を出て最早足掛二月に成るという。この長い行商の旅は、ずっと以前から仕来ったことで、橋本の薬といえば三吉が住む町のあたりまで弘まっていた。燈火の点く頃から、お雪も嘉助の話を聞こうとして、子供を抱きながら夫の傍へ来た。
「女のお児さんかなし。子供衆の持薬には極く好いで、すこし置いていかず」
こう嘉助が言って、土産がわりに橋本の薬を取出した。
「貴方のところでもお嫁さんがいらしったそうで……」とお雪は正太の細君のことを言った。「豊世さんでしたね」と三吉も引取て、「吾家へも手紙を貰いましたが、なかなか達者に好く書いてありましたッけ」
「ええ、まあ、御蔭様で好いお嫁さんを見つけました。あれ位のお嫁さんは探したってそう沢山無い積りだ。大旦那始め皆な大悦びよなし……」
と言って、嘉助は禿頭を撫でた。正太が結婚について、いかに壮んな式を挙げたかということは、この番頭の話で略想像された。
「嘉助さんが褒める位だから、余程好いお嫁さんに相違ないぜ」
「正太さんも御仕合ですこと」
こんな言葉を、三吉夫婦は番頭の聞いていないところで交換した。
翌朝早く嘉助は別離を告げて発った。その朝露を踏んで出て行く甲斐々々しい後姿は、余計に寂しい思を三吉の胸に残した。
三吉は東京の方の空を眺めて、種々な友達から来る音信を待ち侘びる人と成った。学校がひける、門を出る、家へ帰ると先ず郵便のことを尋ねる。毎日顔を突合せている同僚の教師の外には、語るべき友も無かった。
お雪の友達にもと思って三吉が紹介した一人の婦人からは、結婚の報知が来た。三吉は又曾根からも山の上へ避暑に行こうと思うという手紙を受取った。
停車場の方で汽車の音がする。
山の上の空気を通して、その音は南向の障子に響いて来た。それは隅田川を往復する川蒸汽の音に彷彿で、どうかするとあの川岸に近い都会の空で聞くような気を起させる。よく聞けばやはり山の上の汽車だ。三吉はそれを家のものに言って、丁度離れた島に住む人が港へ入る船の報知でも聞くように、濡縁の外まで出て耳を立てた。新聞にせよ、手紙にせよ、新しい書籍の入った小包にせよ、何か一緒に置いて行くものはその音より外に無かった。三吉は曾根から来た手紙のことを胸に浮べた。最早山の上に来ているかしらん、とも思った。
曾根が一夏を送りたいと言って寄したは、三吉夫婦が住む町とは五里ばかり離れたところにある避暑地である。同じ山つづきの高原の上で、夏は人の集る場所である。
東京へ行った学生達はポツポツ帰省する頃のことであった。三吉の家へは、復たお福がやって来ていた。
丁度三吉も半日しか学校のない日で、外出する用意をして、炉辺で昼飯をやった。
「何処へ?」とお雪は給仕しながら尋ねてみた。
「曾根さんが来てるか行って見て来ようと思う」こう三吉は答えた。
「最早いらしったんでしょうか」とお雪は夫の顔を眺める。
「居るか居ないか解らんがね、まあ遊びがてら行って見て来る」
三吉が曾根を妻に紹介して、二人の女の間を結び付けようとしたのは、家庭の友として恥かしからぬ人と思ったからで。曾根は音楽に一生を托しているような婦人で、三吉が向いて行こうとする方面にも深く興味を有っていた。言わば、三吉には、自分を知ってくれる人の一人と思われた。この思想が彼を喜ばせた。
しかし、お雪はあまり喜ばないという風であった。三吉が曾根のことを言って、彼女の身内が悲惨な最期を遂げた時に、それを独りで仕末したという話をして、「どうして、お前なかなかシッカリモノだぜ」などと言って聞かせると、「その話を聞くのはこれで三度目です」とか何とかお雪の方では笑って、「最早沢山」という眼付をする。お雪は曾根を知ろうともしなかった。どうしてこう女同志は友達に成れないものかしらん、と三吉は嘆息することも有った。
三吉は妻の狭い考えを笑った。そして、男とか女とかということを離れて、もっと種々な人を知りたいと思った。
「何卒、御逢いでしたら宜敷」
こういう妻の言葉を聞捨てて、三吉は出て行った。暑い日であった。
曾根の宿を探しあぐんで、到頭三吉は分らず仕舞に自分の家の方へ引返した。ギラギラするような日光を通して見た避暑地の光景は、三吉の心を沈着かせなかった。彼は種々な物の象を眼に浮べながら帰って来た――ところどころに新築された別荘、赤く塗った窓、蕃牡丹畠……それから古い駅路の両側にある並木、その蔭を往来する避暑客、金色な髪の子供を連れて歩く乳母……
三吉は又、はじめて曾根を知った当時のことを想いながら帰って来る人であった。多勢若い男や女の居る部屋で、ふと曾根は三吉の傍へ来て、亡くなった友達のことを尋ねた。机の上には、短い曲の譜があった。「神の意のままに」という題で、男女の別離を歌ったものだった。メンデルソオンの曲だ。その一節を、曾根は極く小さい震えるような声で歌って聞かせた。音楽者の癖で、曾根が手の指は無心に洋琴の鍵盤に触れるように動いた。これはそう旧いことでも無かった。急に、三吉はこの人と親しみを増すように成った。十年一日のような男同士の交際とは違って、何故かこう友情を急がせるようなところもあった。
垣根に這わせた南瓜は最早盛んに咲く頃であった。その大きな黄色い花に添うて、三吉は往来の方から入って来た。家には珍しい客が待っていた。
「直樹さん――」思わず三吉は微笑んで言った。
「兄さんのお留守へやって参りました」と直樹も出て迎えた。
この中学生は、三吉が一緒に木曾路を旅した頃から比べると、見違えるほど成人していた。丁寧な口の利きようからして、いかにも都会に育った青年らしい。丁度この直樹位の年頃の生徒を毎日学校で相手にしている三吉には、余計にその相違が眼についた。直樹は父の許を得て、暑中休暇を三吉の家で送ろうとして来たのである。
日頃親身の弟のように思う人がこうして一緒に成ったということは、三吉を喜ばせたばかりでは無かった。「姉さん、姉さん」と呼ばれるお雪も心から喜んで、この青年を迎えた。退屈でいるお福も好い話相手を得た。遽かに三吉の家では賑かに成った。
翌日から、直樹は殆んど家の人であった。子供を可愛がることも、この青年の天性に近かった。お福は、娘でありながら、直樹のようには子供を好かなかった。
「房ちゃん、房ちゃん」と言って、子供を背中に乗せて、家の内を歩く直樹の様子を眺めると、三吉は昔時自分が直樹の家に書生した時代のことを思出さずにいられなかった。
「僕も、ああして、よく直樹さんを背負って歩いたものだ」
と三吉は妻に話した。直樹は生れ落ちるから、三吉の手に抱かれた人である。
「曾根さんが先刻訪ねていらっしゃいましたよ」とお雪は入口の庭のところで張物をしながら言った。
屋外から入って来た三吉は、妻の顔を眺めた。何時山の上へ着いたとも、何処へ宿を取ったとも、判然知らせて寄さないような曾根が、こうして自分等の家へ訪ねて来たということは、酷く三吉を驚かした。
「あの」とお雪は張物する手を留めて、「そこいらまで見物に被入しった序に御寄んなすったんですッて」
「お前も又、待たして置けば好いのに――折角来たものを」
「だって御上りなさらないんですもの。お連の方がお有んなさるからッて」
「へえ、誰か一緒に来たのかい」
「女の方が二人ばかり、流の処に蹲踞んでいらっしゃいました」
「姉さん」とお福は上り框のところに腰掛けながら、「あの連の方は必と耶蘇ですよ」
「どうして耶蘇ということが分るの」とお雪は妹の方を見た。
「衣服の風や束髪で分りますわ」とお福が言った。
「復た寄るとは言わなかったかい」と三吉は妻に尋ねた。
「ええ、被入っしゃりたいような様子でしたよ」とお雪は妙に力を入れて、「なんでも、停車場前の茶屋に寄っていらっしゃるんですッて」
「行って見て来るかナ」
こう三吉は言捨てて、停車場の方を指して急いだ。
茶屋には、曾根が二人の連と一緒に休んでいた。連の一人は曾根の身内にあたる婦人で、艶の無い束髪や窶々しいほど質素な服装などが早く夫に別れたらしい不幸な生涯を語っていた。今一人は肥え太った、口数のすくない女学生であった。いずれもすこし歩き疲れたという風で、時刻過ぎてからお腹をこしらえようとしていた。三吉は休茶屋にあるものを取寄せて、この人達をもてなした。
「何卒おかまい下さいますな。私共は持って参りました……」
と言って、年長の婦人は寂しそうに笑った。山歩きでもするように、宿から用意して来た握飯がそこへ取出された。肥った女学生は黙って食った。
やがて、三吉はこの人達を城跡の方へ案内した。桑畠の間を通って、鉄道の踏切を越すと、そこに大きな額の掛った門がある。四人は熱い日の映った赤土の崖に添うて、坂道を上った。高い松だの、アカシヤだのの蔭を落している石垣の側へ出た。
どうかすると、連の二人はズンズン先へ歩いて行って了った。曾根は深張の洋傘に日を避けながら、三吉と一緒に連の後を追った。
大きな石を積み上げた古い城跡には、可憐な薔薇の花などが咲乱れていた。荒廃した石段を上って、天主台のところへ出ると、長い傾斜の眺望が四人の眼前に展けた。
三吉はその傾斜の裾の方を指して見せて、林に続く村落の向にはある風景画家の住居もあることなどを語り聞かせた。曾根は眼を細くして、
「私もこうして人の知らない処へでも来ていたらばと思います」
と眺め入りながら沈み萎れた。
松林の間を通して、深い谷の一部も下瞰される。そこから、谷底を流れる千曲川も見える。
夕立を帯びた雲の群は山の方角を指して松林の上を急いだ。遽然ザアと降って来た。三吉は天主台近くにある茶屋の二階へ客を案内した。広い座敷へ上って、そこで茶だの菓物だのを取り寄せながら、一緒に降って来る雨を眺めた。廊下の欄から手の届くほど近いところには、合歓木や藤が暗く掩い冠さっていた。雫は葉を伝って流れた。
冷々とした空気は三吉が心の内部までも侵入って来た。どうかすると彼は、家の方を思出したような眼付をしながら、夏梨をむく曾根の手を眺めていた、曾根が連の寡婦は宗教の伝道に従事していることなどを三吉に語った。こういう薄命な、とはいえ独りで立って行こうとするほど意志の堅い婦人は、まだ外にも、曾根の周囲にあった。曾根は女の力で支えられたような家族の中に居て、又、女の力で支えられたような芸術に携っていた。時とすると、彼女の言うことは、岩の間を曲り折って出て来る水のように冷たかった。
間もなく夏の雨は通り過ぎた。三吉は客と一緒にこの眺望の好い二階を下りた。四人は高い石垣について、元来た城跡の道を歩いて行った。
雨がかかると鶯の象が顕れるように言い伝えられた大きな石の傍へ来掛る頃は、復た連の二人がサッサと歩き出した。二人の後姿は突出た石垣の蔭に成った。
曾根は草木の勢に堪え難いような眼付をして、
「山の上へ参りましたら病気も癒るだろう、海よりは山の方が好い――なんて懇意な医者に言われるもんですから、人様も憐んで連れて来て下すったんですけれど……やっぱり駄目です……」
独身でいる曾根の懊悩は、何とも名のつけようの無いもので有った。彼女は医者の言葉をすら頼めないという語気で話した。
「尤も、僅か一週間ばかりの故だとは言いますけれど……」と復た曾根は愁わしげに言った。
「貴方のはどういう病気なんですか」と三吉は尋ねて、歩きながら巻煙草に火を点けた。
「我の持病です」と曾根は答えた。
暫時二人は黙って歩いた。目映しい日の光は城跡の草の上に落ちていた。
「あんまり考え過ぎるんでしょう」
と三吉は嘲るように笑って、やがて連の人達に追付いた。
城門を出たところで、曾根は二人の婦人と一緒に世話に成った礼を述べた。鉄道草の生い茂った踏切のところを越して、岡の蔭へ出ると、砂まじりの道がある。そこで曾根は三吉に別れて、疲れた足を停車場の方へ運んだ。
「曾根さんも相変らずの調子だナア」
こう三吉は口の中で言ってみて、家を指して帰って行った。
お雪は屋外に出して置いた張物板を取込んでいた。そこへ夫が帰って来た。曾根のことは二人の話に上った。
「真実に、曾根さんはお若いんですねえ……」とお雪は乾いた張物を集めながら言った。
「女の年齢というものは分らんものサ」と三吉も入口の庭に立って、「俺は二十五六だろうと思うんだ」
「まさか。あんなにお若くって――二十二三位にしか見えないんですもの」
「独身でいるものは何時までもああサ」
「それに、あんなに派手にしていらっしゃるんですもの」
「そうさナア。あの人にはああいう物は似合わない」
「紫と白の荒い縞の帯なぞをしめて……あんな若い服装をして……」
「あの人のはツクルと不可。洒瀟とした平素の服装の方が可い。縮緬の三枚重かなんかで撮った写真を見たが、腰から下なぞは見られたものじゃなかった。なにしろ、ああいう気紛れな人だから、種々な服装をしてみるんだろうよ……ある婦人があの人を評した言葉が好い、他が右と言えば左、他が白いと言えば黒いッて言うような人だトサ」
「悧好そうな方ですねえ。私もああいう悧好な人に成ってみたい――一日でも可いから……ああ、ああ、私の気が利かないのは性分だ……私はその事ばかし考えているんですけれど……」
こう言って、お雪は萎れた。
直樹とお福とは部屋の方で無心に口笛を吹きかわしていた。
その晩、三吉は直樹やお福を集めて、冷しい風の来るところで話相手に成った。
「さあ、三人でかわりばんこに一ツずつ話そうじゃ有りませんか」と直樹が言出した。「私が話したらば、その次にお福さん、それから兄さん」
「それじゃ泥棒廻りだわ」とお福が混反す。
「そんなら、兄さんから貴方」
「私は出来ません。話すことが無いんですもの」
こう若い人達が楽しそうに言い争った。雑談は何時の間にか骨牌の遊に変った。
「姉さんもお入りなさいよ」と直樹はお雪の方を見て勧めるように言った。
「私は止します」とお雪は子供の傍で横に成る。
「何故?」と直樹はツマラなさそうに。
「今夜は何だか心地が悪いんですもの――」と言って、お雪は小さな手をシャブっている子供の顔を眺めた。
無邪気な学生時代を思わせるような笑声が起った。「ああ、ツライなあ、運が悪いなあ」などと戯れて、直樹が手に持った札を数える若々しい声を聞くと、何時もお雪は噴飯さずにいられないのであるが、その晩は一緒に遊ぼうともしなかった。急にお房は反返って、鼻を鳴らしたり、足で蹴ったりした。お雪は肥え太った子供の首のあたりへ線香の粉にしたのを付けた。お房は怒って、泣いた。乳房を咬えさせて、お雪は沈んで了った。
田舎の盆過に、復た曾根は三吉の家を訪ねた。その時は一人でやって来た。水車の音も都会の人にはめずらしかった。暫時彼女は家の門口に立って、垣根のところから南瓜の生り下ったような侘しい棲居のさまを眺めた。
お雪は裏の柿の樹の下へ洗濯物が乾いたかを見に出た。直樹は遊びに出て居なかった。
「曾根さん――」
とお雪は女の客を見つけて、直に家の内へ案内した。
寂しくている三吉も喜んで迎えた。曾根が一人で訪ねて来たということは、ある目に見えない混雑を三吉の家の内へ持来した。曾根は、戸の間隙からでも入って来て、何時の間にか三吉の前に坐っている人のようであった。
「お雪、鮨でも取りにやっておくれ。それから、お前も話しに来るが可い」と三吉は妻の居る処へ来て言った。
「私なんか……」とお雪はすねる。
「そう言うものじゃないよ。ああいう人の話も聞くものだよ」
こう言って置いて、三吉は客の方へ戻った。
庭に咲いた松葉牡丹、凌霄葉蘭などの花の見える奥の部屋で、三吉は大きな机の上へ煙草盆を載せた。音楽や文学の話が始まった。蜂と蟻と蜘蛛の生活に関する話なども出た。
「こういう田舎で御座いますから、何にも御構い申すことが出来ません」
とお雪は、子供を抱きながら、取寄せたものを持運んで来た。
「まあ、房ちゃんで御座いますか」
と曾根は可懐しげに言って、お雪の手から子供を借りて抱いてみた。膝の上に載せて、頬を推当てるようにもしてみた。お房は見慣れない他の叔母さんを恐れたか、声を揚げて泣叫ぶ。土産にと用意して来た翫具を曾根が取出して、それを見せても、聞入れない。お雪はこの光景を見ていたが、やがてお房を抱取って、炉辺の方へ行って了った。
暫時、曾根は耳を澄まして、お房の泣声を聞いていた。
「昨晩は――私は眠られませんでした」
と曾根が言って、避暑地の霧に悩まされていることなどを話出した。彼女は、何かこうシッカリと捉まる物でも無れば、自分の弱い体躯まで今に何処へか持って行かれて了うような眼付をした。
「日記といえば」と曾根は又思出したように、「私も日記をつけてみましたけれど……不平なようなことばかりで、面白くないものですから、大晦日の晩に焼いて了いました。そして、元日に遺言状を書きました。ああ狂……私のようなものが世の中に居るのは間違なんで御座いましょう……」
深く沍々とした彼女の黒瞳は自然と出て来る涙の為に輝いた。
その日、曾根は興奮した精神の状態にあった。どうかすると、悲哀の底から浮び上ったように笑って、男というものを嘲るような語気で話した。
お雪はこの仲間入に呼出されても、直に勝手の方へ行って、妹を相手に洗濯物を取込むやら、霧を吹いて畳むやらしていた。曾根が礼を述べて、別れて帰る時、お雪は炉辺で挨拶した。
「まあ、宜しいじゃ御座いませんか……もっと御緩なすったら奈何で御座います……」
と客を引留めるように言ったが、曾根は汽車の時間が来たからと断って、出た。三吉はお雪に言付けて、停車場まで見送らせることにした。
お雪が子供を背負いながら引返して来てみると、机の下に、「お雪さまへ、千代」とした土産が置いてあった。千代とは曾根の名だ。
「曾根さんは黙ってこういうことをして行く人だ」と三吉が笑った。
お雪はその紙に包んだ女持の帕子を眺めながら、「汽車が後れて、大分停車場で待ちましたよ――三十分の余も」
「何か話が出たかネ」と三吉は聞いてみた。
「曾根さんが私のことを、『大変貴方は顔色が悪い』なんて……」
何となく家の内はガランとして来た。三吉夫婦は互に顔も見合せずに、黙って食卓に対うことすら有った。
むずかしい顔付をして考え込んでばかりいるような夫の様子は、お雪の小さな胸を苦しめた。この機嫌の取りにくい夫の言うことは、又、彼女に合点の行かないことが多かった。夫はお房が可愛くて成らないという風で、「この児の頬は俺の母親さんに彷彿だ」などと言っているかと思えば、突然にお雪に向ってこんなことを言出す。
「房ちゃんは真実に俺の児かねえ」
「馬鹿な……自分の児でなくて、そんなら誰の児です」
こういう馬鹿らしい問答ほど、お雪の気を傷めることは無かった。
「一体、お前はどういう積りで俺の家へ嫁いて来た……」
「どういう積りなんて、そんな無理なことを……」
「いっそ俺は旅にでも出て了おうかしらん――どうかすると、そういう気が起って来て仕方ない」
「まあ、どうしてそんな気に成るんでしょうねえ」
お雪はもう呆れて了う。「他所から帰って来ると、自分の家ほど好い処は無いなんて、よく言うじゃ有りませんか――真実に、貴方は気が変り易いんですねえ」こうも並べてみる。お雪には、夫が戯れて言うとはどうしても思われなかった。それは、唯考えてみたばかりでも、彼女の心をムシャクシャさせた。
熱い日が射って来た。三吉の家では、前の年と同じように、鴨居から鴨居へ細引を渡した。お雪が生家から持って来たもので、この田舎では着る時の無いような着物が虫干する為に掛けられた。結婚の時に用いた夫の羽織袴、それから彼女の身に纏うた長襦袢の類まで、吹通る風の為に静かに動いた。小泉の兄の方から送った結納の印の帯なぞは、未だ一度も締たことが無くて、そっくり新しいまま眼前に垂下った。
「ああ、ああ、着物も何も要らなくなっちゃった」
と言って、お雪は深い溜息を吐いた。
子供は名倉の母から貰ったネルの単衣を着せて、そこに寐かしてあった。
「それ、うまうま」
とお雪は煩さそうに横に成って、添乳をしながら復た自分の着物を眺めた。
午睡から覚めた時の彼女は顔の半面と腰骨のあたりを射し入る光線に照らされていた。彼女はすこし逆上せたような眼付をして身を起した。額も光った。こういう癇癪の起きた時は、平常より余計に立働くのがお雪の癖で、虫干した物を片付けるやら、黙って拭掃除をするやらした。彼女は夫や客の為に食事の用意をして置いて、一緒に食おうともしなかった。裏の流の水草に寄る螢は、桑畠の間を通って、南向の部屋に近い垣根の外まで迷って来た。お雪は濡縁のところに立って、何の目的もなく空を眺めた。隣のおばさんは鎌を腰に差して畠の方から帰って来る。桑を背負った男もその後から会釈して通る……
「一筆しめし上げ※〈[#まいらせそろ、115-9]〉。さてとや暑さきびしく候ところ、皆様には奈何御暮しなされ候や。私よりも一向音信いたさず候えども、御許よりも御便り無之候故、日々御案じ申上げ候。御蔭さまにて当方は一同無事に日を送り居り候。御安心被下たく候。私こと、毎日々々そこここと手伝見舞にまいり、いそがしく、それに仕事の方も間に合せたくと存じ、それ着物の浸抜、それ洗張と、騒ぎにばかり日を暮し、未だ父上の道中着物ほどきもせずに居るような仕末に御座候。
――私よりの御無沙汰、右の次第にて、まことに申訳なく候えども、あまり御許よりも手紙なきゆえ、定めし子供を控え手もすくなく其日々々のことに追われ、暇なき身とは御察し申しながら、父上着なされ候てより未だ一通の手紙もまいらず、御許のことのみ気に懸り、心許なくぞんじ居り候。奈何いたし候や。あるいは御許の心変りしやとも考え、斯くては定めし夫に対しても礼義崩れ、我儘なることもなきやと、日々心痛いたし居り候。御許ばかりは左様の事なきかとは思い居り候えども、人間の我儘はいずれにもあることなれば、実に安心の成らぬものに御座候。それにしても、御許にかぎりて、左様なことは有るまじくと存じ居り候。何につけ善悪とも御便り下されたく候。
――お福も最早学校も間近に相成り候。長々の間、定めて御心を懸け下され候ことと、ありがたく、父上ともども喜び居り候。
――就いては、先日より何か送りたくと存じながら、彼や是やにひかされて今日まで延引いたし、誠に不本意に御座候。只今小包便にて、乾塩引少々、鰹節五本、豆せんべい、松風いずれも少々、前掛一枚、右の品々めずらしくも無い物に御座候えども、御送り申上候。乾塩引は素人の俄か干しに候間、何分身は砕け、うまみも無く候。されど今は斯の品ばかりの時節に候。尤も、斯の品にて小なる物一本四十五銭に御座候。送り物に直段書などは可笑しく候。
――御話もいろいろ有之候えども、今日は之にて御免を願い上げ候。福子へも宜敷御伝え下されたく候。先は、あらあら。
母より
雪子どの
末筆ながら旦那様へ宜敷御申訳くだされたく、御頼申上げ※〈[#まいらせそろ、116-14]〉。又、御近所へは何も進げる物なきゆえ、何卒々々よろしく御伝え下されたく候」
お雪はしばらく生家へも書かなかった。この母からの便りは彼女に種々なことを思わせた。お雪は、母の手紙を顔に押当てて、泣いた。
「どうしてそう家が面白くないんでしょうねえ」
こうお雪は夫の傍へ子供を抱いて来て、嘆息するように言った。奥の庭の土塀に近く、大きな李の樹があった。沢山密集って生った枝からは、紫色に熟した実がポタポタ落ちた。三吉は沈思を破られたという風で、子供の方を見て、
「なにも、俺は面白い家庭なぞを造ろうと思って掛ったんじゃない――初から、艱難な生活を送る積りだ」
「でもこの節は毎日々々考えてばかりいらっしゃるじゃ有りませんか」とお雪は恨めしそうに、「ああ、家を持ってこんな風に成ろうとは思わなかった」
「じゃ、こうだろう、お前のは平素芝居でも見られるような家へ行きたかったんだろう」
「そう解っちゃ困りますよ。芝居なんか見たか有りませんよ。直に貴方はそれだもの。なんでも私の為ることは気に入らない。第一、貴方は何事も私に話して聞かせて下さらないんですもの」
「こうして話してるじゃないか」と三吉は苦笑した。
「話してるなんて……」と言って、お雪は子供の顔を眺めて、「ああ、もっと悧好な女に生れて来れば好かった。私も……私も……この次に生れ変って来たら……」
「生れ変って来たら、どうする」
お雪は答えなかった。
「あんまり貴方も考え過ぎるんでしょう」
とお雪は冷かに微笑んで、「ちと曾根さんの方へでも遊びに行ってらしたらどうです」
「余計な御世話だ」と三吉は力を入れて言った。「お前は直に、曾根さん、曾根さんだ。それがどうした。お前のような狭い量見で社会の人と交際が出来るものか」こう彼は言おうとしたが、それを口には出さなかった。
「だって、こうして引籠んでばかりいらっしゃらないで、御出掛に成ったら可いでしょうに……」
「行こうと、行くまいと、俺の勝手じゃないか」
土塀の外の方では、近所の子供が集って李を落す音がした。
「房ちゃん」とお雪は子供を抱〆るようにして、「父さんに嫌われたから、彼方へ行きましょう」
力なげにお雪は夫の傍を離れた。三吉は、「妙なことを言うナア」と口の中で言ってみて、復た考え沈んだ。
暮れてから、三吉と直樹とは奥の部屋に洋燈を囲んで、一緒に読んだり話したりした。
急にお雪は嘔気を覚えた。縁側の方へ行って吐いた。
「姉さん、どうなすったんですか」
と直樹はお雪の側へ寄って、背中を撫でてやる。
「ナニ、何でもないんです」とお雪は暫時動かずにいた後で言った。「難有う――直樹さん、もう沢山です」
この嘔吐の音は直樹を驚かした。三吉は何か思い当ることが有るかして、すこし眉を顰めた。流許の方から塩水を造って持って来て、それを妻に宛行った。
その晩は、お雪はお福と一緒に蚊帳を釣って、平常より早くその内へ入った。蚊が居て煩いと言いながら、一度横に成った姉妹は蝋燭を点して、蚊帳の内を尋ね廻った。緑色に光る麻蚊帳を外から眺めながら、三吉と直樹の二人は遅くまで読んだ。
お雪は何時までも団扇の音をさせていたが、夫や直樹の休む頃に復た起きて、蚊帳の外で涼んだ。三吉も寝る仕度をして、子供の枕許を覗くと、お雪が見えない。
「何しているんだろうナア」
こう独語のように言って、三吉は探してみた。表の入口の戸が明いていた。隣近所でも最早寝たらしい。向の料理屋の二階だけは未だ賑かで、三味線の音だの、女の笑い声だのが風に送られて聞えて来る。瓦斯の燈はションボリとした柳の樹を照している。一歩三吉が屋外へ出てみると、暗い空には銀河が煙の様に白かった。
「お雪――」
と三吉が呼んだ。お雪は白い寝衣のままで、冷々とした夜気に打たれながら、彼方是方と歩いていたが、夫の声を聞きつけて引返して来た。
「オイ、風邪を引くといかんぜ」
と三吉は妻を家の内へ呼入れて、表の戸を閉めた。
急に、子供は身体が具合が悪かった。三吉の学校では暑中休暇も短いので、復た彼は弁当を提げて通う人であったが、帰って来てみると、家のものが皆なでお房の機嫌を取っていた。お房は母親から離れずに泣き続けた。
「まあ、どうしたんだろう、この児は」とお雪は持余している。
「智慧熱という奴かも知れんよ」と三吉も言ってみた。「橋本の薬をすこし服ませてみるが可い」
夫婦は他の事を忘れて、一緒にお房のことを心配した。子供の泣声ほど直接に三吉の頭脳へ響けて、苦痛を与えるものは無かった。あまりお房が泣止まないので、三吉は抱取って、庭の方へ行って見せるやら、でんでん太皷だの笛だのを取出して見せるやら、種々にして賺したが、どうしてもお房の気に入らなかった。
お房の発熱は、大人の病気と違って、さまざまなことを夫婦に考えさせた。その夜は二人とも、熱臭い子供の枕許に集って、一晩中寝ずにも看護をしようとした。やがてお房は熟睡した。熱もそうタイしたことでは無いらしかった。三吉はお房の寝顔を眺めていたが、そのうちに疲労が出て、眠くなった。
何時の間にか三吉は時と場所の区別も無いような世界の中に居た。そこには、唯恐しさがあった。無智な子供のような恐しさがあった……見ると病室だ。出たり入ったりしているのは医者らしい人達だ。寝台の上に横たわっている婦人は曾根だ。曾根は三吉に蒼ざめた手を出して見せて、自分の病気はここに在ると言う。人差指には小さい穴が二つ開いている。痛そうに血が浸染んでいる。医者が来て、その穴へU字形の針金を填めると、そんな酷いことをしてどうすると叫びながら、病人は子供のように泣いた……
三吉はすこし正気に復った。未だ彼は曾根の病床に附いていて、看護を怠らないような気がしていた……ふと眼が覚めた。気がついてみると、三吉は自分の細君の側に居た。
このお房の発熱は一晩若い親達を驚かしたばかりで、彼女は直に壮健そうな、好く笑う子供に復った。
朝晩は羽織を欲しいと思うように成ったのも、間もなくであった。暑中休暇を送りに来た人達もそろそろ帰仕度を始た。九月に入って、お福は東京の学校へ向けて発った。
直樹が別れて行く日も近づいた。浅間登山の連があって、この中学生も一行の中に加わって出掛けた。丁度三吉は午前だけ学校のある日で、課業を済まして門を出ると、曾根の宿を訪ねてみたく成った。折角知人が同じ山の上に来ている。この人の帰京も近づいたろう。病気はどうか。こう思った。彼の足は学校から直に停車場の方へ向いた。
上りの汽車が来た。
午後の一時過には、三吉は汽車の窓から浅間の方を眺めて、直樹のことを想像しながら行く人であった。濃い灰色の雲は山の麓の方まで垂下って来ていた。
高原の上はヒドい霧であった。殆んど雨のような霧であった。停車場から曾根の宿まで、道は可成有る。古い駅路に残った旅舎へ着いた時は、三吉が学校通いの夏服も酷く濡れた。
曾根が借りている部屋は、奥の方にある二階の一室で、そこには女ばかり三四人集っていた。孀暮しをしつけた人達は、田舎の旅舎へ来ても、淋しい男気のない様子に見えた。いずれも煙草一つ服まないような婦人の連で、例の曾根の親戚にあたるという人は見えなかったが、肥った女学生は居た。煙草好な三吉はヤリキレなくて、巻煙草を取出しながら独りで燻し始めた。
「あれ、煙草盆も進げなかった」
と曾根はサッパリした調子で言って、客の為に宿から取寄せて出した。女学生はかわるがわる茶を入れたり、菓物を階下から持運んだりした。歩いて来た故か、三吉ばかりは額から汗が出る。
曾根はつつましそうに、
「まあ、そんなに御暑いんですか。私は又、御寒いと思っていますのに」
こう言いながら、白い単衣の襟を掻合せた。彼女は顔色も蒼ざめていた。
何時の間にか連の人達は出て行った。窓の障子の明いたところからは、冷々とした霧が部屋の内まで入って来た。曾根の話は、三吉の家を訪ねた時のことから、草木の茂った城跡の感じの深かったことや、千曲川の眺望の悲しく思われたことなどに移った。三吉は曾根の身体のことを尋ねてみた。
「別に変りましたことも御座いません」と曾根は悩ましそうに、「山を下りましたら、海辺へ参ってみようかと思います」
こう言って、それから海と山の比較などを始める。「たしか、小泉さんは山が御好なんで御座いましたねえ」とも言った。
三吉はすこし煩さそうに、
「医者は何と言うんですか、貴方の御病気を」
「医者? 医者の言うことなぞがどうして宛に成りましょう。女の病気とさえ言えば、直ぐ歇私的里……」
曾根の癖として、何時でも自身の解剖に落ちて行く。彼女はそこまで話を持って行かなければ承知しなかった。
「私の友達で一緒に音楽を始めました人も、そう申すんで御座いますよ――私ほど気心の解らない者は無い、こうして十年も交際っているのにッて」曾根は自分で自分を嘲るように言った。
三吉も冷やかに、「貴方のは――誰もこう同情を寄せることの出来ないような人なんでしょう」
「では、私を御知りなさらないんだ」と言って、曾根は寂しそうに笑って、「昨晩は悲しい夢を見ましたんで御座いますよ……」
三吉は曾根のションボリとした様子を眺めた。
「私は死んだ夢を見ました……」
こう言って、曾根は震えた。暫時二人は無言でいた。
「ああ……私は東京の方へ帰るという気分に成りません。東京へ帰るのは、真実に厭で……」曾根は嘆息するように言出した。
「してみると、貴方も孤独な人ですかネ」と言って、復た三吉は巻煙草を燻した。窓の外は陰気な霧に包まれたり、時とすると薄日が幽かに射したりした。
旅情を慰める為に、曾根が東京から持って来た書籍は机の上に置いてあった。それを曾根は取出した。旅に来ては客をもてなす物も無かったのである。その曾根が東京の友達から借りて来たと言って、出して見せたような書籍は、以前三吉も読み耽ったもので、そういう書籍の中にあるような思想に長いこと彼も生活していた。この山の上へ移ってから、次第に彼の心は曾根の愛読するような書籍から離れた。折角の厚意と思って、三吉はその書籍を手に取って見た。しかし、彼は別の話に移ろうとした。こうして彼が曾根の宿へ訪ねて来たのは、他でもなかった。彼は平素曾根の口から聞く冷い刺すような言葉を聞きたくて来たのである。自分の馬鹿らしさを嘲られたくて来たのである。
意外にも、その日の曾根は涙ぐんでいるような人であった。何となく平素よりは萎れていた。
「小泉さん、ここへ被入しって御覧なさい――まあ、ここまで被入しって御覧なさい」
曾根は窓に近い机の側へ行って、そこに客の席を作ろうとしたが、三吉は辞退した。
「ここで沢山です」と三吉は答えて、新しい巻煙草に火を点けた。
柱には、日蔭干にした草花の束が掛けてあった。曾根は壁のところに立って、眼を細くしてその花束を嗅いで見せた。親しいようでも、何処か三吉には打解けないところが有るので、やがて曾根も手持無沙汰に元の席へ戻った。彼女は、二度まで三吉の家を訪ねて世話に成ったことを考えて、何卒して客をもてなしたいという風で有った。林檎などをむいて勧めた。二人の雑談は音楽のことから、ある外国から来ている音楽者の上に移った。
「先生がこう申しますんです」と曾根はその年老いた音楽者のことを言った。「曾根さん、貴方は宗教を信じなければいけません、宗教を信じなければ死んだ後で復た御互に逢うことが出来ませんからッて――死んで極楽へ行く積りも御座いませんけれど、逢えませんでは心細う御座ますねえ……」
間もなく汽車の時間が来た。三吉は宿の主人に頼んで、車を用意して貰うことにした。
「今日は学校から直に汽車に乗ってやって来ました」と三吉が言った。
「御宅へ黙って出ていらしったんでしょう……」と曾根も気の毒そうに苦笑した。
「何卒、御帰りでしたら、奥さんに宜敷……」
家の方のことは妙に三吉の気に掛って来た。それを言出した時ほど、彼も平気を装おうとしたことは無かった。三吉は曾根に別れを告げて、復た霧の中を停車場の方へと急いだ。
日暮に近い頃、三吉は自分の住む町へ入った。家の草屋根が見える辺まで行くと、妙に彼の足は躊躇した。平素とは違って、わざわざ彼は共同の井戸のある方へ廻道して、日頃懇意な家の軒先に立った。別に用事も無いのに、しばらくそこで近所の人と立話をした。その日の空模様では浅間登山の連中もさぞ困るであろうなどと話し合った。ちらちら燈火の点く頃に、三吉はブラリと自分の家へ帰った。
こんな風に、断なしで外出した例は三吉に無いことであった。直樹は山の上で一夜を明す積りで出掛けたので、無論夕飯には帰らず、夫婦ぎりで互に黙ったまま食卓に対って食った。妻の気を悪くした顔付を見ると、三吉は話して差支の無いことまで話せなかった。
夕飯の後、お雪は尋ねた。
「曾根さんは未だ居らっしゃいましたか」
この問には、三吉は酷く狼狽したという様子をして、咽喉へ干乾び付いたような声を出して、
「私が知るものかね、そんなことを」
と思わず知らずトボケ顔に答えた。三吉はウソを吐かずにはいられなかった。そのウソだということを自分で聞いても隠されないような気がした。
その晩、夫婦の取換した言葉は唯これぎりであった。物を言わないは言うよりか、どれ程苦痛であるか知れなかった。直樹は居ず、三吉は独りで奥の蚊帳の内に横に成りながら、自分で自分の為ることを考えてみた。気味の悪い蚊帳は髪に触って、碌に眠られもしなかった。
十二時過ぎた頃、お雪は寝衣のままで、別の蚊帳の内に起直って、
「御休みですか」
と声を掛ける。三吉の方では返事もせずに、沈まり返っていた。お雪の啜泣の声が聞えた。
「貴方、御休みですか」
と復た呼ぶので、三吉は眠いところを起されたかのように、
「何か用が有るかい」
「何卒、私に御暇を頂かせて下さい」
お雪は寝床の上に倒れて、声を放って哭いた。
「明日にしてくれ……そんなことは明日にしてくれ……」
こう三吉はさも草臥れているらしく答えて、それぎり黙って了った。身動きもせずにいると、自分で自分の呼吸を聞くことが出来る。彼は寝床の上に震えながら、熟と寝た振をしていた。そして耳を澄ました。お雪は泣きながら蚊帳の外へ出て、そこいらを歩く音をさせた。畳がミシリミシリ言う。箪笥が鳴る。三吉は最早疑心に捕えられて了って、その物音を恐れた。そのうちに、蚊帳の内に寝かしてあった子供が泣出した。三吉は子供の傍の方で妻の歔泣の音を聞くまでは安心しなかった。
浅間登山の一行は翌日の午前に成って帰って来た。直樹は好きな高山植物などを入口の庭に置いて草鞋の紐を解いた。
「兄さんにチョッキを借りて行って、好い事をしました――寒くて震えましたよ」
こう直樹は三吉の顔を眺めて言った。山登りをした制服も濡れ萎れて見えた。この中学生は払暁に噴火口を見て、疲れた足を引摺りながら降りて来た。
直樹を休ませて置いて、三吉は何処へという目的もなく屋外へ歩きに行った。お雪の言ったことに対しても、何とか彼は答えなければ成らなかった。
午後に成って、三吉はスタスタ歩いて帰って来た。彼は倚凭って眺め入っていた田圃の側だの、藉いていた草だの、それから岡を過る旅人の群などを胸に浮べながら帰って来た。家へ戻ってみると、直樹は疲労を忘れる為に湯に行った留守で、お雪は又、子供を背負いながら働いていた。彼女は、「お暇を頂かせて下さい」と言出したに似合わず、それ程避けたい生活を送っている人とも見えなかった。三吉は自分の部屋へ行った。机の上に紙を展げた。
曾根――旅舎の二階の壁のところに立って、花束を嗅いで見せた曾根の蒼ざめた頬は、未だ三吉の眼にあった。「吾儕は友達ではないか――どこまでも友達ではないか――互に多くの物に失望して来た仲間同志ではないか」この思想は、三吉に取って、見失うことの出来ないものであった。
ここから三吉は曾根へ宛てて最後の別離の手紙を書いた。「――あるいは、これを好しとみ給うの日もあるべきかと存じ候」と書いた。
この長く御無沙汰するという手紙を、三吉はお雪を呼んで見せた。それから、彼はすこし改まったような、決心の籠った調子で、こう言出した。
「お断り申して置きますが、僕の家は解散して了いますから」
「ええ……どうでも貴方の御好きなように……私は生家へは帰りませんから」
とお雪は恨めしそうに答えた。
何故夫が曾根への手紙を見せて、同時に家を解散すると言出したかは、彼女によく汲取れなかった。で、その手紙のことに就いては、「そんなことを為さらないたッても可いでしょうに……」と言ってみた。
その時、お雪は不思議そうに夫の顔を熟視って、「誰も暇が貰いたくて、下さいと言うものは有りゃしません」と眼で言わせていた。復た彼女は台所の方へ行って働いた。
湯から帰って来た直樹は、縁側に出て、奥の庭を眺めた。庭の片隅には、浅間から採って来た植物が大事そうに置いてあった。それを直樹は登山の記念として、東京への好い土産だと思っている。
この温和な青年の顔を眺めると、三吉は思うことを言いかねて、何度かそれを切出そうとして、反って自分の無法な思想を笑われるような気がした。
「直樹さん、すこし僕も感じたことが有って、吾家は解散して了おうかと思います」と三吉は話の序に言出した。
直樹は答えなかった。そして、深い溜息を吐いた。常識と同情とに富んだこの青年の柔嫩な眼は自然と涙を湛えた。
「君はどう思うか知らんが」と三吉は言淀んで、「どういうものか家がウマくいかない……僕の考えでは、お雪は生家へ帰した方が可いかと思うんです」
「しかし、兄さん」と直樹は涙ぐんだ眼をしばたたいて、「それでは姉さんが可哀想です。もし、そんなことにでも成れば、一番可哀想なのは房ちゃんじゃ有りませんか」
「房は可哀想サ」と三吉も言った。
長いこと二人は悄然として、言葉もかわさずに庭を眺めていた。
お雪は食事の用意が出来たことを告げに来た。それを聞いて、直樹は起ちがけに、三吉に向って、
「ああ――私のように弱い者は、今のような御話を聞くと、最早何事も手に付ません。私は実に涙もろくて困ります――」
「まあ、行って飯でもやりましょう」と三吉も立上った。
「兄さん、兄さん、真実に考え直してみて下さい」
こう言って、直樹は三吉の後を追った。
直樹は三吉夫婦と一緒に食卓に対っても、絶間がなく涙が流れるという風であった。その晩は三人とも早く臥床に就いたが、互におちおち眠られなかった。直樹は三吉と枕を並べてしくしくやりだす。お雪もその同情に誘われて、子供に添乳をしながら泣いた。この二人の暗いところで流す涙を、三吉は黙って、遅くまで聞いた。
頑固な三吉が家を解散すると言出すまでには、離縁の手続、妻を引渡す方法、媒妁人に言って聞かせる理由、お雪の荷物の取片付、それから家を壊した後の生活のことまでも想像してみたので、一度それを口にしたら、容易に譲ることの出来ないという彼の心も、いくらか和げられたような日が来た。「君の志は有難い――まあ、僕もよく考えてみよう」こう三吉は直樹に言って、それから復た学校の方へ出掛けたが、帰って来てみると、曾根からの葉書が舞込んでいた。彼女も避暑地を発つ、奥様へ宜敷、房子様へも宜敷、と認めてあった。三吉から出した手紙は東京へ宛てたので、未だ曾根は知る筈がない。そんな手紙が待つとは知らずに、彼女は帰京を急ぐのであった。
到頭、三吉も譲歩した。家の解散も見合せることにしたと言出した。それを聞いて、お雪はホッと息を吐いた。直樹も漸く安心したという顔付で、三吉が自分の意見を容れたことを喜んだ。
「姉さん、浅間の話でもしましょう」
と直樹は勇ましそうに笑ながら言った。その時に成って、三吉も登山の話をする気に成った。「一度行かない馬鹿、二度行く馬鹿」と土地の人のよく言うことなどを持出した。そして、世帯を持つからその日までのことを考えてみて、今更のように家の内を歩いてみた。
直樹の出発はそれから間もなくで有った。この青年が中学の制服を着けて、例の浅間土産を手に提げて、名残惜しそうに別れを告げて行く朝は、三吉も学校通いの風呂敷包を小脇に擁えながら、一緒に家を出た。
「直樹さん。左様なら」
とお雪は子供を抱いて、門口のところまで出て見送った。
停車場で直樹に別れた三吉は、直ぐその足で軌路の側を通って、学校へ廻った。日課を終った後、三吉は家の方へ帰ろうとして、復た鉄道の踏切を越した。その時は城門の前を横に切れて、線路番人の番小屋のある桑畠のところへ出た。番人は緑色の旗を示しながら立っていた。暫時三吉も佇立んで眺めた。轟然とした地響と一緒に、午後の上り汽車は三吉の前を通過ぎた。
「直樹さんも行って了った。曾根さんも行って了った」
こう三吉は思いやった。
ぼっぼっと汽車が置いて行った煙は、一団ずつ桑畠の間を這って、風の為に消えた。停車場の方で、白い蒸気を噴出す機関車、馳けて歩く駅夫、乗ったり降りたりする旅客の光景などは、その踏切のところから望むことが出来る。やがて盛んな汽笛が起った。
「直樹さん、左様なら」
と三吉は朝一番で発った人のことを思出して、もう一度別れを告げるように口の中で言ってみた。汽車は出て行った。三吉は山の上に残った。
一年経った。三吉は沈んで考えてばかりいる人ではなかった。彼の心は事業の方へ向いた。その自分の気質に適した努力の中に、何物を以ても満すことの出来ない心の空虚を充そうとしていた。
彼が探していた質実な生活は彼の周囲に在った。先ず彼は眼を開いて、この荒寥とした山の上を眺めようとした。そして、その中にある種々な物の意味を自分に学ぼうとしていた。
お雪も最早家を持ってから足掛三年に成る。次第に子供も大きく成った。家には十五ばかりに成る百姓の娘も雇入れてあった。年寄の居ない三吉の家では、夫婦して子供を育てるということすら容易でなかった。
丁度三吉は学校の用向を帯びて出京した留守で、家では皆な主人の帰りを待侘びていた。
「今晩は」
こう声を掛けて、近所の娘達が入って来た。この娘達は、夕飯の終る頃から手習の草紙を抱えて、お雪のところへ通って来るように成ったのである。
「何卒、お上んなさいまし」とお雪は入口の庭の方へ子供を向けて、自分も一緒に蹲踞みながら言った。
「まあ、房ちゃんの肥っていなさること」と娘の一人が言った。
他の娘も笑いながら、「房ちゃん、シイコが出ますかネ」
お房は半分眠っていた。お雪は子供の両足を持添えて、「シ――」とさせて、やがて自分の部屋の方へ連れて行った。
子供の寝床は敷いてあった。お雪が寝衣を着更えさせていると、そこへ下婢は線香の粉にしたのを紙に包んで持って来た。お房は股擦がして、それが傷そうに爛れている。お雪は線香の粉をなすって、襁褓を宛てて、それから人形でも縛るようにお房の足を縛った。
お雪が横に成って子供を寝かしつけている間に、近所の娘達は洋燈の周囲へ集った。下婢も台所を片付けて来て、手習の仲間入をさして貰った。ともかくもこの娘は尋常科だけ卒業したと言って、その前に雇った下女のように、仮名の「か」の字を右の点から書き始めたり、「す」の字を結だけ書き足すようなことはしなかった。
しかし、この下婢は性来読書が嫌いと見えて、どんなに他の娘達が優美な文字を書習おうとして骨折っていても、それを羨ましいとも思わなかった。お雪が起きて来て、ヨモヤマの話を始める頃には、下婢も黙って引込んでいない。無智な彼女はまたそれを得意にして、他の娘達よりも喋舌った。
お房を背負って町へ遊びに行った時、ある人がこんなことを言ったと言って、それを下婢が話し出した。
「教師の赤にしては忌々しいほどミットモねえなあ――赤もフクレてるし、子守もフクレてるし、よく似合ってらあ」
お雪も他の娘も笑わずにいられなかった。
「明日はこちらの叔父さんも御帰りに成りやしょう」
と娘の一人が言った。お雪はこの娘達を相手にして、旅にある夫の噂をした。
東京から三吉は種々な話を持って帰って来た。旅に出て帰って来る時ほど、彼も家を思い妻子を思うことはなかった。
「房ちゃん、御土産が有るぜ」
と三吉は旅の鞄をそこへ取出した。
「父さんが御土産を下さるッて。何でしょうね」とお雪は子供に言って聞かせて、鞄の紐を解きかけた。「まあ、この鞄の重いこと。父さんの荷物は何時でも書籍ばかりだ」
下婢は茶を運んで来た。三吉は乾いた咽喉を霑して、東京にある小泉の家の変化を語り始めた。兄の実が計画していた事業は驚くべき失敗に終ったこと、更に多くの負債を残したこと、銀行の取引が停止されたこと、これに連関して大将の家まで破産の悲運に陥りかけたこと、それから実の家ではある町中の路地のような処へ立退いたことなどを話した。
「姉さんの姉さんで、ホラ、お杉さんという人が有ったろう。あの人も兄貴の家で亡くなった」と三吉は附添した。
「宗さんはどうなさいました」とお雪が聞いた。
「宗さんか。あの人は世話してくれるところが有って、そっちの方へ預けてある。今度は俺は逢わなかった。見舞として菓子だけ置いて来た――なにしろ、お前、兄貴の家では非常な変り方サ。でも兄貴は平気なものだ」
「姉さんも御心配でしょうねえ」
こう夫婦が話し合っていると、お房はそこへ来て茶を飲みたいと迫る。母が飲ませてやると言えば、それでは聞入れなかった。なんでもお房は自分で茶椀を持って飲まなければ承知しなかった。終には泣いて威した。
「未だ独りで飲めもしないくせに」
と言って、お雪が渡すと、子供は茶椀の中へ鼻も口も入れて飲もうとした。皆なコボして了った。
「それ、御覧なさいな」とお雪は帕子を取出した。
「ア――舌打してらあ。あれでも飲んだ積りだ」と三吉が笑う。
「この節は何でも母さんの真似ばかりしてるんですよ。母さんが寝れば寝る真似をするし、お櫃を出せば御飯をつける真似をするし――」
「どれ、父さんが一つ抱ッこしてみてやろう――重くなったかナ」と三吉は子供を膝の上に載せてみた。
お房の笑顔には、親より外に見せないような可憐さがあった。
「兄貴の家を見たら、俺もウカウカしてはいられなく成って来た」
こう三吉が言って、子供をお雪の手に渡した。
「房ちゃん」と下婢はそこへ来て笑いながら言った。「父さんに股眼鏡してお見せなさい」
「止せ、そんな馬鹿な真似を」
と三吉が言ったが、お房は母の手を離れて、「バア」と言いながら後向に股の下から母の顔を覗いた。
「隣の叔母さんが、房ちゃんの股眼鏡するのは復た直に赤さんの御出来なさる証拠だッて」
こう下婢が何の気なしに言った。三吉夫婦は思わず顔を見合せた。
夫婦は眠い盛りであった。殊に三吉が旅から帰って来てからは、下婢まで遅く起きるように成った。どうかすると三吉の学校へ出掛けるまでに、朝飯の仕度の間に合わないことも有った。
朝の光が薄白く射して来た。戸の透間も明るく成った。一番早く眼を覚すものは子供で、まだ母親が知らずに眠っている間に、最早床の中から這出した。
子供は寝衣のままで母の枕頭に遊んでいた。お雪は半分眠りながら、
「ちょッ。風邪を引くじゃないか」
と叱るように言って、無理に子供を床の中へ引入れた。お房は起きたがって母に抱かれながら悶き暴れた。
水車小屋の方では鶏が鳴いた。洋燈は細目に暗く赤く点っていた。お雪は頭を持上げて、炉辺に寝ている下婢を呼起そうとした。幾度も続けざまに呼んだが、返事が無い。
「ああああ、驚いちまった」
お雪は嘆息した。この呼声に、下婢が眼を覚まさないで、子供が泣出した。
「ハイ」
と下婢は呼ばれもしない頃に返事をして、起きて寝道具を畳んだ。下婢が台所の戸を開ける頃は、早起の隣家の叔母さんは裏庭を奇麗に掃いて、黄色い落葉の交った芥を竹藪の方へ捨てに行くところであった。
「どんなにお前を呼んだか知れやしない……いくら呼んだって、返事もしない」
こうお雪が起きて来て言った。
暗い、噎せるような煙は煤けた台所の壁から高い草屋根の裏を這って、炉辺の方へ遠慮なく侵入して行った。家の内は一時この煙で充たされた。未だ三吉は寝床の上に死んだように成っていた。
「最早、起きて下さい」
とお雪が呼起した。三吉は眠がって、いくら寝ても寝足りないという風である。勤務の時間が近づいたと聞いて、彼は蒲団を引剥がすように妻に言付けた。
「宜う御座んすか。真実に剥がしますよ――」
お雪は笑った。
漸く正気に返った三吉は、急いで出掛ける仕度をした。その日、彼は学校の方に居て、下婢が持って来た電報を受取った。差出人は東京の実で、直に金を送れとしてある。しかも田舎教師の三吉としてはすくなからぬ高である。前触も何もなく突然こういうものを手にしたということは、三吉を驚かした。
兄弟とは言いながら、殆んど命令的に金の無心をして寄した電報の意味を考えつつ三吉は家へ帰った。委しいことの分らないだけ、東京の家の方が気遣わしくもある。とにかく、兄の方で、よくよく困った場合ででもなければ、こんな請求の仕方も為まいと想像された。そして、小泉の一族の上に、何となく暗い雲を翹望けるような気がした。
三吉は断りかねた。と言って、余裕のあるべき彼の境涯でも無かった。お雪もそれを気の毒に思って、万一の急に備えるようにと名倉の父から言われて貰って来た大事の金を送ることに同意した。三吉は電報為替を出しに行った。
夫は出て行った。お雪は子供の傍に横に成った。次第に発育して行くお房は、離れがたいほどの愛らしい者と成ると同時に、すこしも母親を休息させなかった。子供を育てるということは、お雪に取って、めずらしい最初の経験である。しかし、泣きたい程の骨折ででもある。そればかりではない、気の荒い山家育ちの下婢を相手にして、こうして不自由な田舎に暮すことは、どうかすると彼女の生活を単調なものにして見せた。
「ああああ――毎日々々、同じことをして――」
こうお雪は嘆いて、力なさそうに溜息を泄した。暫時、彼女は畳の上に俯臥に成っていた。復たお房は泣出した。
「それ、うまうま」
と子供に乳房を咬えさせたが、乳は最早出なかった。お房は怒って、容易に泣止まなかった。
炉に掛けた鉄瓶の湯はクラクラ沸立っていた。郵便局まで出掛た三吉は用を達して戻って来て、炉辺で一服やりながら、一雨ごとに秋らしく成る山々、蟋蟀などの啼出した田圃側、それから柴車だの草刈男だのの通る淋しい林の中などを思出していた。お雪は子供を下婢に背負せて置いて、夫の傍へ来た。
「房ちゃん、螽捕りに行きましょう」
と言って、下婢は出て行った。
夫婦は、質素な田舎の風習に慣れて、漬物で茶を飲みながら話した。めずらしくお雪は煙草を燻した。
「何だってそんなに人の顔をジロジロ見るんです」とお雪が笑った。
「でも、煙草なぞをやり出したからサ」こう答えて、三吉もスパスパやった。
「どういうものか、私は普通の身体でなくなると、煙草が燻したくって仕様が有りません」
「してみると、いよいよ本物かナ」
三吉は笑い事では無いと思った。今からこんなに子供が出来て、この上殖えたらどうしようと思った。
それから四五日経って、三吉は兄の実から手紙を受取った。その中には、確かに送ってくれた金を受取ったとして、電報で驚かしたことを気の毒に思うと書いてあったが、家の事情は何一つ知らして寄さなかった。唯、負債ほど苦しい恐しいものは無い、借金する勿れ、という意味が極く簡単に言ってあった。
十一月に入って、復た実は電報を打って寄した。そうそうは三吉も届かないと思った。しかし、弟として、出来得るかぎりの力は尽さなければ成らないような気がした。せめて全額でないまでも、送金しようと思った。その為に、三吉は三月ばかり掛って漸く書き終った草稿を売ることにした。
「オイ、子供が酷く泣いてるぜ。そうして休んでいるなら、見ておやりよ」
「私だって疲れてるじゃ有りませんか――ああ、復た今夜も終宵泣かれるのかなあ。さあ、お黙りお黙り――母さんはもう知らないよ、そんなに泣くなら――」
こんな風に、夫婦の心が子供の泣声に奪われることは、毎晩のようであった。母の乳が止ってから、お房の激し易く、泣き易く成ったことは、一通りでない。それに、歯の生え初めた頃で、お房はよく母の乳房を噛んだ。「あいた――あいた――いた――いた――ち、ち、ちッ――何だってこの児はそんなに乳を噛むんだねえ――馬鹿、痛いじゃないか」と言って、母がお房の鼻を摘むと、子供は断れるような声を出して泣いた。
「馬鹿――」
と叱られても、お房はやはり母の懐を慕った。そして、出なくても何でも、乳房を咬えなければ、眠らなかった。
三吉は又、自分の部屋をよく出たり入ったりした。子供の泣声を聞きながら机に対うほど、彼の心を焦々させるものは無かった。日あたりの好い南向の部屋とは違って、彼が机の置いてあるところは、最早寒く、薄暗かった。
収穫の休暇が来た。農家の多忙しい時で、三吉が通う学校でも一週間ばかり休業した。
ある日、三吉は散歩から帰って来た。お雪は馳寄って、
「西さんが被入っしゃいましたよ」
と言いながら二枚の名刺を渡した。
「御出掛ですかッて、仰いましてね――それじゃ、出直しておいでなさるッて――」とお雪は附添した。
こういう侘しい棲居で、東京からの友人を迎えるというは、数えるほどしか無いことで有った。やがて、「お帰りでしたか」と訪れて来た覚えのある声からして、三吉には嬉しかった。
西は少壮な官吏であった。この人は、未だ大学へ入らない前から、三吉と往来して、中村という友達などと共に若々しい思想を取換した間柄である。久し振で顔を合せてみると、西は最早堂々たる紳士であった。
西が連れて来て三吉に紹介した洋服姿の人は、やはりこの地方に来ている新聞記者であった。B君と言った。奥の部屋では、めずらしく盛んな話声が起った。
西は三吉の方を見て、
「僕は君、B君なら疾から知っていたんだがネ、長野に来ていらっしゃるとは知らなかった……新聞社へ行って、S君を訪ねてみたのサ。すると、そこに居たのがB君じゃないか」
「ええ、つい隣に腰掛けるまで、西君とは思いませんでした」と記者も引取って、「それに苗字は変ってましょう、髭なぞが生えてる、見違えて了いましたネ。実は西君が来ると言いますから、S君などと散々悪口を利いて、どんな法学士が来るかなんて言っていました――来てみると西君でサ」
西も笑出した。「君、なかなか人が悪いんだよ……僕もね、今度県庁から頼まれてコオペレエションのことを話してくれと言うんで来たのサ。ところが君、酷いじゃないか。僕の来る前に、話しそうなことを皆な書いちまって、困らしてやれッて、相談していたんだとサ――油断が成らない――人の悪い連中が揃っているんだからね」
西は葉巻の灰を落しながら、粗末な部屋の内を見廻したり、こういう地方に来て引籠っている三吉の容子を眺めたりした。三年ばかり山の上で暮すうちに、三吉も余程田舎臭く成った。
「B君は寒いでしょう。御免蒙って外套を着給え」と西は背広を着た記者に言ってみて、自分でもすこし肩を動った。「どうも、寒い処だねえ――こんなじゃ有るまいと思った」
お雪はいそいそと茶を運んで来た。西は旅で読むつもりの書籍を取出して、それを三吉の前に置いて、
「小泉君、これは未だ御覧なさらないんでしょう。中村に何か旅で読む物はないかッて、聞いたら、これを貸してくれました。その葉書の入ってるところまで、読んでみたんです――それじゃ御土産がわりに置いて行きましょう――葉書は入れといてくれ給え」
記者もその書籍を手に取って見た。「私のように仕事にばかり追われてるんじゃ仕様が有りません。すこし静かな処へ引込んで、こういう物を読む暇が有ったら、と思います」
西は記者の横顔を眺めた。
記者は嘆息して、三吉の方を見た。「貴方なぞは仕事を成さる時に、何かこう自然から借金でも有って、日常それを返さなけりゃ成らない、と責められて、否応なしに成さるようなことは有りませんか――私はね、それで苦しくって堪りません。自分が何か為なければ成らない、と心で責められて、それで仕方なしに仕事を為ているんです。仕事を為ないではいられない。為れば苦しい。ですから――ああああ、毎日々々、彼方是方と馳ずり廻って新聞を書くのかナア――そんなことをして、この生涯が何に成る――とまあ思うんです」
「そりゃあ君、確かに新聞記者なぞを為ている故だよ」と西が横槍を入れた。「廃してみ給え――新聞を長く書いてると、必とそういう病気に罹る」
「ところがそうじゃ無いねえ」と記者は力を入れて、「私もすこしは楽な時が有って、食う為に働かんでも可いという時代が有りました。やっぱり駄目です。今私が新聞屋を廃めて、学校の教員に成ってみたところが、その生涯がどうなる……畢竟心に休息の無いのは同じことです」
「それは、君、男の遺伝性の野心だ。野心もそういう風に伝わって来れば、寧ろ尊いサ」と西が笑った。
「そうかナア」と記者は更に嘆息して、「――所詮自然を突破るなんてことは出来ない。突破るなら、死ぬより外に仕方が無い。そうかと言って、自然に従うのは厭です。何故厭かと言うに、あまり残酷じゃ有りませんか……すこしも人を静かにして置かないじゃ有りませんか……私は、ですから、働かなけりゃ成らんという心持から退いて、書籍も読みたければ読む、眠たければ眠る、という自由なところが欲しいんです」
「僕もそう思うことが有るよ」と西は記者の話を引取った。「有るけれども、言わないのサ――言うと、ここの主人に怒られるから――小泉君は、働くということに一種の考えが有るんだねえ。僕は疾からそう思ってる」
「実際――Lifeは無慈悲なものです」
と復た記者が言った。
「君、君」と西は記者の方を見て、「真実に遊ぶということは、女にばかり有ることで、男には無いサ。み給え――小説を読んでさえそうだ、只は読まない――何かしらに仕ようという気で、既に読んでるんだ。厭だね、男の根性という奴は。ホラ、あのゾラの三ヵ条――生きる、愛する、働く――厭な主義じゃないか。ツマラない……」
「小泉さんはこういう処にいらしって、御寂しくは有りませんか」と記者が聞いた。
「そりゃあ君、細君の有る人と無い人とは違うからね」
こう西が戯れるように言出したので、思わず三吉は苦笑した。
「そこだよ」と記者は言葉を続けた。「細君が有れば寂しくは無いだろうか。細君が有って寂しくないものなら、僕はこうやって今まで独身などで居やしない――しかも、新聞屋の二階に自炊なぞをして、クスブったりして――」
西は話頭を変えようとした。で、こんな風に言ってみた。「男が働くというのも、考えてみれば馬鹿々々しいサ。畢竟、自然の要求というものは繁殖に過ぎないのだ」
「そうすれば、やっぱり追い使われているんだね。鳥が無心で何の苦痛も知らずに歌うというようには、いかないものかしら……」と記者が言った。
「鳥だって、み給え、対手を呼ぶんだと言うじゃないか。人間でも、好い声の出る者が好い配偶を得るという訳なんだろう……ところが人間の頭数が増えて来たから、繁殖ということばかりが仕事で無くなって来たサ――だから、自分の好きな熱を吹いて、暮しても、生きていられるのが今の世の中サ」
「何だか僕等の生涯は夢らしくて困る」
「いずくんぞ知らん、日本国中の人の生涯は皆な夢ならんとはだ」
三吉は黙って、この二人の客の話を聞いていた。その時記者は沈んだ、痛ましそうな眼付をして、西の方を見た。西は目を外した。しばらく、客も主人も煙草ばかり燻していた。
お房が覗きに来た。
「房ちゃん、被入っしゃい」
と西が見つけて呼んだ。お房は恥かしそうに、母のかげに隠れた。やがて母に連れられて、菓子皿の中にある物を貰いに来た。
「お客様にキマリが悪いと見えて、母さんの後であんがとうしてます」と言ってお雪は笑った。
西は二度も三度も懐中時計を取出して眺めた。
「君は何時まで居られるんだい。なんなら泊って行っても可いじゃないか」と三吉が言った。
「ああ難有う」と西は受けて、「今夜僕の為に歓迎会が有るというんで、どうしても四時半の汽車には乗らなくちゃ成らない。今夜はいずれ酒だろうから、僕はあまり難有くない方だけれど――それに、明日はいよいよ演説をやる日取だ」
「それにしても、まあユックリして行ってくれ給え」
「あの時計は宛に成らない」と西は次の部屋に掛けてある柱時計と自分のとを見比べた。「大変後れてるよ」
「アア吾家のは後れてる」と三吉も答えた。
お雪はビイルに有合せの物を添えて、そこへ持って来た。「なんにも御座いませんけれど、どうか召上って下さい」と彼女が言った。三吉も田舎料理をすすめて、久し振で友人をもてなそうとした。
「こりゃどうも恐れ入ったねえ。僕は相変らず飲めない方でねえ」と西は言った。「しかし、気が急いて不可から、遠慮なしに頂きます」
三吉は記者にもビイルを勧めた。「長野の新聞の方には未だ長くいらっしゃる御積りなんですか」
「そうですナア、一年ばかりも居たら帰るかも知れません……是方に居ても話相手は無し、ツマリませんからね……私は信濃という国には少許も興味が有りません」こう記者が答えた。
西はめずらしそうに、牛額と称する蕈の塩漬などを試みながら、「僕は碓氷を越す時に――一昨日だ――真実に寂しかったねえ。彼方までは何の気なしに乗って来たが、さあ隧道に掛ったら、旅という心地が浮いて来た。あの隧道を――君、そうじゃないか――誰だって何の感じもしないで通るという人は有るまいと思うよ。小泉君が書籍を探しに東京へ出掛けて、彼処を往ったり来たりする時は、どんな心地だろう」
客を見送りながら、三吉は名残惜しそうに停車場まで随いて行った。寒く暗い停車場の構内には、懐手をした農夫、真綿帽子を冠った旅商人、それから灰色な髪の子守の群などが集っていた。
西と三吉とは巻烟草に火を点けた。記者もその側に立って、
「僕が初めて西君と懇意に成ったのは、何時頃だっけね。そうだ、君が大学へ入った年だ。僕はその頃、新聞屋仲間の年少者サ――二十の年だっけ――その頃に最早天下の大勢なんてことを論じていたんだよ」
「今は余程分っていなくちゃならない――ところが、君、やっぱり今でも分らないんだろう」と西が軽く笑った。
記者は玉子色の外套の隠袖へ両手を入れたまま、反返って笑った。やがて、すこし萎れて、前曲みに西の方を覗くようにしながら、
「その頃と見ると、君も大分変った」
と言われて、西は黙って記者を熟視た。三吉は二人の周囲を歩いていた。
三人は線路を越して、下りの汽車を待つべきプラットフォムの上へ出た。浅間へは最早雪が来ていた。
「寒い寒い」と西は震えながら、「僕は汽車の中で凍え死ぬかも知れないよ」
「すこし歩こう」と三吉が言出した。
「そうだ。歩いたら少しは暖かに成る」と言って、西は周囲を眺め廻して、「この辺は大抵僕の想像して来た通りだった」
三吉は指して見せた。「あそこに薄すらと灰紫色に見える山ねえ、あれが八つが岳だ。ずっと是方に紅葉した山が有るだろう、あの崖の下を流れてるのが千曲川サ」
「山の色はいつでもあんな紫色に見えるのかい。もっと僕は乾燥した処かと思った」
「今日は特別サ。水蒸気が多いんだね。平常はもっとずっと近く見える」
「それじゃ何ですか、あれが甲州境の八つが岳ですか――あの山の向が僕の故郷です」と記者が言った。
「へえ、君は甲州の方でしたかねえ」と西は記者の方を見た。
「ええ、甲州は僕の生れ故郷です……ああそうかナア、あれが八つが岳かナア。何だか急に恋しく成って来た……」と復た記者が懐かしそうに言った。
三人は眺め入った。
「小泉君」と西は思出したように、「君は何時までこんな山の上に引込んでいる気かネ……今の日本の世の中じゃ、そんなに物を深く研究してかかる必要は無いと思うよ」
三吉は返事に窮った。
「しかし、新聞屋さんもあまり感心した職業では無いね」と西は言った。
「君は又、エジトルだって、そう見くびらなくッても可いぜ」と記者が笑った。
西も笑って、「あんなツマラないことは無いよ。み給え、新聞を書く為に読んだ本が何に成る。いくら読んだって、何物も後へ残りゃしない。僕は、まあ、厭だねえ。君なんかも早く切上げて了いたまえ」
「君はそういうけれど、僕は外に仕方が無いし……生涯エジトルで暮すだろう……これも悪縁でサ」と言って、記者は赤皮の靴を鳴らして、風の寒いプラットフォムの上を歩いてみた。
下りの汽車が来た。少壮な官吏と、少壮な記者とは、三吉に別れを告げて、乗客も少ない二等室の戸を開けて入った。
「この寒いのに、わざわざ難有う」
と西は窓から顔を出して言った。車掌は高く右の手を差揚げた。列車は動き初めた。長いこと三吉はそこに佇立んでいた。
黄ばんだ日が映って来た。収穫を急がせるような小春の光は、植木屋の屋根、機械場の白壁をかすめ、激しい霜の為に枯々に成った桑畠の間を通して、三吉の家の土壁を照した。家毎に大根を洗い、それを壁に掛けて乾すべき時が来た。毎年山家での習慣とは言いながら、こうして野菜を貯えたり漬物の用意をしたりする頃に成ると、復た長い冬籠の近づいたことを思わせる。
隣の叔母さんは裏庭にある大きな柿の樹の下へ莚を敷いて、ネンネコ半天を着た老婆さんと一緒に大根を乾す用意をしていた。未だ洗わずにある大根は山のように積重ねてあった。この勤勉な、労苦を労苦とも思わないような人達に励まされて、お雪も手拭を冠り、ウワッパリに細紐を巻付けて、下婢を助けながら働いた。時々隣の叔母さんは粗末な垣根のところへやって来て、お雪に声を掛けたり、お歯黒の光る口元に微笑を見せたりした。下婢は酷い荒れ性で、皸の切れた手を冷たい水の中へ突込んで、土のついた大根を洗った。
「地大根」と称えるは、堅く、短く、蕪を見るようで、荒寥とした土地でなければ産しないような野菜である。お雪はそれを白い「練馬」に交ぜて買った。土地慣れない彼女が、しかも身重していて、この大根を乾すまでにするには大分骨が折れた。三吉も見かねて、その間、子供を預った。
日に日に発育して行くお房は、最早親の言うなりに成っている人形では無かった。傍に置いて、三吉が何か為ようとすると、お房は掛物を引張る、写真挾を裂く、障子に穴を開ける、終には玩具にも飽いて、柿の食いかけを机になすりつけ、その上に這上って高い高いなどをした。すこしでも相手に成っていなければ、お房が愚図々々言出すので、三吉も弱り果てて、鏡や櫛箱の置いてある処へ連れて行って遊ばせた。お房は櫛箱から櫛を取出して「かんか、かんか」と言った。そして、三吉の散切頭を引捕えながら、逆さに髪をとく真似をした。
「さあ、ねんねするんだよ」
こう三吉は子供を背中に乗せて言ってみた。書籍を読みながら、自分の部屋の中を彼方是方と歩いた。
お房が父の背中に頭をつけて、心地好さそうに寝入った頃、下婢は勝手口から上って来た。子供の臥床が胡燵の側に敷かれた。
「とても、お前達のするようなことは、俺には出来ない」
と三吉は眠った子供をそこへ投出すようにして言った。
「旦那さん、お大根が縛れやしたから、釣るしておくんなすって」
と下婢が言った。この娘は、年に似合わないマセた口の利きようをして、ジロジロ人の顔を見るのが癖であった。
三吉は裏口へ出てみた。洗うものは洗い、縛るものは縛って、半分ばかりは乾かされる用意が出来ていた。彼は柿の樹の方から梯子を持って来て、それを土壁に立掛けた。それから、彼の力では漸く持上るような重い大根の繋いである繩を手に提げて、よろよろしながらその梯子を上った。お雪や下婢は笑って揺れる梯子を押えた。
「どうも、御無沙汰いたしやした」こう言って、お房の時に頼んだ産婆が復た通って来る頃――この「御無沙汰いたしやした」が、お雪の髪を結っていた女髪結を笑わせた――三吉は東京に居る兄の森彦から意外な消息に接した。
それは、長兄の実が復た復た入獄したことを知らせて寄したもので有った。その時に成って三吉も、度々実から打って寄したあの電報の意味を了解することが出来た。森彦からの手紙には、祖先の名誉も弟等の迷惑をも顧みられなかったことを掻口説くようにして、長兄にしてこの事あるはくれぐれも痛嘆の外は無い、と書いて寄した。
三吉は二度も三度も読んでみた。旧い小泉の家を支えようとしている実が、幾度か同じ蹉跌を繰返して、その度に暗いところへ陥没って行く径路は、ありありと彼の胸に浮んで来た。三吉が過去の悲惨であったも、曾てこういう可畏しい波の中へ捲込まれて行ったからで――その為に彼は若い志望を擲とうとしたり、落胆の極に沈んだりして、多くの暗い年月を送ったもので有った。
実が残して行った家族――お倉、娘二人、それから他へ預けられている宗蔵、この人達は、森彦と三吉とで養うより外にどうすることも出来なかった。それを森彦が相談して寄した。この東京からの消息を、三吉はお雪に見せて、実にヤリキレないという眼付をした。
「まあ、実兄さんもどうなすったと言んでしょうねえ」
と言って、お雪も呆れた。夫婦は一層の艱難を覚悟しなければ成らなかった。
冬至には、三吉の家でも南瓜と蕗味噌を祝うことにした。蕗の薹はお雪が裏の方へ行って、桑畑の間を流れる水の辺から頭を持上げたやつを摘取って来た。復た雪の来そうな空模様であった。三吉は学校から震えて帰って来て、小倉の行燈袴のなりで食卓に就いた。相変らず子供は母の言うことを聞かないで、茶椀を引取るやら、香の物を掴むやら、自分で箸を添えて食うと言って、それを宛行わなければ割れる様な声を出して泣いた。折角祝おうとした南瓜も蕗味噌も碌にお雪の咽喉を通らなかった。
「母さんは御飯が何処へ入るか分らない……」
お雪はすこし風邪の気味で、春着の仕度を休んだ。押詰ってからは、提灯つけて手習に通って来る娘達もなかった。お雪が炬燵のところに頭を押付けているのを見ると、下婢も手持無沙汰の気味で、アカギレの膏薬を火箸で延ばして貼ったりなぞしていた。
寒い晩であった。下婢は自分から進んで一字でも多く覚えようと思うような娘ではなかったが、主人の思惑を憚って、申訳ばかりに本の復習を始めた。何時の間にか彼女の心は、蝗虫を捕って遊んだり草を藉いて寝そべったりした楽しい田圃側の方へ行って了った。そして、主人に聞えるように、同じところを何度も何度も繰返し読んでいるうちに、眠くなった。本に顔を押当てたなり、そこへ打臥して了った。
急に、お房が声を揚げて泣出した。復た下婢は読み始めた。
「風邪を引いてるじゃないか。ちっとも手伝いをしてくれやしない」
こうお雪が言った。お雪はもう我慢が仕切れないという風で、いきなり炬燵を離れて、不熱心な下婢の前にある本を壁へ投付けた。
「喧ましい!」
下婢は止すにも止されず、キョトキョトした眼付をしながら、狼狽えている。
「何事も為てくれなくても可いよ」とお雪は鼻を啜り上げて言った。「居眠り居眠り本を読んで何に成る――もう可いから止してお休み――」
唐紙を隔てた次の部屋には、三吉が寂しい洋燈に対って書物を展げていた。北側の雪は消えずにあって、降った上降った上へと積るので、庭の草木は深く埋れている。草屋根の軒から落ちる雫は茶色の氷柱に成って、最早二尺ばかりの長さに垂下っている。夜になると、氷雪の寒さが戸の内までも侵入して来た。時々可恐しい音がして、部屋の柱が凍割れた。
「旦那さん、お先へお休み」
と下婢は唐紙をすこし開けて、そこへ手を突いて言った。やがて彼女は炉辺の方で寝る仕度をしたが、三吉の耳に歔泣の音が聞えた。一方へ向いては貧乏と戦わねばならぬ、一方へ向いては烈しい気候とも戦わねばならぬ――こういう中で女子供の泣声を聞くのは、寂しかった。三吉は綿の入ったもので膝を包んで、独りで遅くまで机の前に坐っていた。
三吉が床に就く頃、子供は復た泣出した。柱時計が十二時を打つ頃に成っても、未だお房は眠らなかった。
お雪は気を焦って、
「誰だ、そんなに泣くのは……其方行け……あんまり種々な物を食べたがるからそうだ……めッ」
いよいよお房は烈しく泣いた。時には荒く震える声が寒い部屋の壁に響けるように起った。母が怒って、それを制しようとすると、お房は余計に高い声を出した。
「ねんねんや、おころりや、ねんねんねんねんねしな……」とお雪は声を和げて、何卒して子供を寝かしつけようとする。お房は嬉しそうな泣声に変って、乳房を咬えながらも泣止まなかった。
「母さんだって、眠いじゃないか」
と母に叱られて、復たお房はワッと泣出す。終には、お雪までも泣出した。母と子は一緒に成って泣いた。
「どうしてあんなに子供を泣かせるんだねえ。あんなに泣かせなくっても済むじゃないか」
とお雪は下婢の前に立って言った。隣家では朝から餅搗を始めて、それが壁一重隔てて地響のように聞えて来る。三吉の家でも、春待宿のいとなみに忙しかった。門松は入口のところに飾り付けられた。三吉は南向の日あたりの好い場所を択んで、裏白だの、譲葉だの、橙だのを取散して、粗末ながら注連飾の用意をしていた。
貧しい田舎教師の家にも最早正月が来たかと思われた。三吉は、裏白の付いた細長い輪飾を部屋々々の柱に掛けて歩いたが、何か復た子供のことでお雪が気を傷めているかと思うと、顔を渋めた。三吉の癖で、見込の無い下婢よりは妻の方を責める――理窟が有っても無くても、一概に彼は使う方のものがワルいとしている。だから下婢が増長する、こうまたお雪の方では残念に思っている。
「そりゃ、お前が無理だ」と三吉はお雪に言った。「未だ彼女は十五やそこいらじゃないか――子供じゃないか――そんなに責めたって不可」
「誰も責めやしません」とお雪はさも口惜しそうに答えた。お雪は夫が奉公人というものを克く知らないと思っている――どんなに下婢が自分の命令を守らないか、どんなに子供をヒドくするか、そんなことは一向御構いなしだ、こう思っている。
「責めないって、そう聞えらア」と復た三吉が言った。
「私が何時責めるようなことを言いました」とお雪は憤然とする。
「お前の調子が責めてるじゃないか」
「調子は私の持前です」
「お前が父親さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」
「誰が親と奉公人と一緒にして、物を言うやつが有るもんですか。こんな奉公人の前で、親の恥まで曝さなくっても可う御坐んす」
「解らないことを言うナア――なにも、そんな訳で親を舁ぎ出したんじゃなし――奉公人は親ぐらいに思っていなくって使われるかい」
奉公人そッちのけにして、三吉とお雪とはこんな風に言合った。その時、お房は何事が起ったかと言ったような眼付をして、親達の顔を見比べた。下婢は下婢で、隅の方に小さく成って震えていた。
「女中のことで言合をするなぞは――馬鹿々々しい」と三吉は思い直した。そして、自分等夫婦も、何時の間にかこんな争闘を始めるように成ったか、と考えた時は腹立しかった。
「今日は。お餅を持って参じやした。どうも遅なはりやして申訳がごわせん」
こう大きな百姓らしい声で呶鳴りながら、在の米屋が表から入って来た。
「お餅! お餅!」と下婢は子供に言って聞かせた。お房は手を揚げて喜んだ。この児は未だ「もう、もう」としか言えなかった。
百姓は家の前まで餅をつけた馬を引いて来た。「ドウ、ドウ」などと言って、落葉松の枝で囲った垣根のところへ先ずその馬を繋いだ。
橋本の姉が夫の達雄と一緒に、汽車で三吉の住む町を通過ぎようとしたのは、翌々年の夏のことで有った。
姉のお種は病を養う為に、伊豆の伊東へ向けて出掛ける途中で、達雄は又、お種を見送りながら、東京への用向を兼ねて故郷を発ったのである。この旅には、お種は娘のお仙も嫁の豊世も家に残して置いて、汽車の窓で三吉夫婦に逢われる順路を取った。彼女は、故郷で別れたぎりしばらく末の弟にも逢わないし、未だ弟の細君も知らないし、成るなら三吉の家で一晩泊って、ゆっくり子供の顔も見たいと思うのであったが、多忙しい達雄の身がそうは許さなかった。
この報知を受取った三吉夫婦は、子供に着物を着更えさせて、停車場を指して急いだ。夫婦は、四歳に成る総領のお房ばかりでなく、二歳に成るお菊という娘の親ででもあった。お房は母に手を引かれて、家から停車場まで歩いた。お菊の方は近所の娘に背負さって行った。
「お前は菊ちゃんを抱いてた方が好かろう」
と三吉は、停車場に着いてから、妻に言った。お雪は二番目の子供を自分の手に抱取った。
上りの汽車が停まるべきプラットフォムのところには、姉夫婦を待受ける人達が立っていた。やがて向の城跡の方に白い煙が起った。牛皮の大靴を穿いた駅夫は彼方此方と馳け歩いた。
種々な旅客を乗せた列車が三吉達の前で停ったのは、間もなくで有った。達雄もお種も二等室の窓に倚凭って、呼んだ。弟夫婦は子供を連れてその側に集った。その時、お雪は初めて逢った人々と親しい挨拶を交換した。
「橋本の伯母さんだよ」
と三吉はお房を窓のところへ抱上げて見せた。
「房ちゃんですか」と言って、お種は窓から顔を出して、「房ちゃん……お土産が有りますよ……」
「ヨウ、日に焼けて、壮健そうな児だわい」と達雄も快濶らしく笑った。
お種は窓越しに一寸でもお房を抱いてみたいという風であったが、そんなことをしている時は無かった。彼女はいそがしそうに、子供へと思って用意して来た品々の土産物を取出して、弟夫婦へ渡した。
「ずっと東京の方へ御出掛ですか」と三吉が聞いた。
「いや、東京は後廻しです」と達雄は窓につかまって、「私だけ東京に用が有りますから、先ず家内を送り届けて置いて……今度の様に急ぎませんとね、お種もいろいろ御話したいんでしょうけれど――」
「お雪さん、ゆっくり御話も出来ないような訳ですが、今度は失礼しますよ――いずれ復たお目に掛りますよ」とお種も言った。
お雪は二番目のお菊を抱きながら会釈する、お種は車の上からアヤして見せる、碌に言葉を交す暇もなく、汽車は動き出した。
お種が窓から首を出して、もう一度弟の家族を見ようとした頃は、汽車は停車場を離れて了った。田舎の子供らしく育ったお房の紅い頬、お菊を抱いて立っているお雪の笑顔、三吉の振る帽子――そういうものは直にお種の眼から消えた。
「漸とこれで私も思が届いた」とお種も言ってみて、やがて窓のところに倚凭った。
しばらく達雄夫婦の話は三吉等の噂で持切った。旅と思えば、お種も気を張って、平常より興奮した精神の状態にあった。なるべく彼女は弱った容子を夫に見せまいとしていた。その日は達雄も酷く元気が無かった。しかし、夫はまた夫で、それを外部へは表すまいと勉めていた。
汽車が山を下りた頃、隣の室の客で、窓から乳を絞って捨てる女が有った。お種はそれを見て子の無い自分の嫁のことを思出した。彼女は忰や、嫁や、それから不幸な娘などから最早余程離れたような気がした。
この旅はお種に不安な念を抱かせた。何ということはなしに、彼女は心細くて心細くて成らなかった。彼女の衰えた身体は、正太の祝言を済ました頃から、臥床の上に横わり勝で、とかく頭脳の具合が悪かったり、手足が痛んだりした。で、弟の森彦の勧めに従って、この前にも伊豆の温泉を択んで、遠く病を養いに出掛けたこともあった。伊東行は丁度これで二度目だ。どういうものか、今度は家を離れたくなかった。厭だ、厭だ、とお種がいうやつを、無理やりに夫に勧められて出て来た位である。
赤羽で乗替えて、復た東海道線の列車に移った頃は、日暮に近かった。達雄はすこし横に成った。お種はセル地の膝掛を夫に掛けてやって、その側で動揺する車の響を聞いた。寝ても寝られないという風に、達雄は間もなく身を起したが、紳士らしい威厳のあるその顔には何処となく苦痛の色を帯びていた。彼は、眼に見ることの出来ないある物に追われているような眼付をした。
「どうか成さいましたか」とお種は心配顔に尋ねてみた。「都合が出来ましたら、貴方もすこし伊東で保養していらしったら……」
「どうして、お前、そんなユックリしたことが言っていられるもんじゃない」と達雄が言った。「東京で用達をして、その模様に依っては直に復た国の方へ引返さなけりゃ成らん……俺は今、一日を争う身だ……」
達雄は祖先から伝わった業務にばかり携わっていることの出来ない人であった。彼は今、郷里の銀行で、重要な役目を勤めている。決算報告の期日も既に近づいている。
車中の退屈凌ぎに、お種は窓から買取った菓物を夫に勧めた。達雄はナイフを取出して、自分でその皮を剥こうとした。妙に彼の手は震えた。指からすこし血が流れた。
「俺も余程どうかしてるわい」
こう言って、達雄は笑に紛らした。お種は不思議そうに夫の顔を眺めたが、ふとその時心の内で、
「まあ、旦那が手を切るなんて……今までに無い事だ」
と不審しく思って見た。
乗りつづけに乗って行った達雄夫婦は、その晩遅く、疲れて、国府津の宿まで着いた。
波の音が耳について、山から行った人達は一晩中碌に眠られなかった。海の見える国府津の旅舎で、達雄夫婦は一緒に朝飯を食った。
お種は多忙しい夫の身の上を案じて、こんな風に言出した。
「貴方――もし御多忙しいようでしたらここから帰って用を達して下さい。最早船に乗るだけの話で、海さえ平穏なら伊東へ着くのは造作ない――私独りで行きます」
「そうか……そうして貰えると、俺も大きに難有い……しかし、お前独りで大丈夫かナ」と達雄が言った。
「大丈夫にも何にも。ここまで貴方に送って頂けば沢山です。初めての旅ではないし、それに伊東へ行けば多分林さん御夫婦や御隠居さんが来ていらっしゃるで、何にも心配なことは有りません」
「じゃあ、ここでお前に別れるとしよう……こうっと、俺はこれから直に東京へ引返して、銀行の方の用達をしてト……大多忙」
こういう話をしているところへ、宿の下婢が船の時間を知らせに来た。東京の方へ出る汽車が有ると見えて、宿を発って行く旅人も有った。
「汽車が出るそうな」とお種は聞耳を立てた。「丁度好い――この汽車に乗らっせるが可い」
「伊東まで行く思をして御覧な」と達雄は言った。「なにも、そんなに周章てなくても好い。汽車はいくらも出る」
「でも、貴方は、一日を争う身だなんて仰っていらしったで……それほど大切な時なら、一汽車でも早く東京へ入った方が好からずと思って」
「まあ、船までお前を送ってやるわい」
多忙しがっている人に似合わず、達雄はガッカリしたように坐って、復た煙草を燻し始めた。何となく彼は平素のように沈着いていなかった。
停車場の方では、汽車の笛が鳴った。達雄は一向それに頓着なしで、思い屈したように、深く青い海の方を眺めていた。
そのうちに、伊東行の汽船の出る時が来た。夫婦は宿を出て、古い松並木の蔭から海岸の方へ下りた。細い砂を踏んで、礫のあるところまで行くと、そこには浪が打寄せている。旅人の群も集って来ている。艀に乗る男女の客は、いずれも船頭の背中を借りて、泡立ち砕ける波の中を越さねば成らぬ。お種は夫に別れて、あるたくましげな男に背負さった。男はジャブジャブ白い泡の中を分けて行った。
艀が浮いたり沈んだりして本船の方へ近づくに随って、悄然見送りながら立っている達雄の顔も次第にお種には解らなく成った。勝手を知った舟旅で、加に天気は好し、こうして独りで海を渡るということは、別にお種は何とも思わなかった。唯、彼女は夫のことが気に懸って成らなかった。汽船に移ってから、彼女は余計に心細く思って来た。夫は最早傍に居なかった。
伊豆行の汽船は相模灘を越して、明るい海岸へ着いた。旅客は争って艀に移った。お種も、湯の香のする温泉地へ上った。
伊東の宿には、そこでお種の懇意に成った林夫婦、隠居、書生などがその夏も来ていた。この家族は東京から毎年のように出掛けて来る浴客である。長い廊下に添うて、庭に面した二階の部屋がこの人達の陣取っていた処で、お種はその隣の一室へ案内された。不取敢、彼女は嫁の豊世へ宛てて書いた。
その日からお種は温泉宿の膳に対って、故郷の方を思う人であった。不思議にも、達雄からは文通が無かった。一週間待っても、二週間待っても、夫は一回の便りもしなかった。
一月待った。まだそれでも夫からは便りが無かった。正太や豊世の許から来る手紙には、父のことに就いて一言も書いてなくて、家の方は案じるなとか、くれぐれも身を大切にして病を養ってくれよとか――唯、母に心配させまい心配させまいとするような風に書いてある。何となくお種は家に異状の起ったことを感じた。こうして遠く離れた土地へ――海岸へ出れば向に大島の見えるような――そんな処へ独り彼女が置れるというは、何事も夫が見せまいとする為であろうと想像された。お種は、夫に勧められて無理に連出されて来た旅の心細かったことや、それから途中で夫の手が震えてついぞ切った例のない指なぞを切ったことを絶えず胸に浮べた。そんなことを思う度に、身体がゾーとして来た。
二月待った。隣室の林夫婦は、隠居と書生だけ置いて、東京の方へ行く頃と成った。その人達を船まで見送るにつけても、お種は堪え難い思をした。
東京に居る森彦からの手紙は、すこしばかり故郷の事情を報じて来た。それを読んで、始めてお種は夫の家出を知った。森彦の考えにも、ここで姉が帰郷してみたところで、家の方がどうなるものでも無い。それよりは皆なの意見を容れて今しばらく伊東に滞在しておれ、とある。不思議だ、不思議だと、お種が思い続けたことは、漸く端緒だけ呑込めることが出来るように成った。しかし、彼女の気質を知る者は、誰一人として家の模様をあからさまに告げて寄すものが無かった。
何にも達雄からは音沙汰が無い……苦しいことが有れば有るように、せめて妻の許だけへは家出をした先からでも便りが有りそうなもの、とこうお種は夫の心を頼んでいた。また一月待った。
橋本の若夫婦――正太、豊世の二人は、母のことを心配して、便船に乗って来た。
この人達を宿の二階に迎えた時のお種の心地は、丁度吾子を乗せた救い舟にでも遭遇ったようで、破船同様の母には何から尋ねて可いか解らなかった。
忰や嫁の顔を見ると、お種も力を得た。彼女はすこし元気づいたような調子で、自分の落胆していることを若いものに見せまいとする風であった。
「お前達は子が無いで――こういう温泉地へ子でも造りに来たかい」
と言われて、正太と豊世とは暫時顔を見合せた。
「母親さん、そこどころじゃ有りませんよ……」
と豊世が愁わしげに言出した。
正太はこの話を遮って、妻にも入浴させ、自分でも旅の疲労を忘れようとした。
浴室は折れ曲った階段を降りて行ったところにあった。伊豆らしい空の見える廊下のところで若夫婦はちょっと佇立んだ。
「お前達は子でも造りに来たかいなんて――母親さんはあんな気で被入しゃるんでしょうか」と豊世が言ってみた。「真実に何からお話したら可いでしょうねえ……」
「なにしろ、お前、ああいう気性の母親さんだから、一時に下手なことは話せない」と正太も言った。「お前が側に附いていて追々と話して進げるんだネ」
こんな言葉を取換した後、正太は二三の男の浴客に混って、湯船の中に身を浸した。彼は妻だけこの伊東に残して置いて復た国の方へ引返さなければ成らない人で有った。前途は彼に取って唯暗澹としている。父が投出して置いて行った家の後仕末もせねば成らぬ。多くの負債も引受けねば成らぬ。「家なぞはどうでも可い」とよく往時思い思いした正太ではあるが、いざ旧い家が壊れかけて来たと成ると、自分から進んでその波の中へ捲込まれて行った。
湯から上って、正太は母や妻と一緒に成った。
母は声を低くして、「林の御隠居も隣室へ来ておいでる……それで先刻ああは言ってみたが、大概私も国の方のことは察しておるわい」
「実叔父さんの応援さえしなかったら、こんなことには成らなかったかも知れない」と正太が言った。「しかし、今と成ってみれば、それも愚痴だ。父親さんも苦しく成って来たから応援した――要するに、是方の不覚だ」
「実叔父さんもどうしてあんなことを成すったんでしょう。必と誰かに欺されたんでしょうねえ」こう豊世は言った。
母は引取って、「ホラ、私が伊東へ来る前に、実のことで裁判所から調べに来たろう――私はあれが気に成って気に成って仕方が無かった。田舎のことだもの、お前、尾鰭を付けて言い触らすさ」
「あれでパッタリ融通が止った」と正太は言った。
「大方そんなことだらずと思った」と母も考えて、「銀行の用だ、銀行の用だと仰って、何度父親さんも東京へ出たか知れない……東京で穴埋が出来なかったと見えるテ。それで、何かや、後はどう成ったかや」
「成るようにしか成りません」と正太は力を入れて、「森彦叔父さんにも国の方へ行って頂く積りです」
「嘉助もどうしたかサ」
「こういう時には、年をとった者は何の力にも成らない……殆んど意見が立てられない」
お種が掘って聞こう聞こうとするので、なるべく正太はこういう話を避けようとした。その時、お種は達雄の行衛を尋ねた。
「途中で父親さんから実印を送って寄しました。それが最後に来た手紙でした。多分……支那の方へでも行く積りらしい……」こう正太は言い紛して、委しいことを母に知らせまいとした。
「一旗挙げて来る気かいナア」
と母が力を落したように言ったので、思わず豊世は胸が迫って来た。女同志は一緒に成って泣いた。
正太は母の側に長く留ることも出来なかった。伊東を発つ日、彼は母だけ居るところで、豊世の身の上に起った出来事を告げた。
聞けば聞くほど、お種は驚愕の眼を瞪った。夫が彼女のもので無くなったばかりでなく、嫁まで彼女のものでは無くなりかけて来た。
正太は簡単に話した。父の家出が世間へ伝わると同時に、豊世の生家からは電報を打って寄した。それには老祖母さんの病気としてある。豊世は直に電報の意味を読んだ。そして、再び夫の許へ帰ることの出来ない様な疑念と恐怖とに打たれた。生家へ出掛けて行ってみた時の豊世は、果して想像の通り引止められて了った。離別の悲哀は豊世の眼を開けた――どこまでも豊世は正太の妻であった――そんな訳で、彼女は自分の生家に対しても、当分国の方に居にくい人である――彼女はしばらく東京にでも留って、何か独立することを考えようとして来た人である。こういう話を母に残して置いて、やがて正太は別れを告げて行った。
一旦くれた嫁を取戻すとは何事だろう。この思想はお種に非常な侮辱を与えた。その時お種は、橋本の家に伝わる病気を胸に浮べた。何かにつけて、彼女は先ずその事を考えた。「あんな親子には見込が無い――」などと豊世の生家から指を差されるのも、唯、女に弱いからだと考えられた。
「だから、私が言わないこっちゃ無い――」
とお種は独りで嘆息して了った。彼女は豊世を抱いて泣きたいような心が起って来た。そして皆な一緒にどうか成って了うような気がした……
「橋本さん――貴方はそんな頭髪をしていらっしゃるから旦那に捨てられるんです」
お種が部屋を出て、二階の欄干から温泉場の空を眺めていると、こんな串談を言いながら長い廊下を通る人が有った。隣室の客だ。林夫婦は師走の末に近くなって復た東京から入湯に来ていた。
豊世と一緒に成った頃から、お種は髪を結う気も無く、無造作に巻きつけてばかりいたが、男の口からこんな言葉を聞いた時は酷く気に成った。
「捨てられたと思って貰うと、大きに違う……私は旦那に捨てられる覚えは無いで……」
と腹の中で言ってみた。他から見れば最早そんな風に思われるか、とも考えた。彼女は林が戯れて言うとも思えなかった。
部屋へ戻ると、豊世は入替りに出て行った。姑と嫁とが一緒に成って、国の方の話を始めると、必と終には両方で泣いて了う。二人は互に顔を合せているのも苦かった。町へ――漁村へ――近くにある古跡へ――さもなければ隣室に居る家族、その他この温泉宿で懇意に成った浴客の許へ遊びに行くことを勉めて、二人ぎり一緒に居ることはなるべく両方で避けよう避けようとした。
お種は独り横に成った。故郷の家が胸に浮んだ。机がある、洋燈が置いてある、夫はしきりと手紙を書いている……それは前の年のある冬の夜のことで、どうも夫の様子が変に思われたから、一時頃までお種は寝た振をしていたことがあった。やがて夫が手紙を書き終った頃に、むっくと起きて、是非それを読ませよと迫った。未だそんなものを書く気でいるとは、読ませなければ豊世を呼ぶとまで言った。その時、夫がこの手紙だけは許してくれ、そのかわり女のことは思い切る、とお種に誓うように言った……その後、女は東京へ出たとやらで、どうかすると手紙の入った小包が届いた。夫は送金を続けていた……
お種の考えることは、この年の若い、親とも言いたいような自分の夫に媚びる歌妓のことに落ちて行った。同時に、国府津の海岸で別れたぎり、年の暮に成るまで待っても夫から一回の便りも無いことを思ってみた。
到頭、お種は豊世と二人で、伊東に年をとった。温泉宿の二階で、林の家族と一緒に、鱓、数の子、乾栗、それから膳に上る数々のもので、屠蘇を祝った。年越の晩には、女髪結が遅く部屋々々を廻った。お種もめずらしく、豊世の後で髪を結わせた。姑の髷がいつになく大きいので、それを見た豊世は奇異な思に打たれた。
お種はその晩碌に眠らなかった。夜の明けないうちに起きて、サッパリと身じまいした。
「まあ、母親さんは白粉などをおつけなさるんですか」と豊世も臥床を離れて来て言った。
「私だって、つけなくってサ」とお種は興奮したように笑った。「若い時はいくらでもつけた」
「若い時はそうでしょうけれど、私が来てから母親さんがそんなに成さるところを見たことが無い」
「さあ、さあ、豊世もちゃっと化粧しよや。二人で揃って、林さんへ御年始に行こまいかや」
温泉場の徒然に、誰が発起するともなく新年宴会を催すことに成った。浴客は思い思いの趣向を凝らした。豊世が湯から上って来て見ると、姑は何処からか袴を借りて来て、裾の方を糸で括っているところであった。
「豊世や、今日は林の御隠居さんと一緒に面白い趣向をして見せるぞい。ちゃんともう御隠居さんには打合せをして置いたからネ」
こうお種が言うので、豊世は不思議そうに、
「母親さんはまた何を成さるんですか――」
「まあ、何でも好いから、お前の羽織を出して貸しとくれ」
豊世の羽織には裏に日の出に鶴をあらわしたのが有った。お種はそれを借りて、裏返しにして着て見せた。
「真実に、何を成さるんですか」と豊世が心配顔に言った。「母親さん、下手な事は止して下さいよ」
「お前のように、楽屋でそんなことを言うもんじゃないぞい――見よや、日の出に鶴だ。丁度御誂だ。これで袴を穿いて御覧、立派な万歳が出来るに」
豊世は笑って可いか、泣いて可いか、解らないような気がした。
「旅の恥は掻捨サ」とお種が言った。「気晴しに、私も子供に成って遊ぶわい……それはそうと、豊世は御隠居さんの許へ行って、御仕度はいかがですかッて見て来ておくれや」
姑の言付で、豊世は部屋を出た。平素から厳格な姑のような人に、そんなトボケた真似が出来るであろうか、こう思うと、豊世はハラハラした。
二階の広間には種々な浴客が集って来た。その日はこの温泉宿に逗留しているものばかりでなく、他からも退屈顔な男女が呼ばれて来て、一切無礼講で遊ぶことに成った。板前から女中まで仲間入を許された。
賑かな笑声が起った。隠し芸が始まったのである。若い娘や女中達は楽しそうに私語き合ったり、互に身体を持たせ掛けたりして眺めた。こういう時に見せなければ見せる時は無いと思うかして、芸自慢の人達は我勝にと飛出した。中には、喝采に夢中に成って、逆上たような人も有った。
この光景を見て来て、廊下伝いに豊世は部屋の方へ戻ろうとした。林の細君に逢った。
豊世は気が気で無いという風に、「奥さん――母親さん達は大丈夫なんでしょうかねえ。何だか私は心配で仕様が有りません」
「私共の祖母さんが太夫さんなんですトサ」と林の細君は肥満した身体を動りながら笑った。
「母親さんもネ、家の方のことを心配なさり過ぎて、それであんなに気が昂ったんじゃないかと思いますよ――母親さんには無い事ですもの……」
「でも、橋本さんはキサクな、面白い方ですから……私共の祖母さんを御覧なさいな」
折れ曲った長い廊下の向には、林の家族の借りている二間ばかりの部屋が見える。障子の開いたところから、動く烏帽子、頭巾が見える。
仮装した女の万歳の一組がそこへ出来上った。お種は林の隠居の手を引きながら、嫁達の立っている前を通過ぎた。
その時、お種は心の中で、
「面白可笑しくして遊ばせるような婦女でなければ、旦那衆の気には入らないのかしらん……ナニ、笑わせようと思えば私だって笑わせられる」
こう自分で自分に言ってみた。彼女は余程トボケた積りでいた。嫁が心配していようなどとは思いも寄らなかった。
盛んな喝采が起った。浴客はいずれもこの初春らしい趣向と、年をとった人達の戯とを狂喜して迎えた。豊世は気まりが悪いような、困って了ったような顔付をして、何を姑が為るかと心配しながら立っていた。林の細君も笑いながら眺めた。
林の隠居は、こんな事をしたことの無い、温柔しい老婦で、多勢の前へ出ると最早下を向いて了った。その側には、お種が折角の興をさまさせまいとして、何か独りで万歳の祝いそうなことを真似て言った。
「ホイ――ポン――ポン――」
お種は鼓を打つ手真似をしながら、モジモジして震えている太夫の周囲を廻って歩いた。
豊世は立って眺めながら、
「まあ、母親さんは……どうしてあんなことを覚えていらしったんでしょう……何時、何処で覚えたんでしょう」
「祖母さん――」と林の細君は隠居のことを言った。
「あんなに、喋舌って、喋舌って、喋舌りからかいて――」と豊世は思わず国訛りを出した。
「奥さん、吾家の母親さんをああして出して置いても可いでしょうか。私はもう困って了いますわ」
「そうネ。橋本さんは少しハシャギ過ぎますネ」
こんな話をしているうちに、お種の方では目出度く祝い納めて、やがて隠居と一緒に成って笑った。隠居は烏帽子を擁えたまま自分の部屋の方へ逃げて行った。お種もその後を追った。
部屋へ戻ってからも、お種は自分で制えることの出来ないほど興奮していた。豊世は姑の背後へ廻って、何よりも先ず羽織や袴を脱がせた。
「母親さん、母親さん、すこし気を沈着けて下さいよ……」こう豊世は慰め顔に言った。
お種は笑って、「なにも、そんなに心配することは無い。母親さんは、お前、皆さんと遊ぶところだぞや。そんなことを言う手間で、褒めてくれよ」
豊世は何とも言ってみようが無かった。過度の心痛から、姑がこんな精神の調子に成るのでは有るまいか、と考えた時は哀しかった。
夕方まで、お種は庭に出て、浴客を相手に物を言い続けた。その晩は、親子とも碌に眠られなかった。この反動と疲労とが来て、姑が沈み考えるように成るまでは、豊世も安心しなかった。
何時まで豊世も姑と一緒にいられる場合では無かった。豊世は豊世で早く東京へ出て独立の出来ることを考えなければ成らないと思っていた。旧い静かな家に住み慣れたお種には、この親子別れ別れに成るということが心細くて、嫁を手離して遣りたくなかった。
「豊世――お前は私のことばかり心配なように言うが、自分のことも少許考えてみるが可い――そうまたお前のように周章てることは無いぞや」
とお種は嫁に向って言ってみた。
お種の考えでは、夫の行方に就いて、忰夫婦の言うことに何処か判然しないところがある。どうも隠しているらしく思われるところが有る。もし嫁が聞知っているものとすれば、何とか言い賺して、夫の行方を突留めたい。こう思った。お種は、もうすこしもうすこしと、伊東に嫁を引留めて置きたくてならなかった。
「では、母親さん、こういうことにしましょう。私にもどうして可いか解りませんからネ、森彦叔父さんに一つ指図して頂きましょう……森彦叔父さんが居た方が可いと仰ったら、居ましょう」
豊世はこんな風に言出した。
森彦からは返事が来た。それには豊世の願った通りのことが書いてあった。豊世は早く上京して前途の方針を定めよとあるし、姉は今しばらく伊東で静養するように、そのうちには自分も訪ねて行くとしてあった。
二月の末に成って、漸く豊世は姑の側を離れて行くことに決めた。
「もうすこし、お前に居て貰いたいよ。私独りに成って御覧、どんなに心細いか知れない」とお種は萎れた。
「ええ、私もこうして居たいんですけれど……居られるものなら、一日でも余計……」
こう言いながら、嫁はサッサと着物を着更えた。旅の手荷物もそこそこに取纏めた。
船までは、林の隠居や細君が一緒に見送りたいと言出した。お種はこの人達に励まされながら豊世と連立って、宿を出た。まだ朝のことで、湯の流れる川について、古風な町々を通過ぎると、やがて国府津通いの汽船の形が眼に見えるところへ出て来た。船頭は艀の用意をしていた。
最早節句の栄螺を積んだ船が下田の方から通って来る時節である。遠い山国とはまるで気候が違っていた。お種は旅で伊豆の春に逢うかと思うと、夫に別れてから以来の事を今更のように考えてみて、海岸の砂の上へ倒れかかりそうな眩暈心地に成った。
「母親さん、母親さん、すっかり御病気を癒して来て下さいよ。私は東京の方で御待ち申しますよ……真実に、母親さんの側に居て進げたいんですけれど」
と言って、嫁は艀の方へ急いだ。
お種は林の隠居、細君と共に、豊世を乗せた汽船の方を望みながら立っていた。別離を告げて出て行くような汽笛の音は港の空に高く響き渡った。お種の眼前には、青い、明るい海だけ残った。
宿へ戻って、復たお種は自分一人を部屋の内に見出した。竹翁の昔より続いた橋本の家が一夜のうちに基礎からして動揺いて来たことや、子がそれを壊さずに親が壊そうとしたことや、何時の間にか自分までこの世に最も頼りのすくない女の仲間入をしかけていることなどは、全くお種の思いもよらないことばかりで有った。
豊世は行って了った。午後に、お種は折れ曲った階段を降りて、湯槽の中へ疲れた身を投入れた。溢れ流れる温泉、朦朧とした湯気、玻璃窓から射し入る光――周囲は静かなもので、他に一人の浴客も居なかった。お種は槽の縁へ頸窩のところを押付けて、萎びた乳房を温めながら、一時死んだように成っていた。
窓の外では、温暖い雨の降る音がして来た。その音は遠い往時へお種の心を連れて行った。お種がまだ若くて、自分の生家の方に居た娘の頃――丁度橋本から縁談のあった当時――あの頃は、父が居た、母が居た、老祖母が居た。この小泉へ嫁いて来た老祖母の生家の方でも、お種を欲しいということで、折角好ましく思った橋本の縁談も破れるばかりに成ったことが有った。それを破ろうとした人が老祖母だ。母は老祖母への義理を思って、すでに橋本の方を断りかけた。もしあの時……お種が自害して果てる程の決心を起さなかったら、あるいは達雄と夫婦に成れなかったかも知れない……
思いあまって我と我身を傷けようとした娘らしさ、母に見つかって救われた当時の光景、それからそれへとお種の胸に浮んで来た。
これ程の思をして橋本へ嫁いて来たお種である。その志は、正太を腹に持ち、お仙を腹に持った後までも、変らない積であった。人には言えない彼女の長い病気――実はそれも夫の放蕩の結果であった。彼女は身を食れる程の苦痛にも耐えた――夫を愛した――
ここまで思い続けると、お種は頭脳の内部が錯乱して来て、終には何にも考えることが出来なかった。
「ああ、こんなことを思うだけ、私は足りないんだ……私が側に居ないではどんなにか旦那も不自由を成さるだろう……」
とお種は、濡れた身を拭く時に、思い直した。
湯から上って、着物を着ようとすると、そこに大きな姿見がある。思わずお種はその前に立った。湯気で曇った玻璃の面を拭いてみると、狂死した父そのままの蒼ざめた姿が映っていた。
「真実に、橋本さんは御羨しい御身分ですねえ――御国の方からは御金を取寄せて、こうしていくらでも遊んでいらっしゃられるなんて」
すこし長く居る女の湯治客の中には、お種に向って、こんなことを言う人も有った。お種は返事の仕ようが無かった。
「ええ……私のようにノンキな者は有りませんよ」
お種は自分の部屋へ入っては声を呑んだ。
林の家族はやがて東京の方へ引揚げて行った。お種の話相手に成って慰めたり励ましたりした隠居も最早居なかった。この温泉場を発って行く人達を見送るにつけても、お種はせめて東京まで出て、嫁と一緒に成りたいと願ったが、三月に入っても未だ許されなかった。沈着け、沈着けという意味の手紙ばかり諸方から受取った。
国の方からは送金も絶え勝に成った。そのかわり東京の森彦から見舞として金を送って来た。この弟の勧めで、お種は皆なの意見に従って、更に許しの出るまで伊東に留まることにした。山に蕨の出る頃には、宿の浴客は連立って遠くまで採りに出掛けた。お種もよく散歩に行って、伊豆の日あたりを眺めながら、夫のことを思いやった。採って来た蕨は丁寧に乾し集めた。支那の方へ行ったとかいう夫の口へ、せめて乾した蕨が一本でも入るような伝は有るまいか、とも思ってみた。
六月の初に成った。漸く待侘びた日が来た。お種は独りでそこそこに上京の仕度をした。その時に成っても、達雄からは何等の消息が無い。しかし、お種は夫を忘れることが出来なかった。
旅で馴染を重ねた人々にも別れを告げて、伊豆の海岸を離れて行くお種は、来た時と帰る時と比べると、全く別の人のようであった。海から見た陸の連続、荷積の為に寄って行く港々――すべて一年前の船旅の光景を逆に巻返すかのようで、達雄に別れた時の悲しい心地が浮んで来た。
汽船は国府津へ着いた。男女の乗客はいずれも陸へと急いだ。高い波がやって来て艀を持揚げたかと思ううちに、やがてお種は波打際に近い方へ持って行かれた。間もなく彼女は達雄が悄然と見送ってくれたその同じ場処に立った。
六月の光は相模灘に満ちていた。お種は岸を立去るに忍びないような気がした。夫と一緒に歩いた熱い砂を踏んで行くと、松並木がある、道がある、小高い崖を上ったところが例の一晩泊った旅舎だ。
「オヤ、只今御帰りで御座いますか。大層御緩りで御座いますネ」
何事も知らない旅舎の亭主は、お種が昼飯の仕度に寄って種々なことを尋ねた時に、手を揉んだ。
豊世や、森彦や、それから留守居している実の家族にも逢われることを楽みにして、まだ明るいうちにお種は東京へ入った。
豊世が借りている二階はゴチャゴチャとした町中にあった。そこは狭い乾燥した往来を隔てて、唯規則正しく、趣味もなく造られた同じ型の商家が対い合っているような場所である。豊世がこういう町中を択んだのは、通学の便利の為で、彼女は上京する間もなく簿記を修めることにしていた。そこへお種が尋ねて行った。
姑と嫁とは窮屈な二階で一緒に成った。階下に住む夫婦者は小売の店を出して、苦しい、忙しい生活を営みつつある。しかし心易い人達ではあった。
「何にしても、これはエライところだ」とお種はすこし落付いた後で言った。「でも、豊世――伊東で寂しい思をしながら御馳走を食べるよりかも、ここでお前と一緒にパンでも咬る方が、どんなにか私は安気なよ」
伊豆の方で豊世が見た時よりも、余程姑の容子に焦々したところが少なく成ったように思われた。で、豊世もすこし安心して、自分の生家――寺島の母親が丁度上京中であることを言出した。この母は療治に出て来て、病院の方に居るが、最早間もなく退院するであろうと話し聞かせた。
「あれ、そうかや」とお種は切ないという眼付をした。「私は寺島の母親さんには御目に掛れない」
「関わないようなものですけれど……」と豊世は言ってみた。
「お前は関わないと思っても、私が困る……第一、お前をこんな処に置いて、寺島の母親さんに御目に掛れた義理じゃない……」
その時、お種は自分の留守へ電報を打って寄したという人を想ってみた。無理にも豊世を引戻そうとした人を想ってみた。唯お種は面目ないばかりでは無かった。
「では、私はこうするで……暫時森彦の方へ頼んで置いて貰うで……それから復たお前と一緒に成らず。どうしても今度はお目に掛れない……そうだ、そうせまいか……お前もまた悪く思ってくれるなや」
と姑に言われて、豊世は反って気の毒な思をした。彼女は何もかも打開けて、話す気に成った。
「母親さん、私も困りましたよ。寺島の母が着いた時は、真実に無いと言っても無い……葉書一枚買うことも出来ませんでしたよ、母が、国へ安着の報知を出しとくれ、ちょいとコマカイのが無いからお前の方で立替えといとくれッて、言いましても、それを買いに行くことが出来ません。私がマゴマゴしていますと、お前は葉書を買う金銭も無いのかッて、母は泣いて了いました……でも、その時百円出してくれました……それで、まあ漸と息を吐いたんですよ」
「それは困ったろうネ、私の方へも為替が来なく成った。ああ御金の送れないところを見ると、国でも動揺してるわい……しかしネ、豊世、ここで家の整理が付きさえすれば、お前を正太が困らすようなことは無いぞや……」
こういう話に成ると、お種は酷く大ザッパな物の考えようをすることが有った。往時は橋本の家の経済まで薬方の衆が預って、お種は奥を守りさえすれば好い人であった。
翌日お種は森彦の宿の方へ移ることにした。聞いてみると、嫁の側にも落付いていることが出来なかったのである。
彼方是方とお種は転々して歩いた。森彦の宿に二週間ばかり置いて貰って、寺島の母が国へ帰った頃に、漸く嫁の方へ一緒に成ることが出来た。毎日々々雨の降った揚句で、泥濘をこねて戻って来ると、濡れた往来はところどころ乾きかけている。店頭の玻璃戸はマブしいほど光っている。薄暗い壁に添うて楼梯を昇ると、二階の部屋の空気は穴の中のように蒸暑かった。丁度豊世はまだ簿記の学校の方に居る時で、間に合せに集められた自炊の道具がお種の眼に映った。衣紋竹に掛けてある着物ばかりは、室内の光景に不似合なものであった……お種は、何処へ行っても、真実に倚凭れるという柱も無く、真実に眠られるという枕も無くなった。
その日からお種は豊世と二人で、この二階に臥たり起きたりした。姑と嫁の間には今までに無い心が起って来た。お種は、自分が夫から受けた深い苦痛を、豊世もまた自分の子から受けつつあることを知った。自分の子が関係した女――それを豊世が何時の間にか嗅付けていて、人知れずその為に苦みつつある様子を見ると、お種は若い時の自分を丁度眼前に見せつけられるような心地がした。
不思議にも、貞操の女の徳であるということを口の酸くなるほど父から教えられたお種には、夫と他の女との関係が一番煩く光って見えた。で、お種は自分の経験から割出して、どうすれば男というものの機嫌が取れるか、どうすれば他の女が防げるか、そういう女としての魂胆を――彼女が考え得るかぎり――事細かに嫁の豊世に伝えようと思った。夏の夜の寝物語に、お種は姑として言えないようなことまで豊世に語り聞かせた。こんな風にして、姑と嫁との隔てが取れて来た。二人は親身の親子のように思って来た。
ある日、豊世はお種に向って、
「母親さん、今まで貴方には隠していましたが……真実に父親さんのことを言いましょうか」
こう言出した。お種は嫁の顔をつくづくと眺めて、
「復た……母親さんを担ごうなんと思って……」
「いえ、真実に……」
「豊世や、お前は真実に言う気かや……待てよ、そんなこと言われただけでも私は身体がゾーとして来る……」
その時始めて、お種は夫の滞在地を知った。支那へ、とばかり思っていた夫はさ程遠くは行っていなかった。国に居る頃から夫が馴染の若い芸者、その人は新橋で請出されて行って、今は夫と一緒に住むとのことであった。
「大方、そんなことだらずと思った」
とお種は苦笑に紛したが、心の中には更に種々な疑問を起した。
八月には、お種は東京で三吉を待受けた。この弟に逢われるばかりでなく、久し振りで姉弟や親戚のものが一つ処に集るということは、お種に取って嬉しかった。豊世もまだ逢ってみたことの無い叔父の噂をした。
「橋本さんは是方ですか」
店頭の玻璃戸に燈火の映る頃、こう言って訪ねて来たのは三吉であった。丁度お種や豊世は買物を兼ねてぶらぶら町の方へ歩きに行った留守の時で、二階を貸している内儀が出て挨拶した。
三吉は自分の旅舎の方で姉を待つことにして、皆なと一緒に落合いたいと言出した。「では、御待ち申していますから、明日の夕方からでも訪ねて来るように」こう内儀に言伝を頼んだ。
やがて三吉は自分の旅舎を指して引返して行った。その夏、彼は妻の生家の方まで遠く行く積りで、名倉の両親を始め、多くの家族を訪ねようとして、序に一寸東京へ立寄ったのであった。
久し振で出て来た三吉は翌日一日宿に居て、親戚のものを待受けた。森彦は約束の時間を違えずやって来た。三吉はこの兄を二階の座敷へ案内した。そこに来ていたお雪の二番目の妹にあたるお愛にも逢わせた。
「名倉さんの?」と森彦は三吉の方を見て、「先に修業に来ていた娘はどうしたい」
「お福さんですか。あの人は卒業して帰りました。もう旦那さんが有ります」
「早いものだナ。若い人のズンズン成人るには魂消ちまう――兄貴の家の娘なぞも大きく成った――そう言えば、俺の許のやつも、来年あたりは東京の学校へ入れてやらなきゃ成るまいテ」
水色のリボンで髪を束ねた若々しいお愛の容子を眺めながら、森彦は国の方に居る自分の娘達のことを思出していた。
「お愛さん、貴方はもう御帰りなさい。保証人の方へ廻って、認印を貰って行ったら可いでしょう」
と三吉に言われた、お愛は娘らしく顔を紅めて、学校の方へ帰る仕度をした。
間もなく三吉は兄と二人ぎりに成った。森彦は夏羽織を脱いで、窓に近く胡坐をかいた。達雄や実の噂が始まった。
「いや、エライことに成って来た。四方八方に火が点いたから驚く」と森彦が言出した。
三吉も膝を進めて、「しかし、橋本の方なぞは、一朝一夕に起った出来事じゃないんでしょうネ。私が橋本へ行ってた時分――あの頃のことを思うと、ナカナカ達雄さんも好く行っていましたッけがナア――非常な奮発で。それともあの頃が一番好い時代だったのかナア」
「なにしろ、お前、正太の婚礼に千五百両も掛けたとサ。そういうヤリカタで押して行ったんだ」
「姉さんなぞが又、どうしてそこへ気が着かずにいたものでしょう」
「そりゃ、心配は無論仕ていたろうサ。細君が帯を欲しいと言えば帯を買ってくれる、着物が欲しいと言えば着物を買ってくれる――亭主に弱点が有るからそういうことに成る。姉さんの方ではそうも思わないからネ。まあ、心配はしても、それほどとは考えていなかったろうサ」
好い加減にこういう話を切上げて、三吉はこの兄の直接関係したことを聞いてみようとした。達雄のことに就いて、尋ねたいことは種々あった。先ず夕飯の仕度を宿へ頼んだ。
この町中にある旅舎の二階からは、土蔵の壁、家の屋根、樹木の梢などしか見えなかった。しかし割合に静かな座敷で、兄弟が話をするには好かった。
「どうして達雄さんのような温厚しい人に、あんな思い切ったことが言えたものかしらん」こう森彦が言出した。「そりゃお前、Mさんと俺とでわざわざ名古屋まで出張して、達雄さんの反省を促しに行ったことが有るサ」
「よくまた名古屋に居ることが分りましたネ」と三吉は茶を入れ替えて兄に勧めながら言った。
「段々詮索してみると、達雄さんが家を捨てて出るという時に、途中である銀行から金を引出して、それで芸者を身受けして連れて行った。それが新橋の方に居た少婦さ……その時Mさんが、どうしても橋本は名古屋に居るに相違ない。俺にも行け、一緒に探せという訳で、それから名古屋に宿をとってみたが、さあ分らない。宿の内儀はやはりそれ者の果だ。仕方がないから、内儀に事情を話して、お前さんが探出したら礼をすると言ったところが、内儀は内儀だけに、考えた。なんでもそういう旦那には、なるべく早く金を費わして了うというのが、あの社会の法だとサ。では、十円出して下さい、私も身体が悪いから保養を兼ねて心当りの温泉へ行って見て来る、名古屋に二人が居るものなら必ずその温泉へ泊りに来る、こう内儀が言って探しに行ってくれた。果して一週間ばかり経つと、直ぐ来いという電報だ。そこで俺が飛んで行った。まだ蚊帳が釣ってあって、一方に内儀、一方にMさん、とこう達雄さんを逃がさないように附いて寝ていた。達雄さんが俺の方を向いたその時の眼付というものは……」
森彦は何か鋭く自分の眼でも打ったという手付をして見せて、言葉を続けた。
「それから、Mさんと俺とで、懇々説いてみた。実に平素の達雄さんには言えないようなことを言ったよ――自分は何もかも捨てたものだ――妻があるとも思わんし、子があるとも思わん――後はどう成っても関わないッて。最早仕方無い。その言葉を聞いて、吾儕は別れた」
「エライ発心の仕方をしたものだ。坊主にでも成ろうというところを、少婦を連れて出て行くなんて」
と三吉は言ってみたが、曾て橋本の家の土蔵の二階で旧い日記を読んだことのある彼には、この洒落と放縦とで無理に彩色してみせたような達雄の家出を想像し得るように思った。いかに達雄が絶望し、狼狽したかは、三吉に悲惨な感を与えた。
「あの時吾儕の会見したことは、ちゃんと書面に製えて、一通は記念の為に正太へ送ったし、一通は俺の許に保存してある」こう森彦は物のキマリでもつけたように言った。
「姉さんは委しいことを知っていましょうか」
「これがまた難物だテ。気でも違えられた日には大事だからネ。まあソロソロと耳に入れた。その為にああして長く伊東に置いて、なるべく是方の話は聞かせないようにしたよ」
その時下婢が夕飯の膳を運んで来た。三吉は下婢を返して、兄弟ぎりで話しながら食うことにした。
「どれ御馳走に成ろうか」と森彦は性急な調子で言って、箸を取上げた。「兄貴の家にも弱ったよ。ホラ、お前の許のお雪さんが先頃拝跪に来て、当分仕送りは出来ないッて断ったもんだから、俺の方でどうにかしてやらなくちゃ成らない……しかし、お前も御苦労だった。お互に長い間のことだから。加に、各自家族を控えてると来てる」
「実際、私の方にも種々な事情が有りましてネ。学校の貧乏なところへもって来て、町や郡からの輔助は削られる、それでも教員の数は増さんけりゃ手が足りない。私も見かねて、俸給を割くことにしました……まあ、当分輔助は覚束ないものと思って下さい……そのかわり橋本の姉さんは私の方へ引取りましょう。今度その積りで出て来ました」
「アア、そうか。そうして貰えると、姉さんの為にも好かろう」
こんな話をして、やがて食う物は食い、喋舌ることは喋舌ったという風に、森彦は脱いで置いた羽織を引掛けた。
「最早姉さんも見えそうなものだ」と三吉が言った。「夕飯でも済ましてから来ると見えるナ」
森彦は羽織の紐を結びながら、「今夜は俺の許へ話に来る人が有る。一寸用がある。これで俺は失礼します。それじゃ御馳走に成りました」
「まあ、可いじゃ有りませんか。もう少し話して行ったら」
「いや、復た逢えたら逢おう。名倉さんへも、皆さんに宜敷」
紳士風の夏帽子を手に持って出て行く森彦を送って、間もなく三吉は姉を迎えた。
お種は豊世を連れて三吉に逢いに来た。三吉とお種とは故郷の方で別れてから以来、一度汽車の窓で顔を合せたぎりである。蔭ながら三吉も姉のことでは心配していたので、こうして逢って見るまでは安心が出来なかった。
三吉と豊世の間には初対面の挨拶などが交換された。
「もうすこし早く来ると、森彦さんとも一緒に成れた」と三吉が姉に言った。
「そうも思いましたがネ、あんまり多勢で押掛けても気の毒だと思って――」
「叔父さん、昨晩は失礼いたしました」
と豊世は「叔父さん」を珍しそうに言う。
「私達は今、面白い二階に居ますよ」とお種は女持の煙草入を取出しながら、「お前さんなぞが上って見ようものなら、驚く位だ。一つ部屋に、応接間もあれば、ランプ部屋もあれば、お勝手もある……蚊が出て困ると言って、実の家から蚊帳を借りたは好かったが、釣ってみると部屋一ぱいサ。環を釘へ掛けても、まだダクンダクンしてる……笑ったにも何にも……」
「そういう思いもしてみるが好う御座んす――」と三吉が言った。
お種と豊世とは顔を見合せた。やがてお種は一服やって、「私もネ、長いこと伊東の方に居ました。森彦の親切で、すっかり保養も出来たで……是頃お雪さんから手紙を下すったように、もしお前さんの許で私を呼んでくれるなら、行って子供の世話でも何でもしてやるわい」
「まあ、暫時私の方へ来ていて御覧なさい――姉さんには田舎の方が静かで好いかも知れません――そのかわり、何にも御馳走は有りませんぜ」
「御馳走なぞが要らずか。この節では、お前さん、一週間に一度ずつ森彦の旅舎へ行って、新聞を読んで、お風呂に入れて貰って、夕飯を振舞って貰っては帰って来る。それより外に何にも楽みが無い――私は今、そういう日を送ってる」
豊世は姑から細い銀の煙管を借りて、前曲みに煙草を燻してみながら、話を聞いている。
「伊東に居た時分も、お前さん、他の奥様なぞが橋本さんは御羨しい御身分だ、こうして毎日遊んでいらしっても、御国からは御金を送って来るなんて――他は何事も知りませんからネ……」
こういうお種の調子には、存外沈着いたところが有るので、三吉も心配した程では無いと思って来た。弟は話を進めようとしたが、それを言う前に、自分の方のことを持出した。学校の暑中休暇を機会として、名倉の家まで行く積りだと話した。
「先頃お雪さんが出ていらしった節は、実の家の方で御一緒に成りました」とお種が言った。
「私はネ、叔父さん」と豊世は引取って、
「このお宿でお雪叔母さんにお目に懸りました――森彦叔父さんと御一緒に伺って」
「これはお前より叔母さんの方に先に逢ってますよ」とお種は嫁の方を弟に指して見せた。
豊世はこの始めて逢った「叔父さん」という人にジロジロ見られるような気がして、姑の傍に小さく成っていた。
夏の日が暮れて、燈火は三人の顔に映った。三吉は姉の容子を眺めながら、こう切出した。
「達雄さんも、名古屋の方だそうですネ……」
「そうだそうな」
と答えるお種の顔には憂愁の色が有った。それを彼女は苦笑で紛わそうともしていた。
「何処も彼処も後家さんばかりに成っちゃった」
「三吉――俺は未だ後家の積りじゃ無いぞい」と姉は口を尖らした。
「積りでなくたって、実際そうじゃ有りませんか」と弟は戯れるように。
「馬鹿こけ――」
お種は両手を膝の上に置いて、弟の方を睨む真似した。三吉も嘆息して、
「姉さん、旦那のことは最早思い切るが宜う御座んすよ。だって、あんまりヤリカタが洒落過ぎてるじゃ有りませんか。私も森彦さんから聞きましたがネ、そんな人に尽したところで、無駄です――後家さんが可い、後家さんが可い」
「これ、お前さんのように……そう、後家、後家と言って貰うまいぞや」
「馬鹿々々しい……亭主に好さそうな人が有ったら、私がまた姉さんに世話して進げる」
不幸な姉を憐む心から、三吉はこんな串談を言出した。お種はもうブルブル身を震わせた。
「三吉、見よや、豊世が呆れたような顔をしてることを――お前さんがそんな悪い口を利くもんだからサ――国に居る頃から、お前さん、お仙なぞが三吉叔父さん、三吉叔父さんと言って、よく噂をするもんだから、どんなにか好い叔父さんだろうと思って豊世も逢いに来たところだ……」と言って、お種は嫁の方を見て、「ナア、豊世――こんな叔父さんなら要らんわい」
豊世は笑わずにいられなかった。
「しかし、串談はとにかく」と三吉は姉の方を見て、「後家さんというものはそんなにイケナイものでしょうか」
「後家に成って、何の好い事があらず」
と姉は力を入れた。
「そりゃ、若くて後家さんに成るほど困ることは無いかも知れません。しかし、年をとってからの後家さんはどうです。重荷を卸して、安心して世を送られるようなものじゃ有りますまいかネ……人にもよるかも知れませんが、こう私は、姉さん位の年頃に成って、子のことを考えて行かれる後家さんが一番好かろうと思うんですが……」
「まあ、女に成ってみよや」
と言って、姉は取合わなかった。
その晩、お種は弟の宿に泊めて貰って、久し振で一緒に話す積りであった。やがて町の響も沈まって聞える頃、お種は嫁に向って、
「豊世、お前はもう帰らッせ」
「今夜は私も母親さんの側に泊めて頂きとう御座んすわ」と豊世が言った。「何だか御話が面白そうですから……」
姑の許を得て、豊世は自分の宿まで一旦断りに行って、それから復た引返して来た。三人同じ蚊帳の内に横に成ってからも、姉弟は話し続けた。お種は枕許へ煙草盆を引寄せて、一服やったが、自分で抑えることの出来ないほど興奮して来た。伊東に居た頃、よく彼女の瞑った眼には一つの点が顕われて、それがグルグル廻るうちに、次第に早くなったり、大きく成ったりして見えた。お種は寝ながらそれを手真似でやって見せた。終には自分の身までその中へ巻込まれて行くような、可恐しい焦々した震え声と力とを出して形容した。
「ア――姉さんは未だ真実に癒っていないんだナ」
と三吉は腹の中で思った。それを側で聞くと、豊世も眠られなかった。
再会を約して置て、翌朝お種は三吉に別れた。豊世も姑と一緒にこの旅舎を出た。
「――三吉の家まで行って置けば、正太の許から迎をよこしてくれるたって、造作なからず」
「ええ、三吉叔父さんの御宅までいらっしゃれば、もう郷里へ帰ったも同じようなものですわ」
こんな言葉を換しながら、姑と嫁とは宿の方へ帰って行った。
例の二階で、復た復たお種が旅仕度を始める頃は、やがて八月の末であった。森彦の旅舎だの、直樹の家だの、方々へ暇乞いにも出掛けなければ成らぬ、と思うと、心はあわただしかった。
ジメジメと蒸暑い午後、一番後廻しにした実の留守宅に暇乞に寄る積りで、お種は宿を出た。橋本へ嫁いてから以来――指を折って数える程しか彼女は自分の生家へも帰っていない。その中で、小泉の家が東京へ引越したばかりの頃、一度彼女は母と一緒に成ったことや、その時も夫がある女に関係して、その為に長年薬方を勤めた大番頭の一人が怒って暇を取ったことや、その時こそは夫婦別をしようかとまで彼女も悲しく思ったことや、それからその時ぎり母にも逢えなかったことなどを胸に浮べて行った。
小泉の家も段々小さく成った。ある狭い路地を入って、溝板の上を踏んで行くと、そこには種々な生活を営む人達が一種の陰気な世界を形造っている。お種は薄暗い格子戸の前に立った。
「誰方?」
こう若々しい声で言って、内から顔を出したのは、お俊であった。
「母親さん――橋本の伯母さんが被入しってよ」
と復た娘は奥の方へ声を掛けた。橋本の伯母と聞いて、お倉は古びた簾の影から這出した。毎年のようにお倉は脚気を煩うので、その夏も臥たり起きたりして、二人の娘を相手に侘しい女暮しをしているのである。
過去った日を思わせるような、こういう住居に不似合なほど大きい長火鉢の側で、女同志は話した。
「三吉が来いと言ってくれるで、私も暫時彼の方へ行って厄介に成るわいなし」とお種が言った。
「そりゃ、まあ結構です――三吉さんは私共へも一寸寄って下さいました」とお倉は寂しそうに笑いながら、「私がこんな幽霊のような頭髪をしていたもんですから、三吉さんも驚いて逃げて行って了いました……」
「私でも、ドモナラン」
この「ドモナラン」は茶盆をそこへ取出したお俊を笑わせた。
「俊」とお倉は娘の方を見て、「貰ったお茶が有ったろう」
「母親さん、あのお茶は最早駄目よ」とお俊はすこし顔を紅くした。
「お倉さん、番茶で沢山です。そんなに関って下さると、生家へ来たような気がしない……」とお種は快活らしく笑って、
「そう言えば、三吉も可笑しなことを言う奴だテ。私が豊世を連れて彼の宿まで逢いに行きましたら、何をまた彼が言出すかと思うと、何処も彼処も後家さんばかりに成っちゃった――なんて。私は怒ってやった」
「真実に、皆な後家さんのようなものですよ――でも、姉さんなぞは未だ好う御座んすサ。私を御覧なさいな。私くらい運の悪い者は無い――私は小泉へお嫁に来ましてから、旦那と一緒に暮したなんてことは、貴方の三分一も有りゃしません――留守、留守で、そんなことばかりしてるうちに一生済んで了いました」
染めずにいるお倉の髪は最早老婦のように白い。
不幸だ、不幸だと言いながら気の長いお倉の様子は、余計にお種をセカセカさせた。
お種は自分の生家を探すような眼付をして、四辺を眺め廻した。実は留守、お杉は亡くなる、宗蔵は他へ預けられている、よく出入した稲垣夫婦なぞも遠く成った。僅かに兄弟の力を頼りに細々と煙を立てる有様である。二間ばかりある住居で、日も碌に映らなかった。それに、幾度か引越した揚句のことで、ずっと昔の生家を思出させるような物は殆んどお種の眼に映らない。唯、奥の方の壁に、父の遺筆が紙表具の軸に成って掛っている。そこには、未だそれでも忠寛の精神が残っていて、廃れ行く小泉の家に対するかのようである……
こういう衰えた空気の中でも、お俊はズンズン成長した。高等女学校程度を卒える程の年頃に成った。
「御蔭様で、俊も、学校の方の成績は始終優等だもんですから、校長先生も大層肩を入れて下さいましてネ」と言って、お倉は娘の方を見て、「お前の描いた画を持って来て、伯母さんにお目にお掛けな」
お俊は幾枚かの模写をそこへ取出して来て、見せた。この娘は自分で模様を描いた帯を〆ていた。
「漸くこういう色彩の入ったものを許されました」とお倉は娘の画をお種に指して見せて、「三吉さんが、画や歌のお稽古は止めて学校だけにさしたら可かろう――なんて言うんですけれど、折角今までやらしたものですから、せめて画の先生だけへは通わせたいと思いますんですよ。俊も好きですから……」
「そうですとも。ここで止めさせるのは惜しいものだ」とお種が言った。
「私もネ、何を倹約しても斯娘には掛けたいと思いまして……どうして、貴方、この節では母親さんの言うことなぞを聞きやしません。何ぞと言うと私の方がやりこめられる位です」
「教育が違いますからネ」
「ええええ、私共の若い時なぞは、今のように学校が有るじゃなし……」
「鶴は?」とお種はお俊の妹のことを聞いてみた。
「御友達の許へでも遊びに行ったんでしょう」とお俊が答える。
「俊、鶴ちゃんの免状は何処にあったっけねえ。伯母さんにお目に掛けたら……まあ、あの娘も学校が好きでして、試験と言えば賞を頂いて参ります」
こんな話をしながら、お倉は吸付けた長煙管の口を一寸袖で拭いて、款待顔にお種の方へ出した。狭い廂間から射し入る光は、窓の外を明るくした。簾越しに隣の下駄職の労苦する光景も見える。溝の蒸されるにおいもして来る。
母に言付けられて、お俊は次の間に置いてある桐の机の方へ行った。実の使用っていた机だ。その抽匣の中から、最近に来た父の手紙を取出した。
お倉は鼠色の封筒に入った獄中の消息をお種に見せて、声を低くした。「ここにも御座います通り、橋本さんへも宜敷申すようにッて」
「実は何事も外部のことを知らずにいるんでしょうよ」とお種は嘆息した。
暫時女同志は無言でいた。お倉は聞いて貰う積りで、
「なにしろ、貴方、長い間の留守ですから、私も途方に暮れて了いましたよ……こんな町中に住まわないたって、もっと御屋賃の御廉い処へ引越したら可かろうなんて、三吉さんもそう言いますんですけれど、ここの家に在る道具は皆な、貴方差押……娘達を学校へ通わせるたって、あんまり便利の悪い処じゃ困りますし……それに、私共の借財というのが……」
次第に掻口説くような調子を帯びた。お倉の癖で、枝に枝がさして、終には肝心の言おうとすることが対手に分らないほど混雑かって来た。
「あれで、森彦も自分の事業の方の話は何事もしない男ですが――」とお種はお倉の話を遮った。「貴方の方に、郷里に、自分の旅舎じゃ……どうしてナカナカ骨が折れる。考えてみると、よく彼もやったものです」
「真実に、森彦さんには御気の毒で」
「彼の旅舎へ行ってみますとネ、それはキマリの好いものですよ。酒を飲むじゃなし、煙草を燻すじゃなし……よくああ自分が責められたものだと思って、私は何時でも感心して見て来る。何卒して彼の思うことも遂げさして遣りたいものですよ」
身内のものの噂は自然と宗蔵のことに移った。
「宗さんですか」とお倉はさもさも厄介なという風に、「世話してくれてる人がよく来て話します。まあ心はどれ程御強健なものか知れませんなんて……こういう中でも、貴方、月々送るものは送らなけりゃ成りません。森彦さんも御大抵じゃ有りませんサ」
「彼は小泉の家に附いた厄介者です。どうしてまたあんな者が出来たものですかサ」
「もう少し病人らしくしていると可いんですけれど、我儘なんですからねえ――森彦さんはああいう気象でしょう、真実に宗蔵のような奴は……獣ででもあろうものなら、踏殺してくれたいなんて……」
お倉やお種が笑えば、お俊も随いて笑った。この謔語は、森彦でなければ言えないからであった。
やがて別れる時が来た。
「三吉さんの許へいらっしゃいましたら、俊や鶴のことを宜敷御願い申しますッて、そう仰って下さい……何卒……」
こう力を入れて頼むお倉の言葉を聞て、お種は小泉の家を出た。
東京を発つ朝は、お種は豊世やお俊やお鶴などに見送られた。豊世は幾度か汽車の窓の下へ来て、涙ぐんだ眼で姑の方を見た。
一年余旅の状態を続けて、漸くお種は弟の家まで辿り着いた。三吉は遠く名倉の家の方から帰って来て、お雪と共に姉を待受けているところで有った。
「オオ、橋本の姉さん――」
とお雪は台所から飛んで出て来て、襷を除しながら迎えた。
奥の部屋へ案内されたお種の周囲には、三吉夫婦を始め、子供等がめずらしそうに集った。お種は、狭隘しい都会の中央から、水車の音の聞えるような処へ移って、弟等と一緒に成れたことを喜んだ。彼女は別に汽車にも酔わなかったと言った。
「房ちゃん、橋本の伯母さんだが、覚えているかい」と三吉は年長の娘に尋た。
「一度汽車の窓で逢ったぎりじゃ、よく覚えが有るまいテ」と言って、お種はお房の顔を眺めて、「どうだ、伯母さんのような気がするか」
「皆な大きくなりましたろう」
「菊ちゃんの大きく成ったには魂消た。姉さんの方と幾許も違わない」
お種はそこに並んでいる二人の娘を見比べた。
「へえ、こういうのが今年出来ました。見て下さい」とお雪は次の部屋に寝かしてあった乳呑児を抱いて来て見せた。
三番目もやはり女の児で、お繁と言った。お繁は見慣れない伯母を恐れて、母の懐へ顔を隠したが、やがてシクシクやり出した。お雪は笑って乳房を咬えさせる。すこし慣れるまで、他の方を向いていようなどと言って、お種も笑った。
「房ちゃんは幾歳に成るの?」とお種が手土産を取出しながら聞いた。
「伯母さんが何歳に成るッて」とお雪も言葉を添える。
「ね、房ちゃんがこれだけで、菊ちゃんがこれだけ」とお房は小さな掌を展げて、指を折って見せた。
「フウン――お前さんが五歳で、菊ちゃんが三歳――そう御悧好じゃ、御褒美を出さずば成るまい――菊ちゃんにも御土産が有りますよ」
「御土産! 御土産!」
と二人の子供は喜んで、踊って歩いた。
「御行儀を好くしないと伯母さんに笑われますよ。真実にイタズラで仕方が有りません」とお雪が言った。
親達の側にばかり寄っていたお房は、直に伯母の方に行った。そして、母に勧められて、無邪気な「亀さん」の歌なぞを聞かせた。
お房の小供らしい声には、聞いている伯母に取って、幼い時分のことまでも思わせるようなものが有った。
「これはウマいもんだ」とお種は左右に首を振った。「もう一つ伯母さんに歌って聞かせとくれ……何年振で伯母さんはそういう声を聞くか知れない……」
始めて弟の家を見るお種には、草葺の屋根の下もめずらしかった。お種はお雪に附いて、裏の畠の方まで見て廻って、復た三吉の居る部屋へ戻って来た。
「オオ、ほんに、柿の樹が有るそうな」とお種は身を曲めて、庭の隅に垂下る枝ぶりを眺めながら、「嘉助がよく御厄介に成ったもんですから、帰って来てはその話サ――柿だの、李だの、それから好い躑躅だのが植えてあるぞなしッて」
庭には桜、石南花なども有った。林檎は軒先に近くて、その葉の影が部屋から外部を静かにして見せた。
お雪は乳呑児を抱いて来た。「先刻泣いたかと思うと、最早こんなに笑っています」
「ホ、御機嫌が直ったそうな」とお種はアヤして見せて、「これは好い児だ」
「私共のようにこう多勢でも困りますけれど、貴方の許でも御一人位……」
「どうも豊世には子供が無さそうですテ……」
「真実に、分けて進げたい位だ」と三吉が笑った。
「くれるなら貰うわい」とお種は串談のように言って、「しかしこれは皆な持って生れて来るものだゲナ。持って生れて来ただけは産む……そういうように身体に具わっているものと見えるテ――授からん者は仕方ない」
「なにしろ、私のところなぞは書生ばかりで始めた家でしょう――」と三吉は言った。「菊ちゃんが出来て、私が房ちゃんを抱いて寝なければ成らない時分は、一番困りましたネ……どうしても母親でなけりゃ承知しない……寒い晩に、子供は泣通し……こんなに子供を育てるのは厄介なものかしらんと思って、実際私も泣きたい位でした」
「皆なそうして育って来たのだわい」
「よく書生時代には、男が家を持った為にヘコんで了うなんて、そんな意気地の無いことがあるもんか、と思いましたッけが――考えてみると、多くの人がヘコむ訳ですネ」
「お雪さん、貴方は今女中無しか」
「ええ、幸い好いのが見つかったかと思いましたら、養蚕をする間、親の方で帰してくれって」
「どうして、それじゃナカナカ骨が折れる」と言って、お種は家の内を眺め廻して、「しかし、お雪さん、私も御手伝いしますよ。今日からは貴方の家の人と思って下さいよ」
何となくお種は興奮していて、時々自分で制えよう制えようとするらしいところが有る。顔色もいくらか蒼ざめて見える。三吉は姉を休ませたいと思った。
「菊ちゃん、来うや」
こう訛のある、田舎娘らしい調子で言って、お房は妹と一緒に裏の方から入って来た。
「母さん」
お房は垣根の外で呼んだ。お菊も伯母の背中に負さりながら、一緒に成って呼んだ。子供は伯母に連れられて、町の方から帰ってきた。お種が着いた翌日の夕方のことである。
「オヤ、お提燈を買って頂いて――好いこと」お雪は南向の濡縁のところに立っていた。
「一寸そこまで町を見に行って参りました」とお種は垣根の外から声を掛けた。お房は酸漿提燈を手にして、先ず家へ入った。つづいて伯母も入って、そこへお菊を卸した。
喜び騒ぐ二人の子供から、お雪は提燈を受取って、火を点した。それを各自に持たせた。
「菊ちゃん、そんなに振ってはいけませんよ――これは蝋燭がすこし長過ぎる」とお種が言った。
「紅い紅い」とお雪はお繁を抱いて見せた。
「どれ、父さんの許へ行って見せて来ましょう」
こう言いながら、お種は子供を連れて、奥の方へ行った。
「父さん、お提燈」
とお房がさしつけて見せる。丁度三吉も一服やっているところであった。
「へえ、好いのを買って頂いたネ」
と父に言われて、子供は彼方是方と紅い火を持って廻った。
「私もここで一服頂かずか」とお種は三吉の前に坐った。「こういう子供の騒ぐ中で、よくそれでも仕事が出来たものだ……真実に、子供が有ると無いじゃ家の内が大違いだ……」
何かにつけて、お種の話は夫の噂に落ちて行った。何故、達雄が妻子を捨てたかという疑問は、絶えず彼女の胸を離れなかった。
「妙なものだテ」とお種は思出したように、「旦那が未だ郷里の方に居る時分――まあ、唐突と言っても唐突に、ふいとこんなことを言出した。お種、お前を捨てるようなことは決して無いで、安心しておれやッて。それが、お前さん、夢にも私はそんなことを思ったことの無い時だぞや。それを聞いた時は、私はびくッとした……」
「姉さん、そういう時分に家の方のことが幾分か解りそうなものでしたネ」
「解るものかよ。朝から晩まで、御客、御客で。それ酒を出せ、肴を出せ、出さなければ、また旦那が怒るんだもの。もうお前さん、ゴテゴテしていて、そんなことを聞く暇もあらすか」
「私が姉さんの許へ行った時分は、達雄さんも勉強でしたがナア」
「あの調子で行ってくれると、誠に好かった。直に物に飽きるから困る。飽きが来ると、復た病気が起る――旦那の癖なんですからネ」
「それはそうと、達雄さんも今どうしていましょう」
「どうしていることやら……」
「やはりその女と一緒でしょうか」
「どうせ、お前さん長持ちがせすか――御金が無くなって御覧なさい。何時までそんな女が旦那々々と立てて置くもんですかね……今度は自分が捨てられる番だ……そりゃあもう、眼に見えてる……」
「先ずそういうことに成って行きそうですナ」
「そこですよ、私が心配して遣るのは。旦那もネ、橋本の家で生れた人ですから、何卒して私は……あの家で死なして遣りたくてサ」
喧嘩でもしたか、子供が泣出した。お種は三吉の傍を離れて、子供の方へ行った。
幼い子供達は間もなくお種に取って、離れがたいほど可愛いものと成った。肩へ捉まらせるやら、萎びた乳房を弄らせるやら、そんな風にして付纏われるうちにも、何となくお種は女らしい満足を感じた。夫に捨てられた悲哀も、いくらか慰められて行った。
炉辺に近い食卓の前には、お房とお菊とが並んで坐った。伯母は二人に麦香煎を宛行った。お房は附木で甘そうに嘗めたが妹の方はどうかすると茶椀を傾げた。
「菊ちゃん、お出し」と言って、お種は妹娘の分だけ湯に溶かして、「どれ、着物がババく成ると不可いから、伯母さんが養って進げる」
子供にアーンと口を開かせる積りで、思わず伯母は自分の口を開いた。
「ああ、オイシかった」とお房は香煎の附いた口端を舐め廻した。
「房ちゃんも菊ちゃんも頂いて了ったら、すこし裏の方へ行って遊んで来るんですよ。母さんが何していらっしゃるか、見てお出なさい――母さんは御洗濯かナ」
「伯母さん、復た遊びましょう」とお房が言った。
「ええ、後で」とお種は笑って見せた。「伯母さんは父さんの許で御話して来るで――」
子供は出て行った。
三吉はその年の春頃から長い骨の折れる仕事を思立っていた。学校の余暇には、裏の畠へも出ないで、机に向っていた。好きな野菜も、稀に学校の小使が鍬を担いで見廻りに来るに任せてある。
「三吉さん、御仕事ですか」とお種は煙草入を持って、奥の部屋へ行った。彼女は弟の仕事の邪魔をしても気の毒だという様子をした。
「まあ、御話しなさい」
こう答えて、弟は姉の方へ向いた。丁度お種も女の役の済むという年頃で、多羞しい娘の時に差して来た潮が最早身体から引去りつつある。彼女は若い時のような忍耐力が無くなった。心細くばかりあった。
「妙なものだテ」とお種が言出した。この「妙なものだテ」は弟を笑わせた。その前置を言出すと、必とお種は夫の噂を始めるから。
「旦那も来年は五十ですよ。その年に成っても、未だそんな気でいるとは。実に、ナサケないじゃ有りませんか……男というものは可恐しいものですネ……私が旦那の御酒に対手でもして、歌の一つも歌うような女だったら好いのかも知れないけれど――三吉さん、時々私はそんな風に思うことも有りますよ」
苦笑したお種の頬には、涙が流れて来た。その時彼女は達雄が若い時に秀才と謳われたことや、国を出て夫が遊学する間彼女は家を預ったことや、その頃から最早夫の病気の始まったことなどを弟に語り聞せた。
「ある時なぞも――それは旦那が東京を引揚げてからのことですよ――復た病気が起ったと思いましたから、私が旦那の気を引いて見ました。『むむ、あの女か――あんな女は仕方が無い』なんて酷く譏すじゃ有りませんか。どうでしょう、三吉さん、最早旦那が関係していたんですよ。女は旦那の種を宿しました。その時、私もネ、寧そその児を引取って自分の子にして育てようかしら、と思ったり、ある時は又、みすみす私が傍に附いていながら、そんな女に子供まで出来たと言われては、世間へ恥かしい、いかに言ってもナサケないことだ、と考えたりしたんです。間もなく女は旦那の児を産落しました。月不足で加に乳が無かったもんですから、満二月とはその児も生きていなかったそうですよ――しかし、旦那も正直な人サ――それは気分が優いなんて――自分が悪かったと思うと、私の前へ手を突いて平謝りに謝る。私は腹が立つどころか、それを見るともう気の毒に成ってサ……ですから、今度だっても旦那が思い直して下さりさえすれば……ええええ、私は何処までも旦那を信じているんですよ。豊世とも話したことですがネ。私達の誠意が届いたら、必と阿父さんは帰って来て下さるだろうよッて……」
「伯母さん、お化粧するの?」とお房は伯母の側へ来て覗いた。
「伯母さんだって、お化粧するわい――女で、お前さん、お化粧しないような者があらすか」
お雪や子供と一緒に町の湯から帰って来たお種は、自分の柳行李の置いてある部屋へ入って、身じまいする道具を展げた。そこは以前書生の居た静かな部屋で、どうかすると三吉が仕事を持込むこともある。家中で一番引隠れた場処である。お種が大事にして旅へ持って来た鏡は、可成大きな、厚手の玻璃であった。それに対って、サッパリと汗不知でも附けようとすると、往時小泉の老祖母が六十余に成るまで身だしなみを忘れずに、毎日薄化粧したことなどが、昔風の婦人の手本としてお種の胸に浮んだ。年のいかない芸者風情に大切な夫を奪去られたか……そんな遣瀬ないような心も起った。残酷なほど正直な鏡の中には、最早凋落し尽くした女が映っていた。肉が衰えては、節操も無意味で有るかのように……
頬の紅いお房の笑顔が、伯母の背後から、鏡の中へ入って来た。
「房ちゃん、お前さんにもお化粧して進げましょう――オオ、オオ、お湯に入って好い色に成った」
と言われて、お房は日に焼けた子供らしい顔を伯母の方へ突出した。
やがてお種はお房を連れて、お雪の居る方へ行った。お雪も自分で束髪を直しているところであった。
「母さん」とお房は真白に塗られた頬を寄せて見せる。
「へえ、母さん、見てやって下さい――こんなに奇麗に成りましたよ」とお種が笑った。
「まあ……」とお雪も笑わずにいられなかった。「房ちゃんは色が黒いから、真実に可笑しい」
暫時、お種はそこに立って、お雪の方を眺めていたが、終に堪え切れなくなったという風で、こう言出した。
「お雪さん、そんな田舎臭い束髪を……どれ、貸して見さっせ……私は豊世のを見て来たで、一つ東京風に結ってみて進げるに」
お房は大きな口を開きながら、家の中を歌って歩いた。
南の障子に近いところは、お雪が針仕事を展げる場所である。お種はお雪と相対に坐って、余念もなく秋の仕度の手伝いをした。障子の側は明るくて、物を解いたり縫ったりするに好かった。
「菊ちゃん、伯母さんにその写真を見せとくれ――伯母さんは未だよく拝見しないのが有った」
お種は子供が取出した幾枚かの写真を受取った。お雪が生家の方の人達の面影は順々に出て来た。
「お雪さん」とお種は勉の写真を取上げて、「この方がお福さんの旦那さんですか」
「ええ」
「三吉も、彼方で皆さんに御目に掛って来たそうですが……やはりこの方は名倉さんの御養子の訳ですネ。商人は何処か商人らしく撮れてますこと」
こう言ってお種は眺めた。
「菊ちゃん、そんなに写真を玩具にするんじゃ有りませんよ」
と母に叱られても、子供は聞入れなかった。お種は針仕事を一切にして、前掛を払いながら起立った。
「さあ、房ちゃんも菊ちゃんも、伯母さんと一緒にいらっしゃい――復た御城跡の方へ行って見て来ましょう」
お種は帯を〆直して、二人の子供を連れて出て行った。お雪の側には、そこに寝かしてあったお繁だけ残った。部屋の障子の開いたところから、何となく秋めいた空が見える。白いちぎれちぎれの雲が風に送られて通る。
「姉さんは?」と三吉が学校から帰って来て聞いた。
「散歩がてらオバコの実を採りにいらっしゃいました――子供を連れて」
「そんな物をどうするんかネ」
「髪の薬に成さるとかッて――煎じて附けると、光沢が出るんだそうです――なんでも、伊東の方で聞いてらしったんでしょう」
三吉は小倉の行燈袴を脱捨てて、濡縁のところへ足を投出した。
「それはそうと、姉さんは木曾の方へ子供を一人連れて行きたがってるんだが――どうだネ、繁ちゃんを遣ることにしては」
こんなことを夫が言出した。お雪は答えなかった。
「こう多勢じゃヤリキレない」と言って三吉はお繁の寝ている様子を眺めて、「姉さんに一人連れてって貰えば、吾儕の方でも大に助かるじゃないか……しきりに姉さんがそう言うんだ……」
「そんなことが出来るもんですか」とお雪は言葉に力を入れた。
三吉は嘆息して、「姉さんだっても寂しいんだろうサ……そりゃ、お前、正太さんには子供が無いから、あるいは長く傍に置きたいと言うかも知れないし、くれろと言うかも知れない。その時はその時サ。当分姉さんが繁ちゃんを借りて行って、育てて見たいと言うんだ。どうだネ、お前は――俺は一人位貸して遣っても可いと思うんだが」
「貴方は遣る気でも、私は遣りません――そんなことが出来るか出来ないか考えてみて下さい――」
「預けたって、お前、別に心配なことは無いぜ。姉さんのことだから必と大切にしてくれる」
「姉さんが何と仰っても――繁ちゃんは私の児です――」
姉が末の子供を郷里の方へ連れて行きたいという話は、三吉の方にあった。お雪は聞入れようともしなかった。
秋も深く成って、三吉の家ではめずらしく訪ねて来た正太を迎えた。正太は一寸上京した帰りがけに、汽車の順路を山の上の方へ取って、一夜を叔父の寓居で送ろうとして立寄ったのであった。
奥の部屋では客と主人の混り合った笑声が起った。お種は台所の方へ行ったり、吾子の側へ行ったりして、一つ処に沈着いていられないほど元気づいた。
「正太や――お前は母親さんを連れてってくれられる人かや」
「いや、今度は途中で用達の都合も有りますからネ――母親さんの御迎には、いずれ近いうちに嘉助をよこす積りです」
「そんなら、それで可いが、一寸お前の都合を聞いて見たのさ。何も今度に限ったことは無いで……」
三吉を前に置いて、橋本親子はこんな言葉を換した。漸くお種は帰郷の日が近づいたことを知った。その喜悦を持って、復たお雪の方へ行った。
三吉と正太とは久し振で話した。この二人が木曾以来一度一緒に成ったのは、達雄の家出をしたという後であった。顔を合せる度に、二人は種々な感に打たれた。でも、正太は元気で、父の失敗を双肩に荷おうとする程の意気込を見せていた。
「正太さん。姉さんも余程沈着いて来ましたろう。僕の家へ来たばかりの時分はどうも未だ調子が本当で無かった――僕が姉さんに、郷里へ帰ったら草鞋でも穿いて、薬を売りに御出掛なさいなんて、そんな串談を言ってるところです」
「そういう気分に成れると可いんですけれど……然し、最早連れて帰っても大丈夫でしょう。母親さんが家へ行って見たら、定めし驚くことでしょうナア。なにしろ、私も手の着けようが有りませんから、一切を挙げ皆さんに宜敷頼む、持って行きたい物は持っておいでなさい――何もかもそこへ投出して了ったんです」
「その決心は容易でなかったろうネ」
「ところが、叔父さん、その為に漸く家の整理がつきました。そりゃあもう、襖に張ってある短冊まで引剥がして了ったんですからネ……そういう中でも、豊世の物だけは、一品だって私が手を触れさせやしません……まあ、母親さんが居なくて、反って好かった。あれで母親さんが居ようものなら、それほどの決断には出られなかったかも知れません。田舎はそこへ行くと難有いもので、橋本の家の形も崩さずに遣って行かれる。薬は依然として売れてる――最早嘉助の時代でも有りませんから、店の方は若い者に任せましてネ、私は私で東京の方へ出ようと思っています。これからは私の奮発一つです」
「へえ、正太さんも東京の方へ……実は僕も今の仕事を持って、ここを引揚げる積りなんですが……」
「私の方が多分叔父さんよりは先へ出ることに成りましょう」
「随分僕も長いこと田舎で暮しました」
「お仙はどうしたかいナア」と不幸な娘のことまで委しく聞きたがる母親を残して置いて、翌日正太は叔父の許を発って行った。
そろそろお種も夫の居ない家の方へ帰る仕度を始めた。達雄が残して行った部屋――着物――寝床――お種の想像に上るものは、そういう可恐しいような、可懐しいようなものばかりで有った。
「三吉さん――私もネ、今度は豊世の生家へ寄って行く積りですよ。寺島の母親さんにも御目に掛って、よく御話したら、必と私の心地を汲んで下さるだろうと思いますよ」
隣室に仕事をしている弟の方へ話し掛けながら、お種は自分の行李を取出した。彼女はお雪と夏物の交換などをした。
やがて迎の嘉助が郷里の方から出て来た。この大番頭も、急に年をとったように見えた。植物の好きなお種は、弟がある牧場の方から採って来たという谷の百合、それから城跡で見つけた黄な花の咲く野菊の根などを記念に携えて、弟の家族に別れを告げた。お種は自分の家を見るに堪えないような眼付をして、供の嘉助と一緒に、帰郷の旅に上った。
翌年の三月には、いよいよ三吉もこの長く住慣れた土地を離れて、東京の方へ引移ろうと思う人であった。種々な困難は彼の前に横たわっていた。一方には学校を控えていたから、思うように仕事も進捗らなかった。全く教師を辞めて、専心労作するとしても、猶一年程は要る。彼は既に三人の女の児の親である。その間、妻子を養うだけのものは是非とも用意して掛らなければ成らなかった。
とにかく、三吉は長い仕事を持って、山を下りようと決心した。
「オイ、洋服を出しとくれ」
とある日、三吉は妻に言付けた。三吉はある一人の友達を訪ねようとした。引越の仕度をするよりも何よりも、先ず友達の助力を得たいと思ったのである。
寒そうな馬車の喇叭が停車場寄の往来の方で起った。その日は三吉と同行を約束した人も有ったが、途中の激寒を懼れて見合せた位である。三吉は外套の襟で耳を包んで、心配らしい眼付をしながら家を出た。白い鼻息をフウフウいわせるような馬が、客を乗せた車を引いて、坂道を上って来た。三吉はある町の角で待合せて乗った。
雪はまだ深く地にあった。馬車が浅間の麓を廻るにつれて、乗客は互に膝を突合せて震えた。二里ばかり乗った。馬車を下りて、それから猶山深く入る前に、三吉はある休茶屋の炉辺で凍えた身体を温めずにはいられなかった。一里半ばかりの間、往来する人も稀だった。谷々の氾濫した跡は真白に覆われていた。
訪ねて行った友達は牧野と言って、辺鄙な山村に住んでいた。ふとしたことから三吉はこの若い大地主と深く知るように成ったのである。そこへ訪ねて行く度に、この友達の静かな書斎や、樹木の多い庭園や、好く整理された耕地など――それを見るのを三吉は楽みにしていたが、その日に限っては心も沈着かなかった。主人を始め細君や子供まで集って、広い古風な奥座敷で話した。この温い家庭の空気の中で、唯三吉は前途のことを思い煩った。事情を打開けて、話してみようと思いながら、翌日に成ってもついそれを言出す場合が見当らなかった。
到頭、三吉は言わず仕舞に牧野の家の門を出た。そして、制えがたい落胆と戦いつつ、元来た雪道を帰って行った。一時間あまり乗合馬車の立場で待ったが、そこには車夫が多勢集って話したり笑ったりしていた。思わず三吉も喪心した人のように笑った。やがて馬車が出た。沈んだ日光は寒い車の上から彼の眼に映った。林の間は黄に耀いた。彼は眺め、かつ震えた。
家へ帰ってからも、三吉はそう委しいことを家のものに話して聞かせなかった。末の子供は炬燵へ寄せて寝かしてあった。暦や錦絵を貼付けた古壁の側には、お房とお菊とがお手玉の音をさせながら遊んでいた。そこいらには、首のちぎれた人形も投出してあった。三吉は炬燵にあたりながら、姉妹の子供を眺めて、どうして自分の仕事を完成しよう、どうしてその間この子供等を養おうと思った。
お房は――三吉の母に肖て――頬の紅い、快活な性質の娘であった。丁度牧野から子供へと言って貰って来た葡萄ジャムの土産があった。それをお雪が取出した。お雪は雛でも養うように、二人の子供を前に置いて、そのジャムを嘗めさせるやら、菓子麺包につけて分けてくれるやらした。
三吉がどういう心の有様でいるか、何事もそんなことは知らないから、お房は機嫌よく父の傍へ来て、こんな歌を歌って聞かせた。
「兎、兎、そなたの耳は
どうしてそう長いぞ――
おらが母の、若い時の名物で、
笹の葉ッ子嚥んだれば、
それで耳が長いぞ」
これはお雪が幼少い時分に、南部地方から来た下女とやらに習った節で、それを自分の娘に教えたのである。お房が得意の歌である。
三吉は力を得た。その晩、牧野へ宛てて長い手紙を書いた。
幸にも、この手紙は、彼の心を友達へ伝えることが出来た。その返事の来た日から、牧野は彼の仕事に取っての擁護者であった。しかも、それを人に知らそうとすらしなかった。三吉は牧野の深い心づかいを感じた。自分のベストを尽すということより外は、この友達の志に酬うべきものは無い、と思った。
四月に入って、三吉は家を探しがてら一寸上京した。子供等は彼の帰りを待侘びて、幾度か停車場まで迎えに出た。北側の草屋根の上には未だ消残った雪が有ったが、それが雨垂のように軒をつたって、溶け始めていた。三吉は帰って来て、東京の郊外に見つけて来た家の話をお雪にして聞かせた。一軒、植木屋の地内に往来に沿うて新築中の平屋が有った。まだ壁の下塗もしてない位で、大工が入って働いている最中。三人の子供を連れて行って其処で仕事をするとしては、あまりに狭過ぎるとは思われたが、いかにも閑静な、樹木の多い周囲が気に入った。二度も足を運んで、結局工事の出来上るまで待つという約束で、其処を借りることに決めて来た。こんな話をして、それから三吉は思出したばかりでも汗の流れるという風に、
「家を探して歩くほど厭な気のするものは無いネ――加に、途中で、ヒドく雨に打たれて……」
と言って聞かせた。女子供には、東京へ出られるということが訳もなしに嬉しかったのである。
その晩、お房やお菊は寐る前に三吉の側へ来て戯れた。
「皆な温順しくしていたかネ」と三吉が言った。「サ、二人ともそこへ並んで御覧」
二人の娘は喜びながら父の前に立った。
「いいかね。房ちゃんが一号で、菊ちゃんが二号で、繁ちゃんが三号だぜ」
「父さん、房ちゃんが一号?」と姉の方が聞いた。
「ああ、お前が一号で、菊ちゃんが二号だ。父さんが呼んだら、返事をするんだよ――そら、やるぜ」
娘達は嬉しそうに顔を見合せた。
「一号」
「ハイ」と妹の方が敏捷く答えた。
「菊ちゃんが一号じゃ無いよ。房ちゃんが一号だよ」と姉は妹をつかまえて言った。
大騒ぎに成った。二人の娘は部屋中躍って歩いた。
「へえ、繁ちゃんも種痘がつきましたに、見て下さい」
と在から奉公に来ていた下女も、そこへ末の子供を抱いて来て見せた。厚着をさせてある頃で、お繁は未だ匍いもしなかったが、チョチチョチ位は出来た。漸く首のすわりもシッカリして来た。家の内での愛嬌者に成っている。
「よし。よし。さあもう、それでいいから、皆な行ってお休み」
こう三吉が言ったので、お房もお菊も母の方へ行った。お雪は一人ずつ寝巻に着更えさせた。下女は人形でも抱くようにして、柔軟なお繁の頬へ自分の紅い頬を押宛てていた。
やがて三人の子供は枕を並べて眠った。
「一号、二号、三号……」
この自分から言出した串談には、三吉は笑えなく成った。彼の母は、死んだものまで入れると八人も子供を産んでいる。お雪の方にはまた兄妹が十人あった。名倉の姉は今五人子持で、※〈[#「丸ナ」、屋号を示す記号、215-7]〉の姉は六人子持だ。何方を向いても子供沢山な系統から来ている……
翌日、三吉は学校の方へ形式ばかりの辞表を出した。そろそろ彼の家では引越の仕度に取掛った。よく郊外の噂が出た。雨でも降れば壁が乾くまいとか、天気に成れば何程工事が進んだろうとか、毎日言い合った。夫婦の心の内には、新規に家の形が出来て、それが日に日に住まわれるように成って行く気がした。
夫婦は引越の仕度にいそがしかった。お雪は自分が何を着て、子供には何を着せて行こう、といろいろに気を揉んだ。
「房ちゃん、いらっしゃい。着物を着てみましょう――温順しくしないと、東京へ連れて行きませんよ」
こう娘を呼んで言って、ヨソイキの着物を取出してみた。それは袖口を括って、お房の好きなリボンで結んである。お菊の方には、黄八丈の着物を着せて行くことにした。
「菊ちゃんは色が白いから、何を着ても似合う」
と皆なが言合った。日頃親しくして、「叔父さん」とか「叔母さん」とか互に言合った近所の人達は、かわるがわる訪ねて来た。
「いよいよ御別れでごわすかナア」と学校の小使も入口の庭の処へ来て言った。
「何物も君には置いて行くようなものが無いが、その鍬を進げようと思って、とっといた」と三吉は自分が使用った鍬の置いてある方を指して見せた。
「どうも済みやせん……へえ、それじゃ御貰い申して参りやすかナア。鍬なんつものは、これで孫子の代までも有りやすよ」
小使は百姓らしい大きな手を揉んで、やがて庭の隅に立掛けてある鍬を提げて出て行った。
出発の日は、朝早く暖い雨が通過ぎた。長い間溶けずにいた雪の圧力と、垂下った氷柱の目方とで、ところどころ壊れかかった北側の草屋根の軒からは、隣家の方から壁伝いに匍って来る煙が泄れた。丁度、庭も花の真盛りであった。
隣家のおばさんは炊立の飯に香の物を添えて裏口から運んで来てくれた。三吉夫婦は、子供等と一緒に汚れた畳の上に坐って、この長く住慣れた家で朝飯を済ました。そのうちに日が映って来た。お房やお菊は近所の娘達に連れられて、先ず停車場を指して出掛けた。
道普請の為に高く土を盛上げた停車場前には、日頃懇意にした多勢の町の人達だの、学校の同僚だの、生徒だのが集って、名残を惜んだ。そこまで夫婦を追って来て、餞別のしるしと言って、物をくれる菓子屋、豆腐屋のかみさんなども有った。三吉の同僚に、親にしても好いような年配の理学士が有ったが、この人は花の束を持って来て、夫婦の乗った汽車の窓へ差入れた。その日は牧野も洋服姿でやって来て、それとなく見送っていた。
「困る。困る」
とお菊は泣出しそうに成った。この児は始めて汽車に乗ったので、急にそこいらの物が動き出した時は、周章てて父親へしがみ着いた。
ウネウネと続いた草屋根、土壁、柿の梢、石垣の多い桑畑などは次第に汽車の窓から消えた……
汽車が上州の平野へ下りた頃、三吉は窓から首を出して、もう一度山の方を見ようとした。浅間の煙は雲に隠れてよく見えなかった。
乗換えてから、客が多かった。三吉は立っていなければ成らない位で、子持がそこへ坐って了えば、子供の方は一人しか腰掛ける場処も無かった。お房とお菊とは、かわりばんこに腰掛けた。お繁はまた母に抱かれたまま泣出して、乳を宛行われても、揺られても、泣止まなかった。お雪は持余した。仕方なしにお繁を負って、窓の側で起ったり坐ったりした。
午後の四時頃に、親子五人は新宿の停車場へ着いた。例の仕事が出来上るまでは、質素にして暮さなければ成らないというので、下女も連れなかった。お房やお菊は元気で、親達に連れられて始めての道を歩いたが、お繁の方は酷く旅に萎れた様子で、母の背中に頭を持たせ掛けたまま、気抜のしたような眼付をしていた。時々お雪は立止って、めずらしそうに其処是処の光景を眺めながら、
「繁ちゃん、御覧」
と背中に居る子供に言って聞かせた。お繁は何を見ようともしなかった。
郊外は開け始める頃であった。三吉が妻子を連れて移ろうとする家の板葺屋根は新緑の間に光って見えて来た。
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