奇声山

 僕の勤めている会社は――郊外池袋のM薬品製造会社の技師をしている加賀美は語るのだつたが、ことによると彼は少し酔つていたかも知れない――重役から技術員事務職工給仕の末に至るまで、引包めて百人余りと云う小ぽけな会社だが、何しろ百人余りも男ばかりいる中で、若い女と云うのは今云う通り、その交換手一人きりなのだから、ちつとは騒がれるのも無理はないんだ。

 それに交換手のいる所が、会社では一番広い庶務室で、そこは冬は日当りがよく、夏は風通しがよく、集会所には持つて来いなので、昼休みの時間と云うと、水草を追う遊牧の民のように、あちこちからわい集つて来る。中には工場の仕事着のまゝ異様な風体のものも交つている。庶務の室は往来に面しているし、門からも直ぐで、交換手が受付けを兼ねていると云う程だから、どうしても外来の客の眼につき易い。そこで重役は社員達がこゝへ集るのをひどく嫌つて、その為に庶務主任は極つて月に一度や二度は叱言を食うが、遊牧民は中々そんな事位では僻易しやしない。叱言を食つた日位はいくらか大人しくしているが、翌日の昼にはもうけろりと忘れたように、わい寄り集まる。

 庶務室に集まる技術員の中には、二十台ママの独身の若者もあれば、三十を超した妻子のある中年男もある。彼等の多くは五時の退社時間と一緒に、この交換手の事などは忘れて終うんだけれども、少くとも昼休みの一時間だけは、誰一人彼女に興味を持たないものはない。極端に云えぱ、この一時間と云うものはすべての事が、彼女を中心にして働いていると云つて好い。会計係の七十に近い老人さえ、彼女に揶揄つたりするのだからね、なに君が最も激しいんだろうと、交つ返してはいけない。

 交換手は藤田みきと云つてね、僕が高工を出て技術で会社へ這入つた時分には、十五六の小供だつたんだが、今は二十一か二だろう。すつかり大人になつて終つたんだ。全く女の子が十七八から二三年の間にめきと成熟するには驚くね。つい先頃までいつでも鼻を垂らしているような萎びた小ぽけな子供で、従つて、給仕かせい給仕上りの二十までの少年が彼女を取巻いて、子供らしい会話をしていたのに過ぎないのに、いつのまにか背がすくと伸びて、皮樹がはち切れるように膏切つて、甘酸つぱいような体臭が、ぷんと発散して、こう湿んだ眼で異性を見上げるようになつて終つた。そうすると不思議な事には彼女の周囲からは、彼女と同年配或いはそれ以下の少年達はすつかり影をひそめて終つて、今までは彼女を振り向いても見なかつた成人した男達が、替つて彼女を取巻く事になつた。全く変さね。 然し、藤田は何と云つても小さい時から、男達の間に這入つて揉まれているから、そこは心得たもので、随分と際どい揶揄い方をされても、飽くまで小供らしく振舞つて平気でいるし、又󠄂特定の人に持別ママの厚意を示したりしない。図々しい若者達は彼女から厚意を強奪するように、取れたボタンをつけさせたり、綻びたズボンを縫わせたりする。彼女だつて今の年になつてから会社に這入つて来たのなら、まさかそうした扱いも受けないだろうが、何しろホンの子供の時から来ているのだから、彼女のそう云う時代から知つている社員達は、実に気易く彼女を扱う。然し、彼女は少しも嫌な顔をせず易々として、いいつけられた通り、いろ女らしい世話をしてやる。

 だから彼女を取巻く人達に、尽く厚意を持つているとも云えれば、尽く厚意を持つていないとも云える。でまあ、自惚れた奴は自分に厚意を持つていると思つて気取つているし、神経質の奴は少くとも自分以外の特定の人間に厚意を持つていないと安心しているし、押の強い奴は直ぐ自由に出来るように思つているし、気の弱い奴は何となく近寄れないでいると云つた訳で、お互の作用反作用で、表面はまあ至極無事で、昼の一時間はみんなで彼女に揶揄いながら、愉快に送つた訳なんだ。

 彼女の方はそれで好かつたが,若い社員の方では彼女に特別の興味を持つていたものは二三あつたらしい。その中で、僕にも明かママに分つたのは、僕の預かつている工場で、僕の下になつて働いている谷口と云う青年だつた。この男は勤勉で柔順で素直な男なんだが、難を云うと陰気で優柔不断でいけない。この男がどうも藤田に恋をしているらしい。それが先方に通じているんだか、通じていないんだかもよく分らないし、どれ位の程度に思つているのかもよく分らないのだが、今云うように煮え切らない男だから、僕も突込んで訊く気にならない。自分の部下ではあるし、工業学校も出ているし、一方藤田の方は教養は劣つているが、純情な邪気ない所があつて、確りもしているようだから、場合によつては面倒を見てやつても好いんだが、僕はそうした積極的の気持になれなかつた。そうこうしているうちに一事件持上つたのだ。

 事件の始まりは矢張り奇声山が入社した時からだと云える。なに朝鮮人かつて、そうじやないよ、なに日本人にしては奇声山なんていうのは可笑しいと。それには訳があるのだ。そう先廻りをしては話が出来ないじやないか。

 去年の暮から今年にかけて、用度掛かりの矢島と云うのがチフスにかゝつたんだ。可成ひどくやられて、一時はどうかと云うほど悪かつたが幸に生命はとり取めた。然し、二月一杯、ことによると三月にかけて休まなくてはならないので、他の係は兎に角、用度と云う所は実に忙しい、と云つて無経験の者では鳥渡勤まらない所なので、結局経験のある人を臨時に雇入る事になって、這入つて来たのが奇声山なのだ。

 奇声山と云うのは本名は丸山と云つて、額がテカテカして、眼と眼の間の離れている余り威厳のない顔の男だつたが、之が上方者で、大阪弁かなんか丸出しで、極めて調子が好い。

「さよか、結構だす。やりましよ」

 と云つた調子で、何でも呑込んで、賛成して終う。本人はニコリともせず大真面目なのだが、この人と向き合うと、どうもニヤせざるを得ない。所が彼は、いくら相手がニヤしていようが、小馬鹿にしようが、一向平気でいるのだつた。

 この人が入社した時は、どうした風の吹き廻しだつたか、社では謡曲が大流行だつた。どうもあらゆる娯楽のうちで、謡曲ほど仲間を集めたがるものはないと思う。浪花節もどきの謡でありながら、非常に自信があり、謡曲会の幹事をしていた剽軽な長谷川と云う男が、丸山に直ぐ入会の勧誘をした。所が、彼は即座に、

「結構だす、やりましよ」と云つて入会したが、さあ彼の謡なるものが大変だつた。

 鼻の穴から頭の天辺へ突拔けるような奇声で、さながら釜の底をブリキで掻き廻すに等しい。そこへ持つて来て、彼はあたり構わず奇声を張上げる。一緒に謡つている人と合おうが合うまいが、そんな事は一向頓着しない。之には勧誘した長谷川も、些かたじろいたのだつた。

 所が、当時会社ではもう一つ角力が流行つていた。土俵は以前からあつたのだが、寒くなつて抛つてあつたのを、本場所以来、急に景気づいて、職工達も交つて、昼休みに退社時問後に、本式にやつたものだ。それで誰だつたか、丸山を勧誘したものだ、後で考えて見ると、勧誘した奴もした奴だが、引受けた丸山も呆れるの他はない。彼は例の調子で、

「結溝だす。やりましよ」てえんで、その日に裸身になつて土俵に出たのだが、彼の年齢がどうだ割に若く見えるので三十七八かと思つていたら、どうして、後で分つた事だが、もう四十を越しているのだ。それで角力が強いかと思うと大間違いで、てんで素人の、今までに裸身で褌をしめて取つた事があるかどうかさえ疑わしい。

 土俵に出て若い相手に一突やられるとストンと仰向けに引繰り返つて終う。会々組つけば、手もなにもあつたものじやない。無茶苦茶に動き廻つて、自分の力で尻もちをついて終う。それでいて、ニコリともしなければ、渋面を作りもしない。無表情で、悪く云えば洒々とした顔をして、「どうもあかん」とけろりとしている。

 この時に彼の角力の呼名を、係の剽軽な長谷川が奇声山とつけた。始めて呼ばれた時には、みんなドッと笑つたが、本人は抗議を申込みもしなければ、笑いもしないで、平気で呼び名を受けた。それから彼は陰で奇声山々々と呼ばれるようになつたが、終いには面と向かつて云うようになつた。然し、彼の場合では、之を綽名と云うより、寧ろ代名詞と云つた方が適当で、つまり丸山君と呼ぶ代りに、奇声山と呼ぶので、彼もその横りで嫌な顔もせず返辞ママした。

 之が奇声山の謂われだが、そうこうしているうちに、病気だつた矢島がすつかり恢復して、近日のうちに出勤すると云う事になつた。とすると矢島の代りに臨時に来ている奇声山は当然辞めなければならない。所が、誰の気持も同じで、奇声山に愛嬌があるとか人望があるとかは云えないが、罪がなくて、重宝で何となく滑稽な所もあり、居ても邪魔にならない、一種の人気役者で、彼が一枚加わつていると、話も何となく面白いと云うので、出来れば辞めないで、居て貰つた方が好いと云う所に自然と一致して来た。本人も多少の蓄財はあり、辞めても差当り食うには困らないらしいが、まあ、彼にして見れば割に気楽な仕事で、月々金が貰えるのだから、このまゝ居座れゝば結構だと云う風だったので、例の長谷川だとか、用度の主任だとかゞ、多少は口を利いたようだつたが、どうも小さな会社の事で、一人余分の人間を置く訳に行かず、始めから臨時と云う約束だつたのではあるし、矢張り三月一杯と云う事で、約束通り辞める事になつたのだつた。

「奇声山も愈々止すのかな」

「あれがいると鳥渡面白いがね」

「退屈した時に、暇潰しには実に好い相手だが」

 性質の好くない、人を揶揄つては喜んでいる社員達の間には、こんな会話がちよいちよい交された。僕もまあ奇声山がいた方が好いと思う方だつた。


 忘れもしない俸給日の翌日だから、三月の二十六日だ。昼休みに例の如く庶務室に行くと、常連の顔は揃つていたが、何だか気の拔けた麦酒みたいに淋しい。みんなも物足りなそうな顔をしている。ふと、気がついて見ると、交換台に藤田がいない。尤もいかに受付を兼ねていたつて、朝から晩まで交換台に坐りつ切りと云う訳に行かないから、彼女と雖も無論席にいない事はある。然し、様子が何となく鳥渡中座した位の事ではなさそうだ。冗談話をしながら、暫く様子を見ていたが、現われて来る模様はない。

 藤田は入社以来一日も欠勤した事のないと云う女なので、それに昨日あたりは元気だつたから病気になつたとも思えず、家に病人や不幸があつた事も聞かない。変だとは思つたが、誰かに訊いて見る事は、僕として彼女に余り関心を持つているようで、鳥渡出来ない。他の連中も大方同じ気持だつたんだろう。みんな物足りなさそうな顔をしながら、誰も彼女の事を云い出すものはなかつた。

 後で思い当つた事だが、この日どうも谷口が工場で変にソワしたり、そうかと思うと、妙に沈んで考え込んだりしていたようだつた。然し、それは後からそう云えばそうだつたと思い当つたのでその日は一向気がつかなかつた。

 翌日になつても藤田の姿が見えなかつた。翌々日も来なかつた。昼休みに庶務へ行つても何となく様子がチグハグで、翌々日あたりは余り人が集まらず、来ても鳥渡室を覗いて、直きに行つて終うと云う風だつた。只奇声山だけはひどく元気なようだつたが、どうも一般の様子が可笑しい。庶務室が白けているのは、只藤田が欠勤していると云うだけではないらしいのだ。

 一方では谷口がひどく憂鬱になつて終つて、用を云いつけても、どうもハキしない。する事も兎角へマをやる。僕は困つた事だと思いながらも、多少藤田の欠勤にも関係していると思つたから、頭ごなしに叱言を云うのも可哀想だと思つて、そつとして置いたが、三日目にとうとう彼も欠勤して終つた。

 そうして事情が直ぐ分つた。

 一体会社の中に起るゴシップは、陽気なハッと笑つて終えるものは、直ぐに耳に這入るが、それ以外のものはコソと耳から耳に伝わつて、容易に上の者の耳には這入らない。僕と雖も仮りにも技師と云つて、一つの工場を預かつているから、矢張り上役の方に近い。そこへ持つて行つて、僕が向うから云えば格別こつちから聞くのは嫌いだ。それに部下の谷口が又󠄂無口の方で、普通はこうした位置の男の口から我々の耳に這入るのだが、彼は余り云わない方だ。おまけに多少彼の関係している事だから、尚更喋ベママらない。こんな事で、耳の早い連中には当日か翌日に知れて終つたような事が、三日目でなければ僕の耳には這入らなかつた。

 と云うと大事件のようだが――全く、ちつぽけな会社内の出来事としては大事件でもあるが――つまり交換手の藤田が駈落をして終つたのである。

 駈落の相手と云うのが欠張り庶務課にいた岩元と云う青年だつた。この岩元と云うのはお凸の背の低い、様子の余り好くない男で、欠勤勝ちな、勤務振りも余り上等でなく、どつちかと云うと受の好くない方だつた。だから、当の藤田はどうだつたか知らんが、藤田を覘つていた自信のある連中の間では、岩元などは物の数に這入つていなかつたのだ。所が、彼中々の辣腕で、いつの間にか藤田をものにして、俸給を二人して受取つた翌日、手に手を取つて、ドロンを極め込んだのだ。後で調べて見ると、大した額でもないが、彼は庶務の金を費い込んでいたと云う事だ。谷口が憂鬱になつて遂に欠勤して終つたのは、全く失恋の結果だつたのだ。

 僕は実に意外だつた。藤田は純真なうちに中々確りした所がある女だと思つていたので、まさか駈落をしようとは思わなかつたし、殊に相手が岩元だと聞いては、大いに幻滅で、腹立しくもあれば、可哀想でもある。こんな事なら早く口を利いて、谷口の望みを遂げさせれば好かつたと、悔んでも後の祭だ。

 谷口は二三日休んで、しよんぼりとして出て来たが、僕は明らさまにそれと云わぬが、彼が恥かしく思わない程度で、それとなく訓戒を加えた。彼も分つたようにうなずいてはいたがどうも余程の打撃を受けたらしい。それほどまで思つていたのなら、早く当人へなり、僕になり誰になり打明けて、手取早く事を連べば好いのに。どうも彼の様子では自分独りの胸に畳んで彼女に云わず終いに失恋して終つたらしい。今時の若者に似ず、馬鹿な奴と腹立たしくも思つたが、現在萎れている姿を見ると、気の毒でならなかつた。

 藤田の駈落で一番旨くやつたのは、奇声山だつた。何故かと云うと庶務の岩元がいなくなつて欠員が一人出来たからで、病上りで激務に堪えない矢島を庶務に廻して、奇声山はそのまゝ用度に居据りとなつた。と同時に、彼は准社員になつた。臨時でいた時よりは幾分俸給を減されたものの、それは元々臨時であつた為に高かつたので、云わば元に戾つたようなもので、腰を落け着られるようになつただけ得なのである。辞令を見せて廻つた時には、流石の彼も嬉しそうだつた。


 奇声山は奇声山式に人気を続けて行つた。この点では社員達も満足だつた訳だが、藤田の後任は十五六の鼻垂らし娘になつて終つたので、一同落胆した事は申すまでもない。

 喜んだのは庶労の主任だ。彼は監督不行届の廉で、譴責は食つたけれども、禍根だつた藤田がいなくなつたので、大いに楽になつた。と云うのは、其後昼休みに庶務室へやつて来るのは、大抵中年連で、青年連は申合せたように姿を消した。中年連なら数も少く、大してうるさくもないので、主任は重荷を下した訳なんだ。

 こうして一件は落着したが、その後に僕はふとした事から、奇声山と親しく話すようになつた。彼の年は四十以上である事も、その時分に聞いて驚いたのだつたが、しんみり話して見ると、彼にも不平も不満もある。奇声山と呼ばれるのも余り喜んでいないらしい。

「奇声山、奇声山て、殺生や」余り悲しそうでもなかつたが、彼がそう云つた時には、僕も鳥渡同情した。全く四十面下げて、

「結搆だす、やりましよ」と云つて、裸身で角力を取るのも考えて見ると余り楽な事ではない。

 彼が准社員になつてからどれ位経つた時分だか、能く覚えていない。案外直ぐだつたとも思うし、余程経つてからとも思う、兎に角、僕が引張つて来たのか、彼が押かけて来たのか、僕の家で彼と二人切りで飲んだものだ。

 彼は中々酒を飲む、そうして酔うと、雄弁に喋べり出して、訊きもしない身の上話をクド話出した。それによると、彼は中々苦労している。世渡りが上手いようで、案外下手で、あちこちの会社を追われ、臨時で今の会社へ来た時には、そう困つていないように聞いたが――彼がそう云つていたのかも知れない――中々どうして、苦しい絶頂で、夜逃げでもするより他はないと云う時代だつたのだ。

「そうすると何だね」僕は云つた。

「藤田が駈落をして呉れたのが、つまり救いの主だつたんだなあ」

「そうだす」彼はうなずいた。

「奇声山、奇声山と云われても、頭を下げてゞも、あそこに置いて貰えなかつたら、どもならなんだです」

「ふうん、どんな悪い風でも誰かに好く吹く、と云う事があるが、全くだなあ」僕は感嘆した。

「けんど、私かて、あゝするには大分骨折りましたんでツママせ」

 酔も手伝つたんだろうが、彼は勢よくこんな事を云い出した。

「えゝッ、何だつて」

「あんた。藤田云う娘が、なんで岩元はんと逃げたんやと思うてなはる?」

「――」僕は黙つて彼の顔を見た。「私が周旋ましたんや」

「えゝッ」

「私が周旋ましたんや」彼は益々雄弁になつて来た。

「抛たらかしといたらあゝなるのんに中々かかりますよつて、私が旨い事して、駈落さしましたんです」

「えゝ、じや、二人のうち誰かゞ君に頼んだのですか」

「違います、違います」彼は首を振つた。

「私が二人を焚きつけたんです」

「焚きつけた?」

「そうだす。私が結んでやるまで、二人はほんまの他人だママしたのです」

 僕は少し宛分りかけて来た。詰り、藤田と岩元の間は何でもなかつたのを、彼が骨を折つて恋愛関係に陥らしたと云うのだ。

「だつて君、藤田の方で何とも思つていなければ、君の力だけでそう易々と行かないでしよう」

「あんたも苦労が足りまへんな」奇声山はこの時初めてニヤリと笑つた。

「藤田みたいな年頃で、男欲しいと思うてるもんは、若い男やつたら、相手構やしまへん。旨い事一遍手握らしさえしたら、後は野原の火や、自然にドン燃え拡がつて行きますのや」

「で、どうして相手に岩元を選んだんだ」

 僕の声は思わず荒くなつたが、彼には一向応えないようだつた。

「手近だしするさかいな。私は急いでましたのやで――」

「じや君は、つまり欠員を一人作る為に、そんな事をしたんだね」

「そこまで云うて貰うたらどもならん。私の身になつて――」

「うぬッ」

 酔つた勢もあつた。然し只己を利する為に、谷口の事も知らず、藤田や岩元の将来も思わず、他人の幸福を踏みにじつて平然としている、彼の亡恩的な顔が癪に障つてならなかつた。ムラと籠み上げて来た怒気に、僕は思わず力委せに彼の頰ぺたを殴り飛ばした。

「うわ――」

 泣声とも叫声ともつかない変な声を出した奇声山は、打たれた頰ぺたを押えながら、敢て抵抗をしようともせず、今にも泣き出しそうな顔で、僕の顔を恥めしそうに見上げた。

「亡恩の顔だ」

 僕は何となくそう思つたが、急に彼が哀れになつた。彼は彼だけの理由があつたのだ。そう思つて僕は上げた手のやり場に困つた。さりとて、彼に謝まる気にも、毛頭なれなかつた。

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