太田和泉守覺書
太田和泉守覺書
太田いつみこれをつゝる
さるほとに、たうきんさま、けんき二ねんかのとのひつし、十二月の御うまれ、たいくわ御けにあたつて、御たんしやう、すいのうんにあたり、御くわほううすき御うまれなり、大なんきたる事うたかふへきにあらす、てんたうしやうろの事、さりしけいちやう十二年、ひのとのひつし、うるう四月二日、みのこくに、城都より、をうてつはうほとに、たつ大なりして、五きないひゝきわたり、ふた夜に入て、一しやく四はうほとのひかりもの、三つ四つ、みやこよりいてゝ、ひつしさるへとひさるなり、またよくねん十月三日、いぬのこくに、ひかりもの、いせんのことく、みやこのうちをとひまはり、ひつしさるへひきやうするなり、されハ和州たふのみねめうらくし、開山ちやうゑをしやう、たいしよくくわんかまたりないたいしんの御子なり、ちやうゑをしやう、につたうの人なり、およそ千ねんにおよふなり、たいしよくくわんハ、もくさうにつくりたてまつり、たうたい談讃たいみやうしんとかうして、めうらくしのちんしゆとあふきたてまつり、ひとつのきとくあり、はれつといふ事あり、たつにやふれさせたまふ、しかるときハ、かならすとして、たうしにあくしあるか、 みかとのきやうしに候か、これによつて、そうもん申ところに、御ちよくして、せいかんしのへん殿たてさせられ、御きたう候といへとも、そのしるしなし、またそのゝち、よし田かんぬしまいられ、さいなんきたらさる御きねんあり、しかりといへとも、こんとのはれつ、いゑさるなり、よはきやうきにおよふといへとも日つきいまたちにをちす、四きをへんせす、あひたかはさるところをすたうりのなんそや、 わうとにれんきよして、せんしやうをそむき、 わういのちよくしに、はれついゑさるや、しかしなから、これちよくしのふかくたるへし、てんしのきやうしさつけ、うたかふこゝろなし、なを〳〵うらなゐをもたてさせ、さうしさせられ、一かとの御きたう候ハヽ、かやうの御たいし御座あるましきを、御ゆたんゆゑ、しちいきかくれなき大なんきたつて、たいりのさうたう、なのめならす、このしさいと申ハ、せけんをたやかにして、御せいひつなるかゆゑに、はんみんゆるかせにして、せは〳〵しき事も、御さなきゆゑに、月見はな見なとゝ申事あり、こゝのえのらくやうのうちに、みやつかはれたてまつる、ゐましけるいもうとのさぬき殿かねやすひんこのかみきやうたいしわさをもつて、きよくねん二三月のころより、御くけしゆより、てん上のくものうへ人、御上らうしゆへ、御こゝろをうつされ、たんさくをおくり、たかひに心うつ〳〵とそゝろになり、おもしろくおほしめされ、しのひ〳〵の御あそひ、したい〳〵にもれきこえ、をうならの人きこしめし、ねうゐんさま、ねうこさま御みゝへいれ申され、これよりしたい〳〵に、すみふとになりまいらせられ、ねうゐんさま、ねうこさまの御かくこにても、とゝまりかたくおほしめし候て、をうほちの人、御みゝにいれ申さるゝ、このをうほちの人、たうきんさまの、をちの人にて御さ候、されハ四月ちうしゆんに、みき五人の御つほねしゆを、ちきにめしよせなされ、御きゝ候て、たいきなる御せつかんにて候あひた、ありのまゝに、御つほねしゆおほせられ、それを一々にあそはしつけさせられ候て、また御つかひ申され候、によし八人御さ候、三人御つほねしゆへあひそへ、まてのこうちのたいなこんとのへつかはされ、御きうめい候て、御たつねなされ、また三人のによしをそへさせられ、くわんしゆしちうなこん殿にて御とひ候、みきのれうくちと、きんちうにて、ちきに御きゝなされ候とを、一々にあそはしつけさせられ、いたくらいかのかみかたへ、 おほせつけられ候事、
五月のはしめに、いたくらいかのかみ
みかとよりの御かきつけを、するかへ下し申候てより、五月のすゑにいたくらないせん、するかより御つかひとして、まかりのほられ候事、六月の月のうち、いろ〳〵さま〳〵御せんさく御さ候て、七月けしゆんに、いたくらいかのかみ、するかへまかりくたり、をうこしよさまいゑやすかうへ、 てんていふかく御けきりんあつて、かんせんにて、あらけなき御せいはいをされたきよし、 しやういのをもむき申あけられ候へハ、をうこしよいゑやすこう、きこしめして、 おほせはよきなく候へとも、たいりにて、さやうたいきなる御せいはいハ、きんたいうけたまはりおよはす、かへつてせけんのほうへんくわいふん、あやうしにそんし候あひた、るさいにをこなはれしかるへく候と、するかより御へんし、そのをもむきになされ、御しひふかきゆゑ、またハいたくらいかのかみ申されやうによつて、ひとまついのちたすかりありかたき事、
八月廿一日、するかより、 にうゐんさまの御うちにて、そつの御つほね、にうこさま御うち、うへもんのかうの人、めし候て、いたくらいかのかみものわひくわへられ やなきはらたいなこん殿かうしつ、やうりんゐん殿御ともにて、御くたり、これハせんこ申わけ、さういなきかと、御ふしんのため、またひとつハ てんしへ御いさめの御いけんとして、
九月十日にそつの御つほねの御ちの人、やなきはらのたいなこん殿かうしつ、やうりんゐん殿御しやうらくにて、御そうもんなされ、くに〳〵へはいるをせらるへきにあひさたまり候事
御くけしゆのしたい
十一月八日に
をういのみかとたいなこん殿しそくちうしやう殿
まつ木しようしやう殿 みき御れうにんハさつまのくにいわうかしまへるさい
十一月十日
くわさんのゐんしようしやう殿、ゑひすかしまへゑんる、こゝにあはれなる事あり、ちゝはゝ二人あわたくちまて、御をくり、人めをも御はゝかりなく、こゑをあけて、いまをなこりの事なれハ、なきかなしみたまふ、しそくしようしやう殿より、一しゆえいしたまひて、のこしをき給ふ、
はなハねにかへるときけハわれもまたをなしわかはのはるをこそまて、とかやうにはんへり、をくりたまふ、これをきせんかんとくのよしあはれなるかな〳〵、
あすかいなには殿
みきおなしところへはいる、
十一月十日
からすまるさいしやう殿
とくたいししようしやう殿
みき御れうにんハ、とかのきやうちう、わきまえさせられ、大こしよさまいゑやすこうより、御しやめん、
十一月十日
いのくまとのハ、さき〳〵をわれしまつうらにふる人ありて、かれをたのみ、かうらいへとかいをこゝろかけ、ひうかのくにへまいられ候、
古語曰
雖廣三界 無置一身
雖多數日 叵贈一日
といふ事まことなるかな〳〵、しのふとすれと、かくれなく、くにぬしたかはしうこんうけたまはりつけて、なかむら大郞ゑもんといふなにかしに申つけて、からめとり、ふねにとりのせ、
十月十七日に
きやうちやく候なり、すなはちその夜うちにおほせつけられ候て、かみ京しやうせんしにおゐて、はらをきらせ候、てまへのはたらきにふさに、らくちうわらいものこれなり、
かねやすひんこのかみ、これもしやうせんしひんかしのかはらにて、ゑたにしはりくひをきられ、あはれなるありさまなり、このひんこ、日ほん一のいたつらものにて、かたしけなくも、 みかとにつかへたてまつる、いもうとのさぬき殿にからくらせ、御くけしゆと御しやうらうさまたちひきあはせ、うきよくるいをさせ申、ちやうおんにほこり、はうらつのはたらき、なか〳〵さたのかきりなり、御くけしゆハ、いゑ〳〵のかくもんにも、かゝはらす、たいしの御くれうをふさけ、みんかんうれうるところをしらす、むさほりとり、ひやくしやうをのうらんせしめ、御をんゑのほとをもわきまへす、てん上のくものうへ人、おくふかく御座を、あひかくしめたふらかしいたし、ふしきのかや屋へよひいれたてまつり、めうかをもおそれす、ほしゐまゝにあひはたらき、しゆしんゆうきやうまてをつくし、いろにふけ、りとくにふけり、ひせんをもいとはす、御さかつきをたへさせ、らうしをみたし、たい一のいたつらもの、たみのにくむところ、てんはつのしせついたりぬれハそのことはり、をのつからあらはし、しめつと申なから、かもんの名を貶まつせのあさけり、くちをしき事、
ふけのしよさふらいハ、あるいハくんやくひゝ
御くけしゆハ、いつれの御ほうかうも御さなく、いたつらにむなしく日をおくり、しよさなきかゆへに、につほん一のいたつらものゝ、かねやすひんこ、そのいもうとさぬき殿きやうたいのものとちくして、あくきやうをくはたて、 きんゑきをもをそれす、てん上にみやつかはれおわしまし候、くものうへ人、われ〳〵のこひかたふきたる、かや屋へよひ入たてまつり、 しゆくんの御きけんをもはゝからす、しゆゑんゆうけふにちやうし、さたのかきりなるありさまなり、
いたくらいかのかみかたへの御ちよくし、くはんしゆしちうなこん殿、はく殿とみのこうちとの、さへもんのすけ殿、三人御こし、いたくらかしこまつて、ちよくちやうのをもむき、一々にちよくもんのやうすするかへつふさに、こん上つかまつるへきと、こゝにて、いたくらきんけんめうくをはきたまふしさいハ、この御ちやうしよのほかに、また〳〵いかやうのおほせられたきをもむき御さ候とも、いたくらにおいてかさねて御つかひ申かたく候あひた、この一きはかりにて、御うちをきなされ候やうに、よく〳〵をの〳〵御申あけ、かんやうと申あけられ候、あんのことく一さいをこれハ、二さいをこる、わき〳〵よりいろ〳〵申あけ、 上さまの御みにかす〳〵きこしめされ候て、なか〳〵御けきりんなのめならす、しかりといへとも、いたくらかねて申上ることはのすゑ、おほしめしいたされ、御ちやうしよにかきくわへさせられたき御事ともまてにき、いたくらふかきしんたいにて、ゆくすゑの事ともまてさつし申、あまたの人をたすけられ、ちよくたう申され、せんたいみもんのしよしたいなり、そののち、またするかよりのおほせにて、たう くはんはくたかつかさ殿をの〳〵御くけしゆよりあつまり、御たんこうとあひきこへ候まつ上さハ 一ほんしんわう 八ちやうのみや、さきのくはんはく 一ちやうとの、したひ〳〵に御なをりのよしなり、いたくらいかのかみ、めしにしたかひ、たかつかさ殿しらすまてまいられ候、そのときのちよくしにハ、にし三ちやう殿御こし、やかて御さしき御たちのよし候なり、
御つほねしゆのしたひ
しんたいすけ殿と申は、ひろはしたいなこんの御むすめ、なかにもとりわけ、 御ひそう御ちやうあひの御かたさまなり、くものうへにとふとりは、たかくともいつへし、かいていにすむうほハ、ふかくともつるへし、まくらをならへても、はかりかたき人のこゝろなり、きのふハちきれとも、けふハかわるそなさけなき、
こんのすけ殿と申ハ、なかのゐんさきのちうなこんにうたう、やそくのそくちよなり、
なかのないし殿ハ、みなせ殿のそくちよ、
かんないし殿ハ、からはし殿のそくちよなり、
さぬき殿ハ、かなやすひんこのかみいもとなり、
五人なから 十一月一日に
くはんたうへ御くたし
十一月十三日に、するかへ御つれ候なり、おなしくによし八人、するかまてあひそへ、御くたし候へとも、六人ハ京へかへり候て、二人ハ御つほねしゆにそへをかせられ、ふゆちうハかんてんにても御さ候ゆへか、
やなきはらたいなこん殿かうしつやうりんゐん殿、十二月二日に、するかより御しやうらく候、御ものかたり、このおもむきにて候なり、 きちうの御ことなれハ、ゑんていつくしかたし、しよう〳〵とさまよりほゝうけたまはりおよひ候ふんにて候也、
慶長十五〈かのへいぬ〉二月二日
太田いつみのかみ〈ひのとのい〉八十四さい
右一帖以和泉守自筆本書寫了
寬政八年二月
撿挍保己一集
明治三十五年十一月再校了