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ある初夏の午後私はA公園のなかを<ぶらぶら>步いてゐた。
「藝術の革命」
「超現實主義の繪畫來る」
丁度さういふビラが公園のここかしこ<の辻>に貼られてゐて、私の足はどうやら〔それの陳列されてゐる〕その展覽會の會場の方へ向いてゐるらし〔いのであつた。
「藝術の革命――ふうむ」       <かつた。>
と私は考え〕
といふ譯は、明らかにその會場を眼がけて〔忙〕急ぐらしい人々の足並のなかに、私の病み上りのやう<にふらふらした>足並も雜つてゐるのだつた。
……だが、自分ながら自分がいかにも感じの惡い男に思へてならない〔のである。私は決して人類を愛するなどといふことは出來ない。〕若し〔そんな憎惡のときにある〕私の心のなかを人々〔に見破〔ら〕れたら、人々はきつと私に襲ひかかるだらう〕が見破つて襲ひかか〔るだらう〕つて來る〔など思ふ〕ことを想像する。〔そんなとき〕私は決して〔自分の〕非を詫びて謙遜になら〔うなどとは思はない。〕うとは考へない。彼等が私を殺すまでやけくそに戰つてやらうと思ふ。そしてそんなことを考へるとき、私の臼齒はまた嚙合はされてゐるのである。
步くと疲れるので惡道路を憎む。アスフアルトの路と小石を敷いた路とその疲勞の差は四倍や五倍ではきかない。私はなにかの機會で小石を敷いて惡い道を修理することを發明した男の名前を覺えた。<それは>スコツトランドの土木家<で>John Laudon Macadam。<といふ男だそうママである。>小石を置くだけであと〔はその路を通らなければならない人間に踏ませて自然に平坦な路を作らうとするのだ。私はその方法からその男のやり<人生觀>までを想像して、なんといふ憎むべき男だと思ふ〕は通行人に踏ませるといふやり方だ。私はその上を步きなやみながら<さうしたやり方に>悔(侮)辱を感じその男を憎〔まずにはゐられない。〕むのだ。このマカダム式のやり方にはなにか非常にいけないところがある。
 

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